●9.ドラマ・芸術・ほか

2017年7月17日 (月)

■【演劇評】『ウエスト・サイド・ストーリー』@東急シアターオーブ。アメリカの虚構と矛盾と、そして生きる力。

うーん、映画より数段感動した。想像の遥か上!

音楽も、ダンスも、照明と美術の演出も最高!

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
番外編 ブロードウエイ・ミュージカル
      『ウエスト・サイド・ストーリー』
           原題: WEST SIDE STORY
          音楽: レナード・バーンスタイン  初演:1957年
      2017年7月公演 渋谷ヒカリエ・東急シアターオーブ
       出演: ケヴィン・ハック(トニー)、 ジェナ・バーンズ(マリア) 他

Title

■あらすじ■
ニューヨーク、ダウンタウン。 ポーランド系移民の少年グループ、ジェット団と、プエルトリコ移民の少年グループ、シャーク団の縄張り争いの緊張が張り詰めている。そんな中、ダンスパーティーで元ジェット団のトニーとシャーク団リーダー・ベルナルドの妹・マリアは出会い、一瞬にして恋におちる。

■まず度肝を抜かれたのが、演者の肉体。

ダンスとかバレエってほとんど見ないので、ああ肉体って迫力あるなあ、というのが第一印象。ミュージカルって歌だけじゃないんだね。

この強靭でしなやかな肉体群が生み出すキレッキレが最高に『クール』なのである。

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けれどそのダンスは、もちろん、音楽も歌も最高に素晴らしいんだけど、何よりも引き込まれたのは美術と照明が作り出す美しさ。情感あふれる演出だ。

『トゥナイト』のシーン。

夢のような美しさ。音楽と歌声と溶け合って、ああ、と没入する。

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■『ロミオとジュリエット』を下敷きとした物語構成はとてもシンプルでわかりやすいものなのだけれど、シーンのひとつひとつがヴィヴィッドで、物語よりも場面そのものに意味がある。舞台ってそういうものだよね。観ているその瞬間がすべて。

そういう意味で度肝を抜かれたのは『サムウェア』。

リフとベルナルドが死んだあと、急に差しはさまれる白い場面だ。

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背景は取り払われ、白いホリゾントの前でポーランド移民とプエルトリコ移民が和解のダンスを繰り広げる。

その希望も夢でしかないのだけれど、

このシーンで浮かび上がる希望は確かなものであって、このあとの悲劇的結末も、この希望ひとつによって救われる。

こういう構造を持ち込むことが可能なところが舞台の素晴らしさなのだと改めて思う。

■この物語を眺めるとき、どうもトニーに没入することができない。マリアもしかり。純粋なのだろうけれど、どうしても人物像が浅く感じてしまう。それが若者ということなのかもしれない。

その一方でアニタを始めとするプエルトリコの女たちは、そのスパニッシュ訛りの英語もあいまって、とてもリアルだ。

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『アメリカ』。

希望に夢ふくらませ、不安を国において渡ってきた憧れのアメリカ。

実際にはあとから入ってきた移民に対する偏見や差別という現実に直面するわけで、この『アメリカ』という楽曲がきわめて皮肉に用いられている。

トランプ大統領下の不寛容なアメリカ。

『ロミオとジュリエット』の許されざる恋の物語の姿を借りて、自由を標榜しながらも、その社会構造のなかに不寛容が入り混じるアメリカの矛盾。

それは初演の1957年から60年経った今日においても根深く横たわっている、というよりもより一層色濃く表れているのだ。

だからこそ、その回復不可能とも思われる矛盾のなかで、アニタたちの生きる力強さがより前面に押し出される。

それが、アニタ達に感じる奥深さの源泉なのである。

物語はバッドエンドではあるし、現実世界もうまくはないだろう。

けれども、それでも、希望を胸に強く生きるアニタ達にわれわれは希望を見るのだ。

たぶん、それは『サムウェア』で提示される「白い希望」よりも強いリアリティをもって僕らの背中を押してくれる。

そう、そういうことなのだ。

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                      <2017.07.17 記>

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【DVD】<映画>ウエスト・サイド物語 

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うーん、正直なところ映画には途中までまったく乗れなかった。

ジェット団の子供的な部分と俳優たちがどうもかみ合わない。

ところが、リフが死んで浮足立つジェット団のなかで頭角をあらわしたアイスが『クール』を歌いだすシーンに少年たち独特の狂気を感じ、そこから急に面白くなった。

ここ、凄かったなああ。

うつらうつら観てたんだけど、ここで一気に目が覚めた。

アイスを演じるタッカー・スミスが一瞬見せる悪魔のような瞳のぎらつき。

この一瞬だけで価値があると思います。

 

 

■STAFF■
原案・演出・振付  ジェローム・ロビンス
音楽  レナード・バーンスタイン
脚本  アーサー・ロレンツ
  
音楽監督・指揮 ドナルド・ウイング・チャン
演出・振付  ジョーイ・マクニ―リー


■CAST■
ケヴィン・ハック(トニー)
ジェナ・バーンズ(マリア)
キーリー・バーン (アニタ)
ランス・ヘイス(リフ)
ヴァルドマー・キニョーナース-ヴィアノエヴァ(ベルナルド)

 

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2017年7月15日 (土)

■【芸術】『ジャコメッティ展』@国立新美術館。見えるものを、見えるままに。今、ありありと感じる「わたし」の奥底に居を定めた男はわれわれの原初を呼び起こす。

しびれました。3次元の造形物って絵画とはまた違う、身体の内部に直接響く何かを持ってるんだよね。

Title

Photo

■ジャコメッティといえば、なんだか細っこい人物の彫像っていうイメージで、どうも奇をてらってんじゃないの、なんて思い込みがあったんだけれど、うーん、ごめんなさい、眺めているうちに体の奥から湧き出てくる感情がしみじみと広がって、小難しい理屈は抜きに、ほっこりとしてしまいました。

アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti, 1901年10月10日 - 1966年1月11日)は、イタリア国境近くのスイスの谷の村に、印象派の画家を父として生まれた。

画家としてのスタートの時期から「見えるものを、見えるままに」描くことにこだわり、それを死ぬまで追い続けた男である。

人体のデッサンを徹底的に行ったのち、その時代の最先端であるキュビズム、シュルレアレリスムの世界へと分け入っていく。

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女=スプーン 1926/27年 145× 51 × 21 cm

_1934_35_93_5cm_58_5cm_58cm
キューブ 1934/35年 93_5cm × 58_5cm × 58cm

この時期の作品で心を奪うのは、アフリカ民族美術に大きく影響を受けた【女=スプーン】の力強さと美しさ、【キューブ】の幾何学的に見えながらも極めて強い生命力を感じさせる面の「ハリ」である。

この「力」の均衡は、もう完成形といってもおかしくない。ほれぼれするほど美しく、かっこいい!

しかしながら、ジャコメッティはキュビズムとかシュルレアリスムにその身を沈めることはなかった。

■認めてくれたシュルレアリスムの巨匠アンドレ・ブルトンを振り切り、ジャコメッティはこの「質量による力の均衡」とでもいえるような高みから、一気に駆け降りる。

そして「見えるものを、見えるままに」を突き詰めた結果、

 
「もの」に近づけば近づくほど 「もの」が遠ざかる

 
という境地にいたり、彫像は極小まで小さくなっていく。

_1934_33cm_1cm_11cm

小像(女) 1934年 3.3 × 1 × 1.1cm

■高さ1cmの女。

もはやこの老眼の目では太刀打ちできず、眼鏡を外してガラスケースに顔をこすりつけなければ像を結ばない。

これは一体何なのか?

大きさは細部を生み、細部は目に見える表層を追ってしまう。

たぶん、そこに嘘を感じてしまうのだ。

目の前の女のモデルの像は水晶体というレンズを通して網膜に像を結ぶ。ものを見るとはそういうことだ。

だが、ジャコメッティにとっての「見えるまま」とは、そういうことではなくて、彼が追い求めるのは心に結ぶ像なのだ。

■写実は真実を映さない。

それに共鳴し、シュルレアリスムに参加したものの、ブルトンや、マグリッドが意識のさらに先の世界に踏み込んだのに対し、ジャコメッティは意識の中に踏みとどまり、「見る私」にこだわり続けたのだ。

女=スプーンも、キューブも、改めて見てみれば意識のその先にある「超現実」をカタチに写し取ったものではなく、原初から連なる「こころ」の像を起こしたものであり、立ち上がるのはそういう「生」の感情だ。そこにはシュルレアリスムのような「よそよそしさ」は欠片もない。

アフリカの民族美術のような、敢えて言えばわれわれの土偶のような、写実ではないが、それなのに「こころ」を、「魂」を揺さぶる、それがジャコメッティの「見る」世界なのだ。

しかし、そういった「生」を宿した造形作品もまた、ジャコメッティにとってはそこにまとわりつく「作品性」のような主張がうるさかったのだろう。

だから作品を遠ざけ、凝視を許さず、遠景にぼんやり浮かぶ、その姿にやっと安心したのではないか。

だが、それでは「作品」にならない。

だから1メートルという寸法を自分に課した。

■その結果が、大きな像(女:レオーニ)として結実する。

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大きな像(女:レオーニ) 1947_58年 167 × 19.5 × 41 cm

細長く、薄ぺらい女の像。

素描や習作が山のようにあり、ようやくたどり着いた先は、一見まったく違うように見えて、実は【女=スプーン】への回帰である。

斜め横から眺めれば、極めて微かな抑揚があって、それはまさに【女=スプーン】のそれである。

自分のこころの目に鋭敏になりすぎたジャコメッティにとっては、【女=スプーン】の落ち着く先がこういう像であったということだ。

ここにようやくジャコメッティは居を定め、そこから世界を眺め始めるのだ。

331948___49_72_32_315_cm_2
3人の男のグループ(3人の歩く男たち) 1948 _ 49年 72 × 32 × 31.5 cm

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林間の空地、広場、9人の人物 1950年 65 × 52 × 60 cm

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ヴェネツィアの女 1956年

■それでもなお、ジャコメッティは満足しない。

自らの魂に映る「ヴィジョン」を求め続ける。

1954_395_33_19_cm
ディエゴの胸像 1954年 39.5 × 33 × 19 cm

1900年以降、フッサールからハイデガーにつながる現象学は、我々が当たり前として受け入れている世界を疑い、概念とかそういう上っ面の議論を排した上で再構築する手法を模索した。

そこで個別の「わたし」がありありと生きる今に焦点を当てたのが実存主義で、1950年代にそれを受け継ぎ、人と人との関係性のなかに「神」を失った人間の寄る辺を探したサルトルによって、その思想が拡がっていく。

ジャコメッティが「ヴィジョン」を求めた1945年から50年代の思想は、そういう状況であった。

サルトルのいう、「わたし」がありありと生きる今、それこそがジャコメッティの「ヴィジョン」であり、彼が作品を通してカタチ作りたいものだったのではないだろうか。

その意識を深いレベルで共有できた真の友が日本人の哲学者、矢内原伊作であった。

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■矢内原と知り合ったジャコメッティは、彼にモデルを依頼するようになる。

 
「ほとんど真剣勝負といってもいいものだった。僕は勝ちもしなかったが、負けもしなかった。あるいは、ふたりとも勝ったのである。」

「ちょっと僕が身動きすると、一心に僕を注視し仕事をつづけていたジャコメッティは大事故に遭遇したかのようにアッと絶望的な声を出すのである。」
 

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ヤナイハラの頭部、落書き 1956-61年

ジャコメッティは矢内原をよほど好きだったようで、紙ナプキンにいたずら書きされた矢内原を描く鉛筆やボールペンの線には迷いがなく、うきうきと楽しそうに走るさまがそこに見て取れることから実感覚として、ジャコメッティのルンルンとした気分がこちらに伝わってくる。

たぶん、それはモデルを務める矢内原が、実存主義の哲学者として【「わたし」がありありと生きる今】を生きていて、そこに【見るもの】と【見られるもの】の間の共鳴があったからなのだろう。

それはジャコメッティにとって至福の時間であったに違いない。

■「わたし」がありありと生きる今

それは、動物に託されるとき、当時のジャコメッティの「今、ここ」がストレートに伝わってくる。

ジャコメッティは人間を相手にして苦闘を続けてきたのだけれども、人は人を見るときに、どうしてもそこに相手の複雑な思考に想いを馳せてしまう。その相互作用が、純粋な「見る」の邪魔をする。

けれど「今、ここ」に生きる「猫」や「犬」には、それを見るジャコメッティの純粋な感情が素直に現れてくるのだ。

実際に【猫】を見た瞬間、わたしは思わず吹き出してしまった。

あまりにも楽しい感情があふれている。

いらぬ思考が無いと、こうも素直になれるのか。

_1951
猫 1951年 32 × 82 × 13cm

1951_47_100_15_cm
犬 1951年 47 × 100 × 15 cm

そして、この【犬】の悲しみ。

決して犬が悲しんでいるのではない。人がそこに悲しみを見るのだ。

この作品を通して描かれているのは犬ではなく、ジャコメッティの【こころ】そのものなのである。

■さて、最後の部屋には1960年にニューヨークのチェース・マンハッタン銀行のためのモニュメントとして制作された大物の作品群が並ぶ。

_1960_95cm_30cm_30cm
大きな頭部1960年95 × 30 × 30cm

_1960_183cm_26cm_95_5cm
歩く男Ⅰ 1960年 183 × 26  × 95.5cm

01_1960_276cm_31cm_58cm
大きな女性立像Ⅱ 1960年 276 × 31 × 58cm

【大きな頭部】は【キューブ】であり、【大きな女性立像Ⅱ】は【女=スプーン】である。

30年の月日はジャコメッティを還暦の年に押し流したが、結局その魂は何も変わらなかった。ただただ、「見えるものを、見えるままに」を追い求め続けた男なのである。

その純粋さが、われわれの原初を呼び起こすのかもしれない。

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                      <2017.07.15 記>


【単行本】ジャコメッティ/エクリ

 

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2017年4月30日 (日)

■【芸術】『ミュシャ展 スラヴ叙事詩』 民族の歴史と自らの使命に目覚めたとき、パリの異邦人「ミュシャ」はスラヴ人の「ムハ」となる。

ミュシャ展@国立新美術館に行ってきた。

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■ミュシャといえば、アール・ヌーヴォーのおしゃれな感じの女性のイラストである。きれいだなと思う反面、個人的にはさほど気にはならない。そういう作家であった。

Photo
四つの花、「カーネーション」、「ユリ」、「バラ」、「アイリス」

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四芸術、「詩」、「ダンス」、「絵画」、「音楽」

■しかし、ミュシャ、いやチェコ読みをした名前で呼ぶムハが、その後半生をかけた20点の大作<スラヴ叙事詩>については良く知らず、今回はそれに圧倒されたわけである。

Size

何しろ一辺が5メートルとか6メートルとかいう迫力。

そこからしてかなり強い主張を放ってくる。

決して、ピカソとかムンクのような、絵画としての強烈な情念を放ってくるわけではないのだけれども、品が良く、理性的な枠のなかで、最大限の訴えかけをしてくるのだ。

狂気とか、無意識だとか、ムハは理性の枠組みを超越した領域に踏み込まないからサイズを抜きに考えれば、少し物足りない感じは否めない。

だがそれは「スラヴ民族の誇り」というものをテーマにしたときに必要な姿勢であり、自らの民族意識を起点とした平和への祈りといったものを伝えるのは、まさに理性の仕業なのだ。

それを考慮にいれた上で、ムハがこの巨大なカンバスに最大限の観察と技巧と色彩感覚を濃密にぶち込んだ魂の20作品を見ていきたい。

1.現故郷のスラヴ民族
トゥーラニア族の鞭とゴート族の剣の間に
1912年 610cm×810cm

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農耕民族のスラヴの民が遊牧民たちに追い立てられて生きてきた原風景である。

画像では伝えられないが夜空の吸い込まれるような青と満点の星がきわめて美しい。

青年は少女を抱えてこちらを見据えている。

スラヴ叙事詩では何枚かの作品で、こうした「こちらを見据える人」が登場するが、それぞれにそれぞれの「問いかけ」がある。

それは言葉にすることが出来ない問いかけであり、我々が返すであろう「答え」もまた言葉にすることが出来ないものである。

それは、それぞれの作品に対峙したときにのみ存在する「問いかけ」であり、「答え」である。

図版やテレビやネットでいくら作品を見たところで、この関係性は築けない。

本物と対峙するしかないのだ。

それをスラヴの多神教の神が静かに見下ろしている。

2.ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭
神々が戦いにあるとき、救済は諸芸術の中にある
1912年 610cm×810cm

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楽しい祭りも気が付けば陽が傾き、何か不吉な風が吹いてきている。

ノルマン民族の神、オーディーンがオオカミの群れを引き連れて東からバルトの豊かな日々に死をもたらそうとしているのだ。

太陽神スヴァントヴィートもなす術はなく、ただ瀕死のスラヴ戦士を見守るだけだ。

けれど画面中央の赤子を抱いた女性の力強さを見るがいい。

ここに我々は民族というものの「強さ」を見る。

3.スラヴ式典礼の導入
汝の母国語で主をたたえよ
1912年 610cm×810cm

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9世紀、ゲルマン民族の大移動によって東欧にスラヴ人によるモラヴィア王国が成立。

これはスラヴ語を表記したグラゴール文字による聖書の記載を許すという式典であり、キリスト教という文明を自らの血肉として受け取ったという記念すべき日の記録である。

実に民族の誇りに満ち溢れている。

母語で語るというのはそれほどまでに重要なことで、それはローマ教会からの精神の独立を意味する。

しかし、またしてもドイツ系カトリックの死の影が東からさしてきている。

栄光はいつまでも続かない。

4.ブルガリア皇帝シメオン1世
スラヴ文学の明けの明星
1923年 405cm×480cm

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ドイツ司祭にとってかわられたモラヴィア王国は10世紀初頭に荒廃していく。

多くのスラヴ人はブルガリアに移住し、そこでブルガリア皇帝シメオン1世の庇護のもとスラヴ語による文化が花開いた。

民族というものは「言葉」によって維持されるということをムハは強く感じていたに違いない。

ムハは、若い時に故郷を離れ、苦労のすえパリで奇跡的な成功をおさめた。しかし、その華やいだ生活のなかで50歳を前にして何かに気づく。

母国語を離れたその栄華には本質的に欠けたものがある。

1900年パリ万博。

ボスニア・ヘルツェゴビナ館の壁画を作成するなかで、ムハは「わたしは何と無駄な人生を歩んできたのだろう」と、このスラヴ叙事詩への道のりに一歩を踏み出すのだ。

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パリ万博、ボスニア・ヘルツェゴビナ館壁画の下絵

なお、おこの記事では’Mucha’をフランス語読みで日本では一般的な「ミュシャ」ではなく、チェコ語の発音である「ムハ」に統一している。その意味は極めて重要だと思っている。

5.ボヘミア王ブシェミスル・オタカル2世
スラブ王族の統一
1929年 405cm×480cm

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13世紀。寛容と経済力でチェコに強大な力をもたらしたオタカル2世は「鉄の王」とも「黄金の王」とも呼ばれた人物である。

この場面はスラヴ民族の王族を集め、その結束を求める場面であるが、実際に神聖ローマ皇帝に選ばれたのは実力のあるオタカル2世ではなく、貧乏伯爵と呼ばれたハプスブルグ家のルドルフであった。

この後、チェコはドイツ系貴族のハプスブルグ・オーストリアの支配下で生きていくことになる。

6.東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン
スラブ法典
1923年 405cm×480cm

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14世紀。

セルビアの王族ステファン・ドゥシャンはブルガリアを打ち破り、その版図を拡げ、東ローマ帝国の皇帝に上り詰める。その戴冠式の場面である。

この時代、まさにスラヴの春であり、画面中央の少女の表情が晴れ晴れしい。

その栄光は長くは続かなかったが、それだけにかえってその春の喜びは民族の記憶に深くとどまるのだろう。

7.グルンヴァルトの戦いの後
北スラブ民族の連帯
1924年 405cm×610cm

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1410年、北スラヴ連合軍が不敗と言われたドイツ騎士団を打ち破ったグルンヴァルトの戦いの後の場面。

中央でその無残な姿を前に立ちすくむのは、ポーランド王ヴラディスファフ・ヤゲウォ2世。

そこには異端排除という十字軍の流れをくむドイツ騎士団を撃退した歓喜はなく、ただ戦争のもたらす「死」の喪失感が流れている。

この作品を作成した時点で第一次世界大戦は終結しており、ムハのなかでその戦争がどのように消化されたのか、その思想がはっきりと浮かびあがっている。

8.クロムニェジューシャのヤン・ミリチ
「言葉の魔力」 ―娼館を修道院に改築する
1916年 620cm×405cm

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1372年チェコの首都プラハ。

カレル4世の治世、副大臣ヤン・ミリチは腐敗する教会に対抗すべく、私財を投げ打ちキリスト教のために献身した。

この絵は娼婦たちを悔い改めさせ、新しい生活の場とするために娼館を避難所に建て替えている場面である。

足場の上に立つヤン・ミリチと、その下で「悔い改める」娼婦たち。

この縦長の上下の構図にムハの意図的なものはあったのだろうか。

左下の娼婦のひとりに光が当たっている。

そこから受ける感情は複雑で読み取りにくい。

しかし、このヤン・ミリチの活動が後のヤン・フスの宗教改革と戦争につながっていく訳で、民族のひとりとしてのこの娼婦はその暗澹たる未来に対する不安を表しているようにも見える。

この時の人々が到底知りえない未来を、この娼婦は知っている。

「歴史」とはそういうものであり、この作品もまた、「未来」からは逃れられないのだ。

9.ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師
「言葉の魔力」 ―真理は打ち勝つ
1916年 610cm×810cm

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「真実は勝つ Pravda vítězí」はフスの言葉でチェコスロバキアの国の標語となった言葉。

「真実を探求せよ、真実を聞け、真実を学べ、真実を愛せ、真実を語れ、真実を抱け、真実を守れ、死ぬときまで」

というのがもとの言葉であったらしい。

日本語の「真実」という感覚がそこに当たるのかはよく分からないが、この文脈で見る限り、神の真理の絶対性ということなのかもしれない。

その神の真理をわが欲望の糧とする教会の腐敗が、フスには許せなかったのだろう。

このフスの活動が百年後のルターの宗教改革につながり、それが中世の「闇」を振り払う近代の光となった。

現代のわれわれの西洋文明のはじめの光は、15世紀初頭のヤン・フスのこの説教によって生まれたとも言えるだろう。

まさにスラヴの誇りなのである。

10.クジーシュキでの集会
「言葉の魔力」 ―ウトラキスト派
1916年 620cm×405cm

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真実を求め、宗教改革を主張したヤン・フスは1415年に処刑され、教皇と皇帝による支配が強まっていく。

フス派の人間が処刑されていくなかで民の不満は高まりをみせるが、そのばらばらの動きをまとめて軍事的行動を組織したのがこの作品、クジューシュキの集会でのコランダ神父の呼びかけである。

ここにフス派戦争が始まるのだ。

その先に広がるのは暗澹たる暗闇だが、旗は高く掲げられ力強くたなびく。

まさに「言葉の魔力」。民族が「真実」として生きていくためには「言葉」が最強の武器となるということだ。

11.ヴィートコフ山の戦いの後
北スラブ民族の連帯
1923年 405cm×480cm

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ヴィトコフ、現在のジュシコフはプラハ東部の丘である。

1420年、この要衝で天才軍師ヤン・ジシュカに率いられたフス派の民兵8000人は、ジシュカの編み出したマスケット銃や現代の戦車の原型となるような新兵器により、教皇、皇帝の送り込んだ異端撲滅十字軍10万の兵を退けた。(織田信長の100年前!!)

その勝利を神に感謝する、そういう場面だ。

だが、ここにも歓喜はない。

結局のところ、フス派は殲滅されるのだから。

神への感謝で身を投げ出す信者たちの傍らで、左下に座り込む女の悟りきったようなけだるさが印象的だ。

12.ヴォドニャヌイ近郊のぺトル・ヘルチツキー
悪に悪で報いるな
1918年 405cm×610cm

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さて、問題の一枚である。

ここはヴォドニャニィ市とヘルチツ村を結ぶ道沿いの池のほとり。反フス派の攻撃を受けたヴォドニャニィの人々が戦乱を逃れて逃げてきた姿である。

中央に立つぺドル・ヘルチツキーが怒りに拳を上げる青年を「悪をもって悪に報いるべきではない。それではさらに悪は増大して終わることがない」と諭している。

ヘルチツキーは非暴力・自由・平等という思想を、忍耐と労働という実践をもって行った指導者で、トルストイを通じて現代のわれわれの自由主義思想の原型となった人物である。

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あくまでも主題はヘルチツキー。

だが、われわれの目はどうしても中央に座り込み、赤子をかかえた女性に吸い寄せられてしまう。

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しっかりと見開かれた眼。

瞳孔はなく、くすんでいる。

一体、彼女は何を見たのか。

言葉にすることが出来ない、感情、よりさらに深い体の奥底で沸き起こる身体感覚がそこにある。

われわれに伝わるのはその体の震えだ。

非暴力を説く高潔な指導者の傍らに呆然と座り込み、震える女。

ここに戦争の真実がある。

ムハはもちろん平和主義者でヘルチツキーを心の底から尊敬しているだろう。

けれども、伝えたいのはそういった「思想」ではなく、第一次世界大戦を経験した上で語ることの出来る「真実」なのだ。

ムハは「言葉は力」だと信じている。けれど、その一方で「言葉の無力さ」も判っている。

そんなムハは、持てる高等技術のすべてを駆使して、この「体の感覚」でしか伝えることの出来ない「真実」をこの絵に刻み込んだのだ。

派手な作品ではないが、スラヴ叙事詩の作品群のなかではムハの思想を表す最重要の作品、わたしはそう思う。

13.フス派の王、ポジェブラディとクンシュタートのイジー
権威を求める争い ―民主制の国王イジーと神政のローマ
1923年 405cm×480cm

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「フス派信徒の信仰を護るために自分の命と王位をかけて戦う」

1462年、フス派内の対立を収束させボヘミアに平和をもたらし、永久平和を目的とした国家間の連携を目指したイジー王。だがローマ法王はカトリックとの和解の約束を反故にし、法王の特使がイジー王の前でフス派信仰を認めるプラハ条約の破棄をせまってきた、その場面だ。

その瞬間、王が怒りで立ち上がった拍子に椅子が倒れる劇的な場面。

しかしライトは王を照らさず法王の特使にあてられている。

この後、イジー王は破門。

イジー王亡き後、400年に渡り、1918年のチェコスロバキアの独立までチェコは外国の支配下に置かれることになる。

その未来を暗示する光である。

右下の少年がバタリと閉じた本のタイトルはローマ。

ここでローマは死んだのだ。

14.二コラ・シュビッチ・ズリンスキーによるシゲットの対トルコ防衛
キリスト教世界の盾
1914年 610cm×810cm

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1566年、ウイーンを目指してヨーロッパ征服をもくろむオスマン・トルコの軍勢10万が要衝シゲットに襲い掛かる。

砦を守るのは猛将ズリンスキー総督。

しかし2500人では到底守れるはずもなく、19日の激しい攻防戦の後、陥落。

その最期の場面、死を覚悟して火薬庫に火を投げ込もうとするズリンスキーの妻エヴァが右のやぐらの上に描かれている。

この攻防戦の後、オスマン・トルコの大帝スレイマン1世が死去。ヨーロッパのイスラム化は阻まれたのであった。

ここまで戦乱のその場面を描くことを避けていたムハだが、ここだけは烈火に浮かぶ地獄を描き込んでいる。

相手がイスラムだからか?

そこは良く分からない。

また写実的描写に徹してきたムハは、この作品に於いては、写実的場面の上に、黒煙としてだろうか、黒い「印象」を流し込んでいる。ここで流された人々の血が流れているように感じられる。

その意味でも特異な作品である。

15.イヴァンチツェの兄弟団学校
クラリツェ聖書の印刷
1914年 610cm×810cm

011

ヘルチツキーの遺志を継ぐものたちがチェコ兄弟団。彼らはヘルチツキーの清貧と労働の教えを守りながらチェコに信徒を増やしていった。その教育の中心地がこのイヴァンチツェである。

そしてイヴァンチツェはムハの生まれた町なのだ。

011_1

右下に盲目の老人に聖書を読み聞かせながらこちらを見据えている青年の姿がある。これは若き日のムハを自ら描いたものだとされている。

使命感からスラブ叙事詩の制作に取り掛かり、民族の歴史をたどる中で自らの生まれた町がヘルチツキーの教えの中心にあったと知ったムハの胸には確信ともいえるものが宿ったに違いない。

このまなざしはその決意だ。

この風景は16世紀の後半。

それからまもなく1620年のビラ―・ホラの戦いでボヘミアは敗れ、フス派の貴族たちはハプスブルグ家によって処刑、チェコはカトリックの異民族に支配されることとなり、チェコ兄弟団はヨーロッパ各地に離散することとなる。

むしろそれがヘルチツキーの教えをヨーロッパに広め、プロテスタントの隆盛へとつながるのである。

16.ヤン・アーモス・コメンスキーのナールデンでの最後の日々
希望の明滅
1918年 405cm×620cm

020

コメンスキーはチェコ兄弟団の指導者。知識の共有が平和につながることを信じ、学校教育という概念の生みの親として知られる。

そのコメンスキーが亡命先のオランダで故郷を想いながら没する姿が描かれている。

20作のスラヴ叙事詩の中で最も情感に訴える作品である。

その静謐な空間のなかに、極めて私(わたくし)的な想いが漂い出てくるのである。

大義とか、そういった大上段に振りかぶる理屈をいったん置いて、人としてのコメンスキーを想う、この作品にはそういうムハのやさしさが満ちている。

17.聖アトス山
正教会のヴァティカン
1926年 405cm×480cm

009

アトス山は聖母マリアが没したとされるギリシャ正教の聖地。ギリシゃとトルコの国境、エーゲ海に臨む半島にある山である。

スラヴ民族はチェコだけではない。

ロシア、ブルガリア、セルビアも含む広大な地域に広がる民族であり、その精神を一つに貫くのがギリシャ正教なのである。

苦難の後にこの聖地にたどり着いた巡礼たちを、聖母マリアと天使たちが祝福している。

それはスラヴ民族全体への祝福だ。

18.スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い
スラヴ民族復興
1926年(未完成) 390cm×590cm

002

スラヴ叙事詩も終盤。時代は当時の現代につながる18世紀後半に至る。

その頃、スラヴ民族はハプスブルグ家が統治したオーストリア=ハンガリー帝国の抑圧の下にいた。

それに抵抗するスラヴ人組織のチェコ青年団がスラヴの女神に誓う、そういう場面である。

ここまで語られてきたキリスト教ではなく、民族の神がここで登場するところが興味深い。

この時代、すでにニーチェは『ツァラトゥストラかく語りき』を記しており、時代として「神は死ん」でいたのかもしれない。

本作は1928年のプラハでの「スラヴ叙事詩展」での公開では展示されていない。

歴史とするには、あまりにも近すぎたのだろう。

A003

その代わりにスラヴ叙事詩展のポスターとして、左下の少女が抜き出されている。

彼女はムハの娘、ヤロスラヴァ。「スラブの春」という意味だそうだ。

(ちなみに右にいる少年は息子のイジー)

ヤロスラヴァが生まれたのはムハがスラヴ叙事詩に取り掛かり始めた50歳の頃。

当時はまだチェコスロバキアは独立を果たしていないから、ムハの想いは切実なものだったのだろう。

1910年に生まれたとして、ヤロスラヴァはいくつまで生きたのだろう。

父親がナチスに囚われたことで衰弱して亡くなったあと、ナチスドイツの下で生き延びたのであろうか。

1968年のプラハの春で期待に胸を躍らせ、直後のソ連・ワルシャワ条約機構軍の侵攻を目撃し、その後の秘密警察の支配下での暗黒の時代に深い絶望を覚えたのだろうか。

そして果たして、1989年のビロード革命で共産党が崩れ去る姿を見ることが出来たのだろうか。

父が願った夢がやっと実現した瞬間に娘が立ち会えた。

それを願って已まない。

19.ロシアの農奴制廃止
自由な労働は国家の礎
1914年 610cm×810cm

013

1861年にロシアで農奴制が廃止された場面。

アメリカ人のパトロンから希望されて制作した一枚。だがロシアに取材に行ったムハが観たのは半世紀が過ぎても変わらぬロシア民衆の苦しみだったという。

ムハは1918年のロシア革命をどう見ていたのだろうか。

この作品が描かれた1914年にはまだその影はないが、その後のロシアでの出来事をムハがどう見ていたのかは気になるところである。

20.スラヴ民族の賛歌
スラヴ民族は人類のために
1926年 480cm×405cm

005

1918年、第一次世界大戦によるオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊によって、その支配下にあったチェコスロバキアが独立、建国された。

その喜びと祝福に満ち溢れた作品である。

上の赤い部分がフス戦争と黒い部分がその時代の圧政、中央が第一次世界大戦でのスラヴ民族の戦い、右下の青い部分が原初のスラブ民族を表している。

その歴史から立ち上がるスラヴの青年を皆が祝福し、キリストも背後から青年を支えている。

まさにスラヴ叙事詩の最後にふさわしい大団円である。

これらの作品がプラハで発表されたのは1928年のことである。

 

■アルフォンス・ムハ(1860-1939)

Photo

1939年、チェコスロバキアはナチスドイツの占領下でムハは、愛国心を助長させると78歳の老齢の身で逮捕される。

その後、解放されるもそのまま体調を崩し他界。

民族の自立と世界平和を夢見たムハの、あまりにも悲しい最期である。

現在、チェコスロバキアはビロード革命で民主化を果たし、チェコとスロバキアに分離して今に至る。

けれども、南スラヴ人国家であるユーゴスラヴィアは民族対立によって崩壊し、その傷はいまだに癒えない。

ヨーロッパ全体を見渡せばイスラム教徒の増殖に神経をとがらせ、難民に対する不寛容が広がっている。ヨーロッパの平和を願って育ってきたEUも風前の灯である。

ムハが生きていたなら、このヨーロッパをどう見るであろうか。

現在の世界に蔓延するナショナリズムと、自立した民族の連帯による平和を目指すムハの理想は、まったく逆のものなのだから。

スラヴ叙事詩20作品がまとめてチェコ国外に出るのは初めてのことだという。

それが日本である、ということに意味があるとするならば、日本人という民族に強い誇りをもちながらも他者に対して寛容であり得る。

そこに亡きムハの希望が込められているのかもしれない。

なんてことを夢想しながら、朝鮮半島の情勢を伝えるニュースを眺めている。

A006
スラヴの連帯 1911

                  <2017.04.30 記>

■ミュシャ展 図録

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2017年4月24日 (月)

■【ドラマ評】『フランケンシュタインの恋』第1話。これは叶わない恋の話なのか、それとも。

ちょっと気になるドラマだったのだけど、いやー、いい感じの変化球で、なかなかいい感触です。

Photo

【ストーリー】
農学部の学生の継実(つぐみ)は、酔わされて山に連れ込まれてしまったところを、謎の男に助けられる。その男は医学者である父親に120年前に生き返らされた人造人間なのだと告げる。

■人造人間、或いは怪物が、純真な少女と出会って恋に落ちる、なんて話はごまんとある。

このドラマもその系統かと思いきや、いやいや、たぶんその通りなんだけれども、どうやら一筋縄ではいかなさそうな、いい予感に満ち溢れている。

話の筋は、はっきり言って、突っ込みどころ満載で、でもそこを完全に開き直っているような潔さがあって、そのせいか、あまり気にならない。

気になるのは、「フランケンシュタイン」と銘打っておきながら、実は「マタンゴ」であるとにおわせているところなのである。

■はじめから、キノコは匂わせていた。

けれど、あの第1話のラストを見てしまうと、ああ、これはキノコドラマなのだと確信に至る。

中盤、大工のおねえさんが「怪物」が寝ていた布団をはぐと、そこに大量のシメジが生えているシーンがあるのだが、

おねえさん、そのシメジを食べてはいけない!

キノコ人間 マタンゴになってしまうぞ!

ってな感じで、もうマタンゴなしにはこのドラマは語れない域に達しているのだ(笑)。

■音楽は、ドラマ版『妖怪人間ベム』で独特の世界観を築き上げたサキタハジメ。あのもの悲しい感じが、触れる者にキノコを感染してしまう悲劇性を盛り上げていくのだろう。実によく合っている。

今後、感染パニックものになる可能性もあるし、ラジオをからめた異物排除の社会派ドラマになる可能性もある。

まあ、最後には、怪物と継実との時間を超えたラブストーリになるんだろうけど。

でも、、、キノコ人間じゃねえ~www  by 筋肉少女帯

                      <2017.04.24 記>

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なおテーマ曲の「棒人間」は、前前前世から僕は♪のRADWIMPS。

『君の名は。』の楽曲とはまた違った味のある曲で、これまた聞かせます。

 

<参考記事>
■【書評】 『フランケンシュタイン』メアリ・シェリー著。それでも生きていく理由。

■STAFF■
脚本 - 大森寿美男
原作 - メアリー・シェリー 「フランケンシュタイン」
演出 - 狩山俊輔、茂山桂則
音楽 - サキタハヂメ
主題歌 - RADWIMPS「棒人間」
キャラクターデザイン - 澤田石和寛

■CAST■
綾野剛
二階堂ふみ
柳楽優弥
川栄李奈
新井浩文
光石研
柄本明

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2017年3月 2日 (木)

■【社会】かまやつひろしさん、死去。わが良き、甘く苦い思い出とともに。

1日、かまやつひろしさんが肝臓がんで亡くなった。78歳だった。

Kamayatsu

ムッシュ~。

下駄を鳴らして奴がくる~♪

あの時きーみは、若かあった~♪

何にもない、何にもない、まったく何にもない~♪

の、の、の、の、ボーイ~♪今夜だけ~♪

狂って狂って狂って狂って、あとはさようなーらー♪

ゴロワースを吸ったことがあるかい?短くまで吸わなけりゃダメだ♪

ゴホゴホ

あー、ムッシュ!!!

さよなら、ムッシュ!!!

青春をどうもありがとう!

ゆっくり、おやすみください。ご冥福を。

                     <2017.03.02 記>

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2017年1月 9日 (月)

■【芸術】小説家という職業、うまくいかない人生に対する絶望、そして私は、

昨日の読売に、小説家同士の対談が載っていた。

そのなかで、

「小説家は最後の職業だ」

ということばがあって、それが印象的だった。

要するに、うまくいかない自分の人生に対するどうにもならない絶望があって、そこからの最後のあがきが小説家という仕事だというのだ。

■小説家には2種類あると思う。

ひとつは、例えば東野圭吾のように作品を量産できる、いわゆるストーリーテラー。

お話の世界観と登場人物から、自然と物語が立ち上がっていく。

なったことがないので想像に過ぎないが、売れっ子小説家のインタヴューなんかを総合すると、そんなイメージだ。

もうひとつは、今回の発言主の直木賞作家、葉室麟さんのような、魂を削って小説を生み出すタイプ。

たぶん、夏目漱石なんかは、こっちだと思うのだが、血反吐を吐きながら原稿用紙に向かい、己のなかのどうしようもないもの、認めたくないものを外在化することで、その救済をおこなうような、そして読む者はその見える形になった救済の物語りに魂を震わす、そういう作家だ。

想像するだけで恐ろしい生業である。

■2年前のことである。

わたしは深い絶望のなかにいた。

死にたいと思った。

仕事は順調で、仲間にも恵まれ、必要ともされていたし、

家族はあたたかく、

そこそこ豊かな暮らしを楽しんでいた。

けれど、こころのなかに自分でもわけの分からない、どうしようもないものがあって、

恥ずかしいことだけれど、大学の同期の連中と飲んでいるときに、死にたいとつぶやいてしまった。

■大丈夫だよ、と心配してくれる優しい仲間のなかで、ひとり鋭く切り込んでくるやつがいた。

 

いまの自分に納得がいかないんだろ。

やりたいことがあるんだろ。

文章、書けばいいじゃん。

 

そいつは大学で研究をしてる男で、昔から、かっこよくて、運動もできて、女子にもてもてで、でも、べろんべろんに酔っぱらうのが大好きな、素敵なやつなんだけど、そいつが、ちゃんと俺の目をまっすぐ見てそう言ってくれたのだ。

ありがたかった。

救われた気がした。

■それから、すぐ会社をやめて、なんてことはしなかったけど、哲学者の私塾に少し通ってみたり、自分なりの幸福論についてまとめてみたり、次の人生に向かって少しだけでもなにか準備をしていると、なんだかほんのり明るいものが見えてきた。

そうすると不思議なもので、シナリオのプロットらしきものがいくつか頭に降りてきて、なんとなく書き留めていたら、去年の夏の盛りに、ちょうどそれにあったシナリオコンテストが目に留まり、それに向けて一本だけ書いてみた。

そんな急ごしらえのシナリオが入選するはずもないのだけれど、実際に書いて世の中に対してチャレンジしてみたということは、「おまえは風呂屋の桶だ、ゆうばっかりだ」とおやじにからかわれてきた身からすれば、大きな一歩だと思うし、自信にもなった。

引き続きこのブログで、書くことで生まれる新しい発見を味わいながら、今年からしっかりシナリオの勉強を始めようと思う。

小説も気になるし、その構想もなくはないのだけれど、この胸の奥にどろりとたまった黒い澱は、もう少しそっとしておこうと思う。今はまだ、大人しくしてくれているから、無理に引っ張り出して棒切れで突く必要はないだろう。

年が明けて数え50になる。いい区切りだと思う。

少し遅くなったが、新年の抱負ということで。

 

                        <2017.1.9記>

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2017年1月 6日 (金)

■【ドラマ評】『富士ファミリー 2017』、木皿泉。新しく生まれ変わる魔法の言葉は「おはぎ、ちょうだい」。

「わたし、ここにいていいんですか?」

「いいんだよ。っていうか、もういるし。」

なんてセリフで泣かせてくれた富士ファミリーが帰ってきました。

またしても、正月早々泣かせてくれます。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
番外編  『富士ファミリー2017』
          作:木皿泉 放映:2017年1月
       出演: 薬師丸ひろ子、小泉今日子 他

■あらすじ■
富士山のふもとにある古びたコンビニ「富士ファミリー」。そこには偏屈な笑子バアさん(片桐はいり)と前回やっとの思いが実を結んで結婚した長女、鷹子(薬師丸ひろ子)、近所で旦那と子供との家庭をもった三女、月美(ミムラ)、結婚して東京から戻ったのにそもまま急死してしまった次女、ナスミ(小泉今日子)の幽霊がいる。ナスミの旦那で若い女、愛子(仲 里依紗)と出来ちゃった結婚をしてしまった日出男(吉岡秀隆)、鷹子の旦那、雅男(高橋克己)などのレギュラーメンバーに新しいバイトのぷりお(東出昌大)を加え、今年も明るく、そしてしみじみとしたお話が展開する。

Photo

■木皿泉は夫婦コンビの脚本家で、『すいか』、『野ブタ。をプロデュース』、『セクシーボイスアンドロボ』、『Q10』などを手掛けた作家だが、人間のあったかい心の機微をゆるく、それでいて力強く描く天才である。

そしてこの富士ファミリーもまた、しみじみ心に染みてくる作品なのである。

■今回のお話のテーマは新しく生まれ変わるということ。

ナスミは前世のこだわりを捨てさって生まれ変わることを決意し、鷹子は世界的に有名になった占い師である幼馴染みのキイちゃん(YOU)が中学生のころに予言した「2016年の大みそかに鷹子はこの世を去る」という内容を昔の日記に見つけてオロオロし、月美は叱り飛ばしたら幼い息子が口を聞けなくなったと途方に暮れる。

そこに、この歳になって友達がいないと気づいた笑子バアさんが老人麻雀クラブで出会った喧嘩友達(鹿賀丈史)との戦時中の思い出話や、師事していた教授(萩原聖人)が論文のデータ偽装でスキャンダルになり大学の助手の仕事を失ったバイトのプリオ君が今までの人生の意味を見失ってしまう話や、前世の思いをいっぱい背負った新米幽霊のテッシン(羽田圭介)がナスミにからかわれながら荷物を捨てていく話などが折り重なり、新年にふさわしいそのテーマが浮かび上がっていく。

キーワードは「おはぎ、ちょうだい」だ。

ナスミが生まれ変わってもわかるようにと笑子に伝えた合言葉だ。

富士ファミリーは、笑子が作ったおはぎを売るのが恒例なのだが、そこに向けてすべてが収斂していくさまは、本当に手練れだなあ、と感心するのだけれども、そのラストがもう、猛烈に心を揺さぶって、久しぶりに声をあげて泣いてしまいました。。。

■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■おはぎちょーだい絡みでいえば、月美の息子、大地と笑子のシーン。
   

仏壇に飾ってあるナスミの写真を見る大地に笑子が言う。

「お前のお母さんのお姉さんだよ。もう死んじゃったの。」

「でも大丈夫、人間はみんな生まれ変わる。人は何回でもやり直せるんだよ。」

「新品の人間になる魔法の言葉を教えようか。」

「おはぎ、ちょうだい。だよ。」

店で買い物をする月美のもとに戻った大地は、「おはぎ、ちょうだい」とおはぎを買っている月美の姿を見て母親に抱き着く。

「おかあさん、生まれ変わったんだね!」

口を聞いてくれた息子に驚き、思わず抱きすくめる月美。
   

ちょっとしたことが切っ掛けで、それが大きなおできにようになってしまって、どうにもならなくなってしまう。

けれど、人は他人との日々の関わりのなかで変わっていく、生まれ変わっていく。その関係性の連鎖が人生なのだ。

■愛子に気を使ってナスミの着ていた服を処分しようとする日出男。愛子は、それに激しく抵抗し、ナスミがかわいそうだと、ナスミのことをなかったことにするなんて不公平だと、自分のコスプレの洋服も捨てると言い出す。

「忘れちゃうんだよね、そんなのイヤだ!」

私が今、この富士ファミリーで日出男や笑子バアさんや鷹子たちに囲まれて暮らしている今が、いつかこの洋服のように忘れ去られ、捨てられてしまう、そういうことに抵抗して売るのだ。

結局、ナスミの小さいころの体操着は愛子と日出男のかわいい赤ちゃんの洋服に作り直されることになる。

過去は消えていくものだけど、形を変えて伝わっていくものだというメッセージだ。

これも人間の関連性のなかで息づく、生まれ変わりのひとつの形である。

■そしてラストである。

キイちゃんと遊んではいけないと母親に言われ、それを知ったキイちゃんは鷹子のもとから去っていく。その時のキイちゃんの心の傷は、2016年の大みそかに鷹子がこの世を去るというウソの予言の形で大きな呪いに育ってよみがえる。

そのころのことを思い出し、そのときのキイちゃんの気持ちに寄り添うことで自らの力で呪いを解いた鷹子。そのもとに尋ねてきたキイちゃんに「あなたの呪いは解けたの?」と問う鷹子。

自分を必要だと思ってくれる人がいれば、呪いは解けるんだよ。

鷹子が自分のことを本当に思ってくれていることを知ってキイちゃんも救われたのだ。

キイちゃんを見送った鷹子のもとに、おはぎづくりで忙しい店の方から、「鷹子さん、ちょっと来て、あれどこにあったっけ?」と呼ぶ声がする。

そこで、普段気づかない生活のなかで、自分も必要とされているのだと気づくのだ。それはとてもうれしいことで、これさえあれば生きていけるのだと。

「ほんとだ、自分を必要だと思ってくれる人がいると、どんな呪いも解けるよね。」

その後ろに鷹子を心配してそばにいたナスミが悲しい顔で立っている。
 

ここで爆泣。

だって、ナスミはもうこの世にいなくて、自分は見守ることしかできなくて、みんなの日々の生活には関わっていないから、必要ともされていない。

なんて残酷なシーンだろう。

鷹子が自分の幸福に気づいた、そこで間髪入れずに示されるナスミの悲しい現実。

鷹子の笑顔から切り替わるピント。

遠く立ちすくむナスミ。小泉今日子の全身からほとばしる悲しみは、そのさりげなさ故に、ものすごい力で迫ってくる。
 

そして、おはぎづくりに忙しい家族のみんなの姿に心が落ち着きかけたところで最後の一撃。

おはぎのパックをひとつくすねて店の前にひとりですわる笑子。ナスミのためのおはぎだ。笑子はもうそこにはいないナスミに語り掛ける。

 
「もう生まれ変わったのかい」

「みんな力になってくれるかい」

「いじわるな奴はいないかい」
 

なんていうやさしさなんだろう。書いていてまた涙があふれてくる。

ナスミも、死んでいった人もまた、必要とされている。

  

ありがたいことだなあ。

なにが?

生まれてきたことだよ。

 

                      <2017.01.06 記>

■DVD 富士ファミリー(2016版)

迷惑をかけるためだけに生まれた介護(され)ロボットとしてマツコロイドも出演。笑子バアさんとのからみで、迷惑をかけるだけに生まれてきたのにも意味はある、いるだけですごいことなんだって、セリフが深すぎです。


■木皿泉 しあわせのカタチDVDブック
NHKBSで放送された木皿泉夫妻を追ったドキュメンタリー。NHKがふたりにショートドラマの脚本を依頼し、その創作過程を出来上がったショートドラマを挟み込みながらたどっていく。

夫、和泉努は妻の妻鹿年季子とコンビを組み『すいか』が評価されてこれからというところで、脳溢血になり介護が必要な体になってしまう。妻鹿はそんな和泉に寄り添いながら、ずっと和泉とふたりで創作活動を続けてきたのだ。

TVカメラのレンズを通して見えてくるその姿は決して単純な夫婦愛などではなく、ここまで仲が良くても、どうしても人間はひとりなのだ、という事実であって、だからこそ、ふたりなんだ。それが愛というものなのだと、しみじみと感じ入り、自然と涙があふれてくるのであった。

 

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2016年12月 8日 (木)

■【絵画】ダリ展・国立新美術館。少年サルバドールの心象風景。

ダリは、どうもわざとらしくて好きになれず、いままで敬遠してたんだけど、まあ、まったく見ずに拒否るのもどうかと思い、いつものごとく展示終了間際に国立新美術館へ足を向けた。

Photo

■やはり、予想通り、ダリは私の思い込みとは異なる人のようだ。

わたしの中の勝手なイメージでは、奇をてらい、中身に乏しく、俗物的な彼の作品をシュルレアリスムなんて呼ぶのは言語道断である、というもの。

『魔術的芸術』を読んだときにでもブルトンに植え付けられたのか、とも思うが、いやいや、そもそも、やわらかい時計とか、足の長い象とか、どうでもいいでしょ的な感覚があって、もともと肌にあわない。そこにブルトンの論だったような気がする。

で、若い頃から晩年までの作品を一挙に並べた今回の展示を体感した感想はというと、なんだ「普通の人」じゃんか、というものだ。

■若い頃は印象派の流れの上で修業を積み、そこから反抗的にピカソの後追いをし、そして独自のダリ世界にたどり着く。

彼の描く情景は確かによくわからない悪夢的世界で、意識の解釈のフィルターを感じさせる「企画力」が、かえって絵画そのものへの没入を妨げるように思われる。わたしの先入観はここでは一旦肯定される。

けれども、それらのなかで時々こころをぐいとつかむ作品があって、そこにはダリのシュルレアリスム手法であるダブルイメージとか偏執狂的批判的活動とかのイメージは描かれているのだけれども、その背景には常にスペイン、カタルーニャの荒野が広がっていて、実はそれこそがダリの本質であり、やわらかい時計も、足の長い象も単なる飾りに過ぎないのではないか、或いは傷つきやすい本質を守るための鎧なのではないか、と、そこに至るのである。

つまり、ダリの心には常に少年時代の重荷として荒野が広がっていて、それを覆い隠すためのシュルレアリスムだったのではないか、ということだ。

1931
<降りてくる夜の影>1931年、ダリ27歳

31936
<オーケストラの皮を持った3人の若いシュルレアリストの女たち>1936年、ダリ32歳

遡れば、美貌であったという妹を描いた若い頃の作品は、本来は誇らしいであろうその美貌を隠して常に後ろ姿なのである。

愛するものを直接描くことを拒否しているのか、そもそも描くことができないのか。

サルバドールという死んだ兄の名を受け継いだ少年の奥底で、いつまでも自分を認めることができないような、この絵からは、そういう荒涼とした心情がただよってくるのである。

Photo_2
<巻髪の少女>1926年、ダリ22歳

■ダリは1934年に年上の人妻であったガラと結婚し、第二次大戦中にアメリカに渡る。

そして1945年、広島、長崎に原爆が投下され、科学技術が現実を追い越したことに衝撃を受ける。

それはダリにとって、シュルレアリスムの敗北であったのかもしれない。

1945
<ウラニウムと原子による憂鬱な牧歌>1945年、ダリ41歳

そして、今日の一枚。

《ポルト・リガトの聖母》 1950年

キリスト教に帰依し、ガラとともにスペインに戻ったダリは、精神的支柱であるガラを中心に描いた宗教画に至る。

かつてダリを支配したギミックは影を潜め、安定と不安の精神世界が直接的に描かれている。

1950
<ポルト・リガトの聖母>1950年、ダリ46歳

この大作を、しばらくぼんやりと眺めていた。

マリア的に描かれたガラに抱かれた子供はダリ自身であるのだろう。

そしてガラの胸にも、ダリの胸にも大きく四角い窓が開いている。

これは初期の作品で背後の建物によく描き込まれていた窓と同じものなのではないか。その窓は決してぽかりと空いた穴の虚しさではなく、希望とか永遠性とか、そういう意味合いのなかでの「青空ののぞく窓」なのだ。

そうしてみたとき、ガラのこころとダリのこころは、窓を介して連続し、一体化し、永遠である。

ここにおいてやっと、われわれはダリのやすらぎを見るのだ。

                  <2016.12.8 記>

 

私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ ―サルバドール・ダリ

Photo_4

 

■うれしいことに、『アンダルシアの犬』も上映されていた。

中学3年の時以来かな。

目を剃刀で切り裂くファーストシーンはやはり衝撃的。

笑ったのは、主人公が女性を襲おうとして追い詰めるシーン。彼は獣の死骸を乗せたピアノを引きずっているのだけれど、引きずっているのはそれだけでなく、キリスト教の坊さんが2人、しかも生きたまま!!これは面白い。芸術ではなく、ギャグとしてだけど。

そんな感じで映画としては、やはりいまいちだと思うが、「若さ」、という点で、やはり素晴らしい作品だと思う。

Photo_3
<映画 アンダルシアの犬>1928年 
監督ルイス・ブニュエル 脚本ルイス・ブニュエル、サルバドール・ダリ

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2016年11月14日 (月)

■メタリカ、8年ぶりのニューアルバム!ハードワイアード...トゥ・セルフディストラクト、メタリカはクリフ・バートンの魂を取り戻せるか?

ラーズ、こんどこそ本物か?


<Amazonn>ハードワイアード...トゥ・セルフディストラクト

メタリカが、前作『デス・マグネティック』以来8年ぶりのニュー・アルバムをリリースすることが決定した。  8月18日、ラーズ・ウルリッヒ(Ds)は、アメリカのミネアポリスのロック系ラジオ局93Xの生放送でのインタビュー中に、新曲「ハードワイアード」を初めて披露した。同曲が収録されたニュー・アルバム『ハードワイアード…トゥ・セルフディストラクト』は、11月18日にリリースされる。アルバム全体はCD2枚組というボリュームとなり、デラックス盤には収録曲の源になったギター・リフが収録されるCDがもう1枚付く。11枚目のスタジオ・アルバムとなる同作を、ラーズは「世界中の仲間に早く聴いて欲しくてたまらない」とコメントしている。 ― Japan Billboard 2016/08/26

Laod(1996), Reload(1997)でファンを困惑させ、St.Anger(2003)で絶望の淵に叩き込んだメタリカ。

Master of Puppets (1986)と...And Justice for All (1988)の放った最高の輝きは、なんとも切れの悪いうんちのようなうねりのなかで消え去った。

思えば、メタリカの何が好きだったかといえば、単なるスピードとヘビーなリフだけなく、時にもの悲しい語りとプログレ的な美しさに酔わせてくれる、その情感にしびれたのだ。

その音楽性の核はラーズ・ウルリッヒでもなく、ジェイムズ・ヘットフィールドでもなく、クリフ・バートンなのだと思う。

その遺産を使って最高の高みに上り詰めたのが...And Justice for All (1988)であり、Oneの成功によるものか、商業主義的な香りの漂うMetallica (1991)は、キャッチーで入門しやすくはあるものの、もはやあの陶酔は失われてしまっていたのだ。

さて、今回のHardwiredである。公開されているPVを見る限り、原点回帰的な感じはかなり色濃く漂っている。

難しいことを考えることをやめ、気持ちのいいメタルを追求したいというジジイたちの想いが込められているようにも思える。

むしろ、Kill 'em All (1983)的なアルバムなのかもしれない。

まあ、聴いてみるまで分からないわけで、少し楽しみではある。

発売予定は2016年11月18日。

                          <2016.11.14記>

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2016年11月 2日 (水)

■『ママにゲーム隠された!』。感動の最終ステージ。

まさかスマホゲームで涙ぐむとは思わなかった。
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ゲームのやりすぎで、ママにゲーム機を隠された小学生。
 
この部屋のどこかにゲームは隠されている。
 
見つけたアイテムを駆使して、ゲーム機を見つけるとんちゲーム。
 
へたなところを開けるとママが登場してゲームオーバー。
 
ひねりまくっていて、これがものすごく面白い。
 
一気に最後ステージまで遊んでしまった。
 
しかし、その最終ステージの30日目。
 
その落ちのドラマに思わず涙ぐんでしまった。
 
 
ああ、愛があふれている。。。。。
 
                     <2016.11.02 記>
 

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