●8.社会・報道・ドキュメント

2017年8月 4日 (金)

■【社会】戦前の人の寿命って45歳って本当なのか?平均寿命のトリックと人間の寿命について考える。

現在の我々の寿命は80歳で、戦前は50歳以下だった。なんてよく聞くけど本当なんだろうか?だって、昔話だっておじいさん、おばあさんが平気で出てくるじゃん。おかしいよね?と思って厚生労働省の資料をグラフ化してみた。

20170804

■結果、想像以上に面白いことがわかった。

平均寿命の定義は、0歳平均余命。つまり、おぎゃあと生まれた赤ん坊が平均であとどれくらい生きるのか?という平均値なのだ。

当然、抗生物質のない戦前の乳児死亡率は高いわけで、平均寿命は乳児の死亡率に思いっきり引っ張られる。

だから、20歳とか40歳の平均余命の推移が分かれば、無事に成人した人が何歳くらいまで生きたのかがわかるだろう、そう思ってグラフを作成してみたのである。

■上のグラフは明治24年以降の0歳、20歳、40歳、65歳、80歳それぞれが平均で何歳まで生きたか(年齢+平均余命)を示したものである。(男性)

予想通り、20歳まで生き残った人は明治時代においても60歳、40歳まで生き残った人は65歳くらいまで生きている。

つまり無事に成人した人は還暦まで生きるのが普通だったということだ。

思い出してみよう。平均寿命の定義は、0歳平均余命。上のグラフで言うと一番下の青い折れ線だ。確かに戦前の平均寿命は50歳以下で、戦後にぐいぐいと上昇していく。

僕らはこれを見せられていたのだ。。。

うーん、やっぱそうだよね。ここまでは想定内。

だが、びっくりしたのは80歳まで生きた人の寿命である。

■再び上のグラフの一番上の80歳の水色の折れ線を見てみよう。

なんと明治時代から85~90歳と安定して推移しているじゃないですか!

つまり、大きな病気をしないで80歳まで生きた人は85歳まで普通に生きていた。しかも、それは平成の世になっても90歳以上には伸びない、ということだ。

で、江戸時代の有名人をしらべてみたら、葛飾北斎は90才、杉田玄白85才、貝原益軒85才、滝沢馬琴82才、上田秋成76才、良寛74才、伊能忠敬74才、徳川光圀73才、近松門左衛門72才なのだそうで、やっぱり江戸時代でも80歳まで平気で生きていらっしゃる。

平均寿命=0歳平均余命ってことを意識していないと、江戸時代も明治の人も50歳でなくなっていた、だって織田信長も人生50年ってうたってたもんね。なんていうとんでもない勘違いをしてしまうのだ。

昔は病気も治らなかったし、栄養状態も悪かったからね、現代は圧倒的に健康になって、老人の寿命もどんどん延びていくんだね。

という理解は、全体としては正しいのだけれど、【寿命】というものを「人間は健康であれば何歳まで生きるのか?」と定義するならば、それは大きな間違いだ、ということだ。

僕らの寿命は、明治も今も90歳弱。(ちなみに女性の80歳平均余命は今回グラフ化した男性の場合の+0~2歳)

【結論】 大きな病気にかからず健康に老いた場合の人間の寿命は90歳くらい。それは明治時代も今もさほど変わらない。どれだけ医療や栄養状態が良くなっても90歳程度で老いて死ぬ。人間って、そういう風にできているのだ。

 

だから、娘よ。

ずいぶん先の話ではあるけれど、

ぼくが90歳になって死にそうになったとしても、無理な延命処置で管とか突っ込んだりしないで静かに枯れるように死なせてね。

自然がいちばんなんだから。

                        <2017.08.04記>

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2017年7月24日 (月)

■【社会】『AIに聞いてみた。どうすんのよ!?ニッポン』 AIのヒントでたどり着く以外な事実。調べてみると常識が覆されて面白いね。なんか、今のニッポンって実はそんなに悪くもないのでは?

社会に関連する膨大なデータの相関をAIが分析した結果をながめる番組。

アプローチも結果も面白く、思い込みによる硬直した議論を打破する上で画期的ツールになりそうだ。

特にNHKの誘導をかわすマツコの冷静な分析が素晴らしかったけど、バナナにこだわるのはまずいって(笑) (注:バナナについては一番最後に!)

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■AIの提言がなかなか面白い。

1.健康になりたければ病院を減らせ

2.少子化を食い止めるには結婚よりもクルマを買え

3.ラブホテルが多いと女性が活躍する

4.男の人生のカギは女子中学生のぽっちゃり度

5.40代ひとり暮らしが日本を滅ぼす

それぞれに、ああそういう見方があるんだね。どうも背景にはこういうことがあって、だからこういうことの影響が大きいのか、なんて気付きがあって、あたらしい視点が誘発される。

■具体的にどういうアウトプットが見られるかといえば、下図のとおり。

例えば、「健康になりたければ病院を減らせ」というのは【病院数】が減少すると連動して変化する項目が抽出され、【65歳以上死亡者数(男)】が減り、【趣味・娯楽平均時間】が増える、という具合。

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うーん、なるほどね。

具合の悪い人のために病院を増やすという受け身の対策よりも、病院を減らすことで逆に社会に出ていく人が増えていくという今までになかった逆回転の発想。

それもありだね!

という感じ。

■その一方で、【病院数】が減少すると、【バナナの購入額】が増え、【50m走女子】のタイムがよくなる。なんて、もう、さっぱり分からないものまで出てくる。

しかも、この手の複雑系ではリンク(腕)の多いノード(結節点)、いわゆる「ハブ」がそのネットワークの重要なカギを握るものだけど、それから考えれば、【バナナの購入額】は【65歳以上死亡者数(男)】より影響力を持つらしい(笑)。

この図に相関係数をつけてもらえるといいんだけど、やっぱり複雑すぎて、全貌を正しく理解するためには表現方法を研究する必要がありそうだね。

そこがうまくできないと、【風が吹けば、桶屋が儲かる】的な理解になって、ああ、景気をよくするためには風が吹いたときに砂塵が舞うように舗装道路はやめればいいんだね、みたいな変な話になってしまうわけだ。

■それが強く出てしまったのが

【少子化を食い止めるには結婚よりもクルマを買え】

だと思う。

【少子化】減少―【工業製品付加価値】増―【高額工業製品購買額】増

ってなリンク構成だったかな。

それをもって、クルマという【高額工業製品】を買うと、【少子化】が止まる、というのはおかしいよね。

【結婚数】との相関関係がないのは、経済的余裕がない、ということだろうと想像できて、車が売れれば、経済的余裕も上がって子供を作れるようになる。

という解釈なんだけど、それってアベノミクスの思想と同じで、企業が儲かればお金が消費者に回ってきて消費が回復する、という過去の幻想にとらわれた発想でまったく説得力がない。

■だって、90年代初頭にバブル崩壊の余波が世間に流れ出し、そこから今の長期デフレにつながっているわけだけど、その間にクルマは一気にハイブリッド車が普及して、車種もセダンからミニバン、SUVに切り替わり、クルマ以外でもパソコンはものすごい勢いで普及し、ブラウン管のテレビは消え去り、携帯も一人一台の時代になって、さらにスマホにほぼ買い替えられた。

でも、デフレは変わらない。

何が起きたかと言えば、価格破壊だ。

新しく生活に入り込んできたパソコンにしても、80年代のデスクトップなんて30万円以上したよね。それが今ではかなりの性能のパソコンでも3万円で手に入る。

ハイブリッド車だって、別に500万円で買っているわけではなくて、クルマの値段は高くても200万円台という構図は変わらない。そのなかで高付加価値が進んでいるのだ。

クルマはまだ国産優位だから、シャープみたいな事態には陥らないけれど、これからEV化、自動運転化というなかで多業種や中国なんかもどんどん参加していく構図のなかで、自動車業界でのシャープが現れてきてもおかしくはない。

ようするに、今後、自動車に再び買い替えブームが訪れても、それ以外の、パソコンとかスマホみたいな【新しい何か】が我々の生活に入ってきたとしても、それによって【消費マインド】は変わらないし、【少子化】を食い止めることにもならない。

今回のAIのデータの評価にこの20年間の社会構造の変化が織り込まれている様子は無くて、それを評価分析するのは人間の仕事だ。

AIのはじき出した【構図】の裏を想像しなくてはならなくて、それを怠って、データを鵜呑みにすれば、【風が吹けば、桶屋が儲かる】のわなに容易にはまってしまうのだ。

■では、これを踏まえて、今の日本を少し眺めてみよう。(グラフはクリックして拡大してみてください。)

●まずは、生きていけないほどの極貧について。

最近、貧困化が叫ばれてるから、【餓死者数(死因:食料不足)】と【ホームレス】の推移を調べてみた。

これをみるとバブル崩壊で餓死者は4倍にはね上がり(それでも80人)、2000年くらいを頂点にして2010年にはバブル期くらいにまで低下している。

ホームレスについては、昼間に目視で調べているから実数は考えないとしても、傾向としては2003年から2017年まで5分の1ちかくまで減少している。

どうやら極貧のピークはバブル崩壊直後10年くらいにあって現在はそれが解消に向かっているようだ。

・餓死者数(死因:食料不足)推移

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(出展:厚生労働省「人口動態調査」より、こころーたすさん作成)

・ホームレス数推移

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(出展:厚生労働省「ホームレスの実態に関する全国調査結果」社会実情データ図録さん)

●次に「苦しさ」について

でも、時代の閉そく感は言われていて年間3万人の自殺者がでていて大変な事態だと言われていたが、そこはどうか。

自殺者については、1978年から1982年まで2万人くらいだったのが、1983年から1988年のバブルの時代に2万5千人近くに増加、その後1991年まで2万人近くまで低下して、1993年から徐々に増加、1998年に一気に3万3千人に跳ね上がる。その後3万人越えの高止まりが続き、2009年から低下し始め、2015年には2万4千人と、1993年あたりの低いレベルに戻った感じだ。

どんな社会でも自殺者はいると考えると、まあ通常の状態に近くなってきたと言えそうだ。

これはちょっと予想外だった。バブル崩壊と直接リンクしているわけではないし、リーマンショック直後から自殺者は安定的に減り続けている。

これって貧困の固定化っていう常識と違うよね。

・自殺者数推移

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(出展:警察庁自殺統計データより厚生労働省作成)

●で、「なんで自殺したの?」と調べてみると、どうも構造的な変化が起きているみたい。

ピークの2009年(リーマンショックまっさかり)と低下の真っ最中の2014年を比較してみる。

         2009年     2014年    差  
健康問題  15,802人   12,920人  ▼2、882人
経済問題   8,377人    4,144人  ▼4、233人
家庭問題   4,117人    3,644人  ▼  473人
勤務問題   2,528人    2,227人  ▼  301人
 

ここから見えてくるのは、全体の半数近くを占める健康問題での差は比較的少なく、圧倒的に経済問題を理由とした自殺が減少している。2014年時点でピークの頃の半分以下ということだ。

経済的に追い込まれて、っていう人はまだまだ多くて、つらい格差社会が続いているという印象は、このデータからは受け取れない。

・自殺原因推移

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(出展:警察庁自殺統計データより内閣府作成)

●景気について

じゃあ、経済の実態ってどうなのよ。

何しろ食っていけるかどうかの話だから、まずは失業率である。

バブル崩壊直後の2%ちょいから増加し始め、2003年にピークの5%越え、ITバブルで一旦下がるものの、2008年のリーマンショックで5%に戻る。

けれど、それからの回復は順調で現在の失業率は3%くらいで1988年のバブル期と同じレベルになっている。

これって自殺者の推移とピタリとあてはまる。

すごいね。

【自殺者数】と【失業率】の相関関係はかなり強いといえるだろう。

もちろん、失業率に就職活動をしていないニートは含まないけど、食っていければ自殺するほどではない、ということだろう。

・失業率推移

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(出展:IMF - World Economic Outlook Databases (2017年4月版)より、世界経済のネタ帳さん)

●で、次に生活保護受給者数を見てみる。

生活保護受給世帯は長らく60万世帯くらいで低かったけれど(ひと世帯の人数が多かったから受給人数は多かった)、景気拡大とともに1985年のバブルのピークで80万世帯くらいに拡大、バブル崩壊で増加すると思いきや、ここでも【自殺者数】、【失業率】と同じく低下に転じ、1995年頃から増加、ここから違うのは一貫して2014年まで急増が続く、というところ。

2014年には受給者の増加は止まったようで、現在は減少に転じているかもしれない。

問題はその内訳で2004年と2014年を比較すると、全体の増加率が1.6倍、高齢化世帯1.6倍、母子家庭1.2倍、障害者世帯1.3倍に対して、その他の世帯≒稼働年齢層、つまり働いている世代の家庭で3倍に膨れ上がっているということだ。

失業率は改善しているのだから、働いてはいるもののかなり収入が少ない、ということだ。

だが、それも増加率はマイナスに転じているから、定収入世帯は安定期から解消に向かいつつあると読める。

2016年の数値を見ると総数は若干増えて最高値だけれど、高齢者の増加(全体の51.3%←2014年、47.2%)が原因で、そのほかの世帯は減少している。

生活保護に関しては、経済格差とか不況の影響というよりも、高齢化による構造的問題というシンプルな構図になったようだ。

・生活保護受給者数

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(出展:社会・援護局 保護課 資料H27年)

●経済指標について

アベノミクスが大好きな、GDP成長率、インフレ率、日経平均についてみてみよう。

GDP成長率は1988年のバブル最盛期に7.15%を記録、その後、0~2.5%が続き、リーマンショックで-5.4%と下げて、反動で+4%を記録したものの(あれだけ下げれば当然だよね)、その後、現在まで1%あたりをふらふらしてる。

インフレ率に関しては、1988年以降、3%を超えることはなく、2014年に瞬間的に3%を記録するが、基本ー1~1%で推移。

日経平均については、バブル崩壊以降、マクロに見れば2万円から1万円のレンジ相場で、アベノミクスで日銀が必死に買いに走ってもどうしても2万円から突き抜けることはない。アメリカのNYダウがリーマンショック後も復活して最高値を更新し続けているのとは対照的だ。

・経済成長率推移(日本、GDPベース)

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(出展:IMF - World Economic Outlook Databases (2017年4月版)より、世界経済のネタ帳さん)

・インフレ率推移

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(出展:IMF - World Economic Outlook Databases (2017年4月版)より、世界経済のネタ帳さん)

・日経平均株価推移(長期)

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●これをどう見るかというと、リーマンショック後の2009年から失業率も自殺数もバブル期のレベルまで一定率で回復している一方で、こういったマクロの経済指標にはそことの相関は強くない、というところだろう。

少なくとも働く世代の極めてつらい状況は、リーマンショックを最後に長いトンネルを脱した。

GDPも、デフレも、日経平均も、実は、さほど関係なくて、それなりに何とか生きていく道は開け始めているように見えるのだ。

給料は安くても、仕事さえあれば、このデフレの時代だから贅沢さえしなければ、まあまあ生きていける。

リーマンショックで膿を出し切った日本社会は低賃金、低消費に完全にシフトして安定してる。少なくとも飢え死にしたり、住む家さえないなんてことは無くなりつつある。

アベノミクスが上手くいったとか、失敗だとか、政府や偉そうなエコノミストがぐちゃぐちゃやっているあいだに、日本人はしなやかに、したたかに、時代に沿った生き方を選んびとったのだと言えるだろう。

はっきり言えば、日経平均なんてどうでもいいのだ。

むしろインフレになったら困る、余計なことをしないでくれ、というのが正直なところだろう。

●じゃあ、もともとの【出生率】と【自動車販売台数】についてみてみよう。

1970年代に2を割った【合計特殊出生率】はじりじりと下がり続け、2006年の1.26を最低値として2015年の1.45まで回復してきた。

経済的なものが理由なら最低値はタイムラグも考えれば2009年以降になるだろう。

【自動車国内販売台数】でいえば、その頂点は1990年であり、長い目で見ると今回の番組のAIの見方が、ここ10年、20年の短期的視野である可能性が見えてくる。

経済成長とか、景気ってのは出生率にはあまり関係ないのだろう。

・合計特殊出生率推移

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(出展:厚生労働省「人口動態調査」より内閣府作成)

・国内自動車生産台数推移

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(出展:日本政策投資銀行資料 2005)

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(ガベージニュースさん)

■では出生率2を達成したフランスはどうか。

フランスは1994年を変曲点に上昇に転じている。確かに1994年に経済成長率の回復があるけれど、それ以降の変動に対する相関は見られない。

・合計特殊出生率推移 日本、フランス比較

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・フランス経済成長率推移

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(出展:IMF - World Economic Outlook Databases (2017年4月版)より、世界経済のネタ帳さん)

■フランスの出生率を上げた理由が子育て世代の女性が働きやすい環境を国家を上げて徹底的に作り上げた、という話らしく、じゃあ、日本はどうなのかと調べてみれば、以下の通り。

・年齢階層別就業率(女性、日本)

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(出展:総務省統計局 )

確かに1993年には30歳になると女性の半数は職場を離れていたのだけれど、2013年には70%が働き続けている。

うちも共働きでひとりっ子。このグラフで言う2003年の世代である。

男女雇用均等法は1986年施行、1997年に一部改正して女性の休日出勤、深夜残業の規制がなくなった。

女性が働くのは当たり前であり、なんで女が会社を辞めてキャリアをあきらめなきゃいけないんだ、という意識が浸透した時代なのである。

もちろん、バブル崩壊以降の非正規雇用拡大に伴う旦那の収入減で、女性も働き続けないとやっていけないという構図もあるだろし、それが重なっての30代前半女性就業率70%なのだろう。

■「日本死ね」

じゃないけど、確かにジジババと離れて暮らす共働きでの子育ては日本ではとても難しいのは実感だ。

女房にはかなり無理させました。ごめんなさい。

少子化は、成熟した社会が女性の仕事による自己実現が当たり前になったときに絶対に起きる問題なのだ。それが避けられない社会構造の問題ならば、それを前提としたうえで社会構造の方で変わっていかなければならない。

バリバリの個人主義のフランスは85%の女性就業率なのだそうで、それで出生率2%が維持できてるフランスは本当にすばらしい。

「クルマを買いなさい」

とか、言っている場合ではないのだ。

でも、まあそれはAIのせいではなくて、読み取る側の問題だろう。

あえて突飛なアイデアを選んでみましたというのは分かるし、今回に限っては、そんなに目くじらを立てることでもないかと思う。

■出生率とか、高齢化とか、たぶんかなり重大な問題なんだけど、【今】という断面だけに意識を向けると、実はそんなに悪くない時代なんじゃないかな、と思い始めてきた。

経済ニュースばかり見てるからか、一向に出口の見えない日本経済なんてフレーズが脳みそに定着してしまっていて、今って、最悪の時代とつい思ってしまう。

でも、飢え死にする人はあんまりいないし、自殺者数も通常に戻ってきて(いや、一人でもいたら悲しいけどね)、給料は安いけど仕事はとりあえずあって、食ってはいける。

昔みたいに海外旅行行ったり、新車買ったりは出来ないけど、逆に、クルマも売っぱらって維持費もいらないし、浮いたお金でうまいもの食いに行って、それをFacebookにアップして、それでまあ満足かな。

っていう価値観だったら、別に不幸せでもないだろう。

■今回の番組で後半、集中的に取り上げたのは

【 40代ひとり暮らしが日本を滅ぼす】

という、有働アナにとっても自虐的なテーマ。

でもさ、確かに『孤独』って、ネガティブな部分もあるけど、まあ、それでいいんじゃないのかな、と思っている人に無理にあがけというのも酷な気がするよね。

上に書いたみたいに、「必死になって高い給料もらえる会社に入って、バリバリ働いて偉くなりたい」って価値観が消えてきて、「まあ、ほどほどに生きていければいいんじゃね?」となるならば、少子化や、独居老人の問題も含めて自然と解決に向かうんじゃないだろうか。

フランスみたいな国家が前面に出て引っ張るやり方もあるけど、「空気」を大事にする日本とは少し違うかもしれないし。

田舎で暮らそうとか、

シェアハウスとか、

どうも、そういう「空気」が生まれてきてるよね。

そうしたら自然と今の日本に蔓延している『孤独』も解消されていくんじゃないだろうか。

たぶん、背水の陣の地方からそれを具現化する仕組みが生まれてくるのだと思う。

もう、40代、50代で十分若いからどうぞ来てください、みたいな。

国が頑張るとしたら、そういう地方の努力の邪魔をしないで自由にやらせて、黒子に徹して支援することだと思う。

そういう意味で、この番組が地方自治体を回ってきた姿勢は素晴らしい。

こういうのは中央官庁じゃできないよ。

■あと、マツコがこれからは農業だと思うと鋭いことを言ったのには驚いたけど、ロケで全国いろいろ回って見たり話しをしたりしてるからそういうことが出てくるんだね。

今回はAIの中でのリンクの話だったけど、日本国中で、いろんなアイデアのリンクがつながると、凄いことが生まれそう。

例えば、今回NHKのAIが作ったリンクを掲示板に張って、日本全国のいろんな人が困ってることとか、それに対するアイデアとか、提示された不思議な関係性に対する実体験に基づく考察だとかが、重層的に書き込めるような仕組みが作れれば、それが思いもよらない成長をしそうだね。

なんか、ぐぐぐだと書いてしまってけど、結論としては、超弩級の可能性を秘めたプロジェクトだと思うので、NHKさん、頑張ってください。

■ところで、【ラブホテルの数】と直接の相関が気になる【バナナ購入数】だけど、調べてみたら1989年に「朝バナナダイエット」なるブームがあって、これが原因臭いね。

・バナナ購入数量推移

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(出展:総務省 家計調査)

女性が元気になる→ダイエットが気になる→バナナが売れる

ということじゃないのかな。

だから【病院数】とか【ラブホテルの数】と直接の相関が出てくる。

マツコの淫靡な想像は外れ(笑)。

調べてみると、納得のいくデータが見つかるから面白いね。普通じゃ思いつかない。

でも、バナナを売れるようにするのが大事じゃないってのは分かるよね。

結局、女性がいかに元気で楽しく暮らせる社会をつくるか、ってこと。

うーん、おっさんとしてはちょっと微妙な結論だけど、まあ、たぶん正しいんだろうね。

さっそく女房にバナナを買い与えることにしよう。

                 <2017.07.23 記>

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2017年7月21日 (金)

■【社会】上西小百合議員と笹原雄一秘書がTBSのビビット生出演。これって炎上商法に対する便乗商法だよねえ。

っていっても、見ちゃうんだけどね。

もう、

キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!  って感じ。

20170721uenishi

■とりあえず、今回はこのツイートで炎上商法みたいだね。

浦和酷い負けかた。親善試合は遊びなのかな。
2017年Jul15日 21:01

サッカーの応援しているだけのくせに、なんかやった気になってるのムカつく。他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ。
2017年Jul16日 20:02

■ツマンネ。

と思って、この人あんまり気にしてなかったんだけど、朝からテリー伊藤が吠えてたから、つい見ちまった。

途中から、アクシデントっぽく笹原秘書も参加して、台本通りなんだろうけど、もう二人の関係が面白くてチャンネル変えられなくなっちゃった。

TBSの思うつぼ。。。(泣)。・゚・(ノД`)

■でもやっぱ、「アホの子をみんなでいじめるの図」って楽しいよね。

まだ現役議員だから「水に落ちた犬」ではないからね。

僕らの税金で暮らしてるんだし、もともと当選2回とも比例復活だから、だれも直接上西議員を選んだわけでもない。

本来なら比例当選なんだから維新の会を除名された時点で議員辞職すべき人なんだけど、本人はまだまだ政治家気どりだからね、こういう厚顔無恥な人間をイジメるのって、ほんとに楽しい。

それをうまくショウアップしたTBSがうまい。

品性は下劣だけど。

テリー伊藤も、上西議員の品格を云々いってたけど、こんな番組で「いじめゲーム」に参加してるあなたの品性も相当に下劣だよ。それを見てこんなくだらない記事を書いてる僕もそう(笑)。

まあ、上西議員が当選しようが、落選しようが、国政には全く影響がないから、安心してみてられるし、まじめに考える話じゃない。

安心して下品を楽しめる話ではある。

みんなわかっててやってるからなあ、やっぱり日本は平和だよねえ。

 

いや、でもさ、国民ファーストの会なんてのが出来て、来年の総選挙で候補議員をかき集めるとしたら、こういう「アホの子」が山ほど当選するんだろうね。

そっちの方がこわいな。。。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

                   <2017.07.21 記>

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2017年7月19日 (水)

■【航空機】第5世代戦闘機T-50/PAK FA。ロシアの戦闘機って、やっぱりかっこいい!戦闘機の正義って「かっこよさ」なんだよなあ。

18日、航空ショー「国際航空宇宙サロン」がモスクワ郊外のジュコフスキーの飛行場で始まった。第5世代戦闘機T-50/PAK FAも出てますよー!

というわけで、改めてPAK FAを見ていきたいと思う。

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■T-50/PAK FAはロシアのスホーイが開発中のステルス戦闘機。ステルス性能はもちろん、スーパークルーズ能力、アクティブ電子走査アレイ(AESA)レーダーと人工知能システム、ヘルメットマウントディスプレイを装備する。ノズルもSu-37でも採用された推力偏向式(スラストベクタリング)。まさに最新鋭の戦闘機だ。

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上面から見ると、機首からエアインテーク上面にかけてのシルエットがF-22みたいだけど、角度を変えるとずいぶんと印象が違う。

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コクピットは上にせり出し、インテーク上面にはLEVCON(Leading Edge Vortex CONtroller:前縁渦流制御装置)と呼ばれるストレーキが設定されている。

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一方のF-22は極限のステルス性能を目指したのだろう、極めてのっぺりとした印象だ。

この違いはどこから来るのかといえば、PAK FAはあきらかに近接格闘戦を意識しているということなのだろう。

Su-27フランカー、Mig-35ファルクラムMは鶴首が特徴的で、PAK FAもステルスとしてそこまでの鶴首はないにせよ、パイロットの視界はかなり良さそうだ。

ヘルメットマウントディスプレイなら、そんなのいらんだろ、という気もするが、それでも直接視界にこだわる頑固な姿勢が、なんともこころを揺さぶるのである。

■そして、なんといってもエアインテーク前のストレーキである。

インテグレートされたカナード翼にも見えてかっこいいのだけれど、機能としてはもちろん、機動時にエンジンへの流入空気が前縁で剥離して推力が低下することを防止するものだ。

スラストベクトリングと合わせて高機動をかなり意識しているのだろう。

現代の空戦は艦船も含めたレーダーシステムと複数の航空機による大規模なデータリンクをもとに、目視圏外からの長距離ミサイルで決まるといわれている。

そういう意味では、近接空戦能力にこだわってどうするんだ、という気もする。

■けれど、それって寂しいよね。

戦闘機はドックファイトをやってこそ、「かっこいい」のである。

いやいや、F-22もなかなかのもんだよ、ということなのかもしれないが、それが「カタチ」に現れていないから、物足りないのだ。

PAK FAの「カタチ」をみていると、プガチョフ・コブラやクルビットが出来なきゃいかんよね、というある種のバカバカしささえ感じてしまう。

そこがいいのだ。

兵器としての「強さ」はある意味どうでもいい。

兵器の「かっこよさ」は、その合理性にあるとは思うのだけれど、こと戦闘機に関しては「戦争に勝つ」ことよりも、すごいマニューバーに「かっこいい」がある。

プガチョフ・コブラとか、そんなに速度落としたら、敵の僚機がいたならば「カモ」になるんじゃないか、という心配をしてしまうのだけれど、面白ければそんなことはどうでもいいのである。

ロシア人とは一度しか会話したことがないからよくわからないのだけれど、イギリス人に言わせると、奴らの運転をみてるとホントにクレイジーだぜ、ということらしく、ロシアの戦闘機のかっこよさって、そういうクレイジーがカタチに現れてるからなんだろうな、と思う。

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うーん、やっぱ、これが戦闘機だよね!

                       <2017.07.19 記>

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2017年7月18日 (火)

■【社会】「高度プロフェッショナル制度」という名の残業ゼロ代法案を連合が容認。資本主義の前提が崩れたいま、24時間戦う意味はあるのか?問題は残業代ではなく、われわれの生存権を脅かす「残業時間規制なし」にあるのだ。

 安倍晋三首相と連合の神津里季生(こうづりきお)会長は十三日、官邸で会談し、収入が高い一部の専門職を労働時間規制の対象から外す「残業代ゼロ」制度(高度プロフェッショナル制度)の創設を柱とする労働基準法改正案を修正する方向で一致した。

連合は修正により労働者の健康を守る措置などを強化する代わりに、制度を事実上容認した。修正後も時間でなく成果で賃金を払う改正案の骨格は維持され、成果を出すまで過重労働を強いられるとの懸念は変わらない。連合が容認に転じたことには過労死遺族に加えて、連合内部からも反発が出ている。  

「残業代ゼロ」制度は、年収1,075万円以上の金融ディーラーや研究開発などの専門職が対象。神津氏は首相との会談で「年間104日以上かつ4週間を通じて4日以上の休日確保」の義務化を求めた。  ―2017.07.14中日新聞朝刊

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■対象となるのは、年収1000万越えの人だということだけど、なぜ1000万円かの具体的定義(上位0.5%とか、物価に対する比率とか)がないから、いつでも下げられるよね。

金融ディーラーや研究開発などの専門職といってるけど、派遣法の流れをみてみれば、拡大傾向はまぬがれないだろう。

■問題は、この法案の狙いである。

要するに、この国での働き方をどうしたいか、ということだ。

背景には残業時間上限規制があるのだろう。

その趣旨は

【働く人の心身の健康を守るために、仕事時間の効率化を図り、残業時間ゼロをめざす。】

というものであったはずだ。

そこから考えれば、今回の『「残業代ゼロ」制度(高度プロフェッショナル制度)』の狙いは、

1.「残業時間上限規制」の対象外の労働者を設けることで、不足した労働力を維持、確保し、企業の国際競争力の低下を防ぐ。

2.そのうえで、残業代の増加による経営負担の増加を防ぐ。

ということであるのは明白だ。

結局、労使、国ともに、バブル時代に流行った「24時間戦えますか」というリゲインのCMの思想から一歩も外に出ていないということだ。

■フランスやドイツの企業(自動車しか知らんけど)は6時を過ぎればほとんど誰もいなくなり、8時にはオフィスはロックされる。週末の金曜日なんかは4時には人がまばらになる。

日本でもノー残業デーなんかをやったりするけど、部課長層は「お前ら、とっとと帰りなさい」というけれど、自分はしっかり残業しているし、土曜日も当たり前のように出社している。

じゃあ、ルノーもメルセデスもフォルクスワーゲンも(最近、排ガス疑惑とかがあるにしても)企業として凋落しているかといえば、しっかりと儲けを出しているのである。

その根本的違いは、働く側のプロ意識にある、ヨーロッパにおいては働くものが自らの管理者である、というのが、彼らと一緒に仕事をして感じたことである。

日本人がなぜ残業をするかといえば、パターンは3つだろう。

・まわりが仕事しているから帰ることが出来ない。

・残業代をもらうことで今の生活を維持したい。

・仕事が山ほどあって終わらない。逆に残業すればするほど成果があがる。

みんなが残業をしなくなれば1番目は解消できるが、その「みんなが残業をしなくなる」という状態に持っていくこと自体にハードルがある。

■2番目はかなりやっかいで「給料」は「儲け」から発生するものだ、という考えがまったくなくて、本来の「労働」の意味がねじれてしまっている。

農業では、いくら働いたところで作物が出来て、それが売れないことには収入がない。

労働が「価値」を生み出すことで「利益」がもらえるのが道理なのだ。

でも、給与労働者というのは(わたしもそうだけれど)、どうしても「既得権益」という感覚にとらわれてしまう。

では農業との差は何か、と問われれば、農家は自己裁量で労働ができるが、給与労働者はその自己裁量がない、働く時間も、経営方針も自由にはならないところだ。

つまり「安定」を得るために「労働」を売り渡している。

実際、現代の「経営」と「労働者」が分離した社会においては、売り渡した「時間」の対価を「お金」で払う、というは正しく、われわれ「労働者」は、その考え方で守られている。

だから、生活のために残業をして余裕のある給料をもらうのは、ある意味うまいやり方だ。

■バブルの時代までは、誰しも働けば働くほど「商品」は売れて、経営も潤い、働いた時間だけの対価は得ることが出来た。(サービス残業があったとしても、それなりにもらえていた)

けれど、今の時代はいくら働いても「利益」が生み出しにくい状況にある。資本主義の前提が崩れたというのはそういうことだ。

蜜月の時代はとうに終わっているのだ。

業績で利益が出ないならば、「経営」は「労働」による支出を抑えるしかない。

それがブラック企業が蔓延する理由であり、それによっていまのデフレが維持されている構図だ。

社会が「払う金などない」といっているのだから、「労働者」が得る金も絞られ、こんどはその「労働者」が「消費者」という社会の構成員として、「払う金などない」という側にまわる負のスパイラルである。

そんななかで、社会構造の変化を無視した理不尽な「経営」によって、「働いても働いても成果が出ない」とプレッシャーをかけられて過労死が多発するという事態を生み、日本国憲法第25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」という概念に基づき、残業時間上限上限規制が出てきたということだ。

もはや事態は生存権が侵されるレベルにまで及んでいて、「残業代をもらうことで今の生活を維持したい。」などという過去の幻想が通じる時代ではないのだ。

とはいっても、このままでは負のスパイラルが進展するばかりだから何かの逆転の機構を働かせて、ここから脱出する道を探らなければならない。

すくなくとも「時間」=「対価」という構図は壊れていくことになるだろう。

■では、3つめの

「仕事が山ほどあって終わらない。逆に残業すればするほど成果があがる。」という考え方はどうだろうか。

すでにそこそこの給料がもらえていて生活自体に問題はなく、仕事にやりがいとか認められたいとか、そういうことを求めている人がこのタイプだろう。

しばらく前の私もこのタイプであったと思う。

いわゆる猛烈というやつで、バブル最終組のくせに、バブル以前の働き方に血道をあげていたと少し恥ずかしい。

働けば働くほど利益がでる、という資本主義が機能していた時代には、かなりのパワーを発揮する姿勢だと思う。

だからこそ、日本はヨーロッパを追い抜いてアメリカに肉薄する「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代を築いたのである。

■けれど、もうそれは25年前に終わっているのだ。

それでも、われわれはその戦闘手法を変えてこなかった。

構造はとっくに変わっていたのだが、この25年のIT革命で時間を巻き上げ、スピードを格段に上げることによってしのいできた。

25年前に職場には報告書作成用マッキントッシュ・クラッシック一台だけだったものが、一人一台のウインドウズ端末が当たり前になっている。

CADもパソコンもネット環境も格段の進歩を遂げた。

私が所属していた自動車開発業界でいうならば、25年前に一週間かけてやっていた仕事は、いまや半日で出来てしまう。

けれど精密に状況が見えてきてしまう分、こなさなければならない仕事は膨大になり、つねに効率化のスピードは仕事の増加に追い越され続ける、自分の仕事をこなす時間さえままならないのに一日数百件のメールと30分刻みで放り込まれるスケジューラに追い立てられる毎日。モロボシ・ダンではないが、「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」なのである。

「仕事が山ほどあって終わらない。逆に残業すればするほど成果があがる。」

メディアに出る頭のいいIT企業の社長とかの有名人たちは、そういう仕事のやり方はセンスがない、能力がない、というけれども、こういうマラソンを続ける限りにおいて、それは真実なのである。

けれど、くやしいけれど、頭のいい人たちの言うとおり、なのだろう。このマラソンは勝ち目のない消耗戦に突入しているのだから。

■その一方で、フォルクスワーゲンをはじめとする欧州企業は息を吹き返した。

しかも、彼らは残業はしない。

「働けば働くほど利益がでる」という思想ではなく、「やるべきことをやる」というプロの姿勢をもっているのだ。

そこには「個人」があって、自分が獲得している「能力」を売る、という姿勢であり、ただ「時間」を売るというわれわれの姿勢とは根本的に異なるのである。

ヨーロッパ礼賛でもないし、彼らの姿勢がこれからの資本主義崩壊の世界で必ずしもうまく機能していくとも思えない。

けれど、少なくとも、盲目的に「時間」で解決しようとするやり方が限界に達しているのは事実であり、学ぶべきことはあるだろう。

各個人が自分の能力を自分の頭で考えて、「自分にできることをやる」という働き方である。

仕事は降ってくるものではなく、自分で選ぶという考え方だ。

これは万人に当てはまるものではないだろう。

ある一定の専門能力が要求される。

そういう意味で、今回の「残業代ゼロ」制度(高度プロフェッショナル制度)の対象となるのは、そういう仕事なのだ。

■だとすると、今回の「残業時間上限規制」と「高度プロフェッショナル制度」を2本柱とする労働基準法改正は、適切だということになる。

けれど、それは初めに考察した「高度プロフェッショナル制度」から透けて見える考えである、

1.「残業時間上限規制」の対象外の労働者を設けることで、不足した労働力を維持、確保し、企業の国際競争力の低下を防ぐ。

2.そのうえで、残業代の増加による経営負担の増加を防ぐ。

という、まだ「時間」=「価値」の概念にとどまった考え方と矛盾する。

マスコミとか、弁護士団体は「残業代ゼロ」を問題にするのだが、そこがそもそも問題の本質から外れているのだと思う。

この矛盾の本質は、「時間」=「価値」の概念にあり、マスコミも弁護士団体も、資本主義が機能していた時代のこの概念に縛られているのだ。

■労働によって「価値」を生みながら、労働者の「生存権」を保証する。

それが、今回の労働基準法改正の目指すべきところなのではないか。

だとするならば、問題は「高度プロフェッショナル制度」の対象者の「残業時間」が規制されないこと自体にある。

それなりの基本給があるならば、彼らに残業代は不要である。

それが年収1000万円でも、400万円でも、彼ら自身が自分の「能力」をその値段で売ると契約するのであれば、問題はないだろう。

けれど、日本国憲法で規定された「生存権」を侵すことは、それが市井の労働者であろうと、年収1000万円のプロフェッショナルでも、決してあってはならないことである。

日本国民だれもが等しく持っている権利なのだ。

現在、部長や課長といった管理職は、この「生存権」を侵されている。

法律上は、経営に参画する「監督管理者」にのみ適用される内容である。経営者が時間管理されないのは、農業従事者や自営業者が時間管理されないのと同じで、論理的にあたりまえのことである。

けれども、それが取締役でもない部課長層に適用されているのは実は違法なのではないか。

「生存権」を保証するための「残業時間制限」こそが、当面、打てる手だてなのではないか。

だから、「高度プロフェッショナル制度」の対象者の残業時間規制が、とても重要なことなのである。

■なんで成果を上げないんだ、という理不尽なパワハラは労働基準法にはなじまないから、継続して別の手法を考えなければならないだろう。

「修正後も時間でなく成果で賃金を払う改正案の骨格は維持され、成果を出すまで過重労働を強いられるとの懸念は変わらない。」

という声があると新聞記事は指摘しているが、ヨーロッパのように自立した個人が自分の能力を企業に売る、という姿勢であれば、そんなブラック企業はとっとと退社して、自分の能力が発揮できる会社に移ればいいのだ。

それが日本で難しいのは、終身雇用を前提とした社会の仕組みにあるわけで、社会ができることは、それを「くだらない会社にしがみついて生き残る策を講じる」ことではなく、能力のある個人が自由に働くことの出来る構造を作り上げることなのだと思う。

■この記事を書き始めたときは、安倍政権におもねった連合を批判するつもりであったが、思いかけず同じ結論にたどり着いてしまった。

連合が提示した「高度プロフェッショナル制度」の対象者の時間管理というのは、とても重要な、本質を突いた提言なのである。

なんだよ、よく考えてるじゃないか。

やっと追いついたよ。

連合の神津会長は、もっとしっかり説明するべきだ。

これじゃあ、論理的な議論ができず、「安倍政権に反対だから、反対なのだ」としか言わない連中を勢いづかせるばかりである。

創造的議論ができない彼らに、本質的対策が打てるはずもなく、だらだらと現状維持が続くだけで、不幸は一向に解消しないだろう。

それでは電通の自殺者たちも浮かばれまい。

毎日のようにどこかで電車が止まる事態も防げない。

世の中の仕組みが変わったのだから、社会も変わらなければならない。

大切なのは、ひとりひとり、全員の「生存権」を守ることだ。

それが「経済」の語源である経世済民の意味である。

                    <2017.07.18 記>

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■NHK海洋アドベンチャー タラ号の大冒険2「太平洋横断 サンゴの危機を救え!」、せっかくの素材が台無し。地球温暖化の恐怖を煽るNHKの品の無さにあきれる。

海洋アドベンチャー タラ号の大冒険2「太平洋横断 サンゴの危機を救え!」
NHK総合 2017年7月17日(月) 午後10時00分放送

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■2003年以来、10年以上世界の海をめぐりながら地球温暖化の調査を進めてきたアルミ合金製船体を持つ帆船タラ号。

この番組は今回タラ号がサンゴ礁の生物多様性調査を行うべく日本に訪れたその記録である。

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■タラ号による地球温暖化調査はファッションブランドを率いるアニエス・ベーが起こしたプロジェクトなのだそうで、地球温暖化についての意識を高める上でも素晴らしいことだと思うし、こういう番組でその活動を紹介することはとても有意義だ。

実際、日本近海で起きているサンゴの白化現象や、生物相の変化の現状が紹介されて入て、あらためて問題の根深さに気づかされる。

けれども、そういった事実をダイレクトに伝えるだけでいいものを、NHKはどうも過剰な演出をしたくて仕方ないらしい。

■一番問題なのは、海底からCO2が噴出してPHが6を割って酸性になっている海域を映し、そこが魚が一匹も生息しない死の海になっていると強調する。

なるほど、通常の海域のPHが8近くで、0.1のPH変化が海洋の生物相に影響を与える、というのは大きな問題であり、我々人類が排出するCO2の4割を海洋が吸収しているらしいということから考えれば、我々自身の問題として提起されるべきものである。

けれど、海底からのCO2噴出に我々はまったく関係ない。また海底からのCO2噴出が地球温暖化の主要要因でもないだろうし、影響は周辺数百メートルに領域にとどまっている。

たしかに番組のナレーションで明確に言っているわけではない。

しかしこの編集の仕方は、我々が化石燃料を使い続けることによって、日本の海もこういう死の海になってしまうんだよ。という暗黙のメッセージを伝えているのである。

言葉を追えばうそをついていないだけに極めて悪質なミスリードだ。

■さらに、2億5000年前に起きた生物種の9割が死に絶えたとされるペルム紀末の大量絶滅の原因としてシベリアの火山噴火による地球温暖化という説があると紹介した上で、現在のCO2排出量はこの時を上回ると言われている。なんて脅しをかけてくる。

いやいや、原因は特定されていないようだし、百歩譲ってCO2の排出量が原因だとして、地球の気候システムに与える要素が全く異なるのだから猛烈で大規模な火山活動とわれわれの排出ガスを単純に比べても意味はないだろう。

海底からのCO2噴出による死の世界のあとに、これを持ってきて畳みかける演出は、極めて恣意的で、吐き気すら覚えるものである。

まじめにサンゴの死滅と取り組んでる人たちや、科学的にものごとをとらえようとしているタラ号のメンバーに対して、とても失礼な態度だと思う。

■NHKは一体、何を伝えたかったのか。

結局、このままでは地球は大変なことになりますよ、というメッセージを伝えるために無理な演出を付け足したようにしか見えないのだ。

それに比べて、7/16(日)放送のNHKスペシャル 「シリーズ ディープ・オーシャン 南極 深海に巨大生物を見た」の徹底的に事実を並べようとする科学的態度は、同じ演出をするにしても、なるほど凄いなと素直に受け入れられるものであった。

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この番組でも地球温暖化の影響は話題になっていて、南極の深海で生物が巨大化する理由の一つに、氷点下の海流に取り囲まれているのでサイズの大きな捕食生物の侵入を防いでいる、ということを上げ、それに対して南極の深海にいままで住むことのなかったタラバガニが侵入していて、さらにそのカニ(タラバはヤドカリの仲間だけど。。)が海底生物を捕食するシーンまで映してみせる。

こういう、「いままでに起きていなかったことが起きていて、それはこれまでの自然のおおきな仕組みやメカニズムに変動が起きている証拠なのだ」的なアプローチは、IPCCのような、「このままCO2排出を続ければ2100年に平均気温が何度上昇」などといった単なるデータの羅列よりもずっと効果的に問題意識を励起するのである。

「タラ号」も確かにデータの羅列ではない演出手法ではある。けれど論理の筋が通っているか、という意味で、「タラ号」と「深海」は似ているようで180度異なる姿勢であるといえるだろう。

■先日の北九州の継続的集中豪雨の被害といい、ここ数年の異常気象はあまりにも度を越している。

日本近海の海水温の上昇がどうやら影響しているようである。

きっと、今年も超大型の台風に注意しなければならないだろう。

その原因が地球温暖化なのかどうかは、わたしには分からない。

けれども、北極圏の氷が溶けだす量が増えて、冷たい海水の塩分濃度が減ることにより、太平洋や大西洋の深層海流の駆動力が落ちているという説が本当ならば、こういうことも起きるだろう。

知りたいのはそういうことなのだ。

何もNHKに難癖をつけて、地球温暖化の影響はない、なんて主張したいわけではない。

問題が深刻なだけに、実際に起きている小さな事実、現実の積み重ねと、それを説明できる大きなシステムの解明が重要なのであり、今回のえせドキュメンタリのような恣意的に心配を煽るだけの番組は害でしかない、と言いたいだけなのだ。

事実を自分の目で確かめるという「タラ号」の志がまぶしいくらいに素晴らしいだけに、本当に残念な番組であった。

                      <2017.07.18記>

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2017年7月11日 (火)

■【書評】『閉じていく帝国と逆説の21世紀経済』 水野和夫 画期的社会変革論から導かれるのは、実は個人レベルでの価値観の大転換、要するに金持ちや成長志向からの脱却なのだ。

低金利を切り口に資本主義の本質とその終焉を説いた『資本主義の終焉と歴史の危機』の続編。終わりを迎えた資本主義のその先の世界を読み解くスリリングさだけでなく、我々が信じる「金持ち」=「幸せ」という価値観を打ち崩す衝撃がそこにある。


[新書] 閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済

■要約してしまうならば、民主主義と資本主義の蜜月は、資本主義が地理的拡大により周辺国から「徴収」することが出来た1970年代までで終了した。パイがでかくなることがなければ、ゼロサムゲームになるわけで、企業の利益拡大は国民国家の利益と両立はしない、むしろ国民国家の利益を吸い上げる形となる、ということだ。

それが具体的に進行した形が新自由主義、グローバリゼーションであり、今、アメリカやイギリスやフランスで見られる反グローバリゼーションは、国民国家の危機に対する反動である、と見る。

つまり、1990年代のグローバリゼーションは、その発生からすでに反国民国家であることが構造的に決定づけられていたということになる。

■アメリカは、地理的拡大の完了後もパイを拡大するために、IT革命にのって金融市場で世界のカネを「徴収」した。スピードを上げ、ネット空間で高速に時間を切り刻むことによって、カネを増殖させては取り込んでいく。

けれども、ゼロ金利とはそもそも、カネを持っていても、それが価値を生まない、ということを意味しているのだから、その行為には全く意味がない、ということになる。

資本主義とは、資金を投入することで、財が増えるその効率を上げていく仕組みである。

しかしながら、われわれが直面しているゼロ金利とは、資金を投入してもリターンがゼロである、つまり、効率はもはや上がらない、投資するカネを持っていても意味がない。要するに資本主義という仕組みが終了した、ということなのだ。

■そう考えれば、最近の大企業が最高の利益を出しながら再投資をしないで内部留保ばかりを蓄えるというのも当たり前のことだ。

給与を上げるということについても、企業にとってそれは投資の一形態なのだから、人材が頑張って効率を上げようとしても限界が見えているならば、その投資はしないと判断するのもまた道理なのである。

日本やドイツが到達したゼロ金利とは、つまりそういう世界のことなのだ。

水野和夫氏は、三菱UFJモルガンスタンレー証券のチーフエコノミストだった人だから、まさにその「マネー」の世界の当事者であり、

お前が「徴収」する側だったんだろ!カネ返せ!!

という突っ込みをしたくもなるが、まあそれだけに説得力もある。

■水野氏は、理論値とそのデータで資本主義が行き詰まっていることを説明し、その上で、「長い16世紀」というイタリア、スペインの陸の閉じた時代から、イギリス、オランダの拡大していく資本主義への転換がはじまり、それが今、再び「長い21世紀」において終焉を迎えているという歴史観を唱える。

確かに、中国が余剰生産力を持て余している時点で、世界の生産能力的には終わりだろう。国家の保護によりで急激なクラッシュはないにしても、減速方向に向かうのは確実だ。

マネーが膨らまないということはインフレにはならないわけで、例えばクルマがすべてEVに置き換わっていくとかいうことが起きたとしても、効率がよく、コストコストパフォーマンスが良いものに置き換わるというだけで、デフレが収まるわけではない。購入者の収入が限られているのだから、買い替えも徐々に進行するだけで猛烈な特需が起きるわけでもないだろう。

イノベーションも、商品の革新も、資本主義の終焉を止めることはできない。

構造的にもう終わりなのだと理解するしかないのだ。

■言い方を変えるならば、ゼロ金利の日本とドイツは、資本主義のゴールにいち早くたどり着いた、ということだ。

それは悪いことでもない。

給与は上がらない。正規雇用は減ってしまい、むしろ押しなべて見ると給与は下がっているだろう。これからも上がる見込みはないし、年金だってもらえるかどうか定かではない。

とても不安だ。

けれど、不況下のインフレであるスタグフレーションに襲われているわけではない。

米の値段が何倍にもなって、10万円払わないと5kgが手に入らないというわけではないのだ。

浮浪者や餓死者が道に溢れているわけではない。

デフレが続いているおかげで、たいていの人は、贅沢さえ望まなければそこそこの生活は維持できるのだ。

ほとんどの人が、そこそこの生活を安定して過ごすことができる。

これって、戦争直後の日本人が切望した未来じゃないのか。

日本に限って言えば、今は決して悪い時代じゃない。

■一握りの金持ちが世界の富を独占している。

ピケティはそれを悪だと糾弾する。

けれど、それは本当に悪いことなのか。

もし、ゼロ金利で、投資が富を生むこともなくて、お金をため込むことに意味がなくなってしまっているならば、世界の富を独占することに何の意味があるのか。

誰が、どれだけため込んでいようが、どうでもいい。

この本を読んでいて衝撃を受けたのは、そこに気づいてしまったからだ。

カルロス・ゴーンが年収20億円だろうが、そんなことは私には関係ない。お金が好きならば勝手にすればいい。

自分の家族が暮らしていけるだけの、そこそこの収入があれば幸せに生きていけるのだ。

あとは老後の問題だけだ。

それは、社会全体の問題であって、富が増えない時代なのであれば、自分の老後を保証するカネを蓄えるということは、誰かの老後のカネを奪うということであり、本質的な問題解決にはならない。

金持ちからカネを奪ってそこにあてたところで、いつかはそれも尽きてしまう。

成長のない定常社会を前提とした仕組みを作り出す、それ以外に道はないのだ。

今の日本は悪い時代じゃないと先に書いたが、グローバリズム志向の現状のまま放置してしまうと、さらに国民国家の搾取が進み、大変なことになる。

それは国民生活の完全な破綻か、それに対する猛烈な反動による社会不安だ。

今のアメリカがまさにそれだ。

では、どうすればいいのか。

■著者がこの本で前著から踏み出しているのは、資本主義が終焉を迎えた後に国家がどうあるべきかの方向を指し示しているという点だ。

それは「閉じた帝国」だと水野和夫氏はいう。

EUが一番近い。

欧州というエリアを囲い、その領域のなかで統治をおこなう。

バブル崩壊後の円高の時代に、それでも日本はアメリカに縋りついたが、ドイツはたもとを分かち、フランスと共にEUを立ち上げた。

電子空間上のマネーの増殖に走ったアメリカを尻目に、EUは域内の実体経済を重んじた。

EUは今もグーグルやアップルと戦い、ドイツ銀行がアメリカ金融資本にはめられても、新自由主義とグローバリズムに抗し続けている。

そこが水野氏の心を突くのだろう。

■けれど、その「帝国」は中央集権的であるがゆえに、それを構成する国の主権は奪われていく。EU=ドイツにヨーロッパ諸国は牛耳られていく。

その不満がイギリスを離脱させ、フランスを不安定にさせているのだ。

国民国家どうこう、民主主義どうこう、という割に、「帝国」下での自由についてあまりに無頓着だ。

いやいや、「帝国の統治」と「地域社会の自立」の二本立ての構造だろう、というだろうけれども、逆に言えばその中間に位置する「国家」はいらない、ということだ。

けれど、国家ってそんなに簡単なものではないだろう。

言葉があり、文化があり、そのまとまりが国境を定めている。

田中克彦の『ことばと国家』を読めば、ドイツとフランスの国境の抱える深さが分かるし、言語が思考方法を規定していることを考えれば、国家と言語が結びつく国では、帝国の統治に対する反発は必至だろうと想像はつく。

■どうも水野氏の頭の中では経済が定常状態でまとまっていた中世回帰という発想があるようで、そこが違和感の源泉なのだと思う。

歴史とはアウフヘーベンによって進化していくものである。

マルクスはその最終形を共産主義としたが、真の共産主義は実現することはなく、共産主義の実験は、人は欲望に突き動かされるものである、と証明することで終わった。

しかしながら歴史は輪のように回帰するのではなく、やはり同じことを繰り返すように見えても、実は進化しながら「らせん」に進んでいく。

キリスト教の神は死に、個人は自由の刑に処せられた。

その対価である個人の尊厳や自由は、中世以降の発明品であって、それは現代科学の物理理論と同じように手放すことはできないのだ。

「帝国」がもたらすのは、パンと安心であり、その対価は統制である。それがゆるやかな統制であっても、そこには自由も独立もなく、あるのは従属なのである。

EU諸国が内包する不満はまさにそこにあるに違いない

大きな地域統合と域内最小単位の自立というイメージは悪くはないのだけど、統合は安全とルールを与える「帝国」ではなく、シンプルな「理想」のもとに集まる「連邦」によるべきなのだろうとおもう。

■日本が生きる道については、アジア諸国と帝国を組むことを想定しつつ、今は無理なのでその機会をうかがうように立ち振る舞っていく、という道筋を描く。

わたしが想像していたのは日本だけで閉じた国をつくり、その中で江戸時代的安定を目指す、というイメージだったのだが、一億人の人口を養うだけの食料とエネルギーをどうするか、という問題に解答を見出すことが出来ないでいた。

確かに、海洋アジア帝国で、インドネシアやオーストラリアを仲間にすれば、食料とエネルギーに目途を立てる道筋は見えてくる。

でもやはり中央集権的な帝国ではなく、ゆるく価値観を同じくする連邦制なのだろうな、と思う。

TPPが母体になるのだろうけれど、中国との軍事的関係性、アメリカとの対立回避が問題になるのは明らかで、戦略的にうまく進めないといけない。

連邦の旗印となる「理想」も描かねばならない。

そのためには50年、100年の、かなりの大戦略を描いてそれを実行できる、相当な人物が必要になってくるだろう。

たぶん、個人では成し遂げることはできなくて、まずはそういう人材が育つ場所が必要になるのだろう。

今後の日本の政界再編で、そういった「人物」が育つインキュベーター(孵卵器)が出来ることを期待したい。

まあ、そのためにはまず日本人が成長にこだわらない大人の思想に気づくことが第一歩なのだけれど。

                        <2017.07.10  記>

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2017年7月10日 (月)

■【社会】安倍内閣支持率急落。日本の政治に民主主義の根幹である創造的議論は復活するのか。

まだ日本って健全なのだと少しホッとするニュースである。安保関連法のときは「反対派もうさんくせーよな」と半信半疑だった国民の判断が、今回は確信に変わったとみていいのではないだろうか。

20170710

読売新聞社は7~9日、全国世論調査を実施した。安倍内閣の支持率は36%で、前回調査(6月17~18日)の49%から13ポイント下落し、2012年12月の第2次安倍内閣発足以降で最低となった。 不支持率は52%(前回41%)で最高となった。支持率は2か月で25ポイントの大幅下落となり、安倍首相は厳しい政権運営を強いられそうだ。 7/9(日) 22:02読売新聞配信

■いままで安保法制やテロ等準備罪では危険を煽ることで国民を納得させてきた安倍政権が、国民にもわかりやすい加計学園問題でその強引なやり口を暴かれて、強い反感を買ったということだ。

安倍内閣はその発足以来、選挙の公認を人質にするかたちで自民党内の自由な議論を封殺し、人事権を武器に各省庁の官僚の意見をつぶして強引に自らの描いたシナリオを押し付けてきた。マスコミ幹部との会食で癒着し、報道すらコントロールしようとしてきたのだ。

「決められる政治」の名のもとに、権力が首相官邸に集中していて、私の言うとおりにやりなさい、議論なんていりません、という流れが出来てしまっていたのだ。

その政策が正しいかどうかは問題ではなく、権力の集中は必ず腐敗する、ということが問題であり、森友学園問題にしろ、加計学園問題にしろ、それは単なるスキャンダルではなく、もっと政治としての本質的な問題なのだ。

■議論が封殺され、権力が集中したとき、多様な視点を失ってまわりの状況が見えにくくなり、それは独善に至る。さらに、その独善が認められ続ければ何でも自分の想い通りになるという錯覚に陥り、逆に思い通りにならないことに反発を覚え、さらに議論の封殺が進む。歴史はそれを独裁と呼ぶ。

森友はどうかしらないが、加計学園問題が示しているのは、理屈が通らないものが通ってしまう構造が、戦略特区という「法律の外」の場所で成立してしまおうとしていることだ。

このことをもっと深く理解したほうがいいと思う。

法律は、もっと言えば憲法は、権力を縛るものである。

いま安倍政権が進めていることは、その法を合法的に超えたところで、やりたいようにやらせろ、ということなのだ。その思想の根幹が現れているのが憲法解釈上どうなのかと思われるような昨今の立法であり、それが如実に現れているのが憲法改正そのものを目的とした憲法改正論である。

■もちろん、従来の規制で身動きが取れないものを変えてみたらどうなるか、という実験の意味での特区は別に悪いことではない。

問題なのは、そこに議論がないことだ。

文科省が、「獣医師の新しい需要があるなら、それを農水省に示してほしい」というのは極めて当たり前の要求であり、議論である。

それに対して官邸は、なにをうだうだ言っているんだ、これは決まっていることなんだ、と突っぱねる。

そこに議論を経た確固たる論理があるのならば、官邸サイドはそれを説明すればいいだけなのである。

けれど、官邸サイドは「記憶にありません」「記録は残っていません」って、どういうことか。

半年前の記憶すらないのならば、そういう人たちに国の舵取りは任せられない。全員辞めてもらった方がいい。

「言えません」

が正解なんだろう、と国民はみんな気が付いているのが分からないのか。みんなそんなにバカじゃない。

■ここで何度も書いているけれど

民主主義とは多数決のことではない、

民主主義とは創造的議論によって出来上がるものなのだ。

ひとつのテーマに対して、多様な側面からの視点での意見を出し合って、その意見の意図や新しい情報を共有しながら、最適な道を探っていく、そういう創造的議論によってA案、B案が出来上がる過程が大切なのであって、多数決をとるのはその前提あってこそなのである。

安倍政権はそこを全く理解していないし、反対一辺倒の民進党も、同じく絶望的にそれを理解していない。

だからこそ、今回の支持率の調査でも、民進党の支持率は上がらず底を這うばかりなのである。

そこをちゃんと理解しているという意味で世論というものはまだまだ健全だな、と思う。

■安倍政権を支えていたものが支持率なのだから、これが続けば政権はもたないだろう。

自民党内でじっと息を殺していた面々も、これでは自民党自体が危ういとばかりに、(自らの次期総裁の目をこズルくにらみながら)、自らの意見を発信しはじめた。

前回の総裁選で何故言わなかった!

というのは酷なことで、政治家とは機をみるものなのである。

逆に言えば、今がチャンスと踏んでいるということだ。

ようやく自民党にも健全な空気が戻ってきたと喜ぶべきところなのだろう。

■この後の国政はどうなるのか。

現状、反安倍政権の受け皿は存在しない。それが作れなければまたずるずると元の木阿弥である。

小池都知事が風穴を開けた都民ファーストの会の流れが、国政にも波及するのか。

自民党の中の安倍政権派と反主流派(旧宏池会?)が二大派閥としてバランスを取りながら政権を担っていくのか。

前者は、国家全体を見据えた論と、国民ひとりひとりの生活に根差した論に分かれた議論となるだろう。

後者であれば、自民党が分裂するかどうかは分からないけれども、アメリカに寄り添っていく従来志向を推し進める論と、アジアをも見据えながら日本独自の道を模索していく論に分かれていくことだろう。

どちらが最適なのかは分からないけれども、対立軸として

・全体、企業 ― 地方、国民

・アメリカ一極主義 ― 多極外交

の二つの軸で議論を深めていけるのならば、言うことはない。

何がいいかなんてわからない。

大切なのは健全な議論なのだから。

                       <2017.07.10 記>

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2017年7月 3日 (月)

■【社会】都議選、小池百合子、都民ファーストの会 圧勝。風は吹いた。問題はこれからだ。私は堀潤に期待します!

自民惨敗、都民ファーストの会、圧勝である。

過半数64に対し、自民23、都民ファースト49、公明を含めた小池勢力79となった。

20170702tominfirst

■安倍政権の落城で雪崩を打って票が流れたという見方もできるが、本質的にはマクロ視点の従来の自民党政治に対する、都民の個人の生活に根差した視点にアピールした都民ファーストの会の勝利という見方になるのだろう。

問題は小池百合子が国政に対する視線がある限り、住民個人の視点に立脚した今回の都民ファーストの会の当選者の思いとのかい離が広がっていくことが予想されることだ。

■いろいろな選挙速報番組があるなかで俄然面白かったのがMXだ。

やはり堀潤はいいねえ。

言いたいこと、言うべきことを言う。でも相手の話もしっかり聞いて論点に対していろいろな側面から光をあてて、議論を高めていく。

民主主義の根幹が議論なんだというしっかりした思想が態度に出ている、そこが素敵なのだ。

やはりNHKに収まる器ではない。

■今回の都民ファーストの圧勝に対しても、小池百合子に対して造反があったらどうするのかと鋭く切り込む。(何を言っているのか分からないと煙に巻かれてしまったが。。。)

当選した議員に対しても意見が合わなかったら造反するのか、と煽る。

これは寄せ集めの新人都民ファースト議員に対する明らかな誘導だ。

都民ファースト圧勝で小池百合子独裁体制を心配する評論家的意見を披露するつまらん他の報道番組とは一味違う、かなり踏み込んだ報道姿勢である。

報道って、ニュースを選んで、インタビューする人間を選んで、質問を選んだ時点で中立なんてことはあり得ない。

報道対象に対して、影響を与えないなんてこともあり得ない。

それを十分わかった上での振る舞いであって、そこが小気味いいのだ。

だから最近、朝はモーニングクロスがお気に入り。踏み込みが鋭いから。

これはMXという弱小だから出来ることだし、だからこそ堀潤はここを選んだのだろう。

■目指すべきはオープンな議論だ。

築地の豊洲移転問題で示された両方残すという方針は、その論理の流れが示されずオープンとは程遠いトップダウンであり、民主主義的には明らかな後退である。

それを受けての堀潤の「造反」の煽りだと思う。

その狙いは本当の「造反」ではなく、自由闊達な議論が都民ファーストの中で醸成されるための援護射撃にあるのだろう。

このまま不透明な「党首判断」に従う流れになったならば、既存勢力と入れ替わっただけのことであり、マクロ視点での政治という従来の流れを断ち切って政治を住民に取り戻す芽を摘むことになるからだ。

■それは小池百合子が国政に関与していく姿勢にも影響を与えるだろう。

民進党は完全にNOを出された。

批判政党に存在意義をだれも認めなくなったのだ。国民は馬鹿ではないのである。

二大政党制を担うのは、自民党のマクロの視点に対抗する住民視点のミクロの勢力になるだろう。

都議選を皮切りに、日本の各地でこの動きが進めば面白いだろう。

■防衛や外交といったマクロ視点も大事だけれど、少なくとも経済のマクロ志向は完全に立ちいかなくなってきている。

企業は投資も再配分もせず内部留保で守りを固め、日経平均がいくら上がろうが手取りが減っていく家計の縮小は止まらない。

それぞれの個々の物語に寄り添った政策がなければ、日本の回復は見込めない。

マクロとミクロのせめぎ合い、議論こそがこれからの日本に必須の構造なのである。

これは本格的な革命の始まりなのかもしれない。

小池百合子がマクロ視点にこだわるならば、その時は造反もありだろう。革命の主役が交代するのはよくある歴史なのだから。

これからの東京は注目だ。

堀潤、しっかり見ていこうな!

20170702horijyunn

                  <2017.07.03 記>

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2017年6月26日 (月)

■【社会】豊田真由子議員暴言問題。水に落ちた犬は打て。三度の飯よりイジメが大好きな私たち♥

「このハゲー!!」

先週、自民党の豊田真由子議員の秘書に対する暴言や暴行が明らかになった。ネットやマスコミは元秘書が録音したと思われる音声に盛り上がり、最終的に豊田真由子議員は離党届を出し、本人は入院中、という。

20170626toyotamayuko

■これはもう議員というよりも人間として間違っている。

それは明らかだ。

けれど、秘書に裏切られてその言動が世の中にばれた時点でもう、「水に落ちた犬」だ。再起不能。

中国には「不打落水狗(水に落ちた犬は叩くな)」という古語があるのだけれど、魯迅は、世の中に打ち据えられ信用も権威も失う状態に至ってもなお悔い改めない心根の曲がった人間を皮肉ってそれを改変し、「打落水狗(水に落ちた犬は打て)」と言ったという。

今の日本人の心根はこの魯迅の感覚に近いのだとおもう。

■どれだけその人間が人として間違っていても、それが世間にさらされ、完膚なきまでに叩き潰された時点でゲームセットだ。

そこに乗っかってその人間をさらに叩く行為は、「義憤」の名を借りた「うっぷん晴らし」に他ならない。

そういうバッシングを行うテレビのコメンテーターやSNSの投稿者は、いじめ問題が話題になればまたぞろ正論を振りかざしながらバッシングを行う人たちだ。そして、その自らの精神構造が「いじめ」の構造とまったく変わらないことに彼らは決して気が付かない。

豊田真由子議員の桜蔭時代からの友達が、「彼女もそこまでになる前にストレスから逃げればよかったのにと残念です」とコメントしていたが、それは豊田真由子議員もまた人の子で、ちょっと変わっていたかもしれないが、モンスターだったわけじゃない。僕らだって、いつそうなるか分からないんだよ、と気づかせてくれる、ナイスコメントだったと思う。人としての彼女を知る友人だからこそ出せるコメントだと思う。

そういう人間らしい想像力さえ働けば、バッシングしようとするこころにブレーキをかけられる。

いやいや、彼女はもともとモンスターだったんだ、という人がいるならば「スタンフォード監獄実験」について調べてみることをおすすめする。

昨日まで仲良く暮らしていた隣人同士が殺し合いを行ったボスニア紛争、イスラム教徒の捕虜への虐待が暴走したアブグレイブ刑務所、具体例にはことかかない。

人は状況でたやすく変わってしまう脆弱なものなのだ。

あなただって、わたしだってそれは変わらない。

■そんなことにはまったく関心はない。

こいつらは間違っている。許せない。

もう反抗できない状態になっても叩き続ける。

本当に日本人は「いじめ」が大好きなのである。

そして眉間にしわを寄せながらも、バッシングに日頃のストレスを発散して、自分でも気が付かないその心の奥底で「メシウマ~♪」と叫んでいる。

ああ、気持ち悪い。

反吐が出そうだ。

■6/24放送の新・情報7daysニュースキャスターでこの問題が取り上げられた時、たけしが、

「このハゲー!って言ってたんだから、各局、ハゲーって言ったっていいんですね。フジテレビを除いては」

なんてコメントをして出演者を慌てさせていたけれども、これは本当に大人な態度だと感心した。

「水を差す」の斜め上を行くこの発言は、小倉智明にはいい迷惑なんだけれど、もう終わってんだからいいじゃん、下らねえことに時間使ってんじゃねえよ、という苦言をジョークで伝える高度な技だ。

こういう「空気」を直接批判するのは極めて危険だと分かっているんだよね。たぶん。

爆笑問題の太田には、もっとたけしを見習って欲しいものである。

                            <2017.06.26 記>

 

<追記>しかし、先週これだけ騒がれてたのに週が明ければ急に触れられなくなったね。大人になった??いや、いや、今まさに都議選の真っ最中。またまたいやーなご指導が入ったのではないか、という気がしてならないのだけれど、気のせいかな。。。。(森達也が「自粛を要請する」って、日本語としておかしいでしょ!と指摘してたけど、ホント笑っちゃうよね。)

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