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2009年9月

2009年9月26日 (土)

■NHKドラマスペシャル 白洲次郎。矛盾に満ちたこの世の中で真っ直ぐ生きるということ。

90分3本勝負を半日かけて一気に見た。

後半にむけてぐいぐい引っ張られる感じがして、やっぱりいいね、大友啓史。

Photo_4

■白洲次郎というと、GHQに対して卑屈にならずにモノを申すことが出来た気骨の人であって、一本筋の通ったカッコいい人なのである。

だから作品としては、彼をいくらでも「カッコよく」切り取ることはできるし、実際、このドラマでもため息が出るくらいカッコよく描かれていたと思う。

■けれども、それだけでないのが大友啓史風味で、白洲次郎が真っ直ぐ生きれば生きるほどにそこに生まれてしまう矛盾をはっきりと描き出す。

世の中はそんなに単純に出来ているわけではないのだ。

そこに苦悩、というものがあって、だからこそ、単なるヒーローではない、生身の人間として白洲次郎を浮かび上がらせることに成功したのだと思う。

■売却話で対立する製鉄会社の役員と殴りあうシーン。

そこで’鉄屋’の男が言う。

お前は何者だ。

そこがこの物語のカギになる部分だと思う。

白洲はいう、俺は何者でもない。

戦後政治の中枢にいて占領下の日本を独立にまで導いた立役者がそう言うのだ。

■人には天命、というものがある。

多分、白洲はそれを意識していたのだろう。

己に何ができるのか。

己にしか出来ないことは何か。

自分が何者でもない、とまっすぐ言えてしまうということは、常に、その瞬間瞬間においてその問いを自らに投げかけ続けていたということだろう。

常人にはとても出来ないことである。

■白洲の妻、正子もまた、己が何者であるかについて苦しみ抜いた人だ。

ある種のスーパーマンの傍にいて、どうしても自分の姿と比べてしまう。

それは常人であり、かつ、自己実現を熱望する理想の高さを持つ故に悲劇的である。

その正子がこの物語の語り手であることに意味がある。

何しろテレビのこちら側にいる我々も常人なのだから。

■それがラストになって効いて来る。

西行法師に重ねて白洲次郎の生き様を語るシーンがあって、こういう比喩的表現も粋だなあ、なんて感じていたのであるが、最後のさいごに正子を演じる中谷美紀がふと顔をあげてカメラ目線でこちらをじっと見つめている。

これには参った。

総計270分かけて繰り広げられたドラマが画面のコチラ側にいきなり侵入してくる。あなたはどう生きているのかと問いかけてくる。

ひさしぶりにドラマでぞくぞく感を味わった。

■演出で言えば、写真と音楽で’語らずして語る’手法も見事。

さらりとしていて、それでいて艶っぽい。

いやあ、粋だねぇ。ホント。

白洲の名前に恥じない素晴らしく濃密でスタイリッシュな作品なのでありました。

     

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                             <2009.09.26 記>

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■【原作本】

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■白洲次郎 占領を背負った男 上 (講談社文庫)

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■【原作】次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家  

  
■【DVD】

Dvd
■【DVD】 NHKドラマスペシャル 白洲次郎 DVD-BOX

 

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■NHKドラマスペシャル、白洲次郎。極上のレシピと、素材と、料理人。

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■TVドラマ雑感・バックナンバー

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■STAFF■
原案: 北康利 「白洲次郎 占領を背負った男 (講談社文庫)」
     牧山桂子 「 次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家」
制作統括  : 鈴木圭
脚本・演出  : 大友啓史 
音楽          : 大友良英
美術          : 都築雄二
スチル        : 若木信吾

  
■CAST■
白洲次郎     : 伊勢谷友介(少年:高良健吾 晩年:神山繁)
白洲正子 (妻)  : 中谷美紀
白洲文平 (父)  : 奥田瑛二
白洲芳子 (母)  : 原田美枝子
ミヨシ (白洲家宮大工): 塩見三省
* * * * * * * * * * * *
吉田茂      : 原田芳雄
近衞文麿          : 岸部一徳
* * * * * * * * * * * *
マッカーサー    :ティモシー・ハリス
* * * * * * * * * * * *
牛場友彦 (幼馴染)  : 石丸幹二
辰巳栄一 (駐英武官) : 高橋克実
河上徹太郎 (文芸・音楽評論家) : 田中哲司
青山二郎 (骨董の目利き)     : 市川亀治郎
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ロビン (留学時代の親友):ED SPELEERS

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2009年9月22日 (火)

■3年ぶりに釣りに行く。

■久しぶりにフライをやりに行った。

クルマで一時間半ほどのところにある管理釣り場である。

実に3年ぶり。

はじめの一時間ほどはまったく当りが無く、もしかして管釣りでボウズ?!と冷や冷やしたのだけれども、フライを小さめにしてティペットを8Xまで落として、やっと、そこそこ釣れはじめた。

管釣り、あなどるべからず、なのである。

■そういえばドライフライに出てくるニジマスくんの動きって、うちの金魚ちゃんとまったく同じなんだよね。

水底からきゅきゅきゅっと上ってきて、水面のエサをひったくるようにして吸い込もうとする。

慌てているもんだから、結構な確立でエサを咥えるのに失敗するのだ。

もう少し落ちついてお食事をしたらどうかというところなのだけれども、サカナくんにとっては水面に身をさらすことは水鳥に「どうぞ私を食べてください」といっているようなもので、遺伝子に組み込まれた行動なのだろうな、きっと。

というのは、フライに反応するのになかなかヒットしない理由をニジマスくんのせいにする釣り師にあるまじき言い訳か。

■ともあれ、今日の釣行で役に立ちそうな手持ちのフライのストックがほとんど無くなってしまった。

秋の夜長、地味に巻き巻きしましょうか。

                          <2009.09.22 記>

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■【書評】『悪魔の文化史』、ジョルジュ・ミノワ。異者に対する脅威の感情が「悪魔」を生み出すのだ。

悪魔の出処を知ることはキリスト教文化を知ることでもあるのだ。

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■悪魔の文化史 ジョルジュ ミノワ 著  
文庫クセジュ 白水社 (2004/07)

■悪魔というのはとても魅力的な存在だ。

光り輝く正道は得てしてツマラナイものであって、薄暗い横道からこっちへおいでとささやく声につい、ふらふらっと覗いてみたくなるものなのである。

たぶん、それは万国共通のものであって、得体の知れないものへの好奇心というのは人間が知的な動物である限り避けられないものなのだろう。

■なんていう風に考えながらこの本を開いたわけなのだが、出だしからちょっと様子が違う。

実はこの本は「悪魔」を通してキリスト教社会の本質を掘り下げた文化論なのであった。

そこで展開される一神教の文化というものは、われわれ日本人のような何でも来いの雑食的なものの考え方のイイカゲンな文化とくらべて何やらめんどくさいもののようなのである。

■問題は「善」と「悪」の在り方にある。

ユダヤ教、旧約聖書の神は「善」とか「悪」とかいったものをすべて含んだ存在で、善行を積んだ人に対して不条理と思えるような酷い仕打ちをしたり、疫病を流行らせたりもする存在で、サタンはその「悪」の役回りを実行する神の僕に過ぎない。

それに対して、キリスト教では神は絶対的に「善」の存在で、サタンはそこから弾き飛ばされた「悪」を引き受け、神と対立するものになったのだという。

新興の小さなセクトであったキリスト教の成立過程において、ゾロアスター教、マニ教などの二元論が入り込み、「善」と「悪」の分離が起きたということらしい。

■だが、そこに矛盾が発生する。

神は「善」なるものである、けれどその一方で「すべて」である神に「悪」が含まれないのはおかしいではないか、という神学的問題が発生し、その問題とは「悪」とその化身である「悪魔」は存在するや否や、という問題と同義なのである。

いやー、実にめんどくさい。

■いや、問題はそれだけに止まらない。

キリスト教が「悪魔」を必要としたのは、単に善悪の二元論の影響を受けたというだけでなく、そこに根付いたメンタリティというものがあって、それが重要な理由となるのである。

そのメンタリティとは、

「サタンの支配下にある世界全体が、自分たち少数の選良グループを取り囲み、脅かしている、という追い詰められたセクト主義的な考え方の典型」

からくるものだ。

極初期のキリスト教は、ユダヤ教下にある有象無象の小規模セクトのひとつだったわけで、周囲に対する排他的、防衛・攻撃的メンタリティが「サタン」を必要とした、ということだ。

■そして、そのメンタリティとその構図は、紀元前後のキリスト教誕生のころから、十字軍、魔女狩りの時代を経て現在にまで続いている。

先のイラク戦争を見よ。

先のアフガンを見よ。

合理主義、科学万能的世界観の中心であるはずのアメリカも、一皮剥けば、キリスト教2000年のメンタリティを脈々と引き継いでいるのである。

アメリカ人の心の奥底にあるメンタリティを追求した、マイケル・ムーアの「ボーリング・フォー・コロンバイン」の衝撃的結論を思い出さずにはいられない。

■そして厄介なことに、イスラエルにしても、イスラムにしても、一部のセクト的小規模集団においてはその構造的性格ゆえに、キリスト教原理主義とおなじ排他的、防衛的メンタリティーをその特性として抱え込んでいて、それ故に中東の戦争に終わりは無く、テロ活動にも終止符は打たれない。

当然それだけが理由ではないだろうけれども、彼らのうちにあると思われるそのメンタリティが戦争状態を継続させる心理の背景にあることは間違いないだろう。

■我々日本人にとって、絶対的悪、など存在しない。

だから彼らの心理を理解できないのかもしれない。

「悪魔」の問題は、決して怪奇趣味に止まる問題ではなく、実は異者に対する心理の問題なのである。

文明・文化を越えた相互理解というものはかくも難しいものかと感じた次第である。

  

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                          <2009.09.22 記>

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■悪魔の文化史
ジョルジュ ミノワ 著  文庫クセジュ白水社 (2004/07)

   

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2009年9月19日 (土)

■【書評】『アサーション・トレーニング』、平木典子。主体的に生きるということ。

アサーションの本は数あれど、著者の平木典子さんは初めて日本にアサーションを紹介した人なのだそうで、日本における原典・オリジナルはこの本だということだ。

Photo
■改訂版 アサーション・トレーニング ―さわやかな〈自己表現〉のために
平木 典子 著 日本・精神技術研究所 (2009/9/16)

■アサーション/アサーティブといえば、対人コミュニケーションで自分の主張をいかにうまく表現するか、と捉えがちなのだけれど、それを形容する『さわやかな』、というのがポイントなのだとおもう。

それは自分の気持ちを大切にすると同様に相手を尊重することであり、同時に自分の言動にちゃんと責任をとることができる、ということである。

■自分の気持ちを押さえ込めば欲求不満がぐつぐつとたまり、相手の気持ちを気にせずに自分の意見を押し通せばどこか心にしこりが残ってしまう。

このとき気持ちを押さえ込んだのも、自分の意見を押し通したのも自分自身であって決して相手の問題ではない。

『さわやか』な気持ちになるのもならないのも自分次第であって、その行動を自分で選択している限り、責任は自分にあるのだ。

自分の言動を自分で選択し、自分で受け入れたのだと認め、それに対して自分に出来ることをやる。

それが主体的に生きる、ということなのだ。

■けれども、そんなことを言ったって、世の中、相手次第のことだらけ。

自分の主張と相手の主張がうまくかみ合うとは限らない。

むしろ摩擦が発生するほうが普通のことである。

だから、それを当たり前のこととして受け止める、そしてお互いに素直な気持ちを見せ合うことが大切なのだ。

相手の気持ちを尊重し、一致しない’課題’を相手の人格から切り離してニュートラルに対峙する。

そうすれば、必ずとはいえないだろうけれども、勝ち負けに捉われるような交渉のやり方よりは話が前進する可能性は高まるだろう。

■その他、非合理的思い込みの話だとか、会話のうまい切り込み方だとか、’怒り’というやっかいな感情との付き合い方だとか、面白く、タメになる話が満載だ。

けれども、と平木さんはクギを刺す。

アサーションは自然と出来るようになることではなく、訓練が必要だ、ということだ。

だからあまり欲張らず、気になることをひとつひとつ、意識して繰り返し実践していきたいと思う。

と、いって上手くいくほど簡単ではないのだけれども。

   

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                        <2008.09.19 記>

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平木 典子 著 日本・精神技術研究所 (2009/9/16)
    

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2009年9月18日 (金)

■HTV、ISSとの結合に成功!!これは日本宇宙開発史上の偉大な一歩なのだ。

HTV(宇宙ステーション補給機)が、ISS国際宇宙ステーションとの結合に成功した。

Htv_image
■HTVのISSへの結合イメージ図
Htv_small01
■実際の画像

■スペースシャトルに代わる大型輸送機としてHTV(H-II Transfer Vehicle)が通用することが見事に実証されたわけだ。

HTVには与圧部分があって、明日以降にはISSのクルーがそこに乗り込んで船内の補給品の入れ替えを行う予定。

これは一見地味にみえるのだけれども、実はニッポンの’船’に初めて人が乗り込むことになるという大きな一歩でもあるのだ。(実験棟「きぼう」は’船’じゃないということで。)

■これをもって、日本の有人宇宙船への大きな足がかり、なんていう気の早い記事が新聞に踊っていたりするのだけれど、それはちょっと言いすぎなような気もする。

何せ、この’船’はミッション終了後、ISSの廃棄部品を搭載したまま大気圏に再突入、燃焼廃棄される予定なのだ。

有人宇宙船としては再突入、回収が大きな難関なはずであって、その辺の実証試験がそもそもHTVの延長線上に予定されているのかも今のところ分からない。

けど、まあもちろんJAXAもそこのところを考えているには違いなく、それもそう遠い未来のことではないだろう。

■そういうことも踏まえて考えると、やはり今回のミッション成功はニッポンの宇宙開発史のなかでの大きな一歩であることには間違いない。

Hー2Bを含めたHTV開発関係者の皆様、おめでとうございます!!

   

■JAXA HTVの運用の流れ

 
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2009年9月11日 (金)

■H-ⅡB打ち上げ成功!

9月11日午前2時01分46秒、

宇宙ステーション補給機(HTV)を乗せたH-ⅡBが無事、打ち上げられた。

H_b02

■H-ⅡBは、前型のH-ⅡAに対しメインエンジンLE-7Aを2基に、固体ロケットブースターSRB-Aを2基から4基に増やして大出力化を図り、国際宇宙ステーションISSに物資を運ぶHTV(宇宙ステーション補給機)を打ち上げるために開発された、現時点での日本最大のロケットである。

とてもめでたい話だ。

■10年前くらいだったかH-Ⅱロケットの打ち上げ失敗があって、日本のロケットなんでだめじゃないの?なんていう雰囲気が漂っていた頃から考えると感慨深いものがある。

いや、いや、無事に打ち上げられて本当によかった!

■さて、今度はHTV実証機がちゃんと機能するかである。

これから1週間かけていろんな飛行実験をして最終的には18(金)にISSにドッキングが行われる予定。

これが成功すれば技術的には欧米に肩を並べることになるということで、なんかワクワクしてしまうなあ。
 

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                           <2009.09.11 記>

■関連記事■
■NASA、スペースシャトル後継に日本製無人輸送船HTVを!?(2008/07/21 記)

■JAXA(宇宙航空研究開発機構)HTV/H-ⅡB特設サイト
   

 
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■朝。

20090911

おはようございます。

きょうも気持ちのいい朝です。

                      <2009.09.11 記>

 
■■■ 空の写真 ■■■  
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2009年9月 9日 (水)

■【映画評】『20世紀少年 ―最終章― ぼくらの旗』。大切なのは日常のなかのちょっとした勇気なのだ。

いやー、ハラハラしました。いろんな意味で・・・。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.32  『20世紀少年 ―最終章― ぼくらの旗』
          監督:堤幸彦  脚本:浦沢直樹  公開:2009年8月
      出演:唐沢寿明 豊川悦司 平愛梨 他
  
   

    02

■ストーリー■
“ともだち歴3年”の2019年、世界は世界大統領として君臨する“ともだち”に支配され、殺人ウイルスがまん延する東京は壁で分断。都民の行動は完全に制限されていた。そんな中、カンナ(平愛梨)は反政府組織として武装蜂起する一方、“血の大みそか”以降、行方がわからなくなっていたケンヂ(唐沢寿明)が突然現われる。(シネマトゥデイ)

■20世紀少年3部作の最終章。

公開直前にテレビでやった第1章、第2章が面白かったので、その熱が醒めないうちにと映画館に向かった次第。

けどね、ちょっと毛色が違うのでありました。

■1章、2章は、ケンヂたちが小学生のころの昭和60年代の回想を織り込みつつ現在世界で物語が進行していくという形をとる。

そのため、とてもリアルな感覚にあふれた映画となっていた。

2000年末の’血のおおみそか’で暴れまわった張りぼての巨大ロボットを筆頭に、’ともだち’のテロ行為は胡散臭さ故のリアリティがあって、オウム真理教の地下鉄サリン事件、9.11の同時多発テロから地続きの感覚を維持していた。

■ところがこの最終章では舞台が近未来になっていて急速にそのリアリティを失った印象が否めない。

特に空飛ぶ円盤と巨大ロボット。

そこには’現実’のかけらも存在しない。

確かに、1960年代から見た21世紀は、エアカーなんかが空を走りまわっていたりして、われわれの知る’つまらない’現在とはまったく異なった世界であり、作者はそこを描こうとしたのかもしれない。

けれども、なーんか入り込めない、ノリきれない。
   

■とはいえ、ドラマ自体はスリリングで役者も良くってそこはいい。

香川照之にしても、石橋蓮司にしても、黒木瞳にしても、脇を固める俳優陣がドラマに深みを与え、崩壊しかけたリアリティを取り戻すことに成功している。

■そしてラストの大団円へと物語はなだれ込んでいくワケなんだけれども、ここでまた引っかってしまうのだ。

満場の大観衆に囲まれて熱唱するケンヂ。

人類は救われた、ハッピー、ハッピー!!

けどそこでエンドロールが流れ始めたときは、ほんと、もうどうしようかと途惑ってしまった。

おいおい、これで終わりかよっ、何か忘れてやしませんか、ていう感じ・・・。

(以下につづく)

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

  

■■■              ■■■

■いやー、やられました。

エンドロールの後の展開、良かったなあ。

感動しました。

ケンヂがいう。

’ともだち’を生んだのは俺たちじゃない、俺なんだ!!

そこでケンヂは、ともだちランドのバーチャルアトラクションを使って過去に戻り、自分自身の過去、今回の悪夢を生む元凶となった出来事に決着をつけに行くのであります。

■小学生のときのエピソードもいいけれど、’ともだち’とケンヂが本当の友達になる、そこのシーンにグッときてしまった。

ここまでの悪夢の根本にケリをつける、これぞ完結編!!

本当の友達ができた’ともだち’は癒され、架空の悪夢は消え去った、というわけだ。

そこまでの話が壮大であっただけに、このちょっとした、当たり前の物語が効いてくる。

大切なのはちょっとした思いやり、素直さとそれを実行に移す勇気であって、それを再確認させてくれたこのラストシーンにこちらもすっかり癒されてしまったのであります。

  

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                           <2009.09.09 記>

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■ 20世紀少年(ビッグコミックス)全22巻+21世紀少年 上・下
作・浦沢直樹
■実は読んでいないんです。
大人買いするか、マンガ喫茶通いをするか、考え中・・・。

20th_century_boy
■【CD】 20th Century Boy: Ultimate Coll (Dig) T.REX

   

01

■STAFF■
監督・脚本: 堤幸彦
プロデューサー: 飯沼伸之 / 甘木モリオ / 市山竜次
エグゼクティブプロデューサー: 奥田誠治
原作・脚本: 浦沢直樹
脚本: 長崎尚志
撮影: 唐沢悟
編集: 伊藤伸行
美術: 相馬直樹
音楽: 白井良明



■CAST■
ケンヂ(遠藤健児)    :唐沢寿明
オッチョ(落合長治)   :豊川悦司
ユキジ(瀬戸口雪路)   :常盤貴子
遠藤カンナ          :平愛梨
ヨシツネ(皆本剛)     :香川照之
マルオ(丸尾道浩)     :石塚英彦(ホンジャマカ)
ケロヨン(福田啓太郎)   :宮迫博之(雨上がり決死隊)
フクベエ(服部哲也)     :佐々木蔵之介
コンチ(今野裕一)     :山寺宏一
    
神様             :中村嘉葎雄
蝶野将平          :藤木直人
春波夫           :古田新太
ヤン坊・マー坊       :佐野史郎
漫画家・角田        :森山未來
小泉響子           :木南晴夏
仁谷神父          :六平直政
キリコ(遠藤貴理子)    :黒木瞳
敷島教授          :北村総一郎
  
万丈目嵐舟        :石橋蓮司
13番(田村マサオ)     :ARATA
高須             :小池栄子
ヤマさん          :光石研
地球防衛軍        :高嶋政伸、田村淳(ロンドンブーツ1号2号)
  
市原節子          :竹内都子
ジジババ          :研ナオコ
漫画家・金子       :手塚とおる
漫画家・氏木       :田鍋謙一郎
ビリー            :高橋幸宏(YMO)
大垣師範代        :武蔵
  
神木隆之介


・・・神木隆之介、相変わらずいい演技だったけど、大きくなったねぇ。

    
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2009年9月 7日 (月)

■【書評】『夜と霧』、ヴィクトール・E・フランクル 著。苦境の中で生きていく為に必要とされるものとは。

ナチスの強制収容所の話であるからには相当に厳しい内容であると覚悟していたのだけれども、その厳しさを静かに静かに語りかけてくる本である。

その静かさ故に、人間とは何か、というこの本のテーマが深くこころに染み渡ってくるのだ。

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■夜と霧 新版 
ヴィクトール・E・フランクル 著 池田 香代子 訳 
みすず書房 (2002/11/6)

■ユダヤ人強制収容所、アウシュヴィッツ及びその支所での体験を通して、過酷な、という表現を通り越した極限状態に放り込まれた人間が一体どうなってしまうのか。

本書はそれを精神科医の眼で綴った記録である。

■人間が人間として扱われない、その状況に慣れていくなかで、人間の感情は鈍磨、消失し、その内面は冷淡さと無関心に満たされる。

その過酷で理不尽な状況が人間をして否応無く、ある型にはめ込んでいく。

それが精神科医・フランクルの見立てだ。

■だが、

 
「わたしが恐れるのはただひとつ、

 わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」
 

というドストエフスキーの言葉を引用しつつ、彼はいう。

そんな状況でもなお、人間として踏みとどまり、己の尊厳を守り通した人が少ないながらにしても存在したのだ、と。

そして、

およそ’生きること’そのものに意味があるのであれば、苦しみにも意味があるはずだ。

苦しみや運命、死をも含めた’生きること’を意味あるものにする。

その可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかで、どのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていたのだ、と。

■現在の我々を取り巻く閉塞感は、極限度はまったく異なるものの、本書で語られる状況に近い側面が確実にあると思う。

年間3万人を超す自殺者を出す社会。

それは、我々の社会が未来に対する希望を持ちにくくなっている、その現れであろう。

■ひとそれぞれに状況はきっと異なっていて、まとめて語ることが出来るものではないのだろうけれども、ただ言えることは、

その苦境の中で生きていくために必要とされるのは、決して希望を捨てない自分自身の意志、勇気なのだ、

絶望的状況においてもなお、それを自分の人生として背負う力なのだ、

それが叶わないとしても、かくありたいと願うこころなのだ、と思う。

  
■最終章。

結局、フランクルは収容所から生還を果たすのだが、唯一の心の支えとなっていた愛する家族はみな亡くなっていた。

夢にまで見た自由を手にしたのに、運命は、’乗り越えることがきわめて困難な体験’を彼に与える。

それでも、彼は生きていく。

精神科医としての使命感で自らを奮い立たせる。

  
その気丈さに、つい泣けてしまうのである。
 

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                          <2009.09.07 記>

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■夜と霧 新版 
■ヴィクトール・E・フランクル 著 池田 香代子 訳 
みすず書房 (2002/11/6) ■なお本書は、霜山 徳爾 訳、『夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録』(1956) の再訳であり、原著の1977年新版をもとにしたものだそうです。

  

■関連記事■
■「つらさ」にも意味がある。『爆笑問題のニッポンの教養』 障害学、福島 智。
 

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2009年9月 3日 (木)

■こころのずっと奥底に響くもの。『爆笑問題のニッポンの教養』 音楽、坂本龍一。

今回のテーマは、音楽。

File083
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE083:「台本のない音楽会」 2009.9.01放送
音楽、坂本龍一。

■母親が赤ん坊に「○○ちゃーん、ごはんでしゅよー」、

なんていう時には声の音程が上がっていて、あたかも音楽のよう。

実はそれは世界万国共通で、何万年か昔の人類において「音」と「ことば」が未分化だった時代の名残りだという説があるのだそうだ。

太田がサザンの歌のもつ力を坂本龍一さん伝えようとするのだけれども、どうしても分からないのは、彼の耳には歌詞が記号(音)として入ってくるらしく、どうやら’教授’は耳が赤ちゃんのまま育ったんじゃないかと太田にからかわれていたが、それもあながち的外れでもないのかもしれない。

■太田のいうようにメロディの上に言葉がのることで、ものすごく伝わる、なかなか伝えられないことも伝わってしまう、ということは確かにある。

けれどその一方で洋楽を聴くときって、英語が分からないものだから、歌詞もまた曲の一部としてとらえてしまって、邦楽を聴くときと脳のはたらく部分が違うような気がするのだ。

ジャズとかを聴くときと同じ脳なんだよな。

■邦楽は左脳、洋楽は右脳、

なんて単純じゃないんだろうけれど、赤ちゃんの話を聞くと、洋楽とかジャズとかは感情とかそういったこころ動きのさらにずっと深いところに入り込んでいくのだろうな、とうなづける。

けど、まあ、そんな理屈は最後の’戦メリ’生演奏の前にはまったく意味が無くって、ああ、やっぱり音楽っていいなあ、と、ろくに弾けないウクレレと戯れながら、しみじみ思うのである。
  

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                        <2009.09.03 記>

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Photo 1996 坂本龍一
■6曲目に’Merry Christmas Mr.Lawrence’が入っています。
<視聴>では前奏の部分しか聴けないのが憎らしい(笑)。

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2009年9月 1日 (火)

■ゴーギャン展、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」をみる。

竹橋の東京国立近代美術館へゴーギャン展を見に行った。

Photo_3
エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)(1892)

■ゴーギャンといえば、南国の楽園に溶け込んだ男、というシロウト的勝手なイメージをもっていたのだけれども、それを大きく裏切られた。

それは初期の作品にルノワールを思い起こさせる柔らかい光に満ち溢れた印象派の傑作(愛の森の水車小屋の水浴)があって、それに見とれてしまった、というだけではない。

印象派の画風から「色」と「カタチ」のリズムが楽しい作品たちを経て、いわゆるゴーギャンらしい作品に至るその道筋も面白いのであるが、やはりゴーギャンはタヒチを描いた作品のなかにそのエキスがある。

そこに予想と大きく異なるものを感じてしまったのだ。

■楽園に溶け込んでいるはず(と私が勝手に思い込んでいた)ゴーギャン自身がその中に入りきれない異邦人として描かれていて、その彼が感じていたであろう失意にそれはある。

それは「純潔の喪失」で故国や家族と決別し、そこまでしてたどり着いた楽園での悲しみである。

明るく強いエネルギーの満ち溢れた作品のなかで、ゴーギャン本人の移し身である黒い犬は、時に疎外され(「小屋の前の犬 タヒチ」)、時に締め付けられる(「エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)」)。

■その文脈で、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」をみる。

この大作は当時50歳のゴーギャンが遺書の代わりとして描いた渾身の作品である、

という説明を聞くと、故国との繋がりも消え、かといって楽園に溶け込んでしまえるわけでもない絶望が彼を突き動かしたのではないかと思えてくるのだ。

Photo
「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」(1897-98)

■絵の右手から左手へ、赤子から幼年期を経て人生を謳歌するそのすぐ傍に「老いと死」がしゃがみ込んでいる。

だが、その背景として大いなるタヒチの自然があり、月の女神「ヒナ」はその人生を見守り、死と生の輪をつなぎ、再生を約束する。

そんななか、絵の中央で知恵の実を取ろうと力強く伸び上がるエヴァは、確かに(キリスト教の)神の楽園を追放されはするのだろうが、タヒチの自然、野生はその表情に曇りを見せない。

■ここには確かに楽園が描かれている。

そして、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という問いも、言葉を経ずして自ずと観る者のこころのなかにそれぞれの答えが立ち上がってくるだろう。

■けれども、それを描くゴーギャン自身はその輪の中にはいない。

右端に座り込んだ黒い犬はこの楽園の画面から見切れていて、むしろその暗い色彩は、西洋文明を暗示して立つ陰気なふたりと斜めに共鳴しているようにさえ見える。

自らを文明から引き離し、己のなかの野生を信じてここまでやってきた。そして確かにそこには楽園があったのだが、私はそれを眺めることしか出来ない。

楽園が輝けば輝くほど、その絶望は暗く、深い。
  

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                           <2009.09.01 記>

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Photo_2
■ ノア・ノア ― タヒチ紀行
ポール・ゴーガン 著 岩波文庫(1960/01)

   

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’弐代目・青い日記帳’ さんの「ゴーギャン展」
 

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■選ばなかった道について。

人生の半ばにいると、

ふと振り返ることがある。

選ばなかった道、

進むことの出来なかった道、

果たして、この道でよかったのだろうか。

 

けれども、捨て去ったと思っている

それらの道の一つひとつは

すっかり刈り取られてしまったように見えて

実は深く根を張っているのだと思う。

  

だから、

あきらめたかもしれないが、

捨てたつもりかもしれないが、

今のこの道を進む上で

確実に、生きる力になっている、

大切な宝ものなのだとおもう。

  

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                    <2009.09.01 記>

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