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2013年1月26日 (土)

■【映画評】『サンタ・サングレ/聖なる血』。心を揺さぶる魂の解放。

「忘れられない映像で、観る者に傷を負わせたいのだ」・・・アレハンドロ・ホドロフスキー

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.64  『サンタ・サングレ/聖なる血』
           原題: Santa Sangre
          監督: アレハンドロ・ホドロフスキー 公開:1990年1月
       出演: アクセル・ホドロフスキー  サブリナ・デニソン 他

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■ストーリー■
メキシコ・シティのサーカス団の団長オルゴとその妻コンチャの息子、フェニックスの物語。

浮気性のオルゴとカルト教団の信者で嫉妬深いコンチャだったが、ある夜、浮気の現場を見たコンチャがオルゴの下腹部に硫酸をかけ、怒ったオルゴがコンチャの両腕を切り取り、自らの喉を掻き切るという事件が起きる。それを見たフェニックスは精神に異常をきたし精神病院に送られる。

青年となったフェニックスは突如現れた母、コンチャに誘われるまま病院を抜け出す・・・。

 

■『エル・トポ』、『ホーリー・マウンテン』といったカルト映画を世に生み出したアレハンドロ・ホドロフスキー監督、初の商業映画。

象徴と暗示のオンパレードで難解さはあるのだけれども、そのラストシーンは深く心を揺さぶる。

私にとって大切な映画の一つである。

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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■フェニックスの少年時代を描く、前半部分の映像の毒々しさが印象的だ。

サーカスが舞台というのがいい。

謎めいていて、淫靡。

一般社会から外れたものたちの吹き溜まりであり、非日常そのもの。

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■だが、その非日常のなかにも一種の安定感があったのだけれども、それも刺青女の登場によって崩されていく。

サーカスの象が血を吐いて死ぬシーンがあって、それはサーカス団自体の崩壊を象徴しているように思われる。

象の遺骸の入った棺桶は崖から投げ落とされ、落下した棺桶には貧民たちが群がり、その死体をむさぼる。

これが社会というものだ。

■嘆き悲しむフェニックスに対し、父のオルゴは男にしてやると、その胸に自らと同じタカの刺青を刻む。

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ここは重要なシーンだ。

フェニックスはここで父の狂気を受け継ぐことになるのだ。

これから崩壊していく父と母の運命、そこから逃れられなくなる。その象徴がこのタカの刺青なのである。

■刺青女の連れ子である聾唖者のアルマに心を開きつつあったフェニックスであったが、それも刺青女とオルゴの浮気が引き金になった事件によって引き裂かれてしまう。

刺青女はアルマを連れてその場から逃げ、フェニックスは父が母の両腕を切り落とす、というショックから精神病院送りになってしまうのだ。

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■歳月が過ぎ、精神病院で青年となったフェニックスは、ある日、母親のコンチャに導かれるように精神病院を抜け出す。

それからの日々は、文字通り、切り取られたコンチャの両腕となって生きていくことになる。

手を白く塗り、赤い付け爪をつけたフェニックスの手はコンチャの手である。

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■そしてコンチャはフェニックスの’浮気’を許さない。

フェニックスに近づく女はことごとく、「コンチャの手」によって殺されていく。

その重圧と罪悪感に苛まれるフェニックス。

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なんとか、その状況から抜け出そうと、透明人間になろうとしてみたり、「自分」を倒してくれそうな女プロレスラーに賭けてみたりするのだが、それもまた失敗。

墓穴を掘って埋める。

その時、フェニックスは相手の顔を白く塗る。

これは、どこかでアルマを待ち望んでいるからなのか。

フェニックスの悲痛さが伝わってくるシーンである。

■一方、アルマは「コンチャの魔法の手」というショーの張り紙でフェニックスが生きていることを知る。

フェニックスの居場所を探しあてたアルマは、彼のもとを訪ね、そして、フェニックスがいないその場所ですべてを悟り、彼を救おうと心を決める。

女レスラーを埋めて家に戻ってきたフェニックスとアルマはここで再会を果たす。

■このあたりからラストシーンまでが実にいい。アルマが聾唖者であることが、ここで効いてくる。

すべてを悟って、顔にドウランを塗るそのしぐさ。

ナイフを握ったコンチャの手を前にしても、動じないその強さ。

コンチャの正体をフェニックスに教えるべく、彼を導くその動き。

パントマイム的に演出され、言葉が一切排除されたその演技は、幾百のセリフよりも説得力がある。

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■コンチャはあの事件の時に既に死んでいて、自分が母だと思っていたのはただの人形であったこと。

そして、その人形を壊し、燃やすことで、薄皮が剥がれるようにフェニックスは現実を取り戻していく。

今までそばにいてくれた小人症のアラジンまでもが、実は妄想で、フェニックスに手を振りながら消えていく。

最後にアルマはフェニックスの胸を開き、その胸のタカの刺青に手を添えて、羽ばたき飛んでいく仕草をみせる。

ああ、ここでやっとフェニックスは過去の忌まわしき軛から解放されたのだ。

このシーンと、そこから生まれる感情はずっと胸に焼き付いて離れない。

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■この映画は、精神異常者が20人とも30人とも言われる女性を殺害、庭に埋めたというメキシコで実際にあった事件を題材としている。

アレハンドロ・ホドロスキーは、実際にその男にインタビューして、数年をかけてこの映画の構想を固めていったのだという。

どこからどこまでが現実にあったことなのか、多分99%がホドロフスキーの想像なのだろうが、観るものの想像を超えた映像的イメージの膨らみの方向性にそれが生かされているに違いない。

■母親と殺人といえば、どうしても『サイコ』を想起させてしまうのだけれども、だからといって決してこの映画は単なる二番煎じではない。

描きたかったのは、単なる「狂気」ではなく、この世には圧倒的な絶望からも解放してくれる天使がいるのだ、という「希望」、そのものだったのだから。

                       <2013.01.26記>

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■STAFF■
監督 : アレハンドロ・ホドロフスキー
脚本 :  アレハンドロ・ホドロフスキー
      ロベルト・レオーニ
      クラウディオ・アルジェント
製作 : クラウディオ・アルジェント
音楽 : サイモン・ボズウェル
撮影 : ダニエレ・ナンヌッツィ

■CAST■
フェニックス:アクセル・ホドロフスキー
コンチャ:ブランカ・ゲーラ
オルゴ:ガイ・ストックウェル
フェニックス(少年時代):アダン・ホドロフスキー
アルマ:サブリナ・デニソン

●●● もくじ 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●

 

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