育児

2009年11月10日 (火)

■【書評】2日で人生が変わる「箱」の法則。心の戦争、心の平和。

’2日で人生が変わる’っていうのは大袈裟だけれども、確かにものの見方が少し変わったような気がする。

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■2日で人生が変わる「箱」の法則

■本書はベストセラー『自分の小さな「箱」から脱出する方法』の続編であり、かつエピソードゼロ的本である。

前作で主人公を「箱」の外に導いたルー・ハーバートが今回の主役。

犯罪に手を染めた息子が40日間の矯正キャンプに送り込まれることになるのだが、それを始めるに当たってその親を対象にした2日間のプログラムが実施される。

ルーはそのプログラムで、変わらなければならないのは息子ではなく実は自分自身だったということに、そして自分のこころを閉じ込め苦しめている「箱」の存在について自ら気付いていく、という内容だ。

■前著では、「箱」=自己欺瞞の概念の説明、そこからの脱出方法=相手を人間と見る、というところに重点を置かれていたが、今回はそれをさらに深堀りし、特に、相手を「モノ」ではなく「人間」としてみる、という方を繰り返し繰り返し説いていく。

「優越」、「当然」、「体裁」、「劣等感」。

そういった歪んだものの見方に捉われ、相手に不満をもって接するとき、人間はその相手を「モノ」として見ている。

自分と同じ血の通った人間であると感じることが出来ず、やっかいな「モノ」として扱ってしまう。

■すると相手も同じように自分を「モノ」として扱うようになり、不満が不満を呼ぶ連鎖反応が生じて人間らしい思いやりのある関係が消え去る。

心の戦争状態が生じ、安らかな心の平和が乱されてしまう。

それは家庭や職場で起きることだが、その個々人の心の荒みは民族間の憎しみ、ひいては戦争にまでつながっていく。

それを避けるためには、まず、自分自身、ひとりひとりが「箱」から出る、つまり相手をひとりの人間として捉え、その気持ちに寄り添うこと。そこからすべては始まっていくのだ。

■けれど、それはちょっときれいごと過ぎるのではないか。

そう感じたのは事実である。

世の中には理不尽な、人を人とも思わない嫌なヤツがいて、そんなきれいごとでは済まされないことだってあるだろう。

「箱」から出る=相手を思いやる、いい子ちゃんでいること。

そんなことで問題が解決するなんておとぎ話もいいところだ。

■ところが、読み進めるうちに、そうでもないか、と思えるようになってきた。

こころの中に小さな変化が生まれてきた。

本書の中で主人公のルー・ハーバートを導く役割りを担う二人の講師はユダヤ人とパレスチナ人で、しかも二人ともイスラエルでの民族間の憎悪と戦争の渦のなかで大切な人を失っている。

その二人の体験からは、その根幹に平和への祈りのようなものが流れているように感じとれるのだ。

■世の中にはどうしようもないヤツはいるものである。

こっちが自己欺瞞を乗り越え、冷静に、思いやりをもって対したとしても、そこにつけ込もうとするに違いない、酷いヤツはいる。

けれども、相手が決して変わらないとしても、それでもその相手を人間と見て思いやる。

そこに生まれるのは自分の心の平穏である。

自分の人生に言い訳をしない、真っ直ぐで澄み切った生き方である。

■親鸞がいう悪人正機説「善人なおもて成仏す。いわんや悪人や」というのは、悪人だからこそ罪を背負った苦しみの深さゆえに救われる、というものである。

だが、「救い」というものが自らの心の平穏を意味し、「成仏」とは、祈る者の心の中の悲しみや憎しみが消失することを意味するのであれば、「鬼畜のような相手」と考える自分自身の中にある苦しみ、それこそが救いの対象なのではないか。

「悪人」が救われるのではなく、「悪人」に苦しめられたこちら側の心が救われる、ということではないのか。

そんなことをぼんやりと考えてみるのである。

 

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                          <2009.11.10 記>

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■2日で人生が変わる「箱」の法則
■「自分の小さな「箱」から脱出する方法」の続編ではあるのだが、内容は独立しているのでこの本だけ読むのでもOKだと思います。

   
■関連記事■
■【書評】自分の小さな「箱」から脱出する方法。人間関係がうまくいかない根本原因はどこにあるのか。

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2009年10月10日 (土)

■【書評】自分の小さな「箱」から脱出する方法。人間関係がうまくいかない根本原因はどこにあるのか。

たった一つ、気持ちを切り替えるだけで周りの世界が違って見える。

本書は単なるハウツー本ではなく、「生き方」について気付きを与えてくれる本なのだ。

Photo
■自分の小さな「箱」から脱出する方法
アービンジャー インスティチュート 著 大和書房 (2006/10/19)

■およそ人間関係がうまくいかない原因は、実は自分自身が相手に対して「箱」に入っているからだ、とこの本は説く。

ここでいう「箱」とは自己欺瞞、自分の気持ちを裏切ること。

例えば、失敗をした部下に対して、「何でそんな簡単なことさえ出来ないのか」、と思う、そのとき「私」は「箱」に入っている。

「私」は部下に育って欲しいと考えている、

そういう「自分の本来の気持ち」を裏切り、

「こんなにお前のことを思ってやっているのに」と、怒りの感情に流されてしまう。

■何故かというと、

「こんなにお前のことを思ってやっているのに」

と考えているときの主人公は実は「私」であり、それはそんな「立派な私」を正当化するための自己防衛的な思考となってしまうからだ。

本当に「部下に育って欲しい」と考えるならば、主人公は部下の方であって、その○○さんについて考える、その気持ちを汲み取り、関心をもつ。そのときに自然と湧き上がってくるのが本来の「私」の気持ちにそった行動なのである。

そういったことが、会社の中だけでなく、家庭でも、その他いたるところで起きていて、ギクシャクした人間関係を作り出してしまっている。

■この本では、その「箱」の概念とその驚くべき影響力の大きさ、そしてそこから脱出する方法について、主人公が学んでいくドラマ形式で語られる。

ゆえに非常に面白く、分かりやすい。

いや、むしろ「箱」について伝えるためには、講義形式では非常に困難で、読むものが自分の日常を重ね合わせることができるような形式であることが必要だったのだと思う。

なぜかならば本書のテーマ自体が、「私」と同じように血の通った「相手」にちゃんと関心を持つこと、心を向ける、そこにあったからなのではないだろうか。

■じゃあ、この本に書かれている内容を「理解」したとして、それで人生が明るく開けるか、というと、なかなかそうはいかない。

実は、この本を読んだのは3年ほど前で、その時も非常に感銘をうけて(お節介にも)、他の人に紹介までしてしまった。

それにも関わらず、今回再読してみて、自分が未だにすっぽりと「箱」に入っている現実に気付き、なんとも情けない気持ちに沈んでしまったのである。

■この本の最後の部分にも書かれているのだけれども、「箱」から出た状態を保つことは非常に難しい。

それほどまでに「箱」への誘惑は強烈で、いつの間にかまたそこに捉われてしまう。

ふと、一休さんの悟りに近いものなのかもしれないとおもう。

■「私」という洞穴から去る。

その感覚を掴んだ、とおもう間もなく、人間であるがゆえの煩悩に再び絡めとられてしまい、もとの洞穴に引き戻されてしまう。

けれども、「箱」を意識し続ける限りその洞穴の出口の光は常に目の前に開けるわけで、結局は「箱」を気に留めておく、そこに尽きるのかもしれない。

  
有漏地より 無漏地に帰る 一休み

雨ふらば降れ、風ふかば吹け

                      一休

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                          <2009.10.10 記>

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■自分の小さな「箱」から脱出する方法
■アービンジャー インスティチュート 著 大和書房 (2006/10/19)

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■2日で人生が変わる「箱」の法則
■アービンジャー インスティチュート 著 祥伝社 (2007/9/6)
エピソード・ゼロ的内容なのだそうで、現在取り寄せ中。
面白かったら改めて書評を書いてみたいとおもう。
  

■関連記事■
■【書評】『あっかんべェ一休』、坂口 尚。認めるより仕方ないじゃないか、それが今の’私’なのだから。
■ああ、半年前にも「気付いて」いたんじゃないか。
本当に情けない・・・。
と、おもう「私」もまた洞穴のなか(笑)。

   

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2009年8月25日 (火)

■金魚を飼う。

娘がお祭りの金魚すくいで金魚をもらってきたので

早速DIYのお店で金魚飼育グッズ一式を買ってきた。

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Img_4777

いやあ、かわいいです。金ととちゃん。

金魚を飼うのは小学生以来じゃなかろうか。

何だか娘より父親の方がはしゃいでる感じですな・・・(笑)。
 

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                         <2009.08.25 記>

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Photo ■金魚 飼い方・選び方―品種カタログ付き
  

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2009年8月22日 (土)

■【書評】『しのびよる破局 ― 生体の悲鳴が聞こえるか』、辺見庸。人間の尊厳の恢復は我々一人ひとりの中に。

人間とはいったいなにか。

人間とはいったいどうあるべきなのか。

著者の切々たる想いが込められた本である。

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■しのびよる破局―生体の悲鳴が聞こえるか
辺見 庸 著 大月書店 (2009/04)
※2009年2月1日に放映されたNHK・ETV特集「作家・辺見庸 しのびよる破局のなかで」を基に再構成、大幅補充をしたもの。

■今、我々は複合的な破局に対峙している。

世界同時多発テロ、地球温暖化による気象災害、世界金融恐慌、格差の拡大、新型インフルエンザの流行。

それは決して単独であるものではなく、人間が人間らしさを喪失した、それがすべてをつなぐ伏流水として流れているのだと辺見庸は読む。

■キーワードは’マチエール(身体で実際に感じる質感)’と’慣れ’である。

テロにしても、異常気象にしても、格差の拡大にしても、身体で感じ取ることができない。テレビの、或いはパソコンの画面の中でしか接することができないが故に常に空虚であり、実感がない。

毎年3万人以上が自殺し、その何倍もの数の自殺未遂者がいる異常事態に対して何も感じることができない。

そして、そういった破局の中にあって、すべてのことがらに慣れてしまい、日常の中に消えていってしまう。

それは秋葉原事件を起こした青年の、パソコンや携帯を通してしか世界とつながることが出来なかった空虚さと同質のものなのである。

■その背景には、行き過ぎた資本主義、合理主義、グローバリゼーションが、ある。

「多様化な生き方を可能にする」という名目で改正された派遣労働法がいい例である。

口先ではかっこいいことをいいつつも、結局は人間を景気動向に対する調節弁としてしまった。そうでなければ企業はグローバルな過当競争を生き抜くことが出来ない、企業がつぶれてしまっては元も子もないでしょうと開き直る。

当時、人材を大切にする日本的経営を維持していくとカッコよく唱えた某巨大自動車メーカーが秋葉原事件と無関係ではなかったことの、この皮肉。

■100年に一度の大恐慌といいながら、あれから一年も経たぬうちに景気も底を打ったなどと浮かれた記事を目にしたりする。

もしかすると景気の回復は本当に近いのかもしれない。

けれど辺見さんはいう。

 
 本当に取りもどさなければならないのは、経済の繁栄ではないのではないのかとぼくはおもうのです。人間的な諸価値、いろいろな価値の問いなおしが必要なのではないか。でなければ、絶対悪のパンデミックは、いったん終息してもまたかならずやってくるだろう。もっとひどいかたちでくるかもしれない。(P74)
 

と、同時に

 
 誠実とか愛とか尊厳ということばを、商品世界のコマーシャルのみたいな次元に全部うばわれている、つまり悪は悪の顔をしていないというときに、やっぱり本来のマチエール、愛にせよ誠実にせよ人間の尊厳にせよ、言語の実質、実感というものを取りもどすことだとおもいます。(P117)
  

と語る。

まったく同感である。

そんな中で、

 
「私はかつておまえだった。おまえはやがて私になるだろう。」
 

という警句が、ひときわ響くのである。

 

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                          <2009.08.22 記>

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■しのびよる破局―生体の悲鳴が聞こえるか
辺見 庸 著 大月書店 (2009/04)

   

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■もの食う人びと
辺見 庸 著 角川文庫  (1997/06)

    

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2009年6月27日 (土)

■【書評】『世界の半分が飢えるのはなぜ?』。飢餓を取り巻く構造と、私が生きている世界の構造はつながっているのだ。

父と息子の対話というカタチを通じて、飢餓とその周辺にある問題に対して多面的な見方を示し、育ててくれる、そういう本である。

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■ 世界の半分が飢えるのはなぜ?
―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実

ジャン ジグレール 著、 たかお まゆみ 訳、勝俣 誠 監訳

■FAO(国連食糧農業機関)の1999年の統計によると、世界で「深刻な飢餓状態(明日、餓死してもおかしくない状態)」の人びとは3000万人。その背後に「慢性的な栄養不良」の人々が8億2800万人いるという。

世界が100人の村だったら、でいえば14人が飢えに苦しんでいるという計算になる。

■これを多い数字ととるか、ふーん、それくらいなのか、ととるかは人によって違うだろう。

それは飢餓が発生している仕組みの理不尽さについてどれくらい知っているか、そして何よりも実際の飢餓をどれくらい肌身でわかっているかによって違ってくるのだろう。

■著者のジャン・ジグレールさんは、1934年生まれのスイスの人で、現場を渡り歩く実証的な社会学者であり欧州でもっとも知られた飢餓問題の専門家だ。

起きている事実を分析し、要因を切り分けて考える論理性がしっかりしていて妙な感情論にばかり流されない。提言も極めて具体的。

その一方で飢餓の問題に横たわる構造的理不尽さ(我々は無関係ではないということだ!)に対して時折みせる剥き出しの感情があって、そこが深い共感を呼び込む。

■そういうジグレールさんの「語りかけ」を聞いているうちに、飢餓に対する意識が確実に変わっていく。

それだけではなく、紛争、市場原理主義、環境破壊といった飢餓の元凶に対してその人なりのモノの見方が生まれてくる。

■飢餓の最前線を歩んできたジグレールさん。

その真実味のある言葉を受けた息子のカリムは、それを自分の言葉に置き換えていくであろう。

その過程でカリム自身のオリジナルのモノの見方が構築されていく。

それが、この本を読み終えた私のなかで今起きていることなのである。

■この本の原著が出版されたのは1999年であって、9.11のテロも、それに続くイラク戦争も起きてはいないし、現在進行している市場原理主義を元凶とした世界同時不況の影もない。

けれども、そういった時間軸でのハンディキャップが気にならないのは、そこに語られているのが’出来事’を’構造化’し、本質に迫ったものであるからだ。

だから、古びない。

いや、むしろ、この本を読んで自分のなかで変化、生成した「世界の捉え方」、その捉え方によってその後の出来事について考えることが、ひとつのテストなのだと思う。

その意味で、若い人に是非とも読んで欲しい本である。

  

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                          <2009.06.28 記>

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■世界の半分が飢えるのはなぜ?
―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実

ジャン ジグレール 著、 たかお まゆみ 訳、勝俣 誠 監訳
   

   
■関連記事■
■無邪気なわれわれの罪について考える。『爆笑問題のニッポンの教養』 農学、岩永勝。

        

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2009年6月15日 (月)

■【書評】『名前と人間』、田中克彦。名前という多様性の花。

さまざまな例をひいて「名前」は生きていると実感させる面白い本である。

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■名前と人間 田中 克彦 著、岩波新書 (1996/11)

■ここでいう名前とは固有名詞のことである。

赤とか、花とか、山とか、そういった一般に通用し生活していくうえで必要な普通名詞に対して、ここでは固有名詞は峻厳に区別される。

何故ならば、著者の田中先生は固有名詞を(半ば面白おかしく、半ば真剣に)憎悪しているようなのだ。

■歴史の本を開けば、そこには固有名詞の雨あられであり、教科書においては「それを記憶せよ」という暴力的権威主義に満ち満ちている。

そこには数学や哲学の本のような普通名詞で語られる学問の爽やかさがなく、ケガレているのだという。

■だがその一方で、固有名詞には極めて人間的な要素がこびりついていて、好むと好まざるとに関わらずその言葉固有の物語をその内に含んでいる。

そのことが、固有名詞に対する想いをさらに複雑にさせているように見える。

■19世紀半ば、J・S・ミルは論理学のはなしの中で、固有名詞は普通名詞から意味を取り去ることで成るとした。

「ベイカー」さんという苗字に「パン屋」という意味がくっついていては調子が悪い、ということである。

それはなるほどその通り。

けれども、ベイカーさんという人を知ったときに我々は
 

あ、この人の先祖はパン屋さんだったのかもしれないな、

 
なんていう想像をしてしまい、ベイカーさんはパン屋から自由になることは難しい。

その意味で現実の固有名詞はJ・S・ミルの愛する論理学の世界のようには爽やかにはいかず、どうしても何らかの意味を引きずってしまうのだ。

■「千と千尋の神隠し」において、湯バア婆が千尋(ちひろ)の名を千(せん)に変えてしまう話がある。

ここで興味深いのは、異界で生きるための名前、千(せん)と呼ばれ続けた彼女が、いつの間にか自分自身も本当の名前を忘れかけてしまうことで、もとの世界での自分自身(存在)も同時に消えかけてしまう、そういう恐ろしさが暗示される場面だ。

この神話的なエピソードが我々をひきつけるのは、「名前には意味がある」というだけでなく、「名付けられる対象が名前の通りになっていく」というイメージを心のどこかで了解しているからなのではないだろうか。

■それはサッポロ、メマンベツ、オビヒロというアイヌ語を入植者が札幌、女満別、帯広と表記したときに消え去ってしまったものである。

そこで失われるのは意味だけではなく、これまで引き継がれ息づいていた固有の文化なのだ。

名前とは、歴史の教科書という標本箱の中に収めるものではなくて、今、この生において声に出して呼びかけることではじめて在るものなのかもしれない。
  

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                           <2009.06.15 記>

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■名前と人間 田中 克彦 著、岩波新書 (1996/11)
   

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■ことばと国家  田中 克彦 著、岩波新書 (1981/11)
■母語、という概念をこの本で学びました。
昔、教科書で読んだ「最後の授業」についてフランス人の独善が暴かれる話も小気味良かったです。

   
■関連記事■

■コトバの支配からの逸脱。『爆笑問題のニッポンの教養』 社会言語学・田中克彦。
 

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2009年5月29日 (金)

■【映画評】『ブリキの太鼓』。あの小人たちは何処へいってしまったのか。

いやーな味の映画である。

それでいて観る者をつよく惹きつけて放さない。

’毒’とは、そういうものなのだろうか。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.27  『 ブリキの太鼓
           原題: Die Blechtrommel
          監督 フォルカー・シュレンドルフ 公開:1979年5月(ドイツ)
       出演: ダーフィト・ベンネント アンゲラ・ヴィンクラー 他

          Photo

■いろいろと解釈が出来そうな映画なのだけれど、安易に進めば泥沼にはまってしまいそうな予感を含んでいる。

理屈ではなくて、作品そのものが放つ’毒’をそのまま満喫する、というのが無難な観かたなのかもしれない。

■ストーリー■
1899年、ポーランド・ダンツィヒ。

郊外のカシュバイの荒野で4枚のスカートをはいて芋を焼いていたアンナは、その場に逃げてきた放火魔コリャイチェクをそのスカートの中にかくまい、それが因でアンナは女の子を生んだ。

1924年、アンナの娘・アグネスは成長し、ドイツ人のアルフレートと結婚するが、従兄のポーランド人ヤンと愛し合いオスカルを生む。

3歳の誕生日を迎えたオスカルは母アグネスからブリキの太鼓を買い与えられるが、その晩、大人たちの醜い世界を覗き見て嫌気がさし、階段から落ちることで自らの成長を止める。それとともに彼は太鼓を叩きながら奇声を発することで周囲のガラスを破壊する能力を得る。

ナチスの台頭が町を脅かす中、密会を重ねるアグネスは再びヤンの子どもを身ごもり、自殺。16歳を迎えるも幼い容姿のままのオスカルは、家にやってきた同じ年齢の使用人のマリアを愛するが、父アルフレートの後妻に納まってしまい息子を身ごもる。

失意のオスカルは、かつて友情を育んだ小人症のサーカス団長ペプラの一座と一緒にさすらいの旅に出るのだが・・・。

■[DVD] ブリキの太鼓 HDニューマスター版

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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■解釈をするな、

といわれても、どうしてもいろいろと考えてしまう。

見た直後には、どこかドライな関係を残した欧米の親子関係に感じる、違和感のようなものについてぼんやりと考えていた。

けれども、記事を書くにあたってもう一度じっくり咀嚼してみると、そんなことよりもずっと「際どい」ものがそこに横たわっているのではないかという気もして、改めてそういう視点から眺めてみようと思う。

■この映画から強く受け止めたイメージは、

・祖母のスカートの中に始まるエロティシズム

・オスカルが発する奇声と割れるガラス

・サーカス団のフリークスたちの異形

といったところだろうか。

そして、その背景にナチスの台頭と崩壊という時代のうねりがある。

■このナチス(と、それに続く旧ソ連?)の抑圧を抜きにして、この物語を語るのは憚られるような気がするのだが、ポーランド人でもドイツ人でもユダヤ人でもスラブ系少数民族のカシュバイ人でもない自分が、そこに流れる何かをつかめるとは到底おもえない。

けれども、放浪者の血、という文脈でなら、この日本においても何かが見えてくる可能性はある。

■’異者’の物語といってもいい。

母と叔父から放浪者である祖母の血を強く受け継いだオスカルは明らかに’異者’である。

彼はそれを否定すべく成長を拒絶するのだが、結局、’異者’である彼が落ち着く場所は小人症の男を団長とする旅のサーカス団以外にはない。

しかも皮肉なことに、戦時下においてそのサーカスは慰問団として、本来は’異者’を排除する立場のナチスの部隊をめぐることになる。

■連合軍の侵攻から逃れ、小人の麗人ロスヴィーダの死に打ちひしがれて故郷に帰るとことなったオスカルは、そこに自らの場所を見出せない。

そして血のつながらぬ父親を罠に嵌めて殺してしまうことで、群れのなかのオスとしての地位を得ようとする。

そこで、放浪のあいだに成長し、3歳を迎えた息子(だとオスカルが信じる)の投げた石で気絶し、アタマを打ったオスカルは再び身体的な成長を始める。

■このとき、オスカルの実年齢は20歳前後。

’大人’になるにはちょうどいい頃合いだ。

祖母アンナからカシュバイ人としての生き方を聞かされたオスカルは、後を息子のクルトに託して再び放浪の旅に出るのであった・・・。

■さて、われわれの世界に目を戻そう。

われわれにとっての’異者’とは何か、という問題である。

そこでふと思うのは、かつてテレビで良く目にした小人症の俳優さんたちのことだ。

最近、すっかり目にすることがなくなってしまったのは気のせいか?

■それだけでなく、ピグミーとかホッテントットとかの’異様な’民族の映像もテレビから消えて久しい。
 

世の中から’異者’が消されている。

 
そういう印象を抱いてしまうのである。

■故郷に戻ったオスカルは、結局、再び放浪の旅に出る。

それが’異者’の定めであるかのように。

テレビの画面から消えうせた小人症の役者やプロレスラーたちも、きっとどこかで元気に暮らしているに違いない。

ただ、「テレビ」という舞台が日常の色に染まりすぎて彼らの「存在感」の強さに耐えられなくなってしまったのである。

■世はダイバーシティ(多様性)だ、なんだというけれど、所詮は日常で受け入れることが難しい’異者’は清潔なテーブルクロスの向こうにしまわれたままだ。

けれど、
 

そこの議論を抜きにして先に進めてはならない、

 
なんて優等生的なことは考えるのは止した方がいいだろう。

なぜなら、ここでかくいう私自身が’差別’に関して余りにも無知であって、実際’清潔なテーブルクロス’のこちら側しか認識できなくなってしまっているからだ。

要は、そういう自分も同じ穴のムジナだということだ。

■この映画を見たときに覚える違和感は、あえて’毒’という表現をしたが、そのテーブルクロスの向こうに追いやったものに対する感覚なのかもしれない。

今、私が感じることができるのはここまで。

あとはただ、この映画が提示してくれた’毒’に軽い酔いを覚えてその’存在’にこころを向けるだけである。

そしてオスカルは今日も放浪の空の下。

行く先は見えない。
  

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                           <2008.05.29 記>

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Dvd
■[DVD] ブリキの太鼓 HDニューマスター版

    
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■[原作] ブリキの太鼓 第1部
ギュンター・グラス 著 (集英社文庫)
   

■STAFF■
監督 フォルカー・シュレンドルフ
製作 アナトール・ドーマン、フランツ・ザイツ
脚本 ジャン=クロード・カリエール
ギュンター・グラス
フォルカー・シュレンドルフ
フランツ・ザイツ
音楽 モーリス・ジャール
撮影 イゴール・ルター
編集 スザンネ・バロン



■CAST■
オスカル・マツェラート   : ダーフィト・ベンネント
アルフレート (父)    : マリオ・アドルフ
アグネス   (母)    : アンゲラ・ヴィンクラー
   *     *     *
ヤン     (アグネスの従兄弟): ダニエル・オルブリフスキ
マリア    (後妻)    : カタリーナ・タールバッハ

アンナ    (祖母)    : ティーナ・エンゲル、ベルタ・ドレーフス
ヨーゼフ   (祖父、放火魔) : ローラント・トイプナー
   *     *     * 
ベブラ    (サーカス団の団長)     : フリッツ・ハックル
ロスヴィーダ (サーカス団のヒロイン)  : マリエラ・オリヴェリ
マルクス (おもちゃ屋主人、ユダヤ人) : シャルル・アズナヴール

    
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2009年5月25日 (月)

■草食男子はスターチャイルドの夢を見るか? 『爆笑問題のニッポンの教養』 進化生物学、長谷川眞理子。

今回のテーマは、進化生物学。

File071
■ 爆問学問 『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE071:「ヒトと殺しと男と女」 2009.5.19放送
総合研究大学院大学先導科学研究科教授 長谷川眞理子。

■何が興味深かったかって、やっぱり殺人統計の話。

殺人を犯すのは圧倒的に男で、それも20代前半に突出している。しかも、世界のどこでもそれが変わらない、という話だ。

■この事実(?)からはいろんなことを考えることが出来て、例えば、世界中の’ヒト’に見られる傾向であるならば、それが遺伝子的に決定されていることだと仮説を立てることも可能だし、そうすると、生きものとしての’ヒト’のオスが繁殖期の絶頂において競争相手を’殺す’という意味付けも浮かび上がってくる。

20代前半の男性が起こした殺人の理由を調べてみると、これまた圧倒的に面子にかかわる話だったりして、その点でも先の仮説を補強するもののようにも思えてくる。

■太田は、

女は花が好きだ、

という。

それは大体において当てはまるようである。

■何故?といわれても説明はつかないだろう。

ただ、

キレイだから、カワイイから。

ということなのだろうし、男のクセに野草に惹かれる私自身、そこに理屈を見出すことは出来ない。

このあたりに、実は、今回の話の本質が隠れているような気がする。

■女は花が好きだ、

女は情緒的である。

と言い換えてみると分かりやすいかもしれない。

逆に言えば、男は論理的な考え方をする、ということだ。

■これは、一般的な見方として世間に定着している捉え方といっていいだろう。

チョッと待て!

という鋭い反論が出てくる前に先手を打つと、男が論理的思考を重んじるのは’理解力の無さ’を補完するためなのじゃないか、ということを言いたいのである。

要するに’男’はバカだ、ということで、

逆に女からすると

’こんなことも分からないの?鈍感ね!’

となるのである。

■男は’何となく分かってしまう’という能力で女性に対して劣っていて、だから理屈を考える。

それはソクラテスの昔からそうであって、どうして?、と問いを立てることを生業とする哲学者は圧倒的に男が多いのである。

女は、’分かってしまう’から、そんな問いを立てる必要が無いということだ。

論理を土台にした現在の科学技術社会は、ある意味、男が理解力を得るためにした努力の副産物だ、という皮肉な話なのかもしれない。
  

■かなり寄り道をしてしまった。

殺人の話に戻ることにしよう。

  
「殺してはいけない」、

ということは、理屈抜きに女には分かる。

男は「何でだろうね?」とそこに理由を求めてしまう。

けれども、先の仮説によるならば、オトコがヒトを殺してしまうのは意識の下の深いところに埋め込まれたものからくるものであって、誤解を恐れずに言えば、理屈で制御できるものではない。

■つい、カッとなってしまって。

というのに、どうしても許せない’理由’をつけるのはその後の話で、’カッとなるその’瞬間にはそもそも理性など無いのだ。

そこにあるのは、「殺せ!」と命令する若いケモノの本能と、「殺してはいけない。」と問答無用に本能を抑え付けてくる’何か’。

その’何か’こそが、女が’知っている’ものであって、法律や道徳といった集団のルールの根元の奥のその底に横たわっている’何か’なのだ。

■そこで草食男子、である。

実は、コロシは20代前半の男性において突出しているという先の原則が唯一当てはまらない特異点があって、それが現代の日本なのだという。

日本人青年はむやみにヒトを殺さなくなってしまったのである。

■それをどう読むかといったときに、長谷川先生は、「一生懸命」の話をする。

動物が如何に生きているかを学んでいるときに学生が言うのだそうだ。

 
 なんで、そんなに一生懸命なんでしょうね。
 

長谷川先生は唖然としながらも、自然界では一生懸命でなきゃ’存在’できないこと、我々人間のように一生懸命でなくても’存在’し続けることが出来る方が例外的であること、そしてその人が一生懸命でない分、どこかでそれを支えている人がいるのだ、ということを伝えるのだという。

うーむ、いい話。

でも、その延長線上に草食男子を捉えるのはどうだろう。

■戦後日本の驚異的な経済成長と、一億総中流という幻想、どこの共産主義国よりも平等な’ムラ’社会。

この幸福な状況は、一方で日本の青少年のオスとしての本能をダメにしてしまい、その結果、殺人の件数も他の世代と変わらないくらいに減少してしまったのではないか。という説である。

こういう視点で格差社会、不安な社会となってしまった今の日本の状況を考えると、また青年の殺人件数が増えてくるのではないか、という予測が立つ。

■そうなのかもしれない。

多分、きっとそうなんだろう。

でも、それじゃあ面白くない。草食男子を戦後日本の特異な状況が生んだアダ花だなどと思いたくは無いのだ。

■そうではなくて、人類の新しい進化のカタチだ、というのはどうだろうか。

見た目の変化は無いけれど、オスでありながら女が’知っている’ものを’知っている’。

女のように’分かってしまう’。

それ故に、彼を突き動かそうとする本能に対して、それをしっかりと抑えつける’何か’がシッカリと機能する。

■今までは、あれに興味が無い=子孫を残せない、ということで、当然のことながらそういう「品種」は淘汰されてきた。

が、現代では性交に拠らずとも子供が作れるし、それ以前に子作りという目的意識をもってコトに及ぶというのもありだろう。

次世代の人類が静かにゆっくりと増加していく様子や彼らが作り出すであろう社会を空想すると、それなりに楽しめる。
   

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                       <2009.05.25 記>

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■ 進化と人間行動 長谷川 寿一/長谷川 真理子 著 東京大学出版会 (2000/04)

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2009年5月 2日 (土)

■【書評】『野の花えほん 春と夏の花』、やわらかい雰囲気がいい味を出している。

知り合いに紹介されて早速購入。これはいい。

Photo ■野の花えほん 春と夏の花

ネットとか図鑑は写真なので分かりづらいところがあるのだが、解説付きのイラストだとその野草の特徴がすんなり頭に入ってくる。

名前の由来だとか、食べ方(!)だとかの野草の雑学も載っていて、眺めているだけで楽しめる本である。

全部で50ページに満たない本なのだけれどもツボはしっかり押さえているし、むしろそれが取っ付き易さにつながっているようにも思える。

絵本として子供といっしょに眺めるのもいいかもしれない。

野草好きの人にはお薦めの本である。

  

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2009年2月25日 (水)

■NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる。不安を抱えて孤立している状態はやっぱり良くないということで。

■Nスペでうつの話をみた。

今までのうつ病に対する認識を改めなければならない状況になってきている、という。

NスペのHPの表現を借りれば、

「これまで『心のカゼ』と呼ばれ、休養を取り、抗うつ薬を服用すれば半年から1年で治ると考えられてきたが、現実には4人に1人は治療が2年以上かかり、半数が再発する。」

ということなのだ。

■その原因のひとつとして、いろいろな種類の抗うつ剤を大量に処方され、かえってうつの病状を悪化させているケースがあって、実際に別の医者のところに駆け込んで抗うつ剤を整理して減らした途端、ものの数ヶ月で日常生活が送ることができるところまで回復した女性の例が紹介された。

別の例では、5、6ヶ所いろんな病院へ行ってみたら薬の処方がテンでバラバラで、驚くことに初診にも関わらず3種類以上の抗うつ剤をまとめて出した医者もいる。

■どうも最近、双極性障害Ⅱ型(躁うつ病)とか、非定型うつ病とかいった別の種類の気分障害が増えてきていて、うつ病と診断されてはいるのだけれど実際には違う病気なものだから、抗うつ剤を飲んでもなかなか治らない、ということもあるらしい。

その背景には、メンタルヘルスが流行りだということで、精神病の臨床経験がほとんど無いような医者が開業して精神科を標榜している例があり、複雑な症状を見極める診断能力の無い、ありていにいえばヤブ医者が増殖しているという現状がある。

さらには、信じられないことだけれど、説明もなしにいきなり注射をしたり、同じ効果のクスリを複数出したりして、要するに精神科の治療をゼニ儲けとしてしか考えていない輩までいるというのだから恐れ入る。

■・・・けどね、

こういう不安を煽り立てるような論調はいかがなものか。

それは確かに事実としてそういうことはあるのだろうし、投薬の狙いと副作用を説明しない医者なんぞは論外だと思う。

■でも、ちゃんとした治療を受けながらも病状が回復途上のまま、なかなかその先に進んでいかない患者さんもいるのだということ、いやむしろ、そういう不安を抱えている人の方が圧倒的に多いのが実態なのではなかろうか。

うつからの回復の為に必要なのは、焦らず、まあいいか、とゆったり構えることであって、それが何とも難しいのだけれども、少なくとも危機感を煽られることでイイことはあまり無い、ということは言えるだろう。

■とはいえ、うつを抱えて孤立している状態が続くと本人にとっても家族にとっても「このままでいいのだろうか」という漠然とした不安がつのるばかり。

あれこれネットで検索したり手当たり次第に本を読んでも、情報が増えるばっかりで、こんどは何が正しいのかが分からなくなって却って混乱を招いたりするものである。

■そういうときは、カウンセラーだとかの専門家にしっかり時間をかけて話を聞いてもらうことだと思う。

話をしているうちに自然と問題が整理されてくるものだし、第三者的立場からの客観的な意見がもらえて、今、自分がどうすればいいかが見えてくることもある。(もちろん当たり外れはありますが・・・。)

また、各県にある障害者職業センターで行われている復職支援プログラム(リワーク)とか、民間のクリニックで行われているプログラムを実際に受けてみるのもいいと思う。

同じ悩みを抱えている人と交流できる場を持つと、ひとりじゃない、という実感があって心強いものである。

                          <2009.02.25 記>

●地域障害者職業センター
(独立行政法人 高齢・障害者職業支援機構)
http://www.jeed.or.jp/jeed/location/loc01.html#03

    

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■ うつからの脱出―プチ認知療法で「自信回復作戦」
■下園 壮太 著 日本評論社 (2004/05)
   
■うまく表現できない、うつのつらい気持ちを分かってくれる、寄り添ってくれているあたたかさを感じる本であり、この病気を理解する上でオススメ出来る一冊。

番組でも言っていたけれど、抗うつ剤による治療だけではなかなか治っていかないのが実際であって、じゃあどうすればいいのか、という「作戦」も具体的に記されていて有用だと思う。(何しろ著者は自衛隊で「うつからの救出作戦(カウンセリング)」を幾千もこなしてきた猛者なのだ。)

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2008_12_16_03

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