●8.社会・報道・ドキュメント

2017年5月26日 (金)

■【社会】テロ等準備罪(共謀罪)、衆院通過。劇薬は効くのだろうが、使う人間によっては危険な代物に。

テロ等準備罪ってなんだろね。

ほんとよくわからないんだわ。

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■要は、「実行」しなければ逮捕されなかったものが、「事前の相談」によって逮捕されるという理解をしているのだが、正しいのかな。

国際法の批准に必要とのことだけれども、対象となる犯罪を見てみると国際法云々の前にやってもよさそうな感じはする。

対象となる犯罪227の内訳は、「テロの実行」110件、「薬物」29件、「人身に関する搾取」28件、「資金源」101件、「司法妨害」9件。

これを見てみるとマスコミが「テロ等準備罪」ってのもなんだかな、という感じ。

「テロ対策」と銘打てば世論をごまかせるという匂いを感じさせて、実にいやらしい。やはり、これは「共謀罪」、或いは「組織犯罪準備罪」なのだと思う。

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■ここから見えてくる「犯罪組織」とは、テロリスト、カルト集団、やくざである。

テロ防止はもちろん、地下鉄サリン事件をはじめとするオウム真理教の一連の事件、人身売買、最近はやりのAV強制出演とかを考えれば、「犯罪」が実行に移される前に、組織を拘束できるこの法律は、歓迎すべきものだろう。

その一方で問題視されているのは、一般市民がそこに巻き込まれるのではないか、という疑念。「相談」を知るためにはメールやLINEの傍受と分析が必要であり、監視社会になるのでは、という疑念である。

しかしながら、公安警察って、もう情報収集しているでしょう?CIAからアメリカ流のネット情報傍受の技術は受け取っているようだから、監視社会については、何をいまさら騒ぐのか、という感じである。

一般市民が、と騒いでいるのはいわゆる「市民運動」の人たちであり、我々一般市民とは、少し異なるような気がする。

彼らはもともと公安警察の監視対象なのだから。

■ものごとにはメリットとデメリットがつきものだ。

今回のような効き目の強い「劇薬」ならなおさらだ。

そこでマスコミに期待するのは、過去の事件をもとに、「あの時に共謀罪があったらどういうことが起きて、どういう展開になったか」のシミュレーションを行い、メリットとデメリットを具体的に明らかにすることである。

地下鉄サリン事件なんかは、きっと防止できていたのではないか、と思う。

■なんにせよ、刃物自体が悪いのではなく、刃物を使う人に問題があるかどうか、ということだろう。

たぶんわれわれが無意識のうちに「やばい」と感じてしまうのは、安倍首相をはじめとした首相官邸および自民党の戦前回帰の雰囲気によるもののような気がする。

何しろ連中は、憲法が権力を拘束する装置だという理解をせずに、国の運営がやりにくいから憲法を変えてしまえ、という大きな勘違いをした集団だからである。

いや、誰も戦前の全体主義を目指そうなんて思っていないというのは正しいだろう。けれども、そこに「上からの管理」を是とする思想がある限り、本質的には変わらないということだ。(「軍部」が「経団連」に変わっただけである。安倍政権を見ていると国民より、大企業の方を向いているのは明らかだ。)

公安が特高警察になるかどうかは、政治の胸先三寸。

市民団体が危惧するように、原発反対運動や、基地反対運動に対して、犯罪行為を行わなくても難癖をつけて拘束される事態が生じれば、それは民主主義の危機となるだろう。

そういった市民運動は、市民としての意思表示という表の顔の裏に、外国を含む反体制勢力のバイアスを受けやすいという側面がある。

そこは極めてグレーな世界である。

個人的には中国による市民活動の操作を排除することは、国益に沿うことだと思っている。

けれども、「国益」は見る人間の視点によって変わるものである限り、「国益」を理由とした拘束は非常に危ない。

それを決めるのは、政権サイドなのだから。

そういう意味でも、シミュレーションを通じて、そういった権力の暴走を抑止する装置を考えていくべきなのだろう。

                        <2017.05.26記>

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■【社会】ひふみん、かわゆす。

いま、あさイチに加藤一二三 九段が生出演中。

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将棋はあんまりくわしくないんだけれども、藤井聡太のデビュー戦ですっかり大好きになってしまった。

この人のしゃべり方素敵だなあ、かわいすぎる!!

                     <2017.05.26記>

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2017年5月25日 (木)

■【社会】米家計の借金がサブプライム危機時を超える。飽和した社会での資本主義経済の構造的問題は治りようがないという事実。

今朝の日経朝刊にアメリカの家計の借金が08年のサブプライムローンによる危機の時点を超えたとの記事があった。当時甘い審査で問題になった住宅ローンが横ばいなのに対し、借金を増やしているのは学生ローンと自動車ローンという構図となっているようだ。

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■2009年に底を打ったNYダウは右肩上がりを続け、2015年後半の中国危機で足踏みをしたものの、調整を終えたのちに、今や当時の倍以上の20,000ポイント越えとなり、今に至る。アメリカ経済は絶好調だ。

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アメリカは内需が拡大し続けることでダウが伸びていく、という構図だ。

しかし、その原資は国民の借金であるということが今回の記事でよくわかる。

■市場経済は、市場が拡大し続けることで安定的に成長する。

市場の拡大とはつまり、発展途上の国が成長する中で消費を爆発的に増やしていくことである。

サブプライム危機の時点では、中国が経済成長のための膨大な投資を開始することによって、世界経済はそれを乗り切ったわけだが、現在、中国が高度成長を終え、市場にモノがあふれかえっている状態で、今時点、中国に取って代わる巨大市場もないのだから、アメリカの成長は不可思議としか言いようがない。

実際、2015年の夏の時点で、中国の限界がはっきり見えたわけで、そこでもうジ・エンドでもおかしくなかった。

■それでもなお、アメリカが成長を続けるのは国内での消費の拡大故である。

いやいや、ちょっと待て。

アメリカ国民はその消費の原資をどこで得ているのか。

だって、世界経済が止まりつつあるのに、いったいどこで儲けているのか。

そのマジックの鍵が借金なのだ。

■いまの経済は実態を映さない。

株をやっているとよくわかるのだけれど、株価がその企業の収益とか将来性から計算できる資産価値を反映させることは最早ほとんどない。あるのは「先読み」による一時の過熱と、機関投資家の売り浴びせによる長い低迷である。

そうやって金融市場という名のカジノで儲けた機関投資家が「マネー」を膨らませ続ける。

これは実態とかい離しているという意味で、まさにバブルである。

その膨らんだマネーの行き先が、「サブプライム」、要するに「金を返せるかどうか怪しい層」に対する「いいかげんな貸し付け」であり、回収不能となった債権がまとめられて新しい金融商品となることで壮大なババ抜きが続けられる。

住宅ローンについては横ばいになっているから、さすがに歯止めが効いているのだろうけれど、学生ローンと自動車ローンについては、もう盛大に貸し付けまくっているというわけだ。

これは2008年当時とまったく同じ景色だ。

■市場主義経済は新興国の経済発展を原資として成り立ってきた。悪い言い方をすれば、形を変えた植民地政策だ。

中国の地理的経済的拡大政策はまさにこの道筋を行こうとしているのだけれど、中国の巨体を維持できるほどの市場が開発できるとは到底思えない。

植民地主義的市場経済は終わったのだ。

それに代わって今、アメリカで行われているのは中間層から金を巻き上げてそれを原資とする国内植民地化、或いは奴隷化だ。

けれど考えればすぐわかることだが、借金で経済が膨らんでいったとしても、いつかは返せなくなる日が来るわけで、そうすれば壮大なババ抜きのゲームセット。

もう当時の中国はいないわけで、次の終わりが本当の終わりになるだろう。

■その中で、むしろ日本はデフレ続けてきたから、輸出産業の崩壊で猛烈な不況が来て日経平均が1万円を割り込んだとしても、生活自体は続けていけるのじゃあないかと踏んでいる。

大きな借金とか、現時点での金融市場への多額の投資とかを避けていれば、まあ、個人としては何とか食ってはいけるだろう。

何にせよ、先を読んでおくことなのだと思う。

それが今年なのか、3年後なのかは分からないけれども、その日が来るのは確実だ。

目の前の為替だ、日経平均だ、なんだの日々の変化に踊らされてはいけない。

バブル崩壊で社会が変化し始めて20年の月日が流れているのだから、そろそろ大きな構造的変化がカタチとして見えてくる時期は近いだろう。

残念なことに、わたしもあと30年くらいは生きてしまいそうなので、しっかりと準備だけはしておこうかと思う。

                     <2017.05.25記>

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<関連記事>

■【書評】『資本主義の終焉、その先の世界』榊原英資、水野和夫。いま、最大の国難の時期にあって我々はどう動くべきなのか。他、『資本主義の終焉と歴史の危機』 水野和夫 著、『資本の世界史  資本主義はなぜ危機に陥ってばかりいるのか』 ウルリケ・ヘルマン 著

 

 

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■【衝撃】カール販売中止!

菓子大手の明治は25日、人気スナック菓子「カール」の中部地方以東での販売を中止すると発表した。8月生産分から実施する。1968年発売のロングセラーだが、競争激化による販売低迷が理由。

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■うそ~。大好きなのに。

明治さん、考え直して~!!

                   <2017.05.25記>

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2017年5月16日 (火)

■【社会】タバコの健康被害。COPDはなぜ急増したのか?低タール化とフィルターへの疑惑のマナコとiQOSのリスク。

■愛煙家に対する厳しさが加速している。かつては家の中で吸わせてもらえないかわいそうなお父さんの代名詞であった【ホタル族】たちも、マンションのお隣さんの苦情にあって、ベランダでも吸わせてもらえない時代になってしまった。会社も全面禁煙で、いったいどこで吸えばいいんだ!という話である。

まあ、その問題に関しては後で戻ることとして、自分の健康についてである。

やれ肺がんだ、やれCOPDだ、と世の中が脅しにかかっている。

肺がんについては複合的な要因があるだろうから、まあ、置いておくとして、COPDである。これはもう、逃げも隠れもできない明らかなタバコの害だと、本人も理解している。

酸素ボンベを引っ張って、鼻から管をたらしながらトボトボ歩いているおじいさんを見るにつけ、うーん、いつかはやめなければと心に誓うのである。

■けれど、ふと気が付いた。

おかしいぞ。

僕が子供の時代(昭和40年代、50年代)には、こういうおじいさんってまったく見なかったよな。

いやいや、寿命が延びたカラじゃん、なんていう人もいるだろうけど、寿命が延びた一番の理由は赤ちゃんや子供の死亡率が劇的に下がったからで、お年寄りも長寿になっているのは確かだとしても、COPDカートを引きずるおじいさんは70歳くらいに見えるから、これくらいの年寄りは昔も普通に生きていたのである。

そこでCOPDの死亡率を調べてみた。

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【出展】一般社団法人 日本呼吸器学会HPより

■これは思った以上に驚きである。

2002年の死亡者は、1966年の死亡者の実に5倍以上なのである。

COPDより先に亡くなるケースも多かっただろうけれども、男女差の大きさを考えると喫煙の影響と考える方が自然で、これは明らかな急増である。

なんとなく、「昔はCOPDの人って見なかったよな」という感覚は、データにおいても正しかったのだ。

ならば、その理由は何か。

昔の人はタバコを吸わなかった?

馬鹿を言ってはいけない。

バカバカ吸っていた。猛烈に吸っていた。四六時中、どこでも吸っていたのである。

タバコがCOPDの原因ならば、まったく訳がわからない。

他になにか理由があるのではないだろうか。

と、考えていてると。。。。

そういや、昔の人は両切りだったな。

■両切りとはゴールデンバットとか、ショートピースとか、フィルターが無くて吸うと唇に葉っぱがくっついて大変な、あれである。

フィルター付きのタバコが広まった正確な時期は良く知らないが、時代考証の入った映画とかを見る限り、戦前は辞書を破って葉っぱを巻くようなシーンがあるし、兵隊さんが戦時中にいとおしそうに吸うたばこは紙巻だが両切りのように見える。

たぶん、かなりの確からしさで、戦後に海外から入ってきた【洋モク】と呼ばれるものがフィルター付きの走りだろうと思われる。

で調べてみると、いわゆる【洋モク】のフィルター付きのデビューは1952年のケントを皮切りに、L&M、ウインストン、マルボロと1955年までに出そろって、日本では1957年にホープ、1960年に’労働者のたばこ’ハイライトのという感じで、予想通りなのであった。

■いや、いや、でもそれは1950年代の話で、グラフの急増は1976年から始まって2002年でさらに増加でしょ?

と思いきや、

COPDでの死亡者は40代から指数関数的に急増する。吸い始めが二十歳で徐々に本数が増えていくことを考えると原因にさらされてから死亡に至るまで20年あまりの年月が必要ということだ。

つまり、そこには20年程度のタイムラグがある。

そこで先ほどのグラフの横軸の年代から20年を引いてみると、その増加のスタートは1956年。

見事に【洋モク】が出そろった時期と符合する。

ではフィルター付きのタバコがCOPDの原因と言えるのか?といえば、これではまだ、単なる偶然、という可能性もあり、因果関係がはっきりしなければ何とも言えない。

しかしながら因果関係を立証するには素人では荷が勝ち過ぎるので、あくまでも可能性としての仮説を提示するにとどめたい。

なぜフィルター付きタバコがCOPDを悪化させるのか。

そのヒントにたどり着くには、【胸の奥まで吸わなければ大人じゃない】という、わけのわからない指導を会社の先輩から受けた記憶に立ち戻らねばならない。

■学生時代には、かまやつひろしの曲なぞを聞いて【ゴロワースを根本まで吸わなけりゃだめだ】なんて両切りにチャレンジしたものの、さすがにきつくて、まあこれで勘弁してよとロングピースを吸っていた。

けむりを口に含むと濃厚で、芳醇なタバコだった。

けれど会社に入ってから上司に言われたのである。

「オマエ、ふかすだけで胸にケムリを入れてないだろ。子供だな。」

で、思いっきり吸い込んださ。

当然咳き込んだ。

でも悔しいから吸い込んだよ。我慢して。

それからだんだん吸うのがきつくなって、とうとうマイセンの3mmにたどり着いて今に至る。

吸うのは肺の奥まで。思いっきり。

じゃないと満足できない体になってしまったのだ。

■COPDは肺の奥の奥の末端にある肺胞で炎症がおこり、それが慢性化して起きる病気だと言われている。

ならば、肺の奥までタバコのケムリが到達しなければCOPDにはならないはずである。

要するに私の仮説は、両切りの時代には、タバコとはゆったりと口に含んでくゆらせ、鼻腔で味わうものであり、COPDを発症するに至るリスクは極めて低かったのではないか、ということだ。

一方、フィルターで抵抗のあるタバコを強く吸引すれば、すっと肺の奥にケムリがなだれ込む。

強いフィルター付きのタバコをくゆらすことも可能だけれど、胸の奥まで吸い込むのが男だ、的な迷信もあって、タバコとは、せわしなく吸引するものとなってしまった。

急に吸い込めば火種への流入空気量も増加して燃焼温度も増加するだろうし、よくわからないけれど、発生する物質に変化があっても不思議ではない。

さらにフィルターが濾しとるのは粒の大きな粒子であって、微細な粒子は何の抵抗もなく肺胞にたどり着くという寸法だ。

■これがCOPD急増の原因だと断定するつもりはない。

あくまでも私の立てた勝手な仮説である。

けれど、もしこれが正しいとすると、実にまずい。

1990年代だったと思うが、健康志向でタール1mgのタバコがはやり始めた。

今や、ヘビーなタバコを吸う喫煙家の方が珍しいくらいのマイルド志向。

しかし、1mgのタバコが健康にいいなんて思っている素人は最早かなり少なくなっているとは思うのだけれど、この仮説の通りならば、むしろ低タール、低ニコチンのタバコの方がやばい。COPDへの地獄の新幹線チケットとなる可能性すらある、ということだ。

■低ニコチンタバコであれば、体は早く!早く!とニコチンを求めケムリを急速に肺胞に導こうとする。低タールだから刺激もすくなくて肺胞ちゃんも、まあ、その時は受け入れてくれる。

けど、ケムリに含まれる物質は肺胞を強く、容赦なく攻撃するだろう。

原因はニコチン、タールだとは限らないのだ。

と、するなら紙巻タバコにフィルターがついた事例と同じように、低タール、低ニコチンタバコが、COPDの第二の急増要因になってもおかしくないということだ。

どこかの医療サイトをみると2020年には男性の死因の第3位はCOPDになるらしい。

その25年前はというとそれは1995年で、まさに低タールたばこが一般に広まっていった時期に当たる。

うーん、予想よりずっとCOPDの死亡者が増えそうなんだけど。。。。こういう予想は外れてくれた方がよいのかもしれない。

■さて、時代は受動喫煙防止である。2020年の東京オリンピックに向けた全面禁煙である。

そういう時代背景の中ですっかりおなじみなったのが電子タバコのiQOSだ。

開発したフィリップモリス曰く、有害物質の9割をカットなんだそうで、実際部屋の中で吸っても家族から文句も出なかったから、まあ、少なくとも周囲への影響は少ないのだろうな、と思われる。

けれど、吸っている本人への影響はどうだろうか。

確かにニコチンは入ってくる感じなんだが、圧倒的に物足りない。

たぶん悪いものは少ないんだろうけれど、タールを感じない物足りなさで、つい胸の奥まで吸い込んでしまう。

あ、これって!!

もしかすると、一定の吸引力でのフィリップモリスの測定実験に対して、実際に思いっきりiQOS吸引してみると有害物質ってものすごく増えるんじゃないだろうか。

いや、さっき試したときも少し咽たし、長年タバコを吸ってきた感覚的に健康に影響がないという気はあまりしない。

むしろ、吸い込みすぎがCOPDを悪化させたりやしないか、というのが心配のポイントなのである。

ハツカネズミの実験データでは、肺の炎症レベルで言うと、タバコからIQOSに切り替えた個体は、無喫煙マウスのレベルにすぐに低下するらしい。

とはいえ、実験なんて、主張したい内容に向けて如何様にもなるんだし、その研究機関にフィリップモリスの息がかかってないなんて誰もいえないだろう。

■私の仮説が正しいかどうかは分からないけれど、妙な確信めいたものはある。

このままマイルドなタバコを吸い続けるのはCOPDの観点から、極めて危険であるということだ。

タバコを吸い始めて早30年。

そろそろCOPDに襲われてもおかしくない時期である。

そういえば、最近、肺に痰がたまってゼロゼロする。

もしかしたら、もうダメかもしれない。

でも禁煙なんて出来そうもないし、

仕方ない。

明日から両切りのピースでも試してみようか。

タバコは肺に吸い込まない。

濃厚な香りをくゆらせる、

なんとかそういうやり方で許してもらえないものだろうか。。。。

                  <2017.05.16 記>

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2017年5月11日 (木)

■【社会】国公私大のAO入試、学力試験義務付け。文部科学省はほんとうに死んでいる。

書類や面接で評価する国公私立大のAO(アドミッション・オフィス)入試や推薦入試について、文部科学省は、2020年度から学力を問う試験を義務付ける方針を固めた。 一部の学生に学力不足が指摘されており、一定の学力を求めるのが狙い。

■2014年の大学入学者は、AO入試9%、推薦35%なのだそうだ。

まあ、こうやって均してしまうと何が起きているのかよくわからないのだけれども、大学に行くのは金さえあれば難しくないということだ。

要するに子供の数は減っていて、とはいえ大学に行ける経済力のある家庭は一定の割合(進学率5割)であるからには、大学の数と定員が減らない限り、大学に入るのは楽になっている。大学側も通常入試ではなく、AOや推薦で学生を確保したくなるのは必定なのである。

大学生の学力不足が本当だとしても、大学のアドミッション・ポリシーに共鳴する学生を学力テストに依らずに集めるのが本質であるAO入試に学力テストを義務付ける意味不明な対応にはまったくつながらない。

文部科学省はもう何もするな。

引っ込んでろ。

文系排除とか、道徳教科書とか、今回のAO入試改悪介入とか、

やることなすこと意味不明どころか迷惑千万。

文部科学省は旧科学技術庁を分離して存続させたうえで、いますぐ解体した方が日本のためだろう。

もし、これが国民議論を深めるためにわざと本質とは逆の政策をかかげる高度な作戦だとするならば、、、、

いや、まさかね(笑)

                   <2017.05.11記>

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2017年5月 8日 (月)

■【社会】安倍首相、憲法改正案提示。。。改憲出来るチャンスだから変えるって、絶対おかしいだろ!

安倍首相が2020年に憲法改正を行いたいと意欲満々なのである。

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■8日の衆院予算委員会で、憲法改正の意図を問われて、首相としては答えられないので自民党総裁として読売新聞に書いてある内容を見てくれ、と答弁し、ニュースとなっている。

安倍首相も、総理大臣が憲法を否定することの問題を意識しているということだから、まだ健全なのかもしれない。

で、何を言っているかと、5月4日読売新聞朝刊4面のビデオメッセージ要旨を読むと

・憲法改正は国会にしかできない、今、その時期にある。

・9条1項、2項に対し、3項を追加して自衛隊を定義し、議論の余地のないものにする必要がある。

・国の未来を議論する上で教育は重要、高等教育も国民に開かれたものにしなければならない。

・2020年の東京オリンピックの年に新しい憲法を施行したい。

というものだ。

■現在、衆参ともに改憲勢力が3分の2を超えており、憲法改正の絶好のチャンスである。

安倍首相の任期を考えれば、2020年が確かにその期限となるだろう。

9条を変えるのではなく、3項を加えるという「加憲」で、一般にも受け入れられる工夫もしよう。

日本維新の会が掲げる「教育無償化」を取り込んで、改憲勢力の盤石化を図ろう。

そういう、なりふり構わない、絶対改憲したい!、という安倍首相の強い意志がそこにある。

■いや、ちょっと待て。

という話である。

昔、寺山修司が言っていた。

「門番を雇ったので、門番に似合う立派な門を作りました。」

そういうことだ。

本末転倒なのだ。

 
憲法を改正できる状態を作り出せたから憲法を変えなければならない。

 
意味がわかりません。

違憲かどうかの判断はどうであれ、今の日本国憲法下で自衛隊は長い歴史を刻んできた。それは、

「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

という意味に生存権、自衛権は含まれない。という解釈で進んでいるということだ。一部の憲法学者が自衛隊は2項の「戦力」にあたると言っても、1項に自衛権が含まれないならば、自衛権のための戦力は2項に制限されない、というのは日本語が読める人ならば間違いようがないだろう。

■確かに、自衛隊が実際に自衛戦争をしようとしたときに法的な問題があるのは事実だろう。

けれども、それは憲法ではなく、自衛隊に関わる法律の問題だ。

憲法の役割は、細かい定義をすることではなく、その根幹となる考え方を定義することだ。

そこに勝手に「小屋」をつぎ足す意味が分からない。

1項で、どういう思想をもとに、どういう戦争を放棄するのかを定義し、2項で(前項の目的を達するため)「戦力」と「交戦権」を放棄する。

今回追加する3項で、認められる戦争と、そのための戦力としての自衛隊を定義する、

ということなのだろうが、それならば「認められる戦争」=「自衛」とは何かを定義しなければならない。

そうすると、1項と3項が同じ内容の裏と表を語ることになり、これは二重定義だ。論理矛盾が生じるリスクが極めて高い。

「加憲」は、「改憲」よりもむしろ、何を言っているのかよくわからなくなる可能性を含んでいるのだ。

ミサイル防衛を考えるならば、最適なのは発射される前に敵のミサイルサイトを破壊することである。

これは「自衛」なのか。

YES。

と言いたい人が多いのだろう。

それが出来てこそ普通の国であると。

■しかし、「国際紛争を解決する手段としては、これを永久に放棄する」という1項を考えるならば、認められない可能性が高い。

敵のミサイル基地を攻撃する能力は、「国際紛争を解決する」抑止力となるからだ。

隣国の状況が丸見えになるTHAADの遠距離レーダーはどうだろう。隣国のネット環境にアクセスする能力はどうだろう。

もちろん、それらは「生存権」の範囲に入るだろう。

けれど、同時に「抑止力」にもなるのだ。

物事は白と黒にはっきりと分かれるものではない。

だから、自衛隊を定義する項目を憲法に加えることは、さらなる混乱を導くのである。

最低限の簡潔な条文であることが、簡単に改憲することを想定していない「硬性憲法」である日本国憲法の神髄なのだ。

だからこそ強い。

状況の変化に対しては解釈でうまくやり、法律で定義していけばいいのである。

変えられるチャンスだから改憲しなければ!

という安直で本末転倒な考えは、日本国憲法の本質について本気で考えたことのない証拠なのである。

ましてや、

「教育無償化」で改憲しよう、

なんて、まったくお笑いであり、お話にならない。

読売新聞を読め!

なんて、本質的問題ではないのである。

マスコミも国会もしっかりして欲しい!!

                  <2017.05.08記>

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2017年5月 4日 (木)

■【社会】韓国政府 慰安婦問題めぐる報告書を発刊。平気で約束を破る人たちとの付き合い方は冷徹な戦略に基づく方がいい。

韓国大統領戦の候補者すべてが慰安婦に関する日韓合意を反故にすることを主張している。そんな中、韓国政府は、民間報告書という(姑息な)カタチで少女像の撤去を求める日本の主張を合意に関する曲解であるとした。

韓国にとっての日韓合意とは、

日本は謝罪し、それをカタチにする意味で10億円を支払う、

韓国は、出来る限りのことをする、

ということらしい。

文書がないのだから、どうとでも言えるということだろう。

自分で持ち出した「不可逆」って言葉の意味を知らないのだろうか。

 

もうどうでもいい。

と思いつつも、こういう約束すら守れない人たちに対して、これからどうするかについて日本人はしっかりと考えておかないといけない。

隣人がおかしい人だからといって国ごと引っ越しするわけにはいかないからだ。

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■ゲーム理論のゲームの一つに「囚人のジレンマ」というものがある。

共同で犯罪を行ったと思われる囚人A、Bを自白させるため、検事は2人に次のような司法取引をもちかけた。

・もし、お前らが2人とも黙秘したら、2人とも懲役2年だ。

・だが、お前らのうち1人だけが自白したらそいつはその場で釈放してやろう(つまり懲役0年)。この場合自白しなかった方は懲役10年だ。

・ただし、お前らが2人とも自白したら、2人とも懲役5年だ。

 

お互いに黙秘するのが一番いいのだけれど、相手が自白するかもしれない、という疑念がゲームを面白くする。

それを無限に繰り返すゲームの世界大会で優勝した戦略が「しっぺ返し戦略」である。

【しっぺ返し戦略】

・1手目は協調を選択する。

・2手目以降のn手目は、(n-1)手目に相手が出した手と同じ手を選択する。 例えば2手目の場合、1手目に相手が協調を選択していたら協調を選択し、1手目に相手が裏切りを選択していたら裏切りを選択する。

 

■北朝鮮とのゲームのような深刻さは韓国との間にはないわけで、最適値を探る、こういう戦略が良いのだろうと思う。

とりあえず、次の手は少なくとも「協調」ではなさそうだ。

言うまでもなく朝鮮半島は中国、ロシアという大国が日本に直接脅威を与えないための重要な緩衝地帯である。

そのために日清戦争と日露戦争を日本は戦ったのだ。

相手がどうこう、という感情論以前に、朝鮮半島が(形だけでも)独立した国であるということが日本の防衛にとっての最重要事項なのである。

冷静に、いや、冷徹に対処したほうがいい。

                   <2017.05.04記>

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2017年5月 1日 (月)

■【社会】NHKスペシャル『憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた 』、憲法は「こころ」が組み込まれてはじめて機能するものなのだ。

憲法を語る季節がやってきた。

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■NHKスペシャルの内容は、新たな資料をもとに平和憲法はマッカーサーの押し付けであるという従来の考えを覆すものだった。

戦後初の国会での昭和天皇の勅語。

それは、これからの日本は平和国家を目指すという明確なメッセージであった。

その勅語も草案第一稿は国体の護持を打ち出すもので、それが東久邇宮首相の意見により平和国家という考えに切り替えられた。

東久邇宮は皇室の意見を確認していたというから、当時いち早く憲法改正についての調査を命じていた昭和天皇の意見を反映していたことは想像に難くない。

この勅語が戦後の日本の空気を形作ったのだ。

■(幣原首相が天皇制の維持とともに提案した)戦争放棄をマッカーサーがGHQ案として新憲法の草案を押し付けたのは事実だが、そこには「平和」の文字は存在しなかった。

憲法改正の作業を行う国会の秘密部会がこのドキュメントの要だ。

「戦争放棄、というだけでは押し付けられてしかたなくとか、戦争はもうこりごりだとか、そういう後ろ向きの感じがいなめない。そうではなく、日本が主体的に平和を望む、そういう形にすべきではないか」

社会党の議員のこの発言に、全員が賛同する。

各政党、各派入り乱れての論議の場であるものの、意識としては一致していたのだ。

そうして、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」という「姿勢」が追加されたのである。いわゆる芦田修正だ。

その背景には昭和天皇の勅語があって、当時の国民意識というものも、まさにそこに寄り添うものであったに違いない。

そうして、憲法9条が出来上がった。

 

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

■日本国憲法は押し付け憲法だから、、、、などという人たちに対しては、「だからどうした?」といつも思う。

今回のNHKスペシャルも、昭和天皇の勅語や、ご幼少の今上陛下が書初めで「平和国家建設」と書いたものを出してきたり、幣原のマッカーサーへ提言とか、芦田修正とか、そのほかの日本人によるGHQ草案に対する修正などを挙げていき、穿った見方をすれば、日本国憲法は押し付け憲法などではない、という誘導ともとれる内容であった。

それをあげつらう人たちが出てくるのは十分に想像できる。

いろいろ並べたところで所詮押し付けなのだと。

けれども、憲法というのは法律ではあるものの、国家のカタチを規定するという意味で、その精神性がなければ全く意味がない。

もし日本国憲法が無味乾燥な条文の羅列による「国家の規定」であるならば、そんな魂のない憲法は憲法たり得ない。

当時の日本人がGHQ草案を受け入れながら、未来をどう作っていくかという精神性を注入する血のにじむような努力があったからこそ、我々はそれを受け入れ、それを70年も守ってきたのだ。

■もし、憲法改正が必要ならば、改正すればいいと思う。

けれども、それは「普通の国」でないから、

などという、「みんなスマホ持っているよ!」的な小学生並みの程度の低い議論で行うべきではない。

憲法改正に必要なのは「世の中の状況が変わったことによって、こうありたいと願う新たな日本の未来の姿」とそれに対し「そうだよなあ」と国民全体が心の底から思える感覚である。

それが憲法の精神性の意味だ。

繰り返すが、「ほかの国はみんな」とか、「押し付けだから」とか、そういうことは本質ではなく、現在の憲法にわれわれ日本人の今の精神性と合致しているかどうか。

それがすべてである。

もしそれを無視した正統性とか合理性を根拠に改憲を打ち出すならば、それはもはや革命だ。

今の日本の方向性に不満のある人は大勢いるかもしれないが、国のカタチをひっくり返すような革命に賛同する日本人はほとんどいないだろう。

いまある不満はあくまでも方法論に対する不満であって、目指す理想と精神については日本という国の中では、さほど大きなブレは感じない。

要するに、慌てていま改憲する理由など見当たらないということだ。

憲法とは、われわれのこころの在り方なのだ。それは戦後70年でそれほど変わったと思えないし、それは戦争を体験した世代が願った未来の延長線上にわれわれが生きている明かしてもあるのだ。

                     <2017.05.01記>

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2017年4月26日 (水)

■【社会】北朝鮮危機。「まあ、大丈夫だろう」と、何もしないのが最悪の選択肢。ルトワック博士の日本への提言。

■25日の北朝鮮の軍の創設記念日には結局、核実験もミサイル発射もなく、胸をなでおろした金融市場は高騰している。

しかし、本質的な問題はまったく解決しておらず、緊張はますます高くなっていくばかりで、「まあ、大丈夫でしょ」という根拠のない楽観論は取返しのつかない悲劇を避ける努力を怠るという意味で犯罪的であるとすらいえるだろう。

■今の状況を動かす3人の主役を表すキーワードは「面子」である。

北朝鮮の金正恩の権力の正統性を維持し続けるためには「面子」を守り続けるしかないし、一方のトランプ大統領も政権初期にしては異例の低支持率を挽回するためにアメリカ人らしいガッツを見せて結果を残さなければならない。さらに中国の習近平も権力の移譲を前に「面子」を失うわけにはいかない。

そんな面子の三竦みのなかで事態は進行していき、もはや戻ることの出来ない地点にまで来てしまったようにも見える。中国による経済制裁が実効性のあるものとして行われたとしても、アメリカが求める「核実験の停止と査察受け入れ」、「ICBM開発の廃棄」というゴールにたどり着くことはないだろう。それは、北朝鮮が負けを認めることと同義であり、金王朝の「権威」を地に落とすことと同義であるからだ。

この数か月のうちに戦争が起こらなかったとしても、事態はむしろ本質的解決を先延ばしにしたまま、爆弾が中国を巻き込む形で大きく成長していくことになるのは目に見えている。

■そんななかで、ある記事を目にした。

戦略家で元ホワイトハウス国家安全保障会議のメンバーであったエドワード・ルトワック博士の提言だ。

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(文春新書の新刊『戦争にチャンスを与えよ』の宣伝記事)http://bunshun.jp/articles/-/2191?page=1

この太い腕をみればわかるように彼は単なる学者ではなく、軍人として作戦にも参加したことのある実践家だ。

そのリアリストの主張の要点は、「戦争はその火種が消えるか、一方が完全な消耗に至るまで収束しない」という点だろう。

その結果、戦争状態下では、平和を回復しようとする努力はむしろ戦争を長引かせ、被害を拡大させることになる、ということだ。

戦争反対、というのは正しいけれど、悲しいことに世の中には戦争は実在する。

あるものに「反対!」といったところで意味不明で、どうやればそれを避けられるのか、どうやればそれを早期に収束させられるのか、ということこそ、きわめて具体的にリアリスティックに語られるべきことなのだ。

■では、今回の北朝鮮危機についてはどうか。

ルトワック博士は日本が取るべき道について、「何もしないのは最悪の選択」としたうえで二つのオプションを提示している。

ひとつは降伏戦略。

北朝鮮の意図は金王朝の安定的継続をいかに確保するかにある。

それを全面的にみとめ、日本からの送金も物資も全面的に許可し、六本木に豪華な大使館を作ってしまえ、というのだ。

あり得ない!

というオプションではあるが、心情的問題を排除してしまえば、論理的には筋は通っていて実現可能なオプションであるところが面白い。

■もうひとつのオプションは先制攻撃戦略。

相手が打って出る前に、とっとと消し去ってしまう、という作戦だ。

もちろん、北朝鮮も反撃するから、日本本土へのミサイル着弾(化学兵器も含め)も十分に考えられるし、こちらも多くの血を流す可能性があることを覚悟しなければならない戦略である。

日本は現時点でこのような打撃力はもたないから、実際には米軍の作戦に承認を与えるという政治的決断を意味することになる。

実際には1000発のトマホークを北朝鮮の各拠点にぶち込みつつ、何箇所かの金正恩の隠れ家と思しきところにバンカーバスターを投下。同時にネイビーシールズを送り込んで金正恩の死を確認する、という段取りになるだろう。

初動の段階で、どれくらいの反攻を許すかが問題で、ソウルは無事では済まないだろうし、破壊を逃れた移動式ミサイルによって日本本土に被害が及ぶ可能性も高い、そういうシナリオである。

■あまりにも極端で、どちらも取りにくい選択である。

けれども逆に言えば、もうそれくらいしか手は残されていない、ということだろう。

大切なのは先をにらんだ選択を行うことだ。

朝鮮半島が安定する未来についてのありうる姿は、やはり二つ。

金王朝を国際社会のなかに受け入れてともに歩む決意をすること。

金王朝を完全に削除して、金正男の息子を立てるなりをして、新しい政権を樹立させること。

この二つの安定的未来につながるのが先の「降伏戦略」と「先制攻撃戦略」だ。

選択肢の中身だけで判断をしてはいけない。その先を見なければ判断をあやまってしまうだろう。日本はこういう戦略的判断はへたくそのように見えるので非常に心配だ。

いや、むしろ日本が取りそうなのは、ルトワック博士が最悪の選択といっている「何もしない」という道だからこそ、そこが問題なのである。

■アメリカは韓国国内にTHAADの配備を開始したようである。

THAADの長距離レーダーの配置は中国の腹の中を直接覗き込むような行為であって、中国にとっては戦術的には到底受け入れられないことである。

中国がアメリカとの戦争を回避すべく、わざと自分の腹を覗かせるという高度な戦略的政治判断をしなければ、いま北朝鮮の対応で同じ方向を向いているトランプと習近平が再びたもとを分かつことになりかねない。

今、北朝鮮に対して経済制裁のみでいこうとするならば、金正恩が先制攻撃の手に出る可能性(かつての大日本帝国がそうだったように)が高まるだけでなく、米中の疑心暗鬼が将来の戦争の範囲を拡大してしまう、という事態を導いてしまう。

安全策としてありうるのは、表向きだけの中途半端な制裁で金正恩を生き延びさせるという道だが、それは今までの道のりであって、それがアメリカへの直接打撃の能力獲得まであと一歩という今の事態を引き起こしたことを考えれば、それこそ最悪の選択となるだろう。

■トランプ大統領は良くも悪くも、決断し、実行する人物のようである。

Xデイは、さほど遠くないのかもしれない。

そのなかで日本はどういう道を選ぶのか、或いは、当事者であるにも関わらず蚊帳の外に置かれてしまうのか、 どうも後者のような気がしてならない。

アメリカの利益と日本の利益は同じではない。

だからアメリカの決断には絶対に日本は関与すべきである。

ことの性質上、表には出るはずのないこの交渉ができる人材が日本にはいるのだろうか、ただただ祈るばかりである。

                  <2017.04.26 記>

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