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2016年11月15日 (火)

■NHKスペシャル『終わらない人 宮崎駿』、素直で屈託のないこの時代に。

Nスぺで宮崎駿のドキュメンタリーを見た。作品を生み出すことに取りつかれてしまった人間の、人生をいったん降りようと思った、だからこそのぞくことができた素顔。宮崎駿のこころに触れたと思わせる番組であった。

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3年前、電撃的な引退宣言を行った世界的なアニメーション映画監督・宮﨑駿(75)。長編映画の現場から身を引くと宣言した宮﨑だが、その創造への意欲は実は衰えていなかった。新進気鋭の若きCGアニメーターとの出会いから、初めてCGを本格的に使い、短編アニメで新たな表現への挑戦を始めた。だが、映画作りは難航し、制作中止の危機に直面する。宮﨑アニメ初となるCG短編制作の舞台裏を、カメラが2年にわたって独占取材した。(NスぺHPより)

■いや、宮崎駿が映画製作から身を引いたのは知っているが、ジブリのアニメ制作現場自体も解散していたとは知らなかった。

誰もいない事務所のなんとも寂しい光景が印象的であったが、どこか人知れぬ場所に隠居し、一人静かに暮らす宮崎駿自身の姿には、逆に、どこか安心させるものがある。

けれども、そんな宮崎も若いCG作家たちとの交流で、アニメ作家魂に火が付いたのか、かねてから温めていた企画『毛虫のボロ』をCG短編映画として生み出そうと思い立つ。今回は、そういうお話だ。

今風の明るく無邪気な若者たちと楽しくCGの世界に入っていく宮崎だが、次第に熱を帯びていき、冒頭のボロ誕生のシーンの生みの苦しみにまわりの若者たちを巻き込んでいく。メンバーは疲労を隠せず、ついには倒れるものも現れる。

結果、宮崎マジックとも呼べるような全体のシーンのなかにボロの誕生を埋め込むことで、そこをのりきり、ああよかったね、やっぱり素晴らしい、となるわけだけれども、実は、そこには深い問題が横たわっている。

その宮崎の姿は昨年問題作として話題になった映画、『セッション』の鬼指導教官とかさなるものなのだ。

■人間としての限界を超えて追い詰められた先に、芸術作品を生み出すカタルシスがある。

宮崎はそのことをよく知っているし、また、その魔力から抜け出せない人なのだと思う。

問題なのは、その作家スタイルを他人にも要求してしまうことなのだ。

  
スタジオは若い才能を食らいつくす。

新しい作品を作りたいなんて簡単に言ってはいけない。それは時にひとの心臓を止めてしまうことだってある。
 

そう語る宮崎駿本人が、そのことを忸怩たる思いで受け止めていて、だからこそ、長編アニメから足を洗った、その後の静かな生活は安堵感を覚えさせるのだろう。

だが、実際に現場に戻ってしまうと、同じことをしてしまう。もう、業としか言いようがない。

■一方、上場IT企業のドワンゴの川上会長が自ら宮崎に最先端のCG技術を紹介するシーンも衝撃的であった。

川上が紹介したのは手足でなく、頭部をつかって床を這う人体のCGアニメーションであった。

独自のAIを導入した計算で、個性的な動きを表現、ゾンビゲームなどへの応用を考えている。と、およそNHKで放送できないようなグロテスクな映像を映してみせた。

ああ、これは、と思ったらやはり宮崎の逆鱗に触れる。

わたしの親しい友人の身体障害者のことをどうしても思い出してしまう。およそ人の気持ちなど考えていないもので、どうぞご勝手に、とうてい私は使うことはできない。

いや、これはひとつのツールとしての可能性で、という言い訳が火をそそぐ。

川上は、まったくわかっていない。

およそ作品というものは、いろいろな人の目に触れるものであって、肉体的欠損や奇形を思い起こさせる映像は、絶対に作るな!

と、ウルトラマンを製作するときにスタッフに厳命したのは円谷英二である。

宮崎駿も同じ思いなのだろう。

そのような映像を作り出すものをツール、と呼んでしまう、その神経自体が宮崎の思想とは相いれないものなのだ。

いや、だから、作品ではなく、ツールなんだって!!

という思いがドワンゴサイドにはあるに違いないのだけれど、ツールには目的があって、そこには人の思想が色濃く表れるものなのだということを、宮崎駿は説明する気にもならなかったのだと思う。

■NHKも思い切ったものである。

確かに、このシーンによって、CG=自動計算、によって欠落してしまうものがあり、作り手は、そのツールのなかで血の通うこころを維持することが、何よりも重要だ、などという気づきを与えてくれる。

けれど、そのためにさらしものになったドワンゴのメンバーは実に気の毒だ。

彼らは計算機の前で無邪気に喜んでいるだけなのだ。

作品づくりに必要な思想なんて、これぽっちも考えていないし、理解すらできないかもしれない。

だが、だれに、それを批判することができるのか。

それは、『毛虫のボロ』の製作に加わった若いCG作家たちが、初めてボロが動いたときに見せた笑顔と同じ質のものかもしれないのだ。

■私自身は古い世代の技術者だから、宮崎駿の気持ちが痛いほどわかる。

ものづくりの現場では人間としての思想を試されているのだということ。

けれども、ここにきて、若い世代にそれは通じなくなってきているのではないか、そういう思いを抱くことがある。

ならば、教え込もう、として現場を疲弊させてしまう、そういう失敗もした。

だから、個人的には、もうそういうことはやめたほうがいいのかもしれないと、少しあきらめかけているのだ。

世の中便利になって、人間はどんどん考えなくなっていく。

それで済むなら別にいいじゃないか。

若い、屈託のない素直な笑顔で暮らしていければ、それでいいじゃないか。

最近こころのどこかで、そう、考えるようになってきている。

けれど、宮崎駿は、その事件によって長編作品の企画に乗り出す決心をする。このままでは世界は滅びてしまう。そういう問題意識が彼をつきうごかすのだ。

■どこまでもまっすぐな人だと思う。

だからこそ、あの漫画版のナウシカの世界を描けたのだろう。

理屈ではない、人間の情念こそが、生きる意味なのだ。

それが無くて、存在などなんの意味があるのか。

そのまじめさ、一本気さが宮崎駿なのだろう。それは75歳になろうと消えることはない。

この時代にそれを貫くことの、周りに対する過酷さを十分に理解したうえで、それを決断した宮崎駿は、やはり宮崎駿なのであって、それはそれでなにかまたほっこりした気分になってしまうのであった。

                            <2016.11.15 記>


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