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2009年2月

2009年2月26日 (木)

■NHKスペシャル 菜の花畑の笑顔と銃弾。 戦乱のアフガニスタンで31歳の青年の目にはいったい何が映っていたのか。

2008年8月。31歳の青年がアフガニスタンで殺害された。

青年の名は、伊藤和也。

20代半ばでNGOペシャワール会のメンバーとして農業技術を伝えるためにアフガンに渡り、現地の人たちと共に働き続けた男である。

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■NHKスペシャル 菜の花畑の笑顔と銃弾 (2009.02.23放送)

■彼はアフガンでの5年間に3,000枚もの写真を残した。

始めは作物の育ち具合とかアフガニスタンの厳しい環境を記録するためのものだったのだが、カメラを構える伊藤さんに好奇心旺盛な子供たちが興味をもって近づいてきて、次第に懐いて写真を撮ってくれとせがむようになってくる。

そのようすが写真にも現れていて、子供たちの固い表情がどんどん和らいでいくのがしみじみと伝わってくる。

子供の笑顔はどこの国であっても最高である。

そこから伊藤さんと現地の人たちとの距離もぐっと縮まり、こころを通わせるようになっていった。

■伊藤さんが何年も失敗しながら苦心して、やっと収穫に成功したサツマイモ。戦後の日本人を支えたその作物が今度はアフガニスタンの地に根付こうとしている。

その収穫物をうれしそうに抱えている子供の笑顔。

土地を肥やすために育てた黄色いっぱいに広がる菜の花畑のなかで微笑む少女の写真。

一般の報道からは決して想像することのできない光景である。

それだけに、伊藤和也さんの若すぎる死が痛ましい。

■報道陣さえ二の足を踏む危険地帯にその身を投じて、困っている人を助けようとする人たちがいる。

崇高なことだと思う。

けれど、私にはその気持ちがどうしても分からない。

人の役に立ちたい、という気持ちと引き換えにニッポンでの安穏とした暮らしを捨てる、その思い切りが、自分自身の中のどこを探しても無いのである。

■きっとそこには私には想像できないような生きている実感があって、本当に生きているその眼には、私には見ることの出来ない震えるような真実が映っていたのだろう。

その為の一歩を踏み出す力は、きっと理屈ではない。

生まれ育った環境だとか出会いだとかのめぐり合わせがそうさせるのだと思う。

それがいいとか、悪いとかそういうことではないのだけれど

いつか自分にもその日がくるのだろうかと、ふと思うのである。

                           <2009.02.26 記>

   

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2009年2月25日 (水)

■「おくりびと」、アカデミー賞 外国語映画賞 受賞! 映画が生きものとして動き出すとき。

いやー、これは快挙デス!

Photo
■第81回アカデミー賞 外国語映画賞受賞(2009.02.23) 
左から 滝田洋二郎監督 本木雅弘 余貴美子 広末涼子

■なんだかんだと騒々しいハリウッドにおいて、『おくりびと』の醸し出すゆったりとしたリズムが新鮮だったのかもしれない。

チェロの低音が奏でる久石 譲のテーマ曲も効いているだろうし、もっくんの人柄が滲み出ている納棺師の折り目正しい静かな所作、衣擦れの音、といった日本的な部分が米人にも響いたのかもしれない。

■けれど、それより何より、やっぱり「死」という重たいテーマに真正面から向き合った、そこを真っ直ぐ抜けていくことでたどり着く穏やかな感情というのがあって、そこには洋の東西を問わないということなのだと思う。

日常的風景においては隠されているもの、避けられているもの、それに向き合った監督、スタッフ、役者の方々ひとりひとりの胸の中にそれぞれの想いがあったに違いなく、もっくんのコメントにもあったと思うのだけれど、その想いが重なりあって、この映画が生きものとして動き出す原動力になったのだろう。

■故・水野晴郎さんじゃないけれど、

  映画って、本当に素晴らしいですね。

という言葉がまさに相応しい、そういうオスカー受賞の場面であった。

  

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                           <2009.02.25 記>

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■ 納棺夫日記 (文春文庫) 青木 新門 (著)

    
■関連記事■

■【映画評】『おくりびと』。
愛しい肉親の死もいずれ必ずやってくるのだ。

    
■過去記事■

■【映画評】名画座・キネマ電気羊 <目次>へ

   
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■NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる。不安を抱えて孤立している状態はやっぱり良くないということで。

■Nスペでうつの話をみた。

今までのうつ病に対する認識を改めなければならない状況になってきている、という。

NスペのHPの表現を借りれば、

「これまで『心のカゼ』と呼ばれ、休養を取り、抗うつ薬を服用すれば半年から1年で治ると考えられてきたが、現実には4人に1人は治療が2年以上かかり、半数が再発する。」

ということなのだ。

■その原因のひとつとして、いろいろな種類の抗うつ剤を大量に処方され、かえってうつの病状を悪化させているケースがあって、実際に別の医者のところに駆け込んで抗うつ剤を整理して減らした途端、ものの数ヶ月で日常生活が送ることができるところまで回復した女性の例が紹介された。

別の例では、5、6ヶ所いろんな病院へ行ってみたら薬の処方がテンでバラバラで、驚くことに初診にも関わらず3種類以上の抗うつ剤をまとめて出した医者もいる。

■どうも最近、双極性障害Ⅱ型(躁うつ病)とか、非定型うつ病とかいった別の種類の気分障害が増えてきていて、うつ病と診断されてはいるのだけれど実際には違う病気なものだから、抗うつ剤を飲んでもなかなか治らない、ということもあるらしい。

その背景には、メンタルヘルスが流行りだということで、精神病の臨床経験がほとんど無いような医者が開業して精神科を標榜している例があり、複雑な症状を見極める診断能力の無い、ありていにいえばヤブ医者が増殖しているという現状がある。

さらには、信じられないことだけれど、説明もなしにいきなり注射をしたり、同じ効果のクスリを複数出したりして、要するに精神科の治療をゼニ儲けとしてしか考えていない輩までいるというのだから恐れ入る。

■・・・けどね、

こういう不安を煽り立てるような論調はいかがなものか。

それは確かに事実としてそういうことはあるのだろうし、投薬の狙いと副作用を説明しない医者なんぞは論外だと思う。

■でも、ちゃんとした治療を受けながらも病状が回復途上のまま、なかなかその先に進んでいかない患者さんもいるのだということ、いやむしろ、そういう不安を抱えている人の方が圧倒的に多いのが実態なのではなかろうか。

うつからの回復の為に必要なのは、焦らず、まあいいか、とゆったり構えることであって、それが何とも難しいのだけれども、少なくとも危機感を煽られることでイイことはあまり無い、ということは言えるだろう。

■とはいえ、うつを抱えて孤立している状態が続くと本人にとっても家族にとっても「このままでいいのだろうか」という漠然とした不安がつのるばかり。

あれこれネットで検索したり手当たり次第に本を読んでも、情報が増えるばっかりで、こんどは何が正しいのかが分からなくなって却って混乱を招いたりするものである。

■そういうときは、カウンセラーだとかの専門家にしっかり時間をかけて話を聞いてもらうことだと思う。

話をしているうちに自然と問題が整理されてくるものだし、第三者的立場からの客観的な意見がもらえて、今、自分がどうすればいいかが見えてくることもある。(もちろん当たり外れはありますが・・・。)

また、各県にある障害者職業センターで行われている復職支援プログラム(リワーク)とか、民間のクリニックで行われているプログラムを実際に受けてみるのもいいと思う。

同じ悩みを抱えている人と交流できる場を持つと、ひとりじゃない、という実感があって心強いものである。

                          <2009.02.25 記>

●地域障害者職業センター
(独立行政法人 高齢・障害者職業支援機構)
http://www.jeed.or.jp/jeed/location/loc01.html#03

    

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■ うつからの脱出―プチ認知療法で「自信回復作戦」
■下園 壮太 著 日本評論社 (2004/05)
   
■うまく表現できない、うつのつらい気持ちを分かってくれる、寄り添ってくれているあたたかさを感じる本であり、この病気を理解する上でオススメ出来る一冊。

番組でも言っていたけれど、抗うつ剤による治療だけではなかなか治っていかないのが実際であって、じゃあどうすればいいのか、という「作戦」も具体的に記されていて有用だと思う。(何しろ著者は自衛隊で「うつからの救出作戦(カウンセリング)」を幾千もこなしてきた猛者なのだ。)

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2009年2月24日 (火)

■芸術とは作り手と受け手のそれぞれの胸の中で湧き上がる現象のことなのだ。『爆笑問題のニッポンの教養』 美術解剖学、布施英利。

今回のテーマは、美術解剖学。

Photo
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE062:「芸術は“カラダ”だ」 2008.2.17放送
東京藝術大学 美術学部 准教授 美術解剖学、布施英利。

■何故、人体の構造を知ることが美術につながるのか?

布施先生はそれを「モナリザ」の読み解きで伝えてくれる。

「モナリザ」の表情の持つ不思議さ、それはモナリザの顔の部分部分が別々の角度から描かれたものから成り立っていて、写実的な肖像画のように見えて実はピカソの描く肖像画のようなコラージュ的技法で描かれているというのだ。

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■『モナ・リザ』(部分) レオナルド・ダ・ヴィンチ (1503 - 1506)

■顔の全体は斜めに向いているのだけれども、右のアゴの骨は正面を向いていて、上唇は右に、下唇は左方向に向いている。また、左の瞳は左方向、右の瞳は正面と違う方向に向けられていて、どの方向からこの絵を見てもモナリザの視線を感じるように描かれている。

何となく変だな、というモナリザの不思議な印象の正体はそこにあるのだ。

■ダ・ヴィンチ自身、徹底的に人体を解剖し、観察し、デッサンし尽くした。

それは対象を正確に描くためではなく、人体の構造や動きを理解した、そのことによって対象のなかから浮かび上がってくる’何か’を捉える力、その「認識パターン」を自らの内に獲得するための努力なのである。

■芸術の面白さにはふたつあると思う。

ひとつは作家が作品を作り上げる過程で生まれてくる’何か’、ふたつめは作品と観る者との間に生まれてくる’何か’。

■目の前にある風景を見るとき、見る者が捉えるのはその全てではない。網膜から視神経を伝って大脳の視覚野に到達した信号の全てをその人が認識するわけではない。

認識とは、見る者の内側に既に作り上げられている認識パターンの重ね合わせであって、例えば人体の構造と動きについて知っている、認識パターンを持っている人のみが感じ取ることが出来る景色がある、ということだ。

■対象を「カタチ」として画用紙に描き出す行為、木の塊りをノミで削り落としていく行為、粘土を捏ね上げていく行為。

作家は試行錯誤しながら目の前にある’感動’を自らの内にある認識パターンの組み合わせとして探り、捉え、カタチにしていく。

その格闘のなかで身体感覚でしかなかった’感動’が、想像もしなかったカタチでみるみると姿をあらわしてくる、その瞬間のエクスタシーに作家は酔うのである。

それが、ひとつ。

■出来上がった作品はその時点で作家の手を離れ、自立した存在として在る。

その作品に観る者が対峙する、そこにもうひとつの面白さが生まれてくるのであって、それが受け手自身の認識パターンと共鳴することで初めて生じるものであるがゆえに、作家のなかで生じた感動とは由来を異にするものなのだ。

ふたつめの面白さは、観る者の極めて個人的な現象なのである。

■布施先生が究めようとしているのは、芸術作品を生み出す認識パターンという名のノミを研ぎ澄ますことであり、また、芸術作品と対峙する観客ひとりひとりの胸の内に感動を見出すための受け皿を用意することなのだと思う。

テレビというメディアが刹那的で、すぐに消え去ってしまうものだ、と布施先生が太田を挑発するのは、先生が取り組む「認識パターン」の依って立つところが人体というとても生々しいものであることに因るのだろう。

骨格の機能だとかそれをつなぐ腱の緊張感といったもの、それを伝えるにはテレビはあまりにも希薄な手段である。

■けれど太田の言うように、テレビの強みはその拡がりの大きさにあって、テレビの向こう側(お茶の間)に伝わる刺激そのものは希薄であったとしても、千人に一人、一万人に一人、その「パターン」に対してアンテナの敏感な人がいて、確かにその電波をキャッチする。

そういう可能性は否定できず、だからこそ太田はテレビというメディアを諦めない。

太田の’ひとつめ’の感動が、私の受け取る’ふたつめ’の感動とは似て非なるものだとしても、そこに何かが生まれるのであれば、それは伝わった、ということなのだと思う。

そして願わくば、私がこのブログを書くなかで生まれた何かが、インターネットという媒体をとおして誰かのなかに新しい化学変化を起こしている、そうあって欲しいものである。

                            <2009.02.23 記>

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Photo_3 ■体の中の美術館―EYE,BRAIN,and BODY
■ 布施 英利 著 筑摩書房 (2008/06)

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2009年2月21日 (土)

■ドラマ『銭ゲバ』第6話。この権力無き時代に。

■緑さんの逆襲。

もしや、とは思っていたけど、やっぱりサプライズだね。

あのまんまじゃ、収まらないもんな。

Photo
■銭ゲバ 番組HP

■でも、風太郎ちゃん迷い過ぎでしょう、弱すぎでしょう。

慈善事業に金をばらまくのはいいとしても、一体なにを求めて屋上から金をばらまくのか、一体なにを求めて父親に10億を渡すのか、一体なにを求めて母親に似た浮浪者に金を与えるのか、母親の墓にすがるのか。

■原作どおりが全てではないとは思うけど、そこには強固な意思があって、純粋なものに触れてなびきかけた風太郎の目の前で、その純粋なものが「銭」に汚されていく現実が彼をさらに’強く’する。

やはり時代なのか、と思う。

大企業の社長であることに飽き足らず、原作の風太郎はさらに権力の座をつかもうとする。

その背景に田中角栄を想像するのは自然な動きであろう。

■けれど、ひるがえって今という時代をみるに、一国の総理大臣が背負い込んだものに押しつぶされて辞任したり、その前に放り出したり、さらには国務大臣とあろうものがヘベレケ記者会見で人生を自らの手で破滅に追い込んだり。

要するに「権力」というものが無くなってしまって、総理大臣から下々に至るまで剥き出しにされた弱い自己に震えている。

弱い自己を支える「社会の中での力」、すなわち「権力」が失われた時代なのだと思う。

■「銭ゲバ」という物語は、世の中の一切を振り切って「銭が力だ!」と証明する、それが気持ちいいまでに突き抜けた作品であって、ラストにおけるその衝撃が読む者を震撼させる。

けれどそれは高度成長期の、まだ社会という幻想が健在だった時代においてのみ通用するものだったのだろう。

■だから、そんな権力無き平成の世に途惑う風太郎が「銭」でつかもうとするのは「優しさ」である。

弱い自己を、どんなに汚れていようとも、そっと包んでくれる「優しさ」である。

銭で人を操ろうとすればするほど、ぽっかりと空いてしまう、その心の隙間を埋めてくれる絶対的な「優しさ」なのである。

それならばこその風太郎の弱さ、迷いなのだろう。

■いずれにせよ、この第6話がひとつの分岐点になるのは間違いない。

安直な癒やしにドラマが流されないことを祈りつつ、原作から離脱しはじめたドラマの今後の展開に期待しよう。

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                          <2009.02.23 記>

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■【原作】

Photo ■ 銭ゲバ 上  
■ ジョージ秋山 著 幻冬舎文庫(上/下)

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■関連記事■
■ドラマ『銭ゲバ』。貧しいって悔しいね、同じ人間なのにね。

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2009年2月20日 (金)

■背中が伝えるものなのだ。『プロフェッショナル・仕事の流儀』 航空管制官・堀井不二夫。

久々のプロフェッショナルは、航空管制官の堀井不二夫さん。

090217
■空を守る、不動の男・航空管制官・堀井不二夫
<2009.02.17放送> (番組HPより)

■空港の管制官ほどストレスのかかる仕事はないだろう。

何しろ何百人も乗客を乗せた何機もの旅客機を相手に、刻一刻と変化する状況に対して常に適切な指示を出す。

そこに失敗は許されない。

■しかもパイロットは管制官のいうことを信じ、その指示に従うワケで、極めて重い責任がのしかかる。

少し前の話だったか、経路が交差する2機の旅客機に対して管制官が間違って互いに近づくような指示を出してしまい、あわや空中衝突、という危機的状況を作ってしまったというアクシデントがあった。

その時、それぞれの旅客機に搭載された接近警報装置は「正しい」回避行動を指示していたのだけれども、実際にはパイロットは管制官の指示を優先してしまった、ということがあって、そこから考えても如何に管制官の指示が絶対的なものなのかが分かるだろう。

■そんな管制官が手に汗握りながら次々と指示を出していく管制室というのは、さぞやピリピリと張り詰めているだろうと思っていたのだが、意外にフランクな空気が流れているのに驚いた。

どうやら、そういう空気を作り出すのが堀井さんの流儀らしい。

■連帯感を感じる、安心できる、頼れる。

というのがパイロットたちが抱く堀井さんの印象だ。

堀井さんは常に、それぞれのパイロットの気持ちに寄り添って、共に飛ぶ。

それが伝わるから、着陸に向けて緊張を強いられる進入のシークエンスでもパイロットの気持ちを和らげることが出来るのだ。

■けれど、それは並大抵のことではなくて、共に飛ぶ、というからには百戦錬磨のパイロットたちの判断力と同じ高みに身を置かねばならないということだし、しかも同時に何機もの機体の動き、それぞれに気持ちを向けなければならない。

何故、そんなことが出来るのか。

実地訓練をはじめたばかりの若い管制官に対する堀井さんの指導を見ていて、何となくそのヒントがつかめそうな気がした。

■「パイロットの気持ちになって、」と指導するのではなく、

実際にパイロットの気持ちに立った管制をしてみせる。

短く簡潔な交信の中にパイロットと堀井さんとの確かな「つながり」が見えて、ああ、こうありたいと思える背中を見せること。

そのコトバでは表現できない、「こうありたい」という姿をしっかりと自分のものとしてイメージできること。

それさえあれば、技術的な問題は経験を積めば自然と身についてくる。

■逆に「こうありたい」という理想の構え、骨格を持たずに、自分の能力にまかせて状況を処理するテクニックばかりを研ぎ澄ませてしまうと、いつかどこかで破綻をきたしてしまう。

そういうものではないだろうか。

そして、それはどんな仕事についても言えるのではないか。

■実にフランクな羽田の管制室も、いざというときには別の顔をみせる。

バードストライクしたかもしれない、と離陸した機体のパイロットから連絡、急ぎ、滑走路を閉鎖して異物の排除に取り掛かる。

管制室のいろいろな立場のメンバーそれぞれが、今すぐにやるべきことを自分で判断し、堀井さんの了解を得る。

その、あうんの呼吸が見事でゾクゾクしてしまった。

ああ、こういうチームが作れたら、という理想の姿がそこにある。

■自分を権力者にしない、

どの立場のメンバーも常に自分の考えを臆することなく言える空気を作り出す。

と、口で言うのはたやすいが、なかなか実際にそういうチームを作れるものではない。

■ここでも、やっぱり「背中」なのだと思う。

「おまえら、自分で主体的に動けよ」なんて気持ちが裏に透けて見えたら、その「命令」を意識して、逆に、ボスの顔色を覗うようになってしまう。

そうではなくて、本気でメンバーひとりひとりの言葉を真摯に受け止める、その日頃、皆にみせている背中が生み出す安心感、

それが、自分で考え行動していいのだ、という主体性の原動力になるのだと思う。

                         <2009.02.20 記>

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■機長の一万日―コックピットの恐さと快感!
田口 美貴夫 著 (講談社プラスアルファ文庫)

      
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■茂木健一郎さんのクオリア日記にT/Bさせていただきます。

      
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2009年2月19日 (木)

■やっと直った。

■ここ数週間、自分のブログを閉じようとすると変なエラー表示が出て、6つもその表示を閉じないといけない状態に陥って困っていたのだけれど、アマゾンの売れ筋の本の表示(くるくるウィジットってヤツ)を消したらやっと直りました。

このブログを見に来ていただいた皆様にもご迷惑をお掛けしたかと思います。

どうもすみませんでした。

アマゾンの重たい広告を削除したので表示速度もチョッとだけ早くなり、それなら初めっからそうしとけば良かった、と後悔一入です。

■でも、件の広告を設置してこのかた、こんな不具合なかったんだけどな~。

ま、理由はハッキリしないけど直ったということで良しとしましょう。

また、変な症状が出たらコメントででもお知らせいただけるとありがたいです。

                          <2009.02.19 記>

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2009年2月15日 (日)

■ヒトと動物の境界線とは。『爆笑問題のニッポンの教養』 言語脳科学、酒井邦嘉。

ひさしぶりに爆問学問。

今回のテーマは、言語脳科学。

File060
■ 爆問学問『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE060:「おしゃべりな脳」 2009.2.3放送
東京大学大学院総合文化研究科准教授
言語脳科学 酒井邦嘉。

■言語学の巨人、ノーム・チョムスキーは、

言語を組み立てる力は生まれながらにして備わっている、

といったそうだ。

人間固有のその力を生み出している脳の部位を特定して世界を驚愕させたのが酒井先生なのである。

■脳内のこの「文法中枢」とその周辺にある、単語、音韻、文章理解の領域がはたらいて、われわれは言葉をしゃべることができる。それは遺伝子に組み込まれた仕組みであって、動物と人間を分かつものなのだという。

人間の赤ちゃんが、おぎゃーと生まれた瞬間から’それ’は既に存在していて、親だとか兄弟だとかの周囲の言葉によって’回路’がチューニングされて日本語だとか、英語だとかいった母語になる。

■なるほど、と思う反面、それを人間固有の、としてしまうことに対する抵抗があって、太田の気持ちが良く分かる。

コミュニケーションという意味で言うならば、動物の方がよっぽど本当の気持ちを伝え合っているのではないか。

まず「気持ち」というものがあって、言葉にしきれない表情とか、声のトーンとか、行間を読むだとか、そういうところに大切な部分があるのではないのか。

チャップリンの無声映画とトーキーを見比べたときに「ライムライト」は確かにいいのだけれども、「街の灯」を見たときに胸に迫るものは「言葉」が欠落しているからこそ伝わるのではないか、ということだ。

つまり、言葉は結果的な一つの手段であって、「伝える」ということの本質はもっと肉体に寄り添った根源的なところにあって、そこに人間と動物を分かつものは無いだろうという、「言語至上主義」的な影に対する反論なのである。

■犬とか猫は飼ったことがないので良くわからないが、昔飼っていたセキセイインコは、オス2羽で飼っていたのだけれども、いじめっ子の方が先に死んでしまって、その時いつもいじめられていた方が如何にも寂しそうで悲しそうで、結局ストレス性の腸閉塞ですぐに後を追ってしまった、ということがある。

そこには確かに「気持ち」があった、という確信がある。

■動物にも気持ちがあると肯定し、人間と動物の差は思っていたほどに遠くは無いとしつつも、「境界」は確かにある、と先生はいう。

動物は、「声」と「気持ち」、「意味」が一対一で対応しているのに対して、人間は文の構造を組み上げて新しく作っていく力がある、それが人と動物を分かつものなのだという。

■「言葉」を得ることで人間は不自由になった、本来持っていた幸せを失ってしまった、なんていうモノの見かたがある。

けれども、そういう「モノの見かた」を組み立てることが出来るのは、「コトバ」を組み立てる能力があってこそであって、言葉、得る、人間、不自由、なる、という単語それぞれはそれぞれに独自のイメージ、印象を持ってはいても、それがバラバラに存在するだけでは「モノの見かた」は生まれない。

そういうことなのだろう。

■動物の「コトバ」では集団の中での個体間の情報伝達と感情の励起は可能だけれども、人間の「言葉による伝達」はそれだけではない。

文章、そのものがそれ自体として独自の存在なのであって、その文章を紡いだ人間の手を離れても生き続ける。

その文章を語る者の’表情’だとか、’声のトーン’とか、’行間’といったものは時の波間に消え去ってしまっても、残された文章を別の者が読み上げるとき、新たな’表情’、’トーン’、’行間’が再生される。

■きっと、その再生能力こそが人間が編み出した固有のものであって、人間を人間たらしめるものなのだ。

共感能力は動物にもあったとしても、距離を越えて、時を越えて、共感を拡げていく能力は人間のみのものである。

それは、太田の提示した「街の灯」と「ライムライト」の話と矛盾するものではなく、映画もまた’表情’、’トーン’、’行間’を再生する装置だという意味で文章とおなじ系譜にあるものなのだ。

時として無声映画がトーキーよりも感情に強く訴えるのは、欠落した部分が大きいほどに共感能力を働かせる自由度が増し、それ故に受け手の中の感動がその人自身に寄り添ったものになる、という表現の技法によるものなのでは無いだろうか。

そして、「文章」はそれ自身に意味があるものではなく、再生したときに生まれる’表情’、’トーン’、’行間’といったものを伴って初めて受け手のなかに意味を生む、という意味で身体感覚を共有していないコンピューターには、決して生み出せないものなのである。

                           <2009.02.15 記>

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■【新書】 言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
酒井 邦嘉 著 (中公新書 2002/07)

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2009年2月14日 (土)

■朝の光。

どんよりとした雲に隠された その向こうから

力強く 朝の光が射してくる

20090214

 
■■■ 空の写真 ■■■  
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2009年2月13日 (金)

■【映画評】 『チェンジリング』、クリント・イーストウッド監督。空白のときを取り戻す瞬間に。

ココログ主催の試写会に行ってきた。

チェンジリング、といっても昔のホラー映画ではありません、

念のため・・・。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.23  『 チェンジリング
          原題: Changeling 全米公開:2008年10月 (日本:2009年2月)
          監督: クリント・イーストウッド
      出演: アンジェリーナ・ジョリー、ジョン・マルコビッチ 他

※ ’チェンジリング(取替えっ子)’とは、妖精が子供をさらってかわりに醜い妖精の子を置いていくという北ヨーロッパ各地に伝わる伝説。

Changeling_poster2_b1

■ストーリー■
1928年、ロサンゼルス。電話交換局で働くシングルマザー、クリスティン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)の息子が、ある日とつぜん姿を消す。そして5ヶ月後、イリノイ州で発見されたといって警察が連れてきた少年は別人だった。
自分は息子だと言い張る少年、クリスティンの必死の訴えにまったく耳を傾けない警察。一体ウォルターに何が起こったのか?
驚くべき実話にもとづく感動の物語。
(映画チラシより抜粋、編集)

 
■あっという間の2時間22分。

えっ!

という意外な展開が二重奏、三重奏となって重なり合いながら併走していく。

いったいこの物語はどこを目指して流れているのかという不安に駆られながら迎えたラストシーンに、

ああ、とタメ息がもれた。
   

■■■ 以下、本筋に入ります。ネタバレ注意 ■■■

■この映画は80年前に実際に起きた事件をもとにしているのだそうだけれど、そのあまりに現実離れした話に正直少し乗り切れなかった部分もある。

一体どこの世界に行方不明の5ヶ月の間に肉体的変化(?)が起きて背丈が7センチも小さくなった、なんていう与太話を本気で信じるヤツがいるんだろうか。

けれどアンジェリーナ・ジョリーの必死の訴えにも関わらず、ロサンゼルス市警察の担当警部は人違いであったことを頑として認めようとしないのだ。

1928年といえば昭和3年なわけで、特高警察ににらまれた思想犯の話なんかからすると、当時の官憲の理不尽は洋の東西を問わない、ってことなんだろうけれど、その後の展開も含めたあまりの人道無視に、怒りに震える、というよりも、ちょっと引いてしまう、という感じだろうか。

■中盤、警察の非道を暴こうとする教会の神父(ジョン・マルコビッチ)や、偶然のめぐり合わせによってウォルター失踪の手がかりとなる凶悪事件に突き当たる刑事(マイケル・ケリー)、口封じの為に放り込まれた精神病院の閉鎖病棟でジョリーの味方になってくれる女(キャロル・デクスター)といった、強い個性と明確な役割りを持った人物の登場によって、物語は前進させていく力を取り戻していく。

明日、きっと映画を見に行こうという約束をしたまま、不気味な取替えっ子をあてがわれ、悪夢のような体験に押し流されていくクリスティン。

彼女にとっては、警察や精神病院の理不尽さはもちろんとして、味方についてくれる神父も、無給で支援してくれる敏腕弁護士にしても、本当の思いに応えてくれる存在ではない。

ただ、ただ、ウォルターをその手に取り戻したい、

彼女の願いは、それだけなのだ。

■ゆっくりと進む路面電車の窓の外を流れていく風景。

ロサンゼルスの中心街を抜けていくT型フォード。

電話交換手のあいだをローラースケートで駆けまわるクリスティン。

どうもこの映画は、動く、流れるシーンが多くて落ち着きが無い。

また、主人公のクリスティンを捉える場面も、鏡や窓に映し出された虚像に焦点をあてたシーンが多かったように思える。

■クリント・イーストウッド監督にそういう意図があったかどうかはわからないけれども、結果として、不安定で落ち着かないクリスティンの心の状態に観る者を引き込んでいく、そういう効果はあったと思う。

そう、クリスティンは常に、

違う、これじゃない!

という思いに囚われていて、出口が見えない状態にさらされているのだ。

■事件から数年のときが過ぎ去り、新しい生活に歩みだそうとしていたその矢先、彼女のもとにある知らせが届く。

そこから続くラストシーンで、クリスティンの目の前にリアリティのある確かなものが拡がっていく。

あした映画を見に行こう、といった約束を果たせないまま、その痕跡にすら触れることの出来なかった息子・ウォルターが、その後にも確かに生きていたのだという証しを胸に、彼女は空を仰ぐ。

その表情の素晴らしさ。

妖精によってもたらされた’チェンジリング(取替えっ子)’という悪夢から解き放たれる、その一瞬に、この映画の2時間22分のすべてがあったのだと思う。

もし、アンジェリーナ・ジョリーがこの映画でオスカーをとるならば、間違いなく、このラストシーンによるものだろう。

                          <2009.02.13 記>

■映画 『チェンジリング』 公式サイト
●アカデミー賞 主演女優賞、撮影賞、美術賞ノミネート
●2009年2月20日(金)より全国ロードショー

   

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■STAFF■
監督・製作: クリント・イーストウッド
脚本 : J・マイケル・ストラジンスキー
製作 : ブライアン・グレイザー、ロン・ハワード、ロバート・ロレンツ
撮影監督:  トム・スターン
音楽 : クリント・イーストウッド
プロダクション・デザイン: ジェイムズ・J・ムラカミ
衣装 : デボラ・ホッパー



■CAST■
クリスティン・コリンズ     : アンジェリーナ・ジョリー
ウォルター・コリンズ     : ガトリン・グリフィス
グスタヴ・ブリーグレブ牧師 : ジョン・マルコヴィッチ
 
デイヴィス警察本部長    : コルム・フィオール
J・J・ジョーンズ警部     : ジェフリー・ドノヴァン
レスター・ヤバラ刑事     : マイケル・ケリー
 
ゴードン・ノースコット     : ジェイソン・バトラー・ハーナー
キャロル・デクスター     : エイミー・ライアン
S・S・ハーン弁護士     : ジェフリー・ビアソン
サンフォード・クラーク     : エディ・オルダーソン
  

    
■過去記事■

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2009年2月12日 (木)

■生きる力。

生きる力、というものがあって、

人生の意味だとか、そういったものを

考える迷いを振り切る、

根源的にひとに備わったもの。

  
それが在るときには なかなか気付かない

大切なものであって、

4歳の娘にいつも教わるものなのである。

                     <2009.02.12 記>

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2009年2月 5日 (木)

■NHKスペシャル アメリカ発 世界自動車危機。’銭カネ’ばかりのこの世の中を一発ギャフンといわせてやれよ!

破綻寸前のゼネラル・モーターズ。世界第1位に君臨し続けた巨大自動車メーカーに一体何が起こったのか・・・。

Photo_2
■デトロイトのGM本社ビル
7棟からなり、中央のタワーは73階建てだそうです。頑張ってつくったお城なんだろうけど、残念ながら売却かな。

■要するにサブプライムローンの自動車版をやっていた、ということだ。

収入があろうがなかろうが住所と名前と電話番号なんかを書き込むだけで誰でも融資が受けられて、なんと5万ドルもする高級SUVが買えてしまう。

なーんでか。

というと、GMの金融子会社(GMAC)、実は借金を返してもらおうなんて端っから考えていないのだ。

■とってもリスクの高いその自動車ローンを証券化して、それをバラバラに切り刻んだうえで健全な金融商品のなかに潜り込ませる。

その金融商品に占める’ワケあり’ローンの割合は微々たるもので、評価のAAAは変わらないもんだからごく普通に金融市場で売れてしまう。

で、GMACには貸した分のお金に’おまけ’がついて入ってくるという寸法だ。

要するに産業廃棄物の海洋への不法投棄みたいなもので、大海の一滴、’濃度’が低いから大勢には影響なし、ということ。

手品というか、サギというか、金融工学ってのは本当に訳がわからない。

■ここで改めて確認するまでもなくGMは自動車メーカーである。

にも関わらず、本業は大幅なインセンティブ(販売奨励金、値引き)によって台数を売っても利益が出ない。

で、’優秀な’金融子会社であるGMACがインセンティブに頼らない’賢いやり方’を開発しただけでなく、サブプライムローンにまで手を広げ、稼ぎまくって親会社を支えた。

だから、金融危機の直撃を受けたGMACが失速し、人工心臓を止められたGM本体は青息吐息。

■そうなれば、裾野の広い自動車産業の下請け、孫請け部品メーカーは死刑宣告に限りなく近くなるわけで、その死臭を敏感に察知したハゲタカどもが寄ってくる。

自動車会社に頼りきった経営が立ち行かなくなったとしても、内装部品なら内装部品のメーカーを買いあさって巨大独占メーカーに仕立てあげれば、かのボッシュ社のように、そこいらのチンケな自動車メーカーなんかよりよっぽど強気なエクセレント・サプライヤーになるハズだ、という投資家一流の皮算用なのである。

■結局、どこまでいってもカネ、かね、金。

確かに資本がなければ作りたいものも作れない。

トヨタがプリウスで成功できたのは資本に十分な余力があったからで、無い袖を振るホンダを横目に、日産が地に伏し、目と耳をふさいでハイブリッド車の開発を停止していたのも結局、カネが無かったからである。

■けれども、だ。

青臭いことをいうようだけれども、

カネを得ることは手段であって、目的ではなかったはずだ。

誰もまだ作ったこともないようなクルマを作り出してお客さんをビックリさせてやろうぜ!という情熱が「ものづくり」の原動力なのであって、投資に対するリターンが素晴らしい、は食っていく為に、夢をあきらめない為に大切なことなのだけれども、断じて目的には成り得ない。

■GMの人たちにしてもきっと思いは同じはずで、89年に発表した電気自動車の’インパクト’は鉛蓄電池ながらも最高速を気にするような艶っぽいクルマであったように記憶している。

カリフォルニアのZEV規制(ゼロエミッションヴィークル)が発端であるにせよ、経済性よりもスピードに関心がある、いかにもアメリカ人らしい馬鹿っぽさを意気に感じてうれしくなってしまったものだ。

■その’EV魂’を受け継いでいるであろうクルマが2010年後半にデビューするという。

プラグイン・ハイブリッドカーのシボレー・ボルトである。

Photo_3

家庭用電源で充電し(プラグイン)、フル充電で40マイル(64km)走る航続距離はアメリカ人の平均的な通勤距離をカバーし、充電専用の小型エンジンを使えば数百マイルの航続距離に一気に増える。

ハイブリッドカーといいながらも基本は電気自動車で(シリーズ型ハイブリッド)、そのあたりが複雑で賢いシステムのプリウスやモーターアシスト(パラレル型ハイブリッド)と根本的に思想が違うのだ。

■今回のNスペでは紹介されなかったけれども、GMだって気骨のある自動車メーカーなのである。

なんとかこの苦境を乗り越えて、是非とも’銭カネ’ばかりのこの世の中を一発ギャフンと言わせて欲しいものだ。

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