●8.社会・報道・ドキュメント

2017年4月26日 (水)

■【社会】北朝鮮危機。「まあ、大丈夫だろう」と、何もしないのが最悪の選択肢。ルトワック博士の日本への提言。

■25日の北朝鮮の軍の創設記念日には結局、核実験もミサイル発射もなく、胸をなでおろした金融市場は高騰している。

しかし、本質的な問題はまったく解決しておらず、緊張はますます高くなっていくばかりで、「まあ、大丈夫でしょ」という根拠のない楽観論は取返しのつかない悲劇を避ける努力を怠るという意味で犯罪的であるとすらいえるだろう。

■今の状況を動かす3人の主役を表すキーワードは「面子」である。

北朝鮮の金正恩の権力の正統性を維持し続けるためには「面子」を守り続けるしかないし、一方のトランプ大統領も政権初期にしては異例の低支持率を挽回するためにアメリカ人らしいガッツを見せて結果を残さなければならない。さらに中国の習近平も権力の移譲を前に「面子」を失うわけにはいかない。

そんな面子の三竦みのなかで事態は進行していき、もはや戻ることの出来ない地点にまで来てしまったようにも見える。中国による経済制裁が実効性のあるものとして行われたとしても、アメリカが求める「核実験の停止と査察受け入れ」、「ICBM開発の廃棄」というゴールにたどり着くことはないだろう。それは、北朝鮮が負けを認めることと同義であり、金王朝の「権威」を地に落とすことと同義であるからだ。

この数か月のうちに戦争が起こらなかったとしても、事態はむしろ本質的解決を先延ばしにしたまま、爆弾が中国を巻き込む形で大きく成長していくことになるのは目に見えている。

■そんななかで、ある記事を目にした。

戦略家で元ホワイトハウス国家安全保障会議のメンバーであったエドワード・ルトワック博士の提言だ。

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(文春新書の新刊『戦争にチャンスを与えよ』の宣伝記事)http://bunshun.jp/articles/-/2191?page=1

この太い腕をみればわかるように彼は単なる学者ではなく、軍人として作戦にも参加したことのある実践家だ。

そのリアリストの主張の要点は、「戦争はその火種が消えるか、一方が完全な消耗に至るまで収束しない」という点だろう。

その結果、戦争状態下では、平和を回復しようとする努力はむしろ戦争を長引かせ、被害を拡大させることになる、ということだ。

戦争反対、というのは正しいけれど、悲しいことに世の中には戦争は実在する。

あるものに「反対!」といったところで意味不明で、どうやればそれを避けられるのか、どうやればそれを早期に収束させられるのか、ということこそ、きわめて具体的にリアリスティックに語られるべきことなのだ。

■では、今回の北朝鮮危機についてはどうか。

ルトワック博士は日本が取るべき道について、「何もしないのは最悪の選択」としたうえで二つのオプションを提示している。

ひとつは降伏戦略。

北朝鮮の意図は金王朝の安定的継続をいかに確保するかにある。

それを全面的にみとめ、日本からの送金も物資も全面的に許可し、六本木に豪華な大使館を作ってしまえ、というのだ。

あり得ない!

というオプションではあるが、心情的問題を排除してしまえば、論理的には筋は通っていて実現可能なオプションであるところが面白い。

■もうひとつのオプションは先制攻撃戦略。

相手が打って出る前に、とっとと消し去ってしまう、という作戦だ。

もちろん、北朝鮮も反撃するから、日本本土へのミサイル着弾(化学兵器も含め)も十分に考えられるし、こちらも多くの血を流す可能性があることを覚悟しなければならない戦略である。

日本は現時点でこのような打撃力はもたないから、実際には米軍の作戦に承認を与えるという政治的決断を意味することになる。

実際には1000発のトマホークを北朝鮮の各拠点にぶち込みつつ、何箇所かの金正恩の隠れ家と思しきところにバンカーバスターを投下。同時にネイビーシールズを送り込んで金正恩の死を確認する、という段取りになるだろう。

初動の段階で、どれくらいの反攻を許すかが問題で、ソウルは無事では済まないだろうし、破壊を逃れた移動式ミサイルによって日本本土に被害が及ぶ可能性も高い、そういうシナリオである。

■あまりにも極端で、どちらも取りにくい選択である。

けれども逆に言えば、もうそれくらいしか手は残されていない、ということだろう。

大切なのは先をにらんだ選択を行うことだ。

朝鮮半島が安定する未来についてのありうる姿は、やはり二つ。

金王朝を国際社会のなかに受け入れてともに歩む決意をすること。

金王朝を完全に削除して、金正男の息子を立てるなりをして、新しい政権を樹立させること。

この二つの安定的未来につながるのが先の「降伏戦略」と「先制攻撃戦略」だ。

選択肢の中身だけで判断をしてはいけない。その先を見なければ判断をあやまってしまうだろう。日本はこういう戦略的判断はへたくそのように見えるので非常に心配だ。

いや、むしろ日本が取りそうなのは、ルトワック博士が最悪の選択といっている「何もしない」という道だからこそ、そこが問題なのである。

■アメリカは韓国国内にTHAADの配備を開始したようである。

THAADの長距離レーダーの配置は中国の腹の中を直接覗き込むような行為であって、中国にとっては戦術的には到底受け入れられないことである。

中国がアメリカとの戦争を回避すべく、わざと自分の腹を覗かせるという高度な戦略的政治判断をしなければ、いま北朝鮮の対応で同じ方向を向いているトランプと習近平が再びたもとを分かつことになりかねない。

今、北朝鮮に対して経済制裁のみでいこうとするならば、金正恩が先制攻撃の手に出る可能性(かつての大日本帝国がそうだったように)が高まるだけでなく、米中の疑心暗鬼が将来の戦争の範囲を拡大してしまう、という事態を導いてしまう。

安全策としてありうるのは、表向きだけの中途半端な制裁で金正恩を生き延びさせるという道だが、それは今までの道のりであって、それがアメリカへの直接打撃の能力獲得まであと一歩という今の事態を引き起こしたことを考えれば、それこそ最悪の選択となるだろう。

■トランプ大統領は良くも悪くも、決断し、実行する人物のようである。

Xデイは、さほど遠くないのかもしれない。

そのなかで日本はどういう道を選ぶのか、或いは、当事者であるにも関わらず蚊帳の外に置かれてしまうのか、 どうも後者のような気がしてならない。

アメリカの利益と日本の利益は同じではない。

だからアメリカの決断には絶対に日本は関与すべきである。

ことの性質上、表には出るはずのないこの交渉ができる人材が日本にはいるのだろうか、ただただ祈るばかりである。

                  <2017.04.26 記>

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2017年4月14日 (金)

■【社会】米軍、ISにMOAB投下。喧嘩上等、トランプ節炸裂。

米軍は13日、非核兵器では史上最大の爆弾とされる大規模爆風爆弾兵器(GBU-43/B Massive Ordnance Air Blast)、通称「MOAB(モアブ)」を、アフガニスタンのイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」施設に対し投下した。同爆弾の実戦使用は初めて。

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■MOABは長さ約9.1 m、重さ約9,800 kgの爆弾で、8,482 kgの炸薬があるという。デイジーカッターの後継で非核兵器としては現時点、史上最大の爆弾だ。

ナンガルハル州アチン地区にあるISのトンネル複合施設に対してMC130特殊作戦機から投下された。

ベトナム戦争で開発され、イラク戦争でも使われたデイジーカッターは「ひなげし(雑草)を刈るもの」という意味で、地上にあるものを薙ぎ払い地雷もない安全な平地を確保する爆弾である。

イラクで使用されたときは戦術核が使われたと誤認されたほどの威力を持っているという。デイジーカッターの炸薬重量は約5,700 kgだからMOABはその倍近い威力を持っているはずだ。

しかし地下施設への攻撃であれば地中貫通爆弾バンカーバスターの方が適切のような気がするが、トランプは派手さを選んだのであろうか。

■しかしまあ、シリアにトマホークを打ち込んだと思えば、ISにMOAB。

トランプのイケイケはとどまることを知らない。

15日の金日成生誕記念日直前に実施というところに意味があり、シリア爆撃が習近平との会談での圧力であったように、今回は明らかに金正恩への「何かあれば核施設にぶっこむぞ!」という恫喝である。

外交部を設定して対話の糸口を探るポーズを見せた金正恩であるが、そこに拳を振り上げて見せたわけである。

弱腰と言われたオバマでは到底考えられないやり方で、トランプの喧嘩上等は本物のようだ。

さて明日、金正恩がどう出るか。

今後の動きがさっぱり読めない。

                  <2017.04.14 記>

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2017年4月13日 (木)

■【社会】緊迫する北朝鮮、果たして15日に何が起きるか。

4月15日、金日成主席生誕105年のイベントがあり、なんらかの動きがあるのではという推測が強まっている。

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■15日には空母カールビンソンが到着、沖縄にはビンラディン暗殺に投入されたSEALsもいるようだ。

米中首脳会談、そのさなかのシリア爆撃。

トランプは「何をするかわからないエキセントリック」さを見せつけることで習近平に強烈な揺さぶりをかけている。

これを受けて中国は、次に核実験を行えば強い制裁を実施する。と北朝鮮に通告。

北朝鮮は決して戦争を望んでいるわけではない、この中国の示唆にしたがって、しばらくおとなしくして、結局なあなあのまま、事態は収束するのだろう。

■なんていう希望的観測は、今回も通じるのだろうか。

金正男暗殺の背景は何か。

と考えると、金正恩には体制を破壊される動きについてきわめて強い危機感があるのではないか、という気がしてくる。

どうも、今までの「狂ったようにみえて実は狡猾」な感じから逸脱している、そんな空気が漂っているのだ。

■4月15日、或いはそのあとのイベントで核実験やミサイル発射などをすれば、中国は追加の本格的な制裁を行うだろう。

抜け穴だらけの制裁はトランプは許さない。

そのためのシリア爆撃だし、カールビンソンの派遣だ。

しかし制裁に追い詰められた北朝鮮は、ハルノートで追い詰められたかつての日本と比べるのは適切ではないだろうが、実力行使に出る可能性は飛躍的に上がるだろう。

軍事行動を抑制するための制裁が、逆に軍事行動を促すという逃げ場のない最悪の事態になりかねない。

だから朝鮮半島の安定、日本の安全保障上、悔しいけれど本格的な制裁はむしろ逆効果なのだ。

北朝鮮がこの状況で核実験なり、巡航ミサイル発射なりを行えば、むしろ中国とアメリカの方が難しい対応を迫られることになる。

そこまで読んだうえで金正恩がどう出るか。

トランプの「エキセントリック」をフェイクとみるかどうか。

まずは4月15日、固唾をのんで見守ろう。

                <2017,04.13 記>

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2017年4月12日 (水)

■【社会】「くら寿司」無添加、イカサマくさい、の掲示板書き込み人物開示提訴、棄却される。

当然の判決なんだけど、書き込んだ人物を特定して「くら寿司」はどうするつもりだったんだろうね。

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■平成28年3月、ソネットの株掲示板に、「ここは無添くらなどと標榜(ひょうぼう)するが、何が無添なのか書かれていない。揚げ油は何なのか、シリコーンは入っているのか。果糖ブドウ糖は入っているのか。化学調味料なしと言っているだけ。イカサマくさい。本当のところを書けよ。市販の中国産ウナギのタレは必ず果糖ブドウ糖が入っている。自分に都合のよいことしか書かれていない」などと書き込みがあったのに対し、くら社側は「自社の社会的評価を低下させ、株価に影響を与えかねない」として、ソネット側に個人情報の開示を要求した。という件。

株の掲示板なので、対象企業の株価を下げるような嘘の情報を書き込めば「風説の流布」にあたり、当局への通報により金融商品取引法違反で逮捕される。

普通はこっちの選択をするはずなのだけれど、なぜか「くら寿司」を経営するくらコーポレーションは、書き込みを行った人物を開示する訴えを起こしたというわけだ。

まったく意味が分からない。

■東京地裁の判決は以下。

宮坂裁判長は「書き込みは、くら社側の違法性を指摘するようなものではない上、シリコーンや果糖ブドウ糖の使用の有無を公表していないのが事実だとしても、くら社が社会的に批判されるべきことではない」と指摘し、書き込みはくら社の社会的評価を下げるものではないと指摘した。  その上で宮坂裁判長は「念のために付け加えると、仮に社会的評価の低下がありうるとしても」と前置きした上で、(1)書き込みはくら社の表示に対する問題提起であり、公益に関わる内容だ(2)くら社は4大添加物(化学調味料・人工甘味料・合成着色料・人工保存料)以外の添加物の使用の有無はホームページなどで表示しておらず、書き込みは重要な部分で真実だ-などと認定、「違法性はない」と結論付けた。

まさにおっしゃる通り。

極めてまっとうな判決だし、くら寿司に対する批判すら行間ににじむ内容だ。

こんな要求が通るようでは、ネット上の言論の自由などあったもんじゃない。

確かに「2ちゃんねる」や「Yahoo掲示板」なんかは、無責任な書き込みがあるけれども、たとえば株の掲示板についていえば、変なことを書き込めば、すぐさま「風説の流布」だと指摘され、「通報しますた」となるわけで、それなりの自浄作用はあるものである。

こういう自浄作用、つまり自由な議論こそが民主主義の根幹なのである。

こんなことをブログに書けば、へんなとばっちりを受けるかもしれないけれど、ネットに言論を記載する者としては無視できない内容なので、しっかりと書き残しておく次第である。

                     <2017.04.12 記>

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■【社会】ユナイテッド航空オーバーブッキング問題。これが人種差別大国アメリカなのか!?

【AFP=時事】(更新)米ユナイテッド航空(United Airlines)の国内線で、過剰予約(オーバーブッキング)を理由に乗客1人が機内から強制的に降ろされていたことが、他の乗客が撮影した映像などから分かり、ソーシャルメディア上で同社に対する激しい非難が沸き起こっている。

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■乗客が撮影した動画を見ると、男性の座席に係官が覆いかぶさった瞬間に猛烈な悲鳴が上がり、その後、 意識がもうろうとなった男性が通路を引きずられていくことがわかる。また、オーバーブッキングが間違いだとわかり、戻ってきた男性の口元からは血が流れだしている。

ネット上ではスタンガンが使われたと流れているが、どうやら信ぴょう性は高いようだ。

さらには、降ろされた乗客は「抽選」で選ばれたが、その4人すべてがアジア系であったともされているが、これはソースが不明でよくわからない。

■ありえないだろう!

というのが普通の日本人の感覚で、驚きを隠せないのだけれども、乗客のアメリカ人の女性は「あなたたち、自分がやっていることがわかってるの!」と叫んでいたり、こういう動画がネットに次々アップされていることから、あり得ない!と思っているアメリカ人も多そうで、その辺は少し胸をなでおろす。

これはユナイテッド航空の問題?

単に、この係官がおかしいんじゃね?

という見方もあるが、

今回の件は全てのユナイテッド航空の職員にとって心外な出来事でした。4人の乗客に座席の再調節(Re-accommodation)という手間を掛けた事をお詫び致します。当社のチームは迅速に警察当局と連携してより詳細な状況把握に努めている最中です。同時に当社はこの乗客と直接連絡を取り、状況の解明に努めます。
ユナイテッド航空CEO Oscar Munoz

というムニョスCEOのコメントを見る限り、反省の色はまったく見えない。

レギンス問題もあるし、乗客に対して強権的な文化をもつ航空会社であることは確かなのだろう。

気になるのは、これがアメリカ自体に根深く横たわる問題なのかどうかだ。

■トランプ政権が誕生した背景には排他的なアメリカ人の心情があると言われている。

世界に発信されるアメリカ文化は、リベラルで愛に満ち溢れた口当たりのいいものだが、実態はこういうものなのか。

残念ながらアメリカ合衆国には行ったことがないし、アメリカの工場から出張にくるアメリカ人工場技術者はドーナツが大好きな気のいい連中だったから、実際のところはよくわからない。日系メーカーに勤めてる時点で親日家だろうし。。。

今までは、こういう人種差別的問題は、黒人に対する白人警官の過剰な暴力として時々ニュースになってきたが、アジア人もまた、こういう差別の標的にされているのかどうか。

今回の件で、クローズアップされるだろうから、しばらく注視しなければならない。

 

まあ、とりあえず、これからアメリカに行くことがあってもユナイテッド航空だけは避けた方が良さそうだ。

そもそも、オーバーブッキングが起きたときに本人の意に反して強制退場させることが出来るというアメリカの法律?そのものがおかしいだろう、という気もするのだけれど、LCCは予約システム上オーバーブッキングが無いようだから、アメリカ国内の移動はLCCが正解なのかもしれないね。

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                   <2017.04.12 記>

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2017年4月 9日 (日)

■【社会】中学必須科目の武道に「銃剣道」追加。自らの志を持たない文科省はすでに死んでいる。

文部科学省は3月31日付の官報で「新学習指導要領」を告示した。中学の保健体育では、武術の種目として新たに「銃剣道」を加えた武道9種目が記された。

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■経緯としては、2012年に中学の体育に武道が必須科目として追加、剣道、柔道、相撲からの選択となったことがあって、なぜ相撲?という疑問もなくはないが、同時にダンスも追加されていることから、多様性とか、経験してみる、とかそういう観点から、とても理解できる内容だと思う。

ところが今回はそこに空手道、弓道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道が追加されたということだ。

銃剣道はあまりにもマイナーということで外れたようだが、どこかの声のでかい人によって追加されたらしい。

■実に違和感がある。

ニュースでは戦前を想起させる銃剣道にばかりフォーカスしているが、なぜ柔道、剣道、(と相撲)だけではだめなのか、ということが腑に落ちないのだ。

私は中高一貫の私立に通っていたが、そこは柔道か剣道かを選ぶ(体が出来上がっていない中学は剣道のみ)授業があって、全国大会で競い合うような鬼のように強い教師に週一で授業を受けていたし、そのなかで全員が有段者になることを目標にしていたくらいだから、単なる体験のレベルではなかった。一月には早朝から11日間続く寒稽古なんていうイベントもあって、それなりに剣道はやったなあ、という感覚はある。

その意味とは、剣道の体裁きとか、相手に対峙したときの構えだとか、呼吸だとか、ことが終わったと見えても気を抜かない残心だとか、少ししか受けていないが柔道の受け身だとか、体育という意味でも、生きていくうえでの体の置き方のようなものを学んだと思っている。

また剣豪小説を読むときには、何だかわかったような気になるし、日本人としての誇りのようなものも醸成されたことも確かだ。

最近の子供は、実際に殴り合うような喧嘩を小学生のころに体験しないから、殴られれば痛い、という実感を持たないがゆえに、殴られる相手の気持ちが分からない。

だから、暴力にしても加減が分からず、暴力ではないイジメにしても、傷つけられる相手の心が理解できない。そういう意味でも「殺し合い」の技を起源とする柔道や剣道を体験するということにはむしろ賛成だ。

■しかし、なぜ他の武道を選択項目に追加する必要があるのか。

今でさえ、柔道や剣道の指導が出来る人間を確保するのが難しいであろうに、空手道、弓道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道なんてかなりの無理筋で、実際、文部科学省もまあ、ほとんど実施されないだろうと考えているに違いない。

柔道、剣道、相撲、空手道、弓道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道

さて、これらの競技はどうやって選ばれたのか。

実はこれらは、日本武道館が中心となる日本武道協議会に参加している競技団体そのものなのである。

日本武道館が危険な団体だなどとは到底思えない。けれども一私的な団体によって、国の子供の教育が決められる違和感なのだ。

■国を私してはならない。

日本武道館が他の競技も子供たちに触れさせたい、という思いを持つのは痛いほどわかるけれども、国政を預かる人間がそれをそのまま受け入れる愚には怒りすら覚えるのである。

これは文科省の天下りと無関係ではないのではないか、などと勘繰りたくもなってしまう。

問題なのは、こういうことになりかけたときにストップをかける機能が完全に停止してしまっているのではないか、ということだ。

文科省の役人には自分の頭でものを考える力はないのか。

グローバリズムを勝ち抜くためと誰の圧力を受けたか知らないが、大学の文科系を殲滅させるような動きをみせて、その思想的底の浅さを、逆にグローバリズムを推進する側の経団連に突き上げられるという滑稽な喜劇を演じた文科省。

もう組織的に崩壊しているのかもしれない。

■教育は国の根幹である。

子供に多様な未来を提供し、将来の日本が発展していく原動力を与える。それが教育の意味だ。

教育勅語の話もあるが、決して老人たちの趣味の実現のためにあるのではない。

文科省にも優秀で志をもった人もいるだろう。

けれども崩壊した組織の中ではいくら優秀な人間があがいたところで大きな流れを変えることはかなり困難なことなのだと推察する。

一旦、解体してみてはどうだろうか。

                    <2017.04.09 記>

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2017年4月 8日 (土)

■【社会】『日本会議の研究』の黒塗り部分。これは一つの日本民主主義の歴史の記録である。

出版差し止め撤回で入手困難になる前に欲しかった黒塗り版、アマゾンで無事にゲットできました!

■なーんて、浮かれてると怒られちゃうけど、削除の仮処分が解消されたのだから、次の版から元に戻ってしまうわけで、権力によって言論に制限が加えられた生々しい証拠を手にできたことは、あまりに心にインパクトを加えるのである。

で、くだんの菅野完氏の著書『日本会議の研究』(扶桑社)の問題の部分がここ。

2017040801

■黒塗りされた(東京地裁の判決に従って扶桑社が行った)のは、

【結果、自殺者まで出たという。しかし、そんな事は安東には馬耳東風であった。】

という部分。

2017年1月6日、「生長の家」元幹部の安東氏による名誉棄損の訴えに対し、東京地裁の関述之裁判長は「真実ではない蓋然性がある」ということで出版差し止めの仮処分を行った。

ではなにか、真実であるという証拠がない限り、何も言えないということなのか?

「言論の自由」とは、たしかに何を言ってもいいというわけではない。名誉棄損もそれを制限するひとつであり、書かれる側の人権も等しく考慮されるべきという意味で自明の論理だ。

けれども本文の文脈から言えば、ごく自然な記述であり、もはや言いがかりとしか思えず、それゆえのこの間の仮処分解除ということだろう。

■そもそも絶対的な真実などというものがあるはずもなく、「事実」のとらえ方がその人の歩んだ人生をかけて作りあげられた目と脳に依存し、それを「真実」と呼ぶならば、人の数だけ「真実」があるものなのである。

それこそが「民主主義」の根幹である「議論」の源泉なのである。

議論によって、その集団のいろいろな人生が融合し、共通理解としての「真実」が立ち上がってくる。それこそが民主主義のダイナミズムなのであり、小選挙区制における党本部支配が党内議論を封殺している自民党こそが、民主主義を多数決だなどと小学生並みの論理に貶める、元凶なのだ。

東京地裁に司法の独立がなかったのかどうかは分からない。けれども何か「空気」のようなものが醸成されていたとしても不思議ではない。

■小選挙区による二大政党制への移行は失敗した。

論理的議論の出来る野党は異質なイデオロギーを抱えた日本共産党のみであり、あとはクズだ。

この10年で日本国民が出した結論は、自民党に頼らざるを得ない、ということである。

確かに小選挙区制による総理官邸への権力集中は、「日本をぶっ壊す」ためには必要な処置であったのだろう。

けれども、破壊に方向性の間違いはないが、再構築の今の場面では方向を間違えれば大変なことになる、という観点から言えば、いろいろな価値観、人生観による「真実」をぶつけ合う、つまりは議論することこそが、今、日本にとって一番大切なことであり、それが民主主義そのものなのである。

今すぐ小選挙区制から中選挙区制に戻るべきだ。

それこそが自民党内にかつてのような自由な議論の構造を呼び戻す唯一の方策だからだ。

確かに選挙に金はかかるだろう。けれども、それを小選挙区制を守る理由とするのは本末転倒であり、間違いだ。

小選挙区制が構造的に日本の言論の自由を脅かしていることは確かであり、そこにメスを入れない限り、首相官邸がすべてを牛耳る今の構造は変わらないだろう。

この一冊の墨塗りは、単なる名誉棄損の話ではなく、10年後の未来の日本から見たときの重要な歴史の一ページなのかもしれないのだ。

 

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【「空気」の研究】 山本七平。決して古びることのない本質的日本人論。

                <2017.04.08 記>

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2017年4月 3日 (月)

■【社会】道徳教科書検定、パン屋が和菓子屋に修正されるバカバカしさ。教育基本法改定の意味を改めて考える。

道徳の教科書検定が話題である。

我が国の郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつこと、という要件を満たさないとパン屋は和菓子屋に修正され、草花が咲く土手は凧揚げに変わってしまった。

思わず失笑してしまう話だが、子供の教育が国の根幹を作るという意味で、きわめて重要な問題だと思うので少し考えてみた。

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■検定でパン屋を否定したわけではない、誤解だ。などというけれども、この文脈ならば、流行りの忖度なんて言葉は使わなくとも、完全にお上の指導に従った形だ。文科省の役人の「例えば、あんぱんなら、、、」なんてコメントをみるにつけ、コントかよ!と思わず突っ込んでしまいそうになる文科省の思想的レベルの低さに暗澹としてしまう。

まあ文科省の役人にしてみれば、道徳の教科書の学習指導要領がそうなってるのだから、あまりイジメても仕方がない。

彼らは実直にまじめに仕事をしているだけだ。

本質的な問題は2006年に全面改訂された教育基本法にある。

■憲法改正にも匹敵する国の根幹に関わる教育基本法の全面改定。その焦点は「普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす」ものから「公共性を重んじ、伝統を継承」するものへの本質的な転換にある。

文科省のHPにある比較表を載せておこう。

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とてもいいことが書いてある。

誰もこれに反対する人はいないだろう。

だから問題なのだ。

上の抜粋を見てもわかる通り、改定された教育基本法は細かくいろいろ書いてある。ありていに言えば、「うざい」。

要するに価値観の押し付けなのである。

■それの何が悪い、

という意見もあるだろう。確かに、行き過ぎた自由と権利意識がモンスターを生み、社会がすさんでしまった。という側面もあるだろう。

それを苦々しく感じる強い危機意識が2006年の教育基本法改定の原動力だったのだと思う。

家族と地域社会が人間の形成にとっていかに大切なものか、なんてことは先刻承知である。公共の精神の根幹はそこにある。

しかし、それはバリバリの旧教育基本法で育った私のようなものでも学校で教わっている。

基本は憲法だ。

基本的人権の尊重

いちいち細かく言われなくたってすべては「基本的人権の尊重」だけで事足りるのだ。

それぞれの個人の人権は尊重される。しかし同じようにほかの人にも人権があって、それもあなたと同じように尊重されなければならない。

道徳の授業でも、社会の授業でも、国語の授業でも、いつでもその文脈に従って教育を受けてきたし、その精神はしっかりと自分のなかに根付いたと思っている。

そこからスタートせずに、憲法と独立したところで細かい価値観を箇条書きにして教え込もうとする、そのやり方が根本的に間違っている。

論理的に憲法から導こうとせず、立案する人間の価値観に従った「良かれ」という思い付きで作るから、伝統とか文化とか郷土愛とか訳の分からないものが入り込んでしまうのだ。

それがいかに無理筋で滑稽なことなのかが、今回の道徳教科書の騒動で浮き上がってきたのだと私は思うのだ。

■伝統も文化も郷土も大好きである。

でも、それは地域や社会と接するなかで自然に生まれてくるもので、決して国家から押し付けられるものではない。

修正まえの教科書に載っていた「きれいな花が咲く土手」は確実にわれわれの心に響く「地元愛」に満ちた心象風景である。

それが空き地のない今の子供にとって何のリアリティもない凧揚げに変わった瞬間にもう絶対に伝わるわけがない。

そういったことを押し付けようとした瞬間に、伝統も文化も郷土も死んでしまうのだ。

だから旧教育基本法は寡黙なのである。

それは明治維新から国家総動員法に至る文脈のなかで生きてきた、それを生で感じてきた人たちだから、そうなったのだと思う。

■先日、娘の小学校の卒業式に参加した。

そのなかで愕然としたことがある。

式の中で君が代斉唱があった。

当たり前のことだと思っていたのだが、並んでいる卒業生たちをみながら君が代をうたっていると、激しい違和感が沸き起こってきたのだ。

何かおかしい。絶対に合わない。似つかわしくない。

卒業式は楽しく学んだ6年間とこれからの旅立ちを想う式である。その中で歌われる君が代への違和感なのである。

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いや、一時期の学校における君が代日の丸ボイコット問題については、むしろ激しい嫌悪感を抱いていた方である。

娘が4年生のころには、君が代を知らないとか言い出すので、慌ててその歌詞の意味もあわせて教え込んだ口である。

バリバリの愛国主義者だと自分でも思う。

でも、いざ自分の娘の卒業式で歌われる君が代には心の底から違うという気持ちが沸き上がってきてしまったのだ。

それは、国というものが、小学校の6年間の想いのなかにはまったく関りがないからだ。

むしろ国というものが小学生に関わるほうが不自然だろう。小学生の視線の先にあるのは毎日眺めながら歩いた花が咲く土手であり、友達と夕方まで遊んだ公園であり、近所のうちの犬であり、そこのうちのおばあちゃんなのだ。

だから日教組とはまったく正反対の意味で、小学校の卒業式で君が代は歌わなくてもいいと思う。みんなでいつも歌った校歌こそが、彼らの属し、育った「社会」の「歌」なのだ。

君が代はオリンピックやら、そういう国を意識する場でこそ、自然と立ち上がり、しみじみとこころを震わせるものである。決して、押し付けるものではない。

国への愛というものは、家族や地域といった社会の延長線上に生まれるものであって、突然上から降ってくるものではない。

今回の卒業式の件で、それを痛切に感じた次第である。

                    <2017.04.03 記>

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■国会を騒がす籠池問題の重要なプレーヤーである菅野完さん。彼が昨年上梓したのがこの「日本会議の研究」。

2006年の教育基本法改定の背後に日本会議がいることは想像に難くない。

当時の首相は今、渦中にある安倍晋三現総理。

彼の言動を追うと、どうもこういう薄っぺらな国家主義がプンプン匂っていた。けれど一昨年の終戦記念日における戦後70年談話あたりから安倍首相は急に変わったように思われる。

ブレーンが完全に入れ替わった、そういう印象だ。

たぶん日本会議ともかなり距離を置くようになったのだと思う。だからこそ籠池さんたちは裏切られた!と言うのだろう。

そこの浅い「愛国」はいまの日本人の誰にも響かない。それは籠池さんへの世間の嘲笑に強く表れている。安倍首相もやっとそのことに気づいたのだと思う。

だからこの「日本会議の研究」の帯で謳われているような「右傾化」は根無し草であり、それほど心配することではないと思っている。

それよりも、東京地裁による「日本会議の研究」に対する出版差し止め仮処分と先日のその取り消しの騒ぎの方が重要だ。

今の司法は本当に独立しているのか。原発稼働停止の大阪高裁の判断も併せて考えると流行りの「忖度」という言葉がどうしても気になってしまう。

1月の出版差し止めを受けてこの本は該当部分の「黒塗り」での出版を行ったらしい。この本は立ち読みで済ませていたが、言論規制の記録として先ほどアマゾンで注文。さて、黒塗りバージョンを手にすることが出来るか??

 

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2017年3月27日 (月)

■【感涙】本物の横綱だねっ、稀勢の里!!

14日目の取り組みを見て、うるうる来てしまったのは私だけではないだろう。

まさか優勝するなんて、思ってもみなかった。

20170326

■13日目の日馬富士戦で肩から落ちて、立ち上がれないくらいのダメージをうけ、翌14日目の鶴竜戦では、もう立っているのがやっとというのが立ち合いを観ていてもわかるくらいの状態。それでも新横綱の名に傷をつけてはいけないという強い責任感と意志で土俵に立ったのだろう。その心意気が胸を打ったのである。

だから今日の照ノ富士戦は誰もがあきらめていただろうし、そのことで稀勢の里を悪く言う人は皆無だったろう。何しろ優勝するためには連勝するしかないのだから。

けれども稀勢の里はあきらめていなかった。

少し変化気味に照ノ富士をかわした初戦に続き、優勝決定戦では右手一本、小手投げで優勝を決めた。

あきらめないこととか、勝負の場に立ち続けること、なんて言葉はもうこの次元になると空虚に響くだけだ。

執念、といえばいいのか。

■1984年のロサンゼルスオリンピックでの柔道の山下とラシュワンとの決勝を思い出す。

二回戦で軸足の肉離れを起こして負傷していた山下泰裕は、結局一本勝ちで強敵ラシュワンを下して金メダルを手にする。

ラシュワンも照ノ富士も、決して甘い人間ではなく勝負に生きる人間だ。

けれども、たぶん稀勢の里や山下泰裕の放つ執念のようのものがあって、それは肉体的ハンディキャップを凌駕し、相手を精神的に抑え込む力をもっているのかもしれない。

それこそが王者たるものの所以なのだろう。

本当に素晴らしい。いいものを見せてもらった。

稀勢の里、ありがとう。

                         <2017.3.27記>

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2017年3月20日 (月)

■【社会】豊洲問題 百条委員会 石原元都知事証人尋問。都議会も同罪なのだから豊洲の本質はまだまだ見えない。

都議会って、これほどレベルが低かったのかと愕然とした。ちゃんと切り込めたのは共産党だけじゃないか。

20170320

■よぼよぼと登場し、脳梗塞の後遺症で海馬をやられて平仮名も書けないから、記憶にないこともあるかもしれないと、哀れを誘いつつ言い訳の布石を打った石原慎太郎元都知事だったが、その心配も無用であった。

何しろ、自民の質問者は、そうだよね、という共感の論議に終始し、その他の政党は何を言いたいのか、何を引き出したいのかさっぱりわからない質問とも言えない自己主張に終始。

国会のレベルも高いとは言えないけれど、都議会の各党の代表者でしょ?それがこのレベルなんて、都民はほんとうにご愁傷様としか言いようがない。

■唯一、石原元都知事が眼光鋭く、何を言いたいんだ!と権力者のまなざしで質問者を脅したのが、共産党の質問者に対してだ。

豊洲を決めたのは私だし、都の頂点にいたものとして責任はある。けれど、中身は任せていたので一切わからん。

という石原に対し、

800億円の都の支出に対し、都知事が決済しないわけがないだろう?

というのが共産党の一つ目の質問なのだけれど、石原の眼光に委縮してか、その先に進むことが出来なかった。

たぶん、この800億円というのが、豊洲の一つの焦点なのだと思う。

東京ガスから都に対策費が移った段階で経営的観点よりも利権が幅を利かせるのが目に見えていて、税金を使われる都民の観点からすると、土壌汚染対策費というエサを食い散らかし、必要以上に対策費を膨らませて私腹を肥やした連中がいるはずで、ここが許せないポイントとなるはずだし、小池都知事が対決すべき伏魔殿の本陣に違いない。

石原都知事がそこに与していたとも思えないが、少なくとも、伏魔殿に切り込むことはできなかったし、今でもそれは出来ない事情があるということだろう。

■何よりも不思議なのは800億円の対策費を都が負担するならば、それは都議会の予算委員会なりを通っているのではないかということだ。

石原がサインしたのは事実だろう。けれど、それを承認したのは都議会だろう。

800億円の利権には都の自民党はもちろん賛成のはずで、その他の政党にしても責任はある。そういう連中が質問しているんだから、百条委員会でこの問題の本質に切り込むのはどだい無理な話なのかもしれない。

■もう一つのポイントは安心と安全の問題。

豊洲の地下水はポンプアウトしてしまえば問題ないだろう。豊洲への移転を急げ、というのが石原の主張だが、実際に豊洲への移転を決めるときに関係者へ石原が約束したのは法令だけでなく、環境基準を満たすこと。であった。

だからこそ、その環境基準で地下水をチェックしてきたのだ。それがうまくいかなかったから、実際の問題はないだろう、というのは関係者に対する約束違反だ。

ある意味、移転の前提条件なのであって、その約束違反というポイントではなく、安全か安心か、なんて雲をつかむような議論に持ち込もうとする質問者もバカ丸出しである。

だから、

安全は大事だし、安心も必要だ。

けれど科学は絶対ではない。安心は豊洲や都政に限らない文明論だ。

なんて演説をさせてしまうことになる。

これって、証人喚問だろ?なんで演説してるの??

もう都議会の連中とは役者が違い過ぎるのは明白である。

■問題はまさに、石原がいう「科学は絶対ではない」というところにある。

豊洲の安心の問題は、何が起きているかよくわからない状況のなかで安全と言われても信用できない。ということだ。

実際、コンクリで埋めていても亀裂は入るし、ガスでも出れば市場に流れ込む可能性だってある。

それを今わかっている範囲で「科学的に」判断しても意味がない。そのことは福島の原発事故で日本人はいやというほど味わっているはずだ。

それに対し、石原元都知事はバランス感覚を持ち出すのだが、そこが豊洲関係者、或いは福島以降の日本人のメンタリティとの絶望的なかい離なのである。

いずれにしても、今回は豊洲問題の本質に全く切り込むことはできなかった。

「安心」の観点から、もう豊洲移転の目はないだろう。

本丸は、800億円の予算とその実態、および背後にある利権関係だ。

オリンピック関係も含めて、この闇に切り込んでいくのか、うまくなだめながら闇と付き合っていくのか、都議選に向けた小池都知事の動きに注目である。

                       <2017.03.20 記>

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