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2015年8月12日 (水)

■【演劇評】『ジャガーの眼』唐十郎、状況劇場1985年春公演、花園神社。永遠に生きる、私の宝物。

かつてNHKで放映したものをVHSからDVDに焼き直し、保存していた宝物を久しぶりに見た。始まった瞬間、すべてがよみがえる。赤テントの座敷に詰め込まれた一体感、役者のドウランの入り混じったその匂い、飛び交うツバ、熱気、笑い、音楽。たまらなく愛おしい・・・。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.82  『ジャガーの眼』
    作・演出: 唐十郎 公演:1985年4,5,6月 新宿花園神社赤テント
   出演: 千野宏 田中容子 唐十郎 六平直政 金守珍 他

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■ストーリー■
平凡な男しんいちのもとに不思議な女探偵くるみが現れる。移植した角膜のもとの持ち主の妻だったというくるみと出会うことで、しんいちは角膜に違和感を覚え始める。角膜を追うくるみと接するうちに、うずく角膜に導かれるように、しんいちのなかで婚約者との平凡な未来を生きようとしていた自分が捨ててしまったものが湧きあがる。

一方、くるみの上司である探偵(唐十郎)は、くるみが来る前に共に生きたダッチワイフのサラマンダーの幻想に悩まされつつ、部下のくるみを追うのであった。

■当時、私は高校1年。映画三昧、名画座通いの中学時代を過ごし、ふとテレビで見た蜷川幸雄の魂たぎる演出に思い立ち演劇同好会に入部、先輩に連れられるままいくつもの芝居を見に行った。

そのころは演劇ブームのはしりで、夢の遊眠社の野田秀樹、第三舞台の鴻上尚史がブレイク。パワーと夢想がスタイリッシュに極まるその演劇スタイルは、初心者の私を魅了した。

だが、新宿の猥雑な街を抜けた先にある花園神社におったてられた赤テント。そこで体験したこのジャガーの眼を、私は一生忘れることは無いだろう。

そこにある過剰なまでの生々しさ。

ショックだった。

2

その後の状況劇場、唐組の公演でも、ここまでの衝撃は得ることはできなかった。決して慣れたとか、そういうことではなく、演劇の持つ一回性、そういう意味での出会いだったのだと思う。

■寺山修司と唐十郎が世に出た60年代後半に、私は生まれた。

だから、その全盛期を私は知らない。

高度経済成長と安保闘争の時代である。世にアナーキズムがまだ生き残っていた、そういう時代。

その時代に高校生の私は激しく嫉妬した。

バブルの前夜。PARCOを筆頭に、世の中はスタイリッシュなカルチャーに占領されていた。

池袋PARCOの本屋に入りびたり、シネヴィヴァン六本木で芸術映画なぞを堪能していながらも、生々しい、怨念とも言えるような魂の叫び、そんな重く、熱いものを私は求めていたのだ。

それに、あのとき花園神社で出会うことが出来たのだ。

この時の『ジャガーの眼』と、浅草、常盤座で公演された第7病棟の『ビニールの城』(脚本:唐十郎、出演:石橋蓮司、緑魔子)。

この2つの芝居が、私が嫉妬して已まない70年代の最後の咆哮だったのだと思う。

それを体験することが出来たことは、本当に幸いなことだし、特に『ジャガーの眼』については、それに鼓舞されつことによって一本の芝居を書きあげ、高校生芝居ではあるものの、演出し、演じ切ることができた。その私の人生のはじまりにおける土台を作り出せたという意味で、『ジャガーの眼』は私の大切な宝物なのである。

■♪

この路地に来て思いだす

あなたの好きなひとつの言葉

死ぬのはみな他人ならば

生きるのもみな他人

死ぬのはみな他人

愛するのもみな他人

覗くのは僕ばかり

そこに見てはいけない 何があるのか

 

私とは何か。

それが、この芝居のテーマだ。

私と他人。

生きる者、死ぬ者、生きてすらいない者。

移植された臓器は「私」と呼べるのか。

他人の臓器を受け入れている「私」は私でいられるのか。

だが、くるみは分かっている。

ジャガーの眼と呼ばれた、3人の男を渡り歩いた角膜は、それ自体が意味をもち、それを移植したものにジャガーの魂を与えることを。そして、そのジャガーの魂を持つ男を愛するのだということを。

■人は、確定した存在ではない。

しんいちはジャガーの眼を移植したことだけによって、ジャガーの魂を宿したわけではない。それを追う、くるみという「他人」との関係性によって、いつの間にか売り渡してしまった魂を取り戻し、あらたな存在となったのだ。

人は自分のみで自分であるわけではない。他者との関係性の中で、自分が作られていくのだ。

他者とは、生きているもの(しんいちにとってのくるみ)、死んでいるもの(少年にとっての犬のチロ)、生きてすらいないもの(田口にとってのダッチワイフのサラマンダ)。

それらに囲まれて、「私」は形作られ、生きている。

唐十郎は、臓器移植の問題を通してそこを見抜いた。

見た当時は、そこまで考えなかったが、人生を、いくつかの絶望を経てきた今、そのことが分かるような気がするのだ。

『ジャガーの眼』は、赤テントと癖のある役者たちの醸し出すものによって70年代の炎を燃えたぎらせているだけでなく、作品自体が人間の本質をついている。それ故に、深く、深く、こころに刺さるのだ。

■そこに小室等の音楽がかぶさることで感動は究極に至る。もう、そこにただただ体をまかせるしかないだろう。

わたしは見ていた

あなたの体が よろこびにつつまれ

誰かの前に運ばれていくのを

わたしは見ていた

その赤い塊を 

まるで 登りきらず

郊外の家並みに かかる太陽のように

そんな家の一軒で あなたは生きて暮らしていた

 

この目が何ですか?

私です、あなたと暮らしたくるみです。

僕と?!

その眼と!

 

おねえさーん!このチロの心臓生きるよね!

きっと、

あの移植したジャガーの眼のように!!

                      <2015.08.12 記>

Bookジャガーの眼

■STAFF■
作・演出: 唐十郎
音楽: 小室等
美術: 濃野荘一
照明: 水野司朗   

■CAST■
田口:   唐十郎
しんいち: 千野宏
くるみ:   田中容子
扉:     六平直政
Dr.弁:   金守珍
夏子:   御旅屋暁美
サラマンダ: 大野まみ
少年:   中村祐子
住人二:  深貝大輔

 

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