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2008年6月

2008年6月28日 (土)

■『プロポーズ大作戦 スペシャル』。決して裏切ることの無いその一生懸命な優しさにあてられて幸せな気分に浸るのであった。

見るタイミングを失ったまま3ヶ月ものあいだビデオの中で眠っていた「プロポーズ大作戦SP(スペシャル)」をやっと見た。

「ラスト・フレンズ」の口直しというわけではないのだけれども、どこかホッとするドラマを見たいという気持ちがあったのだろう。

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■プロポーズ大作戦SP スペシャル 2008.03.25放映

■一生懸命であることが可笑しくて何故だか胸にキュンとくる。

ああ、やっぱりプロポーズ大作戦はいい。

見終わったあとに幸せな気分になれるのだ。

■今回の舞台はテレビシリーズ最終回から一年後。

エリ(榮倉奈々)とツル(濱田岳)のハワイでの挙式の直前。ところが花嫁のエリが行方不明。ここのところのツルの挙動不審に不安がつのり挙式の朝に日本へ逃げ帰ってしまったのだ。

閑散とした教会で幹雄(平岡祐太)とケンゾー(山下智久)はパーティーで上映するはずだったスライドをぼんやりと眺めている。

挙式の一週間前、エリのうちに皆で集まってお好み焼きを食べたときの写真が映し出され、ああ、ここに戻ってツルにこのことを教えてあげられればとケンゾーがつぶやいた、そのとき、眩い光と賛美歌とともにあの妖精(三上博史)が現れる。

戻りたいんだろう?あの時へ。

■最終回でダスティン・ホフマンばりの花嫁略奪に成功したケンゾーであったが、そこはやっぱりケンゾーで、その時に傷つけてしまった人たちに対する気持ちの整理がつかなくて、礼(長澤まさみ)と付き合いつつもお互いに「あと一歩」が踏み出せない。

エリとツルの幸せを取り戻す為に一週間前にタイムスリップして必死に走り回るケンゾーは、自分と礼と、そして自分が傷つけてしまった人たちの想いとも対峙することになる・・・。

■金子茂樹の脚本の冴えは衰えていない。

謎が解けて幸せを取り戻すエリとツル。

その幸せは強い感染力をもっていて、幹雄に彼女へのあたたかい気持ちを、そしてケンゾーの決意を引き出していく。

テレビシリーズのときにも感じたことなのだけれども、物語の構成力が抜群に上手い。

この骨格がしっかりしているから安心して物語に気持ちをゆだねて素直に楽しむことが出来るのだ。

そして物語自体がシンプルで深く、しかもその伝え方が素晴らしく効果的なのだ。

■ツルが見せていた挙動不審の本当の理由をエリが知る、その場面。

エリと出会えたこと、結婚できることのそのめぐり合わせに感謝し、今の「エリ」を「エリ」にした、エリの人生に関わってきたすべての人に感謝する。

そのツルの気持ちの深さ、そのはかり知れないほどに大きなエリに対する気持ちが、カセットテープという「声」だけに絞られたカタチで伝わってくることでかえって鋭く際立ち、エリと、そして彼女と同時にその「声」を聞くことになる視聴者のこころを強く揺り動かすのだ。

■その「ツルからのエリへのささやかなプレゼント」が、めでたく結ばれた二人の結婚パーティーで披露されるシーン。

誰もが感動しようと待ち構える、そこを狙いすましたかのように、高校野球部の先生(松重豊)を登場させて、和田アキ子の衣装で「あの鐘を鳴らすのはあなた」を熱唱させる、その爆発的な可笑しさがたまらない。

松重豊の和田アキ子は、物語の初めの部分でしっかりと仕込みをしていて、決して笑いを疎かにしないその姿勢が素晴らしい。

感動といい、笑いといい、金子茂樹は何でここまで人のこころを動かすツボを心得ているのだろうか。

■金子茂樹の作りだす「笑い」は「茶化す笑い」ではなくて、その人物渾身の極めて真面目で一生懸命な姿が生み出す「優しさ」を含んだ笑いなのだ。

だからこそ感動とうまく結びつくのだろう。

三上博史の妖精がケンゾーに、幸せになれよ、

と告げて消えていくシーン。

そのときの三上博史の表情。

妖精とケンゾーの掛け合い漫才の締めを優しい気持ちで包み込む、そのこころの根本にある「気持ち」は決して観る者を裏切らない。

その安心感が「プロポーズ大作戦」の土台をしっかりと支えているのだ。

■テレビシリーズのラストでは、あまりにも救いが無くて可哀想だった多田先生(藤木直人)も、後付けではあるもののずっと傍にいてくれていた幼馴染みを登場させて一件落着。

そして何よりもケンゾー渾身の「プロポーズ」が、ドラマ「プロポーズ大作戦」の本当の最終回として全ての胸のつかえを取り払ってくれる。

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■ホント、この幸せな気分は「プロポーズ大作戦」ならでは。

・・・さて、今日は久しぶりに女房孝行でもしようかね。

                            <2008.06.28 記>

Photo ■DVD プロポーズ大作戦 スペシャル
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Photo_5 ■DVD-BOX プロポーズ大作戦

■関連記事■
■完璧なプロットに脱帽。『プロポーズ大作戦』 その優しさ。

       
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■ キャスト ■

■岩瀬 健  ・・・山下 智久
■吉田 礼  ・・・長澤まさみ
   * * * * * * *
■奥 エリ   ・・・榮倉 奈々
■榎戸幹雄  ・・・平岡 祐太
■鶴見 尚   ・・・濱田 岳
   * * * * * * *
■妖精     ・・・三上 博史
   * * * * * * *
■多田哲也  ・・・藤木 直人
■吉田貴礼  ・・・森本 レオ 
■吉田礼奈  ・・・宮崎美子
   * * * * * * *
 
■柴田幸子(多田先生の幼なじみ)  ・・・紺野まひる

■ スタッフ ■

■脚本 金子茂樹
■演出 成田 岳 / 加藤裕将
■音楽 吉川 慶
■主題歌  「明日晴れるかな」桑田佳祐
■製作 フジテレビ    

   
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2008年6月26日 (木)

■「現在」は「過去における未来」の延長にあるのだ。『爆笑問題のニッポンの教養』 古生物学、真鍋真。

今回のテーマは、恐竜。

01
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE041:「恐竜は生きている?」 2008.6.17放送
国立科学博物館地学研究部生命進化研究グループ研究主幹
古生物学 真鍋真(まなべまこと)。

■真鍋先生が始めに言ったことば、

「現状だけ見て判断するのは偏った見方になってしまう恐れがあって、今に至るまでの環境プロセスを見つめることで、やっと見えてくることもある。」

というのが今回の本質的な部分を既に語っていたように思う。

■真鍋先生は恐竜の専門家。

「羽毛恐竜」という言葉も最近知ったのだけれども、恐竜ってのはワニとかトカゲとか今いる爬虫類の連中の祖先ではあっても「爬虫類」そのものじゃない、とか子供の頃には知らなかったようなことが、ここ10数年くらいでずいぶんと分かってきたようだ。

なかでも、もっともメジャーな大型肉食恐竜ティラノサウルス・レックス(7000万年前)の祖先が、1億3000万年前のニッポンに、それもかなりちっこいサイズの羽毛恐竜として生きていた、という話には思わず食いついた。

■何しろ子供の頃には、なんで日本には首長竜とかそういう地味な恐竜しかいないのかなぁ、などと非常に残念な気持ちでいたので、

ティラノサウルスの祖先はニッポンにいたんだぜ!

というのは、自分にも日本人にも全く関係ない話であるにも関わらず、とても誇りに思う気持ちを抑えることが出来ないのである。

■いやー、恐竜は大好きだったんですよね、と恐竜の化石に眼を輝かす田中は、標準的なニッポン男児の反応であって、やっぱり恐竜は自分の中の「男の子」の部分を激しくくすぐるのだ。

と、その横で、太田はじっと何かを考えている。

ちょっと視点が普通と違う、いつもの太田である。

■「ペンギンが鳥である」というのは、ずいぶんと横暴な話だと思いませんか?

ときた。興味は恐竜から「進化」へと移っていたのだ。

あの黒くてすべすべした感じとか、どう考えたって「鳥」というのは不自然で、アシカとかイルカとか、そういう奴らの仲間だと思うのが普通じゃないですか。

■そこで、何をバカなことを。

で終わらないのがこの番組の面白いところだ。

真鍋先生は真面目に答える。

化けの皮を剥いだ下にある骨格を見れば「鳥」なんです。

魚が進化して陸に上がったあとに再び海中の生活に適応した生物はいくつかある。

アシカ、イルカといった哺乳類のほかに、かつては「魚竜」といわれる爬虫類もいた。

同じように鳥類の「ペンギン」もいるわけだけれども、アシカや魚竜が体をくねらせて海中を進むのに対して「ペンギン」にはそれが出来ない。

進化の枝分かれの中で鳥類は胸の周りの骨格を固めてしまい「体をくねらせる」ということが構造的に出来なくなってしまったというのだ。

■ここに「進化」の重要なポイントがあるように思える。

これから新しい環境に適応していこうとしたときに、進化の道のりを歩んできた自らの過去に縛られる、そこから自由ではない。ということだ。

「アシカとかイルカが既にいる(存在できる)からペンギンみたいなものもいる(進化できる)んじゃないか」

という太田イメージのように「目指すところ」があって進化がすすんでいく、というふうに生命は展開していくのではなく、

各々の過去の進化の歩みを背負いながら、それぞれの生命は展開していくということだ。

■それは生命の進化だけにあてはまるものではなく、日々変わりゆく環境の中で次第にその人らしく成長(複雑に変化)していく「人生」というものにもあてはまるものだと思う。

今、思い立ったぞ!俺は映画監督になるんだ!

と、40過ぎのオヤジが突然の決意表明をしたとして、それは別に否定されるものではない。

けれど絶対にいえるのは、その人には彼が歩んできた「人生そのもの」が深く刻み込まれていて、いくら「黒澤明になりたい」と思っても、彼はその人なりの映画監督にしかなり得ないということだ。

■「現在」の状況だけを見て最高の選択をしよう、というのは「最適」な行動ではない。

その「選択」をしようとする「主体」が進んできた歴史の影響からは絶対に逃れられないからだ。

だから「今」だけを見てはいけない。

「過去」とは、「かつての自分」が踏み出した「未来」の連なりである。

今、踏み出そうとする道は突然として現れるものではなく、自分が歩んできた、それ故に自分だけにしか歩むことの出来ない

その人固有の道なのだ。

■そうやって自分の人生を俯瞰してみると、いま自分のとなりにいる人にとっての最適な道筋というものが、自分にとってのそれとは異なるものだ、ということが腑に落ちてくる。

それぞれが、それぞれに、その人だけの道があるのだ。

正解は無い。

                        <2008.06.26 記>

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■恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた

    
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■「真鍋真」さん、という名前をみて、上から読んでも下から読んでもという面白さと同時にどことなく懐かしい感じを受けたのだけれども、実は真鍋 博さんの息子さんだったんですね。
「古びることの無い’かつての未来’」という雰囲気の絵柄が、今回のテーマともピタリとはまって不思議な感じでした。

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2008年6月24日 (火)

■ドラマ 『ラスト・フレンズ』 最終回。美知留、あんたホントにそれでいいのか!

ちょっと遅ればせながらラストフレンズ最終回。

拍子抜け、というのはこのことか。

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■テレビドラマで一番盛り上がるのは最終回のちょっと前。

ラスト・フレンズもそれに違わず「やりすぎ感」が漂うくらいに濃密であった。

9話『君の命』でのタケル(瑛太)と瑠可(上野樹里)に牙を剥く宗佑(錦戸亮)の暴走、10話『最終章・愛と死』で秘密を世間に曝されてしまう瑠可の苦しみと、抜け殻になった美知留(長澤まさみ)を見てやっと気づいた宗佑の絶望・・・。

さて、それをどうまとめるのか。

オープニングで語られていた妊娠した美知留の独白と、どうつながるのか。

死んだのはやっぱり宗佑なのか、それとも!

■最後の数話で十分盛り上げた後に、

そうか、そうだったのか!!

というタネ明かしがあって、今まで気づかれぬように抑えられていたであろう、その登場人物の感情に想いを馳せて、ぐっ、と感動が胸に込みあげる。

最終回とはそうしたものだ。

しかしながら、脚本家・浅野妙子はそれをことごとく裏切ってみせたのである。

■宗佑の自殺によって解放されるどころか一生その重荷を背負うことになってしまった美知留。

抜け殻になったまま、かつて親子で暮らしていた銚子の町へと、ひとり流れつく。

やがてそのお腹には宗佑の子供が宿っていることが分かり、美知留は「ふたりで生きていこう」と心を決める。

■一方、瑠可はモトクロスの選手権で優勝し、その記者会見でカミングアウトとも取れる発言で自らに決着をつけ、いつも煮え切らないオグリン(山崎樹範)は一世一代の大決断でエリ(水川あさみ)にプロポーズ。

気になるところがポン、ポン、と順調に解決していく。

ここまでは、いい。

■オグリンとエリが結婚してシェアハウスを出て行ったことで、ふたりぼっちになる瑠可とタケル。

そこでタケルが突如として血迷うのだ。

美知留を迎えに行こう、きっと僕らを待っているに違いない。

■美知留が臨月ってことは宗佑の自死から10ヶ月近く経っているってことだろ?

なんで突然そうなるの?

キッカケになる出来事があるでしょ、ふつう。

いや、まだ癒されぬタケルの想いをおさめるタメのふたり旅。細かいことは気にしないでおこうじゃないか。

■瑠可を後ろに乗せて、かつて美知留が暮らしていたという銚子へとバイクを走らせるタケル。

美知留が見つからぬまま、やがて夜になり、浜辺にテントを張る二人。

静かな夜空を見ながら、タケルは問わず語りに自分のつらい過去と自らの秘密を瑠可に告げる。

いい感じだ。

タケルの気持ちになるならば、

時よ止まれ。

というところだろう。

Photo_3 Photo_4

■問題はここから先である。

美知留が、とある旅館に住み込みで働いていると知った二人はそこへとバイクを走らせる。

旅館で皿を洗っている美知留。

走り出すダンプの唐突なカット。

そのカットを交互に繰り返す。

こんなベタな演出、久しぶりに見たワイ。今どき昼メロでもやらんだろう(笑)。

■で、ああ、ここで瑠可が死んでしまうのか!!

と、思ったらただのかすり傷で、検診に病院へ来た美知留とバッタリ出くわす為の振りだったなんて、ありえるか?

そんでもって美知留の部屋で三者会談。

友達とも恋人ともいえない3人で、出来ればいつまでも生きていこう。

って何?

■美知留!

あんたは宗佑の人生を抱えて、その子と二人で強く生きていく決心をしたんじゃないんかい!

それじゃ、死んだ宗佑も浮かばれない。

どこまでフラフラするつもりなんだ、一体!

と怒鳴りたくもなる、ラスト・フレンズなのであった。

3

■優柔不断でまわりをハラハラさせる美知留の性格は最後まで変わらず、いや、ひとはそう変わるものでもないし、急に強くなれるものでもない。

ありのままの自分でいられる人と認め合いながら生きていく、そういう彼らの「ゆるい」生き方が今の時代をあらわしている。

なんていう「分かった風の」解釈もできるだろう。

■けどね、ひとりでは生きていけないというのはその通りなのだけれど、ひとりで立とうとしない人間がまわりを幸せにすることなんて出来ないんじゃないだろうか。

宗佑が気づいたのは、まさにその点であって、

ボクの美知留への「愛」は、瑠可やタケルのように美知留を幸せにすることは決して出来ないのだ、

と気づいた瞬間に、自己の存在自体を否定する漆黒の絶望が彼を包み込んでいったのだ。

■だからこそ美知留には、瑠可やタケルによって「笑顔になる」受身な自分から決別し、強く立とうとする意思が生まれる「必然」がある。

新しい自分として、瑠可とタケルの前に立つ「義務」がある。

だが、この最終回の中で美知留がそこに至ったとは到底思えない。

見るものの予想を裏切るハッピーエンドもいいのだけれど、

「必要」なところを描ききれないドラマは見るものに決して感動を与えることは出来ない。

上野樹里をはじめとした役者の演技が抜群に輝いていただけに、非常に残念な最終回であった。

                            <2008.06.24 記>

■追記■
次回26日(木)22:00~23:24は
『ラスト・フレンズ アンコール特別編』。
   
<『ラスト・フレンズ』の衝撃シーン&名シーンに、本編には登場しなかったその後の美知留たちのエピソードを追加したファン必見のスペシャルバージョンです!>
   
なのだそうです。
・・・結局、見ちゃうんだろうな(苦笑)。     <2008.06.24 記>

      

Photo_5 ■単行本 ラスト・フレンズ

Prisoner_of_love
■宇多田 ヒカル Prisoner Of Love(CD+DVD)

      
■関連記事■

■ドラマ 『ラスト・フレンズ』 やはり上野樹里は只者ではなかった。 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

■■■ ラストフレンズ ■■■

■STAFF■
■脚本      浅野 妙子 『ラブジェネレーション』、『神様、もう少しだけ』、
                  『大奥』ほか
■演出      加藤 裕将 『白線流し』、『プロポーズ大作戦』、『ライフ』ほか
    
       西坂 瑞城 『ガリレオ』『薔薇のない花屋』ほか
■プロデュース  中野利幸(フジテレビ)
■音 楽         井筒 昭雄 ・ S.E.N.S.
■主題歌  :    宇多田 ヒカル「Prisoner Of Love」(EMI ミュージック・ジャパン)

 
■CAST■

長澤まさみ、上野樹里、瑛太、水川あさみ、
山崎樹範、西原亜希、倍賞美津子、錦戸 亮

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■梅雨の晴れ間。

20080624_2
梅雨の晴れ間に 一条の雲。

  
■■■ 空の写真 ■■■  
↑カテゴリー・【空の写真】へのリンクです。

                              <2008.06.24 記>

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2008年6月19日 (木)

■ウイルスにとっての【意味】とは何か。『爆笑問題のニッポンの教養』 ウイルス学、高田礼人。

今回のテーマは、ウイルス学。

Photo
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE040:「ウイルス その奇妙な生き方」 2008.6.10放送
人獣共通感染症リサーチセンター副センター長・国際疫学部門長 高田礼人(たかだあやと)

■東京タワーに対する人間の身長。

何かというと、細胞の大きさに対するウイルスの大きさなのだそうだ。

実に小さい。

それは電子顕微鏡でしか見ることの出来ない大きさなのだ。

■けれど、その微小な「物質」がエイズ、エボラ出血熱、そして今、耳目を集めている新型インフルエンザなどの恐ろしい病気を引き起こす実にやっかいな存在なのだ。

さらにウイルスは「生物」と呼ぶことが出来るかどうか議論の分かれる、不可思議な存在でもある。

■生物は自らエネルギーを作り出し自ら増殖するひとつのシステムである。

けれどもウイルスは、遺伝子とそれを包む殻、それだけの存在であり、生物の細胞に入り込み、その生物のエネルギーを借りて増殖する、宿主となる「生物」が存在しなければ増えることの出来ない存在だ。

宿主がいなければ変化のないただの「物質」であり、宿主のシステムと組み合わさったときに始めて「生物」的な振る舞いを見せるという二面性がウイルスの定義を難しくしている。

■今回の議論の相手、高田礼人(あやと)先生はインフルエンザウイルスとエボラ出血熱のエキスパート。

アフリカやアジアのウイルス発生現場を渡り歩き、宿主からの感染経路と感染のメカニズムを明らかにすることで感染症の拡大を防ぐ有効な「先手」を確立させるのが高田先生の使命なのだ。

その浅野忠信っぽい風貌も手伝って、実に雰囲気のあるひとである。

■その高田先生(うーん、タメなんだけどな・・・、やっぱ先生か。)が面白い見方を提示した。

病原性ウイルスの発生はウイルスにとっても決して嬉しくないアクシデントである。

宿主を生かさず殺さず自分の分身を増やしていくのがウイルス本来の姿で、宿主を殺してしまう強毒性はウイルスにとっても「本意」ではない。

というのだ。

■ウイルスはその特性として、増殖するときに遺伝子のコピーを間違いやすくする「おっちょこちょい」な性質をもっている。

そこで生じてくる多様性が宿主の免疫システムへの対抗手段となり、さらには他の宿主への生活圏の拡大を可能にする。

つまり、ウイルスはその「おっちょこちょい」な性格を利用して生き延びてきたのである。

そして、その「おっちょこちょい」のデメリットとして、時に宿主を殺してしまうような強毒性を持つというアクシデントを引き起こしてしまうということだ。

■今回は珍しく先生への切り込み役を田中に任せて少し引き気味に眺めていた太田がそこで反応する。

ウイルスがなきゃ人間も生きていけない?

いや、おれはね、ウイルスってすごく必要なものなのかなという気がしていたんです。

■太田のイメージはとてもよく分かる。

ただの迷惑な「おっちょこちょい」なんてものではなくて、その奇妙な振る舞いを見せるウイルスの不可思議さの裏には何か深い【意味】があるに違いない。

■ここであっさりと、「うーん、ウイルスはいなくても困らないんじゃないかな」、と高田先生の答えは結構つれない。

太田のアタマの中で駆け巡った生命誕生の壮大なドラマ(妄想・空想)は、そこであえなく失速する。

■ワケがわからない、という状態はとても苦しいものである。

人間はすべてのものに何らかの【意味】や【理由】を求めるものだ。

そうして自分の内にある世界観のなかに組み込むことによって、理解し、消化することで安心を獲得するのである。

その【意味】や【理由】は必ずしも正しいものである必要は無い。

自分の枠組みの中に納まれば、ひとまずそれで良しとする。

【真実】なんてものは、理由の分からない【不条理】の苦しみに比べたら大したことはなくて、人間はいつだって【真実】に片目をつぶってやりすごし、【意味】によって構築された自分の城に安住を求めてきたのだ。

■天の星々が地球を中心にしてまわっていても、神様が自分に似せて人間を作ったのだとしても、日々の生活には何ら支障は無い。

コペルニクスも、ダーウィンも、既存の【意味の体系】を崩した異端者なのである。

そしてコペルニクス、ダーウィン、アインシュタインの子供である我々もまた、新たな【意味の体系】に囚われた存在なのだろう。

■だから、生命と呼べるかどうかさえ分からないそんなあやふやなウイルスという存在に何かしらの【意味】を求める太田の姿勢はごく自然なことだとおもう。

けれど、そこに太田の限界があるような気がしてならない。

太田という【ワタシ】から世界を眺める。

そこに一般の教養番組の枠に収まらないこの番組の面白さがある。

が、太田がいなくても地球が太陽の周りをまわっているように、我々人類がいなくてもウイルスはその不可思議な存在であり続けているだろう。

ウイルスにとって、我々が彼らに与える【意味】なんてものは全く意味をもっていないのだ。

■我々が当然だと思っている世界の枠組みに当てはまらないのが先端の科学なのだとすれば、<【意味】を求める>という行為について、もう少し深く考えてみる必要があるのではないだろうか。

ずいぶんとウイルスから話が逸れてしまったのだけれども、あまり盛り上がりを見せない今回の番組をみていて、つい、そんなことを考えてしまったのであった。

                            <2008.06.19 記>

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■恐怖の病原体図鑑―ウイルス・細菌・真菌(カビ) 完全ビジュアルガイド

H5n1_2 Photo_2 Photo_3

     

■関連記事■

■書評■【H5N1型ウイルス襲来】新型インフルエンザから家族を守れ!岡田 晴恵。今できることは何か。

■書評■【生物と無生物のあいだ】 福岡伸一。生命は不可逆であるが故に、その一回性が美しい。

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2008年6月15日 (日)

■東海大学ル・マンプロジェクト。今、サルテが熱いぜ!

14日午後3時(日本時間午後10時)、第76回ルマン24時間耐久レース決勝がスタートした。

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■東海大学ル・マンプロジェクトHPより

■今回の目玉は、なんていったって東海大学チームの参戦だろう。

クラージュの市販品を改造したシャシにオリジナルの3,998ccV8ツインターボエンジンを搭載。

それでちゃんと予選を通過したのだから凄いものである。

■で、誰が乗るの?とドライバーを調べてみてぶっ飛んだ。

鈴木利男、影山正美、黒沢治樹(元治サンの息子)。

・・・まるで日産ワークスみたいじゃんか。

■というのは驚きすぎで、2001年から始まった【東海大学ル・マンプロジェクト】を率いる林 義正・東海大学工学部教授は、90年代初頭のCカー最強エンジンであった日産・VRH35エンジンの開発主管、レーシングエンジン設計の神様なのだ。

1992年のデイトナ24時間耐久レースではVRH35を搭載したNissan R91CPは優勝を飾り、鈴木利男サンと林 義正先生はそこで喜びを分かち合った仲。

その友情がここまで続いているというわけだ。(たぶん。)

■というと、なんだ日産ワークスなんじゃないの?と疑いたくもなるが日産ワークスな(だった)のは林先生の脳みそだけで、基本的に学生主体でプロジェクトを転がしているそうだ。

多少のアドバイスがあったにしても、メーカーだって二の足を踏むル・マンに学生が挑もうってんだからホント、大したものである。

■林先生の研究室で10年近く続けられてきたプロジェクトの成果が、今、この瞬間にフランスのサルテサーキットを走っている。

研究室の面々ならびにOBの胸にたぎる熱い思いが想像されて、こっちまでヤケドしそうである。

■日本時間の明日正午ころに、向こうは夜明けを迎えるのだろうか。

ゼッケン22番、ちゃんと残っててくれよ!

                        <2008.06.14 記>

【結果】
現地時間午前8時45分、駆動系トラブルで痛恨のリタイア。
186周目、走行時間17時間45分であった。
夜のセッションを乗り越え、エンジンもまだ元気に回っていただけに残念!
また来年な!(って資金は大丈夫なんだろうか・・・。)
                         <2008.06.15 記>

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■ エンジンチューニングを科学する
■ 林教授に訊く「クルマの肝」
■ 世界最高のレーシングカーをつくる (光文社新書)

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■東海大学ル・マンプロジェクト

 
■過去の記事■ 自動車よもやま話  

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2008年6月11日 (水)

■カネを儲けて何が悪い!『爆笑問題のニッポンの教養』 経済学、橘木俊詔。

今回のテーマは、経済学。

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■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE039:「愛と幻想の価値論」 2008.6.3放送
同志社大学教授、2005年度経済学会会長、
経済学 橘木俊詔。

■おにぎりひとつを食べるのに困るような貧困を生まないようにするのが経済学の役割りである。

開口一番、橘木先生はそう定義づけた。

どうしてもコレだけは言っておきたい、という熱い気持ちがあふれ出していてちょっと共感。

■小泉内閣での竹中さんの政策については「活力は出たが貧富の差が大きくなった」と至極まっとうなご指摘である。

①「上が儲かれば下の方にもしずくが落ちる」モデル

②下にしずくも落ちてこない「Winner take all」モデル

この経済についての対立する2つの見方の説明はとてもイメージしやすくてストンと落ちる。

もちろん、竹中さんは①を信じて政策を進めたのだけれども結果は②の「勝者総取り」であったということだ。

■さて、ここから欧州的福祉社会とアメリカ的市場原理主義についての話が展開していくのかと思いきや、太田の関心事はどこまでも「わたくし的」なのである。

まわりがITバブルで騒いでいるときも、お金にはぜんぜん興味がなかったと太田は言う。

大切なのは「自分が何をやりたいのか」であって、お金は単なる手段に過ぎない。

芸を磨くことが本筋で、金儲けが目的になってどうするんだい。

というわけである。

■それに対する橘木先生は少し余裕をもった見方だ。

「カネを儲けて何が悪い!」と開き直った村上世彰。

彼は本音を語ったのがまずかった、と肩をもつ。株でうまく売り抜ける満足感もひとつの価値観であるというのだ。

あくまでも世の中を相対的に見ようとする視点である。

■なあ、宝くじで1億円当たったら何に使う?

あまりにも暇でネタに詰まったときによく浮かんでくる、あまり意味の無い不毛な会話である。

100万円の使い道ならいくらでも思いつくのだけれど、1億円となった途端にハタと考え込んでしまう。

そんなの100万円の使い道が100コもあるってことじゃん、なのだけれども、普通はなかなかそういう現実的な思考にはたどり着かないものだ。

お金とは不思議なもので、その金額によって価値観が伸び縮みする。

一般的な金銭感覚では、100万円くらいが現実の生活と重なる上限なのだろう。

■その上限プラス一桁くらいの範囲において、

お金はあれば、それに越したことはない。

というのが一般人の価値観であり、ホンネではないかと思う。

■そういう観点に立つと、本人には甚だ不本意だとおもうが、

カネなんていらねえ。

と言い切る太田は、「ええかっこしい」に見える。

きれいな言葉でいいかえれば【美意識】だろうか。

武士は食わねど高楊枝。

というやつだ。

■俺のことなんだから放っといてくれよ。

と言われるだろうし、それも正しい。

けれど、あくまでも個人の価値観に根ざした【美意識】というやつはやっかいなもので、そこに傾倒すると本来自己から沸きあがってきたはずのものが、いつしか自分を縛り付けてしまう妙な強制力のようなものが生まれてしまう。

それに耐えるストイックさがまた人を惹き付けるところなのだけれども、それはまかり間違えば、昭和初期の日本がそうだったと言われるように、「個人」よりも「価値観」が先行した息苦しい世の中を呼び込みかねない危険性をはらんでいるようにも思えるのだ。

■己の背骨となる「信条」を堅持するのは大切なことである。

だがその一方で、そんな自分を傍から眺める客観的な視線があってもいいだろう。

それが「相対的なものの見方」というものであって、決してシニカルなものではなく、柔らかく自由な自分を維持するために必要な、二つの車輪の片方なのだとおもう。

ご用心、ご用心。

                         <2008.06.11 記>

Photo_2■ 格差社会 ―何が問題なのか (岩波新書)

   
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2008年6月10日 (火)

■人と世の中のつながりについて。秋葉原無差別殺傷事件におもう。

<世の中が嫌になったのならば自分ひとりが世を去ればいいものを、・・・ >

今朝の某紙一面コラムの一文である。

■文章には流れというものがあって一部だけを取り出してどうこういうのは正当ではない、というのは分かっているつもりだ。

けれど、それでもやはり、同紙社説を含めたその背後にある「空気」のようなものを感じて何か書かなければという気持ちを抑えられなかったのだ。

■「誰でもよかった」

それは自分を苦しい立場に追い込んだ具体的な人物との対峙を避けた、未成熟な存在であることを示しているようにおもう。

卑怯で、卑劣な人間だ。

そして誰よりも本人が、そうやって自分自身を貶めてきたのだと思う。

■被害にあった方々は、「お前ら」と犯人が憎む一般化された存在などではなく、たった一度の人生をそれぞれの悩みを抱えながら生きてきた、誰にも代えることの出来ない存在だ。

我々の誰もがかけがえの無い存在なのである。

誰一人として不必要な存在など無い。

彼にとって一番必要だったのは、それを気づかせてくれる人に出会うことだったのではないだろうか。

■彼が携帯サイトに犯行予告をしておきながら当局が察知できなかったことについて、何らかの対応が必要だとする意見もある。が、

「管理」・「監視」でものごとを解決しようとするその息苦しさは、自分を大切に思えずに、もがき苦しむ魂たちを更なる瀬戸際へと追い込んでいくだろう。

■自分自身の20代前半を思い返すに、やはり、未熟でわがままで、何よりもそんな自分が嫌だった。

けれど、幸いなことに家族をはじめとしたまわりにいる人たちは、そんなわたしを見限ることなく大切に思ってくれていた、そのおかげで今の自分があるのだと思う。

そういう意味でいえば、彼とわたしの人生を分けたのは、何よりもまわりの人たちとのめぐり合わせにあるのかもしれない。

■「嫌になったのなら勝手に死んでしまえ」

という感情は分からなくもない。

当事者に感情移入するならば、むしろ自然なことだとおもう。

■けれど、今、この瞬間にも「自分」を好きになることが出来ずに悩む、何百万人もの若い人たちのこころに想像力を向けたとき、

また違った感情が浮かび上がってくる。

その気持ちも大切にしたいのだ。

今の自分があるのは世の中から見捨てられることがなかったからだとするならば、未熟な若者を見捨てないのが、我々大人なりの世の中への恩返しなのだとおもう。

■完全に見捨てられた、とわかったとき

人は世の中とのつながりを自らの手で断ち切ろうとする。

その不幸を生み出すのは、我々一人ひとりの「感じ方」そのものであり、「社会」というものが客観的な「何か」などではなく、その一人ひとりの「感じ方」が寄り合ったときに生じる「空気」によって構成されるものだとするならば、いまの日本を包み込む「世知辛さ」は、実はそれは、われわれ自身が生み出したものなのだ。

だから、決してこの事件はひとごとなどではない。

改めて自分と世の中とのつながり方について、じっくりと考えたいとおもう。

                        <2008.06.10 記>

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2008年6月 8日 (日)

■新型 ティアナ。和風モダンな「OMOTENASHI(おもてなし)」。

新型 日産 ティアナ/TEANAがデビューした。

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■イメージカラーのディープアメジストグレー

■前型のティアナは「モダンリビング」を標榜し、独自のセンスの良さをアピールしていて結構いい味を出していた。

独特のCMの効果は強力で「自動車」というよりは「心地よくデザインされた家具」のイメージが深く印象付けられている。

一般に欧州車に乗っている人はセンスが良く見えてしまうのだけれど、そのイメージとはまた違った方向性の「センスの良さ」である。

「粋(いき)」

という言葉が一番近いのかもしれない。

■さて、新型である。

テーマは「OMOTENASHI(おもてなし)」。

ラグジュアリーセダンにとっては使い古されたことばなのだけれども、逆にいえばそれはラグジュアリーに求められる本質的なことで、その「使い古された」感じを払拭せんがためのローマ字表記、ということなのだろう。

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■壇れいは淑やかな感じがしてピッタリくるのだけれど、豊川悦司はどうだろう・・・。

■前型の「モダンリビング」が欧米風のモダンであったのに対し、今回は「和」にこだわったイメージ戦略を展開している。

開発段階でそこまで深い味付けが定まっていたとも思えないが、無意識のうちに時代の雰囲気を取り込んでしまうもので、「結果」として出てきた商品をみると、「ああ、『和』だったんだな。」と気づいたということなのだろう。

■それはエクステリア、インテリアのデザインから染み出してくるものである。

前型が硬質な直線基調であったのに対し、新型は「たおやかな」流れが感じられる。

「機能をデザインに!」という理屈っぽさが抜けて、「まあまあ、ゆったりと構えようじゃないの」という鷹揚さを身につけた、という感じ。「あそび」がある、というのか、

それが「粋(いき)」というもので、

新型になって、さらに磨きがかかったというところか。

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■白が基調になったインパネが印象的。

■「イメージ」ばかりで盛り上がってしまったが、そうはいっても心地良いハードウエア無くして本物の味わいは生まれない。

今回のティアナにおけるハードウエアのポイントとしては、まずエンジンが挙げられるだろう。

3.5Lは別にして、前型は2.3Lというちょっと中途半端な排気量であったのだけれど、今回は世間並みに2.5Lにアップグレード。

実質150cc(2,349cc→2,495cc)の排気量UPはMAXトルクで0.8kg・m(23.7kg・m@4,400rpm、+3%)しか上がっていない。

きっと中低速からトルクに厚みを出しているに違いない。

エンジン性能曲線を比べてみないと分からないけれども、排気量で6%UPしてMAXトルクが3%UPしかしないというのは、VQエンジン自体も進化しているのだろうから、それはちょっと考えにくい。

今回はトランスミッションが4速ATからCVTに進化しているから、そこのマッチングもあるのだろう。

■その結果として、10・15モード燃費は12.0km/Lと前型に比べ0.8km/L、+7%向上している。

想像するにゆっくり踏み込んでも過不足なく、すーっと加速していく、そういう味付けなんじゃなかろうか。

D
■Dプラットフォーム骨格透視図

■諸元表に反映されない部分では、プラットフォームと呼ばれる車体の骨格構造がリニューアルされている。

車体剛性を向上させているのが売りなのだそうで、車体が強いということは「走り屋」さんが喜ぶだけでなく、静粛性、乗り心地にも大きく反映される。

ドライバーの体を柔らかく、かつ、しっかりと支える「振動吸収3層構造シート」との組み合わせで、さぞかし、しなやかで、しっとりした乗り味に違いないなどと勝手に妄想が肥大してしまって、是非とも一度乗ってみたいものである。

(なーんて期待しすぎるとと大抵、当てが外れたりするものなのだが・・・。)

■前代から引き続きの「売り」であるインテリアは、評判であった助手席オットマンは継続採用、間接照明なんぞも追加されて「OMOTENASHI」を演出しているようだ。

そのへんは危なげないところである。

■ところで、このクルマの競合車はマークXだというのだが、「男の真ん中でいたいじゃないか」という佐藤浩市とは、ちょっと違う感じだ。

どちらかといえば方向性はクラウン・ロイヤルサルーンの方が近いのかもしれない。

2.5Lの仕様で片や250万円のクルマと、370万円のクルマを比較するのもどうかという話なのだが、「『過剰さ』は何も値段だけで決まるもんでもないだろう」というのがティアナの「粋(いき)」なのであって、同じ「おもてなし」を標榜するなかでそこに明確な違いを生み出す「心意気」なのである。

■王道を歩むクラウンが月に1万台を売る中で、ティアナは月千台も売れないクルマではあるのだけれど、それだからこそ守れるものがある。

唯一心配なのは、

「次」も、ちゃんとあるんだよね。

というところなのだけれども、ま、それはずいぶん先の話で

鬼が腹を抱えるから、今は考えないでおくことにしよう。

                         <2008.06.08 記>

■追記■

実車を見ました。

シート、すごくイイです。

ドアを開けてドカリと座った瞬間に、ふわっと沈み込んで包み込むように受け止めてくれる感じと、それでいて座った後にからだを支えてくれる「コシがつよく」てシッカリした感じ。

なんか感動してしまいました。

これは一度座ってみる価値ありだと思います。

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■運転席に座ったときの「見切り」の良さもいい感じであった。
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■ショルダーからリアコンビランプへ回り込む曲面が結構そそります。

                         <2008.06.12 記>

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■ 新型ティアナのすべて (モーターファン別冊 ニューモデル速報)

                      
Photo_4 ■「いき」の構造  九鬼 周造

   
■日産ティアナ(TEANA)公式HP
      
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■過去の記事■ 自動車よもやま話  

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2008年6月 7日 (土)

■地球シミュレーターと競馬の予想屋の違いって?『爆笑問題のニッポンの教養』 社会シミュレーション学、出口弘。

今回のテーマは、シミュレーション。

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■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE038:「この世はすべてお見通し?」 2008.5.27放送
東京工業大学教授  社会シミュレーション学 出口弘。

■出口先生は「シミュレーションはあくまでもニセモノ」と言い切る。

それを聞いて、そうだよねー、なんて油断していると

「そもそも我々の思考を支えている【言語】もやはりニセモノである」と

ばっさり、袈裟切りにあう。

■【シミュレーション】は数学では語りきれない不確実な事象を記述するツールである。

と同時に、脳内のシミュレーション(予想)を外在化させ、他のひとと「思考」を共有するためのツールでもある、というのだ。

ここにおいて【言語】と【シミュレーション】は、単なる比喩としてではなく、その本質において同じカテゴリーに属するものとなる。

うーむ、深い。

■シミュレーションとは実際に起こるであろうことを予測することをいう。

「知ろう」とすることが単純な場合は数学で太刀打ちできる。

この場合、だれが計算しても1+1は2である。

■けれど、構造物の強度だとか、流体の動きといった「単純ではないもの」を知ろうとするとき、細かく細かく分解していくと薄らぼんやりしてきてワケが分からなくなる。

そこで、ある「基本的な法則(簡単な計算)」でつながったいくつかの「要素」から成り立つ「モデル」を作り、それをコンピューターで計算してやる。

いくつかの、といっても実際には非常に多くの「要素」がその中にあり、その要素同士にハタラく法則の計算も莫大な量に及ぶ。

さらには、そのシミュレーションの中にハタラく「法則」の種類が増えれば増えるほど、必要となる計算の量は爆発的に増大していく。

その膨大な量の計算をコンピューターによるチカラワザでねじ伏せるのが、数値シミュレーションだ。

■そこに埋め込まれているひとつひとつの「法則」は、「1+1=2」という数学に基づいているのだけれど、面白いことに、「全体」としての振る舞いは「1に1を足した結果」が3になったり、4になったり、場合によっては100になったり、1000になったりする。

個々の要素同士が影響を与え合うことで結果として恐ろしく増幅することがあるのだ。

番組のなかでは「天然痘が発生した町」について実際にシミュレーションをまわしてみたのだけれど、ワクチンの備蓄量、接種スピード、公共の場の閉鎖などのいくつかの対応方策をばらつかせた時に出てくる結果は驚くほどの違いを見せた。

よく考えてみれば、外部からそれを見るものが事前にたてる予想とかイメージとかいったものに対して大幅に違った結果が出てくるからこそ、コンピューターをフルに活用したシミュレーションに存在意義があるのである。

■さて、そこで出口先生の

「シミュレーションはあくまでもニセモノ」

という話である。

■「ニセモノ」がニセモノとして区別がつくならば、それほど大した話ではないが、それが「ホンモノ」かどうかが分からないという場合は非常にやっかいだ。

数学で解くことが出来る予測は(数学のルールの範囲において)正しいといえる。

けれど、シミュレーションを使って予測しようとすること、例えば地球温暖化の予測、なんかでいえば、その予測が「正しい」かなんて誰にも分からない。

そもそも色々な要素が複雑に絡み合った問題で予測が立たないからこそシミュレーションを使うのだ。

■ただ、そこにあるのは「信憑性」という話で、それは何かというと、既に分かっている過去の事実をそのシミュレーションで再現できる、ということに過ぎない。

世界で屈指の計算処理能力を誇る地球シミュレーターによる計算の結果、なんていわれるとその権威にアテられて、なるほどー、などとつい納得してしまいがちだけれど、

よく考えてみれば「過去」の現象は既に結果が分かっているわけで、実は当たるのが当たり前。それが当たるように「シミュレーション」を組み立てているのだから。

そういう意味では、西船橋にいる競馬の予想屋のおっちゃんと何ら変わるものではない。

■ここに於いて、 

「そもそも我々の思考を支えている【言語】もやはりニセモノであって、世の中を表現し、他の人とコミュニケートする手段である【シミュレーション】は、新しい【言語】なのである。」

という出口先生の言葉にやっとのことでたどり着く。

【シミュレーション】によって組み立てられた計算機の中のはたらきと、【言語】によって組み立てられた予想屋のおっちゃんの脳みその中のはたらきは「等価」である。

つまり、人類の英知が凝縮された「地球シミュレーター」と「田中の競馬予想」は、過去の事実から法則を見出し「未来の姿」を組み立てるという意味で、まあ、五十歩百歩、同じようなものだということだ。

■ならば我々は、シミュレーションによる結果を「神託」として恭しくいただくのではなく、「また、つまらねー予想しやがって」といいつつも、その「鉄板予想」の根拠を聞き、そこに生まれる議論を愉しむべきなのである。

人類の計り知れない神の業なんてものじゃなく、聞くものも一緒に愉しむものとして「それ」を我々の足元に引き摺り下ろし、そこに参加するべきなのだ。

だが「愉しむ」タメには、ただ口をあけてポカンとしていればいいかというと、そんなことは無く、それなりの「学習」が必要だ。

「競馬の愉しみ」と同じように、展開だとか、距離の実績だとか、血統だとか、ローテーションだとか、馬体の仕上がり具合だとか、そういった【競馬言語】を身につける必要があるのだ。

そうしたとき、そこに「ドラマ」が浮かび上がってくる。

■競馬をやる人間の話をよくよく聞いてみると、

実は、当たる、当たらないなんて大した問題ではなく、

複雑な「理屈」の上に浮かび上がった「未来の姿」そのものを愉しみ、そこに「ドラマ」とか「夢」とかいったものを重ねてみたりしながら、それがレースの瞬間に一気に凝縮される「恍惚」を味わっているのである。

■【シミュレーション】によって描かれる未来は予め定められた「結果」ではない。

【シミュレーション】は自ら「未来」を思い描くという極めて主体的な行為のためのツールなのである。

現在の地球温暖化の議論において、そのシミュレーションの信憑性をあげつらう人がいたりするけれど、それはあまりに単純な評価であって、そこからは何も生まれない。

むしろ、我々がそこにどういう「未来」を思い描くのかが問われているのであって、そのタメには我々一人ひとりが、「地球環境のメカニズム」の【言語】を学び、自らの頭で考える姿勢を身につける。

そうすることが、この暗雲垂れ込める時代において、それに疎外されることなく主体的に明るい未来を語るためのひとつの道なのだ、と思う。

                           <2008.06.07 記>

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2008年6月 3日 (火)

■NHKスペシャル ガラパゴス大異変。「ガラパゴス」であり続けることの条件。

ガラパゴス諸島の現在についてのリポート。

N
■NHKスペシャル ガラパゴス大異変 ~生きものの楽園は守れるか~
2008.06.02放映 NHKスペシャルHPより

■南米エクアドルから西へ1000km、太平洋上に浮かぶ大小55の島々からなるガラパゴス諸島。外界から隔絶され、世界でここにしか生息しないゾウガメやイグアナ、フィンチなど固有種の宝庫であるこの島は、1835年、博物学者ダーウィンが「進化論」を着想し、1978年には世界自然遺産第一号にも選ばれた生き物の楽園である。(NスペHPより引用)

■ガラパゴスは厳しい管理体制化に置かれているものかと思っていたが、どうやら見当違いであったらしい。

世界遺産に指定されてから30年。

今では日に何便もの旅客機が行きかい、世界中から観光客が押し寄せる。

すっかり観光の島と化してしまっていたのである。

■海岸線は舗装され、海イグアナは産卵の場所を求めて町をうろつき、観光客の豪華クルーズ船から吐き出されるゴミは恰好のえさとなり、フィンチの間に今までに無い病気が蔓延する。

無人の島々にはヤギが放たれゾウガメのエサを食い尽くし、海の浄化を担うナマコは密漁によって一網打尽。

■ユネスコはこの事態に対して「危機遺産宣言」を下し、世界遺産の解除も辞さない構えをみせた。

そこであわてたエクアドル政府は緊急事態宣言を発令、徹底的なヤギの駆除、不法滞在の摘発を強化し、自然回復への道を懸命に模索するのだけれど、観光客の制限という根本対策を避けるやり方では矛盾がひろがるだけである。

■優等生的にいうならば、世界でもまれな特殊な生態系をもつガラパゴスの自然の「純潔」を守らねばならない。そのためには観光客の大幅な制限を行うべし、というところだろう。

けれど、何のための保護なのか?

30年の年月をかけて築き上げてきた「生活」を奪う権利が誰にあるのか?

それは「イグアナの純潔」よりも軽いものなのか?

■この番組を見る限り、エクアドルの人たちとそこを訪れるあっけらかんとした観光客たちはガラパゴスの環境を「消費」している。

そして数十年の後にはすべてを消費しつくしてしまうであろう。

いかなる対応策も、長い目でみれば、それが「細く長く」なのか「太く短く」なのかの違いに過ぎない。

ひとつの手段として、いくつかの島を「絶対保護区」にして調査以外の人間の出入りを完全にシャットアウトするようなことも思いつくが、それでも環境の「劣化」は防げないであろう。

何しろ、他の生態系から1000km離れることで守られてきた島である。

同じガラパゴス諸島の中での環境の変化は、必ずその保護区にも現れるはずだ。

■一度、崩してしまったものは完璧にもとに戻そうとしても限界がある。

非常に悲観的な見方だが、外部からの接触によって生態系がいかに変化するものか。

それを観察し記録することだけが、唯一できることなのかもしれない。

■それは、地球の裏側の話ではなく、東京から南に1000km離れたところにある楽園、小笠原諸島についてもいえることである。

小笠原諸島は、他の生態系から孤立した独自の生態系をもつという意味で文字通り「東洋のガラパゴス」といえる島々である。

東京から父島への交通は6日に一便の「おがさわら丸」だけ。

24時間近い船旅の末にたどり着く、「世界で一番遠い島」なのである。

■そういった環境で、父島を中心とした小笠原諸島の自然は守られてきた。

けれど、景気が良くなるたび小笠原の観光開発案が浮上する。

そんなことを許したらどうなるかは火を見るより明らかで、本家ガラパゴスのように消費されていく道を選ぶことになることだろう。

それだけは是非とも避けなければならない。

世界遺産の登録なんて頼まれてもしてはいけない。

「宝もの」は隠れた場所でこっそり眺めるのがいいのである。

日本国内に「世界で一番遠い島」をもつということ。

それが本当の「贅沢」というものなのだ。

                       <2008.06.03 記>

Photo_2 ■ガラパゴスがこわれる

■関連記事■
■『小笠原諸島、父島』(前編) 太平洋に浮かぶ静かな楽園。

■続・『小笠原諸島、父島』(後編) 東洋のガラパゴスに住む鳥さんたち。母島、聟島。
   

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■宇宙のトイレ修理工、発進!

星出宇宙飛行士ら7人のクルーを乗せたスペースシャトル「ディスカバリー号」が、米国東部夏時間5月 31日午後5時02分(日本時間2008年6月1日午前6時02分)に、NASAケネディ宇宙センター(KSC)から打ち上げられた。

Ds
■スペースシャトル「ディスカバリー」リフト・オフ STS-124
2008.05.31.17:02 at KSC JAXA HPより

■今回のミッションの主たる目的は、日本実験棟「きぼう」の船内実験室を国際宇宙ステーション(ISS)へ取り付け、起動することにある。

だが彼らには、さらに重要な任務が課せられている。

ISSのトイレ修理である。

■なにしろ無重力だから、ファンで負圧を作り出し「引っぱって」やらないとうまく「出ない」のだそうで、今回はその負圧発生装置が故障した模様。

宇宙空間では何をするにも大変なのだ。

幸い故障したのは「小」の方だけだそうで、それでも大切な「資源」であるそれを一体どう処理しているのだろうかと考えると夜も眠れない。(ウソ)。

■けだし、眼下に青い地球を望みながらの用足しも、なかなか味なものかもしれない。

そういうスケールのでかい放尿をいっぺんでいいからやってみたいものである。

                             <2008.06.02 記>

Ds
■ディスカバリー号のペイロードベイ(貨物室)内の様子 JAXA HPより

 
■過去の記事■ 飛行機、宇宙の話など  
    

■STS-124 ライブ映像
http://asx.bb-f.jp/YAC/live.html
   

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2008年6月 2日 (月)

■【映画】 『 ヨコハマメリー 』。私は私の道を行く。

ドキュメンタリー映画を久しぶりに手に取った。

DVDのジャケットにふっ、と惹かれたのだ。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.15  『 ヨコハマメリー 』
          監督:中村高寛 公開:2006年
       出演: 永登元次郎 五大路子 他

     Dvd  ■DVD ヨコハマメリー

■結論から言えば借りて正解。

ドキュメンタリーって作り方次第でこうも「劇的」になるものかと目からウロコが3枚くらいはがれ落ちた。

見終わった後の余韻に浸っているうちに元次郎さんに会いたくなって最後の歌のシーンを繰り返し繰り返し味わった。

知らぬうちに人恋しさが静かに高まっていく、そういう映画だ。

■ストーリー■
厚い白塗りに白いドレス。

横浜、伊勢崎町の街角に立ち続ける異様な風体の老婆がいるという。「ハマのメリーさん」。だが、1995年、その「メリーさん」は突如として横浜の街から姿を消す。

中村高寛監督は彼女の真実を追いかけ一本のドキュメンタリーとしてまとめた。それがこの映画である。

彼女にゆかりのある、古くから横浜で生きてきた人たちの声を拾い集め、「メリーさん」の姿を、その周辺からじんわりとゆっくりと描き出す。

末期がんに侵された老シャンソン歌手、永登元次郎の生き様がそこに重ねられ、衝撃的なラストへと物語は展開していく。

■DVD ヨコハマメリー

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■静かな映画だ。

ナレーションがない。BGMもない。

あるのは、街の音。

彼女が生きた横浜の「時代」を知るひとがメリーさんについて語る声。

説明は簡潔なテロップが時折差し込まれるだけ。

けれど、そこには「退屈」とはおよそ対極的な、強烈な引力と濃密さがうまれている。

■集中力、なのだと思う。

不必要なものをすべて削り去って、今、目の前にしている「こと」に集中する。

カメラは、まるでスチル写真のように動きを止め、ザクリザクリと作家の視線を力強く切り取っていく。

その丹念な積み重ねと編集の妙により、見るものの五感は、いつしか「生」の体験へと入り込んでいくのだ。

ああ、これがドキュメンタリー映画というものなのだろうか。

娯楽映画では決して味わえない新鮮な感覚である。

■「ハマのメリーさん」が横須賀の街に現れたのは、1954年。当時、33歳。

ふわっと上品でレトロなドレスを身にまとい、その近寄りがたい高貴さから「皇后陛下」と呼ばれた彼女は米軍将校専門の娼婦であった。

その後、横浜に流れ着き、伊勢崎町の「根岸屋」という米兵と愚連隊と娼婦でにぎわう「濃密な」酒場の前に立つようになる。

1961年、当時40歳。

■彼女が横浜から姿を消したのが1995年だから、74歳になるまで、34年間も街角に立ち続けたことになる。

上品で高貴であること。

彼女はそれを守り通した。

■その年輪を隠すための厚いドウランの仮面をつけ、曲がった背をしゃんとして、いつもまっすぐ立っている。

衣装のクリーニングや美容院通いも怠らず、住む家は無くとも、身奇麗でいることを旨とする。

宝飾店のウインドウに並ぶアクセサリーや香水をいとおしむように眺め、評判になる舞台には必ず彼女の姿が現れる。

■美しく、上品であり続ける精神と、老齢であることのギャップはその見た目以上に「気色悪い、ぞっとする」強烈な存在感を発し、容易にひとを寄せ付けない。

けれど、彼女の奥に「強さ」をみる感受性を持つものは、「何故?」という問いとともに、彼女に対して尊敬の念を抱くようになる。

■横浜で生きてきたシャンソン歌手、永登元次郎さんもそのひとり。

自ら男娼として街角に立ったこともある。

裏街道を必死に生きてきた元次郎さんにとって、メリーさんがどうしても他人には思えない。

彼女の気高い強さに励まされ、自らの体を冒す末期がんと向き合い、それでもなお歌い続ける。

そしていつしか、彼女の厚いドウランの裏に隠された弱い部分に、かつて深く傷つけてしまった母への、もう取り返しのつかない後悔の念を重ねていく。

■この元次郎さんの生き様が二重奏のようにメリーさんの人生と響きあい、深い感動へと引き込まれていく。

ここでは「コトバ」は、あまりにも無力だ。

ラストシーンでの元次郎さんのマイ・ウエイが、ただただ心に沁みる。

私は私の道をいく。

それを聞く、メリーさんの横顔が美しい。

                           <2008.05.24 記>

Dvd  ■DVD ヨコハマメリー

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■スタッフ■
監督: 中村高寛
企画制作: 人人フィルム、白尾一博、片岡希
撮影: 中澤健介、山本直史
音楽: Since、コモエスタ八重樫、福原まり
テーマ曲:渚ようこ 『伊勢佐木町ブルース』
写真: 森日出夫


■出演■
永登元次郎(シャンソン歌手)
五大路子
杉山義法
清水節子
広岡敬一
団鬼六
山崎洋子
大野慶人、他

    
■過去記事■

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