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2008年6月19日 (木)

■ウイルスにとっての【意味】とは何か。『爆笑問題のニッポンの教養』 ウイルス学、高田礼人。

今回のテーマは、ウイルス学。

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■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE040:「ウイルス その奇妙な生き方」 2008.6.10放送
人獣共通感染症リサーチセンター副センター長・国際疫学部門長 高田礼人(たかだあやと)

■東京タワーに対する人間の身長。

何かというと、細胞の大きさに対するウイルスの大きさなのだそうだ。

実に小さい。

それは電子顕微鏡でしか見ることの出来ない大きさなのだ。

■けれど、その微小な「物質」がエイズ、エボラ出血熱、そして今、耳目を集めている新型インフルエンザなどの恐ろしい病気を引き起こす実にやっかいな存在なのだ。

さらにウイルスは「生物」と呼ぶことが出来るかどうか議論の分かれる、不可思議な存在でもある。

■生物は自らエネルギーを作り出し自ら増殖するひとつのシステムである。

けれどもウイルスは、遺伝子とそれを包む殻、それだけの存在であり、生物の細胞に入り込み、その生物のエネルギーを借りて増殖する、宿主となる「生物」が存在しなければ増えることの出来ない存在だ。

宿主がいなければ変化のないただの「物質」であり、宿主のシステムと組み合わさったときに始めて「生物」的な振る舞いを見せるという二面性がウイルスの定義を難しくしている。

■今回の議論の相手、高田礼人(あやと)先生はインフルエンザウイルスとエボラ出血熱のエキスパート。

アフリカやアジアのウイルス発生現場を渡り歩き、宿主からの感染経路と感染のメカニズムを明らかにすることで感染症の拡大を防ぐ有効な「先手」を確立させるのが高田先生の使命なのだ。

その浅野忠信っぽい風貌も手伝って、実に雰囲気のあるひとである。

■その高田先生(うーん、タメなんだけどな・・・、やっぱ先生か。)が面白い見方を提示した。

病原性ウイルスの発生はウイルスにとっても決して嬉しくないアクシデントである。

宿主を生かさず殺さず自分の分身を増やしていくのがウイルス本来の姿で、宿主を殺してしまう強毒性はウイルスにとっても「本意」ではない。

というのだ。

■ウイルスはその特性として、増殖するときに遺伝子のコピーを間違いやすくする「おっちょこちょい」な性質をもっている。

そこで生じてくる多様性が宿主の免疫システムへの対抗手段となり、さらには他の宿主への生活圏の拡大を可能にする。

つまり、ウイルスはその「おっちょこちょい」な性格を利用して生き延びてきたのである。

そして、その「おっちょこちょい」のデメリットとして、時に宿主を殺してしまうような強毒性を持つというアクシデントを引き起こしてしまうということだ。

■今回は珍しく先生への切り込み役を田中に任せて少し引き気味に眺めていた太田がそこで反応する。

ウイルスがなきゃ人間も生きていけない?

いや、おれはね、ウイルスってすごく必要なものなのかなという気がしていたんです。

■太田のイメージはとてもよく分かる。

ただの迷惑な「おっちょこちょい」なんてものではなくて、その奇妙な振る舞いを見せるウイルスの不可思議さの裏には何か深い【意味】があるに違いない。

■ここであっさりと、「うーん、ウイルスはいなくても困らないんじゃないかな」、と高田先生の答えは結構つれない。

太田のアタマの中で駆け巡った生命誕生の壮大なドラマ(妄想・空想)は、そこであえなく失速する。

■ワケがわからない、という状態はとても苦しいものである。

人間はすべてのものに何らかの【意味】や【理由】を求めるものだ。

そうして自分の内にある世界観のなかに組み込むことによって、理解し、消化することで安心を獲得するのである。

その【意味】や【理由】は必ずしも正しいものである必要は無い。

自分の枠組みの中に納まれば、ひとまずそれで良しとする。

【真実】なんてものは、理由の分からない【不条理】の苦しみに比べたら大したことはなくて、人間はいつだって【真実】に片目をつぶってやりすごし、【意味】によって構築された自分の城に安住を求めてきたのだ。

■天の星々が地球を中心にしてまわっていても、神様が自分に似せて人間を作ったのだとしても、日々の生活には何ら支障は無い。

コペルニクスも、ダーウィンも、既存の【意味の体系】を崩した異端者なのである。

そしてコペルニクス、ダーウィン、アインシュタインの子供である我々もまた、新たな【意味の体系】に囚われた存在なのだろう。

■だから、生命と呼べるかどうかさえ分からないそんなあやふやなウイルスという存在に何かしらの【意味】を求める太田の姿勢はごく自然なことだとおもう。

けれど、そこに太田の限界があるような気がしてならない。

太田という【ワタシ】から世界を眺める。

そこに一般の教養番組の枠に収まらないこの番組の面白さがある。

が、太田がいなくても地球が太陽の周りをまわっているように、我々人類がいなくてもウイルスはその不可思議な存在であり続けているだろう。

ウイルスにとって、我々が彼らに与える【意味】なんてものは全く意味をもっていないのだ。

■我々が当然だと思っている世界の枠組みに当てはまらないのが先端の科学なのだとすれば、<【意味】を求める>という行為について、もう少し深く考えてみる必要があるのではないだろうか。

ずいぶんとウイルスから話が逸れてしまったのだけれども、あまり盛り上がりを見せない今回の番組をみていて、つい、そんなことを考えてしまったのであった。

                            <2008.06.19 記>

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■恐怖の病原体図鑑―ウイルス・細菌・真菌(カビ) 完全ビジュアルガイド

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■関連記事■

■書評■【H5N1型ウイルス襲来】新型インフルエンザから家族を守れ!岡田 晴恵。今できることは何か。

■書評■【生物と無生物のあいだ】 福岡伸一。生命は不可逆であるが故に、その一回性が美しい。

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コメント

10年程前ですが、リチャード・プレストン著「ホット・ゾーン」を読んだ時の、衝撃は今でも忘れられません。
表紙のエボラウイルスの電顕写真を見るたび、うなされそうでした。

投稿: 臨床検査技師 | 2008年6月20日 (金) 19時22分

臨床検査技師さん、こんばんは。

ホット・ゾーン。私もハマりました。
エボラ出血熱って症状がショッキングですからね。
その勢いで映画・アウトブレイクも見てしまいましたが、
そっちはあんまり記憶に残ってません・・・。
ダスティン・ホフマン、モーガン・フリーマンなんて一流どころが出てたんですけどね、何でだろ。

投稿: 電気羊 | 2008年6月23日 (月) 19時25分

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