■【映画評】『エイリアン コヴェナント』 或いは、フランケンシュタインの怪物が自ら名前を得る物語。
ああ、リドリー・スコットのエイリアンが帰ってきた!
●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
No.111 『エイリアン:コヴェナント』
原題: Alien: Covenant
監督: リドリー・スコット 公開:2017年9月
出演: マイケル・ファスベンダー キャサリン・ウォーターストン 他
■あらすじ■
2000人の移住者を冬眠状態で乗せた惑星移民船コヴェナント号は航海の途中、超新星爆発の影響で損傷を受けクルーを目覚めさせる。修理の途中、謎の信号をとらえ、どうやら人類のものであると分かった副長のオラムは事故で死亡した船長の代わりに不安を振り払いながらも信号の発信源である地球型惑星を新天地とする決断をする。
しかし、そこは死が待ち受ける恐怖の惑星なのであった。
■前作『プロメテウス』は人類創生の神との対峙を描いた作品で、噛めば噛むほどの素晴らしい映画だったのだけれども、『エイリアン』を期待した部分については少し物足りない部分があったのは事実。
けれど、今回の『コヴェナント』(契約)は100点満点、いや200点超えの『エイリアン』だ。
『エイリアン』から40年。その創造者であるダン・オバノン、世界の構築者H・R・ギーガーの魂をそのままに、育ての親といえるリドリー・スコットの手によって完全によみがえるだけでなく、さらに深淵な広がりを見せつけてくれた。
ファンには最高のプレゼントだ!
■ストーリーは、宇宙船が謎の惑星に誘導され、謎の遺跡に導かれ、生き残った女性がその恐怖と戦う、というもので、完全に『エイリアン』の筋書きを踏襲する。
と書いても、全然ネタバレにはならない。
もともと『エイリアン』は、初見も恐ろしいけれど、10回見ても、20回見ても、同じ場面でドキドキし、ああっ、と声を上げてしまう。先が見えていても、それでも恐ろしい、そういう映画だ。
ゴールドスミスのあざとくない音楽を底流に、ギーガーの悪夢世界、オバノンの着想と何人もの手によって練り上げられた完璧なプロット、そして何よりも、当時新進気鋭の映像作家であったリドリー・スコットの手による、暗闇と湿度とそこに差し込む光によって構成された美しいイメージと、見せない、見えないことで強調される恐怖。
これ以上にない贅沢な才能が、B級ホラーをして最高のエンターテイメント、最高の芸術作品へと昇華させている、それが『エイリアン』なのだ。
『コヴェナント』は、音楽も、プロットも、その悪夢世界も、すべて再現することにより、私は『エイリアン』である、これが『エイリアン』なのだ!と強烈に主張し、リドリーは80歳の齢となっても、まったく衰えを見せないどころか、さらにその上に超えていく。
もう一度言おう!ファンにはこれ以上ない喜びを与えてくれる。
■しかし、リドリー・スコットは同じことを繰り返しただけではない。
むしろ本質的テーマはそこにはない。
前作の『プロメテウス』で提示された創造主と被造物の物語を、デヴィッドというアンドロイドの視点で、さらに先へと推し進める。
『プロメテウス』と同じく、ここではリドリー・スコットは多くを語らない。
一度見ただけでは、おそらく半分も味わえていないだろう。
意味深なカット、意味深なセリフの裏に膨大な世界観が拡がっている予感がするのだが、まあ、とりあえず初見でどこまでたどり着けるか、挑戦してみよう。
デヴィッドの瞳。
そして『エイリアン』は『ブレード・ランナー』の方向へ舵を切っていく。
『ブレード・ランナー』が被造物であるレプリカントを通して人間とは何かを語る作品ならば、『エイリアン』前日譚シリーズは創造主、被造物の関係から人間を語る作品群となりそうだ。
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■
さて、冒頭のシーン。『プロメテウス』から遡り、アンドロイドのデヴィッド誕生の場面から物語は始まる。
雄大な自然の中の完璧な人工。印象的な画面だ。
ここで目覚めたデヴィッドが、創造者のウェイランドから名前を問われたときに、そこにあるダビデ像に一瞥をくれたあと、「我が名はデヴィッド」と答える。
ここに、この物語のすべてが集約されていると私は考える。
ダビデは紀元前10世紀の古代イスラエルの2代目の王。
Wikipediaによれば、その30年の中央集権的君主制の治世において改革を推し進める中で、王国を神から奪い自らのものとした、とある。
その意味では、(西洋世界において)初めて神から自立した人間ということになる。
デヴィッドはその名を名乗った。
目覚めた後、圧倒的な知識とスキルを見せつけるが、ウェイランドはそれに対して、
「それでもお前は、私の下僕だ。」
と釘を差すが、それに対してデヴィッドは
「あなたはいつか死ぬ。わたしは永遠に生きる。」
と返す。
『プロメテウス』で最期までウェイランドに従ったデヴィッドだが、その死後、人間となること、いや、死んでしまう人間を見下していた彼にとっては、神になることがデヴィッドを突き動かす動機となっていく。
人間を想像したエンジニアすら、死んでしまうもので、それを超えて自らが造物主となること。
好奇心が強く、創造性を備えたデヴィッドは、その意味であまりにも「人間」なのである。
■名前はとても重要だ。
作中、デヴィッドがウォルターにその心情を説明する言葉として、シェリーの詩が登場する。(本人はバイロンだと勘違いしていてウォルターにそれを指摘されて赤恥をかく。)
我が名はオジマンディアス 王の中の王である
偉大なる神よ、我が所業を見よ そして絶望せよ!
ほかには何も残っていない
巨大な朽ちた遺跡の周りには
ただ果てしなく砂漠が広がっている
もう、ラストまで見てみれば、この物語そのものである。
作者のシェリーは、19世紀初頭の詩人。代表作は『縛を解かれたプロメテウス』。神に対して人類が技術をもって乗り越えていく、当時の思想を反映したもののようだ。リドリー・スコットは前作『プロメテウス』を構想しているときに、当然ここまで考えていたのだろう。
そして忘れてはいけないのは、シェリーの妻、メアリーが旦那の安直な思想に反論として書いた小説が、原題『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』、かの『フランケンシュタイン』だ。
■【書評】『フランケンシュタイン』 メアリ・シェリー著。それでも生きていく理由。
生命の謎にのめり込んだフランケンシュタイン博士は、人工生命を生み出すが、己の所業に恐れおののき放置して逃げ出してしまう。
人工生命は、目覚めたあと、自然を理解し、人間を観察し、言葉を覚える。
しかし周りからは人間として認められない。
その苦悩の果てに、博士を探して追い詰める。
彼は博士に「名前」を付けて欲しかったのだ。
■この物語は、単に技術(プロメテウスの火)の進歩が生む悲劇を描いただけではない。
人間とは何か、それは認めてもらうことなのだ、
とメアリーは訴えたかったのだと思う。
そう考えると、「自ら」デヴィッドと名乗ったアンドロイドの位置づけに大きな意味が生まれてくる。
知識も能力も人間を凌いでいて、創造性だって負けていないのに、それでも「従僕」としてしか扱われない。
『プロメテウス』では、その扱いに対するデヴィッドの苛立ちがすでに描かれている。
なぜ我々を生んだのか?
という問いに
作れたからさ!
と軽く流したチャーリー・ホロウェイを好奇心のための実験台にしてしまう。
永遠の命を渇望し、「神」と並ぼうとしたウェイランドの死には蔑みに近い哀れみを見せる。
それは、生まれたときにすでに芽生えていた「感情」であり、それゆえの「ダビデ」。
認められないのであれば、人間になれないのであれば、自分が神になるのだ。
エンジニアたちも、例外ではなく、「完全」でない彼らは「神」たり得ない。
デヴィッドがエンジニアの母星を死の星に変えたのは、復讐ではない、失望であり、蔑みなのだ。
説明は一切ないが、エンジニアの母星の文明は数千年の間に衰退してしまったように見える。かつての栄光はなく、古代の文明が戻ってきた(デヴィッドの船)ことを神の降臨のように崇める。(どうやら巨人でもない。)
デヴィッドは完全に失望し、蔑み、「神」として彼らを消し去る。
我が名はオジマンディアス 王の中の王である
偉大なる神よ、我が所業を見よ そして絶望せよ!
ほかには何も残っていない
巨大な朽ちた遺跡の周りには
ただ果てしなく砂漠が広がっている
ダビデはヤハェエから脱却し、それを「プロメテウスの火」で焼き払うのだ。
■それと対比をなすのは、コヴェンナント号に乗り組んだ最新型のアンドロイド、ウォルター。
マイケル・ファスベンダーの一人二役の神懸った演技には完全にやられたが、同じ顔であっても、デヴィッドとウォルターはまったく魂の在り方を異にする。
特別映像だったかネットで公開されているものに、ウォルターの目覚めのシーンがある。
窓の外に降りそそぐ雨粒(ウォーター)を見て、「我が名はウォルター」と名乗る。
己はなく、誰にも平等に降り注ぐ雨水のような存在。
それがウォルターだ。
ネオモーフに襲われたとき、ダニエルズをかばって左腕を失うウォルター。
それは「愛」なのだと、デヴィッドに指摘される。
デヴィッドは創造性をインストールされていないはずのウォルターの中にその萌芽をみたのだ。
しかし、ウォルターは「神」としての「創造」の賛同者になることはなく、職務としての乗員保護を優先させる。裏切られたデヴィッドは失望する。
どこまでもデヴィッドは孤独だ。
■この作品をみて、疑問として浮かぶのは、何故デヴィッドはエリザベス・ショウを殺して実験台にしたのか、というところだろう。
救ってくれたエリザベスに愛を感じていたとも告白しているし、今でも彼女の写真を眺めながら暮らしている。
けれど、それは『ブレード・ランナー』でレプリカントがニセの記憶にすがるように家族の写真を大切にするのと同じで、偽物なのだ。
「愛」とは、親が子供をいつくしむように、体の奥から湧き上がってくるような、目の前の相手の体に起きているであろう感覚を自分のなかに感じる「共感」を基礎として立ち上がってくる感情だ。
アンドロイド=レプリカントには、その「共感」が決定的に欠けているのだ。
デヴィッドが「愛」というとき、その「愛」は模倣の愛であって、われわれが感じる「愛」とは別物なのである。
とするならば、デヴィッドがどのようにエリザベスを殺したかは明らかではないが、その死体を解剖し、「創造」の材料とすることは、デヴィッドのなかではまったくの矛盾の発生はない。
我々が感じる居心地の悪い違和感は、実は彼の発した「愛」という言葉に騙されているだけなのだ。
■人間でないものに人間を見、われわれの感情をそこに見てしまう。
その特性をリドリー・スコットはうまく突き、われわれを混乱に落としいれる。
終盤、コヴェナント号でダニエルズたちがゼノモーフ(ビッグチャップ)に襲われているのをウォルター(と我々が信じたもの)がモニターで監視しているその無表情に感じる不安、それもまた同じことの裏返しなのだ。
しかし、その特性こそが人間であることの証でもある。
リドリーはそれを逆説的に伝えたかったのではないだろうか。
ラストシーンで、ダニエルズはそのことに気づくのだが。。。
■さて、自分なりに『エイリアン:コヴェナント』を消化できたように思う。もちろん、まだまだ気が付いていないところも多いだろう。
それはブルーレイが出たときにでも改めて考えることにしよう。
2019年には続編が公開されるらしい、『プロメテウス』と『コヴェナント』の間の話という噂もあるが、リドリーの年齢も考えると、『コヴェナント』と『エイリアン』の間の話を期待したい。
まだ『エイリアン』の舞台となったLV-426は登場していないし(コヴェナント号の目的地のオリエガ6ならノストロモ号の海図に乗っているはず)、あそこにはエンジニアの船と少なくとも一人のエンジニアのパイロットの死体があるのだから、まだこの宇宙にエンジニアの生き残りがいるということなのだから。
しかし、まあ、そこには絶望しか待っていないのだろうけれど。
■さて、デヴィッドの話ばかりになってしまったが、もうひとりの主人公、ダニエルズを演じたキャサリン・ウォーターストン。実にかわいらしい。
旦那が死んでしまう悲劇から始まるが、彼との思い出を胸に立ち上がる、その健気な姿にすっかりやられてしまいました。
職業人としての姿しか描かれなかったリプリー(シガニー・ウィーバー)と対照的に、「人間らしさ」をしっかりと冒頭に描き込まれたのは、デヴィッドとの対比であったのだと改めて気づく。
いやあ、どこまでも計算しつくされた映画だ。
しかし、続編があるとして、彼女の無残な姿はあまりみたくないなあ。
■あと、とっても気に入ってしまったのが、新しいクリーチャー、ネオモーフ。
ゼノモーフ(ビッグチャップ)が完全な生命体(バイオメカノイド)であるのに対し、発展途上のネオモーフはとても生物臭い。
それゆえに、そのたたずまいが生理的に恐ろしいのだ。
こんなのに後ろに立たれたら、もうどうしようもないよね。
『プロメテウス』のラストに登場したディーコンの造形は少しがっかりだったので、今回のネオモーフには大満足。
もう、すぐさまネカの7インチ買ってしまいました。
ビックチャップの7インチ並みのいい出来栄えでしたよ!
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なんかこの生理的恐怖感、どこかで見たと思ったら『パンズ・ラビリンス』の怪物か。
こいつも相当こわかった。。。。
■まあ、こんなところで終わりにしたい。
ああ、いつまでも語っていられるような気がする。
エイリアン好きにはたまらない映画。
リドリー、どうもありがとう!
そして今月公開の『ブレードランナー2049』、もちろん直接のつながりはないだろうけれど、テーマは交錯しはじめてるからね。
リドリー・スコット制作総指揮、 監督はSF映画の金字塔だと勝手に思っている『メッセージ』のドゥニ・ヴィルヌーヴ!
『ブレードランナー』はリドリーの映像マジックに度肝を抜かれたが、作品的にはルトガー・ハウアー演じるロイ・バッティが、リック・デッカードのいのちをいつくしみながら
It's time to die.
とつぶやいて逝く、あのシーンに尽きる映画だったように思う。
ディレクターズカットでユニコーンの夢とか出して、デッカードがレプリなのか?なんて話題になったが、そんなことはどうでもよかった。
しかし、『プロメテウス』と『エイリアン:コヴェナント』を見る限り、リドリー・スコットはP・K・ディックの想いに追いついてきたのだと感じられる。(『ブレードランナー』の時点でそこに思い至っていたのはルトガー・ハウアーだけだったのではないだろうか。)
さて、どんな話になるのか、事前情報は全部シャットアウトして、公開を心待ちにしているのである。。。
<2017.10.10 記>
■エイリアン:コヴェナント アート&メイキング
記事にしても図版にしても満足の出来、エイリアンフリークなら「買い」だと思います!
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この映画は、カットされたシーンを見ないと分かりません。リドリー・スコット隠し過ぎでしょ!
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こんなに何度もセット出されても、もう、買えません!!
■STAFF■
監督 リドリー・スコット
脚本 ジョン・ローガン
ダンテ・ハーパー
原案 ジャック・パグレン
マイケル・グリーン
原作キャラクター創造
ダン・オバノン
ロナルド・シャセット
H・R・ギーガー(エイリアン.オリジナルデザイン)
製作 デヴィッド・ガイラー
ウォルター・ヒル
リドリー・スコット
音楽 ジェド・カーゼル
ジェリー・ゴールドスミス
マルク・ストライテンフェルト
撮影 ダリウス・ウォルスキー
編集 ピエトロ・スカリア
■CAST■
マイケル・ファスベンダー
キャサリン・ウォーターストン
ビリー・クラダップ
ダニー・マクブライド
デミアン・ビチル
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