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2011年2月

2011年2月14日 (月)

■【映画評】ブレードランナー。暗闇を切り裂く光。人間らしさとは何か。

圧倒的な画像の洪水の奥に、魂の解放の物語がある。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.44  『ブレードランナー
           原題: Blade Runner
          監督: リドリー・スコット 公開:1982年6月
       出演:ハリソン・フォード、ルトガー・ハウアー、ショーン・ヤング 他

■ストーリー■
2019年、酸性雨が降りしきるロサンゼルス。強靭な肉体と高い知性を持ち、外見からは人間と区別がつかない「レプリカント」6体が人間を殺して逃亡、特捜班ブレードランナーであるリック・デッガートはロサンゼルスの街に潜り込んだ彼らを追うことになるのだが・・・。

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■高層建築物が密集し光の海となって広がっている。

廃棄物を燃やすものなのか、いくつかの塔から炎が燃え上がる。

それを映す眼のクローズアップ。

回転灯をきらめかせながら、その光の海の中を進むスピナー。

このファーストシーンで一気にこの世界に引きづり込まれる。

■暗闇と水蒸気と光の魔術師リドリースコット、リアリティのある近未来像を描きだすシド・ミード、それを奥行きをもった現実のものとして浮かび上がらせるダグラス・トランブル、そして感情を揺さぶるヴァンゲリスの音楽。

どれひとつ欠けてもブレードランナーの世界は成り立たない。

これほど豪華なスタッフに恵まれた映画も稀有であるといえるだろう。

奇跡のような作品だ。

観る者は、その光と闇の渦に引き込まれ、いやおうなく、この暗く濡れそぼった世界をさまようことになる。

■そこに登場する人物たちもまた深みがある。

何かを内に抱えつつ、決してヒーローにはならない主人公のリック・デッカード。

どこかいわくありげな相棒のガフ。

この世界に似つかわしくない清楚さを漂わせるレイチェル。

レプリカントたちの首領であり、残酷な面を持ち合わせつつも、どこか可愛げのあるロイ・バッティ。

J・F・セバスチャン、タイレル博士といった脇役たち、そして「2つで十分ですよ」のうどん屋の親父に至るまで、作品を見返す度に味が出てくるのだ。

それは単に人物造形や演技が優れているというだけでなく、衣装や小物といった部分まで妥協せずにこだわった結果の現れなのだと思う。

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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■さて、物語である。

ここで、ブレードランナーの2つのバージョンについて語らねばならない。(実際は5つのバージョンがあるが、面倒なのでここでは2つとする。)

ひとつは劇場公開版(1982年)であり、もうひとつはディレクターズ・カット(1992年)である。

劇場公開版は、デッカードの独白で物語が進行していく。

少し説明くさい気もするが、ハードボイルドな雰囲気があるし、テンポもいい。

■もう一方のディレクターズ・カットは、公開時に制作側に押し切られて追加させられた独白の一切を排除し、取ってつけたようなハッピーエンドも削除したバージョンである。

デッカード見る、ユニコーンの夢という重要なシーンも追加されている。

全体に深遠で難解な印象を与えるバージョンだ。

■前者でのデッカードはあくまでも屈強なレプリカントと戦う弱々しい人間としてのデッカードであり、一方、後者では何とデッカード自身がレプリカントであることが示唆される。

同じ物語でありながら、進む方向が異なっている。

レイチェルが「あなた自身はVKテストを受けたことがあるの?」とデッカードに問うシーンがあるが、前者と後者では意味がまったく違ってくるのだ。

■この作品のテーマは『人間とは何か』という問いなのだと思う。

それは原作であるP・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』のテーマそのものである。

アンドロイド(レプリカント)を追う人間が、いつしか人間性を無くし、自分自身がアンドロイドと変わらなくなってしまっていく。

逆に、レプリカントであるはずのレイチェルやロイ・バッティに「人間」を見る。

その困惑が『人間とは何か』という問いにつながっていく。

■劇場公開版では、その色は確かに薄い。

ゾーラ、リオン、プリスといったレプリカントたちをやっつけるが、最後の強敵であるロイ・バッティには命を救われる。

そこにあるのは「命を大切に思ったのだろう・・・。」という間の抜けた独白であって、デッカードはあくまでも自分とレプリカントの間に一線を引いている。

■反対にディレクターズ・カットでは、ユニコーンの夢、という形でデッカードがレプリカントであると強く印象付けている。

ラストシーンでガフが残した折り紙がユニコーンであることは、ガフがデッカードの夢の内容、つまり、デッカードに移植された「記憶」を知っている、レプリカントであることを知っている、ということなのである。

そういう意味では、私にはどちらの版も、核心からずれたところに立っているように思われる。

デッカードは人間とレプリカントの狭間で揺れ動き、『人間とは何か』という問いとともにさまよってこそ意味があると思うからだ。

■この映画の作者であるリドリー・スコットによるならば「論理的に」デッカードはレプリカントである、ということになるだろう。

だが、物語は生き物である。

作者の手を離れた瞬間、見るものの心の中に新しい真実を生むものなのである。

だから、リドリー・スコットがどう思おうと、私のなかではデッカードは人間なのである。「レプリカント」と「人間」の違いは何なのか、と悩む人間なのである。

で、なければ物語が成り立たない。

レイチェルとともに逃亡しようとする決意につながらない。

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■『人間とは何か』

というテーマを見るものが受け止めたとき、真実の物語が立ち上がってくる。

重要なのはロイ・バッティの「死」のシーンだ。

  

そんな記憶もみな、消えていく。

雨の中の 涙のように。

死ぬ 時が来たようだ・・・。

  

少しはにかんだような表情をリックに向けて、雨のなか静かに息を引き取るロイ・バッティ。

抱いていたハトが飛び立つ空は青く、暗く陰湿なこれまでの世界からロイの魂が解き放たれた瞬間を見事に切り出している。

このとき、ロイは確かに「人間」なのだ。

そして、見るものは、ロイが「人間」であると認めると同時に、彼に感情移入できる自分自身もまた「人間らしい」存在であると気づくのだ。

このシーンに感動する者すべてのこころに「人間」はある。

   

                          <2011.02.14 記>

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■【DVD】ブレードランナー クロニクル

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■【原作】アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF)

  

■STAFF■
監督      : リドリー・スコット
製作総指揮  : ブライアン・ケリー
          ハンプトン・ファンチャー
製作      : マイケル・ディーリー
脚本      : ハンプトン・ファンチャー
          デイヴィッド・ピープルズ
音楽      : ヴァンゲリス
デザイン   : シド・ミード
撮影      : ジョーダン・クローネンウェス
特殊撮影  : ダグラス・トランブル
編集      : テリー・ローリングス
製作会社  :  The Ladd Company



■CAST■
リック・デッカード : ハリソン・フォード
ロイ・バッティ    : ルトガー・ハウアー
レイチェル     :  ショーン・ヤング
ガフ         : エドワード・ジェームズ・オルモス
ブライアント    :  M・エメット・ウォルシュ
プリス        : ダリル・ハンナ
リオン       :  ブライオン・ジェームズ
ゾーラ        : ジョアンナ・キャシディ
ホールデン    :  モーガン・ポール
JF・セバスチャン :  ウィリアム・サンダーソン
スシバーのマスター :  ロバート・オカザキ
エルドン・タイレル   : ジョー・ターケル
ハンニバル・チュウ  :  ジェームズ・ホン

 

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●

 

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2011年2月 5日 (土)

■【映画評】僕の彼女はサイボーグ。視点の転換にググっとくるのだ。

ラストのタネあかしが思い出せず、気になってしまって、再見。

いやー、そう来ましたか。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.43  『僕の彼女はサイボーグ
          監督・脚本:郭在容(クァク・ジェヨン) 公開:2008年5月
      出演    :綾瀬はるか、小出恵介 他

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■ストーリー■
僕、ジローは20歳の誕生日をひとり寂しく過ごしていた。そこに不思議な’彼女’が現れて楽しい時間を過ごすが、不可解な言葉を残したまま去ってしまう。

その一年後の誕生日、またしても’彼女’がジローの目の前に現れるのだが、どこかが違う・・・。

■話の組み立てがとてもいい。

映画は、観るものの予測をいい塩梅で裏切る、その加減がひとつの指標だとおもうのだけれども、郭在容(クァク・ジェヨン)は、そこが上手い。

いいエンターテイメントとはそいういうものだと思う。

■前半部は少しテンポが遅いような気もするが、いくつか他の映画のパロディというか、オマージュが散りばめられていて、くすりとさせる。

レストランで彼女が目の前に現れたときのハッピーバースデー(生きる)とか、

一年後の’彼女’の登場シーン(ターミネーター)とか。

タイトルは思い出せないが、どっかで見たなあ、というところもちらほら。

後半部でストーリーは一気に加速するのだけれども、ネタバレになってしまうので、ここでは書くまい。

■作品のテイストは日本映画でありながら、コテコテの韓国味だ。

小出恵介がどうしても韓国の人に見えてしまう。

監督、脚本の力は絶大なのだな、と思う。

■ところで、タイトルの’サイボーグ’。

本来、サイボーグとは生身の人間を改造して機械化したものを指すので、これは間違いである。ロボット、というよりアンドロイドと言ったほうがいい。

が、やっぱり映画はタイトルが命。

「僕の彼女はロボット」、「僕の彼女はアンドロイド」、

ではやっぱり’すわり’が悪かったのだろう。

   

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■さて、後半部の展開について。

ジローとの生活のなかで’彼女’の人工頭脳が学習し、やっと二人がこころを通わせる、ああこれからだな、というところで突然の大地震。

ビルが、街が崩壊していく、その中でジローを守り抜き、自らを犠牲にして破壊されてしまう’彼女’。

その後の人生のすべてをかけて復元に成功した’彼女’に看取られて幸せにつつまれながら逝くジロー。

それからさらに未来の世界で、自分そっくりの’彼女’に出会う本当の’彼女’。

■ジローの独白のカタチで物語は進行していく。

このやり方は好みなのだが、よくあるパターン。

やられたなぁ、と思うのは’さらなる未来’の段階で、独白の主体が’彼女’に転換するところだ。

■ロボットの’彼女’の記憶を埋め込んで、その切なさを自分のものとした本物の’彼女’。

ジローと初めて出会ったその日を、今度は’彼女’の視点でリフレインする。

しかし、あふれる想いを胸にその場を去らなければならない’彼女’。

ああ、泣ける。これは切ない。

と、いうところでラストのハッピーエンドを用意する心憎さがたまりません。

この感覚は「猟奇的な彼女」でも、味わった気がするな。

郭在容(クァク・ジェヨン)、侮るべからず。

■そういえば、少し前に日テレの土曜日にやっていた「Q10(キュート)」というドラマがあって、結構面白くてはまっていたのだけれども、これは完璧にこの映画から着想を得てますな。

方や恋愛もの、方や青春もの、ということでテーマは少し違うのだけども、ラストはやっぱり泣けます。

                      <2011.02.05 記>

Dvd
■【DVD】僕の彼女はサイボーグ スペシャル・エディション

    

■STAFF■
監督・脚本:郭在容(クァク・ジェヨン)


■CAST■
彼女     :綾瀬はるか
北村ジロー :小出恵介
ジローの友人  :桐谷健太
教師       :竹中直人
無差別殺人犯  :田口浩正

 

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