■【社会】NHKスペシャル「亜由未が教えてくれたこと ~障害者の妹を撮る~ 」、そこにいてくれることが幸せなんだ。
不幸だとか、かわいそう、ということは他人が決めることではない。
19人の命が奪われた相模原市の障害者殺傷事件を起こした植松被告が語った言葉「障害者は不幸を作ることしかできない」。NHK青森の若手ディレクターは、この言葉が心に突き刺さっていた。3歳年下の妹、亜由未(23)は、事件の犠牲者と同じ重度の障害者。20年以上亜由未と暮らしてきて、不幸だと感じたことはなかった。しかし、小さい頃から介助や世話は親任せ。そんな自分が、障害者の家族は幸せだと胸を張って言えるのか。両親に相談し、介助をしながら亜由未を1か月にわたり撮影することにした。 (NHKスペシャルHPより)
■障害者が頑張る姿、見せる笑顔、支える家族。
そういった分かりやすい感動ものがたりでしか、われわれは障害者の物語を知らない。
しかし、実際はそんな単純なものじゃない。
亜由未ちゃんの双子の姉妹は、亜由未の主治医になるんだと群馬の大学の医学部に進むが、その一方で亜由未ちゃんに自分の人生のすべてをかけることに戸惑いを覚える。そしてそういう戸惑いを感じること自体に、「すべてを障害者である家族にそそぐべきだ」という社会的圧力から強い引け目を感じている。
一方で、介護を23年続けてきた母親は、自身も大病を患っていて自分の死を常に意識している。そうしたら、この子はどうなってしまうのか。
その母親が、その不安から娘に電話をかけて、近くに戻ってきて欲しいと頼むシーンが衝撃的だ。
日中の介護を手伝ってくれるヘルパーさんや、散歩のときに声をかけてくれる近所の人。亜由未ちゃんを囲むそういう穏やかなやさしさとぬくもりの影に、避けられない現実と苦悩が提示される。
ドラマのようにハッピーに解決されることのない重苦しい苦悩が横たわるなかで、でも亜由未ちゃんは確実に生きている。
それは不幸なのか。
それはかわいそうなのか。
■幸せなんて相対的なもので、、、なんて理屈はここではどうしようもなく無力だ。
ただ言えることは、生きている、という事実とどう向き合うか、ということに幸せの本質が隠されているのではないか、ということだ。
自分に笑顔を見せてくれるかどうかにこだわる息子に対し、母親がいう。
別に笑ってくれなくてもいい。
ここにいてくれるだけでいい。
笑ってくれることはうれしいけど、じゃあ、笑ってくれなかったらダメなのか。どんな苦しい状況でも、亜由未ちゃんが苦しみ、泣き叫ぶときも、ずっと付き添ってきた重みがそこにある。
しっかりとわたしの目の前で生きている。
それだけで、そこのことだけで自分のなかから気づかないうちに自然と湧き上がってくるもの。
客観的には幸せに程遠い状況のなかで浮かび上がるその感覚を、幸せと呼ぶことはできないのだろうか。
■亜由未ちゃんがお父さんの歯磨きのやり方が強すぎると怒るシーン。
お母さんから、もう、ずーっと痛かったのよ、今、それが爆発したの!と、たしなめられる。
すごすごと引き下がるお父さんだったが、次の歯磨きのときに、歯磨きの歌をニコニコと歌いながら優しく亜由未ちゃんに歯磨きをしてあげる。
それをうれしそうに受けている亜由未ちゃんとお父さんの姿があまりにも面白くて、つい爆笑してしまった。
そう、これが幸せなのだ。
理屈じゃない。
<2017.09.24記>
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