■【映画評】『未来惑星ザルドス』。幸せの在り処。
空飛ぶ巨大な人面岩。その時点で奇妙奇天烈映画の烙印を押されそうだが、いやいや、実に深い映画なのだ。
●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
No.66 『未来惑星ザルドス』
原題: Zardoz
監督:ジョン・ブアマン 公開:1974年8月
出演: ショーン・コネリー シャーロット・ランブリング 他
■ストーリー■
2293年の未来、人類は文化を失った「獣人」と、それを統べるごく一握りの不老不死者たち「エターナル」に分かれていた。増えすぎる「獣人」を殺害して回る「撲殺者」と呼ばれる屈強な男たちがいて、主人公のゼッドはそのひとりであった。
撲殺者たちに銃と弾薬を渡し、農作物を回収する、獣人たちの神、空飛ぶ人面岩「ザルドス」にもぐりこんだゼッドはエターナルたちの理想郷「ボルテックス」にたどり着くのだが・・・。
■監督は「エクソシスト2」のジョン・ブアマン。
脚本、制作も兼ねていて、やりたい放題できたんだろう。
監督が楽しみながら撮っている、そういう雰囲気がにじみ出ている作品だ。
■テーマは幸福論。
不老不死を追い求める者は歴史上数多くいたが、実際にそれを手に入れた者たちは果たして幸福と呼べるのか。
いや、不老不死と言わずとも、先進国の高度文明社会は本当に幸福な世界なのか。日本の少子高齢化、ニート、年間3万人の自殺者のことなどを想うと、深く考えさせられるのである。
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■
■不老不死であるエターナルたちにとって、生きるということは永遠の牢獄そのものである。
そのことに気付いたアーサー・フレインは、遺伝子操作で’智’をもつ獣人を生み出し、育て、ボルテックスに乗り込ませることをたくらむ。
ゼッドがボルテックスにたどり着いたのは偶然ではないのだ。
オズの魔法使い(Widard of OZ)を読ませ、ザルドス(Zardoz)が神ではなく、それをもじった偽物だと気付かせるあたりが心憎い。
■アーサー・フレインの策略は実を結び、異物であり、エターナルたちが失った’生’そのものであるゼッドは次第にボルテックスを混乱に導いていく。
ゼッドを追う中でエターナルたちは性と暴力に目覚め、無気力者たちは活力を得、加齢させられた者たちは死を渇望する。
そして、ゼッドが導きいれた撲殺者たちは、エターナルたちを虐殺していくのだけれども、エターナルたちは嬉々として死んでいく。
エターナルたちの社会はすでに死んでいたのである。
■その一方で、ゼッドはボルテックスの守護者タバナクルと対峙する。それは人類の全知を内臓したクリスタルであり、エターナルたちの脳内に埋め込まれたクリスタルの小片と呼応し、結びつき、支配している。
ゼッドはタバナクルから全知を授かり、共にあることを持ちかけられるのだが、諸悪の根源が、このタバナクルにあることに気付いているゼットには通じない。
タバナクルはゼッドをその中に取り込むのだけれども、ゼッドは自らの虚像を撃つことで脱出に成功する。
■この映画が、単なるユートピア批判という百凡に埋もれてしまわないのはこのタバナクルの挿話にあるのだと思う。
不老不死がダメならば、どう生きていけば良いのか?
まさか、性と暴力の獣人の世界に戻ることではあるまい。
そこにあるのは強い意志の力である。
■ラストシーン。
洞穴の中、ゼッドはエターナルのコエンスラを妻とし、子をもうけ、子は成長し、旅立ち、残った二人は手をつないだまま風化していく。
同時に、暴力の象徴である拳銃は壁に埋められ、錆び、朽ちていく。
ジョン・ブアマンの強力なメッセージ。
そこに言葉はいらない。
<2013.02.03 記>
■STAFF■
製作・監督・脚本:ジョン・ブアマン
音楽:デイヴィッド・マンロウ
楽曲引用:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 交響曲第7番より
撮影:ジェフリー・アンスワース
編集:ジョン・メリット
美術:アンソニー・プラット
衣裳:クリステル・クルーズ・ブアマン
提供:ジョン・ブアマン・プロダクションズ
■CAST■
ゼッド :ショーン・コネリー
コンスエラ : シャーロット・ランプリング
メイ : セーラ・ケステルマン
フレンド : ジョン・アルダートン
アヴァロウ : サリー・アン・ニュートン
アーサー・フレイン : ナイオール・バギー
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