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2008年7月

2008年7月31日 (木)

■【映画評】『エクソシスト』。実は「階段転落殺人事件」というサスペンス映画だったりするのだ。

久しぶりに見直してみると、まったく違った部分に目がいくということがあるものだ。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.13  『 エクソシスト 』
         原題 <The Exorcist>  日本公開:1974年7月(米公開:73年12月)
       監督: ウィリアム・フリードキン 出演: リンダ・ブレア ジェイソン・ミラー他

    Photo
    ■【DVD】 エクソシスト ディレクターズカット版

■初めてのテレビでのオンエアは小学校高学年のころだったと思う。

頭を180度回転させるリンダ・ブレアにびっくり仰天して腰を抜かしたのをハッキリと覚えている。

けれどもこの歳になって久しぶりに見返してみると、そういったホラーの部分よりもカラス神父をはじめとした登場人物の苦悩の方に気持ちが入り込む。

製作から30年を過ぎてなおこの映画が風化しないのは、そういった登場人物の彫りの深さによるものなのだろう。

■ストーリー■

20世紀後半のワシントン。一人娘のリーガンの様子がおかしいことに気付いた映画女優のクリスは最先端の医療機関で娘の検査をしてもらうのだが何の異常も見つからない。

そうするうちにリーガンの異常さはさらに悪化。リーガンとはまったく別の悪魔のような人格になり、自らの体を傷つけ、ポルターガイスト現象まで引き起こす。

現代医学では打つ手が無いことを理解したクリスは、イエズス教会のカラス神父に悪魔祓いを頼むことを決意する。

■【DVD】 エクソシスト ディレクターズカット版

■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■今回見たのは2000年に公開されたディレクターズカット版。

ブリッジの姿勢で階段を下りてくる有名な「スパイダー・ウォーク」など公開時にカットされていたショックシーンを追加し、さらに暗いイメージを残すエンディングを修正したバージョンである。

■とはいえ、鳴り物入りの「スパイダー・ウォーク」は唐突過ぎていまいちピンとこない。

ミドリのゲロにしても、くるくるまわるリーガンの頭にしても、「怖い」といっても「びっくり!」の類のそれであって、「得体の知れない恐怖」というホラー本来の領域へは踏み込んではいない。

Photo_3

恐怖としてはむしろ、映画の初めの方で母親のクリスが物音の正体を探りに屋根裏部屋に上がっていくシーンの方が数段上であるし、中盤の検査のシーンでリーガンが脳に造影剤を注入されるシーンの方がよっぽど見ていて恐ろしい。

■じゃ、ダメじゃん。

というのはある意味正しいのだけれども、それは「ホラー」としての話であって、「映画」としての評価はまた別なのである。

■物語としては、いくつかの切り口があると思う。

「悪魔」から娘を助け出そうとする母親の物語。

「善」と「悪」との対決の物語。

自らの罪に絶望するカラス神父の救済の物語。

事件を客観的に眺めるキンダーマン警部の物語。

■そのうち、「善」と「悪」との対決だとか、カラス神父の救済なんていうあたりは、ちょっと解釈に苦しむところだ。

「善」とか「悪」とか「罪」とか「救済」だとかといったとき、そのコトバから心に浮かんでくるものはキリスト教文化圏の人たちと我々日本人とでは異なるに違いないからである。

むしろ我々が「神々」と呼ぶものは、キリスト教の神にとっては悪魔にあたるわけで、そこには絶望的な溝がある。

従って、この映画における「善」と「悪」との戦いが観る者の「世界観」に及ぼす影響だとか、最終的にカラス神父は救われたのか?というような問いは推定することは可能だとしても身を持って実感することは極めて難しい。

(続編の『エクソシスト2』程ではないにせよ、)あまりにも白黒がはっきりしていて、覚めた目で見ると滑稽にすら見えてしまうその「善悪の戦い」については、少し距離をおいて「知識」としてそのまま蓄えるほかに手はないのかもしれない。

■その一方で、この映画は密かに「キリスト教的世界観」以外の道も残している。

何故、リーガンが悪魔に狙われたのか?

何故、映画監督のバークが殺されたのか?

直接的に描かれているわけではないけれど、さりげなくそのヒントが語られている。

別居している父親の存在、そしてリーガンにとって大切な父親の座に取って代わるかもしれないバークの存在。

一見、仲のいい幸せそうな母娘のように見えても、そこには「悪魔」の侵入を許す見えない隙間が存在する。

その本人すら意識していない「心の闇」というものがあって、どの家庭にも「悪魔」が入り込む隙間が隠されているのだ。

■そういう切り口で捉えた場合、それは何もキリスト教世界に限った話ではなく、「狐憑き」だとかそういったものをひっくるめて宗教を離れた心理現象として「悪魔憑き」を捉える余地を残している。

映画としてはキリスト教に則った「善」と「悪」のせめぎ合いとして描かれているが、それ以外の「見方」を完全に捨て去らない、その「余裕」とか「余地」といったものが、この映画に厚みをもたらしているのだとおもう。

■さらに、この事件を外部から眺めるキンダーマン警部の存在が、この映画をただのホラー映画に留めない効果を生み出している。

つい「神と悪魔の戦い」と先走ってしまうのだけれど、実はこのエクソシストという映画は「階段転落殺人事件」というサスペンス映画でもあるのだ。

そう捉えると、そういえばフリードキン監督は「フレンチコネクション」の名匠なわけで、あれよと言う間に刑事モノの匂いが漂ってくる。

■母親のクリスのもとを訪れ真綿で絞めるような質問を繰り出し、嫌でも自分の娘が事件に大きく関わっているのではと思わせる。

追い込まれている気持ちをつくり笑顔で隠そうとするクリスと、分かっていてそれを顔に出さないキンダーマン警部のポーカーフェイス。

ただの会話のやり取りなのだけれども、異様に緊迫感があってドキドキするシーンである。

■たぶん、という想像の域をでないのだけれども、フリードキン監督は、そのサスペンス映画的側面を強調したかったのではないだろうか。

ディレクターズカットでは、カラス神父の親友であったダイアー神父にキンダーマン警部が語りかけ、かつてカラス神父を誘ったのと同じように映画に誘うところで終わるのだけれども、

このあたり、キンダーマン警部を主人公にしたハードボイルド的雰囲気を醸し出していて据わりがいい。

ディレクターズカットの方が映画として味わいがある稀有な例である。

                              <2008.07.31 記>

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■【単行本】 『エクソシストとの対話』
実在する聖職「公式エクソシスト」とは何か?
21世紀国際ノンフィクション大賞優秀作。

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■【DVD】 『エクソシスト』 ディレクターズカット版
    

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■【サウンドトラック】『エクソシスト』
■うーん、名曲だよなー。

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■【DVD】『エクソシスト2』
■賛否は激しく分かれるけれど私は好きだ。
J・ブアマン監督の作り出すイメージは素晴らしい。
ブアマン原案・脚本・監督の
『未来惑星ザルドス』も名作です。オススメ。
  

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エクソシスト3エクソシスト ビギニングエクソシスト トゥルー・ストーリー

The_exorcist_steps
■’事件’の起きた「エクソシスト・ステップス」(Wikipediaより)

■STAFF■
監督:        ウィリアム・フリードキン
原作・脚本・製作: ウィリアム・ピーター・ブラッディ
製作総指揮:    ノエル・マーシャル
撮影:        オーウェン・ロイズマン、ビリー・ウィリアムズ
特殊メイク:     ディック・スミス
特殊効果:     マルセル・ヴェルコテレ
音楽:       マイク・オールドフィールド、ジャック・ニッチェ
テーマ曲:     "Tubular Bells"(マイク・オールドフィールド)
   

■CAST■
リーガン:         リンダ・ブレア
クリス(リーガンの母): エレン・バースティン
カラス神父:        ジェイソン・ミラー
メリン神父:        マックス・フォン・シドー
キンダーマン警部:    リー・J・コッブ
ダイアー神父:      ウィリアム・オマリー神父
シャロン:         キティ・ウィン
バーク(映画監督):   ジャック・マッゴーラン
カラス神父の母:     バシリキ・マリアロス

  

■過去記事■
■【映画評】名画座・キネマ電気羊 <目次>へ

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2008年7月30日 (水)

■ヒトの遺伝子に国境は無いのだ。『爆笑問題のニッポンの教養』 分子人類学、篠田謙一。

今回のテーマは、分子人類学。

Photo
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE044:「どこから来たのか ニッポンのヒト」 2008.7.22放送
国立科学博物館人類研究部研究主幹 分子人類学 篠田謙一。

■発掘された人骨に残されたDNAを分析する分子人類学によって現代の人類学は飛躍的な発展を遂げた。

ミトコンドリアのDNAを抽出し母系の祖先をたどっていくことによって、現在地球上の生きる我々人類すべての祖先が15万年前のアフリカに収斂するということまでが分かっている。

と、いうのはある程度知られている話だと思うのだけれど、今回の番組はそれをまた別の切り口で見せてくれる。

■「はじめの人類」からどのようにミトコンドリアDNAが変異し多様化し、分散していったのか。

篠田先生は15万年前の祖先から現在世界中に散らばる我々65億人にまで至る道筋を系統図として具体的に可視化してみせる。

今の日本人を構成する「筋道」はひとつではない。

田中は「D4a」、太田は「M7a1a」に分類され、10万年前にアフリカを出て世界中に散らばっていく、そのどの筋道から今の日本で生きる現在に至っているのかが明らかにされるのだ。

■我々の前には100万人の祖先がいる。

母がいて、母方の祖母がいて、曾祖母がいて。

その先にも、実際にこの世に生まれ、同じように笑ったり悲しんだりする「祖先」が100万人連なっていて、世界中のどの人とも、その途中のどこかで必ず交わっている。

そのイメージは、「我々の祖先はアフリカに生まれたミトコンドリア・イヴに収斂する」なんていうコトバでは決して理解できない「大切な事実」を気持ちのなかに立ち上がらせる。

■その一方で、遺伝子の違いが明らかにされ分類されていくことは、「優生学」的な、分類されたものに正誤、優劣をつけるような見方を生み出す危険をはらんでいる。

人間は分類したがる生きものなのだ。

けれど、その「分類」は系統図の「今」の世代しか見ていない。

ミトコンドリア・イヴを頂点とした世界中のすべての人々がつながる大樹として我々自身を理解するとき、その「分類」は意味を失うのだと期待したい。

■篠田先生が最後の方で語ったことばが印象的であった。

   
この研究をいくらやっても、「国」が出てこないんですよね。
  

極めて深いことばである。

                           <2008.07.30>

Photo_2
■日本人になった祖先たち
―DNAから解明するその多元的構造 篠田謙一・著

   
■関連記事■

■【書評】『われら以外の人類』 ヒトの進化を俯瞰する。

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Photo_2
■新書版 『爆笑問題のニッポンの教養』の既刊一覧へ■
     

■過去記事■ [バックナンバー]の 一覧
■爆笑問題のニッポンの教養■

  

■関連サイト■
■『爆笑問題のニッポンの教養』番組HP

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2008年7月27日 (日)

■エミリー・ウングワレー展。理屈を超えてカラダに直接伝わってくる「面白さ」。

六本木の国立新美術館にエミリー・ウングワレー展を見に行った。

Photo_2

    

       

        

■エミリー・ウングワレー
Emily Kame Kngwarreye
(1910頃 ~ 1996)

オーストラリアの中央砂漠地帯でアボリジニの伝統を守り、儀礼のためのボディペインティングや砂絵を描いていたが、77年頃からろうけつ染めを覚え、88年からはカンヴァス画を描き始める。96年に亡くなるまでの8年間に3千点とも4千点ともいわれる膨大な数の作品を残した。

■音声ガイドというのは便利なもので、その作品を製作したときの作家の生活だったり、世の中からの受け止められ方だとかいったことを教えてくれて、その絵の向こうに作家自身の姿が見えてきたりして鑑賞に深みが加わるのだ。

アボリジニの伝統や先住民としての人権回復だとかいった社会的背景、その中でエミリーばあちゃんの作品がどのように深化していったのか。

そういったことが学べて、少し世界観が広がったような気がする。

Photo_3 ■エミューの女<1988-89年>

■だが、中期の点描画の作品群のあたりから、知識だとか、理屈だとか、そういったことを素っ飛ばして、カラダの奥の方にぐっと何かが伝わってくる、そういう感覚を覚え始めた。

ちょうど、「アルハルクラの故郷」のあたりからだろうか。

大地に仰向けに寝転がって満点の星空を眺めている。

カラダの中からやすらぎが湧き出してくる。

静かな、透明な、夜の空気。

Photo_4
■アルハルクラの故郷(部分)150cm×60cm 5点<1990年>

■そこから先にある色とりどりの点描画たちを眺めていて、不思議な感覚に捉われた。

春を咲き誇る桜だったり、初夏の若々しい新緑だったり、秋の紅葉だったり、一面の黄色い落葉だったり。

そういうイメージが自然と湧き上がってくる。

けれど、そんなわけはないのだ。

彼女がこれらの絵を描いたのは、荒涼とした赤い岩の砂漠地帯なのだから。

Photo_5
■カーメ ―夏のアウエリェⅠ 302cm×136.8cm <1991年>
≪ヤムイモの種、夏・女の儀礼≫(勝手に命名)

■だが彼女は、その荒涼としたなかにも自然の息吹を感じ、そのよろこびをカンヴァスへ丹念に落としていったのかもしれない。

四季の美しい国に住む我々の眼に映るその「点」の濃密な集合は、彼女の歓喜や寂しさといった感情そのものであり、我々の胸に再生されるその感情と対になる対象として春夏秋冬の美しさを想起させたのだろう。

■そういった点描画が生み出すのが「美しさに対する感動」だとするならば、カンヴァスに平行した何本もの線が描かれた作品群は、躍動とかリズムとか、そういった「楽しさ」をワタシのこころに湧き上がらせる。

Photo_6
■ビッグ・ヤム・ドリーミング 291.1cm×801.8cm <1995年>
≪ヤムイモの宇宙≫(勝手に命名)

■そして圧巻が「ビッグ・ヤム・ドリーミング」。

高さ3メートル、横8メートルの大作である。

黒いカンヴァスを何枚もつなげて大地に広げ、エミリーばあちゃんは地べたに向かい合って白い線を引いていく。

その線は力強く、リズムをとりながらうねっていく。

その一本一本の「動き」が面白くて、楽しくて仕方が無い。

ちょっと恥ずかしいとは思ったが、作品の傍に立って、その線の動きを指で追っていくと自分のカラダの中にもリズムが生まれ、幸せな面白さに包まれた。

■芸術作品というのは、煎じ詰めれば、こういった作品が作り上げられる過程における作者の「面白い!」という気持ちそのものなのかもしれない。

そして同時に、鑑賞する者の人生体験を背景に作品を通して再生される「面白い!」そのものでもある。

期せずして、このあいだの爆問学問、芸術の話とつながった。

こういう偶然もまた「面白い」のひとつの側面なんだろうな。

                              <2008.07.27 記>

アボリジニが生んだ天才画家
■エミリー・ウングワレー展■
赤い大地の奇跡―5万年の夢(ドリーミング)に導かれ、彼女は絵筆をとった。
■作品展示構成■

 

■過去記事■ 文化・芸術など
   

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2008年7月26日 (土)

■ドラマ 『打撃天使ルリ』。だっしゃー!と濃すぎる漫画を日常に組み込む試みは成功するのか?

困ったねー。こりゃ一筋縄ではいかないよ。

Photo
■金曜ナイトドラマ、『打撃天使ルリ』。

■正直、ラストの暴力シーンはちょっと引いてしまった。

お茶の間に持ち込まれる「暴力シーン」というのは型にはまった毒抜きされたものというのがお約束であって、懲らしめられるべき極悪人も必ずそういう「型」を踏むワケで、だからこそ時代劇にしても刑事ものにしても安心して家族でテレビを囲むことができるのである。

内気で弱々しいルリを打撃人類として覚醒させるために必要な刺激であるとはいえ、被害者の妻と子供をドラム缶にコンクリート詰めにするというのは明らかにその一線を越えている。

「必殺仕事人」のような爽快感がまったく無く、後味の悪さだけがいつまでも残ってしまうのは、「お約束」を裏切ったことによる不可避な副作用なのである。

■じゃあ、もう見ないのかというと、そこでなかなか踏ん切りがつかないのだ。

脚本も演出も上手く出来ていて、ハラハラしながら一気にラストまで惹きつけられたというのもまた事実なのである。

「あ、こう来るだろうな」というところで、「やっぱり!」と一度思わせておいて、その場で裏切る脚本の妙。

はじめの部分の夢オチか?と思わせたシーンとか、コンビ二前で3人組に立ち向かうと見せかけて菊川玲がヘナヘナの猫パンチを出すシーンとか、どうしてもニヤリとしてしまう。

その脚本の面白さにテンポとスピード感のある思い切りのいい演出が加わって、力強くコッチを作品世界に引きずり込んでゆくのだ。

■原作は10年ほど前にヤングジャンプで連載されていた山本康人の同名の漫画である。

ストーリーはすっかり忘れてしまったが立ち読みしていた記憶はあって、原作の「ルリ」は地味な女子高生なのだけれども、「だっしゃー!」のシーンの描写があまりにも濃く、いや、本当に濃すぎる絵で、そこだけが妙に記憶に焼きついている。

その濃すぎる絵のゆえに現実から切り離されていて、その異質な感覚が魅力であったように思う。

■そんな異質な作品をテレビドラマに持ち込むというのは明らかに暴挙である。

ところが作り手はこれを見事に料理した。

「だっしゃー!」という素手による「打撃」で相手をふっとばし、壁に人の形の穴をあける。

そんなバカな。

というマンガ的な部分をはっきりとわかりやすく描く一方で、そんな「非日常」はまったく理解しがたいですよ、という「現実」の部分は芝居としてリアルに描く。

そのギャップを強烈に作り出すことで、「こんなことあるわけない!」という感覚を面白く浮かび上がらせることに成功しているのだ。

「打撃」を目撃した街の人インタビューのドキュメンタリー’風’な場面とか、「非現実」を目の前にそれを受け入れることを頑なに拒む菊川玲の真剣な演技とか、エッジが効いているというのか、素直に凄いなと感心してしまう。

菊川玲?なんで!?という、はじめに感じた唐突な印象は、

おお!

という感嘆符に塗り替えられた。

■まわりを固める俳優もいい。

とくに素っ頓狂な声を出すコールセンターの係長。

この職場のドラマもうまく動き出せば面白そうだ。

あと、この人濃いなーと思ったデカ長。

見ているときには気付かなかったけどピーター(池畑慎之介)さんじゃないですか!

ヒゲ生やして、ぼさぼさのアタマで、色眼鏡かけてて、もう全然わからんかった。

ある意味一番のサプライズだったかもしれない。

■というわけで、後味の悪さを乗り越えて次回も見るのだろうな、とおもう。

毎回こんな展開だと見放さざるを得ないだろうけれど、もっと大きく化ける予感を秘めたドラマである。

そんな予感を信じてみたい。

                         <2008.07.26 記>

■追記■
やっぱ、駄目みたい・・・。リタイヤします。
                         <2008.08.19 記>

■原作 『打撃天使ルリ』 (1)
     

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■金曜ナイトドラマ 『打撃天使ルリ』公式HP

■キャスト■
>【打撃人類】
小峰ルリ    :菊川怜
相馬健一郎  :遠藤雄弥
謎の少女・唯  :沢木ルカ
【港警察署・刑事】
神取祐司    :池畑慎之介
佐々木達也   :池田努
柚川麗美    :中山恵
【ルリの家族】
小峰咲子(母) :石野真子
小峰 誠(父)  :升毅
【職場の同僚】
森崎潔(係長) :小須田康人
水上礼奈    :木内晶子
本吉由香里   :永池南津子
【ニュースリポーター】
葛谷美里    :能世あんな
   

■スタッフ■
原作:山本康人
脚本:徳永友一、高橋美幸
演出:常廣丈太、秋山 純、梶山貴弘
音楽:海田庄吾
制作:国際放映、テレビ朝日
* * *
主題歌 『I LOVE YOUをさがしてる』 GLAY
   

■過去記事■
■TVドラマ雑感・バックナンバー

■トラックバックさせていただきます■
’カネハトキナリ’ さんの「思ってたより面白い! 打撃天使ルリ 」

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■Windowsは何とかならんのか!

どうも最近、Windows XPの調子がいまひとつと思っていたら、案の定・・・。

Windows_xp_sp3

■帰宅してノートパソコンを起動したら、

ハードディスクの容量がほとんどありません。

と突然の告白。

おいおい、使い始めてまだ一年半しか経っていないし、特にバカでかいデータを保存したこともないんだよ。

いくらなんでも、そりゃ何かの間違いなんじゃないの?

■で、調べて見て愕然とした。

Cドライブの容量が75GBなんだけれども、ほんの数百MBくらいしか残っていなくて、しかも「WINDOWS」というフォルダだけで70GBも占領していた。

個人のデータなんて1GBも無くて、プログラムフォルダが3.4GB、それでほとんどおしまい。

■とりあえず、個人データの移動とか、いらないプログラムのアンインストールとか、データの圧縮とかで、やっとのことで空き容量10GBを確保。

それでも全体の13%程度で、もう少しなんとかしたい。

仕方なく、63GB程度に圧縮されたWINDOWSフォルダの中から削除可能なデカいファイルを探すことにした。

■で、WINDOWSフォルダ内のデータの容量を丹念に調べていったのだけれど、これがまた無いのだ。でかいデータが。

大きくても数百MBのフォルダで、塵も積もればなんとやら、どうやら一年半の間に細々としたデータが降り積もって70GBにも成長してしまったようなのだ。

■ともかく地道に削除可能なファイルを探す。

少し大きめで「これは?」というファイルをぐぐってOKならば削除するという作業の繰り返し。

気がつけば朝になっていた。

■そんだけ根をつめても成果は1GBにも満たない程度で、

これ以上頑張っても仕方ねぇ、もういいや、

と再起動をかけてシステムの調子をみることにした。

       

ところが、今度はOutlookも、Excelも、Wordもエラーが出て立ち上がらなくなってしまった!!!

       

天を仰ぐ、

というのは、こういう時のことをいうのだろう。

■しばし呆然としたあとに、システムの復元を試みた。

が、データ削除の作業の中で復元ポイントを1つしか残さずに全部捨てていたことに気付いてまた愕然。

とりあえず最新の復元ポイントに戻ったが、やっぱり症状は治らない。

愚だ具だ言ってもしょうがない、Officeを再インストール!

とCD-ROMを入れてみたけどウントモスントモ反応しない。

あれ、どうすりゃいいんだっけ?

■徹夜明けの朦朧とする意識の中で、そういえば「$ナンタラ」というWindows修正プログラム・フォルダの中身は消す前に「嫌な予感」がしてバックアップをとっていたことを思い出す。

0.5GBの容量と引き換えにして元の場所にデータを戻す。

このあとの再起動はホント、祈るような気持ちであった。

■何故、こいつらを戻してシステムが回復したのかはまったく分からないけれど、まあ何とかこうして元の状態に戻ることが出来た。

けどね、

一年半もデータの掃除をせずにほっぽらかしておいて言うのも何だけど、Cドライブの8割以上を基本的にシステムが使う「WINDOWS」フォルダが占めるってのはどうかと思う。

■今回の件もそうだけれど、マイクロソフトはお客の方を向いて無いなとつくづくおもう。

どんだけ頭のいい人たちの集まりなのか知らんけど、

独善的、

という匂いがぷんぷん漂うのだ。

■エラーの対策を知るべくマイクロソフトのHPに行っても、専門用語の羅列でちんぷんかんぷん。とても日本語とは思えない説明にすっかり解読する気力が萎えてしまう。

え、それくらいの用語は常識でしょ?

って、わからないから聞きに来てるのに!

という苛立ちを禁じえない。

それは、おせっかいな機能ばっかりで思うように動かない「WORD」にしても同じで、

この素晴らしい機能を上手く使いこなせないあなたが悪い、というオーラを感じて何度かんしゃくを起こしたことか・・・。

■ああ、使いやすかった一太郎が懐かしい。

と、嘆いてみても、世の中はExcel、Word、Powerpointで動いていていて、その状況は変わらない。

自分に出来ることは、せいぜい、こうやってブログで愚痴ることくらいなんだよなあ。

情けなし。

                                      <2008.07.26 記>

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2008年7月23日 (水)

■「伝わる」の前にある大切なこと。『爆笑問題のニッポンの教養』 芸術、宮田亮平。

今回のテーマは「芸術」。

なのだけれど、「芸術」そのものではなく、【伝える】というとても普遍的で深い内容に話が入り込んでいった。

前編の最後に太田が、

「あなたのメッセージは全然伝わらない、感じない」

と藝大の学長から強烈なパンチをくらって、【作り手】同士のなかなかにスリリングな展開となったのだが果たして・・・。

Photo
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE043:「アートのハート ~伝えること 伝わること~」 2008.7.08、15放送
東京藝術大学学長、宮田亮平。

■そもそもの発端は、

「今の時代の(藝大の)学生って、社会に居場所があるんだろうか?」

という太田の問いかけである。

ダビンチの時代ならいざ知らず、【藝術作品】を作ったところでほんの一部の人にしか見てもらえない。どれだけ素晴らしい作品であっても、社会的な意味はほとんど無くなってしまっていて、今、藝術で食っていこうとする若者は将来の自分のイメージが描けないのじゃないか。

そういう意味では、お笑い芸人の方がまだ希望が持てるんじゃないか、というのだ。

■それに対して学長の宮田さんは、

いかにピュアな自分を出せるか。

「今」をキッチリ生きるためにはどうしたらいいか、ということだ。

■そりゃ、キレイゴトでしょ、

食えるか、食えないかの問題なんだから。

と、太田が負けじと反撃する。

■このやりとりの時点で、すでに学長と太田の見ている風景が大きくずれている。

自分のなかにある「何か」をどうやったら表現することができるのか、という「己の主観」にどっかりと腰を据える学長と、「社会との関係の中での『自分』」にこだわる太田。

『伝える』、

といった時、この立ち位置の違いがさらに明らかになっていく。

■太田は【A】という自分の表現したいことがあって、それをコトバにしたときに相手が【A】と受け止めずに【A’】とか、下手をすると【B】とか【C】とかになってしまう、そのことがツラくて、相手に伝わった!と確信できないことに煩悶するのである。

そこには常に「相手」がいるのだ。

■学長は、【B】とか【C】とかでいいじゃん。

そういう時代もあるもんなんだよ。

という。

ここで太田は「中島みゆき」じゃないんだから、と茶化して逃げたが、学長は自らの過去に於いてやはり太田と同じ煩悶をしていたようで、その「気付き」を太田に伝えたかったようにも思える。

そして太田自身も、そのことが痛いほど分かっていたに違いない。

けれど、こればっかりは「アタマ」で理解したら解決できるという問題じゃない。

だから、つらいのだし、話を茶化して逃げざるを得なかったのだろう。

■宮田さんは、【伝える】ことについて苦しんで苦しんで苦しみ抜いた結果、同じ苦しみを背負った芸術家の卵たちを見守る役割として日本における藝術の最高学府の学長になるほどの人である。

その宮田学長が何度も何度も繰り返し言っていたのが、

いかに自分に正直に、ピュアになれるか。

なのである。

■「伝えたい」。

と思う前に、自分をちゃんと出せているかい?

それは本当に純粋な「自分」なのかい?

と問われているのである。

「太田のメッセージは全然伝わらない、感じない」と言っていたのは断定、ではなく問いかけであり、「作り手」の先輩としての指導だったんじゃないだろうか。

■何もそれは太田だけの話ではなくて、

「伝えたい」

という想いは誰もが抱く希望であり、それが出来ない苦しみを誰もが抱えているのだとおもう。

自分自身にとっても、このブログを立ち上げた理由はそこにあるのだし、「伝える技術」を磨きたいとヌルいなりにも努力をしているつもりである。

■けれど、「伝えたい」の前に

何を?

という問いに答えなければならない。

そしてそれはそれほど単純な話ではなくて、駿台・藤田の現代文のように「イイタイコト」を明確にする、なんていうことでは決してない。

そもそも、<【A】という伝えたいことがあって、>

という仮定自体に落とし穴があるのじゃないか、

今回の前後編を消化していくなかで、そういうことを感じ始めている。

それは【A】とか、そういうふうに「あるもの」として定義することが出来ない性質のものなのじゃないだろうかとおもうのだ。

■何か作品を作っているとき、はじめから設計図があって、その通りに出来上がるとおもって作る芸術家はいないだろう。

今、自分の目の前にある「対象」が、自分自身ですら意識していなかった何かを引き出して立ち上がっていく。それを目の当たりにしたときに胸に込みあげてくるもの。

コトバにすることが出来ないその「感覚・状況」が、『伝えるべきこと、そのもの』なのではないだろうか。

而して、その「感覚・状況」の結果生まれた作品に他人が向き合い、その人の胸に何らかの「感覚・状況」が再生されたとき、

それが『伝わった』、ということなのじゃないだろうか。

■今、この文章を書いている瞬間にわたしが感じていること。

そしてこの文章を読んでいるあなたが今この瞬間に感じていること。

         

それは生きてきた背景も違えば、今、置かれている状況も違うわけで決して「同じ」ものには成り得ない。

けれど、太田が9.11の直後に司馬遼太郎の『二十一世紀に生きる君たちへ』を読んだときに彼の中で生まれたもの、その後に司馬さんを良く知る人と話をした後に彼の胸の中で反芻され、そこで起きた化学反応。

それこそが、『伝わった』、ということなのだとおもう。

何かを生み出そう、という気持ちがある限り結論は無く、伝えることの苦しみから解放されることはないのだろうけれど、

それが今回の番組を見て立ち上がった、

ワタシのモノの見方である。

                          <2008.07.23 記>

21
■二十一世紀に生きる君たちへ 司馬遼太郎・著

      

■宮田亮平さんの作品

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2008年7月21日 (月)

■「語座」実験劇場3。コトバのハタラキについて。

フリーアナウンサーの友人が舞台に立つというので、槇 大輔さんの『「語座」 実験劇場3』を見に行った。

P7201246_2

■「語座(かたりざ)」というのは話すことを生業とする人たちの勉強会のようなもので、年に何度か公演というカタチでその成果を一般にお披露目する。

彼らの公演に行くのは2度目。

今回は「実験劇場」と銘打って、敢えて奇をてらい、「話す」という行為を通常とは別の角度から大胆に切り込もうという試みである。

■面白い。十分に楽しめた2時間であった。

とはいえ、やはり「実験」というだけあって安心して楽しめるというものではなく、多々気になるところがあったのも事実で、そのあたりを自分なりに整理して見たいとおもう。

うまく伝わらない、コトバが「ハタラカナイ」ところを直視することで、却って「伝える」という行為における大切なことが浮かび上がれば幸いなのだけれども、さて・・・。

■演目は3つ。

日本の主要な地方の方言で、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」をリレー方式で語るとどうなるか、という『蜘蛛の糸日本縦断』。

戦前の時代の人生相談を舞台にあげた『大正時代の身の上相談』。

最後は、向田邦子 作、「寺内貫太郎一家」第一話をあつかった『テレビドラマをラジオドラマ風にして舞台で魅せる』。

■まずは『蜘蛛の糸日本縦断』。

函館ー仙台ー東京・山の手ー名古屋ー大阪ー北九州。

それぞれの方言の味わいはとても楽しめたのだけれども、「語り」としては失敗だと思う。

話がまったく伝わってこないのだ。

それは決して方言がきつすぎて理解できないということではない。

■語り手と語り口が極端に変わってしまうことで物語の流れがブツブツに寸断されるのである。

たとえ語っている内容の筋が「意味」としてつながっていようとも、語り手の「主観」が入れ替わった瞬間に物語はリセットされてしまう。

これではカンダタも安心して蜘蛛の糸を昇っていけないというものである。

■もうひとつ。

方言で語るためには当然のことながら「蜘蛛の糸」の原文はその方言にアレンジされる。

一字一句、句読点の位置に至るまで、その文章には練りに練って練りぬいたであろう芥川龍之介のこだわりが染み渡っているはずで、果たして「方言化」されたときにそこに何が起きるのか。

残念ながら今回は先の「バラバラ」事件によって、そのあたりの化学反応を観察することは出来なかった。

「翻訳」の限界、「方言」と「標準語」の母語としての境界線。

これはこれでひとつのテーマであるとおもう。

今度はひとつの方言に限ったカタチでの原文との「語り比べ」を聞いてみたいものである。

■一方、物語りも終盤、方言でのリレーが入れ替わり立ち代りリズミカルに進む部分があったのだけれども、ここはそういった理屈を一切帳消しにする面白さがあった。

「語る」という話し手と聞き手の関係が崩壊し、「演劇的空間」が生まれたのだと思う。

この変化のダイナミックさは結構な見ものであって、

多少ガタガタ言ったけれども、終わりよければすべて良し。

「舞台」の迫力というものを久しぶりに味わえたのが収穫である。

■次は『大正時代の身の上相談』。

大正時代の人の悩みに対して当時の読売新聞の記者が回答する。という構図に現代のコメンテーターが評価を加える『大正時代の身の上相談』という本から、一字一句そのまま抜き出して、相談者ー当時の回答者ー現代の評者という3つの立場を舞台の上で語り分けてみた、という趣向である。

■見ていて正直、ちょっとキツかった。

大正時代であろうが現代であろうが、新聞紙上の「身の上相談」というものは極めて個人的な話を他人が盗み見るのであるから、多少なりとも「嫌らしさ」を含んだものである。

それをそのまま舞台仕立てにするのは、ちょっと乱暴すぎたかもしれない。

■「相談者ー回答者」という関係の外側に観察者がいる。それを「本」というカタチで個人的に愉しむのは当然「あり」だ。

けれど、その関係が舞台に上がり、前後左右に他人様がいる「公衆の面前」で、あっけらかんと演られてしまっては己の居場所に苦しむのである。

これが「恥ずかしい話」として直接客席に訴えかけるものであれば、そこに迸るであろうエネルギーが観客を包み込み、一体化を促し、その場を「劇的空間」へと変貌させることでその「居心地の悪さ」を「共感の場」へと変貌させることも可能であっただろう。

ところが「相談者ー回答者」という関係の外側に「観察者」がいて、そのまた外側に我々「観客」がいるという重層構造は、本来の生々しい「身の上」を一般化し、客観視を促進するがゆえに、唯一の突破口であろう「劇的空間」への変容の道も閉ざされてしまっているのだ。

■そんな中で横尾まりさんの背筋がすっと立った雰囲気が、

「大正時代の良識」というものに対するイメージを膨らませることに成功していて、

目のやり場に困る居心地の悪い舞台の中で唯一彼女が居る中央のそこだけが、落ち着ける、やすらぎの場所であった。

■最後は『テレビドラマをラジオドラマ風にして舞台で魅せる』。

ここで無難なドラマを避け、敢えて「寺内貫太郎一家」を選ぶところに本気を感じる。

「寺内貫太郎一家」といえば小林亜星である。

あの巨体、あの暴れっぷり。

「寺内貫太郎一家」という響きには、あの圧倒的な小林亜星の存在感がしっかりと染み付いてしまっているわけで、「語り」でそこに立ち向かうのは半端なことではない。

■観客の心にヴィヴィッドに焼きついた小林亜星のイメージを再生させるのか、はたまた、そのイメージを描きかえるのか。

あまりにも、その存在が強すぎて後者の道は絶望的である。

少なくとも、ワタクシ的には前者にしかなりえなかった。

■舞台の上で登場人物が横一列に座って並ぶ。

声を当てる場面になると、その「語り手」が前に並んだマイクの前にゆっくりと静かに立って「セリフ」を語る。

その「静」なる情景から「貫太郎」の爆発的な「動」を生み出す作業。

舞台での「語り手」の動きを視界にしている限りにおいて、なかなかその「反応」が生まれてこない。

■そうか、「ラジオドラマ風」といっていたな、

と目を閉じてみて、やっと物語りが動き出した。

けれど、それでもどこかが上手くハタライテいない。

何かが欠けている。

■高校生くらいの頃か、夜中にFMでラジオドラマを聴いていた。

そこには物語の力強い推進力が存在した。

何かが違うのだ。

■ふと、もう一度目を開けてみて、そういえばと、ナレーションの広居播さんがしゃべり通しであることに気がついた。

物語りの情景や人物像の説明を全て語りつくしていく感じ。

一時間近い長丁場をしゃべり続ける広居播さんの語り手としてのスキルは驚嘆すべきものだけれども、「ト書き」を全部語ってしまっては「作品」にはなりえない。

台本に問題あり、であったのだ。

■釈迦に説法を承知で顔を赤らめながら恥ずかしそうに書くのだけれども、

語り手と聞き手のキャッチボールがあって、そこに生まれる「場」そのものが「作品」なのだ、と思う。

隙間無くすべてを「語り手」側で埋められてしまっては、それを受けた聞き手が「何か」を想像する余地が無くなってしまう。

敢えて語らない。

それが生き生きとした作品には不可欠なものなのだ。

昔のラジオドラマにはそれがあったのだと思うし、ラジオという映像の無い「音」だけのメディアであるが故に、むしろテレビドラマよりも想像を掻き立てられ、ワクワクする何かが胸の中で動き回っていたようにも思う。

■そういう意味で、「ラジオドラマ」風に、という試みは残念ながら失敗であったのじゃないか、というのがワタクシの見方である。

とはいえ、舞台の上に10人ものプロの語り手さんを並べておいて、こっちは客席に座りながら腕組みをし目を閉じて「声」だけを味わっている。

その贅沢さ。

それだけで「木戸銭」の分は十分おつりがくるくらいであって、

その上さらにその道のプロを相手に好き勝手を書いてしまっている自分にハタと気付き、それでも、「まあ、書いちゃったんだし、しょうがないよね」などと、僭越で厚顔無恥な、どこまでも仕方の無い自分を改めて再確認するのであった。

関係者の方、もしご覧になっていたら気を悪くしないでくださいね。

                           <2008.07.21 記>

Photo
■蜘蛛の糸は必ず切れる<諸星大二郎・短編集>
■【書評】『蜘蛛の糸は必ず切れる』 諸星大二郎。小説です。

Photo_2
■大正時代の身の上相談 <ちくま文庫>

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■寺内貫太郎一家 DVD-BOX <1>

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■ 槇 大輔の世界 「語座」 HP

■過去記事■ 文化・芸術など

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■NASA、スペースシャトル後継に日本製無人輸送船HTVを!?

読売新聞、20日の朝刊のトップに驚くべき記事が踊った!

Htvh_transfer_vehicle
■HTV(H-Ⅱ Transfer Vehicle)。直径4m×全長10m、最大積載量6t。
2009年夏にH-IIBロケット試験機1号機にて種子島から打ち上げられる予定。
<JAXA HPより>

■NASAのスペースシャトルは2010年に退役することになっているが、後継の輸送機の運用が始まるのが早くとも2018年であり、その空白の期間にISS(国際宇宙ステーション)への物資輸送など必要なミッションに対応する方法が決まっていない。

今回、NASAがその空白を埋める対応として日本のHTV(H-Ⅱ Transfer Vehicle)を採用することの検討を開始し、JAXA(宇宙航空研究開発機構)に打診していることが明らかになった。

ということである。<2008.07.20読売新聞 朝刊より>

■まあ、検討を開始したというレベルだから、ここで喜ぶのは時期尚早というもの。

けれど選定の対象となる、それだけでも、対米敗戦からの苦節63年。航空・宇宙業界の関係者にとっては感慨深いものがあるのではないだろいうか。

まずは来年夏のH-ⅡB打ち上げ成功にすべてが係っている。

・・・なーんて強烈なプレッシャーがかかって失敗しないように、

あたたかく見守ろうじゃないか。

                            <2008.07.21 記>

   
■JAXA HP、HTV(宇宙ステーション補給機)解説。

 
■過去の記事■ 飛行機、宇宙の話など  
    

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2008年7月20日 (日)

■【映画】『レディ・イン・ザ・ウォーター』、M・ナイト・シャマラン。ひとの人生における役割は、他者との関係性の中で触発され、自らの中から生まれてくるものなのだ。

もしかするとナイト・シャマランの映画の中で一番気に入ってしまったかもしれない。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.17  『レディ・イン・ザ・ウォーター』
           原題: Lady in the Water   上映時間:110分
          監督: M・ナイト・シャマラン 公開:2006年7月(米)9月(日本)
      出演: ポール・ジアマッティー ブライス・ダラス・ハワード 他

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■スプリンクラーによる靄(もや)、水、そして家。A・タルコフスキーの映画のような幻想的美しさ!

■言わずと知れた大ヒット映画、『シックス・センス』でメジャーデビューしたM・ナイト・シャマランの作品。

『アンブレイカブル』、『サイン』、『ヴィレッジ』と、日常が崩れていく姿を表から裏からとさまざまな角度で切り取り、斬新な作品を生み出してきたナイト・シャマラン監督なのだけれど、この『レディ・イン・ザ・ウォーター』は今までの映画とは一風違った作品となっている。

主人公の異常な体験という意味では変わりは無いのだが、今までのような「秘密が明かされる」という流れではなくて、「物語」を作っていく、そういう話なのだ。

この作品は現代の童話であって決してミステリーではない。

そこに気付かず、「秘密」にばかり興味を向けてしまうと上手く入り込んでいけないかもしれない。

実際、一般の評価も芳しくなく興行成績もイマイチだったという。

なんとも勿体無い話だ。

■ストーリー■
舞台は、多種多様な人々が集まるフィラデルフィアのアパート。日々仕事をこなすだけの人生を送るアパートの管理人クリーブランド(ポール・ジアマッティ)は、ある日突然プールに現れたひとりの少女(ブライス・ダラス・ハワード)と出会う。

彼女は海から来た精霊・ナーフ。ある目的を果たし故郷へと還ろうとする少女だったが、彼女を付け狙う獰猛な怪物がその邪魔をする。

彼女を故郷へと無事に還すためのキーパーソン達はこのアパートにいる。解読者(シンボリスト)・守護者(ガーディアン)・職人(ギルド)・治癒者(ヒーラー)。管理人クリーブランドは彼らを見つけ出し、少女を怪物の魔の手から守りきることが出来るのか。

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■【DVD】 レディ・イン・ザ・ウォーター 特別版

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■非常にメッセージ性の強い作品である。

海(=地球生命の総体)から離れていってしまった人間に「何か」を気付かせようとする。

それが「レディ」=精霊・ナーフの役割である。

ここではM・ナイト・シャマラン本人が演じるインド系アメリカ人の青年ビックが「気付く」役割を担う。

何か大切なことを書かねばならないと感じていた小説家の卵であるビックは、彼女と出会うことにより自分の中で何かが弾け、「料理本」と題した文明・政治批評を一気に書き上げる。その本が次の世代へと受け継がれていく中で世の中にゆっくりと大きな変化をもたらせていくことになるのだ。

「料理本」の具体的な内容は明かされることは無いが、この映画を見終わったあとに残るあたたかい「感覚」。それこそがナイト・シャマランがこの「童話」を通して伝えたかったことなのだと思う。

08
■自らの人生を封印してしまったクリーブランドのもとに天使が舞い降りてくる。この映画はストーリーが彼のこころに触れることによって彼を解放する「癒し」の物語でもある。そして癒しを受けることで初めて、クリーブランド自身が「治癒者」として目覚めるのだ。

■この物語の中心にいる精霊・ナーフの名前が「ストーリー」であることがこの映画を味わう上でのキーポイントである。

ストーリー=物語=人生は、既に語りつくされた「型」によって定められたレールの上を進んでいくものではない。

管理人クリーブランドは、解読者、守護者、職人たち、治癒者という精霊・ストーリーを無事に故郷へ還すために必要なメンバーを探し始めるのだけれど、そのヒントを得るためにこのアパートにショートステイしている著名な評論家の助けを借りる。

■彼に言わせれば、「物語」は既に語りつくされていて、すべての作品はこれまでに語られてきた物語の枠組みに還元することが出来る。

そして解読者、守護者、職人たち、治癒者という「名前」から、「既に語りつくされた枠組み」に沿って、そのキャラクターの特徴をすらすらとクリーブランドに語ってみせる。

集められたメンバーも、そのレディメイドなキャラクター設定を信じ、精霊・ストーリーを故郷に還す「儀式」を演じる。

が、結局それは失敗に終わり、精霊・ストーリーは怪物の毒牙にかかって衰弱し、死んでしまう。

■「ストーリー=物語=人生」を分かりきったものとしたその時に「物語」は活力を失い死に至るのだ、という強いメッセージ。

それはナイト・シャマランの「作家」としての「物語」に対する態度であり、「人間」としての「人生」に対する態度である。

と、同時に自らの中にある「型にはめようとする」批評家的な自分自身を戒めるものであり、それは、他人事ではなく自らの人生を脅かす「怪物」と直面し対峙したときですら「型の枠組み」から逃れることの出来ない無力な評論家・ハリーの姿として語られる。

■生きとし生けるものには全てに役割がある。

人間はみんな独りではなく、一人ひとりがつながっている。

精霊・ストーリーが何度も繰り返すことばである。

それぞれのひとの「人生における役割」は、他人との関係性の中で触発され、自らの中から生まれてくるものなのだ。

Photo_2

■アパートの住人たちは、それぞれが自らの「役割」を自覚し、死の淵から「ストーリー」を救い出すことに成功する。そして、彼らの内側から生まれ出てきたやり方で再度、彼女を還す儀式を試みるクライマックス・シーンに至る。

ストーリーめがけて襲い掛かってくる「怪物」。

自らが「守護者」ではないと分かりつつ、それでも「怪物」からストーリーを守ろうとするクリーブランド。

その時「偶然」、右半身だけを鍛える変なマッチョのレジー君が彼らの後ろに立っていて、「怪物」はレジーを警戒して前に進めない。

レジーが「守護者」だったのだ。

■これを「ご都合主義」と切り捨てる我々は、その物の見方こそが人生に解釈を持ち込む「評論家」的態度なのだと気付く必要がある。

人生はいつだって「偶然」の積み重ねによって成り立っていて、そこには「理由」なんてものはない。

そして、その「偶然」という神の微笑みは、自らがやるべきことをやりきったその上に降りてくる。

偶然とは、自分の内側から発する輝きに呼応して、今まで何ものでもなかったものが突如として反応し、驚きをもって現れてくるものなのである。

だから人生は面白いのだ。

01      <2008.07.20 記>

Photo
■前作、「ヴィレッジ」で盲目の少女を演じたブライス・ダラス・ハワードの精霊・ストーリーがいい。
羽根が生えていたり、半透明だったりすることなく、普通の少女っぽい風体なのだけれど、それでも一目見て、「あ、精霊だ。」と観る者を納得させてしまう彼女の「存在感」が素晴らしいのだ。
特にクリーブランドが初めてストーリーと対面するシーン。
床に滴った水に続いて彼をを見つめる表情のアップ。
「抑えた」、「寡黙な」、それでいて「強い衝撃」を与える、脳みそを飛び越し、理屈を超えて理解を迫る。そういう強さを持った名シーンである。(画像が見つからない・・・、残念。)

        

Dvd ■ レディ・イン・ザ・ウォーター (’06)

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Dvd_2
■ シックス・センス (’99)
■どんなに面白い映画かって当時の彼女に薦めたら、途中で分かっちゃったじゃないのと怒られた。この映画についてあまり語ってはイケナイ。

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■ アンブレイカブル (’00)
■ミステリーと思いきや・・・、という途中の大転調が最高に素敵なのだ。

Dvd_3
■ サイン (’02)
■恐ろしいものは、はっきりと見えない暗闇の中から襲ってくるものであるが、それが白昼堂々と日常の中に侵入してきた時の非現実感、これがたまらない。

Photo
■ ヴィレッジ (’04)
■レディ・イン・ザ・ウォーターの精霊・ナーフ役、ブライス・ダラス・ハワード初のメインキャスト。盲目の少女が’怪物’の影に怯えながら森を抜けていくシーンが秀逸。
主役の女優が同じというだけでなく、映画としてのテーマの種もこの『ヴィレッジ』で既に芽生え始めている。この映画のラストは、人間が生きていく上で避けることの出来ない悲劇、と捉えるべきなのだろう。その意味でも『レディ・イン・ザ・ウォーター』と対になる作品なのだと思う。

■レディ・イン・ザ・ウォーター 公式サイト■

 
■【新作】『ハプニング』 公式サイト■

■雰囲気的には『サイン』なんだけど、やっぱそんなに単純じゃないわな・・・。

    
■過去記事■

■【映画評】名画座・キネマ電気羊 <目次>へ
      

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■STAFF■
監督:  M・ナイト・シャマラン
製作:  M・ナイト・シャマラン
     サム・マーサー
脚本:  M・ナイト・シャマラン
音楽:  ジェームズ・ニュートン・ハワード
撮影: クリストファー・ドイル
美術: マーティン・チャイルズ
衣装: ベッツィー・ハイマン
編集: バーバラ・タリヴァー
配給:  ワーナーブラザーズ


■CAST■
ポール・ジアマッティ     :【管理人】クリーヴランド・ヒープ
ブライス・ダラス・ハワード  :【精霊】ストーリー
                        
                 *  *  *  *  *  *  *
ジェフリー・ライト        :【パズル好き】デュリー
ボブ・バラバン         :【評論家】ハリー
フレディ・ロドリゲス       :【半身マッチョ】レジー
M・ナイト・シャマラン     :【作家の卵】ビック
ジャレッド・ハリス       :【あご髭のスモーカー】
ビル・アーウィン        :【引きこもりの中年】リーズ
メアリー・ベス・ハート     :【動物好き】ベル婦人
シンディ・チャン        :【女子大生】スーン・チョイ

■トラックバックさせていただきます■
’映画鑑賞★日記・・・’ さんの「レディ・イン・ザ・ウォーター」
’裏の窓から眺めて見れば’ さんの「レディ・イン・ザ・ウォーター」

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2008年7月18日 (金)

■【書評】『栞と紙魚子の百物語』 諸星大二郎。物の怪が当たり前のように日常に居る楽しさ。

栞と紙魚子の新作である。

胃の頭町全体を巻き込む壮大なスケール(笑)で展開した前作、

『何かが街にやって来る』でてっきりおしまいと思っていたのだけれども、これはうれしい誤算であった。

Photo ■栞と紙魚子の百物語

■今回からまた新しく珍妙なメンバーが登場する。

・妖怪に変化した古本を集めて回る妖怪「司書」、キイチ。
(本名は、十口木一=古本、というやる気のないネーミング)

・実は露出狂なんじゃないかという疑いの晴れない弁天様。

・クダギツネ使いの’イケメン’転校生、管正一。

■とはいえ中身は相変わらずの栞と紙魚子で、安心して読み進めることが出来るのだけれども、全体を通してみると、なんか少し今までの「栞と紙魚子」とは違う味わいを感じる。

今までの「栞と紙魚子」は、日常の片隅にある何の変哲も無い扉から「異界」にさ迷い込むとか、日常の中に「ワケの分からないもの」が発生して混乱を巻き起こす、そういうパターンが多かったように思う。

けれど、今回はごく当たり前に「もののけ」があって、その前提の上に物語が組み上げられている感じがするのだ。

まぁ、これだけ変なことが起きる胃の頭町が正常な日常を維持できるわけもないのだけれど(笑)。

■話は7編。

■「妖怪司書」。

子鬼のキイチ登場のはなし。妖怪化した古本や妖怪が擬態した本を捕まえるのが妖怪司書の仕事で、もちろん怪しげな古本がしこたまうなる宇論堂がはなしの舞台。栞と紙魚子がキイチを捕まえようとしかけるベタな罠と、それに引っかかるベタなキイチが面白い。

■「栞と紙魚子物怪(もののけ)録」。

二百年前、連日のように現れる妖怪をものともしなかった豪胆な青年、平太郎の絵巻物世界に引き込まれ、胃の頭町もののけ代表として平太郎を嚇かさなければならなくなった栞と紙魚子のはなし。

オチがみえみえなんだけれど、そのページを開いたときの満足感は期待以上。

この絵は諸星大二郎しか描けないわな。

■「弁財天怒る!」。

弁財天のお堂を守る神様用の’強そうな’結界。・・・なのだけれども、「でも、あの隅の方のはよそ見してるわよ」となんなくすり抜けられてしまう、その間抜けさが好きだ。

■「モモタローの逆襲」。

川をどんぶらこと流れてくるものを迂闊に拾わないこと。

キイチの叔父さんの本物の「鬼」が結構怖い。

■「百物語」。

怪談ひとつ終わるごとにロウソクの火を消していく、いわゆる百物語なのだが、そのメンバーが問題。

何を間違えたか段先生の奥さんは先生との出会いのノロケ話を開陳する。

悪魔召喚の話は数あれど、召喚される側から描いた話は初めてじゃなかろうか(笑)。

さらに、奥さんを召喚した魔導師の使った本が「根暗なミカン」(爆)。

その情けない表紙のイラストが最高におかしい。

※根暗なミカン→ネクラナミカンの何が面白いのかサッパリ分からなくて気持ちの悪い方は下の「ネクロノミコン」を参照してください。

■「クダ騒動」。

使い魔の一種、クダギツネをあやつる謎の転校生、管正一の話。

久しぶりに猫のボリスが活躍。

■最後は3話にわたる中篇、「天気雨」。

忘れ去られたような胃の頭稲荷の小さな祠から「宝物」が盗まれた。

お稲荷さまから犯人探しを頼まれた栞と紙魚子、さらに管くんとクダギツネたちを巻き込んで大捜索が展開する!

お稲荷様の俗物ぶりと、紙魚子の策略にまんまとはまる間抜けな神様が楽しい。

■栞と紙魚子の次回作まで、また2、3年待つことになるのだろう。

それも待ち遠しいのだけれど、

本家の幻想・伝奇マンガの新作はまだなのか。

このままだと怪奇ギャグ漫画作家って言われちゃいますよ、

諸星センセイ!

                           <2008.07.18 記>

Photo  
■栞と紙魚子の百物語 諸星大二郎・著(2008.06.30刊)
    

Photo_3■ネクロノミコン 大瀧 啓裕 訳
■ク・リトル・リトル神話体系/クトゥルー神話に嵌ったのは高校生の頃だから、かれこれ20数年前のことになる。いまさら触れてはならないこの本を開こうにも、その前に記憶があやふやで楽しめる自信は無い。もちろんこれを機にラブクラフトを再読しようなんていう気力・体力ともに全然無い。
でも、本棚の飾りとしてならあっていい本かもしれない。その背表紙を見るだけで気分はボストン近郊のアーカム、ミスカトニック大学付属図書館になるのだから。
ところで、この本の出版社が学研というのには一番驚いた。
普通、国書刊行会か青土社でしょ。時代も変わったものである。

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2008年7月12日 (土)

■出口の見えない徒労の時間の意味について。『プロフェッショナル・仕事の流儀』 映画監督、演出家・堤 幸彦

しばらく録りためていた「プロフェッショナル・仕事の流儀」をぼちぼちと見始めた。

今回のプロフェッショナルは、映画監督の堤 幸彦さん。

__
■気負わず、おごらず、立ち止まらず。映画監督、演出家・堤 幸彦
<2008.5.13放送> (番組HPより)

■『ケイゾク』、『池袋ウエストゲートパーク』、『TRICK』などのドラマの演出で有名な堤 幸彦監督だけれども、花開いたのは40歳頃で、そこまでの演出家としての人生は決して恵まれたものではなかった。

かっこいいミュージック・クリップをつくるという夢を抱いて飛び込んだこの世界。

だがAD時代にはその要領の悪さから、何も考えない、動かない、突っ立っているだけの「電信柱」とあざけられながらも、妻が不治の病に倒れてからはその治療代を稼ぎ出すために、朝から晩まで現場のハシゴをしながら働き続けた。

■この時期の、先の見えない結果の出ない、徒労ともいえるような苦労の日々が、『金田一少年の事件簿』というチャンスにおいて、周囲が瞠目するような大輪の花を咲かせる源泉であったのだ。

と、それはよくある人生の「筋書き」であって、そういう話が好きならば福留さんの『波乱万丈』でも見てなさい、ということなのだけれども、

それでも、意味がまったく見出せない徒労の中で、ただひたすらに歩み続けることの大切さを最近しみじみと感じていて、そういう風に軽く受け流すことが出来ないのだ。

■泥沼のなかで、もがいてももがいても先に進んでいる気がしない。

今、まさに、そういう現在進行形の中に自分があって、まったく他人事ではないのである。

世にいう【 ミッドライフ クライシス 】というやつであろうか。

いや、「名前」なんてどうでもいい、私の人生の問題を「あ、それは、【 ミッドライフ・クライシス 】ですね」なんて、そんな簡単に片付けられてしまっても困るのである。

空回りするばかりの焦燥感。

気、ばかりがはやる。

■客観的に「他人事」として考えるならば、

明けない夜は無い、

などといった言葉を添えて、ゆっくりでいいから進んでいこうと励ましたりもするのだが、

こと、自分のことになるとそんな冷静な考えはまったく働かず、「先に進んでいるかどうかさえ分からない漆黒の暗闇のなかの不安感」に呆然と立ち尽くしてしまいそうになるのである。

■ただ、ひたすらに歩み続けた結果、堤 監督のように花開くひともいる。

けれど堤 監督にしたところで、40歳でいい作品にめぐり合い一気に表舞台に躍り出る、なんてことはつらく厳しい30代には予想もつかなかったことであって、

それは50歳かもしれないし、60歳かもしれないし、もしかすると、アンパンマンで一躍脚光を浴びたやなせたかしのように70歳近い時期になるかもしれない。

先がまったく読めないからこそ苦しいのだ。

■その苦しみの中でもがきながら一生を終える人も大勢いるだろう。

明けない夜は無い、なんていう言葉は気休めで、いつか花開くなんていう保証はどこにもないのだ。

■だからといって、あきらめてしまっては「それまで」である。

あなたにとっての「プロフェッショナル」とは?

という問いに、堤監督はこう答えた。

『どんな逆境でも楽しめること』

■その言葉は、生半可ではない逆境をその背後に感じさせる。

そうなのだ。

今の「成果」の出ない泥沼を「徒労」とは考えないこと。

そこに何らかの意味を求めるのではなく、

それ自体を楽しむこと。

逆境は逆境であって、めちゃくちゃ厳しい状況であることに変わりは無いのだけれども、その状況をネガティヴな「徒労」として自分の外に排出するのではなく、自分の中に取り込んで真っ直ぐ向かい合うこと。

それが、一生、芽が出ないかもしれないという思いのなかで走り続けた堤監督が身につけざるを得なかった流儀なのだろう。

■その為には自分の持っている夢を実現したいという強い思いとその思いにおいては誰にも負けはしないという自信が必要なのだと思う。

それが出口の見えない暗闇の中を進んでいく人間がその苦闘のなかでもがきながらも勝ち取った欠くことの出来ない「能力」なのだと思う。

_
■撮影の現場ではなく控えの場所でモニターを見ながら演出をつける堤監督。目の前で演技を見てしまうと、それにのめりこんでしまって客観的に見ることが出来なくなってしまうからなのだという。深く、物事を考えているひとなのである。

■そういうストイックな生き方がある一方で、

まあ、いいじゃん。

とお気楽に生きていきたい自分もいたりする。

思いつめれば周りが見えなくなって客観性を失うのも理屈であって、

何事もバランスなのかな、とも思う。

と、深く悩んでいる振りをして、どこまでも自分に甘いのであった。

・・・、ってダメじゃん(笑)。

                           <2008.07.12 記>

Box_2 Photo_2 Photo_3
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過去の記事■『プロフェッショナル・仕事の流儀』

■『プロフェッショナル・仕事の流儀』番組HP

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2008年7月11日 (金)

■薄紅(うすくれない)に上弦の月。

080711

梅雨はもう明けたのかな。

                      <2008.07.11 記>

  
■■■ 空の写真 ■■■  
↑カテゴリー・【空の写真】へのリンクです。

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2008年7月10日 (木)

■マツダ ビアンテ。「枠」をはみ出すマツダの勢い。

マツダからミッドサイズのミニバン、ビアンテ(MAZDA BIANTE)がデビューした。

Photo_2
■顔つきはどこかプジョーの’猫目風’。
Photo_3
■斜め後ろから見ると、特に側面の表情の豊かさが実感できる。

■マツダのミニバンはプレマシーとMPVがあるが販売台数は2000台/月レベルで、いわゆる売れ筋の背の高いミニバン、セレナとかノアとかステップワゴンが5000台/月以上のレベルで売り上げているの対してはっきりと水を空けられてきた。

そこでマツダが満を持して、そのMクラス・トールミニバンのカテゴリーに殴り込みをかけるのがこのビアンテなのである。

■といっても、他社と同じことをしてもマツダの販売力では勝てるはずも無く、何かで尖らなければ勝機は見出せない、と思ったのか、かなり思い切ったことをやってきた。

Mクラス・トールミニバンの定説である「5ナンバーサイズ」の枠を確信犯的に破ってきたのだ。

■全長4715mm、全幅1770mm。

全長で15mm、全幅では70mmも「5ナンバー枠」をはみ出している。

トヨタのノア・ヴォクシーが一部3ナンバー幅になっているけれども、太いタイヤを履きたいがために、何となく気付かれないように20mm程度はみ出しました、というコソコソした感じをまったく受けない。

むしろ、そんな古い枠にこだわらないことで、のびのびとデザインしました、ということを積極的に売り込んでいる。

■確かに車体側面の造形は、片側35mmの余裕をつかって「流れるような」カタチを生み出すことに成功している。

セレナにしろ、ノアにしろ、ステップワゴンにしろ、ミニバンで一番大切な「室内の広さ」をとりつつ1700mmの全幅の枠に収めるために、べたんとした、つまらない側面になってしまう。

ビアンテは、そんな純日本的「団地サイズの思想」を取っ払い、欧州的な「デザインにおける贅沢」を選択したのだ。

■乱暴な言い方をすれば、「室内の広さ」と「流れるようなデザイン」をクルマのサイズを拡大することで両立させた、それだけのクルマである。

他に目新しいところは、3rdシートの畳み方がこのクラスで定番の横に跳ね上げるタイプではなく、前に畳むタイプになっているところで、これは好みの問題だ。

あとはエンジンが2.0L&2.3L直噴ガソリンというところだが、5ATとの組み合わせと車重の重さからなのだろうか、10・15モード燃費ではむしろ競合車に若干劣ってしまっている。

マツダの思想は、直噴による効率的なガソリン冷却によるターボ化「DISIターボ」路線であって、その理屈はそれなりに納得できるものだった。

が、今回のようにターボなしの直噴で、しかも排気対応するにはリーンでの燃焼が出来ず、結果、燃費が伸びないということなのであれば、何のための直噴なのかと少し首を傾げたくなるところだ。

■けれど、「流れるようなデザイン」だけであったとしても、ビアンテは十分に魅力のあるクルマだと思う。

街行くクルマがのっぺりしたミニバンばかりじゃつまらなくて、やっぱりこういう目鼻立ちのいいミニバンが増えてくると何となく豊かな感じがするのである。

技術的には、5ナンバーサイズを守りながら美しく、楽しいデザインを作り上げるというテーマにチャレンジする方が面白いのだけれども、世の中が本当に5ナンバーサイズを気にしていないのであれば、単なる自己満足に終わってしまうわけで、

そのあたり、このビアンテの受け入れられ方を眺めていきたいところである。

                             <2008.07.10 記>

■マツダ・ビアンテ公式HP

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2008年7月 9日 (水)

■映画 『300<スリーハンドレッド>』。いくぜ、野郎ども!

何もかもが、良い意味で大仰なのである。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
300

No.16  『 300 <スリーハンドレッド>
          監督: ザック・スナイダー 公開:2007年6月
       出演: ジェラルド・バトラー レナ・ヘディ  他

■物語が陳腐だとか、CGがイマイチうそ臭いとか、そういうことはどうでもよくて、

禍々しき異界ペルシア100万の軍勢を迎え撃つ、スパルタ300人の精鋭たちの闘い、それ自体がこの映画のすべてである、といっても過言ではない。

■ストーリー■
紀元前480年、スパルタ王レオニダス(ジェラルド・バトラー)は、ペルシアの大王クセルクセス(ロドリゴ・サントロ)から服従の証を立てるよう迫られる。そこで、レオニダス王が取った選択肢は一つ。ペルシアからの使者を葬り去り、わずか300人の精鋭たちとともにパルシアの大群に立ち向かうことだった。(シネマトゥデイ)

Dvd_■DVD 300<スリーハンドレッド>特別版

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■そんなアホな!

と思ったのだが、現実は空想より奇なりで、ヘロドトスの「歴史」第7巻に「テルモピュライの戦い」として収められた史実なのだそうだ。

100万対300人隊というのは少し大げさで、実際にはペルシア遠征軍10万対スパルタ重装歩兵300人と他の都市の兵1~2000人。

とはいえ2桁も違うわけで、恐るべき兵力差である(出典:Wikipediaにつき注意方)

それでペルシャ軍を3日間に渡って食い止めたというのだから、そりゃあ『伝説』になっても当然といえよう。

■物語はスパルタの王、幼いレオニダスが「スパルタ式」で鍛え抜かれ、立派な兵士に成長したことを認められて王位に付くところから始まる。

このあたりの「むかし話」的語り口には、ぐいぐいと引き込むチカラを持っている。

けれど、そこから先の物語の展開が歯抜けの紙芝居的というのか中途半端な印象は拭えず、正直少しだれるのだけれど、ここは我慢して通り過ぎるべし。

Photo ■父は行って来るぞ

服従を迫るペルシャの使者を井戸に叩き落し、さて戦争じゃ!となるのだけれど、

祭りの最中の出兵はイカン、という神官のお告げにより全軍でペルシャ軍に当たることは禁じられ、やむなくレオニダスは手勢の精鋭300人と共に出陣する。

海岸線に峻険な山が迫って進路が狭く地理的に優位なテルモピュライに陣を敷き、大軍勢の数的優位を鉄壁の防御で凌ぐという作戦である。

■さて、ここからが見せ場の連続。

津波のように押し寄せるペルシア軍をファランクスの密集隊形で受け止め、押し返し、槍で突き、海へと突き落とす。

Photo_2 ■ファランクス

接近戦は分が悪いと見るや、ペルシャ軍は弓矢を一斉に放ち、レオニダスたちの上に天を黒く染めるような矢の雨が降り注ぐ。

そんでもって、仮面を付けた不死部隊やら、雲突くような大男やら、サイやら、ゾウやらと次々に奇怪な新手がスパルタ軍に襲い掛かる。

この「どこまで行くの!?」

的な畳み掛けるような展開が最高にいい!

迫力を通りこして、もう、お笑いの世界に踏み込んでいるのだ。

Photo_3
■不死部隊(影の軍団にあらず)
Photo_4
■凶暴な大男
Photo_5
■サイを仕留めるシーンが最高にカッコいい。

■そんでもって次々と襲い掛かるペルシャ軍を跳ね除けるスパルタ兵士も素晴らしい。

その鍛え抜かれたマッチョな肉体を見せつけて、バッタばったと敵をなぎ倒していく(あれ、重装歩兵の甲冑は?)。

「マトリックス」的高速度撮影(スローモーション)の連発なのだけれども、そのスピードを変幻自在に操ることで、敵の刃がアタマの上をかすめていくような、生の「感覚」をえぐる感じ。

ちょっとクドイ気がしないでもないが、ここまで畳み掛けられては降参せざるを得ないだろう。

■空を黒く埋めて襲い掛かる大量の弓矢にしろ、サイやらゾウやらの波状攻撃にしろ、クド過ぎるスローモーションにしろ、何しろすべてにおいて大袈裟なのだ。

ペルシャの王様クセルクセスも、悲しき傴僂男エフィアルテスも、

すべてが過剰、すべてが大袈裟。

Photo_7
■ペルシア王クセルクセス
Photo_8
■エフェアルテス

けれどそのマンガっぽい大袈裟な分かりやすさは、古代ギリシャという神話と歴史が渾然と入り混じった世界を描くには最適な手法であったようにも思える。

そこに求められるのは、感情の機微をなぞる「物語り」ではなく、躍動する原初的な生の「感情」そのものなのである。

Photo_9 ■レオニダス王の最期

■ラストシーン。

300人隊の唯一の生き残りであるディリオスがあげる雄叫びは、

レオニダスが何故、無意味とも思える無謀な戦いを挑んだのか、という「真意」を理解するためのものではなく、

見るものの体の中に密かに埋め込まれたスパルタ的誇りを呼び起こし、その血を燃えたぎらせるためにあるのだ。

ああ、カッコいい!!

Photo_6
■いくぜ、野郎ども!(・・・だから甲冑は?ってば。)

                           <2008.05.24 記>

Dvd_■DVD 300<スリーハンドレッド>特別版
     

Photo_10
■DVD ドーン・オブ・ザ・デッド ディレクターズ・カット プレミアム・エディション
■ザック・スナイダー監督って、あの「ゾンビ」のリメイク『 ドーン・オブ・ザ・デッド 』がデビュー作で、『300』が2作目なのだそうです。
映像の「えげつなさ」は前作ゆずりですな(笑)。
けれど、『 ドーン・オブ・ザ・デッド 』は徹底した主人公の一人称視点とか、映像で見せる心理描写とか、映画として質の高い作品だと思います。
ラスト・シーンの後味の悪さだけはどうにもならないんだけど・・・。

■STAFF■
監督           :ザック・スナイダー
製作総指揮 :フランク・ミラー、デボラ・スナイダー
原作            :フランク・ミラー
脚本      :ザック・スナイダー
                   マイケル・E・ゴードン、カート・ジョンスタッド
音楽     :タイラー・ベイツ
撮影      :ラリー・フォン
VFX監修   :クリス・ワッツ
SFX監修   :ショーン・スミス、マーク・ラバポート
美術     :ジェイムズ・ビッセル
衣装     :マイケル・ウィルキンソン
編集           :ウィリアム・フェイ
配給      :ワーナー・ブラザーズ


■CAST■
スパルタ王 レオニダス     :ジェラルド・バトラー
王妃ゴルゴ            :レナ・ヘディ
スパルタ軍隊長 アルテミス  :ヴィンセント・リーガン

隊長の息子 アスティノス    :トム・ウィズダム
屈強のスパルタ兵 ディリオス :デビッド・ウェナム    
若きスパルタ兵 ステリオス  :ミヒャエル・ファスベンダー
 *********  
アルカディア軍隊長 ダクソス  :アンドリュー・プレヴィン    

傴僂男 エフィアルテス       :アンドリュー・ティアナン
 *********
スパルタの評議員 セロン    :ドミニク・ウェスト
 *********
ペルシア王 クセルクセス       :ロドリゴ・サントロ
 

 
■300<スリー・ハンドレッド> 公式サイト■

    
■過去記事■

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2008年7月 6日 (日)

■アルファロメオ MiTo(ミート)。ベビーアルファにその価格を乗り越える色気はあるか。

アルファ147の弟分が登場した。

Mito
Mito_2

■アルファロメオ MiTo(ミート)。

全長4メーターちょいの3ドアハッチバックだ。

エンジンは1.4Lターボ155psと廉価版NA仕様78ps、

1.6Lディーゼル・ターボが120ps。

トランスミッションはMTとデュアル・クラッチの2ペダル。

アルファD.N.A.と名付けられたエンジン、変速、サスペンション、ブレーキ、ステアリングの3モード統合制御が売りとなる。

■アルファロメオといえば独身時代、【156熱】に罹ってしまった時期がある。

’NAVI’で見たウォルター・デ・シルバのエクステリア・デザインにひと目惚れ。ふらふらとFIATの販売店に吸い込まれ、V6モデルに試乗してその管楽器のような惚れ惚れするエンジンサウンドに、もうぞっこん。

早速、見積もりをとったら400万円オーバー。

そこで、うーむと考え込んでしまった。

■あんまり給料の良い時代じゃなかったから普通に考えればムリな値段なんだけど、あれこれ返済計画を考えて、でも考えれば考えるほどに分不相応に思えてくる。

ディーラーのおじさんが、

アルファは勢いで買わないと駄目ですよ。

冷静に考えちゃうと買えなくなっちゃいますから。

と言っていたまさにその通り。

数ヶ月は悶々とした日々を過ごし、数年間の後遺症に悩まされはしたものの、結局【蛇の紋章】を手にすることは無く、今に至る。

■欧州車を買おうとする気持ちには、単なる工業製品に対する以上の価値を認める気持ちが含まれていると思うが、アルファロメオというブランドは独特で、明らかにそれとは次元が違う。

アルファロメオの蛇の紋章が発する色気は、情熱が「理屈」を凌駕して「屁理屈」へと捻じ曲げる、

そういう問答無用の力を秘めているのだ。

なんてことを言えるのは【蛇の紋章】を手にした者だけに許されることなのかもしれないが・・・。

■さて、アルファMiTo(ミート)である。

イタリア本国の価格で1.4Lターボで1万7950ユーロ(約300万円)。

日本で販売される時の価格は分からないけれども、やっぱりちょっと高い買い物にはなるだろう。

果たしてこのクルマも日本に【熱病患者】を発生させることに成功するだろうか。

個人的には見た目がちょっと、と思うのだが、

まあ、このアクの強さがアルファなんだけどね。

Mito_3

                       <2008.07.06 記>

Photo 
■今日からはじめるアルファ・ロメオ

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2008年7月 5日 (土)

■『ゴンゾウ 伝説の刑事 』。船頭にまかせて流れに身をゆだねるのも良し。

事前情報なしで期待せずに見たのが良かったのかもしれない。

完全にハマってしまったようだ。

Photo

警視庁井の頭署。備品係の黒木(内野聖陽)は能力や経験はあるのに仕事をしない警官=ゴンゾウだ。かつては捜査一課のエースとして活躍していたが、ある事件をきっかけに今は所轄の備品係に・・・。<番組HPより>

■面白い。

何が面白いって、どんなドラマか底が見えなくて、それでいてテンポがよくって飽きさせない。

初回なので、まずは登場人物の横顔を描いていくのだけれども、これがくっきりはっきり分かりやすいのがとてもいい。

■キーになる登場人物は今のところ、4人。

・井の頭署 備品係、主役の黒木(内野聖陽)、

・クールな捜査一課の敏腕係長、佐久間(筒井道隆)

・井の頭署に配属された新米刑事、遠藤 鶴(本仮屋ユイカ)

・黒木の主治医(精神科医)、松尾理沙(大塚寧々)

■饒舌さで相手を煙に巻く大学教授の容疑者(石橋蓮司)を罠に嵌め、自供に追い込むクレバーな捜査一課のエース、佐久間。

女子高生買春常習犯(正名僕蔵)をおとり捜査で引っ掛けようと女子高生に変装するも、覚えたはずの自分の干支がいえなくてあえなくバレる、どじな鶴(つる)。

用事もないのに署にあらわれ、回復途上のノンキな空気にすっかり馴染んでしまった黒木を気遣う精神科医、理沙。

備品係へ女子高生の制服を返しにきた鶴には先輩として新米刑事を気遣う一方、バイオリンの盗難届を出しに来た美人バイオリニスト・天野もなみ(前田亜季)にはデレデレで絶対見つけると安請合いしてしまう、のんきでひょうひょうとした黒木警部補。

■ひとつひとつバラバラな話の羅列なのだけれども、それが破綻を来たさないのが素晴らしい。

逮捕した買春常習犯が実は空き巣や置引きで生計を立てていて、その荷物の中から件のバイオリンが出てきたり、

さらには空手の達人でもあった買春常習犯が鶴を人質にして署に立てこもるのだけれども、偶然クーラーの修理にやってきた黒木と格闘することになったり、と

無理やり話をつなげているのが見え見えで、かえってそれが突っ込みどころになって素直に楽しめてしまうのだ。

完全に脚本家のペースに乗せられている。

そんでもって、このままホンワカな感じで終わるのかと安心してたら大間違い。

06

■バイオリンを受け取った天野もなみとそれを送る鶴の二人がその帰路で何者かに銃撃される。

最後のさいごまで引っ張っておいて、

ドン!とテーマを提示する。

このやり口が憎らしい。

完全にやられた。油断してたよ、ほんと。

まさか、ホントに鶴まで死んじゃったわけじゃないだろうけど、

「どっち!どっちが死んだんだ!」

と病院からの死亡連絡を受けて慌てる若い刑事に怒鳴りつける黒木の気持ちにこっちも完全にシンクロしていた。

Photo_2

■次回は、この銃撃事件捜査本部を指揮する佐久間と黒木の絡み合い。

一体、黒木の過去に何があったのか。

それを一番よく知る男であろう佐久間は、敢えて捜査チームに黒木を加えることを要求する。二人の間にどんな確執があったのか。

いやいや、次も見逃せない。

完全にハマりました。

■きっと黒木はこの事件に巻き込まれ、どういう形かは分からないけれども、自らを精神障害に追い込んだ『何か』と対峙することになるのだろう。

その当たり前の展開はそれはそれで期待するところであって、そこに至るまでの’宙ぶらりん’という意味でのサスペンスを存分に楽しみたいところだ。

だが、きっとそれ以上の何かがあると確信させる「つかみどころの無さ」を漂わせるこのドラマ、ここは脚本家の職人芸に身をゆだねてみたいと思う。

03
■ところで主演の内野 聖陽(うちの まさあき)ってこんなイメージだったっけ?
ドラマ版・エースをねらえ!の宗方仁をやった人でしょ?

Photo_3
違うよな・・・。(どうでもいいがこの人、タメ年です。苦労したんだな。)

                            <2008.07.05 記>

■つづきの記事■
■『ゴンゾウ 伝説の刑事』。次回、第7話。遂にゴンゾウの過去が明らかに!

     
    
■スタッフ■

脚本:古沢良太
監督:猪崎宣昭、橋本一
音楽:池頼広
制作:テレビ朝日・東映
  

■キャスト■
【井の頭署】
黒木 俊英    :内野聖陽 (会計課、備品係係長、警部補)
遠藤 鶴      :本仮屋ユイカ (刑事課、新米刑事、巡査)
寺田 順平    :綿引勝彦 (刑事課、ベテランの刑事、巡査部長)
日比野 勇司   :高橋一生 (刑事課、若手刑事、巡査)
田端 ルミ子   :吉本菜穂子 (会計課、備品係の事務員)
【警視庁本庁】
佐久間 静一   :筒井道隆 (捜査一課13係係長、警部)
氏家 隆      :矢島健一 (捜査一課管理官、警視)
岸 章太郎     :菅原大吉(捜査一課13係の刑事)
【その他】
松尾 理沙     :大塚寧々(精神科医)

    

■『ゴンゾウ * 伝説の刑事 * 』HP
【水曜日・PM9:00・テレビ朝日系列】

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■過去記事■
■TVドラマ雑感・バックナンバー

■トラックバックさせていただきます■
’命の粉(ぱうだーおぶらいふ)’ さんの「ゴンゾウ 伝説の刑事(7/2放送分)」
’渡る世間は愚痴ばかり’ さんの「 ゴンゾウ 伝説の刑事 第1話」

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2008年7月 3日 (木)

■ただいま考え中♪

娘に「ただいま」、といったら

「考え中~♪」と返された。

なんのことやらと思ったら、

3ちゃんの「クインテット」でやってる歌だった。

見てみると意外とハマるんだな、これが。

よく聞くと

なんだか、身につまされる歌だったりするのであります。

                      <2008.07.03 記>

≪音声注意≫
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■奴らは群れでやってくる。『爆笑問題のニッポンの教養』 生物海洋学、上 真一。

今回のテーマは、エチゼンクラゲ。

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■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE042:「クラゲ 世界征服計画」 2008.6.24放送
広島大学生物圏科学教授
「里海」創生プロジェクト研究センター長 生物海洋学 上真一(うえしんいち)。

■エチゼンクラゲ、といえば夏の終わりから秋にかけて日本海へ大量に流れ込み大変な漁業被害を与えるなんていうニュースでもうすっかりお馴染みの大型クラゲだ。

大きいものになるとカサの直径2メートル、重さ150キログラムにもなるという。

こんなやつらが1日に5億匹も押し寄せるっていうのだから、漁師さんたちは堪ったものではない。

■で、こいつらはどこからやってくるかというと中国の沿岸部から来るらしい。

かつては40年に一度大発生をしていたのだが、ここのところの中国沿岸部の発展によりその近海が汚染されてクラゲが発生しやすい状況になり、近年の毎年のような大発生につながっているのだという。

汚染された海では魚の数が減り、富栄養化によって動物プランクトンが増える。そこで魚と競合しないクラゲが一気に勢力を伸ばし、魚の稚魚や卵まで食うようになって、ますます魚を駆逐して巨大クラゲ帝国を築き上げる、という寸法だ。

■しかも、その繁殖のしかたが半端ではない。

一匹が抱える卵の数が3億個。

その卵から生まれた「ポリプ」は尺取虫のように歩きながらその足跡に自分の分身を残していく。ひとつのポリプがだいたい5歩ぐらい進むらしい。

そのポリプが成長して5つに分裂し、そのひとつひとつがクラゲになっていく。

一匹のクラゲから生まれる数は、3億×5×5で75億匹!

歩留りってのもあるはずだけれど、それにしても恐るべき繁殖能力だ。

通常は卵とかポリプの段階で魚の格好のエサになり、そこそこの数に抑えられているのだろうけれど、一旦サカナがいない状況になると爆発的に増殖してしまう、ということだろう。

■この恐るべきエチゼンクラゲの生態を研究しているのが広島大学の上(うえ)先生。

上先生曰く、エチゼンクラゲは環境破壊を知らせる使者である。

本来、海というのは豊かなもので、いろんなサカナをはじめとして多種多様な生命が満ち溢れているものなのであって、エチゼンクラゲに埋め尽くされるような海は本来あってはならんことなのだ。

■そして、人間が海に手を加えることで50年前に遊んだあの豊かな海を取り戻す。それが上先生が目指すところだ。

人間が手を入れることで豊かさを保った昔の里山のイメージである。

それは人間にとって有益な姿へと海を近づける試みである。

■そこで太田は深くうなづく。

文明が進んでいったときに、何が正しくて、何が間違っているのか。

その基準は「人間にとって何が一番いいのか」しかないだろう。

「自然」な状態がいいのであれば、人間が存在しないことが一番いいのであって、かといって今さら原始人に戻れるわけでもない。

だから、一度手に取ってしまった「文明」や「技術」を捨てるのではなく、その上に更に文明をのっけて「困難」を解決していくしかないんじゃないか、というのだ。

■のんきに「自然がいちばん!」と言ってしまう無邪気さが、実は「天に唾する」行為であると日頃から深い思索をしているのだろう。

ともすると我々は流氷に取り残されたアザラシの赤ちゃんの映像を見て、「温暖化」はイカンのだ!と断罪するのだけれども、そのシッカリ冷房の効いた部屋で振りあげるこぶしは「マンガ」か「コント」以外の何ものでもない。

我々が享受する豊かな暮らしと引き換えにそういった悲劇が引き起こされていることの絶望がまずあって、そこを考える基点にしているからこその太田の発言なのだと思う。

一見、悲観主義的にみえるけれども、その実、それを乗り越える文明を想定しているところに健全な楽観主義があるのだし、そういう考え方が拡がっていくとしたら、われわれの未来は明るいのだろう。

■ところで、いかにも侵略者=悪役として見られてしまうエチゼンクラゲなのだけれども、果たして本当にそうなのだろうか。

ある一瞬を捉えれば、年間100億円もの漁業被害をもたらす悪魔の群れなのだけれども、10年、20年の単位で見たときに実は海を浄化する働きをしているなんてことは無いのだろうかと空想するのである。

排出される汚水に含まれた多量の有機物をプランクトンが取り込み、無限とも思えるエチゼンクラゲの群れがそのプランクトンを食い尽くす。

中国沿岸でたらふくプランクトンを平らげたエチゼンクラゲは海流に乗って日本海を北上し、津軽を抜けて今度は親潮にのって太平洋沿岸で冬を迎えて死に至る。

そして太平洋の海底に沈んだエチゼンクラゲの死屍累々が、ゆっくりとゆっくりと朽ちていく。

毎年、毎年、愚直に同じことを繰り返す、

息の長い地球の浄化システム。

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■そんな、風の谷のナウシカの腐海とか王蟲とか、そういうイメージが浮かんだのだけれども、それは期待のし過ぎだろうか?

まあ、エチゼンクラゲに「存在理由」を問うてみても仕方のないことか・・・。

と、コンビ二で買ってきた惣菜の中華サラダをつまみながら、どうでもいい妄想を愉しむのであった。

って、この中華サラダのクラゲってエチゼンクラゲなの?

これは一杯喰わされた。

・・・お後がよろしいようで。 テケテンテンテンテン。

                            <2008.07.02 記>                     

「中国沿岸から日本海に押し寄せて漁業者たちに大打撃を与えているエチゼンクラゲが、中国から輸入食品として日本に運ばれ、私たちの胃が迎え入れているとは何とも皮肉な話だ。」

【出典】
【生物多様性トレンドへの探検(山根一眞) 現地ルポ】
「海のエイリアン」エチゼンクラゲはなぜ増えたのか(下)

              
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■ 瀬戸内海を里海に -新たな視点による再生方策-

      

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飼う人っているんだ・・・。

 

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