●8.社会・報道・ドキュメント

2017年3月20日 (月)

■【社会】豊洲問題 百条委員会 石原元都知事証人尋問。都議会も同罪なのだから豊洲の本質はまだまだ見えない。

都議会って、これほどレベルが低かったのかと愕然とした。ちゃんと切り込めたのは共産党だけじゃないか。

20170320

■よぼよぼと登場し、脳梗塞の後遺症で海馬をやられて平仮名も書けないから、記憶にないこともあるかもしれないと、哀れを誘いつつ言い訳の布石を打った石原慎太郎元都知事だったが、その心配も無用であった。

何しろ、自民の質問者は、そうだよね、という共感の論議に終始し、その他の政党は何を言いたいのか、何を引き出したいのかさっぱりわからない質問とも言えない自己主張に終始。

国会のレベルも高いとは言えないけれど、都議会の各党の代表者でしょ?それがこのレベルなんて、都民はほんとうにご愁傷様としか言いようがない。

■唯一、石原元都知事が眼光鋭く、何を言いたいんだ!と権力者のまなざしで質問者を脅したのが、共産党の質問者に対してだ。

豊洲を決めたのは私だし、都の頂点にいたものとして責任はある。けれど、中身は任せていたので一切わからん。

という石原に対し、

800億円の都の支出に対し、都知事が決済しないわけがないだろう?

というのが共産党の一つ目の質問なのだけれど、石原の眼光に委縮してか、その先に進むことが出来なかった。

たぶん、この800億円というのが、豊洲の一つの焦点なのだと思う。

東京ガスから都に対策費が移った段階で経営的観点よりも利権が幅を利かせるのが目に見えていて、税金を使われる都民の観点からすると、土壌汚染対策費というエサを食い散らかし、必要以上に対策費を膨らませて私腹を肥やした連中がいるはずで、ここが許せないポイントとなるはずだし、小池都知事が対決すべき伏魔殿の本陣に違いない。

石原都知事がそこに与していたとも思えないが、少なくとも、伏魔殿に切り込むことはできなかったし、今でもそれは出来ない事情があるということだろう。

■何よりも不思議なのは800億円の対策費を都が負担するならば、それは都議会の予算委員会なりを通っているのではないかということだ。

石原がサインしたのは事実だろう。けれど、それを承認したのは都議会だろう。

800億円の利権には都の自民党はもちろん賛成のはずで、その他の政党にしても責任はある。そういう連中が質問しているんだから、百条委員会でこの問題の本質に切り込むのはどだい無理な話なのかもしれない。

■もう一つのポイントは安心と安全の問題。

豊洲の地下水はポンプアウトしてしまえば問題ないだろう。豊洲への移転を急げ、というのが石原の主張だが、実際に豊洲への移転を決めるときに関係者へ石原が約束したのは法令だけでなく、環境基準を満たすこと。であった。

だからこそ、その環境基準で地下水をチェックしてきたのだ。それがうまくいかなかったから、実際の問題はないだろう、というのは関係者に対する約束違反だ。

ある意味、移転の前提条件なのであって、その約束違反というポイントではなく、安全か安心か、なんて雲をつかむような議論に持ち込もうとする質問者もバカ丸出しである。

だから、

安全は大事だし、安心も必要だ。

けれど科学は絶対ではない。安心は豊洲や都政に限らない文明論だ。

なんて演説をさせてしまうことになる。

これって、証人喚問だろ?なんで演説してるの??

もう都議会の連中とは役者が違い過ぎるのは明白である。

■問題はまさに、石原がいう「科学は絶対ではない」というところにある。

豊洲の安心の問題は、何が起きているかよくわからない状況のなかで安全と言われても信用できない。ということだ。

実際、コンクリで埋めていても亀裂は入るし、ガスでも出れば市場に流れ込む可能性だってある。

それを今わかっている範囲で「科学的に」判断しても意味がない。そのことは福島の原発事故で日本人はいやというほど味わっているはずだ。

それに対し、石原元都知事はバランス感覚を持ち出すのだが、そこが豊洲関係者、或いは福島以降の日本人のメンタリティとの絶望的なかい離なのである。

いずれにしても、今回は豊洲問題の本質に全く切り込むことはできなかった。

「安心」の観点から、もう豊洲移転の目はないだろう。

本丸は、800億円の予算とその実態、および背後にある利権関係だ。

オリンピック関係も含めて、この闇に切り込んでいくのか、うまくなだめながら闇と付き合っていくのか、都議選に向けた小池都知事の動きに注目である。

                       <2017.03.20 記>

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2017年3月12日 (日)

■【社会】中国、ステルス戦闘機J-20を実戦配備。果たしてこれは脅威なのか。

最近の空母「遼寧」に続いてステルス戦闘機の実戦配備。中国のアピールがものすごい。

J20_2

中国国営中央テレビ(CCTV)は9日、中国の次世代ステルス戦闘機「殲(J)20」が空軍に実戦配備されたと伝えた。J20の配備が公式に確認されるのは初めて。

■ロシアのエンジンをのっけたバカでかい機体にF-22の機種部分を移植して、バランスをとるためにカナードつけました。という感じか。

Su-27からのリバースエンジニアリングとF-22の技術を盗み出すことで作り上げた「国産」機。

そのステルス性能については、F-22、F-35と見比べれば一目瞭然。

よく言って4.5世代。とてもステルスとは呼べそうもない機体だ。

F22raptor
Us_f35c__main
F-22(上)/F-35(下)

■今年の党大会で習近平の後継者が決まるというタイミングに合わせて、無理やりの実戦配備なんだろう。

なんなら尖閣近海に遊びに来てもらいたい。

最近、沖縄近海で中国の戦闘機が空自の戦闘機に絡んできてロックオン。空自の機体がフレアを放って離脱、なんてことも起こっているようで、F-22と並ぶ性能なら自信をもって絡んだらいい。

ただし空自のイーグルドライバーはF-22を模擬空戦で落とすほどの手練れだから、ステルス性を犠牲にしてまでカナードつけて機動性の悪さを補わなければならない機体はカモでしかないだろうけど。

まあ、どっちにしろステルスじゃないことがばれちゃうから絶対に日本には近づかないだろうけどね。

F-35の開発とか、MRJの引き渡し延期とか見ていてもわかるけど航空機の世界はリバースエンジニアリングが通用するほど甘くはないのだ。

                   <2017.03.12 記>

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2017年3月 9日 (木)

■【社会】森友学園問題に思う。日本人はなぜイジメが大好きなのか。

テレビでの森友学園バッシングがすごい。

Moritomo

■10億円の土地を1億円で払下げ、そこに問題の焦点があるのに、すっかりずれてしまい、世の中は森友学園の教育方針がひどいという話で持ち切りだ。

公立学校なら話は別だが私立の幼稚園なら入園しなければいいだけのことで、どうでもいいじゃん、でしょ?

行き過ぎた国粋主義教育に対して左翼勢力のあおりがあって、やっぱりマスコミは。。。というのは当たってる部分もあるにしても、たぶん本質的にはずれている。

■日本人は南方から沖縄を通ってきた人たちと、チベットモンゴルを抜けていく人たちが分かれてきたのと、最後に朝鮮半島から入ってきた人たちが混じってできた民族だ。

他民族国家ではなく、もう完全に混じってしまって一緒になってしまうのが特徴だ。

それは古事記をみても後から入ってきた天尊族がオオクニヌシノミコトをやっつけても、完全に滅ぼすことはない、坂上田村麻呂が蝦夷征伐を行ったときもジェノサイドではなく取り込む形で征服をおこなった。

ローマやモンゴルも征服した民族を滅ぼさなかったが、民族が区別がつかない形で入り混じることはなく、こういう形の融合は日本独自のものなのかもしれない。

■日本人は単一の由来ではないが単一民族だ。

それを支えるのは単一の価値観であって、そこが異物を排除しようとする「いじめ」の本質なのではないだろうか。

同一の価値観であることを確認し、そうだよね~、僕らは一緒なんだよね~、という安心感は、社会の中にある「異物」に極端に反応する。

森友学園の国粋主義教育はまったく褒められたものではないし、敢えて言えば気持ち悪いレベルである。

この「気持ち悪い」が「異物」への反応なのである。

マスコミが大好きということは、視聴率を取れるということだ。こういう番組を喜んで観る我々自身が、こういう「異物」に対する「排斥」=「いじめ」が大好きだ、ということなのだ。

■こういう偏った人間に日本の首相が肩入れしていて、官僚が政治的な力で動かされて便宜を図った、という構図をあぶりだす。

政権を切り崩すためには最高の材料であり、そのための森友学園バッシングという見方が正しいだろう。

その野党の背後には中国共産党がいるだろうし、戦後の歴史をみれば、力をつけてきた日本の政治家の目を摘み、首相さえ罠にはめるのがアメリカ・エスタブリッシュメントの手法であることを思えば、今回の一連の動きを国際政治闘争の問題として見るのも重要な切り口だ。

だが、われわれ日本人自身が自分の頭で考えることを放棄し、感覚のままに「異物」を排除する特性があって、それ故にこういうキャンペーンが成り立つとするならば、そこに問題の本質があるということなのだ。

偏狭な国粋主義思想だと嫌悪し、「いじめ」はいけない!といつも声高に叫んでいる意識の高いあなた自身が、実はそういった罠に入り込んでしまっている可能性があることをしっかりと考えなければならない。

■今回の件は、収賄と詐欺という犯罪があったかどうかが焦点であり、そこからぶれてはいけない。

犯罪者がどういう考え方を持っているかではなく、その犯罪自体が問題なのだ。

なぜ、そういう事件が起きたのかを考えるのは真相が明らかになった時点で事実に基づいて検証すべきことであり、何が起こったのかすらよくわからない今の時点で考えることではない。

自分の自然な感覚・感情はとても大切だけれども、それを冷静に点検する目も持つべきだ。

「みんな同じ」に安心する国民性は、異物を置くことで結束が強まるが故に、いじめを加速させやすく、「同じ」である安心感は、日露戦争以降の日本の悲劇や、バブル時代の狂乱につながりやすい。

この20年、漠然とした不安を抱えながら生きてきた私たちは、東日本大震災を経て、いま世界再編の荒波にさらされている。

まわりに流されない冷静な自分をいかに保つか、そしてそれを声に出して言えるか。

それが「空気」に対する唯一の対抗手段である「水をさす」という行為だと、山本七平は「空気の研究」の中で語っている。

それがますます重要な時代なのだと思う。

                  <2017.03.09 記>

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2017年3月 7日 (火)

■【社会】経済の主体は誰か?経済学者はいい加減に目を覚ませ。

なぜ経済学者はこうも変わらないのだろう。

今朝の日経35面の経済教室の記事である。

■慶応の清田教授が保護貿易がいかに不適切なものかということをトランプ大統領の保護主義政策にからめて解説している。

要点は3つ

1.保護主義的関税を設けても結局は消費者の不利益が大きい

2.国際貿易の規模が縮小し経済がブロック化、国際政治の不安定化を招く

3.貿易赤字の理由は貿易相手国ではなく国内の貯蓄と投資の規模によるもの

 

■うーん。

学生の時から思うのは、どうして経済学者は経済をひとつのモデルに押し込んで、数式で整理しようとするのだろう、ということだ。

経済というのは「国」なんて、もやもやした実態のないものではなく、一家三人共働きで娘がこの春進学するんだけど、学費をどうする、とか、そういう民草の生活の総体なのだ。

そんなことは実感として誰でもわかることなのに、経済学者なんて連中は、理論なんてものに思考を縛られてしまい、その結果、金融緩和で金をジャブジャブばらまいてデフレ退治しようとするその同じ手で消費増税を行って景気に冷水を浴びせるなんてことをしてしまうのである。

■1.の理屈はまさにそれで、保護された産業の利益と関税と消費者の不利益を単純に足し算してしまう。そのバカな単純さの問題である。

消費者は単純に消費してるだけでなく、働いて収入を得て生活をしている。

その収入の観点がすっぽり抜け落ちているのである。

実際に収入が落ちていて、将来に不安があるから消費が伸びない。そこに問題の本質があるのだ。

トランプがやろうとしているのは、大きな希望を提示して、その民草の将来の不安を取り払う試みだ。

アメリカの工業に過去の姿はなく、モノの生産能力を海外に奪われてしまっている。価値を生み出す企業はとっくに海外にシフトしており、アメリカの「価値」を高める主体は金融技術による錬金術だ。

そんな金融バブルなんてものは民草には一切関係がなく、国が富めども人民は貧しいばかりという構図で、うまくいくかは分からないけれど、「ものを作る」ことからアメリカの自信を復活させようというのがトランプ政策の根幹だと思われる。

■2.はその通りだと思う。

貿易は世界経済の血液だ。

だが、この批判は少しずれている。トランプは決して貿易をしない、とは言っていない。二国間協議によって、それぞれの国の特性に合わせてルールを決めていこう、と言っているのだ。

TPPの問題はそれぞれの国の事情を無視して、国際企業の権利を優先させる。国際企業の規模の論理によって動き、世界の生産を地域で役割分担させてしまう。

効率、だけを考えればそうだが、そこに生かされているそれぞれの国民は牛や豚やブロイラーではない、ということを全く考えていない。

それは経済学者が、それぞれの国の国民を数式を構成する一つの変数としてしか考えないということと同義である。

ブロック経済化の話は、問題のすり替えであり、もはやそんなところに戻れないところまで世界がつながってしまっているのは自明である。

■3.については本当に悲しくなる。

 GDP=消費+投資+政府支出+輸出ー輸入

 GDP=消費+貯蓄+税

二つの観点からGDPを記述し、あろうことかここから消費を両方の式から消し去り、

 輸出ー輸入=(貯蓄ー投資)+(税ー政府支出)

なる式を導き出す。

この式が言っているのは、個人と国が富めば貿易黒字になる、ということで、「貿易赤字は通商の問題というよりは、政府部門を含めた国内の貯蓄と投資の問題ということになる」と結論付けている。

面白いことをいう。

日本は貯蓄の高く、投資も増えているにね。

■もう一度いうが、経済の主体はわれわれ民草の生活である。

安心して生活が出来て、消費が増えて、経済が活発化して、投資が増えて、そうして国家の富みが拡大していくのだ。

それなのに、その血の通った経済を数式に落とし込み、消費を両辺から消し去る感覚が基本的に間違っている。

だから投資を増やすために法人税を下げながら消費税を上げるなんて馬鹿な政策がまかり通ってしまうのである。

社会で働いて必死に生活している人ならだれでもわかる、こういうことが分からない、偉い人が作った経済モデルに縛られて、それを忘れてしまうような経済学者は害悪でしかない。

世界は資本主義が自壊していく時代に突入している。

正しい道かどうかわからないが、トランプはそれに対抗しようとしている。

たぶん、トランプ以降、5年、10年の後になんらかの道筋が見えてくるのだろうけれど、そこでえらいことにならないように、我々は必死で考え、行動しなければならない。

われわれ民草が世界を動かせるわけはないけれども、少なくとも自分の家族を守るために、しっかりと目を見開き、考え、自らの道を選ばねば生き残ることが出来ない。

そういう時代だ。

                      <2017.3.07 記>

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2017年3月 2日 (木)

■【社会】かまやつひろしさん、死去。わが良き、甘く苦い思い出とともに。

1日、かまやつひろしさんが肝臓がんで亡くなった。78歳だった。

Kamayatsu

ムッシュ~。

下駄を鳴らして奴がくる~♪

あの時きーみは、若かあった~♪

何にもない、何にもない、まったく何にもない~♪

の、の、の、の、ボーイ~♪今夜だけ~♪

狂って狂って狂って狂って、あとはさようなーらー♪

ゴロワースを吸ったことがあるかい?短くまで吸わなけりゃダメだ♪

ゴホゴホ

あー、ムッシュ!!!

さよなら、ムッシュ!!!

青春をどうもありがとう!

ゆっくり、おやすみください。ご冥福を。

                     <2017.03.02 記>

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2017年2月28日 (火)

■【社会】残業規制労使協議。経団連は一体どれだけ働かせ続ければ気がすむのか!長時間労働で力任せに働くやり方を根本的に変えなければ何も始まらない。

「(月100時間は)まあまあ妥当な水準だろう。」

「あまりに厳しい上限規制を設定すると、企業の国際競争力を低下させる。」

― 榊原定征経団連会長

2017228

①年720時間(月平均60時間、一日平均3時間)

②違反には罰則を設ける。

ということで政府と経団連は大筋合意。だが、経団連は月の上限を100時間(一日平均5時間)とすることを譲りそうにない。

■いやいや、ちょっと待て。

もともとの法規制値は

月最大45時間、年間360時間

のサブロク協定だろう。

ザル法になっているからといって議論しているレベルが違い過ぎる。

■経団連がいうことは分かる。

実際、わたしも10年以上前に毎日9時から11時過ぎまで働き、当たり前のように休日出勤、月の残業代は裁量労働制で一定の手当て(20時間分くらいだったか)という時代があった。で、なければ仕事が終わらないからだ。しまいには土日出勤で二週間連続勤務なんてのもあったのだから、今考えれば恐ろしいほどに働いた。

けれど、よく考えればそれは私の能力がなくてそうなったのではなく、そういう人員配置をした会社側に責任があるのだ。

「あまりに厳しい上限規制を設定すると、企業の国際競争力を低下させる。」

バカじゃないのか。

ことの本質がまったくわかっていない。

榊原定征経団連会長の論理は、いままで通りでいいじゃないか、といっているようにしか聞こえないのだ。これでは働き方革新の欠片もない。

長時間労働で力任せに働くやり方を根本的に変えなければ何も始まらない。

だからこその規制値であり、企業に対する強い罰則なのだ。

競争力がなくなる?

ドイツへ行ってみたら分かる。

個人の根性にすがるような時代はもう終わりにしよう。

                      <2017.02.28 記>

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2017年2月26日 (日)

■【書評】『最強兵器としての地政学』 藤井厳喜。相手の気持ちで地図を眺めれば世界の今が読めてくるのだ。

面白い。一気に読み終えた。

近現代の世界史といまの世界の見方が一気に体系化され、なるほどと腑に落ちる。地図の読み方というだけでなく、そこに歴史と民族の動きを捉えたとき、今われわれの目の前で動いている一つ一つのニュースの意味がしっかりとした形をともなって立ち上がってくる。これからの世界の動きが読めてくる、特に中国の思惑と対抗手段を理解する上で最良の本なのではないだろうか。

■真ん中に日本があり左手にはユーラシア大陸、右手には太平洋とその先にアメリカ大陸がある。そんな世界地図を見ているのは日本人だけである。という当たり前のことに気づかせる最高の教材は上下さかさまのオーストラリアの世界地図である。

同じようにイギリス人は、アメリカ人は別の世界地図を見て生きている。

北極圏が異様に拡大されたメルカトル図法の地図も、航海に便利だというだけで、別の目的からすれば別の地図を見る。上が北、左右が東西なんて決まっているわけではない。

東西冷戦の時代にアメリカとソ連の関係者は北極を中心としてアメリカとソ連がにらみ合う地図でものごとを考えていた。メルカトル図法の地図だけを見ていたのでは決して理解できない緊迫感がそこにはある。

■地図の中心をどこに置くのかだけではない。そこにどういう物語が起きるのかが問題だ。

地政学は大きな力をランド・パワー(大陸国家)とシー・パワー(海洋国家)に二分することで整理し、理解していく。

中国やロシアはランド・パワー、イギリスやアメリカ、日本はシー・パワーと定義づける。

ランド・パワーは大陸の中心にどっしり構え、陸を進み、周辺の海を目指す。一方のシー・パワーは港の拠点を抑え、海上通路を確保することで海を支配する。

その物語はローマ帝国、モンゴル帝国の時代から普遍であり、歴史は繰り返していく。

日本の戦略を考えるうえで一番参考になるのは同じ大陸の反対側の端に生きるイギリスである。

イギリスは大西洋からアフリカ最南端の喜望峰を確保し、一方で地中海を抜けてカイロを支配、インド洋に抜けてカルカッタを押さえて海洋帝国を確立した。

大英帝国の成功は、シー・パワーであることをわきまえ、決して大陸を支配しようとはせず、大陸がひとつの勢力に染まらず対立の構図が続くように政治的介入をすることで大陸からの侵略が起こらないような防備に留めたことにある。

日本の失敗はシー・パワーでありながら中国大陸の奥深くまで進出してしまったことにある。

日本はアメリカを敵にすべきではなく、地政学的にはむしろ後ろ盾にすべきであって、そのなかで大陸を牽制しながら沿岸沿いに進むべきであったのだ。

と、しても拡大路線を進めば東南アジアでアメリカ、イギリス、フランスの権益とぶつかるのは必然で、既存の勢力との戦争と敗戦は避けられなかったのかもしれないが、、、。

■地政学的観点からみれば、歴史を読むだけでなく、今を解釈し未来を読むことができる。

著者の藤井厳喜はロシアのクリミア併合を予測していたという。

彼はモスクワを中心とした地図を載せる。それを眺め、モスクワに住む人の気持ちになれば、クリミアがロシアの絶対防衛の要であることがよくわかる。

バルト海のサンクトペテルブルグと黒海のクリミア半島はロシアが海に出ていくための要衝である。黒海への出口を失えば黒海を中心とした地域のプレゼンスを失い、クリミアから1000kmしか離れていないモスクワは丸裸となってしまうのだ。

プーチンの強権だ、帝国主義の復活だと世界の世論がいかに騒ごうが、ここはロシアが生き残るためには絶対に必要な場所であり、政治的な戦略がウクライナのクーデターで覆されたとき、防衛的に必要な行動であったということだ。

これは新聞やテレビのニュースを見ていても理解できないことである。

それはアメリカであったり、イギリスであったりする視点で作られたニュースであり、それをなぞるだけの日本のマスコミには到底たどり着かない視点なのである。

そしてそれは日本とロシアとの関係、そして中国の関係を考えるうえで、どうしても必要な視点なのである。

■ロシアとの関係を考えるときに重要なのは北方領土だ。

ロシアの東の出口であるウラジオストック。

そこから太平洋に出ていく道はサハリンと大陸の間の間宮海峡、そして日本の北の宗谷海峡、日本本土を抜ける津軽海峡、対馬海峡だけである。

冬季に海が凍れば北の回路は閉ざされる。そのことを考えれば、ロシアにとって、いかに日本が邪魔であるかがわかる。

冬季の限界線が流氷が流れ着く北海道北部あたりにあるとするならば、宗谷海峡を抜けて千島列島の最南部の北方四島を押さえるルートの確保がウラジオストックを活かすための要点であることが理解できる。

今の日本にとって重要なのは中国の海への進出を押さえることである。

そう考えればロシアとことを構えるのは得策ではない。ロシアは決して北方四島を手放さない。彼らが太平洋に出ていくための生命線だからだ。それを無理に全島返還などと強く出たところで反発を招くだけだということだ。

■海に出ていきたいのは中国も同じだ。

著者は、その要衝は台湾だと喝破する。

沖縄と台湾に押さえられた東シナ海。台湾と東南アジアが押さえる南シナ海。

囲碁の渾身の一手のように台湾は中国の海洋進出を抑え込んでいるのだ。

中国は今般の南シナ海の占拠と同時に、鉄道と河川の支配によってインドシナ半島を取り込みつつある。

これにより南シナ海を占拠されれば日本はその生命線であるシーレーンを分断されるだけでなく、SLBMを搭載した中国の原潜に隠密行動を許すことになり、核戦略的にも危機的な状況に追い込まれることになる。

この囲い込みを完遂させる要衝が台湾なのだ。

■著者はこれからの日本が取るべき道は、海洋国家、シー・パワーとして、まずアメリカをバックに持ち続けること。二つ目に、台湾を含む東南アジア諸国との連携、3つ目に中国を大陸的に囲む中央アジアとの連携だという。

中国が覇権国家として世界を牛耳ろうとする戦略が明確である以上、それに対抗するこの囲い込み戦略は理にかなっている。

中国が太平洋に出ていこうという思いが日本の権益と存続に強い脅威となる限り、それはうまくいかない、割に合わないと思わせる必要がある。むしろそれが戦争を回避する道なのだと思うのだ。

■著者の思想はどこか偏っているようにも思える。特に中国、韓国に対する嫌悪は強烈だ。

日本にとっての大陸に対する重要な緩衝地帯である朝鮮半島を味方につけておく必要性を考えれば、どうなのか、と思えるくらいだ。

彼の考え方を丸のみにするのは極めて危険だ。

けれども、考えるルールとしての彼の地政学は極めて有効である。この本が出版された時期はアメリカ大統領戦は終わっていないのだが、トランプの勝利を予言している。

地政学は地理だけではく、民族の心の動きを読む学問なのだと理解した。今の世界はグローバリズムが限界に達し、民族主義が立ち上がってきている時代なのである。イギリスのEU離脱でそれは決定的になった。その文脈でみればトランプ当選は自然な流れであり、彼の地政学は、世界史を俯瞰した歴史観で現代を眺め、その流れを見極める技なのである。

彼は今後の世界を覇権国家が不在の混乱の時代と考えている。その中で日本がどう生きていくべきなのか、本書はその重要なヒントを提示してくれている。

                          <2017.02.26 記>

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ロシアの覇権主義とイギリスの覇権主義が日本で衝突した時代について考えるとき、世界全体と日本周辺の地政学的状況は極めて強い緊張状態となった。その状況を理解する世界観というものを教えてくれたのは司馬遼太郎の坂の上の雲である。

この地政学の本を読んで、改めて坂の上の雲の素晴らしさを理解した。

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2017年2月16日 (木)

■【社会】南スーダンPKO稲田防衛大臣国会答弁。正直すぎる人間の政治家としての資質とは。

野党によるいつもの揚げ足取りに見えるのだけれど、日本がなすべきことは何か。その道筋を考えるうえで実はかなり重要な問題をはらんでいるように思える一件である。

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国会では南スーダンでのPKO活動に参加する陸上自衛隊の「日報」に、去年7月、首都ジュバで起きた事態をこれまでの政府見解と異なり「戦闘」と記していた問題をめぐって、民進党が稲田防衛大臣を追及した。PKO参加5原則は「戦闘行為」があると政府が認めた場合は参加できないとしていて、9日朝の衆院予算委員会では、「日報」に記されていた「戦闘」という言葉を取り上げ、民進党の後藤氏が繰り返し戦闘行為があったかどうか稲田大臣をただしたが、これに対し稲田氏は「法的意味における戦闘行為ではない」と重ねて答弁したため、民進党などが反発、後藤氏は稲田防衛大臣の辞任を要求した。

■日報の内容が伝わってたとかどうかとか、どうでもよくて、昨年の7月に南スーダンの武力衝突では日本の大使館員も自衛隊宿営地に避難する事態になっているのだから政府が把握していないはずはない。

今回の騒動は、「戦闘」を「法的意味における戦闘行為ではない」と答弁したことにあるのだけれど、誰がどう見ても「戦闘」であって、PKO5原則に反するじゃないか!という民進党の論は一見正しいように見える。

しかし南スーダンのPKOは2011年当時の民主党政権下で決定され、2012年に開始されたもっとも過酷といわれているPKOミッションだ。

世界の最貧国であり、停戦合意があっても極めて不安定であることは十分に分かっていて民主党政権は自衛隊を南スーダンに送り込んだのである。

まともな責任感のある政党であるならば、日報がどうこうなんてくだらない話をする前に、戦闘が起きた7月の時点でPKO参加の原則前提が崩れたと撤退の話をするべきだし、そもそも2013年末に内戦が発生しているわけで、今更なにを言っているのか訳が分からない。

自衛隊員の命と日本の基本姿勢についての重大な問題を政争の具としてしか考えな野党をみるにつけ、日本には二大政党制はやはり無理なのだとあきらめざるを得ない。

民進党については、あまりにくだらないのでここまで。

■問題の本質はPKOへの参加と日本の平和憲法の齟齬にある。

今回の南スーダンPKOの概要は以下のとおり。

インフラ整備などを行う施設部隊330名、活動支援部隊40名、海自補給部隊140名、航空補給、整備部隊170名。

要するに荒廃した南スーダンの復興が自衛隊のミッションなのだ。

背後にはアフリカで大きなプレゼンスを拡大している中国への対抗意識や大手商社の利権もあるだろう。

しかしながら自衛隊員は苦しんでいる人たちの生活を取り戻す、そういうモチベーションで働いていると信じたいし、その姿が日本という国のあり方を世界に示す重要な役割を担っているのも事実だ。

しかしながら、日本国憲法で「国権の発動としての戦争」を放棄している我が国は、どうしてもPKOの活動に手かせ足かせを加えざるを得ない。

その手かせ足かせを積極的に外そうとする駆けつけ警護の「普通の国」的発想には賛同しないが、消極的に、法解釈でなんとかごまかしながら平和主義的PKO活動で世界に貢献し続けようという姿勢には同意する。

PKOと憲法の齟齬を正攻法で無理に正そうとすること自体に、むしろ危険なものを感じるのだ。

今回の稲田防衛大臣の発言は、実はここまで考えてのことではないか、というのは穿ち過ぎか?

矛盾を矛盾として世に問うことで、改憲に話を持っていくというのもひとつの道筋だからである。

■稲田朋美という人は真面目な人だ。

法律家として育ち、自虐史観に反発を覚え、活動する中で政治家になった人である。

いかにも固い。

過去を全否定し、なかったことをあったかのように宣伝する中国のプロパガンダとそれにのった朝日新聞を中心とした日本のマスコミには私も猛烈に反発する。

だが、歴史は事実ではなく勝者によって作られるものだという視点に立てば、絶対に守らねばならないことと目をつぶるべきことが見えてくるものである。

政治についても同じであって、世の中には世の中の人の数だけ真実があると考えるならば、絶対に正しいものなんてものはあり得なくて、その中でうまくこの国を守り育んでいく、そのためには方便という名の嘘も必要なのだ。

稲田防衛大臣が改憲論の盛り上がりまでの策略を考えて、今回の発言に及んだかどうかは分からないし、たぶんそこまでは考えていないのだろう。

けれども、方便を嘘だと認めてしまう今回の発言を見るにつけ、政治家としては不向きではないかと思ってしまう。

中曽根首相の時代まで、つまり吉田学校の流れが生きていた時代までは、政治家にその度量が残っていたような気がする。

正しいとこをすることは政治においては正義とは限らない。

安倍政権になり、どうもその単純すぎる思考回路に不安を感じてしまい、その最たるものが憲法改正なのである。

変な話に流れていかないか、心配はその一点だ。

 

【PKO参加五原則】(1)紛争当事者間で停戦合意が成立していること、(2)当該地域の属する国を含む紛争当事者がPKOおよび日本の参加に同意していること、(3)中立的立場を厳守すること、(4)上記の基本方針のいずれかが満たされない場合には部隊を撤収できること、(5)武器の使用は要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること

                       <2017.02.16 記>

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2017年2月13日 (月)

■【社会】清水富美加、突然の出家に想う。大人の理屈と電通の論理。

タレントの清水富美加が突然の引退、幸福の科学に出家した。

Shimizufumika

■新興宗教は嫌いである。

弱い心に付け込んで、ひとつの価値観に染めてしまうからである。

だが、今回の件については新興宗教という面を一度外して考えた方がよいのではないだろうか。

テレビのコメンテータは言う。

22歳という立派な大人なのだから、自分の行為がまわりにかける迷惑を考えなければならない。

撮影中の映画もあったのだというから、その通りだと思う。まさに正論だ。

■しかし、ある感覚に囚われ、蝕まれ、正常な思考を失うことは誰にだって起きることなのだ。

そのことを考えずに正論を振りかざして彼女を批判するのはいかがなものか。

ブレイクする前に、まったく休みなく眠る時間もないほどに働いて5万円ほどの月給しかもらえなかったという主張が本当かどうかは分からない。本当ならば時給換算で最低賃金1000円どころか100円とか200円の世界である。

いや、タレントなんてそんなもんだ。みんなそうやって耐えて頑張っているんだ。と、誰もが言うだろう。

けれど、それは先の正論とおなじ大人の理屈だ。

そして、それは自殺者まで出した電通の論理と根っこのところではまったく同じ論理なのだということに、彼らは気づいているのだろうか。

■22歳が子供かどうかは分からないが、「大人の理屈」に彼女が抵抗したことはたぶん確かなのだろう。

「大人の理屈」とは、いわゆる大人ではなく、社会の理屈だ。

それはその社会のお約束に従って定められるものである。実はそれは幻想にすぎないということに気づかなければならない。

極限状態に追い込まれたとき、ふと、それが幻想だと気づくことがある。そこに年齢は実はあまり関係なくて、60歳の定年を迎えたときに幻想に気づく、それに、22歳にして彼女は気づいてしまっただけなのかもしれない。

重ねて言うが、新興宗教は嫌いである。

けれど、追い込まれ、社会の幻想に従う(いわゆる)正常な判断力を失った人間に、幻想を押し付けるのはやめにしよう。

彼女のように逃げ込む場所のない人間にはもう、死しか思い浮かばなくなってしまうのだから。

                         <2017.02.13 記>

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2017年2月 7日 (火)

■【社会】日本第一主義でいいじゃないか。

さっきTBSで論客面談なる番組をやっていて、橋下徹と小林よしのりがやりあっていた。

TPPに反対、グローバリズムでは金持ちしかもうからない、という小林よしのりの主張に全面的に賛成!アメリカ第一主義には日本第一主義でやりあえばいいだろうというのはその通りだ。

橋下は自由貿易で疲弊する日本の産業があるのも確かだが、消費者の利益があってそれを無視するべきではないと言い募るのである。

小林よしのりはもっと整理してしゃべるべきだった。

論点は2つあるのだ。

①食料・食糧とエネルギーと健康保険は死守しなければならない。

自由貿易の問題に、これらの国民の安全と健康にかかわるものを絡めてはいけないのである。それは広い意味での日本の安全保障の問題であり、TPPではそれらがターゲットになっていたわけだから、安いものを手に入れる代わりに安全を売り渡す愚についてしかっりと語るべきだった(食糧については少し触れていたが)。

②上記安全の問題を抜いたとしても、安いものが消費者の幸せを生むわけではない。

外国から安いものが入ってくるからメリットが大きいと橋下はいうが、支出だけ考えてどうするんだということ。

この20年のデフレでモノは安くなったが、それで果たして皆が豊かになったのかということだ。

収入が上がらなければ、支出は増えないのである、豊かになったとは言えないのである。ここのところ支出が増えているように見えるのは二分化された消費者の豊かな層によるもので、多くの層がどうかといえば、はなまるうどんでかけうどんにかき揚げをつける付けることに贅沢を噛みしめるお父さんたちを見れば一目瞭然なのである。

その二分化をもたらしたのはグローバリズムである。

この2点に論点を整理していれば、もっとわかりやすかったと思うのだが。。。

 

いずれにしてもトランプはグローバリズムの弊害を明確に指摘し、保護主義に舵を切った。日本は、それに対してどうするのか?

トランプは確かにろくでもない部分はあるが、America 1st!は民意に沿い、明確にアメリカ国民の方向を向いた政策である。

アベノミクスが日本国民の方を向いた政策ではなく、日本企業の方向を向いた政策であることと極めて対照的だ。

日本もそろそろ舵を切り始めなければ難破してしまうぞ。

                       <2017.02.07 記>

 

 

 

 

 

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