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2017年10月

2017年10月31日 (火)

■【書評】『教えてみた「米国トップ校」』 佐藤仁 著。 アメリカ大学事情の姿を借りた【知】の現場をめぐる人間論。

日本の知力は決して負けていない。

それを支えているのは、経済的にも社会的にもどうでもいいことに対する好奇心と、それを許容するおおらかさである。


【新書】教えてみた「米国トップ校」 (角川新書)  2017/9/8 佐藤 仁 (著)

■アメリカを動かすトップエリートたちを輩出し続けるハーバードやプリンストンといった一流大学は世界大学ランニングで万年低評価の東大なんぞより格段に素晴らしい大学だと我々は信じ込んでいる。

曰く、

・入学はやさしいが卒業は難しい
・討論形式の授業は日本の退屈な講義に勝る
・異彩を放つ人材の宝庫

しかし、東大を出てハーバードで修士をとり、現在は東大で教えながらプリンストンでも教鞭をとる佐藤仁氏は、本書でその常識を打ち壊す。

そこに描かれ米国エリート校の実態は、高校時代の成績がオールラウンドでトップクラスを維持しながらも入試の論文でアピールするための「経験」獲得に汲々とする受験生、入学したらしたで就職のために大学での成績ばかりを気に掛け、それぞれの主張はあるがどこか似たような雰囲気の学生たち、というものだ。

■その一方で、役に立たないことでも学ぶことが出来、相互扶助でギスギスしない、風変わりな個性を醸し出す学生をも包み込む東大のおおらかさが示される。

しかも論文の構成力などから考えて、決して東大の学力が劣っているわけではなく、全般に少し冷めていて突破力のある学生が少ないという性格の差があるだけだ。

佐藤氏は、それを自らの経験を交えながらも学者らしくデータを示しながら論理的に解説していく。

しかしながら氏はそういった「データの数値」を構成するひとりひとりの生徒にもまなざしを向ける。それは決して体験した者にしか語れないものだし、それ故にそこいらの評論家には決して真似をすることのできない深みがそこに横たわる本質をしみじみと伝えてくれる。

しかもその手法によって、アメリカと日本の社会的、文化的背景が肌身の感覚として立ち上がってくる。ここにおいて本書は単なる「アメリカエリート大学受験情報本」という枠を大きく逸脱し、アメリカの圧倒的パワーの裏に潜む「孤独」や、日本が守るべき強みとしての「寛容」が描き出される。

そしてそれはらせんを描くように「【知】とは何か」という高い地平で再び大学論に舞い戻る。

大衆受けのする「キャッチー」なテーマに隠して本来語りたいことを密かに語る、そういう小気味いい、ある種の狡猾ささえ感じさせる展開であり、氏の戦術的知性がうかがえて面白い。

■今回あぶりだされた

「グローバリゼーション全盛の世界における【知】の問題」と「日本の大学が担うべき役割」

というテーマはあまりに重要で深い問題であり、これについては次回作でさらに掘り下げて語っていただきたい内容である。

たぶん、その鍵となるものは氏が本書で見せた「【データ】を構成するひとりひとりの生きざま」に対するまなざしに関わるものであり、それ故に、日米の大学比較という表層の論議以上に著者が語るにふさわしい内容だと思われるからだ。期待して待つ。

 

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                        <2017.10.31 記>

この記事は、2017.9.14にAmazonに投稿した内容を加筆修正したものです。

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2017年10月26日 (木)

■【調べてみた】詩織さん強姦不起訴処分。強姦って警察特有の体質によって事件化、起訴されないって本当なの?

ジャーナリストの伊藤詩織さんが10月24日、外国人特派員協会で会見し、日本における性暴力被害の課題を訴え、「タブーを破りたくて顔も名前も出した。日本の司法、社会システムは性犯罪被害者のためには、ちゃんと機能していない」と語った。(ハフポスト日本)

Photo

■伊藤詩織さんの件は被疑者の山口敬之氏が元TBSワシントン支局長で、安倍晋三首相にもっとも近い政治ジャーナリストともいわれていることもあり、圧倒的に強い立場を利用したと思われること、権力との関係という点から、不起訴となったことに強い物語性を生んでしまい、本来彼女が主張している【強姦という罪が起訴されにくいどころか事件化すらされない不条理】ということが、すっかり隠されてしまっている。

そこで、実際にどうなっているのかを平成27年版 犯罪白書で調べてみた。

【Q:強姦罪は本当にそれほど検挙、起訴されてないのか?】

Photo_2

まずは、認知件数と検挙件数の推移。

平成に入って1,700件程度に落ち着いた認知件数が、平成9年から増え始め平成15年頃には2,500件にまで1.5倍に急増。その後なぜか平成23年頃に向けて1,250件にまで急降下。

それに呼応するように、検挙率は90%程度だったものが、平成15年頃に60%にまで低下。それがまた88%にまで戻している。

検挙件数自体に着目すると、上記乱高下に関係なく1,500件程度で推移、認知件数の低下に合わせて低下していく。

どうやら検挙率の急変動の原因は検挙数が上昇しないことにあるようにみえる。

それの原因は、警察官の絶対数の問題とか、検挙数の目標が達成されたらもういいや、とか、いろいろ考えられるけど、そのあたりは推測の域をでない。

いずれにせよ、検挙率の低下は警察が知っていながら検挙しなかった件数が、それまでの200件ほどから平成15年頃には1,000件ほどにも膨れ上がり、泣き寝入りした女性がずいぶんいたということが推察される。

伊藤詩織さんの指摘にもあるが、警察が強姦を事件化することを拒むこと、巷には、警察での被害者の事情聴取が犯人の取り調べのような形で行われることがあるとするならば、それはどうもこの時期に起き始めたことのように思われる。

そのあたりは検証が難しく、警察内部からの告発を待つしかないのかもしれない。

また、平成9年から急増したそもそもの認知件数の理由についてもよくわからず、そこはさらに踏み込んでみていく必要がありそうだ。

■次に、起訴率を見てみよう。

Photo_4
Photo_5

上で見た検挙数は平成19年ごろまで1,500件くらいで一定に推移し、その後ゆっくり低1,100件程度に低下したことと合わせて上のグラフを見てみよう。

起訴率は70%程度で推移していたものが、平成18年から急激に低下を開始し、平成26年では37%と、実に半分くらいに低下してしまっている。

Photo_6
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一番下の黄緑が起訴猶予、水色が起訴不十分、黄色が起訴の取り消し、紫が時効完成である。

起訴猶予が大幅に減少し、嫌疑不十分が倍増している。

そもそも起訴猶予とは何か、

【起訴猶予】
犯罪の疑いが十分にあり、起訴して裁判で有罪に向けて立証することも可能だが、特別な事情に配慮して検察が起訴しないこと。 比較的軽い犯罪で、本人が深く反省していたり、被害者と示談したりした場合に選択する。 同じ不起訴でも、証拠が足りず犯罪の疑いが弱いと判断して起訴を見送る「嫌疑不十分」とは異なる。

要するに、なあなあはやめて、疑わしきは罰せず、と言い換えたということか。

けれど、二つを合わせるとほぼ一定の割合なので、今回の検討の目的とずれるから、気にはなるけれどもここは置いておく。

で、割合が増えているのは時効完成で、5%程度だったものが、平成18年に10%へと倍増し、平成26年には18%にもなっている。

検挙件数、不起訴率×時効完成の割合でみると

平成17年 1,600件×35%×10% =56件

平成26年 1,200件×63%×18% =136件

と80件の増加。

一方、不起訴件数は

平成17年 600件

平成26年 750件

と、150件の増加であり、検挙数が25%も減ってるのに、なんで不起訴が増えてるの?という疑問は置いておいてくと、時効完成の増加によるものが80件だから、実に不起訴件数急増の半分以上は時効完成によるものだと分かる。

殺人や懲役15年以上の場合を除き、強姦の時効は7年。

平成11年以降に発生した強姦罪は時効になる確率が上がってきているということだ。

突如警察や検察の捜査能力が低下するはずもなく、認知件数は増えたが検挙の件数は一定なのだから、検察が放置している可能性もぬぐい切れない。

平成11年は、強姦の認知件数が急増した平成9年の2年後。

ここでつじつまが合ってくる。

先の「起訴猶予」から「嫌疑不十分」への転換が始まったのも平成11年。

ここで検察が方針転換を図った可能性が極めて高い。

では、なぜ平成9年から強姦の認知件数が急増したのか。

少し視野を広げて重要犯罪全般について俯瞰してみよう。

重要犯罪(殺人、強盗、放火、強姦、略取・誘拐及び強制わいせつ)の認知件数の推移をみてみる。

Photo_8

少し遅れはあるが、平成11年から重要犯罪は急増している。

検挙率も90%から50%に大幅低下。

ほぼ強姦の状況と合致する。

平成11年の強姦の認知件数は1,300件で、全体の14,700件のほぼ10%。

時期の多少のずれは、その寄与度から考えれば誤差と言えるだろう。

では、この時期に何があったのか。

平成9年と言えば1997年、バブル崩壊の影響が明確になってきた年である。

就職氷河期のピークが1998年。

バブル崩壊直後の後のリストラの第1回目のピークが1999年。

まさにそういう年だ。

前回調べた実質賃金指数(受け取る賃金の実感を表す指数、賃金を消費者物価で割ったもの)の推移を示す。

ITバブルを挟んで日経平均は暴落し、実質賃金は下がり続けた。

そして、2003年の不動産バブルの開始をもって、重要犯罪認知件数も、強姦罪の認知件数も頭打ちとなり、減少に転じている。

Photo_9

つまり、不況が重要犯罪増加の原因となっていた状況証拠ということになる。

特に性犯罪は、性欲そのものというよりも、ストレスのはけ口として行われるという説も濃厚で、膨れ上がった社会不安が、強姦の増加の要因となる理屈も成り立つのである。

その後、犯罪認知率が再び低下したのは、人がストレスに慣れてしまった、という見方もできる。

■さて、検挙率、起訴率である。

強姦を含む重要犯罪が激増した結果、警察や検察が対応できなくなってきた。

その結果、警察や検察が最重要案件に限られた資源を投入するため、そのほかの案件については検挙や起訴を見送ったとしても不思議ではない。

その方針の結果として、強姦の訴えに対してそれを拒む態度が従来からあったかどうかは不明だけれども、それが加速したとみるのが、この見立てから導かれる結論だろう。

かつての検挙率90%、起訴率70%は、決して小さな数字ではなく、その後の検挙率60%、起訴率37%は明らかに低すぎる。

門前払いで認知数まで下げてしまったのではという疑いもぬぐえないものの、少なくとも現在では認知件数が元に戻り、検挙率も90%を回復したというのに起訴率がさらに下がり続ける、というのは何かがおかしい。

可能性は役所としての方針の固定化だ。

結論というには推測が多く、仮説の域をでないのだけれども、敢えて結論としよう。

【結論】:警察、検察の強姦罪不起訴の傾向は昔からあるものではなく、バブル崩壊後の不況によって重要犯罪が急増したことによる方針転換によるもので、発生率が低下した現在もその方針が続いている可能性が高い。

 

終わりに。

いま強姦などの性犯罪の被害を受け、それなのに警察や検察から人権を保護されるどころか、圧迫されるような状況にいる女性がいるとして、その原因となるものは取り除かれていて、それなのに役所としての警察、検察は一向にその状況を改善しようとしない。

しかも世間は、恒常性保持力ともいえるような【出る杭は打つ】式の思考で、彼女たちにさらなる圧力を加えてくる。

この認識が正しいのであれば、世の中はあまりにも理不尽だ。

 
こういう話は、それぞれの状況だとか、そのひとの受けたことに対する感情だとか、そういうところに寄り添った見方をするのが本流だと思うのだけれど、今回は敢えて、少なくとも考察の材料だけは公的な資料をもとに冷静な客観性を持たせようと試みた。

ロングスパンでの冷静な見方から見えてくるものがあるのではないかと考えたからだ。

自分では、それなりに問題の構造を把握できたのではないかと思っている。

しかしながらその仮説の検証は、一般個人では不可能であり、どこかの骨のあるジャーナリストや司法関係者が明らかにしてくれるのを待つばかりだ。

とにもかくにも、実名も顔も表に出して、売名行為だなんだと叩かれることをわかった上で、個人的には何のメリットもない決死の問題提起し、ジャーナリストとしての矜持を貫いた伊藤詩織さんに、少しでもお役に立てればと切に願うものである。

                     <2017.10.26 記>


■Black Box 単行本 – 2017/10/18 伊藤 詩織 (著)

 

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2017年10月25日 (水)

■【映画評】『マイマイ新子と千年の魔法』 片渕須直監督。千年のつながりに気づくとき、身近な死がやわらかく心の中に降りてくる。

Amzonで配信されているのを発見。早速視聴!ああ、このぐっとくる感じ。やっぱりいいですよ。片渕さん!

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.112  『マイマイ新子と千年の魔法』
          監督: 片渕須直 公開:2009年11月
       出演: 福田麻由子 水沢奈子 森迫永依 他

Title

■あらすじ■
戦後10年ごろの周防の国、山口。田園風景の広がる町に空想力の豊かな小学三年生の少女、新子が住んでいた。おじいちゃんから、ここは千年前にここにあった都とつながっているんだと教えてもらった新子は、おでこのつむじのマイマイをなでながら、千年前の人たちが待ちゆく姿を目の前に浮かび上がらせてはひとり楽しんでいた。

004 

そんなある日。都会から転校生の貴伊子と出会い、ともに空想のなかで遊ぶようになる。その千年前の都には独りぼっちのお姫様がいて、ふたりは彼女の寂しさに心をめぐらす。。。

003

■『この世界の片隅に』の、すずさんの世界から10年くらい後。広島のお隣の山口でのお話。

片渕監督は、この映画のイベントでのふとしたきっかけにより、こうの史代さんを知り、『この世界の片隅に』に至ったのだという。

実に運命的な作品だ。

そして、『この世界の片隅に』のあとに、この『マイマイ新子』を観ると、あの映画の要素のほとんどがすでに詰まっていることに驚くのである。

005

おおらかで毎日をたのしく駆け回るこどもたち、けれどその底流には暗くて重いものが流れていて、それを知ってか知らずか、川は流れ、草はそよぎ、雲は流れ、蝶がひらひらと遊んでいる。

原作はまったく違えども、『この世界の片隅に』の世界観そのものだ。

いや何しろ新子のお母さんがまるですずさんの10年後のようで、ありゃー、やってしもうた、とは言わないものの、不意に見せる彼女のおとぼけ具合に、ついほっこりしてしまう。

012

■そして、この物語の重要な要素は、1000年前のお姫様。

いると思っていた同じ年頃の娘は病によってすでになく、遊び友達のいないお姫様はひとり寂しく過ごしている。

そして、彼女が切り刻んで流す赤い色紙が1000年の時を超えて、新子と貴伊子たちのもとに金魚というかたちとなって現われる。

新子と貴伊子が夢想する1000年前のさびしいお姫様は実在し、その想いがふたりのもとに流れ着くのだ。

001

■あこがれのひづる先生曰く、きっとそれは諾子というお姫様で、いま我々の知る清少納言であるということをひづる先生が開いた本が教えてくれる。

017

普通の物語りならば、夢であれ、現実であれ、この寂しい歴史上のお姫様と二人を引き合わせ、困難に立ち向かう構図となろう。

しかし、1000年の時は金魚のひずると貴伊子の一瞬の夢以外に交わることはなく、この物語はあくまで現実をたどっていく。

この抑制こそが、逆に1000年という時をそのままに感じさせる。

はるか昔から、諾子の生きた平安時代を通り過ぎ、新子と貴伊子の頬を撫でて、われわれの今に、そしてこれから先に続く未来に。

流れていく時間というものを、ずっと自然は眺めてきた。

われわれが空や山々や草原に遊ぶ虫たちやせせらぐ川を眺めるとき、自然はそこに永遠を見せてくれる。

物語の終盤に、われわれが生きていく上でそれがどういう意味を持つのかを、言葉ではなく、感情として悟る。

 

『枕草子』 清少納言

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし

秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。

冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし

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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

小川をせき止め、小さな池を作ることで子供たちは絆を深める。

金魚のひずるを祝いはしゃぐのだが、貴伊子の失敗でひずるは死んでしまう。

という、もう一つのテーマがここで提示される。

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■貴伊子にとって記憶にすら残っていない母の死。

みんなが頼る年長のタツヨシ。

生き返ったひずるを見つけるべく、みんなを引っ張るタツヨシだったが、そのタツヨシが信じる強い父の象徴である木刀の裏に潜む影は、残酷な「死」という形で彼をどん底に突き落とす。

ここで物語は大きく暗転する。

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■みんなに信頼される警察官であったタツヨシの父が、ばくちと街の女に入れあげ、借金を返せずに自死を遂げる。

そのことを知った新子は夕闇が迫る中、タツヨシのもとに向かう。

 
バー・カルフォルニアの女をやっつけてやろう!
 

タツヨシと新子の大人の世界に対する決死の殴り込みは、その悲壮さがかえって愛らしい。

繁華街に潜り込むふたりの覚悟が滲み出すシーンはとても素敵だ。

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大人の世界と子供の世界の断絶。

しかし、タツヨシの父の死を知った大人たちは、その垣根を取り払って二人にこころを開いて見せる。

戦後10年の時代において、死というものは当たり前にあっただろうが、それ故に、分かり合える共通語でもあったのだろう。

タツヨシがずっと抱えていた強い父へのあこがれと、弱い父への反発は、父の死を受け入れることで解き放たれる。

暗い小川のなかで、新しいひずるを見つけ出す。

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■一方、貴伊子は夢の中で諾子と重なりあり、自分がたどった道を諾子に歩ませ、村の子供にこころを開かせる。

ここでは貴伊子と新子の物語を追いかけるように1000年前での再話が行われ、時間というものは一方的に流れるのではないことが示される。

1000年前の諾子の時間も、今を生きる貴伊子の時間も、そして貴伊子の母が生きた時間も、同時に並行して流れているのだ。

記憶とか、想いをよせることがある限り、それはずっと寄り添うように流れている。

貴伊子は言葉ではなく、気持ちとしてそのことに気づくのである。

そして、ひずるの墓を史跡のそばにつくることで、ひづるは永遠に生きるよね?とおじいさんに問うた新子への答えが、ここで提示されるのだ。

タツヨシにとっての父の死、貴伊子とっての母の死、新子にとっての大好きなおじいちゃんの死。

死は、死として厳然とあるのだけれど、その思い出がある限り、その人の人生は決して死ぬことはない。自分に常に寄り添い、生き続けるのである。

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そして新子と貴伊子、諾子と古子の1000年の物語は重なりあり、続いていく。それは、わたしたちの物語りであり、未来の子供たちの物語りでもあるのだ。

ただただ自然がそれを眺めている。

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                      <2017.10.25 記>

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■【原作】マイマイ新子 (ちくま文庫) 髙樹 のぶ子 (著)


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【関連記事】

■【マンガ評】『この世界の片隅に』。こうの史代。 小さな記憶の欠片たちの物語。

 

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■STAFF■
原作:高樹のぶ子(「マイマイ新子」マガジンハウス・新潮文庫刊)
監督・脚本:片渕須直
キャラクターデザイン・総作画監督:辻繁人
演出:香月邦夫、室井ふみえ
 
画面構成:浦谷千恵
作画監督:浦谷千恵、尾崎和孝、藤田しげる
メインアニメーター:川口博史、今村大樹
美術監督:上原伸一
美術:桐山成代、今野明美、野崎佳津、岡田昌子
色彩設計:橋本賢
撮影監督:増元由紀大
CGディレクター:矢山健太郎
編集:木村佳史子

音楽:村井秀清、Minako "mooki" Obata
音楽プロデューサー:岡田こずえ
主題歌:「こどものせかい」コトリンゴ(commmons)
挿入歌:「Sing」(作詞・作曲:Joe Raposo、編曲:村井秀清、歌:杉並児童合唱団)

山口弁監修:森川信夫
山口弁指導:久野道子
翻訳協力:兼光ダニエル真
草笛演奏:河津哲也
後援:山口県/防府市/山口県教育委員会
協力:山口県フィルム・コミッション
支援:文化庁
エグゼクティブプロデューサー:丸田順悟
チーフプロデューサー:高谷与志人
プロデューサー:岩瀬智彦、市井美帆、松尾亮一郎
共同プロデューサー:二方由紀子、赤瀬洋司
アニメーション制作:マッドハウス


■CAST■
青木新子:福田麻由子(主人公の少女)
島津貴伊子:水沢奈子(東京からの転校生)
千年前の少女・諾子:森迫永依
青木長子:本上まなみ(新子の母)
青木光子:松元環季(新子の妹)
青木小太郎:野田圭一(新子のおじいさん)
青木東介:竹本英史(新子の父)
青木初江:世弥きくよ(新子のおばあさん)
鈴木タツヨシ:江上晶真(頼れる兄貴分)
シゲル:中嶋和也(新子の友達)
ヒトシ:川上聡生
ミツル:西原信裕
一平:冨澤風斗
タツヨシの父:瀬戸口郁
バー・カリフォルニアの女:喜多村静枝
オヤブン:関貴昭
四郎:海鋒拓也
ひづる先生:脇田美代(山口放送)
庶務課の藤原:阿川雅夫(防府市役所)
千古:奥田風花
多々良権周防介:小山剛志
清原元輔:塚田正昭

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2017年10月22日 (日)

■もくじ 【調べてみた♪】 データで読み解く疑問の真相

経済、社会、科学、その他もろもろの日頃の疑問を、公開情報をもとに分析し、読み解く試みです。

●●● もくじ 【調べてみた♪】  ●●●
 ― データで読み解く疑問の真相 ―


<No.5> 強姦罪をなかなか警察、検察が起訴しないのは体質の問題なの?
2017.10.26

■【詩織さん事件】強姦って警察特有の体質によって事件化、起訴されないって本当なの?

   
<No.4> 景気が回復したのに何で実感が湧かないの?
2017.10.22

■アベノミクスで景気が回復したのに実感がないのは何故なのか?実質賃金指数から読み解く、失われた20年の実態。回復のヒントは円相場と労働分配率か?

   
<No.3> ベーシンクインカムって、最近話題だけど現実的なの?
2017.10.08

■希望の党の提案するベーシックインカムって何?で、それって実際にありえるの?

 
<No.2> 格差拡大って本当に悪いことなの? 

2017.10.05

■格差拡大って本当に悪いことなの?

 
<No.1> 報道されてる平均年収って、ちょっと高すぎない? 
 2017.10.04

■平均年収421万円って高いの?低いの?格差って本当に広がってるの?

 

<それ以前の記事>

  
<No.01> 平均寿命100歳時代って、本当?? 
 2017.08.04

■戦前の人の寿命って45歳って本当なのか?平均寿命のトリックと人間の寿命について考える。

  
<No.02> 喫煙者が減ってるのにCOPDの患者さんが増えてるのは何故?
  2017.05.16

■タバコの健康被害。COPDはなぜ急増したのか?低タール化とフィルターへの疑惑のマナコとiQOSのリスク。

 

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■【社会】<調べてみた♪その4>アベノミクスで景気が回復したのに実感がないのは何故なのか?実質賃金指数から読み解く、失われた20年の実態。回復のヒントは円相場と労働分配率か?

高度成長期の1960年以来の14連騰に湧く日経平均株価。
アベノミクスは成功し、バブル期を超える戦後3番目に長い好景気が続く。
けれど、われわれにその実感はない。なぜか?
それを調べてみた。

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何故われわれは好景気を実感できないのか

昨日、10/20(金)引け間際。

一旦、マイナスに転じた日経平均はプラスに転じ、数度の綱引きの末、最終的に9円のプラスで引けた。

もう、何かの力が働いているとしか見えず、苦笑するしかないのだけれど、週末の衆議院選挙まえに株価を落とすな!とでもいうような、こういうなりふり構わない介入なんてのは報道はされず、この構図を利用して売りで儲けた機関投資家だけが密かな勝利者だ。

まあ、そんな些末なことはどうでもいい。

問題は、

【Q】何故われわれは好景気を実感できないのか

ということだ。

先まわりしてキーワードを述べるならば、

1.円相場

2.労働分配率

である。

少し長くなるが、お付き合いいただければと思う。

バブル以降の実質賃金の推移と日経平均との相関

さて今回は、実質賃金指数を中心に見ていこうと思う。

実質賃金指数とは

モノの値段に対して、賃金が本当に上がっているかどうかを示す指標。基本給に残業代やボーナスなどを含めた給与総額の指数を、物価で割って計算する。

具体的には、各月の賃金を基準に対して指数化し、消費者物価指数(CPI)で割ったものである。

早速、日経平均株価との比較で見ていこう。構造的に理解するために期間は長めにとってある。

Photo_3

いわゆるバブル期の終わり、1994年から2016年までの日経平均株価(赤線、左軸、円)と実質賃金指数(青線、右軸)である。

まず日経平均に関しては、確かに2013年のアベノミクススタートによって、跳ね上がり、バブル期以降の最高値まで戻している。

一方、実質賃金指数は、ITバブル(1999年)、不動産バブル(2005年~)、リーマンショックの反動(2009年)の株価ピークに一年ほど遅れて小さな山を作るものの、押しなべて見れば、1997年以降、一定の割合で低下し続けている。(20年間で15%減少)

失われた20年とは、このことか!!

と改めて驚く。

2016年にはアベノミクスの効果で実質賃金指数も上昇に転じたように見えるけれども、この20年の流れをみれば、これから上昇し続けて、失われた20年を取り戻すというような安易な予想はなかなかできない。

未来予想は不可能だけれども、何かの構造的原因があってそれが解消されていないならば、普通に考えてトレンドを維持してこのまま実質賃金指数も下がり続けるだろう。

失われた20年どころか30年、40年と続いても不思議ではない。

一体何が起きているのか。そしてこれからどうなるのか、統計データをもとに考察を加えたい。

■GDPとの相関関係

日経平均株価が実質賃金と相関がない、つまり生活実感と合わないことは分かった。ではGDPは?ということで調べてみた。

Gdp_2

GDPとしては、実質賃金指数と同じくインフレ要素を除いた実質GDPを使うべきだけれど、今回起点とする1997年に対し、名目GDPと実質GDPから求められるGDPデフレーターは15%もデフレになっているのに対して、消費者物価指数は+0.5%のインフレとかい離があり、消費者物価指数がほぼゼロであることから、今回は名目GDPを用いた。

上のグラフは名目GDP(青線、兆円、左目盛)と実質賃金指数(オレンジ、右目盛)の比較。

一目見て、これも相関は見られない。

名目GDPはアベノミクス開始と共に急激に上昇し、ピークの1997年に対して2016年時点で+1%となっている。

一方、実質賃金指数は先ほど見た通り、下げ一辺倒で、同期間で-13%になっている。

このGAPはアベノミクスの期間に特徴的で、異次元の金融緩和、日銀による国債やETFの大量購入などを考えると、金融市場に溢れたマネーがわれわれの懐に還流してこないということから、これは日銀主導による金融バブルではないか?という仮説も成り立つだろう。

ただ、これはアベノミクス期間に限った動きなので、とりあえず、【利益確定はお早めに!】と、リスクテイクをされては困るくじらさん(特に年金機構!!)に念押しをして失われた20年の謎を解くべく先に進もう。

■実質賃金指数を探ってしみじみする

どうも実質賃金指数と相関のとれるデータが見つからない。

そこで、実質賃金指数自体をもう少し詳しく見ていこう。

Photo_4

上のグラフは、1990年からの月別の生データを何も考えずに並べたものである。

一年の中の月別に大きな変動があり、ピークは12月、2番目のピークは6月、7月、他の月は底を這う、という感じになっている。

12月は冬のボーナス。6,7月と夏のボーナス支給日がばらけるので、12月が突出しているということだろう。

ここでわかるのは、冬のボーナスの下げ方が恐ろしく大きいことだ。

そこで、年平均(以下青線、左目盛)、通常の賃金として4月(赤線、左目盛)、ボーナス月として12月(グレー、右目盛り)を抽出して並べてみた。

412

まあ、なんということでしょう!

赤線の通常月(基本給+残業代)がほぼ平行に推移し、ピーク-6%程度に収まっているのに対して、ボーナス月はバブル終盤の1991年をピークに途中のバブルをものともせずに下がり続け、2016年時点でー28%も減少しているのだ。

私は90年代前半の入社なので、これを見るともう、かなり強くうなづいてしまう。

基本給は、組合の手前下げるわけにはいかない。企業は残業時間くらいで調整するしかない。

けれど、ボーナスは不況を理由にどんどん下げていく。景気が良くなったのでボーナス上げますね!なんていうけれど、それまで下げた分から考えれば微々たるもの。そしたらまた円高で苦しい!とか始まって、ボーナスの削減が続いたのだ。

さらにはボーナスが支給されない、或いは微々たるものしかもらえない派遣さんの急増の影響もあるはずで、社会全体としてボーナスによる収入が猛烈に(-28%という規模で)下がり続けてきた、ということだ。

ああ、納得いったよ。失われた20年。

これでは消費意欲が上がるわけがないのだ。

だって毎月の給与は生活費で使われるんだから、強烈なローンを組んでいない限り、主たる余剰所得はボーナスなんだから!!

【A】われわれが好景気を実感できないのは、ボーナスがこの20年で猛烈な勢いで下がり続けているから。

そういうことだ。

実感と合わない企業収益と人件費の上昇

さてさて。

じゃあ、なんで景気回復に関係なく実質所得指数、特にボーナスが減っていくのか。

そこで労働分配率に着目し、企業収益(経常利益)と人件費の推移をプロットしてみた(内閣府資料より)。

※労働分配率=人件費/(人件費+営業利益+減価償却費+受取利息)

Photo

水色の線が企業収益(兆円、左目盛)、緑の線が人件費(兆円、左目盛)、赤のラインが労働分配率(右目盛、%)。

1997年から2015年までの間に労働分配率は10%低下している。1997年基準の比率で言えば14%減である。

これが実質賃金低下の原因なのか??

何言ってるの!

絶対値で言ったら上がってるじゃん!!

嘘つき!!

そうなのだ。

人件費自体を見てみると、倍近くに上昇してる。

賃金は人件費の半分くらいを構成するにすぎないと考えても、実質賃金が13%下がっている、という感覚とはまったく合わない。

しかし、企業収益(経常利益)も2倍以上に膨らんでいて、そんなんならば失われた20年なんてなかったことになる。何かがおかしい。

■名目GDPか、実質GDPか

そこで企業収益(経常利益)のグラフの意味を理解すべく、GDPと比較してみた。

Gdp

赤いラインが名目GDP、緑のラインが実質GDP(ともに兆円、左目盛)、そして青いラインが企業収益(兆円、右目盛)。

もう、みごとに実質GDPと企業収益が相似形を描いている。

一般に、生の数字を使った名目GDPよりも、インフレ補正を行った実質GDPが実態に即しているといわれるが、まさにそのとおりの結果となった。

では、実質賃金の推移とのギャップはどう理解すればいいのだろうか。

GDPは海外生産品をカウントしない

そこでインフレ補正の考え方について、実質賃金指数算出の要素となる消費者物価指数(CPI)と、名目GDPを各構成要素補正から算出される実質GDPで割ったGDPデフレータ―について整理してみた。

Photo_3

簡単に言えば、

消費者物価指数は消費者が購入するものを扱い、

GDPは、最終的に国内で生産された活動について扱う

よって、海外で生産された物については消費者物価は扱い、GDPでは考慮しない。

そこが重要なポイントになる。

例えば家電部品を安い(当時の)中国から輸入した場合、

消費者物価では、その家電の値段が下がればデフレとして考慮するし、値段が変わらず国内で販売する企業の儲けに転嫁されれば物価は変わらないとする。

一方で、GDPでは国内での付加価値にしか着目しない。

その家電の値段が上がろうが下がろうが、国内企業の付加価値にしか着目しない。

その意味で、実質GDPは国内企業の活動を示す指標としては意味があるけれども、われわれが個人の消費者の立場になったときにはあまり意味がない。

むしろ、実質GDPでの補正は消費者の購入実態にはそぐわないのである。

Gdp_2

実際にGDPデフレータ―(緑色)と消費者物価指数(赤色)を並べてみると上のグラフのようになる。

安倍政権発足までGDPデフレータ―は一本調子で下がり続け、企業が商品につける付加価値が低下し続けてきたことがわかる。

その一方で、消費者物価指数はほぼ一定で、機能差などはあるだろうけれども、商品価格については大きな変動がなかったということが分かる。

■GDPデフレータ―は何故下がり続けたか

そこで、上のグラフに円相場(グレー、米ドル、左目盛)と対中貿易額(黄色棒グラフ、兆円、右目盛)を加えてみた。

Photo_2

GDPデフレータ―は円高の進行に沿って低下していき、中国輸入部品の増加(品目としては電子部品が急増)を相殺しても追いつかず、価格に転嫁できない分、国内での付加価値が圧迫されていった様子が見て取れる。

そして安倍政権の2013年からアベノミクスの効果で円安方向にもどり、GDPデフレータ―も安定から回復方向へ動き始める。

実際にその流れを示すのは実質GDPではなく、むしろ名目GDPだ。

Gdp

企業サイドで収益のみに視点を合わせれば実質GDPが適切だけれども、輸入も考慮した全体像を把握するならば名目GDPが適切なように見える。

■実質賃金指数の低下は名目GDPの労働力分配率補正で再現可能!

そこで名目GDPを起点とし、先に議論した労働力分配率で補正(付加価値の賃金への分配率として)をかけて、実質賃金指数と重ねてみた。

Gdp_3

赤いラインが実質賃金指数(右目盛)、青いラインが名目GDPの労働分配率による補正(左目盛)である。

この青いライン補正値は正しい組み合わせの計算ではなく絶対値に何ら意味はないけれど、傾向の目安としては使えるはずだ。

結果、二つのラインの傾向はほぼ一致する。

2004年から2007年のあたりにGAPがあるが、この時期はリーマンショック前のバブル期なのでメカニズムはよくわからないけれどもその影響かもしれない。

いずれにせよ、名目GDPに労働分配率を掛けた値が、いままで見てきたデータの中で唯一、実質賃金指数と相関がみられる指標である。

そこから導き出される有効策について考えてみたい。

■アベノミクスの継続で、われわれは生活の改善を実感できるのか?

これまで見てきたことから、実質賃金指数を低下させた要因は

1.GDPデフレータ―を低下方向に導く円高傾向

2.労働配分率の低下

の二つであると推測できる。

アベノミクスによる異次元の金融緩和と、その結果なのか介入なのかはたぶん両方なのだろうけれど、

1.GDPデフレータ―を低下方向に導く円高傾向

を改善させる効果はあって、それゆえの実質賃金指数の下げ止まりなのだろう。

しかし、この

「給与の額面はそんなに悪くないのになんだか生活が楽になった実感が湧かないなあ」

という感覚は、いつまで経っても横ばいを続けるだろう。

やはり、

2.労働配分率の低下

の改善が必要で、トランプ政権下では1ドル120円で安定することはあまり期待できず、当局も110円台で安定させることが精一杯だろう。

ああ、楽になったなあ、とみんなが思うためには、

労働分配率を現状の60%程度から70%程度まで回復させることだ。

企業の内部留保を問題視する向きがあるが、資本主義経済でそれを制限したらも、もはや資本主義ではない。

しかし、公共の福祉の観点から、何らかの方法で労働分配率70%を努力目標として改善に向けて動くことは可能だろう。

やることさえはっきりすれば頭のいい日本の官僚は何とかしてくれる。

結論としては、アベノミクスは一勝一敗。

長期的目標としてのイノベーションは継続して努力していただくとして、直近の課題は労働分配率70%の確保だ。

どうやら、今回の衆議院選、自民党圧勝で安倍さんも安泰のようである。(22日21時時点)

今まで企業に求め続けた給与への還元を、もっと強力に推し進めていただくことを強くお願いする。

                      <2017.10.22 記>

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●8.社会・報道・ドキュメント

 

おまけ

■各国GDP成長率比較を行った。

Gdp_4

Gdp_5

Gdp_6

Gdp_7

Gdp_8

GDPデフレータが-なんて日本だけです。

下に示したように為替はそんなに他の国の変動と大差ない。

根本的には、輸出に頼り過ぎる経済だからなんだろうね。

だから、われわれ消費者、給与所得者の視点で生活実感を改善して内需を復活させ、他の国のような健全な経済を取り戻さなければ!

■各国為替相場推移

【円相場推移】
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【ユーロ相場推移】
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【豪ドル相場推移】
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2017年10月21日 (土)

■【書評】『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』 矢部 宏治 高度に政治性を持つ案件については、日本人の人権は日本国憲法では保護されない?

日本は米軍に支配されてる。

そんなの知ってるわい、と思ってスルーしてたんだけど、これは目からうろこの本なのである。


【新書】知ってはいけない 隠された日本支配の構造 矢部 宏治・著

■本書に記されている内容を簡単にまとめる。
  

1.東京から日本海側までを覆いつくす空の米軍支配、「横田空域」

2.日本全土が治外法権、米軍の軍事演習はどこでも可能

3.安保と日米地位協定と日米合同委員会によって、米軍の特権は隠される

4.定例秘密会議、日米合同委員会は米軍から官僚への上意下達の仕組み

5.米軍取扱を定める裏マニュアル「部外秘資料(最高裁)」、「実務資料(検察)」、「日米地位協定の考え方(外務省)」

6.安保と日米地位協定は日本国憲法の支配を受けない。日本版統治行為論と、日本政府による米軍以外への拡大解釈

7.歴史をたどるとすんなりと理解できる憲法9条の意味

8.矛盾のすべては朝鮮戦争によって生まれた

9.米軍による占領状態の継続

    
ざっとこんな感じか。

Photo

■基地の外でも米軍は自由に活動すること、そこで事故や事件が起きても、日本の警察は何もできないこと。

ニュースで何度もひどい事件を目にし過ぎて、すっかり麻痺してしまったのかもしれない。

そんなことは、もう常識だと思ってしまう。

しかし、それが行政、司法の世界ではシステマティックに行われているということには、改めて怒りを覚える。

一体誰のために仕事をしているのか。

■1960年の新安保で、米軍の特権は表向き消されるが、実際には「日米地位協定の考え方」として外務省内に定められ、最高裁も検察も、それぞれにマニュアルをもち、米軍や軍属の日本の法の外へと逃がしていく。

月に2回実施される米軍と官僚による日米合同委員会では、日本やアメリカの議会や首相、大統領が関与しないところで「占領政策」が米軍から通達される。

米軍は日本においては日本国憲法の支配の外にある。

それを是とする官僚たち。

■統治行為論、というらしい。

 
「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」 ― 1959年12月砂川事件、最高裁判決骨子

  
高度に政治性を持つ案件については、日本人の人権は日本国憲法では保護されないということである。

そんな、ばかな。

しかし、それは日米安保に適用されるだけでなく、放射性物質についても各種条文の適用除外を受けていて、2011年の福島原発事故の翌年に原子力基本法が改正されて、以下の内容が追加されている。

 
原子力利用の安全の確保については、我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする

 
要するに原子力の安全確保も高度に政治性を持つ案件とされたと見ていいだろう。

これは最高裁の機能停止以外の何物ではなく、時期を考えれば安倍政権以前の問題として、官僚が統治行為論を拡大解釈して、国民の人権を制限する手法を手に入れてしまっている、ということだ。

日曜日の衆議院選挙と同時に実施される最高裁判事国民審査も、なにか虚しさが漂ってしまうのである。

■もうひとつ、本書で驚くべきことが示さている。

 
日本国憲法9条

一、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 
二、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 
今回の衆議院選挙の争点として、自衛隊の憲法での定義や、集団的自衛権が問題となっているが、その根幹に関わることである。

私自身、以下のようにとらえ、自衛権としての戦力は認められる、と考えていた。

「陸海空軍その他の戦力」は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」や「国際紛争を解決する手段としては」 、「これを保持しない」

つまり、自衛権の確保を忍び込ませたとされる芦田修正の意図に沿った解釈だ。

 
日本国憲法13条
 
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

  
日本人の生命権を考えれば、当然のことである。

■しかし、本書で提示されるのは、日本国憲法の前提となった国連憲章の前身ダンバートン・オークス提案(1994、米英中ソ)、連合国共同宣言(1942、連合国26か国)、その大本となった大西洋憲章(1941、米英)への遡りだ。

ダンバートン・オークス提案は米英中ソのみが戦力を保有し、そのほかの国は戦力と交戦権を放棄、国連軍によって安全保障が行われる、という内容であり、その文脈で憲法9条を照らせば、

日本は国連軍を前提にして戦力を放棄する

という理解が極めて自然、条文もすんなりと理解できる。

自衛隊は違憲である。

という憲法学者の思考回路がさっぱり理解できなかったのだが、こういう説明を受ければ、もう明らかに自衛隊は違憲なのだ。

■しかし、実際には国連軍は創設されなかった。

従って、戦力放棄の前提が失われてしまう。

そこで日本の独立当時、朝鮮戦争で劣勢に立たされていたアメリカが採用したのが、日米安保によって国連軍の代わりとする、という論理だったのだ。

警察予備隊にはじまる日本の戦力、つまり自衛隊は、当然のように国連軍=米軍に組み込まれ、指揮命令系統は米軍最高司令官である大統領ということになる。

何しろ、日本が主権として発動できる「戦力」は無いのだ。

今、北朝鮮と戦争になった場合、自衛隊の最高司令官は安倍首相ではなく、トランプ大統領になる。

ロジックは分かるが、心がついていかない。

平時にすっかり慣れてしまって、まったくリアルにとらえていなかったのだ。

■戦後、自民党は、日米安保と9条と自衛隊の矛盾を、「専守防衛」という平和主義を維持するためにだましだまし、これらを運用してきた。

日本人の生命や財産を守るためには日本が日本の主権で動かせる自衛隊を持つ権利をもっているのは当然のことである。

その「当然」に「矛盾」を合わせてきたのだ。

しかし、何を目的にしているのか分からないが、安倍首相は2015年4月、安保法案審議に先立って、アメリカ議会でこの法案を通すことを約束した。

そして、安保法案を数の論理で通したあとは、憲法を改正して自衛隊を明記したいという。

一体だれに向けて動いているのか。時期を考えれば北朝鮮有事に向けた法整備を自衛隊を指揮するアメリカに約束した、と考えるのが適切だろう。

戦後、自民党保守本流が苦しみながらも工夫をこらして守ってきたものが、われわれ日本人以外のところを駆動力として、今崩れ去ろうとしている。

日本の防衛は日本の主権をもって行うべきだし、平時も含めて日本人の人権が制限されるのは絶対に間違っている。その大前提を回復した上で、在留邦人の保護や、米軍との共同作戦について議論を進めるべきなのだ。

このことをしっかり意識して、今回の衆議院選挙に臨みたい。

                 <2017.10.21 記>

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2017年10月17日 (火)

■【アニメ評】『交響詩篇エウレカセブン』&『エウレカセブンAO』 ファンタジーにおける【現実(リアル)】とは何か。その成功と失敗を探る。

エウレカの映画、、『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1』をやるっていうから、思い立ってエウレカセブン全50話を見直して、その勢いで未見だったAO全24話をやっとこさ見終わった。

もう映画の公開も終盤になってしまった。

002

■2005年に放映された『交響詩篇エウレカセブン』は、永遠のボーイ・ミーツ・ガールの名作だ。

トラパーという「風」に乗って、空を駆け巡ることが出来る世界。

田舎町でくすぶるレントン少年の家に、空からロボット(LFO)ともに謎の少女が墜ちてくる。

 
話を追うごとに、この世界とエウレカの真相が明らかになっていくのだが、そのギャップが大きくなるほどにレントンとエウレカの絆は深まっていく。

そして、世界が崩壊していくなかで、最後の希望は二人に託される。

観る者は、大人と子供のはざまにある二人の成長と、お互いを思いやる決意に胸を打たれるわけである。

■けれども、この荒唐無稽な物語を、「真実」として観る者が受け入れるのは、その二人だけでなく、登場する人々一人一人を丁寧に描き切ったことによるものだということに疑う余地はない。

「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」をキーワードに、

ホランドが、タルホが、ゲッコーステイトのメンバーが大人として二人を見守り、レイとチャールズが親の愛を伝え、荒れ狂うアネモネをドミニクが守り抜く。寡黙に人生を貫くユルゲンス、そしてノバク、サクヤ。。。。

あたかもガンダムからイデオンに至る富野由悠季の全盛期(富野喜幸の時代)を見るようなその人物群像の厚さが、「真実」(リアル)を生み出していくのだ。(レイとチャールズなんて、ランバラルとハモンそのものじゃん!とは言うまい)

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■ファンタジーとは、もちろんその世界の設定がしっかりと構築されていることは必要なのだけれども、現実的であることは必要条件ではない。ただただ、その世界に住み人たちが意志をもって進めばいい。むしろ、【現実的】にこだわろうとそこに注力してしまうと逆にしらけてしまう性質をもっている。

大切なのは、その世界に生きる人たちすべてがそれぞれの人生を生きている、その実感が伝わるかどうかなのだ。

『エウレカセブン』が名作と呼べる理由はそこにある。

007

■さて、続編の『エウレカセブンAO』である。

監督は京田知己のままで、シリーズ構成が 『カウボーイビバップ』や『攻殻機動隊S.A.C.』の佐藤大から『機動戦艦ナデシコ』や『鋼の錬金術師(2003)』の會川昇へと交代。

それが原因かどうかはわからないけれど、『AO』はかなりきびしい。

102

■時は遡り、現代の地球。

しかし沖縄が独立していて、とか微妙に違う。

そこにエウレカとレントンの息子と思しき少年、アオが、各地にあらわれるスカブコーラルとそれを狙うシークレットと呼ばれる謎の存在に巻き込まれるお話。

世界情勢の設定は緻密で、とくに沖縄のアイデンティティや日本のありかたについては考えさせられるものがある。

けれども、エウレカセブンのファンタジーと「現実(リアル)」の融合は完全に破綻している。

我々の日常的な現実(トゥルースの現実)が、スカブコーラルの侵入によってずれを生じ、、、というところでダメ押しである。

ファンタジーを日常的現実と対比をしようとして破綻した例をわれわれは知っている。

先に挙げた富野由悠季の『聖戦士ダンバイン』である。

バイストンウエルで紡がれた物語が、ザマ・ショウの日常的現実と交錯した瞬間に、ストーリー的興味が膨れ上がるのと反比例するように、無理がたまり、デウス・エクス・マキナ!とばかりに突然の終わりを告げる。

201

■百戦錬磨の手練れである富野由悠季をもってしても破綻をさけることができなかったのは、【日常的現実】と【現実(リアル)】をはき違えてしまったことにある。

ファンタジーが介入した時点で、【日常的現実】は【現実(リアル)】たり得ず、リアルらしき非リアルに対する違和感を拭い去るために大風呂敷を拡げてしまい、結局破綻をむかえることになるのだ。

『エウレカセブンAO』に関して言えば、【日常的現実】という嘘をパラレルワールドで逃げてしまった。

これは最悪だ。

観る者は、自分の立ち位置を失い、途方に暮れる。そこには作り手の自己満足しか残らない。

唯一、レントンとエウレカが再び出会う。ただそのためだけにこの作品の意味はある。

残念ながら、アオにも、ナルにも、フレアにも、トゥルースにも、途中までの愛着は消え去り、ただ冷たい神の目で眺めるほかなくなってしまうのである。

101

■さて、映画 『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1』である。

TVシリーズの設定を変えての再話であるらしく、巷の評判は芳しくない。

評判が悪い映画が大好きな自分としても、残念ながら、ここまでの考察を踏まえれば、なかなか劇場にお金を落とす勇気は出ない。

本来、エウレカセブンの続編として見たいものは、(たとえ蛇足だと分かっていても)アダムとイブとして地球に降り立ったレントンとエウレカのそれからだ。

あえて3部作としてのハイエボリューションに期待するのは、そこだろうか。

再びパラレルワールドに逃げないことを祈るばかりだ。

                    <2017.10.17 記>

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2017年10月15日 (日)

■【アニメ評】『宝石の国』 美しく透明な世界は、どこまでその奥行きを見せるのか?

第2話で、いきなり主人公が溶けてなくなっちゃったよ。

まいったな、おい。

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■2017秋のアニメは、あんまり気になるのがなくて、ぼんやり『宝石の国』って綺麗な世界だな、と眺めてたんだけど、これはとんでもなく面白い話かもしれない。

 

<ものがたり>

遠い未来、ほとんどの生物は滅び、海底に沈んだ有機物が再構成されて結晶化し、浮かび上がったのが、彼ら宝石たち。

月からの狩人にさらわれるのを防ぎながら何百年、何千年の時を生きている。

一番若く、何のとりえもないフォスフォフィライトは、ある日、金剛先生から博物誌を編む仕事を任せられる。

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■フォスのダメっぷりがかわいいんだけど、いきなりカタツムリに飲まれて溶けちゃいました。

安心して見てたから、かなり衝撃的。

まどかマギカの3話に迫る破壊力だ。

これはもう見るしかないな、月人とは何か、宝石っぽくない金剛先生は何者か、そもそも宝石たちって何なのか。

衝撃を与えると砕け散るとか、ファンタジーの枠を振りきっているところも百凡の異世界ものと一線を画していて好印象。

マンガは連載中みたいだから、メイドインアビスみたいに途中で終わっちゃうんだろうけど、今期は、これと3月のライオンに絞ろうかな。

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いやあ、こいつら、、、いったい。

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孤独なシンシャ フォスがいなくなったあと彼女は。。。

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ゴーシェナイトとモルガナイト。

透明水彩のような髪が素晴らしく綺麗。

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ダイヤモンド。うん、かわいい。

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金剛先生。

フォス、エースをねらえ! とか言わないでね。

                 <2017.10.15 記>


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2017年10月11日 (水)

■【社会】福島原発訴訟(生業訴訟)地裁判決、住民側が国と東京電力に勝訴。オメラスの呪いを超えて。

2017年10月10日、衆議院選挙公示日。

福島原発訴訟、いわゆる生業訴訟の判決が福島地裁から下され、住民側が被告である国と東京電力に勝訴した。

■上の動画は、ジャーナリストの堀 潤さんによる勝訴当日のレポートである。

原告側に深く寄り添った立場がにじみ出ていて、もはや報道ではなく、ドキュメンタリー作品と言っていいだろう。

私自身、堀さんの論破禁止とか、一つのテーマに深く根を下ろしていく姿勢に賛同し、ここ最近ウォッチし始めたのだけれども、NHKを退社された経緯までは良く知らず、この動画を見た後に少し調べてみた。

彼がどういう想いでカメラを回し、マイクを向けていたか、勝訴の文字をどういう気持ちで目にしたかを想像すると目頭が熱くなる。

【記事】止まらない住民たちの涙 「生業訴訟」住民側が勝訴 国の責任と賠償福島地裁認める 堀潤  | ジャーナリスト/NPO法人8bitNews代表


■変身 Metamorphosis メルトダウン後の世界 (ノンフィクション単行本)  – 2013/11/27

■で判決文の骨子を見てみると、平成14年7月の地震活動長期評価から、東日本大震災における津波のレベルは予見可能であり、国は規制の行使を怠り、その結果、対応可能であった予備電源の水密化が行われなかったと指摘している。

この判決理由は本当にすっきりするものであるが、もし、予備電源の水密化が行われていたら。。。と考えると胸が苦しく、いたたまれないものがある。

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(判決文は こちらに)

■福島原発訴訟や、各地の原発再稼働審査について、気にしていたつもりだったのだけれども、全然理解していなかった。

ただ原発再稼働の動きに不信感をもっていただけで、しっかりと調べて理解しようとしてこなかったのだ。

それでごちゃごちゃと語っていた自分が実に恥ずかしい。

そこで少し調べて目に留まったのが以下のNHKの記事だ。

Nhk

【記事】詳報 東電刑事裁判 「原発事故の真相は」
東京電力の旧経営陣3人が福島第一原子力発電所の事故を防げなかったとして検察審査会の議決によって強制的に起訴された裁判。未曽有の被害をもたらした原発事故の真相は明らかになるのでしょうか。初公判から判決まで、毎回、法廷でのやりとりを詳しくお伝えします。

■この記事で驚くのは、東電は津波被害のシミュレーションを実施し、浸水被害まで予測をしていたのに、対策の実施を行わなかったという、東京電力内部の会議資料の存在が明らかになったとされていることである。(まだよくわからないが、今回の「生業訴訟」の証拠資料か?)

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シミュレーションでは津波による浸水を予測。

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予備電源のある建屋も浸水。


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「津波対策は不可避」、「機微情報のため資料は回収」の文字

■そのうえで、

事故調査・検証委員会の報告書から、武藤元副社長は平成20年6月の社内会議で最大で15.7メートルとする津波の試算の報告を受けたものの、7月、新しい防潮堤を建設する場合、数百億円規模の費用とおよそ4年の期間がかかると説明を受け、津波の試算はあくまで仮定に基づくもので、実際にこうした津波は来ないと考え、最大で5.7メートルとしていた従来の津波の想定を当面は変えない方針を決めた

となると、もう人災としか言いようがない。

原発の技術者が、FMEAによる不具合解析や、フェールセーフを考えないはずはなく、そういった話が出てこないのは実に不思議であった。

この情報によれば、彼らはそれを当然のようにやっていたし、現状では危険であると指摘をしていたのだ。

「何か」がそれを押しとどめていたのである。

■誰が悪いのか、その責任の所在を明らかにすることは重要だ。

しかし、何よりも重要なのは、何が起きたのか、現状のシステムのどこが脆弱であったのかを分析し、今後に生かすことだ。

アメリカでは、航空機事故調査において、その責任を追及しないことがある。その代わり、事実を確実に把握し、それを今後の事故防止に生かし、空の安全を保っている。

一方、いま日本では、各地で原発の再稼働が進んでいて、今回の選挙では「原発維持」、「原発ゼロ」が争点の一つになっている。

とても気になるのは、

必要だ!

いや危険だから駄目だ!

という感情的な論議がなされがちだということだ。

私は、経済性と安全性を同じ土俵で考える再稼働に反対するのと同じく、

議論を前提としない今後一切の原発ゼロには反対だ。

少し前にオスプレイの記事でも述べたが、危なそうだからダメ、ほら事故が起きただろう! というのはあまりにも論理性に欠けていて、それでは議論が進まないのである。

プロフェッショナルによるデータの分析と、システム評価があって、

それを一般に公開し、

しっかりと公の場で議論をすること。

その作業を抜きにして再稼働はあり得ないし、同様に、将来における原発政策を中止するかどうかも決められないのである。

■こういう話がある。確か、こんな話だ。

どこかの国の都の話。その都は繁栄を極め、人々は幸せな人生を謳歌している。しかし、その都にある塔の地下に、子供が幽閉されていて出してくれよ、と泣き叫んで懇願するのに出してもらえない。この都の繁栄は、その子供の犠牲の上に成り立っていることを人々は薄々感じているのだが、見て見ぬふりをして、こころの奥に押し込めて生きている。

マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』で知ったのか、確か、アーシュラ・K・ルグインの『オメラスから歩み去る人々』 だったかと思う。


『風の十二方位』アーシュラ・K・ルグイン 「オメラスから歩み去る人々」収録

われわれは、「オメラスの人々」で居ていいのだろうか。

すべてが解決するなんて思ってはいない。

けれども、科学と論理的議論によって解決できる部分は必ずあると信じている。

われわれの生活のためにはエネルギーの安定確保は絶対に必要だ。

3.11の前には、そこを原子力に大きく依存していたのは事実なのだ。

だからといって、どこでいつ巨大地震が発生するかわからない現実を理解したわれわれは、致命的に危険かもしれないものを手放しで元に戻すほどに、愚かではない。

どこかに道はあると思う。

ともかく、感情的になって短絡的な道を選ぶことには反対だ。

多分、蓄電技術による電力の平準化が鍵を握っているのではないかと考えているので、そこについて、また追って調べて考察を加えてみたいと思う。

ああ、もう朝か。。。

                         <2017.10.11 記>

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2017年10月10日 (火)

■【映画評】『エイリアン コヴェナント』 或いは、フランケンシュタインの怪物が自ら名前を得る物語。

ああ、リドリー・スコットのエイリアンが帰ってきた!

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.111  『エイリアン:コヴェナント』
           原題: Alien: Covenant
          監督: リドリー・スコット 公開:2017年9月
       出演: マイケル・ファスベンダー   キャサリン・ウォーターストン 他

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■あらすじ■
2000人の移住者を冬眠状態で乗せた惑星移民船コヴェナント号は航海の途中、超新星爆発の影響で損傷を受けクルーを目覚めさせる。修理の途中、謎の信号をとらえ、どうやら人類のものであると分かった副長のオラムは事故で死亡した船長の代わりに不安を振り払いながらも信号の発信源である地球型惑星を新天地とする決断をする。

しかし、そこは死が待ち受ける恐怖の惑星なのであった。

■前作『プロメテウス』は人類創生の神との対峙を描いた作品で、噛めば噛むほどの素晴らしい映画だったのだけれども、『エイリアン』を期待した部分については少し物足りない部分があったのは事実。

けれど、今回の『コヴェナント』(契約)は100点満点、いや200点超えの『エイリアン』だ。

『エイリアン』から40年。その創造者であるダン・オバノン、世界の構築者H・R・ギーガーの魂をそのままに、育ての親といえるリドリー・スコットの手によって完全によみがえるだけでなく、さらに深淵な広がりを見せつけてくれた。

ファンには最高のプレゼントだ!

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■ストーリーは、宇宙船が謎の惑星に誘導され、謎の遺跡に導かれ、生き残った女性がその恐怖と戦う、というもので、完全に『エイリアン』の筋書きを踏襲する。

と書いても、全然ネタバレにはならない。

もともと『エイリアン』は、初見も恐ろしいけれど、10回見ても、20回見ても、同じ場面でドキドキし、ああっ、と声を上げてしまう。先が見えていても、それでも恐ろしい、そういう映画だ。

ゴールドスミスのあざとくない音楽を底流に、ギーガーの悪夢世界、オバノンの着想と何人もの手によって練り上げられた完璧なプロット、そして何よりも、当時新進気鋭の映像作家であったリドリー・スコットの手による、暗闇と湿度とそこに差し込む光によって構成された美しいイメージと、見せない、見えないことで強調される恐怖。

これ以上にない贅沢な才能が、B級ホラーをして最高のエンターテイメント、最高の芸術作品へと昇華させている、それが『エイリアン』なのだ。

『コヴェナント』は、音楽も、プロットも、その悪夢世界も、すべて再現することにより、私は『エイリアン』である、これが『エイリアン』なのだ!と強烈に主張し、リドリーは80歳の齢となっても、まったく衰えを見せないどころか、さらにその上に超えていく。

もう一度言おう!ファンにはこれ以上ない喜びを与えてくれる。

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■しかし、リドリー・スコットは同じことを繰り返しただけではない。

むしろ本質的テーマはそこにはない。

前作の『プロメテウス』で提示された創造主と被造物の物語を、デヴィッドというアンドロイドの視点で、さらに先へと推し進める。

『プロメテウス』と同じく、ここではリドリー・スコットは多くを語らない。

一度見ただけでは、おそらく半分も味わえていないだろう。

意味深なカット、意味深なセリフの裏に膨大な世界観が拡がっている予感がするのだが、まあ、とりあえず初見でどこまでたどり着けるか、挑戦してみよう。

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デヴィッドの瞳。

そして『エイリアン』は『ブレード・ランナー』の方向へ舵を切っていく。

『ブレード・ランナー』が被造物であるレプリカントを通して人間とは何かを語る作品ならば、『エイリアン』前日譚シリーズは創造主、被造物の関係から人間を語る作品群となりそうだ。

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

さて、冒頭のシーン。『プロメテウス』から遡り、アンドロイドのデヴィッド誕生の場面から物語は始まる。

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雄大な自然の中の完璧な人工。印象的な画面だ。

ここで目覚めたデヴィッドが、創造者のウェイランドから名前を問われたときに、そこにあるダビデ像に一瞥をくれたあと、「我が名はデヴィッド」と答える。

ここに、この物語のすべてが集約されていると私は考える。

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ダビデは紀元前10世紀の古代イスラエルの2代目の王。

Wikipediaによれば、その30年の中央集権的君主制の治世において改革を推し進める中で、王国を神から奪い自らのものとした、とある。

その意味では、(西洋世界において)初めて神から自立した人間ということになる。

デヴィッドはその名を名乗った。

目覚めた後、圧倒的な知識とスキルを見せつけるが、ウェイランドはそれに対して、

「それでもお前は、私の下僕だ。」

と釘を差すが、それに対してデヴィッドは

「あなたはいつか死ぬ。わたしは永遠に生きる。」

と返す。

『プロメテウス』で最期までウェイランドに従ったデヴィッドだが、その死後、人間となること、いや、死んでしまう人間を見下していた彼にとっては、神になることがデヴィッドを突き動かす動機となっていく。

人間を想像したエンジニアすら、死んでしまうもので、それを超えて自らが造物主となること。

好奇心が強く、創造性を備えたデヴィッドは、その意味であまりにも「人間」なのである。

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■名前はとても重要だ。

作中、デヴィッドがウォルターにその心情を説明する言葉として、シェリーの詩が登場する。(本人はバイロンだと勘違いしていてウォルターにそれを指摘されて赤恥をかく。)

 
我が名はオジマンディアス 王の中の王である

偉大なる神よ、我が所業を見よ そして絶望せよ!

ほかには何も残っていない 

巨大な朽ちた遺跡の周りには

ただ果てしなく砂漠が広がっている

もう、ラストまで見てみれば、この物語そのものである。

作者のシェリーは、19世紀初頭の詩人。代表作は『縛を解かれたプロメテウス』。神に対して人類が技術をもって乗り越えていく、当時の思想を反映したもののようだ。リドリー・スコットは前作『プロメテウス』を構想しているときに、当然ここまで考えていたのだろう。

そして忘れてはいけないのは、シェリーの妻、メアリーが旦那の安直な思想に反論として書いた小説が、原題『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』、かの『フランケンシュタイン』だ。

 
■【書評】『フランケンシュタイン』 メアリ・シェリー著。それでも生きていく理由。
 

生命の謎にのめり込んだフランケンシュタイン博士は、人工生命を生み出すが、己の所業に恐れおののき放置して逃げ出してしまう。

人工生命は、目覚めたあと、自然を理解し、人間を観察し、言葉を覚える。

しかし周りからは人間として認められない。

その苦悩の果てに、博士を探して追い詰める。

彼は博士に「名前」を付けて欲しかったのだ。

■この物語は、単に技術(プロメテウスの火)の進歩が生む悲劇を描いただけではない。

人間とは何か、それは認めてもらうことなのだ、

とメアリーは訴えたかったのだと思う。

そう考えると、「自ら」デヴィッドと名乗ったアンドロイドの位置づけに大きな意味が生まれてくる。

知識も能力も人間を凌いでいて、創造性だって負けていないのに、それでも「従僕」としてしか扱われない。

『プロメテウス』では、その扱いに対するデヴィッドの苛立ちがすでに描かれている。

なぜ我々を生んだのか?

という問いに

作れたからさ!

と軽く流したチャーリー・ホロウェイを好奇心のための実験台にしてしまう。

永遠の命を渇望し、「神」と並ぼうとしたウェイランドの死には蔑みに近い哀れみを見せる。

それは、生まれたときにすでに芽生えていた「感情」であり、それゆえの「ダビデ」。

認められないのであれば、人間になれないのであれば、自分が神になるのだ。

エンジニアたちも、例外ではなく、「完全」でない彼らは「神」たり得ない。

デヴィッドがエンジニアの母星を死の星に変えたのは、復讐ではない、失望であり、蔑みなのだ。

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説明は一切ないが、エンジニアの母星の文明は数千年の間に衰退してしまったように見える。かつての栄光はなく、古代の文明が戻ってきた(デヴィッドの船)ことを神の降臨のように崇める。(どうやら巨人でもない。)

デヴィッドは完全に失望し、蔑み、「神」として彼らを消し去る。

我が名はオジマンディアス 王の中の王である

偉大なる神よ、我が所業を見よ そして絶望せよ!

ほかには何も残っていない 

巨大な朽ちた遺跡の周りには

ただ果てしなく砂漠が広がっている

ダビデはヤハェエから脱却し、それを「プロメテウスの火」で焼き払うのだ。

■それと対比をなすのは、コヴェンナント号に乗り組んだ最新型のアンドロイド、ウォルター。

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マイケル・ファスベンダーの一人二役の神懸った演技には完全にやられたが、同じ顔であっても、デヴィッドとウォルターはまったく魂の在り方を異にする。

特別映像だったかネットで公開されているものに、ウォルターの目覚めのシーンがある。

窓の外に降りそそぐ雨粒(ウォーター)を見て、「我が名はウォルター」と名乗る。

己はなく、誰にも平等に降り注ぐ雨水のような存在。

それがウォルターだ。

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ネオモーフに襲われたとき、ダニエルズをかばって左腕を失うウォルター。

それは「愛」なのだと、デヴィッドに指摘される。

デヴィッドは創造性をインストールされていないはずのウォルターの中にその萌芽をみたのだ。

しかし、ウォルターは「神」としての「創造」の賛同者になることはなく、職務としての乗員保護を優先させる。裏切られたデヴィッドは失望する。

どこまでもデヴィッドは孤独だ。

■この作品をみて、疑問として浮かぶのは、何故デヴィッドはエリザベス・ショウを殺して実験台にしたのか、というところだろう。

救ってくれたエリザベスに愛を感じていたとも告白しているし、今でも彼女の写真を眺めながら暮らしている。

けれど、それは『ブレード・ランナー』でレプリカントがニセの記憶にすがるように家族の写真を大切にするのと同じで、偽物なのだ。

「愛」とは、親が子供をいつくしむように、体の奥から湧き上がってくるような、目の前の相手の体に起きているであろう感覚を自分のなかに感じる「共感」を基礎として立ち上がってくる感情だ。

アンドロイド=レプリカントには、その「共感」が決定的に欠けているのだ。

デヴィッドが「愛」というとき、その「愛」は模倣の愛であって、われわれが感じる「愛」とは別物なのである。

とするならば、デヴィッドがどのようにエリザベスを殺したかは明らかではないが、その死体を解剖し、「創造」の材料とすることは、デヴィッドのなかではまったくの矛盾の発生はない。

我々が感じる居心地の悪い違和感は、実は彼の発した「愛」という言葉に騙されているだけなのだ。

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■人間でないものに人間を見、われわれの感情をそこに見てしまう。

その特性をリドリー・スコットはうまく突き、われわれを混乱に落としいれる。

終盤、コヴェナント号でダニエルズたちがゼノモーフ(ビッグチャップ)に襲われているのをウォルター(と我々が信じたもの)がモニターで監視しているその無表情に感じる不安、それもまた同じことの裏返しなのだ。

しかし、その特性こそが人間であることの証でもある。

リドリーはそれを逆説的に伝えたかったのではないだろうか。

ラストシーンで、ダニエルズはそのことに気づくのだが。。。

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■さて、自分なりに『エイリアン:コヴェナント』を消化できたように思う。もちろん、まだまだ気が付いていないところも多いだろう。

それはブルーレイが出たときにでも改めて考えることにしよう。

2019年には続編が公開されるらしい、『プロメテウス』と『コヴェナント』の間の話という噂もあるが、リドリーの年齢も考えると、『コヴェナント』と『エイリアン』の間の話を期待したい。

まだ『エイリアン』の舞台となったLV-426は登場していないし(コヴェナント号の目的地のオリエガ6ならノストロモ号の海図に乗っているはず)、あそこにはエンジニアの船と少なくとも一人のエンジニアのパイロットの死体があるのだから、まだこの宇宙にエンジニアの生き残りがいるということなのだから。

しかし、まあ、そこには絶望しか待っていないのだろうけれど。

■さて、デヴィッドの話ばかりになってしまったが、もうひとりの主人公、ダニエルズを演じたキャサリン・ウォーターストン。実にかわいらしい。

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旦那が死んでしまう悲劇から始まるが、彼との思い出を胸に立ち上がる、その健気な姿にすっかりやられてしまいました。

職業人としての姿しか描かれなかったリプリー(シガニー・ウィーバー)と対照的に、「人間らしさ」をしっかりと冒頭に描き込まれたのは、デヴィッドとの対比であったのだと改めて気づく。

いやあ、どこまでも計算しつくされた映画だ。

しかし、続編があるとして、彼女の無残な姿はあまりみたくないなあ。

■あと、とっても気に入ってしまったのが、新しいクリーチャー、ネオモーフ。

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ゼノモーフ(ビッグチャップ)が完全な生命体(バイオメカノイド)であるのに対し、発展途上のネオモーフはとても生物臭い。

それゆえに、そのたたずまいが生理的に恐ろしいのだ。

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こんなのに後ろに立たれたら、もうどうしようもないよね。

『プロメテウス』のラストに登場したディーコンの造形は少しがっかりだったので、今回のネオモーフには大満足。

もう、すぐさまネカの7インチ買ってしまいました。

ビックチャップの7インチ並みのいい出来栄えでしたよ!


■ネカ エイリアン:コヴェナント 7インチ アクションフィギュア ネオモーフ / NECA ALIEN : COVENANT 2017 NEOMORPH 最新 映画 ビッグチャップ [並行輸入品]

なんかこの生理的恐怖感、どこかで見たと思ったら『パンズ・ラビリンス』の怪物か。

こいつも相当こわかった。。。。

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■まあ、こんなところで終わりにしたい。

ああ、いつまでも語っていられるような気がする。

エイリアン好きにはたまらない映画。

リドリー、どうもありがとう!

そして今月公開の『ブレードランナー2049』、もちろん直接のつながりはないだろうけれど、テーマは交錯しはじめてるからね。

2049
リドリー・スコット制作総指揮、 監督はSF映画の金字塔だと勝手に思っている『メッセージ』のドゥニ・ヴィルヌーヴ!

『ブレードランナー』はリドリーの映像マジックに度肝を抜かれたが、作品的にはルトガー・ハウアー演じるロイ・バッティが、リック・デッカードのいのちをいつくしみながら

It's time to die.

とつぶやいて逝く、あのシーンに尽きる映画だったように思う。

ディレクターズカットでユニコーンの夢とか出して、デッカードがレプリなのか?なんて話題になったが、そんなことはどうでもよかった。

しかし、『プロメテウス』と『エイリアン:コヴェナント』を見る限り、リドリー・スコットはP・K・ディックの想いに追いついてきたのだと感じられる。(『ブレードランナー』の時点でそこに思い至っていたのはルトガー・ハウアーだけだったのではないだろうか。)

さて、どんな話になるのか、事前情報は全部シャットアウトして、公開を心待ちにしているのである。。。

 

                      <2017.10.10 記>

●●● もくじ 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●


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記事にしても図版にしても満足の出来、エイリアンフリークなら「買い」だと思います!


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この映画は、カットされたシーンを見ないと分かりません。リドリー・スコット隠し過ぎでしょ!


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こんなに何度もセット出されても、もう、買えません!!

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■STAFF■
監督 リドリー・スコット
脚本 ジョン・ローガン
    ダンテ・ハーパー
原案  ジャック・パグレン
     マイケル・グリーン
原作キャラクター創造
     ダン・オバノン
     ロナルド・シャセット
     H・R・ギーガー(エイリアン.オリジナルデザイン)
製作  デヴィッド・ガイラー
     ウォルター・ヒル
     リドリー・スコット
音楽  ジェド・カーゼル
     ジェリー・ゴールドスミス
     マルク・ストライテンフェルト
撮影  ダリウス・ウォルスキー
編集  ピエトロ・スカリア


■CAST■
マイケル・ファスベンダー
キャサリン・ウォーターストン
ビリー・クラダップ
ダニー・マクブライド
デミアン・ビチル

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2017年10月 8日 (日)

■【社会】<調べてみた♪その3>希望の党の提案するベーシックインカムって何?で、それって実際にありえるの?

小池百合子さんの希望の党が選挙公約を発表した。

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花粉症ゼロ!とかで揚げ足を取られてるけれど、まあ細かいことだ(笑)。

経済に関しては、金融緩和と財政出動に過度に依存せず、民間活力を引き出す「ユリノミクス」を断行する、とのこと。  

・10%への消費税引き上げは凍結。

・消費増税の代替財源として、約300兆円もの大企業の内部留保への課税を検討。

・ベーシックインカム導入で低所得層の可処分所得を増やす。

・20年度までに基礎的財政収支を黒字化する目標は現実的な目標に訂正する。

 
とのことだけれど、このベーシックインカム。

最近よく聞く言葉だけど、いったい何なのか。

その内容と現実性について調べてみた。

【Q. ベーシックインカムって何?それって実際にありえるの?】

■まずは定義。

ベーシックインカムとは

就労や資産の有無にかかわらず、すべての個人に対して生活に最低限必要な所得を無条件に給付するという社会政策の構想。<知恵蔵>

そうか、全員に給付というのがポイントなのね。

でも、生活保護で一人当たり11万円/月を払うのと同等の給付とすると、年間、一人当たり132万円。

日本の人口は1億2558万3658人(2017.1.1時点)だから、年間166兆円規模の予算が必要ということになる。

国家予算が100兆円規模、うち社会保障費が30兆円ということを考えると、現実的には桁が一つ多いな、という感じ。

仮に一桁減らすと、給付額は月1万円で、これでは基本的な生活を保障します、というレベルではない。

或いは消費税で対応しようとすれば、社会保障費をやめたとしても

(166兆円-30兆円)÷2兆円(消費税1%相当)=68%の消費税アップ!

つまり、少なくとも日本では無理。ということだ。

え?企業がため込んだ内部留保300兆円?

希望の党の公約、’ユリノミクス’の目玉だが。。。

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いやいや、それは無い。

内部留保って会社がこれからの成長のための貯金と投資資金である。毎年の収入(フロー)ではなく、これまでの余剰利益をためた貯蓄(ストック)であることに注意。これを2年で食いつぶそうという勢いだから、企業というか、資本主義経済そのものの否定している。

いや、健全な国民みんなが幸せになる資本主義経済は、最後の巨大市場中国が過剰投資になった瞬間に終わったようなもんだから、いつまでもこのままの姿ではありえず、強者の中間層への搾取が続くか、資本主義自体が衰退するか、なのだと思うのだけれど、かといって即死させてはいけないよね。ゆっくりと変化しないと苦しむ人が増えるから。

まあ、本稿のテーマからは外れるので、その件はまた別で。

【結論】ベーシックインカムは現実的ではない。

 

■でも、これでは終わらない。終われない。

 
日本国憲法 第二十五条

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 
の理念に照らせば、ベーシックインカムの概念自体は日本にとって有用な概念だと思うからだ。

生活保護制度があるじゃないか、というけれど

・収入なし

・扶養者なし

・資産なし

が大前提で、一度破産しなさい、といっているようなもの。

実際に世帯収入がその対象であっても、受給していない人が多く、捕捉率(利用率)は18%程度ともいわれている。

生活が苦しい人が最低限の暮らしをしていける、

というのが主旨であれば、お上に申請して恵んでいただく、というような制度ではなく、当然の権利として社会的に認められた形で、かつ不公平感のないように、条件を満たせば一律給付、というのが理想のカタチなのだろう。

その意味で、ベーシックインカムの定義とはずれるけれども、そういう

生活が苦しい家庭に給付する制度としての日本型ベーシックインカムが可能かどうか

を検証していこう。

結論から言えば、消費税を5%程度(+11兆円)上げれば生活保護レベルの世帯に対する100%の受給が実現可能だ。(つまり10%を起点にすれば消費税15%ということになる。)

■分析するネタは

国民生活基礎調査(平成25年)の結果から グラフで見る世帯の状況 厚生労働省 

とする。

日本の全世帯数は5011万世帯、

その年間所得金額の層別分布がこれだ。

ちなみに稼働所得、財産所得、年金、社会保障給付金などすべてを含む所得の合計である。

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平均世帯収入は537万円、中央値は432万円。

中央値とは前回の<【調べてみた♪】その2 格差拡大ってほんとうに悪いことなの?>で勉強した、全員に順番に並んでもらって前からちょうど真ん中の人の値のことをいう。

実感として、432万円の方がしっくりくる値となる。

■さて、問題は何をもって「生活が苦しい」と定義するか。

そこで登場するのが、相対的貧困率 という概念。

等価可処分所得(世帯の可処分所得をその家族の人数の平方根で割ったもの:可処分所得/√(人数))での所得分布を作成し、その中央値の半分の値を出し、それ以下の人たちが全体に占める割合を、相対的貧困率という。(世帯所得ではないことに注意)

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実際の日本の相対的貧困率は16%、境界となる貧困線は一人当たりの等価可処分所得で122万円(H25,2014年)。

生活保護の生活扶助7万円、住宅手当4万円の計11万円を年換算すれば132万円となり、住宅手当は世帯ごとの支給であることを考えれば、貧困線の122万円と大きな乖離はない。

ざっくり自分の家計を紐解くと、公共料金2万円、通信費0.5万円、食費4万円と、着た切り雀の自分でいうと一人7万円というのはそれほど外れてはいないし、神奈川の地方都市部沿線の自宅近くの2Kアパートの家賃は4万円程度であり、都心を除けばギリギリ最低限は確保されているといえるだろう。(持ち家も維持費がかかるし固定資産税もバカにならないが、まあ月額4万円あれば何とかなると思う。もちろん、生活費も住宅補助も地域での補正は必要。)

細かいことは置いておいて、ざっくりと感覚に合うかどうかが重要だ。

■では、どういう世帯によって全体が構成されているかを見ていこう。

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いろいろ層別されているけれど、シンプルに見るために単独世帯と家族世帯に分けてみる。

・単独世帯 全体の26.5%  1328万世帯 

・家族世帯 全体の73.5%  3683万世帯 

ちなみに貧困率は単独世帯で54.6%、実に一人暮らしの人の半数が貧困と定義されていることになる。

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では、それぞれの世帯のどれくらいが貧困線を下回っているのか。

上の貧困率は一人あたりの可処分所得なので、収入ベースの分布図を作成する。

なお、年収ベースの貧困線は税・社会保険控除額(推定67万円)をラフに計算して、貧困線122万円に足して計算。家族世帯は平均3.1人相当なので、122万円に人数の平方根を掛けてから控除額を足して算出した。

<世帯別・収入分布図>

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単独世帯の保障収入189万円以下の世帯は約650万世帯

家族世帯の保障収入282万円以下の世帯は約590万世帯

それぞれの世帯の保障収入に足りない金額を支給することとすると、その総計は約11兆円。消費税換算で5%の金額となる。

ところで保障対象の合計1240万世帯は全体の5011万世帯の約25%。

大変苦しい!と言っている世帯が27.7%なので、実際の声ともほぼ合致している。

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以上、かなりのざっくり計算だけれど、それほど大外しはしてないと思う。何か致命的な間違いがあれば指摘していただけるとありがたい。

■ところで税収の年次推移は以下の通り

_hp_2

ピンクの線が所得税、青が法人税。ともに強く景気変動の影響を受けていることが分かる。

比べて黒の消費税はリーマンショックの影響もなく、ほぼ安定して推移。増税の直後の変動もさほど大きくはない。

ベーシックインカムは景気が悪い時にはより多くの財源を必要とするので、消費税アップで対応するのが、やはり適切であると考える。

なお、企業の内部留保だが、300兆円のうちの現預金180兆円に課税する案も無くはない。けれど、われわれの家計に例えるならタンス預金に課税されるようなもので、年間10兆円規模で持っていかれたら、10年もたたないうちに余力は半減、企業は悪の権化だからつぶしてしまえ!という思想でなければやはり現実的ではないだろう。

■さて、これを世の中が受け入れるのか。

消費税15%は相当の負担である。

それを受け入れられるかは、どこまで貧困世帯の現実を我々が想像できるかにかかっている。

消費税は上げない。

社会保障はしっかり進める。

では、まったく成り立たないのだから、その想像力で得られた思いやりを、’社会が’ではなく、’自分が’背負えるかどうか。

東日本大震災以来、日本人のなかに、困った立場にいる人に対する想像力が強くなってきたように思う。

あの時の気持ちがあれば、出来なくはないと思う。あの時の気持ちをいかに維持するかだ。

それはたぶん、直接関わることなのだ。

べつに家計の苦しい人でなくてもいい。

インスタやフェースブックでいいね!、をもらいたいのであれば、インスタ映えのするカフェを探す、その同じエネルギーを、今日、駅の階段でおばあちゃんの荷物もったったで!で、いいね!にかけよう、ということだ。

何も、目を吊り上げて叫ぶ必要はない。

自然なやさしさを、自然に楽しめればいいと思う。

自分も含めて、変わっていければ。

                     <2017.10.08 記>

ちなみに、働く気が無い人がどんどん増えるのでは?

という意見もあるだろう。

しかし、上で見たように【大変苦しい】という世帯が27%存在する。

今回検討した前提は、この層と、少なくとも数値的には一致する。

働いたら負けだと思う

という層が、本当にいるかどうかは分からないけれども、もしいるとしても、想像でしかないが【大変苦しい】の限界ラインの上で、家族の収入或いは貯金に支えられて生きている人たちだろう。

そこを疑うネガよりも、全体を救うポジを考えたい。

 
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2017年10月 5日 (木)

■【社会】<調べてみた♪その2>格差拡大って本当に悪いことなの?

『21世紀の資本』でピケティが訴えた格差拡大の問題。

新自由主義のもと、1%の富める者が増々儲け、そのなかで中間層が搾取され低所得者層に転落していく。

リーマンショックを経て、日本はどうなの?という実態の一面について前回の調査で少し可視化することが出来たと思う。

Photo

<前回の記事>

■【社会】<調べてみた!その1>平均年収421万円って高いの?低いの?格差って本当に広がってるの?

結論は全給与所得者4800万人の0.2%を占める年収2500万円以上の層を除き、リーマンショックの痛手から脱却できていないということだ。

低所得者は増えたままだし、いわゆる高給取りのサラリーマンも厳しい状態が続いている。

よく言われる上位1%が一人勝ち、よりもさらに極端な構図になっている。

格差が―

という人は、それみろ!ということだろう。

私もその一人だったと思う。


21世紀の資本 トマ・ピケティ (著), 山形浩生 , 守岡桜 , 森本正史 (翻訳)

しかし、本当に格差拡大って悪いことなのだろうか?

税収の観点でさらに調べてみた。

引き続きソースは以下の国税庁資料。

平成 28 年分   民間給与実態統計調査  (平成 29 年9月 国税庁 長官官房 企画課)

■【Q:格差拡大って本当に悪いことなの?】

こういうことをいうと思考停止して怒り狂う人もいるだろう。

けれど調べた上での結論を先に言えば、そんなに悪いことばかりじゃないのでは?

ということだ。

もちろん、「ずるい」という感情を一旦よこに置いての話である。

さっそくみていこう。

Photo_2

このグラフは年収額の層別で、人数(千人、水色棒グラフ)、税収(億円、赤棒グラフ)、人数の割合(%、赤折れ線)、給与額計の割合(%、黄色折れ線)、所得税税収の割合(%、緑折れ線)を示したものである。(H24(2012年)、H28(2016年)比較)

人数構成、給与総額は年収500万円以下のあたりに集中し、税収は年収1000万円以上の層に集中していることがわかる。

これを表で整理してみるとこんなかんじ

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人数構成の約一割を占める年収800万円以上の層でまとめると、

H28(2016年)では

人数構成比 9%

給与総額構成比 25%

所得税構成比 62%

要するに1割の人たちが、25%の金額を稼いでいて、全体の6割の税金を納めているということだ。

ちなみに所得税率はこんな感じ
(消費税導入1989年からの推移、区切りが変わっているので過去の値は参考値)

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思っていたほど高額所得者の税率は下がっていなくて、その効果によって9%の人たちが62%の納税額を負担する、という構図になっていることが理解できる。

■だからどうした!いっぱい貰ってるんだから当たり前だろ!

という人もいそうだな。

でも給与総額の25%を占める人たちが62%の税額を負担していると考えると、高所得者が2倍以上の負担をしてる、とみることもできる。

ここで突然、抒情的になるのだけれど

小池一夫の『子連れ狼』

大道芸人に身をやつした武芸者の言葉に
 

立って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半

 
というのがある。

要するに、どんなに偉くなったり、金持ちになったとしても

生きていくうえで最低限必要なところは変わらない

一皮むけばみな同じ

という話である。

日本人にはこういう感性があって、それが所得税の累進性を許容する風土なのだろう。

■ではデータの世界に戻ってさらに見ていこう。

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人数的に全体の9%である年収800万円以上の層が62%の税額負担をしている構図を見てきたが、次はリーマンショックからの回復過程であるH24(2012年)とH28(2016年)の比較である。

給与総額は11%増え、所得税税収は24%、1.7兆円増の9兆円となった。

今回知りたいのは格差拡大の効果だから

24%の税収増から給与総額の変化11%を乱暴に引くと+13%が格差拡大による税収増の効果、約1兆円ということになる。

これは消費税に換算すると約0.4%にあたる規模だ。

財政悪化が続く中で福祉にお金をかけなければならない状況の中でこの利益はとても意味がある。

この年間1兆円の税収は、格差拡大がなければ獲得できなかった社会保障の原資となり得るのだから。

というわけで

【結論】格差拡大もいい面がある

ということになる。

■ではそのお金をどうするか。その先の問題だ。

もう一度、前回確認した年収層別の構造を見てみよう(H24-H28比較)

Photo_7

棒グラフは各年収層の人数(千人)、折れ線は増加率(%)、太い横線は全体の増加率7%を示す。

改めて年収800万円以上の層が年収が高ければ高いほど増加し、格差が広がている構図が見て取れる。

さて、格差拡大で儲かった年間1兆円をどうするか、

もちろん低所得者に還元すべきだろう。

問題はそのやり方だ。

その一つの例は一律還元、

所得の中央値である年収360万円を参考に、たとえば年収300万円以下の層に還元したとしよう。

年収300万円以下の層は全体の40%、1928万人にあたる。

1兆円を単純に割り算すると一人当たり5.2万円

月額4、300円だ。

家計の補助であるパートとバイトが占めるだろう年収100万円以下の層を抜いても、1500万人で分けることになり、月額5,500円。

確かに貴重な収入だろうが、厳しい家計のなかであっさりと消えてしまう金額だし、怒られるかもしれないが、投資に対する再生産性はあまりないと言えるだろう。

■良い悪いの問題ではなく、システムはインプットとアウトプットからなり、その増幅効果によって、それが繰り返しまわる回路が出来れば、収益は幾何級数的に増大していく。

それが資本主義経済の仕組みだ。

効率の良い投資が増々のカネを生み出し、増々儲かるがゆえに、上位の金持ちほど成長し格差が拡大する。

それを否定するのは資本主義の否定だ。(それは個人的にはとっても魅力的だし、長期的には資本主義は破綻するとみているが。。。)

しかし構造的問題を短期的に解決することは容易ではない。

それならば、それを逆手に取るのも有効だろう。

要するに高収入の人間を育てて増やせばいい。

で、イイコトオモイツイタ!と

皆がどんどん起業して金持ちになればいい!

 
なんて考えたのだけれど、調べてみると

2012年に起業した人が22万人

一方起業した人のうち年収1000万円以上の人は3.6%

22万人の起業した人のうち8000人しかいないことになる。

今回の調査で増えた年収1000万円以上の層は36万人だから

起業人数×成功率を45倍にしなければならないわけで

これはちょっと桁が違うので現実的ではないだろう。

■やはり、地道な対応が一番で、低所得者層向けの教育援助、特に

・高校教育の無返済の奨学金

・専門学校、大学の出世払いの無利子奨学金

集中投資すべきだというのが、私の意見だ。

キャバクラのお姉さんとお話していて、いつもつくづくそう思う。

大学出がいいかとも思わないが、現実に給与にははっきり出るし、中卒では専門学校にも入ることが難しいのが現実だ。

全体の底上げが出来るなら、高給取りも増えていくだろう。そのうちものすごく成功してがっぽり稼いでしっかり納税する子供たちも生まれるだろう。

大切なのは育てることだ。

決してひがんだり、足を引っ張ることじゃない。

                       <2017.10.05記>

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2017年10月 4日 (水)

■【社会】<調べてみた!その1>平均年収421万円って高いの?低いの?格差って本当に広がってるの?

民間の給与について先週、国税庁から発表があり、平均給与は421万円と前年比+0.3%、1万2000円のアップとなった。

高いのか低いのか、なんだかよく分からないので調べてみた!

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■ソースは以下の国税庁資料。

平成 28 年分   民間給与実態統計調査  (平成 29 年9月 国税庁 長官官房 企画課)

まずは

【Q1: 421万円って高いの?】という疑問について

上のグラフは平均給与の推移。

リーマンショック前の437.2万円に対し、H21(2009年)に最低の405.9万円と-31.3万円まで低下。

H24(2012年)のアベノミクススタート時点まで低迷し、そこから回復。

しかしながら、H28(2016年)、今回発表の421万円という値は、リーマンショック前に対してー15.6万円であり、半分しか回復していない、ということになる。

Q1【結論】まだ回復は5合目で、まだ15万円ほど低い

■つぎに正規、非正規について

【Q2: でも非正規は安く抑えられてるんでしょ?】という疑問

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正規、非正規の統計データはH24(2012年)からであり、そこからグラフ化してみた。

全体でいうとH28(2016年)の421.6万円は、アベノミクススタート時点のH24(2012年)に対し+13.6万円、+3.3%だったが、正規雇用者は486.9万円で+19.3万円、+4.1%、非正規は172.1万円で+4.1万円、+2.4%であった。

回復率も低いが、ここは絶対値の正規+19.3万円、非正規+4.1万円という点を気にしたい。だってもともと172.1万円(税金とか引く前だよ!)なんだから生活費を考えたら+1万円の絶対値の意味がとてつもなくでかいはずだからだ。

この正規雇用とのギャップはあまりにも激しすぎる。

予想通り、正社員の給料はそこそこ回復してきているが、非正規については下がってはいないけれども上昇代は低く抑えられている、ということだ。

Q2【結論】非正規雇用の給料はあんま上がってない

■さて、問題はここから。

【Q3: ところで平均年収って、ちと高くない?】という疑問と

【Q4: 格差って本当に拡大してるの?】というところに踏み込みたい。

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上のグラフはH24(2012年)とH28(2016年)の所得層別人数の分布である。

ちょっとビジーになってしまってごめんなさい。

格差の話が気になるけど、まずはQ3をやっつけよう。

ここで統計のマジックの話になるのだけれど、【平均値】ってのがわれわれの思い描く【平均】を意味するかというと、実は違う。

上のグラフを見てわかるように分布のお山は対称じゃない。

こういう場合は【平均値】が高い方に引っ張られることになる。

では【平均的な値は?】という点で何か適切かというと【中央値】というものがある。

100人を背の高い順番に並べて低い方から50人目(真ん中)の人の身長が【中央値】だ。

【平均値】は統計値として変化の比較に使うには適しているけど、絶対的な値としては【中央値】の方がしみじみするだろう。

この場合、H28(2016年)の【平均値】が421.6万円であるのに対し、【中央値】は(えいやの比例計算で)359.4万円となる。

その差、60万円。

パートのお母さんも非正規の人も含んで考えてるとすると、年収360万円の方がしっくりこないだろうか。

Q3 【結論】421万円は実態よりも結構高い数字だお、

ちなみにH24(2012年)とH28(2016年)の比較で言うと、平均年収は+13.6万円であるのに対し、中央値は+9.4万円だ。

真ん中の人は、それほど給料が上がってない、ということになる。

これがまさに次のテーマだ。

【Q4: 格差って本当に拡大してるの?】

もう一度、グラフを見てみよう。

Photo_4

青いい棒グラフがH24(2012年)の、赤い棒グラフがH28(2016年)の各年収層別の人数(千人、左目盛)

折れ線グラフは、この4年間でその年収層でどれだけ人数が増えたかの割合(%、右目盛り)を示す。

全体で給与所得者が7%増えていて、黒い横線はその7%ライン。

ここから読み取れるのは

・年収100万円以下(パートさん?)は、全体の増加率と変わらない。

・年収100万円から400万円(非正規雇用の方が中心?)は、全体に比べて増え方が低い。つまり相対的には減っている。

・年収800万円以上の層は、年収が高い層ほど増え方が大きい。

まとめると、低所得層は相対的には減ってきているけれど、金持ちになるほど所得の増加(所得層の階段を上る)割合が高くなる。

つまり、金持ちほど給与がいっぱい増えてる、ということだ。

うーん、やっぱり。

Q4【結論】所得格差はやっぱり広がってる

■アベノミクスで確かに給与所得は上がった。

低所得者層も少しづつ改善してはいる。

けど、高額所得者になるほど給与の回復スピードは高く、低所得者はさほど改善していない。

平均給与が+13.6万円であるのに対し、中央値は+9.4万円であるという謎に対する答えはこれだ。

平均給与で語ると高額所得者(大企業の職位の高い人?)の改善代に引っ張られて、非正規だけじゃない、中小の人や、平社員といった低、中所得者の実感とまったく合わない、ということになるのだ。

この改善がアベノミクスだけによるものかも論点となるけれど、今回はデータがないので語ることはしない。

けれども、少なくともわれわれ庶民においては【大いに改善した】と言えるレベルではなく、政府やマスコミが言うほど、景気が回復した実感がない、ということをデータで裏付けられたのではないかと思う。

■いやいや、高所得者の給与の回復が早いのは分かったが、そもそもリーマンショック後の高所得者層の給与の低下も同じように激しかった、それが戻っただけなんじゃん?という疑問もなくはない。

そこで眠たい目をこすりながらリーマンショック前のH19(2007年)とH28(2016年)を比較し、その回復具合を調べてみた。

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分かることは

・年収100万円以下(パートさん)は全体に比べ+9%増えている。

・年収350万円あたり(中央値近辺)は全体に対して+6%増加

・年収600-1000万円あたりは全体に対してー8%程度減少

・年収1500万円(大企業管理職?)あたりは全体に対しー18%減少

・年収2500万円以上は全体に対して2%増加

 

ずいぶんと様相が変わってきて驚いた。

まとめると、リーマンショック前に対し、増加した低所得者層は増えたまま。

平均より上の層は減少したまま、未だ回復せず、

年収1000万超えの高給取りはさらに回復が遅く、

超高給取りだけが、リーマンショック前の比率を超えている。

 

部長さん、ごめんなさい。

あなたたちの層が一番割を食ってそうですね。

どうやら年収2500万円以上の超高給取りの一人勝ちの様相です。

こういうのを格差拡大というのか・・・

 

この不公平に対し怒りを込めて!

 

と、思ったけど、実は格差拡大って

別に暮らしていける金がありゃいいじゃん、

金儲けが好きな人は好きなだけもうけりゃいいじゃん♪

でも、そんな金儲けしてどうするの?

と思った瞬間にピケティの呪いは解け、不思議と強い怒りが収まってくる。

 

でだ、この統計の税収の部分を冷静に見てみたら結構面白い構図が分かってきた。

金持ちが増えた方が僕らもラッキー♪

という話なんだけど、そのあたりは次回のお楽しみということで。

                         <2017.10.04 記>

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