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2016年11月 2日 (水)

■【映画評】『魔法少女まどか★マギカ [新編] 叛逆の物語』 愛はかくも深く、罪深く、いとおしく。

TVシリーズを見た衝撃の冷めやらぬまま劇場版新編を見た。

想定内の進行は中盤までで、そこはまどマギ、やはり予測のななめ上を行ってくれる。

なお、今回ははじめからTVシリーズのネタバレで行きます。これから見る予定の方は、見てからにしましょう。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.89  『魔法少女まどか★マギカ [新編] 叛逆の物語』

          監督: 新房昭之 宮本幸裕 脚本:虚淵玄
      公開:2013年10月
       出演: 悠木碧   斎藤千和 他

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■ストーリー■

■(TVシリーズ)

とある町に魔法少女がいて、人を不幸に陥れる魔女と戦っている。主人公のまどかは、君も魔法少女にならないかと不思議なかわいらしいネコのような動物のキュゥべえに誘われる。魔法少女になってくれるなら、ひとつだけ願いをかなえてあげる。

しかし、謎の転校生ほむらは、絶対にキュゥべえのいうことに耳を傾けるなと忠告を続ける。

魔法少女になるということは、肉体から魂を抜き取られるということ。そして、魔法少女は次第に醜いこころの汚れがたまり、最期には魔女と化してしまうこと。今まで彼女たちが戦ってきた魔女は、自分たち魔法少女の成れの果てだということ。

キュゥべえは、清らかな魔法少女が魔女に堕ちていくその刹那に放たれる膨大なエネルギーを回収することを目的とする感情を持たない宇宙生命体で、彼女たちの命にも気持ちに対しても微塵も気にかけていないということ。

幼馴染の少年の腕が動くようになることと引き換えに魔法少女となっていた親友のさやかは、その事実を知り、絶望の果てに魔女と化してしまう。

そして、最強の魔女、ワルプルギスの夜が町にやってくる。

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時間をさかのぼることの出来るほむらは、まどかの中学校に転向し、ワルプルギスの夜と戦ってまどかが死んでいくまでの一か月間を、何度も何度も繰り返し、まどかを救う道を探し続けてきたのだ。絶望のなかで魔女となることを拒んだまどかを見ているがゆえに、決してまどかを魔法少女にすることだけは阻止したかったのだ。

そして、ワルプルギスの夜にひとり立ち向かうほむら。しかし、ワルプルギスの夜の圧倒的な力の前に力尽きてしまう。

まどかがそこに現れ、キュゥべえに魔法少女にしてくれと頼む。対価としての願いは、過去も未来も現在も、すべての魔法少女たちが絶望の果てに魔女とならないようにすること。

その原理原則に反した願いをかなえるということは、自らが概念としてこの宇宙の原理原則を超える存在になること。つまり、愛する家族や友達と直接関わりあうことができなくなってしまう。

それをわかったうえで、まどかはこの世界から魔女という悲しい存在を消し去る選択をし、宇宙を作り変える。

その宇宙に住むひとたちは、まどかの存在を知ることはない。唯一、時間を操ることの出来たほむらだけが、まどかの記憶とまどかへの思いを胸に、魔法少女が魔女になる前に絶望することなく消滅していく、まどかが作った新しい世界で生きていく。

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■(劇場版新編)

ほむらは、不思議な感覚に襲われる。何かがおかしい。たぶんここは今やあるはずのない魔女の結界。なぜ、魔女であるべべがなぜこの世界に存在しているのか。なぜ、魔女のことを知るはずのないさやかが、そのことを知っているのか。

いったい、だれがこの願望の世界を作ったのか。

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■序盤。魔女も、魔獣もいない、少女の悪夢を退治する。魂が穢れることもない、この平和な世界。まどかと、まみと、さやかと、杏子と、ほむらが魔法少女として仲良く過ごす日常。いつまでもこの毎日が続けばいいのに。

なんだよ、このビューティフル・ドリーマーは!と、つい毒づきたくなってしまった。

だが、それも作者の掌の上。中盤以降の展開は、十分引き込まれるものがある。

問題は物語の終わらせ方だろう。

はじめのプロットでは、あのどんでん返しの前で終わらせるものだったという。確かにそのほうがすっきりと気持ちいいが、やはり、この終わらせ方の方がまどマギらしい。

あれがなければわざわざ映画にする必要ないだろうという作り手の思いが伝わってくる。

詳しくは、ネタバレ欄以降で考えていくが、あれがあることで、TVシリーズではきれいにまとめすぎていた、人とは何か。という本質的問題に肉薄していくのだ。

けれども、やはり気持ち的についていけない部分もある。

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■その意味で、急展開にはいる前、結界の中でほむらがまどかになぐさめられるシーン。ここが重要だ。

この世界のまどかはただの魔法少女。そのまどかは家族も友達も大切でひとりぼっちになんてなれないよ、とほむらに語る。実際にこの世界の魔法少女たちを絶望から救ったまどかの本当の気持ちをそこに見て、ほむらは自分が救いたかったのはこの世界の少女たちではなく、まどかだったのだ、ということに気が付く。ほむらの周りに咲く花は一瞬にして枯れ、そして綿毛となって一斉に飛んでいく。

この時点では、ほむらはまだ真実にたどり着いていないのだけれど、ここで彼女の中で大きな転換が起きているのだ。

この一途な想いこそが、TVシリーズ終盤で見るものが目の当たりにしたほむらの神髄であったとこにあらためて思いいたる。

唯一問題があるとすれば、どんでん返しの場面でのほむらの表情だ。そのとき、ほむらの口に浮かぶ笑みは、驚きを与える効果があるのしても、共感からは離れてしまうものだろう。

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■■■ 以下、劇場版 ネタバレ注意 ■■■

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■この世界は、インキュベーターが魔法少女の魔女化によるエネルギ供給という仮説を検証すべく、ほむらのソウルジェムをこの宇宙の原理から隔離し、そこで何が起きるかを観察する実験から生まれたものであった。

だが、その目論見も、円環の理の一部となり、まどかと同じ世界にいた、さやかと、かつてまみを食い殺したお菓子の魔女のもとの姿であるなぎさによって導かれたまどかによって救われる。

と、思われた瞬間、ほむらは、まどかの一部を取り込み、宇宙の原理を書き換える。救済の神であるまどかに対する悪魔として。

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■TVシリーズは、悲しすぎる運命に沈んでいった魔法少女たちの魂を救済する物語であった。

最終回で、有史以来の、そして未来の魔法少女たちの魂を解放していくまどかのシーンには、震える心を抑えられない。あまりにも切ない運命への圧倒的な癒し。

だが、結局のところ、魔法少女たちは再び自分の人生を取り戻すことないのだ。彼女たちは安らぎの表情で無の世界へと還っていく。この世界から消え去ることでしか、彼女たちを救うことができないからだ。

これは、この世にある限り、人は負の感情から抜け出すことはできない、という世界観を語っている。

どんなに清らかな心で世界の幸せを願っても、それ以上の負の感情があらわれ、いつか必ずそこに飲み込まれる。

■生命という秩序は、常にその外界にエントロピーを排泄し、いつか必ず、その海に沈み、滅びることになる。

善きこころを思うとき、そこには悪しきこころが、対立概念として立ち現れる。善きことを求めることは悪しきことを認めることと同義なのだ。

善し、悪し、を差別する、そのこころを批判し、この世はすべて、認知し、認知することで差別が始まる。仏教的な世界のとらえ方だ。

まどかは、その差別されたすべての負の気持ち=エントロピー=悲しみを引き受ける。そうして宇宙全体として負の総量が飽和にいたるとき、この宇宙を終わりにし、再び初めからやりなおす。これが、円環の理、なのだろう。

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■そのTVシリーズの救済の物語に対する「叛逆」が、今回のテーマだ。

負の気持ちを一手に引き受けることで、この宇宙の秩序を維持する。その意味で、まどかはインキュベーターと同じ立ち位置にいる。

やさしさに満ちあふれたまどかだが、救済の神となることで、この世のすべてを包み込む存在となってしまった。

ほむらには、それが受け入れられない。

わたしは、まどかを救いたかったのだ。

まどかに幸せになって欲しかったのだ。孤独な神の座は、まどかにはあまりにもつらすぎる。わたしがまどかの幸せを守りたい。

そのきわめて個人的な感情が、本来の自分を突き動かしてきたものであること。それに気付いたほむらには、自らが悪魔になろうと構わない。

望みが叶うなら。

■ほむらが再構築した世界。ほむらとまどかの渡り廊下での会話。

自分の想いとこの世の秩序のどちらを選ぶか。

まどかには安定した秩序が大切。

ほむらとまどかの対立の構図が確立するシーンだ。

このときの、赤いリボンをまどかに返し、それがわたしが大好きなまどかなんだよ、というあまりに人間らしいほむらの気持ちにぐっとくる。

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■まどかの幸せを守るために、その幸せに寄り添うために、悪魔と化し、この宇宙を再構築したほむら。

しかし、いや、だからこそ彼女は孤独だ。

それはこの世界を支配するものだから、というだけではなく、人は本来孤独なものなのだ。自分の見ている世界は、自分が認知し、再構築した、自分だけの世界。つまり、われわれすべては、ほむらと同じ孤独を抱えているということなのだ。ほむらはあなた自身だということを作り手は伝えたかったのかもしれない。

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だからといって、ほむらの生き方を否定しているわけではない。

それは、人間である限り、避けられない性(さが)なのだ。むしろ、それを認め、受け止め、孤独の中で生きていく。それが人間なのだ。

ほむらがこの世界を、まどかのいる世界に再構築しようと決意する動機は、愛だ。

決してインキュベーターには理解できない、人間が人間であることを支えるスペック。人間を幸せにし、悲しみを与え、孤独にする。

人間は、あまりに悲しく、切なく、だが、それ故にいとおしい。

劇場版新編。この作品は、TVシリーズのテーマである救済と対になるテーマとして、負の感情をも抱え込む個としての人間を描くことを選んだ。ほむらというあまりに純粋な少女の器をつかって、普遍的な人間を描く。

人間が、そのちいさな幸せを守るために悪魔にでもなる。その切なさ、だから人間なのだ、それこそが人間らしさなのだ、という強い想い。訳知り顔の、しかし世界の実相を見切った、それ故に圧倒的な仏教的悟り=神に対する叛逆。それが、この作品の底流に流れる想いだ。

ほむらは、われわれは、永遠にこの絶望的な叛逆を試みることになるだろう。

インキュベーターには決して理解できない、人間の強さがそこにある。

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                      <2016.11.02 記>

■Blu-ray■ 劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語(完全生産限定版)

■STAFF■
監督 新房昭之(総監督)
    宮本幸裕
脚本 虚淵玄
原作 Magica Quartet
音楽 梶浦由記
主題歌
 ClariS「カラフル」、Kalafina「君の銀の庭」
撮影 江藤慎一郎(撮影監督)
編集 松原理恵
制作会社 シャフト


■CAST■
鹿目まどか - 悠木碧
暁美ほむら - 斎藤千和
美樹さやか - 喜多村英梨
巴マミ - 水橋かおり
佐倉杏子 - 野中藍
百江なぎさ - 阿澄佳奈
 
志筑仁美 - 新谷良子
鹿目詢子 - 後藤邑子
鹿目知久 - 岩永哲哉
早乙女和子 - 岩男潤子
上条恭介 - 吉田聖子
中沢 - 松岡禎丞

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