これがもう深くて濃密で、脳とか意識について今まで抱えてきたいくつかのモヤモヤも整理されて、素晴らしく有意義な本なのである。

■ 進化しすぎた脳
池谷 裕二 著 ブルーバックス (2007/1/19)
■著者の池谷さんは大脳生理学の若手研究者で、この講義録はアメリカ留学中に慶応義塾高校アメリカ高の生徒さん8人を相手にした脳科学4講を記録したものだ。
一方的な講義ではなくて、生徒さんとのやり取りを交えて行われているので実に分かりやすい。高校の物理、化学の知識を前提にしているが、細かいメカニズムの理解を除けばまさに万人向けの内容といえよう。
■構成は以下のとおり。
●第一章 : 人間は脳の力を使いこなせていない
●第二章 : 人間は脳の解釈から逃れられない
●第三章 : 人間はあいまいな記憶しかもてない
●第四章 : 人間は進化のプロセスを進化させる
そして、以上の初版本(2004年朝日出版)の内容に対してブルーバックス版(2007年)では大学の学生を対象にした講義録が追加されている。
●第五章 : 僕たちはなぜ脳科学を研究するのか
■本編(第一~第四章)で繰り返し語られるのはおおさっぱに以下の3点である。
1)脳は身体の機能・構造によって支配され形づくられている。
2)意識、抽象的思考は「言葉」によって支えられる脳の活動の副産物である。
3)認知の方法が’あいまい’だからこそ脳は創造的な活動ができる。
■もうすこし具体的に見てみよう。
1)脳は身体の機能・構造によって支配され形づくられている。
脳は、体の各部分の感覚と対応する部分が決まっている(ペンフィールドの脳地図)。
例えば人差し指と中指がつながったまま生まれた人の脳の地図は4本指に対応しているのだが、手術で指を切り分けると、脳の中の地図自体が書き換えられて5本指に対応するように変化する。
つまり、体の状態・構造によって脳の構成自体が変化するということだ
■また、認知の仕組みも体の状態・構造によって支配されていて、光の三原色なんていうけれど、それは網膜で光を受け止める細胞の反応領域が赤、緑、青の三つの光の波長に対応するように出来ているからだ。
可視光が3つの色で作られているというのは厳密にはウソで、我々の受け取る方のセンサーが3種類ある、というただそれだけなのだ。
■それは何を言っているかというと、我々の’認知’は世界を絶対的に捉えるものではなく、あくまでも身体の構造によって制限され、定義されているものに過ぎない。
イルカにはイルカの体性感覚にしたがった、コウモリにはコウモリの体性感覚にしたがった世界の認知があって、そこに映し出される世界は我々と違ったものになってくる、ということだ。
⇒『脳のなかの幽霊』 V.S.ラマチャンドラン 著 参照
【記事】『無意識の脳、自己意識の脳』 「私」とは何か?に記載。
■では次、2点目。
2)意識、抽象的思考は「言葉」によって支えられる脳の活動の副産物である。
赤い色を「赤」と認知する、その認知自体をクオリアという。
「赤」というそのものだけではなくて、「赤」だ―と思ったその時に、脳―身体の中で湧き上がる’状態’、その状態に対する「認知」が「クオリア」なのである。
■他の動物も、もちろん、体性感覚をもっていてクオリアの材料はあるのだけれど、それを「赤」、と認知するためには「赤」に対応する「言葉」が必要になってくる。
逆に言えば、我々は咽頭を発達させて「言葉」を獲得したからこそ、「赤」という抽象概念を認識することが出来るようになったのだし、「愛」とか「罪」とか、もっともっと抽象的なクオリアを生み出すことが出来るようになったのだ。
■我々人間は、そのクオリアによって組み立てられた思考を持ち、動物的な本能を制御するようになった。
なんていうのが一般的な「意識」の役割りに対する見方だったりするのだけれども、実際は、面白いことに、行動の制御は「意識」に上る前に扁桃体によって実行されている。
■高いところに立って「怖い」という意識が上る前に、扁桃体が「あぶないから動くな!」という命令を身体全体に発令し、行動を決定したその後から情報が大脳皮質に送られ、遅れて「怖い」が生まれてくる。
「怖い」から動かないのではなくて、扁桃体から送られた「あぶないから動くな!」という指令を大脳皮質が「怖い」というクオリアとして認知するのである。
■つまり、「意識」は行動決定を常に支配しているように見えて、実際は決定された行動の副産物であり、ただそれをモニターしているだけ、という場合が往々にしてあるということだ。
しかも、生まれたてのひよこを高いところに置くとすくみ上がることから、どうやら後天的な学習以前に生まれつき遺伝的に埋め込まれた活動基準があるようだ、というのだから面白い。
⇒【記事】『マインド・タイム』 身体は意識より0.5秒先行する!?参照
■さて、3点目。
3)認知の方法が’あいまい’だからこそ脳は創造的な活動ができる。
我々の「記憶」はあいまいで、学習したことを100%もらさず正確に記憶するということは出来なくて、スグに忘れてしまうし内容もあいまいになってしまいがちである。
だが逆に、認知・学習の機能があいまいだからこそ、応用がきき、想像力/創造力を発揮することが出来るのだ。
■もし我々の脳が「100%もらさず正確に」認知する脳であったなら、例えば「この人がAさんです」と写真を見せられて実際にAさんにあったとしても、写真そのままの見え方をしない限り、それをAさんと認知することが出来なくなってしまう。
「正確」さは「硬直」につながるのである。
(仕事のマネジメントについても同じことが言えそうで面白い、なんて脱線しかける脳のこの動きこそが創造の源なのかもしれない。)
■Aさんの写真と実際のAさんを結びつけるためには、その「特徴」を把握しなければならない。
そのタメには、ゆっくりと時間をかけて、なかなか覚えられないのだけれど、何度も繰り返しいろいろな角度から「Aさん」を知ることが重要で、そうしてようやく実際のAさんを「Aさんだ」と認知することができるような「特徴」が脳の中に構成される。
共通のルールを見つけ出して一般化する(凡化)のが、脳の認知の特性なのである。そのタメには時間がかかるということだ。
■例えば、教師が書いた板書をそのままノートに書き写してもそれだけではまったく自分のものならない、という感覚があるけれども、それもこういった脳の認知の方法からするとそれなりの納得がある。
また、字面を追う、なんていって文章の表面だけをなぞっても中身が全然アタマに入ってこない、なんていうのもそうだろう。
■外から入ってきた情報をそのままストックするのではなく、自分の中にあるクオリアを総動員してそれに関連付けし、抽象化し、新たなクオリアとして生成させる。
その為には、何度も何度も繰り返し、脳の中でそのクオリアの種を再生させて、関連するシナプスを強化していくことが必要、ということなのだろう。
■ここで高校生向けの講義は終了するのであるが、2004年の初版をブルーバックスとして再版するにあたって、2007年時点での脳科学の最新の研究内容を踏まえつつ、改めて脳の不思議について研究室の学生との対話をまとめたのが今回追加された第五章である。
●第五章 : 僕たちはなぜ脳科学を研究するのか
ここでいきなり驚くべきことが語られる。
脳の神経はは睡眠時にもフル活動しているというのだ。
深い眠り(ノンレム睡眠)のときにほぼすべてのニューロンが活動していて、むしろ起きているときに活動しているニューロンは6~37%に過ぎない。
■ひと眠りしてアタマを休める、なんていうけれど、そんな常識を根底からくつがえす事実である。
池谷さんの関心はこのあたりにあるようで、その外部とリンクしない活動を「脳の自発的活動」と呼び、そのなかで脳の機能構造が自発的に変化していくことを「脳の非エルゴード性」と定義して研究を進めているらしい。
(エルゴード性 : ある量の時間平均が集合平均と一致する という確率過程上の性質。)
■また、その興味は意思決定のメカニズムにも鋭く切り込んでいるようで、ヒル(蛭)の意思決定のメカニズムに迫る話が面白い。
シャーレの中のヒルは棒でつつかれたときに、泳いで逃げる、シャーレの底を這って逃げるの二通りに逃げ方をみせる。
そこでヒルの神経の活動を詳細に調べてみると、ニューロンの細胞膜の電位の状態は「ゆらぎ」をもっているのだけれども、あるニューロンの膜電位の状態が高いか低いかによって、その行動の選択が決定されていた。
■つまりその意思決定は何か論理的なもので決定されるのではなく、「膜電位のゆらぎ」というにあいまいなものに支配されていた、ということだ。
結局、意志なんて直感みたいなもので、それを突き詰めると「ゆらぎ」にたどり着く。
という池谷さんのものの見方が興味深い。
■視覚野のシナプスのうち網膜からの情報は全体の3%に過ぎず、97%は脳の内部情報なのだという。
「ものを見る」という認知において、外部から取り入れた情報の流れに対して、その32倍もの脳内だけでの情報処理(推論と決定)があるということだ。
視覚からのわずかな情報をもとに、それが「リンゴ」であると強制的に信じ込ませるシステム。
その強制力の強さゆえに脳の認知は安定的に機能するのである。
■「ゆらぎ」に依存して応用力を高め、その’いいかげんさ’に安定性を持たせるために既存のクオリアを総動員させて強制的に一つの認知へと安定的に導く。
それが人類が獲得した脳の認知のメカニズムだとするならば、それを知ることは自分自身の思考の在り方に新しい角度から光を当てることになる。
■こうだ、信じている何かも、実は脳によって強制的に信じ込まされている可能性があって、しかもその根拠をたどってみると実にいいかげんな’ゆらぎ’にたどり着いてしまう。
その姿は量子力学の世界にも似ていて、もしかすると、この宇宙を駆動している真理がそこに横たわっているのかもしれない。
そんな想像を膨らませること自体が「脳の特性」による「信じ込み」だ、ということか。
■人類は大脳皮質を大幅に成長させ、それが臨界点を超えて相転移を迎え質的な変貌を遂げ、本能的な行動欲求を超えた理性による制御ができるようになった。
それは人間の脳内の1000億個ニューロン(文字数で例えると新書本100万冊分)、さらに1個のニューロンに平均1万のシナプスがあるのだから、実に1000兆個のシナプスによって描かれるシステムである。
そこで描かれる「状態」は、シナプスの状態を簡素化して強い/弱いの二つの状態で考えてみても、脳全体でのシナプスの状態の組み合わせは2の1000兆乗。
これが時間ごとに変化していくのだからとても解析しようなんて思える代物ではない。
■脳は常に変化していて二度と同じ状態になることはない。
つまり「再現性」を持っていない。
これは科学として扱う上で致命的なことであり、今までの科学の捉え方では決して解決しないことを示唆している。
けれど、そこから生まれるのは決して絶望どではなくて、そこにあるのは、ちっぽけな自分の脳みその中にこの宇宙を遥かに凌ぐ広大なフロンティアが拡がっていることへのドキドキ感なのである。
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<2009.05.28 記>
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