●3.名画座【キネマ電気羊】

2017年7月19日 (水)

■【映画評】『楽園追放』 アンジェラ・バルザックはロイ・バッティである。結局、人のこころを動かすのは、人のこころの動きなのだ。

80年代のSF映画ファンにはたまらない映画である。これは、おっぱい美少女電脳ロボットアニメのフォーマットを使った古き良きSF映画であり、人のこころに響く人間賛歌なのである。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.109  『楽園追放 -Expelled from Paradise-』
          公開:2014年11月
      製作 野口光一 監督 水島精二  脚本  虚淵玄 
       出演: 釘宮理恵 三木眞一郎 神谷浩史 他

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■あらすじ■
ナノハザードにより廃墟となった地球を棄てて人類の多くは、データとなって電脳世界ディーヴァで暮らすようになっていた。 そのディーヴァが地上世界からの謎のハッキングを受ける。その主は、フロンティア・セッターと名乗った。ディーヴァの捜査官アンジェラは、生身の体・マテリアルボディを身にまとって地上世界へと降り立ち、地上調査員ディンゴと共にフロンティア・セッターの捜索を開始する。

■「全身の骨で感じるんだよ。ビートをさ」

  お尻を露出したおっぱい美少女が聞く。

 「それって、そんなにも凄いこと?」

 「古い人類のあなたがわたしを怖がらないのは、音楽を骨で感じることが出来るから?」

   
そういう映画だ。

もう少し分かりやすく言うと、こういうことだ。

電脳美少女と泥臭い人の仁義とが出会うことによって、人間とは何か、自由とは何か、というテーマを浮かび上がらせる。

それはかつて、『ブレードランナー』でロイ・バッティが見せた一瞬の輝きであり、『未来惑星ザルドス』のラストシーンに漂う懐かしさなのである。

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■この映画は、プロデューサーでCGクリエーターの野口光一が中心となって企画を立ち上げたオリジナル作品で、脚本は『魔法少女まどか☆マギカ』の虚淵 玄、監督は『鋼の錬金術師(第一期)』の水島精二、CGモーションアドバイザーとして板野一郎を迎えている。

これはきわめて贅沢な布陣であり、 面白くないわけがない。

予想にたがわず、虚淵 玄の紡ぎだすテンポのいい展開やこころを貫くセリフ、水島精二による情感あふれる人物描写、表情、フルCGとして後進に確実に受け継がれている板野サーカスも最高に素晴らしい。

けれど、それよりもなによりも、この作品にはどこか落ち着きのある独特の空気感があって、お尻むき出しの美少女を中心に据えながらも、大人の映画にとどまっているという曲芸にひたすら感心するばかりなのだ。

作り手たちが、ぶれずに守り通したコアの部分はそこにあるのだと思う。

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■人類が電子化された存在として電脳空間で暮らしている、という設定は特に目新しいものではない。サイバーパンクの世界を映画に持ち込んだ『マトリックス』の一歩先を進んでいるだけで、本質的には変わりはない。

また、電脳空間「ディーヴァ」がユートピアの顔をしたディストピアであり、そこを脱出する物語というのもまたしかりである。

神の顔をした保安局高官たちの存在が面白く、彼らがAIなのか、人間なのかは興味深いところだが、その設定自体は「よくある」話だ。

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■けれど、そういう設定の目新しさは、この作品にとってはどうでもいいことだ。

『マトリックス』にとっては、その世界観の設定がすべてだけれど、『楽園追放』にとっての設定は単なる「ガジェット」に過ぎない。

『楽園追放』が描くのは、その「ガジェット」の中で人間が何を感じ、何を思うか、ということなのだ。

それはまさに、『ブレードランナー』や『未来惑星ザルドス』といった80年代のSF映画が描こうとしていたことであり、野口光一や虚淵 玄が目指したところもそこにある。同時代の人間として、もう痛いほどわかる。

『楽園追放』は、今ではすっかり廃れてしまった古き良きSF映画の正式な継承者なのである。

そしてそれが、『楽園追放』が、おっぱい美少女を全面に押し出しながらも大人の映画たり得ている秘密なのだ。


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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■アンジェラ・バルザックはロイ・バッティである。

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ロイ・バッティとは映画『ブレードランナー』に登場する逃亡アンドロイドのボス。

主人公のリック・デッカード(ハリソン・フォード)に仲間を殺され、ロイ・バッティは超人的身体能力でその復讐をする、しかし、リック・デッカードをしとめようとしながらも自らのアンドロイドとして定められた命が今まさに燃え尽きようとしていることを理解していて、最後の瞬間、リックの命を愛おしむように救うのだ。

『ブレードランナー』という映画はこのシーンがすべてである。

ロイ・バッティを演じたルドガー・ハウアーは監督のリドリー・スコット以上にそのことを理解していて、彼抜きにはこの映画は成り立たなかったであろう。

彼によって、アンドロイドのことばに表すことのできない感情が痛いほど胸に伝わってくるのだ。

人間とは何か、という問いを理屈ではなく感情として、確かな感覚を生み出すことに成功している珠玉の名シーンだ。

■プロデューサーの野口光一とシナリオの虚淵 玄は、確実にこのシーンを意識している。

ディーバにハッキングをかけたフロンティア・セッターが意識を自己生成させたAIであり、相棒で肉体をもつ地上人のディンゴがフロンティア・セッターと人間のように触れ合うさまに、アンジェラは混乱してしまう。

「フロンティア・セッターは人間なの?」

「人間かどうかなんて、どうでもいいじゃないか。」

そんなことを考え始めたら、むしろ肉体を持たないアンジェラも、人間かプログラムかどうかなんて区別できなくなってしまう。

アンジェラは、その感覚の無限の延長によって百億光年先のガンマバーストの音を聞いたり、素粒子に触れることすらできる。

けれど、骨で音を感じることはできない。

人間とはなにか、という問いが彼女の中で生まれ、育ち始める。

それはロイ・バッティが過酷な宇宙のかなたで感じ、死を前にしてその心に芽生えた感情そのものなのである。

■終盤、フロンティア・セッターの旅立ちを守るために戦うその最中、一緒に大宇宙への旅に行かないかとフロンティア・セッターに問いかけられた瞬間、アンジェラの前に世界が開ける。

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目の前に広がるそこにはないはずの緑の地平。

ああ、まだ知らないことがある。

その瞬間、彼女は自由だ。

人間とはそういうことなのだ。

■さて、災厄の後に人間が大気圏外に脱出して以降も100年以上の歳月をかけて、外宇宙への人類移住計画を遂行し続けてきたプログラム「フロンティア・セッター」。

映画『スタートレック』の「ヴィジャー」を思い起こさせる存在だが、むしろ同じ作家による『魔法少女まどか☆マギカ』の宇宙生命体キュゥべえとの対比が面白い。

どちらも客観的、論理的思考と語り口なのだけれども、キュゥべえが最後まで「わけが分からないよ」と人間のこころを理解できなかったのに対し、フロンティア・セッターは本人も良く分からないながらも、極めて人間くさい。

その人間臭さが、アンジェラをして人間としての生を取り戻させる。

『まどかマギカ』における絶望から解放は宇宙を作り変えるほどの転換を必要としたが、『楽園追放』の解放はひとりの人間のこころのレベルでの転換によって成し遂げられる。

このあたりがこの作品が「大人」だと思うところだ。

■そして、フロンティア・セッターの旅立ちの場面。

  
歌を歌って、仁義を通して、星空に夢を見たあんたなら、

もう、人間でいいんじゃないか
 

もう、このディンゴのセリフにやられてしまいました。

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死とか、愛とか、そういう「泣かせ」じゃない。

「真実」に触れたときに感じる震えるような感動。

もう、このシーンだけでこの映画は満点だ。

結局、人のこころを動かすのは、人のこころなんだよね。

 

                      <2017.07.18 記>

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■STAFF■
原作 - ニトロプラス、東映アニメーション
脚本 - 虚淵玄(ニトロプラス)
監督 - 水島精二
キャラクターデザイン - 齋藤将嗣
プロダクションデザイン - 上津康義
メカニックデザイン(フロンティアセッター) - 石垣純哉
メカニックデザイン - 齋藤将嗣、柳瀬敬之、石渡マコト(ニトロプラス)
スカルプチャーデザイン - 浅井真紀
グラフィックデザイン - 草野剛
3Dメカデザイナー - 池田幸雄
設定考証・コンセプトデザイン - 小倉信也
演出 - 京田知己
絵コンテ - 水島精二、京田知己、角田一樹、黒川智之
CG監督 - 阿尾直樹
作画監督 - 郷津春奈
デジタル作画監督 - 山崎真央
造形ディレクター - 横川和政
モーション監督 - 柏倉晴樹
色彩設定 - 村田恵里子
モニターグラフィックス - 宮原洋平(カプセル)、佐藤菜津子
美術監督 - 野村正信(美峰)
撮影監督 - 林コージロー(グラフィニカ)
編集 - 吉武将人(エディッツ)
音響監督 - 三間雅文(テクノサウンド)
音響効果 - 倉橋静男(サウンドボックス)
音楽 - NARASAKI
音楽プロデューサー - 島谷浩作、小西岳夫
モーションアドバイザー - 板野一郎
アニメーションプロデューサー - 森口博史
チーフアニメーションプロデューサー - 吉岡宏起
プロデューサー - 野口光一
アニメーション制作 - グラフィニカ
企画・製作 - 東映アニメーション


■CAST■
アンジェラ・バルザック -  釘宮理恵
ディンゴ  - 三木眞一郎
フロンティアセッター - 神谷浩史
ディーヴァ保安局高官 - 稲葉実、江川央生、上村典子
ディーヴァ女性エージェント  - 林原めぐみ、高山みなみ、三石琴乃

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2017年7月17日 (月)

■【演劇評】『ウエスト・サイド・ストーリー』@東急シアターオーブ。アメリカの虚構と矛盾と、そして生きる力。

うーん、映画より数段感動した。想像の遥か上!

音楽も、ダンスも、照明と美術の演出も最高!

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番外編 ブロードウエイ・ミュージカル
      『ウエスト・サイド・ストーリー』
           原題: WEST SIDE STORY
          音楽: レナード・バーンスタイン  初演:1957年
      2017年7月公演 渋谷ヒカリエ・東急シアターオーブ
       出演: ケヴィン・ハック(トニー)、 ジェナ・バーンズ(マリア) 他

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■あらすじ■
ニューヨーク、ダウンタウン。 ポーランド系移民の少年グループ、ジェット団と、プエルトリコ移民の少年グループ、シャーク団の縄張り争いの緊張が張り詰めている。そんな中、ダンスパーティーで元ジェット団のトニーとシャーク団リーダー・ベルナルドの妹・マリアは出会い、一瞬にして恋におちる。

■まず度肝を抜かれたのが、演者の肉体。

ダンスとかバレエってほとんど見ないので、ああ肉体って迫力あるなあ、というのが第一印象。ミュージカルって歌だけじゃないんだね。

この強靭でしなやかな肉体群が生み出すキレッキレが最高に『クール』なのである。

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けれどそのダンスは、もちろん、音楽も歌も最高に素晴らしいんだけど、何よりも引き込まれたのは美術と照明が作り出す美しさ。情感あふれる演出だ。

『トゥナイト』のシーン。

夢のような美しさ。音楽と歌声と溶け合って、ああ、と没入する。

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■『ロミオとジュリエット』を下敷きとした物語構成はとてもシンプルでわかりやすいものなのだけれど、シーンのひとつひとつがヴィヴィッドで、物語よりも場面そのものに意味がある。舞台ってそういうものだよね。観ているその瞬間がすべて。

そういう意味で度肝を抜かれたのは『サムウェア』。

リフとベルナルドが死んだあと、急に差しはさまれる白い場面だ。

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背景は取り払われ、白いホリゾントの前でポーランド移民とプエルトリコ移民が和解のダンスを繰り広げる。

その希望も夢でしかないのだけれど、

このシーンで浮かび上がる希望は確かなものであって、このあとの悲劇的結末も、この希望ひとつによって救われる。

こういう構造を持ち込むことが可能なところが舞台の素晴らしさなのだと改めて思う。

■この物語を眺めるとき、どうもトニーに没入することができない。マリアもしかり。純粋なのだろうけれど、どうしても人物像が浅く感じてしまう。それが若者ということなのかもしれない。

その一方でアニタを始めとするプエルトリコの女たちは、そのスパニッシュ訛りの英語もあいまって、とてもリアルだ。

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『アメリカ』。

希望に夢ふくらませ、不安を国において渡ってきた憧れのアメリカ。

実際にはあとから入ってきた移民に対する偏見や差別という現実に直面するわけで、この『アメリカ』という楽曲がきわめて皮肉に用いられている。

トランプ大統領下の不寛容なアメリカ。

『ロミオとジュリエット』の許されざる恋の物語の姿を借りて、自由を標榜しながらも、その社会構造のなかに不寛容が入り混じるアメリカの矛盾。

それは初演の1957年から60年経った今日においても根深く横たわっている、というよりもより一層色濃く表れているのだ。

だからこそ、その回復不可能とも思われる矛盾のなかで、アニタたちの生きる力強さがより前面に押し出される。

それが、アニタ達に感じる奥深さの源泉なのである。

物語はバッドエンドではあるし、現実世界もうまくはないだろう。

けれども、それでも、希望を胸に強く生きるアニタ達にわれわれは希望を見るのだ。

たぶん、それは『サムウェア』で提示される「白い希望」よりも強いリアリティをもって僕らの背中を押してくれる。

そう、そういうことなのだ。

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                      <2017.07.17 記>

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【DVD】<映画>ウエスト・サイド物語 

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うーん、正直なところ映画には途中までまったく乗れなかった。

ジェット団の子供的な部分と俳優たちがどうもかみ合わない。

ところが、リフが死んで浮足立つジェット団のなかで頭角をあらわしたアイスが『クール』を歌いだすシーンに少年たち独特の狂気を感じ、そこから急に面白くなった。

ここ、凄かったなああ。

うつらうつら観てたんだけど、ここで一気に目が覚めた。

アイスを演じるタッカー・スミスが一瞬見せる悪魔のような瞳のぎらつき。

この一瞬だけで価値があると思います。

 

 

■STAFF■
原案・演出・振付  ジェローム・ロビンス
音楽  レナード・バーンスタイン
脚本  アーサー・ロレンツ
  
音楽監督・指揮 ドナルド・ウイング・チャン
演出・振付  ジョーイ・マクニ―リー


■CAST■
ケヴィン・ハック(トニー)
ジェナ・バーンズ(マリア)
キーリー・バーン (アニタ)
ランス・ヘイス(リフ)
ヴァルドマー・キニョーナース-ヴィアノエヴァ(ベルナルド)

 

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2017年7月 6日 (木)

■【映画評】『魔界転生』 深作欣二監督。強烈で、獰猛で、そういうことが許された時代の息吹は、未だ色あせることはないのだ。

これは単なる伝奇ものではない。人の業についての物語りだ。

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No.108  『魔界転生』
          監督: 深作欣二 公開:1981年6月
        出演: 沢田研二  千葉真一 他

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■あらすじ■
島原の乱で一揆勢を率いて戦うも夢破れ自害した天草四郎時貞は、3万余もの同胞の亡骸を前に、救いの手を差し伸べなかった神とたもとを分かち、悪魔に魂を明け渡してその恨みを晴らすために蘇る。

夫の愛を得られなかった細川ガラシャ、柳生との勝負に強い心残りを抱たまま老いてしまった宮本武蔵、女への煩悩を捨てきれなかった槍の使い手、宝蔵院胤舜、伊賀の里を幕府に不意打ちされ皆殺しにされた忍者霧丸。天草四郎は彼らの未練、怨念を救い取り魔界へと誘い込み、現世へと復活させる。

彼らの目的は徳川幕府を崩壊させ、日本全土を焼き尽くすこと。その動きを知った柳生但馬守とその息子、十兵衛は彼らの目論見を止めることが出来るのか。

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■エロイムエッサイム、我は求め訴えたり

現在でもアニメの世界ではファンタジー全盛だけれども、かつての時代にも「伝奇もの」と呼ばれる独特のファンタジー世界があった。

『魔界転生』はその代表格ともいえるものだろう。

しかし、ファンタジー或いは伝奇というものが本筋ではない。

深作欣二と角川春樹が描きたかったのは人の業だ。

愛する人に自分だけを愛して欲しいという想い、押さえつければ押さえつけるほど狂おしく迫ってくる性衝動、自分が一番強い剣術使いであることを確かめたいという情念。

魔道に堕ちる登場人物たちは、我々のこころの鏡である。

この『魔界転生』は、それをストレートに描くことが出来た時代の作品であり、だからこそ、古臭さも感じることなく、いまだに強いインパクトを我々に与えることができるのだ。

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■現在の日本ではたぶんこの作品を作ることは無理だろう。

「恨み」や「未練」というものは、この時代においてはあまりにも「ベタ」過ぎてそのまま語ることが出来なくなってしまっている。

生々しい「情念」は、気の利いた設定にラッピングされ、きれいな映像や音楽によって飾り付けられた流行りのスタイルの映像作品として商品棚に並べられる。

「情念」をそのままカタチにしたような若山富三郎、室田日出男、成田三樹夫、丹波哲郎、千葉真一というあまりにも濃い昭和の漢(おこと)たちは過去の作品でしか輝くことはできない。

直球というものが成り立たなくなっているのだ。

■それは社会そのものについても言える。

実際の生活の中から情念や怨念は注意深く掃き清められ、(この二人を同列に並べるのはどうかとは思うけれども)応援団長の熱すぎる男、松岡修造や、森友学園の籠池氏のような、情念や怨念をむき出しにする人間は、「ネタ」化という加工を経ることで初めてネットやテレビで消費される。まともに取り合うものはもはやいないのである。

けれど、あの昭和の時代。こういう「むき出し」の人は世の中に溢れていて、さて彼らはどこへ行ってしまったのか。と、ふと思うのだ。

だがしかし、ひとの業というものはそう簡単に消えるものではない。

世の中から隠されてしまっているからこそ、逆にそれは陰湿に内にこもり、うねり、取り返しのつかないことになる前に健全に昇華される機会を心待ちにしているのだ。

こういう、「情念」をストレートに描き、それが作品として成立している過去の作品は、まさにその「内にこもった情念」に強く響くのだ。

■1981年といえば、まだバブルさえ始まっていない時代である。文化的には昭和元禄の始まりというところか。

その文化の始まりにおいて眩い輝きを放ったのが角川映画だ。

  読んでから見るか、見てから読むか

1976年の『犬神家の一族』から始まり、『人間の証明』(1977)、『野生の証明』(1978)、『白昼の死角』(1979)、『戦国自衛隊』(1979)、『復活の日』(1980)、『野獣死すべし』(1980)ときて、本作、『魔界転生』(1981)とくる。

これでもか、というほどの骨太の作品群だ。

その後、『セーラー服と機関銃』(1981)で大作路線からアイドル系へと大きく舵をきるわけで、『魔界転生』は第一期角川映画の最後の輝きともいえるだろう。

もちろん、『時をかける少女』(1983)や『蒲田行進曲』(1982)、『麻雀放浪記』(1984)を生み出した第二期も素晴らしいんだけど、「作品」の素晴らしさ、という冷静さを蹴散らすパワーを秘めた、それ故にダイレクトな「情念」を許容させた猛烈さ、というものはもうそこからは消え失せてしまったのだ。

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■その猛烈さが爆発する本編終盤、炎上する江戸城の中での若山富三郎のキレッキレの殺陣と、そのあとの千葉真一との立ち合いは最高に素晴らしい。演じる者が実際に火の中にあってこその鬼気迫るものというものがやはりあって、こういう迫力はなかなか現代風のCGでは得られない。

最近のアニメの描写力も、そこから引き出される感情も素晴らしいものがあるのだけれど、やはりCGに頼らない実写の迫力というものは別格であって、日本映画にこういう時代があったのだと知らない若い世代は是非にでも見ておくべきだと思う。「情念」の映像表現の極北がここにあるのだから。


■Amazon ビデオ 『魔界転生』

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■深作欣二演出による個々人が生きている群衆シーンも凄いのだけれど、やはり綺羅星のような役者たちが素晴らしく、それをひとりひとり見ていこう。

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まず、柳生十兵衛を演じた千葉真一。柳生十兵衛といえば、この人しかいないだろう。

主要登場人物で唯一魔界に堕ちることを拒んだ人物を演じた千葉真一の気迫は猛烈だ。

この圧力に対抗できる役者は藤岡弘くらいだろう。

でも藤岡弘のような狂気を感じさせないところが柳生十兵衛たる所以なのだろう。

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ジュリーである。

天草四郎時貞という屈折したキャラクターに沢田研二はとても似合う。

天草四郎の恨みは3万人の民草の恨みである。

その恨みを背負っていながら、飢饉を生み出して罪のない民衆を苦しめお上に対する暴動を煽るという矛盾をはらんだ存在。

もはや恨みはそれ自体が目的化してしまっていて、それは悪魔に魂を売ったことによってもたらされた人格によるものなのかもしれない。

ジュリーといえば『太陽を盗んだ男』だけれども、この世のすべてを巻き込むような大きな狂気がとても個人的な情動と共存する、そういう危うさが、まさにジュリーなのだ。

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柳生但馬守宗矩を演ずるは若山富三郎。

迫力のある人である。そういう演技は知っていたのだけれども、殺陣がこれほど凄いひとだとは知らなかった。こんなにキレのある殺陣は見たことがない。

子連れ狼だとか、若山富三郎の全盛期は世代が上になるので新たな発見であった。(私にとっての拝一刀は萬屋錦之介だもんね)

但馬守は、息子であり、後継者である十兵衛に対し、剣の道を究める上で雌雄を決しておきたいという願望を捨てきれない、その一点で魔道に入るのだが、いまいちそこがピンと来ない。それでもラストの立ち合いは、まさに若山富三郎と千葉真一という師弟の仕合いであって、その炎のなかでの鎬の削り合いに理屈は不要なのである。

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宮本武蔵は緒形拳。

太い木刀で撲殺しまくる。あまりにも強い。二刀流もさまになっていてかなり稽古をつけたのだろう。

剣の道に生き、自らを慕った女の気持ちを知りながらそれを棄てた宮本武蔵。

その女の姪を登場に人の心を取り戻しかけるシーン。

そして巌流島を思い起こさせる十兵衛との決闘で、額を割られて倒れるシーン。

ともに緒形拳は派手な演技は行わないし、カットもロングショットで表情すら分からない。けれども観る者には武蔵の心情が十分に伝わるのだから、やはり役者としての緒形拳は尋常ではない。

濃密な昭和の俳優たちの中にあって、その微妙で奥深い演技が実に味わい深く、心に響くのである。

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佳奈晃子さんという女優はあまり意識したことがないのだけれど、恐ろしく妖艶な人である。

もともと原作には細川ガラシャは登場しないようなのだが、そこに「女」という業を組み入れた角川春樹と深作欣二には脱帽なのだが、それを演じきった佳奈晃子さんもあっぱれである。

将軍様でも、これでは参ってしまいます。

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さて、室田日出夫である。

胤舜は宝蔵院槍術の完成者。僧侶として女を遠ざけて生きているのに性的な衝動を抑えられない。

そのタガが外れて魔道に堕ちた胤舜はまさにセックスアンドバイオレンスの塊。そこに室田日出夫の獣性がきらめく。

『野獣死すべし』のリップ・ヴァン・ウインクルのシーンもいいけど、魔道に堕ちる前に女を襲う妄想に取りつかれる胤舜のシーンもまた素晴らしい。

狂気とは正気とのはざまにあるときに一番恐ろしい姿を現すのである。

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伊賀の影丸は真田広之。

まだまだ若い。

魔道に堕ちた連中のなかにあって、天草四郎を信じる素直さと父を亡くした少女を思う人間性との間に揺れ動く。

若いということは「業」が浅いということ。

逆に年をとればとるほどに、人は抱えるものが増えていき、背負う「業」も深くなる。

しかし、業が深ければ深いほどに、人としても深くなる。

真田広之は今では深みのあるハリウッドスターだが、本作の真田広之にはそれは感じない。

今の真田広之はどんな業を背負っているのだろう。

いまだにさわやかさを失っていないのだけれど。

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「神に会うては神を斬り、魔物に会うては魔物を斬る。これが村正にございます。」

このセリフがすべてである。

鍛冶師村正を演じる丹波哲郎。

「死んだら驚いた」

みたいな霊界の使者になって以降、すっかり印象が狂ってしまったけれど、よく思い出せばもともとそういう言い切り型の感じの人ではあった。

それゆえ、こういう「口上」が実に決まる。

本気なのか演技なのか分からない。

この人もまた「はざま」に漂う人なのであった。

 

こうして眺めてみると本当に濃い映画だ。

何だか『仁義なき戦い』が見たくなってきたぞ!

                      <2017.07.06 記>

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■STAFF■
製作 : 角川春樹
原作 : 山田風太郎
企画 : 角川春樹事務所
プロデューサー : 佐藤雅夫・本田達男・稲葉清治
脚本 : 野上龍雄・石川孝人・深作欣二
監督 : 深作欣二
撮影 : 長谷川清
録音 : 中山茂二
照明 : 増田悦章
美術 : 井川徳道・佐野義和
編集 : 市田勇
助監督 : 土橋亨
進行主任 : 長岡功
スチール : 遠藤功成
音楽 : 山本邦山・菅野光亮
衣裳アドバイス : 辻村ジュサブロー
協力 - 矢島特撮研究所、デン・フィルム・エフェクト
東映京都作品



■CAST■
千葉真一 : 柳生十兵衛光厳
沢田研二 : 天草四郎時貞
佳那晃子 : 細川ガラシャ
緒形拳 : 宮本武蔵
室田日出男 : 宝蔵院胤舜
真田広之 : 伊賀の霧丸
松橋登 : 徳川家綱
成田三樹夫 : 松平伊豆守
神崎愛 : おつう
菊地優子 : お光
丹波哲郎 : 村正
若山富三郎 : 柳生但馬守宗矩
  
大場順 : 柳生左門友矩
島英津夫 : 柳生又十郎宗冬
久保菜穂子 : 矢島局
成瀬正 : 甲賀玄十郎
中村錦司 : 石田上総守
河合絃司 : 神尾備前守
川浪公次郎 : 松平隼人正
鈴木康弘 : 富田主膳
有川正治 : 伊崎平内
岩尾正隆 : 安井藤兵衛
内田朝雄 : 酒井雅楽頭
相馬剛三 : 阿部豊後守
丘路千 : 堀田備中守
角川春樹 : 板倉内膳正
中江英生 : 細川忠利
林三郎 : 水野勝成
小林将孝 : 戸田氏鉄
飛鳥裕子 : 甲賀くノ一
鈴木瑞穂 : 小笠原少斎
浜村純 : 茂左衛門
東龍子 : 茂左衛門妻女
梅沢昇 : 伊賀の長老
犬塚弘 : 宗五郎
秋山勝俊 : 与平
野口貴史 : 彦作
白川浩二郎 : 米十
高月忠 : 百姓
中島茂樹 : 百姓
赤羽明 : 百姓
吉沢高明 : 百姓
鄭美玲 : 百姓
丸平峯子 : 百姓
白石加代子 : 声
カルロッタ池田 : 霊
畑中猛重 : 侍
中島葵 : 百姓女
三谷昇 : 旅僧
味方健 : 能シテ
味方団 : 能子方
谷田宗二郎 : 能ワキ
茂山あきら : 能アイ

 

 

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2017年7月 3日 (月)

■【映画評】『ハクソー・リッジ』、なすべきことは何か。戦争の狂気に打ち勝つ信念の物語。

容赦なく米兵の頭や体を打ち抜く弾丸。迫撃砲によって飛び散る手足。火炎放射器で火だるまになる日本兵。自動小銃の銃弾の雨をものともしない銃剣突撃に崩壊する大隊。

その凄惨さに目を伏せることはできない。目をそらせばスクリーンのこちらにいるはずの自分がやられる。そう思わせるほどの力がある戦場シーンだ。

しかし、本当の衝撃はそのあとにある。

これが真実の物語であることが何よりも強く響く、そういう映画である。

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No.107  『ハクソー・リッジ』
           原題: Hacksaw Ridge
          監督: メル・ギブソン 公開:2017年7月
       出演: アンドリュー・ガーフィールド    ヴィンス・ヴォーン  サム・ワーシントン 他

Title

■あらすじ■
第二次世界大戦、デズモンド・ドスは人を殺さないという頑なな意思を持ちながら衛生兵として陸軍に志願する。銃を持つことを拒否したことにより軍のなかで孤立し、軍法会議にかけられるが、ある人物の助力により、銃を持たずに戦争に参加することを許される。

彼の大隊が派遣されたのは沖縄上陸戦。だが、そこにはハクソー・リッジと名付けられた難攻不落の日本軍の拠点が立ちはだかっていた。

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■「敵が攻めてきてお前の大事なものに襲い掛かってきたら、お前はどうするんだ。」

頑なに銃をとることを拒否するデズモンドに軍曹が詰め寄る。

「分からない」

「でも、今、僕の大切なものが危機にさらされている」

戦争において、良心は判断の迷いを生み、それは本人だけでなく、小隊全体を危機に陥れる。

だから軍曹は徹底的にデズモンドを追い込み、心変わりをさせようとするが、決してデズモンドはくじけない。

彼の婚約者は軍の中で追い込まれたデズモンドを救うために

「撃たなくてもいい、銃を手に取って撃つふりをすればいいの」

と助け船を出すのだが、それはデズモンドの信念に反することであり、決して受け入れることは出ない提案だ。

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婚約者でさえ、彼の信念がわからない。

誰もデズモンドのこだわりが理解できないのだ。

しかし、デズモンド自身もどうやって銃を持たずに、相手を殺すことをせずに、自らの大切なものを守るのかという軍曹の問いには答えることができないのである。

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■地獄の戦場、ひたすら、ただひたすら、戦場の地獄が延々と続く。アメリカ兵も日本兵も、そして何より観ている私自身が、とても生き残れるとは思えない。そんな地獄だ。

夜が明け、地下壕から湧き出てきた日本軍の攻勢に一気に追い込まれるアメリカ軍。

デズモンドは敗走するアメリカ軍の中で必死に友軍兵士の救助を試みる。

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アメリカの戦艦の猛烈な艦砲射撃の中、ハグソーリッジの瀬戸際で呆然とするデズモンドは天を仰ぎ、神に問う。

 
私は何をすればよいのか。
  

その目に取り残されている負傷兵が映る。そうか、そうなんだ。と、目の前の息も絶え絶えの、内臓をえぐられ、手足を吹き飛ばされた血みどろの友軍兵を死体の山の中から探し出し、ひとり、またひとりと崖まで運び、ロープで下していく。

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■やがて艦砲射撃が止み、日本兵が敗残兵狩りに現れる

その目を盗みながらすすめる気の遠くなるような作業

  
神様、あと一人救わせてください

もうひとり、あとひとりだけ
   

そう祈りながら、デズモンドは過酷な救出作業を続けていく

その中には日本の負傷兵までも含まれる

目の前に敵が現れ、お前の大事なものに襲い掛かってきたら、お前はどうするのか

という軍曹の問いが改めてよみがえる。

それが、デズモンドのたどり着いた答えだ。

■まさに、この神々しいシーンのために、あの延々と続く地獄の描写が必要であったのだ。

殺さない、という戦場における消極的な決意は、

ひとつひとつ、目の前の命を救っていくという信念に昇華し、恐怖にも、絶望にも打ち勝って、まっすぐに強く前進する。

ハグソーリッジの第二次攻撃にあたり、隊長はデズモンドにお前が必要なんだと懇願する

誰もがみな、あの地獄に戻る恐怖には耐えられない。

殺さないことを貫き、命を救うことでそれに打ち勝ったデズモンドの強さを突入部隊は必要としたのだ。

それは、敵兵である日本人を殺すという矛盾をはらんだものであるものの、戦争という狂気に、その場に居合わせたアメリカ兵たちの心に、強い楔を打ち込んだのだ。

■エンディングで、実際のデズモンドや隊長たちのインタビューが流れる。

ここがこの映画の最大のメッセージだろう。

これは虚構じゃない。

確かに、戦争という狂気に打ち勝った男がいたのだと、

この映画を見終わったわれわれの心にも、強い楔を打ち込んでくるのだ。

集団の狂気に抗い、自らの魂に従い信念を貫き通すことは可能なのだ。

それは奇跡かもしれないけれども、われわれと同じ血の通った人間がそれを成し遂げたのだと。

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                      <2017.07.03 記>

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■STAFF■
監督      メル・ギブソン
脚本      アンドリュー・ナイト
            ロバート・シェンカン
             ランダル・ウォレス
原案      グレゴリー・クロスビー
音楽      ルパート・グレグソン=ウィリアムズ
撮影      サイモン・ダガン
編集      ジョン・ギルバート



■CAST■
アンドリュー・ガーフィールド - デズモンド・T・ドス
リス・ベラミー          - 若年期のデズモンド・T・ドス
ヴィンス・ヴォーン       - ハウエル軍曹
サム・ワーシントン       - グローヴァー大尉
ルーク・ブレイシー       - スミッティ
ヒューゴ・ウィーヴィング    - トム・ドス
ライアン・コア          - マンヴィル中尉
テリーサ・パーマー       - ドロシー・シュッテ
レイチェル・グリフィス      - ベルサ・ドス
リチャード・ロクスバーグ    - ステルツァー大佐
ルーク・ペグラー         - ミルト・"ハリウッド"・ゼーン
リチャード・パイロス       - ランダル・"ティーチ"・フューラー
ベン・ミンゲイ           - グリース・ノーラン
フィラス・ディラーニ        - ヴィート・リンネリ

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2017年7月 1日 (土)

■【アニメ評】『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第二章「発進篇」』、沖田の子供たちが行く・・・。

待ちに待った第二章。

吹奏楽のヤマトのテーマが震えるほどかっこいい!!

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番外編  『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第二章「発進篇」』
          監督: 羽原信義 公開:2017年6月
    

■今回は仕込みの話だから、強烈な盛り上がりはない。けれど、それでも綺羅星のような名セリフ、名シーンがあって、もうたまらんのです。

司令部の妨害を排して発進するヤマトを見送る藤堂長官、

「沖田の子供たちが行く・・・」

司令長官の立場では見せることができないその心情の吐露である。この人物造形の奥深さがヤマトなんだよなあ。

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それに対して芹沢の悪役ぶり(笑)。

波動砲艦隊が象徴する今の地球の矛盾の権化。アンドロメダ艦隊が全滅して芹沢が呆然とする姿が目に浮かぶ。

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■「攻撃目標ヤマト!」

アンドロメダ艦長の山南。彼もまた沖田の教え子であり、ヤマトの理解者。

ヤマト追撃をアンドロメダ単艦であたらせた司令部に本気で止める気はないし、山南も十分それを承知している。

大人なんだよなあ。

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「衝撃に備え!!」

アンドロメダの最新装備の攻撃をアステロイドリングでかわしたヤマト。新旧二艦が鎬を削る。

この後の山南の表情がまたたまらない。

ヤマトクルーは本当に愛されています。

こういう地球の大人たちの想いを描くのが今回のテーマなのだと思う。

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■今回のもう一つのポイントは、コスモリバースシステムの副作用で生じた時間断層。外界よりも時間の流れが速く、3年の期間で波動砲艦隊が完成したのはこの時間断層のなかで建造されたからだと説明される。

いままでの設定のおかしいところを修正していく作業もぬかりない。まあ、ワープだとか使ってる時点でもうなんでもありなんだけど。

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■テレサについても過去の超文明の成れの果て、超次元意識生命体であると説明がなされる。

この宇宙の初めから終わりまでを見通すことができ、その歴史の中の人間の精神に干渉し、導く。

何だか神様になっちゃいましたね。

もはや反物質どころの話じゃないです。

でも落ちはどうするんだろうね。

「わたしのこの反物質の体がお役に立つと思います」

って、テレサだけが突っ込めばいいのでは?

という「さらば」最大の突っ込みどころをどう回避するのか。このあたりも気になります。

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■一方、軌道面を異にする太陽系第11番惑星。

空間騎兵隊の斉藤と永倉が駐屯している。

波動砲艦隊構想に反対した土方も左遷されてこちらに。で、古代アケーリアス遺跡の発掘プロジェクトの陳情を受けたりとさりげなく、「2202」の後の展開も示唆される。

うーん、やっぱり古代は死なないんだね。

この時代、やはり「さらば」の

「お前にはまだ命があるじゃないか」

は、無理だよね。

あれを特攻の思想だとか言う人がいるけど、そういう人はちゃんと見てない。

■戦って、戦い尽くして、刀は折れ矢も尽きて、しかし目の前の敵はまったくの無傷。

冥王星会戦での沖田はそういう絶望の淵において、それでもガミラス艦に食らいつこうとする古代守に語り掛ける。

「明日のために、今日の屈辱に耐えるんだ。それが男だ」

さらばでは、その沖田をして古代進にその命を投げ出せと言わせる。

冥王星会戦の沖田は松本零士的であり、

さらばの沖田は西崎的と言えなくもない。

けれども、もう「人類の最後の希望」すら力尽きる、その状況の中で初めて見えてくるものがあって、「あきらめない」ことこそが唯一の突破口であること、それがテレサの心を動かしたということだ。

そこが「さらば」の神髄であって、決して特攻礼賛ではなく、あきらめないという意味で正反対の思想なのだ。

2202では特攻はないのだろうが、ではその神髄をどう描くのか、そこが「さらば」でヤマトシリーズは終了している、と考えるファンの最大の関心事なのである。

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■さて、第11番惑星である。

ガトランティスの攻撃に斉藤達の守備隊は歯が立たず、最後の希望を託して永倉を乗せた連絡艇が打ち上げられる。仁王立ちでそれを護衛する斉藤。

「頼んだぞ!永倉あああ!!」

かっこいいねえ。。。

で、斉藤のピンチにヤマト登場。

いい調子、と思ったらカラクルム級戦闘艦の群れ。

一隻であの威力だったカラクルム級・・・

ヤマトの運命は!

というラストなんだけど、予告を見る限り、そのカラクルム級が何万隻も!!

いやあ、どうするんだろう。

■次のポイントは波動砲の封印をどう解くのかというところだ。

波動砲艦隊も来るだろうし、真田さんの「こういうこともあろうかと思って」もあるだろう。

さらにその先の波動砲解禁のドラマ。

10月14日の第三章「純愛篇」公開、楽しみです。

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                    <2017.07.01記>

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[Blu-ray]  宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 2

■STAFF■
製作総指揮:西﨑彰司
原作:西﨑義展
監督:羽原信義
シリーズ構成:福井晴敏
副監督:小林誠
キャラクターデザイン:結城信輝
ゲストキャラクター・プロップデザイン:山岡信一
メカニカルデザイン:玉盛順一朗・石津泰志
美術監督:谷岡善王
色彩設計:福谷直樹
撮影監督:堀野大輔
編集:小野寺絵美
音楽:宮川彬良・宮川泰
音響監督:吉田知弘
音響効果:西村睦弘
オリジナルサウンドエフェクト:柏原満
CGディレクター:木村太一
アニメーション制作:XEBEC


■CAST■
古代進:小野大輔
森雪:桑島法子
島大介:鈴村健一
真田志郎:大塚芳忠
徳川彦左衛門:麦人
佐渡酒造:千葉繁
山本玲:田中理恵
新見薫:久川綾
南部康雄:赤羽根健治
相原義一:國分和人
太田健二郎:千葉優輝
岬百合亜:内田彩
桐生美影:中村繪里子
西条未来:森谷里美
榎本勇:津田健次郎
山崎奨:土田大
土方竜:石塚運昇
斉藤始:東地宏樹
永倉志織:雨谷和砂
藤堂平九郎:小島敏彦
芹沢虎鉄:玄田哲章
山南修:江原正士
ローレン・バレル:てらそままさき
クラウス・キーマン:神谷浩史
沖田十三:菅生隆之

 

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2017年6月15日 (木)

■【映画評】『美しい星』 原作・三島由紀夫。僕らが信じるものすべてが妄想だとしても。

ハチャメチャな話で訳が分からない映画なのだけれど、実はとても深い。けれど、その深さの先にさらに美しく、いとおしいメッセージが込められているのだ。

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No.106  『美しい星』
           原作:三島由紀夫 監督: 吉田大八 
      公開:2017年5月
      出演: リリー・フランキー、亀梨和也、橋本愛、中嶋朋子 他

Title

■あらすじ■
中年の気象予報士が、ある日不可思議な体験をし、自らが火星人であることに目覚め、このまま地球温暖化が進めば地球は滅びると叫び始める。時を同じくして就職できずに即配バイトで凌いでいた息子は水星人に、大学生の娘は金星人であることに目覚める。一方、母親は地球外惑星人であることに目覚めることはなかったが、美味しい水のマルチ商法に巻き込まれ。。。。

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■父と息子と娘は不思議な体験をして、それぞれ火星人、水星人、金星人であることに目覚めるのだけれど、どう考えても妄想だ。

父親は気象予報士として時代遅れになっていて、若くきゃぴきゃぴした予報士に取って代わられようとしていることに薄々気が付いているし、フリーターの息子はうまくいかない人生に虚しさを感じているし、美しすぎることがコンプレックスで娘は他人と素直に関わることが出来ない。

宇宙人であるという妄想は、そんな人生からの逃避と見るのが妥当だろう。

一見、専業主婦として淡々と生きているはずの母親も、ちょっとしたきっかけでマルチ商法の伝統師として目覚めてしまう。

むしろ、その姿がよくある話で、父親と息子と娘は母親の姿のカタチを変えた比喩とも言える。

■ところが、政治家の秘書をしている謎の男の登場で、物語はおかしな方向へと流れていく。この男、どうやら本当の宇宙人なのである。

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男は、彼らを惑星連合の宇宙人だと認めた上で、地球を「美しい」と考えるのは人間であるのに、地球が本当に美しいのは人間の文明がない状態であるという矛盾を説く。

かなりの改変を加えているであろう三島由紀夫の原作のたぶん一番のエッセンスがここに集約されているのだろうと感じる。

その言葉は人間のおごりへの警句である。

そして、僕ら平穏な日々を暮らしている人間が当たり前のものとして信じている「日常」が、実は妄想に過ぎないのだ、という恐ろしい真実を告げているようにも思えてくるのだ。

この家族は、自分たちが宇宙人であることに目覚めるという妄想にとらわれているように見えて、その真実に気が付いてしまったのではないか。

そういう逆説が突如として立ち上がってくるのだ。

■けれども、その真実が本当のことであるかどうかはこの映画の本質ではない。

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詐欺師のストリートミュージシャンに妊娠させられた娘を気遣う、そして死を突きつけられた父親を気遣う家族の姿、そこに本質があるのだと思う。

この世界が僕らが勝手に思い込んだ妄想であってもなくても、そんなことはどうでもよくて、それでも確かなものは家族なのだ、この絆は決して妄想ではないのだ、そういった希望がそこには込められているのだと思う。

家族賛歌、実はそういう映画だったのだと改めて気づくのであった。

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                      <2017.06.15 記>

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【原作】『美しい星』 三島由紀夫
  
 
■STAFF■

監督  吉田大八
脚本  吉田大八、甲斐聖太郎
原作  三島由紀夫
製作  依田巽
音楽  渡邊琢磨
撮影  近藤龍人
編集  岡田久美

■CAST■
大杉重一郎〈53〉  - リリー・フランキー
             気象予報士。火星人
大杉一雄〈27〉    - 亀梨和也
            重一郎の息子
            メッセンジャーをしているフリーター、水星人
大杉暁子〈20〉    - 橋本愛
            重一郎の娘。大学生、金星人
大杉伊余子〈49〉  - 中嶋朋子
            重一郎の妻。専業主婦、地球人
黒木克己〈49〉   - 佐々木蔵之介
            鷹森の第一秘書
今野彰       - 羽場裕一 - ニュースキャスター
中井玲奈     - 友利恵 - アシスタント気象予報士
加藤晃紀     - 川島潤哉 - プロデューサー
茂木潤      - 板橋駿谷 - ディレクター
長谷部収     - 坂口辰平 - アシスタントディレクター
鷹森紀一郎   - 春田純一 - 参議院議員
三輪直人    - 武藤心平 - 鷹森の第二秘書
竹宮薫     - 若葉竜也 - ストリートミュージシャン
イズミ      - 樋井明日香 - ストリートミュージシャン
栗田岳斗    - 藤原季節 - 大学生
丸山梓     - 赤間麻里子 - 水のマルチ商法に伊余子を誘う

 

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2017年5月20日 (土)

■【映画評】『メッセージ』、「言語」の持つ力と「物語」が出会うとき。

異星人とのコミュニケーションの物語なのだけれど、ラスト、原作の『あなたの人生の物語』という名前の意味を衝撃とともに理解し、落涙する。

ああ、これぞSF!!

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No.105  『メッセージ』
           原題: Arrival
          監督: ドゥニ・ヴィルヌーヴ 公開:2017年5月 
     原作:テッド・チャン 「あなたの人生の物語」
       出演: エイミー・アダムス   ジェレミー・レナー 他

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■あらすじ■
突如、世界各地12か所に巨大な浮遊物体が現れる。言語学者のルイーズは軍の要請で異星人とのコンタクトに挑戦するのだが。。。。

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■スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』をソ連の映像詩人、アンドレイ・タルコフスキーが映画化した『惑星ソラリス』。「理解の外にあるものとの関わり合い」という極めてSF的で、哲学的で、詩的な空気を漂わせた作品だが、この『メッセージ』という映画は、その不朽の名作と同じ匂いがする。この商業主義全盛の時代において、実に得難いことだと思う。

いわゆるSF映画に登場するエイリアンは敵対的で、恐ろしい姿で、驚異的力で人間に襲い掛かってくるわけであるが、本作においてはエイリアンの目的が分からず敵かどうかすら分からない。わかっているのは我々の理解する物理法則をはるかに超える枠組みで彼らは存在するということ。しかし、その不可解を不可解のままにせずに科学的思考で解きほぐしていく、そこにSFの本質があって、格闘や空中戦といったアクションがないにも関わらず、われわれの興味をぐいぐいと引き込んでいくそのさまが、真にSF的なのである。

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■SFとは’Science Fiction(空想科学小説)’というだけでなく、’Speculative Fiction(思弁小説)’でもあるという地平を開いたのはP・K・ディックだが、困ったことにそれが映画になった途端、思弁的なSF映画である『2001年宇宙の旅』にしても、先の『惑星ソラリス』にしても、その難点は観ているうちに眠くなってしまうことである。(ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るのか?』を原作としたリドリー・スコット監督の『ブレードランナー』は、原作の思弁的部分を大きく切り捨てたことによってエンターテイメント足りえたといえるだろう。)

ところが、この映画は(その知的展開に乗り遅れることさえなければ)眠くならない。これは画期的なことである。原作は読んでいないけれども、思弁性を「映画」というエンターテイメントのフォーマットにうまく転換していると思われる。

それを牽引するのは、主人公の言語学者ルイーズ、そのパートナーの理論物理学者イアン、調査の責任者のウェーバー大佐といったキャラクター、時折さしはさまれるルイーズの娘を襲った不幸、といったドラマ的な部分の助けも大いにあるのだが、何よりも、エイリアンとのコミュニケーションが立ち上がっていく過程という本論の部分での面白さが際立っていることにあり、それ故に作品の軸がぶれず、骨太になっていて、そこが何より素晴らしい。

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■何しろ七本脚のタコがスミを吐いて、どうやらそれが彼らの会話のツールなのだという不可思議な世界。それでもルイーズが必死にくらいつくさまに、エイリアンも共感するような感じが伝わってきて、もう’ふたり’は、普通名詞の「エイリアン」ではなく、「アボット」と「コステロ」という固有名詞の存在へと変化していく。

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この場面、「コミュニケーション」が成り立っていく感動を描く場面ではあるものの、実は、「普通名詞」の’人間’と’異星人’から、「固有名詞」の’ルイーズ’、’イアン’、’アボット’、’コステロ’への「言語学的質的変化」が彼らの関係を大きく変えた、そこに本質的な意味がある。

「あなたの人生の物語」という原作が示すとおり、これは極めて個人的な物語であり、コミュニケーションとは例えばアメリカ人と日本人という「普通名詞」から、ジョニーと太郎という「固有名詞」に移行したときにはじめて成り立つものなのだ。

何故かならば、人間の認知とは極めて個人的なものだからであり、そこ個人的であるという特性が、この映画を知的なハードSFでありながら情感豊かな人間ドラマとして成立させているのである。

■彼らが使う言語は、「表音文字」ではなく、「表意文字」であり、発音の順番にとらわれないが故に、「時間」という概念から自由である。

序盤に示されたその伏線が、ラストで素晴らしく展開していく。

詳しくはネタバレ以降に語ることにするけれど、この作品は単なるエイリアンとのコミュニケーションの話ではない。

終盤のスリリングな展開と、ラストで観る者がすべてを理解した瞬間に覚える心の震えは、必見である。

知的であるだけでは「物語」足りえない。

「知性」と「物語」が構造として組みあがり、想定以上の感動を与えてくれる、そこがこの映画の最大の魅力なのだ。

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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■さて、ルイーズの娘アンナである。

オープニングから、重要な場面でルイーズの記憶のなかにアンナが紛れ込む。

観ているものは、当然それは過去の話だという前提で理解するのだけれども、実は、、、、というラストの展開。完全にやられてしまった。

物語の中ではアンナが何度も、「動物とお話をするパパとママ」なんて言ってるのに気が付かない。

思い込みって本当に強固なものである。

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■エイリアンの言語であるヘプタポッドB(墨絵文字)をマスターしたルイーズは、その言語が「時間の流れ」という概念を取り去ってしまうがために、未来と現在と過去を同じように感じることが出来るようになってしまう。

アンナは難病にかかって死んでしまう。

それが分かっていて、これからイアンと結婚をする。

イアンは、その時間感覚を持っていないけれども、ルイーズを通して、「定まった未来」を受け入れて生きていくことになる。

それは一体なにを意味しているのだろうか。

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■「時間の流れ」に縛られている私には、ルイーズの見えるその世界も、そこに巻き込まれるイアンの見る世界も、わからない。

けれども、わからないながらも、何か深いものが胸に込み上げてきて、いつの間にか頬に涙が伝っていた。

エイリアンが3000年後の未来のために人間に授けた能力によって、これからの人類が見る世界はいままでとは別の次元のものへと変質していくのだろう。

しかし、信頼できる相手と一緒に生きていること、とか、愛する子供の笑顔をにこやかに眺めること、とか、その瞬間の’いま’は決して変わらない。

ルイーズはその’いま’を愛おしく抱きしめようと思う。

世界が変わってしまったときに、それでも変わらないものがあって、雑多なものに隠されてしまった「大切」なものがそこに立ち現れてくる。

SFとは、日常を捻じ曲げてみせ、そうすることで逆に「現実」をあぶりだしてみせる手法なのだ。

その意味で、ラストを見たときの涙こそが、この映画がSFの本質を突いていることの証拠なのかもしれない。

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                      <2017.05.19 記>

【追記】

YOUTUBEで町山智浩さんの解説を見た。

会場の観客にお子さんがいる方はどれくらいいらっしゃいますか?と問うたあとで、子供が成長して大きくなっても、幼い頃のそのへんで飛び跳ねていたころの記憶は時系列に関係なく、ついこの間のことのように、ありありと思い出すことが出来る。記憶に時間は関係ないんだと力説していた。

本当によくわかる。

そうだよね。時間は関係ない。

その瞬間の幸せないとおしい記憶は色あせることなく常にここにある。

そういうことなんだよね。。。。

                <2017.07.02 記>


【原作】『あなたの人生の物語』 テッド・チャン

原作では、「ばかうけ」宇宙船は飛来しないし、武力衝突の危機もおとずれない。

ただ淡々とルイーズの語りによってヘプタポッドの世界観の理解が進んでいく。

この静かさは小説ならではのものであり、やはりそのまま映画に、というわけにはいかなかったのだろう。

この大幅な追加プロットは映画として成功している。

しかし、ルイーズが娘への愛のまなざしは共通するものであり、その本質は変わらない。

■【書評・哲学】『あなたの人生の物語』から、時間と自由意志について考えてみる。

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■STAFF■
監督    ドゥニ・ヴィルヌーヴ 
脚本    エリック・ハイセラー 
原作    テッド・チャン 
       「あなたの人生の物語」 
製作    ダン・レヴィン 
音楽    ヨハン・ヨハンソン 
撮影    ブラッドフォード・ヤング 
編集    ジョー・ウォーカー 

■CAST■
ルイーズ・バンクス博士   - エイミー・アダムス 
イアン・ドネリー        - ジェレミー・レナー   
ウェバー大佐          - フォレスト・ウィテカー 
ハルペーン捜査官      - マイケル・スタールバーグ 
シャン将軍           - ツィ・マー 

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2017年5月 8日 (月)

■【映画評】 『ブラス!』確かに彼らは演奏が上手い。けれど、それがどうしたというのだ。

音楽映画もイギリス人が作ると、こういうことになるのね。       

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
 No.104  『ブラス!』
           原題: Brassed Off
          監督: マーク・ハーマン 公開:1996年11月
       出演: ユアン・マクレガー   ピート・ポスルスウェイト 他

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■あらすじ■
1990年。ヨークシャーの炭鉱町。サッチャー首相の新自由主義的政策のもと、炭鉱は閉山の危機に瀕していた。組合と経営サイドの話し合いにより、存続か、閉山で退職金をもらうかの投票を組合員で行うことになる。

そんな騒ぎの中、この町の歴史のあるブラスバンドにある若い女グロリアが訪れる。彼女の腕前に驚いたメンバーは、全英ブラスバンド選手権の決勝に進めるのではないかと期待しはじめるのだった。

■社会派である。

炭鉱は完全な斜陽産業であり、その陰りが町全体を覆いつくしている。バンドの男たちもすっかりやる気を失っている。消えゆく仕事だということは分かっていて、でも20年も30年も命を懸けて続けてきたこの仕事をすてることが出来ない。ずるずると貧しくなっていき、それがまた、彼らの自信を消し去っていくのだ。

そこに現れた救世主のグロリア。

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彼女の存在により、自信を取り戻したバンドのメンバーはついに決勝へと進む。

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だが、グロリアの仕事は彼らに敵対する会社側のアナリストだったのだ。

男たちのこころはばらばらになり、投票によって炭鉱の閉鎖も決まってしまう。そんな中でもぶれることなく音楽に対する姿勢を貫いてきた指揮者のダニー。しかし、彼の息子も借金のせいで家財道具をすべて奪われ、家族も彼のもとを去って行ってしまう。

そんなとき、ダニーがついに倒れる。炭鉱で粉塵を吸い込み続けたことによりダニーの肺はボロボロになっていたのだった。

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■サッチャリズムがイギリス経済を立て直したのは事実だが、その陰で膨大な失業者があふれかえった。

それは、この20年の金融業を中心とした経済成長によって潤うアメリカの影で、海外移転によって職を失ったデトロイトをはじめとした工場労働者たちを思わせる。

トランプに投票した彼らは、そこからの復活を期待している。

けれど、この映画の登場人物たちのように、決して救われることはないだろう。

もう、「終わっている」のだ。

大切なのは、生きる勇気と希望だ。

それは決して新しい仕事を与えられるとか保障をうけるとか、そういうことではなく、自ら誇れる何かを持てるかどうか、なのだと思う。

■ラストで優勝コメントをするダニーは、

優勝カップを拒絶し、演奏が上手くても、生きる希望が持てないならば、何の意味があるんだ!

と、訴える。

絶望した息子が死のうとした、そんな世の中で、一体どういう誇りが持てるのか。

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■このダニーの演説は、いかにもイギリス映画らしい直截的なメッセージである。

その言葉は、ここまでの物語をたどってきた我々の胸に強く響く。

けれど、演説のあとで、いらない、とダニーが断った優勝トロフィーをメンバーが奪い去り、楽しみながら「威風堂々」をパレードで演奏する姿もまた、いや、むしろその姿こそが彼らの真実であって、清々しいラストとなっている。

まさに、そこに「誇り」があるのだ。

それは安定した暮らしができること、とはまったく別のことなのである。

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                      <2017.05.08 記>

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■STAFF■
監督   マーク・ハーマン
脚本   マーク・ハーマン
製作   スティーブ・アボット
音楽   トレヴァー・ジョーンズ
撮影   アンディ・コリンズ
編集   マイケル・エリス


■CAST■
ダニー   ピート・ポスルスウェイト 
アンディ  ユアン・マクレガー 
グロリア  タラ・フィッツジェラルド
フィル   スティーブン・トンプキンソン
ハリー    ジム・カーター

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2017年4月25日 (火)

■【映画評】『沈黙 -サイレンス-』 神はどこに居ますのか。

映画とは、ここまで強い力を放つものなのか。

スコセッシは天才である。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.103  『沈黙 -サイレンス-』
           原題: Silence
          監督: マーティン・スコセッシ 公開:2017年1月
       出演:  アンドリュー・ガーフィールド   窪塚洋介  他

Title

■あらすじ■
17世紀、江戸時代初期― ポルトガルで、イエズス会の宣教師であるセバスチャン・ロドリゴ神父とフランシス・ガルペ神父のもとに、日本でのキリスト教の布教を使命としていたクリストヴァン・フェレイラ神父が日本で棄教したという噂が届いた。尊敬していた師が棄教したことを信じられず、2人は日本へ渡ることを決意する。

日本に渡り、隠れキリシタンたちにかくまわれた二人だったが、代官の手により村人たちはとらえられ、ふたりの目の前でなすすべもなく残酷な手段で処刑される。

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■マーティン・スコセッシって日本人だったっけ?

ってくらいに、見事に当時の日本を再現している。

自然や風景、日本人の立ち居振る舞いや衣装、言葉遣い、といったもの全体から生まれる空気感はただ事ではない。

スタジオ中心の日本の時代劇ではとうていたどり着けないクオリティだ。

スコセッシがどれほどこだわり抜いたかが迫力をもって伝わってくるのである。

しらけずに映画を見るために、これはとても大事なことだと思う。

■さて、本編。

前半、隠れキリシタンたちが受けるあまりにも過酷な試練を通じて、信仰とは何か、というテーマが語られる。

海の向こうからたどり着いたパードレ(神父)をありがたがる隠れキリシタンたちも、集落にキリシタンがいるという嫌疑をかけられ、取り調べの代表4名を差し出せと言われれば、醜いまでに生に縋りつき、誰か他の者にそれを押し付けようとする。

これは、喜んで殉教する、というにはあまりにも過酷であるさまを彼らが見続けたためであり、そのあと、我々もそれを目の当たりにする。

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その頂点をなすのが、リーダー格のモキチが海の中で磔にされるシーンだ。

モキチは讃美歌をうたいながら3日間耐え抜き、そして息絶える。

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モキチを演じたのは、『鉄男』でコメディと狂気とバイオレンスの極地を見せつけた塚本晋也監督。

スコセッシの大ファンなのだそうで、スコセッシのための殉教者を地で行った、死の影を覗き込むような限界の撮影に身を投じた。

このシーンだけは、むしろそっちに気を取られてしまって、恐ろしさに身がすくむ、というよりむしろ、塚本監督がんばれ!という何だか妙な感じになってしまった。

正直、このまま映画に入り込めずにおいて行かれるのではという不安にかられてしまった。けれど、それはまったくの杞憂で、159分の長丁場をまったく意識することなく、ここから先はスコッセシの作りだす世界にどっぷりとはまり込んでいった。

■過酷さでいえば、ロドリゴ神父たちを案内したキチジローの過去だろう。

キチジローは踏み絵を踏んで生き延びるのだけれど、キチジローの家族はそれを拒否。彼は生きながらにして焼かれていく家族の声を聴くことになるのだ。

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神を冒涜することを拒み、地獄を覚悟したキチジローの家族は確かに殉教者である。

その家族さえ見捨て、自らの死を恐れ、神の御影を踏みにじったキチジローに信仰の影は見えない。

あまつさえキチジローはロドリゴ神父に懺悔をし、その罪を許されようとすらするのだ。

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その姿にロドリゴは戸惑いといら立ちを隠せない。

弱く、ずるがしこくうそをつき、裏切る。

しかし、そのキチジローにこそ、信仰の真の姿が隠されていて、ロドリゴはキチジローと同じ場面に立ち会ったとき、本当の神の姿を見ることになるのだ。

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■こんな理不尽な地獄に放り込まれて、それなのになぜ神は救いの手を差し伸べてくれないのか。

これほどまでに神を信じ、信仰を捧げているのに、なぜ神は沈黙し続けるのか。

ロドリゴの信仰は揺らぎ始める。

キチジローは、その迷いの象徴だ。

後半、ロドリゴはある選択をし、その最期にわれわれは、この映画の真のテーマを目の当たりにして震えることになる。

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■その一方で、幕府の論理についてもしっかりと描かれる。

代官である井上筑後守がその象徴である。

イッセー尾形が実にいい演技をしていて、迫力と真実味に厚みを与えている。

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幕府の論理は明確だ。

日本にキリスト教は不要であり、むしろ害悪である。

西洋の倫理観は日本の風土では育たない。問題はそれだけではなく、日本を侵略する尖兵としての役割をになう性質をもっている。だから排除する。

現代の日本人の歴史認識と完全に一致する。

それは、遠藤周作の原作にあるからというだけではない。スコセッシ自身がそのことを理解していないと、映像からこういう説得力は伝わってこないだろう。

底の底まで『沈黙』という原作と向き合ったのだろう。

むしろ、キリスト教徒であるスコセッシが描くからこそ、 この説得力がでるのかもしれない。

一神教の信徒でありながら、真実がひとつではなく、世界は多面的であるということを心の底から理解している。

それでもなお、その多面的な世界のなかでも、神は確かに在る。

師であるフェレイラは、ロドリゴをそこに導き、ロドリゴは神の沈黙の意味を知る。

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【原作】遠藤周作『沈黙』

 

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■ロドリゴは「転び」、キリスト教を棄てて、師のフェレイラとともに、それを取り締まる側にまわる。

神は沈黙しているわけではない。

常に、理不尽な地獄を味わっているロドリゴとともにあり、同じ苦しみを背負っているのだ。

そして、キチジローが嘘をつき、裏切る、その苦しみを自ら背負うのと同じく、ロドリゴがキリスト教を棄てた、その苦しみを背負う。

苦しみや罪を背負う、それがキリスト教の救いなのだという教科書的な理解は、この159分の物語を経て、実感を伴った理解へと昇華する。

行為として神を裏切ったとしても、その苦しみを神にゆだねる限りにおいて、信仰は生きている。

ラストシーンの瞬間、キリスト教というものが体に染みわたってきたような気がした。

それは一神教は自分にはまったく合わない、理解できないと思い込んでいた自分にとって衝撃的な瞬間であって、スコセッシが25年間温めてきた念願は、そこに確かに完成していたのである。

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                      <2017.04.25 記>

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■STAFF■
監督   マーティン・スコセッシ
脚本   ジェイ・コックス
      マーティン・スコセッシ
原作   遠藤周作 『沈黙』
音楽   キム・アレン・クルーゲ
      キャスリン・クルーゲ
撮影   ロドリゴ・プリエト
編集   セルマ・スクーンメイカー


■CAST■
セバスチャン・ロドリゴ神父 - アンドリュー・ガーフィールド
フランシス・ガルペ神父 - アダム・ドライヴァー
通辞 - 浅野忠信
キチジロー - 窪塚洋介
井上筑後守 - イッセー尾形
モキチ - 塚本晋也
モニカ - 小松菜奈
ジュアン - 加瀬亮
イチゾウ - 笈田ヨシ
クリストヴァン・フェレイラ神父 - リーアム・ニーソン 
ヴァリニャーノ院長 - キーラン・ハインズ 
遠藤かおる
井川哲也
PANTA
松永拓野
播田美保
片桐はいり
山田将之
Tomogi Wife - 美知枝
伊佐山ひろ子

 

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2017年4月19日 (水)

■【映画評】『LION/ライオン 〜25年目のただいま〜』 「事実」は必ずしも「真実」を映さない。

もちろん、泣きましたよ。でもね、ちょっと薄っぺらいんだよなあ。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.102  『LION/ライオン 〜25年目のただいま〜』
           原題: LION 
          監督: ガース・デイヴィス 公開:2017年4月
       出演: デーヴ・パテール  ルーニー・マーラ 他

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■あらすじ■
インドの貧しい町に住む5歳の少年は駅で兄にはぐれ、迷い込んだ回送列車で遠く離れた町で迷子になってしまう。孤児院に収容された少年はオーストラリアの夫婦に引き取られ、立派な大人に成長する。しかし、あるきっかけで故郷でいまだに自分を探しているはずの母と兄の記憶がよみがえり、Google Earthを使って生まれ育った町を探し始める。

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■迷い込んだカルカッタの街は、サル―のような孤児が山のようにいて、人さらいも横行、孤児院も孤児であふれかえりひどいありさま。

このあたりが、どこまで1990年頃のインドの真実のどこまでを表しているのか分からないけれど、かなりの迫力と説得力をもったパートだ。

インドの空気に触れたいというのが、この映画を見た理由のひとつだったので、その意味では満足である。

後半は、青年になったサル―が、25年前の別れを思い出し、故郷にたどり着くまでを描くのだけれど、Google Earthを使ってそこに迫る4年の月日と、それに寄り添う彼女の甲斐甲斐しさがアクセントとなり、ストーリーとしては申し分ない。

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本作は実際にあったことをもとにしたストーリーである。

その事実もあいまって、終盤、サルーがGoogle Earthで幼いころの記憶を取り戻していくシーンや、母親との再会のシーンは、否が応でも感情は盛り上がり、ほとんどの観客は頬を涙で濡らすことになる。

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■うまくできた話だし、実話だし、感動するし。

だから評判も実にいい。

けれど、私は思ったほどには心を動かされなかった。思いっきり心の準備をしていたにも関わらずである。

何故か。

要するに薄っぺらなのである。

泣いておいて何を、というところだが、涙を流すことと話の厚みによる深い感動はまったく別の話なのだ。

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■ポイントは、サルーを引き取ったオーストラリア人の夫婦との関係にある。

使命感に突き動かされて生きるこの夫婦は、インドの孤児が置かれている状況に心を痛め、実際に自分の子供をつくることができるにも関わらず、それをあきらめ、サルーと、もうひとり、自閉症気味のマントッシュを引き取った。

そして二人にあふれるような愛を注ぎ、大人になるまで育て上げたのだ。

実にいい話なのだけれど、まともな生活を送ることができないままマントッシュは今、幸せなのか、一見、立派に育ったサルーも、結局、自分の過去に引きずられてしまうのだけれど、奇跡的に故郷にたどり着いたにせよ、そこに至るまでの彼は幸せだったのか。

妻はアル中の父親との過去があり、心に深い傷をもっている。

それゆえの使命感。

でも、それはみんなを幸せにしたのだろうか。

■インドには何万人もの孤児がいて、その中から二人を救い出し、不自由のない生活と愛を与える。

やれることからやっていこう、という行動主義的観点からみれば、「正しい」ことだろう。

決して、意味がないとか、自己満足だとは言うまい。

けれども、サルーにとってみればマントッシュへの愛着と、その自閉症的なコントロール不能な部分に対する苛立ち、そして自我か確立していくなかでの育ての親に対する過剰な反発。そんな、とっても大事な部分がほぼすっ飛ばされている。

そこに直面した両親の心の葛藤は通常の親よりもかなり複雑なものであるはずで、そこを描かないで、どうする、ということだ。

■確かに、成人したマントッシュの存在は、そういった家族の過去を映し出す役割を果たしてはいるが、そういった葛藤をマントッシュに押し付けてしまい、サルーは、きわめて「よいこ」で、彼の危機は過去の自分に集約されてしまう。

この単純化が、物語をきわめて底の浅いものにしてしまうのだ。

育ての父も、母も、サルーも、いい人過ぎるのである。

要するに「お行儀がいい」。

たぶん、これが「事実」に基づいた物語であり、関係者が今まさに生きている、そのことによる限界なのだろう。

「事実」を連ねても、「真実」は見えない。

この家族の「真実」を見ようと思えば、触れられたくない部分に分け入っていかなければならない。

その「真実」が、人の心を動かすのだ。

■そういう意味で、実の兄のグドゥは、「事実」しか並べられていないにも関わらず、深く、その「真実」が伝わってくる。

実の母との対面で知った、グドゥの「真実」は、観る者の心に深く突き刺さる。

たぶん、この映画で一番心を動かされたのは、このシーンだ。

「真実」は、人生のリアルを感じたときに、観る者それぞれの心の中に生まれるものなのである。

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                      <2017.04.19 記>

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■STAFF■
監督 ガース・デイヴィス 
脚本 ルーク・デイヴィーズ
原作 サルー・ブライアリー、ラリー・バットローズ
 『25年目の「ただいま」 5歳で迷子になった僕と家族の物語』
音楽 フォルカー・ベルテルマン、ダスティン・オハロラン
主題歌 「Never Give Up」(シーア)
撮影 グリーグ・フレイザー
編集 アレクサンドル・デ・フランチェスキ


■CAST■
デーヴ・パテール    - サルー・ブライアリー
サニー・パワール   - 幼少期のサルー
ニコール・キッドマン  - スー・ブライアリー
ルーニー・マーラ     - ルーシー
デビッド・ウェナム     - ジョン・ブライアリー
ディープティ・ナヴァル
ディヴィアン・ラドワ

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