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2015年6月

2015年6月18日 (木)

■下村博文・文部科学相 文系学部廃止要請。馬脚を現した安倍政権のファシズム性。

おいおい、どういうこと?

国旗国歌要請:文科相「適切判断」迫る 国立大学長は困惑 

毎日新聞 2015年06月16日 
 
下村博文・文部科学相は16日、東京都内で開かれた国立大学86校の学長を集めた会議で、入学式や卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱を要請した。さらに、文科省が8日に通知した文系学部の廃止などの組織改編を進める方針についても説明し、改めて改革を促した。補助金と権限を握る文科省からの相次ぐ求めに、出席した学長らの間には困惑が広がり、一部の教員からは「大学攻撃だ」と反対の声も上がっている。

(中略)

一方で、文科省は国立大学に組織・業務の見直しを迫っている。8日の大学への通知では、人文社会科学系や教員養成系の学部の廃止や他分野への転換を求めた。国立大は中期計画(16年度から6年間)を作り、大臣の認可を受けなければならない。下村文科相はこの日「これらの学問が重要ではないと考えているわけではないが、現状のままでいいのかという観点から徹底的な見直しを断行してほしい」と理解を求めた。  

複数の学長は「交付金をもらえないと困る。今後、人文社会科学系の学部の定員は減らさざるを得ない」と話した。
 
■大学にまで国旗掲揚、国歌斉唱を強要って、いかにも安倍晋三wwww ほんと、こいつバカだな。愛国心ってそうやって作り上げるもんじゃないだろwww、って多少の余裕ももてるのだけれど、文系学部廃止要請ってのはただ事じゃない。
 
結論から言えば、安倍政権のファシズムが、とうとうその本性を現した、ということだろう。
 
交付金で縛っておいて、自主独立が本分の大学を自由に操ろうっていう、教育に対する思想もへったくれも無いやりくち。
 
すべての思考の基本が金、金、金。金を生み出すかどうかが価値判断の基準であって、安倍政権にとっての学問とは金を生み出すもの、経済発展に有用な物ということらしい。
 
もう、あきれてものも言えない。
 
■役にたたないものが、文化をささえる。そんな基本的なことも分からないのか?
 
夏目漱石の価値は、その作品の経済効果ではかるもんじゃないだろ?
 
帝大の文学部で、正岡子規に出会ったりしてさ、きっとくだらん、役にもたたん議論してさ、でも、そんな出会いとか、どうでもいい悩みなんかが、夏目漱石を作ったんだろ?
 
哲学だって、心理学だって、歴史学だって、すぐに財は生まなくても文化だろ?
 
むしろ、営利団体でない国立大学だからこそ、一見どうでもいい、何も財を生まないことに一生をささげる場を作り出せるのだよな?
 
■いや、少なくともアタマのいい人たちなんだろうから、そんなことは先刻承知。
 
だとすると、確信犯であって、事態はもっと深刻だ。
 
つまり、
 
自らの頭で考える人材を作るな!!
 
ということが、安倍政権の狙いだということになる。
 
どうせ理系の連中は、数式しか頭にないバカだから、世の中のことは考えない。その点、文系の連中は、何も生まないくせに余計なことばかり考えやがる。
 
俺たちが考えるんだから、おまえらは余計なことは考えるな。日本人は、俺たちの言うとおりに、思考停止で楽しく暮らしてりゃいいんだよ。
 
教員養成?子供たちの教育方針は国家で決める。大学なんかで勝手に考えてんじゃねーよ。お前ら、全員クビ。
 
教員養成系の廃止、と名指しをしている時点で、こういう考えが透けて見えるのである。
 
もう、どう考えてもファッショでしょう。
 
■労働関係法といい、集団的自衛権といい、とにかく安倍政権は、絶対におかしい。やっていることもおかしいのだけれども、国民的議論をすり抜けて一方的に決めるやり口が圧倒的におかしい。
 
これは、民主主義に対する挑戦である。
 
なんで、マスコミはだまっているのか?本当に不思議である。事業者免許を人質に、脅されてるんじゃないかと思えるくらいである。ね、テレ朝さん。
 
新聞だってそう。連中もバカじゃないし、俺以上に感度高いはずだから、今の政権は絶対おかしいと確信しているはず。なのに、憲法学者が一刺ししなければ、何も言わない。というか、憲法学者によると。。。。とか他人任せ。
 
ジャーナリストとして、おかしいだろ!!何とか言えよ!!
 
 
 
もう、今夜は怒りで眠れない。。。。
                       <2015.6.18 記>

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2015年6月11日 (木)

■【書評】『沈みゆく大国アメリカ 〈逃げ切れ! 日本の医療〉』堤 未果。国民を守るのが国の仕事じゃなかったの?

我々が安心して暮らしていくために無くてはならない国民皆保険制度に危機が迫っている。堤未果の激しい問題提起を受けて、少し考えてみた。

■アメリカ資本主導の新自由主義によって、いかにアメリカ社会が壊されていったのかを生々しく描き出し、TPPによって日本社会が狙われている、という警鐘を鳴らしてきた堤未果の新刊。

沈みゆく大国アメリカ、というタイトルでありながら、主題は日本の国民皆保険制度がアメリカ資本に狙われている、という極めて強い警告にある。

オバマケアが誰の為の制度なのか、そして現代アメリカにおいて大金を持たない人たちがどうなってしまうのか。介護の現場、医療の現場で何が起きているのか。

その姿は、近い将来の日本の姿なのだ。

■日本国憲法25条によって国家に守られるはずの日本人の安全が、金の亡者であるアメリカ資本の外圧と、竹中平蔵を代表とする経済財政諮問会議のような私利私欲で動く売国奴たちによって、切り刻まれている。

すでに総仕上げの段階だ。

後期高齢者医療制度で年寄りを切り捨てた日本国政府。混合診療(自由診療)による形骸化をねらいつつ、最終的に国民皆保険制度を殺す刀は国家戦略特区である。

 

国家戦略特別地域とは・・・(少し長いですが wikiから)

地域を絞って、そのエリア内に限り従来の規制を大幅に緩め、外国企業を誘致する計画である。また、この区域は「解雇ルール」、「労働時間法制」、「有期雇用制度」の3点の見直しを対象としている

国家戦略特別区域の方針を決める産業競争力会議。この委員となった竹中平蔵の説明に拠れば、内容は以下の通り。

この国家戦略特区(=国家戦略特別区域)は、今までの特区と異なり総理が主導の特区であり、これまでの地方から国にお願いして国が上の立場から許可するというものとは大きく異なり、例えば、東京ヘッドクウォーター特区や北海道の輸出農業を特区にしてといった形で、特区を、国を代表して特区担当大臣、地方を代表して知事や市長、民間を代表して企業の社長という国、地方、企業の3者統合本部でミニ独立政府の様に決められる主体性を持った新しい特区です。この特区を活用して岩盤規制に切り込みたいと思っている。

アメリカ通商代表部(USTR)のカトラー次席代表代行も、アベノミクスの3本目の矢である「成長戦略」に謳われている規制緩和や透明性の確保などについて、「TPP交渉のうち1つの焦点となっている非関税分野で、アメリカが目指すゴールと方向性が完全に一致している」、「(TPP交渉の非関税分野の議論は)ほとんどすべて安倍首相の3本目の矢の構造改革プログラムに入っている」と語り、歓迎している。

2013年10月21日、午前の衆院予算委員会で、雇用分野を所管する厚生労働相など、関係分野の大臣を、国家戦略特区ごとに設ける統合推進本部から、外す考えを表明。この件に関して安倍晋三総理は、「意見を述べる機会を与えることとするが、大切なのは意思決定。意思決定には加えない方向で検討している」と語った。

 

国民はどこにいるのか。

 

<追記 2015.6.14>

昨日の報道によると国家戦略特区は東京全域に拡がることになったようだ。もはや「特区」ではない。

だが、問題の本質はそこにはない。やり口だ。

失われた20年からの脱却。そのための構造改革。それ自体は否定しない。

だが、構造改革に伴う反対意見を封じ込めるために、議論の蚊帳の外に置き、一方的になし崩し的に、実行に移すそのやり口。

特区ならば、法律の範囲外なのか?必要な手続きを踏まなくていいのか?

そこにはもう民主主義などない。【独裁】だ。

正しい、とか、正しくない、なんてどうでもいい。そんなもの、どこにもありはしないのだ。

何事にも、メリット、デメリットがある。その提案について、どんなメリットがあり、どんなデメリットがあるのか。それは、その人の立場によって全く異なるものである。

だからこそ議論が必要なのであって、その議論の結果、どんなことが起こるかの全貌を全員で共有し、不利益を被る人の気持ちを斟酌しつつ、全員で進むべき道をを探っていく。

それが民主主義だろう。

今の安倍政権は、その意味で、【反民主主義】的である。

集団的自衛権の問題も、ニュースステーションにおける恫喝の問題も、「正しいことをしているのだから、外野は文句をいうな。」 という、その基本的性格を指し示している。

だが、いろいろな立場での議論展開する場であるマスコミの反応はにぶい。ここでも機能不全が起きているとしか思えない。(集団的自衛権の問題も憲法学者の長谷部恭男さんによる勇気ある一刺しがなければ、なんとなーく、ずるずる行っていたに違いない。)

そこが恐ろしい。。。<追記 おわり>

 

■さて、そもそも誰の為の改革なのか。その底流を探ってみよう。

 

日本は高齢化社会になるのだから、医療費の財源が必要である。

そういって消費税の税率が8%にまで上げられてきた。

その一方で、1989年に40%であった法人税は、2012年の見直しで25.5%まで引き下げられている。

過去25年の消費税税収累計280兆円といわれるなかで、同時期の法人税減税の累計は、ほぼ同等の250兆円である。

なんのこっちゃ。国民の血税が企業に流れただけじゃないか。

■いやいや、企業の収益をあげることで、家計に還元されるのである。金は天下の回り者。

というのが安倍さんの主張だが、以下のグラフを見て欲しい。

2008年のリーマンショックの景況が分かりやすいが、2012年に向けて企業の純利益は順調に回復。その一方でサラリーマンの平均年収は、ほぼ変わっていない。

アベノミクスでさらに企業の利益は上昇しているはずであるが、いっこうに家計には回ってこない。

<サラリーマン平均年収推移>
Photo

<企業当期純利益推移>
Photo_2

■いやいや、給与は安定して支払い続けなければならない。利益が良くなったからといって、そのまま給与に反映するわけにはいかんのだよ。

というのが、毎年の労使交渉の企業の言い訳だが、ちょっとまて。2001年の底から回復していくなかで、むしろ平均年収は下がっているのだ。

むしろ、リストラによって足腰を回復した企業は、回復したにも関わらず【スリムな体制】=【外転化、派遣化によって勝ち取った高収益構造】を維持していこうとしている。

そういうことだろ。

国民からむしりとられた金は決して帰ってはこないのだ。

これが1980年代から始まった日本の【資本主義化】の実像なのである。

■先の『無業社会』の書評でも挙げた憲法25条。

 

日本国憲法 第二十五条

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

国民皆保険制度はこの精神によって維持されてきた。

憲法に照らすならば、今の日本政府のやろうとしていることは明かに違憲である。企業の利益を優先し、憲法で定義されている責任を放棄した日本国政府の罪は重い。

それを強く主張したい。

立憲主義国家として、政府の暴走を止める機能は働かないのか。日本の司法は死んでしまったのか?三権分立は単なる御託なのか。。。。

 

日本国憲法 第八十一条 

最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である

 

戦後70年。

集団的自衛権の行使を柱とする安全保障関連法案論議が高まる今、改めて憲法に記された文言の意味を噛みしめながら、改めてこの国のカタチを論議する。

そういう時期に、この国は差し掛かっているのではないだろうか。

                           <2015.06.11 記>

■関連記事■  

■『無業社会』働くことができない若者たちの未来。工藤啓、西田亮介。今、日本に必要な価値観とは。

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2015年6月 7日 (日)

■【映画評】『キル・ビル』。明るいおバカと悪の哲学。

たまにはおバカ映画も悪くない。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.78  『キル・ビル vol.1』/『キル・ビル vol.2』
           原題: Edward Scissorhands
          監督: クエンティン・タランティーノ 公開:vol.1 2003年10月/vol.2 2004年4月
       出演: ユマ・サーマン 他

 

■ストーリー■
妊娠を機に殺し屋稼業から足を洗ったザ・ブライドは結婚式のリハーサルの最中、属していた組織のボスであるビルとその配下である4人の殺し屋から襲撃を受ける。婚約者である夫を殺され、妊娠していた彼女も凄惨なリンチにより、4年間の昏睡状態に陥るほどの重傷を負わされる。昏睡から目覚めたザ・ブライドは、ビルと4人の殺し屋への復讐に向けて動き始める。

Photo

■Vo1.1はアクション活劇まんが。Vol.2はねじまがった愛のかたち。ひとつの物語でありながら大きな変局があり、そこを楽しむ上で、やはり一気に鑑賞した方が面白い。

Vol.1は昏睡から目覚めたザ・ブライドが動かない身体をなんとか蘇生させ、沖縄にいる伝説の刀鍛冶・服部半蔵から譲り受けた名刀を手に、東京でオーレン石井率いる組織に立ち向かうという筋立て。

教会で無慈悲な殺戮を行ったビルと毒蛇暗殺団の4人のメンバー(ナイフの達人ヴァニータ・グリーン、毒殺者エル・ドライバー、日本刀の使い手オーレン石井、ビルの弟バド)がザ・ブライドの復讐のターゲットとなる。

Photo_3

オープニングで戦うのはヴァニータ・グリーン。これは、時系列的にはVo.1,とVo.2の間に位置すると思われるが、テンポの関係で初めに持ってこられたのだろう。

4年の間にヴァニータは家族を作り、子供をもうけている。その家に乗り込み、大立ち回りをするのだが、そこにヴァニータの娘が帰ってくる。

ここで一時休戦。

本来ならば、このヴァニータの幸せな姿こそが、ブライドが得ようとしていたものであり、それを守ろうとするヴァニータを倒すブライドの復讐は己をも切り刻む地獄の決意である。

Photo_4

このオープニングをはじめに持ってきたのは実に意味が深いのであるが、このあとに続くおバカ展開のせいですっかり忘れてしまう。4人衆のなかで一番影が薄くなってしまったヴァニータさん、残念!

なお、昏睡中にブライドの命を狙うエル・ドライバーのシーンも結構そそる。いかにエル・ドライバーがブライドを憎んでいるか、なぜエル・ドライバーは片目なのか、それはVo.2のお楽しみ。

Photo_5

■昏睡から覚めたブライドは沖縄に向かう。彼女の目的は、かつての凄腕暗殺者で刀鍛冶の服部半蔵(千葉真一)。

このあたりには千葉真一へのタランテイーノの愛が溢れている。それ故に、タランティーノの目は曇ってしまったのではないだろうか。

Photo_6

まずい寿司屋の主人に収まっている服部半蔵には影が無い。おばかな寿司屋の主人の裏にある狂気を感じられない。何ゆえに人を殺すことを止めたのか、人を殺す道具を作ることを止めたのか、それが無い限り、ブライドに刀を与えた意味の深さが定義できない。

きっとタランティーノはそれを定義しているはずである。1カットでもいい。それをにおわせるシーンがあるだけで千葉真一はもっと生きたはずである。それが残念でならない。

ところで、なぜ沖縄なんだろうね。

それもヒントかな。

■そしてブライドはオーレン石井の待つ東京へ。

タランテイーノはオーレン石井に対しては、行き過ぎなくらいに描きこみを行う。

彼女が如何にして暗殺者になったのかを語る長尺のアニメーションは攻殻機動隊のProduction I.G。質、高過ぎでしょう。

Photo_7

また組長顔合わせの場で國村準の頭を切り落とすシーンにオーレン石井の意思と残虐性を見せつける。

しかし、まあやり過ぎだよね。見せないことによる深みを失わせている感が強い。このエネルギーの1割でも千葉真一に振り向けてくれたらと本当に残念。

■とはいえ、オーレン石井のキャラクターは固まった。あとはどう対決するか。

まずはクレイジー88。

Photo_8

いくらなんでも、こんなにいっぱい一人でやっつけるなんてありえねーべ。いくら伝説の名刀でも刃こぼれするわ、脂がまわるわで斬れなくなる。『七人の侍』をちゃんと見てないのか?

なーんて理屈はどうでもいい。

ばったばったと斬り倒す。首はちょん切れ、体はまっぷたつ!!

どんだけ~???

と、大うけしながら鑑賞するのが正しい観方なのである。僕らはこれまで、こんな時代劇や特撮番組をみて育ってきたのだから、そのフォーマットとして素直に楽しむべきなのである。

■ラスボスの前には強敵が立ちはだかるものである。

GoGo夕張こと栗山千明のお出ましだ。

Gogo

ブレザー、ミニスカの女子高生スタイルから繰り出される鉄球がヤバい。ヤバすぎる。

太ももも露わにエイ!と蹴りだされる鉄球の質量がブライドを襲う!!

世界中のオトコたちがたまんねー!と身悶えする。

これがネオテニー(幼形成熟)的エロスを源泉とする’ジャパン’文化の本質なのだ。その意味でオタク映画『キル・ビル』の価値はここに集約されるといっても過言ではない。

栗山千明、いい仕事しました。

Gogo_2

■一方、オーレン石井との対決は、ふすまの向こうの雪景色のなかで繰り広げられる。それは、どこかで見た任侠映画の風景であって、どこか郷愁をそそる美しさなのである。

その底流にながれる恨み節。

このあまりに濃すぎる感情を、いまの日本社会は押し殺してしまっているように思える。恨んで恨んで、耐えて耐えて、そしてその先にあるカタルシスのフォーマット。そこに没入できない心は不幸である。

Photo_9

Photo_10

暗くて重い感情を抱きながらも、それを軽妙なオブラートにつつみ、表面だけ明るく振る舞う現代の日本の空気を打破するためにも、この恨み節のフォーマットを再発見することが、社会のこころの健康を保つためにも良いのではないかと、強く思う次第なのである。


 

■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■オーレンを倒したあと、拷問のあと解放されるソフィーのシーンで終わる。

そこでビルの口からブライドの娘が生きていることが匂わされたところでVo.1閉幕。Vol.1でオタク心を十分に解放したタランテイーノは、Vo.2で本題の愛の姿に立ち戻る。

Photo_11

■残るターゲットは、ビル、バド、エル・ドライバー。

だが、その前にブライドの中国拳法の師匠パイ・メイについての物語。

このパートはVo.1のノリを少し残していて、カンフー映画に向けた愛が描かれる。

Photo_12

単調で苦しい修行の先に奥義がある、というフォーマットそのものだが、もう画面からあふれる空気そのものが、カンフー映画のそれであって、思わずクスリとしてしまう。

Vol.1からの流れで見なければ、なんのこっちゃ、という違和感溢れるエピソードで、そういう意味でも、やはり、Vol.1とVo.2は合わせてみたいところだ。

■さて、ビルの弟、バド。 この男、極めて魅力的なのである。

Photo_13

ブライドが狙っている、というビルの忠告に対し、自分のやったことを考えればブライドに殺す権利がある。俺は殺されてもいいと思っている。と、なにやらしおらしい。

用心棒をやっている酒場のボスには低くみられ、便所掃除に精をだす。 こんなしょぼくれた男が、実はものすごく強いのだ。

忍び寄るブライドを、岩塩を仕込んだショットガンで一撃。睡眠薬の注射を手慣れた感じで打つそのしぐさ。しびれます。

プロフェッショナルなワルなのである。

そんな自分がきっと嫌なのだろう。

物語の中では語られないが、きっとバドをそういう状態に追い込んだ事件があるはずで、そこに思いを馳せる余地のなかに、この男の魅力があるのである。

■ブライドを墓穴の中に生き埋めにし、ブライドの持っていた服部半蔵の名刀をエル・ドライバーに売りつけようとするバド。

その金で、どこか遠くの世界での隠遁を夢見ていたのだろうか。

だが、エル・ドライバーの策略にはまり、毒蛇に噛まれて無残にも落命してしまう。

えー、もっとバドのかっこいい姿をみたかったのに、という観客の思いに対してタランティーノは意地悪だ。あまりにも、あっけない。

魂を悪に売り渡した男は、いくら後悔しようとも、決して幸せにはなれない。みじめに、ぼろ雑巾のように死んでいくのである。

これがタランテイーノの美学なのかもしれない。

■一方、土中の棺桶の中に閉じ込められたブライド。

バドは何故か、ブライドに懐中電灯を持たせている。明かに、脱出してみせろよ!というメッセージだ。

手足を縛られた絶望の中で、ブライドは師匠パイ・メイの教えを思い出し、指で図った棺桶の天板にこぶしを当て続ける。

Photo_15

■バドのトレーラーハウスで、バド殺害に成功したエル・ドライバーのもとに、墓中から脱出したブライドが現れる。

自分の獲物をバドに横取りされたと思い込んでいたエル・ドライバーは嬉々としてブライドに襲い掛かる。

Photo_16

ビルの愛を独り占めにした気に入らない女。

ブライドはパイ・メイに可愛がられ、そのパイ・メイは私の片目を抉り取った。

何故?

だから、あのジジイに毒をもって殺してやったのさ。

完全なサイコである。

■死闘の末にブライドはエルを倒し、残った片目を抉り出す。

敢えてトドメはささない。

お前は、死にすら値しない。

ブライドの背中から、そんなセリフが湧いてくる。うーん、かっこいい。

■メキシコでビルの居所をつかんだブライドは、単身そこに乗り込む。

Photo_17

だが、そこに待っていたのは、4歳になる自分の娘。憎むべきビルと楽しそうに遊んでいるその無邪気。

ここまでブライドを駆動してきた復讐の根幹が、ガラガラと崩れていく。

なすすべもなく、家族、というかたちに取り込まれるブライド。やはり子供は最強だ。

Photo_18

■殺しの作戦の途中で、自分が妊娠したことに慄き、人を殺すことが出来なくなった。そんな自分を殺しに来た刺客の女も、妊娠したならしかたない、グッド・ラックと去っていく。ホンマかいな!!

それが女の摂理なのか。

子供に血なまぐさい世界で育ってほしくない。その一心で姿をくらまし、牙をかくして普通の幸せに潜り込もうとしたベアトリクス・キドー=ブライド。

ブライドは死んだと思い、一度は悲しみにくれたビルも、ブライドが生きていることを察知し、その裏切りを許せずに皆殺しに至る。

そして、今、目の前にビルとビルとの間の愛おしい子供がいる。

Photo_19

■だが、金魚を踏み潰して殺してしまうB.B.の姿に、やはりビルのもとでは子供はまともには育たない。育つはずがない。これが、私の恐れていたこと。。。。

この冷酷で、人を信じることを知らない、誠実な対話よりも、自白剤を選ぶ男。ビル。

ビルも、そのことを十分に理解している。

だから、裏切りなのだ。

パイ・メイ秘伝の五点掌爆心拳でビルを仕留めるベアトリクス。

ビルは、これを待っていたのかもしれない。

Photo_20

■ベアトリクスは、血塗られた殺人者でありながら、愛を育んでいけるのか?

これが、残されたテーマである。

バスルームにうずくまり号泣しながら、感謝をささげるベアトリクスに未来はあるのか。

修羅の道に堕ちた女の先に何が待ち受けているのか。

ヴァニータ、エル・ドライバー、オーレン石井、バド、そしてビル。

すべてはベアトリクス=ブライド=ブラック・マンバを映した鏡。

あの教会での虐殺は、逃れようとした自分の過去そのものが引き寄せたものなのだ。

だから、ビルと毒蛇暗殺団が消えても、ベアトリクスの血塗られた両手から死のにおいは消え去りはしない。

ベアトリクスの孤独な逃走劇はここから始まるのだ。

 

                      <2015.06.07 記>

■STAFF■
監督 クエンティン・タランティーノ
脚本 クエンティン・タランティーノ
製作 ローレンス・ベンダー
音楽 RZA ラーズ・ウルリッヒ
撮影 ロバート・リチャードソン
編集 サリー・メンケ

■CAST■
ベアトリクス・キドー / ザ・ブライド /ブラック・マンバ:ユマ・サーマン
ビル / スネークチャーマー:デビッド・キャラダイン
エル・ドライバー / カリフォルニア・マウンテン・スネーク: ダリル・ハンナ
バド / サイドワインダー:マイケル・マドセン

キャスト (Vol.1)
オーレン石井 / コットンマウス:ルーシー・リュー
ヴァニータ・グリーン / コッパーヘッド / ジーニー・ベル:ヴィヴィカ・A・フォックス
服部半蔵:千葉真一
GOGO夕張:栗山千明
ジョニー・モー:ゴードン・ラウ
ソフィ・ファタール:ジュリー・ドレフュス
田中親分:國村隼
クレイジー88構成員
島口哲朗、田中要次、真瀬樹里、高橋一生、北村一輝(小路親分と2役)、クエンティン・タランティーノ
青葉屋の女主人:風祭ゆき
チャーリー・ブラウン(サキチ):佐藤佐吉
アニメパート/子供時代のオーレン石井(声優):前田愛
アニメパート/松本親分(声優):楠見尚己
アニメパート/プリティ・リキ(声優):緑川光

キャスト (Vol.2)
B・B:パーラ・ヘイニー=ジャーディン
パイ・メイ(白眉):ゴードン・ラウ
エステバン・ヴィハイオ:マイケル・パークス

 

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2015年6月 2日 (火)

■【書評】『意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論』マルチェッロ・マッスィミーニ、ジュリオ・トノーニ。「意識」とは複雑さを最大限にした「状態」のことなのだ。

意識を定量化し、測定する。今までの脳科学が踏み込めなかった領域に我々は何を見るのか。

■植物状態にある患者がいる。

何を呼びかけてもまったく反応はない。だが、このような患者のうち、意識を保っている人がいることが分かってきた。

その患者は、ありありとした意識を持ちながら、指も、表情も、目も動かすことが出来ず、自分に意識があるということをまわりに伝えることもできないそんな永遠とも思われる地獄に生きている。

こんなひどい話があるだろうか。

その患者に意識があるかどうかを知るすべはないだろうか。

この一念に動かされ、著者は思考をめぐらし、しかし既存の手法では「意識」を捕まえることが出来ないことに絶望する。

だが、そこで著者は立ち止まることなく、新しい理論と測定方法によって、この「意識」の世界に立ち向かっていく。

そのワクワクする挑戦に読む者は引き込まれていくのだ。

■意識のないこん睡状態と意識のある状態の違いとは何か。

何に意識があり、何に意識がないのか。

そこで著者はデジタルカメラを持ち出す。

何百万画素を持っていようが、デジカメの世界では、各画素の「情報」は独立である。100万の画素情報であるならば、情報量は100万である。

一方、意識は、見える情報をニューロンの発火状態の総体として捉える。ひとつひとつのニューロンが、他のニューロンと短距離、長距離、いろいろな組み合わせとしてつながりあう。(複雑系で議論される最適なネットワークの状態とそっくりだ!)

100万のニューロンが、個々独立でもなく、一斉にまったく動きをするのでもなく、複雑な「情報量を最大とする」つながりとして立ち現れる。

このようなとき、そこに意識が立ち現れるのではないか、という仮説である。

■一つの「行動命令」に対して単純な反応をしめす小脳は大脳以上のニューロンの数をもっているにも関わらず、各ニューロンモジュールは独立で、複雑な振る舞いをしない。

一斉に同調する心筋細胞によって動く心臓は、細胞がすべてつながり同調する単純な振る舞いをする。

したがって小脳にも、心臓にも、「意識」はない。

■「意識」があるとき、一つのニューロンを刺激すると、そのニューロンだけが反応するのではなく、また、ニューロンのつながり全体が同じ反応をするのではなく、いろいろなニューロンが複雑で入り組んだ反応をする。

その現象をとらえる装置を著者たちのグループは作成し、10年の歳月をかけて測定してきた。

結果、昏睡、あるいは、ノンレム睡眠をしているときには、単純な応答しか見せなかったニューロンが、意識があるときには、極めて複雑な応答を返してくる。

ここに、念願の「意識」をとらえるのである。

■本書は、「意識」がどのように発生するのか。という難題に直接答えているわけではないが、「意識」の発生する状態を定義し、測定し、検証するという偉業は、その答えへの確実な一里塚である。

それは我々を悩ませ行き止まりに追い込んできた「哲学的ゾンビ」を測定し、数値化する科学であり、今後発展していくAIが意識を持つことが出来るのか、或いは、意識をもった機械が持たねばならない「資質」を提供するものである。

その意味で、これからの我々の科学、哲学に対する重要なキーストーンとなる書なのである。

≪参考記事≫
【複雑な世界、単純な法則 ―ネットワーク科学の最前線―】 マーク・ブキャナン著。我々を取り巻く複雑なネットワークが持つ、幾つかの特性。

■【無意識の脳、自己意識の脳】「私」とは何か?A・ダマシオ

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■【書評】『無業社会』働くことができない若者たちの未来。工藤啓、西田亮介。今、日本に必要な価値観とは。

少子高齢化が進む中で、今の若い者は大変だなあと他人事にはしていられない重大な問題なのである。

■2012年時点での若年無業者数(15~34歳の非労働力人口のうち,家事も通学もしていない者)は63万人(内閣府)。若年就労者1600万人だから、実に4%(若年人口の2.3%)もの若者が就職もせず、求職活動もしていない、ということになる。

この数値は統計が開始された1995年時点で約40万人だったものが、2002年に60万人に跳ね上がり、高止まりしている状況だが、少子化を考慮すると比率としては継続した上昇傾向を示す。

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それに対して、2015年4月時点での若年失業者は79万人(5%)であり、2003年の173万人(9%)、2010年の130万人(7%)をピークに、バブル崩壊が完了した1993年時点の76万人(4%)に近いあたりまで戻してきており、対照的だ。

どうやら無業者の問題は、景気だけによるものではないようだ。

■著者はNPOとして若年就労支援を行ってきた方であり、その経験とデータから若年無業者の実態を語る。

そこに映し出されるのは、病気であったり、就職先の不適合であったり、就職面接の失敗により、労働社会からはじき出されてしまった若者の姿である。

いい歳して親のすねをかじりながら、ろくに働きもせず、2ちゃんを眺めて暮らしているという外見は、あくまでも’今の姿’であり、その裏にあるのは、そこから抜け出そうとしても決して抜け出すことが出来ない。その諦めの上での已むない姿なのである。

これについて、努力が足りない、と一蹴すべき問題ではないことは、先のデータが示している。景気が回復し、失業率が戻ってきても、無業者は増え続けているのだ。そこには何らかの理由がある。

■著者は、それを、一度落ちこぼれると圧倒的に不利になる「日本型システム」にあると読む。

実際、この社会に働いていて、それはしみじみと感じる。働き方が自由であるべきだとか、多様性だとか、いろいろかっこいいことは言われるが、確かに中途採用は増えたが採用されるのは、30代ばりばりの即戦力、落ちこぼれを知らないエリートばかりなのだ。

■著者たちの努力は、この社会システムとの「つながり」を失って、孤立してしまった若者たちを再度「つながり」に導く努力である。

これは極めて大切なことであって、一旦社会から孤立して何年も過ごしていると、再び社会に復帰するのは至難の業であって、実際私自身、3年間の実体験があり、その大変さは肌身で知っている。その時大切なのは、「社会復帰へのリハビリ」と「仲間」である。

その意味で、著者たちの活動は極めて的を得ていると思う。

■だが、その受け入れる社会自体が変わらなければ、元の木阿弥だ。

企業は、失われた20年の間に効率化を極めた。一度落ちこぼれると圧倒的に不利になる「日本型システム」を維持しつつも、いや、それを維持するために、それ以外のモノを切り捨てていった。

その効率化の権化が、一度ドロップアウトしたものを拾い上げ再生するという社会的役割を引き受けるか?答えはNOだ。

それならば、誰かがその役割を引き受けなければならない。効率という観点からは、あまり価値のあると思えないものたちを、それでも一人の人間として誰とも比べることのできないものを受け入れる世の中であらねばならない。

それを国家に丸投げするのではなく、行き過ぎた資本主義に対する新しい価値観を立ち上げること。

たぶん、著者たちの活動がその先駆けになるのではないか、と思うのである。

 

日本国憲法 第二十五条

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

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