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2017年2月

2017年2月28日 (火)

■【社会】残業規制労使協議。経団連は一体どれだけ働かせ続ければ気がすむのか!長時間労働で力任せに働くやり方を根本的に変えなければ何も始まらない。

「(月100時間は)まあまあ妥当な水準だろう。」

「あまりに厳しい上限規制を設定すると、企業の国際競争力を低下させる。」

― 榊原定征経団連会長

2017228

①年720時間(月平均60時間、一日平均3時間)

②違反には罰則を設ける。

ということで政府と経団連は大筋合意。だが、経団連は月の上限を100時間(一日平均5時間)とすることを譲りそうにない。

■いやいや、ちょっと待て。

もともとの法規制値は

月最大45時間、年間360時間

のサブロク協定だろう。

ザル法になっているからといって議論しているレベルが違い過ぎる。

■経団連がいうことは分かる。

実際、わたしも10年以上前に毎日9時から11時過ぎまで働き、当たり前のように休日出勤、月の残業代は裁量労働制で一定の手当て(20時間分くらいだったか)という時代があった。で、なければ仕事が終わらないからだ。しまいには土日出勤で二週間連続勤務なんてのもあったのだから、今考えれば恐ろしいほどに働いた。

けれど、よく考えればそれは私の能力がなくてそうなったのではなく、そういう人員配置をした会社側に責任があるのだ。

「あまりに厳しい上限規制を設定すると、企業の国際競争力を低下させる。」

バカじゃないのか。

ことの本質がまったくわかっていない。

榊原定征経団連会長の論理は、いままで通りでいいじゃないか、といっているようにしか聞こえないのだ。これでは働き方革新の欠片もない。

長時間労働で力任せに働くやり方を根本的に変えなければ何も始まらない。

だからこその規制値であり、企業に対する強い罰則なのだ。

競争力がなくなる?

ドイツへ行ってみたら分かる。

個人の根性にすがるような時代はもう終わりにしよう。

                      <2017.02.28 記>

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2017年2月27日 (月)

■【映画評】 『ラ・ラ・ランド』 エモーションはミュージカルにのせて。映画はプロットだけじゃない!

『セッション』で息をするのも忘れてしまうような怒涛のラスト9分間を体験させてくれた新鋭デミアン・チャゼルの最新作は夢と愛がテーマ。

さて、今回はどんな世界に連れて行ってくれるのか。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.95  『ラ・ラ・ランド』
           原題: La La Land
          監督: デミアン・チャゼル    公開:2017年2月
       出演: エマ・ストーン  ライアン・ゴズリング 他

Title

■あらすじ■
だれもがスターになることを夢見るロサンゼルス。いつかは自分の店を持つことを夢見るピアニストと映画女優を夢見てオーディションを受け続ける若い女が偶然の出会いから互いに惹かれ始める。

■アカデミー作品賞は逃したものの、実に6つもの賞を獲得!
主演女優賞: エマ・ストーン
監督賞   : デイミアン・チャゼル
歌曲賞   : 「City of Stars」
作曲賞   : ジャスティン・ハーウィッツ
撮影賞   : リヌス・サンドグレン
美術賞   : デヴィッド・ワスコ、サンディ・レイノルズ・ワスコ

みなさん、こういう作品に飢えていたのかな、と思う。

確かに、ミュージカルは人の心を動かす。

そして、どこかで見たことがあるような懐かしさと、今まで見たこともないような映像と音楽の美しさ。

それが今回の評価の理由だろう。

 
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■さて、感想。

楽しい。実に楽しい。

色が、音楽が、歌が、カメラワークが、縦横無尽に動き回る。

ああ、これがミュージカルだな、と思う。

壮大なミュージカル巨編ではない。けれど、いまだに私のあたまのなかに再生されるジーン・ケリーの『雨に唄えば』の幸福感は、こういうものだったな、と改めてこみあげてくるのである。

いまどきの快適な映画館のシートに身を沈めながらも、なんだか懐かしい名画座の固いシートから食い入るように見つめた画面に吸い込まれていく、そういう感覚がよみがえるうれしさだ。

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■話の導入もいい。

エマ・ストーン演じる役者の卵であるミアが、古き良きジャズにこだわる不遇のピアニストと出会う。

偶然の出会いは必然となり、当然のように二人は恋に落ちる。

この理屈のなさが、恋なのだと思う。

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■問題は話の展開だ。

くわしく語るとネタバレになってしまうが、中盤以降、それはうまくいきすぎだろとか、どうしてそうなるのか、という展開についていけない、どうしてもひっかかる部分があって、ところどころ、この’夢’の世界から覚めてしまうのだ。

それでもなお、ラストではきっちり、「そうきたか!!」という展開が待っていて、思わず手を叩きそうになってしまった。

結局、見終わってしまえば、そんなことはどうでもよくて、そこには感情だけが漂っている。あのラストの表情だけで永遠が表現されていて、ああ、愛なのだな、と思える。

『セッション』で、あそこまで完成されたプロットを作り上げたデミアン・チャゼルは、今回敢えてそれを崩したのだろう。

愛に理屈はない。あるのは一瞬の、永遠の、想い、それだけだ。

たぶんそれがメッセージなのであって、それはプロットではなく、ミュージカルそのもので語るものなのだ。

    
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■なんといっても、ラスト前。

一流映画スターになったミアは何故か前の金持ちの彼氏と結婚。子供もいる。

夫婦で渋滞した道を外れて入ったジャズバーのオーナーがセバスチャンで、という場面。

シーンは二人がバーで出会ったシーンにさかのぼり、すれ違うはずが、再会をよろこび、抱き合い、そこからの人生を二人で幸せに過ごす。

それもまた幻で、、、、

思い返せば、オープニングはロスの高速の渋滞場面。

ロスで夢を追う人たちは、その人生の渋滞のなかで踊り、歌い、人生を輝かせる。

このラストの導入もまた渋滞で、セレブになったとしても、人生はうまく進まない渋滞道路であり、そこから横道にそれた場所で小さな夢を見る。

そういう場面なのだろう。

そう、人生は思い通りにはならない。けれど、その渋滞走路の脇にはそうあったかもしれない側道が常に走っている。

別れ際のミアとセバスチャンの表情がそれを物語っている。

人生にしっかりと組みあがったプロットはいらない。

ジャスのようにいつも入れ替わりながら、いつも違った顔で現れる。

だから生きていけるのだ。

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                      <2017.02.27 記>

■『セッション』の鬼教師、J・K・シモンズも参加。いいよね、このおじさん。

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【サウンドトラック】
 

【Blu-ray】

■STAFF■
監督   デミアン・チャゼル
脚本   デミアン・チャゼル
製作   フレド・バーガー
      ジョーダン・ホロウィッツ
      マーク・E・プラット
      ゲイリー・ギルバート
音楽   ジャスティン・ハーウィッツ
撮影   リヌス・サンドグレン
編集   トム・クロス
美術   デヴィッド・ワスコ、サンディ・レイノルズ・ワスコ

■CAST■
ライアン・ゴズリング - セバスチャン・ワイルダー、ジャズ・ピアニスト
エマ・ストーン     - ミア・ドーラン
J・K・シモンズ     - ビル、レストランの経営者
フィン・ウィットロック - グレッグ
ローズマリー・デウィット - セバスチャンの姉
ミーガン・フェイ    - ミアの母親

●●● もくじ 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●

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2017年2月26日 (日)

■【書評】『最強兵器としての地政学』 藤井厳喜。相手の気持ちで地図を眺めれば世界の今が読めてくるのだ。

面白い。一気に読み終えた。

近現代の世界史といまの世界の見方が一気に体系化され、なるほどと腑に落ちる。地図の読み方というだけでなく、そこに歴史と民族の動きを捉えたとき、今われわれの目の前で動いている一つ一つのニュースの意味がしっかりとした形をともなって立ち上がってくる。これからの世界の動きが読めてくる、特に中国の思惑と対抗手段を理解する上で最良の本なのではないだろうか。

■真ん中に日本があり左手にはユーラシア大陸、右手には太平洋とその先にアメリカ大陸がある。そんな世界地図を見ているのは日本人だけである。という当たり前のことに気づかせる最高の教材は上下さかさまのオーストラリアの世界地図である。

同じようにイギリス人は、アメリカ人は別の世界地図を見て生きている。

北極圏が異様に拡大されたメルカトル図法の地図も、航海に便利だというだけで、別の目的からすれば別の地図を見る。上が北、左右が東西なんて決まっているわけではない。

東西冷戦の時代にアメリカとソ連の関係者は北極を中心としてアメリカとソ連がにらみ合う地図でものごとを考えていた。メルカトル図法の地図だけを見ていたのでは決して理解できない緊迫感がそこにはある。

■地図の中心をどこに置くのかだけではない。そこにどういう物語が起きるのかが問題だ。

地政学は大きな力をランド・パワー(大陸国家)とシー・パワー(海洋国家)に二分することで整理し、理解していく。

中国やロシアはランド・パワー、イギリスやアメリカ、日本はシー・パワーと定義づける。

ランド・パワーは大陸の中心にどっしり構え、陸を進み、周辺の海を目指す。一方のシー・パワーは港の拠点を抑え、海上通路を確保することで海を支配する。

その物語はローマ帝国、モンゴル帝国の時代から普遍であり、歴史は繰り返していく。

日本の戦略を考えるうえで一番参考になるのは同じ大陸の反対側の端に生きるイギリスである。

イギリスは大西洋からアフリカ最南端の喜望峰を確保し、一方で地中海を抜けてカイロを支配、インド洋に抜けてカルカッタを押さえて海洋帝国を確立した。

大英帝国の成功は、シー・パワーであることをわきまえ、決して大陸を支配しようとはせず、大陸がひとつの勢力に染まらず対立の構図が続くように政治的介入をすることで大陸からの侵略が起こらないような防備に留めたことにある。

日本の失敗はシー・パワーでありながら中国大陸の奥深くまで進出してしまったことにある。

日本はアメリカを敵にすべきではなく、地政学的にはむしろ後ろ盾にすべきであって、そのなかで大陸を牽制しながら沿岸沿いに進むべきであったのだ。

と、しても拡大路線を進めば東南アジアでアメリカ、イギリス、フランスの権益とぶつかるのは必然で、既存の勢力との戦争と敗戦は避けられなかったのかもしれないが、、、。

■地政学的観点からみれば、歴史を読むだけでなく、今を解釈し未来を読むことができる。

著者の藤井厳喜はロシアのクリミア併合を予測していたという。

彼はモスクワを中心とした地図を載せる。それを眺め、モスクワに住む人の気持ちになれば、クリミアがロシアの絶対防衛の要であることがよくわかる。

バルト海のサンクトペテルブルグと黒海のクリミア半島はロシアが海に出ていくための要衝である。黒海への出口を失えば黒海を中心とした地域のプレゼンスを失い、クリミアから1000kmしか離れていないモスクワは丸裸となってしまうのだ。

プーチンの強権だ、帝国主義の復活だと世界の世論がいかに騒ごうが、ここはロシアが生き残るためには絶対に必要な場所であり、政治的な戦略がウクライナのクーデターで覆されたとき、防衛的に必要な行動であったということだ。

これは新聞やテレビのニュースを見ていても理解できないことである。

それはアメリカであったり、イギリスであったりする視点で作られたニュースであり、それをなぞるだけの日本のマスコミには到底たどり着かない視点なのである。

そしてそれは日本とロシアとの関係、そして中国の関係を考えるうえで、どうしても必要な視点なのである。

■ロシアとの関係を考えるときに重要なのは北方領土だ。

ロシアの東の出口であるウラジオストック。

そこから太平洋に出ていく道はサハリンと大陸の間の間宮海峡、そして日本の北の宗谷海峡、日本本土を抜ける津軽海峡、対馬海峡だけである。

冬季に海が凍れば北の回路は閉ざされる。そのことを考えれば、ロシアにとって、いかに日本が邪魔であるかがわかる。

冬季の限界線が流氷が流れ着く北海道北部あたりにあるとするならば、宗谷海峡を抜けて千島列島の最南部の北方四島を押さえるルートの確保がウラジオストックを活かすための要点であることが理解できる。

今の日本にとって重要なのは中国の海への進出を押さえることである。

そう考えればロシアとことを構えるのは得策ではない。ロシアは決して北方四島を手放さない。彼らが太平洋に出ていくための生命線だからだ。それを無理に全島返還などと強く出たところで反発を招くだけだということだ。

■海に出ていきたいのは中国も同じだ。

著者は、その要衝は台湾だと喝破する。

沖縄と台湾に押さえられた東シナ海。台湾と東南アジアが押さえる南シナ海。

囲碁の渾身の一手のように台湾は中国の海洋進出を抑え込んでいるのだ。

中国は今般の南シナ海の占拠と同時に、鉄道と河川の支配によってインドシナ半島を取り込みつつある。

これにより南シナ海を占拠されれば日本はその生命線であるシーレーンを分断されるだけでなく、SLBMを搭載した中国の原潜に隠密行動を許すことになり、核戦略的にも危機的な状況に追い込まれることになる。

この囲い込みを完遂させる要衝が台湾なのだ。

■著者はこれからの日本が取るべき道は、海洋国家、シー・パワーとして、まずアメリカをバックに持ち続けること。二つ目に、台湾を含む東南アジア諸国との連携、3つ目に中国を大陸的に囲む中央アジアとの連携だという。

中国が覇権国家として世界を牛耳ろうとする戦略が明確である以上、それに対抗するこの囲い込み戦略は理にかなっている。

中国が太平洋に出ていこうという思いが日本の権益と存続に強い脅威となる限り、それはうまくいかない、割に合わないと思わせる必要がある。むしろそれが戦争を回避する道なのだと思うのだ。

■著者の思想はどこか偏っているようにも思える。特に中国、韓国に対する嫌悪は強烈だ。

日本にとっての大陸に対する重要な緩衝地帯である朝鮮半島を味方につけておく必要性を考えれば、どうなのか、と思えるくらいだ。

彼の考え方を丸のみにするのは極めて危険だ。

けれども、考えるルールとしての彼の地政学は極めて有効である。この本が出版された時期はアメリカ大統領戦は終わっていないのだが、トランプの勝利を予言している。

地政学は地理だけではく、民族の心の動きを読む学問なのだと理解した。今の世界はグローバリズムが限界に達し、民族主義が立ち上がってきている時代なのである。イギリスのEU離脱でそれは決定的になった。その文脈でみればトランプ当選は自然な流れであり、彼の地政学は、世界史を俯瞰した歴史観で現代を眺め、その流れを見極める技なのである。

彼は今後の世界を覇権国家が不在の混乱の時代と考えている。その中で日本がどう生きていくべきなのか、本書はその重要なヒントを提示してくれている。

                          <2017.02.26 記>

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ロシアの覇権主義とイギリスの覇権主義が日本で衝突した時代について考えるとき、世界全体と日本周辺の地政学的状況は極めて強い緊張状態となった。その状況を理解する世界観というものを教えてくれたのは司馬遼太郎の坂の上の雲である。

この地政学の本を読んで、改めて坂の上の雲の素晴らしさを理解した。

■過去記事■
■【書評】ひつじの本棚 <バックナンバー>
 

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2017年2月16日 (木)

■【社会】南スーダンPKO稲田防衛大臣国会答弁。正直すぎる人間の政治家としての資質とは。

野党によるいつもの揚げ足取りに見えるのだけれど、日本がなすべきことは何か。その道筋を考えるうえで実はかなり重要な問題をはらんでいるように思える一件である。

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国会では南スーダンでのPKO活動に参加する陸上自衛隊の「日報」に、去年7月、首都ジュバで起きた事態をこれまでの政府見解と異なり「戦闘」と記していた問題をめぐって、民進党が稲田防衛大臣を追及した。PKO参加5原則は「戦闘行為」があると政府が認めた場合は参加できないとしていて、9日朝の衆院予算委員会では、「日報」に記されていた「戦闘」という言葉を取り上げ、民進党の後藤氏が繰り返し戦闘行為があったかどうか稲田大臣をただしたが、これに対し稲田氏は「法的意味における戦闘行為ではない」と重ねて答弁したため、民進党などが反発、後藤氏は稲田防衛大臣の辞任を要求した。

■日報の内容が伝わってたとかどうかとか、どうでもよくて、昨年の7月に南スーダンの武力衝突では日本の大使館員も自衛隊宿営地に避難する事態になっているのだから政府が把握していないはずはない。

今回の騒動は、「戦闘」を「法的意味における戦闘行為ではない」と答弁したことにあるのだけれど、誰がどう見ても「戦闘」であって、PKO5原則に反するじゃないか!という民進党の論は一見正しいように見える。

しかし南スーダンのPKOは2011年当時の民主党政権下で決定され、2012年に開始されたもっとも過酷といわれているPKOミッションだ。

世界の最貧国であり、停戦合意があっても極めて不安定であることは十分に分かっていて民主党政権は自衛隊を南スーダンに送り込んだのである。

まともな責任感のある政党であるならば、日報がどうこうなんてくだらない話をする前に、戦闘が起きた7月の時点でPKO参加の原則前提が崩れたと撤退の話をするべきだし、そもそも2013年末に内戦が発生しているわけで、今更なにを言っているのか訳が分からない。

自衛隊員の命と日本の基本姿勢についての重大な問題を政争の具としてしか考えな野党をみるにつけ、日本には二大政党制はやはり無理なのだとあきらめざるを得ない。

民進党については、あまりにくだらないのでここまで。

■問題の本質はPKOへの参加と日本の平和憲法の齟齬にある。

今回の南スーダンPKOの概要は以下のとおり。

インフラ整備などを行う施設部隊330名、活動支援部隊40名、海自補給部隊140名、航空補給、整備部隊170名。

要するに荒廃した南スーダンの復興が自衛隊のミッションなのだ。

背後にはアフリカで大きなプレゼンスを拡大している中国への対抗意識や大手商社の利権もあるだろう。

しかしながら自衛隊員は苦しんでいる人たちの生活を取り戻す、そういうモチベーションで働いていると信じたいし、その姿が日本という国のあり方を世界に示す重要な役割を担っているのも事実だ。

しかしながら、日本国憲法で「国権の発動としての戦争」を放棄している我が国は、どうしてもPKOの活動に手かせ足かせを加えざるを得ない。

その手かせ足かせを積極的に外そうとする駆けつけ警護の「普通の国」的発想には賛同しないが、消極的に、法解釈でなんとかごまかしながら平和主義的PKO活動で世界に貢献し続けようという姿勢には同意する。

PKOと憲法の齟齬を正攻法で無理に正そうとすること自体に、むしろ危険なものを感じるのだ。

今回の稲田防衛大臣の発言は、実はここまで考えてのことではないか、というのは穿ち過ぎか?

矛盾を矛盾として世に問うことで、改憲に話を持っていくというのもひとつの道筋だからである。

■稲田朋美という人は真面目な人だ。

法律家として育ち、自虐史観に反発を覚え、活動する中で政治家になった人である。

いかにも固い。

過去を全否定し、なかったことをあったかのように宣伝する中国のプロパガンダとそれにのった朝日新聞を中心とした日本のマスコミには私も猛烈に反発する。

だが、歴史は事実ではなく勝者によって作られるものだという視点に立てば、絶対に守らねばならないことと目をつぶるべきことが見えてくるものである。

政治についても同じであって、世の中には世の中の人の数だけ真実があると考えるならば、絶対に正しいものなんてものはあり得なくて、その中でうまくこの国を守り育んでいく、そのためには方便という名の嘘も必要なのだ。

稲田防衛大臣が改憲論の盛り上がりまでの策略を考えて、今回の発言に及んだかどうかは分からないし、たぶんそこまでは考えていないのだろう。

けれども、方便を嘘だと認めてしまう今回の発言を見るにつけ、政治家としては不向きではないかと思ってしまう。

中曽根首相の時代まで、つまり吉田学校の流れが生きていた時代までは、政治家にその度量が残っていたような気がする。

正しいとこをすることは政治においては正義とは限らない。

安倍政権になり、どうもその単純すぎる思考回路に不安を感じてしまい、その最たるものが憲法改正なのである。

変な話に流れていかないか、心配はその一点だ。

 

【PKO参加五原則】(1)紛争当事者間で停戦合意が成立していること、(2)当該地域の属する国を含む紛争当事者がPKOおよび日本の参加に同意していること、(3)中立的立場を厳守すること、(4)上記の基本方針のいずれかが満たされない場合には部隊を撤収できること、(5)武器の使用は要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること

                       <2017.02.16 記>

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2017年2月13日 (月)

■【社会】清水富美加、突然の出家に想う。大人の理屈と電通の論理。

タレントの清水富美加が突然の引退、幸福の科学に出家した。

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■新興宗教は嫌いである。

弱い心に付け込んで、ひとつの価値観に染めてしまうからである。

だが、今回の件については新興宗教という面を一度外して考えた方がよいのではないだろうか。

テレビのコメンテータは言う。

22歳という立派な大人なのだから、自分の行為がまわりにかける迷惑を考えなければならない。

撮影中の映画もあったのだというから、その通りだと思う。まさに正論だ。

■しかし、ある感覚に囚われ、蝕まれ、正常な思考を失うことは誰にだって起きることなのだ。

そのことを考えずに正論を振りかざして彼女を批判するのはいかがなものか。

ブレイクする前に、まったく休みなく眠る時間もないほどに働いて5万円ほどの月給しかもらえなかったという主張が本当かどうかは分からない。本当ならば時給換算で最低賃金1000円どころか100円とか200円の世界である。

いや、タレントなんてそんなもんだ。みんなそうやって耐えて頑張っているんだ。と、誰もが言うだろう。

けれど、それは先の正論とおなじ大人の理屈だ。

そして、それは自殺者まで出した電通の論理と根っこのところではまったく同じ論理なのだということに、彼らは気づいているのだろうか。

■22歳が子供かどうかは分からないが、「大人の理屈」に彼女が抵抗したことはたぶん確かなのだろう。

「大人の理屈」とは、いわゆる大人ではなく、社会の理屈だ。

それはその社会のお約束に従って定められるものである。実はそれは幻想にすぎないということに気づかなければならない。

極限状態に追い込まれたとき、ふと、それが幻想だと気づくことがある。そこに年齢は実はあまり関係なくて、60歳の定年を迎えたときに幻想に気づく、それに、22歳にして彼女は気づいてしまっただけなのかもしれない。

重ねて言うが、新興宗教は嫌いである。

けれど、追い込まれ、社会の幻想に従う(いわゆる)正常な判断力を失った人間に、幻想を押し付けるのはやめにしよう。

彼女のように逃げ込む場所のない人間にはもう、死しか思い浮かばなくなってしまうのだから。

                         <2017.02.13 記>

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2017年2月 9日 (木)

■【映画評】『プロメテウス』、なぜ神は自らに似せて我々を作りたまいしか?作り手が陥る罠について。

ブルーレイで改めて落ち着いて観たら、意外と傑作だった。劇場ではエイリアンの前日譚として観てしまったから少し観かたが浅くなってしまったのかもしれない。

あくまでもこの作品は人間と創造主の物語なのである。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.58-2 
『プロメテウス
           原題: Prometheus
          監督: リドリー・スコット 公開:2012年 8月
       出演: ノオミ・ラパス マイケル・ファスベンダー他

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■ストーリー■
人類の起源にかかわる重大な手掛かりを発見した科学者チームが、謎を解明するために宇宙船プロメテウス号に乗り組み、未知の惑星に向かう・・・。

■この映画の素晴らしいところはテンポの良さだ。

いくらでも引き延ばせる話をトントン進めていく。

プロローグでの生命誕生のシーンから、エリザベスとチャーリーが洞窟で壁画を発見するシーン、そして宇宙へ。

そこまで一切の説明はなく、宇宙船が目的の惑星にたどり着き、乗員がコールドスリープから覚めてブリーフィングを受けるまで観客も状況が分からない。

それでも見るものを飽きさせないのはテンポの良さに加えて、想像力を掻き立てる見せ方とリドリーの映像の美しさによるものだろう。

■惑星に到着してからも、探検あり、異星人のホログラム映像あり、死体あり、遺跡あり、砂嵐ありと実に飽きさせない。

わくわく感がさらに膨らんでいくうまい作り方だ。

けれど、実はそこに問題があって、スピード感を維持するために捨て去ったものが多すぎる、それゆえの分かりにくさがどうしても出てしまい、一番の盛り上がりの終盤に「あれ?」となってしまったのだろう。

未公開シーンを見て、ようやくわかることがあまりにも多い。

それについてはネタバレ以降に述べるとしよう。

■それ以外に強く感じたのはエリザベスを演じるノオミ・ラパスの演技のうまさ。

特に中盤の手術のシーン以降に神が宿る。

ここからはセリフではなく表情と動きで伝えることになるのだけれど、彼女が追い詰められる、おいおい!という状況は下手をするとお笑いになってしまうのだけれど、彼女の演技力のおかげで緊迫感が途切れない。

『エイリアン』のときのシガニー・ウィーバーのような色気はまったくないが、極限状態での演技力に関してはそれに近いものを出していて、リドリーがほれ込んだのもうなづける話だ。

Noomirapaceinprometheus

■あとは今回のメインディッシュである〈エンジニア〉こと大柄な異星人。演じたのは長身の俳優イアン・ホワイト。これがまた雰囲気がいい。

長身の人にありがちな手足のバランスの悪さはまったくなく、ローマ人が泣いて喜びそうな均整の取れた肉体美を見せつけてくれる。まさに神話的存在感。

そしてこの表情。黒い濡れた瞳に見つめられると吸い込まれてしまいそうな神秘的気分にさせられる。

これでこそわれらの創造主たる神なのである。

『エイリアン』でのビッグチャップと同じぐらい、このエンジニアの存在は成功だと思う。編集ですべてのセリフはカットされたのだけれども、それもその意味では正解。この神秘性こそが『プロメテウス』の本質だと思う。

Prometheus

■アンドロイドのデイヴィッドも素晴らしい。

宇宙船の乗組員がまだ眠っているなかで孤独に過ごす最初のシーンから引き込まれる。『アラビアのロレンス』がお気に入りでセリフをそらんじ、エリザベスの夢を盗み見る。

感情がない、といっておきながらバリバリに自我がある。

人間でないことを理解していて、かといって劣等感を抱くとか、理解できないと突き放すのではなく、言葉に出さない人間への複雑な思いをにじみださせるマイケル・ファスベンダーの演技はかなり面白い。

ノオミ・ラパスとは対照的な正統派の演技のうまさだ。

創造主と人間の関係を考えるときに、人間と人間が自らに似せて作ったアンドロイドの関係との二重構造があって、それがわれわれが創造主の感情を推察する糸口になるという物語の構造なのだけれども、それはマイケル・ファスベンダーの演技力あってこそなのである。

デイヴィッドに「なぜ我々を作ったのか?」と問われて、チャーリーが「作れたから」と答えるシーンがあり、デイヴィッドがある決意をするのだけれど、この作品のテーマに直接ヒントを与える最重要のシーン、あとはエンジニアが作り出した宇宙図の美しさに恍惚とするシーン。この二つは特に光る。

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【Blue Ray】プロメテウス

 

■【映画評】『エイリアン コヴェナント』  或いは、フランケンシュタインの怪物が自ら名前を得る物語。

■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■さて、BlueRayに収められている未公開シーンである。

いろいろと面白い映像満載で、こんなに重要なシーンを大量に削ってしまったのかと驚嘆するのだけれども、オーディオコメンタリーを聞く限り、ともかくスピード感優先で容赦なくザクザク切っていったようである。

・ヴィッカーズとウェイランドが対面するシーンでは、ヴィッカーズがゆがんだ形で父への愛を示し、それをウェイランドが突き放す流れになっていた。

・覚醒したエンジニアと乗員が対峙するシーンでは、エンジニアはしゃべっていた。その言葉の意味は「パラダイス(楽園)」であった。

多くの未公開シーンのなかでもこの二つを削ってしまったのは少しやりすぎだったかもしれない。

■終盤の盛り上がりの中で引いてしまうのが、ウェイランドがなぜここまで不死にこだわるのかがわからないまま突然怒り狂ったエンジニアに殴り殺されてしまうシーンだ。

ヴィッカーズとウェイランドの会話の公開版でも一応意味は通じるが、フルバージョンを見れば、ヴィッカーズが崇拝した父は如何に超然とした権威であったかが感情としてわかるし、それゆえに不死に取りつかれた無様な姿がヴィッカーズを通じて我々にも沁みてくる。

さらにエンジニアとの対話でウェイランドが自ら創造したアンドロイドを示しながら私はあなたと同じ神だから不死になる権利があると訴え、それを聞いたエンジニアが「作られたものの分際で!」と激怒しデイヴィッドの首を引っこ抜いて人間どもを殴り殺すのも理解できるのである。

そしてエンジニアがしゃべった一言が「パラダイス」であるとデイヴィッドがエリザベスに語るラストの方のシーンも話の流れ上カットされているのだけれど、それは何故エンジニアたちが人間を滅ぼそうとしていたかについての重要なヒントであって、それ無くして理解させようというのはあまりにも酷な話だ。

要するに、地球をパラダイスにしようと生命を生み出したのにできた結果の人間は失敗作だったから消去する、そういうことだと想像できるのだけれど、このヒントなしでは無理ゲーにも程があるということだ。

■テンポの重要さはわかる。

けれど編集する方はすでに答えを知っているのだ。その意味で、まったく背景の知識を持たない観客とは絶対に同じ土俵には乗ることができない。「わかるだろ?」と編集するものが考えたとしても観客とは根本的に視界が異なるのだ。

そこに罠があったのだと思う。

次回作の『エイリアン:コヴナント』を見る前に、ファンは是非とも未公開シーンとオーディオコメンタリー2種は押さえておきたい。いやはや実に不親切な話なのだが、、、。

                   <2017.02.09記>

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●●● もくじ 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●

【DVD】プロメテウス+エイリアンシリーズBOXセット

■STAFF■
監督     リドリー・スコット
脚本     デイモン・リンデロフ
        ジョン・スパイツ
製作     リドリー・スコット
        トニー・スコット
        デヴィッド・ガイラー
         ウォルター・ヒル
音楽     マルク・ストライテンフェルト
撮影     ダリウス・ウォルスキー
編集     ピエトロ・スカリア
製作会社  スコット・フリー・プロダクションズ
        ブランディーワイン・プロダクションズ

■CAST■
エリザベス・ショウ     ノオミ・ラパス
若い頃のショウ       ルーシー・ハッチンソン
メレディス・ヴィッカーズ  シャーリーズ・セロン
キャプテン・ヤネック   イドリス・エルバ
デヴィッド         マイケル・ファスベンダー
ピーター・ウィーランド  ガイ・ピアース
チャーリー・ホロウェイ ローガン・マーシャル=グリーン
フォード          ケイト・ディッキー
フィフィールド       ショーン・ハリス
チャンス         エミュ・エリオット
ラヴェル         ベネディクト・ウォン
ミルバーン        レイフ・スポール

エンジニア        イアン・ホワイト
 

Trilobiteattack

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2017年2月 7日 (火)

■【社会】日本第一主義でいいじゃないか。

さっきTBSで論客面談なる番組をやっていて、橋下徹と小林よしのりがやりあっていた。

TPPに反対、グローバリズムでは金持ちしかもうからない、という小林よしのりの主張に全面的に賛成!アメリカ第一主義には日本第一主義でやりあえばいいだろうというのはその通りだ。

橋下は自由貿易で疲弊する日本の産業があるのも確かだが、消費者の利益があってそれを無視するべきではないと言い募るのである。

小林よしのりはもっと整理してしゃべるべきだった。

論点は2つあるのだ。

①食料・食糧とエネルギーと健康保険は死守しなければならない。

自由貿易の問題に、これらの国民の安全と健康にかかわるものを絡めてはいけないのである。それは広い意味での日本の安全保障の問題であり、TPPではそれらがターゲットになっていたわけだから、安いものを手に入れる代わりに安全を売り渡す愚についてしかっりと語るべきだった(食糧については少し触れていたが)。

②上記安全の問題を抜いたとしても、安いものが消費者の幸せを生むわけではない。

外国から安いものが入ってくるからメリットが大きいと橋下はいうが、支出だけ考えてどうするんだということ。

この20年のデフレでモノは安くなったが、それで果たして皆が豊かになったのかということだ。

収入が上がらなければ、支出は増えないのである、豊かになったとは言えないのである。ここのところ支出が増えているように見えるのは二分化された消費者の豊かな層によるもので、多くの層がどうかといえば、はなまるうどんでかけうどんにかき揚げをつける付けることに贅沢を噛みしめるお父さんたちを見れば一目瞭然なのである。

その二分化をもたらしたのはグローバリズムである。

この2点に論点を整理していれば、もっとわかりやすかったと思うのだが。。。

 

いずれにしてもトランプはグローバリズムの弊害を明確に指摘し、保護主義に舵を切った。日本は、それに対してどうするのか?

トランプは確かにろくでもない部分はあるが、America 1st!は民意に沿い、明確にアメリカ国民の方向を向いた政策である。

アベノミクスが日本国民の方を向いた政策ではなく、日本企業の方向を向いた政策であることと極めて対照的だ。

日本もそろそろ舵を切り始めなければ難破してしまうぞ。

                       <2017.02.07 記>

 

 

 

 

 

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2017年2月 1日 (水)

■【社会】トランプ大統領を読む。老害と独裁と反論を受け入れる力。

就任早々トランプ大統領の暴走が止まらない。

Trump

■就任から10日余り、しばらく様子をみていたのだけれど、うーん、どうなんでしょうね。

不動産業で独裁者としてやっていた男がアメリカ大統領としても、その思考回路が変わらないならば、かなりの問題だ。

一般に権力を握った年寄りは独善的で人の話を聞かない。

たしかに70歳の高齢であっても思慮深い人はたくさんいるけれども、ビジネスの世界で独裁者であったなら自然の成り行きとして反対意見に対して猛反発して力で押しつぶす人間となるだろう。

今回の中東諸国からの入国拒否と、その反論に対する対応はまさにそれだ。

■スキルの高いビジネスマンとしての判断力と実行力、そして交渉力。それがトランプ大統領に期待することであった。

法律に依らずにツイッターで国内外の自動車会社に国内生産を促すそのやり方はまさにそれで、まあ問題があるにしても、策士だなあと感心していた。

けれども今回は、老害の独善的くそじじいそのものの印象をぬぐえない。

百歩譲って、ビジネス上の付き合いが深いサウジアラビアとアラブ首長国連邦以外の中東諸国からの入国を停止する大統領令を突然発令した件について、ある程度の理由があったとしよう。

それに対抗しようとした司法省長官を即刻解任したのも指揮命令系統の混乱を避ける意味でありだとしよう。(配下の官僚も統制できないのかと呆れるのは置いておいて。)

けれどNYタイムズを廃刊にせよと大統領が発言するのはいかがなものか。

批判に対しては、それを納得させる説明をして議論を進める。それが民主主義の基本だが、今回の発言は自由の象徴であるアメリカ大統領がそれを否定しているようなものだ。

司法長官の件も含めて、批判、反論に対応する能力がトランプ大統領には絶望的に欠如していることが明らかになったということだ。

■政治家に対する絶望というのはあって、それは国民のなかにあるイライラと鬱積しているものをずばりと解消できない、ぬるぬると煮え切らないところにある。

そこでトランプが出て来たという構図なのだけれども、そもそも民主主義国の政治家が煮え切らないのは国益を考えたときに国内の反対意見や他国との政治的なかけひきを考えたときに、物事が単純にはいかないからだ。

自分の考えを貫こうとしたときに、他者の意見を聞いて議論するという態度がなければ(それが聞くふりだとしても)、それは独裁というものだ。

■少し勘違いをしていたようである。

今までのトランプを見ていて、あの態度は選挙のための演技であって、実はもっとしたたかな策士なのだと思っていた。

反論は許さん、という態度が彼の本質なのだとするならば、かなり深刻だ。

それは自由がどうだという高尚なものではなくて、これから焦点となってくる中国との駆け引きのなかでアメリカがかなり足元を見られるということだ。

ケンカをするときに、次の動きが読めるほど楽なものはない。

一つのパンチは強いかもしれないが当たらなければ意味がないのだ。

単純な老害大統領を手玉に取って狡猾な中国共産党の連中がアジアでプレゼンスをさらに強くしていく、、、

それは日本にとって死活問題なのである。

残念ながら中国ののど元を抑えられるのは今のところアジアの制海権を握るアメリカだけだ。

中国の海洋進出を押しとどめ、我々のルールのもとで商売をさせるのがアメリカのとっても利益になるのだと何とかトランプに理解させ、変に妥協したり、逆にケンカしたりしないようにうまくコントロールしなければならない。

日米首脳会談。安倍首相の責任は重大だ。

                      <2017.2.1 記>

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