■【映画評】『レスラー』。老いてなお、栄光の先にあるもの。
ミッキー・ロークの熱演に泣ける。
●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
No.50 『レスラー』
原題: The Wrestler
監督: ダーレン・アロノフスキー 公開:2008年12月
出演: ミッキー・ローク マリサ・トメイ 他
■ストーリー■
1980年代に人気レスラーだったランディだが、二十数年経った現在はスーパーでアルバイトをしながら辛うじてプロレスを続けていた。ある日、往年の名勝負と言われたジ・アヤトラー戦の20周年記念試合が決定する。メジャー団体への復帰チャンスと意気揚がるランディだったが、長年のステロイド剤使用が祟り心臓発作を起こし倒れてしまう。現役続行を断念したランディは、長年疎遠であった一人娘のステファニーとの関係を修復し、新しい人生を始める決意をするが…。<Wikipediaより>
■かつての栄光から20年。50代後半と思われるぼろぼろの肉体をクスリとテーピングでごまかしながらリングに上がり続ける男。
生活は厳しく、トレーラーハウスに住み、家賃の滞納から、そこからも締め出される始末。
スーパーでアルバイトを続けながら、何とか生計を立てている。
その実生活がドキュメンタリー的な淡々とした語り口で描かれていく。
■ところが、その流れもランディが試合後の控室で倒れるところで暗転する。
心臓発作、バイパス手術。
医師からは激しい運動を禁じられる。
いや、そんなことは関係ないと走り込みを始めた途端に息が切れ、己の肉体がどうなってしまったかを実感するランディ。
■ここでランディはつのる不安と寂しさから、ストリッパーの女・キャシディ、そして、自ら育てることを投げだした娘に優しさを求めてしまう。
自分のすべてを賭けていたものを喪失したとき、男は一気に弱さを露呈するものなのだ。
■一旦は娘の心をこちらに向かせることに成功するランディだったが、荒れた生活から急に更生できるはずもなく、娘の信頼を根本から失ってしまう。
キャシディからも距離を置かれてしまったランディは、やはり自分にはプロレスしかないのだと確信し、文字通り、命を懸けて再びリングにあがるのだ。
■その姿はミッキー・ローク自身と大きくラップする。
イヤー・オブ・ザ・ドラゴン、ナイン・ハーフ、エンゼル・ハートで二枚目俳優として確固たる地位を築いたかに見えたミッキー・ロークだったが、その後、何故かボクシングに目覚めるも、映画俳優としてはあまり陽が当たらなくなってしまった。
そして『エンゼル・ハート』以来、約20年を経てやっと陽の当たるところに立ったのが本作、『レスラー』なのだ。
■だが、そこにはかつてのセクシー2枚目俳優の面影はなく、60歳に手が届こうとする肉体を鍛え上げ、レスラーとして体当たりの演技を見せる。
そこには悲痛な雰囲気さえ漂ってくる。
20年間の間にミッキー・ロークに何があったのかは知らない。
だが、その顔に刻まれた整形手術の痕が、彼の苦しみを生々しく物語っているかのように思える。
■ラストのジ・アヤトラーとの再戦。
ここで、アヤトラーが、「楽しい!この感覚を忘れていたぜ!」的なことを言う場面がある。
ここに彼らのメンタリティが集約されているのではないか。
普通の幸せを投げ打ってでも、つかみたい、つかんでいたい何かがそこにある。
そして、我々中年男が忘れてしまった、心の奥底にある何かを呼び起こし、火をつけるのだ。
だから、必殺技は外せない。
ラム・ジャム!!
<2012.05.06 記>
■STAFF■
監督 ダーレン・アロノフスキー
脚本 ロバート・シーゲル
音楽 クリント・マンセル
主題歌 ブルース・スプリングスティーン
撮影 マリス・アルペルチ
編集 アンドリュー・ワイスブラム
■CAST■
ランディ・“ザ・ラム”・ロビンソン ミッキー・ローク
キャシディ マリサ・トメイ
ステファニー・ラムジンスキー エヴァン・レイチェル・ウッド
レニー マーク・マーゴリス
ウェイン トッド・バリー
ニック ウェス・スティーヴンス
ジ・アヤトラー アーネスト・ミラー
ロン・キリングス ロン・キリングス
ネクロ・ブッチャー ネクロ・ブッチャー
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント