« ■強迫的自己実現から落伍した者のつぶやき。 | トップページ | ■ドラマ『夢をかなえるゾウ』。ガネーシャ、自分、インチキっぽいくせに意外といいこと言うやん! »

2008年10月 4日 (土)

■手応えを求めて踏み込む、あきらめない勇気。『爆笑問題のニッポンの教養』 政治学、姜尚中。

今回のテーマは、政治学。

遂に、我らが悩める姜尚中さんの登場である。

Photo_2
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE049:「愛の政治学入門」 2008.9.30放送
東京大学大学院情報学環教授。政治学・政治思想史。姜尚中(かんさんじゅん)。

■「死ぬなら一人で死ね、としか言えない政治がもしあるのならば、それはもはや「政治」とは言えない」

「本来、政治とは他者を受け入れましょう、その代わり私も受け入れて欲しいというものだ」

秋葉原無差別殺傷事件の犯人に対して姜さんは、その「目を背けたくなる恐ろしげなもの」を如何に受け止めるかが政治の役割りであると説く。

それを貧困や雇用の問題に還元し、一般化した上でしか問題を捉えることが出来ない今の政治に対する痛烈な批判。

「私」という生身で対象を捉える、そうすることでしか本質を見出すことは出来ないとする姜尚中の真骨頂炸裂である。

■それに対して太田はネット上での殺害予告事件について語りだす。

2ちゃんねるに殺害予告が書き込まれたことに脅威を覚えた太田が警察に被害届を出し、間もなく書き込んだ男が逮捕された事件である。

「そこから、ものすごい『憎しみ』が伝わってきた」

という太田の表情は本当に恐怖を感じていたようで、「申し訳なかった、あれは冗談だったんです」という生身の犯人を見て安堵する。

その「ふつう」な反応の意外さに、いつもの「作った」イメージの裏にある太田の素の部分が覗けてみえた。

■受けとる側の想像力の大切さを痛感した、

と語るその太田の「素」のコトバには説得力がある。

何しろ掲示板の向こうにいる名無しさんと実際に対峙したのだ。

その「恐れ」と「安堵」は今回の話題の根幹の部分を象徴していたようにも思う。

ネット上の文字列から受ける「恐れ」と、直に相手と接することで受ける「安堵感」。

そこに、この孤独な時代を和らげるヒントが隠されているような気がするのである。

■ノーリアクションが一番ツライ。

とボヤくのは何も親父ギャグ常習犯のお父さんに限った話ではないだろう。

「社会とつながりたい」

なんてカッコいい言い回しではまだ不十分で、「認められたい」、「好かれたい」という辛く切ない生々しい想いを抱えて生きていくのが人間である。

想いが伝わらないその悲しみを常に背負っていくのである。

それは人類が社会的動物として進化してきたが故に背負ってしまった悲劇であり、古代ギリシャであろうが、平安時代であろうが、人が人である限り変わることは無い。

■けれど、その悲しみがこれまでになく世の中に深く染み渡っているという実感もまた間違いでは無いだろう。

複雑な要素が絡み合いグローバル化した現代は「誰が悪いか分からない」時代であって、ぶつぶつ文句を言いながらも世の中に流されていく「ニヒリズム」が蔓延する時代なのだ、と姜さんはいう。

そのニヒリズムはコトバを発する「不審な」者に対してスルーしよう、刺激せず、ノーリアクションでいこうとする態度を生む。

そんな乾いた空気の中で一人ひとりの自己主張は空を切り、「認められる」ことを実感できない人類の宿命的な悲しみが、より強く感じられる時代だということだろう。

■自分が今パソコンに向かって文字を打ち込んでいるこの行為そのものが語っているように、誰もが「発信」する手段を持ちはじめているのが今の時代である。

「認めて欲しい」という欲求がこのインターネットの空間には満ち溢れている。

けれど自己主張の手段が爆発的に増大するのと反比例して、「認められた」、「受け入れられた」という手応えは限りなく頼りないものになっていく。

ネット空間の中で肥大する「認めて欲しい」という想いは決して満たされることはない。

自分の声が届いていることを示す微かな響きは、圧倒的な欲求につぶされ、過小評価されてしまうのだ。

■姜さんは若い頃、肥大化する自意識に苦しんだ。

「自分しか見えない鏡地獄」、その堂々巡りの苦しみの中で、「実は、問題は自分にあるのではなく、『社会、政治』にあるのではないのか」と、自らの外側にある『社会』の存在に気付き、視界が大きく転回したのだそうだ。

その真意は問題を他責にすることにあるのではなく、実は「自分」の外側にも世界が広がっているのだという当たり前のことを発見した驚きにある。

自意識に悩む姜さんの姿は、まさにネット空間の中での自縄自縛な「私」の姿であって、モニターの向こうにリアルタイムでつながっているはずの世界は皮肉なことに肥大する自意識をさらに拡大するばかりで、そこに見えるのは醜く歪んだ自分の姿ばかりという『鏡地獄』そのものだ。

書を捨てよ、町へ出よう

という、かつての裏町詩人の呼びかけは、「端末を捨てよ、街へ出よう」と書き換えられるべきなのかもしれない。

いずれにしても人はネットだけでは生きていけない、ということだ。

■高倉健がバツが悪そうに頭を掻きながら

「自分は不器用なもんで、」

とつぶやくそのワザが通用したのは人とのつながりに確信が持てた昭和の時代のノスタルジーの中だけである。

だが日本は今や「一億総不器用なもんで、」の時代であり、中途半端な高倉健ばかりが伏し目がちに生きている。

■「相手が自分を認めてくれている」という確信が持てないから、真っ直ぐなコトバを投げかけることが出来ない。

っていうか~、と主張を極力ぼやかして「自己」が相手との関係の中で曝されるのを極度に恐れるのである。

教師は生徒に及び腰になり、医師は患者に、親は子供に恐々とする。

そこに信頼が生まれるわけがない。

しっかり受け止めてもらえないのではないか、というその恐れが却って「自分を認めてくれてないの?」という不信を相手の中に生みだし、不安は連鎖し、拡大生産されていく。

■それが今の日本を覆っている「ニヒリズム」の正体なのだと思う。

「ネットの闇」はその連鎖を駆動する構成要素のひとつであって原因ではない。

同じように社会が悪いわけでも、ましてや特定の個人が悪いわけでもない。

ただ、自己強化していく不安の渦に巻き込まれているだけなのだ。

■その流れを止め、逆転させることができるならば、理想像としての「三丁目の夕日」の安心がそこに立ち上がっていくのだろう。

だが、気候の変動を止めることができないように、世の中の流れをコントロールすることはできない。「小泉改革」のように時代を積極的に動かしたかに見える運動にしても、実は時代の文脈の結果として生じた大きな「渦」のひとつに過ぎない。

そんな不安の渦巻きの中で我々にできるのは自己が傷つくことを恐れず「手応え」のある方へただ、進んでいくことなのではないだろうか。

■渦巻きの向きを変えるのは、それを止めようとする大きな力ではなく、その渦巻きの強さゆえに生まれる逆向きの小さな渦巻きをあきらめずに育てていく粘り強さなのだと思う。

そしてそれを支えるのは「対立」とか「競争」とか「成果主義」とか、そういうコトバからイメージされるような世界観ではなく、「許す」とか「ゆずる」とか「続ける」とか、そういう「自分」を主語とした動きの連なりなのだと思う。

その結果として、

姜さんのいう「愛の政治」が実現する日がくるのではないだろうか。

                           <2008.10.04 記>

Photo
■悩む力 (集英社新書) 姜 尚中 著

     
■関連記事■
■【書評】『悩む力』 姜 尚中。悩み抜いた果てにたどり着くであろう他者とのつながり。

■人と世の中のつながりについて。秋葉原無差別殺傷事件におもう。
      
 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

Photo_2
■新書版 『爆笑問題のニッポンの教養』の既刊一覧へ■
     

■過去記事■ [バックナンバー]の 一覧
■爆笑問題のニッポンの教養■

  

■関連サイト■
■『爆笑問題のニッポンの教養』番組HP

■トラックバックさせていただきます■
’りゅうちゃんミストラル’ さんの「「一人で死ね」の安心感」
 
’don't worry!な毎日’ さんの「「一人で死ね、としか言えないような政治は政治じゃない」by姜尚中さん」
 
’どんぐりの背比べ ’ さんの「愛の政治学」
 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

■ Amazon.co.jp ■
■【書籍】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【書籍】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

■【DVD】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【DVD】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

|

« ■強迫的自己実現から落伍した者のつぶやき。 | トップページ | ■ドラマ『夢をかなえるゾウ』。ガネーシャ、自分、インチキっぽいくせに意外といいこと言うやん! »

コメント

昨日は来春成人式の娘の写真の前撮り撮影に行ってきました。
昭和63年生まれの娘の同級生には昭和64年生まれと平成元年生まれがいます。平成になってもうじき20年、次の20年後に、
古き良き昭和のように「あの頃はよかったな・・・」って思えるような時代を過ごしているとは、どうしても思えない今日この頃ですが
不安の渦巻きのなかから、少しでも明るい方向に道が開けると良いですね。

投稿: 臨床検査技師 | 2008年10月10日 (金) 14時13分

臨床検査技師さん、こんばんは。

娘さんの晴れ姿、さぞや輝いていたでしょうね。
臨床検査技師さんのこぼれるような笑顔が浮かんできます。
  

ところで、「元年生まれが成人式」の話。

「平成20年」が意味することに、やっと気がつきました。
昭和が「歴史」になりつつある現実に
ただただ呆然とするばかりです。


ついにアメリカ発の世界恐慌が始まりました。

日本が1993年頃のバブル崩壊で経験したことが世界規模で繰り返されようとしているようにも思えます。

「あれ」が、今の日本の社会を覆う不安の出発点だったのならば、
10年くらいの年月をかけてそれが世界に伝染していく、
その悪夢が想像できてしまってやりきれなくなります。

けれど、禍福はあざなえる縄のごとし、というように決してそのままでは無いでしょう。

「失われた10年」に育った子供たちはきっと地に足の着いた真摯な時代を造っていってくれるに違いありません。

そういう意味でも来年の成人式は象徴的な意味があるのかもしれません。


投稿: 電気羊 | 2008年10月11日 (土) 00時53分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■手応えを求めて踏み込む、あきらめない勇気。『爆笑問題のニッポンの教養』 政治学、姜尚中。:

» 「一人で死ね」の安心感 [りゅうちゃんミストラル]
9月30日にNHKで放送された「爆笑問題のニッポンの教養」を録画で観た。政治学者、姜尚中によるFILE049:「愛の政治学入門」だ。     この番組は、爆笑問題と一線で活躍する学者たちの対談で行われる。多くの場合、太田光が学者に自分の意見をぶつけることで混乱...... [続きを読む]

受信: 2008年10月12日 (日) 11時44分

« ■強迫的自己実現から落伍した者のつぶやき。 | トップページ | ■ドラマ『夢をかなえるゾウ』。ガネーシャ、自分、インチキっぽいくせに意外といいこと言うやん! »