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2017年4月

2017年4月28日 (金)

■【書評】『戦争にチャンスを与えよ』 エドワード ルトワック。 平和を維持したいならば、戦争に正面から向き合って、常識の逆を行く大戦略を取らなければならない。

ルトワックっておじさん、面白い。かなり気が合うね。

■エドワード・ルトワック、1942年ルーマニア生まれ。米戦略国際問題研究所(CSIS)、上級顧問。軍務経験もある戦略家、歴史家。ホワイトハウス国家安全保障会議(NSC)のメンバーも歴任。その言葉には、現場に実際に立ち会った人物ならではの説得力がある。

本書での彼の主張のポイントは2点。

■ひとつは、戦争には役割がある。ということ。

一旦始まった戦争は、経済的、軍事的に双方が疲弊して継続が困難になるか、一方が完璧なダメージを受けるかするまで収束しない。

そこで講和が成り立ち、はじめて廃墟のなからの復興と平和がはじまるのだ。

ところが、第二次大戦後、特に冷戦終結後の世界は、国家間の紛争や内戦に対し積極的に介入し、無理な停戦や難民キャンプの設置に奔走してきた。

国連や、NGOのこういった行為は、たとえ「善意」に基づくものであったとしても、それは「害悪」であると著者は断罪する。

戦争の原因が解消されないままでの停戦は本質的な問題を解決しないから、戦争の火は消えない。停戦はむしろ双方の軍事力の回復を促して次の火種を大きくする。

一見人道的と思える難民キャンプは、難民が拡散して各地での定住と新しい生活を歩みだすことを阻害し、「難民」の恒久化をおこなうだけでなく、テロリストの温床になってしまう。

60年続くパレスチナの難民キャンプとテロ組織、停戦が継続するだけで全く復興の兆しの見えないボスニア、ツチ族を保護すべく国境近くに難民キャンプを作ったためにそこを拠点とした反攻を助長して民族同士の殺し合いを拡大させたルワンダ。

戦争は悲惨で目を覆いたくなるものだが、回避不能の軋轢を破壊によって生産的に解消する機能をもっているのだ。

その機能が機能として完遂するまえに、無理にそれを止めてしまえば、軋轢はいつまでも継続し、結局はさらに多くの人命が失われ、国の回復も望めない。

悲惨な戦争や虐殺は目を覆いたくなる。

けれども「おせっかいな」人道主義は、かえって人を殺すのである。

■もうひとつは、「戦略」の世界では人間的な常識の逆が正解となる、というパラドキシカル・ロジック(逆説的論理)だ。

戦争は平和を生み出す、平和は戦争を誘発する。

平和に暮らすわれわれにはなかなか納得がいかない話だ。

何しろ戦争はいけない。

その意識が不必要な介入によって関係のない他国の戦争を長引かせ、泥沼に引き込む。

けれど、ここでさらに重要なのは、その意識は「われわれは戦争に巻き込まれない」という根拠のない確信だ。

北朝鮮が弾道ミサイルを開発しても、小型核爆弾を開発しても、「たぶん大丈夫だろう」とどこかでたかをくくっている。

今の状態がいつまでも続くに違いない。

それが人間の基本的な思考回路なのだ。

けれども、冷徹に計算すれば、戦争のリスクはかなり高い。その「リスク」の原因を取り去る行動を起こすことが、ここが逆説的であるのだが、「戦略的」に平和を維持するためには必要なことだということなのだ。

■ルトワックが立つ「大戦略」では、何よりも「同盟」を重視する。

個別の戦いで勝利を得たとしても、大日本帝国やドイツ帝国のように意味のない同盟しか持てなかったならば、とうてい最終的な勝利を勝ち取ることはできない。

それは各国の思惑を感情レベルで理解し、本当に求めていることは何かをつかむことだ。

本書で述べているわけではないが、例えば、太平洋戦争前の日本で言えば、日本は真珠湾攻撃をかけた時点で負けである。

山本五十六は「一年間は暴れまわって見せましょう」と言ったそうだが、その間にアメリカとの講和ができるという甘い考えを持っていたのだろう。

ハルノートが日本に対する最後通牒のように言われるが、アメリカは実はかなり譲歩していて満州の権益まで捨てろとは言っていない。

中国全体への進出が、アメリカの「俺のメシを取るな!」という逆鱗に触れたのである。

逆に言えば、中国の一番おいしいところはアメリカに譲る、という態度さえとれば、世界を敵にした戦争に突入することはなかったのである。

そこさえ間違わなければ、最終的に良かったのかどうかはわからないが、帝国日本はまだまだ行けた可能性がある。

■ルトワックは事実のみを述べる。

勘違いしてしまいそうだが、戦争礼賛では決してない。

「戦争はこの世に実在し、戦争が持っている機能というものがある。」

と言っているだけだ。

むしろ最大の努力をもって戦争を回避せよ、と言っている。

そのための同盟戦略だ。

同盟を構築するために必要なのは、また、敵対する国との戦争を回避するためには、相手の国の思惑を理解すること。

北朝鮮問題でいえば、アメリカと中国と北朝鮮とロシアの思惑だ。

中国、ロシアの本心を理解するほどの情報をわたしは持ち合わせていないが、アメリカと北朝鮮に関しては明白だ。

アメリカは、アメリカ本土に届く核兵器は絶対に許さない。

北朝鮮は、金王朝の維持の保証。

極めてシンプルだ。

ならば、日本はどうするべきなのか。

日本が譲れないのは、経済の安定の意味も含めた平和の維持、そして拉致被害者の安全な帰国である。

感情をいったん置いてみて、リスクとチャンスを整理したならば、日本が取るべき戦略は明白だろう。しかも、その役割は日本にしかできないものなのだ。

今、安倍首相はロシアを訪問している。

帰国後の動きに注目したい。

 

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                     <2017.04.28 記>



■難しそうだが、こちらにも挑戦してみようかと思う。
戦争だけでなく、日常の交渉に役立つと思うからだ。


■ルトワックによればヨーロッパは滅亡する。それは、難民とかEUとかそういうことだけではなく、根幹の部分で「イーリアス」のこころ、「男は戦いを好み、女は戦士を好む」というこころを偏狭な自由主義の蔓延によって失ったからだという。つまり「活力」の喪失である。ルトワックは爺さんだが、かなりモテそうだ。私もそういう男でありたい。


■この間、この幼女戦記のアニメをやっていて、またミリタリー少女ものか、となんとなくみていたのだが、これがかなり毒のある戦争論であり、このオタクじじいが!という嫁の冷たい視線をものともせず、すっかりはまってしまった。さすがに本まで買うのは抵抗があるけど、、、、。

■過去記事■
■【書評】ひつじの本棚 <バックナンバー>1
 

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2017年4月26日 (水)

■【社会】北朝鮮危機。「まあ、大丈夫だろう」と、何もしないのが最悪の選択肢。ルトワック博士の日本への提言。

■25日の北朝鮮の軍の創設記念日には結局、核実験もミサイル発射もなく、胸をなでおろした金融市場は高騰している。

しかし、本質的な問題はまったく解決しておらず、緊張はますます高くなっていくばかりで、「まあ、大丈夫でしょ」という根拠のない楽観論は取返しのつかない悲劇を避ける努力を怠るという意味で犯罪的であるとすらいえるだろう。

■今の状況を動かす3人の主役を表すキーワードは「面子」である。

北朝鮮の金正恩の権力の正統性を維持し続けるためには「面子」を守り続けるしかないし、一方のトランプ大統領も政権初期にしては異例の低支持率を挽回するためにアメリカ人らしいガッツを見せて結果を残さなければならない。さらに中国の習近平も権力の移譲を前に「面子」を失うわけにはいかない。

そんな面子の三竦みのなかで事態は進行していき、もはや戻ることの出来ない地点にまで来てしまったようにも見える。中国による経済制裁が実効性のあるものとして行われたとしても、アメリカが求める「核実験の停止と査察受け入れ」、「ICBM開発の廃棄」というゴールにたどり着くことはないだろう。それは、北朝鮮が負けを認めることと同義であり、金王朝の「権威」を地に落とすことと同義であるからだ。

この数か月のうちに戦争が起こらなかったとしても、事態はむしろ本質的解決を先延ばしにしたまま、爆弾が中国を巻き込む形で大きく成長していくことになるのは目に見えている。

■そんななかで、ある記事を目にした。

戦略家で元ホワイトハウス国家安全保障会議のメンバーであったエドワード・ルトワック博士の提言だ。

Rutowakk_2

(文春新書の新刊『戦争にチャンスを与えよ』の宣伝記事)http://bunshun.jp/articles/-/2191?page=1

この太い腕をみればわかるように彼は単なる学者ではなく、軍人として作戦にも参加したことのある実践家だ。

そのリアリストの主張の要点は、「戦争はその火種が消えるか、一方が完全な消耗に至るまで収束しない」という点だろう。

その結果、戦争状態下では、平和を回復しようとする努力はむしろ戦争を長引かせ、被害を拡大させることになる、ということだ。

戦争反対、というのは正しいけれど、悲しいことに世の中には戦争は実在する。

あるものに「反対!」といったところで意味不明で、どうやればそれを避けられるのか、どうやればそれを早期に収束させられるのか、ということこそ、きわめて具体的にリアリスティックに語られるべきことなのだ。

■では、今回の北朝鮮危機についてはどうか。

ルトワック博士は日本が取るべき道について、「何もしないのは最悪の選択」としたうえで二つのオプションを提示している。

ひとつは降伏戦略。

北朝鮮の意図は金王朝の安定的継続をいかに確保するかにある。

それを全面的にみとめ、日本からの送金も物資も全面的に許可し、六本木に豪華な大使館を作ってしまえ、というのだ。

あり得ない!

というオプションではあるが、心情的問題を排除してしまえば、論理的には筋は通っていて実現可能なオプションであるところが面白い。

■もうひとつのオプションは先制攻撃戦略。

相手が打って出る前に、とっとと消し去ってしまう、という作戦だ。

もちろん、北朝鮮も反撃するから、日本本土へのミサイル着弾(化学兵器も含め)も十分に考えられるし、こちらも多くの血を流す可能性があることを覚悟しなければならない戦略である。

日本は現時点でこのような打撃力はもたないから、実際には米軍の作戦に承認を与えるという政治的決断を意味することになる。

実際には1000発のトマホークを北朝鮮の各拠点にぶち込みつつ、何箇所かの金正恩の隠れ家と思しきところにバンカーバスターを投下。同時にネイビーシールズを送り込んで金正恩の死を確認する、という段取りになるだろう。

初動の段階で、どれくらいの反攻を許すかが問題で、ソウルは無事では済まないだろうし、破壊を逃れた移動式ミサイルによって日本本土に被害が及ぶ可能性も高い、そういうシナリオである。

■あまりにも極端で、どちらも取りにくい選択である。

けれども逆に言えば、もうそれくらいしか手は残されていない、ということだろう。

大切なのは先をにらんだ選択を行うことだ。

朝鮮半島が安定する未来についてのありうる姿は、やはり二つ。

金王朝を国際社会のなかに受け入れてともに歩む決意をすること。

金王朝を完全に削除して、金正男の息子を立てるなりをして、新しい政権を樹立させること。

この二つの安定的未来につながるのが先の「降伏戦略」と「先制攻撃戦略」だ。

選択肢の中身だけで判断をしてはいけない。その先を見なければ判断をあやまってしまうだろう。日本はこういう戦略的判断はへたくそのように見えるので非常に心配だ。

いや、むしろ日本が取りそうなのは、ルトワック博士が最悪の選択といっている「何もしない」という道だからこそ、そこが問題なのである。

■アメリカは韓国国内にTHAADの配備を開始したようである。

THAADの長距離レーダーの配置は中国の腹の中を直接覗き込むような行為であって、中国にとっては戦術的には到底受け入れられないことである。

中国がアメリカとの戦争を回避すべく、わざと自分の腹を覗かせるという高度な戦略的政治判断をしなければ、いま北朝鮮の対応で同じ方向を向いているトランプと習近平が再びたもとを分かつことになりかねない。

今、北朝鮮に対して経済制裁のみでいこうとするならば、金正恩が先制攻撃の手に出る可能性(かつての大日本帝国がそうだったように)が高まるだけでなく、米中の疑心暗鬼が将来の戦争の範囲を拡大してしまう、という事態を導いてしまう。

安全策としてありうるのは、表向きだけの中途半端な制裁で金正恩を生き延びさせるという道だが、それは今までの道のりであって、それがアメリカへの直接打撃の能力獲得まであと一歩という今の事態を引き起こしたことを考えれば、それこそ最悪の選択となるだろう。

■トランプ大統領は良くも悪くも、決断し、実行する人物のようである。

Xデイは、さほど遠くないのかもしれない。

そのなかで日本はどういう道を選ぶのか、或いは、当事者であるにも関わらず蚊帳の外に置かれてしまうのか、 どうも後者のような気がしてならない。

アメリカの利益と日本の利益は同じではない。

だからアメリカの決断には絶対に日本は関与すべきである。

ことの性質上、表には出るはずのないこの交渉ができる人材が日本にはいるのだろうか、ただただ祈るばかりである。

                  <2017.04.26 記>

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2017年4月25日 (火)

■【映画評】『沈黙 -サイレンス-』 神はどこに居ますのか。

映画とは、ここまで強い力を放つものなのか。

スコセッシは天才である。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.103  『沈黙 -サイレンス-』
           原題: Silence
          監督: マーティン・スコセッシ 公開:2017年1月
       出演:  アンドリュー・ガーフィールド   窪塚洋介  他

Title

■あらすじ■
17世紀、江戸時代初期― ポルトガルで、イエズス会の宣教師であるセバスチャン・ロドリゴ神父とフランシス・ガルペ神父のもとに、日本でのキリスト教の布教を使命としていたクリストヴァン・フェレイラ神父が日本で棄教したという噂が届いた。尊敬していた師が棄教したことを信じられず、2人は日本へ渡ることを決意する。

日本に渡り、隠れキリシタンたちにかくまわれた二人だったが、代官の手により村人たちはとらえられ、ふたりの目の前でなすすべもなく残酷な手段で処刑される。

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■マーティン・スコセッシって日本人だったっけ?

ってくらいに、見事に当時の日本を再現している。

自然や風景、日本人の立ち居振る舞いや衣装、言葉遣い、といったもの全体から生まれる空気感はただ事ではない。

スタジオ中心の日本の時代劇ではとうていたどり着けないクオリティだ。

スコセッシがどれほどこだわり抜いたかが迫力をもって伝わってくるのである。

しらけずに映画を見るために、これはとても大事なことだと思う。

■さて、本編。

前半、隠れキリシタンたちが受けるあまりにも過酷な試練を通じて、信仰とは何か、というテーマが語られる。

海の向こうからたどり着いたパードレ(神父)をありがたがる隠れキリシタンたちも、集落にキリシタンがいるという嫌疑をかけられ、取り調べの代表4名を差し出せと言われれば、醜いまでに生に縋りつき、誰か他の者にそれを押し付けようとする。

これは、喜んで殉教する、というにはあまりにも過酷であるさまを彼らが見続けたためであり、そのあと、我々もそれを目の当たりにする。

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その頂点をなすのが、リーダー格のモキチが海の中で磔にされるシーンだ。

モキチは讃美歌をうたいながら3日間耐え抜き、そして息絶える。

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モキチを演じたのは、『鉄男』でコメディと狂気とバイオレンスの極地を見せつけた塚本晋也監督。

スコセッシの大ファンなのだそうで、スコセッシのための殉教者を地で行った、死の影を覗き込むような限界の撮影に身を投じた。

このシーンだけは、むしろそっちに気を取られてしまって、恐ろしさに身がすくむ、というよりむしろ、塚本監督がんばれ!という何だか妙な感じになってしまった。

正直、このまま映画に入り込めずにおいて行かれるのではという不安にかられてしまった。けれど、それはまったくの杞憂で、159分の長丁場をまったく意識することなく、ここから先はスコッセシの作りだす世界にどっぷりとはまり込んでいった。

■過酷さでいえば、ロドリゴ神父たちを案内したキチジローの過去だろう。

キチジローは踏み絵を踏んで生き延びるのだけれど、キチジローの家族はそれを拒否。彼は生きながらにして焼かれていく家族の声を聴くことになるのだ。

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神を冒涜することを拒み、地獄を覚悟したキチジローの家族は確かに殉教者である。

その家族さえ見捨て、自らの死を恐れ、神の御影を踏みにじったキチジローに信仰の影は見えない。

あまつさえキチジローはロドリゴ神父に懺悔をし、その罪を許されようとすらするのだ。

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その姿にロドリゴは戸惑いといら立ちを隠せない。

弱く、ずるがしこくうそをつき、裏切る。

しかし、そのキチジローにこそ、信仰の真の姿が隠されていて、ロドリゴはキチジローと同じ場面に立ち会ったとき、本当の神の姿を見ることになるのだ。

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■こんな理不尽な地獄に放り込まれて、それなのになぜ神は救いの手を差し伸べてくれないのか。

これほどまでに神を信じ、信仰を捧げているのに、なぜ神は沈黙し続けるのか。

ロドリゴの信仰は揺らぎ始める。

キチジローは、その迷いの象徴だ。

後半、ロドリゴはある選択をし、その最期にわれわれは、この映画の真のテーマを目の当たりにして震えることになる。

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■その一方で、幕府の論理についてもしっかりと描かれる。

代官である井上筑後守がその象徴である。

イッセー尾形が実にいい演技をしていて、迫力と真実味に厚みを与えている。

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幕府の論理は明確だ。

日本にキリスト教は不要であり、むしろ害悪である。

西洋の倫理観は日本の風土では育たない。問題はそれだけではなく、日本を侵略する尖兵としての役割をになう性質をもっている。だから排除する。

現代の日本人の歴史認識と完全に一致する。

それは、遠藤周作の原作にあるからというだけではない。スコセッシ自身がそのことを理解していないと、映像からこういう説得力は伝わってこないだろう。

底の底まで『沈黙』という原作と向き合ったのだろう。

むしろ、キリスト教徒であるスコセッシが描くからこそ、 この説得力がでるのかもしれない。

一神教の信徒でありながら、真実がひとつではなく、世界は多面的であるということを心の底から理解している。

それでもなお、その多面的な世界のなかでも、神は確かに在る。

師であるフェレイラは、ロドリゴをそこに導き、ロドリゴは神の沈黙の意味を知る。

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【原作】遠藤周作『沈黙』

 

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■ロドリゴは「転び」、キリスト教を棄てて、師のフェレイラとともに、それを取り締まる側にまわる。

神は沈黙しているわけではない。

常に、理不尽な地獄を味わっているロドリゴとともにあり、同じ苦しみを背負っているのだ。

そして、キチジローが嘘をつき、裏切る、その苦しみを自ら背負うのと同じく、ロドリゴがキリスト教を棄てた、その苦しみを背負う。

苦しみや罪を背負う、それがキリスト教の救いなのだという教科書的な理解は、この159分の物語を経て、実感を伴った理解へと昇華する。

行為として神を裏切ったとしても、その苦しみを神にゆだねる限りにおいて、信仰は生きている。

ラストシーンの瞬間、キリスト教というものが体に染みわたってきたような気がした。

それは一神教は自分にはまったく合わない、理解できないと思い込んでいた自分にとって衝撃的な瞬間であって、スコセッシが25年間温めてきた念願は、そこに確かに完成していたのである。

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                      <2017.04.25 記>

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■STAFF■
監督   マーティン・スコセッシ
脚本   ジェイ・コックス
      マーティン・スコセッシ
原作   遠藤周作 『沈黙』
音楽   キム・アレン・クルーゲ
      キャスリン・クルーゲ
撮影   ロドリゴ・プリエト
編集   セルマ・スクーンメイカー


■CAST■
セバスチャン・ロドリゴ神父 - アンドリュー・ガーフィールド
フランシス・ガルペ神父 - アダム・ドライヴァー
通辞 - 浅野忠信
キチジロー - 窪塚洋介
井上筑後守 - イッセー尾形
モキチ - 塚本晋也
モニカ - 小松菜奈
ジュアン - 加瀬亮
イチゾウ - 笈田ヨシ
クリストヴァン・フェレイラ神父 - リーアム・ニーソン 
ヴァリニャーノ院長 - キーラン・ハインズ 
遠藤かおる
井川哲也
PANTA
松永拓野
播田美保
片桐はいり
山田将之
Tomogi Wife - 美知枝
伊佐山ひろ子

 

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2017年4月24日 (月)

■【ドラマ評】『フランケンシュタインの恋』第1話。これは叶わない恋の話なのか、それとも。

ちょっと気になるドラマだったのだけど、いやー、いい感じの変化球で、なかなかいい感触です。

Photo

【ストーリー】
農学部の学生の継実(つぐみ)は、酔わされて山に連れ込まれてしまったところを、謎の男に助けられる。その男は医学者である父親に120年前に生き返らされた人造人間なのだと告げる。

■人造人間、或いは怪物が、純真な少女と出会って恋に落ちる、なんて話はごまんとある。

このドラマもその系統かと思いきや、いやいや、たぶんその通りなんだけれども、どうやら一筋縄ではいかなさそうな、いい予感に満ち溢れている。

話の筋は、はっきり言って、突っ込みどころ満載で、でもそこを完全に開き直っているような潔さがあって、そのせいか、あまり気にならない。

気になるのは、「フランケンシュタイン」と銘打っておきながら、実は「マタンゴ」であるとにおわせているところなのである。

■はじめから、キノコは匂わせていた。

けれど、あの第1話のラストを見てしまうと、ああ、これはキノコドラマなのだと確信に至る。

中盤、大工のおねえさんが「怪物」が寝ていた布団をはぐと、そこに大量のシメジが生えているシーンがあるのだが、

おねえさん、そのシメジを食べてはいけない!

キノコ人間 マタンゴになってしまうぞ!

ってな感じで、もうマタンゴなしにはこのドラマは語れない域に達しているのだ(笑)。

■音楽は、ドラマ版『妖怪人間ベム』で独特の世界観を築き上げたサキタハジメ。あのもの悲しい感じが、触れる者にキノコを感染してしまう悲劇性を盛り上げていくのだろう。実によく合っている。

今後、感染パニックものになる可能性もあるし、ラジオをからめた異物排除の社会派ドラマになる可能性もある。

まあ、最後には、怪物と継実との時間を超えたラブストーリになるんだろうけど。

でも、、、キノコ人間じゃねえ~www  by 筋肉少女帯

                      <2017.04.24 記>

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なおテーマ曲の「棒人間」は、前前前世から僕は♪のRADWIMPS。

『君の名は。』の楽曲とはまた違った味のある曲で、これまた聞かせます。

 

<参考記事>
■【書評】 『フランケンシュタイン』メアリ・シェリー著。それでも生きていく理由。

■STAFF■
脚本 - 大森寿美男
原作 - メアリー・シェリー 「フランケンシュタイン」
演出 - 狩山俊輔、茂山桂則
音楽 - サキタハヂメ
主題歌 - RADWIMPS「棒人間」
キャラクターデザイン - 澤田石和寛

■CAST■
綾野剛
二階堂ふみ
柳楽優弥
川栄李奈
新井浩文
光石研
柄本明

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2017年4月19日 (水)

■【映画評】『LION/ライオン 〜25年目のただいま〜』 「事実」は必ずしも「真実」を映さない。

もちろん、泣きましたよ。でもね、ちょっと薄っぺらいんだよなあ。

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No.102  『LION/ライオン 〜25年目のただいま〜』
           原題: LION 
          監督: ガース・デイヴィス 公開:2017年4月
       出演: デーヴ・パテール  ルーニー・マーラ 他

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■あらすじ■
インドの貧しい町に住む5歳の少年は駅で兄にはぐれ、迷い込んだ回送列車で遠く離れた町で迷子になってしまう。孤児院に収容された少年はオーストラリアの夫婦に引き取られ、立派な大人に成長する。しかし、あるきっかけで故郷でいまだに自分を探しているはずの母と兄の記憶がよみがえり、Google Earthを使って生まれ育った町を探し始める。

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■迷い込んだカルカッタの街は、サル―のような孤児が山のようにいて、人さらいも横行、孤児院も孤児であふれかえりひどいありさま。

このあたりが、どこまで1990年頃のインドの真実のどこまでを表しているのか分からないけれど、かなりの迫力と説得力をもったパートだ。

インドの空気に触れたいというのが、この映画を見た理由のひとつだったので、その意味では満足である。

後半は、青年になったサル―が、25年前の別れを思い出し、故郷にたどり着くまでを描くのだけれど、Google Earthを使ってそこに迫る4年の月日と、それに寄り添う彼女の甲斐甲斐しさがアクセントとなり、ストーリーとしては申し分ない。

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本作は実際にあったことをもとにしたストーリーである。

その事実もあいまって、終盤、サルーがGoogle Earthで幼いころの記憶を取り戻していくシーンや、母親との再会のシーンは、否が応でも感情は盛り上がり、ほとんどの観客は頬を涙で濡らすことになる。

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■うまくできた話だし、実話だし、感動するし。

だから評判も実にいい。

けれど、私は思ったほどには心を動かされなかった。思いっきり心の準備をしていたにも関わらずである。

何故か。

要するに薄っぺらなのである。

泣いておいて何を、というところだが、涙を流すことと話の厚みによる深い感動はまったく別の話なのだ。

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■ポイントは、サルーを引き取ったオーストラリア人の夫婦との関係にある。

使命感に突き動かされて生きるこの夫婦は、インドの孤児が置かれている状況に心を痛め、実際に自分の子供をつくることができるにも関わらず、それをあきらめ、サルーと、もうひとり、自閉症気味のマントッシュを引き取った。

そして二人にあふれるような愛を注ぎ、大人になるまで育て上げたのだ。

実にいい話なのだけれど、まともな生活を送ることができないままマントッシュは今、幸せなのか、一見、立派に育ったサルーも、結局、自分の過去に引きずられてしまうのだけれど、奇跡的に故郷にたどり着いたにせよ、そこに至るまでの彼は幸せだったのか。

妻はアル中の父親との過去があり、心に深い傷をもっている。

それゆえの使命感。

でも、それはみんなを幸せにしたのだろうか。

■インドには何万人もの孤児がいて、その中から二人を救い出し、不自由のない生活と愛を与える。

やれることからやっていこう、という行動主義的観点からみれば、「正しい」ことだろう。

決して、意味がないとか、自己満足だとは言うまい。

けれども、サルーにとってみればマントッシュへの愛着と、その自閉症的なコントロール不能な部分に対する苛立ち、そして自我か確立していくなかでの育ての親に対する過剰な反発。そんな、とっても大事な部分がほぼすっ飛ばされている。

そこに直面した両親の心の葛藤は通常の親よりもかなり複雑なものであるはずで、そこを描かないで、どうする、ということだ。

■確かに、成人したマントッシュの存在は、そういった家族の過去を映し出す役割を果たしてはいるが、そういった葛藤をマントッシュに押し付けてしまい、サルーは、きわめて「よいこ」で、彼の危機は過去の自分に集約されてしまう。

この単純化が、物語をきわめて底の浅いものにしてしまうのだ。

育ての父も、母も、サルーも、いい人過ぎるのである。

要するに「お行儀がいい」。

たぶん、これが「事実」に基づいた物語であり、関係者が今まさに生きている、そのことによる限界なのだろう。

「事実」を連ねても、「真実」は見えない。

この家族の「真実」を見ようと思えば、触れられたくない部分に分け入っていかなければならない。

その「真実」が、人の心を動かすのだ。

■そういう意味で、実の兄のグドゥは、「事実」しか並べられていないにも関わらず、深く、その「真実」が伝わってくる。

実の母との対面で知った、グドゥの「真実」は、観る者の心に深く突き刺さる。

たぶん、この映画で一番心を動かされたのは、このシーンだ。

「真実」は、人生のリアルを感じたときに、観る者それぞれの心の中に生まれるものなのである。

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                      <2017.04.19 記>

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■STAFF■
監督 ガース・デイヴィス 
脚本 ルーク・デイヴィーズ
原作 サルー・ブライアリー、ラリー・バットローズ
 『25年目の「ただいま」 5歳で迷子になった僕と家族の物語』
音楽 フォルカー・ベルテルマン、ダスティン・オハロラン
主題歌 「Never Give Up」(シーア)
撮影 グリーグ・フレイザー
編集 アレクサンドル・デ・フランチェスキ


■CAST■
デーヴ・パテール    - サルー・ブライアリー
サニー・パワール   - 幼少期のサルー
ニコール・キッドマン  - スー・ブライアリー
ルーニー・マーラ     - ルーシー
デビッド・ウェナム     - ジョン・ブライアリー
ディープティ・ナヴァル
ディヴィアン・ラドワ

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■【映画評】『スウィングガールズ』 リアルとつながっている成長物語が生み出す一体感は、清々しく健康的で、気持ちいい。

音楽部で管楽器をやりたいって言いだした中一の娘と見るべくスウィングガールズを借りてきたんだけど、親父の方がノリノリになってしまって・・・(笑)。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.101  『スウィングガールズ』
          監督: 矢口史靖
       公開:2004年9月
       出演: 上野樹里 貫地谷しほり
          本仮屋ユイカ 豊島由佳梨 平岡祐太 他

Title

■あらすじ■
東北の田舎の高校。夏季補講を受けていた女子生徒たちが高校野球の応援に行った吹奏楽部にお弁当を届けるという口実で出かけたが電車を乗り過ごしてしまい、猛暑のなかで腐敗した弁当を食べた吹奏楽部は全員食中毒になってしまった。次の試合の応援のために急遽吹奏楽団のメンバーをつのったのだが。。。

■面白い。

ジャズビッグバンド結成からラストの演奏会までのマンガのような展開には、何度も腹をかかえて笑ってしまう。

上野樹里は本作で映画デビューなのだが、もうすでに上野樹里としてすっかり出来上がっていて、演奏会のビデオのくだりなんかはもう、上野樹里でしかありえない面白さがにじみ出ている。

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彼女だけでなく、矢口史靖の脚本はすべてのメンバーを笑いのなかであたたかく輝かす。

青春映画の天才なのかもしれない。

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もとバンド兄弟のシーンは完全につぼにはまって腹がよじれるかと思った。。。

■さて、ジャズである。

公開当時に話題になったのは覚えているのだけど、ほぼ全員が素人で、各リーダーについてはまったくの未経験者だったとは知らなかった。

それなのに、5月に特訓を始め、8月にはラストシーンのセッションを取り終えたというのだからびっくりしてしまう。

それくらいにうまい!

みんなノリノリで演奏していて、見ていて楽しいし、かっこいい。

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■矢口史靖監督は、素人を集めて全員に実際に演奏してもらう、ということを初めから決めていいたのだという。本物かどうかは、見ている人にはすぐにわかる。本物でなければ観客を惹きつけることはできない、と考えたのだそうだ。

まさにそれ。

まったく違和感なく彼らの成長に寄り添うことで、観る者はいつの間にか彼らを応援する気持ちになってしまう。

この映画の周囲の大人たちや仲間たちが演奏会の会場に集まって彼女たちのセッションを楽しむ姿は、われわれ観客と地続きであり、そして、あのスウィングに身も心も踊ってしまうのである。

『幕が上がる』で「ももクロ」の成長が描かれたように、あるいは『ラブライブ!』のように、この構造は今やヒット作品のひとつの型となっているが、その先鞭をつけたのは『ウォーターボーイズ』と本作を手掛けたこの矢口史靖監督なのである。

このリアルとつながっている成長物語が生み出す一体感は、清々しく健康的で、実に気持ちいい。

その一体感こそ、音楽の「楽しさ」であり、それ故に、そういったあらゆる面での相乗効果によってこの映画は観るものを「スウィング」させる。それは同じジャズを扱った映画『セッション』の「凄み」とは対局に位置するものだといえるだろう。(もちろん『セッション』も大好きだけれど。)

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■演奏会。

メガネ女子の関口によって焦りと緊張から我を取り戻したメンバーの演奏は観客の心をつかむ。

音楽って、楽しい。

どの音楽も楽しいのだけれど、ジャズって、本当に楽しい。

ついつい体をゆすってしまい、どぅんどぅどぅん、ぱっ、ぱ――!なんて口ずさんで、一緒にのってしまいたくなる。笑顔にさせる。

理屈じゃあない。 

そして最後の曲のシング・シング・シング。

もうこれがすこぶる、かっこいい!

こういう映画はただひたすらラストシーンのセッションを楽しむに限るのである。映画の本編はそのためだけにあったと言っていい。

娘よ!お父さんはあなたが寝た後、何度も何度も巻き戻して見てしまったよ!

いやー、ホント楽しい!!

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                      <2017.04.19 記>

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【DVD】 スウィングガールズ
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■STAFF■

監督、脚本: 矢口史靖
製作:亀山千広、島谷能成、森隆一
企画:関一由、藤原正道、千野毅彦
プロデューサー:関口大輔、堀川慎太郎
脚本協力:矢口純子(矢口監督の妻)
音楽:ミッキー吉野、岸本ひろし
バンドディレクション:山口れお
撮影:柴主高秀
照明:長田達也
録音:郡弘道
美術:磯田典宏
編集:宮島竜治


■CAST■

スウィングガールズ&ア・ボーイ
鈴木友子(テナーサックス):上野樹里 
斉藤良江(トランペット):貫地谷しほり 
関口香織(トロンボーン):本仮屋ユイカ 
田中直美(ドラムス):豊島由佳梨 
中村拓雄(ピアノ):平岡祐太 
渡辺弘美(ギター):関根香菜 
山本由香(ベース):水田芙美子 
久保千佳(アルトサックス):あすか 
岡村恵子(アルトサックス):中村知世 
大津明美(テナーサックス):根本直枝 
清水弓子(バリトンサックス):松田まどか 
石川理絵(トランペット):金崎睦美 
下田玲子(トランペット):あべなぎさ 
宮崎美郷(トランペット):長嶋美紗 
吉田加世(トロンボーン):前原絵理 
木下美保(トロンボーン):中沢なつき 
小林陽子(トロンボーン):辰巳奈都子 
  
友子の父・鈴木泰三:小日向文世 
友子の母・鈴木早苗:渡辺えり子 
友子の妹・鈴木亜紀:金子莉奈  
友子の祖母・鈴木みえ:桜むつ子 
  
数学教師・小澤忠彦:竹中直人   
音楽教師・伊丹弥生:白石美帆  
吹奏楽部の男子生徒・部長:高橋一生  
野球部の男子生徒・井上:福士誠治  
音楽教室の先生(トロンボーン)・森下:谷啓  
  
楽器店の店員:江口のりこ  
スーパー店長・高橋:木野花  
スーパーフロアチーフ・岡村:大倉孝二  
兄弟デュオの兄・高志:眞島秀和    
   山形県米沢市出身。方言指導も担当。  
兄弟デュオの弟・雄介:三上真史  
パチンコ屋店長:田中要次  
バス運転手:佐藤二朗  

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2017年4月16日 (日)

■【映画評】『ムーンライト』 月の光に照らされて黒人は美しいブルーに染まる。

美しい詩のような映画である。

物語そのものではなく、登場人物の表情とまなざしが、こころの髄に染みわたる。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.100  『ムーンライト』
           原題: Moonlight
          監督: バリー・ジェンキンス 公開:2017年3月
       出演: トレヴァンテ・ローズ  マハーシャラ・アリ 他

Title

■あらすじ■
マイアミのスラム街に育った少年の人生を、幼少期(リトル)、高校生時代(シャロン)、青年期(ブラック)、の3部構成で描く。

華奢で内またのシャロンは友達からオカマだとひどいイジメを受けていた。その姿をみたヤクの売人の元締めのフアンは彼を助ける。シャロンの母親はシングルマザーで薬物中毒であり、まともにシャロンを育てることができず、フアンは愛人のテレサとともにシャロンの面倒を見るようになる。はじめは心を閉ざしていたシャロンだが、フアンとテレサの愛情に心を開くようになっていく。

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■静かで、朴訥な映画である。

しかし、その敢えて被写体深度を浅くして焦点がぼやけた画面とカメラワークの見事さ、そして何よりマイアミの風景とそこに写り込む黒人の美しさ!それだけで十分にすばらしい映画である。その美しさが、あまり詳しく語られない黒人たちの内面を表出させ、観る者のこころに何かを深く刻み込むのだ。

はっきり言ってしまえば、結論めいたものが提示されるストーリーではない。

けれど、実際のところ、それが人生なのである。

そういう自己主張が希薄であるからこそ伝わってくる深さが、本命の「ラ・ラ・ランド」を押しのけてアカデミー賞の作品賞に選ばれた理由であろう。

■人生の輝きという意味で、ヤクの売人のフアン(マハーシャラ・アリ)が最高にかっこいい。

決して誇れた仕事をしているわけではないが、キューバからアメリカに亡命してきて、それでもつらい過去として忘れるべき故郷の母親や近所のばあさんへの想いはおき火のようにこころの深いところで燃え続けている。

近所のばあさんが、夜中に海で走り回る少年時代のフアンをつかまえて、満月の光に照らされると黒人は青い美しい色に染まるんだよ、という。

それは黒人であることへの誇り。社会的に貧しい地位に押し込められていても、黒人は本来的に美しい、という自己承認なのだ。

現実のシャロンはヤク中のどうしようもない母親と、ゲイであるかもしれないという自分への不安を抱えて、浮き上がる筋道も見えない。

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けれど、それでも黒人として自信をもって生きて行っていい。

人生は他人に決めさせてはいけない、自分で選び取り、作り出すものだとフアンは教え込む。

それが後のシャロンの背骨となり、生きていく力を与えることになるのだ。

■高校生になった第二部で、そのフアンはすでに過去の人となっている。何が起きたかについては最後まで語られない。

高校生になってもシャロンはさえないヤツで、ドレッドヘアのジャマイカかぶれの同級生にいつもいじめられている。

そんな中で幼馴染のケヴィンだけは、彼に普通に接してくれる。

友達思いのケヴィン。

しかし、それは「男同士」の微妙さを含むもので、海辺で二人きりになったときにその思いが行動として示される。

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■これを単なるゲイと言っていいのか。

ケヴィンは女も大好きなので、いわゆるバイセクシャルというべきところなんだけれども、この微妙さは、そういうカテゴライズする考え方とはまったくそりが合わない。

まさに「男同士」。

中高と男子校で育ったために、その微妙なニュアンスが分かってしまう気がして、逆にこわい。

通常は、その気持ちを押しとどめてしまうものなのだけれど、 しっかりと描いてしまう。

でも、これがないとそれに続くケヴィンの裏切りのシーンの深みも表層的なものとなってしまうから、ここで普通の男は避けて通るこの「思い」を正面からとらえたのは正解なのだと思う。

■ゲイとか、バイとか、人間は名前をつけてそれらを自分と違う別のものとして排除し、そこにも権利があるとか口では聖人ぶったことを言うのだけれど、要するに差別を区別に切り替えただけで本質的な違いはない。

実はノーマルだと思っている我々にもそういう心の動きがあって、男同士の友情があるときに、実はそれと切り離せない関係にある。

それを認める根源的な恐ろしさからの逃避なのだ。

その恐ろしさゆえに、それを真正面から認めないままに、男同士の友情には独特の深さがあるのだと思う。

だからここではっきり言ってしまおう。

この映画のテーマは決して「ゲイ」を描くことではない。もっと、もっと普遍的なものだ。

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■さて、ケヴィンの裏切りのあと、シャロンはある事件を起こして少年院に送られる。

その後の青年期のを描いた驚きの第3部についてはネタバレ以降で。

 

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

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■げーっ!

シャロンがマイク・タイソンになってる!!

たくましい肉体。金歯。バリバリにやばい黒人である。

耳たぶに輝くダイヤのピアスはシャロンは、憧れのフアンになりたいという強い思い証しである。

弱々しかったいじめられっ子が肉体改造によって自信をつけるのは、マイク・タイソンやアーノルド・シュワルツェネガーに見ることが出来る変身の王道だが、それでフアンやテレサのような強い、包み込むような愛を獲得できたかといえば、まだ道半ばなのである。

少年院の仲間に誘われてフアンと同じヤクの売人の道に入り、そこでのし上がった。

けれど心は空虚なままだ。

■そこに、テレサから電話番号を聞いたというケヴィンから突然の連絡が入る。

アトランタからマイアミに帰るシャロン。

途中で母親が収容されている施設に寄るのだが、このシーンもグッとくる。

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ヤク中でボロボロになり、クスリ欲しさに子供のカネさえむしり取る、ひどい母親であったこと。その母親を避け、見放したシャロン。

親子の間のこのどうしようもない現実は、けれども親子それぞれにとって血のつながりが決して切れない、その思いもまたどうしようのなく強いが故に、あまりにも切ない。

それを痛いほどに感じさせるシーンである。

きれいな結論はない。

どうしようもないことを、どうしようもなく描くこと、そこが人生に対する誠実さとして表れているのだと思う。

■どうしようもない想い。

それは、かつて高校の狭い社会のなかで自分の身を守るためにシャロンを裏切ったケヴィンと、それを痛いほどに理解していて、それでもその裏切りに傷ついたシャロンの二人についてもいえる。

再び出会った二人は、最終的に体を預け合って抱き合うことしかできない。

ふたりの関係は、言葉がなんとかしてくれるようなものではなくなってしまっているのだ。

まとわりつく二人の視線は、同じ「男同士」であっても、『ブロークバック・マウンテン』で描かれたような肉体で求めあい、確かめるものではない。

さらに深く、根源的な、生き別れの、そしてもう決してもとには戻ることの出来ない自分の片割れにすがりつくような、そういう切ない悲しみが、その男同士が抱き合う姿には流れているのだ。

 

■この映画には、種明かしもなければ、カタルシスに導くようなエンディングも用意されていない。

人生には、そのようなものは用意されていない。

シャロンも、ケヴィンも決して満たされているわけでも、幸せな人生に包まれているわけでもない。

けれど、他人に決められたものではない、自分で選んだ道をそれぞれに歩んでいる。

この事実ひとつが、この映画の導入でフアンが語った「美しさ」そのものなのだと思う。

世界中の万人に共通することかどうかなんて知ったことではない。

ただスラムに生きる黒人にとって、黒人は美しい、と確信をもって、それを礎にストリートでの決まりきった人生から脱却して自分の道を自らの足で歩んでいく。

そこに月の光を浴びた、本来の黒人の美しさが現れてくるのだと、このあまりにも美しい映画は語っているのだ。

ただ一言、

Black is beautiful!

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                      <2017.04.16 記>

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■STAFF■
監督   バリー・ジェンキンス
原案   タレル・アルヴィン・マクレイニー
原作   タレル・アルヴィン・マクレイニー
      ;In Moonlight Black Boys Look Blue"
音楽   ニコラス・ブリテル  
撮影   ジェームズ・ラクストン  
編集   ナット・サンダース    
      ジョイ・マクミロン  

■CAST■
大人のシャロン / 「ブラック」 - トレヴァンテ・ローズ
ティーンエイジャーのシャロン - アシュトン・サンダース
子どものシャロン / 「リトル」 - アレックス・ヒバート
  
大人のケヴィン - アンドレ・ホランド
ティーンエイジャーのケヴィン - ジャレル・ジェローム
子どものケヴィン - ジェイデン・パイナー
  
ポーラ - ナオミ・ハリス
テレサ - ジャネール・モネイ
フアン - マハーシャラ・アリ
テレル - パトリック・デシル

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■【映画評】『天然コケッコー』、みんな忘れているかもしれないけれど世界はこんなにも音と光に満ちているんだ。

これほど幸せに包まれる映画は久しぶりだ。

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       No.99  『天然コケッコー』
          監督: 山下敦弘  公開:2007年7月
       出演: 夏帆  岡田将生 他

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■あらすじ■
島根の田舎の小中学校全生徒6名の分校に東京から主人公の右田そよと同じ学年の中二の男子生徒が転校してくる。その小さな分校と小さな町での卒業までの日々を描く。

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■純朴な、かわいらしい女の子。

その子とキスをしたくて仕方がない男の子。

恥ずかしくてむずがゆく、居心地が悪くなるような、中学生の恋の物語、、、ではない。

穏やかな自然とゆったりとした人たちと分校の家族のような仲間のなかで、そよが日々を過ごしていく。ただ、それだけの物語りである。

カットに派手な演出はなく、BGMすらほとんどない。

けれど、退屈することはなく、すーっと引き付けられ、見入ってしまう。

不思議な映画だ。

■いや、むしろ、映像の演出や音楽がないことがこの映画の力強さなのかもしれない。

そよそよと流れる風。

あふれる光。

映画の音楽は、状況や心情を煽るように映像に重ねられ、観るものの心を動かすものだが、それらを一切封印して電源を落として目をつぶり、すーっと一息ついて耳をすます。

その時に広がる光景こそが、この映画のすべてなのだと思う。

田舎の日常を描いたほのぼのとした映画の顔をしているが、実はきわめて革新的な作品だ。

それも革新のための革新ではなく、みんな忘れているかもしれないけれど世界はこんな音と光に満ちているんだという強いメッセージを、そよのやさしいまなざしを使って控えめに、けれどしっかりとくりかえしくりかえし語り掛けてくる。

それにわたしは、すっかり、やられてしまったのである。

■序盤、分校の子供たちが山を抜けて海へと歩いて向かうシーン。

  
 耳に手を当ててみんさい、

 ほれ、山の音がごーごー聞こえるけえ。

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そこに、このメッセージのヒントが提示されている。

そしてさらに、そよが修学旅行で東京へ行って、人混みにあてられ、巨大な建造物群に圧倒されながらも、耳に手をあててみると、同じようにごーごーと音が聞こえてくる。

もしかしたら、ここでもやっていけるかの知れない。

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こういう映画を見て、ああ田舎はいいなあ、なんてつい思ってしまうのだけれども、そうではなくて、新宿の喧騒の中にいても、すーっと一息いれて、耳を澄ませてみれば、そこにも心を満たしてくれる音や光にあふれているのだ。

この世にあふれる素晴らしいものを聞いていないのは、見ていないのは自分自身だ、ということだ。

■終盤、卒業間際になって、そよは思う。

  
もうすぐ消えてなくなってしまうとおもやぁ、

些細なことが急に輝いて見えてきてしまう。

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■いままで自分を包んでいた幸せの一つ一つが輝きを放ち、いとおしさが増してくる瞬間。それは中学生から高校生になる、そこで失われてしまうものがあってそれが突きつけられる卒業、という場面にシンクロして最高のシーンを作り上げる。

卒業おめでとうのキスをして、ひとり教室に残る、そよ。

そして思い出のつまった教室の備品のひとつひとつに指を触れていき、最後に黒板に向かってひと際思いのこもったキスをする。

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■そよが去ったあと、カメラはゆっくりと教室をまわっていき、窓辺の暖かい光の差し込むカーテンの裾からはさくらの花びらがやわらかく吹き込んでくる。

なつかしさとやさしさとあたたかさに包まれる幸福感。

音楽の一切を廃した映像の強さはこれほどのものなのか。

今まで見たどんな芸術映画よりも、今まで見たどんなドラマチックな映画よりも、こころをに何かを満たしてくれるシーンだと思う。

いい映画を拾ったな、と、今、とても幸せな気分なのである。

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                      <2017.04.16 記>

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【DVD】天然コケッコー
   

【原作漫画】『天然コケッコー』 くらもちふさこ
読んでませんが高校進学以降の話もあるようです。
 

■STAFF■
監督:山下敦弘
脚本:渡辺あや
原作:『天然コケッコー』 くらもちふさこ
撮影:近藤龍人
美術:金勝浩一
照明:藤井勇
録音:小川武
編集:宮島竜治
音楽:Rei harakami
主題歌:くるり「言葉はさんかく こころは四角」
音楽プロデュース:安井輝
音響効果:中村佳央
漫画技術指導:あべまやこ
企画監修:鳥嶋和彦
企画:前田直典
プロデューサー:小川真司、根岸洋之


■CAST■
右田そよ:夏帆
大沢広海:岡田将生
お母ちゃん(右田以東子):夏川結衣
お父ちゃん(右田一将):佐藤浩市
田浦伊吹:柳英里沙
山辺篤子:藤村聖子
右田浩太朗:森下翔梧
田浦カツ代:本間るい
田浦早知子:宮澤砂耶
篤子父:斉藤暁
シゲちゃん:廣末哲万
松田先生:黒田大輔
美都子(大沢君のお母ちゃん):大内まり
田浦のじっちゃん:田代忠雄
右田家の祖母:二宮弘子
右田家の祖父:井原幹雄
篤子母:中村朱實
渡辺先生:渡辺香奈
岩崎先生:岩崎理恵

 

 

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2017年4月14日 (金)

■【社会】米軍、ISにMOAB投下。喧嘩上等、トランプ節炸裂。

米軍は13日、非核兵器では史上最大の爆弾とされる大規模爆風爆弾兵器(GBU-43/B Massive Ordnance Air Blast)、通称「MOAB(モアブ)」を、アフガニスタンのイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」施設に対し投下した。同爆弾の実戦使用は初めて。

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■MOABは長さ約9.1 m、重さ約9,800 kgの爆弾で、8,482 kgの炸薬があるという。デイジーカッターの後継で非核兵器としては現時点、史上最大の爆弾だ。

ナンガルハル州アチン地区にあるISのトンネル複合施設に対してMC130特殊作戦機から投下された。

ベトナム戦争で開発され、イラク戦争でも使われたデイジーカッターは「ひなげし(雑草)を刈るもの」という意味で、地上にあるものを薙ぎ払い地雷もない安全な平地を確保する爆弾である。

イラクで使用されたときは戦術核が使われたと誤認されたほどの威力を持っているという。デイジーカッターの炸薬重量は約5,700 kgだからMOABはその倍近い威力を持っているはずだ。

しかし地下施設への攻撃であれば地中貫通爆弾バンカーバスターの方が適切のような気がするが、トランプは派手さを選んだのであろうか。

■しかしまあ、シリアにトマホークを打ち込んだと思えば、ISにMOAB。

トランプのイケイケはとどまることを知らない。

15日の金日成生誕記念日直前に実施というところに意味があり、シリア爆撃が習近平との会談での圧力であったように、今回は明らかに金正恩への「何かあれば核施設にぶっこむぞ!」という恫喝である。

外交部を設定して対話の糸口を探るポーズを見せた金正恩であるが、そこに拳を振り上げて見せたわけである。

弱腰と言われたオバマでは到底考えられないやり方で、トランプの喧嘩上等は本物のようだ。

さて明日、金正恩がどう出るか。

今後の動きがさっぱり読めない。

                  <2017.04.14 記>

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2017年4月13日 (木)

■【社会】緊迫する北朝鮮、果たして15日に何が起きるか。

4月15日、金日成主席生誕105年のイベントがあり、なんらかの動きがあるのではという推測が強まっている。

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■15日には空母カールビンソンが到着、沖縄にはビンラディン暗殺に投入されたSEALsもいるようだ。

米中首脳会談、そのさなかのシリア爆撃。

トランプは「何をするかわからないエキセントリック」さを見せつけることで習近平に強烈な揺さぶりをかけている。

これを受けて中国は、次に核実験を行えば強い制裁を実施する。と北朝鮮に通告。

北朝鮮は決して戦争を望んでいるわけではない、この中国の示唆にしたがって、しばらくおとなしくして、結局なあなあのまま、事態は収束するのだろう。

■なんていう希望的観測は、今回も通じるのだろうか。

金正男暗殺の背景は何か。

と考えると、金正恩には体制を破壊される動きについてきわめて強い危機感があるのではないか、という気がしてくる。

どうも、今までの「狂ったようにみえて実は狡猾」な感じから逸脱している、そんな空気が漂っているのだ。

■4月15日、或いはそのあとのイベントで核実験やミサイル発射などをすれば、中国は追加の本格的な制裁を行うだろう。

抜け穴だらけの制裁はトランプは許さない。

そのためのシリア爆撃だし、カールビンソンの派遣だ。

しかし制裁に追い詰められた北朝鮮は、ハルノートで追い詰められたかつての日本と比べるのは適切ではないだろうが、実力行使に出る可能性は飛躍的に上がるだろう。

軍事行動を抑制するための制裁が、逆に軍事行動を促すという逃げ場のない最悪の事態になりかねない。

だから朝鮮半島の安定、日本の安全保障上、悔しいけれど本格的な制裁はむしろ逆効果なのだ。

北朝鮮がこの状況で核実験なり、巡航ミサイル発射なりを行えば、むしろ中国とアメリカの方が難しい対応を迫られることになる。

そこまで読んだうえで金正恩がどう出るか。

トランプの「エキセントリック」をフェイクとみるかどうか。

まずは4月15日、固唾をのんで見守ろう。

                <2017,04.13 記>

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2017年4月12日 (水)

■【社会】「くら寿司」無添加、イカサマくさい、の掲示板書き込み人物開示提訴、棄却される。

当然の判決なんだけど、書き込んだ人物を特定して「くら寿司」はどうするつもりだったんだろうね。

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■平成28年3月、ソネットの株掲示板に、「ここは無添くらなどと標榜(ひょうぼう)するが、何が無添なのか書かれていない。揚げ油は何なのか、シリコーンは入っているのか。果糖ブドウ糖は入っているのか。化学調味料なしと言っているだけ。イカサマくさい。本当のところを書けよ。市販の中国産ウナギのタレは必ず果糖ブドウ糖が入っている。自分に都合のよいことしか書かれていない」などと書き込みがあったのに対し、くら社側は「自社の社会的評価を低下させ、株価に影響を与えかねない」として、ソネット側に個人情報の開示を要求した。という件。

株の掲示板なので、対象企業の株価を下げるような嘘の情報を書き込めば「風説の流布」にあたり、当局への通報により金融商品取引法違反で逮捕される。

普通はこっちの選択をするはずなのだけれど、なぜか「くら寿司」を経営するくらコーポレーションは、書き込みを行った人物を開示する訴えを起こしたというわけだ。

まったく意味が分からない。

■東京地裁の判決は以下。

宮坂裁判長は「書き込みは、くら社側の違法性を指摘するようなものではない上、シリコーンや果糖ブドウ糖の使用の有無を公表していないのが事実だとしても、くら社が社会的に批判されるべきことではない」と指摘し、書き込みはくら社の社会的評価を下げるものではないと指摘した。  その上で宮坂裁判長は「念のために付け加えると、仮に社会的評価の低下がありうるとしても」と前置きした上で、(1)書き込みはくら社の表示に対する問題提起であり、公益に関わる内容だ(2)くら社は4大添加物(化学調味料・人工甘味料・合成着色料・人工保存料)以外の添加物の使用の有無はホームページなどで表示しておらず、書き込みは重要な部分で真実だ-などと認定、「違法性はない」と結論付けた。

まさにおっしゃる通り。

極めてまっとうな判決だし、くら寿司に対する批判すら行間ににじむ内容だ。

こんな要求が通るようでは、ネット上の言論の自由などあったもんじゃない。

確かに「2ちゃんねる」や「Yahoo掲示板」なんかは、無責任な書き込みがあるけれども、たとえば株の掲示板についていえば、変なことを書き込めば、すぐさま「風説の流布」だと指摘され、「通報しますた」となるわけで、それなりの自浄作用はあるものである。

こういう自浄作用、つまり自由な議論こそが民主主義の根幹なのである。

こんなことをブログに書けば、へんなとばっちりを受けるかもしれないけれど、ネットに言論を記載する者としては無視できない内容なので、しっかりと書き残しておく次第である。

                     <2017.04.12 記>

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■【社会】ユナイテッド航空オーバーブッキング問題。これが人種差別大国アメリカなのか!?

【AFP=時事】(更新)米ユナイテッド航空(United Airlines)の国内線で、過剰予約(オーバーブッキング)を理由に乗客1人が機内から強制的に降ろされていたことが、他の乗客が撮影した映像などから分かり、ソーシャルメディア上で同社に対する激しい非難が沸き起こっている。

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■乗客が撮影した動画を見ると、男性の座席に係官が覆いかぶさった瞬間に猛烈な悲鳴が上がり、その後、 意識がもうろうとなった男性が通路を引きずられていくことがわかる。また、オーバーブッキングが間違いだとわかり、戻ってきた男性の口元からは血が流れだしている。

ネット上ではスタンガンが使われたと流れているが、どうやら信ぴょう性は高いようだ。

さらには、降ろされた乗客は「抽選」で選ばれたが、その4人すべてがアジア系であったともされているが、これはソースが不明でよくわからない。

■ありえないだろう!

というのが普通の日本人の感覚で、驚きを隠せないのだけれども、乗客のアメリカ人の女性は「あなたたち、自分がやっていることがわかってるの!」と叫んでいたり、こういう動画がネットに次々アップされていることから、あり得ない!と思っているアメリカ人も多そうで、その辺は少し胸をなでおろす。

これはユナイテッド航空の問題?

単に、この係官がおかしいんじゃね?

という見方もあるが、

今回の件は全てのユナイテッド航空の職員にとって心外な出来事でした。4人の乗客に座席の再調節(Re-accommodation)という手間を掛けた事をお詫び致します。当社のチームは迅速に警察当局と連携してより詳細な状況把握に努めている最中です。同時に当社はこの乗客と直接連絡を取り、状況の解明に努めます。
ユナイテッド航空CEO Oscar Munoz

というムニョスCEOのコメントを見る限り、反省の色はまったく見えない。

レギンス問題もあるし、乗客に対して強権的な文化をもつ航空会社であることは確かなのだろう。

気になるのは、これがアメリカ自体に根深く横たわる問題なのかどうかだ。

■トランプ政権が誕生した背景には排他的なアメリカ人の心情があると言われている。

世界に発信されるアメリカ文化は、リベラルで愛に満ち溢れた口当たりのいいものだが、実態はこういうものなのか。

残念ながらアメリカ合衆国には行ったことがないし、アメリカの工場から出張にくるアメリカ人工場技術者はドーナツが大好きな気のいい連中だったから、実際のところはよくわからない。日系メーカーに勤めてる時点で親日家だろうし。。。

今までは、こういう人種差別的問題は、黒人に対する白人警官の過剰な暴力として時々ニュースになってきたが、アジア人もまた、こういう差別の標的にされているのかどうか。

今回の件で、クローズアップされるだろうから、しばらく注視しなければならない。

 

まあ、とりあえず、これからアメリカに行くことがあってもユナイテッド航空だけは避けた方が良さそうだ。

そもそも、オーバーブッキングが起きたときに本人の意に反して強制退場させることが出来るというアメリカの法律?そのものがおかしいだろう、という気もするのだけれど、LCCは予約システム上オーバーブッキングが無いようだから、アメリカ国内の移動はLCCが正解なのかもしれないね。

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                   <2017.04.12 記>

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2017年4月11日 (火)

■【書評】『げんきな日本論』。橋爪大二郎×大澤真幸。日本の本当が浮かび上がると共に。

社会学者二人が日本の歴史をたどりながら日本という国の本質を探っていく。そこから立ち上がるのは、過去ではなく、これからの日本の姿だ。

■なぜ徳川幕府は世界にも類を見ない260年の平和な時代を作りだすことが出来たのか。東南アジアや中国がヨーロッパ諸国の侵略を許す中で日本だけが独立を維持できたのか。現存する最長の王朝である天皇家とは何なのか。

縄文時代から明治維新までをたどる中でその答えが見えてくる。

キーになるのは天皇だ。

天皇の威信は低下し、各地域で独自の政府機能が立ち上がった戦国時代。

織田信長はその中で日本的な価値観からぶっ飛んだ思考により、天下統一の一歩手前まで上り詰める。彼が目指したのは天皇すら超える’王’である。

けれどもその価値観は受け入れられず、地縁にこだわる明智光秀に殺されることとなる。

弥生時代、さらにはその魂は縄文の昔から連なる日本の’カミ’の概念と、その中心として営々と連なってきた天皇というもの。

それは弱々しく見えつつも日本の統治の背後に常に流れ続ける根幹なのだ。

天皇は神ではない。

どろどろの政略にまみれる現実の人間である。

こんなものを崇めるのはばかげているという信長の考えは実に合理的だ。

けれども、論理ではない何かが日本人を支配していて、信長の論理は受け入れられなかった、明智光秀が本能寺の変を起こさなかったとしても、どのみち破綻していただろうという本書の論はこころにストンと落ちるものがある。

■だから人の心を読むのに長けた豊臣秀吉は天皇の威を借りる。決して天皇を崇拝しているとは思えないが、関白という権威で日本の統一をほぼ完成させる。

けれども、戦国大名たちは戦争によって領地を広げ俸禄を大きくすることがモチベーションとなっていて、日本統一の完了はその終わりという意味で、これまでのやりやり方は通じなくなってしまう。朝鮮出兵はその結果とも思えるが、あまりにも無謀であり、徳川の勢力を強くする結果となってしまう。

徳川家康はそこで戦争の放棄を決める。

それは拡大による成長をやめる、ということで武士にとっては根本的なパラダイムチェンジだ。

ここで現状維持を目的とする260年の平和が開始されるのだけれども、その駆動力は「イエ」を維持するという概念だ。

武家の一族としての「イエ」、その武家が仕官する藩の「イエ」、それを統括する幕府という「イエ」、といった重層的な「イエ」の構造。

戦って勝つ、という武士の目的は、「イエ」を維持するという目的に変換され、260年間それが続いていくのだ。

■重要なのは、一族とかそういう小さな単位が基礎にあって、それが大きな組織につなっていくという構造だ。

本書の論では「イエ」は江戸時代に始まった概念とされるが、本書の論理を追っていくと、実はその「イエ」の根幹は平安のさらに前にさかのぼることが理解できる。

我々は天皇だとか幕府だとか、そういう最高権力に意識がいってしまいがちなのだけれど、常に「ムラ」というものがあって、最高権力と同時にそれら個別の権力が併存している。

古事記の時代にしても、アマテラスの使者は出雲を支配することに成功するが、滅ぼすことはしない。出雲大社はいまだに健在だ。

日本人は征服はしても、同じ輪に加えるだけで、決して虐殺も文化の根絶やしも行わない。(対外的に中央集権と同質化が可及的速やかに行われなければ国が亡びるという状況の明治時代はその意味で異質であり、アイヌと琉球の併合は例外である)

ではなぜ日本人は敵を根絶やしにしないかというと、それは、日本が山と川と海によって豊かな自然に満ちた国であり、12000年前の縄文時代から土地の奪い合いを行わなくても生きていけた、ということと無縁ではないだろう。

■本書では権力の正当性というものを一つの軸として歴史を点検していく。

中国でいえば「天」という絶対的なものがあり、皇帝は、「天」に認められることで権威を正当化させる。

ヨーロッパでは、キリスト教の神であり、それが王の権威の理由となる。

けれど日本において天皇は絶対的な神ではない。

神とは違う、たぶん縄文の昔からの土着の「カミ」のなかで、日本の中枢を押さえる勢力が持っていた「カミ」が、それらを統合する形で高天原の神々の原型となり、その末裔として「人間」となって今に続くのが天皇である。

豊かな風土の豊かな多様性が育んだ価値観は、支配者の価値以外は許さないという絶対的ものではなく、それ以外の価値観を許容し、ゆるく、ぬるく、包み込み同化していく価値観だ。

AとBは異なる。

とするのではなく、AとBを違和感なく受け入れる。異なるかどうかなんていうことは気にしない。

「ムラ」の氏神を祭りつつ、天皇にもそれなりの(おそらくは祭祀の親玉としての)敬意をはらう。

支配者である天皇にしても、無理に「ムラ」の氏神を消し去ろうとはしない、多様性を維持したい、という思いがあるわけではなく、下手に扱えば祟りや触りがあるからだ。

自然と同義である日本の「カミ」は豊な実りを与えると同時に厳しい自然災害をもたらす裏腹な存在である。

下手に扱えば大変なことになるという意識は日本人の深層心理に埋め込まれているのだ。

だから天皇はいらっしゃるだけで意味のある存在であり、それぞれの「ムラ」の存在は担保される。

確かに重層的な「イエ」の概念は徳川からかもしれないが、「ムラ」と「天皇」との関係を考えてみれば、日本人の根っこにずっとそれはあったのだ。

天皇自体は、それほどのカリスマがなく、むしろ政争の道具と化し、ぞんざいな扱いを受けだ時代があったにしても、それが弥生時代にクニが生まれたころから数えて2600年以上も存続しえたのは、各地方の「カミ」と共存し、それぞれの存在を担保しながらも、同時に同化するという不思議な構図があって、日本人が自己を維持しようとする限り、天皇も維持されていくという構造があるのだろう。

■江戸時代。

徳川家康は自らの幕府が日本を支配する論理として中国から朱子学を移植する。

上の権力は絶対である。それに忠たれ。

けれど、その権力の正当性は、朱子学にとっては「天」から与えられた正義に基づく絶対的なものであり、皇室と幕府の二重性の説明にはならない。

そこで儒学が起こり、朱子学のもとになった孔子のテキストに戻ることでその謎に迫ろうとする。

さらに本居宣長は国学で、日本の本来の姿を探求し、中国からの影響をすべて拭い去り、古事記に至る。

そこで得た結論は、天皇はカミの子孫である。したがって議論の余地なく正当性がある。その天皇から征夷大将軍という役割を与えられた将軍、そして幕府にも正当性がある、ということだ。

この概念が水戸学を経由して、尊王攘夷に至り、ペリー来航以来の国難にあたって明治維新につながっていくのだ。

■権威の正当性を中心に据えた本書だが、もう一つ大きな内容を解き明かしている。

それは江戸時代の儒学や国学が発展していく中で、ニュートラルにテキストを読み込んで評価するという手法が確立されたことの重要性だ。

日本はアジアが列強の植民地とされていく時代に西洋の技術、情報を貪欲に取り入れ、うまく立ち回りながら急速に(いわゆる)文明国になっていく。

和魂洋才などというが、輸入される技術や情報を、その背景にある哲学のようなものを排して自らの魂を維持しながら吸収し、成長させていく力が日本にはある。

それがアジアの諸外国との違いだ。

それは明治維新の時代だけではなく、飛鳥時代にも見ることが出来る。当時の日本人は技術、情報のキャッチアップを図るために仏教をいれる決意をしながらも、日本古来の「カミ」を捨てることはしなかった。

それが矛盾なくできるのは、八百万の多様な「自然」=「カミガミ」が矛盾なく存在し得る日本人の特性にあるのだけれど、その一方で、文字の重要性を著者たちは強調する。

仮名の発明である。

■「拒絶的受容」と著者は名づける。

外部のものを受け入れるのだけれど、完全には受け入れない。自分たちの価値観の外側に置いて明確に分ける。

それが漢字と仮名の機能なのだというのだ。

中国の文化は常に漢字である。それに対し古来から続く日本人のことばは平仮名で表現する。

日本人のことばを漢字で書くにしても漢字仮名混じりの訓読みとする。

音読みの漢字は、外来のものとして明確に分けられ、常に外在化している。

それは文明開化の時代においても西洋の言葉を、その背景にある思想を抜きにして、音読みの漢字として輸入する。

自由とか、人権とか、科学とか、そういう言葉である。

それらはどことなくよそよそしい言葉であって、きれい、とか、うれしい、とか、そういう大和ことばとは本質的に異なる言葉なのである。

一方、片仮名は仏典を読み解くときに補助的に使われたという経緯から、常に宗教的な香りをまとっていて、カタカナを使うとなにか呪術的な意味を背後に感じるものである。

たましい と タマシイ

おまえ と オマエ

何か、恐ろしさを含むのは常にカタカナなのである。

それは外来語、たとえばシンギュラリティとかホメオタシスとかいう言葉を漢字に訳することなく使うときに含む意味合いを考えると実に深い。

■ここまでの論で見えてくるのは日本というクニの正体である。

曖昧で定まることなくゆらぎながら、それでいて一つのシステムとしてまとまっている。

個々の局所的な「ムラ」とか「イエ」とかいうものの総体としてクニがある。

天皇は古くから各地の村々にいるカミを包み込むオオキミとして存在し、2600年の間、支配することなく続いていく。

それは多様で豊かで時に恐ろしい自然と共に暮らしてきた日本人のたましいに深く由来している。天皇はその日本の国土全体(カミガミ)を総体として祭る存在であり、日本の国土そのものの象徴と言ってもいいのかもしてない。

アニミズム的精神を維持するその一方で、日本人は外来の技術を自らのたましいの外に置きながら、客観的に扱い、その利を手にし発展させて自らのものにする。

それが揺らぎながらも唯一無二の独自の存在であることを守りながら、大きく発展していく力を持った日本の秘密なのである。

■しかし幕末から明治において、西洋の列強の脅威に対し、日本は中央集権的な体制を取らざるを得なかった。

その中心には現人神としての天皇が据えられた。

諸国の帝国主義に対して生き残るためにはこれしかなかったのだ。

いま問題となっている教育勅語は、本来の日本人のメンタリティを廃して、中央集権のための新たな価値観を植え付けるために作られたものである。

その意味をしっかりと理解しなければいけない。

しかし日露戦争をなんとかしのいだ日本は、軍部を中心に「イエ」の概念に蝕まれていく。日本が亡びるのを決死の覚悟で阻止するという幕末の志士たちの想いはここにおいて自らの組織を維持、成長させることが自己目的化することに変質していき、ついには破局を迎えることになる。

徳川260年を支えたのは「イエ」という組織を自己保存させようとする「空気」であり、昭和において日本を戦争拡大の道に引き込んだのもまた組織を自己保存させようとする「空気」であった。

江戸時代は日本の自己保存という特性が良い方に現れ、昭和では結局自らを滅ぼす方向にそれが働いた。

その違いは多様性を維持したか、一つの価値観に押し込めたか、にある気がしてならない。

「空気」は決して悪い方向に働くのではなく、どういう組織を維持しようとするかに関わってくる、ということだ。

■敗戦によって明治に始まった価値観は破壊された。けれども、戦後の発展は決して多様な価値観に基づくものだとは思えない。

帝国主義が資本主義に変わっただけだ。

確かに戦後からの復興の場面においては、中小の企業が成長していくなかで本来の日本的な多様性は維持されていた。

けれども、バブルの崩壊によって論理よりも個々の多様性を許容することによる活性は阻害され、外在化されているべき西洋合理主義的価値観に魂を売り渡し、グローバルスタンダードという名の市場資本主義に侵されていったのだ。

バブル以降、日本に活力がないのは当たり前だし、その処方箋を諸外国の制度や論理に求めてもうまくいかないのも当たり前のことなのだ。

最近、戦後の日本はGHQによって洗脳されている、いまこそ本来の日本を取り戻せ、などと叫ぶ人がいるが、笑止千万。

彼らがいう「本来」とは明治以降の日本であり、確かに明治以降の価値観は粉砕されたけれども、単一の価値観に基づく中央集権という意味では本質的に全く変わっていない。

それは本来の日本ではないのだ。

日本が日本らしく発展するには、多様性が不可欠だ。

矛盾を矛盾とせず、あいまいに、なんとなく、受け入れる。自然=カミガミに論理が通用しないように、日本人のこころにも論理はなじまない。

その一方で、論理を魂の外に外在化し、その技術の実をいただく、というのが日本人の特性なのだ。

単一性や論理を嫌うこころと、論理をうまく使いこなす技術。

その両輪が日本なのだ。

それを取り戻さなければならない。

■いま、資本主義は黄昏を迎えている。

拡大を前提とした自転車操業の資本主義は、最後の巨大市場である中国の低成長化によって崩れ去る運命にあるのは火を見るよりも明らかだ。

東南アジアやアフリカに期待を寄せるにしても、中国の発展と失速までのスピード感を考えれば、その有効期限はたかが知れている。

ITなどの新しい産業にしても、初期の高い価値は低開発国のリバースエンジニアリングですぐに低下価格化し、市場にいきわたってしまってこちらの寿命も短命化が加速してしまうのはITバブルの経緯で証明済。

あと10年もつのか、30年もつのかは分からないけれども、確かなのは今の世界を覆う市場経済優先の単一の価値観ではもうにっちもさっちもいかなくなっているということだ。

想えば、戦国時代から徳川幕府の時代に変化するときも、拡大志向から成長を否定した安定志向への社会変革が行われた。

今、日本に必要なのはそのメカニズムを明らかにし、今の状況にうまく転用して生き残りを図ることだ。

それは鎖国なんて馬鹿なことではなく、多様性とか、小さな組織とか、そういうことのような気がしている。

日本の人口は2065年には8808万人になると今朝の新聞に載っていた。

単一市場が自立できるのは一億人が必要と言われているから、これは由々しき事態だ。

けれどもマイナス成長でも、幸せを享受する仕組み、社会は必ずある。

日本はほんの150年前にそれを経験しているのだ。

アメリカへのご機嫌取りで時間を稼ぎながら、その道をすばやく探さなければならない。

もう、それほど時間はないのだ。

                   <2017.04.11 記>

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2017年4月 9日 (日)

■【社会】中学必須科目の武道に「銃剣道」追加。自らの志を持たない文科省はすでに死んでいる。

文部科学省は3月31日付の官報で「新学習指導要領」を告示した。中学の保健体育では、武術の種目として新たに「銃剣道」を加えた武道9種目が記された。

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■経緯としては、2012年に中学の体育に武道が必須科目として追加、剣道、柔道、相撲からの選択となったことがあって、なぜ相撲?という疑問もなくはないが、同時にダンスも追加されていることから、多様性とか、経験してみる、とかそういう観点から、とても理解できる内容だと思う。

ところが今回はそこに空手道、弓道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道が追加されたということだ。

銃剣道はあまりにもマイナーということで外れたようだが、どこかの声のでかい人によって追加されたらしい。

■実に違和感がある。

ニュースでは戦前を想起させる銃剣道にばかりフォーカスしているが、なぜ柔道、剣道、(と相撲)だけではだめなのか、ということが腑に落ちないのだ。

私は中高一貫の私立に通っていたが、そこは柔道か剣道かを選ぶ(体が出来上がっていない中学は剣道のみ)授業があって、全国大会で競い合うような鬼のように強い教師に週一で授業を受けていたし、そのなかで全員が有段者になることを目標にしていたくらいだから、単なる体験のレベルではなかった。一月には早朝から11日間続く寒稽古なんていうイベントもあって、それなりに剣道はやったなあ、という感覚はある。

その意味とは、剣道の体裁きとか、相手に対峙したときの構えだとか、呼吸だとか、ことが終わったと見えても気を抜かない残心だとか、少ししか受けていないが柔道の受け身だとか、体育という意味でも、生きていくうえでの体の置き方のようなものを学んだと思っている。

また剣豪小説を読むときには、何だかわかったような気になるし、日本人としての誇りのようなものも醸成されたことも確かだ。

最近の子供は、実際に殴り合うような喧嘩を小学生のころに体験しないから、殴られれば痛い、という実感を持たないがゆえに、殴られる相手の気持ちが分からない。

だから、暴力にしても加減が分からず、暴力ではないイジメにしても、傷つけられる相手の心が理解できない。そういう意味でも「殺し合い」の技を起源とする柔道や剣道を体験するということにはむしろ賛成だ。

■しかし、なぜ他の武道を選択項目に追加する必要があるのか。

今でさえ、柔道や剣道の指導が出来る人間を確保するのが難しいであろうに、空手道、弓道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道なんてかなりの無理筋で、実際、文部科学省もまあ、ほとんど実施されないだろうと考えているに違いない。

柔道、剣道、相撲、空手道、弓道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道

さて、これらの競技はどうやって選ばれたのか。

実はこれらは、日本武道館が中心となる日本武道協議会に参加している競技団体そのものなのである。

日本武道館が危険な団体だなどとは到底思えない。けれども一私的な団体によって、国の子供の教育が決められる違和感なのだ。

■国を私してはならない。

日本武道館が他の競技も子供たちに触れさせたい、という思いを持つのは痛いほどわかるけれども、国政を預かる人間がそれをそのまま受け入れる愚には怒りすら覚えるのである。

これは文科省の天下りと無関係ではないのではないか、などと勘繰りたくもなってしまう。

問題なのは、こういうことになりかけたときにストップをかける機能が完全に停止してしまっているのではないか、ということだ。

文科省の役人には自分の頭でものを考える力はないのか。

グローバリズムを勝ち抜くためと誰の圧力を受けたか知らないが、大学の文科系を殲滅させるような動きをみせて、その思想的底の浅さを、逆にグローバリズムを推進する側の経団連に突き上げられるという滑稽な喜劇を演じた文科省。

もう組織的に崩壊しているのかもしれない。

■教育は国の根幹である。

子供に多様な未来を提供し、将来の日本が発展していく原動力を与える。それが教育の意味だ。

教育勅語の話もあるが、決して老人たちの趣味の実現のためにあるのではない。

文科省にも優秀で志をもった人もいるだろう。

けれども崩壊した組織の中ではいくら優秀な人間があがいたところで大きな流れを変えることはかなり困難なことなのだと推察する。

一旦、解体してみてはどうだろうか。

                    <2017.04.09 記>

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2017年4月 8日 (土)

■【社会】『日本会議の研究』の黒塗り部分。これは一つの日本民主主義の歴史の記録である。

出版差し止め撤回で入手困難になる前に欲しかった黒塗り版、アマゾンで無事にゲットできました!

■なーんて、浮かれてると怒られちゃうけど、削除の仮処分が解消されたのだから、次の版から元に戻ってしまうわけで、権力によって言論に制限が加えられた生々しい証拠を手にできたことは、あまりに心にインパクトを加えるのである。

で、くだんの菅野完氏の著書『日本会議の研究』(扶桑社)の問題の部分がここ。

2017040801

■黒塗りされた(東京地裁の判決に従って扶桑社が行った)のは、

【結果、自殺者まで出たという。しかし、そんな事は安東には馬耳東風であった。】

という部分。

2017年1月6日、「生長の家」元幹部の安東氏による名誉棄損の訴えに対し、東京地裁の関述之裁判長は「真実ではない蓋然性がある」ということで出版差し止めの仮処分を行った。

ではなにか、真実であるという証拠がない限り、何も言えないということなのか?

「言論の自由」とは、たしかに何を言ってもいいというわけではない。名誉棄損もそれを制限するひとつであり、書かれる側の人権も等しく考慮されるべきという意味で自明の論理だ。

けれども本文の文脈から言えば、ごく自然な記述であり、もはや言いがかりとしか思えず、それゆえのこの間の仮処分解除ということだろう。

■そもそも絶対的な真実などというものがあるはずもなく、「事実」のとらえ方がその人の歩んだ人生をかけて作りあげられた目と脳に依存し、それを「真実」と呼ぶならば、人の数だけ「真実」があるものなのである。

それこそが「民主主義」の根幹である「議論」の源泉なのである。

議論によって、その集団のいろいろな人生が融合し、共通理解としての「真実」が立ち上がってくる。それこそが民主主義のダイナミズムなのであり、小選挙区制における党本部支配が党内議論を封殺している自民党こそが、民主主義を多数決だなどと小学生並みの論理に貶める、元凶なのだ。

東京地裁に司法の独立がなかったのかどうかは分からない。けれども何か「空気」のようなものが醸成されていたとしても不思議ではない。

■小選挙区による二大政党制への移行は失敗した。

論理的議論の出来る野党は異質なイデオロギーを抱えた日本共産党のみであり、あとはクズだ。

この10年で日本国民が出した結論は、自民党に頼らざるを得ない、ということである。

確かに小選挙区制による総理官邸への権力集中は、「日本をぶっ壊す」ためには必要な処置であったのだろう。

けれども、破壊に方向性の間違いはないが、再構築の今の場面では方向を間違えれば大変なことになる、という観点から言えば、いろいろな価値観、人生観による「真実」をぶつけ合う、つまりは議論することこそが、今、日本にとって一番大切なことであり、それが民主主義そのものなのである。

今すぐ小選挙区制から中選挙区制に戻るべきだ。

それこそが自民党内にかつてのような自由な議論の構造を呼び戻す唯一の方策だからだ。

確かに選挙に金はかかるだろう。けれども、それを小選挙区制を守る理由とするのは本末転倒であり、間違いだ。

小選挙区制が構造的に日本の言論の自由を脅かしていることは確かであり、そこにメスを入れない限り、首相官邸がすべてを牛耳る今の構造は変わらないだろう。

この一冊の墨塗りは、単なる名誉棄損の話ではなく、10年後の未来の日本から見たときの重要な歴史の一ページなのかもしれないのだ。

 

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【「空気」の研究】 山本七平。決して古びることのない本質的日本人論。

                <2017.04.08 記>

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■【映画評】『ゴースト・イン・ザ・シェル』、押井作品では見ることの出来なかった、人間としての草薙素子の物語。

押井守のような小難しい映像体験は期待するだけ無理。そう思って観たのが良かったのか、想定外の満足感を得ることが出来た。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.98  『ゴースト・イン・ザ・シェル』
           原題: Ghost in the Shell
          監督: ルパート・サンダース   公開:2017年4月
       出演: スカーレット・ヨハンソン 他

011  

■あらすじ■
ミラは、テロによって両親を失い、自らも脳以外の損傷をうけてしまい、義体とよばれる機械の体に脳を移植された。記憶のない彼女は、その超高性能の義体を活かし、対テロ組織である公安9課という組織に配属され、新しい人生を歩み始める。それから1年、公安9課は人形使いと呼ばれる謎のハッカーによるサイバーテロに立ち向かうことになるのだが。

001

■ゴースト(自我、魂)とは何か、それはどこに発生するのか、機械やサイバー空間に意識は発生するのか?

それが攻殻機動隊の中心となるテーマである。

押井守は『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』、『イノセンス』でその表現に成功し、全世界の表現者に影響を与えたわけだが、それは非現実を現実として受け入れさせるアニメという表現手段ならではのことである。

それを実写でやろうとすれば、時々日本のダメ映画にあるようなセリフが浮き上がった自己満足映画になるか、『2001年宇宙の旅』のような眠たい思索映画になってしまうのが関の山だ。

そこを分かっていたのかどうかは分からないが、この作品はさっぱりとそこを割り切って「物語」に徹したのが良かったのだろう。

■正直、オープニングで駄作を覚悟した。

導入で映し出される未来都市の映像は『ブレードランナー』の完全なる劣化コピーだったからだ。

だが、それに続くミラ・キリアンの義体化のシーンはCGをうまく使ったクリーンな映像で、ああ、これはいけるかもという期待は、その後裏切られることはなかった。

もちろん、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』、『イノセンス』を混ぜ合わせた今回のストーリーは、先に述べたように攻殻機動隊の核心を突くものではない。悪く言えば、薄っぺらで深みがない。

けれども裏返せば、それはシンプルということであり、エンターテイメントとしては大切な素性なのであり、見終わった後に疑問を残さない清々しさは、さすがハリウッドと思わせる。

009

■ただ引っかかるところもある。

一番の問題は、なぜミラ・キリアンの義体には乳首がないのか、ということだ。

エロい視点で言っているのではない。

完璧な人体の模倣である義体の裏に強靭な機械がある。その裏腹な構造が、義体というものをまとった人間が果たして人間と呼べるのか、という重要な問題を観る者の感覚に訴える源泉となるからだ。

契約の問題なのか、年齢指定の問題なのかは知らないが、あのような分厚いスーツにはもはや繊細な肉体を感じさせるものはなく、感覚的に、スーパースーツ的なものと無意識に受け取ってしまう。

この損失はかなり大きい。

■もちろん、スカーレット・ヨハンソンの演技は良かった。

だが、それを感じるのは、「人なのか、機械なのか」、「凄腕の作戦遂行者なのか、己の実存に疑いを抱く悩める女なのか」、という裏腹な存在である「少佐」としての演技ではなく、後半、物語が動き始めてからの人間としてのヨハンソンの演技なのである。

それに拍車をかけたのが彼女の「スーツ」だったということだ。

「ゴースト」とは何か、という攻殻機動隊の本論を捨てて、自我がある前提の上での「私は誰なのか」、「作られた記憶は現実なのか」という、一段浅い部分での問いかけに留めたことによる重大な副作用がここに露呈する。

映画を観るまで知らなかったのだけれど、本作には桃井かおりが出演していて、彼女が登場する後半部分から、この映画はギューっと音を立てて締まってくる。

それはまさに、この映画が「自我とはなにか」という「哲学」の映画ではなく、「物語」の映画であることを指し示している。

その意味も含めてこの映画のMVPは桃井かおりだと思う。

それぐらい桃井かおりは素晴らしかったし、スカーレット・ヨハンソンが一番輝くのも桃井かおりとのからみのシーンなのである。

私がこの映画に価値を見出すのはまさにその一点なのだ。

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■その他の出演者でいうならば、一番の注目は、「世界の」北野武だろう。

たけしが演じる荒巻は公安9課の課長で、暴力装置である課員に対し、政治権力をうまくかわしながら渡り合う頭脳と意志を持ったキャラクターだ。

しかしながら、たけしはたけしだった、というのが結論。

英語のセリフは苦手だから、と日本語で押し通したのが効いて、特別な存在としてうまく描かれているのだけれども、一番輝くのはやはり暴力シーンなのである。やはり、たけしが含む「狂気」こそが、唯一にして最大の魅力ということだ。

良くも悪くも、荒巻ではない、北野公安課長なのであった。

まあ、外国人には受けるのだろうし、悪くはないと思う。

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■公安9課の面々も、及第点だろう。

バト―をロシア人にした感覚もいい。私物の兵器で多脚戦車をやっつけるとか、もう少し活躍してほしかったが、目の義体化の経緯というおまけもあって、まあ満足か。

トグサは、もう少し弱そうでいい気もするが、さほど鼻につかない、というかあまり物語にからんでこないことのほうが残念。

今回は字幕で観たのだけれど、荒巻以外はアニメでの声優が起用されているようで、吹き替え版も楽しめそうだ。

 

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

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■悪い企業をやっつけて主人公が自分を取り戻す、という極めて単純なお話なのだけれど、攻殻機動隊としてどうか、という問題を置いてしまえば素直に楽しめる。

何しろ相手はクゼである。

少佐らしくない恋バナである。

しかも、お母さんである。桃井かおりである。

いい感動をいただきました。

まあ、こういう単純な攻殻機動隊もあっていいかも、と思いつつ、帰ってから『攻殻機動隊』と、『イノセンス』を見返してみて、うーん、深さに関しては2桁くらい違うなあ、としみじみ実感。

押井守の凄さに改めて感心いたしました。

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タチコマ見たかったな~。

                      <2017.04.07 記>

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■STAFF■
監督  ルパート・サンダース
脚本  ジェイミー・モス
     ウィリアム・ウィーラー
     アーレン・クルーガー
原作  士郎正宗 『攻殻機動隊』
製作  アヴィ・アラッド
     アリ・アラッド
     スティーヴン・ポール
     マイケル・コスティガン
製作総指揮  石川光久
          藤村哲哉
          野間省伸
          ジェフリー・シルヴァー
音楽   クリント・マンセル
      ローン・バルフェ
撮影   ジェス・ホール
編集   ニール・スミス
      ビリー・リッチ

■CAST■
少佐 / ミラ・キリアン / 草薙素子 - スカーレット・ヨハンソン(田中敦子)
バトー - ピルー・アスベック(大塚明夫)
荒巻大輔 - 北野武
オウレイ博士 - ジュリエット・ビノシュ(山像かおり)
クゼ・ヒデオ - マイケル・ピット(小山力也)
トグサ - チン・ハン(山寺宏一)
ラドリヤ - ダヌーシャ・サマル(山賀晴代)
イシカワ - ラザラス・ラトゥーリー(仲野裕)
サイトー - 泉原豊
ボーマ - タワンダ・マニーモ
カッター - ピーター・フェルディナンド(てらそままさき)
ダーリン博士 - アナマリア・マリンカ(加納千秋)
素子の母親 - 桃井かおり(大西多摩恵)
素子 - 山本花織
ヒデオ - アンドリュー・モリス
赤い着物の芸者 - 福島リラ
トニー - ピート・テオ
オズモンド博士 - マイケル・ウィンコット(広田みのる)
リー - (坂詰貴之)
大統領 -(乃村健次)

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2017年4月 4日 (火)

■【映画】『パシフィック・リム』 続編、こんなイェーガーやだ!

パシフィック・リムの続編の撮影が終了したようだ。

で、今度のイェーガーがこれ。

20170404003

おいおい、勘弁してくれよ。

一昔前のロボットアニメかよ。いや、むしろそれを狙ってるんだろうけど。。。。

パシフィック・リムの魅力は何といっても無骨で重量感あふれるイェーガーのガチバトルだ。

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こんなにスタイリッシュになってしまうと、あの無骨さはどうなってしまうのか。

実際に映画になってみないと分からないけど、うーん、とっても心配になってきた。

                         <2017.04.04記>

■【映画評】『パシフィック・リム』。技術の進化と望郷の念。

 

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2017年4月 3日 (月)

■【映画評】『キングコング: 髑髏島の巨神』 怪獣映画の新基準。ハリウッドもここまで来たかと感慨しきり。

ハリウッドにしては最高の怪獣映画!ストレスなく最後まで存分に楽しめた。でも油断してエンドロールの後も見逃してはいけない。ネタバレ厳禁!まさかここで吹き出すとは思わなかったぞw

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No.97  『キングコング: 髑髏島の巨神』
           原題: Kong: Skull Island
          監督: ジョーダン・ヴォート=ロバーツ 公開:2017年3月
       出演: トム・ヒドルストン  サミュエル・L・ジャクソン  ブリー・ラーソン 他

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■あらすじ■
嵐に閉ざされた謎の島へ調査に訪れた一行は巨大なゴリラの襲撃を受け大打撃を受ける。彼らは無事にこの島から脱出することが出来るのか。

■濃密で贅沢な展開も素晴らしいのだけれど、この映画の一番良いところは人物造形の豊かさだ。

特にパッカード大佐。

部下思いのいい人なのだけれど、ガッツがあり過ぎ!何しろコングに対して一歩も引こうとしないのだから恐れ入る。

その目力は半端なく、地獄の黙示録のマーロン・ブランド顔負けで、大佐を演じたサミュエル・L・ジャクソンは本当においしい役者である。

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物語りとしては太平洋戦争時に髑髏島に不時着し、日本人とともに生き延びたマーロウだろう。この人の存在によってストーリーにリアリティと厚みが出たのだと思う。彼が生きてきた30年を想い、ラストはつい涙ぐんでしまった。

MIYABIが演じた日本人グンペイ・イカリとの交流についてはあまり描かれなかったのが残念だが、その魂がこもった刀はこの映画全体に漂う日本愛の象徴なのだろう。

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主人公のふたりについては深く語られない。

そのメリハリもまたいい。コンラッドはSASで何をやっていたのか、ウィーバーはベトナムの戦場で何を見たのか。気になるところではあるが、それは続編でのお楽しみ。

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■さて巨大生物である。

これもまた迫力で、怪獣マニアも大満足の出来。

コング強し!そして、あまりにも巨大!

従来のコングが保っていた生物学的な常識を完全に振り切った巨大さで、まさに別格。

神としての威厳は、確かにある。

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そのほかの巨大生物もオリジナリティがあっていい。

特にクモとアメリカ兵との戦闘シーン。

あの構図があるからあの緊迫感が作り出せる。いいアイデアだ。

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さて、コングのライバル、スカル・クローラー。

千と千尋の神隠しのカオナシとエヴァンゲリオンの使徒、サキエルからイメージされたこの怪獣も、足がないところが動き的に面白い。

けど、どうしてもトカゲ的になってしまうのがハリウッドの限界か。

もう少しヌルヌルの両生類的な怪獣にしても良かったと思うのだが、それは欲張り過ぎなのかもしれない。

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■このキングコングは深い意図を探るような映画ではないが、エンターテイメントとしては一級品だ。

監督のジョーダン・ヴォート=ロバーツは日本のアニメ、マンガ、ゲーム文化大好き人間のようで、そのこだわりのおかげで、やっとハリウッドでも日本の怪獣映画品質が出来るようになったのかと感慨深い。

しかも怪獣映画でありながら、ちゃんとした戦争映画になっているところが素晴らしく、シン・ゴジラと並ぶ、怪獣映画の新基準といえるだろう。

Title
ポスターのイラストは怪獣画の巨匠、開田裕治!!

 

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■さて、ネタバレである。

感動のラストからのエンドロール。

そのあとに驚愕の事実が提示される。

キングはコングだけではない。

映し出された古代の壁画には、ゴジラ、ラドン、モスラ、そしてキングギドラが!

なんかギャオスが混じっていたような気がするくらい動転してしまった。

地球が空洞で、そこには人間以前の地球の支配者が復活の機会を虎視眈々と狙っている。

スカル・クローラーはその尖兵で、本命はキングギドラというところか。

うーん、X星人かなあ。

なんだか急に昭和テイストになってしまいそうで少し怖い(笑)。

                      <2017.04.03 記>

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AKIRAへのオマージュがあるって言ってたけどよくわからんかった。。。。あ、もしかして、大佐!?

 

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■STAFF■
監督 ジョーダン・ヴォート=ロバーツ
脚本 ダン・ギルロイ
    マックス・ボレンスタイン
    デレク・コノリー
原案  ジョン・ゲイティンズ
     ダン・ギルロイ
製作総指揮 エリック・マクレオド
      エドワード・チェン
音楽   ヘンリー・ジャックマン
撮影   ラリー・フォン
編集   リチャード・ピアソン

■CAST■
ジェームズ・コンラッド(元SAS) - トム・ヒドルストン
プレストン・パッカード(大佐) - サミュエル・L・ジャクソン
ウィリアム・"ビル"・ランダ(特務研究機関モナークのリーダー) - ジョン・グッドマン
メイソン・ウィーバー(女性戦場カメラマン) - ブリー・ラーソン
サン・リン(女性科学者) - ジン・ティエン
ハンク・マーロウ(生存者) - ジョン・C・ライリー
グンペイ・イカリ(マーローの戦友、日本人) - MIYAVI
ジャック・チャップマン - トビー・ケベル
ヴィクター・ニエベス - ジョン・オーティス
ヒューストン・ブルックス - コーリー・ホーキンズ
グレン・ミルズ - ジェイソン・ミッチェル
アール・コール - シェー・ウィガム
レグ・スリフコ - トーマス・マン
レルス - ユージン・コルデロ
スティーブ・ウッドワード - マーク・エヴァン・ジャクソン
ウィリス上院議員 - リチャード・ジェンキンス

 

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■【社会】道徳教科書検定、パン屋が和菓子屋に修正されるバカバカしさ。教育基本法改定の意味を改めて考える。

道徳の教科書検定が話題である。

我が国の郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつこと、という要件を満たさないとパン屋は和菓子屋に修正され、草花が咲く土手は凧揚げに変わってしまった。

思わず失笑してしまう話だが、子供の教育が国の根幹を作るという意味で、きわめて重要な問題だと思うので少し考えてみた。

20170403kyouiku05

■検定でパン屋を否定したわけではない、誤解だ。などというけれども、この文脈ならば、流行りの忖度なんて言葉は使わなくとも、完全にお上の指導に従った形だ。文科省の役人の「例えば、あんぱんなら、、、」なんてコメントをみるにつけ、コントかよ!と思わず突っ込んでしまいそうになる文科省の思想的レベルの低さに暗澹としてしまう。

まあ文科省の役人にしてみれば、道徳の教科書の学習指導要領がそうなってるのだから、あまりイジメても仕方がない。

彼らは実直にまじめに仕事をしているだけだ。

本質的な問題は2006年に全面改訂された教育基本法にある。

■憲法改正にも匹敵する国の根幹に関わる教育基本法の全面改定。その焦点は「普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす」ものから「公共性を重んじ、伝統を継承」するものへの本質的な転換にある。

文科省のHPにある比較表を載せておこう。

20170403kyouiku
20170403kyouiku02_2
20170403kyouiku03

とてもいいことが書いてある。

誰もこれに反対する人はいないだろう。

だから問題なのだ。

上の抜粋を見てもわかる通り、改定された教育基本法は細かくいろいろ書いてある。ありていに言えば、「うざい」。

要するに価値観の押し付けなのである。

■それの何が悪い、

という意見もあるだろう。確かに、行き過ぎた自由と権利意識がモンスターを生み、社会がすさんでしまった。という側面もあるだろう。

それを苦々しく感じる強い危機意識が2006年の教育基本法改定の原動力だったのだと思う。

家族と地域社会が人間の形成にとっていかに大切なものか、なんてことは先刻承知である。公共の精神の根幹はそこにある。

しかし、それはバリバリの旧教育基本法で育った私のようなものでも学校で教わっている。

基本は憲法だ。

基本的人権の尊重

いちいち細かく言われなくたってすべては「基本的人権の尊重」だけで事足りるのだ。

それぞれの個人の人権は尊重される。しかし同じようにほかの人にも人権があって、それもあなたと同じように尊重されなければならない。

道徳の授業でも、社会の授業でも、国語の授業でも、いつでもその文脈に従って教育を受けてきたし、その精神はしっかりと自分のなかに根付いたと思っている。

そこからスタートせずに、憲法と独立したところで細かい価値観を箇条書きにして教え込もうとする、そのやり方が根本的に間違っている。

論理的に憲法から導こうとせず、立案する人間の価値観に従った「良かれ」という思い付きで作るから、伝統とか文化とか郷土愛とか訳の分からないものが入り込んでしまうのだ。

それがいかに無理筋で滑稽なことなのかが、今回の道徳教科書の騒動で浮き上がってきたのだと私は思うのだ。

■伝統も文化も郷土も大好きである。

でも、それは地域や社会と接するなかで自然に生まれてくるもので、決して国家から押し付けられるものではない。

修正まえの教科書に載っていた「きれいな花が咲く土手」は確実にわれわれの心に響く「地元愛」に満ちた心象風景である。

それが空き地のない今の子供にとって何のリアリティもない凧揚げに変わった瞬間にもう絶対に伝わるわけがない。

そういったことを押し付けようとした瞬間に、伝統も文化も郷土も死んでしまうのだ。

だから旧教育基本法は寡黙なのである。

それは明治維新から国家総動員法に至る文脈のなかで生きてきた、それを生で感じてきた人たちだから、そうなったのだと思う。

■先日、娘の小学校の卒業式に参加した。

そのなかで愕然としたことがある。

式の中で君が代斉唱があった。

当たり前のことだと思っていたのだが、並んでいる卒業生たちをみながら君が代をうたっていると、激しい違和感が沸き起こってきたのだ。

何かおかしい。絶対に合わない。似つかわしくない。

卒業式は楽しく学んだ6年間とこれからの旅立ちを想う式である。その中で歌われる君が代への違和感なのである。

20170403kyouiku06

いや、一時期の学校における君が代日の丸ボイコット問題については、むしろ激しい嫌悪感を抱いていた方である。

娘が4年生のころには、君が代を知らないとか言い出すので、慌ててその歌詞の意味もあわせて教え込んだ口である。

バリバリの愛国主義者だと自分でも思う。

でも、いざ自分の娘の卒業式で歌われる君が代には心の底から違うという気持ちが沸き上がってきてしまったのだ。

それは、国というものが、小学校の6年間の想いのなかにはまったく関りがないからだ。

むしろ国というものが小学生に関わるほうが不自然だろう。小学生の視線の先にあるのは毎日眺めながら歩いた花が咲く土手であり、友達と夕方まで遊んだ公園であり、近所のうちの犬であり、そこのうちのおばあちゃんなのだ。

だから日教組とはまったく正反対の意味で、小学校の卒業式で君が代は歌わなくてもいいと思う。みんなでいつも歌った校歌こそが、彼らの属し、育った「社会」の「歌」なのだ。

君が代はオリンピックやら、そういう国を意識する場でこそ、自然と立ち上がり、しみじみとこころを震わせるものである。決して、押し付けるものではない。

国への愛というものは、家族や地域といった社会の延長線上に生まれるものであって、突然上から降ってくるものではない。

今回の卒業式の件で、それを痛切に感じた次第である。

                    <2017.04.03 記>

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■国会を騒がす籠池問題の重要なプレーヤーである菅野完さん。彼が昨年上梓したのがこの「日本会議の研究」。

2006年の教育基本法改定の背後に日本会議がいることは想像に難くない。

当時の首相は今、渦中にある安倍晋三現総理。

彼の言動を追うと、どうもこういう薄っぺらな国家主義がプンプン匂っていた。けれど一昨年の終戦記念日における戦後70年談話あたりから安倍首相は急に変わったように思われる。

ブレーンが完全に入れ替わった、そういう印象だ。

たぶん日本会議ともかなり距離を置くようになったのだと思う。だからこそ籠池さんたちは裏切られた!と言うのだろう。

そこの浅い「愛国」はいまの日本人の誰にも響かない。それは籠池さんへの世間の嘲笑に強く表れている。安倍首相もやっとそのことに気づいたのだと思う。

だからこの「日本会議の研究」の帯で謳われているような「右傾化」は根無し草であり、それほど心配することではないと思っている。

それよりも、東京地裁による「日本会議の研究」に対する出版差し止め仮処分と先日のその取り消しの騒ぎの方が重要だ。

今の司法は本当に独立しているのか。原発稼働停止の大阪高裁の判断も併せて考えると流行りの「忖度」という言葉がどうしても気になってしまう。

1月の出版差し止めを受けてこの本は該当部分の「黒塗り」での出版を行ったらしい。この本は立ち読みで済ませていたが、言論規制の記録として先ほどアマゾンで注文。さて、黒塗りバージョンを手にすることが出来るか??

 

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2017年4月 2日 (日)

■【書評】『人類と気候の10万年史』 中川毅。カオスによる猛烈な気候変動はある日突然やっていくる。

地球温暖化が叫ばれて久しいが、10万年の気候を10年単位で調べ上げた結果、過去にはさらに恐ろしいことが起きていて、今、まさにその賭場口立っているかもしれないことを提示する驚愕の本である。また、それと同時に科学的思考の本質を教示する素晴らしい啓蒙本でもあるのだ。

■過去100年で平均気温は1℃上昇し、今後の100年で5℃上昇するといわれる地球温暖化。たかが1℃や5℃と侮ってはいけない。東京と宮崎の平均気温差が0.8℃であることから考えればその重大さが分かるだろう。

気温上昇が産業が加速度的に発達した1910年頃から始まったことから、温暖化物質としての二酸化炭素がやり玉に挙がっているのはご存知の通りだ。

しかし、本書ではそのような問題意識を根底から覆すものだ。

福井県の水月湖。

そこは特別な条件が重なり、世界で唯一ともいえる地質学データがその湖底に一年刻みで欠損なく折り重なっているのだ。

それは15万年に及ぶ地層の年輪である。

■その詳細の物語も面白いのだが、あえて端折って結論を急ぐならば、そこから明らかになった過去の気象のドラマは100年で5℃などというゆったりとした変化ではなく、3年で気温が7℃変化するというような激烈な気候変動なのである。

東京がフィリピンのマニラと同じ気候になったとしても、海水面が50メートル変動しても、100年あれば何とか人間は対応できるだろう。

しかし、3年で7℃の気温の変動には到底対応できない。

効率を求めて一つの農作物に特化するようになった現代でそのようなことが起きれば、世界全域で農作物は壊滅的な打撃を受ける。

1993年、フィリピンのピナツボ火山の噴火による冷夏で日本の稲作は猛烈な凶作に襲われ、日本はあわてて(金にモノを言わせて)タイ米を輸入してしのいだのだけれど、これを覚えているだろうか。

あれは1年だけの凶作である。

それが連続して発生し、しかもその影響が全世界に及ぶとするならば、おそろしく低い食糧自給率の日本がどうなってしまうのかと、考えるだけでも恐ろしい。

■では、それはいつ訪れるのか。

分からない、というのが結論である。

我々は2つの思考の癖をもっている。

ひとつは、いま起きていることはこれから先もずっと続くということ。

もうひとつは、過去に起きたことは必ずまた起こる、ということだ。

これは株の投資をしている人間には身につまされてよく知っていることである。株価の上昇局面では、この利益がいつまでも拡大していくような気がしてしまうし、過去に何度か上昇した銘柄は必ずまた上がると思ってしまう。

けれども大抵の場合、この予想は見事に裏切られる。

この予測不能の動きはカオスと秩序のはざまにある複雑系といわれるシステムの特性であり、ここで語られる気象現象もまた複雑系の一種なのである。

■振り子がある。この振り子の動きは三角関数を用いた数式で完全に予測可能である。これは、天体の動きやロケットの軌道計算をするときに持ちいる予測もこの文脈の延長線上にあり、ニュートン以降の科学文明にいる我々はついついすべてのものは計算で予測可能だと思い込んでしまう。

しかし、その振り子の下にもう一つ振り子をつけた瞬間に、その秩序は一気に崩壊する。いわゆる二重振り子というやつで、そのカオス的振る舞いは予測不能であることが数学的にも明らかにされているそうだ。

我々が住むリアルワールド、特に気象や景気や人体などの複雑系は時に予測不能なふるまいを見せるのである。

中川さんが行った複雑系モデルによるシミュレーションは、見事に予測不能な動きを見せ、その特徴は水月湖に積み重なった地層から読み取れる気候の動きと見事に一致する。

■1万2千年前まで低い平均気温を中心に派手な乱高下を続けていた先の氷河期の気候は、あるタイミングで3年間の間に7℃も跳ね上がり、そのまま高い気温での安定期にはいって今につながっている。

それがいつ崩れるのかを予測できないということだ。

ただ言えるのは複雑系における相転移と呼ばれる急激な変化は、突然現れるということだ。

我々が謳歌するこの安定した温暖な気候はあと1万年続くかもしれないし、唐突に明日終わるかもしれないということだ。

けれども、シミュレーションと地層からのデータがともに語っているのは、相転移の前にはその兆候となる変動が表れるということだ。

近年、50年に一度とか100年に一度とか言われる異常気象が頻繁に起きていることを思うと、100年という長いレンジの地球温暖化よりも、すぐそこに相転移が迫っている危機感の方が、その影響の規模を考えても段違いに大きいということがわかるだろう。

■1万2千年前に起きた大規模な気候変動は、まさに世界の古代文明における農耕の始まり、日本でいうならば縄文時代の始まりにあたる。

そこで中川さんが語る文明論も秀逸で深くうなづくものである。

定住と農耕によって文明が始まり、それが今の繁栄につながっており、それ以前の人類は未開の原始人であるという僕らの常識に対する反論である。

森や海の多様性に寄り添い、食料を求めて渡り歩く狩猟採集という生き方は、現代のような大きな人口を養うことはできないが、急激かつ不安定な気候変動にも追従できる生き方であり、生き延びる知恵の深さという意味で決して生き方として劣っているわけではない、ということだ。

ここに我々が生き残るヒントが隠されている。

それは資本主義が崩壊に向かっている今の状況ともかさなり、我々がいままで信じてきた合理主義が本当の科学なのかと問う時期に来ていることの証左なのかもしれない。

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                        <2017.04.02 記>

【追記】

著者の中川毅さんが私と同い年であることに気づき、どうも親近感が湧いて仕方がない。彼が本書で語る、実際に手にしたデータを積み上げることで真理に迫ろうとする科学的思考や、効率優先の文明に対する視点に深く同意してしまうのは、同じ時代を肩を並べて生きてきたことと無関係ではないと思うからだ。

もしかすると京都大学の入試の時にすれ違っているかもしれないな、などと空想すると、表紙の裏の中川さんの写真がとても他人に思えなくなってしまうから不思議なものである(笑)。

■過去記事■
■【書評】ひつじの本棚 <バックナンバー>
 

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