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2008年12月16日 (火)

■「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」、国立新美術館。ピカソの左目は何を見る。

巨匠、パブロ・ピカソの91年の生涯を約170点の作品によってたどる大回顧展、と銘打つだけあってお腹いっぱいピカソを堪能した午後であった。

1926
■画家とモデル、1926年(45歳)

■・・・のだけれども、正直、ピカソは難しい。

1908年後半以降のキュビズムといわれる作品から受ける印象は混乱ばかりで、ああ、ここに感動を覚えたのだな、と心を寄せる取っ掛かりが見つからない。

そこにあるはずの気持ちを捉えることが出来ないのである。

■「マンドリンを持つ男」(1911年、30歳)の音声ガイドで紹介されていたピカソのコメントが印象深い。

曰く、
  

抽象表現など無いのだ。

常に何かあるものから始めねばならない。

その上で、現実の外観を取り除くことができるのだ。

   
その言葉を何度も繰り返し聞きながら怒涛のような作品群と向かい合ったのだけれども、そのピカソが捉えた現実の’あるもの’が、なかなか見えてこない。

■そんな中で、やっとピカソが私の視界に降りてきた気がしたのが、1937年(56歳)に描かれた「ドラ・マールの肖像」と「マリー=テレーズの肖像」の2点のところだ。

1937_2
■「ドラ・マールの肖像」1937年11月23日パリ

1937_3
■「マリー=テレーズの肖像」1937年12月4日パリ

■妻、オルガとポールという息子がありながら、ピカソは46歳のときに17歳のマリー=テレーズに古代ギリシャ的な美を見つけ、彼女の意志とは関係なく半ば強引に愛人関係に持ち込んでしまう。

54歳のときにマリーとの間に娘・マイアが生まれるその翌年の1936年に、ピカソは写真家でシュルレアリスムの画家でもあるドラ・マールと関係を持ち始める。

その1年後、幼子を抱いたマリー=テレーズとドラ・マールの間にピカソをめぐる確執が高まる状況の中で描かれたのが、この2枚の作品なのである。

■頬に右手の人差し指をあてる同じポーズの作品なのだけれども、受ける印象はまったく違う。

ドラ・マールのしっかりと安定した、意志と知性にあふれるエネルギッシュな感じに比べ、マリー=テレーズは不安定で、繊細で複雑な感情を湛(たた)えている。

それは、「ドラ・マールの肖像」の背景に見える直線と強い暖色系のコントラストによって与えられ、分割された表情の双方に強い意志と知性と情熱を与えられたバランスのよさによって醸し出されるものだ。

一方、「マリー=テレーズの肖像」の背景はグレーにゆがみ、不安定な床から滑り落ちてしまいそうな印象を与え、分割された表情は、不安や悲しみを湛えた右目と、その後ろに控えた女の強さを感じさせる左目によって構成されている。

■次々と自然と沸き起こる感覚を分離し、純化させ、それらを再度コラージュさせたのがキュビズムなのだと思っていたが、この2枚の作品から受けた印象は、

’計算づくなのか!’

という驚きなのである。

一旦そう感じてしまうと、周りの作品たちからも、意図的で冷徹に計算しつくされた「観察者」としてのパブロ・ピカソが浮かび上がってくる。

そこにいるピカソは、好色で高慢でエネルギッシュな’濃い’男などではなく、人間らしい情感をも実験や観察の対象としてしまってそれをよしとする、’世界’を捉える目を手にするために絵画の悪魔に魂を売り払ってしまった男の姿なのである。

■そこで170点の作品を遡り、会場の入り口正面に飾られた「ラ・セレスティーナ」(1904年、23歳)と改めて対峙する。

1904
■「ラ・セレスティーナ」(1904年、23歳)

■20歳のとき、親友カザジェマスを自殺で失ったところから始まる「青の時代」。

片目の老女を描いた「ラ・セレスティーナ」は、その「青の時代」終盤の作品である。

シッカリとこちらを見据える右目とギュッと閉じられた口もと。それに対して白内障なのだろうかどんよりとにごった左目は力なく宙をただよう。

そこには「生」と「死」が混在している。

人生の裏側まで見尽くしてしまったのであろう老女の姿を借りて、生と死が決して切り離すことの出来ないものだという避けられない現実を、鋭く突きつけているのだ。

■始まりにおいてそんな世界の真相にたどり着いてしまった画家が歩む人生とは何か。

喜びがあれば、美しさがあれば、

そこには必ず暗い青色をした死が忍び寄っている。

どれだけ美を見つめ、無意識をもって意味を分解し、その影を消し去ろうとしても、画家がこちら側にいる限りそこから逃れることは出来ないのだ。

■絵画を眺めることは、そこに自らを見つけ出すことに他ならない。

所詮、自らが味わってきた人生の幅を超えて作品を捉えることなど不可能なのだ。

だから、

滲み出てくる「死」との格闘した結果として意味を分解再構成するキュビズムにたどりついた天才が、「生」そのものも分析の対象としてしまうことでかえって幸せから遠ざかってしまう、

というその皮肉は、もはやパブロ・ピカソの人生を離れ、170点の作品群からそれを感じた私自身が背負っているものなのかもしれないし、多分きっとそうなのだろう。

■ただ、91年の生涯を閉じようとしている晩年のピカソが描いた作品からは、そういった’冷たさ’がすっかり影を潜め、無邪気な、子供のような、絵そのものに幸せを感じる素朴があって、最後にそのあたたかさを抱きながら会場を後にすることで救われる気がしたのも確かである。

それは40歳、妻子持ちのサラリーマンの不確かな未来像に対して、あたたかな希望を与えてくれるものだったのだ。

                         <2008.12.16 記>

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