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2009年5月

2009年5月31日 (日)

■NHK金曜ドラマ『ツレがうつになりまして』。ゆるゆると眺めませう。

ドラマ化しそうだな、とは思っていたけどNHKだったか。

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■NHK金曜ドラマ ツレがうつになりまして 番組HPより

■藤原紀香は意外にしっくりきてたけど、原田泰造がぴったりだったなあ。

大河ドラマもうまかったし、濃い役柄を演じるいい役者さんになりそうだ。

お笑いの人に狂気系(欽ちゃん)とずれ系(二郎さん)があるとするなら、ずれ系は役者としても力が出せるんじゃないかな。原田泰造もその系統。

一方、狂気系のひとで’コント’にならずにドラマに馴染む例外は’たけし’くらいかな。馴染む、というのとは違う気もするが・・・。

■さて今回は全3話の第1話で、原田泰造がストレス地獄から’うつ’発症に至るまで。

序、破、急、の’序’というわけで、物語はまだまだ小手調べ。

原作の漫画も面白かったけれど、ドラマとして展開させるためにどうもっていくか、これからがとても楽しみだ。

■あ、あと忘れてはいけないのがイグアナのイグちゃん。

今回、出番は少なかったけど、イグちゃんを通して貂々さんはいろいろ気付きを得るわけで、次回からはドーンと(でっかくなって、笑)活躍してくれるに違いない。

まぁ、こっちもイグちゃんみたいに、あんまり力をいれずにゆるゆると眺めることにいたしましょう。

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                                                       <2009.05.31 記>

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■NHK金曜ドラマ ツレがうつになりまして 番組HPより


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■[原作] ツレがうつになりまして。 細川貂々 著 (幻冬舎文庫)    

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■STAFF■
原作 : 細川貂々「ツレがうつになりまして。」(幻冬舎刊)
脚本 : 森岡利行


  
■CAST■
藤原紀香 原田泰造  風吹ジュン 濱田マリ 小木茂光
設楽統(バナナマン) 駿河太郎 黒川芽以 田島令子 宮澤ミシェル

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■番組HP・ツレがうつになりまして
  

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2009年5月29日 (金)

■【映画評】『ブリキの太鼓』。あの小人たちは何処へいってしまったのか。

いやーな味の映画である。

それでいて観る者をつよく惹きつけて放さない。

’毒’とは、そういうものなのだろうか。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.27  『 ブリキの太鼓
           原題: Die Blechtrommel
          監督 フォルカー・シュレンドルフ 公開:1979年5月(ドイツ)
       出演: ダーフィト・ベンネント アンゲラ・ヴィンクラー 他

          Photo

■いろいろと解釈が出来そうな映画なのだけれど、安易に進めば泥沼にはまってしまいそうな予感を含んでいる。

理屈ではなくて、作品そのものが放つ’毒’をそのまま満喫する、というのが無難な観かたなのかもしれない。

■ストーリー■
1899年、ポーランド・ダンツィヒ。

郊外のカシュバイの荒野で4枚のスカートをはいて芋を焼いていたアンナは、その場に逃げてきた放火魔コリャイチェクをそのスカートの中にかくまい、それが因でアンナは女の子を生んだ。

1924年、アンナの娘・アグネスは成長し、ドイツ人のアルフレートと結婚するが、従兄のポーランド人ヤンと愛し合いオスカルを生む。

3歳の誕生日を迎えたオスカルは母アグネスからブリキの太鼓を買い与えられるが、その晩、大人たちの醜い世界を覗き見て嫌気がさし、階段から落ちることで自らの成長を止める。それとともに彼は太鼓を叩きながら奇声を発することで周囲のガラスを破壊する能力を得る。

ナチスの台頭が町を脅かす中、密会を重ねるアグネスは再びヤンの子どもを身ごもり、自殺。16歳を迎えるも幼い容姿のままのオスカルは、家にやってきた同じ年齢の使用人のマリアを愛するが、父アルフレートの後妻に納まってしまい息子を身ごもる。

失意のオスカルは、かつて友情を育んだ小人症のサーカス団長ペプラの一座と一緒にさすらいの旅に出るのだが・・・。

■[DVD] ブリキの太鼓 HDニューマスター版

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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■解釈をするな、

といわれても、どうしてもいろいろと考えてしまう。

見た直後には、どこかドライな関係を残した欧米の親子関係に感じる、違和感のようなものについてぼんやりと考えていた。

けれども、記事を書くにあたってもう一度じっくり咀嚼してみると、そんなことよりもずっと「際どい」ものがそこに横たわっているのではないかという気もして、改めてそういう視点から眺めてみようと思う。

■この映画から強く受け止めたイメージは、

・祖母のスカートの中に始まるエロティシズム

・オスカルが発する奇声と割れるガラス

・サーカス団のフリークスたちの異形

といったところだろうか。

そして、その背景にナチスの台頭と崩壊という時代のうねりがある。

■このナチス(と、それに続く旧ソ連?)の抑圧を抜きにして、この物語を語るのは憚られるような気がするのだが、ポーランド人でもドイツ人でもユダヤ人でもスラブ系少数民族のカシュバイ人でもない自分が、そこに流れる何かをつかめるとは到底おもえない。

けれども、放浪者の血、という文脈でなら、この日本においても何かが見えてくる可能性はある。

■’異者’の物語といってもいい。

母と叔父から放浪者である祖母の血を強く受け継いだオスカルは明らかに’異者’である。

彼はそれを否定すべく成長を拒絶するのだが、結局、’異者’である彼が落ち着く場所は小人症の男を団長とする旅のサーカス団以外にはない。

しかも皮肉なことに、戦時下においてそのサーカスは慰問団として、本来は’異者’を排除する立場のナチスの部隊をめぐることになる。

■連合軍の侵攻から逃れ、小人の麗人ロスヴィーダの死に打ちひしがれて故郷に帰るとことなったオスカルは、そこに自らの場所を見出せない。

そして血のつながらぬ父親を罠に嵌めて殺してしまうことで、群れのなかのオスとしての地位を得ようとする。

そこで、放浪のあいだに成長し、3歳を迎えた息子(だとオスカルが信じる)の投げた石で気絶し、アタマを打ったオスカルは再び身体的な成長を始める。

■このとき、オスカルの実年齢は20歳前後。

’大人’になるにはちょうどいい頃合いだ。

祖母アンナからカシュバイ人としての生き方を聞かされたオスカルは、後を息子のクルトに託して再び放浪の旅に出るのであった・・・。

■さて、われわれの世界に目を戻そう。

われわれにとっての’異者’とは何か、という問題である。

そこでふと思うのは、かつてテレビで良く目にした小人症の俳優さんたちのことだ。

最近、すっかり目にすることがなくなってしまったのは気のせいか?

■それだけでなく、ピグミーとかホッテントットとかの’異様な’民族の映像もテレビから消えて久しい。
 

世の中から’異者’が消されている。

 
そういう印象を抱いてしまうのである。

■故郷に戻ったオスカルは、結局、再び放浪の旅に出る。

それが’異者’の定めであるかのように。

テレビの画面から消えうせた小人症の役者やプロレスラーたちも、きっとどこかで元気に暮らしているに違いない。

ただ、「テレビ」という舞台が日常の色に染まりすぎて彼らの「存在感」の強さに耐えられなくなってしまったのである。

■世はダイバーシティ(多様性)だ、なんだというけれど、所詮は日常で受け入れることが難しい’異者’は清潔なテーブルクロスの向こうにしまわれたままだ。

けれど、
 

そこの議論を抜きにして先に進めてはならない、

 
なんて優等生的なことは考えるのは止した方がいいだろう。

なぜなら、ここでかくいう私自身が’差別’に関して余りにも無知であって、実際’清潔なテーブルクロス’のこちら側しか認識できなくなってしまっているからだ。

要は、そういう自分も同じ穴のムジナだということだ。

■この映画を見たときに覚える違和感は、あえて’毒’という表現をしたが、そのテーブルクロスの向こうに追いやったものに対する感覚なのかもしれない。

今、私が感じることができるのはここまで。

あとはただ、この映画が提示してくれた’毒’に軽い酔いを覚えてその’存在’にこころを向けるだけである。

そしてオスカルは今日も放浪の空の下。

行く先は見えない。
  

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                           <2008.05.29 記>

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Dvd
■[DVD] ブリキの太鼓 HDニューマスター版

    
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■[原作] ブリキの太鼓 第1部
ギュンター・グラス 著 (集英社文庫)
   

■STAFF■
監督 フォルカー・シュレンドルフ
製作 アナトール・ドーマン、フランツ・ザイツ
脚本 ジャン=クロード・カリエール
ギュンター・グラス
フォルカー・シュレンドルフ
フランツ・ザイツ
音楽 モーリス・ジャール
撮影 イゴール・ルター
編集 スザンネ・バロン



■CAST■
オスカル・マツェラート   : ダーフィト・ベンネント
アルフレート (父)    : マリオ・アドルフ
アグネス   (母)    : アンゲラ・ヴィンクラー
   *     *     *
ヤン     (アグネスの従兄弟): ダニエル・オルブリフスキ
マリア    (後妻)    : カタリーナ・タールバッハ

アンナ    (祖母)    : ティーナ・エンゲル、ベルタ・ドレーフス
ヨーゼフ   (祖父、放火魔) : ローラント・トイプナー
   *     *     * 
ベブラ    (サーカス団の団長)     : フリッツ・ハックル
ロスヴィーダ (サーカス団のヒロイン)  : マリエラ・オリヴェリ
マルクス (おもちゃ屋主人、ユダヤ人) : シャルル・アズナヴール

    
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2009年5月28日 (木)

■【書評】『進化しすぎた脳』、池谷 裕二 著。意識とは我々一人ひとりの目の前に拡がる最後のフロンティアなのだ。

これがもう深くて濃密で、脳とか意識について今まで抱えてきたいくつかのモヤモヤも整理されて、素晴らしく有意義な本なのである。

Photo_2 ■ 進化しすぎた脳
池谷 裕二 著 ブルーバックス (2007/1/19)

■著者の池谷さんは大脳生理学の若手研究者で、この講義録はアメリカ留学中に慶応義塾高校アメリカ高の生徒さん8人を相手にした脳科学4講を記録したものだ。

一方的な講義ではなくて、生徒さんとのやり取りを交えて行われているので実に分かりやすい。高校の物理、化学の知識を前提にしているが、細かいメカニズムの理解を除けばまさに万人向けの内容といえよう。

■構成は以下のとおり。

 ●第一章 : 人間は脳の力を使いこなせていない

 ●第二章 : 人間は脳の解釈から逃れられない

 ●第三章 : 人間はあいまいな記憶しかもてない

 ●第四章 : 人間は進化のプロセスを進化させる

そして、以上の初版本(2004年朝日出版)の内容に対してブルーバックス版(2007年)では大学の学生を対象にした講義録が追加されている。

 ●第五章 : 僕たちはなぜ脳科学を研究するのか

■本編(第一~第四章)で繰り返し語られるのはおおさっぱに以下の3点である。

 1)脳は身体の機能・構造によって支配され形づくられている。

 2)意識、抽象的思考は「言葉」によって支えられる脳の活動の副産物である。

 3)認知の方法が’あいまい’だからこそ脳は創造的な活動ができる。

■もうすこし具体的に見てみよう。

1)脳は身体の機能・構造によって支配され形づくられている。

脳は、体の各部分の感覚と対応する部分が決まっている(ペンフィールドの脳地図)。

例えば人差し指と中指がつながったまま生まれた人の脳の地図は4本指に対応しているのだが、手術で指を切り分けると、脳の中の地図自体が書き換えられて5本指に対応するように変化する。

つまり、体の状態・構造によって脳の構成自体が変化するということだ

■また、認知の仕組みも体の状態・構造によって支配されていて、光の三原色なんていうけれど、それは網膜で光を受け止める細胞の反応領域が赤、緑、青の三つの光の波長に対応するように出来ているからだ。

可視光が3つの色で作られているというのは厳密にはウソで、我々の受け取る方のセンサーが3種類ある、というただそれだけなのだ。

■それは何を言っているかというと、我々の’認知’は世界を絶対的に捉えるものではなく、あくまでも身体の構造によって制限され、定義されているものに過ぎない。

イルカにはイルカの体性感覚にしたがった、コウモリにはコウモリの体性感覚にしたがった世界の認知があって、そこに映し出される世界は我々と違ったものになってくる、ということだ。

『脳のなかの幽霊』 V.S.ラマチャンドラン 著 参照
 【記事】『無意識の脳、自己意識の脳』 「私」とは何か?に記載。

 

■では次、2点目。

2)意識、抽象的思考は「言葉」によって支えられる脳の活動の副産物である。

赤い色を「赤」と認知する、その認知自体をクオリアという。

「赤」というそのものだけではなくて、「赤」だ―と思ったその時に、脳―身体の中で湧き上がる’状態’、その状態に対する「認知」が「クオリア」なのである。

■他の動物も、もちろん、体性感覚をもっていてクオリアの材料はあるのだけれど、それを「赤」、と認知するためには「赤」に対応する「言葉」が必要になってくる。

逆に言えば、我々は咽頭を発達させて「言葉」を獲得したからこそ、「赤」という抽象概念を認識することが出来るようになったのだし、「愛」とか「罪」とか、もっともっと抽象的なクオリアを生み出すことが出来るようになったのだ。

■我々人間は、そのクオリアによって組み立てられた思考を持ち、動物的な本能を制御するようになった。

なんていうのが一般的な「意識」の役割りに対する見方だったりするのだけれども、実際は、面白いことに、行動の制御は「意識」に上る前に扁桃体によって実行されている。

■高いところに立って「怖い」という意識が上る前に、扁桃体が「あぶないから動くな!」という命令を身体全体に発令し、行動を決定したその後から情報が大脳皮質に送られ、遅れて「怖い」が生まれてくる。

「怖い」から動かないのではなくて、扁桃体から送られた「あぶないから動くな!」という指令を大脳皮質が「怖い」というクオリアとして認知するのである。

■つまり、「意識」は行動決定を常に支配しているように見えて、実際は決定された行動の副産物であり、ただそれをモニターしているだけ、という場合が往々にしてあるということだ。

しかも、生まれたてのひよこを高いところに置くとすくみ上がることから、どうやら後天的な学習以前に生まれつき遺伝的に埋め込まれた活動基準があるようだ、というのだから面白い。

【記事】『マインド・タイム』 身体は意識より0.5秒先行する!?参照

 
■さて、3点目。

3)認知の方法が’あいまい’だからこそ脳は創造的な活動ができる。

我々の「記憶」はあいまいで、学習したことを100%もらさず正確に記憶するということは出来なくて、スグに忘れてしまうし内容もあいまいになってしまいがちである。

だが逆に、認知・学習の機能があいまいだからこそ、応用がきき、想像力/創造力を発揮することが出来るのだ。

■もし我々の脳が「100%もらさず正確に」認知する脳であったなら、例えば「この人がAさんです」と写真を見せられて実際にAさんにあったとしても、写真そのままの見え方をしない限り、それをAさんと認知することが出来なくなってしまう。

「正確」さは「硬直」につながるのである。

(仕事のマネジメントについても同じことが言えそうで面白い、なんて脱線しかける脳のこの動きこそが創造の源なのかもしれない。)

■Aさんの写真と実際のAさんを結びつけるためには、その「特徴」を把握しなければならない。

そのタメには、ゆっくりと時間をかけて、なかなか覚えられないのだけれど、何度も繰り返しいろいろな角度から「Aさん」を知ることが重要で、そうしてようやく実際のAさんを「Aさんだ」と認知することができるような「特徴」が脳の中に構成される。

共通のルールを見つけ出して一般化する(凡化)のが、脳の認知の特性なのである。そのタメには時間がかかるということだ。

■例えば、教師が書いた板書をそのままノートに書き写してもそれだけではまったく自分のものならない、という感覚があるけれども、それもこういった脳の認知の方法からするとそれなりの納得がある。

また、字面を追う、なんていって文章の表面だけをなぞっても中身が全然アタマに入ってこない、なんていうのもそうだろう。

■外から入ってきた情報をそのままストックするのではなく、自分の中にあるクオリアを総動員してそれに関連付けし、抽象化し、新たなクオリアとして生成させる。

その為には、何度も何度も繰り返し、脳の中でそのクオリアの種を再生させて、関連するシナプスを強化していくことが必要、ということなのだろう。

 
■ここで高校生向けの講義は終了するのであるが、2004年の初版をブルーバックスとして再版するにあたって、2007年時点での脳科学の最新の研究内容を踏まえつつ、改めて脳の不思議について研究室の学生との対話をまとめたのが今回追加された第五章である。

 ●第五章 : 僕たちはなぜ脳科学を研究するのか

ここでいきなり驚くべきことが語られる。

脳の神経はは睡眠時にもフル活動しているというのだ。

深い眠り(ノンレム睡眠)のときにほぼすべてのニューロンが活動していて、むしろ起きているときに活動しているニューロンは6~37%に過ぎない。

■ひと眠りしてアタマを休める、なんていうけれど、そんな常識を根底からくつがえす事実である。

池谷さんの関心はこのあたりにあるようで、その外部とリンクしない活動を「脳の自発的活動」と呼び、そのなかで脳の機能構造が自発的に変化していくことを「脳の非エルゴード性」と定義して研究を進めているらしい。

(エルゴード性 : ある量の時間平均が集合平均と一致する という確率過程上の性質。)

■また、その興味は意思決定のメカニズムにも鋭く切り込んでいるようで、ヒル(蛭)の意思決定のメカニズムに迫る話が面白い。

シャーレの中のヒルは棒でつつかれたときに、泳いで逃げる、シャーレの底を這って逃げるの二通りに逃げ方をみせる。

そこでヒルの神経の活動を詳細に調べてみると、ニューロンの細胞膜の電位の状態は「ゆらぎ」をもっているのだけれども、あるニューロンの膜電位の状態が高いか低いかによって、その行動の選択が決定されていた。

■つまりその意思決定は何か論理的なもので決定されるのではなく、「膜電位のゆらぎ」というにあいまいなものに支配されていた、ということだ。
 

結局、意志なんて直感みたいなもので、それを突き詰めると「ゆらぎ」にたどり着く。

 
という池谷さんのものの見方が興味深い。

■視覚野のシナプスのうち網膜からの情報は全体の3%に過ぎず、97%は脳の内部情報なのだという。

「ものを見る」という認知において、外部から取り入れた情報の流れに対して、その32倍もの脳内だけでの情報処理(推論と決定)があるということだ。

視覚からのわずかな情報をもとに、それが「リンゴ」であると強制的に信じ込ませるシステム。

その強制力の強さゆえに脳の認知は安定的に機能するのである。

■「ゆらぎ」に依存して応用力を高め、その’いいかげんさ’に安定性を持たせるために既存のクオリアを総動員させて強制的に一つの認知へと安定的に導く。

それが人類が獲得した脳の認知のメカニズムだとするならば、それを知ることは自分自身の思考の在り方に新しい角度から光を当てることになる。

■こうだ、信じている何かも、実は脳によって強制的に信じ込まされている可能性があって、しかもその根拠をたどってみると実にいいかげんな’ゆらぎ’にたどり着いてしまう。

その姿は量子力学の世界にも似ていて、もしかすると、この宇宙を駆動している真理がそこに横たわっているのかもしれない。

そんな想像を膨らませること自体が「脳の特性」による「信じ込み」だ、ということか。

■人類は大脳皮質を大幅に成長させ、それが臨界点を超えて相転移を迎え質的な変貌を遂げ、本能的な行動欲求を超えた理性による制御ができるようになった。

それは人間の脳内の1000億個ニューロン(文字数で例えると新書本100万冊分)、さらに1個のニューロンに平均1万のシナプスがあるのだから、実に1000兆個のシナプスによって描かれるシステムである。

そこで描かれる「状態」は、シナプスの状態を簡素化して強い/弱いの二つの状態で考えてみても、脳全体でのシナプスの状態の組み合わせは2の1000兆乗。

これが時間ごとに変化していくのだからとても解析しようなんて思える代物ではない。

■脳は常に変化していて二度と同じ状態になることはない。

つまり「再現性」を持っていない。

これは科学として扱う上で致命的なことであり、今までの科学の捉え方では決して解決しないことを示唆している。

けれど、そこから生まれるのは決して絶望どではなくて、そこにあるのは、ちっぽけな自分の脳みその中にこの宇宙を遥かに凌ぐ広大なフロンティアが拡がっていることへのドキドキ感なのである。
 

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                            <2009.05.28 記>

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2009年5月27日 (水)

■価値観の焼け野原に立つ日本は、これからが面白いノダ。「爆笑問題のニッポンの教養」スペシャル:『ニッポン チャチャチャ』(3/24放送)。

DVDを整理していて録画したまま見ていなかった特番をみつけ、2ヶ月の遅ればせながらにして拝見させていただいた次第・・・。

で、今回のテーマは大上段に構えて「日本」とは何か。

Photo
■「爆笑問題のニッポンの教養」スペシャル:『ニッポン チャチャチャ』 2009.3.24放送
●川勝平太(比較経済史) ●姜尚中(政治学) ●近藤一博(ウィルス学)
●斎藤成也(人類学) ●田中克彦(社会言語学) ●山口仲美(日本語学)

■国土を豊かにおおう山林のおかげで日本は清涼な水に恵まれている。

そういう背景があって、「日本」は水のように何でも受け入れる、水に流す、その清らかさがあって、もののあわれを知る微妙な心が生まれるわけで、黄河を眺めていてもそれは生まれない。

という、とても魅力的な論が上がった。

■確かにそうだし、誇らしい部分である。

それが江戸の文化に集約されるというイメージも分かりやすい。

けれどもその一方で、清浄な水で穢れを祓って、じゃあその穢れはどうなるのか。どこへいってしまうのか。

なんだかとても危険な議論に思えてきた。

■そういや、
 

桜の木の下には死体が埋まっている

  
なんて言ったのは坂口安吾だったか、

儚げで清らかに感じるものの裏にはぞっとするような’もの’が横たわっている・・・、

なんてことを考えていると田中先生が、

  
そんなもんじゃ’戦争’には勝てない!
 

とやってくれた、まさにそれ、リアリティの話。

■そうなんだよね。

確かにそこに日本独特の’美’はあるにせよ、それでお腹は膨らまないし、戦争にも勝てない。

多感な軍国少年時代に、’敗戦’による価値観の180度転換を実体験した田中先生の言葉だけに、本物のリアリティがある。

■’戦争’とはいっても、今の日本に課せられているのは、グローバリゼーションとの対峙である。

敗戦後、奇跡的な成長を遂げて、アメリカと再び肩を並べるに至った経済大国日本。

けれども20世紀末頃から、アメリカが牽引するグローバリゼーションという’ゲームのルール’に乗らざるを得ない状況となり、その結果がいまの日本を覆い尽くす不安の根源なのだ。

■田中先生がもうひとつ面白い話をした。
  

安倍、福田、と総理がかくも簡単に辞職する姿をみて、これは今までの日本ではアリエナイすごいことだ。

総理大臣でさえ’国家’よりも個人の論理を優先する姿をみて、アメリカ流の民主主義もここまで浸透してきたか、と感慨深い。

だから今はとっても面白い時期ナノダ。

 
というのだ。

■姜(カン)さんが補足する。

 
今は「焼け跡」なのだという認識に立つこと。
  

これは実にショッキングな発言だ。

つまりは、いま日本が直面しているのは、’敗戦’で強いられた価値観の大転換、それに等しいものだ、というのである。

 
個人、個人が自由に、経済的な豊かさを求めること。

それが幸福につながるのだ。
 

その価値観こそがアメリカをお手本として敗戦後の日本の急成長を支えたものであって、9.11同時多発テロを境にしてほころび始め、今回の大恐慌に於いて抜本的な見直しを迫られている価値観なのである。

■そんなことは分かっている、

そういうつもりであったのだけれども、敗戦の’焼け野原’をそこに重ねたとき、それが意味する深刻さが身震いするほどのリアリティをもって立ち上がってくる。

と、そのあたりで録画をミスったのかDVDが止まってしまった。

ああ、ここからが肝心なのに、と思う一方、’第二の敗戦’というイメージを獲得できただけで十分に満足できるだろう、とも思う。

■そこを出発点としたときに初めて、川勝先生や山口先生のいう’日本特有の美意識’は単なる趣味的論議から離脱し、日本のこれからのカタチを考える上での実体を伴った意味が生まれてくるのだと思う。

それが、姜さんのいう、「剥く」という行為そのものに意味を見出すタマネギ論であり、すべての歴史は現代史である。ということの意味なのだろう。

■何が正しい、とか、そういうことではないし、明快な答えが出てくるハナシでも無いだろう。

けれども、今、ニッポンは新しい時代のとば口に立っているのだという認識を実感できたのが何よりも収穫なのであった。

     

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2009年5月25日 (月)

■草食男子はスターチャイルドの夢を見るか? 『爆笑問題のニッポンの教養』 進化生物学、長谷川眞理子。

今回のテーマは、進化生物学。

File071
■ 爆問学問 『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE071:「ヒトと殺しと男と女」 2009.5.19放送
総合研究大学院大学先導科学研究科教授 長谷川眞理子。

■何が興味深かったかって、やっぱり殺人統計の話。

殺人を犯すのは圧倒的に男で、それも20代前半に突出している。しかも、世界のどこでもそれが変わらない、という話だ。

■この事実(?)からはいろんなことを考えることが出来て、例えば、世界中の’ヒト’に見られる傾向であるならば、それが遺伝子的に決定されていることだと仮説を立てることも可能だし、そうすると、生きものとしての’ヒト’のオスが繁殖期の絶頂において競争相手を’殺す’という意味付けも浮かび上がってくる。

20代前半の男性が起こした殺人の理由を調べてみると、これまた圧倒的に面子にかかわる話だったりして、その点でも先の仮説を補強するもののようにも思えてくる。

■太田は、

女は花が好きだ、

という。

それは大体において当てはまるようである。

■何故?といわれても説明はつかないだろう。

ただ、

キレイだから、カワイイから。

ということなのだろうし、男のクセに野草に惹かれる私自身、そこに理屈を見出すことは出来ない。

このあたりに、実は、今回の話の本質が隠れているような気がする。

■女は花が好きだ、

女は情緒的である。

と言い換えてみると分かりやすいかもしれない。

逆に言えば、男は論理的な考え方をする、ということだ。

■これは、一般的な見方として世間に定着している捉え方といっていいだろう。

チョッと待て!

という鋭い反論が出てくる前に先手を打つと、男が論理的思考を重んじるのは’理解力の無さ’を補完するためなのじゃないか、ということを言いたいのである。

要するに’男’はバカだ、ということで、

逆に女からすると

’こんなことも分からないの?鈍感ね!’

となるのである。

■男は’何となく分かってしまう’という能力で女性に対して劣っていて、だから理屈を考える。

それはソクラテスの昔からそうであって、どうして?、と問いを立てることを生業とする哲学者は圧倒的に男が多いのである。

女は、’分かってしまう’から、そんな問いを立てる必要が無いということだ。

論理を土台にした現在の科学技術社会は、ある意味、男が理解力を得るためにした努力の副産物だ、という皮肉な話なのかもしれない。
  

■かなり寄り道をしてしまった。

殺人の話に戻ることにしよう。

  
「殺してはいけない」、

ということは、理屈抜きに女には分かる。

男は「何でだろうね?」とそこに理由を求めてしまう。

けれども、先の仮説によるならば、オトコがヒトを殺してしまうのは意識の下の深いところに埋め込まれたものからくるものであって、誤解を恐れずに言えば、理屈で制御できるものではない。

■つい、カッとなってしまって。

というのに、どうしても許せない’理由’をつけるのはその後の話で、’カッとなるその’瞬間にはそもそも理性など無いのだ。

そこにあるのは、「殺せ!」と命令する若いケモノの本能と、「殺してはいけない。」と問答無用に本能を抑え付けてくる’何か’。

その’何か’こそが、女が’知っている’ものであって、法律や道徳といった集団のルールの根元の奥のその底に横たわっている’何か’なのだ。

■そこで草食男子、である。

実は、コロシは20代前半の男性において突出しているという先の原則が唯一当てはまらない特異点があって、それが現代の日本なのだという。

日本人青年はむやみにヒトを殺さなくなってしまったのである。

■それをどう読むかといったときに、長谷川先生は、「一生懸命」の話をする。

動物が如何に生きているかを学んでいるときに学生が言うのだそうだ。

 
 なんで、そんなに一生懸命なんでしょうね。
 

長谷川先生は唖然としながらも、自然界では一生懸命でなきゃ’存在’できないこと、我々人間のように一生懸命でなくても’存在’し続けることが出来る方が例外的であること、そしてその人が一生懸命でない分、どこかでそれを支えている人がいるのだ、ということを伝えるのだという。

うーむ、いい話。

でも、その延長線上に草食男子を捉えるのはどうだろう。

■戦後日本の驚異的な経済成長と、一億総中流という幻想、どこの共産主義国よりも平等な’ムラ’社会。

この幸福な状況は、一方で日本の青少年のオスとしての本能をダメにしてしまい、その結果、殺人の件数も他の世代と変わらないくらいに減少してしまったのではないか。という説である。

こういう視点で格差社会、不安な社会となってしまった今の日本の状況を考えると、また青年の殺人件数が増えてくるのではないか、という予測が立つ。

■そうなのかもしれない。

多分、きっとそうなんだろう。

でも、それじゃあ面白くない。草食男子を戦後日本の特異な状況が生んだアダ花だなどと思いたくは無いのだ。

■そうではなくて、人類の新しい進化のカタチだ、というのはどうだろうか。

見た目の変化は無いけれど、オスでありながら女が’知っている’ものを’知っている’。

女のように’分かってしまう’。

それ故に、彼を突き動かそうとする本能に対して、それをしっかりと抑えつける’何か’がシッカリと機能する。

■今までは、あれに興味が無い=子孫を残せない、ということで、当然のことながらそういう「品種」は淘汰されてきた。

が、現代では性交に拠らずとも子供が作れるし、それ以前に子作りという目的意識をもってコトに及ぶというのもありだろう。

次世代の人類が静かにゆっくりと増加していく様子や彼らが作り出すであろう社会を空想すると、それなりに楽しめる。
   

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                       <2009.05.25 記>

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2009年5月24日 (日)

■野草の見分けは難しい。

野草を眺め始めて2シーズン目なのだけれども、まだまだ名前の分からない草ばかりだし、似通った種の区別もつかない。

まだまだ修行、修行なのである。

2009052002
■アカバナユウゲショウ(赤花夕化粧) アカバナ科ツキミソウ属 

花期:5~10月 花径:約1.5cm

濃いピンクの花がとてもよく目立つ。

ここのところよく目にするのだけれども、そういう時に限ってカメラを持っていなくて、やっと撮影できた一枚。

夕化粧というくらいだから夕方に咲く花と思いきや、お昼には咲いていて3時くらいにはほとんどの花が萎んでいた。

目にしたときに撮らないと、後で、というのが通用しないのが野草撮影の面白さである。
   

2009052003
■イヌガラシ(犬芥子) アブラナ科イヌガラシ属

花期:5~10月 花径:5mm程度 

ミチタネツケバナだろうと思い込んでいたのだけれども、ふと見たら花が黄色で、おや、と思って調べてみた。

イヌガラシというのだそうだ。

カラシって、あの辛子なのだろうか。

そういや辛子ってどう作るか知らなかったけど、コイツの仲間の実から作るのか?
  

2009052002_2
■コヒルガオ(小昼顔) ヒルガオ科ヒルガオ属

花期:5~8月 花径:3~4cm

ここ数日で一気に目立つようになった。

本家ヒルガオとの区別が難しいが、花の色が淡く、小ぶりで、花の根元を包む2枚の葉の間にガクが見えるのが特徴、なのだそうだ。

私はてっきりこれが本家のヒルガオなんだと思ってました。
  

2009052001

2009052003_2
■トキワハゼ(常盤はぜ) ゴマノハグサ科サギゴケ属

花期:4~11月 花径:6mm程度

上の写真が良く見るトキワハゼなのだけれども、その近くに下の写真の花を見つけてドキドキした。

ムラサキサギゴケか?

見たことがないのでトキワハゼとムラサキサギゴケの区別が付かないのである。

後で調べたら、ムラサキサギゴケの花の幅は1~1.5cmもあって大きさからしてムラサキサギゴケじゃなかった・・・。

うーむ、早く出会いたい。
  

2009052001_2

2009052001_4
■ニワゼキショウ(庭石菖) アヤメ科ニワゼキショウ属

花期:5~6月 花径:1~1.5cm

上の写真の鼻は、この間見たニワゼキショウと雰囲気が違うのでオオニワゼキショウか?と思ったが、調べたらこれが’白花’種なのであった。

サイトには区別点がいろいろ書いてあるのだけれど、やっぱりオオニワゼキショウの本物を目にしてないとなかなか区別がつかないものである。

ほんと、野草の区別は難しい。

                     <2009.05.24 記>

  
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2009年5月23日 (土)

■【映画評】『容疑者Xの献身』。’生きる’ことは私には余りにも眩し過ぎて。

これは、「ガリレオ」ではない。

主演・堤真一渾身の、孤独な魂のドラマなのである。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.26  『容疑者Xの献身
           監督 : 西谷弘、原作 : 東野圭吾、脚本 : 福田靖  公開:2008年10月
       出演: 堤真一、 福山雅治、 松雪泰子、他

     Photo

■初っ端、本編とまったく関係の無いエピソードでガリレオの活躍が描かれるのだけれども、それ以降、例の数式書きなぐりの儀式もなくて、見せ場の再現実験も行わない。

かといって、つまらん映画かといったら全く逆で、孤独な天才数学者・石神という役柄にこれ以上ないっていうくらい堤真一がはまっていて、抑制された演技の奥に灯る純粋なこころの叫びに震えるのだ。

■編集がいい。というのも強く感じた。

場面場面のテンポが抜群にいいのだ。

死体が発見されて警察が調査を始める現場のシーンのようなアップテンポも小気味いいのだけれども、映画の冒頭で描かれる石神の朝の毎日のような淡々としたシーンにその上手さが光る。

■目覚ましが鳴り、アパートの薄い壁を通して隣の母娘の楽しげな朝のやり取りが聞こえてくる。ベッドでまどろみながら、それを愛おしむように味わう石神がヨシ、と起き上がる。

アパートを出て、いつものように川沿いの道を歩き、橋を渡り、いつもの時間にいつもの店でいつもの日替わり弁当を買う。

その弁当屋は隣りの部屋の母親(松雪泰子)の店で、その明るい笑顔を目当てに石神が毎日通っているのだな、と分かる。

■当たり前の、すべてが決まりきった朝の風景。

ラストまで見終わったあとに改めてこのシーンを見ると、この、何てことのない淡々とした一連のシーンが観る者のこころを揺さぶり、何かがぐっと込みあげてくるのだ。

派手さは無い。

けれども、それだからこそ沁みるものがある。

それを支えたのが絶妙の編集によるテンポの良さなのだ。

■ストーリー■
惨殺死体が発見され、内海(柴咲コウ)は本庁の先輩刑事・草薙(北村一輝)と事件の捜査に乗り出す。捜査を進めていくうちに、被害者の元妻・靖子(松雪泰子)の隣人である石神(堤真一)が、ガリレオこと物理学者・湯川(福山雅治)の大学時代の友人であることが判明。内海から事件の相談を受けた湯川は、石神が事件の裏にいるのではないかと推理するが……。(シネマトゥデイ、一部編集)

Photo_2  [DVD] 容疑者Xの献身 スタンダード・エディション

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■完全に騙された。

鋭利な知能で愛する松雪さんを殺人の嫌疑から守ってやる。そのことによって堤真一は彼女を自分の支配下に置くカタチとなる。

そこに現れるダンカン扮する気のいいオジサン。

ホステス時代から入れ込んでいたようなのだが、どうやら本気になってしまったようである。

■それを無下に出来ない松雪は、影からひっそりとその様子を窺う堤真一の存在が次第に恐ろしくなってくる。
  

「あの男から逃れたって、今度はそれが石神さんに変わっただけじゃないの!!」

 
松雪さんじゃなくたって追い詰められてしまう真に迫った堤真一のストーカー振りは、こりゃ’素’なんじゃないかと思うくらいなのだ。

■でも、結局それも天才・石神の計画の内だったんだよな。

始めっから自分が罪を被るつもりで、その自分に対して同情させない為には、あいつはストーカーであると思わさざるを得なかった。

■それでも松雪さんへの手紙に心情を吐露してしまう堤真一。

その詰めの甘さが、ラストシーンの松雪さんの行動につながってしまうのだけれども、その詰めの甘さ、天才数学者の完璧な計画にほころびをもたらしたものこそが、松雪さん親子の’生活’、ただ生きていることの素晴らしさ、によって彼の中に始めて生まれた’人間らしさ’なのである。
  

■どうして・・・?どうしてぇぇ!!
 

私も償いたい、と現れた松雪さんを前に泣き崩れる堤真一。

自分以外のすべての人間を騙しつくして計画を推し進めるならば、まったく余計な動きである。論理的ではない。(福山雅治っぽく。)

松雪がどんな証言をしようと今や証拠は何も無く、いや例え後になって’夫’の死体が海から上がったとしても、この時点では確率論的に白を切り通すのが筋である。

が、ただ居てくれる、その明るい生活を感じさせてくれるだけでいい。それでもこの自分には眩し過ぎるくらいだというのに、彼女は我が身を投げ出してこんな自分を助けようとしてくれている。

それに耐え切れなかったのである。
   

■ここまで切ない想いを掻き立てられたのは久しぶりだ。

それも、それ泣け、やれ泣け、という仕掛けにのるではなくて、うっかりすると聞き漏らしてしまいそうなボソボソとした声で語られるそういうトーンの中で盛り上がってくるものなだけに、その湧き上がる切なさに磨きがかかるのである。

■いやー、正直ここまで期待していなかった。

とくに堤真一には完敗だ。

アクの強すぎるイロモノだと思っていたのだけれど、実はいい役者さんだったんだねー。いや、降参、降参。
   

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                           <2008.05.23 記>

Photo_3 [DVD] 容疑者Xの献身 スペシャル・エディション

Photo_4 [原作] 容疑者Xの献身 (文春文庫)

    
■STAFF■

監督 - 西谷弘   
原作 - 東野圭吾 「容疑者Xの献身」
脚本 - 福田靖
音楽 - 福山雅治、菅野祐悟
撮影 - 山本英夫
照明 - 小野晃
美術 - 部谷京子
編集 - 山本正明
製作 - 亀山千広
企画 - 大多亮
制作- シネバザール
配給 - 東宝
 


■CAST■
湯川学 - 福山雅治
内海薫 - 柴咲コウ
草薙俊平 - 北村一輝
栗林宏美 - 渡辺いっけい
弓削志郎 - 品川祐
城ノ内桜子 - 真矢みき
工藤邦明 - ダンカン
富樫慎二 - 長塚圭史
花岡美里 - 金澤美穂 
葛城修二郎 - 益岡徹
柿本純一 - 林泰文
  *  *  *
花岡靖子 - 松雪泰子
石神哲哉 - 堤真一

    
■関連記事■
■スペシャルドラマ 『ガリレオΦ』。これが本来のガリレオか!
 

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2009年5月21日 (木)

■3代目新型プリウス発売開始。’孤高’から’フツウ’への転換を象徴する215/45R17タイヤ。

満を持して3代目プリウスの登場である。

09
09_2

■ぱっと見て、プリウスと分かるたたずまい。それでいてまったく古さを感じさせない。

小憎らしいほどにブランドが確立しているからこその芸当であろう。

■ハイブリッドメカニズムの思想としては前型のTHSⅡから大きな変化は無いが、ユニットの小型化が図られて技術がそこに留まっていないことを静かに主張している。

メカニズム全体でいえば、太陽電池による夏場の室内温度上昇防止機構なんてキャッチーなところに目が行ってしまうのだけれども、やはりなにより出力の向上だ。

■エンジン排気量が1.5Lから1.8LにグレードUPして、最大トルクは110N・mから142N・mと3割ちかく向上、モーターの頑張り代に余裕を持たせている。

一見、それじゃ燃費が悪かろうという風に見えるけれども、重要なのはバランスなのだ。

電池の能力(出力・容量)に限界がある限り、モーターの出番が多いということは結局は充電しなければならない、つまりエンジンを回さねばならなくなるということで、ハイブリッド車は生まれながらにしてそういう矛盾を抱えているのである。もちろん、もの凄く高いレベルでの矛盾なのだが。

その結果として、モード燃費を前型の35.5km/lから実に7%も押し上げて(これは驚異的!)、38.0km/lにまで向上させることが出来たということだ。

■車両寸法では全長の+15mmが効いていそうだ。

ホイールベースは2700mmで変わらないから乗員配置は変わらない。(たぶん・・・)

Cd値は、後席に乗る人の頭の上のスペースを取りたい車両設計と、後方に向けてルーフを下げて行きたい空力設計のせめぎ合いなのだが、全長が伸びればその分’せめぎ合い代’が楽になって、結果、前型で気になった後席のアタマまわりのスペースを確保できたということだろう。

■その一方で全幅が20mmも拡がってる。

これは何かというとタイヤサイズのUPである。

今回の新型プリウスにおけるトヨタの意志が強く現れている、そこが重要なポイントなのじゃないかと思えるのだ。

■前型も2種類のタイヤを履いていて、標準タイヤが185/65R15、上級が195/55R16と1インチUP。

10・15モード燃費は、それぞれ35.5km/lと33.0km/l。

中途半端っちゃー、中途半端だけれども、うーんゴメンナサイ、16インチ履きたかったんデス、という可愛らしさがある。

■ところが今回の上級グレードは215/45R17!

扁平率45だってよ。転がり抵抗が無茶苦茶高そうじゃん!

燃費は、標準仕様(前型と同じ185/65R15)の38.5km/lに対して35.5km/lと前型の標準仕様と同じ。

きっとタイヤ屋さんを中心にして、汗をだらだらかきながら必死に頑張ったんだろう。お察しします。

■もともとプリウスって、儲からないけど歯を食いしばって新しいクルマを世に問うていくのだ!という強い’使命感’を感じるクルマであって、それが共感を呼び、Mクラスで一番台数が売れるクルマにまでなったのだ(※)。

そこに17インチタイヤを履かせて燃費を落とそうなんてのは今までの思想からすれば愚の骨頂。ではないだろうか。

※2009年3月登録実績 :プリウス6,000台、プレミオ3,500台、アリオン2,600台、シルフィ1,400台、インサイト4,100台。

■いや、今回のトヨタのその態度を批判しているのではない。

むしろ、感慨深いのである。

要は、フツウのプロジェクトのように、造形だとか営業だとかの声をいれて仕様を決めていく。

孤高の存在であったプリウスも’一般化’する時期にきたのだという感慨である。

■それでもインサイトの燃費30.0km/l(175/65R15)に対して+5.5km/lの余裕があるのだから、相変わらず敵はいない。

そういう意味では、未だ孤高の存在であるのだけれども、今回のプラットフォームはLクラスのものを使っているようで、トヨタの中で次々とハイブリッド軍団が出てきそうな予感がする(Mクラスではやっぱり商売は難しいということだろう)。

 
5年後くらいにはハイブリッド車が当たり前になっている、

 
きっと、そういうトヨタのヴィジョンがあって、今回の17インチがその象徴に思えてならないのである。

                             <2009.05.21 記>

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2009年5月19日 (火)

■朝の畝(うね)。

金色の朝に

雲が畝を並べていた。

2009051905

                            <2009.05.19 記>

 
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2009年5月18日 (月)

■新型インフルエンザ拡大。対応策がキツ過ぎるというけれど。

■関西でインフルエンザが拡大し始めた。

発生地と異なる地域で継続的に感染が拡がる、という要件からすればWHOがフェイズ6、パンデミック(世界的大流行)を宣言するのは時間の問題だろう。

■と、いっても今回の新型インフルエンザはバタバタと死者を出す【強毒性】ではなくて、幸いなことに致死率1%以下と普通のインフルエンザと変わらない【弱毒性】だ。

だから、「強毒性鳥インフルエンザを想定した行動計画」を適用するのはやり過ぎじゃないの?

という論がある。

■学校閉鎖、福祉サービスの休止、人が数多く集まるイベントの中止要請なんて聞くと、確かにやり過ぎの印象は拭えない。

けれど、それはミソとクソを取り違えた議論なのじゃなかろうか。

私は専門家でも何でもないのだが、頭の体操として、進行している事態をすこし整理してみようとおもう。

■「新型」が新型である所以は、人間がまだその免疫をもっていないということにある。

つまり感染したら発症する(体内でウイルスが大量に増幅する)確率が極めて高いということだ。

’不思議なのは、その感染の拡大の早さである’

なんてニュース番組でいっていたりするが、それが「新型」なのであって、不思議でもなんでもない。

■けど弱毒性なんでしょ?

というけれど、強かろうが、弱かろうが、感染力にその違いがないとするならば「感染拡大」を阻止する方法にその違いは無く、やはり強毒性鳥インフルエンザを想定した行動計画に拠らざるを得ない、というのが今の状況なのだろう。

■規制を緩めるということは爆発的感染を許す、ということであって、そこはデジタルに考えた方がいいのだと思う。

やっかいなのは感染から発症までの潜伏期間が1~7日であり、しかも他人への感染力を獲得するのは発症の1日前からだ、ということ。

発熱もセキもなく普通にしている人が実は発症直前の感染者で、既に大量の新型インフルエンザのウィルスを撒き散らしているかもしれないのである。

■週があけて、感染者が高校生以外にも拡がっていることが明らかになってきて、11時過ぎの時点で国内の感染者が130人を超えたと報道されている。

これからもっと増えるだろうし、神戸と同じことが東京で起きていても何の不思議もない。

■最も恐ろしいのは、その拡大の中でウィルスが突然変異を起こして【強毒性】を獲得することだ。

何しろ、強毒性と弱毒性の遺伝子的違いはDNAの塩基配列のたった一箇所の違いにあるという話があって、それが本当ならもうビクビクものなワケである。

■その突然変異を阻止する意味でも感染拡大は最大限の努力で防がねばならない。

弱毒性どうの、では無いのだ。

スペインでは感染者の周囲の人たちに対して、感染の有無を問わずタミフルの予防投与をして感染拡大に成功したようである。

その為にはスピードが要求される。

ちんたら下らない議論をしている時間は無いのだ。

                        <2009.05.18 記>

■関連記事■

■【書評】『H5N1型ウイルス襲来』新型インフルエンザから家族を守れ!岡田 晴恵。今できることは何か。<2008.01.31記事>

■Nスペ、最強ウイルス・ドラマ『感染爆発~パンデミック・フルー』。新型インフルエンザの前に成す術無く崩れ去る対策シナリオ。<2008.01.14 記事>

    
   
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■H5N1型ウイルス襲来―新型インフルエンザから家族を守れ!
■国立感染症研究所研究員 岡田晴恵■
   

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2009年5月17日 (日)

■晩春。

春ってのを越えてのいい陽気。

晩春っていうと少し寂しげに感じてしまってもっといい呼び方がありそうなものなのだが。

20090513
■ジシバリ(地縛り) キク科ニガナ属 

花径:2cm程度 花期:4~7月

さっぱりした小ぶりのタンポポのような可憐な花。

葉っぱが小さなスプーン状でタンポポとは明らかに違う。

しかし、地縛りって地縛霊みたいで穏かじゃない。

茎が地面に拡がって’縛っている’みたいだから地縛りっていうらしい。
  

2009051302
■ミヤコグザ(都草) マメ科ミヤコグザ属

花径:1~1.5cm 花期:5~6月

別名のエボシグサ(烏帽子草)っていうのはカタチからだろうから分かりやすい。ミヤコグサっていうのは京都で咲いていたことからという説があるようだ。

外来種とはいわれていないが中国から当時の都に渡ったのでは、なんていう想像がひろがる。
   

2009051301
■コバンソウ(小判草) イネ科コバンソウ属

花径:1~2cm 花期:5~7月 

その名の通り集合花が小判みたいなカタチをしているから小判草。

’実’に見えるけど花なんですね。
 

2009051304_2 
■メウラナミジャノメ

と、見かけない蝶が飛んできた。

ネットで調べたらジャノメ蝶の仲間というところまではすぐ分かったのだけれども、どのジャノメチョウかというのはよく分からない。

羽の斑点からメウラナミジャノメじゃないかとおもう。
   

20090513_2
■ウラジロチチコグサ(裏白父子草) キク科ハハコグサ属 

花期:4~7月 花径:2mm程度

どうもチチコグサの仲間は見分けが付かない。

けれど葉っぱに光沢があるのが特徴のウラジロチチコグサではないかと思う。葉っぱの裏が白いかどうかまでは確認しなかったのだが。
  

20090513_3
■トキワツユクサ(常盤露草) ツユクサ科ムラサキツユクサ属

花期:5~7月 花径:1.5cm程度

白いツユクサってのもあるんですね。
    

20090515_2
■ドクダミ(毒ダミ)

花期:5~7月 花径:2cm程度(総ほう片)

葉っぱが特徴的なので早春の芽生えから目だっていたのだけれども、やっと花が咲き始めた。

白い花びらに見えるのは実は花ではなく総ほう片という小さな葉っぱで、真ん中の緑の部分が花の集まりなのだそうだ。

その名の雰囲気のとおり薬草で、解毒・鎮痛作用があるらしい。
   

Img_1221
■今回の不明さん。

小ぶりのバラのツボミのようだ。

野草のサイトでみても名前が分からない。

園芸種の雰囲気があるから、どこかの花壇からタネが飛んできたのだろうか。

                       <2009.05.16 記>

  
■■■ 花の写真 ■■■  
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2009年5月15日 (金)

■細やかで、勢いがあって。

空が細やかに騒がしい。 

   
高度5千から1万3千メートルに現れる

巻雲(けんうん)という雲なのだそうだ。

20090515

                           <2009.05.15 記>

 
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2009年5月13日 (水)

■クサイチゴの実の淡い甘さは後を引くのだ。

近所の土手に生えていたクサイチゴが実をつけた。

20090513

食べられると聞いていたので思い切って口に含んでみた。

はじめは、あんまり味を感じなくて、

ほんのり甘い感じだったのだけれども

しばらく経っても口の中に淡い甘さが残っている。

結構、乙なものでござんすね。

                           <2009.05.13 記>

追記: くれぐれもヘビイチゴの実と間違えないようにしてください。

    毒じゃないけど、マズイらしいんで。

    見分け方は素人なんで書けません。

    ネットで調べて、あとは度胸で試してください(笑)。
    

  
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■【映画評】『ブロークバック・マウンテン』、アン・リー監督。ダンナの「釣り旅行」には注意せよ!

正直、ホモセクシャルの人の気持ちは分からないのだけれども、

うーん、この映画のラストについ、やられてしまったのである。

これを見たのはちょうど一年前。

消化するのにずいぶんと時間がかかってしまった。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.25  『ブロークバック・マウンテン
           原題: Brokeback Mountain
          監督: アン・リー アメリカ公開:2005年12月
       出演: ヒース・レジャー ジェイク・ギレンホール 他

    Photo_2

■美しいんだよね、大自然が。

壮大な山々、みどりに広がる牧草地とそこを流れる羊たち。

それに対比して、人生のなんと’汚れつちまつた’苦しいものか。

■ストーリー■
美しいワイオミング州の山々。ふたりのカウボーイが羊を放牧している。ワイルドで牧歌的な風景に奏でられるのは、彼らの愛の物語。男同士の関係を描きながら、これほどまでに万人を感動させる映画は、過去になかったかもしれない。

イニスとジャックは、ブロークバック・マウンテンで燃え上がった愛を、その後、失うことはなかった。ともに妻を迎え、子どもを授かっても…。

物語は1963年に始まり、舞台は保守的な中西部なので、当然、厳しい現実が待っている。そして、妻たちの悲しみもある。アン・リー監督は、それらすべてを過不足なく描き、主人公ふたりの愛を際立たせていく。

(Amzaon 紹介文より抜粋)

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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■同性愛を否定はしないが、生理的に受け付けない。

ジャックは元々なんだろうけどイニスは何でそこで目覚めちゃうのさ。

何しやがるんだ、コンチクショウメ!

と殴りかかるでしょう、ふつう。

けど、イニスはジャックを受け入れるばかりか、いつしか彼がいなくては生きていけない自分になってしまっているのに気付くのである。

■ジャックとイニスは、お互いそれぞれの生活を持ち、妻もいて、それでも延々と想いを募らせる。

20年。

そこまで恋焦がれるのならば、もう、男同士だとかなんだとかどうでも良くなってしまう。

むしろ、伝統的な価値観が骨の髄まで沁みこんだ中西部の暴力的なまでの排他主義(「ボウリング・フォー・コロンバイン」を思い出そう!)がふたりの間に影を落とすことによって、その’許されざる愛’はどうしようもなく純化されるのだ。

■その許されざるが故の純度の高さが不幸を生み、イニスの妻を絶望へと落とし込める。

・・・だって端っから勝ち目が無いじゃないか、

そんなイニスの奥さんがあまりにも可哀想なのである。

■結局、奥さんはイニスと別れることになる。

そりゃ、そうだよな。

心底やさしさにあふれた奥さんにしても、アメリカの古い価値観にどっぷり浸かって生きてきたのだもん。

問題は娘の立場である。

お父さんっ子なんだよな、この子が。

だから凄く切なくなってしまう。

■ジャックが死に、たぶん「それ」が原因で’排除された’のだと匂わされるのだけれど、イニスも、ジャックの両親も口には出さずとも、それを了解している。

ジャックの両親から彼がイニスと牧場を経営するのを夢見ていたことを聞かされ、彼のクローゼットに、あの夏に殴りあった血痕の跡の残るシャツが大切に残されているのを目にしたとき、大きなおおきな穴がイニスの心の底にドンと開く。

■ジャックはずっと純粋にイニスを見つめて生きてきたのだ。

イニスが愛する妻と娘と別れなければならなかったことを悔やみ、幼少期に刷り込まれた’許されざる行為’に対する罰の恐ろしさのトラウマに襲われて、ジャックへの抑え切れない想いを疎ましく思ってしまった自分自身。

ジャックの純粋さに気付いた、その瞬間に、イニスのなかのわだかまりがすーっと消えていく。

いろいろあったけれども、俺には、俺を大切に思ってくれている娘もいる。決して不幸なんかじゃない。

もう隠れることはない。

そして娘の結婚式に出る決意をするイニス。

クローゼットを開けれあば、その扉にはあの頃に着ていたふたりのシャツが重ねてかけてある。
   

ジャック、これからはずっと一緒だよ。

   

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                           <2009.05.13 記>
   

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Photo    

■STAFF■
監督  : アン・リー
脚本  : ラリー・マクマートリー
      ダイアナ・オサナ
音楽  : グスターボ・サンタオラヤ
撮影  : ロドリゴ・プリエト
編集  : ジェラルディン・ペローニ
      ディラン・ティチェナー



■CAST■
イニス・デル・マー    : ヒース・レジャー
ジャック・ツイスト    : ジェイク・ギレンホール
     
(お、飯田橋かっ!・・・って、それはギンレイホールでしょ(苦;))
ラリーン・ニューサム(ジャックの妻)  : アン・ハサウェイ
アルマ・ビアーズ(イニスの妻)     : ミシェル・ウィリアムズ
 
アルマJr. (イニスとアルマの娘)   : ケイト・マーラ

 
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2009年5月12日 (火)

■エイリアン・クイーン虫に出会う。

マンションの廊下で変な虫を目撃した。

20090510

昆虫には詳しくないので何の仲間かすら分からない。

でも、なんかどこかで見た気がする・・・。

あ、エイリアン・クイーン?

Photo
■エイリアンクイーン・パリセイズ・マイクロバスト、アゴの腱の部分を少し改造。

■おなかの周りの白く縁取りされた部分が、クイーンの頭の後ろの平たく広がっている部分に似てなくもない。

でも、この虫。かなりおとなしくてあんまり動かない。

性格は随分と異なっているようだ。

一体、なんていう名前の虫なんでしょうね。

02
■キシャー!

                      <2009.05.12 記>

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2009年5月11日 (月)

■いつも、あらゆる可能性に覚醒していること。『爆笑問題のニッポンの教養』 デザイン思想、原研哉。

ちょっと遅くなったけど、久しぶりの爆問学問。

今回のテーマは、デザイン思想。

Photo
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE070:「シンプル最高/再考」 2009.4.28放送
武蔵野美術大学基礎デザイン学科教授、
日本デザインセンター代表、原 研哉。

アートは’私はこう思う’、

 というのに対して

 デザインは’共感してもらいたい’。

  
という原さんの言葉が、わたしの中でずっと居座っていたもやもやを一気に晴らしてくれた。

■芝居をやっているときには’自己満足’と’観客の受け’との戦いであったし、

工業製品の設計をしている今でも、相変わらず’自己満足’と’販売成績’との戦いの日々なのである。

■芸術作品を作り上げる過程でそこにいるのは’わたし’と’対象’だけであり、その対峙のなかから’アート’が生まれてくる。

一方、「デザイン」を作り出そうとする段で欠かすことが出来ないのは’他人の目’である。何故かならば、デザインの本分は’相手に伝える’ことにあるからだ。

もちろん、このブログを書いていることも含めて、私が目指すのは他の人が喜んでくれることであり、常に「デザイン」だ、ということだ。

ああ、すっきりした。
   

■けれど、そのアプローチは世界共通というものではない。

だから、演劇にしても、クルマの設計にしても、そういう’アイデア’になかなか至らないのである。

■ユーラシア大陸を東を下にして90度傾けると日本は世界の一番下にいて、ヨーロッパだとか、インドだとか、中国だとか、そういったさまざまな文化があたかもパチンコの玉が釘に跳ね返りながら落ちてくるようにニッポンにむけて集まってくる。

そういう雑多な文化の影響を受ける環境のなかで、日本は銀閣寺を象徴とする独自の「シンプル」を生み出した。

■ドイツ製のナイフと日本の板前さんが使う柳刃包丁の比較が分かりやすかった。

手の形に添って力が入りやすいグリップをデザインするドイツ製ナイフの機能美。工業製品をつくる者にとってとても分かりやすいアプローチであって、かくありたいという指針であったりもする。

その一方で、柳刃包丁のにぎりはなめらかな楕円の棒であって、過剰な情報を一切そぎ落とした、原さんの言うエンプティ(空っぽ)なのである。

皮肉なことに、その’空っぽ’が板前さんの超絶的技巧を支えているのだ。

■ドイツの機能美は「使い方」を規定する。

デザインをコミュニケーションと捉える原さんの見方でいうならば、一方通行の投げ込みでキャッチボールの楽しさ、豊かさが無い、ということになる。

決してドイツ流が悪い、といっているわけではない。私も機能美が大好きだ。理由をもったカタチにワクワクする性質なのである。

■けれども、何かを生み出して誰かに分かってもらおうとしたときに、しっくりとくるのは’空っぽ’の柳刃包丁のアプローチなのだ。

すべてを規定してしまわない。

すべてを伝えない、伝えようとしないからこそ伝わるものなのである。

逆説、或いはパラドックス。

けれども、そうだよな、と深くうなづいてしまうのは私が日本人だからなのであろうか。

議論をしていて時々「正論を吐く」ひとに出会うのだけれど、確かにあなたは正しいけれども絶対に共感なんかするものか、と思ったりする。

そういう感覚に近いのかもしれない。

■要するに’残された余地’、’間(ま)’が無いのである。

太田が紹介してくれた、「おもろい夫婦」のミヤコ蝶々さんの話もそれを補強してくれる。

 
すべては、’間(ま)’ なんですよ。

人の’間’と書いて、人間。

時の’間’と書いて、時間。

世の’間’と書いて、世間。

漫才だけじゃない、ぜんぶ、’間’なんです。
   

こころにすっと入ってくる、いい例えだと思う。

蝶々さん、すごい人だったんですね。

■さて、「シンプル」をテーマとした割りには随分と長い文章になってしまった。

まったくいつもこんなんなんで、まだまだ修行が足りないのだ。

けれど、文章における「間」というのは読み手が認識する’行間’とかそういったもので、ことさらシンプルに「イイタイコト」に絞り込む駿台の小論文的アプローチは’点数’は取れるかもしれないが、味わいとしてはどうだろう、とも思ってしまうのである。

ここでいう’味わい’を感じてもらいたいのはもちろんこれを読んでくださっているアナタである。

■だから、そういうリズムを心がけているつもりなのだけれど、どうなのかな。

アナタに’いい味わい’と感じてもらえているかをリアルタイムで直接知ることが出来ないのがもどかしい。

文章を書くひとは皆、同じ悩みを抱えているに違いない。

だから、
 

 いつも、あらゆる可能性に覚醒していること。

  
という、原研哉さんのアドバイスがとてもうれしい。

大切なのはテクニックではなく、こころの在り方なのである。
    

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                        <2009.05.11 記>

  

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Photo_2 ■原研哉のデザイン

Photo_3 ■白

    

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■NHK特番、「愛しあってるかい?~キング・オブ・ロック 忌野清志郎~」。素直で、熱くって、真っ直ぐな、永遠の高校時代に捧ぐ。

Mさん、お元気ですか。

昨日の夜中にNHKでやっていた忌野清志郎の特番を見ていて、あなたのことを思い出していました。

03

■最後にお会いしたのは1年半前のとても寒い日でしたね。

悲しい場面での再会だったのでろくに話も出来ませんでしたが、沈み込みながらもお変わりのない様子が窺えて、とれもうれしかったです。

■RCサクセションを私に教えてくれたのはあなたでした。

高校2年だったあなたは「雨上がりの夜空に」が好きで、いつも、そのキワどい歌詞に興奮しながら思い切りつばきを撒き散らして歌ってましたね。

素直で、真っ直ぐで、パッションに満ち溢れたあなたがうらやましかった。

そしてそのまま今でも変わらないあなたがうらやましい。

■いつだってあなたは演劇に情熱を燃やしていたし、常にまっすぐだった。

いつだって私は自分に自信が持てなくて、世の中を斜に構えて素直になれない、真っ直ぐ生きられない。

あの時も、今、この瞬間も。

    
■忌野清志郎のライブを中心に編集されたこの番組は、どこが、とはうまく言いにくいのだけれども、彼に対する愛しい気持ちに満ち溢れていた。

担当ディレクターはきっと同世代か少し上の人なのだろう。

想いがビシビシと伝わってきた。

■中でも、NHK正月ライブの「スロー・バラード」。

いつの間にか目になにかがじわりと滲んできた。

あの頃を忘れていないひとなら誰だってきっとそうだろう。

そして、「トランジスタ・ラジオ」。
    

■RCサクセションの歌を歌うときは、いつだって私は高校生のわたしなのだ。

もう、遥か彼方に過ぎ去ってしまった、

けれど、いつだって戻ることが出来る。

忌野清志郎は、そんな魔法使いだったのだと思う。

そしてその姿がM先輩、あなたとダブって見えるのです。

   
素直で、熱くって、真っ直ぐで、

いつまでも、変わらない。

    

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                        <2009.05.11 記>

 
■「トランジスタ・ラジオ」歌詞

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2009年5月 9日 (土)

■【映画】『ハプニング』、M・ナイト・シャマラン監督。ホラー的状況を乗り越える科学するこころ。

好みのハッキリ別れそうな映画だけれどM・ナイト・シャマラン好きの期待は裏切らない作品である。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.24  『ハプニング
           原題: The Happening
          監督: M・ナイト・シャマラン 公開:2008年6月
       出演:  マーク・ウォールバーグ ズーイー・デシャネル 他

Photo_4

■ストーリー■
ある日、ニューヨークのセントラルパークで人々が突然時が止まったかのように立ちつくし、唐突に自らの命を絶つという事態が発生。また、とある工事現場では作業員たちが次々とビルの屋上から身投げする不可解な惨事が起きていた。

この異常現象はアメリカ南東部で急速な拡がりをみせ、多数の犠牲者を生んでいく。この大事件の報せを受けたフィラデルフィアの高校教師エリオットらは、どこか安全な場所へ避難しようとするのだが…。(Amazonより引用、編集)
   

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■この状況に巻き込まれる前のシーン。

「今、ミツバチの群れが突然姿を消すという現象がアメリカのあちこちで発生している。どうしてだと思う?」と、エリオットが生徒たちに質問する。

ここに、この映画の核心がある。

■何が起きたか分からないまま、まわりの人間たちが突然動きを止めたかと思うとおもむろに自殺するという主人公たちが巻き込まれる「現象」。

その着想は現実に起きているミツバチの大量失踪(蜂群崩壊症候群)からヒントを得たのだろう、というだけではない。

冷静に自分の頭で考え、実際に試してみて検証する。

実は、この「科学するこころ」こそがこの映画のテーマなのである。

■絶望的な状況に追い込まれていくなかで、なんとかこの「現象」の特徴をつかみ、分析し、生き残る道を探る。

何故? どうして? どこが違う?

M・ナイト・シャマランは、ゾンビ映画を思わせる状況に対抗する唯一の手段をその「科学するこころ」に求めたのである。


■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■主人公のエリオットとその妻、アルマ。そしてエリオットの同僚の数学教師ジュリアンとその娘、ジェス。この4人で逃げることになるのだが、後から必ずくると言っていたジュリアンの妻と携帯電話がつながらなくなってしまう。

彼女のいるはずの街は既に「現象」が始まっているのだが、それでもジュリアンは娘をエリオットたちに託して妻を捜しに戻ってしまう。

■娘を友人に託して死地に赴く。

夫婦の絆はもちろんあるのだけれど、危機に巻き込まれている状況で娘から離れてしまうというのは、われわれ日本人の現代のメンタリティでは少し理解に苦しむ行動だ。

ふーん、欧米人はそうなんだ。

■と、話の流れに少し引っかかりを持ちつつも、死の街へ向かうジュリアンがいい。

その街に向かう一家のクルマに便乗させてもらうのだけれども、街に近づくと死体がごろごろと目に付き始める。

クルマの窓を閉じて空気を密閉してさらに中心部に向かうのだが、「見えない恐怖」はそれでも車内に満ちてくる。

■そこで、ジュリアンはその家族の娘に数学のクイズを出す。一生懸命何かを考えていれば少しでも現実から離れていることが出来る。

そう言ってクイズを出すジュリアンの視線の先には走行風でバタバタと揺れるキャンバストップの小さな裂け目が映っている。

ああ、きっとダメなんだな。

そう分かっていながら皆の恐怖の気持ちを少しでも逸らそうとするジュリアンの行動にグッとくるのである。

その最期を遠景でとらえる見せ方も抑制が効いていて効果的だ。

ゾンビ映画のフォーマットを使いながらも、どこまでもナイト・シャマランの映画なのである。

■一方のエリオットたちは、すぐ背後まで迫っている’それ’にパニックを起こしそうな心を落ち着かせて、状況を分析し、最善の道を選んでギリギリのところで生き延びる。

このあたりが一番の盛り上がりで、目で見ることの出来ない’それ’を風にそよぐ植物のざわめきで表現し、もうスグそこに’いる’というのが嫌でも分かる。

その恐怖の中で人間の中に生まれる’狂気’もまた脅威であり、見えない恐怖の単調さを飽きさせない効果をうまく出している。

■ああ、もうダメ、ここまでだ。

というところで’それ’は急速に消えていく。

ご都合主義という無かれ。

唐突に消えていく不思議もまた、ワケのわからない’それ’の重要な属性なのである。

■さて、あの現象はいったい何だったのであろうか。

モデルとなったミツバチの失踪の原因は未だハッキリとは分かっていない。

栄養不足からくるストレス、ダニなどの寄生生物からの病原体の感染、農薬などの化学物質、遺伝子組み換え作物の影響、最近’オールマイティ’な地球温暖化(苦笑)。

さまざまな説が出されているが、’何かの変化’が起きていて、それはとても小さな変化なのだけれども、それが増幅してミツバチの失踪という現象につながっている、ということなのだろう。

■その小さな、しかし致命的な’変化’が人間によって生み出されたものであるという予測は「何故、今なのか?」と考えたとき最ももっともらしい考え方である。

それが植物を刺激して一種の神経毒を発生し’思考回路、意志’をマヒさせ、自死に至らせる。と、映画のなかでは示唆される。

植物に人間を懲らしめてやろうという意志があるとは思わないが、仕組みとしては無くは無い。

■ハイチのヴードゥー教に伝わる’ゾンビ・パウダー’という神経毒は、ターゲットにされた人間の脳の機能の一部をマヒさせて’意志’を奪い、奴隷のように働かせる効果をもつといわれる。

この映画に出てくる’毒’も、積極的に自殺をさせる、というよりは自殺を押しとどめている「回路」があたまの中にあって、それが破壊させる、というイメージなのだろう。

■底流に人間文明に対する批判的メッセージがあるのだけれども、淡々と描かれる現象の方にしっかりとした軸足がある。

メッセージが前面に出しゃばらずに鬱陶しくないところがいい。

映画はメッセージの媒体ではなくて、直接カラダに侵入してくる体験であってこそ、のものなのだ。             

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                           <2009.05.09 記>

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■[DVD] ハプニング (特別編)
■監督:M・ナイト・シャマラン (2008年公開)
   

■STAFF■
監督:M・ナイト・シャマラン
脚本:M・ナイト・シャマラン
製作:M・ナイト・シャマラン

撮影:タク・フジモト
美術:ジェニーン・オッペオール

編集:コンラッド・バフ
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

 
■CAST■
マーク・ウォールバーグ :エリオット
ズーイー・デシャネル  :アルマ
ジョン・レグイザモ    :ジュリアン
アシュリー・サンチェス :ジェス
M・ナイト・シャマラン  :電車の乗客

  
■映画「ハプニング」公式サイト

    
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’映画鑑賞★日記’ さんの「ハプニング」
 

   
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2009年5月 8日 (金)

■暗雲山脈の頂上に。

午前中に豪雨を降らせた黒い雲の頂上で、

午後の光が強く反射していた。

Photo

                         <2009.0508 記>

 
■■■ 空の写真 ■■■  
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2009年5月 6日 (水)

■【書評】『闇の鶯』、諸星大二郎。単行本未収録作品を侮るべからずなのだ。

単行本未収録傑作選!!

と、帯に書いてある。

新刊を買ったはずなのに、あっ、これ読んだよなぁ。なんてことが多いので(特に妖怪ハンター系)、こうハッキリ謳ってもらえると実にありがたいのだ。

Photo_2 ■闇の鶯 (KCデラックス)

■収録されているのは5作品。

単行本未収録作品だからといって単行本に拾われることの無かったマニア向けの作品ばかりかというと、さにあらず。

「わけのわからないモノ」が異界との接点を越えてやってくる、諸星大二郎の’怪異もの’として十分に読み応えのある作品たちである。

  
■「それは時には少女となりて」

稗田礼二郎のフィールド・ノート(妖怪ハンター)外伝、「大島君と渚ちゃん」シリーズの最新(?)作。

「うつぼ舟の女」、「六福神」などでは中学生だった彼らはここではもう高校生になっている。

例によって海からやってくる「怪しいモノ」がいて、すっかり人のいい青年になった大島君が’それ’に取り付かれる話。

年頃のふたりの間のラブコメ的要素が押し出されていて面白い。

「うつぼ舟の女」のような怖さよりも「栞と紙魚子」ほどでは無いにしてもそれに近い味わいである。

そのあたりが結構気に入っている。

(月刊アフターヌーン、2004年9月号に掲載)

  
■「人魚の記憶」

これは怖い。

主人公はサイレンの音に対する恐怖症に悩まされている青年。

それが次第に悪化して、ついには生活していくことさえままならなくなってくる。

「サイレンの音」といったときに頭の中に浮かぶ印象があって、それは幼い頃に行方不明になった姉がどこかの洞窟らしきところで、人魚と水のなかで戯れている、そういうイメージなのである。

青年は自らを苦しめる恐怖症の根源を明らかにすべく、幼い頃に暮らした海辺の村へと向かうのであった。

というお話。

プロットについては、これ以上は書かない方がいいだろう。

衝撃のラストの迎え方は諸星大二郎の作品の中でも珍しい類のものだろう。

どこかラブクラフトのクトゥルー神話の読後感に似ている。

(2007年、ゲーム「SIREN2 MANIACS」解析本に掲載)

  
■「描き損じのある妖怪絵巻」

京極夏彦の特集本に掲載された作品。

むりやり京極堂の世界にひっかけようとした感が強く、違和感がある。

けれどその展開の無理やりさを、そのまま突き進んでフィニッシュしてしまう「絵」の力があって、それこそが諸星大二郎の魅力なのだと思う。

(2007年 「妖怪変化 京極堂トリビュート」に掲載)

  
■「闇の鶯」

表題作。

就職試験に失敗した青年のもとに受けてもいない土地開発会社からの合格通知が届く。

新人研修もそこそこに、実家からそう遠くない山間の土地でのゴルフ場開発の準備室に派遣されることになる。

あまり大した仕事も無く、ひまをもてあそばして、かつて親しんだ山の中を散策するうちに迂闊にも道に迷ってしまい、謎めいた女がひとりで暮らす一軒家にたどりつく。

これは1989年の作品であり、当時の’最先端’であるパソコンを小道具として使っているために流石に古さが目立ってしまう。

が、「会社の幽霊」だとか、後年の長編「魔障ヶ岳」だとかのイメージがかぶさってきて十分に楽しめる。

「鶯」という名の’山の神’が魅力的であり、その彼女に「決して開けてはいけない」といわれた襖の向こうのイメージが豊穣で、寺山修司の映画を思い出した(『田園に死す』だったかな)。

(1989年 「コミックバーガー」誌に連載)

 
■「涸れ川」

ひたすら砂漠を行く男。

彼が誰なのか、なぜ砂漠を歩んでいくのか説明はまるでない。

ただ、乾きに苦しみながら前へ、前へと歩を進める。

砂漠に生える植物のそばにもしかしたら水が湧き出すかもしれない。

そう考えて地面を掘る男がみつけたのは、湧き出す水ではなく、砂の中に埋まって裸で眠る女であった。

本作は他の4編とは異なり、「日常に侵入してくる’怪しいモノ’」の話ではない。

「カオカオ様」のような異界譚に近い。

が、ラストの味わいはこの本を締めくくる一編として意外に収まりがいい。

(スピリッツ増刊’IKKI’2001年2月28日号掲載)

  

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                           <2009.05.06 記>

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■闇の鶯 (KCデラックス) 諸星 大二郎 著 講談社 (2009/4/23)

   
■関連記事■

■【書評】未来歳時記・バイオの黙示録 諸星大二郎。これぞ諸星ワールドなのだ。
 

■過去記事■
■【書評】ひつじの本棚 <バックナンバー>
 

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2009年5月 5日 (火)

■忌野清志郎、逝く。

ファン、

というほど入れ込んでいたわけではない。
  

けれど、そんなわたしの人生の時々において

’情’を震わせる生々しいものを深く刻み込んだ。
   

忌野清志郎は忌野清志郎であって、

忌野清志郎以外の何者でもなかった。

嗚呼、

                         <2009.05.05 記>

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Photo
■[CD] 忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館 2枚組ライブアルバム

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2009年5月 2日 (土)

■春の花、第3陣。

いつものところを通るたびに花が入れ替わっているから春は忙しい。

まずはニワゼキショウ。

2009042806
2009042807
2009042808
■ニワゼキショウ(庭石菖) アヤメ科ニワゼキショウ属

本来、もっと白い花びらの色をしているのだけれど、濃い紫色の種類と交じったのかな。

そう思ったら近くにもっと濃い色の花もありました。

2009042805_2
      

お次は、前回4種をのっけたカタバミの仲間に追加して新たな2種。

2009042804
■ベニカタバミ(紅酢漿草、紅傍食) カタバミ科カタバミ属

イモカタバミと非常に似ているので分かりづらいが、葉っぱが小さいのでベニカタバミなのだとおもう。

ちなみにイモカタバミは引っこ抜いてみると根がイモのようになっているからその名があるらしい。

けど、むやみに引っこ抜いたりも出来ないしね(笑)。
  

2009042801
■オッタチカタバミ カタバミ科カタバミ属

茎が「おっ立つ」からオッタチカタバミ。

見分けに自信はないのだけれど、茎がしっかりしているのでたぶんそうなのだろう。

まだまだ、野草を見る目が出来ていない。

それにしてもなんともはや投げやりな命名である。
   

ここのところ急に勢力を伸ばしてきたのがノミノツヅリ。

2009042804_2
2009042803
■ノミノツヅリ(蚤の綴り) ナデシコ科ノミノツヅリ属。

見てくれはハコベにそっくりだがハコベ属ではない。

花弁は5弁。

ハコベも5弁だが、それぞれに大きな切れ込みがあるので10弁の花に見える。

2009042801_2
■こちらはミドリハコベ。どう見ても10弁に見えるが実は5弁。
      

前回も記事に載せたタツナミソウだが、随分キレイに群生し始めた。

2009042801_3
■タツナミソウ(立浪草) シソ科タツナミソウ属

マクロで撮ると迫力が出ます。
   

2009042802
■シラン(紫蘭) ラン科ラン属

アヤメの仲間かと思いきやランの仲間でありました。

道端の脇に咲いていたのだけれども、野生のものは準絶滅危惧種なのだそうだから、きっとどっかの庭から逃げ出してきたものだろう。
  

2009042803_2
■スズメノヤリ(雀の槍) イグサ科スズメノヤリ属

枯れているように見えるけれども、これが花?

細い茎の先に花のカタマリがつくところを大名行列の毛槍に見立てて雀の槍という名が付いたらしい。
   

2009042801_4
これが分からない。

春に咲くキクの仲間なのだろうけれど、花びらが短い!

向こう側に咲いてるのは普通の野菊然としているのだけれど、虫に食われてこうなるのか、花が成熟するとこうなるのか。

こういうよく分からないのがまた面白い。

                          <2009.05.02 記>

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■【書評】『野の花えほん 春と夏の花』、やわらかい雰囲気がいい味を出している。

  

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■【書評】『野の花えほん 春と夏の花』、やわらかい雰囲気がいい味を出している。

知り合いに紹介されて早速購入。これはいい。

Photo ■野の花えほん 春と夏の花

ネットとか図鑑は写真なので分かりづらいところがあるのだが、解説付きのイラストだとその野草の特徴がすんなり頭に入ってくる。

名前の由来だとか、食べ方(!)だとかの野草の雑学も載っていて、眺めているだけで楽しめる本である。

全部で50ページに満たない本なのだけれどもツボはしっかり押さえているし、むしろそれが取っ付き易さにつながっているようにも思える。

絵本として子供といっしょに眺めるのもいいかもしれない。

野草好きの人にはお薦めの本である。

  

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2009年5月 1日 (金)

■【書評】 第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい。実践の愚直な繰り返しが直観力を鍛えるのだ。

「パッと見の印象って、意外に正しいよね」っていう感覚は誰にでもあると思うけれど、その感覚について深く深く掘り下げ、豊富な事例で説得力を獲得した非常に興味深い本なのである。

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■『 第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい 』
マルコム・グラッドウェル 著 沢田博 阿部尚美 訳

■原題は

 blink  The Power of Thinking Without Thinking

である。

’blink’とは、無意識のまばたき、とでも訳すのだろうか。

要するにパッと見で無意識に判断する、そういう能力を我々は持っていて、本書はその不思議な能力である「無意識的直感=≪第1感≫」についてとことん解明してやろう、という試みだ。

■切り口は大きく3つある。

①理屈では説明が難しい「無意識的直感」の驚くべき能力。

②その「無意識的直感」を曇らせるものがある。

③「無意識的直感」は養うことも、制御することも出来る。

「第1感」の素晴らしさを褒め称えてそこで終わりにしないところが重要ななポイントなのだ。

■プロの鑑定士が直感的に’何かがおかしい’と違和感を感じたとき、それが本物だと保証する鑑定書がついていようがどうしようが、おかしいものはおかしくて、実際にそれは贋作だったりするのである。

そこで彼に、なぜ分かったのか、どこがおかしかったのか、と問うたとしても答えることは難しい。

同じようなことは、選手がボールを投げ上げた瞬間に「あ、ダブルフォルトだ!」と分かってしまうテニスコーチにも言えることだし、若いカップルの会話をおさめた短い映像から15年後までに二人が離婚するかどうかを90%以上の確率で判定してしまう心理学者にも言えることだ。

■ところが、それではまわりは納得しない。

だから、その説明を’後から’つけるのだ。

「何となく」という曖昧な判断が「主」で、「こういう理屈だ」という説明が「従」だという面白い話である、

と同時にさもありなんと私の「直感」が告げている。

本文中にある

 説明できないと話をでっち上げる

というフレーズもかなりの説得力でにじり寄ってくるのである。

■イラク侵攻に向けた大規模な机上演習の話もまた振るっている。

あらゆる情報を分析して最適な戦略を採用する米軍上陸部隊。それに対してベトナム戦争の泥沼の中で周囲の絶大な信頼を得た名物司令官がいて、彼が上陸作戦を阻止する’ならず者’側を指揮、各場面での瞬時の判断で「米軍」の連中の鼻をあかすのである。

■下手の考え休むに似たり。

情報が増えれば増えるほど複雑な状況はさらに複雑な解釈を呼び、待ったなしの意思決定が必要とされる状況においては最適解を導き出すどころか現場は混乱するばかり。

足りない情報はないかと探し回り、結局その情報に振り回される日常を送る身には極めて耳が痛い話である。

要は、深い経験に裏打ちされた’暗黙知’の力を信じよということだろう。

■だが、論理よりも本質を突くその素晴らしい「直感力」も、実は容易に周囲の影響を受けてしまう頼りない面を持つというところが面白い。

どんなに良心的で公平なこころを持った人でも、「黒人」ということばと「暴力」ということばを無意識的に関連付けてしまう。

それは本人が選び取った判断ではなくて、テレビや映画やそういった彼をとりまく周辺環境によって無意識に刷り込まれてしまっているものなのだ。

■著者の調査によると、アメリカ人男性の身長の平均が175cmであるのに対して、アメリカの大手企業のCEOの平均身長は182cm。さらには188cm以上の身長の人の割合は全体の3.9%に対してCEOでは3分の1近い割合なのだそうだ。

何をかいわんや、である。

■それじゃダメじゃん、というのが早合点。

社会を覆う「文脈」による偏向も、事前の無意識への印象付けによる偏りも、訓練によって打開可能だと著者は解く。

それは「実際」を体験する。

それを愚直に繰り返すことにある。

■世界中を電子化し尽してしまおう。

というGoogleの野望に代表されるように、端末がネットにつながってさえいれば大抵の情報は手に入る。

そういう空気のなかで我々は生きている。

だが、それは自らの直観力をスポイルし、背の高いCEOを信頼してしまう思考停止人間を増殖させてしまう危険を大いに孕んでいるのだと思う。

■本書の終わりの方で強いストレスで直観力を喪失してしまったことで引き起こされた悲劇的事件について語られているのだが、それも「実際」に準じた体験を繰り返し訓練することで克服し、回避可能なことなのだ。

こんなブログを書き散らして頭でっかちに生きている者にとっては極めて大切なことが埋め込まれている本であり、

Practice ! Practice !

と呪文のように唱えながら実践的に生きていこうという十何回目の決意を胸に、本を閉じるのであった。
   

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                         <2009.04.30 記>

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■『 第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい 』
マルコム・グラッドウェル 著 沢田博 阿部尚美 訳 光文社 (2006/2/23)

   
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