爆笑問題のニッポンの教養

2009年10月17日 (土)

■夢を実現する力。『爆笑問題のニッポンの教養』 細胞シート工学、岡野光夫。

今回のテーマは、細胞シート工学。

File87_
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE087:「あなたの細胞生き返ります」 2009.10.13放送
東京女子医科大学先端生命医科学研究所所長
細胞シート工学、岡野光夫。

■岡野先生はもともと高分子化学の人だったのだけれども、人工物で人の体の不具合を何とかしたいという思いで医学部に転じた面白い経歴の人である。

その成果として患者の体細胞を培養し具合の悪いところに戻してあげて機能を再生させるという技術を完成、心筋梗塞とか食道ガンとか角膜損傷など臨床での適用の段階にまできているのだそうだ。

何しろ自分の細胞から作り出したシートだから拒絶反応がまったくないわけで、極めて画期的なのである。

■キモは培養した細胞の薄膜をシャーレから剥がす高分子化学の技術と薄膜を積層させる工学の技術。

その視線は3Dスキャンした心臓などのデータをもとに臓器を丸ごと細胞シートの積層でつくってしまおう、という夢のようなところにまで及んでいて、それも20年から30年先くらいと言ってのける。

そうすると遺伝子操作の技術なんかも合流して、腎臓病の人が人工透析から解放されたり、糖尿病の人がクスリを飲み続けることから解放されたりするんだろう。

素晴らしい話だ。

■あとは脳みそか。

あれは常に変化し続ける臓器だもんね、ちょっと難しいだろう。

それとも、脳のダメージを受けたところに脳細胞シートを貼り付けると自己修復したりするのだろうか。

そのあたり、興味あるなぁ~。

■それにしても、早稲田の工学部と東京女子医科大学のコラボで生まれた研究室の雰囲気は良かった。

ああいう場を生み出せるというのも一つの能力なのだろう。

狭いタコツボの中にいたのではなかなか上手くいかなくなってきている、専門化、細分化が極まった現代においてはそういう能力が求められてきているのかもしれない。

 

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                           <2009.10.16 記>

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2009年9月 3日 (木)

■こころのずっと奥底に響くもの。『爆笑問題のニッポンの教養』 音楽、坂本龍一。

今回のテーマは、音楽。

File083
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE083:「台本のない音楽会」 2009.9.01放送
音楽、坂本龍一。

■母親が赤ん坊に「○○ちゃーん、ごはんでしゅよー」、

なんていう時には声の音程が上がっていて、あたかも音楽のよう。

実はそれは世界万国共通で、何万年か昔の人類において「音」と「ことば」が未分化だった時代の名残りだという説があるのだそうだ。

太田がサザンの歌のもつ力を坂本龍一さん伝えようとするのだけれども、どうしても分からないのは、彼の耳には歌詞が記号(音)として入ってくるらしく、どうやら’教授’は耳が赤ちゃんのまま育ったんじゃないかと太田にからかわれていたが、それもあながち的外れでもないのかもしれない。

■太田のいうようにメロディの上に言葉がのることで、ものすごく伝わる、なかなか伝えられないことも伝わってしまう、ということは確かにある。

けれどその一方で洋楽を聴くときって、英語が分からないものだから、歌詞もまた曲の一部としてとらえてしまって、邦楽を聴くときと脳のはたらく部分が違うような気がするのだ。

ジャズとかを聴くときと同じ脳なんだよな。

■邦楽は左脳、洋楽は右脳、

なんて単純じゃないんだろうけれど、赤ちゃんの話を聞くと、洋楽とかジャズとかは感情とかそういったこころ動きのさらにずっと深いところに入り込んでいくのだろうな、とうなづける。

けど、まあ、そんな理屈は最後の’戦メリ’生演奏の前にはまったく意味が無くって、ああ、やっぱり音楽っていいなあ、と、ろくに弾けないウクレレと戯れながら、しみじみ思うのである。
  

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                        <2009.09.03 記>

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Photo 1996 坂本龍一
■6曲目に’Merry Christmas Mr.Lawrence’が入っています。
<視聴>では前奏の部分しか聴けないのが憎らしい(笑)。

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2009年7月18日 (土)

■「うまい!」はどこにある。『爆笑問題のニッポンの教養』 人工舌、都甲潔。

今回のテーマは、人工舌。

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■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE079:「味のある話」 2009.7.14放送
九州大学システム情報科学研究院 研究院長 教授 都甲潔(とこうきよし)。

■味覚センサーなんてものはフツウにあるのかと思ったらそんなことは無くて、都甲先生が世界で始めて開発したものなのだそうだ。

計測は科学の基本であり、味覚の世界には今まで科学は無かったということである。

だからといって、科学につんのめった話かと思えばさにあらず。

■今回、見ていて面白かったのは、牛乳に細切れのたくあんを混ぜたコーンスープや’みかん’が乗ったいくらの軍艦巻きを食べてみろ、といわれて全然うまそうじゃない爆笑問題の複雑な二人の表情だ。

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■まずい!

■味覚センサーでの計測ではほとんど一致するのに食べてみると違ってしまう。

なんだ、違うんジャン。

というところなのだが、それを実感させるのが都甲先生の狙いなのだ。

■粘菌は「甘い」に近づき、「苦い」を避ける。

それは「甘い」=栄養、「苦い」=毒を区別して行動しているということである。しかも単細胞生物が!

粘菌が「うまい!」と身を震わせているかどうかは判らないが、生き死にの問題として、味に対して非常に素直に反応する、ということだ。

■それに比べて人間は味覚だけで味わうということはない。

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚に認知を加えたすべての感覚を総動員して「うまい!」を判断する。

栄養と毒を見分けるという生物としての本来の役割りを意識の下に追いやられ、味覚は、’うまい!’という娯楽を構成するひとつの要素に成り下がってしまったのだ。

■都甲先生は、自分の舌を信じよ、

というが、なかなかこれが難しい。

何故か?

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、認知によって構成される「うまい/まずい」自体が脳内に生じた幻であり、実体を伴わないものだからである。

般若心経の世界。

つまり、その大脳新皮質に仕組まれた罠をかいくぐるには、色即是空の「悟り」を開かねばならんということだ。

人生の半ばを過ぎてしまったが、まだまだそんなに枯れてはいないし、もう少し愉しみたい。

だから「うまい!」についても成るがままでいきたいと思うのである。 
  

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                             <2009.07.18 記>

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■ 感性の起源―ヒトはなぜ苦いものが好きになったか
都甲 潔 著 中公新書(2004/11)

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2009年7月12日 (日)

■裁判員制度は誰の権利を守るものなのか。『爆笑問題のニッポンの教養』 刑事訴訟法、後藤昭。

今回のテーマは、刑事訴訟法。

File078
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE078:「やっぱり、みんな有罪ですか?」 2009. 7. 7放送
一橋大学大学院法学研究科教授 刑事訴訟法 後藤昭。

■太田は是非とも裁判員制度に参加したいといい、田中は出来れば避けて通りたいという。

お前はどちらかといえば明らかに田中の方で、一般的日本人の大方の意見もそうだろう。

太田にいわせれば無責任、傍観者。

なるほど確かにそうかもしれない。

■これも一つの日本人論なんだと思う。

お上に対して文句はいうけど、お上に直接それをぶつけるでもなく、結局は上意に従って、またそれの文句を垂れるの繰り返し。

その柳腰もひとつの賢い生き方だ、というのもありだし、だから無理やりそれを変える必要もないのかもしれない。

けれども、明治、大正、そして戦後において’権利’というやつが日本の中に根付いていって、それはそれでいいのだけれど、その権利とセットであるはずの’責任’が欠けているのが問題で、モンスター・ペアレントにしても、不祥事を起こしてアタマを下げる経営者にしても、根っこにはその問題があるように思えるのだ。

■小学生の頃に先生から

 
’義務’と’責任’の違いを答えなさい、
 

なんて言われたことがあるけれども、その答えは未だにわからない。

世の中には理屈抜きにやらねばならないことがあって、’義務’とはそういうことだと理解しているが、’責任’、というやつについてはどうにもスカッといかないのである。

■もしかすると、分かっているつもりの’義務’についても、お上ごもっとも、世間様に顔向けできない、の文化のなかで定着しただけで、一皮向けばこれもよく分からないものなのかもしれない。

し、だからこそ、’責任’についてもよく分からないのかもしれない。

逆に言えば、’責任’が分かることで、’義務’の再定義も可能になってくるのだろう。

そこでキーワードになってくるのはやはり’権利’であり、それと’責任’との関係にポイントがあるに違いない。

■そこで裁判員制度である。

これは国民の義務なのか、責任なのか。

日本人の多くはこれを’義務’と捉えているのではなかろうか。

いや、言葉上は’責任’だ、と答えるのであるが、心情として「心ならずも課された’義務’」と捉えているのではないか、ということである。

■もし、ここに’権利’という概念があれば、少し雲行きが変わってくるのではなかろうか。

では、ここでいう権利とは何か。

刑事裁判に関していうならば、公正に裁かれる権利、であろう。

事実に基づいて有罪・無罪を判定され、イイカゲンな証拠では有罪とされない権利(無罪推定)。

そして、有罪であったとしても、法外な刑を受けることのない権利。

そういう被告人の権利である。

■今まで日本人は、その権利を守ることをお上に任せてきた。

その上で、犯罪者の人権ばかりを重視して遺族の人権を軽視しているとかの意見を垂れ流してきたわけである。自分自身がそうであるように。

ところが、

起訴される事件の99.9%は有罪判決。

なんていわれてビックリ仰天するわけだ。

いや、数字のマジックに踊らされることを嫌ったとしても、検事、弁護士、裁判官の閉じたコミュニティのなかで、一般の常識との乖離が生まれ、それも被告人に不利な方向にハタラくという後藤先生の話には説得力がある。

■しかも、この番組のHP上でのコメントにあるように、「素人の方が有罪にしやすくて、プロの方が無罪にしやすいと思ってた」という太田の話に後藤先生自身が驚いた、というのだからこっちも驚く。

中立な立場であるはずの研究者であっても、’法律家コミュニティ内の常識’による偏りがあるということで、じゃあ裁判官はどれほど一般人と乖離した感覚を有しているか、ということである。

■その閉じたコミュニティに我々は自分自身の’権利’を委ねてきたのである。

それは、自分が被告になったときに守られるべき’権利’である。

自分が被害者になることを想像しても、なかなか自分が被告になる想像力は我々にはないが、松本サリン事件の例を引くまでもなく、冤罪としてそこに引き込まれそうになる可能性は決してゼロではないのだ。

その時になってはじめて青くなる。

そして世間は被告の権利には知らん振り。

■今回の番組を見て、いろいろ考えるまでは、裁判員制度は「被告を裁く権利」なのだと勘違いをしていた。

太田の言葉を聞いていても、そういうニュアンスが感じ取れて、決して特殊な感覚ではないのじゃないか、と思う。

そして、その大きな勘違いにこそ、裁判員制度の捉え方を難しくしている本質があるように思えてくるのだ。

■裁判員制度が守る権利は、法によって侵されるかもしれない被告の人権である。

その上で、被害者の人権をも考慮しながら適正な裁きを規定する、ということである。

我々が裁判員制度で負うべき責任は被告の人権を守ることであり、それは誰のためでもなく、自分自身が法に裁かれる立場になったときに守られるべき権利なのだ。

一般的な解釈は別として、それがこの論の結論である。

■義務と責任の話は難しくてまだよく分からないところもあるが、責任というものが自分自身の権利とセットであることは間違い無さそうに思う。

やはり分からないことは具体的な話で考えるに限る。

モンスター・ペアレンツにしても、不祥事を隠してしまう企業にしても、守られるべきは誰のどのような権利なのかを考えることで本質的なものが見えてくるということなのかもしれない。

また、改めて考えてみたいと思う。

    

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                          <2009.07.12 記>

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Photo新版 わたしたちと裁判
後藤 昭 著  岩波ジュニア新書 (2006/10)

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それでもボクはやってない スタンダード・エディション [DVD]
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2009年7月 5日 (日)

■ああ、アメリカよ。『爆笑問題のニッポンの教養』 日米関係史、阿川尚之。

今回のテーマは、日米関係史。

File077_us_ilove_you_2
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE077: 「U.S. I LOVE YOU」 2009.6.30放送
慶應義塾大学教授
日米関係史・米国憲法史 阿川尚之。

■アメリカってなんだろう。

阿川先生の見るアメリカは、多様性に富んだ自由な国。

太田の見るアメリカは、大国の正義を押し付ける尊大な国。

きっとどちらも本当のアメリカなのであろう。

■感覚的には、太田の言うアメリカの方が理解しやすく、すっと入ってくる。

特に、ソ連崩壊後に唯一の超大国となってしまったアメリカは、自由主義の旗頭という役割を喪失し、それ故に各地の紛争に関わる大義が見えにくくなってしまった。

それまでのアメリカの覇権主義が良かったとはいえないが、大義名分を失ったアメリカに世界の批判が集中するのもやむを得ないことなのだ。

■アメリカを擁護する阿川先生は、その問題を正面から答えることを避けているように見える。

と、いうよりも、関心事が別のところにあるといった方がいいかもしれない。

巨大なバケモノと化してしまったアメリカについて語るのではなく、その本来の姿について広く理解を得ることで、それはバケモノなんかじゃない、という伝道をおこなっている、ということなのだろう。

■アメリカを批判するのは簡単なことである。

けれど、その前にアメリカという国の成り立ちを知ること、実際のアメリカ人と友人となって語り合うことが重要だ、という阿川先生の意見は非常に正しいように思える。

たぶん、それでも、アメリカという国に対する批判的精神が変わることはないのだろうが、その批判に幅が出ることは確かであろう。

やはり、知ること、というのは大切なことなのだ。

 

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                                                 <2009.07.05 記>

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■ 憲法で読むアメリカ史(上)
阿川 尚之 著 PHP新書 (2004/9/16)
         

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2009年6月28日 (日)

■邯鄲の夢。『爆笑問題のニッポンの教養』 実験心理学、一川誠。

今回のテーマは、実験心理学。

File076
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE076:「『時間』という名の怪物」 2009.6.23 放送
千葉大学文学部行動科学科准教授 実験心理学、一川誠。

■比較的すんなりと話が流れた感がある。

隔離された部屋で爆笑問題のふたりが雑談をする、その時間がどれくらいかをふたりに尋ねると、太田が5分で田中が3分、実際は4分と、まあ見事に分かれたのだけれど、それを太田は退屈してたんだろうな、とか田中の方が一生懸命話してたんだろうな、と考えるのはごく普通のことなのである。

■そこで爆笑のふたりがそうだよね、と納得してしまうから「え?」という展開が無い。

まあ、こういうこともあるでしょう。

そんななかで、浦島太郎の玉手箱の話についての太宰の言葉を紹介した太田の話がおもしろかった。
 

 楽しく美しかった竜宮城の思い出は、玉手箱を開けて遠い過去のものとなって初めて完成する。

 
というのだ。

■実は、主観的時間というものは、今、この瞬間にしかないのかもしれない。

私が知っている「過去」が本当にあったことかなんて誰も検証することは出来ない。

あるのは、ただ、そういった過去の出来事が現在の意識に展開した影でしかないということだ。

■先の玉手箱の話でいえば、それは今とつながりのある竜宮城の記憶を断ち切って過去へとつなぎかえる作業であって、そうすることで「主観」から切り離された出来事として独立した相対的な「過去」が完成する、ということだろう。

・・・なんていうと、ただ文学的に味わえばいいものを、またこんなツマラナイ理屈をならべやがって、なんて野暮なヤロウなんだ、と笑われてしまうだろうか。

■だが、「時間」と「記憶」とを並べてみると、いろいろ面白いところがありそうな気もするのだ。

たいくつな時間は長く感じるが、思い出としては何も無い。

濃密な時間は早く流れるが、記憶として再生するときにはあれもこれもと膨大な量となる。

まさに邯鄲の夢。

  
じゃあ、夢なんかじゃない、

直(じか)に生きているってどういうことだろう。
  

ふと、そんなことをぼんやりと考えてみたくなった。

 

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                        <2009.06.28 記>

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Photo ■ 大人の時間はなぜ短いのか
一川 誠 著 集英社新書 (2008/9/17)

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2009年6月25日 (木)

■「生命」とは全体の動き、そのものなのだ。『爆笑問題のニッポンの教養』 複雑系科学、池上高志。

今回のテーマは、複雑系科学。

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■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE075:「博士が愛した『イノチ』」 2009.6.16放送
東京大学大学院総合文化研究科 広域科学専攻 
複雑系科学 教授 池上高志。

■何も刺激を加えていないのにひとりでに動き出す脂肪膜につつまれた擬細胞。

円筒の中の水をゆっくり回してやると生まれてくる不思議な模様。

パソコンの画面のなかであたかも生きているかのように振舞うドットのカタマリ。

実に面白い。

■池上先生の研究は、その「面白い」に注目する。

一般的な科学が、判っていることを積み上げて全体像を語ろうとするのに対して真逆のアプローチなのである。

とにかくやってみよう、見てみよう、

そこからものごとを考えよう、

というその姿勢は、きっと2000年前の科学者(哲学者)に近い、より純粋なものなのかもしれない。

■太田さんも(既成のものを)破壊してみては?

と水を向けられた太田は生真面目に答える。

自分が考える’飛びぬけたもの’というのは、滑走路を飛び立つ飛行機のように、既成の地道な努力の積み重ねの先にあるものだ。

時々、突飛なことをやって、基本からはずれたところから始める人たちがいて、お笑いの世界にもあるのだけれど、それは違うと思うのだ、と。

■守、破、離、

なんてことをいうけれど、泥臭く地道な「守」無くして、「破」も「離」もあったもんじゃない。

まったく太田と同感だ。

■多分、池上先生のいう「新しいことを意識的につくる」というのも、十分すぎるほどに泥臭い調査、仮説、実験のトライアンドエラーを繰り返した上での「破」であって、その土台には無意識にかもしれないが、確実に「守」があるのだと思う。

だからこそ、池上先生のつくる「突飛なもの」が面白いのであるし、科学的好奇心をくすぐるのである。

■気象にしろ、経済にしろ、よくわからない振る舞いをするもの(複雑系)を捉えるのに、地球シミュレーターのような馬鹿でかいコンピューターで予測をしよう、なんていうアプローチが主流のように思えるのだが、果たしてそれは正しいのだろうか。

結局は小さく細分化されたセルに対して既存の方程式を組み込む試行錯誤に過ぎないのではないか。(競馬の予想屋と何が違うというのだ!!)

■そういうことじゃなくて、「全体の動き」そのものに着目する。

それは今まで語られてきた「科学」では無いのかもしれないし、ただ面白いだけで、複雑系の仕組みを解き明かすまでには至らないかもしれない。

けれど、それでいいじゃないか。

面白いことに、ここに来て「科学」という活動自体がひとつの複雑系になりつつあって、それが臨界を突破してあたらしい「自律的なカタチ」を生み出すとするならば、そこには池上先生のような突飛な多様性こそが必須のものと思えるからなのである。

  

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                                                          <2009.06.25 記>

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■ カウフマン、生命と宇宙を語る―複雑系からみた進化の仕組み
スチュアート カウフマン 著 日本経済新聞社 (2002/09)
■複雑系科学の到達点と謳われる本。
一度しか読んでいないのでまだ理解度は浅いが、それでも十分に感動ものだ。
そのうち再読して記事にしたいと思っている本のひとつなのだが、いつになることやら・・・(苦笑)。
  

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■動きが生命をつくる―生命と意識への構成論的アプローチ
池上 高志 著 青土社 (2007/09)

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2009年6月 6日 (土)

■サバイバル・テクノロジーという発想。『爆笑問題のニッポンの教養』 触媒化学、原亨和。

今回のテーマは、触媒化学。

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■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE069:「永久エネルギー誕生!」 2009.4.21放送
東京工業大学教授
機能セラミックス・触媒 原亨和(はらみちかず)。

■石油化学の領域で、触媒としての硫酸が欠かせないものだなんて初めて知った。

で、実際の処理工程を見てみると、反応前後で変化しないのがミソの触媒なのにも関わらず、目的の物質を取り出すためにわざわざ中和処理をして硫酸でなくしてしまうのは確かに賢くないなあと思う。

■そこで原先生が硫酸と’炭’とを混ぜてやって作り出したのが「カーボン固体酸」というやつで、これなら生成物をろ過してやるだけで分離でき、そのまま何度でも使えるスグレモノ。

こいつを使ってやれば、木屑とか雑草なんかを反応させて砂糖をつくり、そこから石油代替物質としてエタノールが手に入る、という’エコ’な時代が求める画期的技術なのだ。

■そこで胡散臭いと思わせないのは、原先生は決してこの技術で環境問題や石油危機の問題が根本的に解決できるなどと大風呂敷を拡げないからである。

そこには少年時代に体験した石油ショック(当時10歳くらい?)が切っ掛けで、なんとかこの豊かな生活を維持しながら生き延びたいという、今でいうサスティナビリティ(持続可能性)を先取りした強い思いがある。

根っから真面目なのである。

■より少ないエネルギーで求めるものを手に入れることが出来る技術、サバイバル・テクノロジーといっていたか、その考え方が印象深い。

確かに、我々はそこを見誤りがちなのである。

■使い捨ての牛乳パックと、リユースが出来る牛乳ビン。

どっちが’エコ’かといえば誰でも牛乳ビンだと思うだろう。

けれど、よく考えてみれば牛乳ビンは重いからその分輸送費は余計にかかるし、回収はもちろん、洗浄、消毒なんかの手間もかかる。

「消費者が牛乳を飲む」ということに対してどちらがトータルで消費エネルギーが少ないか、そうやって真面目に考えてみると、牛乳ビンが本当に’エコ’なのかどうなのか何だかあやしくなってくる。

■そう言うと、「いやいや、誰が何と言おうとリターナルビンはエコなのだ、これに反対する人は反エコなのだ」なんて自称・環境にやさしい人たちからマナジリを結して批判されそうなのだけれども、冷静に、トータルで考えることが必要だし、先生の仰るとおり、結論がスグには出ない問題だったりするものだから、常にアタマの柔軟さが求められる。

それはコンビ二袋の話であったり、割り箸の話であったり、ハイブリッドカーの話であったりするわけで、達成手段が目的化してしまい、根本的な議論がなおざりにされるのはヨロシイことではないのである。

■テクノロジーを生み出す立場人間がそういう広い視野と柔軟性をもっていること。

先生の真面目さと謙虚さを見ていて、しみじみと心に響いた。

サバイバル・テクノロジー。

技術屋の端くれとして、その思想、しかと心に刻み込みたいと思う。
 

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                           <2009.06.06 記>

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■ Sustainable Design[サステイナブル・デザイン]
デザイナーと企業が取り組むべき環境問題

Aaris Sherin (著), 石原 薫 (翻訳) ビー・エヌ・エヌ新社 (2009/4/25)

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■言葉にした瞬間に消え去ってしまうものがあるのだと分かっていたとしても。『爆笑問題のニッポンの教養』 文化人類学、川田順造。

今回のテーマは、文化人類学。

Photo
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE073:「人類よ声を聴け」 2009.6.02放送
東京外語大名誉教授 文化人類学 川田順造。

■文化人類学っていうと何故か少しマユにつばをしたくなるのであるが、さすが’巨人’ともなると雰囲気がある。

新婚時代に未開の集落で日本人は奥さんとふたりだけっていう状況もすごいんだけど、そのうち日本語がめんどくさくなってくる、っていう話に唸らされた。

そうか、言葉ってそういうものなのか、と新しい角度からの光が差し込んだ感じ。

■このにこやかで柔らかくも、鋭く深い感覚はどこかであったな、と思ったら、水木しげるさんだ。

好奇心と実体験と才能に溢れていてそれが渾然一体となって、そこにある。

言葉を介さずに太鼓の音で直接語る民族の話とかを聴いていて、そのまま引きずり込まれて眠っていた新たな感覚を呼び起こされる感覚だ。

それは理屈による理解の対極にある。

■そのなかで太田の「ガンバレ」論が光っていた。

「ガンバレ!」

と相手を励ますとき、相手は「こんなに頑張ってるのに、」っていう責められる感覚を覚えたりするのだけれども、だから「ガンバレ!」と言うのを諦めるのではなくて、何とかそれを伝えたい。

相手に「もっとガンバレ」とプレッシャーをかけるつもりはまったく無くて、でも「あとチョッと!」というニュアンスも少しはあって複雑なのである。

■すごく分かる。

何か言葉にならない、’うめき’のようなもので表現したくなるようなもどかしい感じ。

先生がいう「伝えたいことが、脳から言葉を経由せずに指先から直接太鼓に伝わって音となる」豊かさがあって、言葉にした途端に消え去ってしまうもの。

■われわれが会話において相手に伝えることのうち、言葉で伝えられていることは実に一割程度しかない、という話がある。

目であったり、表情であったり、身振り手振りであったり、そういうことが「感覚」として相手に伝わって、その体内に身体感覚として再生される、それが伝達の9割を占めるというのだ。

何をもって9割というかはよく分からないが、ナルホドと思わせる話である。

■じゃあ、川田先生の新婚時代のように言葉を使わずにやっていけるかというと、そういうものでもないだろう。

言葉にした瞬間に消え去ってしまうものがあるのだと分かっていても、我々は言葉を使わざるを得ない。

たとえそれがモドカシイものであったとしても、「一対一」の見つめ合いだけでこの文明を維持できるはずもなく、もうエデンの園へと戻ることは出来ない。

だから、ひたすら表現を磨くのである。

     

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■口頭伝承論〈上〉川田 順造 著 2001/04 平凡社ライブラリー

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2009年5月27日 (水)

■価値観の焼け野原に立つ日本は、これからが面白いノダ。「爆笑問題のニッポンの教養」スペシャル:『ニッポン チャチャチャ』(3/24放送)。

DVDを整理していて録画したまま見ていなかった特番をみつけ、2ヶ月の遅ればせながらにして拝見させていただいた次第・・・。

で、今回のテーマは大上段に構えて「日本」とは何か。

Photo
■「爆笑問題のニッポンの教養」スペシャル:『ニッポン チャチャチャ』 2009.3.24放送
●川勝平太(比較経済史) ●姜尚中(政治学) ●近藤一博(ウィルス学)
●斎藤成也(人類学) ●田中克彦(社会言語学) ●山口仲美(日本語学)

■国土を豊かにおおう山林のおかげで日本は清涼な水に恵まれている。

そういう背景があって、「日本」は水のように何でも受け入れる、水に流す、その清らかさがあって、もののあわれを知る微妙な心が生まれるわけで、黄河を眺めていてもそれは生まれない。

という、とても魅力的な論が上がった。

■確かにそうだし、誇らしい部分である。

それが江戸の文化に集約されるというイメージも分かりやすい。

けれどもその一方で、清浄な水で穢れを祓って、じゃあその穢れはどうなるのか。どこへいってしまうのか。

なんだかとても危険な議論に思えてきた。

■そういや、
 

桜の木の下には死体が埋まっている

  
なんて言ったのは坂口安吾だったか、

儚げで清らかに感じるものの裏にはぞっとするような’もの’が横たわっている・・・、

なんてことを考えていると田中先生が、

  
そんなもんじゃ’戦争’には勝てない!
 

とやってくれた、まさにそれ、リアリティの話。

■そうなんだよね。

確かにそこに日本独特の’美’はあるにせよ、それでお腹は膨らまないし、戦争にも勝てない。

多感な軍国少年時代に、’敗戦’による価値観の180度転換を実体験した田中先生の言葉だけに、本物のリアリティがある。

■’戦争’とはいっても、今の日本に課せられているのは、グローバリゼーションとの対峙である。

敗戦後、奇跡的な成長を遂げて、アメリカと再び肩を並べるに至った経済大国日本。

けれども20世紀末頃から、アメリカが牽引するグローバリゼーションという’ゲームのルール’に乗らざるを得ない状況となり、その結果がいまの日本を覆い尽くす不安の根源なのだ。

■田中先生がもうひとつ面白い話をした。
  

安倍、福田、と総理がかくも簡単に辞職する姿をみて、これは今までの日本ではアリエナイすごいことだ。

総理大臣でさえ’国家’よりも個人の論理を優先する姿をみて、アメリカ流の民主主義もここまで浸透してきたか、と感慨深い。

だから今はとっても面白い時期ナノダ。

 
というのだ。

■姜(カン)さんが補足する。

 
今は「焼け跡」なのだという認識に立つこと。
  

これは実にショッキングな発言だ。

つまりは、いま日本が直面しているのは、’敗戦’で強いられた価値観の大転換、それに等しいものだ、というのである。

 
個人、個人が自由に、経済的な豊かさを求めること。

それが幸福につながるのだ。
 

その価値観こそがアメリカをお手本として敗戦後の日本の急成長を支えたものであって、9.11同時多発テロを境にしてほころび始め、今回の大恐慌に於いて抜本的な見直しを迫られている価値観なのである。

■そんなことは分かっている、

そういうつもりであったのだけれども、敗戦の’焼け野原’をそこに重ねたとき、それが意味する深刻さが身震いするほどのリアリティをもって立ち上がってくる。

と、そのあたりで録画をミスったのかDVDが止まってしまった。

ああ、ここからが肝心なのに、と思う一方、’第二の敗戦’というイメージを獲得できただけで十分に満足できるだろう、とも思う。

■そこを出発点としたときに初めて、川勝先生や山口先生のいう’日本特有の美意識’は単なる趣味的論議から離脱し、日本のこれからのカタチを考える上での実体を伴った意味が生まれてくるのだと思う。

それが、姜さんのいう、「剥く」という行為そのものに意味を見出すタマネギ論であり、すべての歴史は現代史である。ということの意味なのだろう。

■何が正しい、とか、そういうことではないし、明快な答えが出てくるハナシでも無いだろう。

けれども、今、ニッポンは新しい時代のとば口に立っているのだという認識を実感できたのが何よりも収穫なのであった。

     

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                           <2009.05.26 記>


    

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2009年5月25日 (月)

■草食男子はスターチャイルドの夢を見るか? 『爆笑問題のニッポンの教養』 進化生物学、長谷川眞理子。

今回のテーマは、進化生物学。

File071
■ 爆問学問 『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE071:「ヒトと殺しと男と女」 2009.5.19放送
総合研究大学院大学先導科学研究科教授 長谷川眞理子。

■何が興味深かったかって、やっぱり殺人統計の話。

殺人を犯すのは圧倒的に男で、それも20代前半に突出している。しかも、世界のどこでもそれが変わらない、という話だ。

■この事実(?)からはいろんなことを考えることが出来て、例えば、世界中の’ヒト’に見られる傾向であるならば、それが遺伝子的に決定されていることだと仮説を立てることも可能だし、そうすると、生きものとしての’ヒト’のオスが繁殖期の絶頂において競争相手を’殺す’という意味付けも浮かび上がってくる。

20代前半の男性が起こした殺人の理由を調べてみると、これまた圧倒的に面子にかかわる話だったりして、その点でも先の仮説を補強するもののようにも思えてくる。

■太田は、

女は花が好きだ、

という。

それは大体において当てはまるようである。

■何故?といわれても説明はつかないだろう。

ただ、

キレイだから、カワイイから。

ということなのだろうし、男のクセに野草に惹かれる私自身、そこに理屈を見出すことは出来ない。

このあたりに、実は、今回の話の本質が隠れているような気がする。

■女は花が好きだ、

女は情緒的である。

と言い換えてみると分かりやすいかもしれない。

逆に言えば、男は論理的な考え方をする、ということだ。

■これは、一般的な見方として世間に定着している捉え方といっていいだろう。

チョッと待て!

という鋭い反論が出てくる前に先手を打つと、男が論理的思考を重んじるのは’理解力の無さ’を補完するためなのじゃないか、ということを言いたいのである。

要するに’男’はバカだ、ということで、

逆に女からすると

’こんなことも分からないの?鈍感ね!’

となるのである。

■男は’何となく分かってしまう’という能力で女性に対して劣っていて、だから理屈を考える。

それはソクラテスの昔からそうであって、どうして?、と問いを立てることを生業とする哲学者は圧倒的に男が多いのである。

女は、’分かってしまう’から、そんな問いを立てる必要が無いということだ。

論理を土台にした現在の科学技術社会は、ある意味、男が理解力を得るためにした努力の副産物だ、という皮肉な話なのかもしれない。
  

■かなり寄り道をしてしまった。

殺人の話に戻ることにしよう。

  
「殺してはいけない」、

ということは、理屈抜きに女には分かる。

男は「何でだろうね?」とそこに理由を求めてしまう。

けれども、先の仮説によるならば、オトコがヒトを殺してしまうのは意識の下の深いところに埋め込まれたものからくるものであって、誤解を恐れずに言えば、理屈で制御できるものではない。

■つい、カッとなってしまって。

というのに、どうしても許せない’理由’をつけるのはその後の話で、’カッとなるその’瞬間にはそもそも理性など無いのだ。

そこにあるのは、「殺せ!」と命令する若いケモノの本能と、「殺してはいけない。」と問答無用に本能を抑え付けてくる’何か’。

その’何か’こそが、女が’知っている’ものであって、法律や道徳といった集団のルールの根元の奥のその底に横たわっている’何か’なのだ。

■そこで草食男子、である。

実は、コロシは20代前半の男性において突出しているという先の原則が唯一当てはまらない特異点があって、それが現代の日本なのだという。

日本人青年はむやみにヒトを殺さなくなってしまったのである。

■それをどう読むかといったときに、長谷川先生は、「一生懸命」の話をする。

動物が如何に生きているかを学んでいるときに学生が言うのだそうだ。

 
 なんで、そんなに一生懸命なんでしょうね。
 

長谷川先生は唖然としながらも、自然界では一生懸命でなきゃ’存在’できないこと、我々人間のように一生懸命でなくても’存在’し続けることが出来る方が例外的であること、そしてその人が一生懸命でない分、どこかでそれを支えている人がいるのだ、ということを伝えるのだという。

うーむ、いい話。

でも、その延長線上に草食男子を捉えるのはどうだろう。

■戦後日本の驚異的な経済成長と、一億総中流という幻想、どこの共産主義国よりも平等な’ムラ’社会。

この幸福な状況は、一方で日本の青少年のオスとしての本能をダメにしてしまい、その結果、殺人の件数も他の世代と変わらないくらいに減少してしまったのではないか。という説である。

こういう視点で格差社会、不安な社会となってしまった今の日本の状況を考えると、また青年の殺人件数が増えてくるのではないか、という予測が立つ。

■そうなのかもしれない。

多分、きっとそうなんだろう。

でも、それじゃあ面白くない。草食男子を戦後日本の特異な状況が生んだアダ花だなどと思いたくは無いのだ。

■そうではなくて、人類の新しい進化のカタチだ、というのはどうだろうか。

見た目の変化は無いけれど、オスでありながら女が’知っている’ものを’知っている’。

女のように’分かってしまう’。

それ故に、彼を突き動かそうとする本能に対して、それをしっかりと抑えつける’何か’がシッカリと機能する。

■今までは、あれに興味が無い=子孫を残せない、ということで、当然のことながらそういう「品種」は淘汰されてきた。

が、現代では性交に拠らずとも子供が作れるし、それ以前に子作りという目的意識をもってコトに及ぶというのもありだろう。

次世代の人類が静かにゆっくりと増加していく様子や彼らが作り出すであろう社会を空想すると、それなりに楽しめる。
   

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■ 進化と人間行動 長谷川 寿一/長谷川 真理子 著 東京大学出版会 (2000/04)

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2009年5月11日 (月)

■いつも、あらゆる可能性に覚醒していること。『爆笑問題のニッポンの教養』 デザイン思想、原研哉。

ちょっと遅くなったけど、久しぶりの爆問学問。

今回のテーマは、デザイン思想。

Photo
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE070:「シンプル最高/再考」 2009.4.28放送
武蔵野美術大学基礎デザイン学科教授、
日本デザインセンター代表、原 研哉。

アートは’私はこう思う’、

 というのに対して

 デザインは’共感してもらいたい’。

  
という原さんの言葉が、わたしの中でずっと居座っていたもやもやを一気に晴らしてくれた。

■芝居をやっているときには’自己満足’と’観客の受け’との戦いであったし、

工業製品の設計をしている今でも、相変わらず’自己満足’と’販売成績’との戦いの日々なのである。

■芸術作品を作り上げる過程でそこにいるのは’わたし’と’対象’だけであり、その対峙のなかから’アート’が生まれてくる。

一方、「デザイン」を作り出そうとする段で欠かすことが出来ないのは’他人の目’である。何故かならば、デザインの本分は’相手に伝える’ことにあるからだ。

もちろん、このブログを書いていることも含めて、私が目指すのは他の人が喜んでくれることであり、常に「デザイン」だ、ということだ。

ああ、すっきりした。
   

■けれど、そのアプローチは世界共通というものではない。

だから、演劇にしても、クルマの設計にしても、そういう’アイデア’になかなか至らないのである。

■ユーラシア大陸を東を下にして90度傾けると日本は世界の一番下にいて、ヨーロッパだとか、インドだとか、中国だとか、そういったさまざまな文化があたかもパチンコの玉が釘に跳ね返りながら落ちてくるようにニッポンにむけて集まってくる。

そういう雑多な文化の影響を受ける環境のなかで、日本は銀閣寺を象徴とする独自の「シンプル」を生み出した。

■ドイツ製のナイフと日本の板前さんが使う柳刃包丁の比較が分かりやすかった。

手の形に添って力が入りやすいグリップをデザインするドイツ製ナイフの機能美。工業製品をつくる者にとってとても分かりやすいアプローチであって、かくありたいという指針であったりもする。

その一方で、柳刃包丁のにぎりはなめらかな楕円の棒であって、過剰な情報を一切そぎ落とした、原さんの言うエンプティ(空っぽ)なのである。

皮肉なことに、その’空っぽ’が板前さんの超絶的技巧を支えているのだ。

■ドイツの機能美は「使い方」を規定する。

デザインをコミュニケーションと捉える原さんの見方でいうならば、一方通行の投げ込みでキャッチボールの楽しさ、豊かさが無い、ということになる。

決してドイツ流が悪い、といっているわけではない。私も機能美が大好きだ。理由をもったカタチにワクワクする性質なのである。

■けれども、何かを生み出して誰かに分かってもらおうとしたときに、しっくりとくるのは’空っぽ’の柳刃包丁のアプローチなのだ。

すべてを規定してしまわない。

すべてを伝えない、伝えようとしないからこそ伝わるものなのである。

逆説、或いはパラドックス。

けれども、そうだよな、と深くうなづいてしまうのは私が日本人だからなのであろうか。

議論をしていて時々「正論を吐く」ひとに出会うのだけれど、確かにあなたは正しいけれども絶対に共感なんかするものか、と思ったりする。

そういう感覚に近いのかもしれない。

■要するに’残された余地’、’間(ま)’が無いのである。

太田が紹介してくれた、「おもろい夫婦」のミヤコ蝶々さんの話もそれを補強してくれる。

 
すべては、’間(ま)’ なんですよ。

人の’間’と書いて、人間。

時の’間’と書いて、時間。

世の’間’と書いて、世間。

漫才だけじゃない、ぜんぶ、’間’なんです。
   

こころにすっと入ってくる、いい例えだと思う。

蝶々さん、すごい人だったんですね。

■さて、「シンプル」をテーマとした割りには随分と長い文章になってしまった。

まったくいつもこんなんなんで、まだまだ修行が足りないのだ。

けれど、文章における「間」というのは読み手が認識する’行間’とかそういったもので、ことさらシンプルに「イイタイコト」に絞り込む駿台の小論文的アプローチは’点数’は取れるかもしれないが、味わいとしてはどうだろう、とも思ってしまうのである。

ここでいう’味わい’を感じてもらいたいのはもちろんこれを読んでくださっているアナタである。

■だから、そういうリズムを心がけているつもりなのだけれど、どうなのかな。

アナタに’いい味わい’と感じてもらえているかをリアルタイムで直接知ることが出来ないのがもどかしい。

文章を書くひとは皆、同じ悩みを抱えているに違いない。

だから、
 

 いつも、あらゆる可能性に覚醒していること。

  
という、原研哉さんのアドバイスがとてもうれしい。

大切なのはテクニックではなく、こころの在り方なのである。
    

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                        <2009.05.11 記>

  

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Photo_2 ■原研哉のデザイン

Photo_3 ■白

    

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2009年4月 6日 (月)

■一億分の一の存在であるこの世界。『爆笑問題のニッポンの教養』 素粒子物理学、益川敏英。

今回のテーマは、素粒子物理学。

昨年、ノーベル物理学賞を受賞した益川先生の登場である。

Photo
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE066:「この世は‘破れ’ている」 2009.3.31放送
京都産業大学理学部教授
素粒子物理学、2008年ノーベル物理学賞受賞者、益川敏英。

■日本人3人の受賞理由は、

南部陽一郎さんが「素粒子物理学と核物理学における自発的対称性の破れの発見」、

小林誠さん、益川敏英さんが「自然界においてクォークが少なくとも三世代(6種類)以上存在することを予言する、CP対称性の破れの起源の発見」、

なのだそうだ。

・・・さっぱり、わからん。

■分かったのは、益川先生が非常に味のある人物だということだけ、

というのは言い過ぎで、何となくこういうこと?というのを分からないなりに残しておこうと思う。

要は、宇宙が生まれる段階で物質と反物質が同じだけ生まれるのが理論的に自然な姿なのだけれど、実際には我々の世界はほとんど’物質’だけで成り立っている。

それが何故か?と考え出した理屈(理論)が証明されたので、やっぱり小林・益川はエラかった!!

と、いうことでいいのかな?

■反物質、っていわれても何のこっちゃ。

そこで思いつくのは「さらば宇宙戦艦ヤマト」に出てきた反物質の体を持つテレサ・テンくらいなもので、そこは、愛をつぐなえば~♪と歌って誤魔化すしかないのである。

だって現実感がないんだもん。

■それほどに反物質はレア・アイテムなのである。

きっと馬鹿でかい粒子加速器のなかでしかお会いできないシロモノなのじゃないだろうか。

何しろ、物質と反物質がぶつかると消滅して後には’E = mc2’の(?)とてつもないエネルギーが放出されるってのだから、そもそもそこいらに反物質なんてものがあると危なっかしくてしょうがないのである。

■実際には我々が生きるこの宇宙の開闢に於いて、「光あれ!」じゃないけれど、ほとんどの物質と反物質が消滅してしまった。

右と左、プラスとマイナスは対称に存在するのが自然の道理で、物質と反物質が対称に生まれてくる当時の理論物理学の世界では、あまねくすべての物質は光となって消えてしまう運命にあるのである。

なのに、本来ならとっくに消え去ってしまうべき我々は、煩悩のカタマリとして(物質として)未だその存在を許されている。

それは何故か?

■原子を構成するクォークの種類が当時みつかっていた3種類だけでは説明がつかない。4個でもダメだ。

そうして寝ても覚めても悶々としていた益川先生は湯船の中でふと気がついた。

クォークの種類が6個以上あれば原子を作り上げる組み合わせが膨大になるので対称性に小さな「破れ」が発生し、生き残る(消え残る)ヤツが現れるのではないか、ということだ。

で、実験物理学者さんたちが馬鹿でかい施設で実験、観測を繰り返し、どうもそれは正しいようだということになったわけである。(たぶん)

■じゃ、その生き残る(消え残る)確率はどれくらいかというと一億分の一なのだそうで、気が遠くなるような小さな数字なのだ。

地球という星に生命がうまれた奇跡。

その生命が進化を始め、自らを語ることのできる知的生命体がうまれた奇跡。

それらの奇跡の前に実はさらにものすごい奇跡が起きていて、競争率一億倍の最難関をくぐり抜けた原子によって我々は形作られている。

■その一方で消えてしまった9,999万9,999の粒子はこの世にカタチを残すことが出来なかった。

そこに想いを向けたとき、

目に見えるものがすべてではないのだ。

むしろ圧倒的に見えない、触れない、存在を確かめることすらできない「カタチのないもの」で、この宇宙は満ち溢れているのだと想像をめぐらせてしまうのである。

   
分かった、

なんていう言葉はおいそれと使えるものではない。

                         <2009.04.06 記>

[蛇足] 精子の競争率も確か1億倍くらいだったよな。そうするとなんだか妙にリアルな話に感じられるのは気のせいか。世界は偶然によって成り立っていて、そこに(無理に)「意味」を見出そうとするのが人間の性(サガ)なのかもしれない。
   

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■クォーク―素粒子物理はどこまで進んできたか (ブルーバックス)
南部 陽一郎 著 講談社; 第2版版 (1998/02)

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2009年3月 8日 (日)

■意識と水と複雑系。『爆笑問題のニッポンの教養』 脳神経学、中田力。

今回のテーマは、脳神経学。

2
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE064:「こころは水でつくられる!?」 2009.3.03放送
新潟大学教授 脳神経学 中田力(なかだつとむ)。

■「こころ」とか「意識」とかを解明した先生だなんていうもんだから、そりゃもうびっくりして引き込まれたわけである。

理解できたことをまとめると、

●「意識」や「こころ」は大脳構造によって作られるもので、哺乳類のネズミにはあるがサカナには無い。

●人間を人間たらしめているのは前頭葉によるものであり、それによって自らが体験していない情報をも処理する(想像する)ことが出来るようになった。

●「意識」とはテレビの受像機のようなものであり、ボーっとしている(チャンネルを合わせない)時にはランダムな「砂の嵐」のような状態で、何かに意識を向けると(チャンネルを合わせると)意味のある「像」があらわれる。

といったところで、

まあそうかな、とすんなり受け入れられる内容である。

■けれども、中田先生の中田先生たる所以は「水分子」にあるようなのだけれど、それについては番組の内容を見ていても、どうもぼんやりしてハッキリしない。

意識はニューロンのネットワークによって発生するのではなく、水分子が大きな役割を果たしていて、その駆動力は熱エネルギーである。

って、なんのこっちゃ分からない。

■で、少しだけ調べてみた。

中田先生のオリジナリティは、ノーベル賞化学者で、高校のときに習った「電気陰性度」を考え出したライナス・ポーリング博士の全身麻酔に関する論文につきあたったことで生まれたもののようである。

■実は全身麻酔が効く仕組みは未だに解明されていないのだそうで、不活性ガスである(要するに化学反応しにくい)キセノンも麻酔作用をもっているらしいから、何となくその「分からなさ具合」が想像できる。

中田先生が出合ったそのポーリング博士の論文は、麻酔物質のまわりには水分子のかたまりができやすく、その仕組みによって意識が喪失する、というものであった。(キセノンは電気陰性度、つまり電子を引き付ける強さが比較的大きく、ナルホドな、というわけである。)

■麻酔物質によって水分子が整然と並ぶことで消失する「意識」。

中田先生はそのイメージから、意識とは水分子がつくる「渦」によって成り立っているのだ、という結論に至ったようだ。

■先生の最近の著作、「脳の中の水分子」のアマゾンの書評を見てみると、ちょっと眉唾じゃないのっていう評価があるのだけれど、むしろ、そのことが「本物」らしさを醸し出している。

細分化されて石アタマになってしまった専門家にすんなり受け入れられるものであるならば、「意識」なんてとっくに解明されているだろう。

何しろ、誰もが疑問をもつ問題なのだ。

■社会とか、経済だとか、気候だとか、生命だとか、

今までのニュートン的アプローチでは「解析」できない問題があって、いろいろな分野の最高の知恵があつまって、そういった問題に取り組もうと20世紀末に生まれた「複雑系」なる学問がある。

多少の誤解は覚悟で簡単にいうと、それら「複雑系」のシステムは、今までの還元主義的科学の視点で説明できる仕組みではなく、個々の小さな単位(人間、大気中の分子、いろいろな有機物)が多様に組み合わさって影響しあうことで生まれ、維持される系であって、完全な無秩序(カオス)と秩序(ニュートン力学で説明できる世界)の狭間にゆらぐものなのだ。

■うーん、簡単じゃないな。

それは鳴門の渦潮のようなもので、確かに存在するのだけれど、「これ!」とつかみだすことが出来ないもの、といえばいいだろうか。

■要するに、水分子だとか、熱だとか、渦だとか、中田先生の意識の理論の周辺にあるキーワードがとても「複雑系」的で、意識、というつかみどころの無いものを捉えるのには絶好のアプローチなのではなかろうか、と思うのである。

まあ、ともかく読んでみようと思う。

面白そうな本と出会えて、番組に感謝なのだ。

                        <2009.03.08 記>

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Photo
■脳のなかの水分子―意識が創られるとき
中田 力 著 紀伊國屋書店 (2006/08)

■脳の方程式 ぷらす・あるふぁ 
中田 力 著 紀伊國屋書店 (2002/09)
■「渦理論(Vortex Theory)」を語るこっちが本丸なのかも。
  

■関連記事■
■【書評】『自己組織化と進化の論理』 S・カウフマン。今、生きていることは偶然ではないのだ。
  

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2009年3月 2日 (月)

■ゴキブリに意志はあるか?『爆笑問題のニッポンの教養』 ロボット工学、三浦宏文。

今回のテーマは、ロボット工学。

File063
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE063:「ロボットの虫」 2009.2.24放送
工学院大学学長 機械システム工学科教授
ロボット工学 三浦宏文。

■ゴキブリ・ハイブリッドロボには魂消ました。

ボール紙の胴体にゴキブリの足をくっつけて、その神経に電気刺激をあたえるとノコノコ動き出す。

うーん、これってサイボーグ??

■三浦先生はNASAでアポロ計画に参画したほどの人なのだけれど、何故かそのキャリアを放り出してロボット工学の世界へ。しかも、当時黎明期を迎えていた産業用ロボットには見向きもせずに2足歩行ロボットにのめりこんだ。

へそ曲がり、というかきっと好奇心の人なんだろう。

で、2足歩行ロボットの基礎を作り上げてしまうと、

何だ、ロボットったって人間の打ち込んだコマンドの通りに動くだけじゃん、と見切ってしまう。

そんなとき、エサにありつこうとコソコソしているゴキちゃんと目があって、そこに「意志」を感じて「コレだ!」とひらめいた。

というのがゴキブリ・ロボットに至った切っ掛けなのだそうだ。

■けれど、そこで先生は断言する。

結局、ゴキブリに「意志」は無かった。

■人が現れるとコソコソッと素早く逃げるその仕組みは、おしりにあるセンサーが微妙な空気流れの変化を捉えて、走れ!というコマンドを励起する自律機械的なものであり、こちらの様子を伺いながらスリッパを構えた瞬間にササッと逃げる、そこにゴキちゃんの主体的「意志」は存在しないのだ。

太田も言うように、どうしても我々は対象を理解しようとしたときに、動物やら昆虫にまでも擬人化をしてしまうクセがある。

でも実際にそこにあるのは主体的意図のない自律反応なわけで、意志の虚像を生み出すのは常に我々の意識の方なのである。

■と、すると我々の「意志」も実は虚像なのであって、神の目で俯瞰してみれば我々もやはりタダの自律機械に過ぎない、という仮説も浮かんでくるだろう。

ダーウィン以降、人間だけが特別な理由なんてどこにも無くなってしまったのだ。

現在、「ヒトの意識」と等価であることを示すチューリングテストをパスするような機械は出現していないし、

またそれが生まれる予兆も無い。

けれども、三浦先生が作りだす自律機械の延長線上に、もしかするとネクサス6(*1)があるのでは、という気もしてくる。

それは同時に「人間の意識とは何か」という永遠の問いに一つの結論を与えることになるに違いなく、

その日は意外に近いのかもしれない。

*1) P・K・ディックのSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(映画「ブレードランナー」の原作)に登場する自意識を持ったアンドロイド。ディックはこの小説の中で人間が人間である条件として共感能力を挙げている。

                                                        <2009.03.02 記>

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Photo ■ ロボット (岩波文庫) カレル・チャペック 著
    

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■ アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF) 
フィリップ・K・ディック 著
表紙が変わりましたね。何だか魔術書みたいです(笑)。

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2009年2月24日 (火)

■芸術とは作り手と受け手のそれぞれの胸の中で湧き上がる現象のことなのだ。『爆笑問題のニッポンの教養』 美術解剖学、布施英利。

今回のテーマは、美術解剖学。

Photo
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE062:「芸術は“カラダ”だ」 2008.2.17放送
東京藝術大学 美術学部 准教授 美術解剖学、布施英利。

■何故、人体の構造を知ることが美術につながるのか?

布施先生はそれを「モナリザ」の読み解きで伝えてくれる。

「モナリザ」の表情の持つ不思議さ、それはモナリザの顔の部分部分が別々の角度から描かれたものから成り立っていて、写実的な肖像画のように見えて実はピカソの描く肖像画のようなコラージュ的技法で描かれているというのだ。

Photo_2
■『モナ・リザ』(部分) レオナルド・ダ・ヴィンチ (1503 - 1506)

■顔の全体は斜めに向いているのだけれども、右のアゴの骨は正面を向いていて、上唇は右に、下唇は左方向に向いている。また、左の瞳は左方向、右の瞳は正面と違う方向に向けられていて、どの方向からこの絵を見てもモナリザの視線を感じるように描かれている。

何となく変だな、というモナリザの不思議な印象の正体はそこにあるのだ。

■ダ・ヴィンチ自身、徹底的に人体を解剖し、観察し、デッサンし尽くした。

それは対象を正確に描くためではなく、人体の構造や動きを理解した、そのことによって対象のなかから浮かび上がってくる’何か’を捉える力、その「認識パターン」を自らの内に獲得するための努力なのである。

■芸術の面白さにはふたつあると思う。

ひとつは作家が作品を作り上げる過程で生まれてくる’何か’、ふたつめは作品と観る者との間に生まれてくる’何か’。

■目の前にある風景を見るとき、見る者が捉えるのはその全てではない。網膜から視神経を伝って大脳の視覚野に到達した信号の全てをその人が認識するわけではない。

認識とは、見る者の内側に既に作り上げられている認識パターンの重ね合わせであって、例えば人体の構造と動きについて知っている、認識パターンを持っている人のみが感じ取ることが出来る景色がある、ということだ。

■対象を「カタチ」として画用紙に描き出す行為、木の塊りをノミで削り落としていく行為、粘土を捏ね上げていく行為。

作家は試行錯誤しながら目の前にある’感動’を自らの内にある認識パターンの組み合わせとして探り、捉え、カタチにしていく。

その格闘のなかで身体感覚でしかなかった’感動’が、想像もしなかったカタチでみるみると姿をあらわしてくる、その瞬間のエクスタシーに作家は酔うのである。

それが、ひとつ。

■出来上がった作品はその時点で作家の手を離れ、自立した存在として在る。

その作品に観る者が対峙する、そこにもうひとつの面白さが生まれてくるのであって、それが受け手自身の認識パターンと共鳴することで初めて生じるものであるがゆえに、作家のなかで生じた感動とは由来を異にするものなのだ。

ふたつめの面白さは、観る者の極めて個人的な現象なのである。

■布施先生が究めようとしているのは、芸術作品を生み出す認識パターンという名のノミを研ぎ澄ますことであり、また、芸術作品と対峙する観客ひとりひとりの胸の内に感動を見出すための受け皿を用意することなのだと思う。

テレビというメディアが刹那的で、すぐに消え去ってしまうものだ、と布施先生が太田を挑発するのは、先生が取り組む「認識パターン」の依って立つところが人体というとても生々しいものであることに因るのだろう。

骨格の機能だとかそれをつなぐ腱の緊張感といったもの、それを伝えるにはテレビはあまりにも希薄な手段である。

■けれど太田の言うように、テレビの強みはその拡がりの大きさにあって、テレビの向こう側(お茶の間)に伝わる刺激そのものは希薄であったとしても、千人に一人、一万人に一人、その「パターン」に対してアンテナの敏感な人がいて、確かにその電波をキャッチする。

そういう可能性は否定できず、だからこそ太田はテレビというメディアを諦めない。

太田の’ひとつめ’の感動が、私の受け取る’ふたつめ’の感動とは似て非なるものだとしても、そこに何かが生まれるのであれば、それは伝わった、ということなのだと思う。

そして願わくば、私がこのブログを書くなかで生まれた何かが、インターネットという媒体をとおして誰かのなかに新しい化学変化を起こしている、そうあって欲しいものである。

                            <2009.02.23 記>

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Photo_3 ■体の中の美術館―EYE,BRAIN,and BODY
■ 布施 英利 著 筑摩書房 (2008/06)

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2009年2月15日 (日)

■ヒトと動物の境界線とは。『爆笑問題のニッポンの教養』 言語脳科学、酒井邦嘉。

ひさしぶりに爆問学問。

今回のテーマは、言語脳科学。

File060
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE060:「おしゃべりな脳」 2009.2.3放送
東京大学大学院総合文化研究科准教授
言語脳科学 酒井邦嘉。

■言語学の巨人、ノーム・チョムスキーは、

言語を組み立てる力は生まれながらにして備わっている、

といったそうだ。

人間固有のその力を生み出している脳の部位を特定して世界を驚愕させたのが酒井先生なのである。

■脳内のこの「文法中枢」とその周辺にある、単語、音韻、文章理解の領域がはたらいて、われわれは言葉をしゃべることができる。それは遺伝子に組み込まれた仕組みであって、動物と人間を分かつものなのだという。

人間の赤ちゃんが、おぎゃーと生まれた瞬間から’それ’は既に存在していて、親だとか兄弟だとかの周囲の言葉によって’回路’がチューニングされて日本語だとか、英語だとかいった母語になる。

■なるほど、と思う反面、それを人間固有の、としてしまうことに対する抵抗があって、太田の気持ちが良く分かる。

コミュニケーションという意味で言うならば、動物の方がよっぽど本当の気持ちを伝え合っているのではないか。

まず「気持ち」というものがあって、言葉にしきれない表情とか、声のトーンとか、行間を読むだとか、そういうところに大切な部分があるのではないのか。

チャップリンの無声映画とトーキーを見比べたときに「ライムライト」は確かにいいのだけれども、「街の灯」を見たときに胸に迫るものは「言葉」が欠落しているからこそ伝わるのではないか、ということだ。

つまり、言葉は結果的な一つの手段であって、「伝える」ということの本質はもっと肉体に寄り添った根源的なところにあって、そこに人間と動物を分かつものは無いだろうという、「言語至上主義」的な影に対する反論なのである。

■犬とか猫は飼ったことがないので良くわからないが、昔飼っていたセキセイインコは、オス2羽で飼っていたのだけれども、いじめっ子の方が先に死んでしまって、その時いつもいじめられていた方が如何にも寂しそうで悲しそうで、結局ストレス性の腸閉塞ですぐに後を追ってしまった、ということがある。

そこには確かに「気持ち」があった、という確信がある。

■動物にも気持ちがあると肯定し、人間と動物の差は思っていたほどに遠くは無いとしつつも、「境界」は確かにある、と先生はいう。

動物は、「声」と「気持ち」、「意味」が一対一で対応しているのに対して、人間は文の構造を組み上げて新しく作っていく力がある、それが人と動物を分かつものなのだという。

■「言葉」を得ることで人間は不自由になった、本来持っていた幸せを失ってしまった、なんていうモノの見かたがある。

けれども、そういう「モノの見かた」を組み立てることが出来るのは、「コトバ」を組み立てる能力があってこそであって、言葉、得る、人間、不自由、なる、という単語それぞれはそれぞれに独自のイメージ、印象を持ってはいても、それがバラバラに存在するだけでは「モノの見かた」は生まれない。

そういうことなのだろう。

■動物の「コトバ」では集団の中での個体間の情報伝達と感情の励起は可能だけれども、人間の「言葉による伝達」はそれだけではない。

文章、そのものがそれ自体として独自の存在なのであって、その文章を紡いだ人間の手を離れても生き続ける。

その文章を語る者の’表情’だとか、’声のトーン’とか、’行間’といったものは時の波間に消え去ってしまっても、残された文章を別の者が読み上げるとき、新たな’表情’、’トーン’、’行間’が再生される。

■きっと、その再生能力こそが人間が編み出した固有のものであって、人間を人間たらしめるものなのだ。

共感能力は動物にもあったとしても、距離を越えて、時を越えて、共感を拡げていく能力は人間のみのものである。

それは、太田の提示した「街の灯」と「ライムライト」の話と矛盾するものではなく、映画もまた’表情’、’トーン’、’行間’を再生する装置だという意味で文章とおなじ系譜にあるものなのだ。

時として無声映画がトーキーよりも感情に強く訴えるのは、欠落した部分が大きいほどに共感能力を働かせる自由度が増し、それ故に受け手の中の感動がその人自身に寄り添ったものになる、という表現の技法によるものなのでは無いだろうか。

そして、「文章」はそれ自身に意味があるものではなく、再生したときに生まれる’表情’、’トーン’、’行間’といったものを伴って初めて受け手のなかに意味を生む、という意味で身体感覚を共有していないコンピューターには、決して生み出せないものなのである。

                           <2009.02.15 記>

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■【新書】 言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
酒井 邦嘉 著 (中公新書 2002/07)

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2008年12月11日 (木)

■ダイオウイカと果て無き空想。 『爆笑問題のニッポンの教養』 海洋生物学、窪寺恒己。

今回のテーマは、海洋生物学。

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■ 爆問学問 『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE057:「謎の巨大イカを追え!」 2008.12.09放送
国立科学博物館動物研究部海生無脊椎動物研究グループ長
海洋生物学、窪寺恒己(くぼでらつねみ)。

■船乗りになりたくて、でも目を悪くしてなれなくて、それでも七つの海を渡り歩く人生にあこがれて海洋生物学者になった窪寺先生は、イカ一筋30年の一途な海の男なのである。

そんな華麗なるイカ野郎である窪寺恒己の心を捉えて放さないのが謎の巨大生物ダイオウイカなのだ。

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■鳥取県立博物館のダイオウイカ 全長7.3m、胴長1.3m。

■大きいもので胴長が1.8メートル、腕まで含めた全長は6.5メートルにもなるという。

頭巾の大きさが自分の身長くらいで、今いる部屋いっぱいに足を拡げて呼吸をしている、そんなイカと想像すると、ちと怖い。

眼球の真ん中がタテに割れたその頭足類特有の瞳孔で、じっと凝視されようものなら金縛りになって動けなくなるに違いない。

■これまでマッコウクジラの胃袋の中や浜に打ち上げられた死骸でしか人間の目に触れることの無かった深海生物ゆえに、ダイオウイカは我々の好奇心と想像力をかきたてる。

さらにはヨーロッパで全長20メートルにも及ぶダイオウイカが発見されたことがある、なんていうのだから、この海原の底には一体どれだけデカイやつが潜んでいるのかと窪寺先生がハマるのも無理はない。

Photo_4
■海の怪物 『クラーケン』。
 船の全長を50メートルとすると、胴長20メートル、全長80メートルくらいはありそうだ。 

■で、窪寺先生は、ついに生きたダイオウイカを撮影、捕獲することに成功したのである。

   
■【動画】小笠原沖、水深650mから釣り上げられたダイオウイカ

   
確かにデカイ。しかも生きてる!!

なんだけど、

釣り上げられてしまうってのはバケモノとして、どうだろうか。

ということである。

■先生には悪いけれども、

あ、ダイオウイカだ!!スゴイ、スゴイ!!

とその瞬間、別の方向から、ドン!と突然何か大きな力で船が揺さぶられ、デッキに叩きつけられ横倒しになったカメラの前を巨大な触腕がぬるーっ、と横切る。ミシ、ミシ、バキッと船体が砕かれるいやな音、ウアア!!という絶叫とともに被さる波飛沫があって、映像はそこで途切れる。

   
奇跡的に全員無事でしたが・・・

と、ノイズだけになった画面からゆっくりとこちらに顔を向ける窪寺先生の握りこぶしは震えていて、エイハブ船長とダブって見えた。

くらいであって欲しいのである。

■要するに、知りたい、というその一方で、想像力の余地を残して欲しいという矛盾した気持ちを抑えることが出来ないのだ。

知れば知るほど分からないことが増えていって、その正体がつかめなくなっていく。

それが知的好奇心の駆動力であって、今回の映像はその駆動力を断ち切ってしまう、そういうあっけなさを含んでいたと思うのだ。

■北欧の伝承に残る海の怪物クラーケン、19世紀にアフリカ南部のアンゴラ沖に出没し、船乗りたちに恐れられた謎の巨大生物。

それは種としてダイオウイカに近いものではあっても、圧倒的にスケールの違うものであって欲しい。

北極海には体長3メートルにもなるオヒョウというカレイの一種がいるくらいだから、もしかすると極地の深海にはそれこそ体長50メートル級のダイオウイカが潜んでいる、

なんていう空想を無理やり引きずり出しては、何とか好奇心の灯りが途絶えないようにと試みるのである。

                             <2008.12.11 記>

      

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Photo
■『 フューチャー・イズ・ワイルド 』
ドゥーガル・ディクソン、ジョン・アダムス 著 ダイヤモンド社 (2004/1/8) 
■2億年後の地上を支配するのは進化したイカなのであった。

  
   
   
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2008年11月23日 (日)

■「トンボの世界」と「ヒトの世界」をつなぐ進化の仕組み。『爆笑問題のニッポンの教養』 航空工学、東 昭。

今回のテーマは、航空工学。

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■ 爆問学問 『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE055:「『飛行少年』と呼ばれて」 2008.11.18放送
東京大学名誉教授・静岡文化芸術大学客員教授
航空工学 東昭(あずま あきら)。

■日本を代表する航空力学の権威といえば、

故・木村秀政先生、東昭先生、加藤 寛一郎先生。

思い浮かぶのはこの御三方。大御所中の大御所である。

■そうですか東先生、81歳になられましたか。

今は静岡のトンボの楽園の近くにいらっしゃるようで、ああ、こういう年の取り方をしたいなあ、ととてもうらやましい限りです。

爆笑問題とのトークの話題も、航空力学というより「飛ぶことそのもの」に重点がおかれて、「トンボになりたかった少年」らしい番組でありました。

■中でも印象的だったのは、死ぬと分かっていながらオホーツクを目指すウスバキトンボの話。

ウスバキトンボは赤トンボに似たちょっとくすんだ黄色っぽい胴体をしたトンボである。

Photo
■ウスバキトンボ

このトンボは南国で生まれた後に北上を続け、北海道の北の大地で寒さの為に死んでいく。

住み心地のいい南国に留まっていればいいものを、何故北を目指すのか。

■東先生は、いつかオホーツクが棲みよいところになる日の為に、その一見虚しく見える挑戦を繰り返しているのだという。

それに対して個人の幸せが優先される「ヒト」ではそうはいかない、と寂しげに語る先生は、そこにひとつの美学をみているようである。

けれど、このあとに続く話の展開は、実はそうでもないのでは、という希望を抱かせる。

■月へ行きたい、と先生はいう。

行って還ってくるだけじゃなくって、月で子供を生む。

それが「月人」。

さらに火星へ行って生まれた子孫が「火星人」。

そうやって40億年後に太陽が赤色巨星になる前に、太陽系を飛び出して我々人類が「宇宙人」になる。

宇宙人は他所の星からやってくるものではなく、我々がなるものだ。

そういうビジョンを先生は語った。

■だとすれば、既に我々は100年の視点でみればウスバキトンボの果敢な挑戦と同じことをしているのではないか。

改めて月を目指そう、アポロ計画の先へ行こう、という動きは実際にNASAの月面基地計画として少しずつ現実のものになろうとしている。(2006年末の計画では、2020年着工、2024年完成予定)

ひとりの人生の中では見えてはこないけれども、「世代を繰り返していく歴史の中での挑戦者」という意味では、ウスバキトンボも我々人類も、生活圏を拡大していこうとする同じ特性を備えた兄弟なのである。

あらゆる生命共通の祖先、この地球にはじめて生まれた生命が備えた基本戦略。

それが、今、この地球にいる生きとし生けるすべての生命が受け継いでいると想像し、そこに深い宇宙に浮かぶ銀河系の姿を重ね合わせると、軽い目眩とともに不思議な感覚につつまれる。

■というところで、もう一度現実に戻ろう。

東先生の宝物。

高いところから落としてやると素晴らしくキレイに滑空する「空飛ぶ種」、アルソミトラ・マクロカルパの話も「自然」と「物理学」の関係性を考える上でとても面白い。

Alsomitra_macrocarpa
■全翼機のような形をしたアルソミトラ・マクロカルパの種
(滑空比 4 だそうです。)

■このアルソミトラ・マクロカルパの種の位置が不思議で、全体のカタチを飛行機と見立てたときに常に航空力学的に最適な位置に重心がくるような位置にある。

私は神様は信じないけれども、どの種を取ってみても最適な位置に種がある不思議をみると神様は航空力学を知っていたんじゃないかと考えてしまう、と東先生をうならせる。

■けれど複雑系の視点で考えると、その「神様は航空力学を知っていた」というのもあながち間違っているわけではないのかもしれない。

航空力学は流体を扱うがゆえに複雑で難しい学問だ。

だから風洞実験で実際の空気の動きを確認しながら最適値を探っていく。

実際の進化もそれと同じことをしているのだろう。

■神がランダムにサイコロを振って最適値を生み出す可能性なんて、サルをタイプライターを打たせて、そこからシェークスピアの物語が出てくるくらい確率的にあり得ない。

それはキリンの首は何故長いのか、といったとき、「長い首」を支える「強い心臓」も同時に進化する可能性はあまりにも低く、突然変異と自然淘汰ではとても説明できない、というのと同じ議論である。

■けれど、その時われわれは2つの点を見逃している。

ひとつは、①「神は何度でもサイコロを振ることが出来る」ということ。

もうひとつは、②「生存する上で『意味』のあるの目の組み合わせ(意味のある系・システム)が出たときに、その組み合わせが生む『意味』は生き残り、その『意味』を保存しながらその延長線上で最も安定したカタチに収斂していくだろう、ということだ。

■アルソミトラ・マクロカルパの種で言えば、

その祖先に当たる生物学的に「安定した」品種(システム)があって、全体のカタチを決める「変数A」と種の位置という「変数B」の組み合わせについてランダムに突然変異(サイコロを振る)が発生する。

数千年、数万年、サイコロを振るうちに、たまたま種を遠くに飛ばすのに具合がいい組み合わせ(『意味』のある組み合わせ、系、システム)が生まれてくる(上記①)。

数万年に渉る挑戦者たちの死屍累々を背後にして、その一つの種は発芽し、生き残る。

今度は、生き残った種の変数Aと変数Bの組み合わせ(新たなシステム)を維持しながら、その前提条件の範囲の中でサイコロを振ることが出来る。

俯瞰して眺めてみれば、その繰り返しによる進化の姿は、あたかも「航空力学的最適値」を自律的に探し当てていくように見えるだろう(上記②)。

■キリンの首の話でいえば、変数A「首の長さ」と変数B「心臓の強さ」がちょうどいい組み合わせで少しだけ首の長いシカ(?)が突然変異で生まれてきたとする。たまたま木の枝の高いところの葉っぱを食べる競合者がいなくて生き残る(上記①)。

その変数A、Bの「組み合わせ」、「関係性」、つまり「首の長さ」と「心臓の強さ」のバランス(系)を維持しながら、進化の流れからすると極めて短い時間の中でいろいろな首の長さの「キリン」が突然変異として誕生していく。

それに対して、そこに生えている樹の高さと、重力に対する骨格強度的な限界という条件のもと、最適な「首の長さ」、「心臓の強さ」に収斂し、そこに安定する。

それが今われわれが見る「キリン」の姿だ、という考え方。

■そこで、その進化のモデルを「『群』としての生命の進化」と重ね合わせることはできないだろうか。

「北へ」へと挑戦し続けるウスバキトンボと、「月へ」と挑戦しようとする人類。

たとえ無駄だと思える挑戦であっても、いつか来る新しい状況の為に維持すべき方向性がある。

我々の胸に埋め込まれた「何か」がそれを突き動かす。

それがこの世界を律するものであり、

「神」、なのではないだろうか。

                       <2008.11.22 記>              

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■ トンボになりたかった少年 (ポプラ・ノンフィクション)
■1984年に放映されたNHK特集『トンボになりたかった少年』の書籍化。(残念ながら絶版のようです)
日本有数のトンボ生息地として有名な静岡県桶ケ谷沼の話と、古代の大型トンボ(メガネウラ?)の模型を実際の羽ばたき方を再現させて飛ばせて見ようという話について、東昭先生を中心に語った番組だったように記憶しています。(ん~、メガネウラの模型は別の話だったかな?24年も前だから流石にごっちゃになってます。)

     

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■自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則
■スチュアート カウフマン 著 ちくま学芸文庫 2008/2月

      
■【書評】
『自己組織化と進化の論理』 S・カウフマン。今、生きていることは偶然ではないのだ。

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2008年11月16日 (日)

■日本語は時代の空気を映し出して変化する「生きもの」なのだ。『爆笑問題のニッポンの教養』 日本語学、山口仲美。

今回のテーマは、日本語学。

Photo
■ 爆問学問 『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE054:「日本語って“ヤバい”」 2008.11.11放送
明治大学国際日本学部教授 日本語学 山口仲美。

■今回の爆問ん~、マジ、ちょーヤバイって感じィ~?

なんてオヤジが慣れない「新・現代語」を使おうとしても、関東の人が無理に関西弁を使ったりするときにかなり「痛い」のと同じくらい違和感あるんだろうな。

ま、それはそれとして今回はいつもとちょっと違った感じで具体的な話が多く、ものすごく面白かった。

■特に奈良時代の「ことば遊び」。

二 八 十 一 

と書いてどう読むか?というと、

二 八 十 一  ⇒ 二 「八 十 一」  ⇒ 二 「九九」 ⇒ 憎く

って、奈良時代にもう「九九」があったこと自体驚きだし、

山 上 復 有 山 ⇒ 「山」の上にまた山がある

          ⇒ 「出」る

なんてのも面白い。

■そういえば、

男毒男

ってどう読むか?

というのを、昨日のTBS「ニュースキャスター」でたけしが出題したのだけれど、これには不意を突かれたというか、完全にやられてしまいました。

答えは 「ニコチン中毒」  だって。

もう、息が出来ないくらい笑って苦しかったよ。

下品だよねー。たけし、最高!!

■こういう言葉遊びってのは、他の国にもあるのかな?

山口先生は、「言葉は」とは言わずに「日本語は」っていうふうに話を進めていたから、日本特有の部分ってのもあるんだろう。

実際、先生の語る日本語における言葉の変遷はダイナミックで結構おもしろい。

それは客観的で「抽象」が得意な漢語に対して、具体的で「感覚的」な表現が上手い日本語の特性に拠るところがありそうだ。

■先生曰く、平安時代はあいまいでゆるい言葉が多かったんだけど、武士が台頭する鎌倉時代になると急に力強くて明快な言葉がいっぱい登場してきた、という。

そうすると、「ヤバイ」とか「カワイイ」とか本来の意味から拡大し、多義語として使われる言葉が出てきたり、

「オバマ」(オバサン・マニア)とか「CM」(チョー悶々)とかの言葉あそびが出てくるところなんかからすると、

今の時代には、「あわれ」、「おかし」といった平安時代の”ゆるさ”と似通った空気が漂っているのかもしれないし、なるほど、としっくりくるところもある。

現実の厳しさは敢えて横っちょに置いといて、「真剣」とか「スピード」といったものを「野暮」ととらえる貴族的空気が流れはじめてるんだろうな、この時代。

                          <2008.11.16 記>

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Photo_2
■ 『日本語の歴史』 山口仲美 著 岩波新書

   
■さて、次週は’トンボになりたかった少年’、

東 昭(あずま あきら)先生の登場。

いやー、わくわくしますな、かつての航空少年としては。

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2008年11月 3日 (月)

■拡張された感覚もまた自己なのだ。『爆笑問題のニッポンの教養』 ヒューマンインターフェース学、稲見昌彦。

今回のテーマは、ヒューマンインターフェース学。

Photo
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE052:「超能力お見せします」 2008.10.28放送
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授
ヒューマンインターフェース学 稲見昌彦。

■人間の体内を透視する装置、高速で動くものがゆっくり動いて見えるメガネ、納豆を吸ったときの感覚を再現するストロー、水と油の境界面に手応えを与える装置・・・。

稲見先生はドラえもんのごとく次々と不思議な道具を見せてくれる。

先生の狙いはコンピューターの発達によって失われてしまった五感を取り戻すことなのだという。

技術の発展は人間が知覚出来ないことを捉えることが出来るようになった。

けれど、それはパソコンの中にあるデータに過ぎず、カラダの感覚としてそれを捉えることが出来ない。その疎外された感覚をデータと結びつけるインターフェース。それが稲見先生が取り組んでいるテーマなのである。

■けれどそこで太田が切り込む。

それは「ウソ」じゃないの?

実際に水と油の間に手応えがないのが現実で、そこに「感覚」を与えることが果たして能力の拡張ということになるのか、むしろ感じ取ることが出来ないものを想像する自由を失わせてしまうものなのじゃないか。

■その通りだとおもう。

稲見先生がやっていることは「リアル」ではない。

けれども意味が無いかというと全くそんなことはなく、それにもかかわらず、人間の知覚能力を大幅に拡大させるというその意味は大きい。

■われわれはごく普通のこととして自動車に乗って一般道を時速60kmで走行する。

「いいクルマ」に乗ると、アクセルを踏み込んでいくときに右足に受ける感覚、ハンドルを切るときに受ける手応え、ブレーキの踏み応え、

こういった感覚とクルマの挙動やカラダに感じる加速度の変化がしっくりと連動する。

それがクルマとの一体感、というやつであり、そのときドライバーの「自我」は60km/hで走行する自動車全体に「拡大」しているのだ。

■だが、実際に動物としてのわれわれ自身は60km/hで走ることは不可能で、その感覚はクルマに乗ることによってはじめて得られる「ニセ」の感覚だ。

けれどもその感覚は確かなリアリティをもって感じることが出来る。

それこそが「人間の知覚能力の拡大」なのではないだろうか。

■例えば、患者から遠く離れたところでロボットとシミュレーターを介して行われる遠隔手術。

1mmの幅の中で行われる微妙な作業に対して、バーチャルの世界で10mm幅に拡大して、そこに人工的な「手応え」を与えてやる。

そうすれば、どんな超微細な難手術でも、そんな技術を持たない普通の外科医の能力の範囲内で対応することが可能になる、なんてことが実現するかもしれない。

その時、普通の外科医の能力はブラックジャック並みにまで「拡大」する。そしてその拡大された感覚を受ける「自己」もまた拡大し、ブラックジャックが見ている領域を覗き込むことが可能になるのだ。

■だから「ウソ」でもいいのである。

1mm幅の世界を10mmに拡大して知覚することができるとすれば、それは立派な「知覚能力の拡大」である。

その意味は、ロボット手術には可能な0.1mm幅の正確な制御に追いつけない人間の感覚を、その高みにまで引き上げることにある。

それが人間を置き去りにして発展する技術と生身の人間をつなぐ「インターフェース」の意味であり役割なのである。

一見、はて?と思わせる稲見先生のびっくり道具ではあるのだけれども、突っ走る技術とのギャップに悩む場面は至るところで発生しているに違いなく、そこに潜在する可能性はとてつもなく大きいのではないだろうか。

                          <2008.11.03 記>

  

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2008年10月28日 (火)

■太田的空想と科学的空想に境目はあるのか。『爆笑問題のニッポンの教養』 X線天文学、小山勝二。

今回のテーマは、X線天文学。

Photo_2
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE051:「宇宙を駆けるX」 2008.10.21放送
京都大学大学院理学研究科教授、
宇宙総合学研究ユニット長、X線天文学 小山勝二。

■今年の3月、京大での公開討論会。

いつだって若い奴らの「空想」が従来の考えを打ち破ってきたのだろうとする太田の論に、現実的な論議じゃないと対立した天文学の大御所、小山勝二さんが今回の先生である。

■小山先生はX線天文学のオーソリティで、銀河の中心には巨大なブラックホールがあるのではないか?という仮説を裏付ける観測をおこなってそれを実証するなど、大きな成果をあげてきた方なのである。

で、ばりばりの実証主義者かというと、どうも少し様子が違う。

■先生が爆笑問題の二人を出迎えたのは平安時代の陰陽師、安倍晴明を祭った晴明神社。

今、研究者たちがX線でその姿を調査している超新星爆発残骸(AN1006)は、はるか1000年前に安倍晴明の次男が観測した超新星爆発(スーパーノバ)のその後の姿なのである。

こういうあたり、ロマンチストであることを隠せない小山先生なのだ。

■宇宙が生命だったら、とか、誰かの脳みそだったら、なんていう空想を繰り出す太田に対して

「理性的になって欲しい」という割に、

先生は、太田の説は「直感」的におかしい、という。

 
自然は人間の想像力など遥かに超えて豊かかもしれない

 
という、師匠のブルーノ・ロッシの言葉をあげたあたりで、先生自体も実は「空想好き」であることが遂に明らかになる。

■では、太田の空想と小山先生の空想との違いは何か。

小山先生自身は、「勝算のある空想にしか興味が無い」

という。

直感的に、こうじゃないかな、と思った宇宙の姿を観測によって実証する、それが小山先生の喜びなのである。

■たぶん、その前に「これは面白い、どうなってるんだろう?」という強烈な好奇心が先行しているのではないだろか、とおもうのである。

超新星の爆発の後の暗闇には何かがあるに違いない。

そういった「実際の現象に対する好奇心」が起点になって、空想を働かせ、観測し、実証する。

そこには確かに自然・現実との「対話」がある。

そこが太田の空想との決定的な違いなのだと思う。

■宇宙が生命だったら、とか、誰かの脳みそだったら、というイメージは決してつまらないものではなくて、それは手塚治虫が火の鳥で見せてくれた目くるめくファンタジーと同質のものである。

だが、そこには現実の自然とのあいだの会話があるわけではない。

それは、自然から受けた印象を脳という「自己の宇宙」の中で成長させ、拡げていったモノローグなのである。

空を見上げて、その雲のカタチから物語を紡ぎ出す詩人のこころなのである。

■だから小山先生の空想も太田の空想も、ともに感動的なものになりうるのだけれど、かたや現実世界との繋がりを重要視し、かたや現実世界からの跳躍を重要視する。

その意味で、両者は決定的に異なる性質をもっているのであって、話がかみ合わないのも当たり前のことなのだ。

■惑星の不可思議な動きを好奇心の起点としてコペルニクスの地動説が誕生し、光の速度が不変であるという観測結果に好奇心を抱いたアインシュタインによって相対性理論が誕生した。

というところからすると、科学における「発想の跳躍」は単なる空想から生まれるものではなく、現実における不思議な現象に対する好奇心から出発するもののようにも見える。

■ここから先の時代の「跳躍」において、太田流の詩人的脳内空想が切り札になる日が来ないとは言い切れない。

けれど、まあ、そんなに大上段に振りかぶらずとも、

その空想は科学ではないが芸術である。

それでいいんじゃないかと思うのだが、如何?

                          <2008.10.28 記>    

Photo
■宇宙の事典―140億光年のすべてが見えてくる
■買っちゃいました。
写真だけでなく、きれいなイラストが満載でとても美しい本です。
小学生の頃に学級文庫で読んだ「うちゅうのなぞ99」みたいな本の時代から随分と進化してしまった最新の宇宙の姿に驚いた。自然は人間の想像力など遥かに超えて豊かもしれない、というブルーノ・ロッシの言葉には強くうなづけます。

     
■JAXA宇宙研・X線天文グループ・記事
■藤原定家の超新星残骸は、宇宙線加速の実験室(2008.06.05)
■1000年前に安倍晴明の次男が観測した史上最も明るかった超新星爆発(スーパーノバ)、その超新星爆発残骸(SN1006)の観測についての記事です。

■JAXA X線天文衛星・すざく速報 

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2008年10月 8日 (水)

■えーっ、うつ病ってウイルスが関係してたの!?『爆笑問題のニッポンの教養』 ウイルス学、近藤一博。

今回のテーマは、ウイルス学。

Photo
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE050:「”あ~疲れた”の正体」 2008.10.06放送
慈恵医科大学ウイルス学講座教授 近藤一博。

■と、いつもの調子で始めたかったのだけれども、実は録画に失敗して見逃してしまったのだ(涙)。

で、どんな話だったのかと番組HP経由で近藤先生のホームページを覗いてみたら、

    
HHV-6 は、脳のグリア細胞と血中マクロファージに潜伏感染し、ストレスや疲労によって再活性化を生じます。 また、HHV-6 の脳内での異常な再活性化は、中枢神経機能に影響を与え、慢性疲労症候群患者における鬱症状をもたらします。
   

なんて書いてあるじゃないですか!

こりゃ、えらいことです。

■うつ病の治療は、

①ストレスを遠ざける。

②抗ウツ剤を服用する。

この2つを根気よく続けることだと認識している。

ちなみに②の抗ウツ剤というのは一般的に、神経と神経がつながる部分(シナプス)において、セロトニンなど’神経を和らげる’脳内伝達物質の濃度を増やしてあげるお薬のことである。

■ところが上の話からすると「うつ」の発生メカニズムは、

A) 疲労、ストレス

  ↓

B) ウイルス・HHV-6の脳内での異常な活性化

  ↓

C) 中枢神経の情報伝達システムに異常が起きる

というふうに解釈できる。

■と、するとウツ病の基本的な治療である

①ストレスの排除(原因の除去)

②神経伝達システムの修復(結果への対策)

という2本柱の間にもう1本太い柱があるかもしれない、

つまり、少なくとも一部の患者群では、HHV-6の活性化を抑えることが出来れば、抗ウツ剤のつらい副作用から解放され、「ストレスに強い体」を獲得することも夢ではない、ということになる。

■それは知的好奇心をくすぐるというだけでなく、

自分のまわりにもウツ病に苦しむ人が身近にちらほらいたりするわけで、まったくもって他人事とはいえないのである。

■で、再放送は?

と思ったら国会中継の影響で中止でやんの(悲)。

BSでの再放送はあるんだけど、

そんな高級なものはウチのテレビにゃ映らないし・・・。

■「こりゃ、運がいい!」(by ガネーシャ)

と、取り合えず言ってみて気がついた。

お、そうだ。

そういや、この番組の話をそれぞれ一冊にまとめた新書本があるじゃないか!

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■・・・白状しよう。

ずーっと、爆問の記事にこのリンクを貼り付けてきたのだけれど、実は、自分自身一回も読んでなかったのだ。

だって、番組見ちゃったら買わないよね~、ふつう(苦笑)。

■ということで、新書版 「爆笑問題のニッポンの教養」の記念すべき50巻目の発売を首を長くして待つことにしよう。

あー、楽しみ~。

                         <2008.10.08 記>

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2008年10月 4日 (土)

■手応えを求めて踏み込む、あきらめない勇気。『爆笑問題のニッポンの教養』 政治学、姜尚中。

今回のテーマは、政治学。

遂に、我らが悩める姜尚中さんの登場である。

Photo_2
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE049:「愛の政治学入門」 2008.9.30放送
東京大学大学院情報学環教授。政治学・政治思想史。姜尚中(かんさんじゅん)。

■「死ぬなら一人で死ね、としか言えない政治がもしあるのならば、それはもはや「政治」とは言えない」

「本来、政治とは他者を受け入れましょう、その代わり私も受け入れて欲しいというものだ」

秋葉原無差別殺傷事件の犯人に対して姜さんは、その「目を背けたくなる恐ろしげなもの」を如何に受け止めるかが政治の役割りであると説く。

それを貧困や雇用の問題に還元し、一般化した上でしか問題を捉えることが出来ない今の政治に対する痛烈な批判。

「私」という生身で対象を捉える、そうすることでしか本質を見出すことは出来ないとする姜尚中の真骨頂炸裂である。

■それに対して太田はネット上での殺害予告事件について語りだす。

2ちゃんねるに殺害予告が書き込まれたことに脅威を覚えた太田が警察に被害届を出し、間もなく書き込んだ男が逮捕された事件である。

「そこから、ものすごい『憎しみ』が伝わってきた」

という太田の表情は本当に恐怖を感じていたようで、「申し訳なかった、あれは冗談だったんです」という生身の犯人を見て安堵する。

その「ふつう」な反応の意外さに、いつもの「作った」イメージの裏にある太田の素の部分が覗けてみえた。

■受けとる側の想像力の大切さを痛感した、

と語るその太田の「素」のコトバには説得力がある。

何しろ掲示板の向こうにいる名無しさんと実際に対峙したのだ。

その「恐れ」と「安堵」は今回の話題の根幹の部分を象徴していたようにも思う。

ネット上の文字列から受ける「恐れ」と、直に相手と接することで受ける「安堵感」。

そこに、この孤独な時代を和らげるヒントが隠されているような気がするのである。

■ノーリアクションが一番ツライ。

とボヤくのは何も親父ギャグ常習犯のお父さんに限った話ではないだろう。

「社会とつながりたい」

なんてカッコいい言い回しではまだ不十分で、「認められたい」、「好かれたい」という辛く切ない生々しい想いを抱えて生きていくのが人間である。

想いが伝わらないその悲しみを常に背負っていくのである。

それは人類が社会的動物として進化してきたが故に背負ってしまった悲劇であり、古代ギリシャであろうが、平安時代であろうが、人が人である限り変わることは無い。

■けれど、その悲しみがこれまでになく世の中に深く染み渡っているという実感もまた間違いでは無いだろう。

複雑な要素が絡み合いグローバル化した現代は「誰が悪いか分からない」時代であって、ぶつぶつ文句を言いながらも世の中に流されていく「ニヒリズム」が蔓延する時代なのだ、と姜さんはいう。

そのニヒリズムはコトバを発する「不審な」者に対してスルーしよう、刺激せず、ノーリアクションでいこうとする態度を生む。

そんな乾いた空気の中で一人ひとりの自己主張は空を切り、「認められる」ことを実感できない人類の宿命的な悲しみが、より強く感じられる時代だということだろう。

■自分が今パソコンに向かって文字を打ち込んでいるこの行為そのものが語っているように、誰もが「発信」する手段を持ちはじめているのが今の時代である。

「認めて欲しい」という欲求がこのインターネットの空間には満ち溢れている。

けれど自己主張の手段が爆発的に増大するのと反比例して、「認められた」、「受け入れられた」という手応えは限りなく頼りないものになっていく。

ネット空間の中で肥大する「認めて欲しい」という想いは決して満たされることはない。

自分の声が届いていることを示す微かな響きは、圧倒的な欲求につぶされ、過小評価されてしまうのだ。

■姜さんは若い頃、肥大化する自意識に苦しんだ。

「自分しか見えない鏡地獄」、その堂々巡りの苦しみの中で、「実は、問題は自分にあるのではなく、『社会、政治』にあるのではないのか」と、自らの外側にある『社会』の存在に気付き、視界が大きく転回したのだそうだ。

その真意は問題を他責にすることにあるのではなく、実は「自分」の外側にも世界が広がっているのだという当たり前のことを発見した驚きにある。

自意識に悩む姜さんの姿は、まさにネット空間の中での自縄自縛な「私」の姿であって、モニターの向こうにリアルタイムでつながっているはずの世界は皮肉なことに肥大する自意識をさらに拡大するばかりで、そこに見えるのは醜く歪んだ自分の姿ばかりという『鏡地獄』そのものだ。

書を捨てよ、町へ出よう

という、かつての裏町詩人の呼びかけは、「端末を捨てよ、街へ出よう」と書き換えられるべきなのかもしれない。

いずれにしても人はネットだけでは生きていけない、ということだ。

■高倉健がバツが悪そうに頭を掻きながら

「自分は不器用なもんで、」

とつぶやくそのワザが通用したのは人とのつながりに確信が持てた昭和の時代のノスタルジーの中だけである。

だが日本は今や「一億総不器用なもんで、」の時代であり、中途半端な高倉健ばかりが伏し目がちに生きている。

■「相手が自分を認めてくれている」という確信が持てないから、真っ直ぐなコトバを投げかけることが出来ない。

っていうか~、と主張を極力ぼやかして「自己」が相手との関係の中で曝されるのを極度に恐れるのである。

教師は生徒に及び腰になり、医師は患者に、親は子供に恐々とする。

そこに信頼が生まれるわけがない。

しっかり受け止めてもらえないのではないか、というその恐れが却って「自分を認めてくれてないの?」という不信を相手の中に生みだし、不安は連鎖し、拡大生産されていく。

■それが今の日本を覆っている「ニヒリズム」の正体なのだと思う。

「ネットの闇」はその連鎖を駆動する構成要素のひとつであって原因ではない。

同じように社会が悪いわけでも、ましてや特定の個人が悪いわけでもない。

ただ、自己強化していく不安の渦に巻き込まれているだけなのだ。

■その流れを止め、逆転させることができるならば、理想像としての「三丁目の夕日」の安心がそこに立ち上がっていくのだろう。

だが、気候の変動を止めることができないように、世の中の流れをコントロールすることはできない。「小泉改革」のように時代を積極的に動かしたかに見える運動にしても、実は時代の文脈の結果として生じた大きな「渦」のひとつに過ぎない。

そんな不安の渦巻きの中で我々にできるのは自己が傷つくことを恐れず「手応え」のある方へただ、進んでいくことなのではないだろうか。

■渦巻きの向きを変えるのは、それを止めようとする大きな力ではなく、その渦巻きの強さゆえに生まれる逆向きの小さな渦巻きをあきらめずに育てていく粘り強さなのだと思う。

そしてそれを支えるのは「対立」とか「競争」とか「成果主義」とか、そういうコトバからイメージされるような世界観ではなく、「許す」とか「ゆずる」とか「続ける」とか、そういう「自分」を主語とした動きの連なりなのだと思う。

その結果として、

姜さんのいう「愛の政治」が実現する日がくるのではないだろうか。

                           <2008.10.04 記>

Photo
■悩む力 (集英社新書) 姜 尚中 著

     
■関連記事■
■【書評】『悩む力』 姜 尚中。悩み抜いた果てにたどり着くであろう他者とのつながり。

■人と世の中のつながりについて。秋葉原無差別殺傷事件におもう。
      
 

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2008年9月27日 (土)

■美しいデザインに神は宿るか?『爆笑問題のニッポンの教養』 先端デザイン工学、川崎和男。

今回のテーマは、先端デザイン工学。

Photo
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE048:「デザインで世界を改造せよ」 2008.9.23放送
大阪大学大学院教授 医学博士 先端デザイン工学・川崎和男。

■開口一番、

「世界のデザインはだいたい僕が決めてますから」

と言い切る川崎先生は何かムカつく人である。

で、実際にそれが本当だったりするところがまた実に嫌味だ。

こういうスーパーマンがこの世には極まれに存在するのだけれど、常人にはその影さえ踏むことが出来ないその異次元の才能に絶望を覚えてしまうから、ワタシはこういう人は苦手なのである。

けれど、嫌味な人柄の割りには言っていることは至極まともで、そのアクの強さの裏側には世界に貢献しようという力強い理想と使命感がすっくと立っている。

■デザインとは、商業主義に軸足をおいた「欲望を刺激する装置」などではなく、

人間を幸福に生から死にもっていく力を備えたものであり、それがデザインの役割だ。

装飾することがデザインなのではない、効能、性能、機能を備えた、それゆえに美しいモノ。それが「デザインされた」ものなのだ。

という、川崎先生の哲学はその通りだと思う。

機械設計技師(デザイナー)としての自分の指針とピタリとはまってストンと落ちる。

■川崎先生のデザイン論は、さらに続く。

デザインの基本形は自然にある。

オウムガイの殻の巻き方にフィボナッチ数列を見るように、「自然」が作りだす美しさは数式で記述することが出来る、という考え方。

その延長線上において川崎先生はトポロジーという数学の概念を使って「自然な」カタチの人工心臓を作ってみせる。

概念論が急にリアルな世界へ侵入してくる不思議な感じ。

■さて、このあたりになると急に理解が追いつかなくなってくる。

待ってくれー、なんてうちに消化不良のまま先に進んでいってしまう、大学の数学の授業で置いてけぼりになってしまったあのときの感覚だ。

■数学が世界を記述することで神に近づく学問だとするならば、その先端が「神の創りし自然の造形物」と出会うということに不思議は無い。

そこに「デザイン」の本質があるのだろう。

だからこそ、同じ神に創られた我々のこころにもそれが「美しい」と感じられるのだ。

・・・などと、もはや理系の人間でありながら極めて文学的に捉える他にすべは無い。

■そこへ果敢にも太田が切り込んでいく。

タレントがデザインしました、みたいな「無駄な装飾」にもキャラクターとしての意味があるのではないか。

それに対して川崎先生は、携帯ストラップに耳かきがついている、というような「不自然」な効能、機能の組み合わせもそれはそれで面白く、要はバランスなのだと説く。

■いやいやそういうことじゃなくて、太田が言いたかったのは効能も機能も性能もそういったものに一切関わりの無い「装飾としてのデザイン」にも意味はあるんじゃないか、っていうことだと思うのだけれど、太田は川崎先生の回答ではなく、その「話をするスタイル」の方にその答えを見つけたようだ。

予想を裏切りながらどこに飛んでいくか分からない面白さ。

それは小型原子炉と仏壇と人工心臓が同じ土俵で混在する川崎先生の不思議さそのものである。

そのムダの多い生き様に太田は自分自身の在り方を重ねることが出来たのだろう。

■要するに太田もそういう意味で「天才」だったということで、またしても置いてけぼりを食ってしまたのであった。

まあ、分かってしまったら面白くないんだろうけどね。

凡人は天才のつくりだす不思議を楽しむ。

それだけでいいんじゃないかな。

                         <2008.09.27 記>

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■Design Anthology of Kazuo Kawasaki
■アスキー (2006/03)
■デザインディレクター川崎和男のこれまでの作品を100点以上の写真で紹介
 

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■生きのびるためのデザイン
■ヴィクター パパネック 著 晶文社 (1974/08)
■高校時代に背伸びして読んだ本。やっぱし分からなかったのだけど(笑)、それなりに感じるところはあって、今でも、ものづくりを考える土台になっていると思う。
    

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2008年9月23日 (火)

■暗闇に潜む気配から身を守る方法について。『爆笑問題のニッポンの教養』 民俗学、常光徹。

今回のテーマは、民俗学。

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■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE047:「“学校の怪談”のヒ・ミ・ツ」 2008.9.16放送
国立歴史民俗博物館副館長 民俗学、常光徹。

■民族学とは日々の営みや民間伝承などから、そこに込められた意味を探る学問なのだそうだ。

そんな中でも常光先生は一風変わった存在である。

中学校の教師をしていた時代に生徒のあいだで広まっている怪談に興味をもち、そのままその研究者になってしまった方なのである。

■学校の怪談といえば、トイレの花子さん。

一人で陰部を露出して無防備にしゃがむ、その心細さが背景にあるのでは、と常光先生はにらんでいる。

確かに理科室の人体模型が動き出すのも真夜中の学校であって「心細い状態」が怪談を生む条件のひとつなのかもしれない。

■さらに、と考えていくならば、不特定多数のひとがいる、或いはいたであろう場所、という条件もあてはまるかもしれない。

トイレが怖いといっても、離れにあった昔の便所ならいざしらず、現代の各家庭のトイレではなかなか怪談は成立しにくいだろう。

いつもジメついていて不特定多数の臭気が入り混じった学校のトイレ。

そこの奥から二番目の個室で、むかし・・・、

といった想像力をかき立てる「雰囲気」というものがある。

■その実体の無い「雰囲気」に物語というカタチを与え、なんとか理解して消化しようという試みが「怪談」なのではないだろうか。

何しろ、「何なのかワケが分からないもの」というのはいちばん厄介で、どう対処していいやら分からない絶望的な不安に襲われるものである。

だから、それに「名前」を与えてやることで、口裂け女に対する「ポマード」のような、意味は分からないけれど何らかの「対処法」をあみだし、それにすがるのではないだろうか。

■霊柩車を見たら親指を隠すとか、何やら汚いものを見たときには指を交差させてえんがちょをするとか、そういう仕草には、具体的な由来があって、それを紐解いていくと当たり前だと思っていた日常が面白くなる。と、常光先生はいう。

確かにそこには古い童謡の本来の意味を探るのと同じような知的面白さがある。

けれどその一方で、意味自体が失われたにしても、「親指を隠す」とか「えんがちょ」(或いは「ダブルえんがちょ」)をしたときの指の感覚それ自体がことばとか意味とかそういうものを越えた安心感を生み出すことも我々が体験的に知っている事実である。

■不安の本質が「ワケのわからない」ものだとするならば、対抗手段は「知る」ことではなく、それに対する結界を張る具体的行為にこそあるのではないだろうか。

それら「結界」の仕草をツボとか経絡の概念で調べてみると、不安定な神経を落ち着かせる作用があるとか、意外とそこに「理屈」を通り越した「意味」が見い出せるかもしれない。

だとすると面白いんだけどね。

                             <2008.09.23 記>

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■『 しぐさの民俗学 ―呪術的世界と心性 』
■常光徹 著 ミネルヴァ書房 (2006/09)
   

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■『 学校の怪談 』(講談社KK文庫)
■常光徹 著  講談社 (1990/11)
   

■『 学校の怪談 ―口承文芸の研究〈1〉 』
■常光徹 著 角川書店 (2002/07)
   

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2008年9月14日 (日)

■それぞれの時代がそれぞれに持つ「ニッポン」。『爆笑問題のニッポンの教養』 日本思想史、子安宣邦。

今回のテーマは、日本思想史。

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■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE046:「ニッポン」を疑え。 2008.9.9放送
大阪大学名誉教授 日本思想史 子安宣邦。

■日本思想史とは「日本」の成り立ちをどう考えるかの学問。

それは自然の成り立ちとしての「日本」ではなく、

意識し考えられた「概念」としての「日本」の成り立ちについて考える学問ということだ。

■先生によれば、初めて「日本」というものが意識されたのは、663年、唐と朝鮮で衝突した白村江の戦いのときだという。

そこまでは繋がりのある大陸と敢えて線引きをする必要がなかった、ということなのだそうだ。

言っていることの意味はわかるのだけれど、どうも腑に落ちない。

「外国」がなければ「日本」はないのか?

我々の「根っこ」として、日本の核になるものはあったのじゃないか。

という太田の感覚の方が分かりやすい。

■「白村江」の時代に生じた「日本」という概念は、貴族、武家、商人と「それ」を意識する人々の層が広まり、江戸時代に定着、明治維新をもって初めて国民全体に「日本」という考え方が共有された。

江戸時代の庶民にあなたは日本人ですか?と聞いても、「いえ、武蔵野くにの出ですよ」と答えるだろう、という子安先生の説明は十分に分かる。

けれど、「概念として作られた」という捉え方に違和感を覚えるのだ。

■太田が喝破したように、その考え方は昭和8年生まれの子安先生自身の戦争体験に根ざしたものなのかもしれない。

戦争の全体主義的高揚感と

戦後、突然やってきた価値観の全否定。

その根がらみの矛盾を解決するためには、「日本」を概念として相対化するしかなかったということだ。

■江戸時代の国学者、本居宣長が「古事記」に記された漢文の向こうに日本人本来のこころを見出した、そこにも同じようにその「時代」というものが現れている。

それは日本人の精神的支柱であった漢民族の大陸文化が、満州族の「清」による「明」の滅亡というカタチで途絶えたことと不可分である。

そういった時代の要請として「日本」のアイデンティティが求められていた、それに応える「もののあはれを知るこころ」だったのではないか、ということである。

子安先生はそれを本居宣長の「願い」だとしたが、その同じ構図が、子安先生と「『概念』としての日本」の関係にも当てはまる。

と、考えた方がしっくりくる。

■「国」という自分が帰属する社会を考えるとき、それは考えるもの自身を包む時代感覚から自由ではない。

とするならば、戦後民主主義が形作られた後に生まれた我々の世代は、遅れてきたものの憾みとして、体制とか常識といったものを切り離そうとする自己、太田のいう「根無し草」、という時代の気分を背負っている。

けれど、「否定」というカタチであったとしても、既存のあり方を意識している点において「日本」というものが時代のなかで共有されてきたようも思えるのだ。

■そこで、今の時代を映すものとして「秋葉原通り魔事件」を取り上げるところに太田の鋭さを感じる。

「彼」の中では「自分」しかなく、「モンスターである自分」を「客観的に眺めて楽しむ自己」があり、そこで完結してしまっている。

そこには人の繋がりとしての「社会(日本)」は無く、余裕をもって客観的に眺めているはずの自己そのものがモンスターになってしまっていることに気付き、それを指摘するものはいない。

■それはとても極端な例ではあるにせよ、個人が社会というものと関わり無く自己完結する、自分にしか興味の無い「自己チュー」だらけの世の中、というのが今の時代なのだとする捉え方は、そう大きく的を外しているようにも思えない。

一度バラバラになった「自己」たちは再びひとつになることはなく、それぞれが、それぞれに生きていくしかない。

それは大変疲れることではあるけれど、望むと望まざるに関わらず「個人の自由」と引き換えに我々が背負ってしまった十字架なのだ。

■そんな時代における我々の「括り」はどこにあるのだろうか。

それがこれから20年、30年かけて我々が探し求め、再構築していくものなのだろう。

さて、生きているうちにその新しい「カタチ」を見ることが出来るかどうか、ちょっと微妙な気もするが、そのダイナミックな社会的変革に立ち会えないのは残念なので、まあせいぜい長生きすることにしようと思う。

                          <2008.09.13 記>

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■『日本ナショナリズムの解読』
■子安 宣邦 著 白澤社 (2007/03)
      

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2008年8月30日 (土)

■128億年の壮大な歴史書は日々書き換えられるノダ。『爆笑問題のニッポンの教養』 天文学、林 正彦。

今回のテーマは、天文学。

Photo
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE:045:「128億光年の宇宙見物」 2008.8.26放送
国立天文台ハワイ観測所所長 天文学、林 正彦。

■ハワイ、マウナケア山頂4200メートルの高みに日本が誇る最大級の反射望遠鏡 すばる がある。

128億光年の彼方から届く微弱な光を捉えることが出来る世界屈指の望遠鏡なのである。

■林先生はこの望遠鏡で、日々「あれは何だ!?」という科学者冥利につきる日々を送っているのだ。

経費の獲得だとか、世界中からの要望の調整だとか、人間界の苦労も多そうだけれども、この望遠鏡で捉えた映像を眺めている瞬間はきっと忘我の悦楽を味わっているに違いない。

うらやましい限りである。

■宇宙空間に拡がったガスが吹き溜まるように集まり、それが加速してその中心に「星のたまご」が生まれる。

すばるでは、その姿が観測できるのだそうだ。

驚くべきことに、一度観測してから2週間も経てば宇宙の様子が変わっているのだそうで、2週間前には見ることの出来なかった新しい星の誕生や、星の最期が観測できるというのだ。

■よく考えてみれば宇宙の観測っていうのも不思議なもので、128億光年先の姿は「この望遠鏡を覗いている今」に対して128億年前に発せられた光なのだ。

そして望遠鏡の焦点距離を100億光年、50億光年、10億光年と変えていくことで宇宙の歴史を眺めることができるということは、望遠鏡とは一種の歴史書だということだ。

しかも、その歴史書は我々の心臓の鼓動の速さと同じ速度で日々書き換えられているのだ。(もちろん特殊相対論的な時間の伸び縮みはあるけれど。)

■宇宙の誕生ビッグバンから137億年。

ビッグバンに対して「137億年」なんていう我々の時間の物差しがそのまま通用するというのも不思議な話だが、少なくとも我々人類は「宇宙の誕生まであと10億年」という世界を覗くところまで来ている。

それは凄いことだ。

80年の人生と比べれば途方もなく遠い世界。

■けれど、生命の誕生から38億年、太陽系の誕生から46億年。

そして、これから40億年の後には我が銀河系は、おとなりのアンドロメダ銀河と衝突し、新たな銀河系へと生まれ変わるという。

そういったスケールで眺めてみれば、「すばる」が見させてくれる128億年の昔も全く理解の及ばない世界とも思えなくなってくる。

そして、その姿がリアルタイムで変化していく様子を捉えることが出来るなんて・・・。

■「すばるは皆に夢を与えてくれる」

とまわりからよく言われるんですよね、本人はあんまりそういうつもりはないんだけれど。

という林先生のおトボケぶりが、いかにも真面目な学者らしくて好印象であった。

太田が開陳した「他者との関わりによって常に爆発している私」、なんていう哲学的な話にはまったく反応されなかったが、そりゃそうだ。

だって「爆発する宇宙」を現実にいつもその目で眺めているのだから。

いや、本当にうらやましい。

                            <2008.08.30 記>

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■宇宙への秘密の鍵
■ルーシー・ホーキング, スティーヴン・ホーキング 著 (2008年2月)

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2008年7月30日 (水)

■ヒトの遺伝子に国境は無いのだ。『爆笑問題のニッポンの教養』 分子人類学、篠田謙一。

今回のテーマは、分子人類学。

Photo
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE044:「どこから来たのか ニッポンのヒト」 2008.7.22放送
国立科学博物館人類研究部研究主幹 分子人類学 篠田謙一。

■発掘された人骨に残されたDNAを分析する分子人類学によって現代の人類学は飛躍的な発展を遂げた。

ミトコンドリアのDNAを抽出し母系の祖先をたどっていくことによって、現在地球上の生きる我々人類すべての祖先が15万年前のアフリカに収斂するということまでが分かっている。

と、いうのはある程度知られている話だと思うのだけれど、今回の番組はそれをまた別の切り口で見せてくれる。

■「はじめの人類」からどのようにミトコンドリアDNAが変異し多様化し、分散していったのか。

篠田先生は15万年前の祖先から現在世界中に散らばる我々65億人にまで至る道筋を系統図として具体的に可視化してみせる。

今の日本人を構成する「筋道」はひとつではない。

田中は「D4a」、太田は「M7a1a」に分類され、10万年前にアフリカを出て世界中に散らばっていく、そのどの筋道から今の日本で生きる現在に至っているのかが明らかにされるのだ。

■我々の前には100万人の祖先がいる。

母がいて、母方の祖母がいて、曾祖母がいて。

その先にも、実際にこの世に生まれ、同じように笑ったり悲しんだりする「祖先」が100万人連なっていて、世界中のどの人とも、その途中のどこかで必ず交わっている。

そのイメージは、「我々の祖先はアフリカに生まれたミトコンドリア・イヴに収斂する」なんていうコトバでは決して理解できない「大切な事実」を気持ちのなかに立ち上がらせる。

■その一方で、遺伝子の違いが明らかにされ分類されていくことは、「優生学」的な、分類されたものに正誤、優劣をつけるような見方を生み出す危険をはらんでいる。

人間は分類したがる生きものなのだ。

けれど、その「分類」は系統図の「今」の世代しか見ていない。

ミトコンドリア・イヴを頂点とした世界中のすべての人々がつながる大樹として我々自身を理解するとき、その「分類」は意味を失うのだと期待したい。

■篠田先生が最後の方で語ったことばが印象的であった。

   
この研究をいくらやっても、「国」が出てこないんですよね。
  

極めて深いことばである。

                           <2008.07.30>

Photo_2
■日本人になった祖先たち
―DNAから解明するその多元的構造 篠田謙一・著

   
■関連記事■

■【書評】『われら以外の人類』 ヒトの進化を俯瞰する。

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2008年7月23日 (水)

■「伝わる」の前にある大切なこと。『爆笑問題のニッポンの教養』 芸術、宮田亮平。

今回のテーマは「芸術」。

なのだけれど、「芸術」そのものではなく、【伝える】というとても普遍的で深い内容に話が入り込んでいった。

前編の最後に太田が、

「あなたのメッセージは全然伝わらない、感じない」

と藝大の学長から強烈なパンチをくらって、【作り手】同士のなかなかにスリリングな展開となったのだが果たして・・・。

Photo
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE043:「アートのハート ~伝えること 伝わること~」 2008.7.08、15放送
東京藝術大学学長、宮田亮平。

■そもそもの発端は、

「今の時代の(藝大の)学生って、社会に居場所があるんだろうか?」

という太田の問いかけである。

ダビンチの時代ならいざ知らず、【藝術作品】を作ったところでほんの一部の人にしか見てもらえない。どれだけ素晴らしい作品であっても、社会的な意味はほとんど無くなってしまっていて、今、藝術で食っていこうとする若者は将来の自分のイメージが描けないのじゃないか。

そういう意味では、お笑い芸人の方がまだ希望が持てるんじゃないか、というのだ。

■それに対して学長の宮田さんは、

いかにピュアな自分を出せるか。

「今」をキッチリ生きるためにはどうしたらいいか、ということだ。

■そりゃ、キレイゴトでしょ、

食えるか、食えないかの問題なんだから。

と、太田が負けじと反撃する。

■このやりとりの時点で、すでに学長と太田の見ている風景が大きくずれている。

自分のなかにある「何か」をどうやったら表現することができるのか、という「己の主観」にどっかりと腰を据える学長と、「社会との関係の中での『自分』」にこだわる太田。

『伝える』、

といった時、この立ち位置の違いがさらに明らかになっていく。

■太田は【A】という自分の表現したいことがあって、それをコトバにしたときに相手が【A】と受け止めずに【A’】とか、下手をすると【B】とか【C】とかになってしまう、そのことがツラくて、相手に伝わった!と確信できないことに煩悶するのである。

そこには常に「相手」がいるのだ。

■学長は、【B】とか【C】とかでいいじゃん。

そういう時代もあるもんなんだよ。

という。

ここで太田は「中島みゆき」じゃないんだから、と茶化して逃げたが、学長は自らの過去に於いてやはり太田と同じ煩悶をしていたようで、その「気付き」を太田に伝えたかったようにも思える。

そして太田自身も、そのことが痛いほど分かっていたに違いない。

けれど、こればっかりは「アタマ」で理解したら解決できるという問題じゃない。

だから、つらいのだし、話を茶化して逃げざるを得なかったのだろう。

■宮田さんは、【伝える】ことについて苦しんで苦しんで苦しみ抜いた結果、同じ苦しみを背負った芸術家の卵たちを見守る役割として日本における藝術の最高学府の学長になるほどの人である。

その宮田学長が何度も何度も繰り返し言っていたのが、

いかに自分に正直に、ピュアになれるか。

なのである。

■「伝えたい」。

と思う前に、自分をちゃんと出せているかい?

それは本当に純粋な「自分」なのかい?

と問われているのである。

「太田のメッセージは全然伝わらない、感じない」と言っていたのは断定、ではなく問いかけであり、「作り手」の先輩としての指導だったんじゃないだろうか。

■何もそれは太田だけの話ではなくて、

「伝えたい」

という想いは誰もが抱く希望であり、それが出来ない苦しみを誰もが抱えているのだとおもう。

自分自身にとっても、このブログを立ち上げた理由はそこにあるのだし、「伝える技術」を磨きたいとヌルいなりにも努力をしているつもりである。

■けれど、「伝えたい」の前に

何を?

という問いに答えなければならない。

そしてそれはそれほど単純な話ではなくて、駿台・藤田の現代文のように「イイタイコト」を明確にする、なんていうことでは決してない。

そもそも、<【A】という伝えたいことがあって、>

という仮定自体に落とし穴があるのじゃないか、

今回の前後編を消化していくなかで、そういうことを感じ始めている。

それは【A】とか、そういうふうに「あるもの」として定義することが出来ない性質のものなのじゃないだろうかとおもうのだ。

■何か作品を作っているとき、はじめから設計図があって、その通りに出来上がるとおもって作る芸術家はいないだろう。

今、自分の目の前にある「対象」が、自分自身ですら意識していなかった何かを引き出して立ち上がっていく。それを目の当たりにしたときに胸に込みあげてくるもの。

コトバにすることが出来ないその「感覚・状況」が、『伝えるべきこと、そのもの』なのではないだろうか。

而して、その「感覚・状況」の結果生まれた作品に他人が向き合い、その人の胸に何らかの「感覚・状況」が再生されたとき、

それが『伝わった』、ということなのじゃないだろうか。

■今、この文章を書いている瞬間にわたしが感じていること。

そしてこの文章を読んでいるあなたが今この瞬間に感じていること。

         

それは生きてきた背景も違えば、今、置かれている状況も違うわけで決して「同じ」ものには成り得ない。

けれど、太田が9.11の直後に司馬遼太郎の『二十一世紀に生きる君たちへ』を読んだときに彼の中で生まれたもの、その後に司馬さんを良く知る人と話をした後に彼の胸の中で反芻され、そこで起きた化学反応。

それこそが、『伝わった』、ということなのだとおもう。

何かを生み出そう、という気持ちがある限り結論は無く、伝えることの苦しみから解放されることはないのだろうけれど、

それが今回の番組を見て立ち上がった、

ワタシのモノの見方である。

                          <2008.07.23 記>

21
■二十一世紀に生きる君たちへ 司馬遼太郎・著

      

■宮田亮平さんの作品

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2008年7月 3日 (木)

■奴らは群れでやってくる。『爆笑問題のニッポンの教養』 生物海洋学、上 真一。

今回のテーマは、エチゼンクラゲ。

01
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE042:「クラゲ 世界征服計画」 2008.6.24放送
広島大学生物圏科学教授
「里海」創生プロジェクト研究センター長 生物海洋学 上真一(うえしんいち)。

■エチゼンクラゲ、といえば夏の終わりから秋にかけて日本海へ大量に流れ込み大変な漁業被害を与えるなんていうニュースでもうすっかりお馴染みの大型クラゲだ。

大きいものになるとカサの直径2メートル、重さ150キログラムにもなるという。

こんなやつらが1日に5億匹も押し寄せるっていうのだから、漁師さんたちは堪ったものではない。

■で、こいつらはどこからやってくるかというと中国の沿岸部から来るらしい。

かつては40年に一度大発生をしていたのだが、ここのところの中国沿岸部の発展によりその近海が汚染されてクラゲが発生しやすい状況になり、近年の毎年のような大発生につながっているのだという。

汚染された海では魚の数が減り、富栄養化によって動物プランクトンが増える。そこで魚と競合しないクラゲが一気に勢力を伸ばし、魚の稚魚や卵まで食うようになって、ますます魚を駆逐して巨大クラゲ帝国を築き上げる、という寸法だ。

■しかも、その繁殖のしかたが半端ではない。

一匹が抱える卵の数が3億個。

その卵から生まれた「ポリプ」は尺取虫のように歩きながらその足跡に自分の分身を残していく。ひとつのポリプがだいたい5歩ぐらい進むらしい。

そのポリプが成長して5つに分裂し、そのひとつひとつがクラゲになっていく。

一匹のクラゲから生まれる数は、3億×5×5で75億匹!

歩留りってのもあるはずだけれど、それにしても恐るべき繁殖能力だ。

通常は卵とかポリプの段階で魚の格好のエサになり、そこそこの数に抑えられているのだろうけれど、一旦サカナがいない状況になると爆発的に増殖してしまう、ということだろう。

■この恐るべきエチゼンクラゲの生態を研究しているのが広島大学の上(うえ)先生。

上先生曰く、エチゼンクラゲは環境破壊を知らせる使者である。

本来、海というのは豊かなもので、いろんなサカナをはじめとして多種多様な生命が満ち溢れているものなのであって、エチゼンクラゲに埋め尽くされるような海は本来あってはならんことなのだ。

■そして、人間が海に手を加えることで50年前に遊んだあの豊かな海を取り戻す。それが上先生が目指すところだ。

人間が手を入れることで豊かさを保った昔の里山のイメージである。

それは人間にとって有益な姿へと海を近づける試みである。

■そこで太田は深くうなづく。

文明が進んでいったときに、何が正しくて、何が間違っているのか。

その基準は「人間にとって何が一番いいのか」しかないだろう。

「自然」な状態がいいのであれば、人間が存在しないことが一番いいのであって、かといって今さら原始人に戻れるわけでもない。

だから、一度手に取ってしまった「文明」や「技術」を捨てるのではなく、その上に更に文明をのっけて「困難」を解決していくしかないんじゃないか、というのだ。

■のんきに「自然がいちばん!」と言ってしまう無邪気さが、実は「天に唾する」行為であると日頃から深い思索をしているのだろう。

ともすると我々は流氷に取り残されたアザラシの赤ちゃんの映像を見て、「温暖化」はイカンのだ!と断罪するのだけれども、そのシッカリ冷房の効いた部屋で振りあげるこぶしは「マンガ」か「コント」以外の何ものでもない。

我々が享受する豊かな暮らしと引き換えにそういった悲劇が引き起こされていることの絶望がまずあって、そこを考える基点にしているからこその太田の発言なのだと思う。

一見、悲観主義的にみえるけれども、その実、それを乗り越える文明を想定しているところに健全な楽観主義があるのだし、そういう考え方が拡がっていくとしたら、われわれの未来は明るいのだろう。

■ところで、いかにも侵略者=悪役として見られてしまうエチゼンクラゲなのだけれども、果たして本当にそうなのだろうか。

ある一瞬を捉えれば、年間100億円もの漁業被害をもたらす悪魔の群れなのだけれども、10年、20年の単位で見たときに実は海を浄化する働きをしているなんてことは無いのだろうかと空想するのである。

排出される汚水に含まれた多量の有機物をプランクトンが取り込み、無限とも思えるエチゼンクラゲの群れがそのプランクトンを食い尽くす。

中国沿岸でたらふくプランクトンを平らげたエチゼンクラゲは海流に乗って日本海を北上し、津軽を抜けて今度は親潮にのって太平洋沿岸で冬を迎えて死に至る。

そして太平洋の海底に沈んだエチゼンクラゲの死屍累々が、ゆっくりとゆっくりと朽ちていく。

毎年、毎年、愚直に同じことを繰り返す、

息の長い地球の浄化システム。

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■そんな、風の谷のナウシカの腐海とか王蟲とか、そういうイメージが浮かんだのだけれども、それは期待のし過ぎだろうか?

まあ、エチゼンクラゲに「存在理由」を問うてみても仕方のないことか・・・。

と、コンビ二で買ってきた惣菜の中華サラダをつまみながら、どうでもいい妄想を愉しむのであった。

って、この中華サラダのクラゲってエチゼンクラゲなの?

これは一杯喰わされた。

・・・お後がよろしいようで。 テケテンテンテンテン。

                            <2008.07.02 記>                     

「中国沿岸から日本海に押し寄せて漁業者たちに大打撃を与えているエチゼンクラゲが、中国から輸入食品として日本に運ばれ、私たちの胃が迎え入れているとは何とも皮肉な話だ。」

【出典】
【生物多様性トレンドへの探検(山根一眞) 現地ルポ】
「海のエイリアン」エチゼンクラゲはなぜ増えたのか(下)

              
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■ 瀬戸内海を里海に -新たな視点による再生方策-

      

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飼う人っているんだ・・・。

 

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2008年6月26日 (木)

■「現在」は「過去における未来」の延長にあるのだ。『爆笑問題のニッポンの教養』 古生物学、真鍋真。

今回のテーマは、恐竜。

01
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE041:「恐竜は生きている?」 2008.6.17放送
国立科学博物館地学研究部生命進化研究グループ研究主幹
古生物学 真鍋真(まなべまこと)。

■真鍋先生が始めに言ったことば、

「現状だけ見て判断するのは偏った見方になってしまう恐れがあって、今に至るまでの環境プロセスを見つめることで、やっと見えてくることもある。」

というのが今回の本質的な部分を既に語っていたように思う。

■真鍋先生は恐竜の専門家。

「羽毛恐竜」という言葉も最近知ったのだけれども、恐竜ってのはワニとかトカゲとか今いる爬虫類の連中の祖先ではあっても「爬虫類」そのものじゃない、とか子供の頃には知らなかったようなことが、ここ10数年くらいでずいぶんと分かってきたようだ。

なかでも、もっともメジャーな大型肉食恐竜ティラノサウルス・レックス(7000万年前)の祖先が、1億3000万年前のニッポンに、それもかなりちっこいサイズの羽毛恐竜として生きていた、という話には思わず食いついた。

■何しろ子供の頃には、なんで日本には首長竜とかそういう地味な恐竜しかいないのかなぁ、などと非常に残念な気持ちでいたので、

ティラノサウルスの祖先はニッポンにいたんだぜ!

というのは、自分にも日本人にも全く関係ない話であるにも関わらず、とても誇りに思う気持ちを抑えることが出来ないのである。

■いやー、恐竜は大好きだったんですよね、と恐竜の化石に眼を輝かす田中は、標準的なニッポン男児の反応であって、やっぱり恐竜は自分の中の「男の子」の部分を激しくくすぐるのだ。

と、その横で、太田はじっと何かを考えている。

ちょっと視点が普通と違う、いつもの太田である。

■「ペンギンが鳥である」というのは、ずいぶんと横暴な話だと思いませんか?

ときた。興味は恐竜から「進化」へと移っていたのだ。

あの黒くてすべすべした感じとか、どう考えたって「鳥」というのは不自然で、アシカとかイルカとか、そういう奴らの仲間だと思うのが普通じゃないですか。

■そこで、何をバカなことを。

で終わらないのがこの番組の面白いところだ。

真鍋先生は真面目に答える。

化けの皮を剥いだ下にある骨格を見れば「鳥」なんです。

魚が進化して陸に上がったあとに再び海中の生活に適応した生物はいくつかある。

アシカ、イルカといった哺乳類のほかに、かつては「魚竜」といわれる爬虫類もいた。

同じように鳥類の「ペンギン」もいるわけだけれども、アシカや魚竜が体をくねらせて海中を進むのに対して「ペンギン」にはそれが出来ない。

進化の枝分かれの中で鳥類は胸の周りの骨格を固めてしまい「体をくねらせる」ということが構造的に出来なくなってしまったというのだ。

■ここに「進化」の重要なポイントがあるように思える。

これから新しい環境に適応していこうとしたときに、進化の道のりを歩んできた自らの過去に縛られる、そこから自由ではない。ということだ。

「アシカとかイルカが既にいる(存在できる)からペンギンみたいなものもいる(進化できる)んじゃないか」

という太田イメージのように「目指すところ」があって進化がすすんでいく、というふうに生命は展開していくのではなく、

各々の過去の進化の歩みを背負いながら、それぞれの生命は展開していくということだ。

■それは生命の進化だけにあてはまるものではなく、日々変わりゆく環境の中で次第にその人らしく成長(複雑に変化)していく「人生」というものにもあてはまるものだと思う。

今、思い立ったぞ!俺は映画監督になるんだ!

と、40過ぎのオヤジが突然の決意表明をしたとして、それは別に否定されるものではない。

けれど絶対にいえるのは、その人には彼が歩んできた「人生そのもの」が深く刻み込まれていて、いくら「黒澤明になりたい」と思っても、彼はその人なりの映画監督にしかなり得ないということだ。

■「現在」の状況だけを見て最高の選択をしよう、というのは「最適」な行動ではない。

その「選択」をしようとする「主体」が進んできた歴史の影響からは絶対に逃れられないからだ。

だから「今」だけを見てはいけない。

「過去」とは、「かつての自分」が踏み出した「未来」の連なりである。

今、踏み出そうとする道は突然として現れるものではなく、自分が歩んできた、それ故に自分だけにしか歩むことの出来ない

その人固有の道なのだ。

■そうやって自分の人生を俯瞰してみると、いま自分のとなりにいる人にとっての最適な道筋というものが、自分にとってのそれとは異なるものだ、ということが腑に落ちてくる。

それぞれが、それぞれに、その人だけの道があるのだ。

正解は無い。

                        <2008.06.26 記>

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■恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた

    
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■「真鍋真」さん、という名前をみて、上から読んでも下から読んでもという面白さと同時にどことなく懐かしい感じを受けたのだけれども、実は真鍋 博さんの息子さんだったんですね。
「古びることの無い’かつての未来’」という雰囲気の絵柄が、今回のテーマともピタリとはまって不思議な感じでした。

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2008年6月19日 (木)

■ウイルスにとっての【意味】とは何か。『爆笑問題のニッポンの教養』 ウイルス学、高田礼人。

今回のテーマは、ウイルス学。

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■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE040:「ウイルス その奇妙な生き方」 2008.6.10放送
人獣共通感染症リサーチセンター副センター長・国際疫学部門長 高田礼人(たかだあやと)

■東京タワーに対する人間の身長。

何かというと、細胞の大きさに対するウイルスの大きさなのだそうだ。

実に小さい。

それは電子顕微鏡でしか見ることの出来ない大きさなのだ。

■けれど、その微小な「物質」がエイズ、エボラ出血熱、そして今、耳目を集めている新型インフルエンザなどの恐ろしい病気を引き起こす実にやっかいな存在なのだ。

さらにウイルスは「生物」と呼ぶことが出来るかどうか議論の分かれる、不可思議な存在でもある。

■生物は自らエネルギーを作り出し自ら増殖するひとつのシステムである。

けれどもウイルスは、遺伝子とそれを包む殻、それだけの存在であり、生物の細胞に入り込み、その生物のエネルギーを借りて増殖する、宿主となる「生物」が存在しなければ増えることの出来ない存在だ。

宿主がいなければ変化のないただの「物質」であり、宿主のシステムと組み合わさったときに始めて「生物」的な振る舞いを見せるという二面性がウイルスの定義を難しくしている。

■今回の議論の相手、高田礼人(あやと)先生はインフルエンザウイルスとエボラ出血熱のエキスパート。

アフリカやアジアのウイルス発生現場を渡り歩き、宿主からの感染経路と感染のメカニズムを明らかにすることで感染症の拡大を防ぐ有効な「先手」を確立させるのが高田先生の使命なのだ。

その浅野忠信っぽい風貌も手伝って、実に雰囲気のあるひとである。

■その高田先生(うーん、タメなんだけどな・・・、やっぱ先生か。)が面白い見方を提示した。

病原性ウイルスの発生はウイルスにとっても決して嬉しくないアクシデントである。

宿主を生かさず殺さず自分の分身を増やしていくのがウイルス本来の姿で、宿主を殺してしまう強毒性はウイルスにとっても「本意」ではない。

というのだ。

■ウイルスはその特性として、増殖するときに遺伝子のコピーを間違いやすくする「おっちょこちょい」な性質をもっている。

そこで生じてくる多様性が宿主の免疫システムへの対抗手段となり、さらには他の宿主への生活圏の拡大を可能にする。

つまり、ウイルスはその「おっちょこちょい」な性格を利用して生き延びてきたのである。

そして、その「おっちょこちょい」のデメリットとして、時に宿主を殺してしまうような強毒性を持つというアクシデントを引き起こしてしまうということだ。

■今回は珍しく先生への切り込み役を田中に任せて少し引き気味に眺めていた太田がそこで反応する。

ウイルスがなきゃ人間も生きていけない?

いや、おれはね、ウイルスってすごく必要なものなのかなという気がしていたんです。

■太田のイメージはとてもよく分かる。

ただの迷惑な「おっちょこちょい」なんてものではなくて、その奇妙な振る舞いを見せるウイルスの不可思議さの裏には何か深い【意味】があるに違いない。

■ここであっさりと、「うーん、ウイルスはいなくても困らないんじゃないかな」、と高田先生の答えは結構つれない。

太田のアタマの中で駆け巡った生命誕生の壮大なドラマ(妄想・空想)は、そこであえなく失速する。

■ワケがわからない、という状態はとても苦しいものである。

人間はすべてのものに何らかの【意味】や【理由】を求めるものだ。

そうして自分の内にある世界観のなかに組み込むことによって、理解し、消化することで安心を獲得するのである。

その【意味】や【理由】は必ずしも正しいものである必要は無い。

自分の枠組みの中に納まれば、ひとまずそれで良しとする。

【真実】なんてものは、理由の分からない【不条理】の苦しみに比べたら大したことはなくて、人間はいつだって【真実】に片目をつぶってやりすごし、【意味】によって構築された自分の城に安住を求めてきたのだ。

■天の星々が地球を中心にしてまわっていても、神様が自分に似せて人間を作ったのだとしても、日々の生活には何ら支障は無い。

コペルニクスも、ダーウィンも、既存の【意味の体系】を崩した異端者なのである。

そしてコペルニクス、ダーウィン、アインシュタインの子供である我々もまた、新たな【意味の体系】に囚われた存在なのだろう。

■だから、生命と呼べるかどうかさえ分からないそんなあやふやなウイルスという存在に何かしらの【意味】を求める太田の姿勢はごく自然なことだとおもう。

けれど、そこに太田の限界があるような気がしてならない。

太田という【ワタシ】から世界を眺める。

そこに一般の教養番組の枠に収まらないこの番組の面白さがある。

が、太田がいなくても地球が太陽の周りをまわっているように、我々人類がいなくてもウイルスはその不可思議な存在であり続けているだろう。

ウイルスにとって、我々が彼らに与える【意味】なんてものは全く意味をもっていないのだ。

■我々が当然だと思っている世界の枠組みに当てはまらないのが先端の科学なのだとすれば、<【意味】を求める>という行為について、もう少し深く考えてみる必要があるのではないだろうか。

ずいぶんとウイルスから話が逸れてしまったのだけれども、あまり盛り上がりを見せない今回の番組をみていて、つい、そんなことを考えてしまったのであった。

                            <2008.06.19 記>

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■恐怖の病原体図鑑―ウイルス・細菌・真菌(カビ) 完全ビジュアルガイド

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■関連記事■

■書評■【H5N1型ウイルス襲来】新型インフルエンザから家族を守れ!岡田 晴恵。今できることは何か。

■書評■【生物と無生物のあいだ】 福岡伸一。生命は不可逆であるが故に、その一回性が美しい。

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2008年6月11日 (水)

■カネを儲けて何が悪い!『爆笑問題のニッポンの教養』 経済学、橘木俊詔。

今回のテーマは、経済学。

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