●2.読書録【ひつじの本棚】

2017年4月28日 (金)

■【書評】『戦争にチャンスを与えよ』 エドワード ルトワック。 平和を維持したいならば、戦争に正面から向き合って、常識の逆を行く大戦略を取らなければならない。

ルトワックっておじさん、面白い。かなり気が合うね。

■エドワード・ルトワック、1942年ルーマニア生まれ。米戦略国際問題研究所(CSIS)、上級顧問。軍務経験もある戦略家、歴史家。ホワイトハウス国家安全保障会議(NSC)のメンバーも歴任。その言葉には、現場に実際に立ち会った人物ならではの説得力がある。

本書での彼の主張のポイントは2点。

■ひとつは、戦争には役割がある。ということ。

一旦始まった戦争は、経済的、軍事的に双方が疲弊して継続が困難になるか、一方が完璧なダメージを受けるかするまで収束しない。

そこで講和が成り立ち、はじめて廃墟のなからの復興と平和がはじまるのだ。

ところが、第二次大戦後、特に冷戦終結後の世界は、国家間の紛争や内戦に対し積極的に介入し、無理な停戦や難民キャンプの設置に奔走してきた。

国連や、NGOのこういった行為は、たとえ「善意」に基づくものであったとしても、それは「害悪」であると著者は断罪する。

戦争の原因が解消されないままでの停戦は本質的な問題を解決しないから、戦争の火は消えない。停戦はむしろ双方の軍事力の回復を促して次の火種を大きくする。

一見人道的と思える難民キャンプは、難民が拡散して各地での定住と新しい生活を歩みだすことを阻害し、「難民」の恒久化をおこなうだけでなく、テロリストの温床になってしまう。

60年続くパレスチナの難民キャンプとテロ組織、停戦が継続するだけで全く復興の兆しの見えないボスニア、ツチ族を保護すべく国境近くに難民キャンプを作ったためにそこを拠点とした反攻を助長して民族同士の殺し合いを拡大させたルワンダ。

戦争は悲惨で目を覆いたくなるものだが、回避不能の軋轢を破壊によって生産的に解消する機能をもっているのだ。

その機能が機能として完遂するまえに、無理にそれを止めてしまえば、軋轢はいつまでも継続し、結局はさらに多くの人命が失われ、国の回復も望めない。

悲惨な戦争や虐殺は目を覆いたくなる。

けれども「おせっかいな」人道主義は、かえって人を殺すのである。

■もうひとつは、「戦略」の世界では人間的な常識の逆が正解となる、というパラドキシカル・ロジック(逆説的論理)だ。

戦争は平和を生み出す、平和は戦争を誘発する。

平和に暮らすわれわれにはなかなか納得がいかない話だ。

何しろ戦争はいけない。

その意識が不必要な介入によって関係のない他国の戦争を長引かせ、泥沼に引き込む。

けれど、ここでさらに重要なのは、その意識は「われわれは戦争に巻き込まれない」という根拠のない確信だ。

北朝鮮が弾道ミサイルを開発しても、小型核爆弾を開発しても、「たぶん大丈夫だろう」とどこかでたかをくくっている。

今の状態がいつまでも続くに違いない。

それが人間の基本的な思考回路なのだ。

けれども、冷徹に計算すれば、戦争のリスクはかなり高い。その「リスク」の原因を取り去る行動を起こすことが、ここが逆説的であるのだが、「戦略的」に平和を維持するためには必要なことだということなのだ。

■ルトワックが立つ「大戦略」では、何よりも「同盟」を重視する。

個別の戦いで勝利を得たとしても、大日本帝国やドイツ帝国のように意味のない同盟しか持てなかったならば、とうてい最終的な勝利を勝ち取ることはできない。

それは各国の思惑を感情レベルで理解し、本当に求めていることは何かをつかむことだ。

本書で述べているわけではないが、例えば、太平洋戦争前の日本で言えば、日本は真珠湾攻撃をかけた時点で負けである。

山本五十六は「一年間は暴れまわって見せましょう」と言ったそうだが、その間にアメリカとの講和ができるという甘い考えを持っていたのだろう。

ハルノートが日本に対する最後通牒のように言われるが、アメリカは実はかなり譲歩していて満州の権益まで捨てろとは言っていない。

中国全体への進出が、アメリカの「俺のメシを取るな!」という逆鱗に触れたのである。

逆に言えば、中国の一番おいしいところはアメリカに譲る、という態度さえとれば、世界を敵にした戦争に突入することはなかったのである。

そこさえ間違わなければ、最終的に良かったのかどうかはわからないが、帝国日本はまだまだ行けた可能性がある。

■ルトワックは事実のみを述べる。

勘違いしてしまいそうだが、戦争礼賛では決してない。

「戦争はこの世に実在し、戦争が持っている機能というものがある。」

と言っているだけだ。

むしろ最大の努力をもって戦争を回避せよ、と言っている。

そのための同盟戦略だ。

同盟を構築するために必要なのは、また、敵対する国との戦争を回避するためには、相手の国の思惑を理解すること。

北朝鮮問題でいえば、アメリカと中国と北朝鮮とロシアの思惑だ。

中国、ロシアの本心を理解するほどの情報をわたしは持ち合わせていないが、アメリカと北朝鮮に関しては明白だ。

アメリカは、アメリカ本土に届く核兵器は絶対に許さない。

北朝鮮は、金王朝の維持の保証。

極めてシンプルだ。

ならば、日本はどうするべきなのか。

日本が譲れないのは、経済の安定の意味も含めた平和の維持、そして拉致被害者の安全な帰国である。

感情をいったん置いてみて、リスクとチャンスを整理したならば、日本が取るべき戦略は明白だろう。しかも、その役割は日本にしかできないものなのだ。

今、安倍首相はロシアを訪問している。

帰国後の動きに注目したい。

 

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                     <2017.04.28 記>



■難しそうだが、こちらにも挑戦してみようかと思う。
戦争だけでなく、日常の交渉に役立つと思うからだ。


■ルトワックによればヨーロッパは滅亡する。それは、難民とかEUとかそういうことだけではなく、根幹の部分で「イーリアス」のこころ、「男は戦いを好み、女は戦士を好む」というこころを偏狭な自由主義の蔓延によって失ったからだという。つまり「活力」の喪失である。ルトワックは爺さんだが、かなりモテそうだ。私もそういう男でありたい。


■この間、この幼女戦記のアニメをやっていて、またミリタリー少女ものか、となんとなくみていたのだが、これがかなり毒のある戦争論であり、このオタクじじいが!という嫁の冷たい視線をものともせず、すっかりはまってしまった。さすがに本まで買うのは抵抗があるけど、、、、。

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2017年4月11日 (火)

■【書評】『げんきな日本論』。橋爪大二郎×大澤真幸。日本の本当が浮かび上がると共に。

社会学者二人が日本の歴史をたどりながら日本という国の本質を探っていく。そこから立ち上がるのは、過去ではなく、これからの日本の姿だ。

■なぜ徳川幕府は世界にも類を見ない260年の平和な時代を作りだすことが出来たのか。東南アジアや中国がヨーロッパ諸国の侵略を許す中で日本だけが独立を維持できたのか。現存する最長の王朝である天皇家とは何なのか。

縄文時代から明治維新までをたどる中でその答えが見えてくる。

キーになるのは天皇だ。

天皇の威信は低下し、各地域で独自の政府機能が立ち上がった戦国時代。

織田信長はその中で日本的な価値観からぶっ飛んだ思考により、天下統一の一歩手前まで上り詰める。彼が目指したのは天皇すら超える’王’である。

けれどもその価値観は受け入れられず、地縁にこだわる明智光秀に殺されることとなる。

弥生時代、さらにはその魂は縄文の昔から連なる日本の’カミ’の概念と、その中心として営々と連なってきた天皇というもの。

それは弱々しく見えつつも日本の統治の背後に常に流れ続ける根幹なのだ。

天皇は神ではない。

どろどろの政略にまみれる現実の人間である。

こんなものを崇めるのはばかげているという信長の考えは実に合理的だ。

けれども、論理ではない何かが日本人を支配していて、信長の論理は受け入れられなかった、明智光秀が本能寺の変を起こさなかったとしても、どのみち破綻していただろうという本書の論はこころにストンと落ちるものがある。

■だから人の心を読むのに長けた豊臣秀吉は天皇の威を借りる。決して天皇を崇拝しているとは思えないが、関白という権威で日本の統一をほぼ完成させる。

けれども、戦国大名たちは戦争によって領地を広げ俸禄を大きくすることがモチベーションとなっていて、日本統一の完了はその終わりという意味で、これまでのやりやり方は通じなくなってしまう。朝鮮出兵はその結果とも思えるが、あまりにも無謀であり、徳川の勢力を強くする結果となってしまう。

徳川家康はそこで戦争の放棄を決める。

それは拡大による成長をやめる、ということで武士にとっては根本的なパラダイムチェンジだ。

ここで現状維持を目的とする260年の平和が開始されるのだけれども、その駆動力は「イエ」を維持するという概念だ。

武家の一族としての「イエ」、その武家が仕官する藩の「イエ」、それを統括する幕府という「イエ」、といった重層的な「イエ」の構造。

戦って勝つ、という武士の目的は、「イエ」を維持するという目的に変換され、260年間それが続いていくのだ。

■重要なのは、一族とかそういう小さな単位が基礎にあって、それが大きな組織につなっていくという構造だ。

本書の論では「イエ」は江戸時代に始まった概念とされるが、本書の論理を追っていくと、実はその「イエ」の根幹は平安のさらに前にさかのぼることが理解できる。

我々は天皇だとか幕府だとか、そういう最高権力に意識がいってしまいがちなのだけれど、常に「ムラ」というものがあって、最高権力と同時にそれら個別の権力が併存している。

古事記の時代にしても、アマテラスの使者は出雲を支配することに成功するが、滅ぼすことはしない。出雲大社はいまだに健在だ。

日本人は征服はしても、同じ輪に加えるだけで、決して虐殺も文化の根絶やしも行わない。(対外的に中央集権と同質化が可及的速やかに行われなければ国が亡びるという状況の明治時代はその意味で異質であり、アイヌと琉球の併合は例外である)

ではなぜ日本人は敵を根絶やしにしないかというと、それは、日本が山と川と海によって豊かな自然に満ちた国であり、12000年前の縄文時代から土地の奪い合いを行わなくても生きていけた、ということと無縁ではないだろう。

■本書では権力の正当性というものを一つの軸として歴史を点検していく。

中国でいえば「天」という絶対的なものがあり、皇帝は、「天」に認められることで権威を正当化させる。

ヨーロッパでは、キリスト教の神であり、それが王の権威の理由となる。

けれど日本において天皇は絶対的な神ではない。

神とは違う、たぶん縄文の昔からの土着の「カミ」のなかで、日本の中枢を押さえる勢力が持っていた「カミ」が、それらを統合する形で高天原の神々の原型となり、その末裔として「人間」となって今に続くのが天皇である。

豊かな風土の豊かな多様性が育んだ価値観は、支配者の価値以外は許さないという絶対的ものではなく、それ以外の価値観を許容し、ゆるく、ぬるく、包み込み同化していく価値観だ。

AとBは異なる。

とするのではなく、AとBを違和感なく受け入れる。異なるかどうかなんていうことは気にしない。

「ムラ」の氏神を祭りつつ、天皇にもそれなりの(おそらくは祭祀の親玉としての)敬意をはらう。

支配者である天皇にしても、無理に「ムラ」の氏神を消し去ろうとはしない、多様性を維持したい、という思いがあるわけではなく、下手に扱えば祟りや触りがあるからだ。

自然と同義である日本の「カミ」は豊な実りを与えると同時に厳しい自然災害をもたらす裏腹な存在である。

下手に扱えば大変なことになるという意識は日本人の深層心理に埋め込まれているのだ。

だから天皇はいらっしゃるだけで意味のある存在であり、それぞれの「ムラ」の存在は担保される。

確かに重層的な「イエ」の概念は徳川からかもしれないが、「ムラ」と「天皇」との関係を考えてみれば、日本人の根っこにずっとそれはあったのだ。

天皇自体は、それほどのカリスマがなく、むしろ政争の道具と化し、ぞんざいな扱いを受けだ時代があったにしても、それが弥生時代にクニが生まれたころから数えて2600年以上も存続しえたのは、各地方の「カミ」と共存し、それぞれの存在を担保しながらも、同時に同化するという不思議な構図があって、日本人が自己を維持しようとする限り、天皇も維持されていくという構造があるのだろう。

■江戸時代。

徳川家康は自らの幕府が日本を支配する論理として中国から朱子学を移植する。

上の権力は絶対である。それに忠たれ。

けれど、その権力の正当性は、朱子学にとっては「天」から与えられた正義に基づく絶対的なものであり、皇室と幕府の二重性の説明にはならない。

そこで儒学が起こり、朱子学のもとになった孔子のテキストに戻ることでその謎に迫ろうとする。

さらに本居宣長は国学で、日本の本来の姿を探求し、中国からの影響をすべて拭い去り、古事記に至る。

そこで得た結論は、天皇はカミの子孫である。したがって議論の余地なく正当性がある。その天皇から征夷大将軍という役割を与えられた将軍、そして幕府にも正当性がある、ということだ。

この概念が水戸学を経由して、尊王攘夷に至り、ペリー来航以来の国難にあたって明治維新につながっていくのだ。

■権威の正当性を中心に据えた本書だが、もう一つ大きな内容を解き明かしている。

それは江戸時代の儒学や国学が発展していく中で、ニュートラルにテキストを読み込んで評価するという手法が確立されたことの重要性だ。

日本はアジアが列強の植民地とされていく時代に西洋の技術、情報を貪欲に取り入れ、うまく立ち回りながら急速に(いわゆる)文明国になっていく。

和魂洋才などというが、輸入される技術や情報を、その背景にある哲学のようなものを排して自らの魂を維持しながら吸収し、成長させていく力が日本にはある。

それがアジアの諸外国との違いだ。

それは明治維新の時代だけではなく、飛鳥時代にも見ることが出来る。当時の日本人は技術、情報のキャッチアップを図るために仏教をいれる決意をしながらも、日本古来の「カミ」を捨てることはしなかった。

それが矛盾なくできるのは、八百万の多様な「自然」=「カミガミ」が矛盾なく存在し得る日本人の特性にあるのだけれど、その一方で、文字の重要性を著者たちは強調する。

仮名の発明である。

■「拒絶的受容」と著者は名づける。

外部のものを受け入れるのだけれど、完全には受け入れない。自分たちの価値観の外側に置いて明確に分ける。

それが漢字と仮名の機能なのだというのだ。

中国の文化は常に漢字である。それに対し古来から続く日本人のことばは平仮名で表現する。

日本人のことばを漢字で書くにしても漢字仮名混じりの訓読みとする。

音読みの漢字は、外来のものとして明確に分けられ、常に外在化している。

それは文明開化の時代においても西洋の言葉を、その背景にある思想を抜きにして、音読みの漢字として輸入する。

自由とか、人権とか、科学とか、そういう言葉である。

それらはどことなくよそよそしい言葉であって、きれい、とか、うれしい、とか、そういう大和ことばとは本質的に異なる言葉なのである。

一方、片仮名は仏典を読み解くときに補助的に使われたという経緯から、常に宗教的な香りをまとっていて、カタカナを使うとなにか呪術的な意味を背後に感じるものである。

たましい と タマシイ

おまえ と オマエ

何か、恐ろしさを含むのは常にカタカナなのである。

それは外来語、たとえばシンギュラリティとかホメオタシスとかいう言葉を漢字に訳することなく使うときに含む意味合いを考えると実に深い。

■ここまでの論で見えてくるのは日本というクニの正体である。

曖昧で定まることなくゆらぎながら、それでいて一つのシステムとしてまとまっている。

個々の局所的な「ムラ」とか「イエ」とかいうものの総体としてクニがある。

天皇は古くから各地の村々にいるカミを包み込むオオキミとして存在し、2600年の間、支配することなく続いていく。

それは多様で豊かで時に恐ろしい自然と共に暮らしてきた日本人のたましいに深く由来している。天皇はその日本の国土全体(カミガミ)を総体として祭る存在であり、日本の国土そのものの象徴と言ってもいいのかもしてない。

アニミズム的精神を維持するその一方で、日本人は外来の技術を自らのたましいの外に置きながら、客観的に扱い、その利を手にし発展させて自らのものにする。

それが揺らぎながらも唯一無二の独自の存在であることを守りながら、大きく発展していく力を持った日本の秘密なのである。

■しかし幕末から明治において、西洋の列強の脅威に対し、日本は中央集権的な体制を取らざるを得なかった。

その中心には現人神としての天皇が据えられた。

諸国の帝国主義に対して生き残るためにはこれしかなかったのだ。

いま問題となっている教育勅語は、本来の日本人のメンタリティを廃して、中央集権のための新たな価値観を植え付けるために作られたものである。

その意味をしっかりと理解しなければいけない。

しかし日露戦争をなんとかしのいだ日本は、軍部を中心に「イエ」の概念に蝕まれていく。日本が亡びるのを決死の覚悟で阻止するという幕末の志士たちの想いはここにおいて自らの組織を維持、成長させることが自己目的化することに変質していき、ついには破局を迎えることになる。

徳川260年を支えたのは「イエ」という組織を自己保存させようとする「空気」であり、昭和において日本を戦争拡大の道に引き込んだのもまた組織を自己保存させようとする「空気」であった。

江戸時代は日本の自己保存という特性が良い方に現れ、昭和では結局自らを滅ぼす方向にそれが働いた。

その違いは多様性を維持したか、一つの価値観に押し込めたか、にある気がしてならない。

「空気」は決して悪い方向に働くのではなく、どういう組織を維持しようとするかに関わってくる、ということだ。

■敗戦によって明治に始まった価値観は破壊された。けれども、戦後の発展は決して多様な価値観に基づくものだとは思えない。

帝国主義が資本主義に変わっただけだ。

確かに戦後からの復興の場面においては、中小の企業が成長していくなかで本来の日本的な多様性は維持されていた。

けれども、バブルの崩壊によって論理よりも個々の多様性を許容することによる活性は阻害され、外在化されているべき西洋合理主義的価値観に魂を売り渡し、グローバルスタンダードという名の市場資本主義に侵されていったのだ。

バブル以降、日本に活力がないのは当たり前だし、その処方箋を諸外国の制度や論理に求めてもうまくいかないのも当たり前のことなのだ。

最近、戦後の日本はGHQによって洗脳されている、いまこそ本来の日本を取り戻せ、などと叫ぶ人がいるが、笑止千万。

彼らがいう「本来」とは明治以降の日本であり、確かに明治以降の価値観は粉砕されたけれども、単一の価値観に基づく中央集権という意味では本質的に全く変わっていない。

それは本来の日本ではないのだ。

日本が日本らしく発展するには、多様性が不可欠だ。

矛盾を矛盾とせず、あいまいに、なんとなく、受け入れる。自然=カミガミに論理が通用しないように、日本人のこころにも論理はなじまない。

その一方で、論理を魂の外に外在化し、その技術の実をいただく、というのが日本人の特性なのだ。

単一性や論理を嫌うこころと、論理をうまく使いこなす技術。

その両輪が日本なのだ。

それを取り戻さなければならない。

■いま、資本主義は黄昏を迎えている。

拡大を前提とした自転車操業の資本主義は、最後の巨大市場である中国の低成長化によって崩れ去る運命にあるのは火を見るよりも明らかだ。

東南アジアやアフリカに期待を寄せるにしても、中国の発展と失速までのスピード感を考えれば、その有効期限はたかが知れている。

ITなどの新しい産業にしても、初期の高い価値は低開発国のリバースエンジニアリングですぐに低下価格化し、市場にいきわたってしまってこちらの寿命も短命化が加速してしまうのはITバブルの経緯で証明済。

あと10年もつのか、30年もつのかは分からないけれども、確かなのは今の世界を覆う市場経済優先の単一の価値観ではもうにっちもさっちもいかなくなっているということだ。

想えば、戦国時代から徳川幕府の時代に変化するときも、拡大志向から成長を否定した安定志向への社会変革が行われた。

今、日本に必要なのはそのメカニズムを明らかにし、今の状況にうまく転用して生き残りを図ることだ。

それは鎖国なんて馬鹿なことではなく、多様性とか、小さな組織とか、そういうことのような気がしている。

日本の人口は2065年には8808万人になると今朝の新聞に載っていた。

単一市場が自立できるのは一億人が必要と言われているから、これは由々しき事態だ。

けれどもマイナス成長でも、幸せを享受する仕組み、社会は必ずある。

日本はほんの150年前にそれを経験しているのだ。

アメリカへのご機嫌取りで時間を稼ぎながら、その道をすばやく探さなければならない。

もう、それほど時間はないのだ。

                   <2017.04.11 記>

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2017年4月 2日 (日)

■【書評】『人類と気候の10万年史』 中川毅。カオスによる猛烈な気候変動はある日突然やっていくる。

地球温暖化が叫ばれて久しいが、10万年の気候を10年単位で調べ上げた結果、過去にはさらに恐ろしいことが起きていて、今、まさにその賭場口立っているかもしれないことを提示する驚愕の本である。また、それと同時に科学的思考の本質を教示する素晴らしい啓蒙本でもあるのだ。

■過去100年で平均気温は1℃上昇し、今後の100年で5℃上昇するといわれる地球温暖化。たかが1℃や5℃と侮ってはいけない。東京と宮崎の平均気温差が0.8℃であることから考えればその重大さが分かるだろう。

気温上昇が産業が加速度的に発達した1910年頃から始まったことから、温暖化物質としての二酸化炭素がやり玉に挙がっているのはご存知の通りだ。

しかし、本書ではそのような問題意識を根底から覆すものだ。

福井県の水月湖。

そこは特別な条件が重なり、世界で唯一ともいえる地質学データがその湖底に一年刻みで欠損なく折り重なっているのだ。

それは15万年に及ぶ地層の年輪である。

■その詳細の物語も面白いのだが、あえて端折って結論を急ぐならば、そこから明らかになった過去の気象のドラマは100年で5℃などというゆったりとした変化ではなく、3年で気温が7℃変化するというような激烈な気候変動なのである。

東京がフィリピンのマニラと同じ気候になったとしても、海水面が50メートル変動しても、100年あれば何とか人間は対応できるだろう。

しかし、3年で7℃の気温の変動には到底対応できない。

効率を求めて一つの農作物に特化するようになった現代でそのようなことが起きれば、世界全域で農作物は壊滅的な打撃を受ける。

1993年、フィリピンのピナツボ火山の噴火による冷夏で日本の稲作は猛烈な凶作に襲われ、日本はあわてて(金にモノを言わせて)タイ米を輸入してしのいだのだけれど、これを覚えているだろうか。

あれは1年だけの凶作である。

それが連続して発生し、しかもその影響が全世界に及ぶとするならば、おそろしく低い食糧自給率の日本がどうなってしまうのかと、考えるだけでも恐ろしい。

■では、それはいつ訪れるのか。

分からない、というのが結論である。

我々は2つの思考の癖をもっている。

ひとつは、いま起きていることはこれから先もずっと続くということ。

もうひとつは、過去に起きたことは必ずまた起こる、ということだ。

これは株の投資をしている人間には身につまされてよく知っていることである。株価の上昇局面では、この利益がいつまでも拡大していくような気がしてしまうし、過去に何度か上昇した銘柄は必ずまた上がると思ってしまう。

けれども大抵の場合、この予想は見事に裏切られる。

この予測不能の動きはカオスと秩序のはざまにある複雑系といわれるシステムの特性であり、ここで語られる気象現象もまた複雑系の一種なのである。

■振り子がある。この振り子の動きは三角関数を用いた数式で完全に予測可能である。これは、天体の動きやロケットの軌道計算をするときに持ちいる予測もこの文脈の延長線上にあり、ニュートン以降の科学文明にいる我々はついついすべてのものは計算で予測可能だと思い込んでしまう。

しかし、その振り子の下にもう一つ振り子をつけた瞬間に、その秩序は一気に崩壊する。いわゆる二重振り子というやつで、そのカオス的振る舞いは予測不能であることが数学的にも明らかにされているそうだ。

我々が住むリアルワールド、特に気象や景気や人体などの複雑系は時に予測不能なふるまいを見せるのである。

中川さんが行った複雑系モデルによるシミュレーションは、見事に予測不能な動きを見せ、その特徴は水月湖に積み重なった地層から読み取れる気候の動きと見事に一致する。

■1万2千年前まで低い平均気温を中心に派手な乱高下を続けていた先の氷河期の気候は、あるタイミングで3年間の間に7℃も跳ね上がり、そのまま高い気温での安定期にはいって今につながっている。

それがいつ崩れるのかを予測できないということだ。

ただ言えるのは複雑系における相転移と呼ばれる急激な変化は、突然現れるということだ。

我々が謳歌するこの安定した温暖な気候はあと1万年続くかもしれないし、唐突に明日終わるかもしれないということだ。

けれども、シミュレーションと地層からのデータがともに語っているのは、相転移の前にはその兆候となる変動が表れるということだ。

近年、50年に一度とか100年に一度とか言われる異常気象が頻繁に起きていることを思うと、100年という長いレンジの地球温暖化よりも、すぐそこに相転移が迫っている危機感の方が、その影響の規模を考えても段違いに大きいということがわかるだろう。

■1万2千年前に起きた大規模な気候変動は、まさに世界の古代文明における農耕の始まり、日本でいうならば縄文時代の始まりにあたる。

そこで中川さんが語る文明論も秀逸で深くうなづくものである。

定住と農耕によって文明が始まり、それが今の繁栄につながっており、それ以前の人類は未開の原始人であるという僕らの常識に対する反論である。

森や海の多様性に寄り添い、食料を求めて渡り歩く狩猟採集という生き方は、現代のような大きな人口を養うことはできないが、急激かつ不安定な気候変動にも追従できる生き方であり、生き延びる知恵の深さという意味で決して生き方として劣っているわけではない、ということだ。

ここに我々が生き残るヒントが隠されている。

それは資本主義が崩壊に向かっている今の状況ともかさなり、我々がいままで信じてきた合理主義が本当の科学なのかと問う時期に来ていることの証左なのかもしれない。

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                        <2017.04.02 記>

【追記】

著者の中川毅さんが私と同い年であることに気づき、どうも親近感が湧いて仕方がない。彼が本書で語る、実際に手にしたデータを積み上げることで真理に迫ろうとする科学的思考や、効率優先の文明に対する視点に深く同意してしまうのは、同じ時代を肩を並べて生きてきたことと無関係ではないと思うからだ。

もしかすると京都大学の入試の時にすれ違っているかもしれないな、などと空想すると、表紙の裏の中川さんの写真がとても他人に思えなくなってしまうから不思議なものである(笑)。

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2017年3月29日 (水)

■【書評】『火山で読み解く古事記の謎』 蒲池 明弘。 古事記を単なる神話や歴史書であることから解放することで日本人の心の奥底に深く刻まれた本質が浮かび上がる。

7300年前の九州最南部における鬼界カルデラ噴火を古事記の起点に据える、目から鱗の力作である。

古事記の世界にはどうも釈然としない部分があるのだが、この説に寄ればするすると合点がいく。そして稲作を中心に据えた太陽信仰という流れで天皇の物語りをとらえていた従来の見方ががらりと音を立てて裏返り、その深い顔をのぞかせるのである。

■天岩戸の話がある。

スサノオが姉のアマテラスを訪ねて高天原に行くのだけれど、攻めに来たのだと思い込んだアマテラスと争いになる。神様を生む技比べに勝ったとはしゃぐスサノオは乱暴狼藉をし、それを恐れたアマテラスが天岩戸に隠れたので世界が暗くなってしまった、というあの話である。

従来の稲作信仰の文脈では日食への畏れの神話なのだとかいわれるが、著者は疑問を呈する。

何しろ日食は数分間の出来事で、それが大地を死滅させ、水を枯らし、「糞」をまき散らし、家の屋根に穴をあけて馬を放り込んで侍女を死に至らしめる、なんていうこととどうしてもつなげることが出来ないからである。

結論を言えばスサノオは何万年に一度の巨大噴火で、その猛烈な火砕流は九州南部を埋め尽くし不毛の地に変え、その成層圏に達する噴煙は太陽の光を何年にもわたってさえぎった。そのスサノオの「狼藉」に隠れされた太陽であるアマテラスを呼び覚ます儀式、祈りが天岩戸の話ということだ。

なるほど、と膝をたたく説明だ。

■高天原を追放されたスサノオは土地のものを苦しめるヤマタノオロチと戦い、これを退治する。

ヤマタノオロチの話の不思議さは、山をまたぐほどの巨大さなのに、甕の酒に首をつっこんで酔っ払ったところをスサノオに打たれるというスケール感のアンマッチである。

ヤマタノオロチは稲作の観点からみると荒れ狂う河川ということになるのだけれど、らんらんと赤く輝く目と、その山八つ、谷八つにわたる巨大な体には杉や檜が生えている、という記述にはどうもしっくりこない。

これが山頂から吹き出る溶岩流だとするならば、これもまた、ああなるほどな、というわけである。

山から里に攻めてくる溶岩流は、大河の氾濫とする説とは異なり、それを避ける壁を作り、そのなかで酒を奉納して祈るという姿に実にしっくりとマッチする。

スケール感の違いによる違和感が見事に解消されているのだ。

■時が下り、スサノオの子孫であるオオクニヌシの治める出雲の地を奪うべく、高天原から最後の使者であるタケミカヅチがアマテラスの命により派遣される。

ここでオオクニヌシは国を譲るかどうかを二人の息子にゆだねる。

一人はそれを受け入れるが、もうひとりの息子のタケミナカタは拒否。タケミカヅチと力比べをするのだけれど、破れ、諏訪に逃走する。

ここの謎は何故、諏訪なのか?である。

高天原の天孫族が朝鮮半島から渡ってきた人たちだとすると比較的穏やかな壱岐から山陰に渡ってくるのは分からないでもない。

でもなぜ諏訪?いきなり遠過ぎでしょう?

諏訪が縄文の中心にあり、そこまで攻め込んだ、という見方もできるが、ならばオオクニヌシは諏訪に居てもいいはずで、どうもしっくりこない。

これまでの古事記の読み方を縄文から弥生に切り替わる2300年前くらいに焦点をあてる従来のやり方で見る限り答えは出ない。

その視点を縄文時代まっさかりの一万年、いやそれにさかのぼる数万年前に置くならば、

出雲の大山も、諏訪を取り巻く八ヶ岳も、実に活発に活動してた活火山であったことが見えてくる。

■我々は縄文人を屈服させて日本を占領した弥生人の物語りとして古事記をとらえてしまうのだけれど、そうではなくて、数万年のスケールで我々日本人の記憶の中に収められた荒れ狂う火山を祈りによって治める物語りとして読み直す。

侵略と平定の物語りにしては、戦いの神が表にしゃしゃり出ることはあまりなく、先のタケミカヅチにしてもどこか牧歌的で、むしろ、そのあとの天孫降臨も含めて主人公はアマテラスであり、つねにそこにはアメノウズメが表に立っている。

アメノウズメは巫女である。

乳房と陰部をあらわにして踊るのは、隠されたものを表にだす呪術性というだけでなく、むしろ、山と熱い部分という火山との同質性にこそ意味がある。

火山を前にしたとき、武器も武人も全く役にたたない。

表に立つのは祈る人だ。

古事記とはそういう祈りの物語りなのだ。

スサノオにしても、ヤマタノオロチにしても、オオクニヌシたちにしても、さらにイザナミのイザナギからの逃走にしても、それを火山という自然の猛威ととらえると、ぎくしゃくしていた古事記の物語りがかちりと音を立ててはまり、動き出す。

それは、畏敬の念を込めて火山と付き合ってきた縄文人たちの心象風景なのである。

■そうしてみると天孫降臨がなぜ北九州ではなく、九州南部熊襲の地なのかがよくわかる。

弥生人たちが朝鮮半島から渡ってきたのだとしても、別に今の日本の国境があるわけでもなく、北九州にそれほどの意味はない。

それよりも荒ぶる火山の地である南九州こそが「祈る」人たちにとっての重要な場所だったということだ。

天孫降臨は弥生以降の渡来人と土着の縄文人を峻別するものではないのかもしれない。

ここにおいて古事記は人と人の関わりの物語りから大きく逸脱する。

降臨してきたニニギが美しく可憐なコノハナサクヤ姫と結婚するのは、コノハナサクヤ姫が薩摩富士ともいわれる開聞岳であるとするならば、人と自然との和解と読み解けるわけで、7300年前の大噴火以降、日本の火山が徐々に大人しくなっていったこと、それに合わせて縄文文化が発展していったことと無縁であるはずがない。

 

なんだろう。

この感動は。

火山国である日本の自然の荒々しさと、そこから再生される生命の美しさ、そしてそこに生きる日本人の精神的豊かさが圧倒的スケールで迫ってくる。

古事記は単なる神話でも支配者の歴史書でもない。

何万年も続く、日本人の魂の書なのである。

それは東日本大震災後の今の日本人に、深く響く。

                                           <2017.3.29 記>

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2017年3月 9日 (木)

■【書評】『日米対等 ―トランプで変わる日本の国防・外交・経済』、アメリカ・ファーストの本当の意味。 

藤井厳喜、二冊目。2017年1月10日時点の情報で書かれた最新の意見を聞きたくて読んでみた。

■戦後70年の枠組みをぶっ壊すトランプ大統領登場により、日本が対米自立するチャンス到来というのがこの本の趣旨。それを日本の国防、外交、トランプ政権分析、トランプ政権の狙い、日本経済という切り口で語っていく。

■【防衛】

トランプ政権は発足後、さっそく日米安保を堅持することを明示することで日本を安心させたが、本書が書かれた時点で著者はGDP2%の防衛費をかけてアメリカの装備を購入することを提案している。

一種の肩代わり論だ。

長距離ミサイルをアメリカから買って攻撃能力を高めよ、自衛隊は在日米軍の補助部隊であり「普通の国」を目指すべき、という藤井節炸裂なのだけれど、この辺は、はいはい、と聞き流せばいい。

この人の本から得るべきなのは、現状を読み取る力なのだ。

その意味では、在日米軍のプレゼンスあってこその日本の平和、台湾の重要性、朝鮮半島の不安定性というポイントが重要だ。

特に、韓国の政治・経済の崩壊、THAAD配備に伴う中国の韓国叩き、北朝鮮による金正男暗殺と弾道ミサイル発射が在日米軍攻撃が目的であるとする声明など、朝鮮半島の急展開がこのあとどうなるか。

何があってもおかしくない。

ともかく日米安保を維持し、深めること、当面はこれに尽きるだろう。

■【外交】

トランプの勝利を予言していたのは木村太郎と自分くらいだという自慢から始まるのだが、それなら私も恐怖指数に投資してちょっとばっかし儲けたぜと自慢したくなる。

けれど本論はそこにはなくて、意図は自前の情報収集能力のなさに対する警告にある。

現地取材の情報を信じず、アメリカのメディアを信じる日本のマスコミの能力無さは別に今更というところだが、インテリジェンス(情報戦)の能力を全く持たない外務省は領事省にしてしまえという論には深くうなずく。

もう外務省に対してはあきらめていて、官邸と自民党のインテリジェンス能力を高めよ、というのが著者の論だ。

インテリジェンスの9割は映画のようなスパイ行為ではなく、一般に出回っている情報の分析だといわれるが、インターネットの時代、ますますその重要性は高まっているだろうし、逆に、著者が力説するように人とのつながりがポイントになってくるだろう。

朝鮮半島の動向だけでなく、ことしは党大会で中国の代表が変わるという重要なイベントがあるわけで、国防の観点からもインテリジェンスは死活問題だ。

■【トランプ政権分析】

トランプ政権の主要なメンバーの人物評。

キーはマイク・ペンス副大統領だという。

ポピュリストの代表として大統領になったトランプは共和党と一枚岩というわけではない、けれど法案を通すためには共和党との連携が必須である。

その意味で共和党のベテラン議員であるペンスが重要だということだ。

その背後にはトランプの娘婿のジャレッド・クシュナー(ホワイトハウス上級顧問)らトランプ一家がいて、それは彼らのバランス感覚を示していると言える。

 外交の要である国務長官にはエクソン・モービルのCEOだったレックス・ティラーソンが就いた。これがトランプの基本方針を示しているという。

1つにアメリカは石油・天然ガス(シェールガス)でやっていく、ということ、2にロシアとのつながりの強化(ティラーソンは北極海油田開発でロシアと連携)、3にアメリカ復興のための大企業との連携である。

エクソン・モービルは国際企業ではあるが、アップルのような利益最優先のボーダーレス企業ではなく、アメリカの国益を代表する企業なのだという、エクソンについては良く知らないが、日本における新日鉄みたいなものだろうか。

ともあれ、草の根から大企業までのオールアメリカンでの体制を意味するものだ。

 国防長官はテロ掃討作戦を指揮した狂犬マティスこと海兵隊大将のジェームズ・マティス。単なるガッツのある軍人ではないようで戦史、戦略の研究にいそしみ、蔵書が実に7000冊という勉強家。「戦争の本質は変わらない」という戦争観を持つようだ。

トランプは親ロシア、反中国といわれるが、歴史を踏まえた冷静な対応をしてくれそうだ。

 商務長官はロスチャイルド商会から投資家になったウィルバー・ロス。

日本でも再生ビジネスを行い、東日本大震災のときには13億円の支援基金をあつめ叙勲を受けた親日家。

金儲けばかりではない、反グローバリズムの視点を持つ人なのだろう。

 主席戦略官兼上級顧問のスティーブ・バノンは毒舌ニュースサイトを立ち上げたガチガチの草の根保守。マスコミでは影の大統領などと呼ばれ、実際、中東からの入国禁止の大統領令は彼が進めたなどと言われるが、本書での記載は少ない。

選挙戦でポピュリズムを煽る意味では重要であったが、軍事、経済、外交、という視点では今後消えていく存在なのかもしれない。

■【 トランプ政権の狙い】

普通に働けば一戸建てにクルマがあるという豊かな生活を得ることが出来るという本来の意味での「アメリカン・ドリーム」を復活させる。それがトランプが国民に約束したことだ。

そのための国益最優先であり、その敵は「アメリカン・ドリーム」の主役であった中間層から労働と金と誇りを奪い去ったグローバル企業である。

グローバル企業はアメリカの高い賃金を嫌い、生産を賃金の安い中国などの低賃金国にシフトした。

それは形を変えた植民地主義的奴隷制であると著者は断ずる。

労働基準法も環境基準も整備されていないそれらの低賃金国で過酷な労働を安い値段で強いることでグローバル企業は莫大な利益を得る。

しかもその利益はアメリカ国内に還流することはなく、タックスヘブンを経て、一部の金持ちの懐に入るという構図だ。

それをぶち壊し、再びアメリカに力を取り戻す。

トランプは経済の主体が国民にあることを知っている。

国内に莫大な投資を行い、仕事を増やし、消費を活性化させる。

それが復活の起点なのだ。

日本の政界、官僚は爪の垢を煎じて飲んだほうがいい。

■【日本の経済】

トランプがTPPから手を引くことは確定的だ。

そこで著者はチャンスかもしれないという。

TPPからアメリカが抜ければ、アメリカ企業からの提訴による国内法の改定、もっと言うと社会保険の崩壊から逃れられる。

さらには本来の意味での大東亜共栄圏が築けるのではないか、というところに夢を馳せる。

でも、それって前項の「植民地主義的奴隷制」じゃない?って突っ込みたくなるけれど、方向的には面白いと思う。

あとはアメリカ兵器をバンバン買えとか、政府発行通貨があるから国債による借金なんて全然気にすることはないとか、かなり乱暴な論がならぶ。

どうも著者の国際情勢の分析の鋭さは、それを日本に向けた瞬間に自分の願望がにじみ出てしまって、目が曇ってしまうように思われる。

そういうところに注意さえすれば、やはり視点が鋭くかつ新鮮で、追いかけたい分析者ではある。

今年はEUが本格的に崩壊していく可能性もあり、それよりなによりアジア、特に朝鮮半島のバランスが一気に崩れる可能性も高まってきた。

荒れる時代には、こういう広く客観的な視点の人物の声に耳を傾けるべきである。

                  <2017.03.09 記>

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2017年2月26日 (日)

■【書評】『最強兵器としての地政学』 藤井厳喜。相手の気持ちで地図を眺めれば世界の今が読めてくるのだ。

面白い。一気に読み終えた。

近現代の世界史といまの世界の見方が一気に体系化され、なるほどと腑に落ちる。地図の読み方というだけでなく、そこに歴史と民族の動きを捉えたとき、今われわれの目の前で動いている一つ一つのニュースの意味がしっかりとした形をともなって立ち上がってくる。これからの世界の動きが読めてくる、特に中国の思惑と対抗手段を理解する上で最良の本なのではないだろうか。

■真ん中に日本があり左手にはユーラシア大陸、右手には太平洋とその先にアメリカ大陸がある。そんな世界地図を見ているのは日本人だけである。という当たり前のことに気づかせる最高の教材は上下さかさまのオーストラリアの世界地図である。

同じようにイギリス人は、アメリカ人は別の世界地図を見て生きている。

北極圏が異様に拡大されたメルカトル図法の地図も、航海に便利だというだけで、別の目的からすれば別の地図を見る。上が北、左右が東西なんて決まっているわけではない。

東西冷戦の時代にアメリカとソ連の関係者は北極を中心としてアメリカとソ連がにらみ合う地図でものごとを考えていた。メルカトル図法の地図だけを見ていたのでは決して理解できない緊迫感がそこにはある。

■地図の中心をどこに置くのかだけではない。そこにどういう物語が起きるのかが問題だ。

地政学は大きな力をランド・パワー(大陸国家)とシー・パワー(海洋国家)に二分することで整理し、理解していく。

中国やロシアはランド・パワー、イギリスやアメリカ、日本はシー・パワーと定義づける。

ランド・パワーは大陸の中心にどっしり構え、陸を進み、周辺の海を目指す。一方のシー・パワーは港の拠点を抑え、海上通路を確保することで海を支配する。

その物語はローマ帝国、モンゴル帝国の時代から普遍であり、歴史は繰り返していく。

日本の戦略を考えるうえで一番参考になるのは同じ大陸の反対側の端に生きるイギリスである。

イギリスは大西洋からアフリカ最南端の喜望峰を確保し、一方で地中海を抜けてカイロを支配、インド洋に抜けてカルカッタを押さえて海洋帝国を確立した。

大英帝国の成功は、シー・パワーであることをわきまえ、決して大陸を支配しようとはせず、大陸がひとつの勢力に染まらず対立の構図が続くように政治的介入をすることで大陸からの侵略が起こらないような防備に留めたことにある。

日本の失敗はシー・パワーでありながら中国大陸の奥深くまで進出してしまったことにある。

日本はアメリカを敵にすべきではなく、地政学的にはむしろ後ろ盾にすべきであって、そのなかで大陸を牽制しながら沿岸沿いに進むべきであったのだ。

と、しても拡大路線を進めば東南アジアでアメリカ、イギリス、フランスの権益とぶつかるのは必然で、既存の勢力との戦争と敗戦は避けられなかったのかもしれないが、、、。

■地政学的観点からみれば、歴史を読むだけでなく、今を解釈し未来を読むことができる。

著者の藤井厳喜はロシアのクリミア併合を予測していたという。

彼はモスクワを中心とした地図を載せる。それを眺め、モスクワに住む人の気持ちになれば、クリミアがロシアの絶対防衛の要であることがよくわかる。

バルト海のサンクトペテルブルグと黒海のクリミア半島はロシアが海に出ていくための要衝である。黒海への出口を失えば黒海を中心とした地域のプレゼンスを失い、クリミアから1000kmしか離れていないモスクワは丸裸となってしまうのだ。

プーチンの強権だ、帝国主義の復活だと世界の世論がいかに騒ごうが、ここはロシアが生き残るためには絶対に必要な場所であり、政治的な戦略がウクライナのクーデターで覆されたとき、防衛的に必要な行動であったということだ。

これは新聞やテレビのニュースを見ていても理解できないことである。

それはアメリカであったり、イギリスであったりする視点で作られたニュースであり、それをなぞるだけの日本のマスコミには到底たどり着かない視点なのである。

そしてそれは日本とロシアとの関係、そして中国の関係を考えるうえで、どうしても必要な視点なのである。

■ロシアとの関係を考えるときに重要なのは北方領土だ。

ロシアの東の出口であるウラジオストック。

そこから太平洋に出ていく道はサハリンと大陸の間の間宮海峡、そして日本の北の宗谷海峡、日本本土を抜ける津軽海峡、対馬海峡だけである。

冬季に海が凍れば北の回路は閉ざされる。そのことを考えれば、ロシアにとって、いかに日本が邪魔であるかがわかる。

冬季の限界線が流氷が流れ着く北海道北部あたりにあるとするならば、宗谷海峡を抜けて千島列島の最南部の北方四島を押さえるルートの確保がウラジオストックを活かすための要点であることが理解できる。

今の日本にとって重要なのは中国の海への進出を押さえることである。

そう考えればロシアとことを構えるのは得策ではない。ロシアは決して北方四島を手放さない。彼らが太平洋に出ていくための生命線だからだ。それを無理に全島返還などと強く出たところで反発を招くだけだということだ。

■海に出ていきたいのは中国も同じだ。

著者は、その要衝は台湾だと喝破する。

沖縄と台湾に押さえられた東シナ海。台湾と東南アジアが押さえる南シナ海。

囲碁の渾身の一手のように台湾は中国の海洋進出を抑え込んでいるのだ。

中国は今般の南シナ海の占拠と同時に、鉄道と河川の支配によってインドシナ半島を取り込みつつある。

これにより南シナ海を占拠されれば日本はその生命線であるシーレーンを分断されるだけでなく、SLBMを搭載した中国の原潜に隠密行動を許すことになり、核戦略的にも危機的な状況に追い込まれることになる。

この囲い込みを完遂させる要衝が台湾なのだ。

■著者はこれからの日本が取るべき道は、海洋国家、シー・パワーとして、まずアメリカをバックに持ち続けること。二つ目に、台湾を含む東南アジア諸国との連携、3つ目に中国を大陸的に囲む中央アジアとの連携だという。

中国が覇権国家として世界を牛耳ろうとする戦略が明確である以上、それに対抗するこの囲い込み戦略は理にかなっている。

中国が太平洋に出ていこうという思いが日本の権益と存続に強い脅威となる限り、それはうまくいかない、割に合わないと思わせる必要がある。むしろそれが戦争を回避する道なのだと思うのだ。

■著者の思想はどこか偏っているようにも思える。特に中国、韓国に対する嫌悪は強烈だ。

日本にとっての大陸に対する重要な緩衝地帯である朝鮮半島を味方につけておく必要性を考えれば、どうなのか、と思えるくらいだ。

彼の考え方を丸のみにするのは極めて危険だ。

けれども、考えるルールとしての彼の地政学は極めて有効である。この本が出版された時期はアメリカ大統領戦は終わっていないのだが、トランプの勝利を予言している。

地政学は地理だけではく、民族の心の動きを読む学問なのだと理解した。今の世界はグローバリズムが限界に達し、民族主義が立ち上がってきている時代なのである。イギリスのEU離脱でそれは決定的になった。その文脈でみればトランプ当選は自然な流れであり、彼の地政学は、世界史を俯瞰した歴史観で現代を眺め、その流れを見極める技なのである。

彼は今後の世界を覇権国家が不在の混乱の時代と考えている。その中で日本がどう生きていくべきなのか、本書はその重要なヒントを提示してくれている。

                          <2017.02.26 記>

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ロシアの覇権主義とイギリスの覇権主義が日本で衝突した時代について考えるとき、世界全体と日本周辺の地政学的状況は極めて強い緊張状態となった。その状況を理解する世界観というものを教えてくれたのは司馬遼太郎の坂の上の雲である。

この地政学の本を読んで、改めて坂の上の雲の素晴らしさを理解した。

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2017年1月17日 (火)

■【書評】『三流の維新 一流の江戸 「官賊」薩長も知らなかった驚きの「江戸システム」』 原田伊織、明治批判は良いのだけれど、いまいち見えない次世代に活きる江戸時代発の新しさ。

『明治維新という過ち』で話題をさらった原田伊織の新刊である。

趣旨は、明治維新以降に否定的に扱われている江戸時代こそ、あたらしい社会のカタチを模索する今後の世界が参考とすべき素晴らしい時代だった、というものだ。

面白い読み物であった。けど、どうも尻すぼみなんだよね。

■まず、著者は明治維新をおこした勤皇の志士たちはテロリスト集団であり、尊王の意識などまったくない連中だと断じる。

明治政府にしても、江戸時代の遺産によってやっと運営できたもので、連中のやったことといえば「王政復古」の号令のもと「廃仏毀釈」をすすめ、日本独自のものとして開花した仏教文化を破壊するなど、どこぞやのテロ国家と変わらんということを説く。

通読して思うのは、どうも一神教や共産主義のような排他的な一元的価値観に縛られたものが嫌いでしかたないのだな、ということだ。

結局、勤皇の志士たちの思想を源泉とする一元的価値観に支配されてしまった日本は、世界を敵にまわした戦争に突入し、この国を破滅に導いたという歴史観には、なるほどと膝をたたくものがある。

著者は、勤皇の志士や明治という時代をことさら美化する司馬遼太郎を敵視するが、その司馬遼太郎自身が日本軍という組織のなかで自らが苦しめられたその価値観と明治が連続するその矛盾を感じているのかもしれない。その意味でも正鵠を得た見方ともいえるだろう。

■そこはよい。だが、本論の江戸時代発の提案が希薄なのだ。

本書では乱暴狼藉が支配した戦国時代と対比させることで、「元和偃武」に始まる江戸時代がいかに平和で平穏な時代であったかを参考とした文書を羅列しながら説得力をもって説いていく。

江戸時代の街道はしっかりと整備され、一人旅も安全で、庶民も自由に旅に出ることが出来た。それは幕府の威信をかけたものであったこと。

人口分析からみると江戸時代の人口に変化がなく静的な社会という見方があるが、実は人の移動がダイナミックに行われた活力にあふれた社会であったということ。

鎖国は、外国人を拒絶する狭量な姿勢から生まれたものではなく、戦国時代に戦乱の中で生け捕りになった日本人を奴隷としてアジアに売りさばいたスペイン人、ポルトガル人たちを追い出し、同時に日本侵略の先兵として日本の既存の価値観を否定し破壊するキリスト教宣教師たちを排除する、その国防の観点から生まれた制度だということ。

このあたり、実に面白いし、勉強になる。

■けれども、だからどうなのか、という話なのだ。

原田伊織は明治を否定した。

一元的価値観という意味では戦後の資本主義社会も「合理」という意味で同じであり、そこに破綻が生まれているとしている。

だからこそ、感覚的な「中世」と合理的な「近代」の中間にある「近世」という世界でも独自の存在となる時代であり、250年の他に類を見ない平和を維持した「江戸時代」に一体なにを見、そこから引き出すのか、そこを語らなければ論理が収束しないのだ。

明治ダメ!ほら、江戸って素敵でしょ?

に留まってしまっては、単なる読み物に終わってしまう。

実際、江戸時代にポスト資本主義のヒントが隠れていると私自身思っているので、どうしてもそこを期待したくなってしまうのだ。

 
まあ、そこを差し引くとしても、今までの価値観をひっくり返すお話がいっぱい載っているので、それはそれで非常に魅力的なのは間違いなく、一読して損することはない。

 

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                    <2017.01.17 記>

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2016年12月14日 (水)

■【まんが評】『ぼおるぺん古事記』、こうの史代。おおらかな、それでいてわれわれと地続きの神代の物語り。

こうの史代さんは天才である。

あの何だかよくわからない古事記の世界を、コトバなしでも伝えることができるという「まんが」というメディアの力を使って、そのこころの機微をダイレクトに伝えることに成功してる。

まんがとしても、古事記伝としても、革命的な作品だとおもう。

「夕凪の街、桜の国」や、「この世界の片隅に」とはまた違う味わいの、こうの史代の世界がここにある。

■古事記は言わずと知れた日本最古の歴史書で、712年に編纂されたといわれる。天皇の存在を神話と地続きに語ることで、その権威を保証するものであるのだが、その中身のおおらかさというか、なんともいい加減なところが実に日本的で素敵なのである。

けれど、本でその物語を読もうとすると、ひたすら長ったらしい漢字の名前の神様の羅列で、中身に素直に入れず、かといって、天岩戸とか、因幡の白兎とか、ひとつひとつの物語りにフォーカスした「おはなし」だけでは、単なる昔ばなしになってしまって、何かが大きく欠落してしまう。

そこを、こうの史代は「読み下し文」で古事記のテキストを忠実に追いながら、いきいきとした神々のキャラクターを創造し、紙面のなかで彼らに息吹きを吹き込み、古事記のお話を演じさせる。

その瞬間、とっつきにくい古事記の文字の連なりに、古代に生きた人々の魂が宿り、ああ、なんだ、いまと同じじゃないか、と心から思える。

まんが?と思うなかれ、むしろ、まんがだからこそ成功したコロンブス的超絶アプローチなのである。

しかも、巻頭の写経のような原文の写しの和綴じ本的付録を見ればわかるが、こうの史代さんは、おそらく徹底的に古事記を読み込んで完全に自分のものとしている。

それを咀嚼し、まるで口嚙み酒をつくるかのように、その感情を「まんが」の画面に定着させる行為。余計なセリフや解釈を排除し、さらにボールペンのみで描くというシンプルさが、「アイデア」を「作品」へと完成させているのだ。

■古事記は神代の時代から推古天皇の時代までを描くが、本作は上つ巻と呼ばれる神話時代の巻を題材にしている。

・天の巻 天地創生 天地創生からスサノオノミコトまで

・地の巻 出雲繁栄 オオクニヌシノミコトの物語り

・海の巻 天孫降臨 ニニギノミコトの物語り

まずは、天地創生。

高天原に形もおぼろげなアメノミナカヌシノカミがあらわれ、歴史がはじまる。ここからイザナギ、イザナミまでの神世七代は、混沌から実体が像を結んでいく時代なのだけれども、この薄らぼんやりしたイメージが、イザナギ、イザナミの感情移入可能な、しっかりしたキャラクターに移っていく、その描きかたゆえに、この不可思議な世界観が、なんともすんなりと心に入ってくる。

イザナギ、イザナミの国生みでは、つい、ヒルコってなに??と思ってしまったりするのだけれど、ああ、はじめはうまくいかなかったんだな、と若い夫婦の心情に寄り添うことで、すんなりと通過する。

ともかく、原文の読み下しで進むので、原文にしか頼ることができない。それゆえに余計な途中下車での勝手な解釈に惑わされることなく、原文の本来の意図が浮かび上がるのだ。

イザナミが火の神を生むことで死んでしまう悲劇、イザナミを探しに黄泉の国を訪ねるイザナギ。

そこでイザナギが見たイザナミは!

本来のイメージであれば体中からウジが湧いていて、その姿を見られたイザナミが怒り狂うという場面なのだが、菓子をぼりぼり食いながらのごろ寝でテレビのワイドショーを見ているという描写。

恐れ入りました。

確かに原文にはない、けど、そういうことだよね!

ここがギリシャ神話のオルフェウスとエウリュディケの悲劇との差であって、「美化」というものがまったくもって存在しない、古事記がほかの世界の神話と一線を画している素晴らしいところなのだ。

ちょっとやりすぎ?という気もしないではないが、本質を突いた素晴らしいまなざしだと思う。

そして、この世と黄泉の世界のはざまにある黄泉比良坂。

追ってくるイザナミと、千引岩をたてに別れを告げるイザナギ。

原文の背景に、幸せであった二人の回想が流れる。

なんて切ないんだろう。

そして、コトバで語らないって、なんでこんなにも力があるんだろう!!

■時代は、イザナギが清めた体からうまれた、アマテラスとスサノオの代に引き継がれる。

このアマテラスのふくよかなキャラがまた素晴らしい。

天照大神といえば神々しい美しい姿で描かれるのが定番でしょ?

でも、これです。

それが、なんともワガママなアマテラスの性格にぴったりだということが、出雲征伐あたりになってようやく合点がいくのである。

スサノオもまたヒーローらしからぬブ男である。

たぶん戦前なら発禁処分もの。

でも、だからこそ、その情感がいきるのだ。

このあたりで素晴らしいシーンといえば、もちろん天岩戸もあるのだれど、なんといってもオホゲツヒメのお話。

お前、そんなきたねーところからひねり出したメシを食わせたのか!とスサノオに殴り殺された可哀そうなオホゲツヒメ。

原初に神であるカミムスヒが、そのオホゲツヒメの体から五穀を生み出すシーンは感動的に美しい。

人間的なものに寄り添ったこの作品のなかで、もっとも神話的な見せ場といえるだろう。

それがあって、その直後のクシナダヒメとの幸せを詠んだスサノオの和歌のあたたかさが効いてくる。

やくもたつ いづもやえがき つまごみに 

やえがきつくる そのやえがきを

■さて、そんなこんなでスサノオはたくさん子である神々をつくり、その子孫にオオクニヌシがいて、第二巻目は、彼の物語り。

ここは本当に分からない。

なにが分からないかというと、オオクニヌシはスサノオの直系であって、ともに国造りをするスクナビコなんかは原初の神のカミムスヒの実の子供だったり、それをオオクニヌシが直接カミムスヒに高天原に確かめに行ったりする。明らかに天尊族。

なのに、アマテラスの直系に領土を取られてしまうのだ。

このあたりは、種々雑多なカミを祭ったクニが、アマテラス系のカミのもので、ひとつにまとまる過程で生じる矛盾なのだろう。

で、そんな矛盾なんか、この作品はまったく気にしない。

あくまでも原文なのである。

その潔さがいいのである。

古事記のもつ、おおらかさを描こう、という強い意志をそこに感じるのである。

とらわれない、深く考えないからこそ、スセリビメの猛烈なやきもちと、メンドクセー、と思いながらも、そんなスセリビメをかわいく思うオオクニヌシのやさしさが強く押し出されるのだ。

さて、そんなオオクニヌシが治める地上の世界を、アマテラスが奪おうと試みる。

が、送り出す刺客は、オオクニヌシの世界が居心地よいのか、全然帰ってこない。

その度に、パパどうしよう、と原初の神であるタカミムスヒを引っ張り出して会議を招集、案を出すのは毎回オモヒナネ、という繰り返しが笑える。

征服者がアマテラス、被征服者がオオクニヌシ(=スサノオ)という構図で考えるならば、オオクニヌシが悪者になってしかるべき。歴史書とはそういうものである。

けれど、オオクニヌシは悪者どころか、すごくいい人。アマテラスたち天尊族も、かなり間抜け。

どこまでも、おおらかなのである。

■第三巻は、ついに天孫降臨である。

アマテラスに地上を治めよ!と命令された長男が、めんどくさいから自分の子供のニニギに任せた!って、どうにもいいかげんな感じ。この締まらない感じがほんと古事記なんだよなあ、と改めて思う。

で、なんといってもポイントはセクシー姉さんのアメノウズメの再登場!

なんだかよくわからいけど、高天原のすぐ近くに凄い顔をして立っている地元の神(国つ神)のサルタヒコに「面勝つ神」として派遣されたアメノウズメのかわいいことと言ったらない!

ニニギは完全にくわれてしまうわけだけれども、実はそこには理由がある。

ニニギは、見初めたコノハナノサクヤビメを娶るのだが、同時に嫁いできた姉のイハナガヒメはおそろしく不細工であったために恐れをなして追い返してしまう。

だが、コノハナノサクヤビメが咲けば散る花のような幸せを、イハナガヒメが永遠の命を、意味していたがゆえに、ニニギは永遠を失い、死にゆく運命を背負う。つまり、われわれ人間と同じ地平に立つことになるのだ。

ここにおいて、神話は人の物語りへと、地続きに流れていく。

ニニギの子孫であるヤマサチビコは神性をもつ最後の世代なのだろう。ラストのトヨタマビメとの悲劇は、人とカミが共存できなくなってしまった悲しみの物語りなのである。

それをカラーボールペンで美しく描く、こうの史代さんの心情がひしひしと迫ってくる。

美しい、あまりにも美しいラストなのである。

素晴らしい!

                      <2016.12.14記>

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■追記1

ボールペンで描くこのタッチ、どっかでみたなと思ったら、諸星大二郎ですね。好きなのかな?

■追記2

このブログでは、みんな呼び捨てだけど、こうの史代さんだけ、今回は’さん’付けです。実は筆者と同じ年に生まれてることに気づいてしまって、なんだか、突き放した敬称略にはできず、つい’さん’をつけてしまいました。

■追記3

第三巻、巻末にあるヤマツミ一万尺。コノハナノサクヤビメとイハナガヒメの姉妹がひたすらアルプス一万尺をやっている、という話なんだけど、もうお腹がよじれそうに笑ってしまった!絶品です!

 

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2016年12月 5日 (月)

■【書評】『人工知能の経済の未来 2030年雇用大崩壊』、井上智洋。来るべきユートピアの夢。

AIの発達により、近い将来雇用は激減する。その将来像は果たしてディストピアなのか、それとも?

■著者はマクロ経済学者であり、その視点でAIによって将来の世の中がどう変わっていくかを予測する。

昔から、マクロ経済学者なんてものは信用していない。勝手に世の中をモデル化、数式化して算数をもって予測する人たちであり、そんなもんでこの血の通ったわれわれの生活を予測できるはずがあるもんか!なんて思いを抱いていたのである。

実際、最近の日本経済を見ても、デフレターゲットなんてことをぶち上げて、日銀に国債を買い上げさせ金を市場にジャブジャブ投入するのだけれど、微塵もデフレが起きる様子もない。円安誘導も、ゼロ金利も、われわれの財布のひもを緩めることはできない。

なぜかならば、我々の財布のひもを支配しているのは、現在、そしてそこから思い描かれる金欠生活への不安であり、その不安が抜本的に解決されない限り、状況は変わるはずがないからだ。

そんな、われわれの心情をパラメーターとして組み込むことのない経済モデルに基づく計算事で、それがいくら権威的であっても、未来を読み解くことなんてできるはずもなく、やはりマクロ経済学なんてものは信用できない、ということの証左なのである。

■けれど、この著者の井上智洋は、そういった私の決めつけを完全に裏切ってくれる。

もちろんマクロ経済学者として、きわめて予測が困難な複雑系である経済というものを単純化モデル化し、我々が今直面している、AIを含む第4次産業革命が世の中に与える影響をメカニズムとして説明し、それなりの説得力を与えることに成功している。

しかしながら、井上さんの思考は、あくまでもそれをツールとして使っているに過ぎない。本質は、世の中が何で動いているのかという歴史観とでもいうようなものである。

われわれ人類が定住し、農耕を覚えてから、どれだけ文明が発達しようとも一人当たりのGDPは一定であった。それは耕地の面積や面積当たりの収穫が莫大に増えたとしても、豊になるのは一瞬で、それにつられて人口が増加し、一人当たりの食料はまた厳しくなっていく。それがあの『人口論』のマルサスが提示した「マルサスの罠」である。

だが、1800年頃にイギリスで発生した蒸気機関を核とする第一次産業革命は、そのマルサスの罠を超えた。機械への投資による生産性の拡大のスピードが豊かになることで発生する人口の増加を大きく引き離したのである。

これより、我々の文明は有史以来のパラダイムから抜け出し、新たなステージに躍り出た。これが資本主義の本質である。

それから1870年頃の内燃機関、モーターによる第二次産業革命、1995年頃のパソコンとインターネットによる第三次産業革命と続く。

だが、それらは社会変革を引き起こすほどの力はもたず、資本主義を加速させ、先進諸国が成長の限界のなかで低成長を余儀なくされる中で、資本を持つものと持たざる者による富の偏在を拡大させるに至った。

■さて、次なる第四次産業革命は2030年頃と著者は予測する。

これは、汎用AIの実用化に伴うものである。

現在のAIは特化型人工知能(特化型AI)と呼ばれるもので、SIRIにしろ、ペッパーにしろ、それは、目的を人間にインプットされ、その枠組みのなかで思考するAIである。

それに対して、人間の脳の仕組みを解明し、(そのままコピーするのではなく)、モデル化、モジュール化して、再構成することで、自分の頭で考えることのできる人工知能を作り出そうという動きが活発になっており、その目指すものを汎用人工知能(汎用AI)という。

この汎用AIは人間のような肉体を持たないがゆえに、人間とまったく同じように感情をもった存在にはなりえない。

しかしながら、人間と同じようにすべてのことがらを全体像としてとらえ、考えることができる。

特化型AIは、工場の組み立て作業だとか、受付のような単純な労働はできるけれども、いろいろな情報を集めて、まとめ、提案を行うというような、総合力を必要とする頭脳労働には対応できない。

それを可能にするのが汎用AIなのだ。

■2030年頃に汎用AIが実用化し、2045年頃にそれが社会にいきわたるとしたら、我々の社会はいったいどうなってしまうのか。

著者の予想では、現在人口の半分を占める労働人口が約一割に激減する。

いわゆる会社勤めなんてものはAIにとって代わられ、残るのは、作品や商品企画を生み出すようなクリエイティブな仕事、経営者のようなマネジメント、人間の機微に対応する能力が必要なホスピタリティ、しかも、その能力がAIに追いつくことができないようなトップクラスの人材だけとなる。

それはそうだろう。

一度導入すれば、文句も言わず、賃上げも要求せず、福利厚生もいらず、人間が一週間かかる情報分析業務も1分で仕上げ、しかも24時間働き続けることができるのだ。

どう考えても人間は労働市場から締め出される。

その結果、人々の収入は無くなり、市場には投資家と経営者と、生活保護で最低限の暮らししかできない市民が分断されて存在することとなる。

そこに映し出されるのは、今の格差なんてもんじゃない、完全な分断社会、ディストピアなのである。

■そこで著者が提案するのがベーシックインカム(BI)だ。

生活保護とか、そういう何かの基準で資金を分け与えるのではなく、金持ちにも、貧乏人にも、等しく資金を提供する。

それは、保護、というよりも、国民であることに対する「配当」である。

来るべき2045年に向け、インフレをコントロールしながら、徐々にBIの額を増やしていく。

最終的には、国民は別に働かなくても、それなりの生活はできるようになる。

という筋書きだ。

■実にいい、というより確かにBIしかない、という気がする。

これならば、勝ち組である投資家も才能のある高給取りも、高い税金はとられるけれども、その再配分、配当機能によって、市場が維持される。それが、自分の豊かな生活を支える大前提だというコンセンサスを得られれば、受け入れられるものだと思う。

そこに現れるのは、額に汗して働かなくてもいい社会だ。

20世紀初頭のフランスの思想家ジョルジュ・バタイユを引いて著者は言う。

資本主義社会は「有用性」つまり、「役に立つこと」にとりつかれてしまっている。

今、我々が勉強をするのも、労働をするのも、自分のため、というよりも、いつの間にか、「役に立つかどうか」という視点にすり替わってしまっている。

そのために、失われてしまっているものがあるだろう。(ここ20年の大学の変貌ぶりを見よ!!)

「至高性」とバタイユが呼ぶそれは、役に立つとか立たないとか、そういう次元ではなく、そのもの自体に価値があるもの、例えば、夕焼けが美しいとか、子供がかわいいとか、そう感じる瞬間に、そこにあるものである。(私が別のブログ「エロス的人間論」で「エロス」として定義したものに近いかもしれない)

そして、「有用性」を強要する資本主義は、労働力としての人間を手放すことによって、人間をそこから解放する。

それこそが、汎用AIによる第四次産業革命が生み出す社会変革なのだ。

著者の論の核心はここにある。

単なるAIの技術説明でも、経済動向予測でもない、骨太な思想的背景をもったその論が、マクロ経済学なんてもの、と嘲笑っていたわたしの偏見を打ち砕いてくれた。

この井上智洋という人、人間としてとても好きになってしまった。

■さて、問題は、そこから先にある。

中学生の頃に期待して読んだトマス・モアの「ユートピア」の世界。

そこで私の夢を打ち砕いたのは、その「ユートピア」を支えているのが奴隷であったという事実であった。

しかし、井上さんが提示する未来は「汎用AI」によって支えられている。

汎用AIに自我が生まれないという前提にたてば、傷つき、搾取されるもののいない、素晴らしい真のユートピアの実現ということになる。

新しい社会の幕開けである。

その時、人間はいったいどうなってしまうのか?そこに、どんな世界があらわれるのか?

映画『未来惑星ザルドス』でジョン・ブアマンが描いたような、退屈な生活に生きる意欲を失ってしまうような世界なのか、

あるいは、平安時代の貴族のような、源氏物語や枕草子のような、素直で人間くさい、愛すべき世界なのか、

2045年まであと30年弱。わたしは80歳に近い歳になる。

何とかそこまで生き延びて、その世界を、そしてそこにたどり着くまでの物語りに、社会の参加者として、しっかりと感じ、見て、行動していきたい。

そして、何よりもそれが、子供たちがにっこりと心から笑って暮らせる世の中であって欲しいと、切に、こころから願うのである。

                    <2016.12.5 記>

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2016年12月 3日 (土)

■【マンガ評】『この世界の片隅に』。こうの史代。 小さな記憶の欠片たちの物語。

今、読み終えました。

絶対に泣くと思ったのに、、、

しかし、・・・・なんだろう、このすっきりした気分は。

■とてもおおらかで、やさしく、かわいらしい物語がつづく。

天然で、一生懸命な、すず。

おとうさん、おかあさん、おばあちゃん、すみちゃん、鬼いちゃん。

周作さん、お義父さん、お義母さん、お義姉さん、晴美ちゃん。

隣組のみなさん。

リンさん。

哲さん。

■だが、呉への空襲がはじまっても、それでも続けてきた「普通」の生活も、爆撃が残した時限爆弾で晴美ちゃんと、そのやわらかくちいさな手を握っていた右手を失ったとき、すべてが狂い始める。

 
嘘だ。
  

目の前のやさしさも、笑顔も、すべてが歪んだ嘘にまみれたものに見え、でもそれは自分が歪んでいるからだとわかっていて、その宙ぶらりんな中に、すずは落下していく。

それでも、それでも、懸命に生きたのに、終戦の玉音放送ですべてが終わりになってしまう。

道に転がる死体には目をつぶりながら精一杯、普通を守ろうと頑張ってきたのに、今更何を言っているのか。

悔しさに震えながら泣き崩れる、そんなすずのあたまを、やさしい右手がなでてくれる。

それに、すずはふと我にかえるのだが、何が起きたのか、ここではまだ気が付かない。

■終戦のどたばたが少し落ち着きを取り戻し、すずは隣組の刈谷さんと衣服を食料に交換してもらうために遠出をする。

その帰り、行き倒れになった広島の被災者が自分の息子だと気づくことができなかったという、刈谷さんの壮絶なことばに触れたとき、すずは気づくのだ。

 
なんでうちが生き残ったんかわからんし

晴美さんを思うて泣く資格は うちにはない気がします

でもけっきょく うちの居場所は ここなんですよね

生きとろうが 死んどろうが 

もう会えん人が居って

うちしか持っとらん それの記憶がある

うちはその記憶の器として 

この世界に在り続けるしかないんですよね

晴美さんとは一緒に笑うた記憶しかない

じゃけえ 笑うたびに思い出します

たぶんずっと 何十年経っても
 

このシーンのすずの晴れやかな顔。

 
この世界で 普通で まともで居ってくれ

わしを笑うて思い出してくれ

それが出来んようなら忘れてくれ
 

哲が、すずに残していった記憶が、すずをそこに導いてくれる。

そこに差し込むさわやかな光に、震えるシーンだ。

■あのとき、泣き崩れるすずのあたまをやさしくなでたのは、失ってしまった彼女自身の右手だったのだ。

その右手は、これまで生きてきた彼女のたいせつな、ひとつひとつの思い出とともにあった存在なのだ。

軍艦を見に行きたいという晴美ちゃんの手をにぎり、

リンさんにすいかやハッカ飴の絵を描いてあげ、

小学校6年生の波間にはねるうさぎを描いたその右手は、もう、すずの右腕にはないけれど、

ずっと、そこにあり続けていたのだ。

■人は、記憶として生きている。

それは比喩でもなんでもなく、だれかの記憶として生きているものなのだ。

この世界の片隅で、周作にみつけてもらい、その記憶として、すずは立派に生きている。

それはちいさな、切れ切れの愛。

そのちいさな記憶の、ちいさな愛の重ね合わせで、この世界は出来ているのだ。

  

だれでも この世界で そうそう居場所は無うなりやせんよ

 

死んでしまえば記憶は消えるとリンさんは言ったけど、リンさん自身は消えたとしても、幼い頃、おじさんの家で出会った座敷わらしの記憶とごたまぜになりながら、すずに寄り添いながら生きている。

戦争で、いっぱい人が死んだけれど、何万人とか何十万人とか、そういう統計学から離れたところで、その亡くなったひとりひとりが、それぞれに関わり合った人たちの記憶の欠片となって、生き続けているのだ。

生きてる人も、死んでしまった人も、会うことがなってしまった人も、みんな。

                       <2016.12.3 記>

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