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2017年7月25日 (火)

■【映画評】『64-ロクヨン- 前編/後編』、映画はきらめくようなシーンの連なりで魂を揺さぶるものなのだ。

圧倒的迫力で、テンポもいい。

前後編、一気にいけるのは、映画としての集中力と規格外の役者の演技によるものだ。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.110  『64-ロクヨン- 前編/後編』
          監督: 瀬々敬久 公開:2016年5月/6月
       出演: 佐藤浩市  永瀬正敏 他

Title

■あらすじ■
一週間しか無かった昭和64年。昭和天皇崩御に揺れるそのなかで少女誘拐事件が発生した。少女は遺体で発見され、犯人の手がかりさえつかめないまま、14年の月日が流れ去り、「ロクヨン」と呼称された事件の時効まであと一年となる。

当時捜査員であった三上は、今では刑事部から異動になり広報官として記者クラブの対応に追われている。公安員会のメンバーの娘が起こした交通事故を県警が匿名としたことで、県警広報部と記者クラブの間に亀裂がはいる。そんなとき、未解決重大事件の解決を鼓舞する名目で警察庁長官の視察が予定される。そのセレモニーを成功させるためにも記者クラブとの関係改善に奔走する三上たち。だが、長官視察の前日に、ある事件が発生する。

■原作は読んでいない。

原作を忠実に再現したと評価されるNHKのドラマの評価が高い一方で、この作品に対する原作ファンの評価はあまり高くないようだ。

原作と比べてしまうとたぶん、そうなのだろう。

けれど、映画というのは小説とは違うものだし、連続テレビドラマとも違うものである。

映画は観る者の自由な思考を制限する。その映像の展開で観る者の意識を吸い上げ、その世界に没入させる。

その時、観る者は自分が体験したことのない世界を味わっていることに、そこに投げだされていることに満足を覚えるものなのだと思う。

2時間という比較的長い時間、それを維持することは難しい。

だから、ストーリーの軸が大事だし、テンポがとても大事になる。

小説や、連続テレビドラマにおいて、背景となる人物群の細かい心理描写や、設定のディテールの積み重ねが物語を盛り上げていく。魂は細部に宿る。

けれど、映画でその手法を使うならば、観る者の思考は乱され、没入を拒絶する。

たぶん、監督、脚本の瀬々敬久はそこをかなり意識したのだろう。この映画はエンターテイメントとしての映画を意識した造りをしているし、かなりの高いレベルでそれを成功させていると思う。

■県警に不信感をもつ記者クラブと広報の対立、県警上層部と理想主義者の三上の対立、本庁の方を向いて仕事をする上層部と現場の刑事部との対立、三上と娘との溝、ロクヨンで人生を狂わされた捜査員、事件解決よりも組織の維持が大切な警察、そして、昭和64年に取り残されたまま生きている被害者の父親。

この細密で複雑な群像が、ロクヨンという忘れ去られた事件に引きずられるように収斂していく物語である。

当然、枝葉を切れば、そこから見えてくる景色も変わってしまうだろう。

けれど、それが映画だ。

そこを補うのは濃密であまりにも強烈な俳優陣の演技力である。

それが、思い切った剪定によるテンポの良さとあいまって、この映画を高みにへと押し上げている。

003

うっとおしい瑛太をはじめとする記者クラブの面々によるアナクロ学生闘争のような群像劇、滝藤賢一による80年代社会派映画的わかりやすい陰険さ全開のキャリア官僚、保身を強権で隠す奥田英二の刑事部長、説明すら拒む芳根 京子の親と自分への憎しみ、背中で引きこもる窪田 正孝、気弱さの演技だけで理不尽さへの反抗を読み取らせる吉岡 秀隆、ネタバレで書けないけど超絶演技を見せる緒形 直人、セリフひとつで観客を射抜く永瀬 正敏、ともかく熱いことはよくわかる佐藤 浩市。

ディテールを描かない、語らないけれども、役者の目で、魂で語らせる。

論理とか整合性とか、そういうのは成り立たないにしても、それだけで物語は説得力を持って進んでいくのだ。

001

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■さて、物語である。

あの昭和64年に取り残された人がいる。

天皇崩御と大喪の礼で日本が覆われている中、あがき、もがいた過去に取らわれ続ける人がいる。

この映画が目指すのは、それをすべて清算し、その魂を救うことである。

原作では、被害者の父である雨宮とかって捜査員だった幸田が狂言誘拐をして、犯人の目崎をおびき出し、警察に容疑者として確保させるところで終わったようだ。

映画を見ていても、ああ、ここで終幕か、と確かに思った。

けれど、映画ではさらに踏み込んでいく。

組織と自分の保身に走った刑事部長によって目崎は釈放される。

ああ、よくある「世の中の不条理は変わることなく続いていく」というよくあるやつかと思いきや、第二の誘拐事件を思わせる事態になり、三上が先頭に立って事件を解決する。

ミスから事件解決の糸口を失わせ責任をなすりつけられ引きこもってしまった日吉も失った月日を取り戻し、幸田も胸を張って生きていく決意をするし、雨宮も昭和64年の呪縛から解き放たれる。三上の娘が帰ってくることはないが、夫婦のこころには希望の灯がともっている。

006

■まさに大団円、まさにカタルシス。

確かに、ベタだけれど、わたしは嫌いじゃない。

映画は、言うほどには観る者に自由を与えない。ならば、最後まで連れて行ってあげよう、という姿勢はエンターテイメントの作り手としては真摯な姿勢だと思うのだ。

しっかりと「落ち」をつくるのは、大事なことである。

けれど終盤、三上が「小さな棺」の罠で目崎をおびき出す、そのあとのシーンがいただけない。

目崎が放置されたクルマのトランクに手をかけたところで、「なぜ、トランクだとわかった?」と目崎を追求するところでカットして、捜査員たちが駆け付け、記者の秋川と目崎の娘がその後ろでたたずむシーンで終わらせるべきだった。

008

三上が目崎と乱闘になり、殴りつける、川に頭を押し付ける。

それを目崎の娘に見せつけ、目崎が逮捕される姿に悲鳴を上げさせる。

そこに何を求めるのか。

007

それは凶悪犯罪を行った鬼畜のような犯罪者に対して我々が抱く猛烈な怒り、そんな奴は殺してしまえ、その娘もひどい目に合わせてしまえ、という感情だ。

けれど、それは被害者の気持ちじゃない、われわれの心が求める制裁によるカタルシスだ。その暴力的感情は犯罪者のそれと何が違うのか。

シナリオ上、三上がわざとそれをやってしまったという悔恨を述べるシーンがあるが、この暴力シーンをカットしても話はつながるし、三上のセリフにそこまでの意識は感じられない。

人としての尊厳の一線を越えてしまう、それくらいの意味をもつシーンなのだ。

この痛快時代劇的無邪気さによって、ここまで積み上げてきた群像劇の深さが損なわれてしまう。

その意味で監督、脚本の瀬々敬久は致命的に浅い。

或いは観客をバカにしている。

「子を愛する親のお前がなぜ他人の子供を殺せるのか」

という問いに拳を使ってはいけないし、ましてやその子供を傷つけては本末転倒の自己矛盾だ。

■それでも、この映画が素晴らしい位置に保つのは何度も書くけれど役者の演技だ。

なかでも犯人の目崎を演じた緒方直人に愕然とした。

009

娘を誘拐されたと思い込み、なんとかその命を救おうと必死になる父親の顔。けれど、相手が自分の過去の犯罪に気が付いていると知ったときの目。

あの演技は異常だ。

娘を愛する心を持ちながら、他人の娘を殺してしまえる矛盾、その異常性。

あの「目」が無ければ、物語がつながらない。

観る者は、あの演技によって一瞬にして、こいつは「おかしい」と了解する。

「子を愛する親のお前がなぜ他人の子供を殺せるのか」

という問いの答えは実はすでにここで出されているのだ。

緒方直人、いかんよ、これは凄すぎる。。。

■そして主演の佐藤浩市。

「子供がいなくなる、それが親にとってどういうことか、お前ら刑事にはそんなこともわかんないのか!」

やっぱり、ここのシーンだよね。

004

前篇。

三上が雨宮宅で警察庁長官の訪問を受け入れて欲しいと依頼するシーン。

仏壇で手を合わせ、雨宮に向き直った三上が感極まって泣き崩れる。

その意味が、この後編の佐藤浩市の演技によって一気に深まる。

その後、長官訪問がキャンセルになったと伝えに来た時、雨宮は三上に「あなたは大丈夫ですか」と問う。

三上の自宅にかかってきた無言電話の主が実は雨宮で、だから三上の娘が失踪していることを知っているとにおわせるシーンだ。

そして二人でベンチに座って三上は逆に雨宮に問う。あなたはどうやって14年を過ごしてきたのか。

雨宮が脅迫電話の声の記憶を頼りに、電話帳の1ページ1ページ、1行1行をつぶしていきながら気の遠くなるような作業を続けてきたこと。

それらすべてが

「子供がいなくなる、それが親にとってどういうことか、お前ら刑事にはそんなこともわかんないのか!」

という佐藤浩市の演技に集約される。

見終わったあとに胸に残るのは、それら「親のこころ」の連なりによるなんともいえない熱いものだ。

映画は、ちょっとこれはな、という部分が例えあったとしても、いくつかのキラメくシーンがあって、その記憶がつながることで猛烈な感動を生み出すことがある。

だから、この映画はかなりの難があるけれど、凄いと言おう。

いい映画だ。

                      <2017.07.25 記>

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■STAFF■
監督  瀬々敬久
脚本  久松真一 瀬々敬久
原作  横山秀夫
音楽   村松崇継
主題歌  小田和正「風は止んだ」
撮影   斉藤幸一
美術 - 磯見俊裕
照明 - 豊見山明長
録音 - 高田伸也
編集   早野亮
制作会社  コブラピクチャーズ


■CAST■
三上家
 三上 義信 - 佐藤浩市
 三上 美那子 - 夏川結衣
 三上 あゆみ - 芳根京子
広報室
 諏訪 - 綾野剛
 蔵前 - 金井勇太
 美雲 - 榮倉奈々
ロクヨン捜査班
 松岡 勝俊 - 三浦友和
 望月 - 赤井英和
 漆原 - 菅田俊
 柿沼 - 筒井道隆
 幸田 一樹 - 吉岡秀隆
 日吉 浩一郎 - 窪田正孝
 村串 みずき - 鶴田真由
県警本部警務部
 辻内 欣司 - 椎名桔平
 赤間 - 滝藤賢一
 石井 - 菅原大吉
 二渡 真治 - 仲村トオル
県警本部刑事部
 荒木田 - 奥田瑛二
 落合 - 柄本佑
 御倉 - 小澤征悦
芦田 - 三浦誠己
 雨宮家
 雨宮 芳男 - 永瀬正敏
 雨宮 敏子 - 小橋めぐみ
 雨宮 翔子 - 平田風果
目崎家
 目崎 正人 - 緒形直人
 目崎 睦子 - 渡辺真起子
 目崎 歌澄 - 萩原みのり
 目崎 早紀 - 渡邉空美
ロクヨン捜査員の家族
 幸田 麻美 - 黒川芽以
 幸田 カイト - 佐藤優太郎
 日吉 雅恵 - 烏丸せつこ
記者クラブ
 秋川 - 瑛太
 手嶋 - 坂口健太郎
 掛井 - 坂口辰平
 髙木 まどか - 菜葉菜
その他の記者
 梓 - 嶋田久作
 山下 - 緋田康人
 佐伯 - 矢柴俊博
 宮本 - 加藤虎ノ介

 

 

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