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2011年1月 5日 (水)

【映画評】SPACE BATTLESHIP ヤマト。物語のまとまりと、そのために切り捨てたものの代償。

年代的にやっぱり気になる映画なのであります。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.42  『SPACE BATTLESHIP ヤマト』
          監督:山崎貴 公開:2010年12月
       出演:木村拓哉 黒木メイサ 他

Photo  

■ストーリー■
時に、西暦2199年。地球は謎の異星人「ガミラス」の攻撃で滅亡の危機に瀕していた。ガミラスの遊星爆弾による攻撃で海は干上がり、地球上の生物の大半は死滅した。残された僅かな人類は地下都市を建設してガミラスの攻撃に耐えていたが、地下にまで浸透してきた放射能によって人類の滅亡まであと1年余りに迫っていた。

そんな中、地球上にイスカンダルからのメッセージカプセルが届けられた。そこに記されていたのは波動エンジンの設計図とイスカンダルの正確な座標であった。放射能除去装置を求め、地球の最後の希望を乗せた宇宙戦艦ヤマトはイスカンダルへと旅立った。

■原作は1974年に放映されたテレビアニメ。本放映は『アルプスの少女ハイジ』とかぶっていたため視聴率が伸びず、2クールで打ち切りに。しかし、再放送で徐々に火が付き、映画化で大ブレーク。いわゆるアニメブームの先駆けとなった作品である。

現在40代の人であれば思い入れの強い人も多いであろう。それだけに今回の実写化には賛否両論があって当たり前。

けれど、傑作とは言えないまでも、それなりにまとまりのあるいい作品だと思う。

■まずは話のシンプルさ。

これは原作に由来するものだけれども、イスカンダルに行って帰ってくる、その単純さがいい。

ストーリーの根幹がしっかりしているから安心して見ていられるのである。

■次にキャスティング。

木村拓哉の古代進も、独特のキムタク臭に慣れさえすれば、恐れていたほどひどくは無かったし、山崎努の沖田艦長、西田敏行の徳川機関長もイメージ通り。

そして特筆すべきは柳葉敏郎の真田さん。原作の真田さんそのものが浮かび上がってくる感じで想定外の好演であった。

黒木メイサの森雪?

まあ、まったく新しいキャラクター設定ということで、そこは許そうじゃないですか。

■あとはCGの素晴らしさ。

目が肥えている人にはどうか分からないけれども、少なくとも40代のおじさんの目には日本の特撮もここまで来たか、という感慨に耐えない。

ヤマトが実写で動いている。

そこに違和感を感じさせないだけで大成功だと思う。

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■さて、本筋について。

オリジナルとの一番の違いは『ガミラス』が精神結晶の集合体として描かれていたところだ。

『宇宙戦艦ヤマト』の物語の中ではガミラスの人間臭さが面白みの重要な要素であった。

デスラー総統の横暴さと武士道精神を兼ね備えた複雑で魅力的な人物造形と、それに振り回されるガミラスの軍人たち、特にドメル将軍の生き様。

そういった部分がバッサリと切り捨てられてしまっている。

敵側にもドラマがある、というのは物語として重要なポイントであって、異星人が人間と同じ姿であることの不自然さを修正するということが狙いであったならば、あまりにも大きな代償を払ったと言わざるを得ない。

■確かに2時間半程度の枠の中で、ガミラス帝国の面々の物語や、スターシャと古代守の物語を描く余裕はなかっただろう。もしかするとその為の苦渋の決断だったのかもしれない。

けれど、『宇宙戦艦ヤマト』が画期的であったのは敵も味方も含めたいろいろなキャラクターが立っていて、それが折り重なるようにして紡がれていく物語であったことなのである。

ここが決定的に違う。

ガミラスとスターシャを無機質な結晶生命体としてしまったことは、既にいろいろなキャラクターがその胸に刻まれているオールドファンならいざ知らず、初めてこの物語に接する人についていえば、この映画をとても薄っぺらなものと捉えてしまう危険性すらあるのではないか、と恐れるのである。

ラストの方でガミラスが「ヤマトの諸君、」と伊武雅刀の声で語りかける、そこでやっと安堵を覚える、そのカタルシスは、少なくともオールドファンにしか味わえないものなのだ。

■既にこの映画を見た人ならばお気づきのことと思うが、これは『宇宙戦艦ヤマト』とその続編である『さらば宇宙戦艦ヤマト』の2作品をベースとしている。

で、ありながら、物語は破たんをきたしていない。上手くまとめ上げている。

その意味では成功しているといえるだろう。

だが、ここでも得られるはずの大きなものを失っていると思える。

■ラストの場面での物語の展開。

「地球か・・・、何もかも、みな懐かしい。」

という沖田艦長の最期のセリフと、感情をあおるBGM。

『宇宙戦艦ヤマト』という物語は、このセリフ、この場面に向けて語られてきたのであって、観る者はここで万感の思いに涙するのである。

確かにセリフはある。

けれど、この軽さは何であろう。

そこまでの物語に深さが足りない?

ワープばかりをして、24万8千光年の重みを感じさせなかった?

いや、問題はその後の展開にあったのだと思う。

と、いうよりも『間』の問題か。

■そのセリフの前後に十分な『間』があれば、その後に『さらば』の展開を持ってきても、その感動を損なうことはなかったであろう。

一旦、そこで物語を閉じる。

見るものにそう思わせるくらいの『間』が欲しかった。

そうすることで沖田艦長のセリフを味わう余裕ができたはずなのだ。

だが、物語を急ぎすぎた。

■そのツケは最後の特攻のシーンにも影響を及ぼしている。

目の前に現れる巨大戦艦。

塞がれた波動砲。

慌てふためくキムタク。

艦長に助言を求めようとするが、高島礼子が首を振る。

■ちょっと、まて。

本来ならば、古代進の心の中の沖田艦長が、「古代、お前はまだ命をもっているじゃないか」と語りかけるところだろう。

艦長の死をしっかりと描ききれなかったツケがここに来るのである。

ひとりの命の重さを語るのが『さらば宇宙戦艦ヤマト』のテーマなのだとするならば、ここでこの映画はまたひとつ大きなものを失っている。

■古代進は自ら命を絶つのではない。

この宇宙と一体となって生き続けるのだ。

そのメッセージがあまりに軽く、それ故に「『アルマゲドン』と似てるね」なんて言われてしまうのである。

■決して悪い映画ではない。

見せ場も十分にあるし、何より2時間半の長丁場を飽きさせずに引っ張る力がある。

それを「軽い」と感じてしまうのは、もしかするとオールドファンの30余年に渡る熟成された思いの深さによるものなのかもしれない。

その意味では、初めから批判をうけることを予定されていた映画と言えるのであって、それでもこれだけの作品を仕上げたその勇気をたたえるべきなのだろう。

                        <2011.01.05 記>

Dvd_4
■【DVD】宇宙戦艦ヤマト DVDメモリアルボックス
やっぱりオリジナルだよねぇ・・・。
沖田艦長の最期のセリフは本当に泣けます。
  

Photo
■【DVD】さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち
その後、続編も出たけれどもこれが私の中での完結編。

 

■STAFF■
原作 - 西崎義展
監督・VFX - 山崎貴
脚本 - 佐藤嗣麻子
音楽 - 佐藤直紀(原曲 - 宮川泰「宇宙戦艦ヤマト」「無限に広がる大宇宙」)
VFXディレクター - 渋谷紀世子
VFXプロダクション - 白組
映像制作 - 東宝映像美術
企画プロダクション - セディックインターナショナル
制作プロダクション - ROBOT
エンディング曲 - スティーヴン・タイラー -「LOVE LIVES」
 ↑このエンディングテーマは何とかして欲しかった。
  まんま『アルマゲドン』じゃん。
  『真っ赤なスカーフ』といわないまでも、もっとヤマトらしい歌が作れただろうに・・・。


■CAST■
古代進   - 木村拓哉
沖田十三  - 山崎努
島大介   - 緒形直人
真田志郎  - 柳葉敏郎
 
森雪     - 黒木メイサ
加藤     - 波岡一喜
山本     - 斎藤工
古屋     - 三浦貴大
斉藤始    - 池内博之
 

佐渡先生    - 高島礼子
徳川彦左衛門 - 西田敏行
アナライザー  - 緒方賢一(声)
古代守      - 堤真一
  
デスラー / ガミラス - 伊武雅刀(声)
イスカンダル - 上田みゆき(声)

 
ナレーション - ささきいさお

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