« ■【アニメ評】『ガッチャマン クラウズ インサイト』 #11 trade-off。ヒーローとはそこまで厳しいものなのか? | トップページ | ■【映画評】『チャッピー(アンレイテッド・バージョン)』。人間とは何かという問いに対するアンチテーゼ。 »

2015年9月22日 (火)

■安保法案の本質。南スーダンPKOの駆け付け警護任務論を契機に、この国の行く道について考える。

■安保法案の発動第一号として南スーダンPKOでの駆け付け警護任務追加が検討されている。

仲間もしくは民衆が武装勢力に襲われている事態に対し、座して何も出来ないなどということがあっていいのか、なんて考え方もあるわけで、常識的に言うならば、あってしかるべき任務であるかのように思える内容だ。

だが、よく考えれば、PKOとして派兵されているのは施設部隊、つまり陸自の建設工兵さんたちであって戦闘部隊ではない。

警護任務は、ちゃんとその役割りの人たちがいるわけだ。

なんでもかんでも自衛隊だから戦え、というのは乱暴すぎる。

ならば、自衛隊の戦闘部隊を派兵するというのだろうか?

■襲ってくる武装勢力にも1分の理があると考えるならば、これは武力をもって政治と対峙することを意味している。

国連に指揮権をゆだねているといえども、日本人がそこに関与することには変わりがない。

その決意が日本人にあるのか?

平和憲法を持つがゆえに、平和維持の、平和構築の部分でPKOに関与し、現地の人たちが生きていくインフラを整備することで、日本人の兵隊さん、ありがとう、と上手くやってきたのではないか?

それが、銃器をもって敵と対するということは、繰り返すが、政治に武力で関与するということであって、政治に関わらず、困っている人たちを助けるのだ、という日本のPKOのスタンスを根本的に変える、ということなのだ。

PKOが純粋な兵力引き離しではなく、政治的な偏りを持たざるを得なくなっているとするならば、なおさらのこと。

両手をしばって自衛隊を派遣してきたという愚をただす、なんて簡単な話ではないのだ。

■しかも、これはアリの一穴であって、PKOに続くのはアメリカ主導の多国籍軍に対する自衛隊の位置づけだろう。

その時、日本がその国の判断として、相手の国の国民に銃を向けるのである。

それが極悪非道の武装勢力であろうが何だろうが関係ない。

それは名前の付け方次第であることはアメリカのイラクとの戦争で分かっているはずである。

 
日本国憲法 第九条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 

どうも安倍総理は日本語が不自由らしく、こんな簡単な国語も分からないらしい。

と、思ったら最近は『新たな解釈を加え』という言い方に変わってきているので、それなりの認識はしているようだ。

少なくとも、憲法違反すれすれであるという意識はあるらしい。

もし、多国籍軍へ参加する自衛隊に戦闘行為を認めるならば、それは【国権の発動】ではない、日本には主体性のまるでないアメリカの請負い部隊である、ということになる。

たぶん、そこが今回の安保法案の本質なのだと思う。

だから、憲法違反には当たらないのだ。

なんでそんな簡単なことも分からないのだ、皆まで言わすなよ。言ったら元も子もないだろ、察しろよ。というわけだ。

 

その戦場で死ぬ日本の兵隊さんは、アメリカの国益の為に死ぬのである。

死んでも死にきれないだろう。

■それもこれも、核戦力を含めたアメリカの軍事力で日本が守られている、という前提がすべての根源にある。

冷戦下において、日本はそのアメリカの力のもとで思いやり予算やら何やらの貢物をしながらも、うまく立ち回り、経済的発展を遂げてきた。

新たな極東情勢においては、時限爆弾である北朝鮮、地政学的に常に対立すべきロシアと中国との関係にシフトしており、だが同時に経済的相互関係性も維持するという複雑な状況にある。

もしかすると、アメリカの核を含むパワーに守られているなどいうのは幻想で、そのようなものがなくても日本は自らを維持する選択肢をもっているのかもしれない。

だが、実験するにはあまりにリスクが大きすぎるということだ。

いずれにしろ、アメリカというボスの言いなりに動かざるを得ない日本の状況をしっかりと見据え、ここは臥薪嘗胆というところなのだろう。

■歴史を長い目で見るならば、今の資本主義もいつかは崩壊する時が来る。

世界が成熟してしまえば、新しいパイがなければ、資本主義は駆動できないのだから。

中国の崩壊がその引き金になることは、十分に予想できるし、すでにそれは始まっているのかもしれない。

だから短期的な視点ではなく、長期的な視点で日本が生きぬく道を、そのシナリオを構築していかなければならない。

アメリカがなくても生きていける日本のシナリオを準備しておくこと。軍事、エネルギー、食糧という国防の観点はもちろん、いままでの価値観をひっくり返した新たな価値観を生み出し、すぐそこにある大混乱の先にある世界を描かねばならない。

その根本に、たとえ貰い物ではあったとしても、真の民主主義の理想をかかげた日本国憲法があってもいいんじゃないか、と私は思うのである。

 

当面は、アメリカすり寄り戦法でなんとか凌ごう。

悲しくとも、くやしくとも、選択肢はない。

だが、その後の戦略を持つ、したたさをあきらめないことだ。

きっと政治の時代は帰ってくる。

それまで日本人は考え続けるべきだろう。

経済だけではない、本当の世界というものを。

                        <2015.09.22 記>

【追記】

それは、もしかすると国際的社会保障というようなものなのかもしれない。

現代における暴力の温床が貧困にあるとするならば、それを撲滅すればいい。

 

日本国憲法第25条

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

【国民】を【世界の人々】に、【国】を【国際社会】は、に読み替えればいい。

もしかすると、私が不勉強なだけで同じ文言が国連憲章にあるのかもしれないが、とても機能しているとは思えない。

これまで国際社会がやってきたことは、ある勢力に資金を渡して(都合のわるい)反対勢力をつぶす行為の繰り返しであり、その結果、その勢力がコントロールできなくなって不幸を加速させる、という構図である。

そうではなくて、幸福の種を蒔きつづけること。

そして、それが経済的利益につながる仕組みを作り上げる事。

他人の不幸を救うことが、自らの利益になる仕組み。

多分、それが答えだ。

 

え?AIIB?(笑)

悪い冗談だけど、外れてはいないかもしれない。

日本主導で、世界の貧困対策、治安回復をおこなうファンドを立ち上げたらどうだろう。

そうしたら、経済的に離陸する地域が増えて、資本主義ももう少し生き延びられるかもしれないね。

日本の平和思想を世界に広げるチャンスだと思うのだが。。。

                             <同日 記>

|

« ■【アニメ評】『ガッチャマン クラウズ インサイト』 #11 trade-off。ヒーローとはそこまで厳しいものなのか? | トップページ | ■【映画評】『チャッピー(アンレイテッド・バージョン)』。人間とは何かという問いに対するアンチテーゼ。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/208704/62328123

この記事へのトラックバック一覧です: ■安保法案の本質。南スーダンPKOの駆け付け警護任務論を契機に、この国の行く道について考える。:

« ■【アニメ評】『ガッチャマン クラウズ インサイト』 #11 trade-off。ヒーローとはそこまで厳しいものなのか? | トップページ | ■【映画評】『チャッピー(アンレイテッド・バージョン)』。人間とは何かという問いに対するアンチテーゼ。 »