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2017年7月11日 (火)

■【書評】『閉じていく帝国と逆説の21世紀経済』 水野和夫 画期的社会変革論から導かれるのは、実は個人レベルでの価値観の大転換、要するに金持ちや成長志向からの脱却なのだ。

低金利を切り口に資本主義の本質とその終焉を説いた『資本主義の終焉と歴史の危機』の続編。終わりを迎えた資本主義のその先の世界を読み解くスリリングさだけでなく、我々が信じる「金持ち」=「幸せ」という価値観を打ち崩す衝撃がそこにある。


[新書] 閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済

■要約してしまうならば、民主主義と資本主義の蜜月は、資本主義が地理的拡大により周辺国から「徴収」することが出来た1970年代までで終了した。パイがでかくなることがなければ、ゼロサムゲームになるわけで、企業の利益拡大は国民国家の利益と両立はしない、むしろ国民国家の利益を吸い上げる形となる、ということだ。

それが具体的に進行した形が新自由主義、グローバリゼーションであり、今、アメリカやイギリスやフランスで見られる反グローバリゼーションは、国民国家の危機に対する反動である、と見る。

つまり、1990年代のグローバリゼーションは、その発生からすでに反国民国家であることが構造的に決定づけられていたということになる。

■アメリカは、地理的拡大の完了後もパイを拡大するために、IT革命にのって金融市場で世界のカネを「徴収」した。スピードを上げ、ネット空間で高速に時間を切り刻むことによって、カネを増殖させては取り込んでいく。

けれども、ゼロ金利とはそもそも、カネを持っていても、それが価値を生まない、ということを意味しているのだから、その行為には全く意味がない、ということになる。

資本主義とは、資金を投入することで、財が増えるその効率を上げていく仕組みである。

しかしながら、われわれが直面しているゼロ金利とは、資金を投入してもリターンがゼロである、つまり、効率はもはや上がらない、投資するカネを持っていても意味がない。要するに資本主義という仕組みが終了した、ということなのだ。

■そう考えれば、最近の大企業が最高の利益を出しながら再投資をしないで内部留保ばかりを蓄えるというのも当たり前のことだ。

給与を上げるということについても、企業にとってそれは投資の一形態なのだから、人材が頑張って効率を上げようとしても限界が見えているならば、その投資はしないと判断するのもまた道理なのである。

日本やドイツが到達したゼロ金利とは、つまりそういう世界のことなのだ。

水野和夫氏は、三菱UFJモルガンスタンレー証券のチーフエコノミストだった人だから、まさにその「マネー」の世界の当事者であり、

お前が「徴収」する側だったんだろ!カネ返せ!!

という突っ込みをしたくもなるが、まあそれだけに説得力もある。

■水野氏は、理論値とそのデータで資本主義が行き詰まっていることを説明し、その上で、「長い16世紀」というイタリア、スペインの陸の閉じた時代から、イギリス、オランダの拡大していく資本主義への転換がはじまり、それが今、再び「長い21世紀」において終焉を迎えているという歴史観を唱える。

確かに、中国が余剰生産力を持て余している時点で、世界の生産能力的には終わりだろう。国家の保護によりで急激なクラッシュはないにしても、減速方向に向かうのは確実だ。

マネーが膨らまないということはインフレにはならないわけで、例えばクルマがすべてEVに置き換わっていくとかいうことが起きたとしても、効率がよく、コストコストパフォーマンスが良いものに置き換わるというだけで、デフレが収まるわけではない。購入者の収入が限られているのだから、買い替えも徐々に進行するだけで猛烈な特需が起きるわけでもないだろう。

イノベーションも、商品の革新も、資本主義の終焉を止めることはできない。

構造的にもう終わりなのだと理解するしかないのだ。

■言い方を変えるならば、ゼロ金利の日本とドイツは、資本主義のゴールにいち早くたどり着いた、ということだ。

それは悪いことでもない。

給与は上がらない。正規雇用は減ってしまい、むしろ押しなべて見ると給与は下がっているだろう。これからも上がる見込みはないし、年金だってもらえるかどうか定かではない。

とても不安だ。

けれど、不況下のインフレであるスタグフレーションに襲われているわけではない。

米の値段が何倍にもなって、10万円払わないと5kgが手に入らないというわけではないのだ。

浮浪者や餓死者が道に溢れているわけではない。

デフレが続いているおかげで、たいていの人は、贅沢さえ望まなければそこそこの生活は維持できるのだ。

ほとんどの人が、そこそこの生活を安定して過ごすことができる。

これって、戦争直後の日本人が切望した未来じゃないのか。

日本に限って言えば、今は決して悪い時代じゃない。

■一握りの金持ちが世界の富を独占している。

ピケティはそれを悪だと糾弾する。

けれど、それは本当に悪いことなのか。

もし、ゼロ金利で、投資が富を生むこともなくて、お金をため込むことに意味がなくなってしまっているならば、世界の富を独占することに何の意味があるのか。

誰が、どれだけため込んでいようが、どうでもいい。

この本を読んでいて衝撃を受けたのは、そこに気づいてしまったからだ。

カルロス・ゴーンが年収20億円だろうが、そんなことは私には関係ない。お金が好きならば勝手にすればいい。

自分の家族が暮らしていけるだけの、そこそこの収入があれば幸せに生きていけるのだ。

あとは老後の問題だけだ。

それは、社会全体の問題であって、富が増えない時代なのであれば、自分の老後を保証するカネを蓄えるということは、誰かの老後のカネを奪うということであり、本質的な問題解決にはならない。

金持ちからカネを奪ってそこにあてたところで、いつかはそれも尽きてしまう。

成長のない定常社会を前提とした仕組みを作り出す、それ以外に道はないのだ。

今の日本は悪い時代じゃないと先に書いたが、グローバリズム志向の現状のまま放置してしまうと、さらに国民国家の搾取が進み、大変なことになる。

それは国民生活の完全な破綻か、それに対する猛烈な反動による社会不安だ。

今のアメリカがまさにそれだ。

では、どうすればいいのか。

■著者がこの本で前著から踏み出しているのは、資本主義が終焉を迎えた後に国家がどうあるべきかの方向を指し示しているという点だ。

それは「閉じた帝国」だと水野和夫氏はいう。

EUが一番近い。

欧州というエリアを囲い、その領域のなかで統治をおこなう。

バブル崩壊後の円高の時代に、それでも日本はアメリカに縋りついたが、ドイツはたもとを分かち、フランスと共にEUを立ち上げた。

電子空間上のマネーの増殖に走ったアメリカを尻目に、EUは域内の実体経済を重んじた。

EUは今もグーグルやアップルと戦い、ドイツ銀行がアメリカ金融資本にはめられても、新自由主義とグローバリズムに抗し続けている。

そこが水野氏の心を突くのだろう。

■けれど、その「帝国」は中央集権的であるがゆえに、それを構成する国の主権は奪われていく。EU=ドイツにヨーロッパ諸国は牛耳られていく。

その不満がイギリスを離脱させ、フランスを不安定にさせているのだ。

国民国家どうこう、民主主義どうこう、という割に、「帝国」下での自由についてあまりに無頓着だ。

いやいや、「帝国の統治」と「地域社会の自立」の二本立ての構造だろう、というだろうけれども、逆に言えばその中間に位置する「国家」はいらない、ということだ。

けれど、国家ってそんなに簡単なものではないだろう。

言葉があり、文化があり、そのまとまりが国境を定めている。

田中克彦の『ことばと国家』を読めば、ドイツとフランスの国境の抱える深さが分かるし、言語が思考方法を規定していることを考えれば、国家と言語が結びつく国では、帝国の統治に対する反発は必至だろうと想像はつく。

■どうも水野氏の頭の中では経済が定常状態でまとまっていた中世回帰という発想があるようで、そこが違和感の源泉なのだと思う。

歴史とはアウフヘーベンによって進化していくものである。

マルクスはその最終形を共産主義としたが、真の共産主義は実現することはなく、共産主義の実験は、人は欲望に突き動かされるものである、と証明することで終わった。

しかしながら歴史は輪のように回帰するのではなく、やはり同じことを繰り返すように見えても、実は進化しながら「らせん」に進んでいく。

キリスト教の神は死に、個人は自由の刑に処せられた。

その対価である個人の尊厳や自由は、中世以降の発明品であって、それは現代科学の物理理論と同じように手放すことはできないのだ。

「帝国」がもたらすのは、パンと安心であり、その対価は統制である。それがゆるやかな統制であっても、そこには自由も独立もなく、あるのは従属なのである。

EU諸国が内包する不満はまさにそこにあるに違いない

大きな地域統合と域内最小単位の自立というイメージは悪くはないのだけど、統合は安全とルールを与える「帝国」ではなく、シンプルな「理想」のもとに集まる「連邦」によるべきなのだろうとおもう。

■日本が生きる道については、アジア諸国と帝国を組むことを想定しつつ、今は無理なのでその機会をうかがうように立ち振る舞っていく、という道筋を描く。

わたしが想像していたのは日本だけで閉じた国をつくり、その中で江戸時代的安定を目指す、というイメージだったのだが、一億人の人口を養うだけの食料とエネルギーをどうするか、という問題に解答を見出すことが出来ないでいた。

確かに、海洋アジア帝国で、インドネシアやオーストラリアを仲間にすれば、食料とエネルギーに目途を立てる道筋は見えてくる。

でもやはり中央集権的な帝国ではなく、ゆるく価値観を同じくする連邦制なのだろうな、と思う。

TPPが母体になるのだろうけれど、中国との軍事的関係性、アメリカとの対立回避が問題になるのは明らかで、戦略的にうまく進めないといけない。

連邦の旗印となる「理想」も描かねばならない。

そのためには50年、100年の、かなりの大戦略を描いてそれを実行できる、相当な人物が必要になってくるだろう。

たぶん、個人では成し遂げることはできなくて、まずはそういう人材が育つ場所が必要になるのだろう。

今後の日本の政界再編で、そういった「人物」が育つインキュベーター(孵卵器)が出来ることを期待したい。

まあ、そのためにはまず日本人が成長にこだわらない大人の思想に気づくことが第一歩なのだけれど。

                        <2017.07.10  記>

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