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2008年5月10日 (土)

■世界はシンプルである’ハズ’だ。『爆笑問題のニッポンの教養』 素粒子物理学、橋本省二。

今回のテーマは、素粒子物理学。

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■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE036:「世界を支配する『ちいさな』話」 2008.4.29放送
高エネルギー加速器研究機構准教授
素粒子物理学 橋本省二。

■今、目の前にある物体をどんどん拡大していくと分子が見えてくる。その分子はいくつかの原子で構成されていて、その原子の構成要素である陽子は3つの「クォーク」から成り立っている。

古代ギリシャの哲学者・デモクリトスの「原子論」から2400年。「唯物論」の延長としての現代物理学が覗いている世界である。

■「重さ」とは何か。

最先端の物理学が乗り越えようと奮闘努力する大きな壁がそこにある。

何しろ、「クォーク」には「重さ」が無いのに陽子には重さがあるというのだから、訳が分からなくなっているのである。

■何か理屈がなければ’ならない’。

そこで橋本先生たちが考えているのが、

実は『真空』は『空』ではない

という禅問答的世界なのである。

■「0」と思っていたのが、「+1」と「-1」が同じだけ詰まっている、というイメージだろうか。

「真空」だと思っていた我々の世界(宇宙)には「クォーク」と「反クォーク」が詰まっていて、だから、そこを「クォーク」が移動しようとすると「抵抗」が生まれる。

それが「重さ」の正体だ、というのである。

■うーん、よく分からない。

宇宙には光や力を伝える「エーテル」が満ちているという、アインシュタイン以前の19世紀の物理学に戻ったということか?

いや、一見、昔に戻ったようにみえるけれども、見る方向を変えれば’らせん’状に「スパイラル・アップ」して「真実」へと一歩近づいているということなのだろう。

■けれど、そこへ至る「道」はすでに常人の想像力を遥かに超えた領域へと踏み込んでしまっている。

超高速コンピュータによるシミュレーションでしか「検算」出来ない世界。

それを検証するには巨大な粒子加速器によって、ほぼ光速に近い速度で素粒子同士をぶつけるという、温度にして120兆度に達する状況が必要となってくる。

もはや、「その領域に我が身を置いてみる」というような理解の仕方はまったく通用しない世界なのだ。

太田が「しっくりこない」のもそこなのだろう。

■最先端の物理学が我々の肉体的感覚から遠く離れてしまったのは今に始まったことではない。

1945年8月6日。

相対性理論という「理解の外」の理論から生まれた原子爆弾という「超現実」が広島を直撃した、その瞬間、学問としての物理学は「人間のスケール(物差し)」を超越してしまったのかもしれない。

「科学」という名の思想は、目の前にあることの不思議を「理解する」という極めて人間的な行為であることをやめ、その好奇心は「神が如何にこの世界を創りたもうたか」というおよそ人間には実感することのできない領域へと知らず知らずのうちに踏み込んでしまっているのではないか。

■世界はシンプルである’はず’である。

その「教義」は数式という文法で語られる。

そこでは「主観」というものは「確率」として消化され、難しい数式の中に埋もれていく。

何しろ数式というやつは個人的な解釈を決して許さない。「わたし」を排除することこそが数式の属性(property)なのである。

■従って、太田が提示してみせる「いくつかのクォークの関係性の中に「重さ」を生み出す仕組みがあるのではないか?」という空想は、数式の文法から離れたものであるがゆえに、ふふん、といなされて終わってしまう。

そして、数式の文脈の上での議論である限りに於いて、その「言語」を理解できない(感覚として捉えることのできない)一般市民に反論の余地は残されていないのだ。

太田の焦燥はその危機感の表れなのだろうし、「女房からしばられているわたし」という「数式」にとても収まりきれない土俵でしか反撃出来なかったのも仕方の無いことである。

■科学は客観的事実でのみ語られ、その法則は一定で再現可能なものである。

もちろん技術者としての自分はその科学の文脈の中で思考し、仮説を立て、実験で検証するというスタイルに従っているし、それを変えるつもりは微塵もない。

遥か彼方といえども、今の最先端の物理学の世界もその延長線上にある。というのも理解できる。

けれど、橋本先生。

世界がシンプルな数式で表せるとするならば、「奥さんの束縛から飛ぶことを恐れる先生自身」もまた、シンプルな数式の「解」のひとつに過ぎないということになってしまいやしないだろうか?

そこに不合理をみるかどうかに、「科学」を「道具」とみるか「宗教」とみるかの境界線があるように、私には思える。

■何のための「科学」なのか。

今の時代の空気を眺めると、その「科学」の文字を、「報道」だとか「経済」だとか「平和」だとかいろいろと読み替えることも出来るだろう。

すべては同じ構図にあてはまる気がするのである。

われわれが当たり前として信じているものを「」(かっこ)付きにして相対化し、改めて「わたし」の中で咀嚼する。

我々ひとりひとりがその努力を怠ったとき、気がつけば後戻りの出来ない不幸の中にいる、なんてことになりゃあしないかと心配なのだ。

                         <2008.05.10 記>

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図解入門 よくわかる素粒子の基本と仕組み
―高エネルギー物理学と巨大研究プロジェクト

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