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2009年7月19日 (日)

■【書評】『 シュルレアリスムとは何か 』 巌谷 国士 著/『 魔術的芸術 』 アンドレ・ブルトン 著。

シュール、という言葉をよく使っていたのだけれども、どうやらその使い方も意味も大きく勘違いしていたようなのである。

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■ シュルレアリスムとは何か
巌谷 国士 著 ちくま学芸文庫 (2002/03)

■本書は、巌谷 国士氏による講義録である。

一回目はシュルレアリスムについて語り、二回目にメルヘン、三回目にユートピアについて語ることで、一回目の講義を外側から補強する内容だ。

講義録であるから当然口語体で記されていてとても判りやすい。

シュルレアリスムという難敵に対してはとても心強い形態だ。

■講義はまずシュルレアリスムという言葉の定義から始まる。

ここがとても重要で、逆にここさえ乗り越えられれば何となくではあるが、シュルレアリスムとは何ぞや、ということが見えてくる。

■一般に「シュールだね」、とやるときにはその対象は「現実離れした」モノや行動を指し示すものだが、ここからして180度間違いだ、という。

そうではなくて、語源のフランス語のシュルレエル(超現実)のシュルとは強度な、という意味を含んでいて、シュルレエルは「強度の現実」、「現実以上の現実」、「猛烈な現実」といったようなニュアンスなのだ。

■つまり、超・現実といったときの’超’とは異なるもの、離れたものではなくて、同じ軸線上で’超越’した、という意味なのである。

だから本来なら「シュールだね」と言うときのその対象は、言い方はともかくとして、現実に足がかりをのこした存在でなければならず、完全に別の世界に遊んでしまっているものは、もはやシュール(シュルレアリスム)ではない、ということになる。

1914
■ジョルジョ・デ・キリコ 「街の神秘と憂鬱」(1914年)

■じゃあ、現実を超越するってどういうことじゃい、というと、現実の生活では見えない現実、その現実の隙間から、「あれっ?」と、ふっと覗けて見える不可思議なもの、それを引きずり出し、拡大して見せることであり、何か「門」のような厳然とした境界があって、そこを越えたところにあるものじゃない、ということである。

で、そのアプローチには2つの方法がある。

一つは自動記述(自動書記)であり、一つはデペイズマンである。

■シュルレアリスム運動を創始した詩人アンドレ・ブルトンが用いたのが自動記述であり、朦朧とした状態で意識せずにペンを走らせて生まれる文章である。

というが、その文章を良く知らないので何ともいえない。

これを絵画に展開したのがジョアン・ミロ。

192324
■ジョアン・ミロカタルーニャの風景1923-24年

ブルトンがこれぞシュルレアリスムと認めたらしいから、このイメージで捉えられるものがオートマティズムなんだろう。

特別な意図を持たずに描いてごらん

  機械的に描きなぐってごらん

 紙の上には ほとんどいつも

 いくつかの顔が現れる

         ― アンリ・ミショー 1963

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■アンリ・ミショー 墨 1961年頃.jpg

  
■一方で、意外なところに意外なものを組み合わせて、その狭間から超現実を引き出す手法がデペイズマンだ。

1959
■ルネ・マグリット ピレネーの城 1959年

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■マルセル・デュシャン、泉  1917

■展覧会の会場に便器をそのままボンと置いたマルセル・デュシャンの「泉」が小気味いい。

作品の中で完結せずに、鑑賞する者とじかに便器を対峙させる。

1917年当時の現場ではダイレクトでヴィヴィッドな’デペイズマン’が生まれたに違いない。

■シュルレアリスムの定義からすると、その手法は問わないに違いないのだけれども、20世紀の100年をかけて自動記述とデペイズマンという概念が生き残ってきたのにはそれなりの背景があるはずで、教科書的だ!!と単純に切り捨てるのは浅はかというものだろう。

理論は理論として理解しておくに越したことは無い。

多分、今回理解できたことはその理論の薄っすらとした影のようなものだと思うのだが、それを念頭においておくだけで、実はいろいろなところに潜んでいるシュルレアリスティックな事物に反応し、強化されていくのかもしれないし、そう期待したいところである。

■なお、第2講のメルヘンと第3講のユートピアについても、我々が常識として理解しているところをひっくり返して再定義する手法は同じでとても面白い。

特に、メルヘンの講義は、自我との関係を語った部分があって、非常にスリリングで強く惹きつけられる内容になっている。

      

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■ 魔術的芸術
アンドレ ブルトン 著  巌谷 国士 訳
河出書房新社 普及版 (2002/06)

■で、ついでと言っては何なのだけれども、アンドレ・ブルトンの幻の書、魔術的芸術である。

何故、幻の書なのかというと、1957年出版の原書は限定3,500部という希少さで、カルト本の名を欲しい侭にした本なのだ。

中身は決してシュルレアリスムだけに偏った本というわけではなくて、美術評論家としてのブルトンが「魔術」という切り口で古代の壁画から現代の絵画に至るまでの美術を語りつくす、という趣向の贅沢な本なのである。

■と、いっても一度通読しただけで、全然消化できていない。

今回、消化しなおそうとは思ったのだけれども、先の「シュルレアリスムとは何か」で力尽きた(笑)。

まあ、無理は止めておこう。

豊富な図版はパラパラとめくるだけでそれなりに愉しめるし、本棚に飾ってあるだけで満足だ。

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いいじゃん、いいじゃん、なのである。

  

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■ シュルレアリスムとは何か
巌谷 国士 著 ちくま学芸文庫 (2002/03)

■ 魔術的芸術
アンドレ ブルトン 著 巌谷 国士 訳
河出書房新社; 普及版 (2002/06)
   

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