育児

2009年11月10日 (火)

■【書評】2日で人生が変わる「箱」の法則。心の戦争、心の平和。

’2日で人生が変わる’っていうのは大袈裟だけれども、確かにものの見方が少し変わったような気がする。

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■2日で人生が変わる「箱」の法則

■本書はベストセラー『自分の小さな「箱」から脱出する方法』の続編であり、かつエピソードゼロ的本である。

前作で主人公を「箱」の外に導いたルー・ハーバートが今回の主役。

犯罪に手を染めた息子が40日間の矯正キャンプに送り込まれることになるのだが、それを始めるに当たってその親を対象にした2日間のプログラムが実施される。

ルーはそのプログラムで、変わらなければならないのは息子ではなく実は自分自身だったということに、そして自分のこころを閉じ込め苦しめている「箱」の存在について自ら気付いていく、という内容だ。

■前著では、「箱」=自己欺瞞の概念の説明、そこからの脱出方法=相手を人間と見る、というところに重点を置かれていたが、今回はそれをさらに深堀りし、特に、相手を「モノ」ではなく「人間」としてみる、という方を繰り返し繰り返し説いていく。

「優越」、「当然」、「体裁」、「劣等感」。

そういった歪んだものの見方に捉われ、相手に不満をもって接するとき、人間はその相手を「モノ」として見ている。

自分と同じ血の通った人間であると感じることが出来ず、やっかいな「モノ」として扱ってしまう。

■すると相手も同じように自分を「モノ」として扱うようになり、不満が不満を呼ぶ連鎖反応が生じて人間らしい思いやりのある関係が消え去る。

心の戦争状態が生じ、安らかな心の平和が乱されてしまう。

それは家庭や職場で起きることだが、その個々人の心の荒みは民族間の憎しみ、ひいては戦争にまでつながっていく。

それを避けるためには、まず、自分自身、ひとりひとりが「箱」から出る、つまり相手をひとりの人間として捉え、その気持ちに寄り添うこと。そこからすべては始まっていくのだ。

■けれど、それはちょっときれいごと過ぎるのではないか。

そう感じたのは事実である。

世の中には理不尽な、人を人とも思わない嫌なヤツがいて、そんなきれいごとでは済まされないことだってあるだろう。

「箱」から出る=相手を思いやる、いい子ちゃんでいること。

そんなことで問題が解決するなんておとぎ話もいいところだ。

■ところが、読み進めるうちに、そうでもないか、と思えるようになってきた。

こころの中に小さな変化が生まれてきた。

本書の中で主人公のルー・ハーバートを導く役割りを担う二人の講師はユダヤ人とパレスチナ人で、しかも二人ともイスラエルでの民族間の憎悪と戦争の渦のなかで大切な人を失っている。

その二人の体験からは、その根幹に平和への祈りのようなものが流れているように感じとれるのだ。

■世の中にはどうしようもないヤツはいるものである。

こっちが自己欺瞞を乗り越え、冷静に、思いやりをもって対したとしても、そこにつけ込もうとするに違いない、酷いヤツはいる。

けれども、相手が決して変わらないとしても、それでもその相手を人間と見て思いやる。

そこに生まれるのは自分の心の平穏である。

自分の人生に言い訳をしない、真っ直ぐで澄み切った生き方である。

■親鸞がいう悪人正機説「善人なおもて成仏す。いわんや悪人や」というのは、悪人だからこそ罪を背負った苦しみの深さゆえに救われる、というものである。

だが、「救い」というものが自らの心の平穏を意味し、「成仏」とは、祈る者の心の中の悲しみや憎しみが消失することを意味するのであれば、「鬼畜のような相手」と考える自分自身の中にある苦しみ、それこそが救いの対象なのではないか。

「悪人」が救われるのではなく、「悪人」に苦しめられたこちら側の心が救われる、ということではないのか。

そんなことをぼんやりと考えてみるのである。

 

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                          <2009.11.10 記>

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■2日で人生が変わる「箱」の法則
■「自分の小さな「箱」から脱出する方法」の続編ではあるのだが、内容は独立しているのでこの本だけ読むのでもOKだと思います。

   
■関連記事■
■【書評】自分の小さな「箱」から脱出する方法。人間関係がうまくいかない根本原因はどこにあるのか。

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2009年10月10日 (土)

■【書評】自分の小さな「箱」から脱出する方法。人間関係がうまくいかない根本原因はどこにあるのか。

たった一つ、気持ちを切り替えるだけで周りの世界が違って見える。

本書は単なるハウツー本ではなく、「生き方」について気付きを与えてくれる本なのだ。

Photo
■自分の小さな「箱」から脱出する方法
アービンジャー インスティチュート 著 大和書房 (2006/10/19)

■およそ人間関係がうまくいかない原因は、実は自分自身が相手に対して「箱」に入っているからだ、とこの本は説く。

ここでいう「箱」とは自己欺瞞、自分の気持ちを裏切ること。

例えば、失敗をした部下に対して、「何でそんな簡単なことさえ出来ないのか」、と思う、そのとき「私」は「箱」に入っている。

「私」は部下に育って欲しいと考えている、

そういう「自分の本来の気持ち」を裏切り、

「こんなにお前のことを思ってやっているのに」と、怒りの感情に流されてしまう。

■何故かというと、

「こんなにお前のことを思ってやっているのに」

と考えているときの主人公は実は「私」であり、それはそんな「立派な私」を正当化するための自己防衛的な思考となってしまうからだ。

本当に「部下に育って欲しい」と考えるならば、主人公は部下の方であって、その○○さんについて考える、その気持ちを汲み取り、関心をもつ。そのときに自然と湧き上がってくるのが本来の「私」の気持ちにそった行動なのである。

そういったことが、会社の中だけでなく、家庭でも、その他いたるところで起きていて、ギクシャクした人間関係を作り出してしまっている。

■この本では、その「箱」の概念とその驚くべき影響力の大きさ、そしてそこから脱出する方法について、主人公が学んでいくドラマ形式で語られる。

ゆえに非常に面白く、分かりやすい。

いや、むしろ「箱」について伝えるためには、講義形式では非常に困難で、読むものが自分の日常を重ね合わせることができるような形式であることが必要だったのだと思う。

なぜかならば本書のテーマ自体が、「私」と同じように血の通った「相手」にちゃんと関心を持つこと、心を向ける、そこにあったからなのではないだろうか。

■じゃあ、この本に書かれている内容を「理解」したとして、それで人生が明るく開けるか、というと、なかなかそうはいかない。

実は、この本を読んだのは3年ほど前で、その時も非常に感銘をうけて(お節介にも)、他の人に紹介までしてしまった。

それにも関わらず、今回再読してみて、自分が未だにすっぽりと「箱」に入っている現実に気付き、なんとも情けない気持ちに沈んでしまったのである。

■この本の最後の部分にも書かれているのだけれども、「箱」から出た状態を保つことは非常に難しい。

それほどまでに「箱」への誘惑は強烈で、いつの間にかまたそこに捉われてしまう。

ふと、一休さんの悟りに近いものなのかもしれないとおもう。

■「私」という洞穴から去る。

その感覚を掴んだ、とおもう間もなく、人間であるがゆえの煩悩に再び絡めとられてしまい、もとの洞穴に引き戻されてしまう。

けれども、「箱」を意識し続ける限りその洞穴の出口の光は常に目の前に開けるわけで、結局は「箱」を気に留めておく、そこに尽きるのかもしれない。

  
有漏地より 無漏地に帰る 一休み

雨ふらば降れ、風ふかば吹け

                      一休

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                          <2009.10.10 記>

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■自分の小さな「箱」から脱出する方法
■アービンジャー インスティチュート 著 大和書房 (2006/10/19)

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■2日で人生が変わる「箱」の法則
■アービンジャー インスティチュート 著 祥伝社 (2007/9/6)
エピソード・ゼロ的内容なのだそうで、現在取り寄せ中。
面白かったら改めて書評を書いてみたいとおもう。
  

■関連記事■
■【書評】『あっかんべェ一休』、坂口 尚。認めるより仕方ないじゃないか、それが今の’私’なのだから。
■ああ、半年前にも「気付いて」いたんじゃないか。
本当に情けない・・・。
と、おもう「私」もまた洞穴のなか(笑)。

   

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2009年8月25日 (火)

■金魚を飼う。

娘がお祭りの金魚すくいで金魚をもらってきたので

早速DIYのお店で金魚飼育グッズ一式を買ってきた。

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Img_4777

いやあ、かわいいです。金ととちゃん。

金魚を飼うのは小学生以来じゃなかろうか。

何だか娘より父親の方がはしゃいでる感じですな・・・(笑)。
 

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                         <2009.08.25 記>

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Photo ■金魚 飼い方・選び方―品種カタログ付き
  

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2009年8月22日 (土)

■【書評】『しのびよる破局 ― 生体の悲鳴が聞こえるか』、辺見庸。人間の尊厳の恢復は我々一人ひとりの中に。

人間とはいったいなにか。

人間とはいったいどうあるべきなのか。

著者の切々たる想いが込められた本である。

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■しのびよる破局―生体の悲鳴が聞こえるか
辺見 庸 著 大月書店 (2009/04)
※2009年2月1日に放映されたNHK・ETV特集「作家・辺見庸 しのびよる破局のなかで」を基に再構成、大幅補充をしたもの。

■今、我々は複合的な破局に対峙している。

世界同時多発テロ、地球温暖化による気象災害、世界金融恐慌、格差の拡大、新型インフルエンザの流行。

それは決して単独であるものではなく、人間が人間らしさを喪失した、それがすべてをつなぐ伏流水として流れているのだと辺見庸は読む。

■キーワードは’マチエール(身体で実際に感じる質感)’と’慣れ’である。

テロにしても、異常気象にしても、格差の拡大にしても、身体で感じ取ることができない。テレビの、或いはパソコンの画面の中でしか接することができないが故に常に空虚であり、実感がない。

毎年3万人以上が自殺し、その何倍もの数の自殺未遂者がいる異常事態に対して何も感じることができない。

そして、そういった破局の中にあって、すべてのことがらに慣れてしまい、日常の中に消えていってしまう。

それは秋葉原事件を起こした青年の、パソコンや携帯を通してしか世界とつながることが出来なかった空虚さと同質のものなのである。

■その背景には、行き過ぎた資本主義、合理主義、グローバリゼーションが、ある。

「多様化な生き方を可能にする」という名目で改正された派遣労働法がいい例である。

口先ではかっこいいことをいいつつも、結局は人間を景気動向に対する調節弁としてしまった。そうでなければ企業はグローバルな過当競争を生き抜くことが出来ない、企業がつぶれてしまっては元も子もないでしょうと開き直る。

当時、人材を大切にする日本的経営を維持していくとカッコよく唱えた某巨大自動車メーカーが秋葉原事件と無関係ではなかったことの、この皮肉。

■100年に一度の大恐慌といいながら、あれから一年も経たぬうちに景気も底を打ったなどと浮かれた記事を目にしたりする。

もしかすると景気の回復は本当に近いのかもしれない。

けれど辺見さんはいう。

 
 本当に取りもどさなければならないのは、経済の繁栄ではないのではないのかとぼくはおもうのです。人間的な諸価値、いろいろな価値の問いなおしが必要なのではないか。でなければ、絶対悪のパンデミックは、いったん終息してもまたかならずやってくるだろう。もっとひどいかたちでくるかもしれない。(P74)
 

と、同時に

 
 誠実とか愛とか尊厳ということばを、商品世界のコマーシャルのみたいな次元に全部うばわれている、つまり悪は悪の顔をしていないというときに、やっぱり本来のマチエール、愛にせよ誠実にせよ人間の尊厳にせよ、言語の実質、実感というものを取りもどすことだとおもいます。(P117)
  

と語る。

まったく同感である。

そんな中で、

 
「私はかつておまえだった。おまえはやがて私になるだろう。」
 

という警句が、ひときわ響くのである。

 

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                          <2009.08.22 記>

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■しのびよる破局―生体の悲鳴が聞こえるか
辺見 庸 著 大月書店 (2009/04)

   

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■もの食う人びと
辺見 庸 著 角川文庫  (1997/06)

    

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2009年6月27日 (土)

■【書評】『世界の半分が飢えるのはなぜ?』。飢餓を取り巻く構造と、私が生きている世界の構造はつながっているのだ。

父と息子の対話というカタチを通じて、飢餓とその周辺にある問題に対して多面的な見方を示し、育ててくれる、そういう本である。

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■ 世界の半分が飢えるのはなぜ?
―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実

ジャン ジグレール 著、 たかお まゆみ 訳、勝俣 誠 監訳

■FAO(国連食糧農業機関)の1999年の統計によると、世界で「深刻な飢餓状態(明日、餓死してもおかしくない状態)」の人びとは3000万人。その背後に「慢性的な栄養不良」の人々が8億2800万人いるという。

世界が100人の村だったら、でいえば14人が飢えに苦しんでいるという計算になる。

■これを多い数字ととるか、ふーん、それくらいなのか、ととるかは人によって違うだろう。

それは飢餓が発生している仕組みの理不尽さについてどれくらい知っているか、そして何よりも実際の飢餓をどれくらい肌身でわかっているかによって違ってくるのだろう。

■著者のジャン・ジグレールさんは、1934年生まれのスイスの人で、現場を渡り歩く実証的な社会学者であり欧州でもっとも知られた飢餓問題の専門家だ。

起きている事実を分析し、要因を切り分けて考える論理性がしっかりしていて妙な感情論にばかり流されない。提言も極めて具体的。

その一方で飢餓の問題に横たわる構造的理不尽さ(我々は無関係ではないということだ!)に対して時折みせる剥き出しの感情があって、そこが深い共感を呼び込む。

■そういうジグレールさんの「語りかけ」を聞いているうちに、飢餓に対する意識が確実に変わっていく。

それだけではなく、紛争、市場原理主義、環境破壊といった飢餓の元凶に対してその人なりのモノの見方が生まれてくる。

■飢餓の最前線を歩んできたジグレールさん。

その真実味のある言葉を受けた息子のカリムは、それを自分の言葉に置き換えていくであろう。

その過程でカリム自身のオリジナルのモノの見方が構築されていく。

それが、この本を読み終えた私のなかで今起きていることなのである。

■この本の原著が出版されたのは1999年であって、9.11のテロも、それに続くイラク戦争も起きてはいないし、現在進行している市場原理主義を元凶とした世界同時不況の影もない。

けれども、そういった時間軸でのハンディキャップが気にならないのは、そこに語られているのが’出来事’を’構造化’し、本質に迫ったものであるからだ。

だから、古びない。

いや、むしろ、この本を読んで自分のなかで変化、生成した「世界の捉え方」、その捉え方によってその後の出来事について考えることが、ひとつのテストなのだと思う。

その意味で、若い人に是非とも読んで欲しい本である。

  

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                          <2009.06.28 記>

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■世界の半分が飢えるのはなぜ?
―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実

ジャン ジグレール 著、 たかお まゆみ 訳、勝俣 誠 監訳
   

   
■関連記事■
■無邪気なわれわれの罪について考える。『爆笑問題のニッポンの教養』 農学、岩永勝。

        

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2009年6月15日 (月)

■【書評】『名前と人間』、田中克彦。名前という多様性の花。

さまざまな例をひいて「名前」は生きていると実感させる面白い本である。

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■名前と人間 田中 克彦 著、岩波新書 (1996/11)

■ここでいう名前とは固有名詞のことである。

赤とか、花とか、山とか、そういった一般に通用し生活していくうえで必要な普通名詞に対して、ここでは固有名詞は峻厳に区別される。

何故ならば、著者の田中先生は固有名詞を(半ば面白おかしく、半ば真剣に)憎悪しているようなのだ。

■歴史の本を開けば、そこには固有名詞の雨あられであり、教科書においては「それを記憶せよ」という暴力的権威主義に満ち満ちている。

そこには数学や哲学の本のような普通名詞で語られる学問の爽やかさがなく、ケガレているのだという。

■だがその一方で、固有名詞には極めて人間的な要素がこびりついていて、好むと好まざるとに関わらずその言葉固有の物語をその内に含んでいる。

そのことが、固有名詞に対する想いをさらに複雑にさせているように見える。

■19世紀半ば、J・S・ミルは論理学のはなしの中で、固有名詞は普通名詞から意味を取り去ることで成るとした。

「ベイカー」さんという苗字に「パン屋」という意味がくっついていては調子が悪い、ということである。

それはなるほどその通り。

けれども、ベイカーさんという人を知ったときに我々は
 

あ、この人の先祖はパン屋さんだったのかもしれないな、

 
なんていう想像をしてしまい、ベイカーさんはパン屋から自由になることは難しい。

その意味で現実の固有名詞はJ・S・ミルの愛する論理学の世界のようには爽やかにはいかず、どうしても何らかの意味を引きずってしまうのだ。

■「千と千尋の神隠し」において、湯バア婆が千尋(ちひろ)の名を千(せん)に変えてしまう話がある。

ここで興味深いのは、異界で生きるための名前、千(せん)と呼ばれ続けた彼女が、いつの間にか自分自身も本当の名前を忘れかけてしまうことで、もとの世界での自分自身(存在)も同時に消えかけてしまう、そういう恐ろしさが暗示される場面だ。

この神話的なエピソードが我々をひきつけるのは、「名前には意味がある」というだけでなく、「名付けられる対象が名前の通りになっていく」というイメージを心のどこかで了解しているからなのではないだろうか。

■それはサッポロ、メマンベツ、オビヒロというアイヌ語を入植者が札幌、女満別、帯広と表記したときに消え去ってしまったものである。

そこで失われるのは意味だけではなく、これまで引き継がれ息づいていた固有の文化なのだ。

名前とは、歴史の教科書という標本箱の中に収めるものではなくて、今、この生において声に出して呼びかけることではじめて在るものなのかもしれない。
  

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                           <2009.06.15 記>

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■名前と人間 田中 克彦 著、岩波新書 (1996/11)
   

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■ことばと国家  田中 克彦 著、岩波新書 (1981/11)
■母語、という概念をこの本で学びました。
昔、教科書で読んだ「最後の授業」についてフランス人の独善が暴かれる話も小気味良かったです。

   
■関連記事■

■コトバの支配からの逸脱。『爆笑問題のニッポンの教養』 社会言語学・田中克彦。
 

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2009年5月29日 (金)

■【映画評】『ブリキの太鼓』。あの小人たちは何処へいってしまったのか。

いやーな味の映画である。

それでいて観る者をつよく惹きつけて放さない。

’毒’とは、そういうものなのだろうか。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.27  『 ブリキの太鼓
           原題: Die Blechtrommel
          監督 フォルカー・シュレンドルフ 公開:1979年5月(ドイツ)
       出演: ダーフィト・ベンネント アンゲラ・ヴィンクラー 他

          Photo

■いろいろと解釈が出来そうな映画なのだけれど、安易に進めば泥沼にはまってしまいそうな予感を含んでいる。

理屈ではなくて、作品そのものが放つ’毒’をそのまま満喫する、というのが無難な観かたなのかもしれない。

■ストーリー■
1899年、ポーランド・ダンツィヒ。

郊外のカシュバイの荒野で4枚のスカートをはいて芋を焼いていたアンナは、その場に逃げてきた放火魔コリャイチェクをそのスカートの中にかくまい、それが因でアンナは女の子を生んだ。

1924年、アンナの娘・アグネスは成長し、ドイツ人のアルフレートと結婚するが、従兄のポーランド人ヤンと愛し合いオスカルを生む。

3歳の誕生日を迎えたオスカルは母アグネスからブリキの太鼓を買い与えられるが、その晩、大人たちの醜い世界を覗き見て嫌気がさし、階段から落ちることで自らの成長を止める。それとともに彼は太鼓を叩きながら奇声を発することで周囲のガラスを破壊する能力を得る。

ナチスの台頭が町を脅かす中、密会を重ねるアグネスは再びヤンの子どもを身ごもり、自殺。16歳を迎えるも幼い容姿のままのオスカルは、家にやってきた同じ年齢の使用人のマリアを愛するが、父アルフレートの後妻に納まってしまい息子を身ごもる。

失意のオスカルは、かつて友情を育んだ小人症のサーカス団長ペプラの一座と一緒にさすらいの旅に出るのだが・・・。

■[DVD] ブリキの太鼓 HDニューマスター版

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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■解釈をするな、

といわれても、どうしてもいろいろと考えてしまう。

見た直後には、どこかドライな関係を残した欧米の親子関係に感じる、違和感のようなものについてぼんやりと考えていた。

けれども、記事を書くにあたってもう一度じっくり咀嚼してみると、そんなことよりもずっと「際どい」ものがそこに横たわっているのではないかという気もして、改めてそういう視点から眺めてみようと思う。

■この映画から強く受け止めたイメージは、

・祖母のスカートの中に始まるエロティシズム

・オスカルが発する奇声と割れるガラス

・サーカス団のフリークスたちの異形

といったところだろうか。

そして、その背景にナチスの台頭と崩壊という時代のうねりがある。

■このナチス(と、それに続く旧ソ連?)の抑圧を抜きにして、この物語を語るのは憚られるような気がするのだが、ポーランド人でもドイツ人でもユダヤ人でもスラブ系少数民族のカシュバイ人でもない自分が、そこに流れる何かをつかめるとは到底おもえない。

けれども、放浪者の血、という文脈でなら、この日本においても何かが見えてくる可能性はある。

■’異者’の物語といってもいい。

母と叔父から放浪者である祖母の血を強く受け継いだオスカルは明らかに’異者’である。

彼はそれを否定すべく成長を拒絶するのだが、結局、’異者’である彼が落ち着く場所は小人症の男を団長とする旅のサーカス団以外にはない。

しかも皮肉なことに、戦時下においてそのサーカスは慰問団として、本来は’異者’を排除する立場のナチスの部隊をめぐることになる。

■連合軍の侵攻から逃れ、小人の麗人ロスヴィーダの死に打ちひしがれて故郷に帰るとことなったオスカルは、そこに自らの場所を見出せない。

そして血のつながらぬ父親を罠に嵌めて殺してしまうことで、群れのなかのオスとしての地位を得ようとする。

そこで、放浪のあいだに成長し、3歳を迎えた息子(だとオスカルが信じる)の投げた石で気絶し、アタマを打ったオスカルは再び身体的な成長を始める。

■このとき、オスカルの実年齢は20歳前後。

’大人’になるにはちょうどいい頃合いだ。

祖母アンナからカシュバイ人としての生き方を聞かされたオスカルは、後を息子のクルトに託して再び放浪の旅に出るのであった・・・。

■さて、われわれの世界に目を戻そう。

われわれにとっての’異者’とは何か、という問題である。

そこでふと思うのは、かつてテレビで良く目にした小人症の俳優さんたちのことだ。

最近、すっかり目にすることがなくなってしまったのは気のせいか?

■それだけでなく、ピグミーとかホッテントットとかの’異様な’民族の映像もテレビから消えて久しい。
 

世の中から’異者’が消されている。

 
そういう印象を抱いてしまうのである。

■故郷に戻ったオスカルは、結局、再び放浪の旅に出る。

それが’異者’の定めであるかのように。

テレビの画面から消えうせた小人症の役者やプロレスラーたちも、きっとどこかで元気に暮らしているに違いない。

ただ、「テレビ」という舞台が日常の色に染まりすぎて彼らの「存在感」の強さに耐えられなくなってしまったのである。

■世はダイバーシティ(多様性)だ、なんだというけれど、所詮は日常で受け入れることが難しい’異者’は清潔なテーブルクロスの向こうにしまわれたままだ。

けれど、
 

そこの議論を抜きにして先に進めてはならない、

 
なんて優等生的なことは考えるのは止した方がいいだろう。

なぜなら、ここでかくいう私自身が’差別’に関して余りにも無知であって、実際’清潔なテーブルクロス’のこちら側しか認識できなくなってしまっているからだ。

要は、そういう自分も同じ穴のムジナだということだ。

■この映画を見たときに覚える違和感は、あえて’毒’という表現をしたが、そのテーブルクロスの向こうに追いやったものに対する感覚なのかもしれない。

今、私が感じることができるのはここまで。

あとはただ、この映画が提示してくれた’毒’に軽い酔いを覚えてその’存在’にこころを向けるだけである。

そしてオスカルは今日も放浪の空の下。

行く先は見えない。
  

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                           <2008.05.29 記>

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Dvd
■[DVD] ブリキの太鼓 HDニューマスター版

    
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■[原作] ブリキの太鼓 第1部
ギュンター・グラス 著 (集英社文庫)
   

■STAFF■
監督 フォルカー・シュレンドルフ
製作 アナトール・ドーマン、フランツ・ザイツ
脚本 ジャン=クロード・カリエール
ギュンター・グラス
フォルカー・シュレンドルフ
フランツ・ザイツ
音楽 モーリス・ジャール
撮影 イゴール・ルター
編集 スザンネ・バロン



■CAST■
オスカル・マツェラート   : ダーフィト・ベンネント
アルフレート (父)    : マリオ・アドルフ
アグネス   (母)    : アンゲラ・ヴィンクラー
   *     *     *
ヤン     (アグネスの従兄弟): ダニエル・オルブリフスキ
マリア    (後妻)    : カタリーナ・タールバッハ

アンナ    (祖母)    : ティーナ・エンゲル、ベルタ・ドレーフス
ヨーゼフ   (祖父、放火魔) : ローラント・トイプナー
   *     *     * 
ベブラ    (サーカス団の団長)     : フリッツ・ハックル
ロスヴィーダ (サーカス団のヒロイン)  : マリエラ・オリヴェリ
マルクス (おもちゃ屋主人、ユダヤ人) : シャルル・アズナヴール

    
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2009年5月25日 (月)

■草食男子はスターチャイルドの夢を見るか? 『爆笑問題のニッポンの教養』 進化生物学、長谷川眞理子。

今回のテーマは、進化生物学。

File071
■ 爆問学問 『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE071:「ヒトと殺しと男と女」 2009.5.19放送
総合研究大学院大学先導科学研究科教授 長谷川眞理子。

■何が興味深かったかって、やっぱり殺人統計の話。

殺人を犯すのは圧倒的に男で、それも20代前半に突出している。しかも、世界のどこでもそれが変わらない、という話だ。

■この事実(?)からはいろんなことを考えることが出来て、例えば、世界中の’ヒト’に見られる傾向であるならば、それが遺伝子的に決定されていることだと仮説を立てることも可能だし、そうすると、生きものとしての’ヒト’のオスが繁殖期の絶頂において競争相手を’殺す’という意味付けも浮かび上がってくる。

20代前半の男性が起こした殺人の理由を調べてみると、これまた圧倒的に面子にかかわる話だったりして、その点でも先の仮説を補強するもののようにも思えてくる。

■太田は、

女は花が好きだ、

という。

それは大体において当てはまるようである。

■何故?といわれても説明はつかないだろう。

ただ、

キレイだから、カワイイから。

ということなのだろうし、男のクセに野草に惹かれる私自身、そこに理屈を見出すことは出来ない。

このあたりに、実は、今回の話の本質が隠れているような気がする。

■女は花が好きだ、

女は情緒的である。

と言い換えてみると分かりやすいかもしれない。

逆に言えば、男は論理的な考え方をする、ということだ。

■これは、一般的な見方として世間に定着している捉え方といっていいだろう。

チョッと待て!

という鋭い反論が出てくる前に先手を打つと、男が論理的思考を重んじるのは’理解力の無さ’を補完するためなのじゃないか、ということを言いたいのである。

要するに’男’はバカだ、ということで、

逆に女からすると

’こんなことも分からないの?鈍感ね!’

となるのである。

■男は’何となく分かってしまう’という能力で女性に対して劣っていて、だから理屈を考える。

それはソクラテスの昔からそうであって、どうして?、と問いを立てることを生業とする哲学者は圧倒的に男が多いのである。

女は、’分かってしまう’から、そんな問いを立てる必要が無いということだ。

論理を土台にした現在の科学技術社会は、ある意味、男が理解力を得るためにした努力の副産物だ、という皮肉な話なのかもしれない。
  

■かなり寄り道をしてしまった。

殺人の話に戻ることにしよう。

  
「殺してはいけない」、

ということは、理屈抜きに女には分かる。

男は「何でだろうね?」とそこに理由を求めてしまう。

けれども、先の仮説によるならば、オトコがヒトを殺してしまうのは意識の下の深いところに埋め込まれたものからくるものであって、誤解を恐れずに言えば、理屈で制御できるものではない。

■つい、カッとなってしまって。

というのに、どうしても許せない’理由’をつけるのはその後の話で、’カッとなるその’瞬間にはそもそも理性など無いのだ。

そこにあるのは、「殺せ!」と命令する若いケモノの本能と、「殺してはいけない。」と問答無用に本能を抑え付けてくる’何か’。

その’何か’こそが、女が’知っている’ものであって、法律や道徳といった集団のルールの根元の奥のその底に横たわっている’何か’なのだ。

■そこで草食男子、である。

実は、コロシは20代前半の男性において突出しているという先の原則が唯一当てはまらない特異点があって、それが現代の日本なのだという。

日本人青年はむやみにヒトを殺さなくなってしまったのである。

■それをどう読むかといったときに、長谷川先生は、「一生懸命」の話をする。

動物が如何に生きているかを学んでいるときに学生が言うのだそうだ。

 
 なんで、そんなに一生懸命なんでしょうね。
 

長谷川先生は唖然としながらも、自然界では一生懸命でなきゃ’存在’できないこと、我々人間のように一生懸命でなくても’存在’し続けることが出来る方が例外的であること、そしてその人が一生懸命でない分、どこかでそれを支えている人がいるのだ、ということを伝えるのだという。

うーむ、いい話。

でも、その延長線上に草食男子を捉えるのはどうだろう。

■戦後日本の驚異的な経済成長と、一億総中流という幻想、どこの共産主義国よりも平等な’ムラ’社会。

この幸福な状況は、一方で日本の青少年のオスとしての本能をダメにしてしまい、その結果、殺人の件数も他の世代と変わらないくらいに減少してしまったのではないか。という説である。

こういう視点で格差社会、不安な社会となってしまった今の日本の状況を考えると、また青年の殺人件数が増えてくるのではないか、という予測が立つ。

■そうなのかもしれない。

多分、きっとそうなんだろう。

でも、それじゃあ面白くない。草食男子を戦後日本の特異な状況が生んだアダ花だなどと思いたくは無いのだ。

■そうではなくて、人類の新しい進化のカタチだ、というのはどうだろうか。

見た目の変化は無いけれど、オスでありながら女が’知っている’ものを’知っている’。

女のように’分かってしまう’。

それ故に、彼を突き動かそうとする本能に対して、それをしっかりと抑えつける’何か’がシッカリと機能する。

■今までは、あれに興味が無い=子孫を残せない、ということで、当然のことながらそういう「品種」は淘汰されてきた。

が、現代では性交に拠らずとも子供が作れるし、それ以前に子作りという目的意識をもってコトに及ぶというのもありだろう。

次世代の人類が静かにゆっくりと増加していく様子や彼らが作り出すであろう社会を空想すると、それなりに楽しめる。
   

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                       <2009.05.25 記>

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■ 進化と人間行動 長谷川 寿一/長谷川 真理子 著 東京大学出版会 (2000/04)

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2009年5月 2日 (土)

■【書評】『野の花えほん 春と夏の花』、やわらかい雰囲気がいい味を出している。

知り合いに紹介されて早速購入。これはいい。

Photo ■野の花えほん 春と夏の花

ネットとか図鑑は写真なので分かりづらいところがあるのだが、解説付きのイラストだとその野草の特徴がすんなり頭に入ってくる。

名前の由来だとか、食べ方(!)だとかの野草の雑学も載っていて、眺めているだけで楽しめる本である。

全部で50ページに満たない本なのだけれどもツボはしっかり押さえているし、むしろそれが取っ付き易さにつながっているようにも思える。

絵本として子供といっしょに眺めるのもいいかもしれない。

野草好きの人にはお薦めの本である。

  

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2009年2月25日 (水)

■NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる。不安を抱えて孤立している状態はやっぱり良くないということで。

■Nスペでうつの話をみた。

今までのうつ病に対する認識を改めなければならない状況になってきている、という。

NスペのHPの表現を借りれば、

「これまで『心のカゼ』と呼ばれ、休養を取り、抗うつ薬を服用すれば半年から1年で治ると考えられてきたが、現実には4人に1人は治療が2年以上かかり、半数が再発する。」

ということなのだ。

■その原因のひとつとして、いろいろな種類の抗うつ剤を大量に処方され、かえってうつの病状を悪化させているケースがあって、実際に別の医者のところに駆け込んで抗うつ剤を整理して減らした途端、ものの数ヶ月で日常生活が送ることができるところまで回復した女性の例が紹介された。

別の例では、5、6ヶ所いろんな病院へ行ってみたら薬の処方がテンでバラバラで、驚くことに初診にも関わらず3種類以上の抗うつ剤をまとめて出した医者もいる。

■どうも最近、双極性障害Ⅱ型(躁うつ病)とか、非定型うつ病とかいった別の種類の気分障害が増えてきていて、うつ病と診断されてはいるのだけれど実際には違う病気なものだから、抗うつ剤を飲んでもなかなか治らない、ということもあるらしい。

その背景には、メンタルヘルスが流行りだということで、精神病の臨床経験がほとんど無いような医者が開業して精神科を標榜している例があり、複雑な症状を見極める診断能力の無い、ありていにいえばヤブ医者が増殖しているという現状がある。

さらには、信じられないことだけれど、説明もなしにいきなり注射をしたり、同じ効果のクスリを複数出したりして、要するに精神科の治療をゼニ儲けとしてしか考えていない輩までいるというのだから恐れ入る。

■・・・けどね、

こういう不安を煽り立てるような論調はいかがなものか。

それは確かに事実としてそういうことはあるのだろうし、投薬の狙いと副作用を説明しない医者なんぞは論外だと思う。

■でも、ちゃんとした治療を受けながらも病状が回復途上のまま、なかなかその先に進んでいかない患者さんもいるのだということ、いやむしろ、そういう不安を抱えている人の方が圧倒的に多いのが実態なのではなかろうか。

うつからの回復の為に必要なのは、焦らず、まあいいか、とゆったり構えることであって、それが何とも難しいのだけれども、少なくとも危機感を煽られることでイイことはあまり無い、ということは言えるだろう。

■とはいえ、うつを抱えて孤立している状態が続くと本人にとっても家族にとっても「このままでいいのだろうか」という漠然とした不安がつのるばかり。

あれこれネットで検索したり手当たり次第に本を読んでも、情報が増えるばっかりで、こんどは何が正しいのかが分からなくなって却って混乱を招いたりするものである。

■そういうときは、カウンセラーだとかの専門家にしっかり時間をかけて話を聞いてもらうことだと思う。

話をしているうちに自然と問題が整理されてくるものだし、第三者的立場からの客観的な意見がもらえて、今、自分がどうすればいいかが見えてくることもある。(もちろん当たり外れはありますが・・・。)

また、各県にある障害者職業センターで行われている復職支援プログラム(リワーク)とか、民間のクリニックで行われているプログラムを実際に受けてみるのもいいと思う。

同じ悩みを抱えている人と交流できる場を持つと、ひとりじゃない、という実感があって心強いものである。

                          <2009.02.25 記>

●地域障害者職業センター
(独立行政法人 高齢・障害者職業支援機構)
http://www.jeed.or.jp/jeed/location/loc01.html#03

    

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Photo
■ うつからの脱出―プチ認知療法で「自信回復作戦」
■下園 壮太 著 日本評論社 (2004/05)
   
■うまく表現できない、うつのつらい気持ちを分かってくれる、寄り添ってくれているあたたかさを感じる本であり、この病気を理解する上でオススメ出来る一冊。

番組でも言っていたけれど、抗うつ剤による治療だけではなかなか治っていかないのが実際であって、じゃあどうすればいいのか、という「作戦」も具体的に記されていて有用だと思う。(何しろ著者は自衛隊で「うつからの救出作戦(カウンセリング)」を幾千もこなしてきた猛者なのだ。)

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2008_12_16_03

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2009年2月12日 (木)

■生きる力。

生きる力、というものがあって、

人生の意味だとか、そういったものを

考える迷いを振り切る、

根源的にひとに備わったもの。

  
それが在るときには なかなか気付かない

大切なものであって、

4歳の娘にいつも教わるものなのである。

                     <2009.02.12 記>

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2009年1月30日 (金)

■NHKスペシャル 女と男。人類は生命の仕組みを越えてゆくことが出来るのか?

やっと見たんだけど、結構深刻な話でした。

Photo
■NHKスペシャル 女と男~最新科学が読み解く性~
第3回 男が消える?人類も消える?2009.01.18放送

■人類存亡の危機が迫っているという。

①「男」を作り出すY染色体が滅びつつある。

②男性が作り出す精子の劣化が激しい。

この2点である。

■①滅びつつあるY染色体

一般の染色体やX染色体は、父母から受け継いだ2つの染色体を持つことによって、遺伝子の劣化や突然変異を修復可能になっている。

それに対して「男性」であることを決めるY染色体は対になる相手の染色体を持たない。

故に、Y染色体は父から息子へとコピーを繰り返すことによって遺伝子の劣化が積み重なってゆく。

それら意味を成さないエラーが失われていくことによって、今やY染色体が持つ遺伝子の数はX染色体の14分の1になってしまっているのだそうだ。

■Y染色体の消滅、つまり’男性’の消滅が500万年以内に起きる、それが明日起きたとしてもおかしくないという学者もいるらしい。

しかも哺乳類は男性の遺伝子にしか「胎盤」を作る遺伝子がなく、’男性’の消滅は即ち、人類が通常の方法では子供を作れなくなるということだ。

■まあ、ショッキングなことではあるけれど、「明日起きたとしてもおかしくない」のは、「Y染色体だけしか持たない子供」が生まれてくるということだろうから、それが急速に人類の主流を占めることは無かろうという意味で、まだまだ先の「危機」なのだ。

それよりも恐ろしいのは’精子の劣化’である。

②急速に進行しつつある精子の劣化。

チンパンジーと人間の精子を比較した映像があったのだけれども、これが見事に様子が違う。

精子の濃度、元気度ともにチンパンジーの方が圧倒的に凄いのだ。もう、うじゃ~ってな感じで、さすがサル、精子の密度がケタ違いなのである。

■チンパンジーは発情期に乱交があって、いろいろなオスの精子同士の競争原理がはたらいて、濃くて元気のいい「選りすぐりの精鋭」が生き残っていく。

それに比べて一夫一婦制を選んでしまった人類は、他のオスの精子との競争が無い為に淡白でおっとりした精子の持ち主であっても、そこそこの’濃さ’があればオスとして生き残っていけるのである。

■やっぱしそのうち地球は「猿の惑星」になっちゃうのかね、

なんてお気楽なことを言っていられないのは、どうやら「一夫一婦制」説では説明のつかない事態が急速に進行しているからなのだ。

2001年のデンマークの調査によると、「1ml中の精子が2、000万個以下」という不妊相当の低濃度の男性が全体の2割、「4、000万個以下」の予備軍を含めると実に4割にも及ぶ。

全体の平均値も予備軍に極めて近い値にあり、日本での調査もそれと同等で、さらにフィンランドのデータでは1997年からの5年間に’必要な濃さ’の男性の割合が27%も減少したというのだ。

■その原因は未だ不明で、近い将来、我々が生きているうちに普通の妊娠が望めなくなってしまうことも十分にありえる話なのである。

とするなら、我々は生殖医療に頼っていかざるを得ないのかもしれない。

それは神の創り賜いし生命の仕組みに人間が本格的に介入していくということであり、同時に人類は新たなフェーズに入るということだろう。

■そこで思い出したのがリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」である。

生命の本質は遺伝子であって、生物は遺伝子の乗り物であり、我々は遺伝子によって操られ、生かされている「もの」なのだ。

少し記憶はあいまいだけれども、こんな話だったように覚えている。

■けれども、ドーキンスはその締めくくりに「ミーム」という概念を提示し、我々に救いの余地を残している。

われわれ人間がその短い生涯の中で作り出した「もの」、そして人から人へと脈々と受け継がれていく「もの」。

ミームとは、人間が意識とコトバを手にすることによって可能になった、遺伝子に頼らずに、成長し、受け継がれ、進化する’文化’や’科学技術’という新しい生命のカタチなのである。

■つまり、進化したミームは遺伝子の支配に抵抗し、ついにそのくびきから逃れるところまで来たということだ。

そのとき、自らが生み出したミームに逆に支配されているというベタなオチにならないように、われわれは’意識’をしっかりもってミームを制御していかなければならない。

もし、手遅れでなければ。

                            <2008.01.30 記>

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Photo ■利己的な遺伝子 <増補新装版>
■ リチャード・ドーキンス 著 紀伊國屋書店; 増補新装版版 (2006/5/1)  

   
   
  
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’煩悩是道場’ さんの「NHKスペシャル「女と男」-Y染色体は消滅するらしいんだけど」
 

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2009年1月18日 (日)

■金曜ナイトドラマ 『歌のおにいさん』。こんな時代に生まれた可哀想な子供たちへ。

タイトルにつられて久しぶりにこの枠を見た。

Photo
■金曜ナイトドラマ 歌のおにいさん 

■ロックバンド『ジゼル』のヴォーカリストだった矢野健太(大野智(嵐))は、ある日突然メンバーに解散宣言をされ、決まっていた就職先からは内定取り消しを受けて茫然自失。ニートになるのだけは勘弁と仕事を探しまくるのだが見つからず、ワケも分からずにやっとつかんだ仕事がなんと「歌のお兄さん」だったのだ。

で、仕方なくお仕事をしにいくのだが、ベテランお兄さんの氷室洋一(戸次重幸)が牛耳る老舗こども番組『みんなでうたお!パピプペポン』の製作現場があまりにも馬鹿馬鹿しくて、矢野健太はその場を逃げ出してしまう・・・。

■何故、いま「歌のおにいさん」なのか。

派遣切りだとか、内定取り消しだとか、若者の生きにくい時代にあって、そこに不満を抱えている矢野健太。

けれども、それでも歯を食いしばって自分のやりたい事を諦めない情熱だとか、一生懸命だとか、そういった泥臭い道を避けることは出来なくて、それが生きているということなのだ。

■「裏切った」ジゼルのメンバーにしても、一流音大出であるにも関わらず動物の着ぐるみをかぶって踊ることを良しとする斉藤守(丸山隆平、関ジャニ∞)にしても、自分の夢に対して本気で向き合っていて、傍からみれば道化にしか見えないベテランお兄さんの氷室にしても、それは同じなのだ。

「こんな世の中じゃ、どうにもなんねー」と斜に構えてみても、ベテランお兄さんの道化ぶりを嗤ってみても、何事に対してもシッカリと向かい合うことを避けてきた矢野健太自身に跳ね返り、突き刺さる。

■そこに矢野健太が気付くところまでが第一話。

「深い」とか「展開が読めない」とか、そういう質の高いドラマではない。

あまり考えずに楽しむドラマなのである。

けれど、『みんなでうたお!パピプペポン』という脳みそが溶けそうな場面設定が「深さ」の対極にあるからこそ、浮かび上がってくる本質というものもある。

 ’何故、いま「歌のおにいさん」なのか。’

という問いの答えがそこにあるのだと思う。

■第一話のラスト、歌のおにいさんのオーディションの場面で、「子供は好き?」と番組プロデューサー(木村佳乃 )に聞かれた矢野健太が答える。

    
こんな世の中に生まれた今のこどもたちがかわいそうだ。
  

「歌のおにいさん」として成長していく矢野健太が、こどもたちに対して感じる思いがこれからどう変わっていくのか、そして自分自身の生き方をどう捉えなおすのか。

技巧に走ってこねくり回すような作品ではないだけに、きっと心地良いストレートが来るだろう。

こういう素直なドラマもいいものである。

      

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                         <2008.01.18 記>

■追記■
■あまりにも「ピンポンパン」なんで驚くやら懐かしいやら。ちゃんと後ろに’おもちゃの木’はあるし、おにいさんのコスチュームも似てるし。
敏腕ディレクター役の木村佳乃もいいんだけど、ここまでやるんだったら’酒井ゆきえ お姉さん’でもよかったかも。あと、カータンもいいね。
けど、「ピンポンパン」って確かフジテレビだったような気が・・・。
     

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■STAFF■
脚本 : 永田優子
演出 : 長江俊和、髙橋伸之、梶山貴弘
音楽 : 辻陽
音楽協力: テレビ朝日ミュージック
制作 : テレビ朝日、泉放送制作


  
■CAST■
矢野健太  (主人公)          : 大野智(嵐)
美月うらら (歌のおねえさん)     : 片瀬那奈
氷室洋一 (ベテランおにいさん)    : 戸次重幸
斉藤守   (新人兄さん、健太の同期) : 丸山隆平(関ジャニ∞)
    
真鍋杏子 (番組プロデューサー) : 木村佳乃
住吉一博 (番組ディレクター)   : 前田健
中村洋子 (製作スタッフ)     : 永池南津子
清水さやか(メイクさん)        : 滝沢沙織
     
水野明音 (健太の元カノ、元ジゼル)  : 千紗(GIRL NEXT DOOR)
安斉遼二 (明音についたプロデューサー?) : 吹越満
   
矢野光雄 (健太の父)        : 小野武彦
矢野さくら (健太の姉)         : 須藤理彩
小山克己 (健太の理解者)      : 金児憲史

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■金曜ナイトドラマ 「 歌のおにいさん 」 番組HP

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’時流を聴く’ さんの「『歌のおにいさん』がいいかもしれない」
 

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2009年1月16日 (金)

■NHKスペシャル 女と男。「違う」というのは面白いことなのだ。

NHKスペシャル 「 シリーズ 女と男 」をみた。

女と男との差、というものが思っているよりも大きなもので、どうやらその違いは数百万年前のご先祖様が狩猟・採集生活をしていた時代に形作られたものらしい。

Photo_3
■NHKスペシャル シリーズ 女と男 番組HP(第一回)より

■第1回「惹かれあう二人 すれ違う二人」(1/11(日)放送)は、男女の恋愛において脳の中で何が起こっているのか、女と男が何故擦れ違うのか?についてだったのだけれど、これが結構おもしろい。

まずは恋におちている女と男。

このとき脳の中では、ドーパミンがドパーっと出ていて気分が高まり、相手に「夢中」になってしまう。その一方で批判とか判断力を司る部分の活動は抑制される。

つまり、「恋は盲目」というけれど、実際、脳のハタラキもその通りだったということだ。

さらには、そういった恋に「盲目」となる脳のハタラキには期限があって、それは大体18ヶ月から3年くらいなんだそうで、「長すぎた春」というのもまた正しいというのだから恐れ入る。

小ネタとしては、男は相手の女性を選ぶときに視覚に頼るのだけれど、どこを見ているかというと「腰のくびれ」で、太め好みのオトコも細め好みのオトコも、ウエストとヒップの比率が7:10の「くびれ」が好きだというのがあって、おっさん、いい年して何を研究してるのか、という話である(笑)。

■さて、3年の賞味期限の話。

直立歩行を始めたご先祖さまは骨盤の構造上産道が小さくなり、生まれてくる赤ちゃんが未熟なため、それを夫婦で協力して育てていくのには3年くらいの年月が必要だ、という説が紹介された。

子供が3歳くらいになれば、男はオサラバして新しい若い女を探しにいく、というちょっとうらやましい話である。

■けれど、80歳、90歳まで夫婦で一緒に生きていく現代においては、そうも言ってられない。

すると、夫婦はパートナーとしていかに上手くやっていくか、ということになるのだけれども、ここでは男の分が悪い。

何しろ狩猟で鍛えた男の脳は、時々刻々と変化していく状況に対して常に決断を迫られる分析力、判断力が身上なんだけど、それは夫婦円満の秘訣にはなかなかなりにくい。

■かたや女性の脳は、コミュニティーを維持する為に相手の気持ちを察する力や、集団を和やかにまとめる力を伸ばしてきた訳で、夫婦喧嘩に及んだときには男は劣勢に立たざるを得ない状況に追い込まれ、大人気なく「うるさい!」と感情を爆発させるか、別の部屋にすごすごと退散する以外に手がないのである。

社会で働いているときには有効であった判断力や分析力は、かえって奥さんの逆鱗にふれることになったりして逆効果。

定年を過ぎた男性がしょんぼりと元気をなくすのも無理はない。

   
Photo
■NHKスペシャル シリーズ 女と男 番組HP(第二回)より

■第2回「何が違う なぜ違う?」(1/12(月)放送)は、女と男の頭脳のハタラキ方について驚くべき話を展開する。

男と女では脳の発達に違いがある。

男は「好き嫌い」「怖い」「危険」といった認識をつかさどる偏桃体が発達し、女は記憶をつかさどる海馬が発達する。

その差は15歳以降に顕著になり、どうやらそれぞれ男性ホルモン、女性ホルモンの分泌による影響で発達していくようである。

■そこで脳のハタラキ具合を調べてみると、個人差は当然大きいのだけれど、男は空間認知力に優れ、女はことばに関する能力に優れているという傾向が出る。

それは、狩猟、採集生活を送っていたときに、オスは逃げ惑う獲物をしとめたところから我が家にいかにして戻るかが問われたからであり、メスは木の実がなる場所に行き着くための目印とか、そういう言語的な能力が問われたからだという。

■で、ここからが面白いのだけれども、同じ問題を解決するときに男と女で答えが同じなのにも関わらず使っている脳の部分が異なっているというのだ。

男は左側頭部の空間認知をつかさどる部分を活性化させ、そこを基点にして脳全体が活動していく。

それに対して、女の脳ではブローカー野といわれる言葉をつかさどる部分を基点として脳が活動するというのだ。

つまり、男と女では思考のプロセス=「思考回路」がまったく異なる、ということだ。

■地図が読めない「女」、人の話を聞かない「男」なんていうけれど、今までの理解ではそうはいっても個人差が大きくて、一般論ではそうかもしれないが個々人のレベルで考えれば人それぞれ、と考えていた。

それが根本的に違う、といっている。

■女と男の境界線はうすらぼんやりしたものではなくて、

・男性ホルモンによって作られる「分析、決断」の脳
 (狩猟に適した脳)

・女性ホルモンによって育まれる「協調、コミュニケーション」の脳
 (集団での採集活動に適した脳)

というふうにハッキリ色分けされてしまうということだ。

これは実はものスゴイことなのかもしれない。

■女の考えることはよく分からん。

と、不満に思うのは自分の思考の延長線上で「女」を分かろうとするからで、「相手のことが理解できない」とか、「何で自分を理解してくれないのか」だとか、もうそういう考え方は無駄だからもうやめにしていいのではないか。

「女」と「男」は違うのだ。

そもそも自分の物差しで相手を測ろうとすること自体がナンセンスで、決して比べることが出来るものではない。

■家庭とか職場とか、男女の人間関係が固定されて逃げにくい状況の中では、相手を理解しようという思いが時として当惑とか怒りの感情に変化してしまうことがある。

自分の予想が裏切られたとき、人は驚き、不安を抱えたりするものだ。

けれどもそうではなくて、予想を超えた考え方を「面白い」と感じて、そこに興味を向けるとき、その人間関係は互いに貶め合う悲しいものから、創発的で楽しいものに変わっていくのではないだろうか。

「違う」というのは面白いことなのだ。

                           <2009.01.16 記>

■追記■
今度の日曜放送の「 女と男~最新科学が読み解く性~ 第3回 男が消える?人類も消える?」も見逃せないな。

      

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■ 話を聞かない男、地図が読めない女―男脳・女脳が「謎」を解く

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2009年1月 6日 (火)

■やる気をくじく、8つの方法。出来ないことより出来たことを見つめよう。

正月休みにネットを眺めていて面白い記事にぶつかった。 

■”やる気”のくじき方入門

ビジネスマン向けの記事なのだけれども、元気な組織を作る、というだけでなく、子育てとか家庭円満にもつながる内容だと思う。

何しろ ”やる気”のくじき方、っていう人を食ったタイトルの付け方からして面白い。

■やる気をくじく、8つの方法。

●①「高すぎる目標」は、やる気をくじく

――“絶対”、“100%”、“いつでも”、“どんなときでも”、“1日も欠かさず”、“必ず○人”、といった瞬間に、やる気はくじける。

●②「自分を低く評価する」ことは、やる気をくじく

――他人からの評価でも、自分についての評価でも、10のうち一つでも”悪い評価”を与えられると、そこばっかり気にしてしまって、”オレはダメだ!”と思ってしまうのが人のこころの特性なのだ。

●③「不安を煽る」と、やる気がくじかれる

――やばい、やばい、と不安を煽り続けると夢も希望も無くなって、「ああ、もう、なんかどうでもいいや」みたいな感じになってくる。

●④「細かいことにこだわる」と、やる気をなくす

――例えば日本史を学ぼうとするとき、全体の概要から入らずに、最初から全部丁寧に細かくやっていくから、歴史全体、日本史全体が何なのかよく分からなくなって、興味も湧かなくなってしまう。

●⑤「競争が強すぎる」と、やる気がくじける

――自分が相手に勝てると思ったときはすごくがんばるのだが、「勝てないな」と思った瞬間に、急にやる気がなくなって生産性が低くなる。常に競争では疲れてしまう。

●⑥「自分の居場所がなくなる」ことは、やる気をくじく

――みんなから愛される、尊敬される、自分の居心地のよさにつながらないことに対しては、やる気が出ない。

●⑦「個人の努力に期待」しても、やる気は出ない

――放っておいても、やる気は出ない。

●⑧「理屈だけで、現場に出ない」と、やる気がくじける

――目の前の仕事をこなすだけではやる気は出ない。純粋な好奇心で、どんなふうに使っているか、喜ばれているかを体験すると仕事に対する見方が変わる。

■どれも、耳が痛い話ばかりである。

  
出来ないことより出来たことを見つめよう。

そして、その出来たことが、

どれだけちっぽけなことであっても

実は、

そのちっぽけが世の中全体につながっていて、

私はそこに貢献している。

それが、生きていくことの駆動力なのだ。

   
   
つまりは、そういうことだと思う。

8つも気にすることがあると大変だから、まあ、気になった2つ3つを心にとめて、今年もボチボチやっていこうか。

                        <2009.01.06 記>

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2008年12月10日 (水)

■ガチャピン、ヒマラヤを行く。

いつのまにやら、ガチャピンがヒマラヤ登頂を達成させていた。

20081127_
■「ガチャピン日記」より

■最高峰エベレストの8,848mと比べてはいけない。

ラヤピークの標高5,520mといえば富士山の1.5倍ほども高いわけで、しかもロッククライムまで必要な難関を自力で登りきったというのだから、バケモノのような体力である。(あ、バケモノだっけ?)

ぬいぐるみ着てるだけでも息苦しいだろうに、

■ところで、わたしがご幼少のみぎりには、ガチャピンはムックと同じく、ただの「なかよしさん」だったと記憶しているのだけど、いつの間に、こんなアクティブな性格になってしまったのだろう(笑)。

この盛り上がりを純粋な幼児期に体験できる今のこどもらがうらやましい。

とにかく、やってみよう!

という姿勢が素晴らしく、いい記憶として胸に残るに違いない。

■さて、次は何に挑戦してくれるのだろうか?

・・・うーん、残るは深海か、いや南極、かな。

そのときは、ペンギンによろしく。

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Photo
■【DVD】ポンキッキーズ21 30周年記念
■         ガチャピン チャレンジ シリーズ

                            <2008.12.10 記>

※12月22日(月)に『Beポンキッキ』(BSフジ)で放送するそうです。
  けど、ウチ、BS見れないんだよな・・・(トホホ)。

    

■【動画】ガチャピン ヒマラヤ ラヤピーク(5520m)登頂

     
■ ガチャピン日記

「登頂~~~!」(2008.11.16)

「応援ありがとう!」(2008.11.22)

      

■関連記事■ ▼けっこう、シビアです▼
■『男が人生の忘れ物に決着をつける時。』 標高8848mの世界。 野口健、チョモランマ登頂。

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2008年12月 9日 (火)

■【書評】『日本語の歴史』。生きていることば。生きている文章への手がかり。

一見、題名はぶっきらぼうでチョット難しそうな感じなのだけれども、著者の人柄によるものなのか、とても分かりやすく、楽しめる本である。

Photo_2
■『日本語の歴史』 山口 仲美 著

■だいたいにおいて、高校時代に勉強した「古文」、「漢文」なるものは苦手であった。

意味のよく分からないひらがなだらけのもじのられつと、これまた意味の良くわからない漢字ばかりの文字の羅列。

部分的に分かりそうで結局分からない、そのフラストレーションが嫌だったのである。

■けれども、この本を読んでいくと、移りゆく日本の時代の流れに沿って「ことば」が展開していく様子が、その時代の現在進行形として、しみじみと伝わってくる。

といって、「古文」、「漢文」が読めるようになるわけではないのだけれども、少なくとも、そこに生きた人たちに興味が湧いてくるということは、決して悪いことではないだろう。

その意味で、高校一年生くらいのときに、この本を読んでいればなあ、という勿体無さを感じた次第である。

■記録として「やまとことば」に漢字を割り当てた奈良時代、ゆるりとした平安貴族文化を匂わせる’かな’の時代、論理と簡潔さを重んじた鎌倉以降の武家言葉、近代のことばがほぼ形作られた江戸のことば。

歴史を学ぶ、ということは、今の我々が生きている「現代」を歴史に連なるものとして理解したときに、今という時代が、完了し確定されたものなんかじゃなく、その文脈の上に新しい歴史を展開している真っ最中なのだという、そこに気付くことなのだと思う。

過去に生きた人々の想いが、我々の「今」のなかに断片的に残っていて、そこに気持ちを向けてやれば、まだそれが生きていることに気がつくことが出来る。

今の言葉もまた、500年後の読み手に感じさせる何かを残しているに違いない、

その感動なのである。

  
■それはそれとして、もうひとつ感じたことがある。

はじめの方で、著者が

時間軸にそって展開していく「ことば」というものは、「絵画」とは別の表現手段なのである。

という意味のことを語っている部分があるのだけれど、

これに、ドン、と突かれたのだ。

■絵画は、そこに描かれたこころの動きを、見るもののペースで探っていき、感じることが出来る。

それに対して、ことばの表現というものは、「語り」であれ、「文章」であれ、それ自体のテンポというものがあって、聞くもの、読むものはそのペースに合わせることで、やっとその意味にたどり着くことが出来る。

■いや、確かに文章を読むことについていえば、途中で止まることも、戻ることも可能なのだけれども、それは書き手が本来意図した「こころの動き」が展開していくのを疎外するもので、たとえばDVDで映画を見るときに分からないからといって一旦停止や巻き戻しをすることで失われるものが確実にあるのと同じことである。

理解すること、と 味わうこと、は違うのだ。

■「書き言葉」と「はなしことば」の言文一致を目指した明治時代以降の苦闘の部分が、その難しさを強調している。

日本語のややこしいところは、表音文字と表意文字が組み合わさった「漢字かなまじり」であるところにあって、「はなしことば」に合わせて「ひらがな」で書けばよろしい、とした時に失われる情報、ニュアンスがあって、それは絶望的なまでに本質に関わる部分なのである。

■「はなしことば」を発するとき、それを聞き取るとき、「漢字」があって初めて、生きたことばになる。

落語の語り口を文章に起こしたときに、「ひらがな」ばっかりじゃあ格好がつかないし、調子が悪い。

その漢字も含めた広い意味でのリズム感が大切で、それが’すべて’といっても過言ではないだろう。

理屈では説明できないのだけれど、活きのいい文章を生み出すコツのその手がかりが、ちょっと見えたような気がして、それだけでも大満足な本なのであった。
   

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                           <2008.12.09 記>

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■『日本語の歴史』 山口 仲美 著 岩波新書(2006/05)
  

   

■関連記事■
■日本語は時代の空気を映し出して変化する「生きもの」なのだ。『爆笑問題のニッポンの教養』 日本語学、山口仲美。

           

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2008年10月24日 (金)

■人の話を聞くということ。傾聴を楽しくするコツ。

世の中、人の話を聞かないやつが多すぎる。

こっちがまだしゃべっている最中なのに、

ああ、そういうことか、と早合点して一気に自説をまくし立てる。

 
最悪である。

俺の、俺の、俺の話を聞けぇ!!!

クレイジーケンバンドならずとも、

こういう心の叫びをあげているに違いない。

なんていう自分自身も、無意識にそんなことをやっていたりするので、どういうことかと少し考えてみることにした。

■「人の話を聞く」というのは、

   
相手を尊重すること。

しっかりと、相手を受け止めること。

   
と、いう教科書的な答えだけで語りきれるものではないように思う。

むしろそういう姿勢には、シッカリ受け止めて’あげよう’という「保護者然」とした嫌味な感じさえ漂いかねない。

■そうではなくて、人の話を聞くということは

100%、オノレのためなのではないか、と思うのだ。

■相手が入りたての新入社員であろうが事務派遣のお姉さんであろうが、自分とは違う人生を歩んできて、自分とは違う景色を眺めてきた私とは異なる存在なのである。

だから、そこには自分にとっての新しい何かがあるはずなのだ。

そこに貪欲でありたい。

「ふん、ふん、ナルホド、タイヘンダッタネー」

なんていうふうな傍観者的受け止めも時には必要なのだけれども、それだけでは何だかツマラナイ。

■傾聴を楽しくするコツは

へぇー、

と驚くことなのじゃないか。

最近そう思うのである。

■そこには年齢も、職歴も、肩書きも何も関係なく、

たとえ相手が3歳児であろうが、 会社の役員であろうが、

その「へぇー、」という驚きの場においては、

お互いに対等の立場に立っている。

上から「教わる」のでもなく、

下のために「聞いてやる」のでもなく、

純粋に「驚く」、「感心」する。

■会話をするとき、

かならずそこには「へぇー」があるはずなのだ。

だって、相手は「私」ではないのだから、そこには私の知らないことや想像したこともないものの見方、考え方があるはずなのだ。

■そこに好奇心をもって相手に望むとき、

受け止めた「へぇー、」は、私の中の人生体験と化学反応を起こして、楽しさや悲しみや怒りといった感情が立ち上がってくる。

それは、「そんな話は分かっているよ」という態度では決して味わうことの出来ない、新たな経験であり、自分のモノの見方に新たな切り口を与えてくれる絶好のチャンスになるかもしれないのだ。

■「そんな話は分かっているよ」という考えはこれまで生きてきた自己に対する肯定からくるのだろうけれど、むしろ「私はそれくらいわかっていなければイケナイ」という強迫観念にかられたものとも考えることができる。

何度も繰り返すが、3歳児だろうが新入社員だろうが、相手が「私」でない限り、「聞く前から分かっている」なんてことはありえない。

そして「そんな話は分かっているよ」と思った時点で、その自己弁護は、逆に自分の成長を疎外し放棄してしまっている。

そういうことではないかと思うのだ。

 
人の話を聞く、ということは、本当に難しい。

                          <2008.10.24 記>

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2008年10月 7日 (火)

■ドラマ『夢をかなえるゾウ』。ガネーシャ、自分、インチキっぽいくせに意外といいこと言うやん!

ガネーシャの出す課題に不覚にも感心してしまった自分がなんか悔しい・・・。

Photo
■スペシャルドラマ 『夢をかなえるゾウ』 2008.10.02(木)放送。
古田新太のガネーシャが最高。あまりの知名度の低さに落ち込んで押入れに引きこもる「すねた」演技は古田新太ならではの味わい。

■話題の本っていうのを敢えて敬遠するいやらしいところがあって、本屋に平積みされているこの本の装丁が醸し出すインチキ臭さに惹かれつつも今まで無理に避けてきた。

けれど、ドラマのガネーシャ役を古田新太がやると聞いたらもう我慢の限界っ、どっぷりとハマり込んでしまいました(苦笑)。

■平凡な毎日を送る若手サラリーマンが、ふと自分の人生のつまらなさに気付き「変わりたい!」と願う。

そこに関西弁をしゃべる変なゾウの神様が現れて自信たっぷりにこう言うのだ、

―ワシの出す簡単な課題を確実に実行すれば

 お前は必ず成功する―

果たしてこの怠惰でインチキ臭い神様、ほんとに信じていいのだろうか???

・・・という おはなし。

Photo_9 「あんみつ、くれ~」

■要するに「成功の秘訣」の話なのだ。

・靴を磨く

から始まり、

・ 人を笑わせる

・ 誘われても真っ直ぐ帰宅し、自分の時間を作る

・ その日がんばった自分を褒める

主人公は半信半疑ながらもガネーシャの出す課題をこなしていく。

■実はこれらの「課題」は世界の偉人や成功者が実際に実行していたことなのだそうだ。
(またWikiネタなのですが・・・。)

靴を磨くのはイチローで、順にハーブ・ケレハー(サウスウエスト航空会長)、スティーブン・キング、手塚治虫というわけである。

「ものごとをプラス思考で考える」とか抽象的なことではなくて、実際に「行動」を伴った具体的な課題であることがポイントのように思われる。

■金も、地位も、名誉も、

ぜんぶ他人が自分を認めて与えてくれたもの。だから、

【毎日、感謝する】

という最後の課題も確かによかった。

けど、以下に挙げる3つの課題は「おおっ」と、メモってしまうほど

ナルホド度が高かった。

  
・ どんな最悪な事態に陥ってしまったときでも、

 【運がいい、と口に出して言ってみる】

・ 人に何かをしてあげるとき、まあこんなもんだろうという相手の

 想像力を遥かに上回る【サプライズをする】

・ いろいろ言い訳をしながら、やらずに後悔していることを

 【今日から始める】
    

■・・・でも、なかなかそう上手くいかないのが現実だ。

そういった「成功する習慣」を教授してくれる本を読んで理解したつもりになっても、「何だか掴んだぞ!」と思っているのは数週間程度。

半年もすれば本の中身はすっかり忘却の彼方、ご利益のある実践的自己啓発本も本棚のお飾りと化してしまう。

何を隠そう、ウチの本棚にも「スゴイ!」と感動した本が何冊も並んでいる。

だが悲しいかな、背表紙を眺める満足感以上のものは今や何も残っていないのである。

■このドラマ、というかこの物語がひと際かがやいて見えるのは、その「罠」を乗り越える力を秘めているからなのだ。

それらの「ありがたい課題」を提示するのが、如何にもインチキ臭い違和感たっぷりの「存在」であること。

一人暮らしのアパートに突然あらわれて押入れに住み着くのが’ドラえもん’ならまだしも、怠惰なゾウ人間(神様?)なのだから始末が悪い。

こんなのと一緒に暮らしながら逐一行動を見張られていたら、小栗旬ならずとも嫌でも継続的に実行せざるを得ないだろう。

その意味で古田新太は今回、最高の仕事をしたと言える。

彼以上にガネーシャ役が似合う男は世界広しといえども他にはいない。そういわれても本人はちっとも嬉しくないかもしれないが、あえて断言してみたいとおもう。

■さて、問題は我々がこのドラマをみた直後からの実際の行動と、その半年後、3年後にそれが継続できているかどうか。

何しろ我々のそばには違和感溢れるガネーシャも古田新太もいないのだ。これは結構痛いハンディキャップである。

とりあえず、今すぐに出来ることは古田新太扮するガネーシャの画像をデスクトップの背景にでもするかなのだけれども・・・

うーん、チョッと気が進まないなぁ。

_ 「よっこらせっ」
Photo_7 「何じゃ、コイツ!」
■【連続ドラマ】『夢をかなえるゾウ』木曜 夜 11:58 NTV系列 
  主演:水川あさみ (祝!連ドラ初主演!)

■引き続いての連続ドラマ。

こちらはオリジナルストーリー(だよね?)で

主人公は水川あさみが演ずる一人暮らしの独身派遣社員。

彼女の夢が「幸せな結婚」だったりするのでテーマ的に40のおっさんには正直きびしい。

■でも、第一話での水川あさみの

「もう、最悪!!」

っていう演技が最高によかったので、うん、これは続けて見ちゃうかもしれない。

気位を高く見せている内面が実はとてもか弱いOLの成長ぶり、しっかり期待させてもらいます。

あ、もちろんガネーシャ・古田とのかけあい漫才も楽しみ。

水川あさみは果たして新境地を拓くのか!

                          <2008.10.07 記>

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■【原作本】
Photo_8
■『夢をかなえるゾウ』  水野敬也 著(2007年8月初版)

     
■【DVD】 夢をかなえるゾウ スペシャル 男の成功編

    

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■CAST■

【スペシャル・ドラマ版】
古田新太 :ガネーシャ(ゾウの神様)
小栗 旬  :野上耕平 (主人公) 
瀬戸朝香 :氷室絢子(会社の上司)
田中要次 :ニュートン&イチロー&キュリー夫人&エジソン
宇梶剛士 :刑事
ランディ  :本物のゾウ
【連続ドラマ版】
水川あさみ  :星野あすか(主人公)
長谷川朝晴 :坂東剛(主人公を振った職場のエリート)
加藤理恵   :本多加奈子(派遣仲間)
大久保麻理子 :池上ルナ(派遣仲間)
佐戸井けん太 :田島部長

■STAFF■
原作 : 水野敬也 「夢がかなうゾウ」 飛鳥新社
脚本 : 根元ノンジ(スペシャル・ドラマ)
      国本雅広(連続ドラマ)
演出 : 岡本浩一(読売テレビ)
チーフプロデューサー : 田中壽一(読売テレビ)
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ナレーション - 窪田等
音楽 : 中塚武
主題歌 : SEAMO 『Continue』
  * * * * * * *
VFX・特殊メイクスーパーバイザー : 岡野正広(ゴンゾ)
CG  : フレームワークス・エンタテインメント
  * * * * * * *
製作 :読売テレビ/ケイファクトリー

Photo  Continue

      

■ドラマ 夢をかなえるゾウ 公式HP

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’まぁ、お茶でも’ さんの「《夢をかなえるゾウ》SP」
 

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2008年10月 4日 (土)

■手応えを求めて踏み込む、あきらめない勇気。『爆笑問題のニッポンの教養』 政治学、姜尚中。

今回のテーマは、政治学。

遂に、我らが悩める姜尚中さんの登場である。

Photo_2
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE049:「愛の政治学入門」 2008.9.30放送
東京大学大学院情報学環教授。政治学・政治思想史。姜尚中(かんさんじゅん)。

■「死ぬなら一人で死ね、としか言えない政治がもしあるのならば、それはもはや「政治」とは言えない」

「本来、政治とは他者を受け入れましょう、その代わり私も受け入れて欲しいというものだ」

秋葉原無差別殺傷事件の犯人に対して姜さんは、その「目を背けたくなる恐ろしげなもの」を如何に受け止めるかが政治の役割りであると説く。

それを貧困や雇用の問題に還元し、一般化した上でしか問題を捉えることが出来ない今の政治に対する痛烈な批判。

「私」という生身で対象を捉える、そうすることでしか本質を見出すことは出来ないとする姜尚中の真骨頂炸裂である。

■それに対して太田はネット上での殺害予告事件について語りだす。

2ちゃんねるに殺害予告が書き込まれたことに脅威を覚えた太田が警察に被害届を出し、間もなく書き込んだ男が逮捕された事件である。

「そこから、ものすごい『憎しみ』が伝わってきた」

という太田の表情は本当に恐怖を感じていたようで、「申し訳なかった、あれは冗談だったんです」という生身の犯人を見て安堵する。

その「ふつう」な反応の意外さに、いつもの「作った」イメージの裏にある太田の素の部分が覗けてみえた。

■受けとる側の想像力の大切さを痛感した、

と語るその太田の「素」のコトバには説得力がある。

何しろ掲示板の向こうにいる名無しさんと実際に対峙したのだ。

その「恐れ」と「安堵」は今回の話題の根幹の部分を象徴していたようにも思う。

ネット上の文字列から受ける「恐れ」と、直に相手と接することで受ける「安堵感」。

そこに、この孤独な時代を和らげるヒントが隠されているような気がするのである。

■ノーリアクションが一番ツライ。

とボヤくのは何も親父ギャグ常習犯のお父さんに限った話ではないだろう。

「社会とつながりたい」

なんてカッコいい言い回しではまだ不十分で、「認められたい」、「好かれたい」という辛く切ない生々しい想いを抱えて生きていくのが人間である。

想いが伝わらないその悲しみを常に背負っていくのである。

それは人類が社会的動物として進化してきたが故に背負ってしまった悲劇であり、古代ギリシャであろうが、平安時代であろうが、人が人である限り変わることは無い。

■けれど、その悲しみがこれまでになく世の中に深く染み渡っているという実感もまた間違いでは無いだろう。

複雑な要素が絡み合いグローバル化した現代は「誰が悪いか分からない」時代であって、ぶつぶつ文句を言いながらも世の中に流されていく「ニヒリズム」が蔓延する時代なのだ、と姜さんはいう。

そのニヒリズムはコトバを発する「不審な」者に対してスルーしよう、刺激せず、ノーリアクションでいこうとする態度を生む。

そんな乾いた空気の中で一人ひとりの自己主張は空を切り、「認められる」ことを実感できない人類の宿命的な悲しみが、より強く感じられる時代だということだろう。

■自分が今パソコンに向かって文字を打ち込んでいるこの行為そのものが語っているように、誰もが「発信」する手段を持ちはじめているのが今の時代である。

「認めて欲しい」という欲求がこのインターネットの空間には満ち溢れている。

けれど自己主張の手段が爆発的に増大するのと反比例して、「認められた」、「受け入れられた」という手応えは限りなく頼りないものになっていく。

ネット空間の中で肥大する「認めて欲しい」という想いは決して満たされることはない。

自分の声が届いていることを示す微かな響きは、圧倒的な欲求につぶされ、過小評価されてしまうのだ。

■姜さんは若い頃、肥大化する自意識に苦しんだ。

「自分しか見えない鏡地獄」、その堂々巡りの苦しみの中で、「実は、問題は自分にあるのではなく、『社会、政治』にあるのではないのか」と、自らの外側にある『社会』の存在に気付き、視界が大きく転回したのだそうだ。

その真意は問題を他責にすることにあるのではなく、実は「自分」の外側にも世界が広がっているのだという当たり前のことを発見した驚きにある。

自意識に悩む姜さんの姿は、まさにネット空間の中での自縄自縛な「私」の姿であって、モニターの向こうにリアルタイムでつながっているはずの世界は皮肉なことに肥大する自意識をさらに拡大するばかりで、そこに見えるのは醜く歪んだ自分の姿ばかりという『鏡地獄』そのものだ。

書を捨てよ、町へ出よう

という、かつての裏町詩人の呼びかけは、「端末を捨てよ、街へ出よう」と書き換えられるべきなのかもしれない。

いずれにしても人はネットだけでは生きていけない、ということだ。

■高倉健がバツが悪そうに頭を掻きながら

「自分は不器用なもんで、」

とつぶやくそのワザが通用したのは人とのつながりに確信が持てた昭和の時代のノスタルジーの中だけである。

だが日本は今や「一億総不器用なもんで、」の時代であり、中途半端な高倉健ばかりが伏し目がちに生きている。

■「相手が自分を認めてくれている」という確信が持てないから、真っ直ぐなコトバを投げかけることが出来ない。

っていうか~、と主張を極力ぼやかして「自己」が相手との関係の中で曝されるのを極度に恐れるのである。

教師は生徒に及び腰になり、医師は患者に、親は子供に恐々とする。

そこに信頼が生まれるわけがない。

しっかり受け止めてもらえないのではないか、というその恐れが却って「自分を認めてくれてないの?」という不信を相手の中に生みだし、不安は連鎖し、拡大生産されていく。

■それが今の日本を覆っている「ニヒリズム」の正体なのだと思う。

「ネットの闇」はその連鎖を駆動する構成要素のひとつであって原因ではない。

同じように社会が悪いわけでも、ましてや特定の個人が悪いわけでもない。

ただ、自己強化していく不安の渦に巻き込まれているだけなのだ。

■その流れを止め、逆転させることができるならば、理想像としての「三丁目の夕日」の安心がそこに立ち上がっていくのだろう。

だが、気候の変動を止めることができないように、世の中の流れをコントロールすることはできない。「小泉改革」のように時代を積極的に動かしたかに見える運動にしても、実は時代の文脈の結果として生じた大きな「渦」のひとつに過ぎない。

そんな不安の渦巻きの中で我々にできるのは自己が傷つくことを恐れず「手応え」のある方へただ、進んでいくことなのではないだろうか。

■渦巻きの向きを変えるのは、それを止めようとする大きな力ではなく、その渦巻きの強さゆえに生まれる逆向きの小さな渦巻きをあきらめずに育てていく粘り強さなのだと思う。

そしてそれを支えるのは「対立」とか「競争」とか「成果主義」とか、そういうコトバからイメージされるような世界観ではなく、「許す」とか「ゆずる」とか「続ける」とか、そういう「自分」を主語とした動きの連なりなのだと思う。

その結果として、

姜さんのいう「愛の政治」が実現する日がくるのではないだろうか。

                           <2008.10.04 記>

Photo
■悩む力 (集英社新書) 姜 尚中 著

     
■関連記事■
■【書評】『悩む力』 姜 尚中。悩み抜いた果てにたどり着くであろう他者とのつながり。

■人と世の中のつながりについて。秋葉原無差別殺傷事件におもう。
      
 

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2008年9月25日 (木)

■【書評】『「言いたいことが言えない人」のための本』、畔柳 修。自縄自縛の泥沼から抜け出す方法。

会社での対人関係に悩む知り合いがいたので参考になるかなと思って読んでみたら他人事なんかじゃなくて自分の悩みがあらわになってしまって愕然とした。

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■「言いたいことが言えない人」のための本
 ―ビジネスでは“アサーティブ”に話そう!

■「アサーティブ」

という聞きなれない言葉がキーワードになっているのだけど、要するに「自己表現」のことのようである。

自己表現が上手く出来ない、

相手に気持ちが伝わらない、

なんてことは万民の悩みであって、「伝え方」のノウハウ本なんかも随分売れているようだ。

■けれど、この本のポイントは、むしろ「生き方」にある。

言いたいことを口に出せて、それが相手に伝わるためには小手先のテクニックではどうしようもない。

「自分」を素直に肯定し、相手も同じように尊重する。

そういう姿勢が身につかなければ、言葉は空を切るだけではなく、思いとは逆のメッセージとして相手に捉えられてしまうこともあるのだ。

■いや、いや、私はしっかりとした自尊心をもっているし、他人に共感することを旨として生きているから大丈夫。

なんて考えがちで、実は私もそうだったのだけれども、知らず知らずのうちにいろいろな「思い込み」を抱え込んでいるのだな、と気付かされてしまった。

まったく想定外のことである。

■面白かったところをピックアップしてみよう。

【思い込み①】人を傷つけてはならない。

 →それは無理です。

【思い込み②】失敗してはならない。

 →チャレンジが出来なくなります。

【思い込み③】人に好かれなければならない。

 →自分を隠すようになってしまいます。

■要するにものごとを現実的に捉えようということだ。

そりゃ、そうだよねー、当たり前じゃん。

と思ってしまいがちだが、それは他人のことを指摘する場合のことで、さて自分のこととなると途端に「現実」が見えなくなり、勝手な思い込みで自分を縛り上げて身動きが出来なくなってしまうのだ。

それでは健全な「伝え方」はできないし、実際に伝わらない。

仕事でうまくいっていない件についてプロジェクトの会議で報告するときなんか、もうガンジガラメになって動けなくなっている自分がいたりするのである。

一番問題なのは、そのことに「気付かない」ことなのだと思う。

■もうひとつ、「アサーティブ権」なる権利を「私」も「相手」も「まわりの人」も皆もっている、という考え方も面白い。

これらの「考え」に違和感を覚えるところがあったら、「私」或いは「相手」が「OKでない」、という態度が心の底に潜んでいるのだそうだ。

・自分には十分に価値がある

・完璧でなくてもいい

・自分を表現してもいい、変更してもいい

・表現しなくてもいい

・間違いや失敗をしてもいい、責任を取ってもいい

・Noを言ってもいい

・相手に要求してもいい、欲しいものを望んでもいい

・周囲の期待に応えなくていい

■アタマで考えれば、その通り、なんだけど自分の気持ちに寄り添ってこれらの言葉を眺めてみると違和感感じまくり。

40年も生きてると随分と歪みが出てくるものである。

自分の完璧主義には手を焼いているのでそういうところは素直に受け入れられるのだけれど、「表現しなくていい」とか「責任を取ってもいい」とかいうのにはビックリした。

その一方で、「それがあなたに与えられた権利なのです」と改めていわれると何だか心の深いところでほっとするところがある。

■「責任をとる」ということが社会的関係性の中で否応無く覆いかぶさってくるものではなく、自ら選びとる「権利」なのだ、という考え方には特にしみじみ感じ入るところがあった。

その考え方を身につけていたならば、前の農水大臣も次官も「事故米騒動」で解任に追い込まれるような発言をすることはなかったに違いない。

国家を背負ったエリート殿でさえこうなのだから、まあ「歪んでる」というのは特に恥じることではないだろう。

■というわけで、自らの「歪み」に気をつけるべし、なんだけど、やっぱり実際その時になるとなかなか気付かないものである。

なので、何だか上手くいかないなーと思ったときにでも再度眺めてみようと思う。

文字が少なくて読みやすい本だし、そう億劫でもないだろう。

                          <2008.09.25 記>

■「言いたいことが言えない人」のための本
 ―ビジネスでは“アサーティブ”に話そう!

■畔柳 修 著 同文館出版 (2007/09)

■アサーティブ・コミュニケーション
     ―言いたいことを「言える」人になる

■岩舩 展子、渋谷 武子 著 PHP (2007/08)
■とても、ゆるくて読みやすい本なんだけど、具体的な場面で陥りやすいワナを結構するどく言い当てていて、実用としてはむしろコッチの方が役に立つかもしれません。
 

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2008年9月23日 (火)

■暗闇に潜む気配から身を守る方法について。『爆笑問題のニッポンの教養』 民俗学、常光徹。

今回のテーマは、民俗学。

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■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE047:「“学校の怪談”のヒ・ミ・ツ」 2008.9.16放送
国立歴史民俗博物館副館長 民俗学、常光徹。

■民族学とは日々の営みや民間伝承などから、そこに込められた意味を探る学問なのだそうだ。

そんな中でも常光先生は一風変わった存在である。

中学校の教師をしていた時代に生徒のあいだで広まっている怪談に興味をもち、そのままその研究者になってしまった方なのである。

■学校の怪談といえば、トイレの花子さん。

一人で陰部を露出して無防備にしゃがむ、その心細さが背景にあるのでは、と常光先生はにらんでいる。

確かに理科室の人体模型が動き出すのも真夜中の学校であって「心細い状態」が怪談を生む条件のひとつなのかもしれない。

■さらに、と考えていくならば、不特定多数のひとがいる、或いはいたであろう場所、という条件もあてはまるかもしれない。

トイレが怖いといっても、離れにあった昔の便所ならいざしらず、現代の各家庭のトイレではなかなか怪談は成立しにくいだろう。

いつもジメついていて不特定多数の臭気が入り混じった学校のトイレ。

そこの奥から二番目の個室で、むかし・・・、

といった想像力をかき立てる「雰囲気」というものがある。

■その実体の無い「雰囲気」に物語というカタチを与え、なんとか理解して消化しようという試みが「怪談」なのではないだろうか。

何しろ、「何なのかワケが分からないもの」というのはいちばん厄介で、どう対処していいやら分からない絶望的な不安に襲われるものである。

だから、それに「名前」を与えてやることで、口裂け女に対する「ポマード」のような、意味は分からないけれど何らかの「対処法」をあみだし、それにすがるのではないだろうか。

■霊柩車を見たら親指を隠すとか、何やら汚いものを見たときには指を交差させてえんがちょをするとか、そういう仕草には、具体的な由来があって、それを紐解いていくと当たり前だと思っていた日常が面白くなる。と、常光先生はいう。

確かにそこには古い童謡の本来の意味を探るのと同じような知的面白さがある。

けれどその一方で、意味自体が失われたにしても、「親指を隠す」とか「えんがちょ」(或いは「ダブルえんがちょ」)をしたときの指の感覚それ自体がことばとか意味とかそういうものを越えた安心感を生み出すことも我々が体験的に知っている事実である。

■不安の本質が「ワケのわからない」ものだとするならば、対抗手段は「知る」ことではなく、それに対する結界を張る具体的行為にこそあるのではないだろうか。

それら「結界」の仕草をツボとか経絡の概念で調べてみると、不安定な神経を落ち着かせる作用があるとか、意外とそこに「理屈」を通り越した「意味」が見い出せるかもしれない。

だとすると面白いんだけどね。

                             <2008.09.23 記>

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■『 しぐさの民俗学 ―呪術的世界と心性 』
■常光徹 著 ミネルヴァ書房 (2006/09)
   

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■『 学校の怪談 』(講談社KK文庫)
■常光徹 著  講談社 (1990/11)
   

■『 学校の怪談 ―口承文芸の研究〈1〉 』
■常光徹 著 角川書店 (2002/07)
   

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2008年9月15日 (月)

■【書評】『二十一世紀に生きる君たちへ』 司馬遼太郎。朽ちることの無い人生の道しるべ。

子供たちに向けた司馬遼太郎さんの言葉は極めて熱く、真摯で、真剣で、それでいてあたたかく、希望に満ちている。

小学校高学年の教科書に載せた2つの文章。

たった47ページの本である。

だが「如何に生きるか」ということについて考え抜き、練りに練られた文章につよく引き込まれた。

Photo_2 
■『二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)』
司馬遼太郎 著
(1989年、小学校5、6年生の国語教科書への書き下ろし)

■『二十一世紀に生きる君たちへ』は、人間が生きていく上での心構えについて語っている。

21世紀がどういう時代になるかは分からない、とした上で、決して変わらないものがあるという。

人は水や空気、つまり「自然」がなければ生きていけない。我々はその中で「生かされた」存在であり、いかに科学技術が発展しても人間は大いなる自然の一部であり続けるだろう。

そこから生まれてくる自然に対する畏怖と尊敬の気持ちを忘れてはいけない、ということだ。

■それと同様に、社会における個人もまた孤立したものではなく、他の人たちに支えられ助け合って生きているのだ、ということを司馬さんは語りかけてくる。

いたわり、やさしさ、他人の痛みを感じること。

社会を形作るその価値観・道徳は、残念ながら我々に本能的に備わっているものではない。

「訓練」して身につけるものだ、という。

けれど、それはそれほど難しいことではなくて、友達が転んだときに「痛かっただろうな」と感じる気持ち、そういった気持ちをつくりあげていけばいい。その気持ちを育てていけばいい。

そういった、いたわりの気持ちを備えた「たのもしい自己」を自ら鍛え、自信をもってしっかり歩んでいって欲しい、と願う。

この文章からは、そういう司馬遼太郎さんの厳しくもあたたかいメッセージが溢れ出している。

■歴史というものは「戦争」や「迫害」と切り離すことはできない。

それを見つめ続けてきた司馬さんは、今回、敢えて「戦争」や「迫害」という言葉を避けている。

そこにあるのは、人間とは「争い」や「差別」から逃れられないものだ、という悲観論ではなく、

まだ人として芽生えたばかりの子供の時代から自然や他者をいたわり尊敬する気持ちを「価値観・道徳」として育んでいけば、きっと皆が笑顔で暮らせる世の中がくる。

それを諦めない強靭な楽観論である。

この短い文章を繰り返し読むことで、その司馬さんの信念がくっきりと浮かびあがり、深くふかく心を揺さぶられる。

■21世紀の現在。

価値観の多様化だなんだと、信じるべきものが何か分からない、そんな時代に我々は生きている。

司馬遼太郎さんはそのことを見越していたのだろうか。

「生きる」ということは決して難しいことではなくて、人として基本的なことを見失わなわず、大地をしっかりと踏みしめて行けばいい。

それは、とても心強い、人生の応援歌なのである。

■併載されている『洪庵のたいまつ』もまた沁みる。

幕末の蘭方医、緒方洪庵は、自ら「世に出る」ことよりも人を救うこと、学んだことを後進に伝えることを重んじた。

その精神が大村益次郎や福沢諭吉に伝わり、さらにその門人たちに拡がっていく。

それが「明治」という新しい時代を拓く原動力になった。

明治の英雄よりも、それを育てた者にこそ価値があるという視点。

それは「ひとつの個人」を歴史の流れの中で捉える人生観だ。

■「私が、ワタシが」と、「私」というものにしか興味のない、その狭い檻の中で悩み苦しむ己がいかに小さいことか。

「私」をつくりあげてくれた先人たちがあって、「私」のあとに続く者たちがいる。

「その流れの中で『自己』というものを見つめてごらん」

という導きによって、人生の視界が少しずつ拡がっていく。

「個」という、孤独で寂しい一つの点に過ぎなかった「私」というものが、人とのつながりによって時間と空間を超えて大きく展開していく。

■そのダイナミックな心の動きに震えると同時に、

「無理をしてがむしゃらに成功しなくても、周りに対して思いやりをもって真っ直ぐ生きていれば、あなたの人生は大丈夫だよ」

と、その行間から漏れてくる司馬さんのやさしさに、こわばっていた表情も、肩に入っていた力もゆるんでいく。

こういうのをカタルシスというのだろうか。

■『二十一世紀に生きる君たちへ』も『洪庵のたいまつ』も、人がひととして生き続ける限り朽ちることの無い人生の道しるべである。

少年時代においても、青年時代においても、社会の中堅を担う年になっても、迷ったときに立ち戻るべき灯台なのである。

                        <2008.09.08 記>

■『二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)』 
司馬遼太郎 著 世界文化社(2001年2月12日初版発行)
■司馬さんが亡くなったのは1996年2月12日、享年72歳。
本書は21世紀に入って初めての命日に刊行された。
    

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2008年9月 8日 (月)

■勇気を持ってゆっくり行け。『プロフェッショナル・仕事の流儀』 競泳コーチ・平井伯昌。

今回のプロフェッショナルは、競泳コーチの平井伯昌さん。

Photo_3
■北京五輪スペシャル・「攻めの泳ぎが、世界を制した」
競泳コーチ・平井伯昌。<2008.09.02放送> (番組HPより)

■今回の北京五輪で一番印象に残ったのは、北島康介が100m平泳ぎを世界新で勝利したときのインタビューだ。

「すいません、・・・なんも言えねぇ。」

ああ、随分分苦しんだんだな、と胸にグッときた。

その北島と共に歩み、ここまで引っ張ってきたのが今回の主役、平井伯昌さんだ。

■北京五輪3ヶ月前から平井さんの姿を追った番組をみていて、コーチとしてのあり方についていろいろと参考になるポイントがあった。

①選手の「攻めの気持ち」を支える。

②指導は「ワンポイント」に絞って伝える。

③選手の一歩先をいく。
  先に悩んでおいて「その時」に選手を迷わせない。

④精神はカラダで鍛える。
  ここまでやったんだという自信をつけさせる。

■けれど、そういった「ポイント」の以前に、北島と平井コーチの間の絶対的な信頼感というものがあって、それが北島の心を支えたのだと思う。

当時、中学生だった北島の「目つき」に惚れ込み、シドニー、アテネ、北京と、世界の頂点で共に苦労して歩んできたその年月がすべての礎となっているのだろう。

自信とか信頼とかいったものは短期間で出来上がるものではなく、ましてや「コーチング・マニュアル」だけで作られるものではない。

■一般の生活において、これだけ濃密な関係を築くことはなかなか出来ないはなしであろう。

けれど、少なくともお互いに信じあえる関係を作り上げることは可能なのじゃないだろうか。

そのためにはどうしたらいいのか。

それはたぶん言葉で表現できるようなことじゃなくて、でも実は、とても単純で基本的なことなのかもしれない。

その単純なことが出来ないのが人間だったりするのだけれど。

                         <2008.09.07 記>

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■「世界でただ一人の君へ―新人類 北島康介の育て方』
平井伯昌 著 (2004年7月)
    

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過去の記事■『プロフェッショナル・仕事の流儀』

■『プロフェッショナル・仕事の流儀』番組HP

■茂木健一郎さんのクオリア日記にT/Bさせていただきます。

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2008年9月 7日 (日)

■環境ホルモンってOKじゃなかったの?

「ビスフェノールA」脳の神経組織に悪影響…サルで証明
プラスチック製の食器などから溶け出す化学物質ビスフェノールA(BPA)によって、脳の神経組織の形成が妨げられることが、サルを使った米エール大などの実験で分かった。
<2008年9月6日 読売新聞>

■一時期世間を騒がしていた環境ホルモンだけれども、なんか知らんうちに「大丈夫」ってことになっていったように認識していた。

やっぱり、やばかったんじゃん!

と、慌てるのは軽薄すぎるだろうか。

■こんなことを今さら言われても独身時代にはコンビ二弁当、カップラーメンの毎日だったから、もう手遅れ・・・。

「異常が現れたのは、記憶や学習をつかさどる海馬などの、『スパイン』とよばれる構造」なのだそうで、そういや最近物忘れがハゲシくなってきた気もしてくる。

さらには「うつ病などの気分障害にもつながる可能性があり」なんて言われると、ああ、この気分の落ち込みもビスフェノールAの影響によるのもじゃないかと疑心暗鬼になってしまうのである。

■で、気になるので調べてみたら、怖いのはコンビ二弁当よりも「缶詰」で、缶の内側の樹脂皮膜にビスフェノールAが含まれていて、缶詰の殺菌熱処理過程で内容物に移行するのだそうだ。

ツナ缶とかコンビーフとか、さらには缶コーヒーなんかもビスフェノールAの溶出量が大きいらしい。(下の調査データをご確認下さい。)

■問題なのはその溶出量が人体に影響を与えるかどうかだ。

今回の報道内容からすると、現在許容量とされている濃度で「影響」が出たということで、どうも極めて怪しい雰囲気だ。

といっても、シーチキンにタマネギのみじん切りを混ぜてマヨネーズで頂く至福を諦めろというのもずいぶんに酷な話で、まあ、聞かなかったことにしよう。

というのがとりあえずの結論なのだけれど・・・、駄目かな?

                           <2008.09.06 記>

Photo_2 ■『奪われし未来』

      

●フェノール類の食品汚染実態及び摂取量に関する調査研究 ―各種食品のビスフェノールA汚染実態調査―

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2008年9月 6日 (土)

■会話のチカラ。

■このあいだ、NHKの「ためしてガッテン」で「予防効果8倍!アルツハイマー病制圧3原則」ってので面白いことをやっていた。

アルツハイマー病の発症を防ぐ3原則として「会話相手をもつ」。ということが挙げられていたのだ。

欧州で1200人の老人を3年間に渡って調査したところ、家族とか友人と接する機会が多い老人は、社会的接触の乏しい老人に比べて認知症の発症率が8倍も小さかったという。

■実際に被験者の脳の活動をモニターしながら一人でテレビを見ているときと、一対一で会話をしているときとを比べてみる。

すると、テレビを見ているときには脳はボンヤリとしか活動していなかったのに対して、会話をしているときは脳全体が非常に活発にハタライテいることが分かった。

定量値での比較はなかったけれど、脳波測定をしているひとが「おおっ!」と驚きの声を上げていたから、よっぽど大きな違いなのだろう。(イイカゲンダナー(笑))

■確かに「会話」ってのは不思議なものである。

ひとりでウジウジ悩んでいたことも、他の人に話をしてみると何だか妙にアタマの中が整理されてくる。

相手はうんうんと相槌をうっているだけなのにも関わらず、ああ、そうか。と求めていた答えにひとりでにたどり着いたりするのだ。

■それは「思考」を「言葉」として「外在化」することで「客観的」に「事実」を捉えることが可能になるからなのだろう・・・。

てな感じで、かなり意味不明な抽象的理解をしていたのだけれど、

ナルホド、「会話」という行動が脳を大幅に活性化させるという事実が、この不思議に具体的な解答を与えている。

まさに、ガッテン。

■家庭にせよ、職場にせよ、常に会話があふれている「場」には元気がある。そこにいる人たちの脳みそが活性化されていて空気が澱むことは無い。

一方、会話がなく、そこにいる人たちがそれぞれに黙々と何かをしている「場」というのは、整然としていて一見効率がいいように思えるのだけれど、空気が重くてどこか落ち着かない。

決まりきった流れ作業をしているときは別として、何か創造的なものを生み出そうとするときには「ジッと集中して考える」よりも「ねぇねぇ聞いてよ、どう思う?」なんて方が意外と上手くいくのかもしれない。

■といっても、「常に会話があふれる」家庭や職場ってのは作ろうとして無理やり作れるもんでもないんだけどな。

ま、とりあえず挨拶あたりから始めるんだろうね。

                            <2008.09.06 記>

Photo
■『雑談力―誰とでも無理なく話せる』
  

■「ボケ」が気になる方はコチラ↓
■『ためしてガッテン』「予防効果8倍!アルツハイマー病制圧3原則」
(2008年9月3日放送)

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2008年8月27日 (水)

■【書評】『悩む力』 姜 尚中。悩み抜いた果てにたどり着くであろう他者とのつながり。

姜 尚中(カン サンジュン)さんは、政治学者でありながら’学者’らしくない人である。

その言葉は理屈だけによって構築された無味乾燥したものではなく、そこには熱い血潮が通っている。

それ故に姜 尚中さんの言葉はいつも胸に響くのだ。

Photo
■悩む力 (集英社新書) 姜 尚中 著

「自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、其犠牲としてみんなこの淋しみを味あわなくてはならないでしょう。」 夏目漱石 『こころ』より

■西洋近代文明の恩恵にあずかって我々は100年前には想像もできなかった夢のように豊かな生活を謳歌している、ということに疑いの余地は無いだろう。

けれどその一方で個人こじんの心はひりつくような孤独にさらされている、というのもまた事実。

市場自由化、収益至上主義によって地域や業者同士のつながりは解体され、また個人の権利を重視するあまりに教師や医師といった「聖職」の権威は失墜した。

我々の心の安らぎは失われ、時代の殺伐とした空気は取り返しのつかないところまできているようにも思える。

■この現代における「個人」の危機にどう向き合うのか。

個人の「悩み」はあくまでも個人によるものであって、その人にしかその悩みは分からないし、解決もできない。

姜 尚中さんは本書において、自分自身の葛藤、悩みを通して我々に語りかけてくる。

だからこそ、一般論ではない、人間・姜 尚中の赤裸々な「自我」の彷徨が我々を捉え、生きる指針のヒントを与えてくれるのだ。

■「孤独な自我」と「他者」とのつながりに生まれる矛盾と葛藤について悩み続けた文豪・夏目漱石。

西洋近代文明の根本原理を「合理化」に置き、文明が進むことによって人間の社会が解体され個人がむき出しになり孤独に陥っていく、という世界観を提示した社会学者マックス・ウェーバー。

100年前、19世紀から20世紀に移り変わる時代に生きたこの二人の思想を「対」にして咀嚼することで、姜 尚中さんは自我の危機を乗り越えてきたのだそうだ。

曰く、「まじめ」たれ。

■己の自我と他者の自我とのつながりを求めつつも避けることの出来ない軋轢。他者から「認められない」と感じることによって生じる不安と絶望。

私が私として生きていくことの意味とは何か。

自我をめぐる悩みは決して解決することはないだろう。

けれど、まじめに苦悩に向かい合い、真剣に悩み抜く

その先に「解答」は無いのかもしれないが、それぞれの人がそれぞれに生きていく「方向」が見えてくるに違いない。

その、如何にも姜 尚中さんらしい真摯な姿勢が清々しい。

■他者とのつながりの先に幸福と安心があるのだと信じ続ける。

多少の右往左往は承知の上。

ゆっくりでも構わない。

長い目でみて、その道を進み続けることが出来ればそれでいい。

それが、今、私が感じていることである。

                           <2008.08.27 記>

■『悩む力』 姜 尚中 著(集英社新書 2008年月初版)
  

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■『こゝろ』 夏目漱石 著 (角川文庫)
■最近、読み直して高校時代には感じなかった感動を味わった。
前半での「私」と先生、先生の奥さんとの関わり合いのゆるやかさが、後半の先生の長い手紙に滲む「苦しさ」を際立たせる。
なんて偉そうに書く割りには、漱石はこれしか読んでいません(苦)。
   

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■『私の個人主義』 夏目漱石 著 (講談社学術文庫 )
■夏目漱石の講演記録。
これを読んで少し夏目漱石の声でも聞いてみようかと思う。
   

■『姜尚中の政治学入門 』 姜尚中 著 (集英社新書)
■「論理」(ロゴス)と「情念」(パトス)のふたつの観点を包み込むことで、世界において現代の日本が置かれている状況を読み解く。
「アメリカ」、「暴力」、「主権」、「憲法」、「戦後民主主義」、「歴史認識」、「東北アジア」の7つのキーワードによって、今という時代を構造として捉える道案内をしてくれる。姜 尚中の発言の背後にある思想にふれることが出来る一冊。
  

■『鬱の力』 五木 寛之 香山 リカ 共著 (幻冬舎新書)
■書店で『悩む力』のとなりに並んでいたのを衝動買い。
「現代の日本を覆う『欝の気分』は果たして悪いことなのだろうか」という切り口で進行していく作家・五木 寛之と精神科医・香山リカとの対談録。
今という時代の苦しみを肯定するというアプローチは姜 尚中さんの『悩む力』と同じだが読後感は180度違う。
いろいろな切り口で論が進み知的には面白いのだけれども、なんとも権威的でこころに触れないというのか響かない。まだまだコチラの精進が足りないのであろうか。
注意すべきは現在「うつ病」で苦しんでいる方は読まない方がいいということ。
ここで語られているのは「現実としての病気」とは違った「時代の気分」の話であって、そこを読み違えると具合が悪いことになると思います。ご注意を。
   

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2008年8月23日 (土)

■【書評】『放送禁止歌』 森 達也。それもまた思考停止のひとつのカタチなのだ。

自分の頭でシッカリと考えること。

森達也さんが一貫して訴え続けていることである。

Photo_3 ■放送禁止歌  森 達也 著

■『放送禁止歌』は、テレビディレクターとして数多くのドキュメンタリー作品を演出してきた森達也さんの代表作のひとつである。

イムジン河、網走番外地、通りゃんせ、時には娼婦のように、ヨイトマケの唄、竹田の子守唄、・・・。

「放送禁止歌」とはその内容が反体制的であったり、あからさまな性表現があったり、差別的な内容や言葉が歌詞に含まれていたりするために「放送することが出来ない歌」のことである。

ところが放送されないはずの『イムジン河』がNHKのフォーク番組で流された。

森さんは、その経緯を調べていくうちに「放送禁止歌」という放送規定の驚くべき正体にたどりつく。

■創成期からテレビマンとして番組作りに携わってきた男がいう。

「テレビはマスメディアとして成長していく過程で、とにかく毒とみなされるものを少しずつ排除しながら角をどんどん丸くしてきた。・・・、しかし表現としては取り返しのつかない道を歩んでしまったのかもしれない。」

世の中がどんどんスピードアップしていく中で、悩ましい問題は単純化され、基準化され、その基準の意味も、いやその内容すら顧みられなくなっていく。

■もっと早く、もっと多く。

加速していく時間にもう追いつけないという感覚は既に80年代からあったけれども、21世紀に入ってさらにその加速度は増していっているように思える。

その非人間的速度の中で正常を保っていくためには自らの思考回路をマヒさせるより仕方が無い。

それは無自覚に進行していく生物学的防衛機構の作動ともいえるだろう。

■テレビ番組に限った話ではない。

機械設計の現場でも「基準化、マニュアル化」が進み、その「意味」を理解しようとしない、そんなことを考えもしない風潮がじわじわと広がっているようにみえる。

トラックの車軸強度不足やエレベーター事故。ここ数年の「事件」や「不祥事」は、そういった時代の流れと無関係では無いだろう。

■「放送禁止歌という存在が象徴するように、僕らは視界を自ら狭めて思考を停止させてしまう傾向がきっとある。

見ることなく、聞くことなく、したり顔で語ってしまうことがきっとある。

難しいことじゃない。

見ればよい。聞けばよい。話せばよい。知ればよい。

それだけで視座は確実に変わる。それだけは間違いない。」(P214より抜粋)

■この本の前に森さんの『いのちの食べ方』(理論社、2004)を読んだのだけれど、「差別について知ること」ばかり強調したその姿勢に強い疑問符を抱いていた。

知らなくてもよいことを無垢な子供たちにわざわざ教えなくてもいいじゃないか、そう思っていた。

けれど、それもまた思考停止のひとつのカタチなのだと気がついた。

「知らなくてもよい」と思ったその時点で、「見ることなく、聞くことなく、したり顔で語ってしまう」自分がそこにいるのだ。

【思考停止】は、常に無自覚にやってくる。

ご用心、ご用心。

                          <2008.08.23 記>

■放送禁止歌 (知恵の森文庫 2003年6月初版) 森 達也 著 
解放出版社刊『放送禁止歌』(2000年7月初版)より加筆修正。
  

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■世界が完全に思考停止する前に
(角川文庫 2006年6月初版、単行本:2004年10月初版)
■森達也さんの評論集。
森さんは9.11アメリカ同時多発テロ事件以降の世界を、オウム真理教の地下鉄サリン事件以降に日本を覆った不安と焦燥に重ねている。
ともすると「『私』個人としての思考」を忘れ、世の中を覆う空気に無自覚に流される我々。そして無批判にそれを受け入れ、それを批判するものを排斥する単純さ。
世界は確実に壊れつつある、という言葉が重たい一冊である。

   
■関連記事■
■【書評】『いのちの食べかた』 森 達也。「知ろう」とするときに求められる姿勢について。
        

■過去記事■
■【書評】ひつじの本棚 <バックナンバー>
 

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2008年8月11日 (月)

■NHK課外授業 ~ようこそ先輩~ 押井守。視点を変えることで生まれる不思議な感覚。

押井 守 監督が母校の小学生を相手に「授業」をおこなった。

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■NHK 課外授業 ~ようこそ先輩~
「“見方”を変えて 退屈をけとばせ」 押井守。 <2008年7月20日放送>

■大学生の頃、家庭教師をしていた生徒の家が小学1年生の頃まで私が住んでいた社宅の近くだったので、そこを覗いてみたことがある。

場所も造りもほとんど変わらないはずなのに、そこには見たことも無いミニチュアのような小さくせせこましい景色があった。

その、「知っているはずなのに見たことの無い」不思議な風景を前にして、あの私の知っている子供の頃の景色はもう自分の記憶の中にしか存在しないのだと、すこし寂しい気分におそわれた。

45年ぶりに母校を訪れた押井守も、それとおんなじ感覚を覚えたようだ。

■今回の授業のテーマは、視点を変えることで起きる不思議を体験すること。

押井守は小学生たちを外に連れ出し、都心を流れる川を屋形船で遡り、まわりよりもずっと低い川面から見上げる首都高速やビル群がいつもとは違う大きな強さをもって覆いかぶさってくる、そういう不思議な感覚を彼らに教えた。

その足で超高層ビルの展望室に移動して、同じ都心の町並みを今度は上から見下ろしてみる。

なんとも頼りない、模型のような風景。

そこでは、さっきの力強い生命感はすっかり影を潜めている。

■同じ景色も視点を変えることで、これほどまでにも違って見える。

その感動を意識的に学ぶことが出来た小学生たちはとても幸福である。

これから成長し大人になっていく過程でその記憶はきっと薄れていくだろう。

けれど、ふとした瞬間にその時の感覚を思い出す。

世の中に「絶対」などというものはなく、今、目に映っているもの、そしてそこから感じるものは、物理的にも心理的にも、今の自分の「視線」の位置によるものでしかない。

今回の授業の記憶は、そのことに気付くための強力な切っ掛けとして、彼らの胸の中に深く埋め込まれたに違いない。

■押井守は「それ」が映画監督の仕事なのだという。

現実も、妄想も、どちらも自らの心に映るものであって、それをどうやって区別しようというのか。

いかにも押井 守 監督らしい授業であった。

                          <2008.08.11 記>

【追記】台湾の町並みを撮影するのにリアカーにカメラを載せて「犬の視線の高さ、犬の歩く速さ」で撮った映像が紹介されていたけれど、これは面白かった。主としてアニメを表現手段として選択しているけれど、押井守は根っからの映画監督なんだな、と感嘆した次第。

   

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■【DVD】 うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー
■攻殻機動隊もいいけれど、やっぱり押井守の原点はビューティフル・ドリーマーなんだとおもう。

     

押井守 監督 最新作 映画『スカイ・クロラ』公式HP
■主人公たちが飛ばす戦闘機が【震電】(しんでん)というところがマニア泣かせだ。やっぱり、これが編隊で出撃していく光景を「妄想」したかったんだろうな。

NHK 課外授業 ~ようこそ先輩~番組HP

    

■過去記事■ 文化・芸術など

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大石英司さんの’代替空港’
’悠々日記’ さんの「NHK「課外授業ようこそ先輩」に押井守監督が登場」
 

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2008年8月10日 (日)

■すべては自分の内から生まれてくる。『プロフェッショナル・仕事の流儀』 映画監督・宮崎駿。

今回のプロフェッショナルは夏休みスペシャル拡大版。

宮崎駿さんが『崖の上のポニョ』を生み出す過程をカメラが追った。

080805
■宮崎駿のすべて ~「ポニョ」密着300日~・映画監督・宮崎駿
<2008.08.05放送> (番組HPより)

■「映画の奴隷になる」、宮崎さんはそう語った。

’この映画はこうでなきゃいけない’という「宿命」がある。

作品とは自らの意思で創りあげるものではないのだ。

■主人公のイメージを決めたら、いきなりシナリオを書き始めるのではなく、イメージボード(スケッチ)を描き、毎日の散歩でみた身近な風景や、スタッフとのたわいない会話から、さらにそのイメージが膨らんでいく。

物語は、今、この瞬間に感じるものが、これまで今まで生きてきた自分自身の足跡と重なり、共鳴することで立ち上がってくるものなのだ。

■「生まれてこなければよかった」。

母親が病身で思い切り甘えることが出来ず、ムリに「いい子」であろうとして屈折していった幼少期。

それが67歳にしてなお創作の源泉であり続ける。

「楽しんでもらうこと」。

それが「自分が生きていていい唯一の存在理由だ」とつぶやくのだ。

■幼少期に刻まれた母親の笑顔を手に入れようという切なる思いは、アニメーション作家になって以降の宮崎さんにとって作品を見てくれる子供たちの笑顔に直結する。

宮崎さんの作家活動は自らの心の奥でうずき続ける屈折した幼児期の自分を救済する為に存在するのだろう。

だから「本当の笑顔」を得るために決して妥協はしない。

それは理屈によって生み出せるものではなく、鬱屈したこころの奥底に沈む「なにか」から浮かび上がってくるものなのだ。

■絵コンテの締め切りを過ぎても「それ」が浮かび上がってこない限り先に進むことは出来ない。

「崖の上のポニョ」の終盤のシーン。

歩けないはずの老婆「トキ」が宗佑に歩み寄り、抱きしめる。

その絵コンテを書き上げた宮崎さんの目には涙が浮かんでいた。

それは、決して悲しみによるものではない。

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                            <2008.08.10 記>

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■【DVD】プロフェッショナル 仕事の流儀スペシャル 宮崎 駿の仕事

  

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■【DVD】 ルパン三世 - カリオストロの城
■宮崎駿・初監督作品。79年の公開時点では全く売れずに、その後「アニメージュ」誌上で人気が出た「風の谷のナウシカ」映画化までの5年間(38歳~43歳)は不遇の時代だったのだそうだ。
この映画が「マンガ映画」ではない「映画作品」として存在したことで日本のアニメーション全体が底上げされたように思うのだが、やはり先頭バッターはツライ、ということか。
   

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■【マンガ】 『 風の谷のナウシカ 』 全7巻セット
■『ナウシカ』の完全版をいつか映像で見てみたいものだ。

   

■関連記事■
■感情に正直であること。 宮崎駿

                         

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過去の記事■『プロフェッショナル・仕事の流儀』

■『プロフェッショナル・仕事の流儀』番組HP

■茂木健一郎さんのクオリア日記にT/Bさせていただきます。

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2008年8月 9日 (土)

■【映画評】『キサラギ』。虚構は「偶然」と「必然」が交錯することによって「うっそー!」に昇華するのだ。

ビデオ屋で借りたばっかりなのに来週の木曜にもうテレビ東京でやるって、もっと早く教えてよ・・・(悲)。

でも、いいのだ。

えらく気に入っちゃってDVDでも買おうかぐらいの勢いだったから、早速DVDで録って永久保存版にしてしまうのだ。

なんだ、そう考えると儲かっちゃったじゃないの!

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.18  『キサラギ』               公開:2007年6月
   

  監督: 佐藤祐市    脚本: 古沢良太                     
  出演: 小栗旬 ユースケ・サンタマリア 小出恵介 塚地武雅 香川照之

_
■えぇ―――、うっそー!!な3人。

■最高~に面白い!

閉塞した空間、限られた登場人物の間で煮詰まるように濃密になってゆく物語。

いわゆる「密室劇」というやつで、観る者を引きずり込むその濃密さと集中力ゆえに秀作になりやすいタイプの映画なんだけど、それを十分差し引いたとしても面白い、ってか面白過ぎる。

小栗旬、ユースケ・サンタマリア、小出恵介、塚地武雅、香川照之というキャストの濃さもさることながら、これでもか!これでもか!これでもか~!!!とばかりに「うっそぉー!」と思わずのけぞる「新事実」を連発していく、その突き抜け方が半端ではないのだ。

■それだけじゃなくて、スタイリッシュで斬新な画面作りの面白さ、特に回想シーンの「写真の切り貼り」っぽい動きとか、最低限に抑えているが故に効果的なBGMの絶妙さとか、とか、とか、とか、

いや!! ともかく見ないと始まらない。

四の五のいうより、ともかく見てよ、面白いから!!

と言える映画に出会うのも久しぶりで、なんかとってもうれしいのだ。

これから観る方は是非とも、エンディングまで続く怒涛の展開を存分に味わってください。

■ストーリー■
2007年2月4日、売れないアイドル・如月ミキの一周忌。

ファンサイト管理人「家元」の呼びかけによって、「オダ・ユージ」、「スネーク」、「安男」、「いちご娘。」の5人の男が都内某所の一つの部屋に集まった。

アイドル・ミキちゃんをこよなく愛するメンバーで思い出話に花を咲かせて盛り上がるはずだったのだが、

「彼女は自殺じゃない、殺されたんだ!」

という「オダ・ユージ」の一言から事態は急変。

もしかして犯人がこの中に・・・!?

次々と明かされる意外な事実。果たして如月ミキの死の真相は!?たった一つの部屋の中で生まれる謎は、誰も知らなかった思わぬ結末へと向かっていく・・・

Photo
■DVD 『キサラギ』

   
■■■■■ 以下、ネタバレ注意!! ■■■■■■
■■■ 本編の鑑賞後に先へお進み下さい。 ■■■

        

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

■いや、いくらなんでもびっくりするサ。

●ユースケ・サンタマリア=「オダ・ユージ」

→ 何でも知ってる風の嫌なヤツ、と思ったらミキちゃんのマネージャーだった「デブっ茶」ご本人。そりゃ何でも知ってるさ。って激ヤセにも限度があるでしょ、もう別人だし!

●塚地武雅=「安男」

→ 自分で持ってきたアップルパイにあたって便所に行ってばっかりで、全然はなしについていけないトロい田舎ものかと思いきやミキちゃんの幼馴染って、核心への踏み込み方が急過ぎ!!

●小出恵介=「スネーク」

→ 実は、雑貨屋の馴染みの客と店員の関係でしてって、しかもミキちゃんが自殺した日もお部屋でお茶をご馳走になってって、それがなんでもないことに感じてしまうのは、やっぱり変だよ、おかしいよ!

●香川照之=「いちご娘。」

→ お、お父さん・・・orz

■で、身内じゃない純然たるファンは小栗旬=「家元」、この場を企画した本人だけだった、ってのも惨すぎる。そりゃ、泣きたくもなるわさ。

でも、200通の手紙はちゃんと通じていたんだね。

なんだか無理やりきれいにまとめた感があるけど、「家元」さん良かったじゃないの。「ポン」っと肩を軽く叩きたくなってしまったよ。

■冷静に考えてみると、特に「オダ・ユージ」と「いちご娘。」については、始まりの部分のキャピキャピした「熱狂的ファン」の姿と、「マネージャー」、「お父さん」というその正体との心理的ギャップがありすぎじゃないの?ということになる。

で、もう一度観てみると、「オダ・ユージ」が「デブっ茶」を何気にかばったり、しきりに顔の汗をハンカチでぬぐってたり、「いちご娘。」が「ストーカーじゃない!見守ってたんだ!」と強行に主張してたり、一応の伏線はあって、それぞれの「役作り」はシッカリ一本筋が通っている。

でも、この際そういうことはどうでもよくて、ただただ激流に身を任せるのが正解じゃないかとおもうのだ。

■ミキちゃんの死は、彼女のそっそかしさと本物のアイドルとしてのファンへの想いによって引き起こされた悲しい事故であった。

と男たちが結論に達した、そのあとの展開に、もう釘付けだった。

■家庭用プラネタリュウムで天井に映し出された満天の星々。

そこに、5人の男たち、それぞれの胸に万感の想いが浮かび、消えていく・・・。

(って「家元」、職場でいじめられてるんじゃん(爆)。)

そして、大磯ロングビーチでの夏のライブ映像!

初めて明かされるミキちゃんのそのお姿、その声。

でも、確かに音痴(笑)。

そのままエンドタイトルに流れ込み、如月ミキの『ラブレターはそのままで』にあわせた5人の「親衛隊」によるパフォーマンスは往年の「小劇場ブーム」を思い起こさせる。

うーむ、最後までスタイリッシュな映画だったな~、と思わせておいて

2008年2月4日、宍戸錠 登場!!

この期に及んでこの展開。

いや、もう降参!!!!

                           <2008.08.08 記>

■DVD 『キサラギ』

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Photo_3 
■ 『キサラギ』 オリジナル・サウンド・トラック 
もちろん、如月ミキの「ラブレターはそのままに」も収録。
■【曲目&試聴はコチラ!】

   

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■小説版 『キサラギ』 古沢 良太, 相田 冬二 著

    

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■家庭用プラネタリウム 「ホームスター プロ」
■映画のラストで天井に美しいの星空を映し出した小型プラネタリュウム。
一昨年えいっと買ったのだけど、天井に映して寝転がってぼんやり眺めると本物の星空のようで吸い込まれそうな感覚が味わえる優れもの。当時2歳だった娘にも好評で、これがあるとすぐ寝付いてくれる意外なオマケ付きなのであった。

■CAST■
家元      :小栗旬
オダ・ユージ :ユースケ・サンタマリア
スネーク    :小出恵介
安男      :塚地武雅
イチゴ娘。   :香川照之
如月ミキ    :酒井香奈子
宍戸錠(特別出演)

■STAFF■
監督      :佐藤祐市
企画・プロデューサー:野間清恵
原作・脚本   :古沢良太
音楽      :佐藤直紀
主題歌    :ライムライト 「キサラギ」
撮影      :川村明弘
制作プロダクション:共同テレビジョン

 
■映画 『キサラギ』 公式サイト■

    
■過去記事■

■【映画評】名画座・キネマ電気羊 <目次>へ

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’映画鑑賞★日記’ さんの「キサラギ」
 

   
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2008年8月 6日 (水)

■【書評】『第三の脳』、傳田光洋。「皮膚が『見る』世界」と「こころ」の在り処。

「今の仕事が”肌”に合う」なんてよく言うけれど、まさに文字通りで、皮膚は、まわりの環境についていろいろと「考えて」いるらしい。

皮膚についての科学的な分析から出発し、「われわれの『こころ』の在り処」にまで肉薄する極めてチャレンジングな本である。

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■ 第三の脳 ――皮膚から考える命、こころ、世界
資生堂ライフサイエンス研究センター主任研究員 傳田光洋 著

■最新の研究から、皮膚にはいろいろな機能があることが分かってきた。

①カラダの水分を逃がさず異物の侵入を防ぐバリア機能。
 (うるおいのある角層)。

②角層が破壊されたときに起きる免疫反応
 (炎症物質サイトカインの合成、分泌)及び抗菌作用。

③温度、圧力、湿度を検知し神経に伝える情報処理機能
 (末梢神経の密度より桁違いに肌理の細かい感覚器官)。

④「色」を識別して反応する。
 (青色光と赤色光で破壊されたバリアの回復度が異なる。)

⑤ホルモンの受容体を持ち、神経と同じく「興奮」、「抑制」をする。

⑥表皮の表面と裏側で電場を維持する。

⑦表皮細胞が相互につながって電気信号を伝える。
 (低周波の電波を発信している。)

■そこに立ち現れてくる姿は、カラダを包み込む以外にもさまざまな機能を有している、というだけに留まらない。

情報をやりとりし、反応し、恒常性を維持する。

それは「生物」そのものの姿である。

■実は、我々のカラダが受精卵から発達していく過程をみてみると、脳をはじめとする神経系や目、鼻、口、耳といった感覚器官と「表皮」は同じ部分(外胚葉)から分化していった「兄弟」なのだそうだ。

そうしてみると、その自律的な振る舞いも腑に落ちる。

■今まで我々が持っているイメージそのままに考えると、皮膚はロボットの表面を覆うカバーであり、そこに温度や圧力のセンサーが配置されている、という感じだろう。

けれど実際のところ、皮膚そのものが「外界」と「内部」を分ける「生きている膜」みたいなもので、あたかも単細胞生物のまわりを覆う細胞膜のようである。

アメーバのような単細胞生物には「脳」が無い。

当たり前のようにも思えるが、脳も無いのに周りの環境を「判断」し、不快な環境から逃げ出し、必要な栄養を摂取する。

つまり「細胞膜」自体で「考えている」のだ。

■その構図は、神経が未発達なミミズだって同じである。

さらに言えば、カエルだってミツバチだって同じである。

彼らも決して全ての判断を「脳」に委ねているわけではない。

そして実はわれわれ人間も同じかもしれず、

例えば、腕に蚊が止まったなと「感じて」ピシャリと叩く、その無意識の反応には「脳」が判断をする以前にあたかも皮膚の「感覚」で判断をしているようにも思える。

■さて、タイトルの『第三の脳』である。

皮膚は、神経系が密集する「腸」を『第二の脳』と呼ぶのに続く、『第三の脳』というわけだ。

けれど、ここでいう『脳』は一般に我々の意識が宿るといわれている脳ミソとは少し毛色が異なる。

海に浮かぶ氷山の見える部分を「意識」だとするのならば、海面下にある巨大な氷塊は「無意識」である。

その「意識」を支える「無意識」の部分において、「腸」や「皮膚」が重要なはたらきをしている。それが著者をして「脳」と呼ばせるものであって、そこで生まれてくるものが「体性感覚」というやつである。

■居心地の良さ、というものがある。

それは周りの環境をアタマで判断して得られるものではない。

五感から得られる「状況」だけでなく、肌に感じるあたたかさだとか、オナカの状態だとか、そういったカラダで感じる「全体」なのである。

我々が意識できるのは、そのほんのわずかな部分に過ぎず、大体の「体性感覚」は無意識のうちに処理される。

サカナからカエル、トカゲ、ネズミ、サル、ヒトと進化していく過程のどこかで「意識」が生まれてくるのだろうけれど、ここで「無意識」と考える「体性感覚」の全体はそのすべての段階で存在する。

誤解を恐れずにいうならば、アメーバにも「無意識」はある。

我々が持つ「意識」というやつは進化の過程で付け足しとして生じたものであり、その土台には「無意識」という名の「体性感覚」の海が広がっているのだ。

■さらに個と個のコミュニケーションを考えたとき、

百万のキレイなコトバよりも、だまってギュッと抱きしめられる方が数段伝わることがある。

コトバ=意識ではない、体性感覚=無意識の領域におけるコミュニケーション。

それは赤ん坊が母親に抱かれて安心して眠る、そこから連なる感覚であり、オナカが痛ければ手でさすってあげたり、怪我をしたところに手を当てたりすることで伝わるダイレクトなコミュニケーションなのである。

それゆえに、「理屈」が優先する世の中は「無意識」にとっては生きづらい。

■仕事や職場の人間関係におけるストレスを抱えているときに、

「こういう風に考えて、もっと大人になりなさい」

なんて理路整然と諭されたとしても、アタマでは理解しても「無意識」は決して納得しない。

結果、第二の脳である腸は苦しくうねり、第三の脳である皮膚は荒れてデキモノが出来たりするのである。

それは「無意識」からの悲鳴なのであって、そこで必要なのは苦境を乗り切るためのビジネス書なんかではなく、無条件でそばにいてくれる配偶者であったり、子供であったり、場合によってはペットとの、静かであたたかいスキンシップなのである。

その温もりのなかでこそ「意識」もその健全さを保つのではないだろうか。

■本書には、2007年時点での新たな発見が記されている。

授乳時に母親の脳下垂体で合成され「他人に対する信頼」という感情を導くホルモン、オキシトシン。

そのホルモンが皮膚への刺激によっても生成されるというのだ。

今、社会のなかで「他者に対する信頼感」が急激に崩壊しつつあると危惧する声がある。

その処方箋は、もしかすると実はスキンシップとか、そういうとても生物的で肉体的なところにあるのかもしれない。

                             <2008.08.06 記>

■ 第三の脳 ――皮膚から考える命、こころ、世界
資生堂ライフサイエンス研究センター主任研究員 傳田光洋 著
朝日出版社 2007年07月

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■皮膚は考える
傳田光洋 著 岩波書店  2005年11月
■よりアカデミックな語り口で「皮膚」に対するイメージを根本から覆してくれる本。私はコッチから読みました。


■関連書籍■

『第三の脳』の中で紹介のあった2冊です。
両方とも大変好きな本なので紹介します。

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■無意識の脳 自己意識の脳
■アントニオ・R・ダマシオ 著 田中三彦 訳 講談社 2003年06月

■【書評】『無意識の脳、自己意識の脳』 「私」とは何か?
    
     

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■脳のなかの幽霊
■V.S.ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー 著
角川書店 1999年08月(絶版・・・古書で入手可)

      

■過去記事■
■【書評】ひつじの本棚 <バックナンバー>

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’いいとこ取り読書と気ままな映画’ さんの
「「第三の脳――皮膚から考える命、こころ、世界」 傳田光洋」

・・・いいとこ取り読書。この手があったか!

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2008年7月 3日 (木)

■ただいま考え中♪

娘に「ただいま」、といったら

「考え中~♪」と返された。

なんのことやらと思ったら、

3ちゃんの「クインテット」でやってる歌だった。

見てみると意外とハマるんだな、これが。

よく聞くと

なんだか、身につまされる歌だったりするのであります。

                      <2008.07.03 記>

≪音声注意≫
【動画】『クインテット』 ただいま考え中 (03:23から)
   

Photo ■ ただいま考え中(DVD付)
   
    

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2008年6月10日 (火)

■人と世の中のつながりについて。秋葉原無差別殺傷事件におもう。

<世の中が嫌になったのならば自分ひとりが世を去ればいいものを、・・・ >

今朝の某紙一面コラムの一文である。

■文章には流れというものがあって一部だけを取り出してどうこういうのは正当ではない、というのは分かっているつもりだ。

けれど、それでもやはり、同紙社説を含めたその背後にある「空気」のようなものを感じて何か書かなければという気持ちを抑えられなかったのだ。

■「誰でもよかった」

それは自分を苦しい立場に追い込んだ具体的な人物との対峙を避けた、未成熟な存在であることを示しているようにおもう。

卑怯で、卑劣な人間だ。

そして誰よりも本人が、そうやって自分自身を貶めてきたのだと思う。

■被害にあった方々は、「お前ら」と犯人が憎む一般化された存在などではなく、たった一度の人生をそれぞれの悩みを抱えながら生きてきた、誰にも代えることの出来ない存在だ。

我々の誰もがかけがえの無い存在なのである。

誰一人として不必要な存在など無い。

彼にとって一番必要だったのは、それを気づかせてくれる人に出会うことだったのではないだろうか。

■彼が携帯サイトに犯行予告をしておきながら当局が察知できなかったことについて、何らかの対応が必要だとする意見もある。が、

「管理」・「監視」でものごとを解決しようとするその息苦しさは、自分を大切に思えずに、もがき苦しむ魂たちを更なる瀬戸際へと追い込んでいくだろう。

■自分自身の20代前半を思い返すに、やはり、未熟でわがままで、何よりもそんな自分が嫌だった。

けれど、幸いなことに家族をはじめとしたまわりにいる人たちは、そんなわたしを見限ることなく大切に思ってくれていた、そのおかげで今の自分があるのだと思う。

そういう意味でいえば、彼とわたしの人生を分けたのは、何よりもまわりの人たちとのめぐり合わせにあるのかもしれない。

■「嫌になったのなら勝手に死んでしまえ」

という感情は分からなくもない。

当事者に感情移入するならば、むしろ自然なことだとおもう。

■けれど、今、この瞬間にも「自分」を好きになることが出来ずに悩む、何百万人もの若い人たちのこころに想像力を向けたとき、

また違った感情が浮かび上がってくる。

その気持ちも大切にしたいのだ。

今の自分があるのは世の中から見捨てられることがなかったからだとするならば、未熟な若者を見捨てないのが、我々大人なりの世の中への恩返しなのだとおもう。

■完全に見捨てられた、とわかったとき

人は世の中とのつながりを自らの手で断ち切ろうとする。

その不幸を生み出すのは、我々一人ひとりの「感じ方」そのものであり、「社会」というものが客観的な「何か」などではなく、その一人ひとりの「感じ方」が寄り合ったときに生じる「空気」によって構成されるものだとするならば、いまの日本を包み込む「世知辛さ」は、実はそれは、われわれ自身が生み出したものなのだ。

だから、決してこの事件はひとごとなどではない。

改めて自分と世の中とのつながり方について、じっくりと考えたいとおもう。

                        <2008.06.10 記>

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2008年5月22日 (木)

■「ヒト」を「ヒト」たらしめているもの。『爆笑問題のニッポンの教養』 霊長類社会生態学、山極壽一。   

今回のテーマは、ゴリラ。

いままで【類人猿】という言い方でゴリラを認識していたけれど、分類学上のゴリラは【サル目ヒト科】の動物で、DNAの実に98%が【ヒト】と同じという極めて人間に近い動物なのだ。

京都市動物園を舞台にした爆問初の前後編、二部作。

力が入ってます。

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■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE037:「私が愛したゴリラ(前・後編)」 2008.5.13、20放送
京都大学大学院教授
霊長類社会生態学、山極壽一。

■30年野生のゴリラを見続け、密林で寄り添うように雨宿りをしてその鼓動を直に感じたこともあるという山極先生。

そのまなざしはゴリラをいとおしむものであるけれど、同時に【ヒト】とは何か、という根源的な問いをゴリラの中に見出そうとする研究者として客観的な観察眼でもある。

一体、何がヒトとゴリラを分けているのか。

■ヒトは笑う、ヒトは泣く。

対してゴリラは悲しみに涙を流すことはなく、子供のときのゲタゲタ笑いも大人になると消えてしまう。

ゴリラにも「気持ち」はあるのだけれど、そこに「《私》がどう感じている」ということはあっても、「《相手》がこう感じている」と、相手の気持ちを自分の中に取り込む、ということは無いのだという。

それは「共感」する能力があるか無いかの違いなのだ、というのが山極先生の結論。

おー!

そいつあ、大好きなP・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と同じ結論じゃあないですか!!

■子供が転んで「うわーっ」と泣き出す瞬間。

その寸前に、子供は親と目を合わせ、それを引き金にして「うわーっ」と泣き出すものである。

笑うとか泣くとかいった行動は、「ワタシ」の中だけの現象ではなく、「相手」との関係の中での現象であって、例えそれが孤独のなかで流す涙であったとしても、確実にその心の中には「誰か」の存在があるものだ。

■さらに一対一の関係を超えて、「笑い」や「泣く」という現象は集団の中で伝染していくものである。

そのときヒトは集団との一体感に「安心」とか「興奮」とかいった独特の感情を覚え、さらに、そのことを「うれしい」と感じる。

■そこで太田は「ゴリラは何がうれしいのか?」という問いをたてる。

いい質問だね、と熟考した山極さんは、「ゴリラも鼻歌を歌う」という話を持ち出した。

なんとも「人間的」じゃあないですか。

■「ゴリラの行動を見ていて、いいなぁ、とおもうこの気持ちは理屈じゃない。そこに(人間の)本来的な価値観があるのじゃないかな。」という山極先生のことばは、30年、ゴリラを見続けてきた人の言葉であるだけに、深い。

「人類は何故、世界を支配できたのか。」

とよくいわれるけれど、その問いかけ自体が「【支配】することが【勝者】である」という価値観によるものに過ぎない。

ドーキンスが【利己的な遺伝子】というとき、そこには「利己」の基準となる価値観が既に存在してしまっているのだ。

それを疑え。

山極先生が冒頭に語った「ゴリラはどういう価値観で生きているのかを知りたい」というそのことばに、現代の閉塞感を打ち破る鍵が隠されているのかもしれない。

■ゴリラは何万年経っても人間にはならない。選んだ道が違うのだ。と生物学者としての山極先生はいうのだけれども、と同時にそれは、「人間は何万年経ってもゴリラにはならない」ということを語っている。

「ゴリラの価値観を知りたい」というその心は、決して「ゴリラの幸せ」を目指そうというものではない。

我々は、もう「エデンの園」に戻ることは出来ないのだ。

■我々は「道具」を獲得し、「コトバ」を獲得し、今の繁栄に至っている。

さらにその先を考えたとき、決して「道具」や「コトバ」を獲得する過程で失ったものを取り戻すのではなく、「道具」や「コトバ」を獲得した道の先に、何かを見出すのだろう。

何万年というスケールの中での話ではあるのだけれども、その時期は「今」なのじゃあないだろうか。

山極先生はそういう気持ちで、ゴリラの向こうに人間の未来を見つめている。

■その上で、人間を人間たらしめているのは「共感」という能力である、という山極先生の認識を改めてかみ締めてみると、何やらぼんやりと、人間の未来を切り拓く、何ものかの姿が見えてくる気がするのだ。

少なくとも、それは「競争至上原理」ではない。

「生きもの」としての自分の直感を信じる限り、

それだけは確かだ。

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                         <2008.05.22 記>
    

Photoゴリラ 山極壽一・著

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■利己的な遺伝子 <増補新装版> リチャード・ドーキンス著
■生物は遺伝子の「乗り物」に過ぎない、というドーキンスの考え方は好みではないけれども、その「遺伝子の支配」を乗り越える概念として最後に提示される「ミーム」というアイデアはとても素敵だと思う。

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2008年4月10日 (木)

■突拍子もない角度からのぶつかり合いが「面白い」を生む。『爆笑問題のニッポンの教養』 編集工学、松岡正剛。

今回のテーマは、編集工学。

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■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE023:「世界は編集されている?」 2008.4.1放送
編集工学研究所・所長 松岡正剛。

■「編集工学」ってなんじゃらほい。

というところから始まるのだけれども、

「20世紀のあいだに、平和とか環境を大切にしなきゃいけない、という考え方についてはもう出尽くした。じゃあ、どうするのか?その方法を集めてくる」のが編集工学なのだそうで、やっぱりなんだかわからない。

つまりは、「芸術」、「文学」、「歴史」、「科学」、「哲学」。

そういった個々の「学問」を横断的に捉えてものごとを考える、ということらしい。

■「編集」といえば対象を切りとってつなげる作業のことだと思っていたのだけれども、その編集という作業のメカニズムを考えたとき、入ってくる情報(インプット)と出てゆく表現(アウトプット)のあいだに『ずれ』がある。

その『ずれ』が重要なものであり、「編集」が持つ意味そのものだということのようだ。

■だとするならば編集工学とはいっても、「学問」というよりは、一般にあるものとは質の異なった「表現」を生み出すための新しい「手法、技術の体系」というような気もする。

これは仕事として表現に携わっていない人にとっても重要なことで、それは、日々のたわいもない会話の中でいかに空虚な時間を排し面白く充実したときを楽しめるか、という問題なのである。

もちろん爆笑問題のふたりにとってもそれは重要で、彼らの活動そのもの、根源的な部分を問うはなしなのである。

■太田は言う。

本当に表現したいものがあって、それを語ろうとするのだけれども、語れば語るほど、(その表現は)死んでしまう。

「すべてを語ってしまうと伝わらない」のである。

自分が見たこと聞いたこと学んだこと、そこから生まれてきた何かをひとに伝えようとするとき、何か必ずこぼれ落ちるものがある。

それは、われわれが機械ではなく、生命という「動的」な存在であるからこそ生じるものである。

■機械による転写、伝達はノイズが入りにくい。入るけれどもそれは人間の会話と比べれば圧倒的にノイズが少ない。ほぼすべての場面でデジタル化が進んだ現代においては、その正確さはとんでもなく向上している。

機械の「取りこぼし」は少ないのである。

ところが、「伝わらない」。

ネットに書き込みされた文章をみても、「あ、これはコピペしたな。」というのは何となく分かるものである。文章が死んでいるのだ。

もっと分かりやすく言うと、面白くない。

何故かといえば、情報を「感じ取った」そのひとが過去の経験という巨大な図書館のなかでその情報を咀嚼し、味わい、その結果現れてくるのが「表現」であるからなのだ。

右から左に情報を垂れ流す「コピペ」はに「魂」の存在を全く感じさせることはない。

■では、感じたこと、考えたことをつぶさに表現へ織り込んでいけば、自分オリジナルのその表現は「面白い」ものになるのだろうか。

 柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

                 正岡子規

俳句は、音として五、七、五 の十七文字に束縛された「不自由」な表現手法である。では何故、俳句はひとの心を惹きつけるのか。

夕方のやわらかな風にあたりながら、ひとり縁側にすわって柿をひとかじり。かぁ、かぁとカラスの鳴き声が聞こえたので、ふっと顔をあげてみるとその瞬間、ごーん、という鐘の音が低く長く響いてきた。遠くに法隆寺の影が夕焼けに浮かんでいる。ああ、そろそろ秋も終わりか。などと少しさびしい思いが胸を去来するのであった。

この俳句から浮かんだ光景を自分なりの文章に書き下してみると、だいたい180文字くらいになった。

私のつたない文章の方は、「わたしが感じた心象風景」をいろいろ説明はしているのだけれど、それ以上の「広がり」を感じさせない。

一方、’柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺’が描き出す「広がり」は、ご~~んという鐘の音とともに、どこまでもどこまでも広がっていく。

■この違いは何か、というと俳句は「想像すること」を読み手に託しているからなのではないだろうか。

必要なことがすべて解説されつくした表現とは「教科書」のようなものである。

「教科書」がつまらないのは読み手がそれ以上の想像を膨らませる余地が無いからである。「教科書」が面白いという学生は滅多にいない。

もしいるとするならば人並みはずれた想像力の持ち主であって、そういう人の教科書をみるとそこにのっている肖像写真にひそんでいる「隙」を決して見逃さず、大抵の場合は夏目漱石の耳からバナナが生えていたりするものだ(しかも上向き(笑))。

■編集とは「切ること」である。

インプットされた情報と自分自身をかけあわせた産物を、そのままではなく、最低限にまでそぎ落としていく。

そこで「大切なこと」を取りこぼしてしまうのではないか、と恐れるのではなく、その取りこぼされた部分を「受け手」の想像力が埋めていくとき、表現者自身も想像だにしなかった「作品」が出来上がる。

■太田は自分の漫才について、こう語る。

完璧になるまでとことん練習したいし、そのためにきちんと練習もする。けれど、ライブでやると会場の広さとか、客層によって、「完璧」なはずの「漫才」自体ががらりと変わってしまう。

それはある意味、爆笑問題の芸には「取りこぼし」がいっぱいあって、それゆえに、「爆笑問題」の面白さを説明しているのだと思う。

取りこぼしや隙があるほど、観客はそれを埋めようと想像をはたらかせ、主体的にそこに関わってくる。その「主体的関与」のエネルギーは舞台の上のふたりにも影響を与え、そこにダイナミックな関係性が生まれてくるのだ。だから面白い。その「場」が生きているのだから。

■編集については「切り取る」だけではなく、「つなげる」も大切である。

むしろ、そこが「編集工学」なるものの真骨頂なのだと思う。

それぞれ独立した体系をもつ、いろいろな学問を総合して新たな「ものの見方」を生み出していく。

なーんて書くとかっこいいのだけれど、要は、煤けて線香くさい「鐘」「法隆寺」ということばに「柿」をぶつけた正岡子規のやり方と本質的にはなんら変わるものではない。

そのやり方は、鮮やかなカキの色と甘くてカシュッという食感を読み手に想起させることで、そこにただよう荘厳な線香臭い空気を笑い飛ばす、そういう乱暴で、かつお茶目な行為なのだ。

それは先の教科書好きの学生についても同じで、「夏目漱石」と「耳からバナナ(しかも上向き)」の出会いは極めて正岡子規的であり、編集工学的でもあるのだ。

■番組の後半で「価値に差をつけない二元論」に話が及んだのだけれども、「『善』と『悪』がどちらも必要で価値のあるものだとするこの考えが持つ、「矛盾」をかかえたまま進み続けるというビジョンがとても気に入った。

二つの対立する主張が「両方とも正しい」という優等生的な捉え方よりも、「矛盾してるよ、当たり前ジャン」という捉え方の方が実態に即しているばかりではなく、「面白さ」を生むエネルギーに満ちている。

そこで「正義」というコトバが出てきたら要注意だ。

「正義」は「悪」を許さない、のだから。

実に堅苦しく、緊張する、面白くない考え方である。

■深刻な矛盾は至るところに渦巻いている。

けれど、ある個人や集団を批判、弾圧したところで「矛盾」が解消されるわけではない。一見、解消されたかのように見えても、深いところでのたうちながら再び現れるまでのエネルギーを充満させ続けているだけに過ぎない。

相反するものの「関係性」や「場」を「矛盾」と呼ぶのであって、そこには実態がないからである。

■「矛盾」が消えるものではないとするならば、その「矛盾」を抱えながら生きていくほか仕方ない。

それならば、その矛盾を嘆き、怒り、悲しむよりも笑い飛ばすようでありたい。

そこには確実に耐え難い悲しみが厳然として存在している。

けれど、素直にその悲しみにどっぷりと巻き込まれて嘆く、その一方で、その悲しむべき「矛盾」を自分の肉体から切り離し、客観的、相対的に捉えることができれば、また違う風景が見えてくるのではないか。

自分の感情に、自分の肉体に素直でありながらも、空から客観的にその矛盾の構図を捉えるこころを同時に持つということである。

それ自体が「矛盾」だという気もするけれども、「矛盾」を避けず、けれど正面からぶつけ合うのではなく、思いもよらない違った角度でぶつけてみる試み。

「悪の枢軸」を戦争によって懲らしめるのではなく、もっと突拍子も無い角度からその矛盾に当たることは出来ないか。

■東欧諸国の共産主義が崩壊していったのは、空爆でも掃討作戦でもなく、西側は豊かだよーん、という情報がそこに暮らす東欧諸国の皆さんの間に広がっていったことが大きな要因になった、と認識している。(違っていたらごめんなさい。勉強します。)

太陽政策、融和政策がどの場合でも通用するなどとは思ってはいないけれども、「えー、そんなことで状況が変わっちゃうのぉ?」と脱力してしまうような、誰もいままでに考えたことの無い「切り口」がきっとあるに違いない、ということである。

それは、正岡子規が法隆寺に柿をぶつけた試みと同じであり、あなたが退屈な授業に飽きて、教科書にある聖徳太子の頭の上にニワトリを描いたうえにあまつさえ、ポン!とタマゴまで産ませてしまった、その試みと何ら変わらないアプローチなのだ。

深刻な矛盾を解きほぐすのは、いつだってユーモアなのだと私は思う。

                          <2008.04.10 記>

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■本 『複雑系―生命現象から政治、経済までを統合する知の革命
■M・ミッチェル・ワールドロップ 著■
★★★★☆(17件のレヴュー)
■ソ連は何故急激に崩壊したのか、株の暴落は何故おこるのか、生命はどうやって発生したのか。今までのアプローチでは捉えることの出来ない「複雑なシステムの振る舞い」を「複雑系(Complexity)」と呼ぶ。
■本書は、原子物理学、経済学、遺伝子生物学、電子計算工学、といたさまざまな分野の先端を走る科学者たちが米国サンタフェの地に集い、それぞれの学問大系と異なる分野の人たちと熱く、楽しく、語り合うことで「自己組織的な適応システム」という「複雑系」を捉える道を見出した、そのドラマチックな過程を知的興奮とともに語ってくれる。
■多少厚い本なのだけれど、非常に読みやすく「複雑系」の入門書として最適!という売り文句に偽りは無かった。
■文庫版も含めて絶版になっているが、古書はアマゾンでも十分に出回っているようなので、ちょっと興味があるな、と思った人には是非おすすめです!

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2008年4月 3日 (木)

■【書評】『チャンスと人を引き寄せる話し方』。「相手」あってこその「話し」であり、「私」なのだ。

「相手に伝わる話し方」というフレーズはよく聞くけれども、さらに一歩踏み込んで、相手から影響を受け、相手に影響を与える、そういった「教科書的」でない実践の場面で活きる本である。

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■ チャンスと人を引き寄せる話し方
■稲垣文子 著■
NHKを経て、現在フリーアナウンサーとして活躍中。

■とても読みやすく、すっとアタマに入ってくる。

語りかけるような文体がいい。

20年近いアナウンサーとしてのキャリアの成せるワザか、文章の向こう側から著者の人柄をも含んだやわらかな声とその表情が実際に伝わってくるようだ。

■本書は大きく四つの章立てで構成されている。

・第一章 プロの話し方は、ココが違う

・第二章 初対面から好印象を与える「聞き方」

・第三章 スピーチを100%成功させるテクニック

・第四章 シチュエーション別・上手な話し方

■こうして並べてみると、技巧に走った「いかにも」なイメージがするけれども、実際、内容自体はその通りだったりもする。

けれどもその「いかにも」が、不思議とイヤ味に感じない。

それは、その「テクニック」について御講釈を垂れるのではなく、読者の横に座り、同じ先生の方を向いて学んでいる。

そういう真摯なスタンスが親近感をわかせるからなのだろう。

実際、著者の失敗談を追体験することで読者が著者と同じ目線で学ぶ、という構図が多く、幾多の「現場」をこなしてきたプロフェッショナルの「あ、どうしよう」の部分を共有できるが故に、構えず、すんなりとその内容を受け入れることができるのだ。

■一方、肝心の「テクニック」の方もNHK仕込みの折り紙つき。

口の開き方、声の出し方といった発声の基本から、表情、視線、いろいろなシチュエーションでの対応の仕方まで極めて具体的かつ実践的だ。

「べたべたする話し方にならないようにするには口を縦にあけること」とか、「第一声は上ずりがちだから意識して低めに出す」とか、へぇーと思わせる「技」が消化不良にならない程度にいい塩梅でちりばめられている。

読んでいて、おっ、と思ったところに付箋をつけていたのだけれど、気がついたらポストイットが30枚も減っていた。

多過ぎず、少な過ぎず。まさに、いい塩梅。

■少し引いた目線で眺めてみると、この本自体が「伝わる話し方」そのもののような気もしてくる。

いかにタメになる「30の珠玉の知識」が並んでいたところで、なかなか、こちらにしみじみ伝わってくるものではない。

この本の底流に、著者の読者に対する意識がつよく感じられる。

一貫して乱れることのない「語りかけられている」というイメージはそこから生まれてくるのだろう。

ノウハウ本の「語りかけ口調」というのは珍しくないが、本当に語りかけてくる本に出会うことは稀である。

■よく考えてみれば、相手に話しかける「私」というものは絶対的な存在ではなく、まわりの環境、すなわち、いま目の前にいる、或いはアタマの中で想像する「他者」の影響を強く受けた存在である。

「私」は絶えずゆらぎ、「相手」に合わせて変化する。

その「私」と「相手」の間に生じるダイナミックな動き、それ自体が「伝える」という行為の本質であって、それは決して口から発する音声のみで成り立つものではない。

■だから、「伝えよう」といくら技巧の粋を尽くしても入念なパワーポイントを用意しても伝わらないものは伝わらない。

「伝えよう」、と思うその前にまず、目の前にいる相手の存在を認め、しっかりとそのままの相手を受けとめること。それをしっかりと味わうこと。

そこから生じる「私」の中の「変化」こそが、「相手に伝える」という行為の源であり、「理解」という相手の変化を生み出す原動力なのである。

■相手に対するこころの深いところでの尊重。

押し流されるような日頃の忙しさの中で「効率的に伝えよう」と早口でまくしたてるとき、つい忘れてしまいがちなことなのだけれど、そこで、ふー、と一息ついて相手に軽く「こんにちは」、と会釈をする。

コミュニケーションにおけるそういった些細な気遣いの大切さを、改めてしみじみ噛みしめた。

                            <2008.04.03 記>

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■ チャンスと人を引き寄せる話し方
  
■稲垣文子 さんのプロフィール■
http://www.sigma7.co.jp/profile/w_54.html
  

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2008年3月27日 (木)

■「サザエさん」的幸福論の果てに。『爆笑問題のニッポンの教養』 教育社会学、本田由紀。

今回のテーマは、労働。

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■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE031:「我働くゆえに幸(さち)あり?」 2008.3.18放送
東京大学教育学部准教授 本田由紀

■「ニート」とは、仕事も通学もしていなかった非労働力人口のうち、年齢が15〜34歳までの層を指す語であり、2004年頃から一般に広まったことばである。

今回は、この「ニート」に焦点をあて、労働における社会と個人の関係について丁々発止の議論が繰り広げられた。

■バブル崩壊後、’90年代初頭から’05年にかけて就職氷河期といわれる、「仕事が無い、就職できない」時代があった。

いわゆるロスト・ジェネレーションという世代である。

私が就職したのは90年代はじめの頃なのだけれど、それ以降後輩が全く入ってこない時期が続き、係の宴会の万年幹事となってしまった怨みとしてその時代は私の人生に強く刻み込まれている。(←なんて器の小さいヤツなんだろう(笑)。)

■それはさておき、本田先生が強く主張するのは、

「ニート」=「若者がだらしない」

という「個人」に責任をおっかぶせる世間の見方に対する反論である。

■就職氷河期時代が到来するまでの日本では、新規学卒のふにゃふにゃの子供を学校が企業に引渡し、会社の中で育てていくという「赤ちゃん引渡しモデル」が成立していた。

それは欧米で一般的な、学校で大きくエネルギーをためて、えい!とばかりに企業が求める高いポテンシャルに飛び移る「棒高跳びモデル」とは極めて対照的である。

ところが、バブル崩壊後の失われた10年において、企業は「赤ちゃん」の受け取りを拒否、ふにゃふにゃの赤ちゃんはそのまま社会に放り出されることになった。

それが「ニート」の人たちであり、そんな人たちを「個人責任論」で切り捨てるのはあんまりじゃないか!と本田先生は憤るのである。

■それに対して太田は、決して努力不足といいたいわけではないが、ひとのせいでは無いと言いたい。つらいこと、理不尽なことは普通にあることじゃないか。つらかったらやめちゃえばいい。つらい社会から退却して引きこもったままでいいじゃないか。と主張する。

社会に文句をいったところで、それは結果論であって、あの時代はあの時代でしかたなかったんだと、それよりも「被害者」と呼ばれるひとに、もっと先をみろ!と言いたい。

生活できなきゃ幸福が味わえないのかよ!

というわけである。

■それは、田中と太田の長い下積み時代を背景にしたことばであり、収入が無いつらさより、自分の中で発想が生まれないことの方がよっぽどつらかった。というセリフに重みを与える。

いや、それでも、

と本田先生は食い下がる。

意欲があれば何でも出来るというのは酷であって、つるつるでとっかかりのない壁をどうやって登ればいいのか。

それでも登れという突き放しは本人にプレッシャーを与えるだけで何の解決にもならない。社会が足場をつくってあげなければいかん、という。

■ここにきて、太田が「腑に落ちない」という、その理由が少しみえてくる。

いままで日本では、仕事とか家庭とかいったものの、その意味について問わずにやってきた。それが破綻をきたしているということは、先生自身の人生も「間違えていた」ということになるのでは?

その太田の問いが先生の「一般論」を一気に突き崩す。

ある意味、その通りです。

■本田先生の強い使命感。

その源泉は、詰め込み教育のレールに乗って、それに抗うことが出来ずに無意味な「進学の為の勉強」を強いられた、その少女時代の怨みにあった。

本屋で「サザエさん」を立ち読みすることが唯一の抵抗であった、という微笑ましさの裏に、平和で平凡な家庭の象徴である「サザエさん」にはとても似つかわしくない深く、ドス黒い感情が今でもグルグルとのたうっている。

それは、「主観」がもつ圧倒的な説得力をもって先生の使命感に「意味」を与え、照らし出す。

お仕着せのレールの先を切り取られ、脱線すべくして脱線させられたロスト・ジェネレーションの「子供たち」、その幾万の怨みが本田先生のこころの「鏡」に強く映し出される理由がそこにある。

■一般論はその鎧を脱ぎ捨て、極めて個人的感情に立脚したときに、やっとその核心を見せはじめる。

ここにおいて、太田と本田先生は同じ地平に立つこととなった。

その時に生まれる「理解」は、論の違いを乗り越えて深くこころに届きあう。

いいドラマであったとおもう。

■今回の番組は、社会的問題としての「ニート」について何ら解決の糸口を与えるものではなかったが、人生は一般論でくくりあげるものではないという、「主観」という次元での回答に達する、とても意義深いものであった。

そこに提示される「不合理」は、何も就職氷河期にぶち当たった「かわいそうな」世代だけのものではなく、サザエさんに象徴される「お隣と変らない」、「世間と一緒」、という社会的同質性に立脚した「しあわせ」なんてものが元々幻想に過ぎなかったのだという意味で、世代を問わず、それぞれの人生に遅かれ早かれ必ずやってくるものなのだと思う。

そしてその極めて個人的な苦難こそが、一般論を乗り越え、人生を自分のものとして取り戻すチャンスでもあるのだ。

そんなことを考えながら、自らが今直面している不合理のことを想うのである。

                           <2008.03.26 記>

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■ 「ニート」って言うな! (光文社新書)
■本田 由紀、内藤 朝雄、後藤 和智 共著■
★★★★☆(46件のレヴュー)
    

■関連書籍■

■ ルポ貧困大国アメリカ (岩波新書 新赤版)
■堤 未果 著■
★★★★★(25件のレヴュー)
■今、読んでいるところなのだけれども、どエライ本である。社会的問題としての「ニート」の根っこにある「自由競争」の延長線としてアメリカの現実を捉えると背筋が寒くなるものがある。

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■【爆笑問題のニッポンの教養】の本 ■
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■新書版 『爆笑問題のニッポンの教養』