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2017年6月

2017年6月26日 (月)

■【社会】豊田真由子議員暴言問題。水に落ちた犬は打て。三度の飯よりイジメが大好きな私たち♥

「このハゲー!!」

先週、自民党の豊田真由子議員の秘書に対する暴言や暴行が明らかになった。ネットやマスコミは元秘書が録音したと思われる音声に盛り上がり、最終的に豊田真由子議員は離党届を出し、本人は入院中、という。

20170626toyotamayuko

■これはもう議員というよりも人間として間違っている。

それは明らかだ。

けれど、秘書に裏切られてその言動が世の中にばれた時点でもう、「水に落ちた犬」だ。再起不能。

中国には「不打落水狗(水に落ちた犬は叩くな)」という古語があるのだけれど、魯迅は、世の中に打ち据えられ信用も権威も失う状態に至ってもなお悔い改めない心根の曲がった人間を皮肉ってそれを改変し、「打落水狗(水に落ちた犬は打て)」と言ったという。

今の日本人の心根はこの魯迅の感覚に近いのだとおもう。

■どれだけその人間が人として間違っていても、それが世間にさらされ、完膚なきまでに叩き潰された時点でゲームセットだ。

そこに乗っかってその人間をさらに叩く行為は、「義憤」の名を借りた「うっぷん晴らし」に他ならない。

そういうバッシングを行うテレビのコメンテーターやSNSの投稿者は、いじめ問題が話題になればまたぞろ正論を振りかざしながらバッシングを行う人たちだ。そして、その自らの精神構造が「いじめ」の構造とまったく変わらないことに彼らは決して気が付かない。

豊田真由子議員の桜蔭時代からの友達が、「彼女もそこまでになる前にストレスから逃げればよかったのにと残念です」とコメントしていたが、それは豊田真由子議員もまた人の子で、ちょっと変わっていたかもしれないが、モンスターだったわけじゃない。僕らだって、いつそうなるか分からないんだよ、と気づかせてくれる、ナイスコメントだったと思う。人としての彼女を知る友人だからこそ出せるコメントだと思う。

そういう人間らしい想像力さえ働けば、バッシングしようとするこころにブレーキをかけられる。

いやいや、彼女はもともとモンスターだったんだ、という人がいるならば「スタンフォード監獄実験」について調べてみることをおすすめする。

昨日まで仲良く暮らしていた隣人同士が殺し合いを行ったボスニア紛争、イスラム教徒の捕虜への虐待が暴走したアブグレイブ刑務所、具体例にはことかかない。

人は状況でたやすく変わってしまう脆弱なものなのだ。

あなただって、わたしだってそれは変わらない。

■そんなことにはまったく関心はない。

こいつらは間違っている。許せない。

もう反抗できない状態になっても叩き続ける。

本当に日本人は「いじめ」が大好きなのである。

そして眉間にしわを寄せながらも、バッシングに日頃のストレスを発散して、自分でも気が付かないその心の奥底で「メシウマ~♪」と叫んでいる。

ああ、気持ち悪い。

反吐が出そうだ。

■6/24放送の新・情報7daysニュースキャスターでこの問題が取り上げられた時、たけしが、

「このハゲー!って言ってたんだから、各局、ハゲーって言ったっていいんですね。フジテレビを除いては」

なんてコメントをして出演者を慌てさせていたけれども、これは本当に大人な態度だと感心した。

「水を差す」の斜め上を行くこの発言は、小倉智明にはいい迷惑なんだけれど、もう終わってんだからいいじゃん、下らねえことに時間使ってんじゃねえよ、という苦言をジョークで伝える高度な技だ。

こういう「空気」を直接批判するのは極めて危険だと分かっているんだよね。たぶん。

爆笑問題の太田には、もっとたけしを見習って欲しいものである。

                            <2017.06.26 記>

 

<追記>しかし、先週これだけ騒がれてたのに週が明ければ急に触れられなくなったね。大人になった??いや、いや、今まさに都議選の真っ最中。またまたいやーなご指導が入ったのではないか、という気がしてならないのだけれど、気のせいかな。。。。(森達也が「自粛を要請する」って、日本語としておかしいでしょ!と指摘してたけど、ホント笑っちゃうよね。)

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2017年6月24日 (土)

■【書評】『同調圧力 メディア』 森達也。議論を封殺する自民党を民主主義の敵と批判し、そこに異を唱えないメディアを腰抜けと罵る我々も実は同罪なのだ。

本書は『創』に連載された森達也の「極私的メディア論」を2010年7月号から2017年4月号までまとめたものである。

森達也の視線は、ぶれることなく、今日現在へとつながっていく。日々のニュースの洪水につい忘れてしまうが、過去の出来事は確実に現在につながっているということを改めて思う。

■8年の間にずいぶんといろいろなことが起きた。

ここで取り上げられている「事件」を挙げてみよう。

2010年: オウム裁判

2011年: 尖閣問題、9.11後のアメリカの過剰反応、東日本大震災と福島原発事故

2012年: 3.11の余波、『靖国』、『ザ・コーブ』抗議活動

2013年: 自公民大勝利・第2次安倍政権発足、北朝鮮ミサイル騒動、特定秘密保護法、天皇の政治利用

2014年: 日本版NSC構想、音楽家代作問題、憲法改正論議、福島原発の風評被害、集団的自衛権論議、 朝日新聞慰安婦報道ねつ造問題

2015年: 仏・反テロデモ、ISによる後藤健二さん・湯川遥菜さん殺害、川崎・中一少年殺害事件、安全保障関連法に対する自民選出憲法学者違憲判断、安全保障法案可決、シリア・イラク難民問題

2016年: 安倍政権のメディアへの圧力と放送法による電波停止論議、選挙権18歳化と自民党による「学校教育における政治的中立性についての実態調査」、共謀罪/テロ等準備罪法案、トランプ米大統領選勝利

2017年: テロ等準備罪法案可決

■基本的に森達也の主張は変わらない。「思考停止」に対する警鐘だ。

それは本当だろうか、という疑問を持ち、自分なりに情報を集めて自分の頭で考える。

2010年から現在に至る道筋を追いながら、日本の社会が「テロ」、「北朝鮮」などの脅威にあおられながら、「思考停止」のまま流されていく様子がリアルタイムで語られていく。

ここでは「思考停止」は「同調圧力」と集団に視点を変えた形で継続される。

そこに浮かびあがるのは「不謹慎」というような一見常識に沿った形での猛烈な社会圧力の強化だ。

集団に対して異なる主張をするものに圧力をかけ、修正を迫る一種の暴力である。

オウムによる地下鉄サリン事件によって我々の社会に埋め込まれた毒薬がじわじわと効果を発揮していく。森達也が懸念した通りになった。

■危機を感じた集団は、イワシにしろ羊にしろ群れをつくって集団としての運動を開始する。統制の乱れは個体の死ばかりではなく集団へのリスクを高める。その集団としての本能が我々にも作用し始めているのかもしれない、と森は考察する。

日本だけではない。イギリスのEU離脱、フランス大統領選挙、もちろんトランプ大統領の登場。これらはポピュリズムの文脈でまとめられるが、そのポピュリズムの根幹にあるものが「不安」だということだ。「不安」をうまく煽って(羊の群れを)誘導するものが政権を取る時代である。

しかし、森達也はさらに踏み込んでくる。

16年3月号の『私はチッソであった』という記事である。

■水俣病で父を失い、家族や自分の健康を阻害され、チッソを訴え続けていた人が、ある日提訴を取り下げる。

「自分がチッソの立場であったら、私がチッソの社員であったらということを考えずに生きてきた。出た結論は私も同じようにしたであろう、ということだった」

社会によって「悪」と断定されたものに対し、この世の中は容赦がない。

確かにそれは「悪」なのかもしれないが、弱いと見るや徹底的にそれを叩く姿勢は傍から冷静にみれば気持ち悪いものである。

例えば朝日叩き。

私自身、朝日新聞の行為は許せないし、批判的である。

けれど、それで朝日新聞の存在を全面的に否定するというのはやり過ぎ、ということだ。

大切なのは、その問題の発生した構造を明らかにして二度とそういうことが起きないような努力を社会が行うことだ。

■家計学園問題以来、安倍政権の雲行きが怪しい。

ようやく「社会」が安倍政権の独善に気づき、急速にその批判に舵を切り始めている。

衆参両院の過半数を抑えていることを背景に、議論を封殺したまま物事を決めていき、異論を発するものは警察力まで動員して排除しようとする。

こういう政権が憲法改正などと主張しているのだから流石に世の中も危機感を感じ始めたということだ。

私もその尻馬に載って記事を書き散らしたりなぞしている。

けれど、『私はチッソであった』の観点からするならば、排除すべきは安倍晋三と首相官邸や自民党総本部の面々ではなく、彼らにそういう動きをとらせた「構造」である。

もちろん、安倍政権による憲法改正には断固反対である。

憲法改正を目的にした9条改正なんて意味不明だ。

■だから継続して批判的目で見ていくのだけれども、そういうことを可能にしてしまった「この世の中を覆う空気」がなぜ発生して、3.11を経験してもなお消えることなく、むしろ強化されてしまったのか。

どうすれば、その「空気」に「水を差す」ことが出来るのか。

そこがまさに考えていくべきポイントだ。

「オウム信者に対して敵対していた右翼団体や周辺住民のうち、彼らに直接接触した人たちは無条件の排斥をしないようになる。」という趣旨のことを森は語るのだが、そこにヒントがあるのかもしれない。

大切なのは直接顔を突き合わせた対話である。顔や素性さえ見えないSNSでの主張の氾濫がこの空気の醸成を推し進めているのだろう。

いまさらこの流れを止めることはできないが、世の中のみんながその特性を知っているかどうかできっと変わってくるにちがいない。

■この雰囲気は戦前にそっくりだ。

という声をニュースでたまに聞くようになった。

たぶんそれは正しい。

ならば、我々が「なぜ戦争を起こしたのか」と前の世代を問い詰めるその追及を自分自身にも向けなければならない。

何故、止めることが出来なかったのか?

と、次の世代に問われて答えに窮することのないように。

                        <2017.06.24 記>

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【文庫】『「空気」の研究』 山本七平

【参考記事】
【「空気」の研究】 山本七平。決して古びることのない本質的日本人論。

【DVD】『ガッチャマンクラウズインサイト』

・・・中村健治の読みもあながち間違っちゃいなかったということだね。

 
【参考記事】
 

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2017年6月22日 (木)

■【書評】『縄文とケルト 辺境の比較考古学』 松木武彦。遺跡の愚直な踏破体験からのみ浮かび上がってくる「文明外」の世界。

ケルトってよく聞くけど実はよく知らない。でも気になる。それを縄文と比較して語るというのだから、これは面白そうと一も二もなく飛びついた。

■結果、いい意味で裏切られた。

古代イギリス文明と縄文はローマと中国という大陸文明の辺境にあってとても似た形で「非文明」の文明を発達させたという極めてそそるテーマである。いきおいドラマチックな展開を期待するのだが、もう終盤まで徹底的に遺跡紀行なのである。

語り始めてすぐに、ともかく出かけよう!と我々をイギリスのど田舎の殺風景な場所に連れていく。

そこで出くわすのはヘンジと呼ばれる石の遺跡である。

松木さんはイギリス全域にひろがるそれを時代毎に系統立てて道案内していく。

微に入り細に入りそれらを解説していく姿は実に楽しそうで、好感が持てるのだけれど次第にそれにも飽きてくる。

古代文明の話でいえば最近読んだ『人類と気候の10万年史』があるが、そこで体験したようなスリリングさは全くないと言っていい。

実際、その細かい説明に何か意味があるかと言えば、ただそれだけであり、そこから衝撃的事実が浮かび上がってくるわけではないのだ。

■しかし、そこがポイントなのだと思う。

蓄積されたデータを分析して何かを導き出す、そういう「文明的」な方法論の外にこの本はあるのだ。

ひたすら体験する。

その体験から何かを感じる。

そういう体験から来る意識下での反応、そこに目を向けることこそが、「大陸の文明」に侵されなかった「辺境の文明」である先ケルトと縄文の方法論であり、松木氏は図らずもその方法論を実践してみせている。

その長い旅路の果てに、我々はもともとイギリスに住んでいた先ケルトと大陸から金属や階級という「文明」を運んできたケルトが連続性を保ったものであり、その構図が縄文と弥生にも言えるという結論にたどり着く。

そこに論理はない。

発掘された事実を直に体験し尽くすことから浮かんできた「イメージ」だ。

そして、たぶんそれは正しい。

■その後、ケルトはドーバー海峡が渡りやすかったがゆえに、ローマの支配を受けて消滅し断絶する。もう一方の弥生は元寇をも返り討ちにした対馬海峡によって守られ、連続的に古墳時代へとつながっていき、現在に至る、それが現在のイギリスと日本を分かつ分岐点であった。

というのがその続きなのだけれども、先の結論も、この話も別に新規性のある論ではない。むしろ最近の定説といっていいだろう。

けれども、ではこの本に価値がないかと言えば、圧倒的にそれは違う。

ここでは「論理」とか、そこから導出される「結論」に大した意味はないのだ。

東西の遺跡を踏破し、そこで生活をしていた人たちの心に思いを馳せ、驚くべきことに大陸の東と西の両端の島国において同じように発達したであろうその心に触れるとき、時間も距離も飛び越えた人間としての確かな共感がそこにある。

何度も何度も遺跡に足を運んできた松木さんだからこそ、その内側で育った実感だろう。

そして、我々はこの本の旅路を通してそこに触れることが出来る、そこに本書の唯一無二の価値があるのだ。

理屈を離れたときに、たとえば一人旅の街で出会った体験にも似た清々しさのようなものが、そこにある。

とても気持ちの良い本である。

 

                    <2017.06.22 記>

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2017年6月21日 (水)

■【社会】加計学園問題新資料は不正確と松野文科相が荻生田官房副長官に謝罪。って、もう降参なの??情けないな!!

昨日の夜のクローズアップ現代のスクープから一夜明けて、松野文科相も、義家副大臣も官邸から何を言われたのか、昨日まで元気を取り戻していた二人が急に俯いて謝罪だと。誰にって?もちろん官邸です。

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■都議選で自民党が負けたら分かってるんだろうな、とか、脅されたに違いない。

まったく誰のために仕事しているのか。

メモは不正確で書いた本人も内容が確かかどうか記憶がない、、、って、嘘つけよ。

確かに会議ってのは時間が経つと記憶があいまいになって言った言わないが問題になる。だから会議が終わったら速攻で議事メモを作成するわけだ。

その原文が残っていて半年前のこんだけ重要な話を覚えていないわけがない。

し、正確であるためのメモなのだから正確でないはずもない。

もし正確でない場合があるならば、今のこの状況を半年前に予知した文科省の課長補佐が「総理や官邸を嵌める」ために作成した、というような場合だけであろう。つまり、そういうことはありえない。

要するに、ふたりが荻生田官房副長官に謝ったのは、今回の文書が不正確だったからではなく、お上にたてついて総理や官邸の足をひっぱったから、ということだ。

■しかしまあ、松野大臣も義家副大臣も情けない。

その程度の気概なら、前回の調査でも資料は見つかりませんでしたとやっとけばよかったんだよ。

文科省の役人がかわいそうだ。

もしかしたらと期待しちゃったじゃないか。

また官邸の奴隷に逆戻りだね。

ああ、つまらん。

【反逆の狼煙】って、好きなんだけどな。そういうのは小説の世界にしかありえないのかな?

                     <2017.6.21 記>

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2017年6月19日 (月)

■【社会】米海軍イージス駆逐艦コンテナ船衝突事故。アメさん、恥ずかしいね。

亡くなった乗員には申し訳ないけれど、米軍、間抜けにも程があるな。

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■北朝鮮情勢が緊迫している日本近海でなにやってんの?という話。

イージスシステムの死角云々とかそういう問題ではなくて、どこぞの誰かが夜中にボートで接近してくるかもしれない状況で何たるんでるんだよ、ということだ。

コンテナ船の衝突部位を見る限りななめ後方からの突入だろうから分かりにくかった、とはいえ、それが分からないのでは「航海当直(ワッチ)め、居眠りしてただろう」と言われてもしかたない。

米海軍、本件はあまりに恥ずかしい事態なので、ことを荒立てずフェードアウトをねらうに違いない。

ああ、恥ずかしい。

                  <2017.06.19  記>

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2017年6月17日 (土)

■【社会】加計学園、総理のご意向問題。内閣府=戦前の内務省化の流れを止めよ!文部科学省頑張れ!!

「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」

加計学園の獣医学部認可について内閣府から文部省への相当な圧力があったことは確かなようだ。

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■それをしれっと、「怪文書」だの、本件とまったく関係のない前川前次官への人格攻撃だのをやっていた菅官房長官はとんだ恥さらしである。もう国民の信頼なんてものはすっかりなくなった感がある。新元号を発表する役割なんて到底ダメだろうね。残念でした(笑)。

まあ、こんなくだらない人間の話なんてどうでもいい。

問題は、内閣府の各省庁への動きが明確になったことである。

■要するに人事権を盾に内閣府が各省庁をコントロールする体制を整えているということだ。

それがあるからこそ、こういう高圧的な態度で介入することが可能になるという構図だ。

さらに内閣府は警察庁を監督する国家公安委員会を擁しており、その役割は監督、監察だから直接の警察への指示命令系統はもたないけれど、非公式の指示系統は人脈でいくらでも作れるし、実際、「出会いバー」の調査だって実働部隊は公安警察なのだろう?平成の特高警察というわけだ。しかもテロ等準備罪が成立したから、なにをこそこそ話しておるか!と犯罪を犯していなくてもいつでもしょっ引けるという寸法だ。

これが安倍晋三が思い描く「美しい日本」の姿である。

■何度も書くが、安倍首相やその取り巻きの官邸の連中が悪人だとは思わない。

日本の国のことを考えているのは間違いないだろう。

問題なのは、独善的で批判や議論すら許さない、そのやり方なのだ。

国民をバカにするのも休み休みにしろと言いたい。

これではどこかの国と変わらんではないか。

けれど少しほっとしたのは、松野文部科学大臣や義家副大臣が内閣府の調査結果が文科省の調査を否定する内容だったことに猛反発していることだ。(ヤンキー先生汚名挽回!)

■しばらく前に、私はこのブログで官邸のいいなりになって自分で考えることをやめた文科省は解体してしまえ!とわめいたけれども、少なくとも前川前次官は猛烈に反発していたようだ。骨のある人物もいたのである。

それでも、教育基本法改定も、大学を営利機関ししようとする動きも、道徳教科書も止められなかった。人事を掌握するということはそういうことなのだ。(中曽根の娘婿でなければ次官にはなれなかっただろう。)

森友は、相手が変わった人物だから、となんとなくネタ的な流し方をしていたけれども、今回の官邸の敵の前川氏は、マスコミ受けが良くて国民的にかなりポイントを上げてきているとみる。

今回の件の第一報を朝日新聞より先に報道したNHKは、肝心な部分を黒塗りにして何のニュースか分からなくしてしまった。

官邸の手のまわった経営サイドに止められたというもっぱらの評判だ。

■しかし、ここに来て論調は、内閣府の調査結果って。。。。という感じになってきている。

それは読売のネット記事にも言えることで、文科省の良心的叛逆が逆転の一打を放ったといっていいだろう。

今から謝ります。

文部科学省の皆さん、侮辱してごめんなさい。

そして、頑張ってください。

応援しながら見守っています。

                     <2017.06.17  記>

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2017年6月15日 (木)

■【映画評】『美しい星』 原作・三島由紀夫。僕らが信じるものすべてが妄想だとしても。

ハチャメチャな話で訳が分からない映画なのだけれど、実はとても深い。けれど、その深さの先にさらに美しく、いとおしいメッセージが込められているのだ。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.106  『美しい星』
           原作:三島由紀夫 監督: 吉田大八 
      公開:2017年5月
      出演: リリー・フランキー、亀梨和也、橋本愛、中嶋朋子 他

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■あらすじ■
中年の気象予報士が、ある日不可思議な体験をし、自らが火星人であることに目覚め、このまま地球温暖化が進めば地球は滅びると叫び始める。時を同じくして就職できずに即配バイトで凌いでいた息子は水星人に、大学生の娘は金星人であることに目覚める。一方、母親は地球外惑星人であることに目覚めることはなかったが、美味しい水のマルチ商法に巻き込まれ。。。。

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■父と息子と娘は不思議な体験をして、それぞれ火星人、水星人、金星人であることに目覚めるのだけれど、どう考えても妄想だ。

父親は気象予報士として時代遅れになっていて、若くきゃぴきゃぴした予報士に取って代わられようとしていることに薄々気が付いているし、フリーターの息子はうまくいかない人生に虚しさを感じているし、美しすぎることがコンプレックスで娘は他人と素直に関わることが出来ない。

宇宙人であるという妄想は、そんな人生からの逃避と見るのが妥当だろう。

一見、専業主婦として淡々と生きているはずの母親も、ちょっとしたきっかけでマルチ商法の伝統師として目覚めてしまう。

むしろ、その姿がよくある話で、父親と息子と娘は母親の姿のカタチを変えた比喩とも言える。

■ところが、政治家の秘書をしている謎の男の登場で、物語はおかしな方向へと流れていく。この男、どうやら本当の宇宙人なのである。

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男は、彼らを惑星連合の宇宙人だと認めた上で、地球を「美しい」と考えるのは人間であるのに、地球が本当に美しいのは人間の文明がない状態であるという矛盾を説く。

かなりの改変を加えているであろう三島由紀夫の原作のたぶん一番のエッセンスがここに集約されているのだろうと感じる。

その言葉は人間のおごりへの警句である。

そして、僕ら平穏な日々を暮らしている人間が当たり前のものとして信じている「日常」が、実は妄想に過ぎないのだ、という恐ろしい真実を告げているようにも思えてくるのだ。

この家族は、自分たちが宇宙人であることに目覚めるという妄想にとらわれているように見えて、その真実に気が付いてしまったのではないか。

そういう逆説が突如として立ち上がってくるのだ。

■けれども、その真実が本当のことであるかどうかはこの映画の本質ではない。

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詐欺師のストリートミュージシャンに妊娠させられた娘を気遣う、そして死を突きつけられた父親を気遣う家族の姿、そこに本質があるのだと思う。

この世界が僕らが勝手に思い込んだ妄想であってもなくても、そんなことはどうでもよくて、それでも確かなものは家族なのだ、この絆は決して妄想ではないのだ、そういった希望がそこには込められているのだと思う。

家族賛歌、実はそういう映画だったのだと改めて気づくのであった。

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                      <2017.06.15 記>

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【原作】『美しい星』 三島由紀夫
  
 
■STAFF■

監督  吉田大八
脚本  吉田大八、甲斐聖太郎
原作  三島由紀夫
製作  依田巽
音楽  渡邊琢磨
撮影  近藤龍人
編集  岡田久美

■CAST■
大杉重一郎〈53〉  - リリー・フランキー
             気象予報士。火星人
大杉一雄〈27〉    - 亀梨和也
            重一郎の息子
            メッセンジャーをしているフリーター、水星人
大杉暁子〈20〉    - 橋本愛
            重一郎の娘。大学生、金星人
大杉伊余子〈49〉  - 中嶋朋子
            重一郎の妻。専業主婦、地球人
黒木克己〈49〉   - 佐々木蔵之介
            鷹森の第一秘書
今野彰       - 羽場裕一 - ニュースキャスター
中井玲奈     - 友利恵 - アシスタント気象予報士
加藤晃紀     - 川島潤哉 - プロデューサー
茂木潤      - 板橋駿谷 - ディレクター
長谷部収     - 坂口辰平 - アシスタントディレクター
鷹森紀一郎   - 春田純一 - 参議院議員
三輪直人    - 武藤心平 - 鷹森の第二秘書
竹宮薫     - 若葉竜也 - ストリートミュージシャン
イズミ      - 樋井明日香 - ストリートミュージシャン
栗田岳斗    - 藤原季節 - 大学生
丸山梓     - 赤間麻里子 - 水のマルチ商法に伊余子を誘う

 

●●● もくじ 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●

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■【社会】「共謀罪/テロ等準備罪」法可決。議論無くして民主主義なし。「良かれ」が独裁に変質していく仕組みについて。

夜通し国会明けの今朝、「共謀罪/テロ等準備罪」が可決された。

参議院法務委員会での採決を省略して本会議でさせるという異例の対応だ。

これは、どう考えても長引く加計学園問題の早急な幕引きが目的で、首相官邸の目論見通り、18日には国会は閉会となる見通しである。

20170615

■国会って一体なんだろう。

多数決で決めるだけならば、「議会」なんていらないだろう。

民主主義の本質は、多数決ではなく、多様な意見を議論によってお互いに理解し、その上で最良の選択をしていく、その点にある。

議論こそが民主主義の要なのである。

「共謀罪/テロ等準備罪」のような、正体の分からない法案についてはまさに議論をしつくして疑問や問題点を明らかにしたうえで、その対応も含めた修正を加えつつ決めるべきものだと思う。

それを「政権の安定」や、「都議選への影響」などといったことで蔑ろにすべきではない。

そこにあるのは民主主義の死である。

■与党が衆参両議院で過半数をとったことがすべての原因である。

「独裁」を生む土壌がそこに生まれたのだ。

初めから「独裁者」になろうとする人間はいない。

自らの思うままに権力を行使できる、その状況が「独裁者」を生むのだ。

安倍晋三が独裁者だといっているわけではなく、首相官邸を中心とした「政権」自体が「独裁」に染まろうとしている、そういうことだ。

■ヒトラーが率いたナチスドイツは初めから独裁だったわけではない。

当時のドイツの民主的ルールに基づいて国民に選ばれた政権だ。

しかし第一次大戦での敗戦の屈辱と経済の疲弊が、彼らを求め、絶大な力を与えてしまった。

その絶大な権力が暴走を生んでいく。

それは戦前の日本帝国軍にも言えることだろう。

天皇直結の組織である日本帝国陸海軍は政権によるコントロールを受けない。

エリート集団の陸海軍は馬鹿ではない。けれど、かれらの「良かれ」は、「組織の良かれ」に変質していき、日本を破局へと導いていった。

そう物事は単純ではないせよ、その側面が強いことは事実だろう。

■衆参の過半数を抑え、どんな法案でも可決できるパワーを得た安倍政権に怖いものはない。

彼らは彼らなりに日本という国のことを考え、「良かれ」と思って行動しているのだろう。

そこを否定するつもりはない。

けれど、その「良かれ」を実現するためには、その前提となる自らの組織とその権力の維持が不可欠であり、次第にそれが目的化していく。

安倍政権が打ち出す政策は独善的で押し付けがましく気に入らないのだけれど、ここに至り、今回の件は、「権力を守ること」が目的化してしまったという点で、とても重要なターニングポイントだったと思う。

■NHKも読売新聞も政権翼賛機関になり果てた。

文部科学省も行政機関の誇りを棄てて久しい。

これもまた「組織維持」の力である。

自民党という組織も含め、こういった「組織維持」の構造のなかで本質的意味が崩壊していくのだ。

ジャーナリストの誇りも、国家公務員の矜持も、政治家の志も、その地位を失えば意味がない。

その本末転倒が当たり前のように蔓延していく。それもしかたがないことなのかもしれない。

■けれど、そのことを考えるとき、わたしは2015年の自民党総裁選に立候補した野田聖子議員の「義を見てせざるは勇無きなり」というセリフを思い出すのだ。

20170615_2

組織から外されようが、その結果、家族を路頭に迷わせようが、自らの誇りや矜持や志を守るためなら、それらはかなぐり捨てる。

ジャーナリストも、国家公務員も、政治家も、そういう気概がある人間がもっといていいのだと思う。

民主主義を守るのは国民だ、という正論はその通りだと思うが、はやり得られる情報も取れる行動にも限界があって、物事の背景にある一次情報にアクセスが出来、アクションの方法論を知った彼らが立たなければ、はやり時代は動いてはいかないのだ。

野田聖子に続いて一歩を踏み出す人間が増えていくことをこころから望む。

                       <2017.06.15  記>

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