■【映画評】『惑星ソラリス』、アンドレイ・タルコフスキー監督。胸を締め付ける望郷の想い。
SFというよりは芸術映画といったほうがいいだろう。
文句無く、これは名作である。
●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
No.33 『惑星ソラリス』
原題: SOLARIS
監督: アンドレイ・タルコフスキー 公開:1972年 3月(ソ連)
出演: ドナタス・バニオニス ナタリア・ボンダルチュク 他
■ストーリー■
海の惑星、ソラリス。どうやらその海は知性を持っているらしい。軌道上の宇宙ステーションから帰還した研究者はソラリスでの驚くべき体験を語り、その真偽を確かめるべく心理学者のクリスがソラリスへと向かう。
■寡黙である。
とても寡黙な作品である。
下手をすると観る者が置いてけぼりにされてしまいかねないくらい、寡黙である。
静かな情景と抑えられた表情、少ないセリフで構成されたこの作品は、消化の良すぎるハリウッド映画に慣れた眼にはあまりに退屈に映るかもしれない。
けれども、『2001年宇宙の旅』と並ぶSF映画の最高峰とまで呼ばれるにはそれだけの理由がある。
『2001年』が人類の更なる進化について語る外向きの映画とするならば、ソラリスはひたすら深く心理の奥に入り込んでいく内向きの作品である。
だから理屈は通用しない。
それを知るには、ただ体験するのみである。
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■
■タルコフスキーの作品はほとんど見たつもりになっているのだけれど、どの作品もちょっとした映像の印象を残して記憶からスッポリと抜け落ちている。
そうか、筋書きそのものがあまり意味を持っていないのかもしれないな。
今回、改めてソラリスをみて、そう思う。
■たぶん《理解しよう》という考え自体が誤っているのだ。
タルコフスキーが表現したかったことは、頭で考えることではなく、感じることなのだ。
それゆえにスタニスワフ・レムの原作の設定である「知性のある海との邂逅」というテーマがそこに共鳴し、おおきく浮き上がってくるのだろう。
その体験は説明するものではなく、クリスの眼を通して体感するものなのだ。
■水辺があって、水草がそこに揺らいでいる。
その水辺をひとり歩くクリス。
胸にはぽっかりと穴が開いている。
10年前に自殺してしまった妻、ハリーに対する自責の念が彼をまだ苦しめている。
■そのクリスの目の前にリアルな存在としてのハリーを蘇らせたソラリスの思いは分からない。
けれども、それはクリスを、そしてハリーをも苦しめるものであった。
クリスが求めていたものは母、故郷、そして父。
それが本当の故郷であるか、ソラリスの作り出した偽りのものであるかはもう問題ではない。
そこには心の苦しみを癒してくれる何かがあるのだから。
そして、その悲しみ、苦しみは誰もがかかえているものであって、だからこそ、タルコフスキーの望郷の思いが我々にも沁みてくるのである。
<2009.10.03 記>
■【原作】 ソラリスの陽のもとに
■スタニスワフ・レム ハヤカワ文庫SF(1977/04)
■原作の内容もすっかり忘れてしまったなあ。
実家に戻ったときにでも本棚を漁ってみるか。
■過去記事■
■【映画評】名画座・キネマ電気羊 <目次>へ
■ Amazon.co.jp ■
■【書籍】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【書籍】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■
■【DVD】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【DVD】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント