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2017年11月

2017年11月13日 (月)

■【映画評】『シン・ゴジラ』 災厄と再起。人間の底力としてのシン・ゴジラ。

地上波初放映。

今回は、この映画におけるゴジラとは何か、そしてそこに込められたメッセージとは何か、について改めて考えてみたい。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.87-2  『シン・ゴジラ』
          監督: 庵野秀明、 樋口真嗣 公開:2016年7月
       出演: 長谷川博己 竹野内豊 石原さとみ 他

Title

■日常に襲い掛かりすべてを破壊する想定外の災害。

ここでのゴジラは明らかに3.11東日本大震災及び福島第一原発事故である。

第2、第3形態のゴジラに破壊された街のがれきを前に立ち尽くす矢口の姿は、われわれが目にした津波の後の東北の街だし、その後の放射能汚染は原発事故後のわれわれの放射能汚染に対する危惧そのものだ。

そして、相模湾から再度上陸する第4形態のゴジラは、東海沖を震源とする大規模地震であり、そのとき首都は壊滅状態になるかもしれない。その予想図と見て取れる。

■東日本大震災で我々が計画停電だ、ガソリンがないだの、ポポポポンだの言っていた時、現場では、ぎりぎりの中で踏ん張っていた人たちがいる。

東電の職員や必死の放水を行っていた人たちは、制御の前提である電力が喪失し、メルトダウンが起きているのかどうかすら分からない中で、放射能汚染で生命の危機があるかもしれないなかで、しかし、ここで踏ん張らなければ日本が壊滅する、という想いで戦った。

ヤシオリ作戦の訓示で矢口は隊員たちに命の保証はできないとした上で協力して欲しいと訴える。

現場の放射線レベルが危険域に高まるなか、決死の覚悟で実行されるヤシオリ作戦だったが、注入部隊の第一小隊は、ゴジラの破壊光線の一閃で全滅。

実際の福島第一原発での注水作業で犠牲者が出たとは聞いていないが、まさにそういった覚悟は現場にあったに違いない。

■一方で、津波の被災地も地獄の様相を呈していたようで、3.11直後から現地に突入していった不肖宮嶋さんの写真集をみると、もう言葉ならないものが胸に込み上げてきて、当時も、今も、復興にたいして何もしていない自分が情けなくなってくる。


■ 再起 単行本 – 2011/7/26 宮嶋 茂樹 (著)

この『再起』で描かれている、あまりにもむごい事態、しかしながら、それでも久しぶりの風呂や、軍楽隊に笑顔をみせる人たちや、まさに身を粉にして働く自衛隊、トモダチ作戦の米兵たち、その姿は『シン・ゴジラ』の終盤に描かれたものの実像であり、そこに重ねた見たときに、あまりにもぐっとくるシーンが目について、そのたびに身を震わせるのである。

■この映画はあまりにも情報量が多く、テーマも重層的だ。

映画館で観たときには、その全体像を読み解こうと必死になっていたのだけれども、こうして改めて観てみると、やはり骨格はここにあるのだなと思う。

牧博士が提示した

好きにしろ

という言葉も、「そろそろ思ったようにしてよろしいのでは?」という官房長官代理の首相代行へのセリフで補完され、原発だとか、安保法制だとか、この国の行く先について考えたときにずしりとくるのだけれども、それは所詮、「理屈」のはなしだ。

映画というものが伝えるのはもっと、言葉の奥にある、感情とか感覚とかそういう世界のものであって、そう考えたとき、やはりグッとくるのは不条理に立ち向かった人たちの実際の姿に寄り添う気持ちなのだとしみじみ思う。

高速高密度リアリティ映画でありながら、感動するところは人間のこころの強さに対してなのだ。

そして庵野が追及したリアリティはまさにその感動を支えるために存在したのである。

                      <2017.11.13 記>


【Blu-ray】シン・ゴジラ Blu-ray特別版3枚組

■関連記事■
■【映画評】『シン・ゴジラ』 非日常的災厄の向こうににじむ、この国への想い。

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2017年11月 3日 (金)

■【映画評】『ブレードランナー2049』 わたしの大切なこの記憶こそが現実(real)なのだ。

ラストシーンを見終わったあと、じんわりと、ゆっくりと、静かな幸福感に包まれていく。。。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●

    
No.113  『ブレードランナー2049』
           原題:Blade Runner 2049
          公開:2017年10月
      監督: ドゥニ・ヴィルヌーヴ 製作総指揮 : リドリー・スコット

      出演: ライアン・ゴズリング  ハリソン・フォード  アナ・デ・アルマス 他

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■あらすじ■
デッカードがレイチェルを連れ失踪してから30年の月日が流れた。

謎の大停電によりほぼすべての情報が消失し、真実が見えなくなった世界。

自分自身もレプリカントであるブレードランナー”K”は、あるレプリカントを追ってそれが住む荒野の一軒家にたどり着く。しかし、それが大きな枯れ木の下に埋めていたものの衝撃的な秘密が、世界を、そしてK自身の存在をも揺るがすものに拡大していく。

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■1982年のブレードランナー公開から35年。

私も中学生から50前のジジイになった。

はっきり言えば不安があった。

あの大好きな『ブレードランナー』がどうなってしまうのか。

しかし、それは杞憂どころか、予想を遥かに超えた幸福として降り注いだ。

ドゥニがどれだけブレードランナーを愛しているか、世界中のブレードランナーファンには痛いほどよくわかる。

金曜の公開日に見て7日目、そろそろ熟成してきたので、なんとか文字としてその感動を記してみたいと思う。

■ブレードランナーといえば何といっても、シド・ミードがデザインし、ダグラス・トランブルが視覚効果を担当し、リドリー・スコットが見事に作り上げた映像美である。

今回のドゥニ・ヴィルヌーブ監督と撮影のロジャー・ディーキンスは、序盤で見事にそれを再現し、さらには荒涼たる赤いラスベガスの見事な’イメージ’を見せつけてくれた。

’もや’をコントロールする見事な空気遠近法が、リドリー・スコット的映像にさらなる奥行きを与え、あの’映像の魔術師’の後継者としてドゥニ・ヴィルヌーブは、映画『メッセージ』での衝撃以上のものを、むしろ安心感としてわれわれに与えてくれる。

その違和感のなさが、前作からの延長としての163分のこの物語に深く没入することを可能にしているのだ。

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■音楽のハンス・ジマーはパイレーツ・オブ・カリビアンを手掛けた人だけれども、リドリー・スコットとはブラック・レインやグラディエータ―での付き合いもあって、ヴァンゲリスが構築したブレードランナーの世界観を美しく再現している。

比較静かなシーンにドーンと響く重低音の効果が強烈で、これもブレードランナーと共通することだけれども、映画館だと極めて強烈。爆音上映だと、いったいどうなってしまうのだろうか。

■今回の原案と脚本は、前作でも脚本を務めたハンプトン・ファンチャー。

現在79歳。

その高齢でこのプロットを書き上げたのだから恐れ入る。

前作と同じくハードボイルドタッチだが、『ブレードランナー』で、逃げる女を背中から撃ち殺し、レイチェルに関係を強要する粗野なハリソン・フォードに対して、今回のライアン・ゴズリングは知的で影をまとった優男であり、複雑な物語をしっかりと牽引していく。

ハリソン・フォードとショーン・ヤングの組み合わせは、かなり観客を突き放した存在だったが、ライアン・ゴズリングとアナ・デ・アルマスの組み合わせは、深く我々の感情移入を許すので、そのあたりが、『ブレードランナー』と『ブレードランナー2049』の作品の方向性の大きな違いとして挙げることが出来るだろう。

『ブレードランナー』の硬質な感じはあれでいいし、今回の『ブレードランナー2049』のプロットはこれでなければ成り立たない。

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■さて、天才科学者ウォレス(ジャレッド・レト)である。

今回の『ブレードランナー2049』で一番懸念していたのは、『プロメテウス』、『エイリアン:コヴェナント』という『エイリアン』前日譚でリドリー・スコットが語りだした”神”についてのテーマだ。

制作総指揮のリドリー・スコットが話をそっちに持って行ってしまうのではないか、人が個人として持つ根源的不安について語るはずのブレードランナーに、人類全体の進化とかそういうヴィジョンを持ち込んでしまうのではないか、という心配だったのである。

その役割を担うのがウォレスである。

彼は、タイレル博士の後継者でありながら、タイレル博士がロイ・バッティに見せた息子に対するような人間性は一切みせない。

生み出したレプリカントとは決して同じ地平には立とうとしないのである。

これこそが神の立ち位置だ。

彼が盲目であることは、逆説的にすべてを見通せるという印象を我々に与え、ジャレッド・レトの演技によって完成する。

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腹心をつとめるラブ(なんと象徴的な名前だろう)は、最後まで決してウォレスを裏切らないが、そこにある畏れ(恐れではない)は、まさに神に対する愛。

創造主に対する、われわれが使う【愛】とはまったく異なる【Love】なのである。

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しかし、見終わってみれば、神であるウォレスはKに対する対照的存在に過ぎないことがわかる。

あくまでも『ブレードランナー』は『ブレードランナー』であり続け、「リドリーさん、趣味に走らないでありがとう」と、われわれは深く胸を撫でおろす。

■では、この映画のテーマは何か。

原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で、P・K・ディックは、人間を定義づける者は何か?というテーマを提示した。

1982年の『ブレードランナー』(及び最終版、ファイナルカット)では、出来事の外側からリドリー・スコットらしい語らずの語りとして、それを描こうと試みた。

そして、今回の『ブレードランナー2049』はKの内側の物語として再び『ブレードランナー』を語ることで、われわれの心に感情としてそのテーマを忍ばせてくる。

これ以上語るとネタバレになるので言えないのだけれども、前半部分ですでにイメージとしてそれは示されている。

■Kが処分するネクサス8型アンドロイド、サッパー・モートンの農場の風景は、静謐なソ連の映像作家アンドレイ・タルコフスキーの世界そのものであり、ぽつんと立つ枯れた木と家を燃やすシーンはもう明らかに彼の遺作となった『サクリファイス』(1986)へのオマージュだ。

『ブレードランナー』から引き継いだ、人間とは何か?というテーマに対するドゥニ・ヴィルヌーブの回答は、サッパー・モートンという存在を通してしっかりと刻み込まれている。

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タルコフスキーは語っている。

《この分かたれた世界で人が人といかにして理解しあえるのか? 互いにゆずりあうことでしか可能でないでしょう。自らをささげ、犠牲とすることのできない人間には、もはや何もたよるべきものがないのです。

私自身が犠牲をなしうるか?

それは答えにくい事です。私にもできないことでしょうけれども、そうなれるようにしたいと思います。それを実現できずに死を迎えるのは実に悲しい事でしょう》

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以下、ネタバレに入ります。

宇宙イチかわいい、アナ・デ・アルマスちゃんの写真のあとにネタバレに入りますので、必ず鑑賞後に先へとお進みください。

ああ、アナちゃん

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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

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■『ブレードランナー』のディレクターズカットである最終版で示された驚愕の疑問が、「デッカードがレプリカントなのかどうか」というテーマである。

例の「ユニコーンの夢」と、ふたりの逃亡を許したガフが残す折り紙が示唆するもの。

今回その答えが示された。

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Kと対峙したときにデッカードが見せる屈強な戦闘能力。

高濃度の放射能にも耐えうる肉体。

基本、レイチェルと同時に試作されたレプリカントであることは間違いないだろう。

『ブレードランナー』でタイレル博士はロイ・バッティに対し、寿命を延ばす方法はない、と断言した。それをもってデッカードがここまで長生きするはずがない、という説があるがそれは誤りだ。

それはレプリカントが生まれた後に修正できないという話であって、そもそも4年の寿命はレプリカントが自我を持つ危険にたいする単なるリミッターに過ぎなかったことを思い出そう。その後、生殖可能な究極のレプリカントとしてデッカードとレイチェルが生み出され、互いに引き合うように巧みに誘導されたとみていい。

物語上欠番に見える「ネクサス7型」こそがデッカードとレイチェルなのだ。

では、デッカードがレプリカントだった、というのが「結論」なのか?

いや、そうではない。

■この映画のテーマは「人間とは何か?」である。

単にデッカードがレプリカントであったかどうかということは問うてはいないのだ。

ポイントは、デッカードが娘に掘った動物が、何故「ユニコーン」ではなく、「馬」だったのか。という点にある。

ユニコーンは空想上の動物であり、デッカードの夢の中にしか住むことはできない。

その夢が、デッカードをして自分が人間なのか、それともレイチェルのように記憶を植え付けられたレプリカントなのかと思い悩ませたはずだ。

あたかも原作におけるフィル・レッシュのように。

では、出産でレイチェルを失ったデッカードは娘に何を見たのか。

それは目の前の現実だ。

レプリカントであろうが、人間だろうがそんなことには意味はない。

自分の生み出した一つの命がそこにある。

その「現実(real)」がデッカード自身を解放し、悪夢として自分を苦しめる一角獣からツノをもぎ取ったカタチとして、馬を彫りだしたのだ。

これから生きていく娘の記憶は現実であり、その象徴であり、賛歌ともいえる。

■ウォレスたちに捕えられたデッカードは、アイデンティティを揺さぶられつつも

I know the real....

というセリフで対抗する。

自分の記憶は模造品かもしれないが、生き生きとした現実だ。

模造だろうが、本物だろうが、そこに意味などない。

わたしの記憶こそが現実(real)なのだ。

そんなデッカードに、形ばかりのコピーのレイチェルなどまったく通用するはずがない。

レイチェルの瞳は緑だった。

現実に緑だったかどうかが問題なのではない、デッカードの記憶、思い出の中のレイチェルの瞳の色が問題なのだ。

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原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、最後のさいごにデッカードは「生きた本物の動物」へのこだわりを捨てて機械仕掛けのヒキガエルにも愛情を覚えるようになる。

そして疲れ切った体をベッドに横たえ、情調オルガンの助けを借りずに安らかに寝息を立てる。

本物か、偽物かを決めるのは自分自身であるという地平にデッカードは、やっとたどり着いたのだ。

映画『ブレードランナー』でのデッカードは、この続編をもって、やっと原作のラストの平穏に迎えられるのである。

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■Kについてはどうだろう。

レイチェルの遺体が埋めてあった木の根元に刻まれた「6 10 21」の文字。これは自分の記憶の中の木彫りの馬の裏に刻まれた日付と完全に一致する。

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そのことが、レイチェルが生殖可能なレプリカントであるというこの世界を揺るがす秘密であることを超えて、K自身の存在を揺さぶるのだ。

デッカードを探すべく、かつての同僚だったガフを探し当て、話を聞き出そうとするシーンで、ガフが作った折り紙は羊であった。

単純な解釈で言えば、これは原作の電気羊を意味するものだろう。

’K’の由来は原作のフィリップ・K・ディックのミドルネームだと考えればすんなりとたどり着く。

しかし、もう一歩踏み込むならば、世界で初めてのクローン動物である羊のドリーに思い当たるだろう。

羊の折り紙が意味するものは、模造品である、と同時に、Kが(比喩的な意味での)クローンであるという示唆なのである。

■自分の記憶が作られたものなのか、本物の記憶なのかを確かめるべく、Kはレプリカントの記憶製作者であるアナ・ステリン博士のもとを訪ねる。

観ている最中はこのシーンはカットしても良くないかな、なんて考えてたんだけど、とんでもない。

Kの記憶を覗き見たアナ・ステリンの涙。

まさか、そんな伏線になっているなんて思いもしない。

Kともども完璧にやられてしまいました。

022

レプリカントの反抗組織のリーダーに、

「あなた、まだ自分が奇跡の子供じゃないって気づいてないの?だれでも自分がヒーローだって信じていたいもんね。」

なんて感じの極めて意地悪なセリフを吐かれる。

ここで、ああ、と絶望するのだ。

思い返せば、同じDNAの女と男。

どちらかがコピーだったということだ。(DNAが同じというのはもちろん記録上の問題で実際にアナ・ステリンとKのDNAが同じだということではない)

ここでガフが作った羊の折り紙が、コピー羊のドリーであり、Kの運命を示しているということにつながっていくのである。

ああ、なんという絶望。

■しかも最悪なことに、これまでKを支えてきたジョイはラブに踏みつぶされ、もうこの世にはいない。

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データでしか存在しないジョイは、しかしながら、Kにとっては現実だ。

つねにKに寄り添い、示唆を与える存在。

作り物ではない、その自我によって、データリンクを自ら切断し、「死」の可能性を受け入れることで「自由」を手にしたジョイ。

そしてその死は、Kを本当の生へと導く。

ジョイはそういう意味で、Kの中の魂か形となって現われた存在だったのかもしれない。

007

■Kはラブからデッカードを守り抜き、父を娘のところへといざなう。

Kの記憶は、コピーでしかなかったけれども、だからこそ、その記憶を大切に守りたかった。

それは父と娘が静かな幸せを取り戻すことで完結する。

それを成し遂げ、満たされながら降りかかる雪のなか、静かに大地へと身をゆだねるK。

ヴァンゲリスのティアーズ・イン・レインが流れ、自然とKの姿が前作でのロイ・バッティ―が死にゆくシーンと重なって見える。

前作を愛するものは、ここで流れる涙を止めるすべはないだろう。

I've seen things you people wouldn't believe.

Attack ships on fire off the shoulder of Orion.

I've watched c-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate.

All those ... moments will be lost in time, like tears...in rain.

Time to die…

… そんな記憶もみな、時とともに消えてしまう

雨の中の涙のように… 

死ぬときがきた …

 

ロイ・バッティは死にゆく間際に目の前の「生命」をいつくしんだ。

限られた生だからこそ、命がいとおしい。

その想いはKへと引き継がれ、ロイ・バッティと同じ祝福に包まれながら、その生を閉じるのだ。

雨の中の涙のように。。。。

手のひらに淡く溶ける雪のように。。。。

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                     <2017.11.03 記>

 

031

■【蛇足1.】

この社会の秩序を守ろうとしたマダムは、何故かラブと知り合いのようだった。

前日譚のショートムービーをみると多少わかるのかもしれないけれど、それはあとでのお楽しみにしよう。

さて、レプリカントの反抗組織は残ったし、ウォレスは健在だ。

続編をつくる余地は完璧にある。

ウォレスの組織、反攻組織、そして秩序を維持しようとする勢力。

なんだかもう、そういうのは『ブレードランナー』ではない。

こんな難解で、しかもさらに難解な35年前の前作を見ないと深く理解できない作品は大ヒットはしないだろうから、本当にそっとしておいて欲しいものだ。

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■【蛇足 2.】

小雪が降りかかる中、死にゆくKがあおむけになって何かをつぶやくよね。

このシーンを観ているときは、もうロイ・バッティばかりが頭のなかを占めていて、ぼろぼろと涙を流しながら、一緒になって

Time, to die....

って一緒になってつぶやいてたんだけど、

落ち着いて考えるとたぶん違うよね。

なんて言ってたのか気になってしょうがない。

シナリオにあったのか、ゴズリングのアドリブなのか。

たぶん後者だろうけれど、ネタバレになるからしばらくこれは明かされないんだろうな。

ブルーレイの特典映像とかまで待つのかな。。。。

うーん、もう一回観に行って確かめてこよう。たぶん分からないだろうけど(笑)。

■関連記事■

【ブレードランナー】。暗闇を切り裂く光。人間らしさとは何か。

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■【原作】P・K・ディック 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』


【原作】アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
(ハヤカワ文庫 SF (229)) 文庫 – 1977/3/1


【DVD】『ブレードランナー』製作25周年記念
アルティメット・コレクターズ・エディション(5枚組み) [DVD]


【文庫】〈映画の見方〉がわかる本
ブレードランナーの未来世紀 (新潮文庫)
2017/10/28 町山 智浩 (著)

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■STAFF■
監督   ドゥニ・ヴィルヌーヴ
脚本   ハンプトン・ファンチャー
      マイケル・グリーン
原案   ハンプトン・ファンチャー
原作、キャラクター創造
      フィリップ・K・ディック
      『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
製作 アンドリュー・A・コソーヴ
    ブロデリック・ジョンソン
    バッド・ヨーキン
    シンシア・サイクスシンシア・サイクス・ヨーキン
製作総指揮  リドリー・スコット
         ティム・ギャンブル
         フランク・ギストラ
         イェール・バディック
         ヴァル・ヒル
         ビル・カラッロ
音楽     ハンス・ジマー
        ベンジャミン・ウォルフィッシュ
撮影     ロジャー・ディーキンス
編集    ジョー・ウォーカー
製作会社  アルコン・エンターテインメント
        スコット・フリー・プロダクションズ


■CAST■
K / ジョー      - ライアン・ゴズリング
リック・デッカード  - ハリソン・フォード
ジョイ        - アナ・デ・アルマス
ラヴ          - シルヴィア・フークス
ジョシ警部補(マダム)   - ロビン・ライト
マリエット       - マッケンジー・デイヴィス
アナ・ステリン博士     - カーラ・ジュリ
ミスター・コットン      - レニー・ジェームズ
サッパー・モートン     - デイヴ・バウティスタ
ニアンダー・ウォレス    - ジャレッド・レト
ココ        - デヴィッド・ダストマルチャン
ドク・バジャー        - バーカッド・アブディ
フレイザ     - ヒアム・アッバス
ナンデス     - ウッド・ハリス
ファイル係    - トーマス・レマルキス
レイチェル     - ショーン・ヤング
ガフ       - エドワード・ジェームズ・オルモス

【小ネタ】Kはロボット刑事♪

Wikipediaより 
企画時の作品タイトルは『ロボット刑事K2』。その後、主人公の名前が変更されて「ロボット刑事J(ジョー)」となり、最終的にタイトルは『ロボット刑事』に決定した。Kの愛車の名が「ジョーカー」なのは、その名残である。

・・・Kにジョーという名前をつけたジョイは、相当な特撮オタクと見た♪

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2017年11月 2日 (木)

■【書評】『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』 豊田有恒 著。並べられた事実だけでは真実は見えない。当時の空気が再生され、行間が満たされたとき、はじめて真実が立ち上がってくるのだ。

オリジナルのヤマトに心躍らせた世代は、読んで損はない本だ。それだけでなく、サブカルチャーをこよなく愛する若きオタクたちも、オタク道(SFマニア道?)の長老の声を一度は聴いておくべきだろう。

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■豊田有恒さんは、のっけからお怒りである。

宇宙戦艦ヤマトについてのインタビューを大手新聞社(明らかに朝日新聞)から受け、発言を捻じ曲げられたばかりでなく、ヤマトを反戦の主張に政治利用されたと怒っているのだ。

その怒りがこの本を書いた原動力なのだという。

それ故に、今、われわれが失われてしまうはずの当時の息吹をこうやって知ることができたという意味で、朝日新聞さまさまなのである。朝日新聞Good Job!

■さて、現在御年79歳の豊田有恒さんは、SF小説の大家である。

とはいっても、中高とSF小説を読みふけった私も豊田さんの本は読んだことはなく、豊田有恒といえば、むしろテレビアニメ(当時はテレビまんが)創世記の立役者だという方がしっくりくる。

何しろ、「鉄腕アトム」でオリジナルの脚本を書き、「8マン」の企画設定、シナリオを描き、そして「宇宙戦艦ヤマト」の企画原案(本人いわくSF原案)に携わった人なのだ。

いや、恥ずかしながら実はヤマトの企画原案が豊田有恒だという認識はあまりなかった。

きっと西崎義展の企画案をベースに松本零士と藤川圭介が組み立てたものだとばかり思っていた。

事実、Wikiでも、例の裁判のせいか知らないが企画原案:西崎義展、山本暎一となっている。ちなみに第一話のクレジットは企画原案:西崎義展、監督:松本零士、脚本:藤川圭介、演出:石黒昇、監修:山本暎一、舛田利夫、豊田有恒となっている。

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本人は著作権に関しては、おおよそ松本零士。あえて分けるなら豊田有恒が20%、藤川、山本が10%ずつ。というイメージらしい。

しかし、それはあまりに謙遜のし過ぎである。

「アステロイド6」という企画原案をたてて、それが、異星人の放射能汚染攻撃によって地下に逃げ延びた人類に残された時間は1年。アステロイドの小惑星をくりぬいて宇宙船にしたて、遥か銀河の中心に放射能除去装置をもらいにいく、という内容だというのだから、もう骨格は出来上がっていて、「地球に残された時間はあと●●日」という、当時小学生だった私をどきどきさせたあの演出まで入っているんだから著作権はともかく、企画原案は豊田有恒以外に考えようがない。これを「企画」と呼ばずに何が企画か、といえるだろう。

豊田さんはあまりにSFマニア過ぎて、戦艦大和を持ち出した松本零士の感覚についていけなかったようで、しかしながら戦艦ヤマトでなければ、この作品になり得なかったことも十分理解しているのでこういう発言になっているのだろう。

■本書には、そういった「宇宙戦艦ヤマト」成立までの経緯について、一番初めに西崎義展にハインラインの「メトセラの子ら」みたいな企画を考えて欲しいと持ち掛けられた、まさに最初の一歩に関わった人間だからこそ語れる内容があふれている。

この内容は松本零士ですら語ることはできないだろう。

そして重要なのは、その前に関わった「8マン」や、「鉄腕アトム」を含めて、当時の制作現場の空気を再現しながら、シナリオ、企画を立てたその自分の頭の中の筋道を開示していることだ。

科学知識を延長しながら、物語の骨格を誰もが想像し得ないあの中国の古典に求めたり、スリルや驚きの真実を仕込んでいく様子は、読んでいるこちらもわくわくしてきてしまう。

これは現代のクリエーターにとって大変貴重なことである。

創造とは、まさにこういうことなのだから。

一方、紙面のかなりの割合を西崎義展への恨み節に費やしてはいるが、なかで本人も書いている通り、勝負師(あるいは山師)としての西崎義展がいなければ決して「宇宙戦艦ヤマト」は誕生しなかった。

このプロデューサーに要求される人たらしの能力の大切さも、恨み節の裏で見事に描き出されているのだ。

本書は決して西崎批判の本ではない。

もっと広い意味での創造に関する知恵のつまった本なのである。

■ところで本書のP66あたりから、とても気になる記述がある。

原子力発電所に関する記述だ。

まったく知らなかったが、豊田さんは1980年当時から原発について足を運びながら深く研究をしていたようだ。

(豊田さんの本を下に貼り付けました。今は懐かしきNON BOOK!あの、「ノストラダムスの大予言」とか出してたところ)

で、その内容はというと

・原子力発電は、そもそも原子力潜水艦の地上テスト施設を商用化することで始まった。

・原潜に採用されたウェスティングハウス社の加圧水型(PWR)に対し、開発が遅れたゼネラルエレクトリック社(GE)の沸騰水型(BWR)の投資を回収するため、日独への採用が進められた。

・その時のアメリカ製一号炉が福島第一原発。

・アメリカのマニュアル通りに建設したが、アメリカの設計思想はトルネードのリスクを回避するために電源設備を地下に設置、それが仇となって、3.11東日本大震災の事故へとつながった。

というもの。

■Wikipediaを見ても、当然のことながらGE救済のためにアメリカから圧力があったなんて話は出てこないが、ターンキー契約の話はあって、GEが設計から建設まですべてを請け負ったのならば、アメリカ式の設計思想で進められたとしてもおかしくないし、実際、なぜこの水の国日本において、水を被ったり溜まったりする地下施設に最後の命綱である予備電源が設置されたのかという謎も、この説なら合点がいく。

なかなか、深く調べた人でないとこういう経緯は分からないし、いったいどういうことが起きたのか?という意味では、今は喪失してしまった当時の「常識」というものが行間から抜けてしまった現在ではリアルにそれを理解することは非常に困難だ。

村の古老が語り聞かせる、

じゃないけれど、文字として残った情報だけでは理解できないことが、かつての時代の息吹を実際に肌で感じて生きてきた人の言葉によってはじめて再現されるわけで、年配の方のお話はしっかりと耳を傾けるべきだという話だ。

なお、豊田有恒さん自身は盲目的な反原発には強い批判を加えているらしい。いかにも科学技術オタクらしい姿勢である。

■歴史というものは、年表として理解される。

教科書にしても、ネット情報としても、その背景が記述されてはいるものの、その時代の人が「当たり前」としていたことは、現在では当たり前どころかすっかり忘れされれているもので、その「当たり前」が抜け落ちた瞬間に、行間に漂う意味を失った歴史の年表や教科書はただの事実の羅列にすぎす、その意味するところにたどり着くことはとても難しい。

私自身、来年50歳になるのだけれども、中学高校時代、常に社会の背景に存在した東西冷戦構造というものは、いまや跡形もなく、その「当たり前」が抜け落ちた憲法9条や日米安保条約を、平成生まれの人たちはどうとらえているのか、その行間をどう埋めるのか、と考えたときに、実際の感覚としてそのことが理解できる。

きっとそれは戦前、戦中派の人たち、戦後復興を担った人たちが我々の世代に感じたことでもあるのだろう。

歳をとらないと、そういうこともなかなか理解できない。

■この本のタイトルは『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』である。

豊田有恒さんや、編集者がどこまでそれを意識していたかは定かではない。

けれども、豊田さんの語り部としての能力が優れていることによって、われわれ世代が何度「宇宙戦艦ヤマト」を見ても理解できない行間があったのだと気づかされる。

その行間を埋めるものこそが「真実」なのだ。

冒頭での朝日新聞の記者が「反戦」の象徴としてヤマトを扱ったことに対する怒り。

そうじゃないんだ。

あれは、あくまでもエンターテイメントなんだ。

作り手も楽しんで作ったんだ。

楽しんで、愛着があって、大好きで。

だからずるずるとダメだと思いながらも続編づくりに加担し続けたんだと。

その「大好き」という気持ちが詰まっていた行間を、変な政治性で埋めようとした記者が許せない。

つまり、「宇宙戦艦ヤマト」の真実とは、楽しかったこと、愛着が強くうまれたこと、だから西崎義展氏に搾取されようとも、ヤマトに関わり続けられた。

だから、著作権を西崎義展氏に根こそぎ奪い取られた松本零士もいまだに「ヤマト」を愛し続けることができるのだと。

大切なのは「大好き」という気持ちそのものなのだ。

それが、我々が「ヤマト」以降に育んできたオタク文化の命なのだ。

豊田有恒先生、どうもありがとう!

どうぞいつまでもお元気に、怒りをぶちまけ続けてください(笑)

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                        <2017.11.02 記>


【新書】「宇宙戦艦ヤマト」の真実 (祥伝社新書)– 2017/10/1 豊田有恒 (著)


【DVD】宇宙戦艦ヤマト DVD MEMORIAL BOX

■私が好きなアニメを3つ挙げろと言われれば、大人のカッコよさとエロスを少年時代の私の胸に焼き付けた初代『ルパン三世』、涙も枯れる群像劇の頂点『伝説巨神イデオン』、映画ファンのための宝箱としての『装甲騎兵ボトムズ』なのだけど、何故かDVDを見返すのは、それらを差し置いてこの『宇宙戦艦ヤマト』なのである。

自分の映画ファンとして、アニメオタクとしての原点がきっとこの作品にあるからなのだろう。だから自分にとっては他と比べることの出来ない絶対王座に君臨する作品なのかもしれない。


【Blu-ray】宇宙戦艦ヤマト2199 Blu-ray BOX (特装限定版)

■『宇宙戦艦ヤマト2199』は自ら誰にも負けないヤマトフリークを自称する出渕裕監督による『宇宙戦艦ヤマト』のリスペクトあふれるリメイクである。

情感の面で少し(というか、かなり)引っかかるところはあるが、作品としてはとても見ごたえがある作品となっている。

もちろん松本零士の名はクレジットされていない。

出渕裕監督は松本零士に謝りに行ったのだという。自分の責任ではないけれど、原作ファンならば当然の気持ちだろう。

その時に、松本零士は

「わかった、やるからには、頑張って、良い作品を作りなさい」

と励ましたそうだ。

これもまた「ヤマト」への愛情のなせる業だろう。

その後、出渕裕監督は宣言通り、『宇戦艦ヤマト2199』に続く、『宇戦艦ヤマト2202』の監督を受けていない。

たぶん、この新シリーズも延々と続くことになるのだろう。

それに耐えられないという出渕裕監督の判断もひとつの愛のかたちだ。

そして、いろいろな愛を乗せて「ヤマト」の航海は永遠に続くのである。

 

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【NON BOOK】原発の挑戦 足で調べた全15カ所の現状と問題点(祥伝社、1980年)

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