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2016年11月27日 (日)

■横浜市福島原発避難者いじめ事件で考える、世の中の理不尽と戦う強さについて。

この事件、子供を持つ親の身として、いろいろ考えてしまった。

毎日新聞 2016年11月24日

原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年男子生徒がいじめを受け不登校になった問題で、生徒の40代の両親が23日、報道陣の取材に初めて応じた。事態を1年以上も放置した小学校や市教育委員会の対応に「すべてが遅い。訴えを聞いてもらえず、不信感ばかりが募った」と怒りをぶつけた。

    両親は「子どもは教育を受ける権利を侵害された。友達と楽しい時間を過ごすこともできず悔しい」と訴えた。いじめを受けていた当時の様子について「自殺しても仕方のない内容で、子どもはボロボロになった」と明かした。一方で「『死んだら何も言えない。助けてくれる大人が必ずいる』との子どもの言葉を伝えたい」と子の思いを代弁した。

    同級生から「(原発事故の)賠償金があるだろ」と金銭を要求され始めたのは2014年5月。父親はいじめ防止対策推進法の条文を調べ、約150万円に上る金銭授受は「重大事態」にあたるとして「法律に基づいて対応してほしい」と学校に訴えた。しかし、学校は重大とは受け止めなかった。逆に「生徒が率先して金を払っている」という前提で話をされたこともあるといい、父親は「八方ふさがり。無力感しかなかった」と悔しさをにじませた。

    「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだから、つらいけど、ぼくはいきるときめた」。公表された生徒の手記は小学6年だった15年7月、母親の目の前で書いたという。当時すでに不登校となっており、母親は「(ショックで)言葉が出なかった。最悪の事態を考え、常に一緒にいるようにした」と振り返った。机にあったノートをちぎり、気持ちをぶつけたため文字が乱れたという。

    両親によると生徒は原発事故後に性格や考え方に変化が表れた。「親に甘える普通の子だったのに、耐えるようになった。転入後もいろいろなことを言えなかったのだろう」と推し量る。自主避難した子どもたちへの学校の配慮は転入直後こそあったが、4年生以降はなくなったという。母親は「災害に遭った子どもの心理を調べたことがないのか、と担任に尋ねたら『全くしていない』と答えた」と肩を落とす。

    市教委は今もいじめの詳細を公表していない。母親は「被害者、加害者側の子の特定を避ける配慮でなく、問題を隠匿しようとする学校、市教委の自己保身にしか見えない」と言った。生徒は現在フリースクールに通い、休日には「自転車に乗りたい」などと話すようになったという。

    両親は我が子の言葉を紹介した。「自分と同じようにいじめを受けている人たちには、苦しくても生きてほしい、と話している」

    ■死のうと思っていたが、震災で亡くなった人のことを思い、生きようと思う、小学6年生にそんな思いまでさせたこの事件。

    いじめが始まったのは震災直後に移住した小学校3年生からだという。

    普通でない心の傷をかかえた少年が、こんな状況に置かれてどれだけつらかっただろうかと、その気持ちを推し量るとやるせない感情に襲われる。

    しかし、いじめ自体に問題があるのは確かだけれど、何より、事なかれ主義の学校と横浜市教育委員会にきわめて強い怒りを禁じえない。

    子供を学校が守らない。こんな理不尽なことがあるだろうか。

    たぶん、普通にあることなのだろう。

    世の中は理不尽にできている。

    この子の父親は、この理不尽と懸命に戦い、苦しい孤独な戦いをしてきたのだろう。

    それは子供を守り抜こうとする親の想いの強さであり、だから子供も懸命に生きたのだとおもう。

    ■けれども、圧倒的なケースにおいて、その孤独な戦いは出口のない、つらい戦いになることは想像に難くない。

    親子で懸命に理不尽と戦い、力尽きることもあるだろう。

    自分に置き換えて考えたなら、たぶん、その理不尽からさっさと逃げると思う。

    今回の父親の強さは世の中を動かすところにたどり着ようなレベルだけれども、それにはたぶん幸運も味方した部分もあるだろう。

    わたしには、勝つ自信はまったくない。

    勝つ見込みがないのならば、三十六計逃げるに如かず、ともかく逃げることだ。そこから立ち去ることだ。

    何も勝つ必要はない。

    その理不尽は決して許せないのだけれど、それで傷つくのは子供なのだから。

                                 <2016.11.27 記>

    【追記】

    横浜市のその学校への怒りがどうしてもおさえられず、それがどこの小学校で校長と当時の担任がどんな顔をしているのかを知りたくて、ネットを漁ったら、小学校の名前も校長も担任も即座に判明。

    状況からして、たぶん正解なのだろう。

    いつも自分自身で批判しているネット社会の下劣な部分に自分が取り込まれていることに気づき、だが、そこにカタルシスを感じていることにさらに驚いてしまう。

    ここで、その検索結果をさらしたい強い衝動に駆られるが、今その学校に通っている子供たちのことを考えると、さすがにそこは理性がはたらく。

    いや、ネットって本当にこわい。

    あとは「ヤンキー先生」こと義家弘介文科副大臣に任そう。何しろ横浜市教育委員会は彼の古巣なのだから。

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