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2017年4月25日 (火)

■【映画評】『沈黙 -サイレンス-』 神はどこに居ますのか。

映画とは、ここまで強い力を放つものなのか。

スコセッシは天才である。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.103  『沈黙 -サイレンス-』
           原題: Silence
          監督: マーティン・スコセッシ 公開:2017年1月
       出演:  アンドリュー・ガーフィールド   窪塚洋介  他

Title

■あらすじ■
17世紀、江戸時代初期― ポルトガルで、イエズス会の宣教師であるセバスチャン・ロドリゴ神父とフランシス・ガルペ神父のもとに、日本でのキリスト教の布教を使命としていたクリストヴァン・フェレイラ神父が日本で棄教したという噂が届いた。尊敬していた師が棄教したことを信じられず、2人は日本へ渡ることを決意する。

日本に渡り、隠れキリシタンたちにかくまわれた二人だったが、代官の手により村人たちはとらえられ、ふたりの目の前でなすすべもなく残酷な手段で処刑される。

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■マーティン・スコセッシって日本人だったっけ?

ってくらいに、見事に当時の日本を再現している。

自然や風景、日本人の立ち居振る舞いや衣装、言葉遣い、といったもの全体から生まれる空気感はただ事ではない。

スタジオ中心の日本の時代劇ではとうていたどり着けないクオリティだ。

スコセッシがどれほどこだわり抜いたかが迫力をもって伝わってくるのである。

しらけずに映画を見るために、これはとても大事なことだと思う。

■さて、本編。

前半、隠れキリシタンたちが受けるあまりにも過酷な試練を通じて、信仰とは何か、というテーマが語られる。

海の向こうからたどり着いたパードレ(神父)をありがたがる隠れキリシタンたちも、集落にキリシタンがいるという嫌疑をかけられ、取り調べの代表4名を差し出せと言われれば、醜いまでに生に縋りつき、誰か他の者にそれを押し付けようとする。

これは、喜んで殉教する、というにはあまりにも過酷であるさまを彼らが見続けたためであり、そのあと、我々もそれを目の当たりにする。

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その頂点をなすのが、リーダー格のモキチが海の中で磔にされるシーンだ。

モキチは讃美歌をうたいながら3日間耐え抜き、そして息絶える。

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モキチを演じたのは、『鉄男』でコメディと狂気とバイオレンスの極地を見せつけた塚本晋也監督。

スコセッシの大ファンなのだそうで、スコセッシのための殉教者を地で行った、死の影を覗き込むような限界の撮影に身を投じた。

このシーンだけは、むしろそっちに気を取られてしまって、恐ろしさに身がすくむ、というよりむしろ、塚本監督がんばれ!という何だか妙な感じになってしまった。

正直、このまま映画に入り込めずにおいて行かれるのではという不安にかられてしまった。けれど、それはまったくの杞憂で、159分の長丁場をまったく意識することなく、ここから先はスコッセシの作りだす世界にどっぷりとはまり込んでいった。

■過酷さでいえば、ロドリゴ神父たちを案内したキチジローの過去だろう。

キチジローは踏み絵を踏んで生き延びるのだけれど、キチジローの家族はそれを拒否。彼は生きながらにして焼かれていく家族の声を聴くことになるのだ。

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神を冒涜することを拒み、地獄を覚悟したキチジローの家族は確かに殉教者である。

その家族さえ見捨て、自らの死を恐れ、神の御影を踏みにじったキチジローに信仰の影は見えない。

あまつさえキチジローはロドリゴ神父に懺悔をし、その罪を許されようとすらするのだ。

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その姿にロドリゴは戸惑いといら立ちを隠せない。

弱く、ずるがしこくうそをつき、裏切る。

しかし、そのキチジローにこそ、信仰の真の姿が隠されていて、ロドリゴはキチジローと同じ場面に立ち会ったとき、本当の神の姿を見ることになるのだ。

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■こんな理不尽な地獄に放り込まれて、それなのになぜ神は救いの手を差し伸べてくれないのか。

これほどまでに神を信じ、信仰を捧げているのに、なぜ神は沈黙し続けるのか。

ロドリゴの信仰は揺らぎ始める。

キチジローは、その迷いの象徴だ。

後半、ロドリゴはある選択をし、その最期にわれわれは、この映画の真のテーマを目の当たりにして震えることになる。

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■その一方で、幕府の論理についてもしっかりと描かれる。

代官である井上筑後守がその象徴である。

イッセー尾形が実にいい演技をしていて、迫力と真実味に厚みを与えている。

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幕府の論理は明確だ。

日本にキリスト教は不要であり、むしろ害悪である。

西洋の倫理観は日本の風土では育たない。問題はそれだけではなく、日本を侵略する尖兵としての役割をになう性質をもっている。だから排除する。

現代の日本人の歴史認識と完全に一致する。

それは、遠藤周作の原作にあるからというだけではない。スコセッシ自身がそのことを理解していないと、映像からこういう説得力は伝わってこないだろう。

底の底まで『沈黙』という原作と向き合ったのだろう。

むしろ、キリスト教徒であるスコセッシが描くからこそ、 この説得力がでるのかもしれない。

一神教の信徒でありながら、真実がひとつではなく、世界は多面的であるということを心の底から理解している。

それでもなお、その多面的な世界のなかでも、神は確かに在る。

師であるフェレイラは、ロドリゴをそこに導き、ロドリゴは神の沈黙の意味を知る。

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【原作】遠藤周作『沈黙』

 

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■ロドリゴは「転び」、キリスト教を棄てて、師のフェレイラとともに、それを取り締まる側にまわる。

神は沈黙しているわけではない。

常に、理不尽な地獄を味わっているロドリゴとともにあり、同じ苦しみを背負っているのだ。

そして、キチジローが嘘をつき、裏切る、その苦しみを自ら背負うのと同じく、ロドリゴがキリスト教を棄てた、その苦しみを背負う。

苦しみや罪を背負う、それがキリスト教の救いなのだという教科書的な理解は、この159分の物語を経て、実感を伴った理解へと昇華する。

行為として神を裏切ったとしても、その苦しみを神にゆだねる限りにおいて、信仰は生きている。

ラストシーンの瞬間、キリスト教というものが体に染みわたってきたような気がした。

それは一神教は自分にはまったく合わない、理解できないと思い込んでいた自分にとって衝撃的な瞬間であって、スコセッシが25年間温めてきた念願は、そこに確かに完成していたのである。

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                      <2017.04.25 記>

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■STAFF■
監督   マーティン・スコセッシ
脚本   ジェイ・コックス
      マーティン・スコセッシ
原作   遠藤周作 『沈黙』
音楽   キム・アレン・クルーゲ
      キャスリン・クルーゲ
撮影   ロドリゴ・プリエト
編集   セルマ・スクーンメイカー


■CAST■
セバスチャン・ロドリゴ神父 - アンドリュー・ガーフィールド
フランシス・ガルペ神父 - アダム・ドライヴァー
通辞 - 浅野忠信
キチジロー - 窪塚洋介
井上筑後守 - イッセー尾形
モキチ - 塚本晋也
モニカ - 小松菜奈
ジュアン - 加瀬亮
イチゾウ - 笈田ヨシ
クリストヴァン・フェレイラ神父 - リーアム・ニーソン 
ヴァリニャーノ院長 - キーラン・ハインズ 
遠藤かおる
井川哲也
PANTA
松永拓野
播田美保
片桐はいり
山田将之
Tomogi Wife - 美知枝
伊佐山ひろ子

 

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