■それぞれの時代がそれぞれに持つ「ニッポン」。『爆笑問題のニッポンの教養』 日本思想史、子安宣邦。
今回のテーマは、日本思想史。
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE046:「ニッポン」を疑え。 2008.9.9放送
大阪大学名誉教授 日本思想史 子安宣邦。
■日本思想史とは「日本」の成り立ちをどう考えるかの学問。
それは自然の成り立ちとしての「日本」ではなく、
意識し考えられた「概念」としての「日本」の成り立ちについて考える学問ということだ。
■先生によれば、初めて「日本」というものが意識されたのは、663年、唐と朝鮮で衝突した白村江の戦いのときだという。
そこまでは繋がりのある大陸と敢えて線引きをする必要がなかった、ということなのだそうだ。
言っていることの意味はわかるのだけれど、どうも腑に落ちない。
「外国」がなければ「日本」はないのか?
我々の「根っこ」として、日本の核になるものはあったのじゃないか。
という太田の感覚の方が分かりやすい。
■「白村江」の時代に生じた「日本」という概念は、貴族、武家、商人と「それ」を意識する人々の層が広まり、江戸時代に定着、明治維新をもって初めて国民全体に「日本」という考え方が共有された。
江戸時代の庶民にあなたは日本人ですか?と聞いても、「いえ、武蔵野くにの出ですよ」と答えるだろう、という子安先生の説明は十分に分かる。
けれど、「概念として作られた」という捉え方に違和感を覚えるのだ。
■太田が喝破したように、その考え方は昭和8年生まれの子安先生自身の戦争体験に根ざしたものなのかもしれない。
戦争の全体主義的高揚感と
戦後、突然やってきた価値観の全否定。
その根がらみの矛盾を解決するためには、「日本」を概念として相対化するしかなかったということだ。
■江戸時代の国学者、本居宣長が「古事記」に記された漢文の向こうに日本人本来のこころを見出した、そこにも同じようにその「時代」というものが現れている。
それは日本人の精神的支柱であった漢民族の大陸文化が、満州族の「清」による「明」の滅亡というカタチで途絶えたことと不可分である。
そういった時代の要請として「日本」のアイデンティティが求められていた、それに応える「もののあはれを知るこころ」だったのではないか、ということである。
子安先生はそれを本居宣長の「願い」だとしたが、その同じ構図が、子安先生と「『概念』としての日本」の関係にも当てはまる。
と、考えた方がしっくりくる。
■「国」という自分が帰属する社会を考えるとき、それは考えるもの自身を包む時代感覚から自由ではない。
とするならば、戦後民主主義が形作られた後に生まれた我々の世代は、遅れてきたものの憾みとして、体制とか常識といったものを切り離そうとする自己、太田のいう「根無し草」、という時代の気分を背負っている。
けれど、「否定」というカタチであったとしても、既存のあり方を意識している点において「日本」というものが時代のなかで共有されてきたようも思えるのだ。
■そこで、今の時代を映すものとして「秋葉原通り魔事件」を取り上げるところに太田の鋭さを感じる。
「彼」の中では「自分」しかなく、「モンスターである自分」を「客観的に眺めて楽しむ自己」があり、そこで完結してしまっている。
そこには人の繋がりとしての「社会(日本)」は無く、余裕をもって客観的に眺めているはずの自己そのものがモンスターになってしまっていることに気付き、それを指摘するものはいない。
■それはとても極端な例ではあるにせよ、個人が社会というものと関わり無く自己完結する、自分にしか興味の無い「自己チュー」だらけの世の中、というのが今の時代なのだとする捉え方は、そう大きく的を外しているようにも思えない。
一度バラバラになった「自己」たちは再びひとつになることはなく、それぞれが、それぞれに生きていくしかない。
それは大変疲れることではあるけれど、望むと望まざるに関わらず「個人の自由」と引き換えに我々が背負ってしまった十字架なのだ。
■そんな時代における我々の「括り」はどこにあるのだろうか。
それがこれから20年、30年かけて我々が探し求め、再構築していくものなのだろう。
さて、生きているうちにその新しい「カタチ」を見ることが出来るかどうか、ちょっと微妙な気もするが、そのダイナミックな社会的変革に立ち会えないのは残念なので、まあせいぜい長生きすることにしようと思う。
<2008.09.13 記>
■『日本ナショナリズムの解読』
■子安 宣邦 著 白澤社 (2007/03)
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