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2017年7月 6日 (木)

■【映画評】『魔界転生』 深作欣二監督。強烈で、獰猛で、そういうことが許された時代の息吹は、未だ色あせることはないのだ。

これは単なる伝奇ものではない。人の業についての物語りだ。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.108  『魔界転生』
          監督: 深作欣二 公開:1981年6月
        出演: 沢田研二  千葉真一 他

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■あらすじ■
島原の乱で一揆勢を率いて戦うも夢破れ自害した天草四郎時貞は、3万余もの同胞の亡骸を前に、救いの手を差し伸べなかった神とたもとを分かち、悪魔に魂を明け渡してその恨みを晴らすために蘇る。

夫の愛を得られなかった細川ガラシャ、柳生との勝負に強い心残りを抱たまま老いてしまった宮本武蔵、女への煩悩を捨てきれなかった槍の使い手、宝蔵院胤舜、伊賀の里を幕府に不意打ちされ皆殺しにされた忍者霧丸。天草四郎は彼らの未練、怨念を救い取り魔界へと誘い込み、現世へと復活させる。

彼らの目的は徳川幕府を崩壊させ、日本全土を焼き尽くすこと。その動きを知った柳生但馬守とその息子、十兵衛は彼らの目論見を止めることが出来るのか。

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■エロイムエッサイム、我は求め訴えたり

現在でもアニメの世界ではファンタジー全盛だけれども、かつての時代にも「伝奇もの」と呼ばれる独特のファンタジー世界があった。

『魔界転生』はその代表格ともいえるものだろう。

しかし、ファンタジー或いは伝奇というものが本筋ではない。

深作欣二と角川春樹が描きたかったのは人の業だ。

愛する人に自分だけを愛して欲しいという想い、押さえつければ押さえつけるほど狂おしく迫ってくる性衝動、自分が一番強い剣術使いであることを確かめたいという情念。

魔道に堕ちる登場人物たちは、我々のこころの鏡である。

この『魔界転生』は、それをストレートに描くことが出来た時代の作品であり、だからこそ、古臭さも感じることなく、いまだに強いインパクトを我々に与えることができるのだ。

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■現在の日本ではたぶんこの作品を作ることは無理だろう。

「恨み」や「未練」というものは、この時代においてはあまりにも「ベタ」過ぎてそのまま語ることが出来なくなってしまっている。

生々しい「情念」は、気の利いた設定にラッピングされ、きれいな映像や音楽によって飾り付けられた流行りのスタイルの映像作品として商品棚に並べられる。

「情念」をそのままカタチにしたような若山富三郎、室田日出男、成田三樹夫、丹波哲郎、千葉真一というあまりにも濃い昭和の漢(おこと)たちは過去の作品でしか輝くことはできない。

直球というものが成り立たなくなっているのだ。

■それは社会そのものについても言える。

実際の生活の中から情念や怨念は注意深く掃き清められ、(この二人を同列に並べるのはどうかとは思うけれども)応援団長の熱すぎる男、松岡修造や、森友学園の籠池氏のような、情念や怨念をむき出しにする人間は、「ネタ」化という加工を経ることで初めてネットやテレビで消費される。まともに取り合うものはもはやいないのである。

けれど、あの昭和の時代。こういう「むき出し」の人は世の中に溢れていて、さて彼らはどこへ行ってしまったのか。と、ふと思うのだ。

だがしかし、ひとの業というものはそう簡単に消えるものではない。

世の中から隠されてしまっているからこそ、逆にそれは陰湿に内にこもり、うねり、取り返しのつかないことになる前に健全に昇華される機会を心待ちにしているのだ。

こういう、「情念」をストレートに描き、それが作品として成立している過去の作品は、まさにその「内にこもった情念」に強く響くのだ。

■1981年といえば、まだバブルさえ始まっていない時代である。文化的には昭和元禄の始まりというところか。

その文化の始まりにおいて眩い輝きを放ったのが角川映画だ。

  読んでから見るか、見てから読むか

1976年の『犬神家の一族』から始まり、『人間の証明』(1977)、『野生の証明』(1978)、『白昼の死角』(1979)、『戦国自衛隊』(1979)、『復活の日』(1980)、『野獣死すべし』(1980)ときて、本作、『魔界転生』(1981)とくる。

これでもか、というほどの骨太の作品群だ。

その後、『セーラー服と機関銃』(1981)で大作路線からアイドル系へと大きく舵をきるわけで、『魔界転生』は第一期角川映画の最後の輝きともいえるだろう。

もちろん、『時をかける少女』(1983)や『蒲田行進曲』(1982)、『麻雀放浪記』(1984)を生み出した第二期も素晴らしいんだけど、「作品」の素晴らしさ、という冷静さを蹴散らすパワーを秘めた、それ故にダイレクトな「情念」を許容させた猛烈さ、というものはもうそこからは消え失せてしまったのだ。

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■その猛烈さが爆発する本編終盤、炎上する江戸城の中での若山富三郎のキレッキレの殺陣と、そのあとの千葉真一との立ち合いは最高に素晴らしい。演じる者が実際に火の中にあってこその鬼気迫るものというものがやはりあって、こういう迫力はなかなか現代風のCGでは得られない。

最近のアニメの描写力も、そこから引き出される感情も素晴らしいものがあるのだけれど、やはりCGに頼らない実写の迫力というものは別格であって、日本映画にこういう時代があったのだと知らない若い世代は是非にでも見ておくべきだと思う。「情念」の映像表現の極北がここにあるのだから。


■Amazon ビデオ 『魔界転生』

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■深作欣二演出による個々人が生きている群衆シーンも凄いのだけれど、やはり綺羅星のような役者たちが素晴らしく、それをひとりひとり見ていこう。

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まず、柳生十兵衛を演じた千葉真一。柳生十兵衛といえば、この人しかいないだろう。

主要登場人物で唯一魔界に堕ちることを拒んだ人物を演じた千葉真一の気迫は猛烈だ。

この圧力に対抗できる役者は藤岡弘くらいだろう。

でも藤岡弘のような狂気を感じさせないところが柳生十兵衛たる所以なのだろう。

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ジュリーである。

天草四郎時貞という屈折したキャラクターに沢田研二はとても似合う。

天草四郎の恨みは3万人の民草の恨みである。

その恨みを背負っていながら、飢饉を生み出して罪のない民衆を苦しめお上に対する暴動を煽るという矛盾をはらんだ存在。

もはや恨みはそれ自体が目的化してしまっていて、それは悪魔に魂を売ったことによってもたらされた人格によるものなのかもしれない。

ジュリーといえば『太陽を盗んだ男』だけれども、この世のすべてを巻き込むような大きな狂気がとても個人的な情動と共存する、そういう危うさが、まさにジュリーなのだ。

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柳生但馬守宗矩を演ずるは若山富三郎。

迫力のある人である。そういう演技は知っていたのだけれども、殺陣がこれほど凄いひとだとは知らなかった。こんなにキレのある殺陣は見たことがない。

子連れ狼だとか、若山富三郎の全盛期は世代が上になるので新たな発見であった。(私にとっての拝一刀は萬屋錦之介だもんね)

但馬守は、息子であり、後継者である十兵衛に対し、剣の道を究める上で雌雄を決しておきたいという願望を捨てきれない、その一点で魔道に入るのだが、いまいちそこがピンと来ない。それでもラストの立ち合いは、まさに若山富三郎と千葉真一という師弟の仕合いであって、その炎のなかでの鎬の削り合いに理屈は不要なのである。

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宮本武蔵は緒形拳。

太い木刀で撲殺しまくる。あまりにも強い。二刀流もさまになっていてかなり稽古をつけたのだろう。

剣の道に生き、自らを慕った女の気持ちを知りながらそれを棄てた宮本武蔵。

その女の姪を登場に人の心を取り戻しかけるシーン。

そして巌流島を思い起こさせる十兵衛との決闘で、額を割られて倒れるシーン。

ともに緒形拳は派手な演技は行わないし、カットもロングショットで表情すら分からない。けれども観る者には武蔵の心情が十分に伝わるのだから、やはり役者としての緒形拳は尋常ではない。

濃密な昭和の俳優たちの中にあって、その微妙で奥深い演技が実に味わい深く、心に響くのである。

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佳奈晃子さんという女優はあまり意識したことがないのだけれど、恐ろしく妖艶な人である。

もともと原作には細川ガラシャは登場しないようなのだが、そこに「女」という業を組み入れた角川春樹と深作欣二には脱帽なのだが、それを演じきった佳奈晃子さんもあっぱれである。

将軍様でも、これでは参ってしまいます。

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さて、室田日出夫である。

胤舜は宝蔵院槍術の完成者。僧侶として女を遠ざけて生きているのに性的な衝動を抑えられない。

そのタガが外れて魔道に堕ちた胤舜はまさにセックスアンドバイオレンスの塊。そこに室田日出夫の獣性がきらめく。

『野獣死すべし』のリップ・ヴァン・ウインクルのシーンもいいけど、魔道に堕ちる前に女を襲う妄想に取りつかれる胤舜のシーンもまた素晴らしい。

狂気とは正気とのはざまにあるときに一番恐ろしい姿を現すのである。

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伊賀の影丸は真田広之。

まだまだ若い。

魔道に堕ちた連中のなかにあって、天草四郎を信じる素直さと父を亡くした少女を思う人間性との間に揺れ動く。

若いということは「業」が浅いということ。

逆に年をとればとるほどに、人は抱えるものが増えていき、背負う「業」も深くなる。

しかし、業が深ければ深いほどに、人としても深くなる。

真田広之は今では深みのあるハリウッドスターだが、本作の真田広之にはそれは感じない。

今の真田広之はどんな業を背負っているのだろう。

いまだにさわやかさを失っていないのだけれど。

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「神に会うては神を斬り、魔物に会うては魔物を斬る。これが村正にございます。」

このセリフがすべてである。

鍛冶師村正を演じる丹波哲郎。

「死んだら驚いた」

みたいな霊界の使者になって以降、すっかり印象が狂ってしまったけれど、よく思い出せばもともとそういう言い切り型の感じの人ではあった。

それゆえ、こういう「口上」が実に決まる。

本気なのか演技なのか分からない。

この人もまた「はざま」に漂う人なのであった。

 

こうして眺めてみると本当に濃い映画だ。

何だか『仁義なき戦い』が見たくなってきたぞ!

                      <2017.07.06 記>

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■STAFF■
製作 : 角川春樹
原作 : 山田風太郎
企画 : 角川春樹事務所
プロデューサー : 佐藤雅夫・本田達男・稲葉清治
脚本 : 野上龍雄・石川孝人・深作欣二
監督 : 深作欣二
撮影 : 長谷川清
録音 : 中山茂二
照明 : 増田悦章
美術 : 井川徳道・佐野義和
編集 : 市田勇
助監督 : 土橋亨
進行主任 : 長岡功
スチール : 遠藤功成
音楽 : 山本邦山・菅野光亮
衣裳アドバイス : 辻村ジュサブロー
協力 - 矢島特撮研究所、デン・フィルム・エフェクト
東映京都作品



■CAST■
千葉真一 : 柳生十兵衛光厳
沢田研二 : 天草四郎時貞
佳那晃子 : 細川ガラシャ
緒形拳 : 宮本武蔵
室田日出男 : 宝蔵院胤舜
真田広之 : 伊賀の霧丸
松橋登 : 徳川家綱
成田三樹夫 : 松平伊豆守
神崎愛 : おつう
菊地優子 : お光
丹波哲郎 : 村正
若山富三郎 : 柳生但馬守宗矩
  
大場順 : 柳生左門友矩
島英津夫 : 柳生又十郎宗冬
久保菜穂子 : 矢島局
成瀬正 : 甲賀玄十郎
中村錦司 : 石田上総守
河合絃司 : 神尾備前守
川浪公次郎 : 松平隼人正
鈴木康弘 : 富田主膳
有川正治 : 伊崎平内
岩尾正隆 : 安井藤兵衛
内田朝雄 : 酒井雅楽頭
相馬剛三 : 阿部豊後守
丘路千 : 堀田備中守
角川春樹 : 板倉内膳正
中江英生 : 細川忠利
林三郎 : 水野勝成
小林将孝 : 戸田氏鉄
飛鳥裕子 : 甲賀くノ一
鈴木瑞穂 : 小笠原少斎
浜村純 : 茂左衛門
東龍子 : 茂左衛門妻女
梅沢昇 : 伊賀の長老
犬塚弘 : 宗五郎
秋山勝俊 : 与平
野口貴史 : 彦作
白川浩二郎 : 米十
高月忠 : 百姓
中島茂樹 : 百姓
赤羽明 : 百姓
吉沢高明 : 百姓
鄭美玲 : 百姓
丸平峯子 : 百姓
白石加代子 : 声
カルロッタ池田 : 霊
畑中猛重 : 侍
中島葵 : 百姓女
三谷昇 : 旅僧
味方健 : 能シテ
味方団 : 能子方
谷田宗二郎 : 能ワキ
茂山あきら : 能アイ

 

 

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