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2009年2月15日 (日)

■ヒトと動物の境界線とは。『爆笑問題のニッポンの教養』 言語脳科学、酒井邦嘉。

ひさしぶりに爆問学問。

今回のテーマは、言語脳科学。

File060
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE060:「おしゃべりな脳」 2009.2.3放送
東京大学大学院総合文化研究科准教授
言語脳科学 酒井邦嘉。

■言語学の巨人、ノーム・チョムスキーは、

言語を組み立てる力は生まれながらにして備わっている、

といったそうだ。

人間固有のその力を生み出している脳の部位を特定して世界を驚愕させたのが酒井先生なのである。

■脳内のこの「文法中枢」とその周辺にある、単語、音韻、文章理解の領域がはたらいて、われわれは言葉をしゃべることができる。それは遺伝子に組み込まれた仕組みであって、動物と人間を分かつものなのだという。

人間の赤ちゃんが、おぎゃーと生まれた瞬間から’それ’は既に存在していて、親だとか兄弟だとかの周囲の言葉によって’回路’がチューニングされて日本語だとか、英語だとかいった母語になる。

■なるほど、と思う反面、それを人間固有の、としてしまうことに対する抵抗があって、太田の気持ちが良く分かる。

コミュニケーションという意味で言うならば、動物の方がよっぽど本当の気持ちを伝え合っているのではないか。

まず「気持ち」というものがあって、言葉にしきれない表情とか、声のトーンとか、行間を読むだとか、そういうところに大切な部分があるのではないのか。

チャップリンの無声映画とトーキーを見比べたときに「ライムライト」は確かにいいのだけれども、「街の灯」を見たときに胸に迫るものは「言葉」が欠落しているからこそ伝わるのではないか、ということだ。

つまり、言葉は結果的な一つの手段であって、「伝える」ということの本質はもっと肉体に寄り添った根源的なところにあって、そこに人間と動物を分かつものは無いだろうという、「言語至上主義」的な影に対する反論なのである。

■犬とか猫は飼ったことがないので良くわからないが、昔飼っていたセキセイインコは、オス2羽で飼っていたのだけれども、いじめっ子の方が先に死んでしまって、その時いつもいじめられていた方が如何にも寂しそうで悲しそうで、結局ストレス性の腸閉塞ですぐに後を追ってしまった、ということがある。

そこには確かに「気持ち」があった、という確信がある。

■動物にも気持ちがあると肯定し、人間と動物の差は思っていたほどに遠くは無いとしつつも、「境界」は確かにある、と先生はいう。

動物は、「声」と「気持ち」、「意味」が一対一で対応しているのに対して、人間は文の構造を組み上げて新しく作っていく力がある、それが人と動物を分かつものなのだという。

■「言葉」を得ることで人間は不自由になった、本来持っていた幸せを失ってしまった、なんていうモノの見かたがある。

けれども、そういう「モノの見かた」を組み立てることが出来るのは、「コトバ」を組み立てる能力があってこそであって、言葉、得る、人間、不自由、なる、という単語それぞれはそれぞれに独自のイメージ、印象を持ってはいても、それがバラバラに存在するだけでは「モノの見かた」は生まれない。

そういうことなのだろう。

■動物の「コトバ」では集団の中での個体間の情報伝達と感情の励起は可能だけれども、人間の「言葉による伝達」はそれだけではない。

文章、そのものがそれ自体として独自の存在なのであって、その文章を紡いだ人間の手を離れても生き続ける。

その文章を語る者の’表情’だとか、’声のトーン’とか、’行間’といったものは時の波間に消え去ってしまっても、残された文章を別の者が読み上げるとき、新たな’表情’、’トーン’、’行間’が再生される。

■きっと、その再生能力こそが人間が編み出した固有のものであって、人間を人間たらしめるものなのだ。

共感能力は動物にもあったとしても、距離を越えて、時を越えて、共感を拡げていく能力は人間のみのものである。

それは、太田の提示した「街の灯」と「ライムライト」の話と矛盾するものではなく、映画もまた’表情’、’トーン’、’行間’を再生する装置だという意味で文章とおなじ系譜にあるものなのだ。

時として無声映画がトーキーよりも感情に強く訴えるのは、欠落した部分が大きいほどに共感能力を働かせる自由度が増し、それ故に受け手の中の感動がその人自身に寄り添ったものになる、という表現の技法によるものなのでは無いだろうか。

そして、「文章」はそれ自身に意味があるものではなく、再生したときに生まれる’表情’、’トーン’、’行間’といったものを伴って初めて受け手のなかに意味を生む、という意味で身体感覚を共有していないコンピューターには、決して生み出せないものなのである。

                           <2009.02.15 記>

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■【新書】 言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
酒井 邦嘉 著 (中公新書 2002/07)

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