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2012年7月

2012年7月29日 (日)

■【映画評】『鉄男』。濃密な塚本晋也ワールドを堪能する。

日本を代表するカルト映画である。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.53  『鉄男
           監督: 塚本晋也 公開:1989年7月
       出演: 田口トモロヲ   塚本晋也 他

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■ストーリー■
男は、ある朝、自分の頬から金属が生えているのを見つける。平凡であったはずの日常は、そこから崩れ始め、加速する。そして次第に金属に蝕まれていく男の前に’やつ’が現れる。

Tetsuo

■ストーリーを追う作品ではない。

あるのは肉体を侵食する金属のイメージだ。

肉体から溢れ出る金属の増殖と、ストップモーションを切り貼りした’高速移動’。そのエネルギーとスピードがこの映画の骨であり、それ以外をそぎ落とすことによって映画として成立している。

67分という時間は決して短くはない。その濃密さがこの作品の命なのである。

■「鉄男」を「鉄雄」と読み替えるまでもなく、大友克洋の「AKIRA(アキラ)」を彷彿とさせる作品である。だが、変異という一点に集中した濃密さ、という点で大きく一歩を踏み出している。

「鉄雄」の変異との類似は確かにあるが、大友克洋のそれは肥大していくそれであり、屑鉄の塊に収束していく濃密なイメージを繰り返し提示していく「鉄男」の変異とはベクトルが違う。

そこのことによって塚本晋也のワールドは独自のものであると断言できるであろう。

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■その一方で、諸星大二郎の「生物都市」(1978)との類似性は否定できないだろう。ラスト場面で鉄雄と一体化した’やつ’は世界を鉄で埋め尽くすことを宣言する。

金属と肉体の有機的結合。

「生物都市」でのそれは朽ちることのないユートピアであったが、塚本晋也のそれは錆びて朽ちていくデストピアだ。

イメージの根源は「生物都市」からのものかもしれないが、そこから引き出される哲学が大きく異なる。

諸星大二郎の世界には無かった暴力とセックス。

それがこの作品の駆動力だ。

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■匂い立つ若さがこの映画にはある。

ストーリーというものを笑い飛ばし、類似性を吹き飛ばす若いエネルギーがこの映画にはある。

「鉄男」がカルト映画として未だに語り継がれている理由はそこにあるのだ。

                         <2012.07.29 記>

■STAFF■
監督:塚本晋也
脚本:塚本晋也
音楽:石川忠
撮影:藤原京 塚本晋也
編集:塚本晋也



■CAST ■
男:田口トモロヲ
やつ:塚本晋也
女:藤原京
眼鏡の女:叶岡伸
医者:六平直政
謎の浮浪者:石橋蓮司

 

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■3年後に撮られた第2弾。キャストは同じであるが、前作との関連は無い。家庭を持つ平凡なサラリーマンが怒りによって人間兵器へと変異していく姿を描く。

ストーリー性を持たせたかったのは分かるけれども乗り切れない。この世界観に理屈は不要ということか。ちょっと残念な作品。

 

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2012年7月27日 (金)

■ハワイの小鳩。

ハワイに行ってきました。

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初ハワイ、いろいろ楽しめたのだけれども、びっくりしたのは街中やビーチで見かけた小っちゃいハト。

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一瞬、カモメとハト、と見えるのだけれども、さにあらず。

白いのは普通のハトで、小さいのもこれまたハトなのです。

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チョウショウバト(ゼブラバト)、というのだそうで体長20cmほど、ちょうどムクドリくらいの大きさかな。

小さいんだけれど、ハトの特徴はすべてそろっています。

ドバト、というよりはキジバトに近い感じ。

 

自然ネタとしては、イルカとかウミガメを想定していたのだけれど、意外なところで感動してしまった。世界って、やっぱり広いね。

                         <2012.07.27 記>

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2012年7月 4日 (水)

■【映画評】『今度は愛妻家』。いつかは必ずやってくるが、決してそれを認めたくないものだってあるのだ。

タイトルはイマイチ、ピンと来ないのだけれど、なかなかに魅せる物語なのである。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.52  『今度は愛妻家
          監督: 行定勲  公開:2010年1月
       出演:豊川悦司  薬師丸ひろ子 他

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今度は愛妻家【通常版】[DVD]

■ストーリー■
北見俊介は、かつては売れっ子のカメラマンであったが、今ではろくに仕事もしないダメ亭主。そんな俊介の世話を焼いてきた妻のさくらだったが、ある日行き先も告げずに旅に出てしまう。久しぶりの独身生活を満喫するつもりだった俊介だが、さくらが何日経っても帰ってこないことに不安を抱き始める・・・。

■ストーリーはさて置き、役者が生き生きしている。トヨエツはいつもの調子で、いい味を出しているのだが、薬師丸ひろ子がさらに光っている。あまりにかわいらしくて、いじらしくて、実に魅力的な人物像を描き出している。この演技無くして、この映画は成り立たない。

脇役陣も素晴らしい。自分のことで精一杯で、まわりを思いやる余裕のない水川アサミ。自分を表に出さず、いい子でいることが板についてしまっている濱田岳。

この二人のサイドストーリーも本筋に花を添えている。

■そして、なんといってもオカマのブンちゃんを演じる石橋蓮司。

登場の瞬間、爆笑してしまった。

オカマって誰でも出来そうだけれど、鼻に付かない演技って意外と難しいんではないかと思う。

ドスの効いた演技が基底にあるがゆえの、安心して見ていられるオカマ像がそこにある。

それが、物語の終盤における人間としての悲哀に違和感を感じさせない、深みのある演技として結実しているのである。

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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

 

■■■■■■■■■■■■■■■

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■さて、本題のストーリー。

離婚を宣言し、最後に写真を撮ってとせがむさくら。

ファインダーを覗いているうちに次第に愛をとりもどすかのように見えた俊介だったが、さくらは、それを冷たく制止する。

なんて切ないシーンなんだ、と思っていたら、現像した写真にはさくらが写っていない。そこにはただ空白があるだけ。

え、死んでたの??

というシーンである。

やられました。しかも、俊介がそれを分かっていたということに、さらにやられました。

■それは幽霊なんかではなく、俊介自身が作り出した幻影だということが分かっている。なんて残酷な話なんだろう。

頼むから、俺の想像できないようなことを言ってくれ、という俊介の懇願は、いつも俊介が口ずさんでいた「夢の中へ」をにっこり歌うさくらの笑顔にかき消される。

いつもそばにいるはずのものが突然いなくなって初めてその大切さを知る、なんて表層的なものではない。

認めたくなくて、認めたくなくて、認めたくなくて、

そして、「また、忘れ物しちゃった」といつものように帰ってくる。なんだ、いつも通りじゃん。という幻想に逃げ込むしかない男の気持ちが痛いように沁みてくる。

■それでも、前に進まなければならない。

どうしなければならないか、自分でちゃんと知っている。

そうして吹き消すクリスマスケーキのろうそくの炎に、うっすらと浮かぶさくらの笑顔。

そう、さよならはちゃんとしなければいけないのだ。

                            <2012.07.04  記>

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■STAFF■
監督  行定勲
脚本  伊藤ちひろ
製作  黒澤満
音楽  めいなCo
主題歌 井上陽水  『赤い目のクラウン』
撮影  福本淳
編集  今井剛


■CAST■
北見俊介 - 豊川悦司
北見さくら - 薬師丸ひろ子
吉沢蘭子 - 水川あさみ
古田誠 - 濱田岳
原文太 - 石橋蓮司

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2012年7月 3日 (火)

■【映画評】『太陽を盗んだ男』。高度成長の果実を苦労なく与えられてしまった世代の困惑。

お前が殺していいたった一人の人間はお前自身だ。

さあ、いくぞお、9番。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.51  『太陽を盗んだ男
         
          監督:長谷川和彦  公開:1979年10月
       出演:沢田研二 菅原文太  池上季実子他

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■ストーリー■
中学の理科教師である男が東海村からプルトニュウムを強奪し、自力で原爆を完成させる。彼は政府にダミーの原爆を送り付け、テレビの野球中継の放映時間延長を要求する。果たして、彼の次なる要求は・・・。

■1979年といえば、ジュリーこと沢田研二、全盛の時代で「カサブランカ・ダンディ」や「TOKIO」なんかを歌っていた時代だ。そこには何かオーラのようなものが漂っていて、演技云々を吹き飛ばす勢いがある。

それは沢田研二だけの話ではなく、時代の空気として、今の日本にはない勢いがあったように思う。

■安保闘争なんてものは昔話で、けれどそのエネルギーは継続していて、どこかにそのエネルギーをぶつける場所を探している、そういう時代であったのではないだろうか。

まさに「やり場のないエネルギーのかたまり」といっていい、そういう映画である。

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■序盤のバスジャックのシーン。

伊藤雄之助演じるバスジャック犯は息子を戦争で奪われ、それを陛下に謝ってほしいと皇居に乗り込む。

ジュリーと菅原文太との遭遇の場面なのだが、そのお膳立てというには、あまりに伊藤雄之助のエネルギーが過剰である。

それこそ、この映画自体を乗っ取る勢いだ。

■このシーンは世代交代=親殺しの意味合いをもつわけだが、その乗り越えるべき「戦中世代」が1979年において、なお、力強く生き続けていることは特筆すべきである。

その対比として、「戦後」世代の菅原文太、「戦争を知らない」ジュリーの世代のエネルギーが問われるからである。

■終盤でジュリーは、戦後を「犬のように生きてきた」菅原文太の迫力と対峙することになる。二度目の親殺し。ここのエネルギーの集中はさらに凄まじい。

その前に演じられる怒涛のカーチェイスも遥かに霞んでしまうくらいだ。

撃たれても、撃たれても立ち上がる菅原文太の迫力はターミネーターを凌駕する。

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■一方のジュリーに、こういった迫力はない。

だが、時代の閉塞感の中で原爆をもつ9番目の男となる。

これも一種のエネルギーである。

伊藤雄之助や菅原文太のような表立った迫力を見せはしないが、「原爆」という破滅的な狂気がそこにある。

■原爆という「エネルギー」、「パワー」を手に入れたジュリーだが、それを使って何をしていいかが分からない。

まずは、野球中継の放送延長。

ゼロが提案した、ローリング・ストーンズ日本公演。

その先が続かない。

■それは、日本の高度成長の果実を苦労なく与えられてしまった世代の困惑である。エネルギーも、パワーも手にしてしまったのだけれども、それをどう使っていいのか分からない。

結局、ジュリーが何をしたかったかというと、誰かとつながりたい。ゼロと、文太とつながりたい。つながることで「現実」を手に入れたい。

それもまた叶わなかった。

ならば、その狂気を解放してしまおう。

実態を感じられない、この世界を壊してしまおう。

それが、1979年の日本を覆っていた空気なのだろう。

そして1980年、村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」に至るのである。

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■そして、時代は「根拠のない自信」に満ちたバブル期を迎え、逃避を図る。そこで「エネルギー」は消費されつくし、未だ回復の兆しは見えない。

そして、憧憬の念をもって1979年を振り返るのである。

                      <2012.07.03 記>

■STAFF■
監督    長谷川和彦
脚本    長谷川和彦
           レナード・シュナイダー
原作    レナード・シュナイダー
製作   山本又一朗
製作総指揮  伊地智啓
音楽   井上堯之
編集   鈴木晄 


■CAST■
城戸誠                沢田研二
山下満州男警部   菅原文太
沢井零子(ゼロ)   池上季実子
                     
田中警察庁長官     北村和夫
仲山総理大臣秘書  神山繁
市川博士                佐藤慶
バスジャック犯 山崎留吉     伊藤雄之助
ラジオプロデューサー浅井    風間杜夫
交番の警官           水谷豊
サラ金の男            西田敏行

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新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)

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■呪縛。

認めたくはないが、自分の仕事人生は失敗。

そこを認めないと先には進めない。

いや、先に進む必要なんてないさ。

仕事だけが人生じゃないよ。

 

と、言いつつ未だにこだわっている自分がいる。

やっぱり、認めたくない。

骨身に沁み込んだ、序列根性。

ああ苦しい、どうしたらこの呪縛から逃れられるのか。

                      <2012.07.03 記>

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