« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月

2009年7月26日 (日)

■【書評】『ワンダフル・ライフ ―バージェス頁岩と生物進化の物語』、S・J・グールド著。生命樹の影に広がる展開されなかった未来たち。

5億4000万年前、カンブリア大爆発と呼ばれる生物進化上の大事件があった。

地質学上の極めて短い間に動物の形態の多様化が一気に進行し、現在の動物の取る形態の基本構造(門レベル)がこの時点ですべて生まれていた、というのだ。

一体、そこにどんな世界が広がっていたのか、そしてそれは進化を考える上で一体何を指し示してくれるのか。

リチャード・ドーキンスと並ぶ進化学の横綱、スティーヴン・ジェイ・グールドの科学に対する哲学が真っ直ぐ伝わる良書である。

Photo
■ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語
スティーヴン・ジェイ グールド 著  ハヤカワ文庫NF (2000/03)

■始まりは1909年、カナデイアン・ロッキーで見つかった5億年前の奇妙な化石群。

表紙に載っている5つ目のオパビニアにしろ、歩くイモムシみたいなハルキゲニアにしても、ともかく奇天烈なのである。

そんな奇妙奇天烈生物の化石が発見され、どう分類、解釈されていったかが、豊富な具体的図版とともに丹念にたどられていく。

なんだか探偵になった気分だ。

■600ページの大作のうち8割はその紹介にあてられているのだけれども、そこでまったく飽きさせない。

それは科学的に極めてエキサイティングであって、グールドが本書の目的のひとつとして挙げた「カンブリア紀の爆発的進化」の面白さを世に伝えるということは見事に成功しているようである。

■実際、初めてこの本を読んだときにはそこの部分にばかり気がいってしまったのだが、今回改めて拾い読みをしてみると残りの2割の部分にぐいぐいと引き寄せられてしまった。

それが、グールドの挙げた本書の2つ目の目的、進化史に対する誤解を解くこと、なのである。

■その誤解とは、進化した姿というのは「あるべき合理的カタチ」というものがあって、そこに向かって徐々に進化していく、というもので、進化の系統図は単純なものから複雑なものへと末広がりに拡がっていくという歴史観である。

それに対してグールドは、正面から反論する。

■先の進化史観では、歴史が何度繰り返そうとも同じところへ安定的に収斂していく、必ず我々人類が生まれてくるのが道理である。と、とらえる。

しかし本当にそうだろうか。

グールドは思考実験として歴史のテープを巻き戻して、ある地点から再度再生させるというイメージを提示する。

そこから果たしてふたたび同じ物語が展開するのか。

■否、とグールドはいう。

ちょっとした違いが未来の大きな違いとなって現れる。

カンブリア紀の大実験で幾多の生命のカタチがうまれたそのうちのどれが生き残るのかは必然ではなくて多分に偶然の要素に左右される。

結果、まったく違う形態の種族が生き残ってもおかしくは無かった。

■運があるのものは生き残り、運の無いものは死に絶える。

生き残ったものの影には「悲運多数死」とグールドが呼ぶ、展開されなかった未来が埋もれているのだ。

脊索動物は運良くカンブリア紀の大実験を生き残り、哺乳類は運良く白亜紀大絶滅後の繁栄を手にし、ホモ・サピエンスは運良く氷河期の気候変動を乗り切ってその数を増やした。

今、ここに我々があるのは大いなる幸運の積み重ねによるのである。

■つい、我々はそこに必然を見てしまう。

現在を基点として歴史を遡るならば、その運・不運にはいくらでも理由をつけることが出来る。

科学は、何故?と問う。

何故ならば、と歴史をたどり、そこに意味を植えていく作業である。

現在に向かって展開してきた道を補強する作業である。

結果、過去に育ちかけて悲運にも絶滅していった可能性たちの影はきれいに消し去られ、ただひとつの末広がりの生命樹が確定される。

■グールドのように、それが間違っているとまでは思わない。

ある現象を見る見方の問題なのだから。

けれども、「科学」が常にこれが正しいというとき、特にそれが複雑な物事(複雑系)の展開について語られたとき、そこに「運・不運」の入り込む余地が十分にあるのだということを忘れてはならない。

そのとき結果は常に一つとは限らないのだ。

■思えば、我々の人生もまた運・不運を背景とした選択の繰り返しであって、ここまで生きてきた中でありえた未来を背負って生きているのである。

今の自分を支えているのは選択してきた過去たちだけではなく、選択しなかった過去とそこから拡がっていたであろう未来をも含むものだと思う。

そういう意味でグールドの考え方はとても人間的な魅力に溢れている。

それ故にわれわれの心に染み渡るのだ。
  

●にほんブログ村●
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

                          <2009.07.26 記>

■Amazon.co.jp■へのリンク

■ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語
スティーヴン・ジェイ グールド 著  ハヤカワ文庫NF (2000/03)
  

Photo_2
■眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く
アンドリュー・パーカー 著 草思社 (2006/2/23)
■カンブリア紀の爆発的多様化の理由を「眼の進化」によるのもではないか、という興味深い仮説が語られる。
しっかりとした像を結ぶレンズと網膜をもった「眼」が生まれることによって、それまで生存上の意味を持たなかった「形状」や「色」の重要度が革命的に増大し、一気に多様化が進んだ、とする説である。
まさに眼からウロコの説であり、同時に「眼」の構造について理解が深まる知的面白さに富んだ一冊である。
  

■関連記事■
■【書評】『自己組織化と進化の論理』 S・カウフマン。今、生きていることは偶然ではないのだ。

     

■過去記事■
■【書評】ひつじの本棚 <バックナンバー>
 

*********************************************

■ Amazon.co.jp ■
■【書籍】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【書籍】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

■【DVD】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【DVD】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月20日 (月)

■濃密な感情の奔流。土曜ドラマ「リミット―刑事の現場2」が面白い!

いやー、濃いドラマです。

Photo

■正義とは・・・、罪とは・・・、

なんていう甘っちょろいドラマではない。

そんな言葉遊びを吹き飛ばすような、ねっとりどろりとした心の奥底から湧き上がる抑え切れぬ感情がほとばしるドラマなのだ。

■刑事とは人間を憎む職業だと言い切る定年間際の一匹狼(武田鉄矢)と正義感に燃える若手刑事(森山未來)を中心にドラマが進行していくのだけれども、武田鉄矢の感情剥き出しの演技が半端じゃない。

金八先生の真逆というかダークサイドというか、犯人に対して人間として憎しみを持ってぶち当たっていく、その姿に大いに疑問を抱きつつも惹きつけられていく森山未來。

■主役の二人はもちろん、脇を固める杉本哲太、伊武雅刀、若村麻由美も濃くていい感じ。

脚本、演出のテンポもいいから飽きさせない。

現在、全5話のうち2話が終了したところなのだけれども、どうやらこれから二人の刑事それぞれの過去・人生に深く分け入っていきそうな勢いがあって、どうにもここからますます面白くなっていきそうな感じがプンプンなのである。

目が離せません。
 

●にほんブログ村●
にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへ

                      <2009.07.20 記>

 
■リミット―刑事の現場2― 番組HP 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

■STAFF■
原作・脚本 : 遊川和彦 (『女王の教室』、『さとうきび畑の唄』)
演出     : 渡辺一貴
製作    : 磯 智明

  
■CAST■
梅木拳     :武田鉄矢(中央署の一匹狼)
加藤啓吾    : 森山未來(若手3年目の刑事) 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
青井茉莉亜   : 加藤あい(啓吾の婚約者)
東野恵一    : 杉本哲太(刑事課長)
筒井薫      : 若村麻由美(庶務係)
太宰満      : 伊武雅刀(課長代理)
 

■過去記事■
■TVドラマ雑感・バックナンバー

*******************************************

■ Amazon.co.jp ■
■【書籍】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【書籍】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

■【DVD】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【DVD】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月19日 (日)

■虹。

夕暮れ直前の空に虹がかかった。

こんな見事な虹は何十年ぶりだろう。

2009071903

2009071902

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

                       <2009.07.19 記> 

 
■■■ 空の写真 ■■■  
↑カテゴリー・【空の写真】へのリンクです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

■【書評】『 シュルレアリスムとは何か 』 巌谷 国士 著/『 魔術的芸術 』 アンドレ・ブルトン 著。

シュール、という言葉をよく使っていたのだけれども、どうやらその使い方も意味も大きく勘違いしていたようなのである。

Photo
■ シュルレアリスムとは何か
巌谷 国士 著 ちくま学芸文庫 (2002/03)

■本書は、巌谷 国士氏による講義録である。

一回目はシュルレアリスムについて語り、二回目にメルヘン、三回目にユートピアについて語ることで、一回目の講義を外側から補強する内容だ。

講義録であるから当然口語体で記されていてとても判りやすい。

シュルレアリスムという難敵に対してはとても心強い形態だ。

■講義はまずシュルレアリスムという言葉の定義から始まる。

ここがとても重要で、逆にここさえ乗り越えられれば何となくではあるが、シュルレアリスムとは何ぞや、ということが見えてくる。

■一般に「シュールだね」、とやるときにはその対象は「現実離れした」モノや行動を指し示すものだが、ここからして180度間違いだ、という。

そうではなくて、語源のフランス語のシュルレエル(超現実)のシュルとは強度な、という意味を含んでいて、シュルレエルは「強度の現実」、「現実以上の現実」、「猛烈な現実」といったようなニュアンスなのだ。

■つまり、超・現実といったときの’超’とは異なるもの、離れたものではなくて、同じ軸線上で’超越’した、という意味なのである。

だから本来なら「シュールだね」と言うときのその対象は、言い方はともかくとして、現実に足がかりをのこした存在でなければならず、完全に別の世界に遊んでしまっているものは、もはやシュール(シュルレアリスム)ではない、ということになる。

1914
■ジョルジョ・デ・キリコ 「街の神秘と憂鬱」(1914年)

■じゃあ、現実を超越するってどういうことじゃい、というと、現実の生活では見えない現実、その現実の隙間から、「あれっ?」と、ふっと覗けて見える不可思議なもの、それを引きずり出し、拡大して見せることであり、何か「門」のような厳然とした境界があって、そこを越えたところにあるものじゃない、ということである。

で、そのアプローチには2つの方法がある。

一つは自動記述(自動書記)であり、一つはデペイズマンである。

■シュルレアリスム運動を創始した詩人アンドレ・ブルトンが用いたのが自動記述であり、朦朧とした状態で意識せずにペンを走らせて生まれる文章である。

というが、その文章を良く知らないので何ともいえない。

これを絵画に展開したのがジョアン・ミロ。

192324
■ジョアン・ミロカタルーニャの風景1923-24年

ブルトンがこれぞシュルレアリスムと認めたらしいから、このイメージで捉えられるものがオートマティズムなんだろう。

特別な意図を持たずに描いてごらん

  機械的に描きなぐってごらん

 紙の上には ほとんどいつも

 いくつかの顔が現れる

         ― アンリ・ミショー 1963

Photo_7
■アンリ・ミショー 墨 1961年頃.jpg

  
■一方で、意外なところに意外なものを組み合わせて、その狭間から超現実を引き出す手法がデペイズマンだ。

1959
■ルネ・マグリット ピレネーの城 1959年

Photo_8
■マルセル・デュシャン、泉  1917

■展覧会の会場に便器をそのままボンと置いたマルセル・デュシャンの「泉」が小気味いい。

作品の中で完結せずに、鑑賞する者とじかに便器を対峙させる。

1917年当時の現場ではダイレクトでヴィヴィッドな’デペイズマン’が生まれたに違いない。

■シュルレアリスムの定義からすると、その手法は問わないに違いないのだけれども、20世紀の100年をかけて自動記述とデペイズマンという概念が生き残ってきたのにはそれなりの背景があるはずで、教科書的だ!!と単純に切り捨てるのは浅はかというものだろう。

理論は理論として理解しておくに越したことは無い。

多分、今回理解できたことはその理論の薄っすらとした影のようなものだと思うのだが、それを念頭においておくだけで、実はいろいろなところに潜んでいるシュルレアリスティックな事物に反応し、強化されていくのかもしれないし、そう期待したいところである。

■なお、第2講のメルヘンと第3講のユートピアについても、我々が常識として理解しているところをひっくり返して再定義する手法は同じでとても面白い。

特に、メルヘンの講義は、自我との関係を語った部分があって、非常にスリリングで強く惹きつけられる内容になっている。

      

Photo_2
■ 魔術的芸術
アンドレ ブルトン 著  巌谷 国士 訳
河出書房新社 普及版 (2002/06)

■で、ついでと言っては何なのだけれども、アンドレ・ブルトンの幻の書、魔術的芸術である。

何故、幻の書なのかというと、1957年出版の原書は限定3,500部という希少さで、カルト本の名を欲しい侭にした本なのだ。

中身は決してシュルレアリスムだけに偏った本というわけではなくて、美術評論家としてのブルトンが「魔術」という切り口で古代の壁画から現代の絵画に至るまでの美術を語りつくす、という趣向の贅沢な本なのである。

■と、いっても一度通読しただけで、全然消化できていない。

今回、消化しなおそうとは思ったのだけれども、先の「シュルレアリスムとは何か」で力尽きた(笑)。

まあ、無理は止めておこう。

豊富な図版はパラパラとめくるだけでそれなりに愉しめるし、本棚に飾ってあるだけで満足だ。

スノッブ?

いいじゃん、いいじゃん、なのである。

  

●にほんブログ村●
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

                          <2009.07.19 記>

■Amazon.co.jp■へのリンク

■ シュルレアリスムとは何か
巌谷 国士 著 ちくま学芸文庫 (2002/03)

■ 魔術的芸術
アンドレ ブルトン 著 巌谷 国士 訳
河出書房新社; 普及版 (2002/06)
   

■過去記事■
■【書評】ひつじの本棚 <バックナンバー>
 

*********************************************

■ Amazon.co.jp ■
■【書籍】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【書籍】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

■【DVD】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【DVD】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月18日 (土)

■「うまい!」はどこにある。『爆笑問題のニッポンの教養』 人工舌、都甲潔。

今回のテーマは、人工舌。

Photo_4
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE079:「味のある話」 2009.7.14放送
九州大学システム情報科学研究院 研究院長 教授 都甲潔(とこうきよし)。

■味覚センサーなんてものはフツウにあるのかと思ったらそんなことは無くて、都甲先生が世界で始めて開発したものなのだそうだ。

計測は科学の基本であり、味覚の世界には今まで科学は無かったということである。

だからといって、科学につんのめった話かと思えばさにあらず。

■今回、見ていて面白かったのは、牛乳に細切れのたくあんを混ぜたコーンスープや’みかん’が乗ったいくらの軍艦巻きを食べてみろ、といわれて全然うまそうじゃない爆笑問題の複雑な二人の表情だ。

Photo_6
■まずい!

■味覚センサーでの計測ではほとんど一致するのに食べてみると違ってしまう。

なんだ、違うんジャン。

というところなのだが、それを実感させるのが都甲先生の狙いなのだ。

■粘菌は「甘い」に近づき、「苦い」を避ける。

それは「甘い」=栄養、「苦い」=毒を区別して行動しているということである。しかも単細胞生物が!

粘菌が「うまい!」と身を震わせているかどうかは判らないが、生き死にの問題として、味に対して非常に素直に反応する、ということだ。

■それに比べて人間は味覚だけで味わうということはない。

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚に認知を加えたすべての感覚を総動員して「うまい!」を判断する。

栄養と毒を見分けるという生物としての本来の役割りを意識の下に追いやられ、味覚は、’うまい!’という娯楽を構成するひとつの要素に成り下がってしまったのだ。

■都甲先生は、自分の舌を信じよ、

というが、なかなかこれが難しい。

何故か?

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、認知によって構成される「うまい/まずい」自体が脳内に生じた幻であり、実体を伴わないものだからである。

般若心経の世界。

つまり、その大脳新皮質に仕組まれた罠をかいくぐるには、色即是空の「悟り」を開かねばならんということだ。

人生の半ばを過ぎてしまったが、まだまだそんなに枯れてはいないし、もう少し愉しみたい。

だから「うまい!」についても成るがままでいきたいと思うのである。 
  

にほんブログ村 テレビブログへ
にほんブログ村

                             <2009.07.18 記>

■Amazon.co.jp■へのリンク

Photo_3
■ 感性の起源―ヒトはなぜ苦いものが好きになったか
都甲 潔 著 中公新書(2004/11)

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

   
■過去記事■ [バックナンバー]の 一覧
■爆笑問題のニッポンの教養■

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

Photo_2
■新書版 『爆笑問題のニッポンの教養』の既刊一覧へ■
        

■関連サイト■
■『爆笑問題のニッポンの教養』番組HP

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

■ Amazon.co.jp ■
■【書籍】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【書籍】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

■【DVD】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【DVD】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月13日 (月)

■朝。

20090713

気持ちの良い朝です。

お早うございます。

                           <2009.07.13 記>

 
■■■ 空の写真 ■■■  
↑カテゴリー・【空の写真】へのリンクです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月12日 (日)

■裁判員制度は誰の権利を守るものなのか。『爆笑問題のニッポンの教養』 刑事訴訟法、後藤昭。

今回のテーマは、刑事訴訟法。

File078
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE078:「やっぱり、みんな有罪ですか?」 2009. 7. 7放送
一橋大学大学院法学研究科教授 刑事訴訟法 後藤昭。

■太田は是非とも裁判員制度に参加したいといい、田中は出来れば避けて通りたいという。

お前はどちらかといえば明らかに田中の方で、一般的日本人の大方の意見もそうだろう。

太田にいわせれば無責任、傍観者。

なるほど確かにそうかもしれない。

■これも一つの日本人論なんだと思う。

お上に対して文句はいうけど、お上に直接それをぶつけるでもなく、結局は上意に従って、またそれの文句を垂れるの繰り返し。

その柳腰もひとつの賢い生き方だ、というのもありだし、だから無理やりそれを変える必要もないのかもしれない。

けれども、明治、大正、そして戦後において’権利’というやつが日本の中に根付いていって、それはそれでいいのだけれど、その権利とセットであるはずの’責任’が欠けているのが問題で、モンスター・ペアレントにしても、不祥事を起こしてアタマを下げる経営者にしても、根っこにはその問題があるように思えるのだ。

■小学生の頃に先生から

 
’義務’と’責任’の違いを答えなさい、
 

なんて言われたことがあるけれども、その答えは未だにわからない。

世の中には理屈抜きにやらねばならないことがあって、’義務’とはそういうことだと理解しているが、’責任’、というやつについてはどうにもスカッといかないのである。

■もしかすると、分かっているつもりの’義務’についても、お上ごもっとも、世間様に顔向けできない、の文化のなかで定着しただけで、一皮向けばこれもよく分からないものなのかもしれない。

し、だからこそ、’責任’についてもよく分からないのかもしれない。

逆に言えば、’責任’が分かることで、’義務’の再定義も可能になってくるのだろう。

そこでキーワードになってくるのはやはり’権利’であり、それと’責任’との関係にポイントがあるに違いない。

■そこで裁判員制度である。

これは国民の義務なのか、責任なのか。

日本人の多くはこれを’義務’と捉えているのではなかろうか。

いや、言葉上は’責任’だ、と答えるのであるが、心情として「心ならずも課された’義務’」と捉えているのではないか、ということである。

■もし、ここに’権利’という概念があれば、少し雲行きが変わってくるのではなかろうか。

では、ここでいう権利とは何か。

刑事裁判に関していうならば、公正に裁かれる権利、であろう。

事実に基づいて有罪・無罪を判定され、イイカゲンな証拠では有罪とされない権利(無罪推定)。

そして、有罪であったとしても、法外な刑を受けることのない権利。

そういう被告人の権利である。

■今まで日本人は、その権利を守ることをお上に任せてきた。

その上で、犯罪者の人権ばかりを重視して遺族の人権を軽視しているとかの意見を垂れ流してきたわけである。自分自身がそうであるように。

ところが、

起訴される事件の99.9%は有罪判決。

なんていわれてビックリ仰天するわけだ。

いや、数字のマジックに踊らされることを嫌ったとしても、検事、弁護士、裁判官の閉じたコミュニティのなかで、一般の常識との乖離が生まれ、それも被告人に不利な方向にハタラくという後藤先生の話には説得力がある。

■しかも、この番組のHP上でのコメントにあるように、「素人の方が有罪にしやすくて、プロの方が無罪にしやすいと思ってた」という太田の話に後藤先生自身が驚いた、というのだからこっちも驚く。

中立な立場であるはずの研究者であっても、’法律家コミュニティ内の常識’による偏りがあるということで、じゃあ裁判官はどれほど一般人と乖離した感覚を有しているか、ということである。

■その閉じたコミュニティに我々は自分自身の’権利’を委ねてきたのである。

それは、自分が被告になったときに守られるべき’権利’である。

自分が被害者になることを想像しても、なかなか自分が被告になる想像力は我々にはないが、松本サリン事件の例を引くまでもなく、冤罪としてそこに引き込まれそうになる可能性は決してゼロではないのだ。

その時になってはじめて青くなる。

そして世間は被告の権利には知らん振り。

■今回の番組を見て、いろいろ考えるまでは、裁判員制度は「被告を裁く権利」なのだと勘違いをしていた。

太田の言葉を聞いていても、そういうニュアンスが感じ取れて、決して特殊な感覚ではないのじゃないか、と思う。

そして、その大きな勘違いにこそ、裁判員制度の捉え方を難しくしている本質があるように思えてくるのだ。

■裁判員制度が守る権利は、法によって侵されるかもしれない被告の人権である。

その上で、被害者の人権をも考慮しながら適正な裁きを規定する、ということである。

我々が裁判員制度で負うべき責任は被告の人権を守ることであり、それは誰のためでもなく、自分自身が法に裁かれる立場になったときに守られるべき権利なのだ。

一般的な解釈は別として、それがこの論の結論である。

■義務と責任の話は難しくてまだよく分からないところもあるが、責任というものが自分自身の権利とセットであることは間違い無さそうに思う。

やはり分からないことは具体的な話で考えるに限る。

モンスター・ペアレンツにしても、不祥事を隠してしまう企業にしても、守られるべきは誰のどのような権利なのかを考えることで本質的なものが見えてくるということなのかもしれない。

また、改めて考えてみたいと思う。

    

にほんブログ村 テレビブログへ
にほんブログ村

                          <2009.07.12 記>

■Amazon.co.jp■へのリンク

 
Photo新版 わたしたちと裁判
後藤 昭 著  岩波ジュニア新書 (2006/10)

Photo_2
それでもボクはやってない スタンダード・エディション [DVD]
監督: 周防正行 出演: 加瀬亮 瀬戸朝香 山本耕史 もたいまさこ 役所広司
■この映画が気になってしまった。

  
12 12人の優しい日本人 [DVD]
監督: 中原俊 出演: 塩見三省, 豊川悦司

  
十二人の怒れる男 [DVD]
監督: シドニー・ルメット 出演: ヘンリー・フォンダ
■本家のこっちは見てないんだよな・・・。

  

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

   
■過去記事■ [バックナンバー]の 一覧
■爆笑問題のニッポンの教養■

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

Photo_2
■新書版 『爆笑問題のニッポンの教養』の既刊一覧へ■
        

■関連サイト■
■『爆笑問題のニッポンの教養』番組HP

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

■ Amazon.co.jp ■
■【書籍】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【書籍】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

■【DVD】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【DVD】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月11日 (土)

■日曜劇場 ドラマ 『官僚たちの夏』 今、高度成長期を再演することの意味。

拡大版というのを忘れてオシリの20分が切れてしまったのは残念だったが、それでも濃密で十分楽しめた第一話であった。

Photo

■1955年頃までの戦後復興期を越え、高度経済成長を迎えようとする時代。

それからの驚異的成長は当時の現在形では到底想像もできず、それでも戦勝国アメリカに経済力、豊かさでなんとか追いつこうと苦闘した官僚たちの物語である。

■第一話は、自動車を基幹産業として立ち上げようと試みる、国民車構想の話。

町工場のオヤジと若い連中がその夢見たいな構想を意気に感じて捩じりハチマキ、時速100km/hが出せて10万キロ走っても壊れない車を苦戦のすえに作り上げるあたり、やっぱりモノづくりの話は面白い。

実際に画面に出てきたのはトヨタ パブリカと思われ、作ったのは町工場でもなんでもないのだけれども、まだ当時は零細自動車企業がいろいろあったようで、このドラマのような場面も場合によってはあったかもしれない。(たぶん無かったんだろうけど。)

■それはそれとして、『官僚たちの夏』を何故、今、企画するのかという意味である。

今の日本の置かれている状況を2度目の焼け野原と言った人がいる。

逆に言えばここからが面白いということだ。

■そういったときに思いを50年後に飛ばすならば、今が、新たな’戦後復興’、新たな’高度経済成長’の基点になることを夢見ることは可能だろう。

それは決して同じことの繰り返しではないし、アメリカというお手本があるわけでもない。

その意味で、かつての高度経済成長期の官僚たちよりももっと強靭で夢のあるヴィジョンが必要とされるだろう。

■複雑系的に考えるならば、たぶん、それは誰がいうともなく生まれてくるモノに違いない。

問題なのは、自然発生的に生まれてきたその芽に気付き、育てる人の存在なのだと思う。

これからの10年。

東京オリンピックもあるかもしれないし、新しい東京タワーも立つわけで状況は万全。

楽観的に眺めてみようじゃないか。

(↑って、なんで参加意識がないの?、(笑))
   

●にほんブログ村● 
にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへ

                           <2009.07.11 記>

■Amazon.co.jp■へのリンク

_
【原作】官僚たちの夏 (新潮文庫)
城山三郎 著 新潮文庫 (1980/11)

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

■STAFF■
原作 : 『官僚たちの夏』 城山三郎著 (新潮文庫刊)
脚本 : 橋本裕志
演出 : 平野俊一 大岡進 松田礼人
 
主題歌 : コブクロ『STAY』
音楽 : 佐橋俊彦
 
制作統括 : 貴島誠一郎
プロデューサー : 伊佐野英樹 真木 明
製作著作 : TBS 
 
  
■CAST■
風越信吾 : 佐藤浩市
庭野貴久 : 堺雅人
鮎川光太郎 : 高橋克実
西丸賢治 : 佐野史郎
丸尾要 : 西村雅彦
牧順三 : 杉本哲太
山本真 : 吹石一恵
御影大樹 : 田中圭
風越道子 : 床嶋佳子
風越貴子 : 村川絵梨
 
片山泰介 : 高橋克典
玉木博文 : 船越英一郎
池内信人 : 北大路欣也
 
<第1話ゲスト出演>
朝原太一 : 蟹江敬三
朝原弥生 : 市毛良枝
日向毅 : 加藤虎ノ介

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

■過去記事■
■TVドラマ雑感・バックナンバー

■日曜劇場 官僚たちの夏 番組HP

■トラックバックさせていただきます■
’まぁ、お茶でも’ さんの「《官僚たちの夏》#01」
 

リンク: 佐藤浩市 ドラマ好調!.

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

■ Amazon.co.jp ■
■【書籍】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【書籍】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

■【DVD】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【DVD】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年7月10日 (金)

■neoteny japan ネオテニー・ジャパン ―高橋コレクション。クール・ジャパンの本質は、ポップな甘さの奥にある生々しい思想とそれを支える超絶技巧にあるのだ。

根津から上野まで歩いた。

目的は、上野の森美術館で7/15まで開催しているネオテニー・ジャパン。

またしても、終了間際の駆け込みなのである。

Photo_3
■neoteny japan ネオテニー・ジャパン ―高橋コレクション
 @上野の森美術館 2009/05/20(水) ― 07/15(水)
※ネオテニー:幼形成熟、ウーパールーパーみたいなもの。幼さと成熟を併せ持つ現代日本のサブカルチャーを上手く言いあらわしている。
 

■”世界が注目するニッポン現代アートの基礎知識!”

と、銘打たれたこの展示は、高橋龍太郎さんという精神科医の方の個人的なコレクション、33名の作家の作品から選りすぐられた80点。

確かに、さらりと通り過ぎさせてくれる作品はほとんど無く、どこか、うーむと引っかかる曲者ぞろいだ。

■数点に絞って感じたことを記してみたい。

Photo
■鴻池朋子 惑星はしばらく雪に覆われる 2006
Photo_2
■鴻池朋子 knifer life(部分)  2000-2001

■黒い垂れ幕で仕切られた会場に入るといきなり目に飛び込んできたのがキラキラと輝く6本足のオオカミ。

最初からドーンと来ました。やられました。

続いて長さ5メートルくらいありそうな大作、knifer life。

これもすごい。

■6本足のオオカミと小さなナイフの群れが少女の上半身に群がり、覆い隠す。

すさまじいエネルギーである。

少女の足だけが見えるという演出がとても効果的だ。

二足歩行の足。

それさえ見えれば観る者の想像力は隠された部分と、そこにある魂を補完してくれるのだ。

その時に生まれる感情は、むしろ全身が見えてしまうよりも圧倒的に強いインパクトを与えてくれる。
  

Photo_4
■名和晃平 PixCell-Gazelle#2 2006

■単なるビー玉細工かと思いきや、透明な玉に覆われたその下に、本物の鹿の剥製が埋まっている。

それに気が付いたときのギョッとする感覚がいい。

■ポップな見かけをまといつつ、その下に激しくリアルなものがある。

そこには現代ニッポンのサブカルチャーの本質が象徴的に現れているのかもしれない。
 

Photo_5
■池田学 領域 2004

■これである。

本日一番のお気に入り。

この絵に出会えただけでも来た甲斐がある。

■大きく揺れる波間に浮かぶ島、

と思いきや、巨大なカニ。

それが領域(テリトリー)を侵した哀れな船を巨大なハサミで引きずり込もうとしている。

■木を見て森を見ない、

なんていうけれど、この作品は逆で、超細密に描かれたペン先を丹念に追っていくうちに、その巨大な存在に気付く、という寸法だ。

その、うわぁ~、という感覚がたまらない。

そして、ため息。
  

Photo_6
■会田誠 大山椒魚 2003

■エロである。

しかもロリコンである。

クール・ジャパンだなんだといってもその根底に実は、公衆の面前にさらされることには耐えかねぬ、この二つの禁断が淀んでいたりするのである。

■このタブーをぶち破る挑発的態度はどうだ。

そしてそれを冷静に支える超絶技巧。

コレハ、イケナイ、

と、目を背けたくなる作品なのだけれども、その時点ですでに作家の罠にはまってしまっているようで何か悔しい。
  

Photo_7
■三宅信太郎 夢工場の逆襲への新たなる挑戦 2002

■この展覧会の締めくくりがこれ。

 
なんだこりゃ、

 
なのである。

ポップもここまでくるとなかなか追いつくのが難しい。

■バスローブの下にキャスター付きの暖房器具らしきものが見え隠れするとってもチープなルーク・スカイウォーカー。

巨大なマスクが崩壊寸前のダース・ベイダー。

快獣ブースカと間違えてしまいそうな可愛らしいC3PO。

模造紙をつないで、うま下手調で埋め尽くされた背景の作品。

■何がすごいって、この文化祭レベルの作品に金を払ってしまう高橋さんが一番すごい。

確かに楽しいんだけどね、どうしても「作品」という枠組みに囚われてしまって、つい、その素直な楽しさに違和感を覚えてしまう。

美術って、ホントは高尚なものなんかじゃなくて、つくることが楽しい、ただそれだけのものなのかもしれない。

けれど、自分のなかで強く固定されてしまった「美術」というものがあって、それを突き破るのも結構難しいものだなあ、としみじみ感じた次第である。
  

Img_3733

ひさしぶりに西郷さんに会いました。
  

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

                          <2009.07.10 記>

■Amazon.co.jp■へのリンク

Photo_8
■ネオテニー・ジャパン──高橋コレクション
日本現代美術総覧といった感じでうまくまとまっている。

****************************************

■過去記事■ 文化・芸術など

■トラックバックさせていただきます■
’弐代目・青い日記帳’ さんの「ネオテニー・ジャパン」
 

■ Amazon.co.jp ■
■【書籍】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【書籍】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

■【DVD】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【DVD】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年7月 8日 (水)

■月光の雲。

20090707

月夜の空もいいもんだ。

                         <2009.07.08 記>

 
■■■ 空の写真 ■■■  
↑カテゴリー・【空の写真】へのリンクです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 5日 (日)

■ああ、アメリカよ。『爆笑問題のニッポンの教養』 日米関係史、阿川尚之。

今回のテーマは、日米関係史。

File077_us_ilove_you_2
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE077: 「U.S. I LOVE YOU」 2009.6.30放送
慶應義塾大学教授
日米関係史・米国憲法史 阿川尚之。

■アメリカってなんだろう。

阿川先生の見るアメリカは、多様性に富んだ自由な国。

太田の見るアメリカは、大国の正義を押し付ける尊大な国。

きっとどちらも本当のアメリカなのであろう。

■感覚的には、太田の言うアメリカの方が理解しやすく、すっと入ってくる。

特に、ソ連崩壊後に唯一の超大国となってしまったアメリカは、自由主義の旗頭という役割を喪失し、それ故に各地の紛争に関わる大義が見えにくくなってしまった。

それまでのアメリカの覇権主義が良かったとはいえないが、大義名分を失ったアメリカに世界の批判が集中するのもやむを得ないことなのだ。

■アメリカを擁護する阿川先生は、その問題を正面から答えることを避けているように見える。

と、いうよりも、関心事が別のところにあるといった方がいいかもしれない。

巨大なバケモノと化してしまったアメリカについて語るのではなく、その本来の姿について広く理解を得ることで、それはバケモノなんかじゃない、という伝道をおこなっている、ということなのだろう。

■アメリカを批判するのは簡単なことである。

けれど、その前にアメリカという国の成り立ちを知ること、実際のアメリカ人と友人となって語り合うことが重要だ、という阿川先生の意見は非常に正しいように思える。

たぶん、それでも、アメリカという国に対する批判的精神が変わることはないのだろうが、その批判に幅が出ることは確かであろう。

やはり、知ること、というのは大切なことなのだ。

 

にほんブログ村 テレビブログへ
にほんブログ村

                                                 <2009.07.05 記>

■Amazon.co.jp■へのリンク

Photo
■ 憲法で読むアメリカ史(上)
阿川 尚之 著 PHP新書 (2004/9/16)
         

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

   
■過去記事■ [バックナンバー]の 一覧
■爆笑問題のニッポンの教養■

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

Photo_2
■新書版 『爆笑問題のニッポンの教養』の既刊一覧へ■
        

■関連サイト■
■『爆笑問題のニッポンの教養』番組HP

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

■ Amazon.co.jp ■
■【書籍】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【書籍】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

■【DVD】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【DVD】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 2日 (木)

■【書評】『PLUTO プルートウ』 浦沢 直樹/長崎尚志 著。大風呂敷はとりあえず置いておこうじゃないか。

プルートウ、完結。

これまで引っ張ってきた謎が明らかにされ、一気に物語がつながっていく。

Photo
■ PLUTO 8 浦沢 直樹 著 ビッグコミックス (2009/6/30)

■原作は手塚治虫の鉄腕アトム。

そのなかでも特に人気の高い「地上最大のロボット」を現代風にアレンジして物語をおおきく膨らませたのがこの作品。

浦沢 直樹と長崎尚志のアトムに対する敬意と愛情がそこここに滲む良作である。

■実際、面白かった。

ゲジヒトの失われた記憶、アトムの再生、ボラーの正体。

単行本1冊分の原作を8冊にまで膨らませたにも関わらず、スピードとサスペンスと謎が連鎖的に拡大し、飽きることが無い。

が、この最終巻で明らかになった謎を組み合わせて全体像を眺めるとき、どうもしっくりこない部分が残ってしまうのだ。

■テーマは、敵に対する憎悪とそこから引き起こされる戦争。

具体的には、9.11テロとそこから引き起こされたイラク戦争、そして現在までつながる憎悪の連鎖を下敷きにしている。

今、という時代をもっとも強く映す、キャッチーなテーマだ。

そこに、少し乗り切れない部分が出てしまったのである。

■そこのところ、手塚治虫版の原作は至ってシンプル。

 
誰が一番強いロボットか。

 
それだけなのである。

そんなことの為に戦うなんて不毛なことはやめようよ、といいつつも人質になったお茶の水博士を救うためにアトムは天馬博士の手を借りて100万馬力を手に入れる。

この矛盾。

それ故のラストシーンの侘びしさ。

その読後感がこの作品の傑作たる所以なのだと思う。

■原作と比べるのはどうかという話もあるが、「プルートウ」は話を膨らませるに当たって、テーマを具体化し過ぎたように感じる。

特に、「ペルシア国」と「トラキア合衆国」の対立の構図は作品の現代化を図る上で必須だという判断なのかもしれないが、いかにも余計である。

9.11とかイラク戦争のニオイが漂うたびに、ダリウス14世にフセインの、トラキア国大統領にブッシュのニオイを嗅ぐたびに、我々は作品世界から引き剥がされ、現実の世界へと放り出されてしまうのだ。

■余計、といえば、トラキア国のマザーコンピューター。

これが何のメタファーかは置いておくにしても、こいつが一番の悪者で、プルートウとアトムの、アラブの王様とお茶の水博士の対立における矛盾を引き受けてしまう、その安直さが許せない。

はっきりと言おう、

長崎尚志は、そこに踏み込むべきではなかった。

■それでも私がこの作品をブックオフに売っ払ってしまおうと思えないのは、ゲジヒト、ゲジヒトの奥さん、ノース2号、エプシロン、サハドといったロボットの面々それぞれの物語が強烈に私を惹きつけるからだ。

特にノース2号の物語は何度読み返してもウルウルきてしまう。

だから、この作品の楽しみ方としては、全体のテーマがどうこう、というところから大きく離れて、オムニバス的に展開するひとつひとつの物語を味わう、というのに尽きると思う。

そこだけが浦沢 直樹/長崎尚志のオリジナルであり、唯一、天才・手塚治虫を超えている部分なのである。

そして、いつだってそれこそが彼らの作品の魅力なのだ。

 

●にほんブログ村●
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

                          <2009.07.02 記>

■Amazon.co.jp■へのリンク

■ PLUTO 8  浦沢 直樹 著 ビッグコミックス (2009/6/30)

Photo_2
■鉄腕アトム (13) (「地上最大のロボットの巻」収録)
手塚 治虫 著 講談社 手塚治虫漫画全集 (233)

    

■関連記事■
■漫画一本、真剣勝負。
『プロフェショナル・仕事の流儀』漫画編集者・原作者 長崎尚志。

(2007.11.13 記)

■過去記事■
■【書評】ひつじの本棚 <バックナンバー>
 

*********************************************

■ Amazon.co.jp ■
■【書籍】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【書籍】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

■【DVD】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【DVD】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2009年7月 1日 (水)

■【書評】『武装解除 ―紛争屋が見た世界―』 伊勢崎賢治 著。平和は正義を曲げてでも手に入れる価値のあるものなのだ。

日本人にもこんな人がいたのかと驚いた。

まだまだ日本人も捨てたものじゃないのである。

Photo_2
■ 武装解除 -紛争屋が見た世界
伊勢崎賢治 著 講談社現代新書 (2004/12/18)

 
■著者の伊勢崎さんは東チモール、シエラレオネ、アフガニスタンといった地で活躍した紛争解決の専門家であり、現在、戦地から離れて大学の教壇に立っている人である。

こんな人に世界の現実を教授され、思考と議論の機会を与えられる学生は幸せ者である。

そして、その一部を垣間見ることができそうなところがこの本の魅力なのだ。

■紛争解決に向けた手順に、DDR(Disarmament,Demomilization,Reintegration)という活動がある。

・武装解除(各軍事勢力からの武器を回収)、

・動員解除(指揮者の解任、組織の解体)、

・社会再統合(市民生活に戻るための教育などの復員事業)

の3つの活動からなるもので、国家再建のための首長選挙・議員選挙を成功に導くには、法と秩序の回復と治安の保証が必須であり、DDRは避けて通れない重要な活動なのである。

■伊勢崎さんは東チモールでは国連から委任された県知事として平和維持軍を統制して治安の維持に当たり、シエラレオネでは国連PKOのもとDDRを統括する立場で現場を引っ張って内戦終結へと導き、その後、アフガニスタンのDDRを担当することになった日本政府の特別顧問として2004年3月までの1年間をアフガンで過ごした。

すごい人である。

こういう感心の仕方は落合信彦以来かもしれない。

■と、感心ばかりしているわけにはいかない。

上手い話ばかりではないのだ。

シエラレオネではDDRを成功させるために、自国民を大量に虐殺し、腕を切断するといった残虐な行為を繰り返してきた武装勢力に恩赦を与えざるを得なかった。

そんな身を切られるような思いをしてまでも、内戦状態を停止させ武装解除を進めることは重要なのである。

内戦の原因は貧困だ、などという人がいるが、著者はその欺瞞を批判する。

そういえば、先に読んだジャン・ジグレールの本でも貧困、飢餓の大きな要因のひとつとして内戦を上げていた。

ここでは内戦は結果ではなく原因なのである。

■こういったキレイゴトだけでは前に進んでいかない泥臭い武装解除活動を行ってきた伊勢崎さんが、本書の結びで語っている。  
 

 現在の日本国憲法の前文と第九条は、

 一句一文たりとも変えてはならない。

  
日本人は憲法に守られた受益者として、その意味を深くかみ締める義務がある、と思う。                             

                           <2009.06.30 記>

■Amazon.co.jp■へのリンク

■ 武装解除 -紛争屋が見た世界
伊勢崎賢治 著 講談社現代新書 (2004/12/18)

     

日本国憲法 前文(後半部分、抜粋)

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(1946年11月3日公布)
  
   

    
■過去記事■

■【書評】ひつじの本棚 <バックナンバー>
 

*********************************************

■ Amazon.co.jp ■
■【書籍】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【書籍】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

■【DVD】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【DVD】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »