■ドラマ『銭ゲバ』第6話。この権力無き時代に。
■緑さんの逆襲。
もしや、とは思っていたけど、やっぱりサプライズだね。
あのまんまじゃ、収まらないもんな。
■でも、風太郎ちゃん迷い過ぎでしょう、弱すぎでしょう。
慈善事業に金をばらまくのはいいとしても、一体なにを求めて屋上から金をばらまくのか、一体なにを求めて父親に10億を渡すのか、一体なにを求めて母親に似た浮浪者に金を与えるのか、母親の墓にすがるのか。
■原作どおりが全てではないとは思うけど、そこには強固な意思があって、純粋なものに触れてなびきかけた風太郎の目の前で、その純粋なものが「銭」に汚されていく現実が彼をさらに’強く’する。
やはり時代なのか、と思う。
大企業の社長であることに飽き足らず、原作の風太郎はさらに権力の座をつかもうとする。
その背景に田中角栄を想像するのは自然な動きであろう。
■けれど、ひるがえって今という時代をみるに、一国の総理大臣が背負い込んだものに押しつぶされて辞任したり、その前に放り出したり、さらには国務大臣とあろうものがヘベレケ記者会見で人生を自らの手で破滅に追い込んだり。
要するに「権力」というものが無くなってしまって、総理大臣から下々に至るまで剥き出しにされた弱い自己に震えている。
弱い自己を支える「社会の中での力」、すなわち「権力」が失われた時代なのだと思う。
■「銭ゲバ」という物語は、世の中の一切を振り切って「銭が力だ!」と証明する、それが気持ちいいまでに突き抜けた作品であって、ラストにおけるその衝撃が読む者を震撼させる。
けれどそれは高度成長期の、まだ社会という幻想が健在だった時代においてのみ通用するものだったのだろう。
■だから、そんな権力無き平成の世に途惑う風太郎が「銭」でつかもうとするのは「優しさ」である。
弱い自己を、どんなに汚れていようとも、そっと包んでくれる「優しさ」である。
銭で人を操ろうとすればするほど、ぽっかりと空いてしまう、その心の隙間を埋めてくれる絶対的な「優しさ」なのである。
それならばこその風太郎の弱さ、迷いなのだろう。
■いずれにせよ、この第6話がひとつの分岐点になるのは間違いない。
安直な癒やしにドラマが流されないことを祈りつつ、原作から離脱しはじめたドラマの今後の展開に期待しよう。
<2009.02.23 記>
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■【原作】
■ 銭ゲバ 上
■ ジョージ秋山 著 幻冬舎文庫(上/下)
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コメント
風太郎が札束をばらまいていた屋上は、群馬県庁の昭和庁舎という建物なんですよ。ナマ・マツケン観てみたかった~
原作は読んでないのですが、最後まで心して見とどけなければって感じの展開が待ち受けているのかな?
投稿: 臨床検査技師 | 2009年2月22日 (日) 16時09分
臨床検査技師さん、こんばんは。
>群馬県庁の昭和庁舎
ドラマのロケって随分遠くまで足を延ばすんですね。
いや、その前にその場所がスグに
分かってしまう臨床検査技師さんがスゴイ!
この後の展開はさっぱり読めません。
定食屋の一家&風太郎のそっくりさんが
カギを握ってるんだろうけど・・・。
投稿: 電気羊 | 2009年2月24日 (火) 00時18分