■【映画評】『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』。そこに語るべきことはあるのかい?
遅ればせながら見て参りました。
問題作だというのは事前に聞いてはいたが、ここまでとは・・・。
●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
No.62 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
監督: 庵野秀明 公開:2012年11月
■ストーリー■
冒頭、アスカとマリによる初号機奪還作戦が遂行される。その初号機のエントリープラグの内容物からサルベージされたシンジだったが、前作ヱヴァンゲリヲン:破、から世界は14年の月日が流れており、そのあまりの変容ぶりに呆然とする。
■2作目の「破」はエンターテイメントとして優れた作品であっただけに、今回の「Q」の突き放しぶりが皆を戸惑わせる。
新劇場版は停滞した自慰的アニメーションの状況を打破するエンタメ作品なのではなかったのか。
状況説明の欠落とスノッブな専門用語の連打で観る者を突き放すのが本来のエヴァの魅力ではあるものの、そこに回帰してどうするの?
■「破」のラスト。シンジが綾波レイを救おうとして、その個人的な想いがサード・インパクトを誘発してしまう。それでも、「行きなさい、シンジ君!」と背中を押したはずのミサトの変貌。
カヲルがロンギヌスの槍(或いはカシウス?・・・どっちでもいい!)で食い止めたはずのサード・インパクトは、ニア、と呼ばれながらも世界を破滅的状況に追い込んでしまった。
すべての責任はシンジにある?
一体、どういうことなのか?
シンジでなくともその不条理に戸惑いと怒りを覚えるのである。
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■
■ニア・サード・インパクトを境にネルフの人類補完計画を阻止する組織として立ち上がったヴィレ。
その旗艦、ヴンダーは空を飛び、ネルフの送り込む疑似使徒を撃破する。
その威力たるは神殺しの字名に恥じず。
なーんて、書いているうちにバカバカしくなってしまった。
観ていてこっちが恥ずかしい。
こんなのを観に来たわけじゃないぞ!
ネルフ対ヴィレという対立のなんて、薄っぺらな構図に甚だしい違和感がこみあげてくるのである。
■そもそもエヴァという物語は、迫りくる使徒という意味のよく分からない敵と戦いながら、その裏で策謀がめぐらされていて、ネルフという組織の中でミサトや加持が密かにその謎にせまる。と簡単に言ってしまうのが憚られるくらい複雑な構図、そこに魅力があったのである。
そっれを、あろうことか巨大戦艦を擁する抵抗組織??
ばっか、じゃなかろうか。
■エヴァ、というくくりを抜いたとしても、映画としてなっていない。
初号奪還から、ヴンダー起動、シンジの離反。このあたりまではいいとして、その後のシンジとカヲルのお話のあたりの中だるみの苦しかったことといったら、ない。
ふたりが友情を温めあう、そこを描くにしてもあまりに散漫。
3代目?綾波レイにしても、自我の覚醒を描き切れていないし、冬月がシンジに母親の真実を告げるシーンの説明くささは手抜きとしか言えないし。
■映画の中盤ってのは、これからどうなるのか、はらはらどきどきさせながらも、終盤に向けての伏線がしっかり埋め込まれていく。
具体的に言えば、カヲルがゼーレに反旗を翻す(ロンギヌスとカシウスの槍をリリスから抜き取ることで、世界を修復できると考える)、その動機づけ、或いはその心理を推し量ることのできる描写、そこが欠落しているから終盤で自死するカヲルがどうしても薄っぺらくなってしまう。
確かにTV版のカヲルもすべてを語ることをしなかったし、言動も意味不明なところがあった。
けれどもそこにはリリンをみつめる優しい眼差しが描かれていて、それ故にシンジに僕を握りつぶせ、というその心理に少しは心熱い部分があったのだ。
そこを描かずして、この映画で何を語ろうというのだろう。
■映画に限らず「作品」というものは、何かを語るべくして存在するものである。そして観る者の心の中に何かを生み出すものである。
果たしてこの「Q」に、何か語るものはあったのだろうか?
変わり果てた新しい世界の提示?
それは序破急の’急’の上っ面でしかない。
■’急’が新しい価値観の創造であるとするならば、自らの軽はずみでフォース・インパクトを励起し、カヲルを自死に追いやったその絶望。そこからのシンジの通り一遍ではない立ち上がり方、そこにこそ’急’がある。
本来、3部作の構想で完結編としての’急’としたかったのだがまとまらず、「Q」という人を食った名前でその場をしのぐ。
もし、そうならば、そんな中途半端なものを世に出す作り手の気がしれない。
確かにキレイな器だが、そこに魂は、ない。
<2012.12.26 記>
併映された「巨神兵東京に現わる」。
その作品の素性ゆえ’特撮’にこだわったので見栄え上のちゃちさは拭いきれないが、それは、それ。巨神兵と炎の迫力を大画面で観るのは悪くない。
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