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2015年5月10日 (日)

■【映画評】『時計じかけのオレンジ』。法の役割りと私のなかの「暴力」について。

暴力とは人間にとって何なのか。ふと考えてみたくなって押入れからDVDを取り出した。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.75  『時計じかけのオレンジ』
           原題: A Clockwork Orange
          監督: スタンリー・キューブリック公開:1972年4月
       出演: マルコム・マクダウェル  パトリック・マギー 他

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■ストーリー■
仲間と徒党を組み、享楽的に暴行、強盗、強姦を繰り返す少年アレックス。だが資産家の老女の家に押し入った時に仲間に裏切られ逮捕。懲役14年の刑を受ける。

模範囚として2年を過ごしたアレックスだが、犯罪者治療という新しい政策の被験者一号として抜擢され、医療機関に送られる。暴力やセックスへの衝動と身体的嫌悪感(吐き気)を強く関連付ける洗脳を受けたアレックスは、再び社会へ戻されることになるのだが。。。。

■はじめてこの映画を観たのは中学生の頃。その時受けた衝撃と嫌悪感は未だに記憶に残っている。ジーン・ケリーの雨に唄えばを口ずさみながら、無抵抗の作家夫婦に暴力をはたらくアレックスに対する激しい嫌悪。もう見ていられない、という感覚。

今回、改めてこの映画を観て、そういった嫌悪感が一切消えていることに驚いた。40歳も半ばを超えて、魂が穢れてしまったのだろうか。

いや、現実の鬼畜的犯罪行為に対する怒りの感情はまだ健在で、それ故にこの映画を改めて見てやろうという気になったわけで、そういった感覚が消えてしまったとは思えない。

では何が変わったのかといえば、私の中にある「暴力」に対する態度なのだろう。私の中にある暴力的な衝動。アレックス的なものが、私の中にも存在することを認めてしまったことによる変化なのかもしれない。

未発達な中学生時代には、その自らの内にある暴力性は忌むべきものであり、認めたくない。それゆえのアレックスに対する嫌悪感だったのではないだろうか?

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■この映画において、アレックスの犯罪は、アレックス自身の言葉で語られている。きわめて主観的なものである。襲われる浮浪者にしても、作家夫婦にしても、その抗議はその場面では描かれない。アレックスの「あそび」の世界なのだ。

そこに一切の共感は無い。

あるのは彼らが徒党を組む、その集団の中の位置づけだけである。

それが、この若い時代に特有の思考形態であり、それ故に、我々「社会」は共感というブレーキを持たない彼らを恐れるのである。

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■そのアレックスも仲間の裏切りにより、投獄される。だが、頭脳明晰なアレックスは模範囚を演じつつ、神父に取り入り居心地のいいポジションを確保する。そこに一切の反省は無く、彼の関心は、いかに早くシャバに帰れるかだけである。

そんなアレックスの耳に犯罪者治療を受けることで社会に復帰できるかもしれないという話が入り、志願。運よく刑務所に視察に訪れた大臣の目に留まり、それは実現する。

■ここで有名な「治療」のシーン。

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吐き気を誘発するクスリを注射されて、暴力行為やセックスシーンの映像を強制的に見させられる。アレックスの中で、吐き気と暴力、セックスが強く関連付けられ、暴力やセックスを想起するだけで、強い吐き気を覚えるからだになってしまうのだ。

それを見た神父は、共感にもとずく罪悪感による暴力の抑制ではない点で、これは根本的な解決ではないと喝破する。

だが、大臣はそれで暴力が抑制できるなら、それでいいじゃないか、と、「去勢」されたアレックスを社会に放つ指示を出す。

そこには「罪」に対する思想のかけらもない。あるのは犯罪の抑制という政治的なパフォーマンスであり、党利党略なのである。

 

 

■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■そうして「暴力」という翼をもがれた弱者として社会に放り出される。

社会はそれを見逃さない。

かつてアレックスが暴力をふるった浮浪者はそれに気づくや、集団で彼らを囲み、暴行する。

そこに通りがかった警官は、アレックスのかつての仲間で、圧政をしいていたアレックスに対する復讐と弱者をいたぶる快楽の入り混じった感情で彼をいたぶる。

ほうほうの体でたどり着いた先は、かつて押し入った作家の家で、作家は「犯罪者治療」の犠牲者と気づくや政治のコマとしてアレックスを使おうとするのだけれども、彼があの事件の犯人だと気づくや、そこに猛烈な殺意か生まれる。

■これは何を意味しているのだろうか。

暴力は若者特有の共感の欠如に基づくものではなかったのか。

いや、そうではなく、社会は犯罪者を許さない。という意味で、やはり暴力的なのである。暴力を「治療」されたとしても、社会はそれだけでは納得しない。

「犯罪」を憎むのではなく、「犯罪者」を憎むのだ。

■「女子高生コンクリート詰め殺人事件」という犯罪がある。

1989年に発覚した少年犯罪なのだが、25年が経過しても未だにネットで語られ続けている事件なのである。

これは文字にするのも嫌悪されるほどの鬼畜の所業であり、ここではその中身は語らない。だが、ネット上で語られるのは、刑期を終えた4人の犯人及び、それに関わった50人とも100人とも言われる関係者に対する「断じて許さん!お前らも地獄の苦しみを味わって死ね!」という感情である。

私自身も、この感情を共有している。犯人が生きてのうのうと暮らしていることが許せず、目の前にいたら、何をしでかしてしまうか分からないような感情だ。

だが、そこにある「暴力性」の裏に、カタルシスがあることに気付いた時、私は慄然とするのである。

犯人に地獄の苦しみを味あわせる想像をしたときに、感じてしまう悦とした感情のことである。

私のなかに「正義」の仮面をかぶった、「快楽としての暴力」が存在しているという愕然の事実なのである。

それは、この映画に描かれた浮浪者や、かつての仲間や、老作家と同じ性質の暴力であり、暴力は、常に我々の中にある。ということである。

つきつめれば、それは憎むべき犯罪者と私が同じ土俵に立っている、ということなのかもしれない。

■作家グループの策略から辛くも逃げ出すも、全身打撲を負ったアレックスは病院で治療を受けることになる。「暴力」の犠牲者となったアレックスは、「罪」から解放され、彼を苦しめる洗脳からも解放される。

そこに件の大臣が訪れ、再び政治的パフォーマンスのコマとして、アレックスに活躍してくることを求める。

もちろん、アレックスは承諾。

そして再び、暴力と享楽の世界に羽ばたいていくのであった。

■犯罪者への暴力的衝動を抑えること。これが正しいことなのか。我々が、己の中の罪について苦闘するのをゲラゲラと笑いながら、野に放たれた犯罪者は、反省することもなく暮らしている。

だから、やはり「法」なのだと思う。

我々の中の「暴力」を一身に引き受け、代替装置としてそれを実行する。

「法」の役割りは、罪を裁くだけではない。我々、社会に生きるものの「暴力」をも引き受けているのだ。

だから、法に関しては、きれいごとを言っていては始まらない。

やはり、アレックスは野に放つべきでなはい。

小説版では、アレックスは暴力と放蕩の果てに、それを「卒業」して大人になるのだという。

そんなことで、許されるべきではない、と私の中の暴力がうずくのである。

                           <2015.05.10 記>

 

■STAFF■
監督 スタンリー・キューブリック
脚本 スタンリー・キューブリック
製作 スタンリー・キューブリック
原作 アンソニー・バージェス
音楽 ウォルター・カーロス
撮影 ジョン・オルコット
編集 ビル・バトラー



■CAST■
アレックス(Alex DeLarge) 主人公の不良少年 マルコム・マクダウェル
ディム(Dim) 不良仲間“ドルーグ” ウォーレン・クラーク
ジョージー(Georgie boy) 不良仲間“ドルーグ” ジェームズ・マーカス
乞食の老人 酔っ払い冒頭で襲われる ポール・ファレル
ビリー・ボーイ(Billyboy) 主人公と敵対する不良頭 リチャード・コンノート
ミスター・フランク(Frank) 被害者の作家 パトリック・マギー
ミセス・アレクサンダー 作家の妻(赤い服) エイドリアン・コリ
キャットレディ 主人公に襲われる ミリアム・カーリン
デルトイド(Deltoid) 主人公の担任教師 オーブリー・モリス
トム(Tom) 警官 スティーヴン・バーコフ
バーンズ(Barnes) 口髭の看守長 マイケル・ベイツ
刑務所の牧師 チョイスの名演説をした ゴッドフリー・クイグリー
女医(Dr. Branom) - マッジ・ライアン
ダッド(Dad) 主人公の父親はげている フィリップ・ストーン
ママ(Mum) 派手なカツラの母親 Sheila Raynor
ジョー(Joe) 赤い服の下宿人 Clive Francis
フレデリック(Frederick) 内務大臣 アンソニー・シャープ
精神科医 - ポーリーン・テイラー

 

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