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2017年3月

2017年3月31日 (金)

■【映画評】『お嬢さん』、どんでん返しのプロットもすごいのだけれど、この映画の愉しみはその映像美といかがわしさが醸し出す空前絶後の猛烈な世界観なのである。

最高に美しく、最高にえげつなく、最高に楽しい。

でも子供は見ちゃだめだよ。これは大人の愉しみだから。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.96  『お嬢さん』
          
          監督: パク・チャヌク 公開:2016年6月
       出演: キム・ミニ  キム・テリ 他

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■あらすじ■
1939年日本統治下の朝鮮。日本人になりすまして華族の娘を娶り広大な敷地の中で蔵書に囲まれて住む男。その姪が引きついだ資産を狙って詐欺師の手下の女が侍女としてもぐりこむ。子供のころから屋敷を出ることもなく何も知らない無垢なお嬢さん。女は次第にお嬢さんに心惹かれていく。

■半分以上がえせ日本人による片言の日本語で物語りが進行していくのだけれど、狙ったものかどうかは分からないが、たぶんこれが一番効いている。

欧米での評価が高いらしいが、この虚構の世界を一番に成り立たせているのはこの中途半端な日本語であって、それが登場人物すべてが醸し出すインチキ臭さを象徴していて、ああ、このニュアンスを味わえるのは日本人だけなのだなと思うと、ついニヤリとしてしまう。

お嬢様は日本人という設定だけれども、ほかの登場人物は全員いんちき日本人である。

日本統治下といいながら、登場する日本人はいやらしい金持ちのじじいたちと町を行軍する若い兵隊さんだけであり、物語に直接参加することはない。

日韓の関係でいえば、日本人の金持ちとそれに虐げられる朝鮮人という構図にしたがりそうなものだけれど、こういう日本人を排した朝鮮人のなかでのえせ日本人化という図式に当時のリアルを感じるのである。

そして、上月というインチキ日本人華族の館に潜む変態世界の虚構はこの片言の日本語だからこそ笑いに変換されるのだし、リアルを欠いているからこそ、逆に深くこころに食い込んでくるのである。

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■第一部は侍女のスッキの視点、第二部は秀子お嬢様の視点で同じ物語が語りなおされる。

このあたりの構図が実に見事だ。原作の荊の城は読んでいないのだけれど、ミステリの傑作といわれるその骨格は見事に受けついているようだ。

このだましの構成の素晴らしさがこの映画の骨格だ。

しかしながら、いくらプロットがよくても面白い映画はできない。

映画にとって大切なのは見るものを引きずり込む魔物のような何かである。

■ATG映画を思い出した。

引きの静かな画面から狂気を含んだ美しさとともに猛烈な迫力が伝わってくる。

上月が原田芳雄なら完璧だ。

ふたりの女がからむ美しさは、じらすことによってその美しさを維持したままいやらしさを増幅していく。

パク・チャヌクという監督の映画は初めてみるが、いい感性をしている。

■そして何より、やはり役者だ。

スッキを演じるキム・テリ。彼女が素晴らしすぎる。

金持ちの娘をだまして金をむしり取り施設に放り込む。そのためにお嬢様に取り入る一生懸命さ。上流階級の持ち物にウキウキしてしまうかわいらしさ。かわいそうなお嬢様に同乗してしまうやさしさ。その感情と金を得ることとの間のこころの葛藤。

基本的に純真なのである。

キム・テリは、そのうるんだ瞳でそれを演じきった。

たぶん彼女なしではこの映画の成功はありえなかっただろう。

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お嬢様を演じたキム・ミニもいいのだけれど、彼女がどうしても松嶋菜々子に見えてしまって、実に困る。

彼女がハシタナイ日本語をその口にするたびに、イケナイ感が半端ない。

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詐欺師の藤原伯爵のハ・ジョンウのいんちき日本語は強烈で、もう悶絶の域である。たぶんこの映画に没入できるかはこれを受け入れられるかどうかにかかっているといっても過言ではない。

極悪人なのだけれども、何とも憎めない。いつでも死ねるというアウトローとしての矜持もあって、単純なようでいてかなり複雑な人物をあの片言で演じ切るのだからハ・ジョンウという役者の演技力もすごいのだなあ、と改めて気づく次第である。

■この映画は美しきエロ映画であり、唾棄すべき変態映画であり、こころ揺さぶる芸術映画であり、良質のミステリであり、そこに韓国映画らしいコメディの薬味を少々。

それらをいんちき日本語によってこの虚構世界をひとつの独自の物語として完成させ、観る者を没入させるのである。

ここでカッコつけるならば、虚構が虚構のままであるからこそ、そこに人間の真実が浮かび上がるのだ、などと高らかに書きたいところだけれど、この映画に関してはそういう高尚な文章は似つかわしくない。

どこまでも下品なのだ。

お○んぽ、とか、お○んこ、とか、そういう言葉の破壊力を知っているパク・チャヌク監督は変態が大好きで、この映画の登場人物でいえば変態サディストの上月のような男だ。

そこには人間の真実はない。

あるのは下卑たいやらしいニヤニヤ笑いである。

それでもなお、この映画に強く引き付けられるのは、スッキの純情も、お嬢様のやさしさも、藤原伯爵の矜持も、すべてを飲み込んでしまう狂気ゆえである。

ラストでスッキとお嬢様の上に上る満月はその象徴だ。

どこまでも追いかけてくる満月からふたりが逃れるすべはない。

たぶん、ふたりはろくな死に方はしないだろう。

しかしそれは悲劇ではない。

あくまで虚構。いんちき。

けれど、ときに人はそれを求めてやまないのである。

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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■この映画に関してはネタバレは書きません。

是非、何も観ずに、予告編も観ずに鑑賞されることをお勧めします。

                      <2017.03.31 記>

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■STAFF■
監督   パク・チャヌク
脚本   パク・チャヌク
      チャン・ソギョン
原作   サラ・ウォーターズ『荊の城』
音楽   チョ・ヨンウク
撮影   チョン・チョンフン
編集   キム・ジェボ
       キム・サンボム


■CAST■
キム・ミニ:秀子お嬢様
キム・テリ:スッキ、珠子
ハ・ジョンウ:藤原伯爵(詐欺師)
チョ・ジヌン:上月
キム・ヘスク:佐々木夫人
ムン・ソリ:秀子の叔母

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2017年3月29日 (水)

■【書評】『火山で読み解く古事記の謎』 蒲池 明弘。 古事記を単なる神話や歴史書であることから解放することで日本人の心の奥底に深く刻まれた本質が浮かび上がる。

7300年前の九州最南部における鬼界カルデラ噴火を古事記の起点に据える、目から鱗の力作である。

古事記の世界にはどうも釈然としない部分があるのだが、この説に寄ればするすると合点がいく。そして稲作を中心に据えた太陽信仰という流れで天皇の物語りをとらえていた従来の見方ががらりと音を立てて裏返り、その深い顔をのぞかせるのである。

■天岩戸の話がある。

スサノオが姉のアマテラスを訪ねて高天原に行くのだけれど、攻めに来たのだと思い込んだアマテラスと争いになる。神様を生む技比べに勝ったとはしゃぐスサノオは乱暴狼藉をし、それを恐れたアマテラスが天岩戸に隠れたので世界が暗くなってしまった、というあの話である。

従来の稲作信仰の文脈では日食への畏れの神話なのだとかいわれるが、著者は疑問を呈する。

何しろ日食は数分間の出来事で、それが大地を死滅させ、水を枯らし、「糞」をまき散らし、家の屋根に穴をあけて馬を放り込んで侍女を死に至らしめる、なんていうこととどうしてもつなげることが出来ないからである。

結論を言えばスサノオは何万年に一度の巨大噴火で、その猛烈な火砕流は九州南部を埋め尽くし不毛の地に変え、その成層圏に達する噴煙は太陽の光を何年にもわたってさえぎった。そのスサノオの「狼藉」に隠れされた太陽であるアマテラスを呼び覚ます儀式、祈りが天岩戸の話ということだ。

なるほど、と膝をたたく説明だ。

■高天原を追放されたスサノオは土地のものを苦しめるヤマタノオロチと戦い、これを退治する。

ヤマタノオロチの話の不思議さは、山をまたぐほどの巨大さなのに、甕の酒に首をつっこんで酔っ払ったところをスサノオに打たれるというスケール感のアンマッチである。

ヤマタノオロチは稲作の観点からみると荒れ狂う河川ということになるのだけれど、らんらんと赤く輝く目と、その山八つ、谷八つにわたる巨大な体には杉や檜が生えている、という記述にはどうもしっくりこない。

これが山頂から吹き出る溶岩流だとするならば、これもまた、ああなるほどな、というわけである。

山から里に攻めてくる溶岩流は、大河の氾濫とする説とは異なり、それを避ける壁を作り、そのなかで酒を奉納して祈るという姿に実にしっくりとマッチする。

スケール感の違いによる違和感が見事に解消されているのだ。

■時が下り、スサノオの子孫であるオオクニヌシの治める出雲の地を奪うべく、高天原から最後の使者であるタケミカヅチがアマテラスの命により派遣される。

ここでオオクニヌシは国を譲るかどうかを二人の息子にゆだねる。

一人はそれを受け入れるが、もうひとりの息子のタケミナカタは拒否。タケミカヅチと力比べをするのだけれど、破れ、諏訪に逃走する。

ここの謎は何故、諏訪なのか?である。

高天原の天孫族が朝鮮半島から渡ってきた人たちだとすると比較的穏やかな壱岐から山陰に渡ってくるのは分からないでもない。

でもなぜ諏訪?いきなり遠過ぎでしょう?

諏訪が縄文の中心にあり、そこまで攻め込んだ、という見方もできるが、ならばオオクニヌシは諏訪に居てもいいはずで、どうもしっくりこない。

これまでの古事記の読み方を縄文から弥生に切り替わる2300年前くらいに焦点をあてる従来のやり方で見る限り答えは出ない。

その視点を縄文時代まっさかりの一万年、いやそれにさかのぼる数万年前に置くならば、

出雲の大山も、諏訪を取り巻く八ヶ岳も、実に活発に活動してた活火山であったことが見えてくる。

■我々は縄文人を屈服させて日本を占領した弥生人の物語りとして古事記をとらえてしまうのだけれど、そうではなくて、数万年のスケールで我々日本人の記憶の中に収められた荒れ狂う火山を祈りによって治める物語りとして読み直す。

侵略と平定の物語りにしては、戦いの神が表にしゃしゃり出ることはあまりなく、先のタケミカヅチにしてもどこか牧歌的で、むしろ、そのあとの天孫降臨も含めて主人公はアマテラスであり、つねにそこにはアメノウズメが表に立っている。

アメノウズメは巫女である。

乳房と陰部をあらわにして踊るのは、隠されたものを表にだす呪術性というだけでなく、むしろ、山と熱い部分という火山との同質性にこそ意味がある。

火山を前にしたとき、武器も武人も全く役にたたない。

表に立つのは祈る人だ。

古事記とはそういう祈りの物語りなのだ。

スサノオにしても、ヤマタノオロチにしても、オオクニヌシたちにしても、さらにイザナミのイザナギからの逃走にしても、それを火山という自然の猛威ととらえると、ぎくしゃくしていた古事記の物語りがかちりと音を立ててはまり、動き出す。

それは、畏敬の念を込めて火山と付き合ってきた縄文人たちの心象風景なのである。

■そうしてみると天孫降臨がなぜ北九州ではなく、九州南部熊襲の地なのかがよくわかる。

弥生人たちが朝鮮半島から渡ってきたのだとしても、別に今の日本の国境があるわけでもなく、北九州にそれほどの意味はない。

それよりも荒ぶる火山の地である南九州こそが「祈る」人たちにとっての重要な場所だったということだ。

天孫降臨は弥生以降の渡来人と土着の縄文人を峻別するものではないのかもしれない。

ここにおいて古事記は人と人の関わりの物語りから大きく逸脱する。

降臨してきたニニギが美しく可憐なコノハナサクヤ姫と結婚するのは、コノハナサクヤ姫が薩摩富士ともいわれる開聞岳であるとするならば、人と自然との和解と読み解けるわけで、7300年前の大噴火以降、日本の火山が徐々に大人しくなっていったこと、それに合わせて縄文文化が発展していったことと無縁であるはずがない。

 

なんだろう。

この感動は。

火山国である日本の自然の荒々しさと、そこから再生される生命の美しさ、そしてそこに生きる日本人の精神的豊かさが圧倒的スケールで迫ってくる。

古事記は単なる神話でも支配者の歴史書でもない。

何万年も続く、日本人の魂の書なのである。

それは東日本大震災後の今の日本人に、深く響く。

                                           <2017.3.29 記>

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■【マンガ評】『ぼおるぺん古事記』、こうの史代。おおらかな、それでいてわれわれと地続きの神代の物語り。

■過去記事■
■【書評】ひつじの本棚 <バックナンバー>
 

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2017年3月27日 (月)

■【感涙】本物の横綱だねっ、稀勢の里!!

14日目の取り組みを見て、うるうる来てしまったのは私だけではないだろう。

まさか優勝するなんて、思ってもみなかった。

20170326

■13日目の日馬富士戦で肩から落ちて、立ち上がれないくらいのダメージをうけ、翌14日目の鶴竜戦では、もう立っているのがやっとというのが立ち合いを観ていてもわかるくらいの状態。それでも新横綱の名に傷をつけてはいけないという強い責任感と意志で土俵に立ったのだろう。その心意気が胸を打ったのである。

だから今日の照ノ富士戦は誰もがあきらめていただろうし、そのことで稀勢の里を悪く言う人は皆無だったろう。何しろ優勝するためには連勝するしかないのだから。

けれども稀勢の里はあきらめていなかった。

少し変化気味に照ノ富士をかわした初戦に続き、優勝決定戦では右手一本、小手投げで優勝を決めた。

あきらめないこととか、勝負の場に立ち続けること、なんて言葉はもうこの次元になると空虚に響くだけだ。

執念、といえばいいのか。

■1984年のロサンゼルスオリンピックでの柔道の山下とラシュワンとの決勝を思い出す。

二回戦で軸足の肉離れを起こして負傷していた山下泰裕は、結局一本勝ちで強敵ラシュワンを下して金メダルを手にする。

ラシュワンも照ノ富士も、決して甘い人間ではなく勝負に生きる人間だ。

けれども、たぶん稀勢の里や山下泰裕の放つ執念のようのものがあって、それは肉体的ハンディキャップを凌駕し、相手を精神的に抑え込む力をもっているのかもしれない。

それこそが王者たるものの所以なのだろう。

本当に素晴らしい。いいものを見せてもらった。

稀勢の里、ありがとう。

                         <2017.3.27記>

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2017年3月20日 (月)

■【社会】豊洲問題 百条委員会 石原元都知事証人尋問。都議会も同罪なのだから豊洲の本質はまだまだ見えない。

都議会って、これほどレベルが低かったのかと愕然とした。ちゃんと切り込めたのは共産党だけじゃないか。

20170320

■よぼよぼと登場し、脳梗塞の後遺症で海馬をやられて平仮名も書けないから、記憶にないこともあるかもしれないと、哀れを誘いつつ言い訳の布石を打った石原慎太郎元都知事だったが、その心配も無用であった。

何しろ、自民の質問者は、そうだよね、という共感の論議に終始し、その他の政党は何を言いたいのか、何を引き出したいのかさっぱりわからない質問とも言えない自己主張に終始。

国会のレベルも高いとは言えないけれど、都議会の各党の代表者でしょ?それがこのレベルなんて、都民はほんとうにご愁傷様としか言いようがない。

■唯一、石原元都知事が眼光鋭く、何を言いたいんだ!と権力者のまなざしで質問者を脅したのが、共産党の質問者に対してだ。

豊洲を決めたのは私だし、都の頂点にいたものとして責任はある。けれど、中身は任せていたので一切わからん。

という石原に対し、

800億円の都の支出に対し、都知事が決済しないわけがないだろう?

というのが共産党の一つ目の質問なのだけれど、石原の眼光に委縮してか、その先に進むことが出来なかった。

たぶん、この800億円というのが、豊洲の一つの焦点なのだと思う。

東京ガスから都に対策費が移った段階で経営的観点よりも利権が幅を利かせるのが目に見えていて、税金を使われる都民の観点からすると、土壌汚染対策費というエサを食い散らかし、必要以上に対策費を膨らませて私腹を肥やした連中がいるはずで、ここが許せないポイントとなるはずだし、小池都知事が対決すべき伏魔殿の本陣に違いない。

石原都知事がそこに与していたとも思えないが、少なくとも、伏魔殿に切り込むことはできなかったし、今でもそれは出来ない事情があるということだろう。

■何よりも不思議なのは800億円の対策費を都が負担するならば、それは都議会の予算委員会なりを通っているのではないかということだ。

石原がサインしたのは事実だろう。けれど、それを承認したのは都議会だろう。

800億円の利権には都の自民党はもちろん賛成のはずで、その他の政党にしても責任はある。そういう連中が質問しているんだから、百条委員会でこの問題の本質に切り込むのはどだい無理な話なのかもしれない。

■もう一つのポイントは安心と安全の問題。

豊洲の地下水はポンプアウトしてしまえば問題ないだろう。豊洲への移転を急げ、というのが石原の主張だが、実際に豊洲への移転を決めるときに関係者へ石原が約束したのは法令だけでなく、環境基準を満たすこと。であった。

だからこそ、その環境基準で地下水をチェックしてきたのだ。それがうまくいかなかったから、実際の問題はないだろう、というのは関係者に対する約束違反だ。

ある意味、移転の前提条件なのであって、その約束違反というポイントではなく、安全か安心か、なんて雲をつかむような議論に持ち込もうとする質問者もバカ丸出しである。

だから、

安全は大事だし、安心も必要だ。

けれど科学は絶対ではない。安心は豊洲や都政に限らない文明論だ。

なんて演説をさせてしまうことになる。

これって、証人喚問だろ?なんで演説してるの??

もう都議会の連中とは役者が違い過ぎるのは明白である。

■問題はまさに、石原がいう「科学は絶対ではない」というところにある。

豊洲の安心の問題は、何が起きているかよくわからない状況のなかで安全と言われても信用できない。ということだ。

実際、コンクリで埋めていても亀裂は入るし、ガスでも出れば市場に流れ込む可能性だってある。

それを今わかっている範囲で「科学的に」判断しても意味がない。そのことは福島の原発事故で日本人はいやというほど味わっているはずだ。

それに対し、石原元都知事はバランス感覚を持ち出すのだが、そこが豊洲関係者、或いは福島以降の日本人のメンタリティとの絶望的なかい離なのである。

いずれにしても、今回は豊洲問題の本質に全く切り込むことはできなかった。

「安心」の観点から、もう豊洲移転の目はないだろう。

本丸は、800億円の予算とその実態、および背後にある利権関係だ。

オリンピック関係も含めて、この闇に切り込んでいくのか、うまくなだめながら闇と付き合っていくのか、都議選に向けた小池都知事の動きに注目である。

                       <2017.03.20 記>

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2017年3月12日 (日)

■【社会】中国、ステルス戦闘機J-20を実戦配備。果たしてこれは脅威なのか。

最近の空母「遼寧」に続いてステルス戦闘機の実戦配備。中国のアピールがものすごい。

J20_2

中国国営中央テレビ(CCTV)は9日、中国の次世代ステルス戦闘機「殲(J)20」が空軍に実戦配備されたと伝えた。J20の配備が公式に確認されるのは初めて。

■ロシアのエンジンをのっけたバカでかい機体にF-22の機種部分を移植して、バランスをとるためにカナードつけました。という感じか。

Su-27からのリバースエンジニアリングとF-22の技術を盗み出すことで作り上げた「国産」機。

そのステルス性能については、F-22、F-35と見比べれば一目瞭然。

よく言って4.5世代。とてもステルスとは呼べそうもない機体だ。

F22raptor
Us_f35c__main
F-22(上)/F-35(下)

■今年の党大会で習近平の後継者が決まるというタイミングに合わせて、無理やりの実戦配備なんだろう。

なんなら尖閣近海に遊びに来てもらいたい。

最近、沖縄近海で中国の戦闘機が空自の戦闘機に絡んできてロックオン。空自の機体がフレアを放って離脱、なんてことも起こっているようで、F-22と並ぶ性能なら自信をもって絡んだらいい。

ただし空自のイーグルドライバーはF-22を模擬空戦で落とすほどの手練れだから、ステルス性を犠牲にしてまでカナードつけて機動性の悪さを補わなければならない機体はカモでしかないだろうけど。

まあ、どっちにしろステルスじゃないことがばれちゃうから絶対に日本には近づかないだろうけどね。

F-35の開発とか、MRJの引き渡し延期とか見ていてもわかるけど航空機の世界はリバースエンジニアリングが通用するほど甘くはないのだ。

                   <2017.03.12 記>

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2017年3月 9日 (木)

■【社会】森友学園問題に思う。日本人はなぜイジメが大好きなのか。

テレビでの森友学園バッシングがすごい。

Moritomo

■10億円の土地を1億円で払下げ、そこに問題の焦点があるのに、すっかりずれてしまい、世の中は森友学園の教育方針がひどいという話で持ち切りだ。

公立学校なら話は別だが私立の幼稚園なら入園しなければいいだけのことで、どうでもいいじゃん、でしょ?

行き過ぎた国粋主義教育に対して左翼勢力のあおりがあって、やっぱりマスコミは。。。というのは当たってる部分もあるにしても、たぶん本質的にはずれている。

■日本人は南方から沖縄を通ってきた人たちと、チベットモンゴルを抜けていく人たちが分かれてきたのと、最後に朝鮮半島から入ってきた人たちが混じってできた民族だ。

他民族国家ではなく、もう完全に混じってしまって一緒になってしまうのが特徴だ。

それは古事記をみても後から入ってきた天尊族がオオクニヌシノミコトをやっつけても、完全に滅ぼすことはない、坂上田村麻呂が蝦夷征伐を行ったときもジェノサイドではなく取り込む形で征服をおこなった。

ローマやモンゴルも征服した民族を滅ぼさなかったが、民族が区別がつかない形で入り混じることはなく、こういう形の融合は日本独自のものなのかもしれない。

■日本人は単一の由来ではないが単一民族だ。

それを支えるのは単一の価値観であって、そこが異物を排除しようとする「いじめ」の本質なのではないだろうか。

同一の価値観であることを確認し、そうだよね~、僕らは一緒なんだよね~、という安心感は、社会の中にある「異物」に極端に反応する。

森友学園の国粋主義教育はまったく褒められたものではないし、敢えて言えば気持ち悪いレベルである。

この「気持ち悪い」が「異物」への反応なのである。

マスコミが大好きということは、視聴率を取れるということだ。こういう番組を喜んで観る我々自身が、こういう「異物」に対する「排斥」=「いじめ」が大好きだ、ということなのだ。

■こういう偏った人間に日本の首相が肩入れしていて、官僚が政治的な力で動かされて便宜を図った、という構図をあぶりだす。

政権を切り崩すためには最高の材料であり、そのための森友学園バッシングという見方が正しいだろう。

その野党の背後には中国共産党がいるだろうし、戦後の歴史をみれば、力をつけてきた日本の政治家の目を摘み、首相さえ罠にはめるのがアメリカ・エスタブリッシュメントの手法であることを思えば、今回の一連の動きを国際政治闘争の問題として見るのも重要な切り口だ。

だが、われわれ日本人自身が自分の頭で考えることを放棄し、感覚のままに「異物」を排除する特性があって、それ故にこういうキャンペーンが成り立つとするならば、そこに問題の本質があるということなのだ。

偏狭な国粋主義思想だと嫌悪し、「いじめ」はいけない!といつも声高に叫んでいる意識の高いあなた自身が、実はそういった罠に入り込んでしまっている可能性があることをしっかりと考えなければならない。

■今回の件は、収賄と詐欺という犯罪があったかどうかが焦点であり、そこからぶれてはいけない。

犯罪者がどういう考え方を持っているかではなく、その犯罪自体が問題なのだ。

なぜ、そういう事件が起きたのかを考えるのは真相が明らかになった時点で事実に基づいて検証すべきことであり、何が起こったのかすらよくわからない今の時点で考えることではない。

自分の自然な感覚・感情はとても大切だけれども、それを冷静に点検する目も持つべきだ。

「みんな同じ」に安心する国民性は、異物を置くことで結束が強まるが故に、いじめを加速させやすく、「同じ」である安心感は、日露戦争以降の日本の悲劇や、バブル時代の狂乱につながりやすい。

この20年、漠然とした不安を抱えながら生きてきた私たちは、東日本大震災を経て、いま世界再編の荒波にさらされている。

まわりに流されない冷静な自分をいかに保つか、そしてそれを声に出して言えるか。

それが「空気」に対する唯一の対抗手段である「水をさす」という行為だと、山本七平は「空気の研究」の中で語っている。

それがますます重要な時代なのだと思う。

                  <2017.03.09 記>

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■【書評】『日米対等 ―トランプで変わる日本の国防・外交・経済』、アメリカ・ファーストの本当の意味。 

藤井厳喜、二冊目。2017年1月10日時点の情報で書かれた最新の意見を聞きたくて読んでみた。

■戦後70年の枠組みをぶっ壊すトランプ大統領登場により、日本が対米自立するチャンス到来というのがこの本の趣旨。それを日本の国防、外交、トランプ政権分析、トランプ政権の狙い、日本経済という切り口で語っていく。

■【防衛】

トランプ政権は発足後、さっそく日米安保を堅持することを明示することで日本を安心させたが、本書が書かれた時点で著者はGDP2%の防衛費をかけてアメリカの装備を購入することを提案している。

一種の肩代わり論だ。

長距離ミサイルをアメリカから買って攻撃能力を高めよ、自衛隊は在日米軍の補助部隊であり「普通の国」を目指すべき、という藤井節炸裂なのだけれど、この辺は、はいはい、と聞き流せばいい。

この人の本から得るべきなのは、現状を読み取る力なのだ。

その意味では、在日米軍のプレゼンスあってこその日本の平和、台湾の重要性、朝鮮半島の不安定性というポイントが重要だ。

特に、韓国の政治・経済の崩壊、THAAD配備に伴う中国の韓国叩き、北朝鮮による金正男暗殺と弾道ミサイル発射が在日米軍攻撃が目的であるとする声明など、朝鮮半島の急展開がこのあとどうなるか。

何があってもおかしくない。

ともかく日米安保を維持し、深めること、当面はこれに尽きるだろう。

■【外交】

トランプの勝利を予言していたのは木村太郎と自分くらいだという自慢から始まるのだが、それなら私も恐怖指数に投資してちょっとばっかし儲けたぜと自慢したくなる。

けれど本論はそこにはなくて、意図は自前の情報収集能力のなさに対する警告にある。

現地取材の情報を信じず、アメリカのメディアを信じる日本のマスコミの能力無さは別に今更というところだが、インテリジェンス(情報戦)の能力を全く持たない外務省は領事省にしてしまえという論には深くうなずく。

もう外務省に対してはあきらめていて、官邸と自民党のインテリジェンス能力を高めよ、というのが著者の論だ。

インテリジェンスの9割は映画のようなスパイ行為ではなく、一般に出回っている情報の分析だといわれるが、インターネットの時代、ますますその重要性は高まっているだろうし、逆に、著者が力説するように人とのつながりがポイントになってくるだろう。

朝鮮半島の動向だけでなく、ことしは党大会で中国の代表が変わるという重要なイベントがあるわけで、国防の観点からもインテリジェンスは死活問題だ。

■【トランプ政権分析】

トランプ政権の主要なメンバーの人物評。

キーはマイク・ペンス副大統領だという。

ポピュリストの代表として大統領になったトランプは共和党と一枚岩というわけではない、けれど法案を通すためには共和党との連携が必須である。

その意味で共和党のベテラン議員であるペンスが重要だということだ。

その背後にはトランプの娘婿のジャレッド・クシュナー(ホワイトハウス上級顧問)らトランプ一家がいて、それは彼らのバランス感覚を示していると言える。

 外交の要である国務長官にはエクソン・モービルのCEOだったレックス・ティラーソンが就いた。これがトランプの基本方針を示しているという。

1つにアメリカは石油・天然ガス(シェールガス)でやっていく、ということ、2にロシアとのつながりの強化(ティラーソンは北極海油田開発でロシアと連携)、3にアメリカ復興のための大企業との連携である。

エクソン・モービルは国際企業ではあるが、アップルのような利益最優先のボーダーレス企業ではなく、アメリカの国益を代表する企業なのだという、エクソンについては良く知らないが、日本における新日鉄みたいなものだろうか。

ともあれ、草の根から大企業までのオールアメリカンでの体制を意味するものだ。

 国防長官はテロ掃討作戦を指揮した狂犬マティスこと海兵隊大将のジェームズ・マティス。単なるガッツのある軍人ではないようで戦史、戦略の研究にいそしみ、蔵書が実に7000冊という勉強家。「戦争の本質は変わらない」という戦争観を持つようだ。

トランプは親ロシア、反中国といわれるが、歴史を踏まえた冷静な対応をしてくれそうだ。

 商務長官はロスチャイルド商会から投資家になったウィルバー・ロス。

日本でも再生ビジネスを行い、東日本大震災のときには13億円の支援基金をあつめ叙勲を受けた親日家。

金儲けばかりではない、反グローバリズムの視点を持つ人なのだろう。

 主席戦略官兼上級顧問のスティーブ・バノンは毒舌ニュースサイトを立ち上げたガチガチの草の根保守。マスコミでは影の大統領などと呼ばれ、実際、中東からの入国禁止の大統領令は彼が進めたなどと言われるが、本書での記載は少ない。

選挙戦でポピュリズムを煽る意味では重要であったが、軍事、経済、外交、という視点では今後消えていく存在なのかもしれない。

■【 トランプ政権の狙い】

普通に働けば一戸建てにクルマがあるという豊かな生活を得ることが出来るという本来の意味での「アメリカン・ドリーム」を復活させる。それがトランプが国民に約束したことだ。

そのための国益最優先であり、その敵は「アメリカン・ドリーム」の主役であった中間層から労働と金と誇りを奪い去ったグローバル企業である。

グローバル企業はアメリカの高い賃金を嫌い、生産を賃金の安い中国などの低賃金国にシフトした。

それは形を変えた植民地主義的奴隷制であると著者は断ずる。

労働基準法も環境基準も整備されていないそれらの低賃金国で過酷な労働を安い値段で強いることでグローバル企業は莫大な利益を得る。

しかもその利益はアメリカ国内に還流することはなく、タックスヘブンを経て、一部の金持ちの懐に入るという構図だ。

それをぶち壊し、再びアメリカに力を取り戻す。

トランプは経済の主体が国民にあることを知っている。

国内に莫大な投資を行い、仕事を増やし、消費を活性化させる。

それが復活の起点なのだ。

日本の政界、官僚は爪の垢を煎じて飲んだほうがいい。

■【日本の経済】

トランプがTPPから手を引くことは確定的だ。

そこで著者はチャンスかもしれないという。

TPPからアメリカが抜ければ、アメリカ企業からの提訴による国内法の改定、もっと言うと社会保険の崩壊から逃れられる。

さらには本来の意味での大東亜共栄圏が築けるのではないか、というところに夢を馳せる。

でも、それって前項の「植民地主義的奴隷制」じゃない?って突っ込みたくなるけれど、方向的には面白いと思う。

あとはアメリカ兵器をバンバン買えとか、政府発行通貨があるから国債による借金なんて全然気にすることはないとか、かなり乱暴な論がならぶ。

どうも著者の国際情勢の分析の鋭さは、それを日本に向けた瞬間に自分の願望がにじみ出てしまって、目が曇ってしまうように思われる。

そういうところに注意さえすれば、やはり視点が鋭くかつ新鮮で、追いかけたい分析者ではある。

今年はEUが本格的に崩壊していく可能性もあり、それよりなによりアジア、特に朝鮮半島のバランスが一気に崩れる可能性も高まってきた。

荒れる時代には、こういう広く客観的な視点の人物の声に耳を傾けるべきである。

                  <2017.03.09 記>

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2017年3月 7日 (火)

■【社会】経済の主体は誰か?経済学者はいい加減に目を覚ませ。

なぜ経済学者はこうも変わらないのだろう。

今朝の日経35面の経済教室の記事である。

■慶応の清田教授が保護貿易がいかに不適切なものかということをトランプ大統領の保護主義政策にからめて解説している。

要点は3つ

1.保護主義的関税を設けても結局は消費者の不利益が大きい

2.国際貿易の規模が縮小し経済がブロック化、国際政治の不安定化を招く

3.貿易赤字の理由は貿易相手国ではなく国内の貯蓄と投資の規模によるもの

 

■うーん。

学生の時から思うのは、どうして経済学者は経済をひとつのモデルに押し込んで、数式で整理しようとするのだろう、ということだ。

経済というのは「国」なんて、もやもやした実態のないものではなく、一家三人共働きで娘がこの春進学するんだけど、学費をどうする、とか、そういう民草の生活の総体なのだ。

そんなことは実感として誰でもわかることなのに、経済学者なんて連中は、理論なんてものに思考を縛られてしまい、その結果、金融緩和で金をジャブジャブばらまいてデフレ退治しようとするその同じ手で消費増税を行って景気に冷水を浴びせるなんてことをしてしまうのである。

■1.の理屈はまさにそれで、保護された産業の利益と関税と消費者の不利益を単純に足し算してしまう。そのバカな単純さの問題である。

消費者は単純に消費してるだけでなく、働いて収入を得て生活をしている。

その収入の観点がすっぽり抜け落ちているのである。

実際に収入が落ちていて、将来に不安があるから消費が伸びない。そこに問題の本質があるのだ。

トランプがやろうとしているのは、大きな希望を提示して、その民草の将来の不安を取り払う試みだ。

アメリカの工業に過去の姿はなく、モノの生産能力を海外に奪われてしまっている。価値を生み出す企業はとっくに海外にシフトしており、アメリカの「価値」を高める主体は金融技術による錬金術だ。

そんな金融バブルなんてものは民草には一切関係がなく、国が富めども人民は貧しいばかりという構図で、うまくいくかは分からないけれど、「ものを作る」ことからアメリカの自信を復活させようというのがトランプ政策の根幹だと思われる。

■2.はその通りだと思う。

貿易は世界経済の血液だ。

だが、この批判は少しずれている。トランプは決して貿易をしない、とは言っていない。二国間協議によって、それぞれの国の特性に合わせてルールを決めていこう、と言っているのだ。

TPPの問題はそれぞれの国の事情を無視して、国際企業の権利を優先させる。国際企業の規模の論理によって動き、世界の生産を地域で役割分担させてしまう。

効率、だけを考えればそうだが、そこに生かされているそれぞれの国民は牛や豚やブロイラーではない、ということを全く考えていない。

それは経済学者が、それぞれの国の国民を数式を構成する一つの変数としてしか考えないということと同義である。

ブロック経済化の話は、問題のすり替えであり、もはやそんなところに戻れないところまで世界がつながってしまっているのは自明である。

■3.については本当に悲しくなる。

 GDP=消費+投資+政府支出+輸出ー輸入

 GDP=消費+貯蓄+税

二つの観点からGDPを記述し、あろうことかここから消費を両方の式から消し去り、

 輸出ー輸入=(貯蓄ー投資)+(税ー政府支出)

なる式を導き出す。

この式が言っているのは、個人と国が富めば貿易黒字になる、ということで、「貿易赤字は通商の問題というよりは、政府部門を含めた国内の貯蓄と投資の問題ということになる」と結論付けている。

面白いことをいう。

日本は貯蓄の高く、投資も増えているにね。

■もう一度いうが、経済の主体はわれわれ民草の生活である。

安心して生活が出来て、消費が増えて、経済が活発化して、投資が増えて、そうして国家の富みが拡大していくのだ。

それなのに、その血の通った経済を数式に落とし込み、消費を両辺から消し去る感覚が基本的に間違っている。

だから投資を増やすために法人税を下げながら消費税を上げるなんて馬鹿な政策がまかり通ってしまうのである。

社会で働いて必死に生活している人ならだれでもわかる、こういうことが分からない、偉い人が作った経済モデルに縛られて、それを忘れてしまうような経済学者は害悪でしかない。

世界は資本主義が自壊していく時代に突入している。

正しい道かどうかわからないが、トランプはそれに対抗しようとしている。

たぶん、トランプ以降、5年、10年の後になんらかの道筋が見えてくるのだろうけれど、そこでえらいことにならないように、我々は必死で考え、行動しなければならない。

われわれ民草が世界を動かせるわけはないけれども、少なくとも自分の家族を守るために、しっかりと目を見開き、考え、自らの道を選ばねば生き残ることが出来ない。

そういう時代だ。

                      <2017.3.07 記>

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2017年3月 5日 (日)

■【アニメ評】『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第一章「嚆矢篇」』、怒涛の幕開け、エンドロールに男泣き。

おじさんばかりの映画館に行ってきた。なんだろう、この一体感!

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
番外編  『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第一章「嚆矢篇」』
          監督: 羽原信義 公開:2017年2月

■あらすじ■
2199年12月。イスカンダルへの一年間の航海を終え、ヤマトはコスモリバースシステムを持ち帰り、地球は救われた。2022年、地球は急速に復興し、ガミラスとの連合のもと、急速にその版図を拡大しつつあるガミラス帝国の前衛部隊との戦闘を開始しようとしていた。

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■ 最高のクオリティと熱烈なヤマト愛で「宇宙戦艦ヤマト」をリメイクした『宇宙戦艦ヤマト2199』。その続編が全7作24話で公開される。本作はその第一章(1話、2話)である。

まさに怒涛の展開。

事前に冒頭12分が公開されていて、そのスピード感に愕然としたのだけれども、そのあとの展開がまさに暴走機関車のごとき迫力。今回も安心して良さそうだ。

■絵もいい、音楽もいい、謎もいろいろ提示されて、これからの展開が楽しみだ、

あっというまの50分、そしてエンドロールであの歌が。

あの人のやさしさが、星に勝るなら♪

沢田研二のあまい歌声が響く。

『さらば宇宙戦艦ヤマト』のさまざまなシーンがよみがえり、映像は1話、2話の回想シーンなのだけれども、こころは小学生のころにのあの気持ちに戻っている。

感極まったその瞬間、今までの回想シーンの終盤に古代と雪のひとときのシーンが挟み込まれる。

これはたまらん。

『さらば』のラストの感動が一気に盛り上がり、涙腺崩壊である。

もう、まわりのおじさんもぐずぐずやり始めている。

ずる過ぎる演出だけれど、この50分で『さらば』のすべてを取り戻したようだ。

さあ、これから始まるヤマトの新たな航海。

長旅になりそうだが、楽しみだ。

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彗星帝国、すばらしい美しさ。パイプオルガンの重低音も。

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ミサイル艦、迫力です。

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ズォーダー、今回は人物を深く掘りそうな感じです。

宇宙には愛が必要だ。そう思わないか?テレサ。

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ガミラスのグルゼード級装甲突入型戦艦。物理的盾ってのも、奇抜で面白い。

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ナスカ級空母。なつかしい。プラモ作ったな。。。。

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古代の操る戦艦ゆうなぎ。戦闘機のような動きで戦線をかく乱。

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ガトランティス巨大戦艦。一隻でガミラス部隊を一掃!無敵の強さ!


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アンドロメダ登場。

これがヤマトが持ち帰ったものの結果だ。

ヤマトは昔から一貫して反戦映画だ。その象徴がアンドロメダであって、今回もそこが強化されている。

巨大戦艦はちゃっかり直撃をのがれて生き残っています。

ここからの展開がまた素晴らしいのだが、それは劇場で!

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

生き残った巨大戦艦は、後退する地球の船のワープをたどって地球へ特攻をかけてくる。

これがガトランティスのやり方か!!

このドキドキ感がたまらない!!

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ヤマトの主砲が火を噴き、波動カートリッジが巨大戦艦を蒸発させる。

この一連の動作がヤマトなんだよねえ。

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■英雄の丘も健在。トランペットがいいよね。

戦闘シーンも素晴らしいんだけど、やはりヤマトは宮川音楽にのせた登場人物の心の動きなんだよね。

これからヤマトは地球連邦に反抗して単独でテレザート星をめざすことになるのだけれど、次の盛り上がりはそこだね。

第二章は6月24日公開。

待ち遠しいなあ。

                      <2017.03.05 記>

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【Blueray】宇宙戦艦ヤマト2202 第一章
【Blueray】宇宙戦艦ヤマト2199

■STAFF■
監督 羽原信義
脚本 福井晴敏
原作 西崎義展
音楽 宮川彬良


■CAST■
古代進- 小野大輔
森雪 - 桑島法子
島大介 - 鈴村健一
真田志郎 - 大塚芳忠
ズォーダー - 手塚秀彰
テレサ- 神田沙也加(←あ、そうだったの!)

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古代、ヤマトに乗れ!

●●● もくじ 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●

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2017年3月 2日 (木)

■【社会】かまやつひろしさん、死去。わが良き、甘く苦い思い出とともに。

1日、かまやつひろしさんが肝臓がんで亡くなった。78歳だった。

Kamayatsu

ムッシュ~。

下駄を鳴らして奴がくる~♪

あの時きーみは、若かあった~♪

何にもない、何にもない、まったく何にもない~♪

の、の、の、の、ボーイ~♪今夜だけ~♪

狂って狂って狂って狂って、あとはさようなーらー♪

ゴロワースを吸ったことがあるかい?短くまで吸わなけりゃダメだ♪

ゴホゴホ

あー、ムッシュ!!!

さよなら、ムッシュ!!!

青春をどうもありがとう!

ゆっくり、おやすみください。ご冥福を。

                     <2017.03.02 記>

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