■【アニメ評】『交響詩篇エウレカセブン』&『エウレカセブンAO』 ファンタジーにおける【現実(リアル)】とは何か。その成功と失敗を探る。
エウレカの映画、、『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1』をやるっていうから、思い立ってエウレカセブン全50話を見直して、その勢いで未見だったAO全24話をやっとこさ見終わった。
もう映画の公開も終盤になってしまった。
■2005年に放映された『交響詩篇エウレカセブン』は、永遠のボーイ・ミーツ・ガールの名作だ。
トラパーという「風」に乗って、空を駆け巡ることが出来る世界。
田舎町でくすぶるレントン少年の家に、空からロボット(LFO)ともに謎の少女が墜ちてくる。
話を追うごとに、この世界とエウレカの真相が明らかになっていくのだが、そのギャップが大きくなるほどにレントンとエウレカの絆は深まっていく。
そして、世界が崩壊していくなかで、最後の希望は二人に託される。
観る者は、大人と子供のはざまにある二人の成長と、お互いを思いやる決意に胸を打たれるわけである。
■けれども、この荒唐無稽な物語を、「真実」として観る者が受け入れるのは、その二人だけでなく、登場する人々一人一人を丁寧に描き切ったことによるものだということに疑う余地はない。
「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」をキーワードに、
ホランドが、タルホが、ゲッコーステイトのメンバーが大人として二人を見守り、レイとチャールズが親の愛を伝え、荒れ狂うアネモネをドミニクが守り抜く。寡黙に人生を貫くユルゲンス、そしてノバク、サクヤ。。。。
あたかもガンダムからイデオンに至る富野由悠季の全盛期(富野喜幸の時代)を見るようなその人物群像の厚さが、「真実」(リアル)を生み出していくのだ。(レイとチャールズなんて、ランバラルとハモンそのものじゃん!とは言うまい)
■ファンタジーとは、もちろんその世界の設定がしっかりと構築されていることは必要なのだけれども、現実的であることは必要条件ではない。ただただ、その世界に住み人たちが意志をもって進めばいい。むしろ、【現実的】にこだわろうとそこに注力してしまうと逆にしらけてしまう性質をもっている。
大切なのは、その世界に生きる人たちすべてがそれぞれの人生を生きている、その実感が伝わるかどうかなのだ。
『エウレカセブン』が名作と呼べる理由はそこにある。
■さて、続編の『エウレカセブンAO』である。
監督は京田知己のままで、シリーズ構成が 『カウボーイビバップ』や『攻殻機動隊S.A.C.』の佐藤大から『機動戦艦ナデシコ』や『鋼の錬金術師(2003)』の會川昇へと交代。
それが原因かどうかはわからないけれど、『AO』はかなりきびしい。
■時は遡り、現代の地球。
しかし沖縄が独立していて、とか微妙に違う。
そこにエウレカとレントンの息子と思しき少年、アオが、各地にあらわれるスカブコーラルとそれを狙うシークレットと呼ばれる謎の存在に巻き込まれるお話。
世界情勢の設定は緻密で、とくに沖縄のアイデンティティや日本のありかたについては考えさせられるものがある。
けれども、エウレカセブンのファンタジーと「現実(リアル)」の融合は完全に破綻している。
我々の日常的な現実(トゥルースの現実)が、スカブコーラルの侵入によってずれを生じ、、、というところでダメ押しである。
ファンタジーを日常的現実と対比をしようとして破綻した例をわれわれは知っている。
先に挙げた富野由悠季の『聖戦士ダンバイン』である。
バイストンウエルで紡がれた物語が、ザマ・ショウの日常的現実と交錯した瞬間に、ストーリー的興味が膨れ上がるのと反比例するように、無理がたまり、デウス・エクス・マキナ!とばかりに突然の終わりを告げる。
■百戦錬磨の手練れである富野由悠季をもってしても破綻をさけることができなかったのは、【日常的現実】と【現実(リアル)】をはき違えてしまったことにある。
ファンタジーが介入した時点で、【日常的現実】は【現実(リアル)】たり得ず、リアルらしき非リアルに対する違和感を拭い去るために大風呂敷を拡げてしまい、結局破綻をむかえることになるのだ。
『エウレカセブンAO』に関して言えば、【日常的現実】という嘘をパラレルワールドで逃げてしまった。
これは最悪だ。
観る者は、自分の立ち位置を失い、途方に暮れる。そこには作り手の自己満足しか残らない。
唯一、レントンとエウレカが再び出会う。ただそのためだけにこの作品の意味はある。
残念ながら、アオにも、ナルにも、フレアにも、トゥルースにも、途中までの愛着は消え去り、ただ冷たい神の目で眺めるほかなくなってしまうのである。
■さて、映画 『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1』である。
TVシリーズの設定を変えての再話であるらしく、巷の評判は芳しくない。
評判が悪い映画が大好きな自分としても、残念ながら、ここまでの考察を踏まえれば、なかなか劇場にお金を落とす勇気は出ない。
本来、エウレカセブンの続編として見たいものは、(たとえ蛇足だと分かっていても)アダムとイブとして地球に降り立ったレントンとエウレカのそれからだ。
あえて3部作としてのハイエボリューションに期待するのは、そこだろうか。
再びパラレルワールドに逃げないことを祈るばかりだ。
<2017.10.17 記>
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