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2013年1月

2013年1月28日 (月)

■【映画評】『レ・ミゼラブル』。歌の力。

レ・ミゼラブルといえば帝劇のミュージカルで寝てしまった前科があって、少し苦手かな、と思ったのだけれども、今回はその迫力に圧されて寝るどころではありませんでした、エポニーヌの話のあたり以外・・・、って結局寝てるんじゃないか。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.65  『レ・ミゼラブル』
           原題: Les Misérables
          監督: トム・フーパー 公開:2012年12月
       出演: ヒュー・ジャックマン  ラッセル・クロウ  アン・ハサウェイ 他

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■ストーリー■
パンを盗んだ罪で19年間服役したジャン・バルジャンは仮釈放になるも、社会に身を置くところがない。ある日、一夜の宿を提供してくれた教会からこともあろうか銀の食器を盗み出す。けれど教会の司祭は、その罪を許すどころかさらに銀の燭台をも差し出すのであった。

ジャン・バルジャンはそこで自らの行為を悔い、その名を捨てて新たな人生を歩むことを決める。

8年の年月が流れ、ジャン・バルジャンは工場長兼市長にまで登りつめるのだが、仮釈放のまま姿を消したジャン・バルジャンを執拗に追い続けてきた警察官のジャベールにその正体を見破られてしまう。

けれどもジャン・バルジャンには、その不幸を救うことのできなかった元工員のファンテーヌの娘、コゼットを守り、育てるという使命があった・・・。

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■映画は出だしが肝要だと思うのだけれども、この映画のファーストシーンの迫力は凄かった。

囚人たちが巨大な船をドックに引っ張り込むべく綱を引く。

容赦なく彼らに襲い掛かる波しぶき。

それをものともしない「囚人の歌」(Look Down)の大合唱。

このスケール感は映画ならではのものであり、ああ成功だな、とその時点で確信した。

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■そして、仮釈放、教会の場面、新しい人間として生まれ変わる決意のシーンと続くわけなのだが、重要なのはセリフが一切ない、というところ。この映画では、すべてが歌によって進行していく。

ミュージカル映画というのは普通の劇映画の中で突然、役者が歌いだす、というのが私のイメージだったのだが、これは凄い。

しかも、アフレコではなく、撮影の場面での生音源なのだという。

歌、というものの持つ力をまざまざと見せつけられた。

余計なものがすべてそぎ落とされ、役者の表情と歌声がそのまま迫ってくる。

■中でもコゼットの母、ファンテーヌが堕ちていく場面が秀逸。

長く美しい髪を切られ、奥歯を抜かれ、娼婦へと身を落とす。

そして、そっと始まる、「夢やぶれて」(I Dreamed a Dream)。

言葉に表わすことのできない、すべてがそこに凝縮されている。

いや、実にいい。アン・ハサウェイに拍手!!なのである。

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■158分、この調子で進んでいく。

ジャベールとの対峙。コゼットとの出会い。

途中、すこしダレるところもあったのだけれど、学生運動家たちと軍隊が衝突するあたりでテンションは一気にあがる。

ここでガヴローシュを演じた子役がいい味を出している。

立ち上がる市民があまりにも少ないことに意気消沈している学生たちに向け、「民衆の歌」(The People's Song)を歌い始める場面。

笑顔のまま弾薬を取りにバリケードの前に出て撃たれる場面。

そして、騒乱の後、並んだ遺体のなかで一際小さなガヴローシュの姿。ジャベールでなくとも勲章をささげたい気分にさせる。

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■ここで、ジャベールについても語らねばなるまい。

まっすぐに生きることを歌い上げるジャン・バルジャンの分かりやすさに比べ、ジャベールは非常に解りにくい。

法がすべて、という価値観といわれてもなかなかピンとこないのである。

ここが、すべてをあいまいにやり過ごそうとする日本人の限界なのか。

スパイとして学生たちに囚われた身をジャン・バルジャンに救われ、彼の中で葛藤が生じる。

そして自死。

何も死ぬことは無かろうに。

彼らにとって実存、というのはかくも重たいものなのか。

一神教の神を持たない我々にはなかなか理解しがたいものなのである。

■そして、ラスト。

コゼットを無事に嫁にやり、隠居の身のジャン・バルジャン。

やがて天国からファンテーヌが迎えにやってくる。

マリウスとコゼットに看取られながら永い眠りにつく。

目を閉じれば、死んでいった者たちが次々と現れ、立ち上がり、「民衆の歌」を高らかに歌い上げる。

それは単なる革命歌ではなく、生きること、死ぬこと、その美しさを力強くたたえる歌なのである。

歌の力、改めて噛み締めました。

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                         <2013.01.27記>

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■ レ・ミゼラブル~サウンドトラック

 

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■STAFF■
監督 : トム・フーパー
脚本 : ウィリアム・ニコルソン
      アラン・ブーブリル
       クロード・ミシェル・シェーンベルク
       ハーバート・クレッツマー
原作 : ヴィクトル・ユゴー
音楽 : クロード・ミシェル・シェーンベルク
撮影 : ダニー・コーエン
編集  : クリス・ディケンズ
     メラニー・アン・オリヴァー


■CAST■
ジャン・バルジャン : ヒュー・ジャックマン
司教         : コルム・ウィルキンソン
ジャベール     : ラッセル・クロウ
ファンテーヌ    : アン・ハサウェイ
コゼット       : アマンダ・サイフリッド
      幼少期 : イザベル・アレン
マリウス・ポンメルシー : エディ・レッドメイン
エポニーヌ     : サマンサ・バークス
ガヴローシュ    : ダニエル・ハトルストーン

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2013年1月26日 (土)

■【映画評】『サンタ・サングレ/聖なる血』。心を揺さぶる魂の解放。

「忘れられない映像で、観る者に傷を負わせたいのだ」・・・アレハンドロ・ホドロフスキー

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.64  『サンタ・サングレ/聖なる血』
           原題: Santa Sangre
          監督: アレハンドロ・ホドロフスキー 公開:1990年1月
       出演: アクセル・ホドロフスキー  サブリナ・デニソン 他

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■ストーリー■
メキシコ・シティのサーカス団の団長オルゴとその妻コンチャの息子、フェニックスの物語。

浮気性のオルゴとカルト教団の信者で嫉妬深いコンチャだったが、ある夜、浮気の現場を見たコンチャがオルゴの下腹部に硫酸をかけ、怒ったオルゴがコンチャの両腕を切り取り、自らの喉を掻き切るという事件が起きる。それを見たフェニックスは精神に異常をきたし精神病院に送られる。

青年となったフェニックスは突如現れた母、コンチャに誘われるまま病院を抜け出す・・・。

 

■『エル・トポ』、『ホーリー・マウンテン』といったカルト映画を世に生み出したアレハンドロ・ホドロフスキー監督、初の商業映画。

象徴と暗示のオンパレードで難解さはあるのだけれども、そのラストシーンは深く心を揺さぶる。

私にとって大切な映画の一つである。

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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■フェニックスの少年時代を描く、前半部分の映像の毒々しさが印象的だ。

サーカスが舞台というのがいい。

謎めいていて、淫靡。

一般社会から外れたものたちの吹き溜まりであり、非日常そのもの。

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■だが、その非日常のなかにも一種の安定感があったのだけれども、それも刺青女の登場によって崩されていく。

サーカスの象が血を吐いて死ぬシーンがあって、それはサーカス団自体の崩壊を象徴しているように思われる。

象の遺骸の入った棺桶は崖から投げ落とされ、落下した棺桶には貧民たちが群がり、その死体をむさぼる。

これが社会というものだ。

■嘆き悲しむフェニックスに対し、父のオルゴは男にしてやると、その胸に自らと同じタカの刺青を刻む。

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ここは重要なシーンだ。

フェニックスはここで父の狂気を受け継ぐことになるのだ。

これから崩壊していく父と母の運命、そこから逃れられなくなる。その象徴がこのタカの刺青なのである。

■刺青女の連れ子である聾唖者のアルマに心を開きつつあったフェニックスであったが、それも刺青女とオルゴの浮気が引き金になった事件によって引き裂かれてしまう。

刺青女はアルマを連れてその場から逃げ、フェニックスは父が母の両腕を切り落とす、というショックから精神病院送りになってしまうのだ。

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■歳月が過ぎ、精神病院で青年となったフェニックスは、ある日、母親のコンチャに導かれるように精神病院を抜け出す。

それからの日々は、文字通り、切り取られたコンチャの両腕となって生きていくことになる。

手を白く塗り、赤い付け爪をつけたフェニックスの手はコンチャの手である。

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■そしてコンチャはフェニックスの’浮気’を許さない。

フェニックスに近づく女はことごとく、「コンチャの手」によって殺されていく。

その重圧と罪悪感に苛まれるフェニックス。

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なんとか、その状況から抜け出そうと、透明人間になろうとしてみたり、「自分」を倒してくれそうな女プロレスラーに賭けてみたりするのだが、それもまた失敗。

墓穴を掘って埋める。

その時、フェニックスは相手の顔を白く塗る。

これは、どこかでアルマを待ち望んでいるからなのか。

フェニックスの悲痛さが伝わってくるシーンである。

■一方、アルマは「コンチャの魔法の手」というショーの張り紙でフェニックスが生きていることを知る。

フェニックスの居場所を探しあてたアルマは、彼のもとを訪ね、そして、フェニックスがいないその場所ですべてを悟り、彼を救おうと心を決める。

女レスラーを埋めて家に戻ってきたフェニックスとアルマはここで再会を果たす。

■このあたりからラストシーンまでが実にいい。アルマが聾唖者であることが、ここで効いてくる。

すべてを悟って、顔にドウランを塗るそのしぐさ。

ナイフを握ったコンチャの手を前にしても、動じないその強さ。

コンチャの正体をフェニックスに教えるべく、彼を導くその動き。

パントマイム的に演出され、言葉が一切排除されたその演技は、幾百のセリフよりも説得力がある。

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■コンチャはあの事件の時に既に死んでいて、自分が母だと思っていたのはただの人形であったこと。

そして、その人形を壊し、燃やすことで、薄皮が剥がれるようにフェニックスは現実を取り戻していく。

今までそばにいてくれた小人症のアラジンまでもが、実は妄想で、フェニックスに手を振りながら消えていく。

最後にアルマはフェニックスの胸を開き、その胸のタカの刺青に手を添えて、羽ばたき飛んでいく仕草をみせる。

ああ、ここでやっとフェニックスは過去の忌まわしき軛から解放されたのだ。

このシーンと、そこから生まれる感情はずっと胸に焼き付いて離れない。

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■この映画は、精神異常者が20人とも30人とも言われる女性を殺害、庭に埋めたというメキシコで実際にあった事件を題材としている。

アレハンドロ・ホドロスキーは、実際にその男にインタビューして、数年をかけてこの映画の構想を固めていったのだという。

どこからどこまでが現実にあったことなのか、多分99%がホドロフスキーの想像なのだろうが、観るものの想像を超えた映像的イメージの膨らみの方向性にそれが生かされているに違いない。

■母親と殺人といえば、どうしても『サイコ』を想起させてしまうのだけれども、だからといって決してこの映画は単なる二番煎じではない。

描きたかったのは、単なる「狂気」ではなく、この世には圧倒的な絶望からも解放してくれる天使がいるのだ、という「希望」、そのものだったのだから。

                       <2013.01.26記>

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■サンタ・サングレ 聖なる血 [DVD]

■STAFF■
監督 : アレハンドロ・ホドロフスキー
脚本 :  アレハンドロ・ホドロフスキー
      ロベルト・レオーニ
      クラウディオ・アルジェント
製作 : クラウディオ・アルジェント
音楽 : サイモン・ボズウェル
撮影 : ダニエレ・ナンヌッツィ

■CAST■
フェニックス:アクセル・ホドロフスキー
コンチャ:ブランカ・ゲーラ
オルゴ:ガイ・ストックウェル
フェニックス(少年時代):アダン・ホドロフスキー
アルマ:サブリナ・デニソン

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■「泣くな、はらちゃん」の劇中歌がいい!

■日テレ土曜ドラマの「泣くな、はらちゃん」がいい。

マンガの中の主人公のはらちゃん(長瀬智也)が作者の女の子(麻生久美子)に恋をするお話。

マンガの中の世界しか知らないはらちゃんが少しずつ「世界」を知っていく。観るものは、はらちゃんの純粋なこころを通して、分かりきったはずの「世界」の素晴らしさに改めて気付く。

同じ枠でやっていた「Q10」の切なさにも似て、いい感じで進んでいきそうです。

■そのドラマの中で歌われる劇中歌が、ゆるくていい。

 

「私の世界」        作詞:岡田恵和
     

世界じゅうの敵に降参さ 戦う意思はない

世界じゅうの人の幸せを 祈ります
    

世界の誰の邪魔もしません 静かにしてます

世界の中の小さな場所だけ あればいい
    

おかしいですか? 人はそれぞれちがうでしょ?

でしょでしょ?
    

だからお願いかかわらないで そっとしといてくださいな

だからお願いかかわらないで 私のことはほっといて
 

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■とても後ろ向きな歌詞なんだけど、なぜか心に響きます。

正面切って、こういうことを歌えるのも、ひとつの勇気だと思います。

今の越前さん(麻生久美子)の心境を歌ったこの歌が、この後どう変わっていくのか?

そのあたりも気になるところ。

ゆるく眺めていこうと思う。

                         <2013.01.26 記>

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2013年1月 8日 (火)

■東京スカイツリー。白き塔から望む景色は。

冬休みの終わりに家族で東京スカイツリーに行って参りました。

完全におのぼりさん状態です。

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■634メートルの巨塔を仰ぎ見る。

なかなかカメラのフレームに収まってくれません。

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■毎分600メートルの超高速エレベーターで一気に駆け上り、約30秒でたどり着いた地上350メートルの第一展望台からの風景。

隅田川の向こうに都心部の高層ビル群が霞む。

中央が六本木方面で右手が新宿方面。

ビルの一つ一つが雑然と並び、

まるで東京が巨大な墓地のように見える。

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■地上450メートルの第2展望台に向かうエレベーター。

天井の一部がガラス張りになっていて、エレベーターが上昇していく様子が分かる。

白い清潔感がSFチックで、2001年宇宙の旅を思い出しながらシャッターを切る。

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■第一展望台越しに見た地上の様子。

行き交うクルマが芥子粒のように小さい。

さっきまであそこに居たんだよな・・・。

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■足元がガラス張りになっているエリア。

ここまで高いと怖い、という感覚はない。

不思議な浮遊感。

 

■てな感じで、下町にありながら、とても洗練された空気を味わえたスカイツリー参りなのでありました。

今回は、付属商業施設の「東京ソラマチ」を見て回る時間がなかったので、女房、子供は、もう一度来ようね、ウルトラマンショップもあるからパパも一緒に来るでしょ?

なんて言うのだけれど、

何だか急に東京タワーが恋しくなってしまった。

■確かにスカイツリーは上質だし、楽しめる。

けれども、味わいという意味では、たった332メートル。赤く染まった東京タワーの方がオジさんにはしみじみくるのである。

そのあと浅草に出て、花やしきで遊んだんだけれども、そこに東京タワーと同じ匂いを感じ、ああ、この地味さ加減が落ち着くんだなと実感。

昭和とか、平成とか、そういうんじゃなくて、地味な寂しさのなかにあるあたたかさ、とでもいったものなのである。

今度は、娘を東京タワーに誘ってみよう。

意外と楽しんでくれるかもしれない。

                         <2013.01.08記>

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2013年1月 5日 (土)

■【映画評】『映画 妖怪人間ベム』。TVドラマの映画化について考える。

TVドラマの出来が良かったので、娘を連れて見に行った。

うーん、悪くはないんだけど・・・。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.63  『映画 妖怪人間ベム』
          
          監督:狩山俊輔 公開:2012年12月
       出演: 亀梨和也 杏 鈴木福 他

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■ストーリー■
それはいつ生まれたのか、誰も知らない。

暗く、音のない世界で、一つの細胞が分かれて増えていき、

3つの生き物が生まれた。

彼らはもちろん人間ではない。また動物でもない。

だが、あの醜い体には正義の血が流れているのだ。

「はやく人間になりたい!」

その生き物は、人間になれなかった妖怪人間である!

 

死ぬことも、歳をとることのない妖怪人間のベム(亀梨)、ベラ(杏)、ベロ(福くん)の3人は、人間になる方法を探しながら放浪の旅を続ける。

彼らは、そこに流れる正義の血に従って、悪を懲らしめる。

だが、その醜い姿ゆえ、人間に受け入れられることなく、また次の街へと旅立っていくのであった。

■昭和43年といえば私の生まれた年で、その年に原作となるTVアニメが放映されたようだ。

子供の頃に何度か再放送をみていて、内容までは覚えていないけれど、あの「闇に隠れて生きる、俺たちゃ妖怪人間なのさ♪」というタイトルソングと共に、そのおどろおどろしくも切なく哀しい雰囲気を覚えている。

それが実写ドラマ化されたのが2011年の後半。

『銭ゲバ』とか、『Q10』とか時々グッとくる作品を生み出している日テレの土曜ドラマ枠。

この妖怪人間ベムという作品もまた、うまく出来たドラマの一つであった。

■何より作品の雰囲気がいい。

原作の空気を上手くアレンジしながら実写化することに成功している。

さらに「正義とは?悪とは?」というテーマも明確で、それを際立たせるために投入した「名前の無い男(柄本明)」という「悪」の分身も見事に機能していて、純粋な正義だけでは人間にはなれず、悪と融合することで初めて人間として生まれ変わることが出来る、という核心へとドラマは進んでいく。

「悪」を取り込んで「人間」となるのか、あくまでも「正義」に生きるのか?

「名前の無い男」は、ベムたちに突きつける。

その最後の選択がTVドラマ版のラストの盛り上がりであり、その決着をつけることで、この物語は幕を閉じる。

完璧なラストであった。

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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■さて、今回の映画版である。

テーマである「正義とは?悪とは?」に決着をつけた後、どう話を組み立てるのか?

結論をいってしまえば、どうもこうもなくて、あの最終回の繰りかえし。

「名前の無い男」の出す液体を被った植物が枯れることの無い生命力を得て、その汁を飲めば、死んだ人間さえ生き返る。

また、人間になるための光が見えてくるのだが、それはやはり「名前の無い男」=「悪」なのであって、ベムたちは最後にその植物を焼き払う。

当然の選択だ。

■かといって駄作か、といえばそういう訳ではない。

ご都合主義だとか、ありえない筋書きだとか、いろいろ目をつぶらねばならないところはあるのだけれど、ベロの淡い恋心だとか、怪物になってしまった女の苦悩、そして彼女に対する夫の愛だとか、「悪」となってしまった女に止めを刺すベムの苦しみ、それを支えるベラとベロだとか、いろいろと物語としての見どころはある。

Yahoo!の映画レビューを見ても、号泣!なんて人が結構いるのだから成功しているのだろう。

問題は、これを映画でやるか?

という話である。

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■映画版を作ればそこそこのヒットは見込める。

けれど、話は終わっちゃってるしな・・・、どうしようか?

という苦しみの中でひねり出した1話、という感じ。

少し違うな、と感じたのは自ら手を汚す製薬会社の社長さんは「悪の液体」の洗礼を受けていないというところ。

クスリの副作用に苦しむ少数がいても大勢の人が助かるのだから、多少の犠牲は仕方がない。

という論理で社長さんは動いている。

他の重役が皆殺しになっていても、その考え方は揺るがない。

そこを突き詰めれば、「正義とは?」とサンデル教授ばりのテーマが浮かんできた可能性はある。

だが、実際はそこに踏み込むことは無く、小悪党あつかいで終わってしまっているところが残念だ。

■先のヱヴァンゲリヲン:Qのところでも書いたけれども、映画としては何かしら「伝えたいこと」が欲しくなる。

TVドラマでは描ききれなかった「何か」を受け取れるのではないか、という期待がある。

それは、悪の液体を飲んで「人間妖怪」になってしまった女が、ゴジラに出てきたビオランテが如き姿となって、ベムたちの前に立ちはだかる、なんていう怪獣映画的、或いはVFX的ところにある訳ではない。

人間は「正義」と「悪」の両方を持っている。

製薬会社の社長さんの語る「正義」は常に「悪」の側面を内包している。

ああ、これが本当の「悪」なのか。

そこを感じたかったのである。

■いやいや、楽しめたんだからいいじゃないか。

そこそこ、いいお話だったし、何よりTVシリーズのノリを劇場で満喫できたんだから。

と、いう気分もある。

けれど、そこで手を緩めていては日本の映画文化がTVの視聴率主義の延長線上にのって食い潰されていくことになるのではないか、と危惧するのである。

悪貨は良貨を駆逐する。

リスクのある新しい物語と、TVでそこそこ受けた作品の映画化とがあって、手元の資金のなかで儲けを得ようとするならば、後者を取る。

そうして潰れていく佳作たちがあるのではないか。

ちょっと売れりゃドラマの映画化、っていう今のやり方は、ファンとしてはうれしいのだけれども、長い目で見れば、あまりいいことではないのではないのかな、と思えて仕方がないのである。

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                               <2013.01.05記>

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■TV版「妖怪人間ベム」DVD-BOX

 

■STAFF■
監督 狩山俊輔
脚本 西田征史
原作 アサツー ディ・ケイ
音楽 サキタハヂメ

■CAST■
ベム - 亀梨和也 (KAT-TUN)
ベラ - 杏
ベロ - 鈴木福
名前の無い男 - 柄本明
緒方小春 - 石橋杏奈
辻尚樹 - 永岡佑
夏目優以 - 杉咲花
夏目菜穂子 - 堀ちえみ
町村日出美 - 広田レオナ
緒方浩靖 - あがた森魚
夏目章規 - 北村一輝
加賀美正輝 - 中村橋之助
上野達彦 - 筒井道隆
上野小百合 - 観月ありさ
上野みちる - 畠山彩奈

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