■【芸術】『ジャコメッティ展』@国立新美術館。見えるものを、見えるままに。今、ありありと感じる「わたし」の奥底に居を定めた男はわれわれの原初を呼び起こす。
しびれました。3次元の造形物って絵画とはまた違う、身体の内部に直接響く何かを持ってるんだよね。
■ジャコメッティといえば、なんだか細っこい人物の彫像っていうイメージで、どうも奇をてらってんじゃないの、なんて思い込みがあったんだけれど、うーん、ごめんなさい、眺めているうちに体の奥から湧き出てくる感情がしみじみと広がって、小難しい理屈は抜きに、ほっこりとしてしまいました。
アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti, 1901年10月10日 - 1966年1月11日)は、イタリア国境近くのスイスの谷の村に、印象派の画家を父として生まれた。
画家としてのスタートの時期から「見えるものを、見えるままに」描くことにこだわり、それを死ぬまで追い続けた男である。
人体のデッサンを徹底的に行ったのち、その時代の最先端であるキュビズム、シュルレアレリスムの世界へと分け入っていく。
女=スプーン 1926/27年 145× 51 × 21 cm
キューブ 1934/35年 93_5cm × 58_5cm × 58cm
この時期の作品で心を奪うのは、アフリカ民族美術に大きく影響を受けた【女=スプーン】の力強さと美しさ、【キューブ】の幾何学的に見えながらも極めて強い生命力を感じさせる面の「ハリ」である。
この「力」の均衡は、もう完成形といってもおかしくない。ほれぼれするほど美しく、かっこいい!
しかしながら、ジャコメッティはキュビズムとかシュルレアリスムにその身を沈めることはなかった。
■認めてくれたシュルレアリスムの巨匠アンドレ・ブルトンを振り切り、ジャコメッティはこの「質量による力の均衡」とでもいえるような高みから、一気に駆け降りる。
そして「見えるものを、見えるままに」を突き詰めた結果、
「もの」に近づけば近づくほど 「もの」が遠ざかる
という境地にいたり、彫像は極小まで小さくなっていく。
■高さ1cmの女。
もはやこの老眼の目では太刀打ちできず、眼鏡を外してガラスケースに顔をこすりつけなければ像を結ばない。
これは一体何なのか?
大きさは細部を生み、細部は目に見える表層を追ってしまう。
たぶん、そこに嘘を感じてしまうのだ。
目の前の女のモデルの像は水晶体というレンズを通して網膜に像を結ぶ。ものを見るとはそういうことだ。
だが、ジャコメッティにとっての「見えるまま」とは、そういうことではなくて、彼が追い求めるのは心に結ぶ像なのだ。
■写実は真実を映さない。
それに共鳴し、シュルレアリスムに参加したものの、ブルトンや、マグリッドが意識のさらに先の世界に踏み込んだのに対し、ジャコメッティは意識の中に踏みとどまり、「見る私」にこだわり続けたのだ。
女=スプーンも、キューブも、改めて見てみれば意識のその先にある「超現実」をカタチに写し取ったものではなく、原初から連なる「こころ」の像を起こしたものであり、立ち上がるのはそういう「生」の感情だ。そこにはシュルレアリスムのような「よそよそしさ」は欠片もない。
アフリカの民族美術のような、敢えて言えばわれわれの土偶のような、写実ではないが、それなのに「こころ」を、「魂」を揺さぶる、それがジャコメッティの「見る」世界なのだ。
しかし、そういった「生」を宿した造形作品もまた、ジャコメッティにとってはそこにまとわりつく「作品性」のような主張がうるさかったのだろう。
だから作品を遠ざけ、凝視を許さず、遠景にぼんやり浮かぶ、その姿にやっと安心したのではないか。
だが、それでは「作品」にならない。
だから1メートルという寸法を自分に課した。
■その結果が、大きな像(女:レオーニ)として結実する。
大きな像(女:レオーニ) 1947_58年 167 × 19.5 × 41 cm
細長く、薄ぺらい女の像。
素描や習作が山のようにあり、ようやくたどり着いた先は、一見まったく違うように見えて、実は【女=スプーン】への回帰である。
斜め横から眺めれば、極めて微かな抑揚があって、それはまさに【女=スプーン】のそれである。
自分のこころの目に鋭敏になりすぎたジャコメッティにとっては、【女=スプーン】の落ち着く先がこういう像であったということだ。
ここにようやくジャコメッティは居を定め、そこから世界を眺め始めるのだ。
3人の男のグループ(3人の歩く男たち) 1948 _ 49年 72 × 32 × 31.5 cm
林間の空地、広場、9人の人物 1950年 65 × 52 × 60 cm
■それでもなお、ジャコメッティは満足しない。
自らの魂に映る「ヴィジョン」を求め続ける。
ディエゴの胸像 1954年 39.5 × 33 × 19 cm
1900年以降、フッサールからハイデガーにつながる現象学は、我々が当たり前として受け入れている世界を疑い、概念とかそういう上っ面の議論を排した上で再構築する手法を模索した。
そこで個別の「わたし」がありありと生きる今に焦点を当てたのが実存主義で、1950年代にそれを受け継ぎ、人と人との関係性のなかに「神」を失った人間の寄る辺を探したサルトルによって、その思想が拡がっていく。
ジャコメッティが「ヴィジョン」を求めた1945年から50年代の思想は、そういう状況であった。
サルトルのいう、「わたし」がありありと生きる今、それこそがジャコメッティの「ヴィジョン」であり、彼が作品を通してカタチ作りたいものだったのではないだろうか。
その意識を深いレベルで共有できた真の友が日本人の哲学者、矢内原伊作であった。
■矢内原と知り合ったジャコメッティは、彼にモデルを依頼するようになる。
「ほとんど真剣勝負といってもいいものだった。僕は勝ちもしなかったが、負けもしなかった。あるいは、ふたりとも勝ったのである。」
「ちょっと僕が身動きすると、一心に僕を注視し仕事をつづけていたジャコメッティは大事故に遭遇したかのようにアッと絶望的な声を出すのである。」
ジャコメッティは矢内原をよほど好きだったようで、紙ナプキンにいたずら書きされた矢内原を描く鉛筆やボールペンの線には迷いがなく、うきうきと楽しそうに走るさまがそこに見て取れることから実感覚として、ジャコメッティのルンルンとした気分がこちらに伝わってくる。
たぶん、それはモデルを務める矢内原が、実存主義の哲学者として【「わたし」がありありと生きる今】を生きていて、そこに【見るもの】と【見られるもの】の間の共鳴があったからなのだろう。
それはジャコメッティにとって至福の時間であったに違いない。
■「わたし」がありありと生きる今
それは、動物に託されるとき、当時のジャコメッティの「今、ここ」がストレートに伝わってくる。
ジャコメッティは人間を相手にして苦闘を続けてきたのだけれども、人は人を見るときに、どうしてもそこに相手の複雑な思考に想いを馳せてしまう。その相互作用が、純粋な「見る」の邪魔をする。
けれど「今、ここ」に生きる「猫」や「犬」には、それを見るジャコメッティの純粋な感情が素直に現れてくるのだ。
実際に【猫】を見た瞬間、わたしは思わず吹き出してしまった。
あまりにも楽しい感情があふれている。
いらぬ思考が無いと、こうも素直になれるのか。
そして、この【犬】の悲しみ。
決して犬が悲しんでいるのではない。人がそこに悲しみを見るのだ。
この作品を通して描かれているのは犬ではなく、ジャコメッティの【こころ】そのものなのである。
■さて、最後の部屋には1960年にニューヨークのチェース・マンハッタン銀行のためのモニュメントとして制作された大物の作品群が並ぶ。
大きな女性立像Ⅱ 1960年 276 × 31 × 58cm
【大きな頭部】は【キューブ】であり、【大きな女性立像Ⅱ】は【女=スプーン】である。
30年の月日はジャコメッティを還暦の年に押し流したが、結局その魂は何も変わらなかった。ただただ、「見えるものを、見えるままに」を追い求め続けた男なのである。
その純粋さが、われわれの原初を呼び起こすのかもしれない。
<2017.07.15 記>
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